「松茸や(知)」の巻、解説

初表

 松茸やしらぬ木の葉のへばりつき  芭蕉

   秋の日和は霜でかたまる    文代

 宵の月河原の道を中程に      支考

   ことしはきけて里の売家    雪芝

 四五人で万事をしまふ能大夫    猿雖

   いきりし駒に鞍を置かね    望翠

 

初裏

 けさの雪この頃よりもたつぷりと  惟然

   屏風畳で膳すゆるなり     卓袋

 段々に上刕米の取さばき      文代

   わか手の衆はそりのあはざる  支考

 鼠ゆく蒲団のうへの気味わるく   雪芝

   風になりたる八専の雨     猿雖

 いそがしき体にも見えず木薬屋   望翠

   三年立ど嫁が子のなき     芭蕉

 鶏の白きは人にとらせけり     卓袋

   彫みもはてぬ佛あかづく    荻子

 はつ花の垣に古竹結わたし     惟然

   道はかどらぬ月の朧さ     文代

 

 

二表

 ばらばらと雉子に小鳥のおどされて 卓袋

   鹿が谷へも豆腐屋は行     支考

 年切の小さい顔に角を入      猿雖

   水風呂の湯のうめ加減よき   荻子

 二三本竹切たればかんがりと    支考

   愛宕の燈籠ならぶ番小屋    芭蕉

 酔ほれて枕にしたる駕籠の縁    猿雖

   花ぎつしりと付し水仙     雪芝

 味噌売の宵間宵間に音信て     文代

   木綿を藍につきこみにけり   卓袋

 有明に本家の籾を磨じまひ     惟然

   茄子畠にみゆる露じも     荻子

 

二裏

 此秋は蝮のはれを煩ひて      芭蕉

   僧と俗との坐のわかるなり   望翠

 呵るほどよふ焚付ぬ竈の下     雪芝

   芝切入て馬屋葺ける      支考

 花寒き片岨山のいたみ咲      猿雖

   春の日南に昼のしたため    文代

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 松茸やしらぬ木の葉のへばりつき 芭蕉

 

 元禄七年九月三日の伊賀に到着した支考と文代(斗従)が、その翌日誰かから届けられた松茸を見て、芭蕉の旧作を元に歌仙一巻が興行される。発句は元禄四年秋の句で元禄五年刊尚白編の『忘梅』に収録されている。

 松茸は枯葉や松の落葉などに埋もれていて、採ってきたばかりの松茸には枯葉がくっついていることがある。店で売っている松茸はそういうものをきれいに取り除いてあるが、昔は松茸あるあるだったのだろう。

 届けられたばかりの松茸を芭蕉が支考と一緒に見ながら、木の葉のついているのを見つけて、三年前のこの句を思い出したのだろう。『続猿蓑』には「へばりつく」の形で収録されている。「松茸にしらぬ木の葉のへばりつくや」の倒置だから、文法的には「へばりつく」の方が良い。

 

季語は「松茸」で秋。

 

 

   松茸やしらぬ木の葉のへばりつき

 秋の日和は霜でかたまる     文代

 (松茸やしらぬ木の葉のへばりつき秋の日和は霜でかたまる)

 

 前句の季節に日和で応じるのは、『ひさご』の元禄三年春の、

 

   木のもとに汁も膾も桜かな

 西日のどかによき天気なり    珍碩

 

元禄五年春の、

 

   鶯や餅に糞する縁の先

 日も真すぐに昼のあたたか    支考

 

に通じる無難な応じ方だ。

 晩秋なので、霜の降りる日が常態化しましたね、と応じる。

 

季語は「秋」で秋。「霜」は降物。

 

第三

 

   秋の日和は霜でかたまる

 宵の月河原の道を中程に     支考

 (宵の月河原の道を中程に秋の日和は霜でかたまる)

 

 秋の句二句続いたので、そのまま月へと展開する。

 前句の「霜でかたまる」を霜が降りて道が固まるとし、夕暮れの風に吹きすさぶ河原の道とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「河原」は水辺。

 

四句目

 

   宵の月河原の道を中程に

 ことしはきけて里の売家     雪芝

 (宵の月河原の道を中程にことしはきけて里の売家)

 

 「きけて」がよくわからない。『校本芭蕉全集 第五巻』中村注にある『一葉集』の「きけハ」が正しいのかもしれない。河原の道の中程に家があったが、聞く所によると今年は売りに出されている。

 

無季。「里」は居所。

 

五句目

 

   ことしはきけて里の売家

 四五人で万事をしまふ能大夫   猿雖

 (四五人で万事をしまふ能大夫ことしはきけて里の売家)

 

 能大夫は能のシテの尊称で、ジャパナレッジの「改訂新版・世界大百科事典」には、

 

 「能大夫は観世,金春,宝生,金剛の四座家元を指し,ひいてはシテを勤める者をも大夫と呼んだ。ただし江戸時代に新しく成立した喜多流では,家元を称して大夫とは言わない。」

 

とある。能がほぼ四座家元の支配下にあることから「四五人で万事をしまふ」としたか。その能大夫が里の家を売りに出す。

 

無季。「能大夫」は人倫。

 

六句目

 

   四五人で万事をしまふ能大夫

 いきりし駒に鞍を置かね     望翠

 (四五人で万事をしまふ能大夫いきりし駒に鞍を置かね)

 

 能大夫も馬には不慣れだったか。

 

無季。「駒」は獣類。

初裏

七句目

 

   いきりし駒に鞍を置かね

 けさの雪この頃よりもたつぷりと 惟然

 (けさの雪この頃よりもたつぷりといきりし駒に鞍を置かね)

 

 馬の不機嫌を大雪のせいだとする。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

八句目

 

   けさの雪この頃よりもたつぷりと

 屏風畳で膳すゆるなり      卓袋

 (けさの雪この頃よりもたつぷりと屏風畳で膳すゆるなり)

 

 屏風を畳んで、外の雪景色を見ながら食事をするということか。

 

無季。

 

九句目

 

   屏風畳で膳すゆるなり

 段々に上刕米の取さばき     文代

 (段々に上刕米の取さばき屏風畳で膳すゆるなり)

 

 刕は州の異字体で、上州米、つまり今の群馬県の米のことをいう。

 上野国はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「上野国」の解説」に、

 

 「近世に入ると上野国は江戸城北辺の守りとして、井伊(いい)(高崎)、榊原(さかきばら)(館林)、酒井(前橋)など譜代(ふだい)の重臣が配備された。徳川家康が新田一族(徳川氏)の後裔(こうえい)と称したことから、太田に大光院(義重の菩提(ぼだい)寺)を開き、世良田(せらた)(新田郡尾島町)の長楽寺(開山栄西(えいさい))を復興した。藩はその後変転して幕末には前橋(17万石)、高崎(8万2000石)など9藩となったが、大半は譜代小藩で、それに天領、旗本領が交錯していた。元禄(げんろく)期(1688~1704)の総石高は約60万石。生業は畑作が主で、とくに養蚕業は古い伝統をもち、桐生(きりゅう)のほか伊勢崎(いせさき)、藤岡の絹織物が有名であった。安政(あんせい)の開港(1854)後は輸出生糸が空前の活況を呈した。そのほか煙草(たばこ)、麻、硫黄(いおう)、砥石(といし)などが特産であった。」

 

とある。譜代小藩が多く、畑作や養蚕が主で、あまり米どころのイメージはない。それだけに中小の米問屋に付け入る隙があったということか。屏風を所有できるくらいにそこそこ豊かな生活をする。

 

無季。

 

十句目

 

   段々に上刕米の取さばき

 わか手の衆はそりのあはざる   支考

 (段々に上刕米の取さばきわか手の衆はそりのあはざる)

 

 小藩の多い地域はばらばらで、団結力がないということか。

 

無季。「衆」は人倫。

 

十一句目

 

   わが手の衆はそりのあはざる

 鼠ゆく蒲団のうへの気味わるく  雪芝

 (鼠ゆく蒲団のうへの気味わるくわが手の衆はそりのあはざる)

 

 鼠が蒲団の上をちょろちょろしているような屋敷では、若い者も心が荒んでいて、互いに仲が悪い。

 

季語は「蒲団」で冬、「鼠」は獣類。

 

十二句目

 

   鼠ゆく蒲団のうへの気味わるく

 風になりたる八専の雨      猿雖

 (鼠ゆく蒲団のうへの気味わるく風になりたる八専の雨)

 

 八専はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「八専」の解説」に、

 

 「〘名〙 壬子(みずのえね)の日から癸亥(みずのとい)の日までの一二日間のうち丑(うし)・辰(たつ)・午(うま)・戌(いぬ)の四日を間日(まび)として除いた残りの八日をいう。この八日は、壬子(水水)・甲寅(木木)・乙卯(木木)・丁巳(火火)・己未(土土)・庚申(金金)・辛酉(金金)・癸亥(水水)で、上の十干と下の十二支の五行が合う。一年に六回あり、この期間は雨が多いといわれる。また、嫁取り、造作、売買などを忌む。八専日。専日。

  ※左経記‐長元五年(1032)六月一〇日「而十三日以後八専也、雖レ然事已無レ止、若八専旱損彌可レ盛云」

 

とある。『炭俵』の「早苗舟」の巻八十八句目に、

 

   気にかかる朔日しまの精進箸

 うんぢ果たる八専の空      利牛

 

の句がある。

 雨が多く憂鬱な時期に、風も吹けば鼠も出る。いい所がない。

 

無季。「雨」は降物。

 

十三句目

 

   風になりたる八専の雨

 いそがしき体にも見えず木薬屋  望翠

 (いそがしき体にも見えず木薬屋風になりたる八専の雨)

 

 木薬屋は『校本芭蕉全集 第五巻』中村注に生薬屋と同じとあり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生薬屋」の解説」に、

 

 「〘名〙 生薬を売る店。転じて、薬を商う店。

  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)一「三所四所さられ長持の(はげ)たるを昔のごとく塗直して木薬屋に送りけるに」

 

とある。

 雨風で訪れる人もなく、八専で商売も忌むとなれば、薬屋が忙しいはずもない。

 

無季。「木薬屋」は人倫。

 

十四句目

 

   いそがしき体にも見えず木薬屋

 三年立ど嫁が子のなき      芭蕉

 (いそがしき体にも見えず木薬屋三年立ど嫁が子のなき)

 

 ネット上の齋藤絵美さんの『漢方医人列伝 「香月牛山」』によると、

 

 「不妊症に用いる処方については、現在も使われているものとしては六味丸・八味丸に関する記述があり、「六味、八味の地黄丸この二方に加減したる方、中花より本朝にいたり甚だ多し」と書かれています。」

 

とあるように、不妊症の薬は一応当時もあったようだ。腎気丸で腎虚の薬のようだ。

 まあ、薬は効いてなかったのだろう。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

 

十五句目

 

   三年立ど嫁が子のなき

 鶏の白きは人にとらせけり    卓袋

 (鶏の白きは人にとらせけり三年立ど嫁が子のなき)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』中村注に、

 

 「『白い鶏を千飼へば其家より后(きさき)出づ』という俗説がある。」

 

とある。『平家物語』「山門御幸」の信隆の鶏が出典であろう。

 『源平盛衰記』巻第三十二「四宮御位の事」には、

 

 「白鶏ヲ千羽飼ヌレバ。必其家ニ王孫出来御座ト云事ヲ聞テ。白-鶏ヲ千羽ト志メ飼給ケル程ニ。後ニハ子ヲ生孫ヲ儲テ四-五千羽モ有ケリ」

 

とある。

 こちらの方がこの句には合っている。

 白い鶏を人にやってしまったために、自分には子供ができない。

 

無季。「鶏」は鳥類。「人」は人倫。

 

十六句目

 

   鶏の白きは人にとらせけり

 彫みもはてぬ佛あかづく     荻子

 (鶏の白きは人にとらせけり彫みもはてぬ佛あかづく)

 

 「彫み」は「きざみ」。「あかづく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「垢付」の解説」に、

 

 「〘自カ五(四)〙 (「あかづく」とも) 垢がついてよごれる。垢じみる。

  ※万葉(8C後)一五・三六六七「わが旅は久しくあらしこの吾が着(け)る妹が衣の阿可都久(アカヅク)見れば」

 

とある。

 古い用例なのでこれでいいのかどうかはわからない。「あかつき」がコトバンクの同じ解説に、

 

 「② 近世、高貴の人が臣下、またはその他に下賜した衣服の称。普通、紋付である。」

 

という意味がある。これは「手垢のついたものを与える」という意味で下賜されたものということだとすると、前句の「とらせけり」を下賜と見て、鶏と一緒に未完成の仏像が下賜されたけど、これをどうすればいいのか、という意味かもしれない。

 道楽で仏像を彫っている主君が失敗作を家臣にやるというのは、いかにもありそうなことだ。

 

無季。釈教。

 

十七句目

 

   彫みもはてぬ佛あかづく

 はつ花の垣に古竹結わたし    惟然

 (はつ花の垣に古竹結わたし彫みもはてぬ佛あかづく)

 

 とりあえず仏像が下賜されたので、桜の咲き始める頃、垣根に古竹を結って、その辺りに仏像を祭る。

 

季語は「はつ花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   はつ花の垣に古竹結わたし

 道はかどらぬ月の朧さ      文代

 (はつ花の垣に古竹結わたし道はかどらぬ月の朧さ)

 

 初花の垣の辺りまでやって来たが、月が朧で暗いため道がよくわからない。

 

季語は「月の朧」で春、夜分、天象。

二表

十九句目

 

   道はかどらぬ月の朧さ

 ばらばらと雉子に小鳥のおどされて 卓袋

 (ばらばらと雉子に小鳥のおどされて道はかどらぬ月の朧さ)

 

 キジがくると小鳥が一斉に逃げて行く。まだ夕暮れの頃であろう。

 

季語は「雉子」で春、鳥類。「小鳥」も鳥類。

 

二十句目

 

   ばらばらと雉子に小鳥のおどされて

 鹿が谷へも豆腐屋は行      支考

 (ばらばらと雉子に小鳥のおどされて鹿が谷へも豆腐屋は行)

 

 鹿ケ谷というと『平家物語』の鹿ケ谷の陰謀を思い浮かべる人も多いだろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「鹿ヶ谷事件」の解説」に、

 

 「1177年(治承1)5月、後白河院(ごしらかわいん)の近臣藤原成親(なりちか)・成経(なりつね)父子、藤原師光(もろみつ)(西光(さいこう))、法勝寺執行(ほっしょうじしぎょう)の俊寛(しゅんかん)、摂津(せっつ)源氏多田行綱(ゆきつな)らが、俊寛の京都・東山鹿ヶ谷山荘において平氏追討の謀議をした事件。その内容は、近づく祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)に乗じて六波羅(ろくはら)屋敷を攻撃し、一挙に平氏滅亡を図ろうとするものであった。しかし、事は多田行綱の密告によって事前に平清盛(きよもり)に発覚し、西光の白状により関係者は次々に捕らえられ処罰された。西光は死罪、成親は備中(びっちゅう)国(岡山県)に、俊寛・成経らは九州の南の果ての孤島鬼界ヶ島(きかいがしま)に配流された。この事件の主謀者がとくに一家の縁者(成親は平重盛(しげもり)の婿、成経は教盛(のりもり)の婿)であったことは、平氏にとってきわめて衝撃であった。以後、院と清盛との関係はますます悪化していった。[山口隼正]」

 

とある。前句のキジに脅される小鳥のイメージに重なる。

 鹿ケ谷というと近くにある南禅寺門前の湯豆腐が有名だった。

 

無季。「鹿が谷」は名所。「豆腐屋」は人倫。

 

二十一句目

 

   鹿が谷へも豆腐屋は行

 年切の小さい顔に角を入     猿雖

 (年切の小さい顔に角を入鹿が谷へも豆腐屋は行)

 

 年切(ねんきり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「年切・年限」の解説」に、

 

 「〘名〙 年季奉公のこと。また、その契約を結んだ人。特に、半季の短期契約の奉公人に対して二年以上の年季を限った奉公人。最長年季は一〇年がふつう。

  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)六「摺箔やの年切(ねんキリ)の弟子など」

 

とある。半元服の丁稚奉公であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「半元服」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「はんげんぶく」とも) 江戸時代、本元服に対して略式の元服をいう。男子の場合、武家は小鬢をそらず、町人は額のすみをそり、前髪を大きくわけ結ぶ。女子は眉毛をそらず鉄漿(かね)もつけず、ただ髪だけ丸まげに結ったり、また、眉毛をそって鉄漿をつけなかったり、鉄漿をつけて眉毛をそらなかったりなどしたもの。

  ※浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)長町「半元服さしゃってから、お果なされた文大夫様」

 

 「角(すみ)を入(いれ)」は半元服の額の隅を剃ることをいう。今の剃り込みに似ている。剃り込みの場合も「剃りを入れる」と言う。

 

無季。「年切」は人倫。

 

二十二句目

 

   年切の小さい顔に角を入

 水風呂の湯のうめ加減よき    荻子

 (年切の小さい顔に角を入水風呂の湯のうめ加減よき)

 

 半元服の奉公人は風呂焚きが得意。

 

無季。

 

二十三句目

 

   水風呂の湯のうめ加減よき

 二三本竹切たればかんがりと   支考

 (二三本竹切たればかんがりと水風呂の湯のうめ加減よき)

 

 「かんがり」は「がんがり」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「がんがり」の解説」に、

 

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある)

  ① 物の隙間のあるさま、あいているさまを表わす語。

  ※雑俳・すがたなぞ(1703)「口をがんがりがんがり・にくみやった兄に七分の遺言状」

  ② うす明るいさま、また、ほのぼのと空が明るくなるさまを表わす語。

  ※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)六「夜ははやがんがりと明にけり」

  ③ ものがはっきりみえるさまを表わす語。

  ※俳諧・毛吹草(1638)六「がんがりとはねまでみゆる月夜哉〈一正〉」

 

とある。

 湯加減もよく、二三本竹を切ったから眺めもいい。

 

無季。「竹」は植物、木類でも草類でもない。

 

二十四句目

 

   二三本竹切たればかんがりと

 愛宕の燈籠ならぶ番小屋     芭蕉

 (二三本竹切たればかんがりと愛宕の燈籠ならぶ番小屋)

 

 愛宕燈籠は京都の愛宕神社の燈籠で、秋葉灯籠などと同様、信仰の盛んな地域では至る所に見られる。愛宕灯籠も秋葉灯籠も火難除けという点では共通している。地域の当番の人が火を灯している。

 番小屋は町や村に設けられた番太郎の小屋で、愛宕灯籠の並ぶ番小屋は、京の街の見慣れた風景だったのだろう。

 前句は番太郎が、地域を見張りやすいように竹を二三本切った、とする。

 

無季。神祇。「燈籠」は夜分。

 

二十五句目

 

   愛宕の燈籠ならぶ番小屋

 酔ほれて枕にしたる駕籠の縁   猿雖

 (酔ほれて枕にしたる駕籠の縁愛宕の燈籠ならぶ番小屋)

 

 酔っ払って道端で駕籠を枕にして眠っている。駕籠というのは夜は道端に置きっぱなしにしてたのだろうか。今でいう路上駐車みたいだが。

 

無季。

 

二十六句目

 

   酔ほれて枕にしたる駕籠の縁

 花ぎつしりと付し水仙      雪芝

 (酔ほれて枕にしたる駕籠の縁花ぎつしりと付し水仙)

 

 酔っ払って寝ているのは良いが、水仙の花の季節は真冬で凍死するぞ。

 

季語は「水仙」で冬、植物、草類。

 

二十七句目

 

   花ぎつしりと付し水仙

 味噌売の宵間宵間に音信て    文代

 (味噌売の宵間宵間に音信て花ぎつしりと付し水仙)

 

 味噌売は金山寺味噌などの嘗め味噌売りであろう。酒の肴なので宵にやって来る。昔は発酵が安定する低温の冬に作られることが多かったのだろう。水仙の季節になる。

 

無季。「味噌売」は人倫。

 

二十八句目

 

   味噌売の宵間宵間に音信て

 木綿を藍につきこみにけり    卓袋

 (味噌売の宵間宵間に音信て木綿を藍につきこみにけり)

 

 藍染液も秋に出来上がり、晩秋から冬の作業になる。

 

無季。

 

二十九句目

 

   木綿を藍につきこみにけり

 有明に本家の籾を磨じまひ    惟然

 (有明に本家の籾を磨じまひ木綿を藍につきこみにけり)

 

 季節を晩秋として有明の月を出す。収穫した新米の籾を磨る。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   有明に本家の籾を磨じまひ

 茄子畠にみゆる露じも      荻子

 (有明に本家の籾を磨じまひ茄子畠にみゆる露じも)

 

 茄子は夏野菜だが、「秋茄子は嫁に食わすな」と言うように、秋の茄子も美味い。その茄子も晩秋になると露が氷って霜になること、そろそろ終わりになる。

 

季語は「露じも」で秋、降物。

二裏

三十一句目

 

   茄子畠にみゆる露じも

 此秋は蝮のはれを煩ひて     芭蕉

 (此秋は蝮のはれを煩ひて茄子畠にみゆる露じも)

 

 「蝮のはれ」は山口県医師会のホームページの「マムシに咬まれたら」(宇部市医師会外科医会)に、

 

 「症状としては、噛まれた直後から数分後に焼けるような激しい痛みがあります。通常傷口は2個でたまに1個のこともあります。咬まれた部分が腫れて紫色になってきます。腫れは体の中心部に向かって広がります。皮下出血、水泡形成、リンパ節の腫れも認めます。重症例では、筋壊死を起こし、吐気、頭痛、発熱、めまい、意識混濁、視力低下、痺れ、血圧低下、急性腎不全による乏尿、血尿を認めます。通常、受傷翌日まで症状は進展し、3日間程度で症状は改善していきますが、完全に局所の腫脹、こわばり、しびれなどが完治するまで1カ月ぐらいかかります。ただし、いったん重症化すると腎不全となり死に至ることもあります。」

 

とある。かなり危険な状態だが、紫の腫れを茄子に見立てて笑うしかない。

 

季語は「秋」で秋。

 

三十二句目

 

   此秋は蝮のはれを煩ひて

 僧と俗との坐のわかるなり    望翠

 (此秋は蝮のはれを煩ひて僧と俗との坐のわかるなり)

 

 遠回しな言い方だが「生死を分かつ」ということだろう。

 

無季。釈教。「僧」は人倫。

 

三十三句目

 

   僧と俗との坐のわかるなり

 呵るほどよふ焚付ぬ竈の下    雪芝

 (呵るほどよふ焚付ぬ竈の下僧と俗との坐のわかるなり)

 

 「よふ焚付ぬ」は「よう焚き付かない」ということか。「よう~ない」という言い回しは口語的に今でもある。全く焚き付かないということ。強調の「よく」と一緒くたになっているところもある。「よう言わんわ」「よう言うわ」は似ているけど違う。

 焚き付けは慣れればなんてことないのだろうけど、キャンプの初心者など、今でも苦労する。昔だったらチャッカマンはおろかマッチもなくて、火打石で焚き付けたから、今以上に習熟を要する。

 もたもたしていてなかなか火が付かないと、𠮟りつけられたりもしたのだろう。叱られると余計手が震えたりして着かなくなる。そのうち切れて、灰を顔にぶちまけられたりしそうだ。

 お寺での僧と俗との上下関係はそういうもんだったのだろう。

 

無季。

 

三十四句目

 

   呵るほどよふ焚付ぬ竈の下

 芝切入て馬屋葺ける       支考

 (呵るほどよふ焚付ぬ竈の下芝切入て馬屋葺ける)

 

 芝は焚き付けに使う柴のことだろう。柴の方が湿ってたのか、焚き付けに仕えないので馬屋の屋根を葺くのに使う。

 

無季。

 

三十五句目

 

   芝切入て馬屋葺ける

 花寒き片岨山のいたみ咲     猿雖

 (花寒き片岨山のいたみ咲芝切入て馬屋葺ける)

 

 桜の季節には寒の戻りがあり、今日でも「花冷え」と言う。片岨山は一方が崖の山で、荒々しい崖の裏側で、桜の花も申し訳なさそうに咲いている。

 

季語は「花寒き」で春、植物、木類。「片岨山」は山類。

 

挙句

 

   花寒き片岨山のいたみ咲

 春の日南に昼のしたため     文代

 (花寒き片岨山のいたみ咲春の日南に昼のしたため)

 

 日南は「ひなた」。「したため」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「認」の解説」に、

 

 「〘他マ下一〙 したた・む 〘他マ下二〙

  ① 整理する。処理する。処置する。かたづける。また、管理する。

  ※延宝版宇津保(970‐999頃)蔵開中「ふばこには、唐の色紙を二つに折りて、葉(えふ)したためて」

  ※宇治拾遺(1221頃)九「国の政をしたためおこなひ給あひだ」

  ② ととのえる。用意する。準備する。特に、食事の支度をする。料理をする。

  ※落窪(10C後)四「まかり下るべき程いと近し。したたむべき事共のいと多かるを」

  ※古今著聞集(1254)一八「侍ども寄りあひて、大鴈を食はんとて、したためける所へ」

  ③ 食事をする。食べる。

  ※宇治拾遺(1221頃)一「かくて夜明にければ、物食ひしたためて、出てゆくを」

  ※義経記(室町中か)五「菓子ども引き寄せて、思ふ様にしたためて、居たる所に」

  ④ 煮るの意の女房詞。

  ※御湯殿上日記‐明応九年(1500)四月二九日「またはくよりかまほこ、はまあふり、ことやうしたためておひらもまいる」

  ⑤ 書きしるす。

  ※讚岐典侍(1108頃)下「よみし経をよくしたためてとらせんと仰られて」

  ※俳諧・奥の細道(1693‐94頃)市振「あすは古郷に返す文したためて」

 

とある。

 「昼のしたため」は昼食の準備であろう。寒いから日向で食べる。

 

季語は「春」で春。