「篠の露」の巻、解説

初表

   城主の君日光へ御代参勤させ玉ふに

   扈従す岡田氏何某に倚

 篠の露はかまにかけし茂哉    芭蕉

   牡丹の花を拝む廣場     千川

 短夜も月はいそがぬ形をして   凉葉

   壁にたておく琵琶を転す   左柳

 雪よりは藁ふむ馬の冬籠     千川

   出口とどまる金山の砂    芭蕉

 

初裏

 吹倒す杉も起さず此やしろ    左柳

   いつも茶呑による端の家   凉葉

 犬の子の歩まれぬ程能肥て    青山

   稲する臼をかりにこそやれ  千川

 露ふかき曹洞寺の夕勤      芭蕉

   瀬のひびきより登る月代   青山

 生ながら鮒は膾につくられて   凉葉

   簀子出来せばまづ畳敷    左柳

 巡礼の帰りて旅の物がたり    千川

   兄より兄に伝ふわきざし   芭蕉

 花見んとなほる円座にあたたまり 青山

   狂へば梅にさはる前髪    凉葉

 

 

二表

 霰ふる踏哥の宵を恋わたり    芭蕉

   もりならべたる片木の蛤   此筋

 湯上りの浴衣干る間を待兼て   凉葉

   窓のやぶれに入るる北風   左柳

 淋しさにすずみ崩せば鳥も来ず  此筋

   霧の籬は何時の山      遊糸

 萩畠年貢の柴に苅初て      千川

   酒屋の門をたたく月の夜   凉葉

 人足の貫目ひきあふござづつみ  大舟

   国をとわれて笠を見せけり  凉葉

 くさむらと日頃おもひし死所   遊糸

   降出雨にさはぐ蝉の音    此筋

 

二裏

 随身のかざす矢並を繕て     左柳

   火にかがやきし門の金物   大舟

 院内に宇治川近き浪の声     凉葉

   はなしとぎれてやすむ筆取  千川

 此春はいつより寒き花の陰    芭蕉

   蛙のせいのみゆる苗代    遊糸

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

   城主の君日光へ御代参勤させ玉ふに

   扈従す岡田氏何某に倚

 篠の露はかまにかけし茂哉    芭蕉

 

 篠はここでは「ささ」と読む。笹の露が袴に掛かるくらい茂っている時節、旅にお気をつけて、という餞別句になる。

 上五七まで聞くと涙の露かと思わせるが、下五の「茂哉」で落ちになる。

 

季語は「茂」で夏。「篠」は植物で、木類でも草類でもない。「露」は降物。

 

 

   篠の露はかまにかけし茂哉

 牡丹の花を拝む廣場       千川

 (篠の露はかまにかけし茂哉牡丹の花を拝む廣場)

 

 「廣場」は「ひろには」と読む。

 笹が茂っているその先には牡丹の花の咲く広場があります。そこへ行ってきます、と答える。

 

季語は「牡丹」で夏、植物、木類。

 

第三

 

   牡丹の花を拝む廣場

 短夜も月はいそがぬ形をして   凉葉

 (短夜も月はいそがぬ形をして牡丹の花を拝む廣場)

 

 夏の夜は短いけど、月が特別早く空の上の動くわけではないが夜明けは早い。牡丹の花を見る時間はその分長くなる。

 

季語は「短夜」で夏、夜分。「月」は夜分、天象。

 

四句目

 

   短夜も月はいそがぬ形をして

 壁にたておく琵琶を転す     左柳

 (短夜も月はいそがぬ形をして壁にたておく琵琶を転す)

 

 琵琶には半月と呼ばれる穴があいている。バイオリンなどのfホールに当るものだ。立てかけてあった琵琶が倒れても半月はそのままの形をしている。

 

無季。

 

五句目

 

   壁にたておく琵琶を転す

 雪よりは藁ふむ馬の冬籠     千川

 (雪よりは藁ふむ馬の冬籠壁にたておく琵琶を転す)

 

 雪はなくて、馬も刈り終わった後の田んぼの藁を踏むだけの暖かい地域だが、琵琶を友に冬籠りをする。

 

季語は「冬籠」で冬。「雪」も冬、降物。「馬」は獣類。

 

六句目

 

   雪よりは藁ふむ馬の冬籠

 出口とどまる金山の砂      芭蕉

 (雪よりは藁ふむ馬の冬籠出口とどまる金山の砂)

 

 冬籠りは雪で馬が歩けないからではなく、出口が金山の砂で塞がっているからだとする。よくわからないが、佐渡に流刑になっているということか。

 

無季。

初裏

七句目

 

   出口とどまる金山の砂

 吹倒す杉も起さず此やしろ    左柳

 (吹倒す杉も起さず此やしろ出口とどまる金山の砂)

 

 出口が砂で塞がっているばかりでなく、倒れた杉もそのままになっている。荒れ果てた神社とする。

 

無季。神祇。

 

八句目

 

   吹倒す杉も起さず此やしろ

 いつも茶呑による端の家     凉葉

 (吹倒す杉も起さず此やしろいつも茶呑による端の家)

 

 茶飲み話をするのにいつも立ち寄る町はずれの家の横の神社は、いつまでたっても杉が倒れたままになっている。

 

無季。「家」は居所。

 

九句目

 

   いつも茶呑による端の家

 犬の子の歩まれぬ程能肥て    青山

 (犬の子の歩まれぬ程能肥ていつも茶呑による端の家)

 

 いつも茶を飲みに行く家の奥さんは良い人なのだろう。過保護で犬も腹が地面に擦るくらい太っている。

 

無季。「犬」は獣類。

 

十句目

 

   犬の子の歩まれぬ程能肥て

 稲する臼をかりにこそやれ    千川

 (犬の子の歩まれぬ程能肥て稲する臼をかりにこそやれ)

 

 太った犬の飼い主は犬を連れずに精米用の臼を借りに来る。

 

季語は「稲する」で秋。

 

十一句目

 

   稲する臼をかりにこそやれ

 露ふかき曹洞寺の夕勤      芭蕉

 (露ふかき曹洞寺の夕勤稲する臼をかりにこそやれ)

 

 曹洞宗で重視されている「舎利礼文」をご飯の方のシャリと掛けて、経を読みながら臼のお礼をしているということか。

 

季語は「露」で秋、降物。釈教。

 

十二句目

 

   露ふかき曹洞寺の夕勤

 瀬のひびきより登る月代     青山

 (露ふかき曹洞寺の夕勤瀬のひびきより登る月代)

 

 月代はここでは「つきしろ」で「さかやき」ではない。登る月とその辺りの明るくなっているのをともに含めて言う。前句を清流の流れる山寺にする。曹洞宗大本山永平寺が連想される。

 

季語は「月代」で秋、夜分、天象。「瀬」は水辺。

 

十三句目

 

   瀬のひびきより登る月代

 生ながら鮒は膾につくられて   凉葉

 (生ながら鮒は膾につくられて瀬のひびきより登る月代)

 

 鮒膾はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鮒膾」の解説」に、

 

 「〘名〙 鮒を薄切りにして、辛子酢か蓼酢であえたもの。鮒の卵をいり煮にして身にまぶすものもある。いとなます。《季・春》

  ※四条流庖丁書(1489)「いと膾といふは、鮒膾の事也」

 

とある。ゲンゴロウブナの膾は琵琶湖の名物だったか。だとすると前句は瀬田の辺りであろう。

 

無季。

 

十四句目

 

   生ながら鮒は膾につくられて

 簀子出来せばまづ畳敷      左柳

 (生ながら鮒は膾につくられて簀子出来せばまづ畳敷)

 

 鮒膾を出す店の様子であろう。簀子の上に畳を敷いてそこに座れるようにしている。

 

無季。

 

十五句目

 

   簀子出来せばまづ畳敷

 巡礼の帰りて旅の物がたり    千川

 (巡礼の帰りて旅の物がたり簀子出来せばまづ畳敷)

 

 巡礼から帰ってきた人を迎えるのに、わざわざ畳を出してきて座らせる。

 

無季。旅体。

 

十六句目

 

   巡礼の帰りて旅の物がたり

 兄より兄に伝ふわきざし     芭蕉

 (巡礼の帰りて旅の物がたり兄より兄に伝ふわきざし)

 

 巡礼から帰った上の兄から、その時用いた旅の護身用の脇指を下の兄に渡す。次は下の兄が順礼に出る。その次は自分の番が回って来るのか。

 

無季。「兄」は人倫。

 

十七句目

 

   兄より兄に伝ふわきざし

 花見んとなほる円座にあたたまり 青山

 (花見んとなほる円座にあたたまり兄より兄に伝ふわきざし)

 

 花見の席で二人の兄が席を立って、人の居ないところで脇指を渡す。終わると元の輪になって座っている花見の座に戻る。

 

季語は「花見」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花見んとなほる円座にあたたまり

 狂へば梅にさはる前髪      凉葉

 (花見んとなほる円座にあたたまり狂へば梅にさはる前髪)

 

 花見の宴で狂乱物などの舞を披露したのだろう。あくまでも狂乱の演技なので終われば元の座に戻る。梅が出て来るなら謡曲『梅枝』か。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

二表

十九句目

 

   狂へば梅にさはる前髪

 霰ふる踏哥の宵を恋わたり    芭蕉

 (霰ふる踏哥の宵を恋わたり狂へば梅にさはる前髪)

 

 踏哥(たふか)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「踏歌」の解説」に、

 

 「〘名〙 多数の人が足で地を踏み鳴らして歌う舞踏。もと唐の風俗で、上元の夜、長安の安福門で行なうのを例とした。日本では持統天皇七年正月、漢人が行なったのが初めといわれ、平安時代には宮廷の年中行事となった。また、諸社寺でも行なわれ、今なお踏歌神事を伝えるところがある。元来、歌詞は漢詩の句を音読したものであったが、のちに催馬楽(さいばら)の「竹河」「此殿」「我家」などが用いられた。歌詞の間に万春楽、千春楽などの囃詞(はやしことば)がはいるが、それを「万年(よろずよ)あられ」とも囃したので、踏歌を一名阿良礼走(あらればしり)と称した。

  ※続日本紀‐天平一四年(742)正月壬戌「天皇御二大安殿一。宴二群臣一。酒酣奏二五節田舞一。訖更令二少年童女踏歌一」 〔旧唐書‐睿宗紀〕」

 

とある。正月行事で「あらればしり」という別名がある所から「霰ふる」とする。比喩とも本当に降ったとも取れる。前句をあらればしりの踊る様子とする。

 

季語は「踏哥」で春。恋。「霰」は降物。

 

二十句目

 

   霰ふる踏哥の宵を恋わたり

 もりならべたる片木の蛤     此筋

 (霰ふる踏哥の宵を恋わたりもりならべたる片木の蛤)

 

 片木(へぎ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「折・片木・剥」の解説」に、

 

 「〘名〙 (動詞「へぐ(剥)」の連用形の名詞化)

  ① へぐこと。薄くけずり取ること。

  ※名語記(1275)三「よるなど、にはかに、木の大切なる時、へきしてこよといへる。へきの心如何、答、へきはへき木也」

  ② 「へぎおしき(折折敷)」の略。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・好色万金丹(1694)二「陰坊は骨仏五六十ばかり(ヘギ)に載せて」

  ③ 「へぎいた(折板)」の略。

  ※咄本・百物語(1659)下「此の哥をへぎに書つけ」

  ④ 「へぎかわ(折皮)」の略。

  ※滑稽本・大千世界楽屋探(1817)下「片木(ヘギ)は五百人前のところへ五十枚買て置て」

 

とある。踏哥の宵の料理に蛤を板の上に持ったものが出る。

 

季語は「蛤」で春。

 

二十一句目

 

   もりならべたる片木の蛤

 湯上りの浴衣干る間を待兼て   凉葉

 (湯上りの浴衣干る間を待兼てもりならべたる片木の蛤)

 

 浴衣というと今は夏の外出着だが、ここでは元の意味で風呂に入る時に着るもの。温泉に入る時などにも用い、芭蕉は『奥の細道』の旅で鶴岡を出る時に、羽黒山から贈られた浴衣二着を飛脚便で受け取っている。

 風呂に入る時に着るものだから当然浴衣は濡らすもので、それが乾かないうちに片木に乗せた蛤を食べている。

 

無季。「浴衣」は衣裳。

 

二十二句目

 

   湯上りの浴衣干る間を待兼て

 窓のやぶれに入るる北風     左柳

 (湯上りの浴衣干る間を待兼て窓のやぶれに入るる北風)

 

 昔の窓はガラスではなく障子張りだから破れやすかった。浴衣が濡れたまま冷たい北風を浴びると風邪を引きそうだ。

 

季語は「北風」で冬。「窓」は居所。

 

二十三句目

 

   窓のやぶれに入るる北風

 淋しさにすずみ崩せば鳥も来ず  此筋

 (淋しさにすずみ崩せば鳥も来ず窓のやぶれに入るる北風)

 

 「すずみ」は稲積のこと。コトバンクの「世界大百科事典内のスズミの言及」に、

 

 「…刈ったばかりの稲穂のついたままの束を積み上げた場所は,そのまま田の神をまつる祭場と考えられていたという説もある。稲積の名称や形状は,各地で少しずつ異なっており,ニオのほかニゴ,ミゴ,ニュウ,ニョー,ツブラ,グロ,スズミ,ススキ,ホヅミ,イナムラ,イナコヅミなどと呼ばれ,頂にワラトベ,トツワラ,トビなどと呼ぶわら製の笠形の飾りや屋根をのせるのが特徴である。稲積が田の神の依代(よりしろ)とみなされていたとすると,その中に稲種子が保存されていたと想像されている。…」

 

とあり、元禄五年の「苅かぶや」の巻三十五句目にも、

 

   長芋の芽のもゆる赤土

 里裏のすずみ起せば去年の雪   野径

 

の句がある。

 収穫の頃は盛んにスズメの寄ってきた稲積も、晩秋で北風の吹く頃になるとそれもなくなり淋しくなる。

 

季語は「すずみ」で秋。「鳥」は鳥類。

 

二十四句目

 

   淋しさにすずみ崩せば鳥も来ず

 霧の籬は何時の山        遊糸

 (淋しさにすずみ崩せば鳥も来ず霧の籬は何時の山)

 

 霧の籬は霧のかかっている木や竹を編んだ垣根とも、霧が籬のようだという比喩とも取れる。霧の中で稲積を崩しても鳥すら来ない、そんな淋しい生活をしていたのはいつの山に籠った時だったか。

 

 むらさめの露もまだひぬまきの葉に

     霧たちのぼる秋の夕暮れ

              寂蓮法師(新古今集)

 寂しさはその色としもなかりけり

     槙立つ山の秋の夕暮れ

              寂蓮法師(新古今集)

 

の歌が思い浮かぶ。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「山」は山類。

 

二十五句目

 

   霧の籬は何時の山

 萩畠年貢の柴に苅初て      千川

 (萩畠年貢の柴に苅初て霧の籬は何時の山)

 

 園芸用の萩を栽培している畠だろうか。米を作ってないので年貢は柴で払う。蔵入地ではそういうこともあったようだ。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「蔵入地」の解説」に、

 

 「室町末期以降の領主の直轄領。御蔵入(おくらいり)、台所入、天領などともいう。戦国大名、豊臣(とよとみ)氏や徳川幕府および各藩主は、その所領のうち若干を配下の家臣に給付して給地、給領とするほか、要地を直轄領として支配し、年貢公事(くじ)を直接収取して一家の経済にあてた。その収入は年貢米、金銀、木材、特産品など雑多で、いずれも領主の蔵に納入されることから、この称が生じた。豊臣氏の蔵入地は200万石前後と考えられ、各地の鉱山も含まれていた。徳川幕府は開幕以来、天領の増加を図り、その額は元禄(げんろく)年間(1688~1704)に400万石、1732年(享保17)に451万石に達した。幕府は各地の天領に奉行(ぶぎょう)または郡代、代官を置いて支配させた。[宮川 満]」

 

とある。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

 

二十六句目

 

   萩畠年貢の柴に苅初て

 酒屋の門をたたく月の夜     凉葉

 (萩畠年貢の柴に苅初て酒屋の門をたたく月の夜)

 

 年貢の準備をしながら名月を迎える。萩に月といえば、

 

 秋といへば空すむ月を契りおきて

     光まちとる萩の下露

              藤原定家(拾遺愚草)

 

の歌もある。

 

季語は「月の夜」で秋、夜分、天象。

 

二十七句目

 

   酒屋の門をたたく月の夜

 人足の貫目ひきあふござづつみ  大舟

 (人足の貫目ひきあふござづつみ酒屋の門をたたく月の夜)

 

 「貫目ひく」は目方を計ることで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目を引く」の解説」に、

 

 「④ 目方を量る。貫目を引く。」

 

とある。「ござづつみ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「茣蓙包」の解説」に、

 

 「① ござで包むこと。また、そのもの。

  ② 乗物の一種。江戸時代、輿(こし)を許された大名以下の武家が通常用いる乗物、また、身分の低い者の乗物をいう。

  ※雑俳・川柳評万句合‐明和五(1768)智一「うんの無妾いまだにごさつつみ」

 

とある。この場合は目方を計るのだから茣蓙で包んだ荷物の事であろう。

 月夜酒屋に来るのは酒を買いに来る人ばかりでなく、納品に来る者もいる。

 

無季。「人足」は人倫。

 

二十八句目

 

   人足の貫目ひきあふござづつみ

 国をとわれて笠を見せけり    凉葉

 (人足の貫目ひきあふござづつみ国をとわれて笠を見せけり)

 

 人足の言葉が地元の人ではないと思ったのだろう。生国を問うと、笠を見せて、どこどこから旅をしてきたことを示す。

 笠も素材や編み方や形などかなり多様性があり、笠でもある程度どこの人かわかったのかもしれない。

 

無季。旅体。

 

二十九句目

 

   国をとわれて笠を見せけり

 くさむらと日頃おもひし死所   遊糸

 (くさむらと日頃おもひし死所国をとわれて笠を見せけり)

 

 前句を一所不住の旅人とする。今更帰る国もなく、いつかは死ぬときはどこかの草叢だと覚悟をしての旅を続ける。

 

 ともかくもならでや雪の枯尾花  芭蕉

 

の心であろう。そういう芭蕉は大阪の宿屋で最期を迎えたが、夢は枯野を駆け巡っていた。

 

無季。

 

三十句目

 

   くさむらと日頃おもひし死所

 降出雨にさはぐ蝉の音      此筋

 (くさむらと日頃おもひし死所降出雨にさはぐ蝉の音)

 

 これも、

 

 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

 

の心であろう。雨が降ると蝉は鳴き止むものだが、小雨くらいだと鳴き続ける。そんな蝉に、我が身の儚さを重ね合わせる。

 今では蝉は成虫になってから一か月くらいは生きると言われている。土の中での年月を考えれば、虫の中では長生きの部類に入る。

 

季語は「蝉の音」で夏、虫類。「雨」は降物。

二裏

三十一句目

 

   降出雨にさはぐ蝉の音

 随身のかざす矢並を繕て     左柳

 (随身のかざす矢並を繕て降出雨にさはぐ蝉の音)

 

 随身(ずいじん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「随身」の解説」に、

 

 「① 平安時代以降、貴人の外出の時、警衛のために、勅宣によってつけられた近衛府の官人。弓矢を持ち剣を帯び、近衛は徒歩、その他は騎馬で、前駆は番長(ばんちょう)がつとめた。「弘安礼節」によればその人数は、上皇には将曹(しょうそう)・府生(ふしょう)・番長各二人、近衛八人で総計一四人、摂政・関白には府生・番長各二人、近衛六人で総計一〇人というように、大臣・大将には八人、納言・参議には六人、中将には四人、少将には二人、諸衛督には四人、佐には二人である。上皇の随身は、夜間、御所の警衛にあたることもあった。また、中・少将、諸衛督・佐の随身を小随身ともいう。兵仗(ひょうじょう)。御随身(みずいじん)。

  ※三代実録‐貞観一三年(871)四月一四日「年官准三宮、帯刀資人、随身兵仗等事、荷レ恩不レ力、衘瞻無レ間」

  ※伊勢物語(10C前)七八「御ずいじん、舎人して取りにつかはす」

  ② (━する) 供を引き連れること。また、その供の人。随従。

  ※太平記(14C後)一八「只一人召仕しける右衛門府生秦武文と申随身(ズイジン)を御迎に京へ上せらる」 〔漢書‐貨殖伝・程鄭〕

  ③ (━する) 物を身につけること。たずさえること。また、そのもの。携帯。

  ※令義解(718)軍防「凡行軍兵士以上。若有二身病及死一者。行軍具録二随身資材一。付二本郷人一将還」

  ※平治(1220頃か)下「頼朝の卿関が原にてとらはれ給ひし時、随身せられたりしかば」

  ④ (━する) 寺に寄食すること。寺に身を寄せて寺務や住職の身のまわりの世話をすること。また、その者。

  ⑤ 神社の左右の神門に安置する、①の姿をした像。門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)とも、俗に矢大神・左大神ともいう。

  ※雑俳・柳多留‐一六一(1838‐40)「随身の小鬢(こびん)に二つ風車」

  ⑥ 「ずいじんもん(随身門)」の略。

  ※雑俳・川柳評万句合‐安永六(1777)宮一「銭ばこを持ちずいしんを娘出る」

  ⑦ 桃の節供に飾る雛人形の一つ。右大臣、左大臣を模した雛。《季・春》

  ⑧ (━する) つき従うこと。

  ※将門記(940)「長官・詔使を追ひ立て、随身せしむる事」

 

とある。

 ここでは①の古代の随身であろう。「矢並繕」というと、

 

 もののふの矢並つくろふ籠手の上に

     霰たばしる那須の篠原

              源実朝(金槐和歌集)

 

の歌も思い浮かぶが、ここでは冬の霰ではなく夏の夕立ちになる。

 蝉の声が雨の音に似ていることから「蝉しぐれ」という言葉もあるが、これは享保十三年刊越人撰の『庭竈集』の、

 

   川音・松風の時雨は涼しきに

 冬の名の時雨に似ぬか蝉の声   簔笠

   時雨といへば雨の字あれども

 蝉の声時雨るる松に露もなし   飛泉

 時雨だけいよいよ暑し蝉の声   嘉吟

 

あたりが最初ではないかと思う。

 

無季。「随身」は人倫。

 

三十二句目

 

   随身のかざす矢並を繕て

 火にかがやきし門の金物     大舟

 (随身のかざす矢並を繕て火にかがやきし門の金物)

 

 随身が夜の警備で篝火を焚いて、その炎の光で門の金具がきらきらと光る。

 

無季。

 

三十三句目

 

   火にかがやきし門の金物

 院内に宇治川近き浪の声     凉葉

 (院内に宇治川近き浪の声火にかがやきし門の金物)

 

 前句を戦火とみて宇治川の戦いに展開する。

 

無季。「宇治川」は名所、水辺。

 

三十四句目

 

   院内に宇治川近き浪の声

 はなしとぎれてやすむ筆取    千川

 (院内に宇治川近き浪の声はなしとぎれてやすむ筆取)

 

 平家物語を記述しようとした人でろう。琵琶法師の物語がいよいよ合戦という所で気を持たせて終わり、仕方なく筆を休める。

 

無季、「筆取」は人倫。

 

三十五句目

 

   はなしとぎれてやすむ筆取

 此春はいつより寒き花の陰    芭蕉

 (此春はいつより寒き花の陰はなしとぎれてやすむ筆取)

 

 花の下の連歌であろうか。いつになく寒い年で興も乗らず、主筆も筆を置く。

 

季語は「花の陰」で春、植物、木類。「春」も春。

 

挙句

 

   此春はいつより寒き花の陰

 蛙のせいのみゆる苗代      遊糸

 (此春はいつより寒き花の陰蛙のせいのみゆる苗代)

 

 春だから蛙の精というのがいてもいい所だ。謡曲『杜若』では杜若の精が現れるし、謡曲『胡蝶』には胡蝶の精、謡曲『藤』では藤の精、謡曲『芭蕉』では芭蕉の精、謡曲『遊行柳』には柳の精、謡曲『西行桜』では桜の精が出てくる。

 いつになく寒い年で、苗代の苗も育たずに困っている所、蛙の精が現れて暖かくしてくれる、なんて物語になるのか。

 

季語は「蛙」で春、水辺。