「風流の(誠)」の巻、解説

初表

 風流のまことを鳴やほととぎす  凉菟

   旅のわらぢに卯の花の雪   芭蕉

 砂川にひたす刃釜の傾きて    青山

   門違へする医者の麁相さ   曾良

 月の夜は見知らぬ犬も静也    濁子

   白き西瓜も今は凉しき    嵐蘭

 

初裏

 庫裡姥の手を束たる盆の中    岱水

   ぬるみ一つとのぞむ六尺   曲水

 三ツ目より人もしたしむ契りにて 嵐雪

   心もある欤假名に名を書   凉葉

 行燈をへだてて顔をかくし合   芭蕉

   木賃どまりは不馳走にする  怒誰

 入影も細そき高野の朝の月    曾良

   塩を荷ふてやや寒き人    青山

 蛼に隣は臼を挽出しぬ      曲水

   小觸の文を送る村々     濁子

 この花に判官殿やとどめけん   嵐蘭

   寺のくれ木をながす雪水   岱水

 

 

二表

 入物も田螺に似せて竹いかき   凉葉

   語るを聞けば乞食を君    嵐雪

 長からぬ髭人参の売リ所     青山

   また年くれて隠居くるしき  芭蕉

 火桶すら寝ぬ夜の夢にきへ残リ  濁子

   蕎麦の粉ふるふ明日の振廻  嵐蘭

 返事せぬ手紙ははいて捨ぬらん  嵐雪

   おどけた面は名の覚よき   凉葉

 落着に風呂云付る伊勢の御師   岱水

   先づ日和よき秋の夕暮    曾良

 柿見世の富貴に見ゆる後の月   芭蕉

   稲刈つれて小舟乗込     青山

 

二裏

 狗の尾房さげたる雄の童     嵐雪

   碓氷の岩に残る足跡     嵐蘭

 引渡す弓に中りを望まれて    凉葉

   機嫌直しに酒盛られけり   岱水

 やよや待て宿まで送る花の暮   濁子

   巣をくふ鳥の人に怖ざる   曾良

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 風流のまことを鳴やほととぎす  凉葉

 

 元禄六年の四月、芭蕉庵での十吟歌仙興行の脇。餞別の前書きがあり、芭蕉の句も旅の句だが、誰の旅立ちなのかはよくわからない。千川の送別の歌仙は別にあるし、このときには凉葉が参加している。この歌仙が四月九日の出立の前だとしたら、このあと凉葉もどこかへ旅立ったか。許六の帰藩はもう少し後の五月になる。

 「風流のまこと」は芭蕉の教えだが、折からの時鳥の季節で時鳥の一声のように貴重な一言です、と世話になった芭蕉への挨拶になる。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

 

   風流のまことを鳴やほととぎす

 旅のわらぢに卯の花の雪     芭蕉

 (風流のまことを鳴やほととぎす旅のわらぢに卯の花の雪)

 

 旅の草鞋に雪のような卯の花を添える。季節柄桜ではないが、同じ白い花の花道を行ってほしい、というはなむけの意味が込められているように思える。

 

季語は「卯の花」で夏、植物、木類。旅体。

 

第三

 

   旅のわらぢに卯の花の雪

 砂川にひたす刃釜の傾きて    青山

 (砂川にひたす刃釜の傾きて旅のわらぢに卯の花の雪)

 

 刃釜は羽釜でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「羽釜・歯釜」の解説」に、

 

 〘名〙 中腹周囲につばのある飯たき釜。すなわち、ふつうに用いられる釜のこと。関西地方でいう。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※浮世草子・好色一代男(1682)四「ちんからりに羽釜(ハガマ)ひとつのたのしみ」

 

とある。昔は炊飯に普通によく用いられていた釜で、今では釜めしに用いられる。

 旅の途中で飯を炊くのに羽釜を借りて、それを浅い砂川に浸して洗って返す所なのだろう。

 

無季。「砂川」は水辺。

 

四句目

 

   砂川にひたす刃釜の傾きて

 門違へする医者の麁相さ     曾良

 (砂川にひたす刃釜の傾きて門違へする医者の麁相)

 

 医者がうっかり患者の家を間違える。そこには患者はなく、元気に羽釜を洗っている人がいた。

 

無季。「医者」は人倫。

 

五句目

 

   門違へする医者の麁相さ

 月の夜は見知らぬ犬も静也    濁子

 (月の夜は見知らぬ犬も静也門違へする医者の麁相さ)

 

 犬が静かなもんだから、その家だとわからなかった。いつもは吠えられていて、ああここだ、この犬の居る家だと思っていたのだろう。

 

季語は「月の夜」で秋、夜分、天象。「犬」は獣類。

 

六句目

 

   月の夜は見知らぬ犬も静也

 白き西瓜も今は凉しき      嵐蘭

 (月の夜は見知らぬ犬も静也白き西瓜も今は凉しき)

 

 江戸時代は西瓜が都市近郊で栽培されるようになった。当時の西瓜は今のような模様ではなく皮が黒かったという。湖北省の三白西瓜のような白い西瓜も入ってきていたのか。中国では古くからあったようだ。いろいろな西瓜を掛け合わせて、今のような西瓜になったのだろう。

 月夜に月のような白西瓜は、涼しい時にはちょっと寒々しい感じもする。

 

季語は「西瓜」で秋。

初裏

七句目

 

   白き西瓜も今は凉しき

 庫裡姥の手を束たる盆の中    岱水

 (庫裡姥の手を束たる盆の中白き西瓜も今は凉しき)

 

 庫裡姥(くりうば)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「庫裏姥」の解説」に、

 

 〘名〙 寺の台所で働く老女。

  ※仮名草子・片仮名本因果物語(1661)中「庫裡姥(クリウバ)是を見て」

 

とある。

 「手を束(つかね)たる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手を束ねる」の解説」に、

 

 「① 手をくんで、手出しをしないことを示して、敬意、謝罪、恭順の意を表わす。また、両手をそろえて礼をする。

  ※平家(13C前)七「貴賤手をつかね、緇素足をいただく」 〔史記‐春申君伝〕

  ② 腕組みをしたまま、何もしないで見ている。手出しをしない。また、何もできないでいる。手をこまぬく。

  ※宇治拾遺(1221頃)一一「鬼〈略〉此おこなひ人にあひて、てをつかねて、なくこと限なし」

  ※浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉三「その様子を見ると、手を束(ツカ)ねて安座してゐられなくなる」

 

とある。

 お盆は瓜も食べるが西瓜もこの時期にはちょうど良い。お盆の時には庫裡姥が西瓜を持ってきて、自分では食べずに手を組んでみんなが食べるのを見守っている。

 世代的に西瓜に馴染なかったか、腹に悪いと思われていたか。

 

季語は「盆」で秋。「庫裡姥」は人倫。

 

八句目

 

   庫裡姥の手を束たる盆の中

 ぬるみ一つとのぞむ六尺     曲水

 (庫裡姥の手を束たる盆の中ぬるみ一つとのぞむ六尺)

 

 六尺はコトバンクの「百科事典マイペディア「六尺」の解説」に、

 

 「陸尺とも記。江戸時代,武家における駕籠(かご)かき,掃除夫,賄(まかない)方などの雑用に従う人夫をいった。江戸城における六尺は奥六尺・表六尺・御膳所六尺・御風呂屋六尺など数百人に及び,彼らに支給するため天領から徴集した米を六尺給米といった。頭を除いてはいずれも御目見以下,二半場(にはんば),白衣勤,15俵1人扶持高であった。」

 

とある。武家に仕えるもので、ここではお寺に行くのに籠を担いできた人足か。主人と一緒にご馳走になることはなく、ただぬるま湯だけを貰う。

 

無季。「六尺」は人倫。

 

九句目

 

   ぬるみ一つとのぞむ六尺

 三ツ目より人もしたしむ契りにて 嵐雪

 (三ツ目より人もしたしむ契りにてぬるみ一つとのぞむ六尺)

 

 「三ツ目」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三目」の解説」に、

 

 「① 目が三つあること。また、三つの目。あるいは、目が三つのもの。

  ※七十一番職人歌合(1500頃か)二二番「独ねの身は我なれやさしあしだ二めみつめもあればこそあれ」

  ② 物に穴が三つあること。また、三つの穴。「三つ目の鏑矢」

  ③ 婚礼または誕生から三日目に当たること。また、その祝い事。三つ目の祝い。

  ※俳諧・袖草紙所引鄙懐紙(1811)元祿六年歌仙「ぬるみ一つとのぞむ六尺〈曲水〉 三目(みツめ)より人もしたしむ契りにて〈嵐雪〉」

  ④ 酒を飲むのに用いる小さな木の杯。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑤ 「みつめゆい(三目結)」の略。」

 

とある。

 主人の婚礼が三日目になってようやく披露されるということか。六尺は何ももらえない。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

十句目

 

   三ツ目より人もしたしむ契りにて

 心もある欤假名に名を書     凉葉

 (三ツ目より人もしたしむ契りにて心もある欤假名に名を書)

 

 欤は「か」と読む。

 さすがに生後三日目に名前が書けるということはないだろう。生後三日目に既に婚姻が決まっていたのが、今は成長してようやく仮名で相手の名前が書けるようになった、ということだろう。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   心もある欤假名に名を書

 行燈をへだてて顔をかくし合   芭蕉

 (行燈をへだてて顔をかくし合心もある欤假名に名を書)

 

 行燈を隔てて互いに顔を行燈の陰に隠すようにして無言で対面する。相手が女性なので女手(仮名)で自分の名前を書いて伝える。

 

無季。恋。「行燈」は夜分。

 

十二句目

 

   行燈をへだてて顔をかくし合

 木賃どまりは不馳走にする    怒誰

 (行燈をへだてて顔をかくし合木賃どまりは不馳走にする)

 

 不馳走(ぶちそう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「無馳走・不馳走」の解説」に、

 

 「〘名〙 (形動) (「ふちそう」とも) 馳走のないこと。粗末な料理でもてなすこと。また、そのさま。〔羅葡日辞書(1595)〕

  ※狂歌・豊蔵坊信海狂歌集(17C後)「無馳走をきらひ給はでやがて又」

 

とある。

 木賃宿では食事も粗末で、女中は顔を合わせようともしない。

 

無季。旅体。

 

十三句目

 

   木賃どまりは不馳走にする

 入影も細そき高野の朝の月    曾良

 (入影も細そき高野の朝の月木賃どまりは不馳走にする)

 

 高野山の宿坊の安いところは食事も粗末で、まるで沈みそうな細い朝の月のようだ。

 

季語は「朝の月」で秋、天象。「高野」は名所、山類。

 

十四句目

 

   入影も細そき高野の朝の月

 塩を荷ふてやや寒き人      青山

 (入影も細そき高野の朝の月塩を荷ふてやや寒き人)

 

 山の上まで塩を売りに来る人はやや寒そうにしている。

 

季語は「やや寒き」で秋。「人」は人倫

 

十五句目

 

   塩を荷ふてやや寒き人

 蛼に隣は臼を挽出しぬ      曲水

 (蛼に隣は臼を挽出しぬ塩を荷ふてやや寒き人)

 

 蛼は「こほろぎ」と読む。塩売の声がしてコオロギが騒々しく鳴き、隣からは轟くような臼を挽く音がする。『源氏物語』夕顔巻の、十五夜の夜に夕顔の家で一夜を明かした時の暁の様子が浮かんでくる。本説と言ってもいいだろう。

 

季語は「蛼」で秋、虫類。

 

十六句目

 

   蛼に隣は臼を挽出しぬ

 小觸の文を送る村々       濁子

 (蛼に隣は臼を挽出しぬ小觸の文を送る村々)

 

 小觸(こぶれ)は些細なお触れということか。コオロギに臼を挽く音のする村々に配って歩く。

 

無季。「村々」は居所。

 

十七句目

 

   小觸の文を送る村々

 この花に判官殿やとどめけん   嵐蘭

 (この花に判官殿やとどめけん小觸の文を送る村々)

 

 この花の咲く里にしばらく判官殿に隠れてもらおうと、近くの村にお触れの文を送る。謡曲『吉野静』を連想させるが、特定の場面を想起させるものではなく、俤に留まる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「判官殿」は人倫。

 

十八句目

 

   この花に判官殿やとどめけん

 寺のくれ木をながす雪水     岱水

 (この花に判官殿やとどめけん寺のくれ木をながす雪水)

 

 くれ木はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「榑木」の解説」に、

 

 「丸太を四つ割にして心材を取り去った扇形の材。古くは長さ1丈2尺(363センチメートル)、幅6寸(18.2センチメートル)、厚さ4寸(12センチメートル)を定尺として壁の心材に使用されたが、近世に入ってからは、屋根板材として全国で用いられるようになった。素材と規格は採出山によって同一ではないが、主として搬出不便な中部地方、とくに信濃(しなの)伊那(いな)地方で年貢のかわりに生産されるようになってからは、しだいに短くなり、樹種もサワラが多くなった。[浅井潤子]」

 

とある。山の上から伐ったくれ木を流して、寺に届ける。判官殿を祀るお寺を建てるのだろう。

 

季語は「雪水」で春、水辺。釈教。

二表

十九句目

 

   寺のくれ木をながす雪水

 入物も田螺に似せて竹いかき   凉葉

 (入物も田螺に似せて竹いかき寺のくれ木をながす雪水)

 

 「いかき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「笊・笊籬」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「いがき」とも) 竹製の籠。ざる。また、特に、みそこしざる。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※浮世草子・懐硯(1687)三「釣鍋(つるなべ)に少(ちいさ)き籮(イカキ)を仕かけ葉茶を煎じて」

 

とある。

 入物(いれもの)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入物・容物」の解説」に、

 

 「① 物を入れる器。容器。

  ※宇津保(970‐999頃)蔵開下「わりごども、しろがね、こがねてうじて、いれ物いとをかしくて」

  ※不如帰(1898‐99)〈徳富蘆花〉中「呼鐘を鳴らして朱肉の盒(イレモノ)を取り寄せ」

  ② 中に入れてあるもの。なかみ。

  ※太平記(14C後)一五「俵は中なる納物(イレモノ)を取れども取れども尽きざりける」

  ③ 棺の忌み詞。

  ④ 野菜などを混ぜた粥(かゆ)。」

 

とある。

 前句の「雪水に」を受けて川で魚などを取る場面とし、田螺も入れられるような目の細かいいかきを持って行く。

 

季語は「田螺」で春。

 

二十句目

 

   入物も田螺に似せて竹いかき

 語るを聞けば乞食を君      嵐雪

 (入物も田螺に似せて竹いかき語るを聞けば乞食を君)

 

 田螺を取っている人の話を聞けば、いろいろ乞食になったいきさつを話してくれた。

 

無季。「乞食」「君」は人倫。

 

二十一句目

 

   語るを聞けば乞食を君

 長からぬ髭人参の売リ所     青山

 (長からぬ髭人参の売リ所語るを聞けば乞食を君)

 

 「髭人参」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「髭人参」の解説」に、

 

 「〘名〙 チョウセンニンジンのうち、髭根が多数あるものの称。〔俳諧・毛吹草(1638)〕」

 

とある。

 江戸時代は朝鮮人参座が作られ、独占で高値で取引されていた。ただ、非正規ルートのものもあったのだろう。安い朝鮮人参(인삼)を手に入れようと探していたら、乞食坊主の所に行き着いた。

 

無季。

 

二十二句目

 

   長からぬ髭人参の売リ所

 また年くれて隠居くるしき    芭蕉

 (長からぬ髭人参の売リ所また年くれて隠居くるしき)

 

 御隠居さんは体調不良で苦しんでいて、朝鮮人参(인삼)を手に入れたがっている。

 

季語は「年くれて」で冬。

 

二十三句目

 

   また年くれて隠居くるしき

 火桶すら寝ぬ夜の夢にきへ残リ  濁子

 (火桶すら寝ぬ夜の夢にきへ残リまた年くれて隠居くるしき)

 

 眠れない夜は火桶の火も消え残る。

 

季語は「火桶」で冬。「夜」は夜分。

 

二十四句目

 

   火桶すら寝ぬ夜の夢にきへ残リ

 蕎麦の粉ふるふ明日の振廻    嵐蘭

 (火桶すら寝ぬ夜の夢にきへ残リ蕎麦の粉ふるふ明日の振廻)

 

 蕎麦をふるまうのは仏者であろう。お寺などの大きな集まりで、夜通し粉を篩う。

 

無季。

 

二十五句目

 

   蕎麦の粉ふるふ明日の振廻

 返事せぬ手紙ははいて捨ぬらん  嵐雪

 (返事せぬ手紙ははいて捨ぬらん蕎麦の粉ふるふ明日の振廻)

 

 前句の「ふるふ」から篩にかける、返事する手紙としない手紙に仕分ける、と展開する。

 

無季。

 

二十六句目

 

   返事せぬ手紙ははいて捨ぬらん

 おどけた面は名の覚よき     凉葉

 (返事せぬ手紙ははいて捨ぬらんおどけた面は名の覚よき)

 

 知らない名前の手紙は捨てるが、顔の面白い奴は名前もついつい憶えてしまうので、こういう時に捨てられずに済む。不細工でも得することはある。

 

無季。

 

二十七句目

 

   おどけた面は名の覚よき

 落着に風呂云付る伊勢の御師   岱水

 (落着に風呂云付る伊勢の御師おどけた面は名の覚よき)

 

 伊勢の御師は伊勢参宮の旅の世話や案内をしてくれる人で、宿に着いたらすぐに風呂の手配もしてくれる。おどけた顔をしているが、いろいろな人の顔をよく覚えていて役に立つ。

 

無季。旅体。神祇。「御師」は人倫。

 

二十八句目

 

   落着に風呂云付る伊勢の御師

 先づ日和よき秋の夕暮      曾良

 (落着に風呂云付る伊勢の御師先づ日和よき秋の夕暮)

 

 伊勢到着を秋こととする。『奥の細道』の旅の時のことを思い出したのだろう。

 元禄二年は伊勢遷宮の年で、曾良の『旅日記』の九月十三日の所には、

 

 「十三日 内宮参宮 未ノ刻帰テ遷宮拝 コトヲモヨヲス 小芝土やヲ尋テ岡本岩出□太夫ヲ尋テ両人同道ニテ暮前ヨリ神話詰 子ノ刻前御船渡ル 神宝ハ夕方ヨリ運ブ 月ノ気色カンニタリ」

 

とある。神道家としてこの遷宮に立ち会えたことは一世一代の感激だったことだろう。

 芭蕉もこの時は同行し、

 

   内宮は事納りて外宮の遷宮拝み侍りて

 尊さに皆おしあひぬ御遷宮    芭蕉

 

と人の多さに閉口してたようだ。

 

季語は「秋の夕暮」で秋。

 

二十九句目

 

   先づ日和よき秋の夕暮

 柿見世の富貴に見ゆる後の月   芭蕉

 (柿見世の富貴に見ゆる後の月先づ日和よき秋の夕暮)

 

 柿見世がどのような営業形態だったかはよくわからない。九月の十三夜の頃は柿の実が豊富にあって、裕福なように見えたのだろう。

 

季語は「後の月」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   柿見世の富貴に見ゆる後の月

 稲刈つれて小舟乗込       青山

 (柿見世の富貴に見ゆる後の月稲刈つれて小舟乗込)

 

 小舟に乗り込むのだから柿の行商であろう。稲刈りを手伝う人たちも同乗する。

 

季語は「稲刈」で秋。「小舟」は水辺。

二裏

三十一句目

 

   稲刈つれて小舟乗込

 狗の尾房さげたる雄の童     嵐雪

 (狗の尾房さげたる雄の童稲刈つれて小舟乗込)

 

 狗はここでは「ゑのころ」と読む。エノコログサ、つまり猫じゃらしのこと。男の子が尻尾にして遊んでいる。

 

無季。「童」は人倫。

 

三十二句目

 

   狗の尾房さげたる雄の童

 碓氷の岩に残る足跡       嵐蘭

 (狗の尾房さげたる雄の童碓氷の岩に残る足跡)

 

 碓氷峠の旧中山道からは特に目立った岩峰が見えるわけではない。山道なので岩場などはあったのだろう。あるいは碓氷峠よりやや江戸寄りの松井田辺りから見える妙義山のことか。

 岩山の辺りに住む子供は岩にも平気で登って行く。まるで狼に育てられたかのような野生児だ。

 

無季。「碓氷」は名所、山類。

 

三十三句目

 

   碓氷の岩に残る足跡

 引渡す弓に中りを望まれて    凉葉

 (引渡す弓に中りを望まれて碓氷の岩に残る足跡)

 

 弓を渡されて、鹿狩りだろうか。

 

無季。

 

三十四句目

 

   引渡す弓に中りを望まれて

 機嫌直しに酒盛られけり     岱水

 (引渡す弓に中りを望まれて機嫌直しに酒盛られけり)

 

 矢場であろう。元禄の頃には小さな楊弓(ようきゅう)を用いた射的場が庶民の娯楽となった。なかなか当たらなくてふてくされていると、仲間が「まあまあ」と酒を注ぎに来る。

 

無季。

 

三十五句目

 

   機嫌直しに酒盛られけり

 やよや待て宿まで送る花の暮   濁子

 (やよや待て宿まで送る花の暮機嫌直しに酒盛られけり)

 

 花見の席で不機嫌になって途中で帰ろうとする人もいたのだろう。「ちょっ待てよ、宿まで送るからさ」てな感じで酒を飲ませる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   やよや待て宿まで送る花の暮

 巣をくふ鳥の人に怖ざる     曾良

 (やよや待て宿まで送る花の暮巣をくふ鳥の人に怖ざる)

 

 「巣をくふ」は今でも用いる「巣くう」ということだろう。カラスか何かか、花見客の残飯を狙って、人を恐れずにのうのうとしている。花見のあるあるを付けて一巻は目出度く終わる。

 

季語は「巣をくふ鳥」で春、鳥類。「人」は人倫。