鈴呂屋日乗2015②

12月30日

 『メイカーズ進化論 本当の勝者はIoTで決まる』(小笠原治、2015、NHK出版)を読み終えた。thingは単なる「もの」ではなく、物事のことだということで、従来の物づくりの発想からの脱却を促している。むしろ全生活のインターネットだと考えた方が良いのか。

 今年は我が家では台所のイノベーションが一気に進んだ。最初はフクロウの目玉焼き型をネットで買う所から始まったが、そのあとボトルサラダを作るようになり、ツインバードのコンベクションオーブンを買い、昨日はニンジャ・チョッパーを買って、今日はほうれん草のカレーと正月用のテリーヌを作った。

 今年はクラフトビールにはまっていろいろ飲み歩いたが、これもネットによって少量生産のビールでも容易にその情報を手に入れ購入できるようになったことによるもので、グローバル・ニッチの身近な例と言えよう。

 歳を取ると過去の思い出が美しすぎて、どうしても時代の変化に否定的になり、昔は良かった、それにひきかえ今は世も末だと思いたくなるものだが、いつまで本のページをめくるように、明日は何が起こるのか、来年は何が起こるのか、ワクワクする気持ちを持ち続けたいものだ。

12月12日

 A・ディートンの『大脱出 健康、お金、格差の起源』(松本裕訳、2014、みすず書房)を読み終えた。

 最後の貧困問題の解決策の所は目から鱗で、ODAなどの膨大な途上国援助が結局利権を生み、途上国の独裁政権をのさばらせ、それが経済の発展を妨げているから、まずそれを断ち切らねばならない、と。

 日本国内でもそれは一緒だと思う。結局地方再生の掛け声ばかりでいつまでたっても地方が活性化しないのは、国からの交付金依存体質によるもので、ばら撒いた金は地元の利権団体へ消えてゆくだけだ。それは地球規模でも同じことなのだろう。

 「大脱出」というのは映画の「大脱走」からつけられたタイトルで、The Great Escapeという原題は映画と同一なのだが、なぜ「大脱走」と訳さなかったのか。いずれにせよ、貧困は誰しも嫌なものなのだから、ほっといてもみんなそこから一生懸命脱出しようとしてもがくものなのだ。そうしてもがいているうちに誰かが貧困脱出に成功すれば、他の人間もそれに習って順次貧困から脱出できる。そんなことがこのタイトルに込められている。貧困がなくならないのは、成功した人間が後続の人間の邪魔をしているからというわけだ。

 誰だって金持ちになりたい。だけど成りたいと思っただけで成れるほど世の中は甘くない。成りたいと思って一生懸命努力した末、そのうちいくらかの人間は金持ちになれる。それを「貧乏でもいいや」とあきらめてしまえば、そこでゲームセット、一生貧乏確定というわけだ。人を貧困に縛り付けているのは、このあきらめと、それを正当化する清貧の哲学。そしてそれを巧妙に利用する金持ち。「貧しくても幸せならそれで良いじゃないか」、それが人をいつまでも貧困に縛り付ける。俺も、いくら株価が下がってもnever give up。

 TPP対策だなんていってまた安倍政権はバラマキをやりそうだが、こんなのもやらない方がいい。でも、票欲しさにやっちゃうんだろうな。

 TPP対策なら、やる気のない兼業農家のフランチャイズ化を進めた方がいい。成功した農家のノウハウをもらい、資材の一括購入や農機具のレンタルなどで経費の削減を図った方がいい。でもそんな農家にお金をばら撒いて現状維持ということになると、やる気のある農家も規模の拡大ができなくなるから結局共倒れ、それこそアメリカの一人勝ちになる。

 アメリカだってTPPのことは散々議会で叩かれているくらいだから、本当はアメリカも恐いのだと思う。日本の農業が一気に息を吹き返して、逆にアメリカ市場が高価だが品質のいい日本の農産品に占領されるリスクだって、向こうも考えているのだろう。

 まあ、民主党になっても、多分共産党になっても、バラマキはやめないんだろうな。ばら撒けばばら撒くほど日本の農業は弱体化し潰れてゆく。世界の貧困国の仲間入りだ。エスケイプしたいね。

12月2日

 まだ中学生くらいの時に読んだ「日本人とユダヤ人」には、確か日本人は地震雷火事親父とうが、恐いものはみんな一過性のものでどこにも「迫害」のようなものがないというのがあったように記憶している。

 奴隷制の歴史を持つ地域では、奴隷は同じ人間とはみなされず、家畜同等かあるいは家畜よりも下とみなされていて、殺すことにも罪悪感がなかったり、裸を見られても恥ずかしいと思わないなど、そういうこととなると我々の文化ではなじみがない。

 実際、アメリカでも北欧でも警察官は相手が異民族と見るといきなり銃を発砲したりする。

 西洋で根強いレイシズムの問題を、そうした歴史を持たない日本に、ただ形だけ似ているからといってすぐに当てはめて正義面しようとするのは、日本の似非文化人の常だ。

 在日の人が「日本人皆殺しだ!」といってもヘイトスピーチにならないとしたら、それは正当な抵抗権の存在する時に限られる。つまり、常に自分たちが死ぬほどひどい目にあったり、実際に警官にいきなり発砲されたり、常に命の危険を感じる状態に置かれているなら、それに対して正当防衛としての「日本人皆殺し」を主張することは許されるし、実際に暴動を起こしたとしても多くの人に理解される。

 差別構造さえあればヘイトスピーチにはならないというのではなく、ヘイトを正当とみなすに足る差別構造があるかどうかが問題なだけだ。マイノリティだからといって何でも言っていいというわけではない。場合によっては過剰防衛だったり、あるいは権利の濫用になる場合もある。

 果たして今の日本に隷属的な状況にある外国人はどれくらいいるのか。生存の脅かすような迫害は行われているのか。人をレイシスト呼ばわりする前に、その辺の事実関係をきちんと公にすべきであろう。そうでなく、あまりにささいなことで大騒ぎしていると、それこそ青い目の外国人に笑われますよ。オー、クレージー・ジャーパニーズ、なんていって。

 極端に解釈すれば、共産党もかつて弾圧され差別を受けてきたのだから、共産党に対する感情的な非難はヘイトスピーチになるなんてことも言えてしまう。自民党に対しては何を言ってもヘイトにはならないが、共産党だとヘイトになる。案外本当の狙いはそっちにあったりして。確かに支持率が低いという意味でならマイノリティーに違いないがwww。

 もちろん在特会がいくら少数派だからといってヘイトスピーチをやっていいということにはならない。言いたいことがあるならきちんとした議論をすべきなのは言うまでもない。しばき隊もね。ただ、右翼のヘイトスピーチは駄目で左翼のヘイトスピーチはいいなんて議論をやっている限り、ヘイトスピーチ規制の議論はどうしようもなくずれてしまい、到底国民の支持は得られないだろう。

12月1日

 年金の運用で8兆円の損失って、よくみたら7月から9月てなってたから、何のことはない、チャイナショックで世界的に株価が暴落していた時だから、この程度は普通のこと。こんな時に儲けていればそれこそ天才だ。

 俺もこの時は100万くらいの含み損を出した。だけど今は戻っているから、10月から12月の年金運用成績も多分戻っているし、もしそうでなかったら俺より素人だ。

11月28日

 アメリカのコロラドスプリングスの全米家族計画連盟の診療所で発砲事件があり、3人が死んだという。

 アメリカではこうした中絶に反対するキリスト教原理主義者のテロ事件が相次いで起こっている。

 イスラム教徒でも問題を起こしているのは原理主義者であり、悪いのはイスラム教ではなく、どんな宗教であれどんな思想であれ、それがたとえ平和や人権の名を語るものであれ、原理主義は危険だということをきちんと広めるべきだ。

 はすみとしこの世界の「アメリカ人が学校で銃を乱射しても『キリスト教徒が』とは報道されませんでした」は「アメリカ人が全米家族計画連盟の診療所で銃を乱射しても」としてほしかった。実際、朝日新聞デジタルやCNNジャパンの報道では、どこにも「キリスト教徒」の文字はない。

 なお、中小企業労働者は日本の9割ではない。企業労働者の中で中小企業の占める割合は約7割、公務員や自営業などを含めた全就労者の中で中小企業が占める割合は約6割。2011年以降中小企業の人材不足は深刻化している。そのため、かえって女性や高齢者の雇用は中小企業のほうが進んでいる。難民を受け入れた場合でも、大企業よりも中小企業の方が積極的に受け入れるに違いない。

 人材の不足している中小企業では、少ない人材に仕事が集中するため、どうしても長時間労働体質から抜けることができず、かといってそれに応じた賃金を払う余裕はない。そのため低賃金長時間労働の温床となる。会社を辞めようとすると様々な圧力をかけてこれを阻止しようとするのも、こうした事情による。かくして中小企業労働者が過労死するまで働かされることになる。

 日本人の日本人による日本人のための日本。その理想は美しいが、それが結局日本の6割の中小企業労働者を低賃金長時間労働に縛り付けてきたことも考える必要がある。

 中小企業労働者の生活を守るには消費税反対ではなく、むしろきちんと税収を確保した上でのセーフティーネット拡充が必要。

 はすみとしこの世界はいつもいろいろなヒントを与えてくれる。


 そうだ 難民を受け入れよう!

11月27日

 そうだ 難民を受け入れよう!


 日本がなぜヨーロッパのようになれなかったのか、どうやらその鍵は移民にあるのかもしれない。これは同時に、ヨーロッパは生産性が高いが治安が悪く、日本は生産性は低いが治安が良いということへの答えなのかもしれない。

 日本が戦後の高度成長期を迎えた時、日本はまだ人口増加の段階にあった。いわゆる団塊世代の誕生までは、日本の人口構成はピラミッド型を描いていた。少子化はそのあとの谷間世代だとかシラケ世代だとか言われた、つまり俺の世代から始まる。

 これが何を意味するかというと、高度成長でたくさんの労働力が必要とされた時、日本はまだどんどん子供が誕生し、労働力は日本国内から十分調達できた。そのため田舎から出稼ぎで出てきた人たちが非熟練の単純労働に従事し、長時間低賃金でこき使われ、それが今でも日本全体の長時間労働体質の元となっている。

 これに対し、ヨーロッパが戦後の高度成長期を迎えた時、ヨーロッパは既に少子化が始まっていた。そのためヨーロッパは労働力を補うために移民政策を取り、旧植民地からの難民も積極的に受け入れてきた。

 このため非熟練の単純労働は移民や難民の仕事となり、人口減のヨーロッパ人はこうした仕事を逃れ、公務員や管理職や金融業に収まることができた。彼らは移民の稼ぎ出す利潤や移民の納める税金で労働時間短縮を実現し、高福祉国家を形成することができた。公務員の比率が増えれば、増税に対する反対圧力も減る。なぜなら税金で食っている人間が多数派になるからだ。

 ヨーロッパで女性の社会進出が進んだのは、増税による福祉国家政策で福祉関係に大量の女性を雇用することができたからだ。

 しかし、このやり方だと当然本来の国民と移民との間に格差や階層が生じ、また移民に仕事を取られた本来の国民の下層階級の不満も爆発するため、しばしば暴動が起きるだけでなく、一方では移民排斥運動がテロ化したりする。このため豊かだけど治安は悪い。

 これに対し、日本は高度成長を担ってきた労働力が同じ日本人であったため、経済成長が進むにつれ、下層労働者の生活も底上げされて、ひところは一億総中流社会と言われるまでに至った。

 しかし、その頃から日本も徐々に少子化の波を受け、労働人口が減少することで一人当たりの労働負担が増え、ついに長時間労働体質が改善されることはなかった。

 長時間労働は消費意欲も減退させ、また女性の社会進出の足かせにもなっている。そのため労働力不足が更なる長時間労働を生み、需給ギャップを広げるという悪循環が生じた。

 経済の収縮による賃金の下落は増税を困難にし、福祉国家の夢は遠のいた。民主党が政権をとるときに行った公約は、まだ経済が順調に成長し、人口が減少に転じる前だったらあるいはリアリティーがあったかもしれない。だが、政権を握りそれを実行しようとした時には、あまりの財政赤字の前になすすべもなく、結局民主党政権はバラマキと揶揄されたマニフェストを何一つ実現できないまま、増税だけを実行した。

 今の安倍政権の一億総活躍社会もお題目ばかりで実効性のある政策を打ち出せていない。

 ならば、遅ればせながらヨーロッパにならって「そうだ難民を受け入れよう」と移民政策を取り入れればいいかというと、まさに「遅ればせ」ですっかり時機を逸している。ヨーロッパがうまく行ったのは高度成長の波に乗ったからで、消費革命の終わった今の低迷期に移民を招き入れて生産拡大を図っても、それをどこに売るというのだろうか。

 ただ、日本にも既に中国やブラジルやフィリピンやイランなどの労働者が入り込んでいて、彼らが暴動を起こしたという話も聞かないくらいうまく溶け込んでいるから、日本が大量のシリア難民を受け入れたとしても、それによって直ちに治安が悪化することはないだろう。ただ、彼らを非熟練の単純労働者としていくらでも使い道のある時代は終わっている。きちんと研修を行ったうえで介護の現場に送り込むのが良いだろう。

 活路があるとすれば、男性国民、女性国民、移民難民との間でワークシェアを行い、生産力を高めるのではなく、むしろ労働時間短縮を推し進めることだ。

11月24日

 はすみとしこさんの「そうだ難民しよう!」がありなら、逆に「そうだ難民を受け入れよう!」というのがあってもいいのではないか。


 そうだ

 難民を受け入れよう!


 長時間低賃金で使える労働力の確保で3K職種も一安心

 日本の労働者と競合すれば賃金相場も抑制できる

 人口増加による税収アップで公務員の数も増やせるし

 新たな住宅需要が発生して空き家対策にもなるし

 何よりも人権国家であることを世界にアピールできる

11月23日

「はすみとしこの世界」より


 >まずはじめにフランステロにてお亡くなられた全ての方々へ哀悼の意を表したいと思います。

 月並みですが、憎悪は憎悪しか生みません。一番糾弾されるべきは、テロという手法を用いて無辜な一般市民を無差別に死傷至らしめた行為であります。

 しかしながら繰り返しますが、憎悪は憎悪しか生みません。テロリストもかつては復讐を誓うこの少女、だったのかもしれません。

 どちらが先に手を出したのか、どちらが先に手を止めるべきか、私には難しい事はわかりません。しかし、お互い反省すべきところは反省すべきで、改善すべきところは改善するべきだと思います。

 そもそも主義主張が合ないから別の国同士なのです。「この人とはうまく付き合えないな」と思ったら、無理にお付き合いしなくて良いと思います。お互いの良い距離感で交流できないものなのでしょうか。机上の空論ですね、すんません。<


 憎悪の連鎖は確かに難しい問題だ。

 俺も2003年、横浜詩人会議にこんな詩を投稿した。


   火つじ


 ひつじが騒ぐ夜

 空を焦がした風花火

 しばし魂の抜けた美しい破壊

 まばゆいばかりの流れ星が怪しく飛ぶ


 ひつじが騒ぐ夜

 パパもママも動かない

 物質となった体に血が固まり

 消えた天井、瓦礫が積もる


   いつか見た夢の摩天楼の映画

   笑う人々、魔法を掛けていた

   謎の呪文-セイサイ


   ひつじが死んだ夜

   少年はかすかな閃光の記憶を彷徨う

   銃を握りしめた手が痛い


 憎悪の連鎖は、ただ離れて別々に暮らしたからといってなくなるものではない。ただ長い年月と記憶の風化が静かにそれを消してゆくのを待つしかない。「記憶を風化させるな」というが、記憶が戦いを生むのも事実だ。

 忘れることが幸福につながることもある。わが民族はそれを「水に流す」という言葉で表現し、平和な日本を作り上げてきた。

 実際には人は一人一人みんな違うわけで、どこの国でも主義主張の合わないたくさんの人たちが共存し、小さな町でも、親族でも、家庭でも、職場でも、教室でも主義主張の合わない人はいくらでもいるわけだから、それでいて人は一人では生きてゆけないのだから、結局主義主張が違っていても無理にお付き合いするしかない。社会生活というのはそこから始まるものだと思う。

 かつて日本と朝鮮(チョソン)が長期に渡って鎖国を続け、それによって東アジアの平和が保たれていた時代があったから、あの時代に戻りたいという気持ちもわからないではない。

 しかし、鎖国よりも交流の方がより豊かな社会を実現できることがわかった以上は、もはやあの時代の貧しさに戻ることはない。

 世界は一つにはならない。なぜならそこには70億の世界があるからだ。そして、人は一人では生きてゆけないから、身を寄せ合う家族や地域や民族や宗教がある。それももちろん一つ二つではない。それらが共存できるルールを世界は手に入れなくてはならない。

 もちろん我々は誰一人全知全能の神ではないのだから、それは長年にわたり試行錯誤を繰り返す以外に方法はない。ただその地道な亀のような歩みだけが世界を救えるのであって、大事なのはその可能性を閉ざさないことだと俺は思う。遅ればせながら、pray for World. 


 ヨーロッパ社会が大量の移民を受け入れているからといって、彼らが平等に扱われているかどうかは怪しいし、実際その辺に不満があるから、しばしば暴動が起きたり、あるいはISに同調する人間が現れたりしている。受け入れるということと、平等に扱う・差別がないということとは同じではない。

 つまり、移民の受け入れに賛成することとレイシズムは共存可能であり、相容れないものではない。それこそ古代ギリシャの奴隷制度のような、奴隷に働かせて自分たちは自由を謳歌するという発想が、ヨーロッパ社会にないとは言えない。

 ヨーロッパのレイシズムは、人種の違う人間を家畜と同等かそれ以下に扱うことを指すのに対し、日本のレイシズムはむしろ鎖国的な発想で、日本人だけの楽園を守りたいという欲求に基づく。

 レイシズムというのはジェンダーや思想信条や宗教による差別と異なり、血縁優先という利己的な遺伝子の欲求から来る。つまり、自分の子供と他人の子供が溺れていれば、誰でも真っ先に自分の子供を助ける。それと同じように、親族の誰かが困っていたら、困っている赤の他人よりも親族を優先して助ける。それが民族全体のような広い集団に拡張されたもので、それ自体は人間の自然の欲求に基づく。

 レイシズムが有害なのは、それが単なる自然な感情による優先順位を越えて「主義」にまで拡大されることで、いわばそれが一時の感情ではなく一般的な法となるところにある。つまりある血縁のものが一律に排除されたり優遇されたりするし、条文化されてなくても一般的な法として機能している所にある。

 モハメッド・アリが金メダルをぶら下げアメリカの英雄になったにもかかわらず、白人でないという理由でレストランから閉め出されたことは有名だが、こうした例外のない一種の法律として機能しているのが本来のレイシズムだ。

 レイシズムと言うとナチスのホロコーストのことを思い浮かべる人も多いかもしれないが、これはむしろ例外的なもので、通常は殺すよりも働かせろという方向に向かう。命を助ける代わりに奴隷になれというものだ。それを殺すというのは明らかに異常であり、それゆえに長続きしなかった。長年にわたって継続的に行われている人種差別は、殺すのではなく働かせる。

 近頃日本ではレイシズムという言葉が闇雲に乱発されているが、実際にどういう形で特定の血縁が排除されたり優遇されたりしているのか、きちんと指摘したうえで告発する必要があると思う。

 そういうわけで、ぱよぱよちーん。

11月22日

 あとから日記。

 今日は横浜赤レンガ倉庫へ「ねこ写真展─今を生きる猫たちのキロク・キオク─」を見に行った。
 とはいっても、実はビールを飲みに行ったようなもので、まずは市営地下鉄関内駅で降りて、驛(うまや)の食卓で昼食。貸切が入っていてカラオケの声が響いていた。今まで行ったクラフトビールの店に比べると、年齢層が高い。
 赤レンガ倉庫に向かう途中、「Yokohama Kitanaka Marche produced by 太陽のマルシェ」をやっていたので、一回りした。野菜やパンやワインなど、いろいろ売っていた。
 赤レンガ倉庫に着くと太鼓の音がする。よさこい系のイベントをやっているようだった。曲はソーラン節だったが。ここでもいろいろな商工会のテントが並び、特産品を売っていた。
 写真展は赤レンガ倉庫の二階で行われていた。入るとまずは猫グッズがいろいろと並べられていて、あの「猫めくり」が復活していた。
 神奈川県動物愛護会の募金活動も行われていて、コインを乗せると猫の手が出てきて箱にしまうという、以前よくあったどくろの貯金箱のようなものがあった。
 神奈川県は犬猫の殺処分ゼロを達成したものの、今後も継続的にゼロを維持するために、殺処分室のない動物保護センターの建設を予定していて、2018年までにその総工費の11億円をまかなうために寄付を募っているのは知っていた。
 前日のテレビでドイツのことが紹介されていたが、ドイツの殺処分ゼロや至れり尽くせりのペット用の施設の設置には、こういう報道ではあまり触れられてないが実はペット税があるおかげで、ベルリン市では一頭につき日本円にして年間約1万円のペット税が課せられていて、これが20億円くらいになるという。神奈川県では47万頭の犬が登録されているので、年間1万円の犬税を徴収したなら、あっというまに47億円が集まることになる。これならすぐにでも動物保護センターが4つ建つ計算になる。年間2千5百円んでも徴収できれば募金活動など必要ないのだが、結局ペットに限らず福祉でも介護でも日本の行政サービスが貧弱なのは、国民が税金を払いたがらないからということなのか。
 写真展の方はたくさんの写真家のいろいろな写真があって楽しめた。

 外に出ると、たくさんのロールスロイスが展示されていた。どんな人が買うのだろうか。昔のクラッシックな車もあった。
 このあと象の鼻パークを通って山下公園を散歩した。象の鼻パークでは小さな古本市をやっていた。山下公園にはウサギを連れた人がたくさんいた。近くでうさフェスタをやっていたようだ。氷川丸の辺りにはカモメがたくさんいた。
 このあと元町を散歩し、夕暮れの中華街を通って馬車道へ戻った。中華街は提灯などで綺麗にイルミネーションされていた。 
 最後は馬車道タップルームで夕食。8月に来た時にはすいていたが、この日は5時に着いたのに1階カウンターもいっぱいだったし、二回も半分以上席が埋まっていた。それだえクラフトビールブームが盛り上がっているのか。


11月18日

 パリのあの事件で、今回は安倍首相の発言も紋切り型の社交辞令を繰り返すだけだし、左翼の方もいたって静かなものだ。もう少し安倍批判が飛び出すかと思っていたが。辺野古のことで手一杯なのか。韓国も教科書問題で手一杯なようだし。

 それにしても、いくらどっかんどっかん空爆しても、それで潰れるISならとっくに潰れていただろうに、お役目ご苦労でやっているのか、単なる憂さ晴らしなのか。アメリカが地上軍を投入すれば、湾岸戦争の時みたいにあっという間に決着がつくのだろうけど、それはまだなさそうだ。戦後処理のときにまたロシアとにらみ合いになって、冷戦が甦りそうだし。

 シャルリの時といい今といい、ヨーロッパのやり方に違和感を感じるとすれば、それは彼らがまずマジョリティーの人権を先に確立し、マイノリティーの人権はそれに遅れて補完するような形で起こってきているにすぎないからだ。だから、マジョリティーは容赦なくデモをする。こういう時には決してサイレントではない。

 日本の場合、マジョリティーの人権が十分守られてない所で、西洋に遅れを取るまじとマイノリティーの人権ばかりを先行させてしまったから、結局その不公平感が在特会などを生む原因になっているのだろう。彼らをレイシストと呼ぶのは適切ではない。彼らは明らかに「平等」を求めている。

 ただ根本的な間違いは自分たち大多数の日本人の人権確立へ向けて運動しないで、マイノリティーの方を自分たちに合わせようとしていることだ。つまりみんな平等に貧しくなれば格差問題は解消するというのと同じことをやっているだけだ。

 誰でも自分という人間はたった一人。世界に70億の人間がいるのに対し、自分は一人しかいない。つまり誰でも70億対1という圧倒的な差でマイノリティーなんだ。人はすべて絶対的にマイノリティーであり、誰でもその権利は保護される必要がある。

 ただ70億対1ではあまりにも無力だし到底自分を守ることができないから、仲間を作り、何とか多数派を形成しようとする。そのためにうざい奴にも愛想笑いを浮かべ、やな奴にもお世辞を言って、仕切りたがりや説教好きの奴をのらりくらりかわしながら、何とか妥協しながら窮屈な社会生活を営んでいる。それは生まれた時から始まっている生存の取引だ。

 しかし、そうやってマジョリティーにくっつくことができたとしても所詮人は一人なのには変わりない。一人であることを守る、それが人権だ。

11月14日

 13日の金曜日に来たのはジェイソンではなかった。

 このテロはかなり前から周到に計画されていたもので、ジハード・ジョンの事件とは関係ないだろう。13日の金曜日を狙ったのも偶然ではあるまい。シリアからの移民が大量にヨーロッパを目指したあたりから、移民に紛れ込ませて刺客を送り込んだ可能性もある。

 ただ、こういうことをやるというのは、本来のイスラム国自体がジリ貧状態で、ただ周辺国の事情から生かさぬように殺さぬように扱われているだけで、かなりあせっているのではないかと思う。

 パリ郊外のサッカースタジアムというのは、あのフランスワールドカップのために作られたサン=ドニのスタッド・ドゥ・フランスで、この日はドイツとの親善試合で、オランド大統領とドイツのシュタインマイヤー外相が観戦していた。

 銃の乱射事件が起きたバタクラン劇場が一番多くの死者を出したようで、オールスタンディングも可能な所からコンサートによく用いられ、日本のアーチストもヨーロッパツアーの時にはお世話になっている。この日にやってたのはアメリカのイーグルス•オブ•デス•メタルだったというが、初めて聞いた名前だ。youtubeで聞いてみたが、これのどこがデスメタルだ!ってか、メタルですらない。

 レストランにいたってはLE PETTIT CAMBODGE(小さなカンボジア)。何でカンボジア料理の店が?

 サン=ドニにオランド首相が来ることがわかってたら、こっちの方で派手に乱射事件を起こした方が効果的だっただろうし、バタクラン劇場の方もイーグルス•オブ•デス•メタルを狙ったとは思えない。誰でもよかったのだろう。当日誰が来るかではなく、単純に13日の金曜日に何かしようという所から計画されたのではなかったかと思う。単に週末人が集まりそうなところを狙っただけで、内容には興味がなかったというか、奴らにはまったく異世界のことなのでわからないというだけのことだったのだろう。

 これでまた反イスラムで盛り上がりそうだが、悪いのはイスラム教ではなく原理主義(イスラム教に限らず)だということを一応。

11月10日

はすみとしこの世界より、


慰安婦の収入は現在相場手取り月平均800万円

前借金は平均3,650万円。

慰安婦は休日は支那マーケットに買い物に行ったり、

兵士と一緒に日帰り観光にも行った。

高価な宝石や蓄音機を所有する慰安婦もいた


 月収800万だとしても、当然税金は引かれる。年収9600クラスだと、戦中の最高税率65パーセントが適用されたと思われる。つまり月収800万でも手取りは280万。

 それに3650万円の借金があったとして、問題は金利だ。

 明治10年の利息制限法では1000円以上の借金は年12パーセントと定められていた。当時は出資法がなかったため、29パーセントまでのグレーゾーン金利がなかったとすると、3650万円の借金の金利は年438万。月36万5千円ということになる。

 月30万円くらいで生活するとすると、月250万円づつ借金を返済することが可能になる。しかし、そのうち36万五千円は金利の支払いになるため、213万5千円の返済となる。

 元本を返済して減ってゆけば、金利もそれだけ減るとすれば、元本返済は213万5千円から250万まで徐々に増えてゆくことになる。すると平均231万7千5百円の返済となる。3650万円をこれで割ると、約15.74ヶ月。借金の返済には1年4ヶ月はかかる計算になる。

 蓄音機を買い、それほど高価でないジュエリーも買い、普通にマーケットに買い物に行き、たまに日帰り旅行をする生活なら、月30万あれば十分できただろう。それでも借金の返済に1年以上かかるということは、たとえ途中でやめる自由があったにせよ、それだけの期間はほとんど肉便器状態だった慰安婦の仕事を続けざるを得なかったことになる。その間は、いわゆる債務奴隷と言ってもいいのではないかと思う。

 これはあくまで合法的な債務の場合であり、非合法の高利貸しの手にかかりやくざに脅されたたなら、この限りではない。

11月8日

 人文学部の廃止ということが言われている。確かに今の人文科学は何の役にも立たないし、卒業しても就職がない。卒業してもフリーターだったりプーだったり、俺のようなトラック運転手にしかなれないような学部なら、存在する意味がない。才能ある人間が間違った道に入らないためにも即刻廃止すべきだろう。

 戦後の知の枠組みが機能しなくなってから久しい。冷戦はとっくの昔に終わっているんだから、もはや世界が社会主義の理念のもとに一つになり、国境のない世界が作られるなんて幻想は無理だ。そんな過去の夢にしがみついて、現実と程遠い理想ばかりを研究しても、社会の役に立つどころか、むしろ有害ですらある。

 人文科学は日本の文化を世界に知らしめ、広げてゆく上で必要な学問なのだが、残念なことに戦後の知性というのはその日本の文化そのものを根底から否定し、西洋化に邁進するという前提で成り立っている。日本の歴史や文化の研究は、あくまで西洋の観点から価値を判断し、西洋化の役に立つものだけを拾い上げ、役に立たないものは役に立つように、事実を捻じ曲げてでも改変するというのが基本になっていた。

 大学で日本の文化や歴史を学んでも、結局日本の文化歴史が如何に封建的で貧しいものだったかを学ぶだけで、ただ過去の遺物を博物館に保存するための学問でしかない。日本にはこんなすばらしい文化もあったというときは、既に西洋にあるものに似ていたときだけだ。日本の文化の独自性は世界に類のない恥ずかしいものとしかみなされない。

 人文学部が廃止を免れるには、これまでの西洋崇拝的で自虐的な学問から卒業し、日本の伝統文化を西洋のフィルターを通さずにありのままに捉え、そのすばらしさを再発見するものにしてゆかなくてはならない。変革なしに存続はない。既得権爺さんは即退官。

 もっとも人文学部が日本の大学から消えたとしても、悲観することはない。日本にはオタク文化というものがある。そう、歴史オタクや文学オタクや哲学オタクや民俗学オタクに主役が移るだけで、むしろその方がいいかもしれない。

11月7日

 このところ左翼の劣化がひどい。

 風刺画なんてのは昔は左翼のお家芸だったが、今の左翼ははすみとしこに対抗できない。はすみとしこよりもっと面白い風刺画を書いてやろうという人がいない。風刺画が描けないもんだから、ただ不快感を表明したり、出版差し止めだの言論に圧力をかけることしかできない。

 昔の左翼はもっと理路整然とした主張ができたが、今の左翼ははすみとしこの風刺画を論理的に批判することができない。おしなべて右翼の主張に対し明確な反論ができないで感情ばかりを高ぶらせている。

 しばき隊の久保田さんも、いいねを付けた人の実名公表なんかする前に、風刺画の内容をきちんと明白に否定する理論を展開すべきだった。

 とにかく、議論というのは感情的になったら負けだ。♪それは感情論の発想でーす。

 出版差し止めだとか法的規制だとか何かとすぐに権力に頼ろうとするのも、昔の左翼なら恥じただろう。そうやって自分から言論の自由や表現の自由を狭める行動を取れば、必ずそれはブーメランになって帰ってくるからだ。言論には言論を、風刺画には風刺画を。それで勝てばいいじゃないか。勝てないからそうやって権力に泣きついてるんだろっ。

 SEALsもはすみとしこが気に入らないなら、それこそまたデモを企画すればいいじゃないか。♪デモしたっていいんだーぜー、アジったっていいんだーぜー。

11月6日

はすみとしこの世界より、


慰安婦の収入は現在相場手取り月平均800万円

前借金は平均3,650万円。

慰安婦は休日は支那マーケットに買い物に行ったり、

兵士と一緒に日帰り観光にも行った。

高価な宝石や蓄音機を所有する慰安婦もいた。


 手取り月800万がどういう根拠で算出された数字かはわからない。だが、月収800万というと、年収は9,600万。何年も働けば何億にもなる。さぞかし立派な御殿が建ったことだろう。

 宝石はまあ、ピンからキリまであるにしても、蓄音機?いくら昔のことといえ、家一軒買える値段はしなかっただろうに。明治43年に発売されたNIPPONOPHONEの蓄音機は、当時30円だが、大体当時のサラリーマンの月給程度の値段。慰安婦の買った蓄音機って一体どんだけー。

 まあ、とにかくこの800万という数字は嘘くさい。「休日は支那マーケットに買い物に行ったり、兵士と一緒に日帰り観光にも行った。高価な宝石や蓄音機を所有する慰安婦もいた。」といっても、この程度の暮らしをするのに月800万円も要らないのは明白だ。

 今の相場だと、一発3万として、一日一人、週に3日程度働けば月45万は稼げる。慰安婦の場合、戦地に近いところまで出張して一つの部隊が相手ともなれば、それこそ肉便器状態のハードな仕事になる。それを今の相場に換算すれば、一日で45万くらいは十分稼げる。800万というのはそれを週5日のペースでこなしたくらいの数字だ。移動の時間とかもあるし、実際週何日働いたのかは知らないが、町の娼婦と違い、戦地に近いところでの劣悪な環境で仕事をしてたとしたら、月800万が仮に本当だったにしても、決して高すぎる数字ではない。むしろもっともらってもいいくらいだ。

 せいぜい支那マーケットに買い物だとか日帰り観光だとか蓄音機だとか、その程度の贅沢しかできなかったとしたら、やはりそれは性奴隷と言うほかない。それとも、はすみさんはそれくらい安いの?


 イラスト集の出版が決まって既に予約殺到と言う話だ。しばき隊ってこの本の宣伝担当だったの?本当は裏でつながってたりして。

11月5日

 「はすみとしこの世界」のことが何かと話題になっている。まあ、日本のシャルリ・エブドとでもいうべきものなのか。方や在日叩き、方やイスラム教徒叩き、言論の自由万歳だ。ただ、ギャグの質ははすみとしこの方が上だと思う。アカウント持っていたら「いいね!」をつけたいくらいだ。

 差別構造と言うのは、一方が被害者、一方が加害者と単純に分けられないのが普通で、日帝時代の韓国人のすべてが被害者かというとそうでもなく、日本人に労働者や売春婦を斡旋して儲けた韓国人もいただろうし、韓国人以上に悲惨な境遇に置かれていた日本人だっていくらもいたことだろう。慰安婦には日本人もたくさんいたし、日本人だって工場に動員された。

 ただ全体としてみれば、韓国人が被害者になる方が多かったし、日本人が加害者になることが多かったと言うことはいえる。

 今の在日の人たちも、全体においては普通の日本人より苦労した人たちが多かったと言えても、個別的には成功した在日もいれば悲惨な日本人もいる。悲惨な日本人と成功した在日を比べれば、それは確かに在日特権だということになる。

 背の低い男もいれば背の高い女もいる。平均してみれば男の方が背が高い。差別構造もそういうもので、多数派の中に少数の被差別民がいればいじめられるが、少数の被差別民が集まっている所に多数派の人が一人二人入り込めば逆にいじめられる。ただ全体としてどっちが多いかという問題にすぎない。

 差別と言うのは一方が絶対的に加害者であることもなければ、一方が絶対的に被害者ということもない。そこを間違えてはいけない。だから、レイシズム反対、差別を許すなと叫ぶ自由があると同時に、その逆の声を上げる自由もある。ただ、それは少数の声としてであり、多数派がそのようなことをやってはいけない。総体的に概括的には被害者だからだ。

 南京虐殺の数字については、日本側が主張しているのは南京入城の際の市街戦で便衣兵として処刑した人間の数であり、中国側が主張しているのは上海戦以降終戦までの南京およびその周辺地域の死者だから、食い違うのは当然だ。これはあくまで南京虐殺の定義の問題。

 慰安婦問題については、公式には強制連行は存在しなくても、当然闇の部分が存在していた。日本人でも赤線に売られてゆく時代だったから、韓国で何が起きたかは推して知るべし。

 今年は戦後70年の節目の年とあって、確かに日本の大きな転換点だったかもしれない。戦後の知の枠組みが大きく揺らぎ、安全保障関連法案反対運動がいかに盛り上がろうとも、もはや大半の人間にとってリアリティーを失っていた。

 戦争に負けたのだから日本なんてものはさっさと捨てて社会主義のインターナショナリズムに合流しようとした戦後左翼も、世界は弱肉強食だから再軍備核武装で世界征服をしないと日本はやがてどこかの国に飲み込まれて消滅すると考えた旧右翼も、どちらも時代から取り残された戯画でしかない。

 日本は取り合えず侵略戦争ではなく世界の警察として国際平和を守る立場としてその存在をアピールし、国連の枠組みの中で戦後レジームを解消する方向に動き出した。これが吉と出るか凶と出るかはわからないが、停滞よりはまだ少しでも前へ進んだ方がいいだろう。

 ぱよぱよちーん(見て見て知人)、と言っても検索機に見放された絶海の孤島のホームページじゃ誰も見る人もいないが、だから何でも言えるというメリットもある。

11月3日

 おとといのことになってしまったが、フクロウの聖地めぐり第三弾で、朝霧高原の富士花鳥園へ行った。

 朝6時前に出て東名から新東名を通り、途中駿河湾沼津サービスエリアでパンを買い、8時前に富士宮に着いた。

 空は晴れていて、富士山はこの前の初冠雪の雪が溶けてしまったか、夏の姿に戻っている。

 まだ早いので、まずは浅間大社参拝。

 大正7年銘の狛犬はさすがにでかい。大きな神社だと招魂社系が多いが、江戸狛犬でこれだけでかい

のは珍しい。顔も穏やかで、三連渦巻きの眉毛がもう少し垂直に立っていたらコマさんだ。

 楼門、拝殿、本殿も朱塗りで、折から菊が飾られていた。本殿は二階建てだが、裏側へ回ってみることはできない。

 右側に涌玉池がある。水は冷たくない。一年中同じ温度なのか。鴨がたくさんいた。境内社の稲荷神社にはお狐さんがいて、島になっている厳島神社には岡崎型の狛犬がいた。道路の向こうにテレビのブラタモリで紹介されていた、富士山の溶岩の末端のある空き地があった。この神社自体が、溶岩がここまで流れてきたという記録だったのだろう。


 清寧天皇三年(482年頃)の噴火が神社創建の起源だと言う。熱くたぎる溶岩が、ここへ来て止まり、冷えて固まった所から水が湧き出てきたのを見て、水神さんが噴火を止めたと言う伝説になったあたりが、この神社の起源だったのだろう。本来は火除けの神だったのが、次第に火の神そのものを祭るようになり、江戸時代くらいに『古事記』のコノハナサクヤヒメを祭る神社に昇格していった。

 『竹取物語』には、かぐや姫が残していった不死の薬の入った壺を、最も天に近い駿河の山の上で燃やしたことから、「ふじ」と呼ばれるようになったと記されている。永遠の命より死すべき運命を選んだあたりは、確かにコノハナサクヤヒメの神話に共通する。富士山は日本人にとって、「永遠の命なんて欲しくない」という宣言だったのかもしれない。

 浅間大社を出て、まだ時間が早いので白糸の滝に行った。滝には朝日が当たり、虹が掛かっていた。隣にある音止の滝も見た。こちらも大きな滝だった。

 9時半ごろ富士花鳥園に着いた。既に開園していた。

 入るとまず売店があり、たくさんのフクロウグッズが売っている。その横にもフクロウのオリがあり、フクロウがいる。さらにフクロウ展示室が左側にあり、そこにもフクロウたちのオリが並んでいる。薄暗く、ストロボ撮影不可なので、写真がうまく取れなかった。展示室の中央にはネリネという彼岸花をカラフルにしたような花が咲いていた。

 フクロウたちのほとんどは寝ていて動かなかった。みんな羽を膨らませ、達磨のような緩い格好でくつろいでいる。フクロウカフェで見るような警戒して身を細めるようなしぐさは見られない。やはりカフェで働くフクロウはそれだけ緊張するのだろうな。

 卵を温めているフクロウもいた。ここで繁殖もやっているという。

 温室の方へ行くと、正面に大輪のベゴニアの富士山があり、天井からはフクシアの花が下がっていた。オウムのけたたましい声が聞こえる。√5。

 ここにはウサギやペンギンもいた。ここにもフクロウのオリがあって、中に入れるようになっていたが、小さなフクロウが木の上に留まって休んでいて、帰るときまでまったく位置を変えなかった。

 10時半にフクロウのショーがあり、温室内のイベント広場でフクロウを飛ばしたり、歩かせたりした。飛ぶときは頭すれすれの所を通る。ハリスホークも同じように飛ばしていた。鷹メインのショーは午後から外でということだった。

 ショーのあと、温室の外を一周した。エミューの牧場、鷹メインのイベント会場、鴨や黒鳥のいる池があった。

 一蹴して戻ってきて、温室内のフードコートで富士宮焼きそばを食べた。富士宮やきそば学会認定の幟が立っていたから、一応本物だろう。麺に腰があり、具はキャベツと肉かすのみのシンプルなもので、それに紅しょうがが添えてあり、削り粉を振り掛けて食べる。

 12時ごろ花鳥園を出る。

 このあとハートランド・朝霧へ行こうとしたが、車を止める所がよくわからないまま通り過ぎ、結局富士ミルクランドまで行った。

 ソフトクリームを食べた。ヤギがたくさんいた。売店に富士の雫というビールがあった。聞いたことのない地ビールなのでラベルを良くみたら製造が酪農王国と書いてあった。函南のオラッチェビール(風の谷のビール)のオリジナルラベルか。ならまあ、味は間違いないだろう。レッドエールが珍しいので買っていった。

 このあと、山梨側へ向かって車を走らせた。富士宮市側はまだ牧場が点々としていたが、山梨側へ入ると青木ヶ原樹海で家がない。木は既に紅葉していた。

 精進湖の周りをぐるっと回ってから西湖へ向かい、いやしの里根場(ねんば)へ行った。駐車場には店が出ていて、そこではほうとう、おやき、甲州ワイン、信玄餅などが売っていて、すっかり山梨だった。

 いやしの里根場には古民家がたくさん並んでいた。鎧兜のお侍さんがいると思ったら、外人だった。鎧兜のレンタルもあるので、外人さんに人気のスポットのようだ。中国語も聞こえてくる。

 ちびっこ広場で餅つきをやるというので、まずはそこへ急いだ。古代米の餅つきだった。ここにも外人さんがたくさんいた。

 近くに「幸せのふくろうがいっぱい」というフクロウの絵のある看板が目に入ったので行ってみた。陶芸体験でフクロウのオリジナルの置物を作れるとのことだった。そのほかにも出来上がったフクロウに絵付けをするコースもあった。今回はパス。ちびっ子広場に戻って搗きあがった餅を食べた。

 他にもいろいろな体験コースがあった。資料館に行くと、ここはかつて昭和41年の土砂災害で壊滅した村があったところで、それを公園として復元したとのことだった。正面に富士山の見える長閑なところで、ここでそんな悲劇があったとは。

 ここの売店にも缶入りのオリジナルビールがあった。製造はエチゴビール。さすがにそれは遠くない?でもクラフトビールブームに乗って、これからこういうのがいたる所にあらわれるのだろうな。

 いやしの里を出ると、もう陽は傾いている。そろそろ帰り道だ。

 河口湖へ出て、道の駅かつやまに寄った。富士桜高原麦酒があったが、ここでは買わず、直営の売店のあるレストラン・シルバンズへ行った。

 富士河口湖町はそれなりの町で車も多かったが、そこを抜けてシルバンズへ向かう道は何もない樹海の中の一本道だった。

 シルバンズはドギーパークの前にあるレストランで、この時間はまだお客さんはいなかった。残念ながら車で来たのでここでは飲めない。売店でラオホボックとオクトーバー・バイツェンを買った。後は帰るだけだ。

 河口湖インターから中央自動車道に乗った。途中、上野原の手前で渋滞した。休日だから仕方ない。渋滞は小仏トンネルまで続いた。そのあと圏央道で厚木に出ると、そこから大和トンネルまで、いつもの通り渋滞していた。それでも取り合えず7時には帰れた。

10月25日

 生田緑地ばら園へ行った。雲ひとつない晴れた空で、気温はやや肌寒かった。

 今年はなかなか綺麗に咲き揃っていた。

 芝生では稲田中学校(稲中)チアダンス部のパフォーマンスがあった。

 バラを見た後、小田急向ケ丘遊園駅を越え、多摩区役所の近くのブルーパブ・ムーンライトまで歩いた。登戸東通り商店街は静かで、ゆるキャラの「なまずん」が閉じたシャッターに描かれていた。

 ブルーパブ・ムーンライトはそこで作ったクラフトビールの飲める店で、ハローウィンの頃とあって、季節限定のかぼちゃエールがあった。


10月24日

 例の「アベシネ」がヘイトスピーチではないというのは、「ヘイトスピーチ」の日常的な用法とは別に、人権団体の側の専門用語としての定義が存在するからで、要するに、背後に差別構造を持たない憎悪の表現はヘイトスピーチではないらしい。

 まあ、確かに中高生のガキが友達同士で「お前死ねよ」なんて言っても、それがヘイトスピーチだ何て思う人はいない。微妙なのは、クラスにいじめられっ子がいて、そいつにみんなで「死ね死ね」と言ったとして、その子に何か障害があったり、国籍や宗教などの要因があったりすればヘイトスピーチだが、普通の子だったらヘイトではないということになる。だが、いじめる人間はそこを区別していじめてるのだろうか。たとえ結果的にいじめられてたこが自殺に追い込まれたにしても、背後に差別構造があるかないかで罪が違うということがあるのだろうか。

 確かに、その子が在日だったり、知障だったり、何かあればマスコミも取り上げて大問題になるかもしれないが、そうでなければいじめられる方が悪いということなのか。

 専門用語と日常語の乖離と言う点では、たとえばヘリコプターしか発着できない、固定翼機の発着できない艦船は、専門用語としては空母に値しないのだろう。見た目には何が違うのかよくわからないが。それと似ている。

 差別の根底には、実際には社会で虐げられたり無視されたり、決して恵まれない境遇にありながらも、その原因が「差別構造」として明確に説明できない人たちがいるということだ。知障なら保護されるが、ただ頭が悪いだとか性格が悪い程度だと誰もそれを差別とみなさず、本人が悪いということになる。デブは体質的に太りやすいというのが確かにあるのだけど、本人の努力で防げると言う理由で不摂生のせいにされる。学力だって、ある程度遺伝的要因はあるはずなのだが、勉強しないのが悪いだとかいうことになる。動作がのろいだとか、運動神経が鈍いだとか、そういったことでいじめを受けても「差別構造」は認定されない。

 人間の遺伝子は多様であり、一人一人みんな違う。みんなそれぞれ弱点を持っている。ただ、みんなそれぞれの多種多様な弱点に一つ一つ名前がついているわけではない。名前がつけられ、何らかの傷害として認められるのは、ほんの一握りの人で、ほとんどの人は、かなり致命的な弱点を持っていても、それにつける名前がないまま、本人が悪いということにされている。

 ぐれたり犯罪に走ったり、いわゆる専門用語で言うところの「ヘイトスピーチ」を繰り返す人たちもまた、そういった人たちなのではないかと思う。ヘイトスピーチの相手は保護されている。でも自分たちは何の保護を受けられないばかりか、社会の屑だゴミだとののしられる。

 差別構造のなかに入れる人と入れない人との差は一体何なのだろうか。その境界線のもやもやが、結局差別構造を認定されている人間が、自分にはない特権を持っているというふうに映ってしまう。

 誰もが様々な理由で差別を受け、社会から排除される可能性を持っている。頭がよければ頭が良すぎることで人から疎まれ、警戒され、それを理由にいじめられることだってある。天才がえてして不遇な生涯を送るのもそのためだろう。本来差別に理由なんかない。人間は個体数を調節するために、本能的に誰かを排除するようにできている。理由は本来後からついてくるものだった。

 俺は基本的にヘイトスピーチの法規制には反対だ。この種の規制は結局その対象となる人たちの特権を保証するものになってしまうからだ。やるなら差別構造が認定されるかされないかにかかわらず、すべての人に対する憎悪表現を規制すべきであろう。でも、そうなると人権派の人たちはネトウヨを罵ることができなくなってしまうから当然反対するだろうな。「アベシネ」とも言えなくなるし。

 本当に大切なのは、人間はみんな違うと言うことだ。だから誰しも差別の対称になりうるし、ヘイトスピーチの対象になりうる。お互いに人と違うことの権利を認め合うことが真の「人権」だ。

 似非人権派の糞野郎ども、みんな死ね!(明確な差別構造がないので、これはヘイトスピーチではない、なんちゃって。)


 良識はすべての人に平等に具わってはいない。

 数学的能力にも得手不得手があるように、道徳的能力にも得手不得手はある。

 道徳感情は500万年に及ぶ狩猟採取社会の中で生き残り、子孫を残すために獲得した能力であり、進化はすべての個体に均一なものではなく、必ず多様性を持っている。ゆえに、すべての人に平等に具わっているような「精神」は進化しなかった。

 道徳感情は狩猟採取社会の実質平等主義、つまり出る杭は打たれる式の平等主義に適応したもので、農業革命以降、今日に至るまでの不平等社会には当てはまらない。そのことが一方で、自然に帰れ、洞穴暮らしに帰れ、といった文明批判の声となり、一方ではプラグマティックな立場から不平等を容認しながら生きている。

 プラグマティックな立場から見た道徳とは、簡単にいえば多くの人を豊かにするものが善であり、多くの人を貧しさに縛り付けるものは悪である。

 アメリカに正義があるのは単純に豊かだからであり、中国やロシアが仮にアメリカより豊かになったなら、正義はそちらの方に移る。暴力によらなくても、豊かな社会の文化習慣は自ずと誰もが真似したがるものだ。

 道徳感情は多様であり、しかも必ずしも今の社会に適応してはいない。プラグマティックな道徳は基本的に試行錯誤の繰り返しであり、何が正しいかなんてまだ誰も知らない。ただ結果的にみんなが豊かになり平和になれば、それが善なのである。

 故に、良識は一方では多様で不完全であり、一方ではやってみなければわからないものなのである。多様性は後者のための武器になる。道徳感情の多様性のもとに様々な社会で様々な実験がなされ、結果的人々に平和と豊かさをもたらせばそれでいい。

 人権はある一つの「精神」を持つ健全な人間にだけあるのではない。人はすべて様々な多種多様な道徳感情を持ち、それらはすべて平等の権利を持たなくてはならない。ただ、結果的に多くの人に不幸をもたらすものは排除されねばならない。

 殺人鬼には殺人鬼の道徳がある。権利は平等だ。たとえ何人殺そうが、本人の気持ちとして「生まれたからには生きなくてはならない」というのは正しい(権利がある)。だが、それが多くの人を不幸にするのなら、排除されなくてはならない。つまり、天秤にかけなくてはならない。

 人権とは多様性の権利であり、人権に資格はない。ただ、排除はそれとは別のプラグマティックな動機で行われなくてはならない。死刑の是非は人権の問題ではなく、プラグマティックな問題に他ならない。死刑を廃止した国と存続している国を比べ、どちらがより平和で豊かであるかを考慮する必要がある。(死刑制度のある日本は死刑を廃止したヨーロッパ諸国より治安はいいが、労働時間当たりの生産性は悪い。つまりどっこいどっこい。)

 人は生まれながらに人種、民族、国籍、宗教、ジェンダー、年齢、障害の有無にかかわらず平等の権利を有する。いかなるものにも特権は存在しない。(逆に言えば誰もが特権者だ。)誰もが平和で豊かな暮らしを実現できなくてはならない。そのための法律や制度、政治形態などは、ただ実験を繰り返し、試行錯誤を繰り返すことでしか見つけることができない。哲学的な内省的直観では絶対に見つけることができない。なぜなら、内省的直観は人それぞれみんな違うからだ。そこに「一つの精神」なんてものは存在しない。

10月19日

 『更級日記』の「足柄山(あしがらやま)といふは、四、五日かねて、恐ろしげに暗がり渡れり。」という記述が気になるのは、前にも述べたが、これが竹芝寺(港区三田)からの日数だとしても、かなりスローペースなのが気になる。

 江戸時代の旅人は芭蕉も含め、大体一日40キロくらいは普通に歩いていた。東海道で言えば、朝日本橋を出発すれば、戸塚で一泊、次の日は小田原で一泊、三日目には三島まで行くのが普通だった。それに比べると、『更級日記』の旅はのんびりとしたものだ。

 竹芝寺から足柄峠までの間には大井駅、小高駅、店屋駅、浜田駅、箕輪駅、小総駅、坂本駅と7つの駅があり、これを4、5日かけて歩いたとすれば、一日で一駅か二駅ということになる。ただ、いくらなんでも「四、五日かねて」が竹芝寺からの全行程ではないとなると、一日一駅の各駅停車の旅だった可能性がある。一日平均16キロ、江戸時代の旅と比べると、半分も歩いていない。

 足柄山も麓の宿で遊女たちに会う場面では、遊女たちがすっかり暗くなってから宿に現れ、まだ暗いうちに先に行ってしまったことが描かれている。商人や職人・芸能などの一般民間人は旅に慣れていて、あるいは江戸時代と同様のハードな旅をしていたのかもしれない。

 それに比べると、日ごろ運動不足の貴族たちは、一日16キロ程度のゆるい旅をしてたのだろう。まあ、今の我々も、急に歩いて旅をしろと言われれば、これぐらいが疲れも残らなくてちょうどいいだろう。


 都をば霞とともに立ちしかど

     秋風ぞ吹く白河の関

            能因法師


の歌も、京都から白河まで3ヶ月以上かかったわけだから、江戸時代の旅に比べるとやはりかなり遅い。

 芭蕉は弥生の終わりに霞とともに江戸を発ったが、途中黒羽に14日間滞留したにもかかわらず、白河の関を越えたのは田植えの季節だった。秋風が吹く頃には新潟まで行っている。東海道も一般的に13日から15日程度で歩けたというから、3ヶ月はかかりすぎだ。

 昔だったら「古代は道が悪かったからだ」と言い訳もできただろう。だが、今では古代道路がむしろ江戸時代の道路よりも遥かに立派で最短コースを直線で突っ切っていたことが明らかになった以上、道のせいにはできない。

 多分何事もなければ昼には次の駅に辿り着き、後は酒を飲んだり、管弦の宴でもやっていたのではなかったか。


 「からうじて越えいでて、関山(せきやま)にとどまりぬ。これよりは駿河なり。横走(よこはしり)の関のかたはらに、岩壺(いはつぼ)といふ所あり。えもいはず大きなる石の、四方(よはう)なる、中に穴のあきたる、中よりいづる水の、清く冷たきこと限りなし。」(『更級日記』)


 岩壺が駒門風穴のことだとすれば、横走の関のある横走駅まではそこそこ距離がある。この日に限ってはかなりの強行軍だったから、「かろうじて」だったのだろう。それでもおそらく昼までには足柄峠を越えて竹の下まで辿り着き、日の明るいうちには駒門に着いたと思われる。駒門風穴を見物に行けるくらいだから。

 「水はその山に三所(みところ)ぞ流れたる。」という記述は、足柄峠越えの道に3箇所の水場があったということか。だとすると、おそらく一つは金太郎遊び石のあるあたり、一つは相ノ川の源流を越えるところ、そしてもう一つが地蔵堂川であろう。

10月14日

 芭蕉の自筆懐紙が発見されたというニュースが今朝の新聞に載っていた。

 ネットを見てもあまり詳しいことは書いてない。

 杉木正英の名は初めて聞いたが、『野ざらし紀行』の旅で立ち寄り、


 蔦植ゑて竹四五本のあらし哉   芭蕉


の句を詠んだ廬牧亭(ろぼくてい)の主人らしい。ということは、この懐紙もその時のものか。

 今回発見された、


 我しのふあるしは蔦のさひや哉  芭蕉


の発句も、「蔦のさび屋」を詠んでいる。私がひそかに訪ねていった主は、蔦の寂れた家に住んでいる、という意味か。「蔦植ゑて」の句の原案かもしれない。


    初発心芭蕉の雨をいらへけり  正栄

 木槿を折て盃に指         芭蕉


の句は、芭蕉の雨に応じるように仏道に目覚めたというような前句を初発心の僧が「芭蕉の雨をあしらった」という茶道の場面に取り成しして、槿の花を杯に生けてみましたという句にしている。茶室の外からは芭蕉の葉を打ちつける雨の音が聞こえ、それに答えるように一日花の儚い槿の花を杯に浮かせて見せたのであろう。薄物の破れやすい芭蕉の葉に、儚い槿の花、茶人の正栄に「こんな趣向はいかがですか」と問いかけたのだろう。

 槿と言えば、


 道のべの木槿は馬にくはれけり  芭蕉


の句を、この旅の途中で詠んでいる。

10月12日

 今日は古代東海道の続きで、いよいよ足柄越え。

 6時半に家を出て7時48分に開成駅スタート。快晴。開成だけに。昨日初冠雪の富士山がまぶしい。

 吉田島の交差点に出る。古代東海道がどのあたりを通っていたかわからないので、取り合えず県道78号線の広い道を行く。

 このあたりは「島」とつく地名がいくつかある。おそらくかつては酒匂川がいくつもの川筋に分かれていて、いたるところに中州があったのだろう。ここも水害の影響を受けやすかったに違いない。少し行くと牛島の交差点がある。


 富士山のすぐ左のぽっこりした山が気になる。結構目立つのでいいランドマークになる。南足柄市に入ると金太郎の像がある。このあたりを通ったことがあるから、これから足柄峠を挟んだ両側のいたるところで金太郎の像や看板を見ることになるのだろう。

 左側に小さな神社があった。境内は公園になっている。何神社かわからないが、今日の旅の無事を願ってお参りする。

 少し行くと正面にトンネルが見えてくる。わき道に入ると旧道のような道があり、トンネルのある低い山の上を越えてゆくことができる。見守り地蔵という木彫りのお地蔵さんがあった。

 山の上に出ると、前回来た富士見塚のほうが見渡せ、越えると南足柄市の中心部に出る。ここが関本で坂本駅に比定されている。「さかもと」「せきもと」う~ん。「坂本」という名前の駅は東山道にも二箇所あり、山を越える入り口にはありがちな地名だったのだろう。

 伊豆箱根鉄道の大雄山駅の前に出る。そこの大きな看板には「金太郎のふる里足柄山」とあり、さっきのぽっこり山は矢倉岳と書いてあった。矢倉沢往還道の目印だったわけだ。

 『更級日記』の菅原孝標女が遊び女たちの歌を聴いたのもこのあたりだったのか。


 「ふもとに宿りたるに、月もなく暗き夜の、闇に惑ふやうなるに、遊女(あそびめ)三人(みたり)、いづくよりともなくいで来たり。五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。五十ばかりなるひとり、二十ばかりなる、十四、五なるとあり。庵(いほ)の前にからかさをささせて据ゑたり。をのこども、火をともして見れば、昔、こはたと言ひけむが孫といふ。髪いと長く、額(ひたひ)いとよくかかりて、色白くきたなげなくて、さてもありぬべき下仕(しもづか)へなどにてもありぬべしなど、人々あはれがるに、声すべて似るものなく、空に澄みのぼりてめでたく歌を歌ふ。」


とある。

 『更級日記』に登場する竹芝寺が今の三田の済海寺のあたりだったとすれば、菅原孝標女は延喜式東海道を通ったと思われる。つまり、今の丸子橋のあたりで多摩川を渡り、国道246の方を経由して浜田駅から平塚へ抜けたと思われる。

 ただ気になるのは、


 「足柄山(あしがらやま)といふは、四、五日かねて、恐ろしげに暗がり渡れり。やうやう入り立つふもとのほどだに、空のけしき、はかばかしくも見えず。えもいはず茂り渡りて、いと恐ろしげなり。」


という記述だ。足柄山を越えるだけで、さすがに4、5日もかかったりはしない。これはおそらく、竹芝寺から足柄山の麓までのことを指して言っていると思われる。

 当時はまだ人口も希薄で、街道沿いはまだ鬱蒼とした原生林に覆われていたことは想像に難くない。いくら幅12メートルの道路でも、前後の視界は開けても、左右の視界はほとんど利かなかったのだろう。延喜式の東海道だったら幅はその半分くらいだったかもしれない。

 不思議なのは、竹芝寺のところでは海の記述があるのに、ここには海の記述がないことだ。『大和物語』144段に「小総の駅といふ所は、海辺になむありける」とあり、海のそばは通ったものと思われる。

 ただ、『更級日記』は大井川を渡った後いきなり京都についているから、道中のことはかなり省略されている。

 市役所の前を通る道はいかにも旧道っぽく、ゆったりとしたカーブを繰り返すが、だんだん道が細くなり、ついには未舗装になる。このまま行けるのかどうか自信がないので、右に曲がり、78号線に出る。石塔群のあるところから右に入り、上の山通りという細い道に入った。なだらかな稜線を行く長閑な道だ。ただ、すぐに右に折れて苅畑通りを下ってゆくことになる。どうやら右側の山に入るのが早すぎたようだ。

 長閑なのだが、ただ一つ朝から気になっていることがあって、時折地鳴りか遠い雷のような音が聞こえてくることだ。あれは一体何なのだろうか。

 苅畑通りが78号線に出るあたりで、再び登ってゆく道がある。この道を行くと足柄神社に出る。江戸時代にまでさかのぼれる神社のようだ。慶応2年に立てられたという立派な本殿がある。狛犬はない。

 足柄神社の横を通り抜けると、長柄かな稜線の眺めのいい道が続く。正面には矢倉岳が見え、振り返れば相模湾が見える。このあたりから、足柄古道と書いた道しるべを要所要所で見ることになる。

 道しるべにしたがってゆくと、やがて前に柵が。まさか行き止まりと思ったら、「イノシシ被害対策のため、通行時はその都度ゲートの開閉をお願いします」と書いてあった。自分で開けて通れということのようだった。もちろん通ったあとはちゃんと閉めておく。

 この後道は下り坂になり、矢倉沢の集落に出る。78号線を渡ると「矢倉沢往還と旧旅籠・関所跡」という案内板があり、ここを降りていったあたりに江戸時代の関所跡があった。

 ここまでは本当に長閑な道が続いたが、『更級日記』だと、「さばかり恐ろしげなる山中(やまなか)に」だとか「まだ暁より足柄を越ゆ。まいて山の中の恐ろしげなること言はむかたなし。」だとか、とにかく恐ろしさを感じる所だったようだ。

 足柄古道というのは、多分江戸時代の矢倉沢往還道で、平安時代の道がどこを通っていたかはわからない。ただ、割と直進性が強いので、古代の道を上書きしている可能性はある。それでも、昔はこのあたりに住む人もなく、本当に原生林に覆われていたのだろう。おそらく今のような里山の景色になったのは江戸時代後期か明治に入ってからだろう。

 人の手の入ってない森林は、倒木がそのままになっていたり、木の大きさも間隔も不揃いで、荒れ果てた印象を受けるのは確かだ。今は畑だから眺めがいいが、その頃は見える世界も限られていたし、「雲は足の下に踏まる」とあるから、曇っていて余計に視界が悪かったのかもしれない。

 矢倉沢の集落を出て、78号線に戻る。家康陣馬の跡という看板があった。

 やがて足柄古道入り口というバス停があり、左に舗装道路が分かれている。その横には遊歩道もあるのだが、これが歩く人がいないせいか草に埋もれて歩きにくい。所々木が倒れて道を塞いでたりするから、車道を歩いた方がいい。車は滅多に来ない。どこかの歩こう会の爺さん婆さんたちとすれ違う。

 ここも稜線のなだらかな道だが、周りに家や畑がないせいか、見通しも悪い。昔の道はもっと視界が悪かったのだろう。

 右側に登ってゆく階段があったので、何があるのかと行ってみたら墓地だった。墓地の向こうには矢倉岳が見える。さっきまで正面に見えていた矢倉岳が、後方になっていた。

 墓地から降りるとT字路になっていた。右曲がって降りてゆくと人家があり、金太郎の生家跡というのがあった。金太郎って実在していたんだ。その先には金太郎遊び石があった。赤とんぼがたくさん飛んでいた。


 きんたろの昔あるなら赤とんぼ


 更に下ると、地蔵堂のバス停に出る。ここには駐車場がありトイレもある。

 ここまではまだ比較的平坦な道で、急な上り坂はなかった。

 地蔵堂のY字路を左に曲がり、しばらく行くと78号線に合流する。

 やがて左に足柄古道の道しるべがあり、そこから山道に入る。今度はガチ山道で、蛇行する車道を横切って真っ直ぐ登ってゆく急な上り坂は、箱根の道を思い出す。違うのは石畳がないことくらいか。

 途中から石畳の区間もあった。ただ、石畳の道から右に入る普通の山道があり、そこにあの道しるべが立っている。どっちを指しているのかわかりにくい道しるべだが、こんな所にわざわざ立てるのだから、石畳じゃない方を行けということなのだろう。実際正解だったようだ。

 源頼光の腰掛石という説明板があった。地がかすれて読み取れなかったが、頼光さんもここで休んだということか。

 古道といってもこれは江戸時代の矢倉沢往還道だろう。ここに広い道があったとは思えない。それとも、駅路とはいえども山越えの道は普通の山道になったのだろうか。

 箱根越えともう一つ違う点は、この上り坂が意外にすぐに終わるということだ。また車道に出たなと思ったら、すぐに足柄の関跡があり、足柄峠一里塚があった。足柄山聖天堂があり、その先には陸橋が見えた。前に夜中に通ったことのある足柄峠だ。12時20分。思ったより早く着いた。

 陸橋の脇の所から右に登ってゆくと、足柄峠城跡公園に出る。綺麗な芝生が広がっていて、向こうには富士山が見える。ここからの駿河側の眺めはいい。箱根の金時山も良く見える。ただ、相模側の眺めはない。

 足柄城は平安末期頃から何らかの形であったらしいが、本格的な築城は小田原後北条氏によるものらしい。この城ができたことで、多分このあたりの地形も古代とはずいぶん違ったものになったのだろう。

 新羅三郎義光の笛吹塚があった。新羅はシルラではなくシンラと読む。近江の国三井寺の新羅明神から来ているらしい。新羅明神は新羅に降り立ったスサノオの神話から来たもので、神道が新羅起源ということではない。

 あと、あまり目立たないけど山の神社という小さな石祠があった。

 さて、これから駿河側に降りるわけだが、いつも古代道路のことで参考にしている「 道・鎌倉街道上道(埼玉編)」というサイトを見ると、足柄峠の西坂にはたくさんのルートがあることがわかる。どれが古代の道なのか、それとも全部違うのか、結局よくわからなかった。

 時間があったら全部歩いてみたいけど、今回は一つを選ばなくてはならない。取り合えず最短コースということで地蔵堂川源流ルートを探した。

 入り口が見つからず、一度通り過ぎ、戻ってきたら駐車場の端っこの所に降りれそうな道を見つけた。

 石畳の道だがかなり荒れ果てている。傾斜はなだらかで、さっきの上り坂のような急な道ではない。ただ、駅路にしては狭い。

 石畳はコンクリートで固められていて、そんなに古いものではない。昭和末から平成の初めくらいかもしれない。ただ、ほとんど歩く人がいなかったせいか、いたるところコンクリートは割れ、崩れ、草が生い茂り、倒木が邪魔する。

 山の中の道は人が歩かなくなるとあっという間に荒れ果てて、やがて跡形もなくなるのだろう。まずは大雨が降って土砂崩れがおきて、道がえぐれたり、土砂に埋もれたりする。次にえぐれた所に水が流れ、やがて谷になる。コンクリートで固めても、土砂で押されれば崩れて谷へと落ちてゆく。そんなことが短期間に起きることを、この道は教えてくれる。

 なだらかな尾根道も、おそらくは最初からなだらかだったわけではないのだろう。駅路を作るときには、ごつごつした尾根も、出っ張った所を削り、へこんだ所を埋めて平らにし、広い道を作ったに違いない。ただ、時がたつとへこんだ所を埋めた所は地盤が弱くて崩れやすく、ひとたび崩れればそこを迂回するようにカーブする新しい道が作られる。こうして広い直線の古代道路は、緩やかにカーブする中世、近世の道へと上書きされていったのだろう。

 午前中通った足柄古道は狩川と内川とに挟まれた長い直線的な尾根の道だった。ここに古代道路があった可能性は十分にある。

 これに対し、仮にこの地蔵堂川源流ルートが古い道だったとしても、古代道路ではなく、中世以降の馬が通うための道だったのではないかと思う。

 足柄峠の西坂にたくさんのルートがあるのは、多分足柄城があったことに関係があるのではないかと思う。城があればそこに常に物資を運び込まなくてはならない。そのためには一般の旅人が通るルートとは別に納品専用のルートがあってもいい。

 地蔵堂川源流ルートはやがて78号線に出て終わる。出口の所に手書きの文字で「足柄峠近道」と書いてあった。

 しばらくは78号線を下る。やがて右に石畳の道があり「赤坂古道」と書いてある。これがおそらく江戸時代の矢倉沢往還だったのだろう。

 更に先へ行くと右側に林道がある。ここを行くと、道が大きくカーブして地蔵堂川へ降りて行く。

 この道には何やら名所が多い。銚子が淵、対面の滝、戦ヶ入。中世以降の馬が通う道だった可能性は十分にあるが、古代道路はここではなかったと思う。どうやら商売柄、ついつい納品ルートを選んでしまったか。

 ところで朝から気になっていたあの音だが、足柄峠を越えたあたりから、はっきりそれが爆発音だということがわかるようになった。時折銃声らしき小刻みな音も聞こえる。この音は前に御殿場を車で通ったときに聞いたことがある。富士山麓の演習場の音だ。それが山一つ越えた開成でも聞こえるとは。

 平和の日本でもこんな銃声の絶えないところがあるとは。だが、もちろん誰も怯える人がいないというのが平和の証だ。


 爆音にゆらぎもしない秋の空


 やがて神社が見えてくる。嶽之下宮奥宮だ。

 なぜか鳥居の上の笠木がない。両方の柱と貫だけの鳥居で、新しいから別にいわれがあるわけではなく、モダン鳥居なのだろう。中にはいると赤い新しい「縁結びの橋」があり、何かパワースポットブームに乗ろうとしている感じがする。拝殿がなく、御神体が大きな岩なのは、昔からの本物か。

 神社を出ると、すぐに家が立ち並ぶ所に出、足柄駅に出る。無人駅で、近くにコンビにはあるが、お土産を買えそうな店はない。結局来た電車に乗って前回同様松田に出た。


10月10日

 兎月竜之介の『いらん子クエスト』を読み終えた。『バトルロワイヤル』に似ているなと思ったが、やはり影響を受けていたようだ。緊張感のある文章で、ついつい抜けられなくなるし、救いようのない世界は嫌いじゃない。「救いようのない」と感じられること自体が最大の救いだからだ。

 この前秦野へ行く電車の中で読んだhoshimi12の『トライメライ-夢魔のイデア-』も良かったし、その前に読んだ弥生肇の『ダイヤモンドダスト-灰になった宝物-』と、このごろいい作品に出会えている。

 それにひきかえ、昨日テレビで見たあのアニメはひどかった。

 まあ、60年代のイギリス一世を風靡した児童文学が原作だったせいもあるのだろう。そのままイギリスの話にしておけば良かったものの、無理やり舞台を日本にするから、日本なのに何で洋館?あの漁師はひょっとしてロシア人?とにかく違和感ばかり目に付く。

 孤児で血のつながりのない親子とは言っても、『いらん子クエスト』を読んでいる最中だといかにもゆるく、恵まれているじゃないかと思えてしまう。

 育ての親が公的補助を受けているというのは、60年代のイギリスでは問題になったことなのか。よくわからないが、まあ戦後高度成長を成し遂げたイギリスでは「ゆりかごから墓場まで」の高福祉政策が採られ、税金がうなぎ登りだったから、当時としては感情的反発を乗り越えてでも福祉国家を実現しようというメッセージだったのかもしれない。

 ヒロインはいつも孤立してるし、もう少し地元の女の子たちの出番を増やして、暖かい交流を描いて欲しかったな。せっかくの祭も盛り上がりに欠くし、海辺なのに水着回はないし。

 戦後の日本の知識人たちは、敗戦を日本文化そのものの敗戦として受け止め、日本を捨てて西洋化へと邁進した。やがて世界は一つになるのだからと、彼らにとって国を守ることも国を愛することもすべて否定すべきことだった。国を愛し、国を守れば、日本は再び悲惨な戦争を起こし、再び300万人もの人が犠牲になると信じてきた。

 スタジオジブリもそうした世代だから、日本のアニメが世界で高く評価され、ジャパンクールだといってもてはやされている現状が苦々しかったのだろう。日本はあくまで否定されねばならない。そして西洋文明のすばらしさを伝え、日本のアニメを西洋並みにすることが日本のアニメを芸術に域に高めることだと、相変わらず信じているのだろう。

 結局あの杏奈はそうした戦後文化人の姿だったのだろう。彼らは日本を否定したが故に日本の社会から孤立し、自らのアイデンティティーを自分が実は西洋人であるというフィクションの中でかろうじて維持してきたのかもしれない。

 丸山真男は確か「ラディカルな精神的貴族主義がラディカルな民主主義とが結びつかなくてはいけない」というようなことを言ってたと思ったが、「ラディカルな精神的貴族主義」は結局日本の大衆文化を見下し、クラッシック音楽を聴き、葡萄酒を飲み、西洋文学に親しむことだったのか。要するに、自分はお前らと違う、英国貴族の血を引いているのだ、ということだったのか。

 原作がイギリス国内や欧米で持っていた意味は、それとはかなり違っていただろう。彼らは戦後、様々な移民を受け入れ、多民族が共存する中で、やはりアイデンティティーの拠り所は自分の先祖であり、それが何人であるかだったし、今でもそうなんだと思う。

10月6日

 安全保障関連法案にTPPにマイナンバー制度。どれも確かに問題点は多い。だが問題点があるからといってただ闇雲に反対し、一切議論に応じないという態度だと、結局現状維持で一切の進歩の可能性を閉ざしてしまう。

 問題点は今後議論や交渉を繰り返しながら解決しなくてはならない。話し合いから逃げてはいけない。

 人間は全知全能の神様ではないのだから、最初から完全な制度や法律を作るのは不可能。試行錯誤を繰り返しながら、少しでもより良いものへと努力するのが人間だ。問題があるからといって投げ出してしまったらそこで終わりだ。問題は解決しなくてはならない。

 民主党が駄目なのは、結局議論をせずに逃げてばかりで、後は負け犬の遠吠えばかり。安全保障関連法案でも、修正すべき問題点はたくさんあったはずなのだが、議論から逃げて修正協議をしないもんだから、結局自民党の言いなりで可決してしまった。まあ、完全な法律なんてないんだから、問題が起きたらそのつど修正をしていかなくてはいけないわけだが、今の民主党だと廃止しかないとか言って議論から逃げて、何ら問題が解決しなくなる可能性のほうが大きい。

 TPPでも、実際に農家が大きな打撃を受けるようだったら、何度も交渉を繰り返し、加盟国全体の利益になるように変えていかなくてはならない。撤退したらTPPによって受ける可能性のある恩恵もすべて手放すことになる。

 人間は全知全能の神ではない。仮説検証を繰り返し、試行錯誤によって進歩するのが人間だ。問題があるからといってそこで撤退したら、その時点でゲームセットだ。

 「失敗は成功のもと」という古い言葉もある。ノーベル賞だって失敗を繰り返したから取れたんだと思う。

 

 人間には休息の欲求というものがある。だから、うまいものを食いたいだとか、もっとたくさんセックスをしたいだとか言う欲求があっても、常にそれが労力に見合うかどうか秤にかける。でかい車に乗りたいだとか、プール付きの家に住みたいだとか、かっこいい服を着たいだとか、ヨットが欲しいだとか、人間には様々の欲求があるが、それも結局労力と秤にかけざるを得ない。

 豊かになりたいという欲求はあっても、それが労力に見合うものかどうかは誰しも必ず秤にかける。

 経済成長も、それを得るために余計な労力を要するなら誰しも二の足を踏む。労働時間の短縮が必要なのはそういうことだ。長時間労働体質が解消されない限り、人は経済成長よりも休息を選ぶ。労力を減らすことなしに成長はない。

10月4日

 横浜オクトーバーフェストに行った。
 12前に着いた。時間が早いせいか、まだテーブルが所々開いていた。
 一昨年の日記を見ると500mlのを4杯飲んでいたが、年々酒に弱くなったのか飲む量も減り、今回は300mlサイズがあったのでそっちにした。
 まずはライカイム・ヴァイスビア。酸味のあるすっきりした味だ。おつまみは普通にソーセージとプレッツェル。次にヴェルテンブルガー・アッサムボックこれは濃厚な黒ビールで飲み応えがある、といっても300ml。最近はこれぐらいで結構回ってくる。おつまみにチーズピザとポテトが追加され、腹もいっぱいとなって、一度会場を出る。
 赤レンガ倉庫の裏の公園から山下公園まで歩いた。お散歩の犬がたくさんいた。横浜公園は子供がたくさんいた。無料の横浜税関資料展示室を見て戻ってくると3時を過ぎていた。
 まだお腹がすかないし、そんなに飲める状態でないので、結局フレンスブルガーの飲み比べセットを飲んで終わりにした。
 今年はクラフトビールにはまっていろいろなビールを飲んだ。だがその前に、白ビール黒ビールだけではないいろいろなビールがあることを知るきっかけになったのは、このオクトーバーフェストだった。
 帰りにランドマークプラザ地下二階にある、世界のビール博物館に寄ってみた。Elysian night owlというフクロウのラベルのビールに目がとまり、取り合えず買って帰った。パンプキンエールというかぼちゃ入りのアメリカのクラフトビールのようだ。

10月2日

 安倍首相は2020年に名目GDP600兆円にすることを目標とすると言っているが、「名目3%の成長をしていけば、十分到達可能だと思っている」というのは計算が合わない。今年のGDPが仮に500兆円だとしても、年3パーセントでは580兆円にしかならない。年4パーセントは必要だ。

 名目だから、2パーセントのインフレ目標が達成できれば、実質のGDP成長率が2パーセントでも達成できる。だが、まだインフレが起きる気配はない。

 インフレ誘導を加速し、円安が更に進行するなら、仮に600兆円の目標を達成したとしても、ドル建てでマイナス成長ということもありうる。

 生産量を増やすには、それだけの消費が必要になる。現在では新興国やフロンティア国が先進国に追いつく際の消費拡大に依存していて、先進国は基本的に消費が低迷している。IT革命が一段落して、それに続く消費革命の姿が見えないからだ。

 希望出生率1.8という目標は、経済が低迷し、マイナス成長が長期化すれば達成できるのではないかと思う。昔から言う「貧乏人の子沢山」だ。

 介護離職ゼロは、消費税を25パーセントにして介護費用を税金で負担すれば可能なのではないかと思う。

 今の日本に必要なのは、何度も繰り返すようだが、長時間労働体質を解消し、週40時間労働を実現し、労働の不足分を女性の活用で補う。特に、介護関係で大量の女性を雇用するというのは、北欧に前例がある。つまり男が週80時間働く社会から男女で分担して週40時間づつ働く社会にする。これはアベノミクスと矛盾しない。ロボット化などで生産性を向上させれば、労働時間を短縮しても今の生産量を維持できる。

 それ以上生産しても消費革命が起きない以上、ただ生産過剰=需要不足でデフレに陥る。

 余暇が増え、人生にゆとりができれば、その分何かをしようという欲求がわいてくる。そこから新しい消費スタイルが生み出されれば、やがてそれが次の消費革命を生み出す。それまでは辛抱だ。

9月29日

 このごろapple musicでいろいろなフォークメタルを聞いているが、その中でCalling from afarというアーチスト名のないアルバムを見つけた。 (Chinese style melodic death black metal)というサブタイトルがついているとおり、中国の伝統音楽と融合したメタルで、一枚はCalling from afar、もう一枚はA note left an absent ecluseというタイトルになっている。

 どこかで、というかyoutubeで聞いたことのある曲が出てきたので調べてみたら、Calling from afarの方は母暗(Mother Darkness)の「百年虚空」というアルバムが丸々一枚で、曲は、1序曲、2春、3夏、4秋Ⅰ、5秋Ⅱ、6冬、もう一枚の方は黑麒(Black Kirin)の2枚のEPと1枚のシングルからセレクトされていて、曲は、1故土、2南京、3投名状、4黄河となっている。

 何でアーチスト名がないのか、よくわからない。

9月25日

 安倍首相がまた「1億総活躍社会」なんてことを言い出したが、大事なのは生産性(生産効率)の向上による労働時間短縮と消費革命であり、ただがむしゃら一生懸命働いたって生産過剰、需給ギャップが解消されず、デフレを脱却できない。

 テレビで、


 梅雨空に『九条守れ』の女性デモ  読み人知らず


の句の掲載拒否が表現の自由の侵害云々なんてことをやっていたが、ネットで調べたら6月の事件で、何で今?

 まず、なぜ作者の名(俳号)が出てこないのかわからないし、表現の自由以前に俳句として駄目なら掲載する価値はない。

 この句に関して言えば、はっきり言って新聞の見出しか何かみたいな句で、女性デモがあったから何なのかと言うことが何も表現されていない。デモに参加したなら、そこでもう少し面白いことはなかったのかと言いたい。

 この句を載せなければ表現の自由が何ちゃら言うなら、ネトウヨが「梅雨空に『九条守れ』のチョンのデモ」という句を持ってきた時も載せなくてはいけないのか。

9月22日

 今日は古代東海道秦野ルートの続きで、朝6時半に家を出て7時50分秦野駅に着く。8時6分、秦野総合高校入り口交差点からスタート。

 広い道路を西に進む。天気も良く、そんなに暑くもない。まずまずのお散歩日和だ。道の左側はなだらかな斜面で畑が広がっていて、彼岸花が咲いている。古代東海道はこの辺りだったのだろうか。あくまで推測だが。道の右側には大山や丹沢の山が見える。

 上町の交差点を左に入る。坂を上り、途中未知が左へ大きくカーブする所を直進し、細い道へと入る。広い道に出たところで左に上って行くと、前回通ってきた上智大グラウンドの緑の芝生が見える。かなり目立つのでいい目印になる。その向こうは平塚か。

 突き当たりの道を右に行き、山の中にはいると、稜線の道になり反対側に箱根の双子山が見える。

 やがて赤い鳥居と福寿弁財天の赤い幟が並んでるのが見える。トイレという矢印もある。

 降りてゆく途中に現場にあるような仮説トイレがあった。ありがたい。その先に行くと福寿弁財天の赤い社があり、社の前には木彫りの弁財天の寝そべった像がある。社のすぐ下は震生湖で、木の鬱蒼と茂る薄暗い中で釣りをしている人がいた。震生湖は関東大震災の時の土砂崩れでできたもので、寺田寅彦の命名と言われている。古代には当然この湖はなかった。

 ここからしばらく稜線上の舗装道路が続く。このあたりの道端には露草が咲いている。

 やがて道が左にカーブする所で、細い道に入る。長閑な田舎道で菊や鶏頭を栽培している畑がある。道はやがて上り坂になり、ふりかえるとあの上智大の芝生の向こうに平塚の町と相模湾が見渡せ、江ノ島やその向こうの三浦半島までが見える。この浅間台のあたりを古代東海道が通っていたとしたら、都から下ってきた旅人はこのパノラマに感動したにちがいない。

 その先に牛小屋があり、道の反対側には向山配水場がある。このあたりから道は未舗装になる。道にはクヌギの団栗が落ちている。やがて簡易舗装の道


に変わり、道は下り坂になる。家に立ち並ぶ狭い路地に出る。栃窪地区だ。

 頭高山近道という道しるべの方へ行く。春に八重桜を見に行った頭高山に近づいてきたようだ。

 途中、栃窪神社への分岐点のあたりから、夥しい数の犬の声がワンワンキャンキャン聞こえてくる。栃窪神社の道に入ると下の方に「愛犬ハウスセキノ」という建物がある。ブリーダー直売所としてはかなり大手で有名らしいが、あれは愛されている犬の声とは思えない。これから売れて新しい飼い主の所に行けば愛されるのだろうか。

 

 騒ぐ犬悲しく一体何の秋の風

 

 犬の声のやまない栃窪神社に参拝する。この神社は元は御岳神社だったようだ。このあたりは小田原道の要所で、江戸幕府の出来る前からこの神社はあったようだ。小田原道は矢倉沢往還の道筋の一つで、大体今日通ってきた道と重なるから、古代東海道がそのまま利用されてたのかもしれない。昭和61年銘の岡崎型狛犬があった。浅間大神と堅牢地神の石塔があった。

 分岐点まで戻り、犬の声を後にして車が通れないほど細い簡易舗装の道を行く。すぐに赤い鳥居と幡竜王様の石祠がある。月読の尊と関係があるらしく、秦野の守り神なのだが、怒ると地震を起こす恐い神様らしい。

 この簡易舗装の小道はやがて右に曲がって渋沢駅のほうへ降りてゆく。そこに直進する未舗装の道があり、少し行くと峠配水場があり、その先で視界が開ける。このあたりが県道の峠トンネルの真上なのだろう。

 このあたりから篠窪を抜けて酒匂川のほうへ降りて行くのだと思うが、ルートに関しては何の手懸りもない。当てずっぽうで進むしかない。急な下りを避けるならこの谷間の東側を下るか西側を下るかになる。今回は東側ルートを試すため、峠配水場の手前まで戻って、そこから未舗装の道を下って行くことにした。

 道は概ねなだらかで、途中から簡易舗装に変わり、切通しの道になった。いかにも旧道っぽい。やがて峠地区の集落が見えてくる。ここで一度県道に出る。

 県道は上り坂になり、後ろには大山が見え、その右側には峠配水場の鉄塔が見える。これは通ってきた道の目印になる。

 県道はやがて右に大きくカーブする。この地点で工事中の直進道がある。建設中の橋があるようだ。

 道は下り坂になり、再び道は大きく左にカーブし篠窪地区の集落に出る。

 県道はこの先も右に左にカーブしながら、やがて三島神社の前に出る。道路の方に大きく傾いてせり出した大きな椎の木がある。銅の立派な鳥居をくぐると石段があり、境内も広い。狛犬はないが、大きな神楽殿がある。

 この先に県道から右に入る道があり、富士見塚の道しるべがある。彼岸花の咲く道を登ってゆくと、富士見塚の石碑がある。説明板によるとここは矢倉沢往還の一里塚で、源頼朝がここの榎の下に馬を止めて富士山を眺めたという。この柄の上のほうに公園があり、眺望を堪能できるようになっている。

 あいにく富士山は雲に隠れて山頂がわずかに切れ目から見える程度だったが、足柄峠、急峻な金時山、箱根の山々、相模湾から真鶴半島まで見渡せた。

 

 足柄は遥か彼岸の花に見る

 

 今日歩いたコースは古代道路抜きにしてもなかなか最高の散歩コースなのでお勧め。彼岸花、露草、くず、鶏頭、槿、芙蓉、その他いろいろな花が咲いていたし、日本の景色はまだまだ捨てたものではない。同盟国のみんな~、一緒に守ろうね~。

 ここから素直に大井松田インターの方に下って行き川音川の方に出ればよかったのだが、榊の方へ下りてしまったため、か


なり東よりにコースがずれてしまった。長閑ないい道で申し分ないのだが、ここから酒匂川方向に降りて行く道がない。矢頭橋から東名を渡り、戻って山田総合グラウンドの方へ行くと、そこでちょうど12時のチャイムがなった。

 この先も第一生命の建物が立ちはだかって先には進めない。悪戦苦闘しているうちにようやく国道255号線に出た。ここからだとJRの相模金子駅が最寄り駅だが、次回のことを考えると小田急の開成駅まで進んでおきたい。次回は足柄峠越えになるからだ。

 他に渡れる所がないので足柄大橋を渡った。金太郎の像があった。橋を渡ると程なく開成駅で、今日はここで終わり。

 帰りに新松田に寄って、地酒の松みどり、足柄地ビールのシトラスとうめびあを買い、玄やで坦々麺を食べた。どろっとしたミートソースのようなスープが独特だった。