「翁草」の巻、解説

貞享四年十一月五日如風亭にて

初表

 めづらしや落葉のころの翁草    如風

   衛士の薪と手折冬梅      芭蕉

 御車のしばらくとまる雪かきて   安信

   銭を袂にうつす夕月      重辰

 矢申の声ほそながき荻の風     自笑

   かしこの薄爰の筿庭      知足

 

初裏

 岡野辺にこころを外の家立て    菐言

   妾がなつけしひよこ鳴なり   安信

 木綿機はてむ泪にぬらしける    如風

   とはん仏の其日ちかづく    知足

 白雲をわけて故郷の山しろし    自笑

   はなてる鶴の鳴かへる見ゆ   芭蕉

 霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて    安信

   煤けし額の軒をもる月     重辰

 秋やむかし三ッにわけたる客とかや 知足

   いろいろ置る夕ぐれの露    如風

 散レとこそ蓑着てゆする花の陰   安信

   痩たる馬の春につながる    重辰

 

 

二表

 米かりに草の戸出る朝がすみ    芭蕉

   山のわらびをつつむ藁づと   安信

 我恋は岸を隔つるひとつ松     如風

   うき名をせむるさざ波の音   自笑

 けふのみと北の櫓の添ぶしに    知足

   琵琶にあはれを楚の歌のさま  菐言

 色白き有髪の僧の衣着て      芭蕉

   畳に似たる岩たたみあげ    重辰

 柱引御代のはじめのうねび山    菐言

   ささらにけづる伊勢の浜竹   芭蕉

 貝のから色どる月の影清く     重辰

   部屋にやしなふ籠の松虫    安信

 

二裏

 匂へとぞ鉢に植たる菊かりて    芭蕉

   母のいのちをちかふ初霜    重辰

 羊啼その暁のあさあらし      自笑

   外山の花の又夢に咲      知足

 日はながく雨のひらたに笘葺て   安信

   雁のなごりをまねくおのおの  菐言

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   はせをの翁を知足亭に訪ひ侍りて

 めづらしや落葉のころの翁草   如風

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には「如風が知足亭に芭蕉を訪ねた時の発句『めづらしや』の句を立句として、如意寺で興行したか」とある。これは芭蕉の提案かもしれない。如意寺如風亭での興行であれば芭蕉が発句で如風が脇となるところだが、知足亭での如風の発句を無駄にしないための配慮だろう。この前書きがあれば知足亭で興行されたと思うから、如風もゲストになる。

 句意は明瞭で、芭蕉は翁とみんなから呼ばれて親しまれているから、「翁草」は当然芭蕉のことで、こんな落葉の頃に珍しや、となる。

 翁草(オキナグサ)はウィキペディアに「白く長い綿毛がある果実の集まった姿を老人の頭にたとえ、翁草(オキナグサ)という。 ネコグサという異称もある。」とある。晩春から初夏にかけて咲く。

 なお「めづらしや」の巻は羽黒山での「めづらしや山をいで羽の初茄子 芭蕉」を発句とする巻に用いたので、ここでは「翁草」の巻と呼称する。

 

季語は「落葉」で冬。「翁草」は植物、草類。

 

 

   めづらしや落葉のころの翁草

 衛士の薪と手折冬梅       芭蕉

 (めづらしや落葉のころの翁草衛士の薪と手折冬梅)

 

 翁草だと思ったのは衛士が焚き木にしようとして折った寒梅のことでしょう、と受ける。世間から見捨てられた世捨て人ですよ、といったところか。

 衛士というと、

 

 みかきもり衛士の焼火の夜はもえ

     昼は消つつ物をこそおもへ

             大中臣能宣(詞花集)

 

の歌が『小倉百人一首』でも有名だ。「衛士」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「古代,律令の兵制において,諸国の軍団から選ばれて1年 (のち3年) 交代で上京し,衛門府,衛士府に配属され,宮門の警衛にあたった者。」

 

とある。

 

季語は「冬梅」で冬、植物、木類。「衛士」は人倫。

 

第三

 

   衛士の薪と手折冬梅

 御車のしばらくとまる雪かきて  安信

 (御車のしばらくとまる雪かきて衛士の薪と手折冬梅)

 

 「衛士」が出たところで王朝時代に転じ、皇族などの雪の日の牛車での外出の場面とするとする。

 

季語は「雪かき」で冬、降物。

 

四句目

 

   御車のしばらくとまる雪かきて

 銭を袂にうつす夕月       重辰

 (御車のしばらくとまる雪かきて銭を袂にうつす夕月)

 

 銭は雪かきの駄賃だろう。京では御所の牛車が通ると、こうやって小銭を稼ぐ人がいたのだろうか。アメリカ映画に出てくる車の窓拭きみたいだが。

 

季語は「夕月」で秋、天象。

 

五句目

 

   銭を袂にうつす夕月

 矢申の声ほそながき荻の風    自笑

 (矢申の声ほそながき荻の風銭を袂にうつす夕月)

 

 「矢申(やまうし)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「矢の中り外れを告げる声」とある。いわゆる「矢場(やば)」の光景だろうか。ダーツのように賭けをしてたのだろう。負けて賭け銭は相手の懐に収まり、矢申しの声だけが荻の風のように寒々と響く。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

 

六句目

 

   矢申の声ほそながき荻の風

 かしこの薄爰の筿庭       知足

 (矢申の声ほそながき荻の風かしこの薄爰の筿庭)

 

 「筿」は「篠」と同じだがここでは「ささ」と読むようだ。

 没落した武家の庭で、笹の植えてあった庭も薄に埋もれ、それでも弓矢の練習は怠らない。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。「筿」も植物、草類。

初裏

七句目

 

   かしこの薄爰の筿庭

 岡野辺にこころを外の家立て   菐言

 (岡野辺にこころを外の家立てかしこの薄爰の筿庭)

 

 薄に埋もれた庭を隠者の住まいとするのは、まあお約束の展開。

 

無季。「家」は人倫。

 

八句目

 

   岡野辺にこころを外の家立て

 妾がなつけしひよこ鳴なり    安信

 (岡野辺にこころを外の家立て妾がなつけしひよこ鳴なり)

 

 「妾」は「せふ」と読むがめかけのこと。岡野辺の家を妾が隠れ住む場所とする。

 

無季。恋。「妾」は人倫。「ひよこ」は鳥類。

 

九句目

 

   妾がなつけしひよこ鳴なり

 木綿機はてむ泪にぬらしける   如風

 (木綿機はてむ泪にぬらしける妾がなつけしひよこ鳴なり)

 

 妾は織姫のように機を織り、滅多にやってこない男に涙を添える。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   木綿機はてむ泪にぬらしける

 とはん仏の其日ちかづく     知足

 (木綿機はてむ泪にぬらしけるとはん仏の其日ちかづく)

 

 泪を亡き夫へのものとする展開もお約束というか。命日も近い。

 

無季。

 

十一句目

 

   とはん仏の其日ちかづく

 白雲をわけて故郷の山しろし   自笑

 (白雲をわけて故郷の山しろしとはん仏の其日ちかづく)

 

 前句の仏を故郷のご先祖様とする。はるばる山を越えて帰省する。

 

無季。旅体。「白雲」は聳物。「山」は山類。

 

十二句目

 

   白雲をわけて故郷の山しろし

 はなてる鶴の鳴かへる見ゆ    芭蕉

 (白雲をわけて故郷の山しろしはなてる鶴の鳴かへる見ゆ)

 

 白雲を分けて飛んで行く放たれた鶴とする。

 

無季。「鶴」は鳥類。

 

十三句目

 

   はなてる鶴の鳴かへる見ゆ

 霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて   安信

 (霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめてはなてる鶴の鳴かへる見ゆ)

 

 ソテツは南方系の植物で霜に弱いから冬は藁で巻いて覆う。冬の庭園の光景だろう。ツルに見合うような景物の少ない冬にあっては、藁で覆ったソテツも冬の風物とすべし。

 

季語は「冬」で冬。「蘇鉄」は植物、木類。

 

十四句目

 

   霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて

 煤けし額の軒をもる月      重辰

 (霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて煤けし額の軒をもる月)

 

 お寺の扁額のことであろう。霜覆いをしたソテツをお寺の庭とした。寒さで落葉焚きなどをして、額も煤けている。そんな寂しげなお寺を月が守っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   煤けし額の軒をもる月

 秋やむかし三ッにわけたる客とかや 知足

 (秋やむかし三ッにわけたる客とかや煤けし額の軒をもる月)

 

 客の上中下があるというのは、以前「洗足に」の巻の発句の所で触れたが、宗鑑が庵の入口に掛けていた狂歌、

 

 上は来ず中は日がへり下はとまり

     二日とまりは下下の下の客

               宗鑑

 

から来ている。

 

 下々の下の客といはれん花の宿  越人

 

の句が元禄二年刊の『阿羅野』にある。

 前句の「額」を宗鑑の庵の額として、あれから月日も流れ幾つ秋の来たことかとする。

 

季語は「秋」で秋。「客」は人倫。

 

十六句目

 

   秋やむかし三ッにわけたる客とかや

 いろいろ置る夕ぐれの露     如風

 (秋やむかし三ッにわけたる客とかやいろいろ置る夕ぐれの露)

 

 露も俳諧ではさまざまな草花に置くだけでなく、比喩としていろいろな意味に用いられる。ここでは秋の風ぐれの悲しさに落ちる泪のことか。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十七句目

 

   いろいろ置る夕ぐれの露

 散レとこそ蓑着てゆする花の陰  安信

 (散レとこそ蓑着てゆする花の陰いろいろ置る夕ぐれの露)

 

 これは花の陰で花を散らそうとしているかに見せて、下句につながると露を散らそうとしていたという落ちになる仕掛けになっている。

 桜の木を揺すって花を散らそうなどというのは、言うまでもなく無風流なこと。だが、散らしているのは露で桜の花に露が散って夕日にキラキラと光ればこの上もなく風流になる。

 

季語は「花の陰」で春、植物、木類。「蓑」は衣裳。

 

十八句目

 

   散レとこそ蓑着てゆする花の陰

 痩たる馬の春につながる     重辰

 (散レとこそ蓑着てゆする花の陰痩たる馬の春につながる)

 

 蓑を着ていたのは桜の木に繋がれた痩せ馬だった。馬も背中に藁で作られた蓑を着ることがある。

 

季語は「春」で春。「馬」は獣類。

二表

十九句目

 

   痩たる馬の春につながる

 米かりに草の戸出る朝がすみ   芭蕉

 (米かりに草の戸出る朝がすみ痩たる馬の春につながる)

 

 謡曲『鉢木』のあの「いざ鎌倉」の落ちぶれた武士であろう。謡曲では冬で秋に収穫した粟を食っていたが、それも底をつきたか、春には米を借りに行く。

 

季語は「朝かすみ」で春、聳物。「草の戸」は居所。

 

二十句目

 

   米かりに草の戸出る朝がすみ

 山のわらびをつつむ藁づと    安信

 (米かりに草の戸出る朝がすみ山のわらびをつつむ藁づと)

 

 山の蕨を摘んで藁に包んで持って行き、米と交換する。

 

季語は「蕨」で春、植物、草類。「山」は山類。

 

二十一句目

 

   山のわらびをつつむ藁づと

 我恋は岸を隔つるひとつ松    如風

 (我恋は岸を隔つるひとつ松山のわらびをつつむ藁づと)

 

 農夫の恋で、相手は川の向こう岸の一本松の辺りに住んでいる。蕨を手土産にせっせと通う。

 

無季。恋。「我」は人倫。「岸」は水辺。「ひとつ松」は植物、木類。

 

二十二句目

 

   我恋は岸を隔つるひとつ松

 うき名をせむるさざ波の音    自笑

 (我恋は岸を隔つるひとつ松うき名をせむるさざ波の音)

 

 川を隔てた恋だけに、世間はさざ波のようにざわざわと浮名を立てる。

 

無季。恋。「さざ波」は水辺。

 

二十三句目

 

   うき名をせむるさざ波の音

 けふのみと北の櫓の添ぶしに   知足

 (けふのみと北の櫓の添ぶしにうき名をせむるさざ波の音)

 

 城の櫓であろう。「添臥(そいふし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① そばに寄りそって寝ること。そいね。そえぶし。

  ※源氏(1001‐14頃)紅葉賀「殿の内の人々も、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御そひふしならむとは思はざりけり」

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「かりなる横陳(ソヒフシ)して細(こまか)に次第はかたらず」

  ② 東宮、また皇子などの元服の夜、公卿などの少女を傍に添寝させたこと。また、その少女。

  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「さらば、この折の後見なかめるを、そひふしにもと催させ給ひければ、さおぼしたり」

  ※栄花(1028‐92頃)様々のよろこび「おほとのの御むすめ、〈略〉、内侍のかみになし奉り給ひて、やがて御そひぶしにとおぼし掟てさせ給ひて」

 

とある。お城の櫓での密会なら、武士と小性の男色であろう。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   けふのみと北の櫓の添ぶしに

 琵琶にあはれを楚の歌のさま   菐言

 (けふのみと北の櫓の添ぶしに琵琶にあはれを楚の歌のさま)

 

 四面楚歌という言葉があるように籠城の場面であろう。明日には落城かという夜、なぐさめに琵琶を弾いて歌っても四面楚歌の故事を思わせるだけで悲しい。

 

無季。

 

二十五句目

 

   琵琶にあはれを楚の歌のさま

 色白き有髪の僧の衣着て     芭蕉

 (色白き有髪の僧の衣着て琵琶にあはれを楚の歌のさま)

 

 琵琶法師であろう。有髪の者もいたのか。

 

無季。「僧」は人倫。「衣」は衣裳。

 

二十六句目

 

   色白き有髪の僧の衣着て

 畳に似たる岩たたみあげ     重辰

 (色白き有髪の僧の衣着て畳に似たる岩たたみあげ)

 

 「畳み上げる」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「[動ガ下一][文]たたみあ・ぐ[ガ下二]

  1 すべてをたたんでしまう。たたみ終える。「全員の布団を―・げる」

  2 積み重ねる。積み上げる。

  「赤い煉瓦(れんが)と白い石帯とで―・げられた柱」〈風葉・青春〉

  3 たたむようにして、まくりあげる。

  「草摺(くさずり)を―・げて、ふた刀刺すところを」〈謡・実盛〉」

 

とあり、ここでは2の意味であろう。前句を「有髪の僧の色白き衣着て」と取成し、山伏のこととしたか。

 

無季。

 

二十七句目

 

   畳に似たる岩たたみあげ

 柱引御代のはじめのうねび山   菐言

 (柱引御代のはじめのうねび山畳に似たる岩たたみあげ)

 

 「御代のはじめ」というのは神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が畝傍山の麓に皇居(畝傍橿原宮)を作り、初代天皇として即位したことを言うのであろう。今の樫原神宮は明治二十三年に創建されたもので、芭蕉の時代にはなかったから、当時の様子はよくわからない。石舞台古墳のようなイメージで岩を積み上げた宮殿をイメージしたか。

 

無季。「うねび山」は名所、山類。

 

二十八句目

 

   柱引御代のはじめのうねび山

 ささらにけづる伊勢の浜竹    芭蕉

 (柱引御代のはじめのうねび山ささらにけづる伊勢の浜竹)

 

 「伊勢の浜竹」はよくわからない。「難波の葦は伊勢の浜荻」をもとにして作った造語で、都では別の竹の名称があるということか。ささらは掃除をするわけではないだろう。楽器のささらで、即位を祝ってささらの舞を奉納したということか。田楽や神楽などの古い芸能にはささらが用いられる。

 

無季。「伊勢」は名所、水辺。「浜竹」は植物。

 

二十九句目

 

   ささらにけづる伊勢の浜竹

 貝のから色どる月の影清く    重辰

 (貝のから色どる月の影清くささらにけづる伊勢の浜竹)

 

 伊勢の浜の風景をイメージしたのだろう。

 後に『奥の細道』の旅に出た時、敦賀の色の浜で、

 

 衣着て小貝拾はん種の月     芭蕉

 

という句を詠むが、これは、

 

 潮染むるますほの小貝ひろふとて

     色の浜とはいふにやあらむ

              西行法師

 

の歌に由来するが、月夜の貝殻の趣向はこの重辰の句に着想を得てたのかもしれない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「貝」は水辺。

 

三十句目

 

   貝のから色どる月の影清く

 部屋にやしなふ籠の松虫     安信

 (貝のから色どる月の影清く部屋にやしなふ籠の松虫)

 

 虫籠の歴史は古く、平安時代からあったらしい。中には螺鈿細工を施した豪華なものもあったのだろう。ただ、いくら豪華な籠でも所詮は囚われの身。

 

季語は「松虫」で秋、虫類。

二裏

三十一句目

 

   部屋にやしなふ籠の松虫

 匂へとぞ鉢に植たる菊かりて   芭蕉

 (匂へとぞ鉢に植たる菊かりて部屋にやしなふ籠の松虫)

 

 籠の松虫に鉢植えの菊。どちらも狭いところに閉じ込められている。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

 

三十二句目

 

   匂へとぞ鉢に植たる菊かりて

 母のいのちをちかふ初霜     重辰

 (匂へとぞ鉢に植たる菊かりて母のいのちをちかふ初霜)

 

 九月九日重陽の日に飲む菊酒は不老長寿の仙薬とも言われる。

 実際はそれほどでないにせよ、ウィキペディアによると、

 

 「菊花を用いて、焼酎中に浸し、数日を経て煎沸し、甕中に収め貯え、氷糖を入れ数日にし成る。肥後侯之を四方に錢る 倶に謂ふ目を明にし頭病を癒し 風及婦人の血風を法ると」

 

とあり、母の長寿のために悪いものではなさそうだ。

 前句の「菊かりて」はここでは「菊刈りて」になる。

 

 心あてに折らばや折らむ初霜の

     置き惑わせる白菊の花

             凡河内躬恒(古今集)

 

も菊酒のために折ったのだと思うが、菊に初霜の付け合いはこの歌による。

 

季語は「初霜」で冬、降物。「母」は人倫。

 

三十三句目

 

   母のいのちをちかふ初霜

 羊啼その暁のあさあらし     自笑

 (羊啼その暁のあさあらし母のいのちをちかふ初霜)

 

 羊は古代には飼われていた記録があるが、江戸時代前期だと実際の羊はほとんど見ることがなかったのではないかと思う。

 羊は漢詩にもあまり登場しないようで、この羊に何か出典があるのか、よくわからない。『詩経』の無名詩「敕勒歌」に「風吹草低見牛羊」という内蒙古の平原の風景を詠んだ詩句があるが、何かそういう異国情緒を狙ったのか。

 ギシギシを意味する羊蹄は字が似ていなくもない。之道編『あめ子』に、

 

   膝へ飛しは青蛙なり

 羊蹄(やうてい)のあたりや風の吹ぬらん 鬼貫

 

の句があったが、漢方薬になるとはいっても皮膚病・腫物の薬なので母の命とはあまり関係なさそうだ。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は「羊を殺していけにえとする」とあるが、ヘブライ人じゃあるまいし、日本にそんな習慣があったとは思えない。

 

無季。「羊」は獣類。

 

三十四句目

 

   羊啼その暁のあさあらし

 外山の花の又夢に咲       知足

 (羊啼その暁のあさあらし外山の花の又夢に咲)

 

 「外山(とやま)」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「人里に近い山。

  出典古今集 神遊びのうた

  「深山(みやま)には霰(あられ)降るらしとやまなるまさきの葛(かづら)色づきにけり」

  [訳] 人里から遠く離れた山にはあられが降っているらしい。もう、人里近くの山にあるまさきの葛が、きれいに色づいてしまったよ。[反対語] 奥山(おくやま)・深山(みやま)。」

 

とある。

 朝の嵐に桜も散ってしまったが、朝寝する夢の中ではまだ咲いている。

 言わずと知れた孟浩然の『春暁』の「夜来風雨声 花落知多少」の心だ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「外山」は山類。

 

三十五句目

 

   外山の花の又夢に咲

 日はながく雨のひらたに笘葺て  安信

 (日はながく雨のひらたに笘葺て外山の花の又夢に咲)

 

 「ひらた」は平田舟で、コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「舟べりを低く舟底を平たくつくった丈長の川舟。上代から近世まで貨客の輸送に用いた。時代・地域により種類が多い。」

 

とある。

 「苫(とま)」もコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「菅(すげ)や茅(かや)などを粗く編んだむしろ。和船や家屋を覆って雨露をしのぐのに用いる。」

 

とある。苫を葺いた小屋を備えたものもあった。江戸時代の河川の水運で活躍した。

 物流の滞ることなく、経済が繁栄し、外山に花も咲けば夢のような世界だ。

 

季語は「日はながく」で春。「雨」は降物。

 

挙句

 

   日はながく雨のひらたに笘葺て

 雁のなごりをまねくおのおの   菐言

 (日はながく雨のひらたに笘葺て雁のなごりをまねくおのおの)

 

 帰って行く雁に名残惜しくて、戻っておいでとみんなで手招きしている。春よ行かないで、ということで一巻は目出度く終了する。

 

季語は「雁のなごり」で春、鳥類。