「時節嘸」の巻、解説

延宝四年春

初表

 時節嘸伊賀の山ごえ華の雪    杉風

   身は爰元に霞武蔵野     桃青

 店賃の高き軒端に春も来て    桃青

   どうやらかうやら暮る年波  杉風

 発句脇されば名残の月寒し    杉風

   たそこい鐘は八ツか七つか

 

初裏

 寝苦敷例のつかえに夢覚て

   昨日の酒をとふほととぎす

 浮雲の消て跡なき扣帳

   親仁以来の山下風の風

 古郷の松ははびこる堺杭

   朱印を染て時雨降行

 探幽が筐の雲に残る月

   京橋渡る初雁の声

 伏見駕籠扨其比は秋の風

   かこひを亭に手枕の露

 一生はをごり気のなきわがおもひ

   世はうき物にかるうしてをく

 

 

二表

 はりぬきに都の辰巳山見えて

   ふのりをときし寺候な

 前髪に立名を包絹のきれ

   涙をむすぶ編笠の紐

 落らるる心の中ぞ哀なる

   まつかささまに岸の下露

 又独つづいてすすむ法師武者

   いさごを蹴たてて尻馬に鞭

 寐とぼけて夜深き月に旅衣

   三里ばかりの跡の朝霧

 追剥に扨もあぶなき野路の露

   うけて流いた太刀風の末

 

二裏

 吉岡の松にかかれる雲晴て

   雨や黒茶を染て行覧

 消残る手摺の幕の夕日影

   火縄の端の一二寸程

 何者か詠捨たる花の跡

   江戸にも上野国本の春

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 時節嘸伊賀の山ごえ華の雪    杉風

 

 「嘸」は「さぞ」と読む。時節的にはさぞかし伊賀の山を越えるのに相応しい時でしょう、桜の花が雪のように散ってます、という餞別の句になる。

 寛文十二年(一六七二年)春に江戸に出てきて四年が過ぎ、ここで一度伊賀に帰省することになる。時雨嘸とはあるものの、実際に帰省するのは六月になる。何らかの事情で延期されたのかもしれない。

 桜の花を雪に喩えるのは、

 

 み吉野の山辺に咲けるさくら花

     雪かとのみぞあやまたれける

              紀友則(古今集)

 

の歌がある。

 逆に雪を花に喩えるのは、

 

 春たてば花とや見らむ白雪の

     かかれる枝にうぐひすぞなく

              素性法師(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「華の雪」で春、植物、木類。「山」は山類。

 

 

   時節嘸伊賀の山ごえ華の雪

 身は爰元に霞武蔵野       桃青

 (時節嘸伊賀の山ごえ華の雪身は爰元に霞武蔵野)

 

 まだ自分は春の霞のかかる武蔵野にいます。せっかくの餞別の句ですが、もう少し爰に留まりますということか。

 花の雪に霞は、

 

 山高み霞をわけてちる花を

     雪とやよその人は見るらん

              よみ人しらず(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「霞(かすむ)」で春、聳物。「身」は人倫。「武蔵野」は名所。

 

第三

 

   身は爰元に霞武蔵野

 店賃の高き軒端に春も来て    桃青

 (店賃の高き軒端に春も来て身は爰元に霞武蔵野)

 

 昔も今も都会は家賃が高い。「店賃(たなちん)」は家賃のことで特にテナント料を意味するのではない。当時は借家人のことを「店子(たなこ)」と言った。

 ここは店賃の高い春の武蔵野(江戸の街)にいる、と発句の心を引きずらずに読む。

 

季語は「春」で春。「軒端」は居所。

 

四句目

 

   店賃の高き軒端に春も来て

 どうやらかうやら暮る年波    杉風

 (店賃の高き軒端に春も来てどうやらかうやら暮る年波)

 

 家賃の高い中で何とか今年も一年暮らすことができた。

 年波に春は、

 

 年波はけふこゆるぎと急ぎつつ

     春をあかしの浦によるかな

              藤原為忠(為忠家初度百首)

 

の歌がある。

 

季語は「暮る年波」で冬。

 

五句目

 

   どうやらかうやら暮る年波

 発句脇されば名残の月寒し    杉風

 (発句脇されば名残の月寒しどうやらかうやら暮る年波)

 

 俳諧の世界に身を投じて、発句脇と案じているうちに今年も名残の月になってしまった。懐紙の名残と一年の終わりとを掛けて言う。

 冬の月は、

 

 冬枯れのすさましげなる山里に

     月のすむこそあはれなりけれ

              西行法師(山家集、夫木抄)

 木枯らしの吹きすくめたる冬の夜に

     月見て寒き我がすがたかな

              藤原信実(夫木抄)

 

などの歌がある。

 

季語は「月寒し」で冬、夜分、天象。

 

六句目

 

   発句脇されば名残の月寒し

 たそこい鐘は八ツか七つか

 (発句脇されば名残の月寒したそこい鐘は八ツか七つか)

 

 ここから先は作者名が記されてないが、順番からいって桃青だろう。

 不定時法で鐘八つは冬だと二時過ぎ、七つは四時過ぎ。ここでは月があるので午前になる。

 「たそこい」は「誰そ来い」。「そ」は強調の「ぞ」で「誰か来い」の意味。

 「八ッか」というのは、俳諧百韻は初、二、三、名残の四枚の懐紙の表裏に月の句一句だから八つの月が必要というもう一つの意味がある。百韻興行が長引いてもうすぐ夜も明けてしまう。名残の月をこぼして七つにするつもりか、誰か早くうまく付けてくれ、というもう一つの意味がなる。

 

無季。「た(誰)」は人倫。

初裏

七句目

 

   たそこい鐘は八ツか七つか

 寝苦敷例のつかえに夢覚て

 (寝苦敷例のつかえに夢覚てたそこい鐘は八ツか七つか)

 

 順番からすると桃青の番。

 「寝苦敷」は「ねぐるしき」。胸のつかえが明け方とかに急に起こるのは、消化器系ではなく心臓疾患が疑われる。とにかく誰か来てくれ。

 鐘に夢覚めては、

 

 嵐吹くみ山の庵に夢さめて

     長き夜のこる鐘の音かな

              九条道家(洞院摂政家百首)

 

などの歌がある。

 

無季。

 

八句目

 

   寝苦敷例のつかえに夢覚て

 昨日の酒をとふほととぎす

 (寝苦敷例のつかえに夢覚て昨日の酒をとふほととぎす)

 

 順番からすると杉風の番。

 ここでは酒のせいになる。昨日の酒で思い当たるなら胸焼けだろう。逆流性食道炎かもしれない。

 ホトトギスは口の中が赤く、蜀が秦によって滅ぼされてしまったことを悲しみ、「不如帰去」と血を吐くまで鳴いたという伝説がある。それくらい胸焼けが苦しい。

 ホトトギスに夢は、

 

 ほとときす夢かうつつかあさつゆの

     おきて別れし暁のこゑ

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

九句目

 

   昨日の酒をとふほととぎす

 浮雲の消て跡なき扣帳

 (浮雲の消て跡なき扣帳昨日の酒をとふほととぎす)

 

 順番からすると桃青の番。

 浮雲というと、

 

   百首歌の中に、恋のこころを

 我が恋は逢ふをかぎりのたのみだに

     行方もしらぬ空のうき雲

              源通具(新古今集)

 うき雲の風にまかする大空の

     行くへもしらぬはてぞ悲しき

              式子内親王(式子内親王集)

 

といった歌がある。

 売った酒の数を控えておく控え帳がなくなってしまったので、付けを取り立てることができない。昨日の酒はどのくらいだったっけとホトトギスに問うが、ホトトギスは何と言ったか。

 

無季。「浮雲」は聳物。

 

十句目

 

   浮雲の消て跡なき扣帳

 親仁以来の山下風の風

 (浮雲の消て跡なき扣帳親仁以来の山下風の風)

 

 順番からすると杉風の番。

 「親仁」は「おやぢ」、「山下風」は「やまおろし」と読む。

 江戸時代の農地山林は基本的に幕府の物で、事実上の共有地(コモンズ)だった。多分エンクロージャー以前のヨーロッパも似たようなもんだろう。町人地については土地使用権の売買が盛んに行われたが、山林はコモンズで植林した木に関しては所有権が認められていた。

 「親仁以来の山」は植林した木に関する権利ではないかと思う。その証文がなくなってしまえば、木を切って売ることができなくなる。ひゅーーーと山颪の風が吹く。

 

 うかりける人を初瀬の山おろしよ

     はげしかれとは祈らぬものを

              源俊頼(千載集)

 

ということになる。

 すべての土地に所有権が確定したのは明治六年の地租改正の時で、共有地を失った農民の一揆が多発した。

 浮雲に山おろしは、

 

 浮雲のひとむらすぐる山おろしに

     雪ふきまぜて霰ふるなり

              二条為世(玉葉集)

 

の歌がある。

 

無季。「親仁」は人倫。「山下風」は山類。

 

十一句目

 

   親仁以来の山下風の風

 古郷の松ははびこる堺杭

 (古郷の松ははびこる堺杭親仁以来の山下風の風)

 

 順番からすると桃青の番。

 堺杭は所領の境界を示す石杭と思われる。改易によって領地が没収され分割されたか。

 故郷の松は、

 

 浅茅生にあれにけれどもふるさとの

     松はこだかくなりにけるかな

              藤原伊周(後拾遺集)

 ふるさとへ我はかへりぬ武隈の

     まつとは誰につげよとかおもふ

              橘為仲(詞花集)

 

などの歌がある。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

十二句目

 

   古郷の松ははびこる堺杭

 朱印を染て時雨降行

 (古郷の松ははびこる堺杭朱印を染て時雨降行)

 

 順番からすると杉風の番。

 朱印というと学校で習った御朱印貿易のイメージが強いが、別に貿易に限ったものではない。朱印状(しゅいんじょう)とは、日本において(花押の代わりに)朱印が押された公的文書(印判状)のことである。ウィキペディアに、

 

 「主に戦国時代から江戸時代にかけて戦国大名・藩主や将軍により発給された。

 特に、江戸時代において将軍が公家・武家・寺社の所領を確定させる際に発給したものは、領地朱印状とも呼ばれる。」

 

 この場合は領地朱印状であろう。時雨というと紅葉を染めることが古来和歌に詠まれている。

 

 龍田川もみぢ葉ながる神奈備の

     三室の山に時雨降るらし

              よみ人しらず(古今集)

 白露も時雨もいたくもる山は

     下葉のこらず色づきにけり

              紀貫之(古今集)

 

など、秋に詠む時雨もある。

 新たに定められた所領の境界線の朱印は時雨に赤々と染まる。

 なお、、

 

 わが恋は松を時雨の染めかねて

     真葛が原に風さわぐなり

              慈円(新古今集)

 

の歌のように、松は時雨に染まらないものとして詠まれる。

 

季語は「時雨」で冬、降物。

 

十三句目

 

   朱印を染て時雨降行

 探幽が筐の雲に残る月

 (探幽が筐の雲に残る月朱印を染て時雨降行)

 

 順番からすると桃青の番。

 「筐」は「かたみ」と読む。前句の朱印を絵に押す落款とする。狩野探幽は延宝二年十月七日に死去した。遺作はたくさんあったというから、そのなかに「雲に残る月」の絵があってもおかしくなさそうだ。時雨の季節に亡くなっているので、落款の朱印が時雨の涙で染めたようだ。

 時雨に残る月は、

 

 今よりは木の葉隠れもなけれども

     時雨に残る村雲の月

              源具親(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「雲」は聳物。

 

十四句目

 

   探幽が筐の雲に残る月

 京橋渡る初雁の声

 (探幽が筐の雲に残る月京橋渡る初雁の声)

 

 順番からすると杉風の番。

 狩野探幽はウィキペディアに、

 

 「慶長17年(1612年)、駿府で徳川家康に謁見し、元和3年(1617年)、江戸幕府の御用絵師となり、元和7年(1621年)には江戸城鍛冶橋門外に屋敷を得て、本拠を江戸に移した。」

 

 「元和9年(1623年)、狩野宗家を嫡流・貞信の養子として末弟・安信に継がせて、自身は鍛冶橋狩野家を興した。」

 

とある。

 鍛冶橋から西方浄土のある西へ渡ろうとすれば、まず京橋の上を通ることになる。あとは月に雁の縁で作る。

 初雁に月は、

 

 初雁の鳴きわたりぬる雲間より

     名残おほくてあくる月影

              紀友則(新拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「初雁」で秋、鳥類。

 

十五句目

 

   京橋渡る初雁の声

 伏見駕籠扨其比は秋の風

 (伏見駕籠扨其比は秋の風京橋渡る初雁の声)

 

 順番からすると桃青の番。

 京都伏見にも京橋がある。京都観光オフィシャルサイト「京都観光Navi」に、

 

 「橋下の流れは宇治川に注ぎ、淀川に通じている。

 淀川の水運は、古くは京・大阪を結び、また琵琶湖を経て、遠く東海道・北陸とも連絡する交通上の大動脈であったが、慶長年間(1596~1615)、角倉了以(すみのくらりょうい)が京都市中と伏見との間に高瀬川を開削するに及んで、この付近は旅人や貨物を輸送する船着場として大いに栄えた。」

 

とある。

 初雁に秋の風は、

 

 秋風にはつかりがねぞ聞ゆなる

     誰がたまづさをかけて来つらむ

              紀友則(古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋の風」で秋。「伏見」は名所。

 

十六句目

 

   伏見駕籠扨其比は秋の風

 かこひを亭に手枕の露

 (伏見駕籠扨其比は秋の風かこひを亭に手枕の露)

 

 順番からすると杉風の番。

 伏見のような港町で遊郭はあるものの、この時代は寂れていた。「名月の」の巻十三句目に、

 

   軽ふ着こなすあらひかたびら

 伏見まで行にも足袋の底ぬきて  芭蕉

 

とあり、伏見の撞木(しゅもく)町には遊郭があったが規模も小さく高級な遊女がいるわけでもなく、京のあまり金のない男が徒歩で遊びに行くようなところだった。

 逆に寂れたところだから、女を囲うにはちょうど良かったのだろう。

 手枕に秋風は、

 

 明方になるや秋風たちそめて

     いささかすずし夏の手枕

              藤原定家(拾遺愚草員外)

 

などの歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。「亭」は居所。

 

十七句目

 

   かこひを亭に手枕の露

 一生はをごり気のなきわがおもひ

 (一生はをごり気のなきわがおもひかこひを亭に手枕の露)

 

 順番からすると桃青の番。

 驕ることない我が思いというが、女を囲っておいてという気もするが。

 

無季。恋。

 

十八句目

 

   一生はをごり気のなきわがおもひ

 世はうき物にかるうしてをく

 (一生はをごり気のなきわがおもひ世はうき物にかるうしてをく)

 

 順番からすると杉風の番。

 世は憂きものであるとともに浮かれたものなので、思いも軽くしておく。

 

無季。

二表

十九句目

 

   世はうき物にかるうしてをく

 はりぬきに都の辰巳山見えて

 (はりぬきに都の辰巳山見えて世はうき物にかるうしてをく)

 

 順番からすると杉風の番。

 都の辰巳は、

 

 わが庵は都のたつみしかぞ住む

     世をうぢ山と人はいふなり

              喜撰法師(古今集)

 

で、「はりぬき」は張り子のこと。芝居のセットか。

 

無季。「山」は山類。

 

二十句目

 

   はりぬきに都の辰巳山見えて

 ふのりをときし寺候な

 (はりぬきに都の辰巳山見えてふのりをときし寺候な)

 

 順番からすると桃青の番。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、謡曲『頼政』の、

 

 「向ひに見えたる寺は、いかさま慧心の僧都の、御法を説きし寺候な。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.17561-17564). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

の一節を引いている。「寺候な」は謡曲の言葉で、謡曲の言葉の使用は延宝三年の両吟二百吟に多く見られる。

 張り子の宇治山にふのりを溶いた寺と付けるが、「のりをとき」は「法を説」と掛け詞になる。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   ふのりをときし寺候な

 前髪に立名を包絹のきれ

 (前髪に立名を包絹のきれふのりをときし寺候な)

 

 順番からすると杉風の番。

 お寺から稚児ネタへと展開する。稚児の前髪を絹の布で隠し稚児との間に立った浮名も隠す。寺小姓は稚児髷ではなく、前髪のある髪型だった。

 

無季。恋。

 

二十二句目

 

   前髪に立名を包絹のきれ

 涙をむすぶ編笠の紐

 (前髪に立名を包絹のきれ涙をむすぶ編笠の紐)

 

 順番からすると桃青の番。

 編笠の紐を結ぶというのは、浮名を晴らすため旅に出るということか。

 

無季。恋。「編笠」は衣裳。

 

二十三句目

 

   涙をむすぶ編笠の紐

 落らるる心の中ぞ哀なる

 (落らるる心の中ぞ哀なる涙をむすぶ編笠の紐)

 

 順番からすると杉風の番。

 落ち武者の身分を隠して編笠を被る。

 

無季。

 

二十四句目

 

   落らるる心の中ぞ哀なる

 まつかささまに岸の下露

 (落らるる心の中ぞ哀なるまつかささまに岸の下露)

 

 順番からすると桃青の番。

 前句の「落らるる」を海に落ちるとする。

 

無季。「岸の下露」は川や海の水のことなので無季として扱ったか。「岸」は水辺。

 

二十五句目

 

   まつかささまに岸の下露

 又独つづいてすすむ法師武者

 (又独つづいてすすむ法師武者まつかささまに岸の下露)

 

 順番からすると杉風の番。

 法師武者は僧兵のこと。『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「宇治川合戦の一来法師」とある。三井寺の僧兵の五智院但馬、浄妙明秀、一来法師が一人づつ橋の上に歩み出て大立ち回りを演じ、敵の兵を橋から叩き落して行く。

 ただ、この戦いで一来法師は討ち死にすることになる。

 

無季。「法師武者」は人倫。

 

二十六句目

 

   又独つづいてすすむ法師武者

 いさごを蹴たてて尻馬に鞭

 (又独つづいてすすむ法師武者いさごを蹴たてて尻馬に鞭)

 

 順番からすると桃青の番。

 一人また一人、後ろ足で砂をかけるように人の尻馬に乗って走り去る。法師武者は馬に乗れないということか。

 

無季。「馬」は獣類。

 

二十七句目

 

   いさごを蹴たてて尻馬に鞭

 寐とぼけて夜深き月に旅衣

 (寐とぼけて夜深き月に旅衣いさごを蹴たてて尻馬に鞭)

 

 順番からすると杉風の番。

 寝たふりをして夜のうちに旅立つ。

 

季語は「夜深き月」で秋、夜分、天象。旅体。「旅衣」は衣裳。

 

二十八句目

 

   寐とぼけて夜深き月に旅衣

 三里ばかりの跡の朝霧

 (寐とぼけて夜深き月に旅衣三里ばかりの跡の朝霧)

 

 順番からすると桃青の番。

 朝になるまで三里進んだ。

 

 あかしがた島に朝霧ほのぼのと

     漕ぎ行く舟の跡をしぞ思ふ

              慈円(正治後度百首)

 

の歌もある。

 

季語は「朝霧」で秋、聳物。旅体。

 

二十九句目

 

   三里ばかりの跡の朝霧

 追剥に扨もあぶなき野路の露

 (追剥に扨もあぶなき野路の露三里ばかりの跡の朝霧)

 

 順番からすると杉風の番。

 霧の道が三里も続くのは危険だ。追剥にあえば野路の露ともなりかねない。

 野路の露は和歌ならば「道芝の露」であろう。

 

 故郷をこふる涙やひとり行く

     ともなき山の道芝の露

              慈円(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。「追剥」は人倫。

 

三十句目

 

   追剥に扨もあぶなき野路の露

 うけて流いた太刀風の末

 (追剥に扨もあぶなき野路の露うけて流いた太刀風の末)

 

 順番からすると桃青の番。

 「流いた」は「流した」のい音便化か。

 追剥とのチャンバラとする。

 露に風の末は、

 

 定めなき人のうき世もよそならじ

     風の末なる野辺の白露

              藤原為家(新千載集)

 

の歌がある。

 

無季。

二裏

三十一句目

 

   うけて流いた太刀風の末

 吉岡の松にかかれる雲晴て

 (吉岡の松にかかれる雲晴てうけて流いた太刀風の末)

 

 順番からすると桃青の番。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「京都北郊の一乗寺下り松。吉岡憲法と宮本武蔵との果し合いの場。」とある。

 

 雲晴れてのちもしぐるる柴の戸や

     山風はらふ松の下露

              藤原隆信(新古今集)

 

の歌がある。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

三十二句目

 

   吉岡の松にかかれる雲晴て

 雨や黒茶を染て行覧

 (吉岡の松にかかれる雲晴て雨や黒茶を染て行覧)

 

 順番からすると杉風の番。

 黒茶はコトバンクの「色名がわかる辞典の解説」に、

 

 「色名の一つ。JISの色彩規格では「黄赤みの黒」としている。一般に、黒みがかった茶色のこと。焦茶(こげちゃ)や憲房色(けんぼういろ)よりも黒みが強い。安土桃山時代からあった名称とされるが、流行したのは江戸時代。おもに着物の色に用いられた。現代ではビル壁や床材の塗装にもみられる。黒みの程度に幅があり、それによって茶系統にも黒系統にも見える。」

 

とある。憲房色(けんぼういろ)と吉岡憲法(よしおかけんぼう)の縁。

 雨が降ると辺りは黒茶に染まる。

 

無季。「雨」は降物。

 

三十三句目

 

   雨や黒茶を染て行覧

 消残る手摺の幕の夕日影

 (消残る手摺の幕の夕日影雨や黒茶を染て行覧)

 

 順番からすると桃青の番。

 「手摺(てすり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「② (「てずり」「ですり」とも) 人形芝居の舞台前面に、人形遣いの腰から下を隠すために設けたしきり。舞台から客席まで三段にしきられ奥から(現在では手前から)一の手(本手)・二の手・三の手と呼ぶ。

  ※俳諧・芭蕉真蹟懐紙‐時節嘸歌仙(1676)「雨や黒茶を染て行覧〈芭蕉〉 消残る手摺の幕の夕日影〈杉風〉」

  ※随筆・本朝世事談綺(1733)三「辰松は人形に手練し、上下を着し、手摺(デスリ)をはなれて」

 

とある。

 手摺の幕は夕陽の色だが、雨の場面になると黒茶の布をかぶせたか。

 

無季。「夕日影」は天象。

 

三十四句目

 

   消残る手摺の幕の夕日影

 火縄の端の一二寸程

 (消残る手摺の幕の夕日影火縄の端の一二寸程)

 

 順番からすると杉風の番。

 「火縄」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 竹の繊維や檜(ひのき)の皮または木綿糸を縄に綯(な)って、それに硝石を吸収させたもの。火持がよいので、火をつけておいて、火縄銃やタバコに火をつけるために用いた。〔日葡辞書(1603‐04)〕」

 

とある。また、「火縄売」は、

 

 「〘名〙 芝居小屋などで、見物人のタバコの火用として、火縄を売り歩いた者。火縄を売るほかに、役者の出入りに声をかけたり、浄瑠璃所作事の合いの手にその役者をほめたり、また、こんだ時には客の整理などもしたという。〔劇場新話(1804‐09頃)〕

  ※談義本・根無草(1763‐69)後「仕切場・留場〈略〉火縄売・衣目立ち鬢光り、勢ひ猛に声高し」

 

とある。

 前句の「消残る」から「火縄の端の一二寸程消残る」とする。

 

無季。

 

三十五句目

 

   火縄の端の一二寸程

 何者か詠捨たる花の跡

 (何者か詠捨たる花の跡火縄の端の一二寸程)

 

 順番からすると桃青の番。

 花見に来て煙草の火縄を捨てていくやつがいたのか。煙管だから吸い殻はないが、火縄のポイ捨てとは喫煙者のマナーが問われる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「何者」は人倫。

 

挙句

 

   何者か詠捨たる花の跡

 江戸にも上野国本の春

 (何者か詠捨たる花の跡江戸にも上野国本の春)

 

 順番からすると杉風の番。

 国本(くにもと)は故郷のこと。発句の「時節嘸伊賀の山ごえ」に呼応する形になる。

 伊賀にも伊賀上野があるが、江戸にも花の名所寛永寺のある上野がある。だったら江戸の上野も故郷ということでいいじゃないか、ということで一巻は目出度く終わる。

 

季語は「春」で春。