三表

宗祇独吟何人百韻、五十一句目

   苔に幾重の霜の衣手

 起き居つつ身を打ち侘ぶる冬の夜に 宗祇

 (起き居つつ身を打ち侘ぶる冬の夜に苔に幾重の霜の衣手)

 

 宗牧注:聞えたる体也

 周桂注:きこえたるままなるべし。

 

 「侘び」というのは下がることをいう。気持ちが下がること、身分の下がること、頭の下がることなど、多義に用いられる。「打ち」という接頭語は急にということだが、中世だと必ずしも特に意味なく用いられたという。この場合も単に気分が沈みこむという意味で「打ち」に特に意味はなさそうだ。

 何か悩みがあってなかなか眠れなかったのだろう。

式目分析

季語:「冬の夜に」で冬、夜分。その他:「身」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、五十二句目

   起き居つつ身を打ち侘ぶる冬の夜に

 月寒くなる有明の空     宗祇

 (起き居つつ身を打ち侘ぶる冬の夜に月寒くなる有明の空)

 

 宗牧注:おもしろき句がら也。

 周桂注:かどもなき句也。寄特なりとぞ。

 

 「寒月」という言葉は漢詩からきたのかと思ったが、検索してみるとなかなか「寒月」という言葉のある詩が出てこない。やっと見つかったのは李白の「望月有懐」という詩で「寒月揺清波」という句が含まれている。

 「寒月」という言葉が盛んに用いられるようになったのは江戸時代中期以降、蕪村の時代の俳諧からではないかと思う。

 本来は冬の月を表現するのに、「月」という秋の季語に「寒し」という冬の季語を組み合わせて用いるところから来た言葉だろう。この句のように。

 気分が沈んで眠れない夜もやがて空は白み、有明になる頃には月も寒くなる。

式目分析

季語:「月寒く」で冬、夜分、光物。

宗祇独吟何人百韻、五十三句目

   月寒くなる有明の空

 蘆田鶴もうきふししるく音に立てて 宗祇

 (蘆田鶴もうきふししるく音に立てて月寒くなる有明の空)

 

 宗牧注:寒夜のうきふしを、有明の月に零(たづ)の音に立て鳴をあはれみたる句也。

 周桂注:時分の体也。

 

 「蘆田鶴」は鶴のこと。単に「田鶴」ともいう。本土では鶴は冬鳥だが、鶴が冬の季語になったのは近代のことで、それ以前は秋から春に掛けて広く詠まれていた。また、しばしばコウノトリと混同されたためか、夏に詠まれることもあった。「霜」「冬の夜」「月寒く」と冬の句が三句続いたので、ここで冬の句は出せない。

 「うきふし」は「憂き節」で「蘆」と「節」は縁語になる。「しるく」ははっきりとという意味。

 ところで、何で「零」という字を「たづ」と読むのかはよくわからない。ひょっとして「零(おつ)る」から来た駄洒落か。

式目分析

季語:なし。その他:「蘆田鶴」は鳥類。

宗祇独吟何人百韻、五十四句目

   蘆田鶴もうきふししるく音に立てて

 心ごころにさわぐ浪風    宗祇

 (蘆田鶴もうきふししるく音に立てて心ごころにさわぐ浪風)

 

 宗牧注:浪風のさはぎを、零(たづ)の心にもうきふしにしたる也。

 周桂注:波風のさはぎを、たづもうしとこそ思ふらめと也。

 

 鶴が何を憂きとするのかという所で波風を付ける。

式目分析

季語:なし。その他:「浪風」は水辺の用。

宗祇独吟何人百韻、五十五句目

   心ごころにさわぐ浪風

 山川も君による世をいつか見む 宗祇

 (山川も君による世をいつか見む心ごころにさわぐ浪風)

 

 宗牧注:川の字すみてよむべし。此川の字を可用(もちゆべき)也。

 周桂注:一天下君になびくやうにあらまほしき也。

 

 「山河」だと「さんが」だが「山川」だと「やまかわ」になる。

 前句の「さわぐ浪風」を応仁の乱後の乱れきった戦国の世のこととし、王朝時代の平和な時代をなつかしむ。

 「君」は単に主君のことを表したり、女性が主人のことを呼ぶのに用いたりもするが、ここでは天皇のことと思われる。

 王朝時代が廃れ、政治の実権が武家に移ることを以って中世の人は「乱世」と呼んだ。王朝時代は記憶の中で次第に美化され、失われた黄金時代の理想郷と化してゆく。

 元禄時代の、

 

 日の道や葵傾く五月雨    芭蕉

 

の句も、徳川幕府が五月雨の雲の向こうの見えない天道(天皇の道)に傾くことを詠んでいる。こうした失われた王朝時代への憧れは、やがて江戸後期になると一君万民の世に戻そうという運動につながり、明治の王政復古へと引き継がれてゆく。

 「応仁二年心敬独吟山何百韻」にも、

 

   治れとのミいのる君が代

 神の為道ある時やなびくらん 心敬

 

の句がある。これもまた応仁の乱で乱れた世を憂いての句だろう。

式目分析

季語:なし。その他:「山川」は山類の体、水辺の体。「君」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、五十六句目

   山川も君による世をいつか見む

 危き国や民もくるしき    宗祇

 (山川も君による世をいつか見む危き国や民もくるしき)

 

 宗牧注:山川も君になびく治世を民も悦べし。いかなる無心の民も、危き国をバくるしと思はんと也。乱邦不在危邦不入と云り。

 周桂注:無心なる民も国のあやうきをばくるしむ物也。

 

 「乱邦不在危邦不入」は『論語』泰伯の「危邦不入、亂邦不居」のことと思われる。このあと「天下道あれば則ち見れ、道なければ則ち隠る。」と続く。これは君子の振る舞いを言うもので、危険な国に入ってはいけない、乱れた国には住んではいけない、天下に道あれば政治の世界に颯爽として現れ、道なければ隠れて隠士になれ、というもの。世が治まれば自ずと天皇はふたたび政治の中心におさまり、乱れた世では表に出ることなくひっそりと暮らすという意味か。

 江戸後期から幕末の議論は、王政を復活させるというほうばかりが先走り、却って幕末の戦乱を引き起こしたが、中世から芭蕉の時代までは、世が治まれば自ずと君に寄ることになる、というふうに考えられていたのだろう。

 「無心なる民」というのは「有心」に対しての「無心」で、無学の民でもというような意味。国が乱れれば無心であろうが有心であろうが苦しいことには変わりない。

 通常の興行ではなかなかこういう政治的な発言は出来ない所、独吟だからこそこれを入れたかったのだろう。心敬の独吟と同様に。

式目分析

季語:なし。その他:「民」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、五十七句目

   危き国や民もくるしき

 植ゑしよりたのみを露に秋かけて 宗祇

 (植ゑしよりたのみを露に秋かけて危き国や民もくるしき)

 

 宗牧注:青苗をうへ付て、熟不熟をあやぶむ民の心也。

 周桂注:(なし)

 

 これは「て」止めなので、後ろ付けに読んだ方がいいのだろう。危うき国で民も苦しいので、今年こそは作物がちゃんと実ってくれと、田植えの頃より頼みの露を掛けて秋の豊作を祈る。

 前句の「危うき」を戦乱ではなく飢饉のせいだとする。

式目分析

季語:「露」で秋、降物。「秋」も秋。

宗祇独吟何人百韻、五十八句目

   植ゑしよりたのみを露に秋かけて

 かりほの小萩かつ散るも惜し 宗祇

 (植ゑしよりたのみを露に秋かけてかりほの小萩かつ散るも惜し)

 

 宗牧注:小萩を植しよりの心に取なせり。

 周桂注:小萩うへたるかりほなるべし。秋の田のかりほの宿の匂ふまでさける秋萩みれどあかぬかも。

 

 前句を稲ではなく萩を植えた人のこととする。萩と露は縁があり、萩の露を詠んだ古歌は多数ある。萩の花の散る儚さと消えて行く朝露の儚さは相響き合う。

 周桂が引用しているのは、

 

 秋田刈る刈廬の宿りにほふまで

     咲ける秋萩見れど飽かぬかも

        詠み人知らず(万葉集、巻十、二一〇〇)

式目分析

季語:「小萩」で秋、植物、草類。

宗祇独吟何人百韻、五十九句目

   かりほの小萩かつ散るも惜し

 衣擣つ夕べすぐすな雁の声    宗祇

 (衣擣つ夕べすぐすな雁の声かりほの小萩かつ散るも惜し)

 

 宗牧注:鳴渡雁の泪や落るらん物思ふ宿の萩の上のつゆ。衣擣にて、かりほをかかへたる也。

 周桂注:衣うつかり庵なるべし。夕すぐすなにて、かつちるもおしと付たる也。

 

 宗牧が引用している和歌は、

 

 鳴きわたる雁のなみだや落ちつらむ

     物思ふ宿の萩のうへの露

            詠み人知らず(古今集)

 

 萩と雁の声に縁があるだけでなく、和歌として上句から読み下した時、「雁の声」から「かりほ」が導き出される。

 「すぐす」はこの場合やり過ごすという意味。衣打つ夕べには雁も鳴いてくれ、かりほの小萩が散る、と付く。

式目分析

季語:「衣擣つ」で秋。「雁」も秋、鳥類。

宗祇独吟何人百韻、六十句目

   衣擣つ夕べすぐすな雁の声

 むなしき月を恨みてやねん  宗祇

 (衣擣つ夕べすぐすな雁の声むなしき月を恨みてやねん)

 

 宗牧注:付所、雁の不来ハむなしきゆふべならんと也。一句ハ恋也。

 周桂注:雁がなかずバむなしき月也。一句ハ独寝ハむなしき也。

 

 雁の声をすぐせば、つまり雁が鳴かなかったなら、月に友となるものが何もないまま恨んで寝ることになる。月に雁というと江戸時代の歌川広重の絵が有名だが、

 

 白雲に羽うちかはし飛ぶ雁の

     かずさへ見ゆる秋の夜の月

            詠み人知らず(古今集)

 

から来ている。

 月に雁がないように、自分にも共に過ごす友のない、空しく一人寝る、となる。

式目分析

季語:月で秋、夜分、光物。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、六十一句目

   むなしき月を恨みてやねん

 問はぬ夜の心やりつる雨晴れて 宗祇

 (問はぬ夜の心やりつる雨晴れてむなしき月を恨みてやねん)

 

 宗牧注:月夜にハこぬ人またるかきくらし雨もふらなむ侘つつもねん、といへる心を下に持て、人もとはぬをなぐさみてゐたる夜の雨晴て、月の面白に、とはぬ心を恨出て、恨てやねんと仕立られたる句也。妙不思議の句なり。

 周桂注:月夜にハこぬ人またるかきくもり雨もふらなんわびつつもねん。雨はれてとはぬを、むなしき月とうらみたる心也。

 

 引用されている歌は、

 

 月夜には来ぬ人待たるかきくもり

      雨も降らなむわびつつも寝む

             詠み人知らず(古今集)

 

 「心やり」は思いを外へ吐き出すこと。男の問うてこないもやもやを晴らそうと、それを雨にぶつけていたのに、その雨も上がってしまい、やり場のない思いだけが月への恨みとして残ってしまう。

式目分析

季語:なし。その他:恋。「夜」は夜分。「雨」は降物。

宗祇独吟何人百韻、六十二句目

   問はぬ夜の心やりつる雨晴れて

 身を知るにさへ人ぞ猶うき   宗祇

 (問はぬ夜の心やりつる雨晴れて身を知るにさへ人ぞ猶うき)

 

 宗牧注:とはれじのうき身ぞと分別してさへ人ハ猶うきと思ふ也。

 周桂注:身をしる雨也。

 

 雨のせいにして鬱憤を晴らしていたけど、雨が上がっても猶来なければ、結局自分の身の問題に跳ね返ってくる。別に自分に落ち度があったとかそういうのではなく、要は身分の問題ということなのだろう。

式目分析

季語:なし。その他:恋。「身」「人」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、六十三句目

   身を知るにさへ人ぞ猶うき

 忘れねといひしをいかに聞きつらん 宗祇

 (忘れねといひしをいかに聞きつらん身を知るにさへ人ぞ猶うき)

 

 宗牧注:わすれねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらきものにやハあらぬ。君にわすれよといひしは、我身のうきをのべていへるに、君ハ正直に忘たる也。それを忘よといふは、我思ひを卑下なるを、何とききてわするるぞといふ心なり。

 周桂注:忘ねといひしにかなふ君なれどとハぬハつらき物にぞありける。真実忘よとにハあらぬを、いかがききつらんと、人ぞ猶うきと也。我身のようなきたはぶれ事をいひたるを、身をしるにさへと付たる心なるべし。

 

 景色の句のときの注釈は短いが、恋の句となると注釈は長くなる。王朝時代の恋はそれだけ、戦国の武家社会の人にはわかりにくいことだったのだろう。

 「忘れね」は「忘れてくれ」という意味。要するに別れようという意味。

 これは男が別れ話を切り出したのではない。男は来なくなればそれが自然と別れになる。女のほうから、自分の身分のつりあわないのを卑下して「忘れてください」と言ってはみたものの、本当に来なくなるとやはり辛いもの。「忘れられないんだ、身分なんか関係ない」って言ってほしかったのに、というところか。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、六十四句目

   忘れねといひしをいかに聞きつらん

 風の便もかくやたゆべき     宗祇

 (忘れねといひしをいかに聞きつらん風の便もかくやたゆべき)

 

 宗牧注:儀なし。

 周桂注:虚空なる風のたより、それさへたえたる心也。

 

 これはまた簡潔な注で、まあ、恋離れの逃げ句だからか。

 風の便りは今でも時折用いる「風の噂」のようなもの。

 風というと『詩経』大序を読んだときに、「言之者無罪、聞之者足以戒。故曰風。(これを言うものには罪はなく、これを聞くものを戒めることもない。それゆえ風という。)」という言葉があったが、風は誰が言うともなく世間に広がるものを言い、風聞だとか風評だとかいう言葉は今でも使う。

 「忘れて」と言ったあの時の言葉をあの人がどう受け止めたかはもはや知るよしもない。風の噂にも聞こえてこないから、と付く。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

三裏

宗祇独吟何人百韻、六十五句目

   風の便もかくやたゆべき

 花ははや散るさへ稀の暮れ毎に  宗祇

 (花ははや散るさへ稀の暮れ毎に風の便もかくやたゆべき)

 

 宗牧注:悉落ちつくしたる花の跡にて、毎夕ちらしたる風の便さへ、かくハ絶べきかと恨たる也。

 周桂注:花のちるハ悲しけれど、それさへまれに、散つくしたる体也。

 

 「風の便り」は比喩で噂という意味だが、その「風」を桜を散らす春風に掛けて、花の句に展開する。

 花は散り、その散る花びらすらもはや日に日に稀になってゆく。風が届けてくれる便りもこの花びらのように、こうやって絶えて行くのだろう。

式目分析

季語:花で春、植物、木類。

宗祇独吟何人百韻、六十六句目

   花ははや散るさへ稀の暮れ毎に

 日ながきのみや古郷の春     宗祇

 (花ははや散るさへ稀の暮れ毎に日ながきのみや古郷の春)

 

 宗牧注:春の物とてハ、只永日ばかり也、となり。花はちり果ての心なり。

 周桂注:花の後の古郷、何の興もなき所也。日ながき計古郷の所作也。

 

 散る花も稀になるにつれて、日もどんどん長くなる。都なら花が散ってもいろいろ楽しいこともあるものを、鄙びた里の退屈さということか。

式目分析

季語:「日ながき」で春。「春」も春。その他:「古郷」は居所の体。

宗祇独吟何人百韻、六十七句目

   日ながきのみや古郷の春

 糸遊の有りなしを只我が世にて  宗祇

 (糸遊の有りなしを只我が世にて日ながきのみや古郷の春)

 

 宗牧注:糸遊ハ有かと思へば、更に形ハなきもの也。又なき物かと思へば、空に見ゆる物也。われらが生涯如此と也。永きといふより、糸遊を思ひよられたるなるべし。

 周桂注:あるかなきかの古郷の体也。

 

 「我が世」は宗牧注によれば「われらが生涯」で、それは陽炎のように有るのか無いのか分からないような頼りないものだ。周桂はそれを都落ちして古郷で暮らす境遇に結びつける。

式目分析

季語:「糸遊」で春。その他:「我」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、六十八句目

   糸遊の有りなしを只我が世にて

 霞にかかる海士の釣舟      宗祇

 (糸遊の有りなしを只我が世にて霞にかかる海士の釣舟)

 

 宗牧注:糸遊より蜑(あま)の釣舟ハ出たり、釣の糸の心也。ありなしとハ、霞にうかびたる浜舟の体也。

 周桂注:つりの糸にとりなせり。霞に釣の糸のありなしを見わかぬ心也。

 

 「糸」に「釣」は縁語になる。我が生涯の有るか無いか分からないような存在の希薄を、霞の彼方に消えてゆく海士の釣舟に喩える。

式目分析

季語:「霞み」で春、聳物。その他:「海士の釣舟」は水辺の用。

宗祇独吟何人百韻、六十九句目

   霞にかかる海士の釣舟

 詠めせん月なまたれそ浪の上   宗祇

 (詠めせん月なまたれそ浪の上霞にかかる海士の釣舟)

 

 宗牧注:詠(ながめ)よと思はでしもや帰(かへる)らん月待浦のあまの釣舟。囗月とおなじく詠せんと也。月なまたれそとなるべし。

 周桂注:ながめよとおもはでしもや帰るらん月まつ浪のあまの釣舟。

 

 本歌は、

 

   熊野へ詣で侍りしついでに

   切目宿にて海邊眺望といふ心を

   男どもつかうまつりしに

 ながめよと思はでしもや歸るらむ

     月待つ波の蜑の釣舟

         源具親(みなもとのともちか、新古今集)

 

 別に眺めてくれと思って狙って帰ってくるわけではないのだが、月の出とともに、月に照らされながら帰ってくる海士の釣舟は風情がある。この歌の心を踏まえて、霞の中を顕れてくる帰ってくる釣舟を見ながら、このまま月が出るのを待ってくれ、と付ける。

式目分析

季語:「月」で秋、夜分、光物。その他:「浪」は水辺の用。

宗祇独吟何人百韻、七十句目

   詠めせん月なまたれそ浪の上

 只にや秋の夜を明石潟      宗祇

 (詠めせん月なまたれそ浪の上只にや秋の夜を明石潟)

 

 宗牧注:明石ハ一段面白き所なれバ、何の興もなくてハいかが也。月もまたれそと所の風景を感じたる句也。

 周桂注:月出ずバ、大かたにあかさんと也。一句ハ面白所なれバ、おもしろき遊覧も有べしと也。

 

 明石は昔は流人の地だが、やがて月の名所の歌枕として知られるようになった。

 「明石」という地名を「夜を明かし」に掛けて用いるのもお約束というか。

 浪の上に月が現れるのを待って眺めたい。明石で秋の夜を月も見ずに明かすのは勿体ない、となる。

式目分析

季語:「秋の夜」で秋、夜分。その他:「明石潟」は水辺、名所。

宗祇独吟何人百韻、七十一句目

   只にや秋の夜を明石潟

 遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて  宗祇

 (遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて只にや秋の夜を明石潟)

 

 宗牧注:明石ハ鹿をよめり。恨みにたへず打鳴て、ただにや夜をあかすと鹿をあはれみたる句也。

 周桂注:鹿をよみならハせり。

 

 明石に鹿を詠んだ例としては、『連歌俳諧集』(日本古典文学全集、金子金次郎、暉峻康隆、中村俊定注解、1974、小学館)はこの歌を例示している。

 

   夜泊鹿といへるこころをよめる

 夜をこめて明石の瀬戸を漕ぎ出づれば

     はるかに送るさを鹿の声

             俊恵(千載集)

 

 前書きにあるように「夜泊鹿」という題を出されて詠んだ歌で、実際に明石で鹿の声を聞いて詠んだ歌ではなさそうだ。

 妻恋う鹿というと、

 

 あらし吹く真葛が原に鳴く鹿は

     恨みてのみや妻を恋ふらむ

             俊恵(新古今集)

 

の歌がある。この二つの合わせ技と言ってもいいかもしれない。

式目分析

季語:「鹿」で秋、獣類。

宗祇独吟何人百韻、七十二句目

   遠妻を恨みにたへず鹿鳴きて

 おもひの山に身をや尽くさん  宗祇

 (遠妻を恨みにたへず鹿鳴きておもひの山に身をや尽くさん)

 

 宗牧注:鹿のおもひの事也。

 周桂注:鹿の恋也。おもひの山と成たる也。とをづまなれば、一段思ふらんと也。上作付(うはさづけ)とて嫌事なれど、如此はすべし。分別大事といへり。

 

 「思ひの山」は本来は恋心の積もり積もって山と成るという意味だが、ここでは鹿だけに「思ひの山」と洒落てみる。鹿は山に住むから思いの山で一生を過ごす。

式目分析

季語:なし。その他:「山」は山類。「身」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、七十三句目

   おもひの山に身をや尽くさん

 払ふなよいづくか塵の内ならぬ 宗祇

 (払ふなよいづくか塵の内ならぬおもひの山に身をや尽くさん)

 

 宗牧注:深山幽谷といふも、塵の世の外にハあらぬ物也。然ば、何と払ともちりの世ハのがれがたきを、はらハんとするハ、結句おもひの心となるべしと也。

 周桂注:おもひの山、ちりひぢの山也。天下皆塵の内なれバ、払えがたき心也。世を遁、山居などをもとめても益なしと也。

 

 いわゆる咎めてにはでの展開で、前句を俗世を捨てて山にこもってはみるものの、かえって「思いの山」に悩んで悶々と過ごすことになった我が身と見たてての述懐とする。

 悩み尽きない山暮らしに、この世の塵を無理に払おうとするからだ。どこへ行っても世俗の塵からは遁れられないんだと観念せよ、と咎める。

 周桂注の「ちりひぢの山」は、『古今集』仮名序の「とほき所も、いでたつあしもとよりはじまりて、年月をわたり、たかき山も、ふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたも、かくのごとくなるべし。」から来ていて、高い山も土や泥(ひぢ)の積もったものにすぎないように、和歌の道も最初は出雲八重垣の歌から始まり、それが積もり積もってこの『古今集』の千の和歌に至ったとする。

 どうせこの世は塵泥(ちりひぢ)にまみれているなら、それを歌に詠めばいいではないかという意味も含まれているのか。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、七十四句目

   払ふなよいづくか塵の内ならぬ

 砌ばかりをいにしへの跡    宗祇

 (払ふなよいづくか塵の内ならぬ砌ばかりをいにしへの跡)

 

 宗牧注:古宅の体ばかり也。

 周桂注:砌(みぎり)の内悉(ことごとく)塵也。はらハれぬ心也。前句ハ広大なるを、ちいさき砌の内にとりなしたる、色々かはりたる行様也。

 

 砌(みぎり)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 

 《「水限(みぎり)」の意で、雨滴の落ちるきわ、また、そこを限るところからという》

 1 時節。おり。ころ。「暑さの砌御身お大事に」「幼少の砌」

 2 軒下や階下の石畳。

 「―に苔(こけ)むしたり」〈宇治拾遺・一三〉

 3 庭。

 「―をめぐる山川も」〈太平記・三九〉

 4 ものごとのとり行われるところ。場所。

 「かの所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり」〈盛衰記・三九〉

 5 水ぎわ。水たまり。池。

 「―の中の円月を見て」〈性霊集・九〉

 

とある。この場合は2の意味か。

 かつて栄えた家も今は石畳を残すのみとなり、それも泥に半分埋まっている。今更綺麗に掃除したところでどうなる物ではない。昔の跡はそっとしておこう。

 この頃は発掘して保存しようなんて考え方もなかった。すべては朽ちるに任せ、自然に帰してゆく。人もまたいつかは灰になり、思い出も消えて行く。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、七十五句目

   砌ばかりをいにしへの跡

 植ゑ置きし外は草木も野辺にして 宗祇

 (植ゑ置きし外は草木も野辺にして砌ばかりをいにしへの跡)

 

 宗牧注:荒たる所に、さすが植置たる草木ハ別に見ゆる也。其外ハ悉広野と荒果たる体也。

 周桂注:うへたるハ別にみゆる心也。あれたる体也。

 

 すっかり野原になってしまったかつての住居も、ところどころ植えられたとおぼしき植物が残っていて、かつてここに人が住んでいたとわかる。

式目分析

季語:なし。その他:「草木」は植物、木類、草類。

宗祇独吟何人百韻、七十六句目

   植ゑ置きし外は草木も野辺にして

 風は早苗を分くる沢水     宗祇

 (植ゑ置きし外は草木も野辺にして風は早苗を分くる沢水)

 

 宗牧注:うへをきしハ、早苗の事也。苗の外ハ、山沢の草木を吹風計也。行やう面白句也。

 周桂注:うへをきしハ苗也。

 

 中世の田んぼは今のような区画整理された大きな田んぼではなく、山間部などの小さな水の流れに沿って作られた。そのため一区画は小さく、流れに沿って曲線的に作られることが多かった。

 大きな河川の下流域の広大な平野部は水害の危険大きいため、こうした所は江戸後期の新田開発によって出来た所が多い。

 中世の小さな田んぼの周りは、野原だったことも多かったのだろう。前句の「植ゑ置きし」を早苗のこととし、小さな沢水を利用して作られた田んぼの周りは草木の茂る野辺になっていて、風はそこから吹いていた。

式目分析

季語:「早苗」で夏、草類。その他:「沢水」は水辺の体。

宗祇独吟何人百韻、七十七句目

   風は早苗を分くる沢水

 声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍 宗祇

 (声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍風は早苗を分くる沢水)

 

 宗牧注:し文字濁べし。ほにハ顕心也。苗ハ穂に出る物なるに対してかくいへり。

 周桂注:一句は恋也。蛍ハこゑハなくて、ただおもひをたきてみする心也。

 

 「ほに出」は表に表れるという意味と穂に出るという意味とを掛けている。蛍は鳴かないから声をほに出すことはない。

 

 恋に焦がれて鳴く蝉よりも

 鳴かぬ蛍が身を焦がす

 

は都都逸として有名だが、永正十五年(一五一八年)に成立した『閑吟集』にもあるというから、ひょっとしたら宗祇さんも知っていたかもしれない。『閑吟集』の編者は不明だが、水無瀬三吟、湯山三吟をともに巻いたあの宗長だとする説もある。

式目分析

季語:「蛍」で夏、虫類、夜分。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、七十八句目

   声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍

 色に心は見えぬ物かは    宗祇

 (声をほに出でじもはかな飛ぶ蛍色に心は見えぬ物かは)

 

 宗牧注:こゑにハたてねど、色には見ゆるを、忍ぶハはかなきと、蛍にいひかけて付る也。

 周桂注:いはねども色にみゆる物なれバ、忍もかひなし。

 

 口には出さなくても顔に出てしまっては、忍ぶ意味がない。

 

 忍ぶれど色に出でにけりわが恋は

     ものや思ふと人の問ふまで

                平兼盛(拾遺集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。ただ、蛍の場合は顔に出るというよりも光に出るというべきか。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

名残表

宗祇独吟何人百韻、七十九句目

   色に心は見えぬ物かは

 たが袖となせば霞にひかるらん  宗祇

 (たが袖となせば霞にひかるらん色に心は見えぬ物かは)

 

 宗牧注:春の光に乗じて、誰袖となして、霞にひかるるぞと、我心もあらはによ所に見えんと也。

 周桂注:面白に興じたる体也。うかれたる心也。

 

 隠していても顔に出てしまう恋は一体誰の袖に引かれたのだろうか、他ならぬ君にだ、というやや浮かれたような恋の歌になる。

 「引かる」は「光る」に掛かり、そこに「霞」を出すことによって、春の女神佐保姫を愛しき女に重ね合わせる。

 佐保姫といえば、

 

 佐保姫の霞の衣ぬきをうすみ

     花の錦をたちやかさねむ

               後鳥羽院

 

の歌がある。

 霞の衣の春の日に光り輝くような女神様のような君ともなれば、そりゃあ表情にも出るわな。

 なお、これより二十五年後の山崎宗鑑撰『犬筑波集』には、

 

   霞の衣すそはぬれけり

 佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして

 

の句がある。放尿は今のポルノでも一つのジャンルになっているが。

式目分析

季語:「霞」で春、聳物。その他:恋。「たが」の「誰(た)」は人倫。「袖」は衣裳。

宗祇独吟何人百韻、八十句目

   たが袖となせば霞にひかるらん

 春さへ悲しひとりこす山    宗祇

 (たが袖となせば霞にひかるらん春さへ悲しひとりこす山)

 

 宗牧注:春は面白時節なれども、独こす山はかなしきと也。然(しかる)をたが袖となして、霞にハひかるるぞと也。

 周桂注:春山ハおもしろき物なれど、ひとりこゆればかなしと也。誰袖になせばといおふにあたりて、ひとりと付たる也。

 

 前句の「らん」を反語にして、あの霞も誰かの袖だったら引かれるのに、そんなこともなく、独り越す山は悲しいと付く。恋から羇旅に転じる。

 

季語:「春」で春。その他:羇旅。「山」は山類の体。

宗祇独吟何人百韻、八十一句目

   春さへ悲しひとりこす山

 おのが世はかりの別れ路数たらで 宗祇

 (おのが世はかりの別れ路数たらで春さへ悲しひとりこす山)

 

 宗牧注:北へ行雁ぞ鳴なるつれて来し数ハたらでぞかえるべらなる。ひとりに数たらでと付也。雁をかりの方に取なしたる也。

 周桂注:北へ行雁ぞなくなるつれてこし数ハたらでぞかへるべらなる。かりの別ぢかりそめにそへたり。

 

 本歌は、

 

 北へ行く雁ぞ鳴くなるつれてこし

     数はたらでぞ帰るべらなる

             詠み人知らず(古今集)

 

 雁と仮を掛けて、我が人生の仮の世の別れ(親族や親友などの死別)があって、秋に来た時より数が減って帰ってゆく春の雁のように、独り越す山は悲しいと付く。

式目分析

季語:「かりの別れ(帰る雁)」で春、鳥類。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、八十二句目

   おのが世はかりの別れ路数たらで

 秋をかけむもいさや玉緒    宗祇

 (おのが世はかりの別れ路数たらで秋をかけむもいさや玉緒)

 

 宗牧注:雁ハ春帰て、又秋来るものなり。然を秋かけて、あはむも知ぬ命ぞと、わが身をおもふ也。をのが世を吾事に取べし。

 周桂注:雁ハ秋来る物なれど、秋までもいのちをしらぬと也。

 

 親しき人とも死別し、数足らず帰ってゆく雁のような自分には、雁が秋にまた渡ってくるようなこともなく、むしろ秋まで生きながらえることができるだろうか、と付く。

式目分析

季語:「秋」で秋。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、八十三句目

   秋をかけむもいさや玉緒

 身のうさは年もふばかり長き夜に 宗祇

 (身のうさは年もふばかり長き夜に秋をかけむもいさや玉緒)

 

 宗牧注:一夜のかなしさも、年々を経ばかりなれば、秋中も待がたきとなり。

 周桂注:秋の中も過しがたし。其ゆへハ、一夜なれども年もふるやうにながくおぼゆれば也。

 

 「うさ」は今日でも「憂さ晴らし」というふうに用いられている。「年もふ」は「年も・経(ふ)」。

 ただでさえ「秋の夜長」というが、憂鬱な時はその一夜が一年歳を取るくらい長く感じられる。白髪三千丈までは行かないにしてもやや大袈裟な感じもしないではない。まあ、とにかくその長い夜を繰り返していると、秋の終わるころには寿命も尽きるのではないかと思えてくる、と付く。

式目分析

季語:「長き夜」で秋、夜分。その他:「身」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、八十四句目

   身のうさは年もふばかり長き夜に

 見えじ我にと月や行く覧    宗祇

 (身のうさは年もふばかり長き夜に見えじ我にと月や行く覧)

 

 宗牧注:しの字濁也。うき身にハ月も見えじとゆくらんと也。

 周桂注:思ひの切なるあまりに、月を友とすれば、はやくうつろふやうにみゆるハ、我にハみえじとて行かと也。誠年もふるばかり長き夜にたのめバ、月のうつろふと見侍るべし。

 

 鬱がひどくて月を眺める余裕もなければ、月も早々に西の地平へと去って行く。「我に見えじや、と月は行くらん」の倒置。

式目分析

季語:「月」は秋、夜分、光物。その他:「我」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、八十五句目

   見えじ我にと月や行く覧

 よしさらば空も時雨よ袖の上  宗祇

 (よしさらば空も時雨よ袖の上見えじ我にと月や行く覧)

 

 宗牧注:此句名誉の句也。をのをの門弟に作意をいはせられしに、各ハ月に敵対していへり。祇公の作意ハ、下賤のわれに見えじと行月ハ理(ことはり)なるほどに、同心して、空も時雨よとせられたる也。

 周桂注:月のみえじと行ハことはりなりと也。月をうらみぬ心、尤殊勝の事也。野とならバ鶉となりての作意におなじ。是を人をうらみぬ所簡要也。いつはりの人のとがさへ身のうきにおもひなさるる夕暮の空。

 

 宗牧注の「名誉」には不思議というような意味もある。月は愛でるべきもので、月の出るのを喜び月が隠れるのを惜しむのが月の本意とされている。ただ、こういうことには必ず逆説がある。

 杜甫の「春望」には「感時花濺涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)」と本来愛でるはずの花も荒れ果てた国の情景であればかえって悲しく感じられる。

 ただ、宗祇のこの句は悲しむにとどまらず「空も時雨よ」ともっと悲しくなる事をあえて望み、月を恨む。私には見えないだろうということで月は行ってしまったのだろうか、と月にまで見放された我が身に、月の馬鹿野郎という感じで身の不遇を嘆く。

 近代でも「青い空なんて大嫌いだ」だとか「海の馬鹿野郎」だとかいう言葉は、かえって悲しみを掻き立てる。惜しむべき月に「空も時雨よ」もまた、悲しみをより掻き立てる効果がある。

 星野哲郎作詞の「花はおそかった」にも、「どんなに空が晴れたってそれが何になるんだ、大嫌いだ白い雲なんて」というフレーズがある。

 もっとも、宗祇の句の場合、「月」が去って行った男のことだとすれば、その背中に「馬鹿」というのはわかりやすい。

 周桂注の「野とならバ鶉となりて」は『伊勢物語』の、

 

 野とならば鶉となりて鳴きをらむ

     かりにだにやは君は来ざらむ

 

の歌で、行ってしまうなら私は鶉になって泣いていましょうという歌だが、本来愛でるはずのものを呪うという展開ではないから、ちょっと違う気がする。ただ、去ってゆく男への恨みの言葉という点では共通している。

 もう一つの引用している歌は、

 

 いつはりの人のとがさへ身のうきに

     おもひなさるる夕暮れの空

             藤原為氏(続後撰和歌集)

 

 これも同様だ。要するに宗祇のこの逆説は当時としては画期的で、弟子達もなかなかうまく説明できなかったのだろう。

式目分析

季語:「時雨」で冬、降物。その他:恋。「袖」は衣裳。

宗祇独吟何人百韻、八十六句目

   よしさらば空も時雨よ袖の上

 たぐひだにある思ひならばや   宗祇

 (よしさらば空も時雨よ袖の上たぐひだにある思ひならばや)

 

 宗牧注:空も時雨たらば、我袖の類なるべし。

 周桂注:空も袖もしぐるる物なれば、袖ばかりしぐるる心也。

 

 これは先の逆説の補足説明のようでもある。「空も時雨よ」というのは、ならば月も私と同じように悲しんでくれて、同類になってくれる、と。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、八十七句目

   たぐひだにある思ひならばや

 誰来てか嵐に堪へむ山の陰    宗祇

 (誰来てか嵐に堪へむ山の陰たぐひだにある思ひならばや)

 

 宗牧注:只独住山の堪忍也。

 周桂注:たぐひなきひとりずみなるべし。

 

 「たぐひだにある思ひ」がどういう思いなのか特に指定されてないので、恋から隠士の句に転換する。

 

 さびしさに堪へたる人のまたもあれな

     庵ならべん冬の山里

            西行法師(新古今集)

 

の心。

式目分析

季語:なし。その他:「誰」は人倫。「山の陰」は山類の体。

宗祇独吟何人百韻、八十八句目

   誰来てか嵐に堪へむ山の陰

 奥は雲ゐる岩のかけ道     宗祇

 (誰来てか嵐に堪へむ山の陰奥は雲ゐる岩のかけ道)

 

 宗牧注:太山の体也。

 周桂注:所のさま也。

 

 ここでは前句を「どんな人がここに来るのだろうか」とし、雲に続くような岩づたいの道を付ける。

式目分析

季語:なし。その他:「雲」は聳物。「岩」は山類の体。「かけ橋」は水辺の用。

宗祇独吟何人百韻、八十九句目

   奥は雲ゐる岩のかけ道

 落ち初めし滝津瀬いづく吉野川 宗祇

 (落ち初めし滝津瀬いづく吉野川奥は雲ゐる岩のかけ道)

 

 宗牧注:滝の水上ハ、雲深き山上なれバしらぬと也。

 周桂注:水上をしらぬ心也。

 

 ここでいう吉野川は四国のではなく花の吉野を流れる吉野川だろう。水源は大台ケ原の方にある。

 その手前の山上ヶ岳は大峰山と呼ばれ、熊野古道の大峯奥駈道が通っていて、修験道の寺院がある。江戸時代には曾良がここを訪れ、

 

 大峯やよしのの奥を花の果   曾良

 

と詠んでいる。

 前句の「雲」は吉野の地名が出ることで花の雲を連想させる。吉野の花の雲のはるか彼方、吉野川の水源がある。

 この百韻は名残の懐紙に花はない。この句を隠し花と見てもいいのかもしれない。

 花は「応安新式」には一座三句もので「懐紙をかふべし、にせ物の花此外に一」とある。「新式今案」ではやはり一座三句者と規定されているが、「近年或為四本之物、然而余花は可在其中」とある。ただ、この百韻では初の懐紙の十五句目に花があり、二の懐紙には三十八句目に花があり、三の懐紙には六十五句目に花がある。

 おそらく宗祇が気にしていたのは、発句にも「花」という文字があることだろう。これを入れると初の懐紙に花が二句になり式目に反してしまう。発句は基本的には桜の句で、その桜の形容として「似たる花なき」が出てくるにすぎないから微妙な所だ。

 独吟では審判の役割を果たす主筆がいないから、宗祇も後になってから初の懐紙に花が二句あるのに気づいたのかもしれない。その埋め合わせで、名残の懐紙は花をこぼすことになったのだと思う。

式目分析

季語:なし。その他:「滝津瀬」は山類の用、水辺の体。「吉野川」は名所、水辺の体。

宗祇独吟何人百韻、九十句目

   落ち初めし滝津瀬いづく吉野川

 はやくの事を泪にぞとふ     宗祇

 (落ち初めし滝津瀬いづく吉野川はやくの事を泪にぞとふ)

 

 宗牧注:昔の事也。泪の滝に仕立られたり。

 周桂注:うけたる詞也。涙の滝也。はやくハむかし也。

 

 「うけたる詞」は「うけてには」、古くは「うけとりてには」とも呼ばれた付け方で、二条良基の『知連抄』には、

 

 三、うけとりてにはは、(上句に)、

     来秋の心よりをくそでの露

   かかるゆふべは萩のうはかぜ

     通路の跡たえはつる庭の雪

   ふりぬる宿をたれかとふらん

     故郷をおもふ旅ねの草枕

   むすぶちぎりは夢にこそなれ

 (上句)に云止むる言葉をうくるを云也)、袖の露にかかる、庭の雪にふりぬる宿と付、草枕にむすぶ(とうくる)、是皆請てには也、自餘是にて料簡在べし、

 

とある。逆に下句に上句を付ける場合は「かけてには」になる。

 

     すむかひもなき草の庵かな

   はやむすぶ岩屋の内のたまり水

 

 これは「すむ」に「水」に掛けて付けているため、かけてにはになる。

 宗祇の『連歌秘伝抄』には、

 

 一、かけ手仁葉の事

     待や忘れぬこころなるらん

   聞なれし風は夕の庭の松

 一、うけ手仁葉の様

     暁のあはれをそふる雨そそぎ

   あまりね覚ぞ身にはかなしき    頓阿

 

とある。「待つ」に「松」のかけてにははわかりやすいが、うけてにははわかりにくいが「雨そそぎ」の「雨」を「あま」で受けている。

 しかし、このようなはっきりわかる受け方は次第に好まれなくなり、一見するとどこで繋がっているかわからないように受けるのが宗祇以降の時代には好まれるようになる。

 この九十句目はもっとわかりにくい受け方で、「滝津瀬」を「泪」で受けて「泪の滝」としている。

 吉野川の滝がどこから落ちてくるのかわからないように、いつだったか分からないような昔のことに今も涙する。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、九十一句目

   はやくの事を泪にぞとふ

 物毎に老は心の跡もなし    宗祇

 (物毎に老は心の跡もなしはやくの事を泪にぞとふ)

 

 宗牧注:老耄のこころ也。

 周桂注:万端忘却の上にも、涙ばかりハ昔にかハらぬ物也。昔をとハんあひてにハ、心あひたる歟。

 

 これは前向性健忘であろう。新しいことが覚えられず、「心の跡もなし」だが、「はやくの事」は思い出せるし、涙する。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。

宗祇独吟何人百韻、九十二句目

   物毎に老は心の跡もなし

 めで来し宿は浅茅生の月    宗祇

 (物毎に老は心の跡もなしめで来し宿は浅茅生の月)

 

 宗牧注:月をめでこし宿ハ、浅茅原と荒たる也。

 周桂注:よろづ忘却の上にも、月バかりハ誠にめでつべくこそ。

 

 一句は倒置で、「月をめで来し宿は浅茅生で、物毎に老は心の跡もなし」となる。

 歳取ると物もなかなか片付けられなくなるし、庭の手入れも行き届かなくなり、チガヤなどが生い茂る。

式目分析

季語:「月」で秋、夜分、光物。その他:「浅茅生」は植物、草類。

名残裏

宗祇独吟何人百韻、九十三句目

   めで来し宿は浅茅生の月

 野辺の露袖より置きや習ふらん 宗祇

 (野辺の露袖より置きや習ふらんめで来し宿は浅茅生の月)

 

 宗牧注:聞えたる体也。

 周桂注:露は野べよりをく物なれど、我思のあまりに、袖よりをくらんと也。野べの露ハ色もなくてやこぼれつる袖より過る荻の上風。

 

 引用されている歌は、

 

 野辺の露は色もなくてやこぼれつる

     袖より過ぐる荻の上風

             慈円(新古今集)

 

 句の方は、野辺の露も袖に置いた涙の露に習ったのだろうか、となり、その涙のわけを前句の浅茅生の荒れた宿とする。

式目分析

季語:「露」で秋、降物。その他:「袖」は衣裳。

宗祇独吟何人百韻、九十四句目

   野辺の露袖より置きや習ふらん

 山こそ行衛色かはる中    宗祇

 (野辺の露袖より置きや習ふらん山こそ行衛色かはる中)

 

 宗牧注:うつろふ袖のゆく衛ハ、山野なるぞといふ心也。

 周桂注:我中も山とおなじく色かハるとなり。

 

 山の紅葉は露の色に染まり変わってゆく。前句の袖の露の理由を、山が露をうけて紅葉に変わってゆくように、二人の仲も色あせてゆくからだとする。恋に転じる。

式目分析

季語:「山」の「色かはる」で秋。打越に植物の「浅茅生」があるので「紅葉」と言わずして紅葉を表わす。その他:恋。「山」は山類の体。

宗祇独吟何人百韻、九十五句目

   山こそ行衛色かはる中

 つれもなき人に此の世を頼まめや 宗祇

 (つれもなき人に此の世を頼まめや山こそ行衛色かはる中)

 

 宗牧注:人ハ難面(つれなき)物なれども、世はさハあるまじきほどに、難面き人のやうに世は頼まじと也。

 周桂注:世ハあだなる物なれバ、人のごとくつれなくハあらじと也。たのみはつべき此世ならねバ、行末ハ山居もしつべき心にや。

 

 「つれもなき」は「つれなき」を「力も」で強調した形。「つれなきも」の倒置だが、連体形が「ひと」を受けるため「つれなきも人」にも「つれなき人も」でもおかしいので、「つれもなき人」に落ち着く。

 「此の世を頼む」というのは、自分は世を捨てるという意味で、前句の「山こそ行衛」が出家の意味に取り成される。

 色変わりつれなくなった人に、あなたは現世で生きて行きなさい、私は出家します、という意味になる。

式目分析

季語:なし。その他:恋。「人」は人倫。

宗祇独吟何人百韻、九十六句目

   つれもなき人に此の世を頼まめや

 しぬる薬ハ恋に得まほし     宗祇

 (つれもなき人に此の世を頼まめやしぬる薬ハ恋に得まほし)

 

 宗牧注:此世を憑ても甲斐なければ、毒薬にても死せんと也。

 周桂注:恋ハくるしき物なれバ、しにたしと也。

 

 「死ぬる薬」は『源氏物語』総角巻に、

 

 恋ひわびて死ぬる薬のゆかしきに

     雪の山にや跡を消なまし

 

の歌の用例がある。「雪の山」は『竹取物語』の富士山で「不死」の薬を焼いて限りある命を受け入れたことをイメージしたものといわれている。

 ここではそれとは関係なく、自殺願望の句となる。前句の「や」を反語に取り成すと心中ということになるが、いずれにせよ病んだ句だ。江戸時代の心中ものを経て、今日のヤンデレにつながっているのかもしれない。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、九十七句目

   しぬる薬ハ恋に得まほし

 蓮葉の上を契りの限りにて    宗祇

 (蓮葉の上を契りの限りにてしぬる薬ハ恋に得まほし)

 

 宗牧注:一蓮同生の契をいそぐ心にや。

 周桂注:後ハ蓮台にあらんほどに、死たきと也。

 

 「蓮台の上の契り」は『源氏物語』鈴虫巻の、

 

 蓮葉を同じ台(うてな)と契りおきて

     露の分かるる今日ぞ悲しき

 

に見られるが、この場合は契りも空しく離れ離れになるというもの。これに対し、宗祇の句はやはり心中をほのめかす展開になっているが、無理心中ではなく同意の下での心中を願う展開になる。

式目分析

季語:「蓮」で夏、植物、草類、水辺。その他:恋。

宗祇独吟何人百韻、九十八句目

   蓮葉の上を契りの限りにて

 ちるや玉ゆら夕立の雨     宗祇

 (蓮葉の上を契りの限りにてちるや玉ゆら夕立の雨)

 

 宗牧注:納涼の仕立也。夕だちの雨といふ事、歌には見えずと也。

 周桂注:すずしき心也。夕立の雨、古き歌ニおほくはみえぬにや。万葉に、夕立の雨打ふれバ春日野の尾花が上の白露おもほゆ。風雅集ニ、後鳥羽院、かた岡のあふちなみよりふく風にかづかづそそぐ夕立の雨。されども、夕立の雨このむまじき詞也。時雨の雨にハかハりたり。夕だつといはば、雨となくてハすべからず。新古今に、水うみの舟にて夕立の立ぬべき由申けるをききて、かきくもり夕だつ浪のあらけれバうきたる舟ぞしづ心なき。此歌ハ、夕だつ浪に夕立をそへたるなるべし。新拾遺、折しかんひまこそなけれおきつ風夕だつ浪のあらき浜荻、家隆。玉葉集ニ、夏風と云題ニ、夏山の梢の木々を吹かへし夕だつ風の袖にすずしき。

 

 周桂の注は「夕立」の用例についてかなり詳しく説明している。最初の「万葉に」の歌は、

 

 夕立の雨うち降れば春日野の

     尾花が上の白露思ほゆ

         詠み人知らず(万葉集二一六九、)

 夕立の雨うち降れば春日野の

     尾花が末(うれ)の白露思ほゆ

         小鯛王、更の名は置始多久美(万葉集、三八一九)

 

と二首重複している。

 

 かた岡のあふちなみよりふく風に

     かづかづそそぐ夕立の雨

           後鳥羽院(風雅集四〇四)

 

 この二首を挙げて、まず「夕立の雨このむまじき詞也。」という。「夕だつといはば、雨となくてハすべからず。」というように夕立だけで雨の意味になるから、「夕立の雨」は同語反復だというのだろう。「夕立」は『応安新式』の一座一句物のところにあるので「夕立」自体は使ってはいけない言葉ではない。

 「時雨の雨にハかハりたり。」とあるのは、時雨が一座二句物で、秋冬それぞれ一句づつになっているが、八十五句目に冬の時雨が出ているので、秋の句にしなくてはならなくなる。九十四句目の秋から三句しか隔ててないのでここでは出せない。

 

 かきくもり夕立つ波の荒ければ

     浮きたる舟ぞしづ心なき

           紫式部(新古今集・羈旅歌)

 をりしかんひまこそなけれ沖つかぜ

     夕たつ波のあらき浜荻

           藤原家隆(新拾遺)

 夏山の梢の木々を吹かへし

     夕だつ風の袖にすずしき

           権中納言兼季(玉葉集)

 

 この「夕だつ」は夕べに立つ浪や風を詠んだもので、夕立の歌ではない。

 「たまゆら」は「玉響」で玉と玉がこすれる幽かな音から、わずかなという意味になる。ここでは雨露の玉と掛けて用いられる。

 蓮葉の上を契りの契りも夕立に雨露がはじけるようなあっという間のこと、という、人の一生も一日花のムクゲの命もどちらも長い雨中の時間の中では一瞬のことという達観した句となる。

 そろそろ挙句に向って、「解脱」を意識しだしたか。

式目分析

季語:「夕立の雨」で夏、降物。

宗祇独吟何人百韻、九十九句目

   ちるや玉ゆら夕立の雨

 雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に  宗祇

 (雲風も見はてぬ夢と覚むる夜にちるや玉ゆら夕立の雨)

 

 宗牧注:夕立のしたる風雲、跡もなくなりたるは、見はてぬ夢なり。

 周桂注:夕だちのあらきも夢也。あとなき心也。

 

 夕立の雨のあっという間に去ってゆくように、我が一生の波乱万丈の雲風も、所詮は見果てぬ夢だと悟る夜にと、「覚むる」に単に夜の眠りから覚めるだけでなく、寓意を持たせている。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。「雲」は聳物。「夜」は夜分。

宗祇独吟何人百韻、挙句

   雲風も見はてぬ夢と覚むる夜に

 わが影なれや更くる灯      宗祇

 (雲風も見はてぬ夢と覚むる夜にわが影なれや更くる灯)

 

 宗牧注:有か無かに更たる灯也。

 周桂注:身の老たる心を深夜の燈にたとへたるなるべし。

 

 この世は結局一時の夢と悟り目覚めた時、自分の影は油のかすれた灯のように影が薄くなってゆく。燃え盛る炎はくっきりした影を作るが、火が弱まれば影も薄くなる。こうして火が消えたように、この私も世を去る日は近いのだろう、と弟子達への遺言にこの百韻を残す。

式目分析

季語:なし。その他:述懐。「わが」は人倫。「灯」は夜分。