「いろいろの」の巻、解説

初表

 いろいろの名もむつかしや春の草  珍碩

   うたれて蝶の夢はさめぬる   芭蕉

 蝙蝠ののどかにつらをさし出て   路通

   駕篭のとをらぬ峠越たり    路通

 紫蘇の実をかますに入るる夕まぐれ 珍碩

   親子ならびて月に物くふ    珍碩

 

初裏

 秋の色宮ものぞかせ給ひけり    路通

   こそぐられてはわらふ俤    路通

 うつり香の羽織を首にひきまきて  珍碩

   小六うたひし市のかへるさ   珍碩

 鮠釣のちいさく見ゆる川の端    路通

   念仏申ておがむみづがき    路通

 こしらえし薬もうれず年の暮    珍碩

   庄野の里の犬におどされ    珍碩

 旅姿稚き人の嫗つれて       路通

   花はあかいよ月は朧夜     路通

 しほのさす縁の下迄和日なり    珍碩

   生鯛あがる浦の春哉      珍碩

 

 

二表

 此村の広きに医者のなかりけり   荷兮

   そろばんをけばものしりといふ 越人

 かはらざる世を退屈もせずに過   荷兮

   また泣出す酒のさめぎは    越人

 ながめやる秋の夕ぞだだびろき   荷兮

   蕎麦真白に山の胴中      越人

 うどんうつ里のはづれの月の影   荷兮

   すもももつ子のみな裸むし   越人

 めづらしやまゆ烹也と立どまり   荷兮

   文殊の知恵も槃特が愚痴    越人

 なれ加減又とは出来ジひしほ味噌  荷兮

   何ともせぬに落る釣棚     越人

 

二裏

 しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス  荷兮

   逢ふより顔を見ぬ別して    荷兮

 汗の香をかかえて衣をとり残し   越人

   しきりに雨はうちあけてふる  越人

 花ざかり又百人の膳立に      荷兮

   春は旅ともおもはざる旅    荷兮

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 いろいろの名もむつかしや春の草 珍碩

 

 「むつかし」は煩わしい、面倒くさいというような意味で、今でいう難しいではない。

 まあ、春の草と言ってもいろいろなものがあるが、面倒なのでとりあえず春の草と言っておく。細かいことにこだわるな、春が来ていろいろな草が萌え出てそれだけで十分じゃないか、そういう句だ。

 

季語は「春の草」で春、植物、草類。

 

 

   いろいろの名もむつかしや春の草

 うたれて蝶の夢はさめぬる    芭蕉

 (いろいろの名もむつかしや春の草うたれて蝶の夢はさめぬる)

 

 「うたれて」は「畑打つ」という言葉があるように、耕すので春の草が打たれてという意味。蝶が打たれるのではない。春の草が打たれて、蝶は叩き起こされて夢から醒めたように飛び回る。

 『三冊子』を読んだ時にも書いたが、この句は『三冊子』や享保版の『ひさご』では、

 

   いろいろの名もまぎらはし春の草

 うたれて蝶の目をさましぬる   芭蕉

 

の形になっている。そのため、土芳は、

 

 「此脇は、まぎらはしといふ心の匂に、しきりに蝶のちり亂るゝ様思ひ入て、けしきを付たる句也。」(『去来抄・三冊子・旅寝論』潁原退蔵校訂、一九三九、岩波文庫p.125)

 

と言っている。

 「うたれて蝶の目をさましぬる」だと、雑草が掘り起こされて、そこに止まって休んでいた蝶は夢から醒めて飛び立つわけで、土芳が言うように「しきりに蝶のちり乱るる様思ひ入て、けしきを付たる句」になる。

 ただ、蝶の目を覚ますという所に『荘子』の胡蝶の夢の連想が働くと、これは蝶が飛び立つと同時に、自分自身もはっと打たれたように夢から醒めて元の自分に戻ることになる。「うたれて蝶の夢はさめぬる」の形だと、よりその寓意がはっきりする。

 寓意を表に出すのか裏に隠すのか、これは『去来抄』の「大切の柳」にも通じることなのかもしれない。裏に隠すのが正解なら、元禄版の『ひさご』の方が初案で、享保版『ひさご』や『三冊子』の方が改案だったと思われる。

 

季語は「蝶」で春、虫類。

 

第三

 

   うたれて蝶の夢はさめぬる

 蝙蝠ののどかにつらをさし出て  路通

 (蝙蝠ののどかにつらをさし出てうたれて蝶の夢はさめぬる)

 

 日本で一番身近なコウモリはアブラコウモリで、昆虫食だから、蝶を襲うのではないにせよ、空中の小さな虫を捕えて食うため、虫の多い草の上などを飛行する。夕暮れ時であろう。

 

季語は「のどか」で春。「蝙蝠」は獣類。

 

四句目

 

   蝙蝠ののどかにつらをさし出て

 駕篭のとをらぬ峠越たり     路通

 (蝙蝠ののどかにつらをさし出て駕篭のとをらぬ峠越たり)

 

 駕篭の通らない峠は主要な街道から外れた小道で、人の姿も稀だから、コウモリも長閑に飛び回る。旅体に転じる。

 

無季。旅体。「峠」は山類。

 

五句目

 

   駕篭のとをらぬ峠越たり

 紫蘇の実をかますに入るる夕まぐれ 珍碩

 (紫蘇の実をかますに入るる夕まぐれ駕篭のとをらぬ峠越たり)

 

 紫蘇の実は穂紫蘇とも呼ばれている。秋に穂が出る。青いうちに収穫する。

 「かます」は叺という字を書く。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (古く「蒲(かま)」の葉で編み作ったところから「蒲簀(かます)」の意という)

  ① わらむしろを二つに折り、左右両端を縄で綴った袋。穀物、菜、粉などを入れるのに用いる。かますだわら。かまけ。

  ※書紀(720)大化五年三月(北野本訓)「絹四匹・布二十端(はたちはし)・綿二褁(ふたカマス)賜ふ」

  ② (①の形をしているところからいう) 油紙、皮などで作った小物入れの袋。多く、タバコ入れに用いる。

  ※洒落本・伊賀越増補合羽之龍(1779)仲町梅音「くゎい中のかますよりあいせんのみゑへいを出し見れば」

 

ここでは①の方。

 駕篭の通らない峠道を越えた向こう側で、近隣の農家が穂紫蘇を収穫する。

 

季語は「紫蘇の実」で秋。

 

六句目

 

   紫蘇の実をかますに入るる夕まぐれ

 親子ならびて月に物くふ     珍碩

 (紫蘇の実をかますに入るる夕まぐれ親子ならびて月に物くふ)

 

 紫蘇の実を収穫して持ち帰り、親子並んで田舎ながらもお月見をする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

初裏

七句目

 

   親子ならびて月に物くふ

 秋の色宮ものぞかせ給ひけり   路通

 (秋の色宮ものぞかせ給ひけり親子ならびて月に物くふ)

 

 秋の紅葉も深まり、葉の落ちたところからは神社の姿も見えてくる。

 

季語は「秋」で秋。神祇。

 

八句目

 

   秋の色宮ものぞかせ給ひけり

 こそぐられてはわらふ俤     路通

 (秋の色宮ものぞかせ給ひけりこそぐられてはわらふ俤)

 

 「こそぐる」は「くすぐる」。uとoの交替。

 前句の「宮」を宮中とし、御簾の向こうに高貴な人の笑い声が聞こえてくる。

 

無季。

 

九句目

 

   こそぐられてはわらふ俤

 うつり香の羽織を首にひきまきて 珍碩

 (うつり香の羽織を首にひきまきてこそぐられてはわらふ俤)

 

 後朝とする。羽織に染み付いた移り香が他の着物に付かないように首に巻いて、男が帰って行く。匂いでどこに通ってたかバレたりするからね。

 

無季。恋。「羽織」は衣裳。

 

十句目

 

   うつり香の羽織を首にひきまきて

 小六うたひし市のかへるさ    珍碩

 (うつり香の羽織を首にひきまきて小六うたひし市のかへるさ)

 

 市場で汗をかいたか、羽織を首に引き巻いて帰る。市場でもいろんな匂いが染み付く。

 小六は小六節でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「江戸初期に流行した小唄の曲名。慶長(一五九六‐一六一五)ごろの馬追いで小唄の名人だった関東小六の持っていた竹の杖を歌ったもの。踊り歌などに用いられた。歌詞と楽譜が「糸竹初心集」にある。

  ※糸竹初心集(1664)中「ころくぶし。ころくついたる竹のおをつゑころく。もとは尺八、なかはああ笛ころく」

 

とある。

 小唄にはいろいろあって、延宝四年の「此梅に」六十九句目に、

 

   時雨ふり置むかし浄瑠璃

 おもくれたらうさいかたばち山端に  信章

 

とあり、弄斎節と片撥も小唄の一種で、「弄斎節」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「日本の近世歌謡の一種。「癆さい」「朗細」「籠斎」などとも記す。その成立には諸説あるが,籠斎という浮かれ坊主が隆達小歌 (りゅうたつこうた) を修得してそれを模して作った流行小歌から始るという説が有力である。元和~寛永年間 (1615~44) 頃に発生し,寛文年間 (61~73) 頃まで流行したものと思われる。目の不自由な音楽家の芸術歌曲にも取入れられ,三味線組歌に柳川検校作曲の『弄斎』,箏組歌付物に八橋検校作曲の『雲井弄斎』および倉橋検校作曲の『新雲井弄斎』,三味線長歌に佐山検校作曲の『雲井弄斎』 (「歌弄斎」ともいう) などがあるが,いずれも弄斎節の小歌をいくつか組合せたものとなっている。流行小歌としての弄斎節は,いわゆる近世小歌調の音数律形式による小編歌謡で,三味線を伴奏とし,初め京都で流行,のちに江戸にも及んで江戸弄斎と称し,それから投節 (なげぶし) が出たともされる。」

 

「片撥」もコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「江戸時代初期の流行歌。寛永 (1624~44) 頃から遊郭で歌われだした。七七七七の詩型のものをいう。」

 

とある。また、寛文の頃に成立した『糸竹初心集』の俗謡が短い歌詞の、のちの小唄の原型のようなものだったとされている。ネット上の林謙三さんの『江戸初期俗謡の復原の試み ─特に糸竹初心集の小唄について』に詳しい。ここでの小六はこの俗謡の中の一つのようだ。

 天和二年の「錦どる」の巻六十八句目には、

 

   遁世のよ所に妻子をのぞき見て

 つぎ哥耳にのこるよし原     峡水

 

とあり、この「つぎ哥」は次節(つぎぶし)のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「つきぶし」とも) 元祿(一六八八━一七〇四)の頃、江戸新吉原で流行した小唄。つぎうた。

  ※浮世草子・色里三所世帯(1688)下「女郎は是に気をうつさず色三味線引かけてつきぶしの小歌に日をかたぶけ」

  ※随筆・用捨箱(1841)中「予がおぼえし二歌を混じて、次節にも歌ひしか。次節又次歌といふ」

 

とある。これも小唄の一種だったようだ。

 なお、今日知られている小唄は長唄・端唄と同様、元禄の浄瑠璃から派生したもので、この頃はまだなかった。

 

無季。

 

十一句目

 

   小六うたひし市のかへるさ

 鮠釣のちいさく見ゆる川の端   路通

 (鮠釣のちいさく見ゆる川の端小六うたひし市のかへるさ)

 

 鮠は鯉科中型のもので、オイカワ、ウグイ、カワムツなどが含まれる。

 市の帰りの景色で、河原で鮠を釣る人が遠くに見える。

 

無季。「鮠釣」「川」は水辺。

 

十二句目

 

   鮠釣のちいさく見ゆる川の端

 念仏申ておがむみづがき     路通

 (鮠釣のちいさく見ゆる川の端念仏申ておがむみづがき)

 

 「みづがき」は神社の垣根。瑞垣。

 釣りは殺生になるので、念仏を唱える。神仏習合の時代なので神社で念仏は別に珍しいことではない。

 

無季。釈教。

 

十三句目

 

   念仏申ておがむみづがき

 こしらえし薬もうれず年の暮   珍碩

 (こしらえし薬もうれず年の暮念仏申ておがむみづがき)

 

 作った薬を売り歩いたがなかなか売れず一年がもうすぐ終わる。このままだと借りた金も返せない。神頼みになる。珍碩も医者だったが、こういう生活をしていたか。

 

季語は「年の暮」で冬。

 

十四句目

 

   こしらえし薬もうれず年の暮

 庄野の里の犬におどされ     珍碩

 (こしらえし薬もうれず年の暮庄野の里の犬におどされ)

 

 東海道の庄野宿であろう。四日市から鈴鹿越えの道に入る途中の亀山の手前にある。

 薬を伊勢の方に売りに行ったが途中で犬に吠えられる。犬も怪しい奴だと思ったのだろう。

 

無季。「犬」は獣類。

 

十五句目

 

   庄野の里の犬におどされ

 旅姿稚き人の嫗つれて      路通

 (旅姿稚き人の嫗つれて庄野の里の犬におどされ)

 

 東海道はいろいろな人が通り、嫗が付き添う子供も旅する。お伊勢参りだろうか。子供が犬に吠えられる。

 

無季。旅体。「里」は居所。「稚き人」「嫗」は人倫。

 

十六句目

 

   旅姿稚き人の嫗つれて

 花はあかいよ月は朧夜      路通

 (旅姿稚き人の嫗つれて花はあかいよ月は朧夜)

 

 当時の桜は山桜で白く、ここでは花が「赤い」ではなく「明い」であろう。朧ながらも月の光に照らされている。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「朧夜」も春、夜分。「月」は夜分、天象。

 

十七句目

 

   花はあかいよ月は朧夜

 しほのさす縁の下迄和日なり   珍碩

 (しほのさす縁の下迄和日なり花はあかいよ月は朧夜)

 

 「和日」は「うらら」と読むらしい。原書にルビはない。『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)による。

 海辺か河口域の水上に張り出した茶店か何かだろう。縁の下まで潮が満ちてくるが、波は静かで花に月も揃う。

 

季語は「和日」で春。「しほ」は水辺。

 

十八句目

 

   しほのさす縁の下迄和日なり

 生鯛あがる浦の春哉       珍碩

 (しほのさす縁の下迄和日なり生鯛あがる浦の春哉)

 

 浪も穏やかな縁側で新鮮な鯛も上がってきて、目出度く半歌仙は終わるという雰囲気だ。多分その予定だったのだろう。このあと美濃の二人が続きを作って歌仙にする。

 

季語は「春」で春。「浦」は水辺。

二表

十九句目

 

   生鯛あがる浦の春哉

 此村の広きに医者のなかりけり  荷兮

 (此村の広きに医者のなかりけり生鯛あがる浦の春哉)

 

 鯛の上がる漁村は広いけど医者はいない。「けり」で切れているけど発句の体ではない。一句としては、医者がないから何なのかと何か続く感じが残るあたりが付け句の体になっている。

 ちなみに荷兮は医者。珍碩も医者で、蕉門は医者が多い。

 

無季。「村」は居所。「医者」は人倫。

 

二十句目

 

   此村の広きに医者のなかりけり

 そろばんをけばものしりといふ  越人

 (此村の広きに医者のなかりけりそろばんをけばものしりといふ)

 

 医者がいない村では、算盤ができるというだけで物知りと言われる。

 

無季。

 

二十一句目

 

   そろばんをけばものしりといふ

 かはらざる世を退屈もせずに過  荷兮

 (かはらざる世を退屈もせずに過そろばんをけばものしりといふ)

 

 無学でもこの世を楽しむことを知っていれば、他に何もいらない。ある種それも悟りの境地だ。

 

無季。

 

二十二句目

 

   かはらざる世を退屈もせずに過

 また泣出す酒のさめぎは     越人

 (かはらざる世を退屈もせずに過また泣出す酒のさめぎは)

 

 酒を飲むと泣き出すなら泣き上戸だが、醒め際に泣くのは一見のほほんと生きているようで、いろいろな人の悲しみを知り尽くした人なのだろう。

 

無季。

 

二十三句目

 

   また泣出す酒のさめぎは

 ながめやる秋の夕ぞだだびろき  荷兮

 (ながめやる秋の夕ぞだだびろきまた泣出す酒のさめぎは)

 

 だだびろき、というのは海辺の景色だろう。

 

 見渡せば花も紅葉もなかりけり

     浦の苫屋の秋の夕暮

              藤原定家(新古今集)

 

の心で、辺鄙なところに流された在原行平のような境遇なのだろう。酔いが醒めて現実に引き戻されると涙が出てくる。

 

季語は「秋の夕」で秋。

 

二十四句目

 

   ながめやる秋の夕ぞだだびろき

 蕎麦真白に山の胴中       越人

 (ながめやる秋の夕ぞだだびろき蕎麦真白に山の胴中)

 

 前句の「だだひろき」を山の中腹の一面の蕎麦畑とする。

 

季語は「蕎麦」で秋、植物、草類。「山の胴中」は山類。

 

二十五句目

 

   蕎麦真白に山の胴中

 うどんうつ里のはづれの月の影  荷兮

 (うどんうつ里のはづれの月の影蕎麦真白に山の胴中)

 

 蕎麦にうどんと違えて付ける。麦を作る里も外れに行けば蕎麦畑に変わる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「里」は居所。

 

二十六句目

 

   うどんうつ里のはづれの月の影

 すもももつ子のみな裸むし    越人

 (うどんうつ里のはづれの月の影すもももつ子のみな裸むし)

 

 田舎の子どもは夏になると皆裸。すももを勝手に食べたりしている。

 

季語は「すもも」で夏。「子」は人倫。

 

二十七句目

 

   すもももつ子のみな裸むし

 めづらしやまゆ烹也と立どまり  荷兮

 (めづらしやまゆ烹也と立どまりすもももつ子のみな裸むし)

 

 夏の村は養蚕の盛んなところで、眉を煮ているところを見つけ、子供たちも立ち止まる。さなぎを貰って食べたりしたのか。

 

季語は「まゆ烹」で夏。

 

二十八句目

 

   めづらしやまゆ烹也と立どまり

 文殊の知恵も槃特が愚痴     越人

 (めづらしやまゆ烹也と立どまり文殊の知恵も槃特が愚痴)

 

 「槃特」は周梨槃特(しゅりはんどく)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(Cūḍapanthaka) 釈尊の弟子の一人。兄の摩迦槃特が聰明だったのに比し、非常に愚鈍であったが、仏の教えにより後に大悟したという。十六羅漢の一人。半託迦、般陀、般兎などとも称する。しゅりはんどく。転じて、愚か者。ばか者。

  ※方丈記(1212)「わづかに周利槃特が行にだに及ばず」

 

とある。

 『校本芭蕉全集 第四巻』には謡曲『卒塔婆小町』の、

 

 提婆が悪も、観音の慈悲。 槃特が愚痴も、文殊の智慧。 悪といふも、善なり。煩悩といふも、菩提なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.43255-43267). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

を引いている。「槃特が愚痴も、文殊の智慧。」だと槃特も最後は大悟するの意味だが、ひっくり返して「文殊の知恵も槃特が愚痴」とすると、文殊菩薩も救われないという意味になる。

 繭を煮る作業が終わり、さなぎが取り出されてやっと殺生だということに気付く。

 

無季。釈教。

 

二十九句目

 

   文殊の知恵も槃特が愚痴

 なれ加減又とは出来ジひしほ味噌 荷兮

 (なれ加減又とは出来ジひしほ味噌文殊の知恵も槃特が愚痴)

 

 「ひしほ」はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「なめみその一種。味噌や醤油の祖型。炒(い)ってひき割ったダイズと水に浸した小麦で麹(こうじ)を作り,これに食塩水を入れ,さらに塩漬したナスなどを加えて仕込み,数ヵ月の熟成期間を経て食用。なお古くは魚鳥の肉の塩漬,塩辛も醤と称した。」

 

とある。

 漬けておいた野菜が絶妙な柔らかさになる頃合いが難しく、タイミングを逃すと文殊の知恵も槃特が愚痴に変わる。

 

無季。

 

三十句目

 

   なれ加減又とは出来ジひしほ味噌

 何ともせぬに落る釣棚      越人

 (なれ加減又とは出来ジひしほ味噌何ともせぬに落る釣棚)

 

 なぜだかわからないが棚が落ちて、われたひしほ味噌の壺から野菜を取り出したら、まさに絶妙の加減だった。これは奇跡だ。

 

無季。

二裏

三十一句目

 

   何ともせぬに落る釣棚

 しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス 荷兮

 (しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス何ともせぬに落る釣棚)

 

 バレないようにこっそりと夜這いに来たが、急に棚が落ちて笑ってバレてしまう。

 

無季。恋。「夜」は夜分。

 

三十二句目

 

   しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス

 逢ふより顔を見ぬ別して     荷兮

 (しのぶ夜のおかしうなりて笑出ス逢ふより顔を見ぬ別して)

 

 『源氏物語』の末摘花であろう。後で顔を知って、若紫とそれを茶化して笑ったりする。元ネタそのままなので本説付けになる。

 

無季。恋。

 

三十三句目

 

   逢ふより顔を見ぬ別して

 汗の香をかかえて衣をとり残し  越人

 (汗の香をかかえて衣をとり残し逢ふより顔を見ぬ別して)

 

 これも『源氏物語』の空蝉。源氏の君がくんくんしていつまでも持ってたりする。同じく本説付け。同じ源氏でも別の場面なら三句に渡ることができる。

 

無季。「衣」は衣裳。

 

三十四句目

 

   汗の香をかかえて衣をとり残し

 しきりに雨はうちあけてふる   越人

 (汗の香をかかえて衣をとり残ししきりに雨はうちあけてふる)

 

 「うちあく」は中に入っているものを出すという意味もあり、この場合は「ぶちまける」というのが近いか。

 裸で作業をしていて急に雨が降ってきたから服を置いてきてしまった。

 

無季。「雨」は降物。

 

三十五句目

 

   しきりに雨はうちあけてふる

 花ざかり又百人の膳立に     荷兮

 (花ざかり又百人の膳立にしきりに雨はうちあけてふる)

 

 謡曲『熊野』の俤であろう。花見をお膳立てする方は大変だが、その一方で救われる人もいる。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花ざかり又百人の膳立に

 春は旅ともおもはざる旅     荷兮

 (花ざかり又百人の膳立に春は旅ともおもはざる旅)

 

 参勤交代であろう。毎日同じ顔を見ながらの旅は旅をした気がしない。

 

季語は「春」で春。旅体。