「白髪ぬく」の巻、解説

初表

 白髪ぬく枕の下やきりぎりす   芭蕉

   入日をすぐに西窓の月    之道

 甘塩の鰯かぞふる秋のきて    珍碩

   刈そろへたるかしらこの柴  芭蕉

 河風に竹の筏のからからと    之道

   麦の小うねをたたく冬空   珍碩

 

初裏

 斎過て一むれ帰る縄手道     芭蕉

   頤ほそや恋婿の顔      之道

 どし織の帯美しく脇とめて    珍碩

   久しき銀の出る御屋しき   芭蕉

 山公事の埒の明たる初嵐     之道

   加太谷より踊り触けり    珍碩

 月影に関の芦毛を追かけて    芭蕉

   鯛も鰆もふみすべりつつ   之道

 ものぐさも布子の重き春風に   珍碩

   又も弥生の家賃たたまる   芭蕉

 時々に花も得咲ぬ新畠      之道

   昼茶わかして雲雀かたむく  珍碩

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

          『元禄俳諧集』(新日本古典文学大系71、大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

初表

発句

 

 白髪ぬく枕の下やきりぎりす   芭蕉

 

 きりぎりすはコオロギのこと。昔の家は隙間が多かったので、台所などの土間はもとより枕元まで来ることもあった。

 白髪を抜くというのは、今のイメージだと、黒い髪の中に白髪が混じってきたから抜くということだが、それは若白髪ではないかと思う。頭が真っ白になって白髪を抜いたら、全部抜くことになる。

 芭蕉は持病があって四十の初老の頃でも年よりかなり老けて見えて、それゆえに四十代なのに「翁」と呼ばれていた。

 そう思うと芭蕉が白髪を抜くというのはわかったようでわからない。芭蕉は僧形だったから、剃った所にまばらにひょろっと生えてきた白髪を抜いていたのかもしれない。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

 

   白髪ぬく枕の下やきりぎりす

 入日をすぐに西窓の月      之道

 (白髪ぬく枕の下やきりぎりす入日をすぐに西窓の月)

 

 白髪を抜く枕をまだ明るいうちに床に就くとして、もうすぐ日が沈み、西の窓に三日月が見える頃とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「入日」も天象。「西窓」は居所。

 

第三

 

   入日をすぐに西窓の月

 甘塩の鰯かぞふる秋のきて    珍碩

 (甘塩の鰯かぞふる秋のきて入日をすぐに西窓の月)

 

 甘塩の鰯はいわゆる目刺であろう。そんなに大きな魚でないので、今日は何匹食べようかというところだ。

 

季語は「秋」で秋。

 

四句目

 

   甘塩の鰯かぞふる秋のきて

 刈そろへたるかしらこの柴    芭蕉

 (甘塩の鰯かぞふる秋のきて刈そろへたるかしらこの柴)

 

 「かしらこ」はよくわからない。刈るというから、前句をただ単にそういう時期にという意味にして、山で柴を刈りに行ったということだろう。まあ、鰯を焼くのにも使うし。

 

無季。

 

五句目

 

   刈そろへたるかしらこの柴

 河風に竹の筏のからからと    之道

 (河風に竹の筏のからからと刈そろへたるかしらこの柴)

 

 筏といっても筏船ではなく、材木を川に流して運ぶのと同様に、竹を束ねて川に流していたのではないかと思う。竹同士がぶつかってからから音をたてる。前句の柴刈をする辺りの風景とする。

 竹の伐採は秋が良いとされている。

 

無季。「河風」「筏」は水辺。

 

六句目

 

   河風に竹の筏のからからと

 麦の小うねをたたく冬空     珍碩

 (河風に竹の筏のからからと麦の小うねをたたく冬空)

 

 季節を冬に転じ、前句の筏は風にからから音をたてることになる。

 麦の畝を固める作業だろうか。小畝を叩く。

 

季語は「冬空」で冬。

初裏

七句目

 

   麦の小うねをたたく冬空

 斎過て一むれ帰る縄手道     芭蕉

 (斎過て一むれ帰る縄手道麦の小うねをたたく冬空)

 

 斎(とき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「斎・時」の解説」に、

 

 「① 僧家で、食事の称。正午以前に食すること。⇔非時(ひじ)。

  ※宇津保(970‐999頃)春日詣「ここらの年ごろ、露・霜・草・葛の根をときにしつつ」

  ② 肉食をとらないこと。精進料理。

  ※栄花(1028‐92頃)初花「うちはへ御ときにて過させ給し時は、いみじうこそ肥り給へりしか」

  ③ 檀家や信者が寺僧に供養する食事。また、法要のときなどに、檀家で、僧・参会者に出す食事。おとき。

  ※梵舜本沙石集(1283)三「種々の珍物をもて、斎いとなみてすすむ」

  ④ 法要。仏事。

  ※浄瑠璃・心中重井筒(1707)中「鎗屋町の隠居へ、ときに参る約束是非お返しと云ひけれ共、はてときは明日の事ひらにと云ふに詮方なく

  ⑤ 節(せち)の日、また、その日の飲食。」

 

とある。

 ここでは人が一団となって帰って行くのだから、どこかに集まっていたということで④であろう。

 法要の帰り道、これから種を蒔く麦畑が広がる。

 

無季。釈教。

 

八句目

 

   斎過て一むれ帰る縄手道

 頤ほそや恋婿の顔        之道

 (斎過て一むれ帰る縄手道頤ほそや恋婿の顔)

 

 法要から帰ってきたお婿さんは頤が細い。

 頤は人間の進化の証だから、頤がないのは原始的な風貌になる。頤が太いとがっしりした厳つい感じになり、頤が細いというのは優男ということなのだろう。

 

無季。恋。「恋婿」は人倫。

 

九句目

 

   頤ほそや恋婿の顔

 どし織の帯美しく脇とめて    珍碩

 (どし織の帯美しく脇とめて頤ほそや恋婿の顔)

 

 「どし織」は『元禄俳諧集』の櫻井注に、

 

 「京・堺などから産出した織物。帯地などに用いる。」

 

とある。「風俗博物館」のホームページの「平緒」の所に、「組紐の唐組と織帯である綺のどし織り」とあり、「いわゆる織帯(どし織)」とある。織帯はネット上の「きもの用語大全」に「染帯に対する語」とある。金銀などの糸を交えて織ったきらびやかな帯のようだ。

 前句の恋婿はどこぞの高貴なお方だったのだろう。

 

無季。「どし織の帯」は衣裳。

 

十句目

 

   どし織の帯美しく脇とめて

 久しき銀の出る御屋しき     芭蕉

 (どし織の帯美しく脇とめて久しき銀の出る御屋しき)

 

 「久しき銀(かね)」は長年蓄えられていた金という意味か。帯のために大金が支出される。

 

無季。「御屋しき」は居所。

 

十一句目

 

   久しき銀の出る御屋しき

 山公事の埒の明たる初嵐     之道

 (山公事の埒の明たる初嵐久しき銀の出る御屋しき)

 

 山公事(やまくじ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「山公事」の解説」に、

 

 「〘名〙 山林に関する訴訟。山林の所有権、伐採権、境界などに関する訴訟。

  ※俳諧・類船集(1676)幾「山公事はめんめん絵図をもちてたたし侍る」

 

とある。長年争ってきた山公事の判決がやっと下った。敗訴で、多分伐採した木材の代金を支払わなくてはならなくなり、大金が必要になったのだろう。まさに嵐のようだ。

 

季語は「初嵐」で秋。

 

十二句目

 

   山公事の埒の明たる初嵐

 加太谷より踊り触けり      珍碩

 (山公事の埒の明たる初嵐加太谷より踊り触けり)

 

 加太谷は東海道の関宿から伊賀へ行く道の途中にある。関西本線に加太駅がある。元禄七年伊賀での「あれあれて」の巻三十二句目に、

 

   衣着て旅する心静也

 加太へはいる関のわかれど    土芳

 

の句がある。

 公事に勝った方だろう。加太谷から伊勢まで伊勢踊りを踊りながら、勝訴を告げて廻ったか。

 

季語は「踊り」で秋。「加太谷」は山類。

 

十三句目

 

   加太谷より踊り触けり

 月影に関の芦毛を追かけて    芭蕉

 (月影に関の芦毛を追かけて加太谷より踊り触けり)

 

 関は関宿であろう。この辺りで馬の放牧がおこなわれていたか。前句の「踊り触けり」を馬に飛び移る様とする。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。「芦毛」は獣類。

 

十四句目

 

   月影に関の芦毛を追かけて

 鯛も鰆もふみすべりつつ     之道

 (月影に関の芦毛を追かけて鯛も鰆もふみすべりつつ)

 

 清見が関の道は薩埵峠の道が開かれるまでは海岸線の波のかぶる所を通るため、波の関守がいると言われた。ここが水を被れば馬はタイやサワラを踏んで通ることになると、かなり話を盛っている。

 

季語は「鰆」で春。

 

十五句目

 

   鯛も鰆もふみすべりつつ

 ものぐさも布子の重き春風に   珍碩

 (ものぐさも布子の重き春風に鯛も鰆もふみすべりつつ)

 

 「布子」は綿入れのこと。綿入れは重くて動きにくいから、ついついものぐさになる。魚市場でも足もとには気をつけよう。

 

季語は「春風」で春。「布子」は衣裳。

 

十六句目

 

   ものぐさも布子の重き春風に

 又も弥生の家賃たたまる     芭蕉

 (ものぐさも布子の重き春風に又も弥生の家賃たたまる)

 

 「畳む」には「積み重なる」という意味がある。無精して家賃を滞納している。

 

季語は「弥生」で春。

 

十七句目

 

   又も弥生の家賃たたまる

 時々に花も得咲ぬ新畠      之道

 (時々に花も得咲ぬ新畠又も弥生の家賃たたまる)

 

 新畠は「あらばたけ」。

 時々は稀にという意味もある。開墾したばかりの畑はまだ土も出来てなくて作物も思うように育たないように、桜もまだ若いのか花を付けない。収入のないまま家賃がたまって行く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   時々に花も得咲ぬ新畠

 昼茶わかして雲雀かたむく    珍碩

 (時々に花も得咲ぬ新畠昼茶わかして雲雀かたむく)

 

 「雲雀かたむく」は雲雀の声もあまり聞こえてこなくなるということ。前句の花の咲かないに雲雀も傾くと応じる。

 まあ、ここは、

 

 世の中にたえて桜のなかりせば

    春の心はのどけからまし

              在原業平(古今集)

 

の心で、花が咲かないなら長閑にお茶でも飲んで、平和な午後を過ごしましょう、ということで一巻は目出度く終わる。

 

季語は「雲雀」で春、鳥類。