鈴呂屋日乗2006

12月31日

 だいぶ日記を中断してしまった。12月3日のあと。急にネット接続が重くなり、しばらくホームページも更新できない状態だった。  10日には豊洲のららぽーとにあるUKIYO-e TOKYOに猫の浮世絵を見に行った。雨が降っていて寒かった。あとは仕事に追われてあわただしい年の瀬だった。

12月??日

 やっと更新できた。横浜FCのJ2昇格の頃を思い出していたから、つい間違えてJ2昇格記念なんて書いてしまった。

12月3日

 免許証の更新に行った。2年前のつまらない進入禁止違反のせいで、試験場まで行って映画を見ることになった。飲酒運転の映画で、居酒屋で盛り上がって、すっかり酔ったところでお得意から電話が来て、すぐ来てくれというのが発端だったが、そんなに大事な急ぎの用事だったらタクシーでも呼べばいいのに、こんなに大勢いるのに何で誰も思いつかないんだ、と思っているうちに、死亡事故、ひき逃げ、家庭崩壊といかにものパターンとなって行った。結局最後まで、タクシー呼べばよかったのにという思いが頭から離れないまま終ってしまった。

11月30日

 いじめを減らそうと言うのなら、罰則の強化はむしろ逆効果になる。それこそやっかいばらいしたい生徒や先生がいる場合、いじめを見て見ぬふりをしたという容疑をかぶせればいいということにもなる。

 いじめ対策に必要なのは、基本的に、誰も排除しないこと、つまり日頃の教育で、異質なもの、異なる価値観の者に対する寛容の精神を教えなくてはならない。だが、結局やっかいなのは、生徒を同質化しようとして、いじめを利用している教師がいるということだろう。一つの価値観に縛り付けようという教育が、いじめを生む。

 いじめ対策に必要なのは、命の大切さや人の心をいたわることを教えることではない。ほとんどの場合、知っててやっているからだ。いじめは基本的に生存競争の一つの現れであり、いじめを減らすには生存競争を緩和するしかない。

11月26日

 新聞に、今の俳句は隠語の文化だというようなことが書いてあった。まあ、本人たちがそれでいいと言うなら、別に何も言うことはない。ネットゲームにはまるのとかわりない。彼等が独自な言葉使い、独自な価値観を持って、それがわかる仲間だけの世界で完結して、それで楽しいのなら何も言うことはない。彼等が古典文学に、何か特権を持っているかのようなことを言わないのなら、別に何も問題はない。

 ただ、もしどこかに、そんなんじゃない、日常の言葉で日常の感覚で日常的な季節感で、俳句や連句をやっている人がいれば、一緒にやりたいものだ。

 午後から浦上玉堂展を見に行った。前回よりも人は増えていて、テレビや新聞や美術雜誌で取り上げられたりした効果があったのだろう。それにしても、これだけたくさんの玉堂作品が一度に見られるというのは、江戸時代では考えられなかったことだろう。それこそ一生に一度、一枚に出会えば幸せだったのではなかったか。それを思うと、今は何と贅沢な時代だろう。美術館に来れなくても、画集でも図録でも見られるが、これも昔では考えられないことだった。

 家に帰ってみれば、これまたいいニュースで、横浜FC優勝!もちろんJ1昇格。最高の一日だった。d=(=´∇`=)=b

11月23日

 横浜FCは惜しくも引き分けたが、柏が負け、神戸も草津と引き分けたため、首位をキープ。あと二試合で城の引退を優勝で飾れるか。

 下北沢へシェリーズを見に行った。5バンドのタイバンで、最後のつしまみれは歳のせいで体力がもたず、途中退出した。最初に出たエレクトリックトイズは、独特な詩の世界でこれからが期待できるかも。シェリーズはとにかく上手かった。特にドラムが良かった。あとはギャグのネタを増やすことか!?

 下北の町は、渋谷のスペイン坂が延々と続くような賑やかな町で、古くから若者文化を引っ張り続けてきただけあって、かなりレベルの高い町という感じだった。下手な再開発などしてほしくないものだ。

11月21日

 今日はゆきちゃんの一回忌。久しぶりにゆきちゃんの好物のフライドチキンを食べた。あのあと駅前にあったケンタッキーが閉店し、今では建物もないから、ゆきちゃんが連れてったのだろう。きっとエジプトのスフィンクスの前にケンタッキーがあるように、虹の橋のたもとにもケンタッキー虹の橋店というのがあって、虹の橋を渡る猫たちでにぎわっていることだろう。

 新聞でまた浦上玉堂のことが取り上げられていた。この前はNHKでもやっていたし、今度行く時にはもう少し人が増えているといいな。昔は江戸時代=封建的暗黒時代のイメージで、玉堂の脱藩も命がけの悲壮なものと感じで受け止められてたらしい。これは芭蕉の旅のイメージにも共通しているのかもしれない。ここ最近の江戸学の発達で、こうしたイメージはだいぶ影を潜めた。命がけの反抗ではなく、江戸時代の一つの遊びの文化として、玉堂も捉えなおされなくてはならないのだろう。

 玉堂の絵を筆法を知らぬ素人画というふうに紹介されることもあるが、それは玉堂が謙遜して言っていることを真に受けたもので、実際に玉堂の初期の作品は伝統絵画の基本的な技法に忠実に描かれている。それを破っていったところに、玉堂の独自の世界が生じたと考えた方がいい。

 ところで、俺がこうして日記に猫のことやロックやヒップホップのことや漫画のこと、スポーツのこと、ゲームのことと同列に、古典のこと、政治のこと、哲学のことなども書くのは、理由があってやっていることで、別にふざけているわけではない。国家や宗教は、結局排他的な組織を形成することで、この世に平和をもたらすどころか、むしろ悲惨な戦争や差別や迫害の原因になってきた。これに対し、芸術やスポーツやゲームは、排他的な組織を作ることなく、瞬時にして国教や民族や宗教の違いを越えて人の心を結びつける力がある。こうしたものに一人一人が少しでも参加することで、緩やかな組織なき共同体の一員となることこそ、本当に世界を平和にする力があるからだ。

 それは簡単なことだし、誰にでもできる。それでいて国家に奉仕することよりも宗教を信じるよりも、はるかに尊くて崇高な目的を持っている。卑下することはない。胸を張ろう。

11月16日

 敗戦のトラウマというのはいったい何なのだろうかと思うのだが、自分の国に自信がもてないというのは、何も戦後に限ったことではなく、明治の頃から日本の知識人は伝統文化を野蛮で恥ずかしいものとみなし、自虐的な態度を取り続け、西洋崇拝の教育を推し進めてきたわけだし。むしろ負けて平和が来たということに何か釈然としない感情を持ち続けてきたことの方が大きいのかもしれない。平和や豊かさを恥じ、「平和ボケ」だとか「飽食」だとか、あたかもそれが悪いことであるかのように振るまい、一方では再軍備を、もう一方では反米闘争を、何かと理由を付けて、結局勝って終らせたいということなのだろうか。

 戦後の日本は食生活の改善で体位の向上ということを歌ってきたが、これも奇妙なことだ。もっとも、別に体が大きくなれば強い国が作れるというわけではなく、単に背が高い方がかっこいいし、西洋風の食い物が美味いから、実際に体位は向上したが。それにしても、相変わらずサッカーでもバレーボールでも、高さに対し過敏になりすぎているのではないか。メキシコなど、日本人より背の低い選手がたくさんいるのに、がんばっているじゃないか。バレーボールだって、高さに負けたではテンさんの立場がない。これも敗戦のトラウマ?別に体が小さいから戦争に負けたわけではあるまい。南京虐殺が世界に報道され、国際世論を敵に回したことが本当の敗因ではなかったか。

 一度国際世論で袋叩きにあったからといって、その原因をきちんと知ろうともせずに、体が小さいからだとか、肌の色が黄色いからだとか、そういう肉体的なコンプレックスに結びつける発想も、敗戦のトラウマの一種なのだろう。

 再軍備や核保有の議論も、別に議論すること自体が悪いということではないが、さしたる野心があるわけでもなく、北朝鮮の核にびびって、臆病風に吹かれて、あわてて再軍備・核保有では格好がつかない。キム・ジョンイルを喜ばすだけだ。これも国際世論を信じず、日本が北朝鮮に攻められたら国際社会から見殺しにされるという被害妄想によるものなのか。

 80年代はまだ冷戦の時代で、誰しもいつ核戦争が起きて人類が滅亡するかもしれないということを心のどこかで思いながら生きてきた。それに比べれば、北朝鮮の核などはスケールが小さい。それでも、本当に核戦争になれば、日本も北朝鮮も消滅する。日本と北朝鮮でプチ冷戦みたいな軍拡競争をやって、わざわざそんな時代を作ることもないだろう。

 アメリカも911事件で多くの人が悲しんだが、報復戦争はもっと多くの悲しみを生んだ。それに気づかないほどアメリカ人もバカではなかったから、共和党は惨敗した。拉致被害者の家族は悲しいが、報復戦争となればもっと多くの人が悲しむことは、誰しもわかっていることだと信じたい。何よりも、拉致被害者の家族自体がそうならないことを願っているだろう。

11月13日

 新聞に80年代文化のことが載っていた。80年代というと、俺もP-MODELを聞いてすぐに髪を切りにいって、長髪文化に決裂したし、何とかテクノファッションを取り入れようと細いネクタイを締めてみたり、黒ぶちのサングラスをかけたりしたのは、若気の至りだ。

 日本人が敗戦のトラウマを脱却した時代というのは本当だろう。それまでも日本は自動車やカメラやラジカセを輸出していたが、ハードウエアだけでなくソフトウエアも、いわば日本独自の文化を輸出するようになったのが、この80年代だった。YMОは欧米で売れた初めての日本発の新しい音楽だったし、プラスティックスのニューヨークでの成功とあわせて、テクノポップはアメリカやイギリスの最先端の人たちの目を引くこととなった。P-MODELの楽屋に突然デビッド・ボウイが尋ねてきたなんて話もあり、今でも向こうのポップスでYMОの曲がサンプリングされてたりすると、結構嬉しい。

 日本が輸出したのは、もちろん音楽だけではなかった。原宿ファッションも注目を集めたし、スペースインベーダーに始まる日本のコンピューター・ゲームも次々と海外に輸出された。日本製のアニメもまた、世界で放送されるようになったのは、この頃からではなかったか。さらに、同じ電気製品の輸出でも、それまでのアメリカにあるものを安く高性能に作るという猿真似商法ではなく、ウォークマンやカラオケのような新しい生活スタイルを提唱するタイプのものが出てきたことも画期的だった。この頃から、日本人は欧米の文化に卑下する必要がなくなり、むしろ文化輸出国として胸を張れるようになったのではなかったか。(もっとも今でも70年代で時間が止まったような人たちはいる。詩人会議の集まりに行った時、タイムスリップしたような気分になった。彼らにとって80年代は存在しなかったのだろう。)

 韓流ブームというのも冬ソナに始まったものではなく、その根は88年のソウルオリンピックの前に起きた、第一次韓国ブームにあった。欧米に卑下する必要のなくなった日本人は、同時にアジアに対して差別意識を持つ必要もなくなった。

 そういうわけで、今の日本も基本的に80年代文化の延長だと思うし、もちろんこの文化的断絶を若くして経験できた世代と、それ以前のいわゆる旧人類世代との間には、大きな断絶があるのも確かだ。そういうわけで、80年代文化を語り出すと止まらないこやんでした。

11月12日

 銀座の渋谷画廊に石黒光男展を見に行った。2003年11月30日にも一度行って、日記にも書いてあったが、毎年やっているのに都合がつかず、3年ぶりとなった。鮮やかな色彩と、思わず頬が緩むような人を和ませる画風は、前回以上にパワーアップしていた。こういう絵は一点だけでどこかの家の壁を飾るのもいいかもしれないが、この画廊で座ってお茶を飲みながらこの絵を眺めるみたいに、何かこういう石黒ワールドに囲まれて和める空間というのが一番いいのも知れない。たとえばカフェだとかレストランのようなところを飾るだとか、そういう需要があるといいのではないか。

11月3日

 千葉市美術館へ浦上玉堂展を見に行った。さすがに千葉は遠く、2時間かかった。新たに発見された初期の絵を含め、これだけたくさんの玉堂の絵がそろうことは早々ないだろう。七弦琴やそれを入れる絵の書かれた袋もあり、これをギターのようにいつも持ち歩いていたのだろう。ただ、知名度が今ひとつなせいか、人はまばらで残念だった。この作品の半分くらいが外人に買い取られでもしないと、なかなか自分の国の文化というのは評価されないのだろうか。

10月29日

 世田谷美術館へアンリ・ルソー展を見に行った。ルソーの作品は一部屋だけで、日本国内にあるルソーの絵をかき集めたような感じだった。あとはそれに影響を受けたというかパクッたというような日本の画家の絵が、ほとんど抱き合わせ商法のように並んでいた。アンドレ・ポーシャンの楽園の絵などは若冲にも通じるものがあり、若冲もルソー=ポーシャンの延長線上で、理解されたのかもしれない。そして、日本でその亜流が幅を利かせる中で、江戸時代にもっと凄い画家がいたということで再評価されだしたのかなと思うと、若冲とルソーとを結ぶ線がつながったように思えた。

10月28日

 タワーレコードの「鋼鉄無間地獄」を見てきた。デトロイト・メタル・シティーの二巻は昨日読んだが、ばかばかしいけど面白い。きっとクラウザーⅡ世は誰の心の中にもいるのだろう。

 横浜FC=柏レイソル戦をテレビで見た。やけにテンションの低い実況と解説で、高校サッカーか何かのようだった。試合は後半に3-1とリードされたのを3-3の引き分けに持ち込む展開だった。あきらめずによく闘った。

10月23日

 FFXIIをとりあえずクリアーした。110時間、平均レベル56。ヘネ魔石鉱ではすぐ死ぬメンバーだったが、バハムートでは楽勝だった。

10月15日

 玉堂展が来るというので、とりあえず随分前に書いた「浦上玉堂の山水画を読む」をアップしてみた。ゆきちゃんのキャラは古いマックで書いたために使うことができず、書き直した。若冲展もルーブルに負けないくらい盛り上がったのだから、玉堂も若冲に続いて欲しい。誰ピカとかで取り上げてくれないかな。

10月11日

 今朝の新聞に岡山でやっている玉堂展のことが載っていたが、最後に何と千葉にも来るとあった。岡山は無理でも、千葉なら何とか行けそうだ。だから12月3日まで、北朝鮮は核攻撃禁止!

10月9日

 北朝鮮の核実験は安部首相には追い風になるのだろう。911の時のブッシュのように。そして、それが北朝鮮の狙いだからこそ、韓国訪問中を狙ったのだろう。これで靖国問題はどこかに吹っ飛ぶだろうし、憲法改正や再軍備だけでなく、独自の核武装への道も開けてくる。そして、北朝鮮は「日本の脅威に対抗するために」という理由で、堂々と核保有ができるようになる。核ミサイルによる反撃の可能性を考えれば、アメリカとはいえ、うかつに軍事介入はできない。軍隊を持ちたい日本政府と軍事独裁政権を維持したい北朝鮮政府の利害は、結局一致している。

 これを期に、反北朝鮮感情をあおる、さまざまな宣伝があるだろうけど、これは無視しなくてはならない。大事なのは我々一人一人が平和な生活を続けることだ。平和は決して与えられたものではない。みんなで日々作っているものだということを忘れずに。

 そういうわけで、この日記も戦時体制には入らずに、今までどおりにゆく。横浜FCがこともあろうに神戸の聞いた事のないようなチームに負けた。主力を温存したようだが、天皇杯を軽視して欲しくはない。フリューゲルスが最後の年に天皇杯で優勝したことの意味を忘れて欲しくはないから。

10月1日

 神戸も柏も負けて、横浜FCがついに首位に。草津に負けたときはどうなるかと思ったが、これで昇格だけでなく優勝も見えてきた。

9月23日

 国立競技場へ横浜FC=ザスパ草津戦を見に行った。今日は前座試合があった。森山直太郎、GAKU MCほか、元Jリーガーのチーム「岩窟王」と横浜FCОBチームとの15分15分のミニゲームだった。渡辺一平、有馬、幸田、重田、増田、公文、大石といった、JFL時代の選手がそろい、それに元ブンデスリーガーの奥寺社長までがユニホームを着て登場し、結構盛り上がった。「チャンチャンチャチャチャン、まもーれ大石」のフレーズも久しぶりに聞いた。試合も有馬のヘッド、神野の股抜きシュートで快勝。だが、良かったのはそこまでだった。

 せっかく森山直太郎やGAKU MCから応援メッセージをいただいたのに、前がかりになりすぎてカウンターで負けるという、典型的な格下チームに負けるときのパターンになった。結果は0-2だった。

 これで、今期は2勝2敗1引き分け、快進撃を続けた割には、観戦成績は良くない。あともう一回くらい行けるチャンスがあるだろうか。

9月20日

 まあ、日本は中世から庶民の識字率が高く、経済感覚を持ち、風雅に親しみ、安定した庶民文化を持っているから、政治は誰がやってもよく、信長や戦前の軍部のような庶民文化に対して破壊的な行動さえ取らなければ大体は安泰だった。他所の国では首相の支持率が10パーセントを切るとクーデターが起きてもおかしくないと言われるが、日本では森首相の例もあるように、支持率もほとんど問題ではない。基本的には下手に我を出して頑張ろうとせずに、おとなしく神輿に乗っていれば、首相は誰でもいい。大事なのは、政治家の言動に振り回されずに庶民が平和な日常生活を維持することだけだ。

 安倍首相の発言のほとんどは海外を意識したものではなく、あいかわらず旧左翼を挑発するためのもので、民主党の分裂でも狙っているのだろうか。

 格差社会と言われるが、それが数字に表れにくいのは、日本の場合サービス残業やサービス出勤が多いため、労働時間の統計がほとんど当てにならず、月80時間以上の残業をしていても年収300万という層がいることが忘れられているからだ。

9月18日

  FFXIIのほうは、ようやく帝都アルケイディスにたどりついた。52時間。平均レベルは34。

 

 ところであのタラコの歌はなにやらシュールで不気味で、どこかあの「団子三兄弟」にも通じるものがある。可愛いだけでなく、どこか毒のあるところが売れるのだろう。

9月9日

 今日は重陽ということで、最近はこの重陽を復活させようという動きがあるのか、ラジオでの紹介されていたし、スーパーのチラシでも栗御飯などが載っていた。まあ、夏休みが終って消費が鈍る季節だから、ここら辺で盛り上げたいのだろう。でも、伝統が復活するのはいいことで、菊の節句ということで、食用菊のサラダを作ってみた。

9月6日

 今日、すずちゃんは避妊手術のためにお泊り。まあ、これも人間の勝手といえばそのとおりのことで、別に否定するつもりもない。

 人間は神様ではないのだから、完全な善なんてのは知る由もない。ただ、現実に可能な選択肢の中から、どれが最善かを選ぶことができるだけだ。もし俺が猫の避妊手術のなかった時代に生きていれば、生れた子猫を川に流しに行ってたかもしれない。でも、今そんなことをするよりは、避妊手術の方が良いということは知っている。どちらも人間の勝手で、偽善だと言われればそれまでだが、でも観念の世界ではなくあくまで現実の中で生きている以上、どちらが善いかを決めなくてはならない。

 俺は芭蕉が富士川の捨て子を見殺しにしたことを咎めるつもりはない。当時は捨て子を保護する施設なんてものはまだなかった。だからそうするしかなかった。コンドームだって赤ちゃんになるはずの精子を、ラッドの歌にあるように「いくつもの夢、包まれちゃった、ポイされちゃった、それぞれの命のたね」(RADWIMPS『コンドーム』)ってことするわけだが、だからこそこの歌で歌われているように、そんな中で生き残って生れて、愛情をもって育てられてきたことの重さを考えなくてはいけないだけで、捨て子をするのと同じということではない。

 大体、人間の勝手さや偽善性を指摘するなんてのは簡単なことで、誰だって言えることだ。ただ、それが自分にも返ってくるということを忘れてはならない。どっちも人間の勝手で、偽善的なことなのだから、猫を崖から投げ捨ててもいいということではない。

 ひょっとしたら、百年二百年すれば、21世紀には猫の避妊手術などという野蛮なことが行われていた、という時代が来るのかもしれない。もっといい解決策があるのかもしれないが、今はそれを知らない。今はただ、現実に可能な選択肢の中から、どれが最善かを選ぶだけだ。

9月2日

 三ッ沢へ横浜FC=神戸ヴィッセル戦を見に行った。目下三位の横浜FCが二位のヴィッセルと直接対決するだけに、J1昇格に一歩近づくためにも重要な試合だった。そのせいかプレッシャーがあったのだろうか。萎縮したように、終始引き気味の試合運びとなってしまった。結局後半15分くらいに失点し、そのまま終ってしまった。やはりヴィッセルは元J1の貫禄の差か。これを乗り越えなければ、J1昇格は難しい。

 せっかく6000人も来て、応援の方は結構盛り上がった。まあ、サッカーは基本はお祭りで、勝っても負けても盛り上がれることが何よりだ。♪三ッ沢~三ッ沢~三ッ沢~~、友よ歌え狂え叫べよ~。

8月30日

 スー・ハベルの『猫が小さくなった理由わけ』を読んでいたら、、猫はヤマネコからイエネコへの進化の過程で、脳の萎縮(小型化)が起ったのだという。脳が小さくなったからといってバカになったのではなく、むしろ野生動物特有の過度の警戒心が、人間との共存によって不要になったからだという。

 これはひょっとしたら、ネアンデルタール人からクロマニヨン人にかけての脳の小型化にも関係があるのかもしれない。おそらくネアンデルタール人は、他の野生動物と同様に警戒心が強く、生真面目で、生きることに真摯すぎたのだろう。そのため、ネアンデルタール人の社会は常に殺気立っていて、争いが絶えなかったのに対し、遊ぶことを覚えたクロマニヨン人は、毎日歌って踊って、化粧したりタトゥーをしたり絵を描いたりして、楽しく生きるすべを知っていた。それが明暗を分けたのではなかったか。

 ネアンデルタール人も、スティーブン・ミズンの『歌うネアンデルタール』で言うように、歌っていたかもしれない。しかし、それはおそらく、同じ歌を何十年も全員で斉唱するような退屈なものだったにちがいない。次から次へと新曲を生み出し、新しい楽器を開発し、新しい奏法を試し、新しい振り付け、新しいステップを編み出しては流行させ、いつでも新鮮な感動を得られるようになったのは、クロマニヨン人以降のことにちがいない。

 そういうわけで、我らクロマニヨンズに乾杯!脳はでかけりゃいいってもんではない。

8月25日

 前にこのサイトのどこかに、日本人には信念はあるが哲学はない、というようなことを書いたことがあった。要するに、身分や立場のわけへだてなく、自由に議論するという習慣が未発達で、ほんの些細なことでも目上の人の間違いを指摘することは失礼なこととされてしまう。。そのため、偉くなれば偉くなるほど、どんな変なことを言っても、ごく初歩的な間違いを犯しても、周囲の人間は誰もそれを指摘できなくなる。こうしてイエスマンに囲まれて自分は絶対に正しいと信じ込み、信念の人となった人は、予期せぬところから批判の声が上っても、何でそんなことを言われるのか理解できない。それは一国の首相の神社への参拝にしてもそうだし、犬猫を殺すホラー作家にしても同じなのだろう。何を言われても、自分はガリレオになったような気分で、「それでも地球は動く」と信念を曲げないことだけが美徳だと信じている。ある意味ではかわいそうな人達だ。

 幸いなことに私は偉くなるどころか、いつも人からバカだのタコだの言われているから、何を言っても怒られるし、有無をも言わせずに徹底的に否定される。だからいつまでも頭は柔軟でいられるし、新しいものを学ぶことができる。ノーマンに囲まれた生活というのも、理論を鍛えるためには悪くない。

8月24日

 8月2日のところで書いた坂東眞砂子のエッセイが、ついに他新聞に叩かれて問題が大きくなってきた。この前の「猫殺し」の文は読んだが、昔はこうだったから、タヒチではこうだから、猫を殺したっていいじゃないかという種の稚拙な論理で、批評する気も起きなかった。それなら、昔は首狩りだとか食人だとかやってたから、今でもやってもいいだとかと同じで全くガキの論理だ。

 自然の摂理が問題になる場合は、たとえば、野生の生物が捕食者によって捕らえられるのを邪魔するべきではないだとか、サルの子殺しに研究者が安易に介入するべきではないだとか、それならわかる。残念ながら、犬や猫は人に飼われている生き物で、野生生物ではない。人間が保護しなければ生きていけない動物に関しては、最後まで人間がきちんと管理しなくてはならない。少なくとも経済的状況が許すかぎりで、最善を尽す必要がある。坂東眞砂子が文章が売れなくて生活保護を受けていて、やむなく子猫を殺したというなら、まだ同情の余地はあるが‥‥

 最近の青少年の猟奇的な犯罪を見ていても、たいてい人を殺す前に猫で試すというケースが多い。その意味では今や猫殺しは人殺しの始まりと言ってもいい。その辺の空気が読めなくて、変に突っ張ってしまったのがまずかったのだろう。著書を読んだことがないからどの程度の才能かは知らないが、多分この事件でさよならになりそうだ。

 余談だが、高橋ツトムの「スカイハイ 新章」の第五死に猫の話があって、あれは泣ける。

8月15日

 今日は二度目の『若冲と江戸絵画展』。昨日を予定していたのだが、停電で電車が止まったため延期した。今日はかなり込んでいて、昼過ぎに博物館を出る頃には、入場制限になっていた。

 神保町でプードルケーキを食べた。

8月14日

 送電線が一箇所切れただけでもこんな騒ぎになるのだから、日本全国のむき出しの送電線を攻撃されたら、電気だけでなく、交通も通信もみなストップしてしまう。軍事的見地からも送電線は地下に埋めた方がいいのでは。

 FFXIIを始めた。ゲーム脳というのは座禅脳やモーツアルト脳とそう変わらないというから、煮詰まったときは頭をゲーム脳にすれば、何かいいアイデアが出るのでは。

8月13日

 『ハリーポッター 炎のゴブレット』のDVDを見た。この頃から本も二冊になり長くなったせいか、ストーリーもかなりはしよられていて、原作を読んでない人にはわかりにくかっただろう。

 小泉首相が靖国神社でどんな派手なパフォーマンスを行おうとも、単に死者への義理立てという以外に何かこの国に影響を与えることがあるのだろうか。遺族会へのアピールくらいにはなっても、今さらそれで戦前の軍部の行動が再評価されたり、英雄視されるようなことはどう考えてもありそうにない。中国や韓国がどのような強硬な態度を取ろうとも、それで再軍備や第二次日中戦争へと世論が高まるなんてことを考えるのも時代錯誤だろう。結局そんなに騒ぐような問題でもないのではないし、やらしておけばいいのではないか。何十年か経ってみれば、結局小泉首相が名を残すのは、X-japnのコンサートに行っただとか写真集を出しただとか、そういうことだろう。

8月6日

 三ッ沢へ横浜FC=水戸ホーリーホック戦を見に行った。オープニングアクトでは、球舞のパフォーマンスがあった。

 試合は前半でアウグストのきれいなゴールと早川のこぼれ球を押し込むゴールで2-0となり、あとは余裕のボールキープで楽勝と思っていたら、後半にディフェンスの動きが止まり、簡単に2点返されてしまった。その後も一度緊張感の緩んだディフェンスはなかなか修正できず、危なっかしい場面が続き、負けを覚悟していたが、何とか終了間際にもとの動きを取り戻し、最後は城のドリブル突破のゴールで、やっと勝った。危ないながらも最後は勝つというのは、やはり底力だろう。また一歩J1昇格に近づいた試合だった。

8月2日

 梅雨が明けたとはいえ、夏本番というよりはもう秋かなというような天気で、風は涼しく、どこか物悲しい。

 老猫会でとある新聞のコラムのことが話題になったいた。確かに、純血の飼い犬と混血の犬を差別して、片方には小屋も与えず、生れた子供を処分して、という話も凄いが、その後の文章の展開はもっと凄い。何と流行を追う人間の心理を、こうした虐げられた犬が、犬小屋と仔犬を求めるようなものだと結論するのだ。締め切りに迫られて苦し紛れ書いたにしても、何か人柄が表れているようで怖い。この作家のホラー作品よりも怖いかもしれない。

 混血といえば、ハリーポッターと混血のプリンス。ヴォルデモートも○○○○も、混血であるが故の差別から闇の世界に入っていったことを考えれば、この問題は深い。

7月22日

 国立博物館へ『若冲と江戸絵画展』を見に行った。メインはやはり『鳥獣花木図屏風』だろう。タイルで作られたモザイクの壁をイメージして、それを紙の上で屏風に再現したのだろうか。一つ一つの区画は決してベタ塗りではなく、濃淡を用いて立体感を出しているし、区画の線も定規で引いたようでありながら微妙に曲がってたりして、とにかく細かい。動物たちが集まっているのは、ひょっとしたら釈迦の視点から見た「涅槃図」なのだろうか。

 他にも色々面白い絵があった。『唐人物図』は曾我蕭白の似せ物だが、荒っぽく描かれた人物が蕭白より蕭白っぽい。河鍋曉斎の絵もあった。

 照明の明るさを変化させて見せる演出のコーナーもあって、特に灯りを落としてみた時の金屏風や銀屏風の印象が、明るいときとかなり違うのが面白かった。伝統絵画は近代日本画と違い、別に展覧会で賞を取るために描かれたわけではないから、むしろ生活の中でいろいろな顔を持っていたのだろう。昼に見れば華やかで、夜に見れば落ち着いた癒しを感じさせる色調になる。そんな計算も働いていたのか。

 そのあと弥生美術館にも行ってみた。伊藤彦造という挿絵画家追悼の展覧会をやっていた。竹久夢二美術館とくっついた小さな建物で、入り口のところにある食堂に猫がいた。

 帰りに表参道で降りて、表参道ヒルズとやらに行ってみた。外人がたくさんいて記念写真を取っていた。通路に人が溢れているわりには、店に入る人は少ないようだった。

7月20日

 こういう時期にタイミングよくこういうメモが出てくるというのは、一体何なのだろうか。小泉首相も皇室典範の改正に失敗しているし、このうえ昭和天皇の意思に反して靖国参拝をすれば、逆臣になりかねない。

 結局日本の政治というのはこっくりさんのようなもので、誰かが動かしているのだろうけど、誰が動かしているのかわからないところで動いて行く。そして、こういうのがわずらわしくて、単純に弱いものが強いものに服従するだけの単純な社会を作ろうというところで、信長や秀吉が(あるいは吉田松陰も)必死にもがいていたのかもしれない。そして多分、小泉首相もこの壁は越えられないだろう。

 天皇制というのは本来、形式的な王を不動のものとすることによって、誰一人絶対に日本の王になれないというシステムで、本来独裁政治に対する歯止めとして機能してきたものだった。それを破り、天皇を独裁政治のシンボルにするには、天皇を拉致し、操り人形にするしかなかった。敗戦時に日本がイラクのようにならなかったのは、天皇自身がラジオ放送を通じて、国民の前で降伏を宣言したからで、天皇が「耐え難きを耐え」と言ったのに、その意思に反して戦えば逆臣になるからだった。

 近代の天皇制に問題があったのは、結局天皇に軍の統帥権を与え、実質的に軍部が天皇に代わって勝手に戦争を起こすことができたからで、天皇を軍隊から切り離した戦後の体制では、再び平和のシンボルに戻っている。だから、おそらく天皇制を廃絶しようとする勢力というのは、本音の部分では、それが「反米闘争」の最大の障壁だからではないか。

 靖国参拝を国家の大義だと信じていた若い右翼には、こうしたメモにかなり戸惑うことだろう。愛国心というのも、ほかの「愛」と名の付くものと同じで、時には一人よがりになる。愛国心が是か非かなんて議論は馬鹿げているとしても、本当の愛とは何かということは常に考えなくてはならないことだ。

7月17日

 『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を読み始めた。一年半のブランクがあるので、登場人物の名前もかなり忘れている。それに、スネイプ先生が「我輩」なんていうと、あのドラマの我輩の顔が浮かんでしまう。

7月15日

 あふりらんぽの『バカがきた!』を聴いた。これはロックバンドとしてのアルバムではないので、注意。カメルーンに住む狩猟民族、バカ・ピグミー(ピグミーというのは中央アフリカ背の低い狩猟民族の総称で、バカ、アカ、ムブティなどの諸族がある)との交流の記録であり、むしろワールドミュージックに分類すべきか。真面目な人類学者が取材しても、こういう生き生きとしたものは作れないだろう。

7月11日

 ジダンの退場は思わぬ方向に広がって行った。退場の引き金になった暴言とは何かを廻って、単なる憶測による様々な報道がヨーロッパで飛び交い、暴言を吐いて挑発した側にも罰金をなんて話にもなっている。ベッカムやオルテガが切れてもこんなことにはならなかったことを思うと、やはりジダンはただ者ではなかった。切れてもジダン。

 『書きたがる脳』(アリス・W・フラハティ著)という本を見つけた。「ハイパーグラフィア」という病名は、まさに俺にぴったり。果たしてこの病気に治療法はあるのだろうか。

7月10日

 決勝戦にふさわしい、名勝負だった。イタリア人ばかりのイタリアに対し、どう見ても8割がたアフリカ人で、白人はいても名前がフランスっぽくなかったり、ある意味でNO RACISMの手本のようなフランス。暴動もあり、移民への風当たりの強い中でのフランスの決勝進出を、いわゆる生粋のフランス人はどんな目で見てたのだろうか。

 最初からアンリを削りに行き、荒れた展開を望んだイタリアは、結局PKで失点。そのあとセットプレーでよく1点返した。フランスに冷静な試合運びをさせないというのがイタリアの狙いだったのだろう。そして、最後についに切れてしまったジダンの後姿。これも何年かすれば伝説になるのだろう。中田は「しまった」と思ったのではないか。中田は結局サッカーのために本当にバカになることができなかった、その中途半端さが最大の弱点だった。だから、引退してなお、評論家みたいなことは言わないで欲しい。本当に日本のサッカーにまだ言いたいことがあるなら、もう一度ピッチで見せてくれ。

 イタリアのほうはトッティが封じられてしまったか。代わりに目立ったのは鴨さんだった。試合終了後には断髪式をやってたけど、あれこそ本物のサムライブルーだ。

 数々のドラマを残して、ワールドカップも終った。もうしばらくは早起きすることもないだろう。祭りの後は寂しいが、でもまたどこかで新しい祭りが始まる。祭りを日常化させたことこそ、文明の最大の勝利だ。

7月5日

 朝早く目が覚めて、ドイツ=イタリア戦を見た。後半からだったが、いい試合だった。北朝鮮が二発目のミサイルを撃ったというニュースが入っていたが、それを吹っ飛ばすようなイタリアの二発で、同じ二発でも、やはり平和と自由への人類永遠の願いのこもった二発は重みが違う。枠を外した当りそこないのちょぼちょぼの(燃料がないのではないか)あの国のシュートは、六発だろうが七発だろうが、あまりに軽い。無視してもいいだろう。

7月4日

 「自分探し」なんてよく言うけど、探さなければ見つからないような自分なんてのは、最初からないのではないだろうか。本当の自分というのは、どうやっても結局そうなってしまう、どうしようもないもので、探すまでもなくいつもそうであり、逃れられないものなのではないか。

 たとえば、俺はこうしてトラックの運転手をしながら、こうしてネットの片隅でなんちゃって学者みたいなことをしているが、これでも若い頃は大学院を目指して勉強しようとしたこともあった。結局周囲の猛反対で、普通に就職することにしたが、どうにもなじめず一年でやめて、結局今に至っている。もしあの時周囲の反対を押し切って大学院に進み、運良くどこかの大学の講師になっていたらどうなっていただろうか。学者というのも結局組織活動であり、先輩の説はたとえ間違っていても拍手しなければならない。そういう世界だから、結局どこかで先輩の教授を批判したりして、ほされて、大学をクビになって、生活のためにトラックの運転手になり、それでも何か書きたくて、ネットの片隅でなんちゃって学者‥‥そう考えると、今と何ら変わらない生活をしていただろう。

 人間と行動というのは、結局8割は遺伝子によって決定されているもので、環境やその時の気まぐれな選択によって多少違う人生を歩むことがあるにしても、長い目で見れば結局同じようなことになっているものだ。「自分」というのは逃れられない宿命であり、だからこそ、その宿命から逃れたくて、何か別の自分を求める。それが「自分探しの旅」と言われるものなのだろう。だが、どのような旅をしても、最後は納まるところに納まる。そんなものだ。

7月1日

 午前三時までついついドイツ=アルゼンチン戦を見てしまった。そのまま2時間しか眠れずに仕事に行った。そして、終ってから日産スタジアムに横浜FC=東京ベルディ戦を見に行った。今年はなぜか、やっと見にいけると思うと、雨にたたられる。三ッ沢と違い屋根はあるが、いつもと違いピッチが遠く、選手の顔がよく見えない。日本のサッカーがもう一つ盛り上がらないのは、日本人の視力の問題もあるのだろうか。これがアフリカ人だったら、多分向こう側にいるキーパーの表情まで手に取るようにわかるのだろう。

 久々にゴールネット裏からの観戦で、あらためてサイドにこんな大きなスペースがあったのかという感じだ。横浜FCの攻めは、サイドを深くえぐって折り返すというよりは、浅い位置から中央に切れ込むことが多かった。再三チャンスを作り、守備も安定していて、負ける気はしなかったが、シュートが惜しいところで枠を捉えきれず、結局スコアレスレスドローに。残念。

 雨で天候に恵まれなかったとは言え、1万1千人を越える観客動因も久しぶりで、俺の行った試合では、4年前のワールドカップ直後の対セレッソ戦以来だ。あの時は、森島・西沢というワールドカップのヒーローをベンチに温存してのスタートだったが、横浜の猛攻でついにこの二人を引きずり出したという展開だった。

6月23日

 前半はいい試合だった。惜しくも最後に追いつかれてしまったが、ブラジル相手によくやった。しかし、後半はブラジルの練習につき合わされただけだった。昔はよく、スタミナ不足ということがあって、前半はいいが後半に逆転されるということがよくあったが、フランスの時も日韓の時も、こういう負け方をすることはなかったし、そのほかの親善試合でも、こうした後半に突然崩れ出すということはなかった。一体日本代表に何が起ったのだろうか。

 クロアチア戦の柳沢は、今思うとあれは壁パスであって、最初から自分でゴールを狙うということが頭になかったのではなかったか。顔はゴールではなくキーパーの方を向いていたし、しかも正確にキーパーの股を抜いている。だから、本人にしてみれば、蹴りそこなったというよりは、何で走りこんでこないんだよだったのかもしれない。

 ただでさえ日本型のサッカーがまだ確立されてないところに、出来合いの型にはめるのでもなければ、かといって新しい型を作れたわけでもなく、意志の疎通も欠いたまま、一度歯車がかみ合わなくなるとチームそのものが脆く崩壊する、それが今回の日本代表だったのかもしれない。

 中田がイチローになれなかったのは、イチローは日本という帰る国があったが、中田は帰れなかった。少なくとも、もう一度日本のサッカーを見直すほど、成熟したサッカー文化が日本にはなかったということだろう。

6月19日

 いろいろ言われているが、善戦といえば善戦だったのではなかったか。少なくとも、オーストラリア戦に勝っていたら、強豪クロアチアと良くぞ引き分けたというところだったかもしれない。ただ、ゴールの決定的なチャンスの時に、ついつい周りを気にして、結局自分で責任を負おうとせずに、他人任せにしてしまうのは、サッカーに限らない日本の国民性か。

 日本サッカーは結局は伝統がなく、これが日本のサッカーだというパターンを持っていない。そこが野球と違うところだ。野球だったら、この場面で選手が何をすべきか、日本中が知っているといっていい。テレビの前でおっさん達がみんな自分が監督になったかのように、ここはこうしなくてはいけないと熱弁をふるうところだが、サッカーはまだそのレベルまで行っていない。選手の方も試行錯誤の繰り返しで、これから日本のサッカーを作っていこうというところだから、当然うまくいく時もあればうまくいかない時もある。トルシエのようにそこに出来合いの型を叩き込んで、その場をしのぐやり方もあるが、ジーコはあくまで日本型サッカーを育てようという立場で、それはそれで悪くはない。

6月12日

 完敗だった。最初から何となく萎縮して、前へ向う感じがしなくて悪い予感がした。先制点もきれいに決まったというものではなく、運が良かっただけで、一歩間違えばキーパーチャージの場面だった。これを全員で守れ切ればと、トリニダードトバゴのことが頭に浮かんだが、守り切るのか、追加点をねらうのか、中途半端だった。ジーコが柳沢を小野に変えたのは、中盤でボールをキープして時間を稼ぐつもりだったのか。いずれにせよ、選手の意識はここでばらばらになってしまったのだろう。同点に追いつかれてからはガタガタになり、メンタリティーの弱さだけが目に付いた試合だった。

6月10日

 ついにワールドカップが始まった。昨日はヴァイスブルスト、ザワークラウト、ブレッツェル、黒ビール(ただし缶入り)などを用意して、気分を盛り上げた。ただ、試合の頃となると眠けとの戦いとなり、目の覚めるようないくつものゴールがなかったなら途中で眠ってしまい、気がついたらテレビは別の番組をやっていたなんてことにもなっていただろう。やはりワールドカップのレベルは凄い。日本は本当にこの中でやっていけるのだろうか。

5月31日

 『信長とは何か』を読み終えた。「日本は植民地支配の論理と方法を、不幸にして内から生み出してしまったのではないか」という言葉は、なかなか含蓄が深い。このことは当然明治以降の軍国主義にも当てはまるからだ。明治の初期に長州を中心とした政権は、日本の伝統文化をことごとく弾圧して西洋化を推し進めたが、ある意味ではアイヌや韓国の支配の前に、彼らはまず日本を植民地化し、それまでの伝統文化をことごとく奪ったのではなかったか。そして、このことが、近代の知識人がなぜ日本の文化に対しあれほどまでに自虐的な態度を取れるのかへの、一つの答えなのではないか。

 日本は中世に既に高い識字率を持ち、寺社を中心とした民間の力で平和で豊かな社会を築くことに成功した。そして、権力者はこうした民衆が作り上げた富を簒奪し続けてきたのだ。日本人であることを恥じ、フランスかドイツ(あるいはアメリカか旧ソ連)に生れなかったことを嘆く知識人達にとって、あくまで日本は彼らの植民地であり、この「自己植民地化」こそ、日本の社会の最大の病理ではないのか。少なくとも、この点に関しては右翼も左翼も同じ穴のむじなだ。天皇を利用しようとするものも、天皇を廃絶しようとするものも、結局自らを天皇の上を行くものとして位置づけていることには変わりない。そして、信長は既にその両面を持っていた。

5月24日

 小嶋道裕の『信長とは何か』を読みはじめた。最初からいきなり桶狭間の奇襲は江戸時代の小瀬甫庵の創作であり、史実でないことが書いてあった。ああ、やっぱりというか、筒井順慶の洞ヶ峠の日和見と一緒かというところだ。歴史の知識というのは、結構こういう後に作られたガセが多いのだろう。

 本当は織田軍が立てこもる鷲津・丸根の砦を攻めに、今川義元の軍が出てきたところ、信長は砦に立てこもる仲間を捨駒にして、義元の本陣へ向ったという。その本陣も桶狭間山の上にあり、上り坂だった。おそらく史実そのままでは面白くないので、平家物語の鵯越をパクッて、雷雨に乗じて谷間にあった義元の本陣に奇襲攻撃をかけたという話を作ったのだろう。秀吉の一夜城も嘘ということになると、やはり歴史小説というのはあくまでファンタジーとして楽しむべきで、実際の歴史と混同してはいけない。

5月23日

 きのうmimiちゃんが星になった。20日に虹が見えたのも何かそんな予感がした。ゆきちゃんとぴーにゃんがシリウスで、mooちゃんがアルデバラン、そしてmimiちゃんがカペラにと、みんな冬の夜空にそろったのは何かの縁か。

5月20日

 今日はすずちゃんを病院に連れて行って、三種混合ワクチンの注射を打ってもらった。すずちゃんのホームページ「すずろに すずちゃん」も今日からスタート。

5月14日

 横浜BLITZへTHE BACK HORNを見に行った。かつては今のRADのような二十歳そこそこでデビューしたTHE BACK HORN。あのころはティーンエイジの混沌とした情念を象徴的な詩に乗せて歌っていたが、今はちょうど現実が一番よく見えてくる年頃なのだろう。「夢を抱いて暮らしを背負って」だとか「どんなにイキがっても最後は暮らしのドレイだぜ」だとか「今日も無情なステージの上で」だとか、そんな言葉に嘘のないところがTHE BACK HORNの歌が今だに心を打ち続けるところだ。たいていは無理にティーンエイジの代弁者を演じたり、偉そうに人生を歌っちゃったりするものだが、それがないところがいい。現実をごまかさずに歌えるというのは、まだ夢があるからなのだろう。

5月11日

 今朝はすずちゃんのダダダダダッと走る音で目覚めた。起きると昨日と同じようにソファーの陰に隠れていた。

 夜家に帰ると、あれっ、隠れないの?って感じで部屋にいた。ちょっとびくっとした感じだが、すっかり部屋にはなじんでいた。部屋を駆け回り、足の指にはつんつんしたりガジガジしたり、猫じゃらしで遊ぶと飽きもせずにずーっと遊んでいる。

5月10日

 新しい猫、すずちゃんは今日の夕方になって、ようやくゆきちゃんの家から出て、部屋の中を探索し始めたが、ソファーの裏や机の下などに隠れていて、なかなかでてこない。

 声もやっと聞くことができた。甲高い澄んだ声で、最初からギャォーと鳴いていてゆきちゃんとはかなり違う。

5月9日

 新しい猫がやってきた。背中がシルバータビーで、お腹が白いきれいな猫で、まだ8ヶ月♀。まだ新しい環境になじめず、ゆきちゃんの家にこもりっきりだ。

5月4日

 きのう老猫会のmooちゃんが亡くなった。ホームページに乗っていたmooちゃんの遺言どおりにバラの花を一輪買いに行き、北東の方角に供えた。お悔やみのメッセージを書き込もうとしたが、書き込めるメッセージが既にいっぱいになっていて、エラーになった。

 RADWIMPSの「螢」という曲をmooちゃんに捧げた。

 

 虹の始まる場所を探したんだよ

 余った光をもらいに行ったよ

 

で始まる曲で、mooちゃんも今はゆきちゃんと一緒に虹の橋のたもとにいるのではないかと思った。

 

 嬉しいこと 悲しいことはいつも半分コずつなの

 だからそう 最期はゼロになれるの

 

みんなを喜ばせたり悲しませたりしすぎたから、もう上げるものがなくなってしまったのだろうか。それでもきっと、「幸せだねって言えるまで」光っていられたにちがいない。

 

 そのとき 一番眩しかった星に

 僕の名前をつけてほしいな

 

というフレーズがあったので、天文図鑑の付録についていたソフトでmooちゃんとゆきちゃんの死んだ時刻の星を調べた。その時ほぼ南中していたのは、mooちゃんはアルデバランでゆきちゃんはシリウスだった。二人の輝く星よ、永遠に。

5月1日

 久しぶりに筒井康隆の『筒井順慶』を読み返したが、今さらながらに筒井康隆が俺の思想形成に大きな影響を与えたことを痛感した。

 戦後の歴史観というのは、なんのかんの言って戦前の皇国史観を抜けきれず、古代史での騎馬民族説も結局は韓国併合を正当化するために考え出された日韓同系説を引きずるものだし、戦国時代に関しても相変わらず信長・秀吉の英雄崇拝に終始したし、幕末に関しても長州中心の歴史観が幅を利かせてきた。

 そんななかで、『筒井順慶』は画期的な作品だったし、今でも色あせていない。多分、今年の大河ドラマでも、本能寺の変の動機は光秀の怨恨説で落ち着いてしまうだろう。それが司馬史観だからしょうがない。ただ、怨恨説というのは、結局光秀が何の政治的理想もなく、個人的な感情に突き動かされたというもので、基本的には信長・秀吉を持ち上げるために光秀を不当に貶めた説にすぎない。

4月30日

 午後から板を買いにゆき、ゆきちゃんの祭壇(ゆきちゃん廟)を作った。今までのように床の上に小さな台を置いて、その上に遺骨や花やそのほか色々なものを乗せていたが、これだともし新しい猫が来た時にひっくり返すのではないかということで、壁掛け式の棚を作った。

4月29日

 今年は横浜FCがずいぶん頑張っているのに、なかなか応援に行けなかったが、今日はようやく時間が取れた。とはいえ、三ッ沢に着く頃からポツリポツリと雨が降り出し、すぐに本格的に降り出した。天気予報で午後から雨になると言っているとおりになった。

 ピッチでは今日は横浜のゆるキャラがたくさん応援に来ていた。試合は前半、雨の中、一進一退の攻防で終った。後半に入る頃には雨もやみ、それとともにアウグストのフリーキックが決まり一点。カズから北村に代わった後、その北村のゴールもあって2-0で快勝。\(=´∇`=)/

 横浜FCも最初の頃とすっかり選手が入れ替わってしまい、カズ、城、山口などの元日本代表メンバー中心のチームになったような感じだ。

4月23日

 里親探しのボランティアがいるというので行ってみたが、狭いケージに既に大きくなった猫が一匹と子猫が二匹一緒に入れられていて、大きい猫がシャーッとかパシパシとかしていてなんか可愛そうで見ていられなかった。オスメスを聞いても、ちょっと待ってくれという感じで、本当に猫が好きでやっているのだろうか。貰い受けるにも条件がきびしくて、なんか一戸建ての持ち家でもないと無理そうだった。

4月15日

 下町を散歩した。白山神社には猫がたくさんいた。ゆきちゃんのような白い猫もいた。小石川植物編では、八重山吹や、いろんな色の躑躅が咲いていた。池にはおたまじゃくしがたくさんいた。ここにも長毛の三毛猫がいた。

 そのあと、白山のじねんじょのカレーを食べ、根津神社の躑躅を見て、谷中のねんねこ家へ行った。ここ猫店員は出払っていて、店の前に一匹だけいた。

 ねんねこ家でもらった地図を見ながら谷中墓地に行ったら、猫がいるという肉球マークのところに本当に猫がいた。気持ちよさそうにコロンコロンしていた。朝倉彫塑館の先の小さな路地の小料理屋には六匹の猫がいて、カウンターの上に四匹が並んでいた。

 夕焼けダンダンは本当に猫の名所で、猫もたくさんいたが、大きなカメラを持った人も来ていて写真を撮っていた。猫尽くしの一日だった。

4月9日

 渋谷クラブクワトロへRADWIMPSを見に行った。去年の横浜BLITZにくらべるとかなり狭く、横の方へ行くと、ステージの半分が見えなくなるような所だった。演奏の方は感動的だったが、ギャグの方はややすべっていたか。ドリフネタ、俺はわかるけど。帰りに神座(かむくら)のラーメンを食べた。

4月8日

 今日はゆきちゃんの生誕21周年の日。ゆきちゃんよ、永遠に。

 「哲学館」というページを作ってみた。何か新しいものに挑戦したいと言いながら、結局昔取った杵柄になってしまった。まあ、これは盆栽のようなもので、少しづつ作っていこう。

4月2日

 おとといから喉が痛くて鼻水が止まらず、今日は一日家でお休み。ビデオで録画してもらった「The Lord of the Rings─王の帰還」を見た。モンスターの軍隊との戦いが、ロマンシングサガのエンディングを彷彿させるもので、ロマサガもかなり『指輪物語』の影響を受けていたのだろう。こうした戦争の場面も、相手がモンスターだから感動的だが、人間同士だったらこうはいかないだろう。

 エンディングで、最後は世界を救ったヒーローが遠くに行ってしまうのも、パターンは一緒。確かに、ヒーローがその後権力の座について汚れていく所は見たくないし、一生平凡な百姓で終るというのも味気ない。エウレカセブンの最終回もこのパターンだった。

4月1日

 民主党の何がだめかというと、相変わらず政策論争そっちのけで、スキャンダル依存型の国会運営をしていることだ。健康保険未納問題で墓穴を掘ったにもかかわらず、その教訓が何も生かされずに、相変わらず同じことを繰り返すのは、なぜなのだろうか。結局、難しい政策の話をしてもどうせ国民にはわかりゃしないから、手っ取り早く自民党は悪いことをしてるって煽り立てた方が、国民は怒って民主党に票ががっぽがっぽと流れ込む、そんな感覚なのだろう。

 逆にいえば、自民党は国会運営が苦しくなれば、わざと小さなスキャンダルを明るみに出せばいい。民主党がそれにぱくって食いついてきて、政策論争をやめてしまうから楽勝だ。

3月26日

 横浜を散歩した。横浜駅からミナト未来を経て、赤レンガ倉庫でTHE BACK HORNのフリーライブを見た。

 そのあと中華街へ出て、媽祖廟を見た。ちょっと探したが、山下町公園の裏っ側にあった。お金がないので、肉まんを買って山下町公園で食べるのはいつものパターン。ちょうどその頃、日も暮れてきた。黄昏の街はどこでも暖かい、ともる灯りの数の幸せ。

3月23日

 ゆきちゃんが若い頃よく木の下で休んでいた桜の木、「ゆきちゃん桜」と呼んでいた木も、二つ三つ花が開いていた。今年の桜は咲き始めてから、なかなか次の花が咲かず、足踏みをしている。桜咲く今年の春はゆっくりと。

3月22日

 今回のWBCの優勝のことで、国民栄誉賞のことも出てきているが、野球はチームプレーであって、全員の力で勝ち取った勝利なのだから、特定選手だけを表彰するというのはいかがなものか。ここは政府も気前よくドーンと、選手全員国民栄誉賞といって欲しいところだ。これならイチローも辞退しにくいだろう。

3月21日

 いやあ、本当に優勝しちゃったじゃないか。久しぶりに野球を見ていて涙が出てきた。日本の細かい野球について、いろいろ批判はあるけど、細かい野球の伝統の上にパワーが備われば、世界一になってもおかしくはない。

3月19日

 いつも仕事で、試合を見れなかったけど、今日は日曜ということで、じっくり見た。やはりナショナルチームが勝つというのは気分がいい。こうなったらキューバにも勝って優勝しかない。

3月18日

 またしても汚い手を使ってきたアメリカに、正々堂々と戦って勝つなんて、メキシコはかっこよすぎる。まるでアメリカ映画だ。日本もせっかく拾った準決勝だから、これでだめだったらメキシコ国民にも失礼だ。

 日本型野球は本来泥臭さが持ち味だったのではなかったか。ペナントレースで、厘差で優勝を争っている時のような野球ができれば、必ず勝てる。

3月16日

 一昔前は、野球は日本の国技だなどと豪語していた人もいたし、大リーグで活躍する日本人も増え、もはや日本もアメリカも差がないなんていう人も多い中、あらためて野球ファンも世界のきびしさを知ったのではなかったか。まあ、サッカーのワールドカップがベスト16で終ったのに対し、野球はベスト8に入ったのだから、まだまだ日本は野球の国なのかもしれない。

 国家の威信をかけた試合は戦争であり、汚い手を使ってでも勝とうとする国は必ず出てくる。それはサッカーでは常識だし、汚い手を使っても、それをマリーシアと呼んで、ある程度は許す。今回のアメリカがやったことも、確かに汚いが、試合がホーム・アンド・アウェイ法式ではなく、審判も第三国の審判を使わなかったという点で、大会運営自体に甘さがあり、それをうまく利用したと言われればそれまでだ。(そうでなくても韓日ワールドカップでの韓国の4位は、審判買収の疑惑が残っている。)

 何も日本も審判を買収しろとは言わないが、国家の威信のかかった試合は、サッカーだけでなく、野球も同じだということを、今回の敗北で学んだような気がする。次は日本代表ももっとしたたかになって、かつての南米型サッカーのように、日本型野球を世界に知らしめてほしい。これが日本のマリーシアだというのを見せて欲しい。

3月12日

 家の前にゆきちゃんみたいに真っ白なクロッカスが咲いた。

 今年は春が遅かったせいか、今になっていろいろな花がいっぺんに咲き出したような感じだ。

3月6日

 先日、押入れから昔読んでいたハイデッガーの本を引っ張り出してみた。20何年前にハイデッガーで卒論を書いた時は、まだ実存主義が幅を利かせてた頃で、あの頃の卒論を今読むと、実存主義的な解釈への攻撃ばかりが目立って、今思えば、何であんなにいきり立ってたのかという感じだ。今となっては実存主義はおろか、構造主義もポストモダンも衰退し、あのころ予言されていた「哲学の終わり」がすっかり現実のものとなってしまった。今ならもっとハイデッガーを冷静に読めるかもしれない。

 あの頃ハイデッガーを読もうとすると、目の前に実存主義的解釈という壁がどでーっと横たわっていて、どうにも身動きができないまま放棄してしまった。その後、芭蕉の発句を研究しようとすると、そこにはやはり「写生説」という壁がどでーっと横たわっていて、連句を研究しようとすれば、そこには「句を付けてはいけない」という壁がやはりどでーっと横たわっていて、何一つ思うようにはいかなかったが、人生というのはそういうものだろう。

 今はいらいらしながら闇雲に攻撃しては、読者の頭から湯気を吹かせてばかりいるが、20年30年経ったら、そんなことも昔話になるかもしれない。時代がまだ俺を追い越していないなら、時代はきっと俺に味方してくれるだろう。

2月26日

 地球の人口が65億を超えたということで、まあ、昔は西暦2000年には80億人になるなんて言われていたから、かなりペースは鈍っているのだろう。日本も減少に転じたし。人口の爆発による食糧危機、資源の枯渇から最終戦争へなんてシナリオは、やはり回避して欲しい。21世紀後半には地球の人口が減少に転じると信じたい。今の発展途上国も、一定以上豊かになれば、必ず少子化する。むしろ、後から発展する国ほど、日本以上のスピードで少子化する。

 スキーの佐々木は途中棄権してしまったが、あの大口を叩く姿勢は見習いたい。ボクシングのあの三兄弟といい、日本にも法螺吹きクレイのような選手が増えてきた。「俺は天才だ」といってくれると、応援している方も、その天才と一体化することで、自分も天才になったような気にさせてくれるものだ。この「ゆきゆき亭」も「天才ゆきゆき亭こやんの、これが本当の俳諧だ」みたいにやった方がいいのか。

 民主党も、あんなガセネタではめられて、止めを刺された感じだ。まあ、いまや有権者の過半数は無党派層なのだから、無理に二大政党にもってくこともないのではないのか。大体、党議拘束が強すぎて、一人一人の持ち味を殺してしまうような政党政治は、本当に必要なのだろうか。日本は自民対無党派の一大政党制でもいいのではないか。

2月25日

 昨日の朝の荒川静香の演技は、かろうじて出勤前に見ることができてラッキーだった。

 フィギアスケートはなぜかゆきちゃんも好きで、テレビでやっていると見ていた。

 今日のエキジビジョンで最後に全員そろったときに、マドンナのHung upが流れた。これは実はゆきちゃんが旅立った日に、疲れた頭の中をエンドレスで回っていた曲だった。まあ、ゆきちゃんにはマドンナ・スノウィーという別名があったし、ゆきちゃんの最後の時にマドンナがこの曲で復活したし、それにあのバンドパスフィルターをかけたサンプリングが、最初に聞いた時から何か冥界から響いてくるような悲しげな音に聞こえていた。だから、何となくゆきちゃんはこの曲に乗って旅立っていったように思っていた。

 今日は久しぶりに神田に出た。これといって収穫はなかった。面白そうな本はあってもとても手が出ない。財布に一万円札を何枚も入れて、気に入った本を片っ端から買い込むのは若い頃からの夢だが、どうやら永久に実現することはなさそうだ。まあ、こんなホームページを作っているような暇があったら死ぬ気で働いてみろ、と言われればそれまでだ。反省。

2月17日

 今回のオリンピックは、だいぶ運に見放されているようで、アテネのメダルラッシュも、今回のメダルなしも紙一重のような感じがする。日本を信じよう。

2月14日

 RADの「RADWIMPS 3~無人島に持っていき忘れた一枚~」は予想以上の出来だった。「螢」という曲は、どうしてもあの同い年の螢を連想してしまうが、違うようでいてどこか通じるものがあるように思える。「へっくしゅん」を最初に聞いた時に螢の「みんな死んでしまえばいいのに」の詩を連想したように。なんかそういう心の闇の部分や、その中の小さな光を知っているような、それがラブソングを唄っても単なる等身大のラブソングにはならない深みを与えているのだろう。

2月11日

 オリンピックが始まったが、ゆきちゃんが起こしてくれるわけでもなく、寝てしまった。

 テレビでサッカーを見たが、アメリカは日韓ワールドカップの時と同様、やはり強い。バスケットボールの戦術を取り入れたような早い動きに、あの時のドイツもやっと勝ったようなものだった。あのスピードとネバー・ギブアップのアメリカ魂を学べば、日本ももっと強くなるだろう。後半に2点返したように。

 とりあえず、気分だけでもトリノにもって行こうと、夕飯に牛モモ肉の赤ワイン煮とポルチーニ茸のリゾットとグリッシーニにピエモンテのワインを添えてみた。

2月6日

 あふりらんぽの「A」は、ロックの初期衝動を感じさせるような混沌とした音で、フリーミュージックにも近いかもしれない。BGMとして聞き流すのには向かないが、ヘッドホンンの音を大きくしてその世界に浸りたい音だ。

 マホメットの漫画の問題は、例えて言えば、戦前の日本で天皇を茶化した漫画を書いたようなものだろうか。イスラム教は神と人間との間が隔絶していて、預言者マホメットとマホメットが書いたコーランだけが神との唯一の接点だから、それが否定されることは神を失うことと同じなのだろう。

2月4日

 昨日は一応豆まきをして、恵方巻を食べた。今日は立春。駒沢公園の梅も咲いていた。確実に春は来ている。昔は旧正月が来たら自動的に春だったのだが、今はいつから春なのかという境界が曖昧で、いつまでも春みたいだと言い行く春、になりがちだが、梅が咲いたならとりあえず春ということにしていいだろう。

 久しぶりに築地に行ったので、キムチを買って帰った。ゆきちゃんが若かった頃は、まだキロ売りの韓国キムチが珍しく、たまたま二子玉川で見つけたときに、これはゆきちゃんが運んできたと言ってキムチ売り伝説ができたのだが、ここ何年かは築地のキムチセンターで買っていた。今年も遅ればせながらゆきちゃんのキムチが届いた。

2月2日

 アントニオ・R・ダマシオの『感じる脳』を読んでいると、感情のメカニズムについてもかなり開明されてきたのを感じる。思うに感情の研究がおくれていたのは、学者たるもの自分の理論に感情を差し挟むべからずということで、感情を抑圧する傾向にあり、感情について語ること自体、抵抗があったのだろう。カントの感性論には喜怒哀楽の記述はないし、ハイデッガーの現存在分析でも「情状性」という漠然としたものしか扱われていなかった。

 最近の、特にアメリカでは、そういうタブーが薄れてきたのだろう。ダマシオもビートルズ世代だ。それに比べると、ソルボンヌの方はやや遅れているか。日本でもモギケンにもっと頑張ってほしい。クオリアと感情は無関係でないはずだ。

1月29日

 久しぶりにすき焼きを作ったら、TVの「ちびまる子ちゃん」でもちょうどすき焼きを作っていた。まる子ちゃんちの方は、最後は闇鍋状態になってしまったようだ。すき焼きの定番の具材というのは、多分明治の頃からいろいろな人がいろいろな具材を試してみて、結局これが一番うまいというので残ったものなのだろう。「すき焼き」というくらいだから好きなものを何でもかんでも入れればいいじゃないか、まあ硬いこと言うなというのも一理はあるが、定番にも捨て難い味があるのは確かだ。近代俳句が月並を嫌っていろいろ試したけど、結局芭蕉が残るというのに何か似ている。

 組み合わせというのは重要で、色も、すべての色を混ぜ合わせたら、結局灰色になる。人間の社会も同じで、いろいろ個性ある人を全部一つにしようとすれば、灰色の世の中になる。塗り分ければきれいな絵になるものも、混ぜれば一面灰色になる。人と人との間には距離を置くということも大事だ。本来「礼」というのはそういうものなのだろう。

1月22日

 昨日は雪が降った。こんな日に仕事じゃなくて本当に良かった。

 「ゆきちゃんのこれが猫だ!」にUPしたゆきちゃん雪像は、今朝には既に頭が崩れていて、ゆきちゃんの一夜限りの儚い復活だった。

 シャンジューの『真理を求める人間』を読み終えた。それほど驚くような新しいことはなく、当たり前な結論だった。

1月17日

 RADの「EDP」を買った。思えば、前作の「25コ目の染色体」は、個人的には出た時期が11月23日と最悪だった。

 グローバル市場が国家を超えて自立したシステムになるためには、たとえ法の制裁が働かなくても、市場自身が公正さや透明性に対し自浄作用を持たなくてはならない。ホリエモンはそのことを当然知っていたはずだ。マスコミに新時代の旗手みたいに持ち上げられていたけど、案外既に古い人間だったのではなかったか。レコ大の時にはAAAが読めなかったし。流行語大賞を剥奪してもいいのでは。

1月11日

 シャンジューの『真理を求める人間』の第2章の冒頭に、薬物依存による激しい飢えや渇きに似た抑えきれない欲望との類似で、人間の持つ知識欲も同様ではないかと言っている。孔子の弟子は「子の学を好むこと色を好むが如く」と言ったが、今なら「合法ドラッグの如く」とでも言うべきところか。確かに私もその種の依存症の一人なのだろう。

 新聞に、定年後の団塊世代のことが書かれていて、蕎麦打ちや陶芸もいいが、趣味で終わらせず、わずかでも代金を取るようにした方がいい、ということが書かれていた。お金を取れば、「まずい」などと文句を言われることがあるが、それが大事だという。

 たしかに、年を取ると、特にある程度の階層の人は、まわりの人がお年寄りだからといろいろ気を使ってくれて、打った手打ち蕎麦がまずくても、誰も「まずい」とは言えなかったりする。もちろん、教える方も商売だから、おだてておけばいくらでも金をつぎ込んでくれるので、こんなおいしいことはない。

 ただ、果たして年寄りが趣味で満足しているものを、あえてきびしい現実にさらす必要が本当にあるのだろうか。それで「なにくそ」と奮起する人ばかりとは限らない。文学も、年寄りの作品は下手に指導したりしない方がいいのだろう。

1月10日

 シャンジューの『真理を求める人間』を読み始めた。最初の「考える物質」の所は、ルドゥーの『シナプスが人格を作る』を読んだ方が詳しい。

1月7日

 大雨だと洪水という誰の目にも見える形の災害になるが、大雪というのはどこからが通常の積雪でどこからが異常な豪雪なのか、境目がわかりにくい。今年の豪雪は、既に61人もの人が亡くなり、多大な経済的被害を与えていて、大規模災害といってもいい。

 連句を復活させるにしても、現代短歌や現代俳句に準じた現代連句を作るようなやり方では、既にそうした現代文学自体が衰退している以上、先はない。連句が復活するとしたら、何かPopな新しいスタイルを見つける必要があるのだろう。それまで「連句のすすめ」は閉鎖。

1月6日

 何の気なしに自分の考えたことを書いても、それを読んだ人が違う考えなら、あたかも自分の人格そのものを否定されたと思って、傷ついてしまう。そうやって、このホームページも多くの人を傷つけてきたのだろう。でも、そうやって誰も何も言えなくなることが、本当にいいことなのだろうか。どうして人は違う考えを受け入れ、共存してゆくことができないのだろうか。

1月3日

 一年ちょっとぶりの『新選組!』復活!榎本武揚は草彅君ではなく、えらい変わりようだった。ワインはそういえば、近藤とサノは江戸にいた頃外人さんと飲んでいたが、あのとき土方さんはいなかったか。

 1/1の続きだが、意味づけられた世界に大きな穴があいてしまえば、それは心の大きな傷になる。たいていは出来合いのありきたりな観念や思想でそれを埋めようとするから、それを意図的にやれば洗脳ということになる。ただ、そのような他人から与えられた意味で埋め合わせても、本当の心の穴を塞ぐことはできない。時間をかけてでも、自分で埋めなくてはならない。

 螢の詩がある種の人々に感動を与えたのは、自分の力で言葉を拾い集めて、空いた穴を塞ごうとする姿に勇気づけられたからではなかったか。

1月2日

 初夢は、なぜか宴会の幹事を引き受けて、店に行って空いている席はないか交渉したりしていた。実際には幹事などやったことがないのだが、まだやったことのない新しいことに挑戦せよというサインなのだろうか。

 メールで知識人について質問を受けた。昔の独裁政治の時代の知識人は、情報を独占することで特権階級となったが、民主主義の時代にはそのような特権意識は許されない。きちんと情報を公開し、わかりやすく解説し、誰もが知識人になれるようにしなくてはならない。

 句を解説するにしても、自説に都合のいい句だけを引用するというのはフェアではない。あくまでも全句解説ということにこだわり、読み方が正しいかどうかは読者に判断していただきたい。

1月1日

 朝9時に起きて、琴平神社へ初詣に行った。午後からはテレビで天皇杯を見た。

 このごろ人生の意味ということを考えるし、今年はもう一度哲学をやり直してみるのもいいかもしれない。

 人に限らず、生き物は生きるために、身の回りにあるものを自分に関連付け、そこに何かしら意味を与える。そして、その意味の連関の中で、みんな生きている。ただ、哲学者がしばしばまちがえるのは、それが個々それぞれのものではなく、何か一つの共通した答があると思ってしまうことだろう。

 意味づけられた世界の中で、何か一つが欠ければ、その人にとってはかけがえのない何かを失うことになる。しかし、それはその人にとってのことで、哲学者はそれを普遍的ではないという理由で軽視する。そして、何かもっと大きな問題のために、個々の感情を犠牲にしろという。そういうのはやはり間違っている。

 誰もがそれぞれ自分のまわりの世界に意味を与え、そこに住む権利があり、それは生存に不可欠な権利のはずだ。人生に意味を求めることは生存権であり、社会はそれを基礎として作られなくてはならない。誰を愛するか、何を愛するか、何を好むか、どんなファッションを身に着け、どんなライフスタイルを選択するか、それは決して奪うことのできない天賦の権利だ。他から強要されるべきものではない。

 愛するものを「忘れろ」なんていう権利は誰にもない。その人にとっての人生の意味は、それぞれに自己決定権がなくてはならない。