「峰高し」の巻、解説

初表

 峰高し上々(じゃうじゃう)めどをり松の月    志計(しけい)

   (あげ)て無類な岩の下露      (いっ)(てつ)

 (いそ)清水(しみず)(のど)に秋もやくぐるらん    (しょう)(きゅう)

   (くず)の粉ちらす浜荻のこゑ    正友(せいゆう)

 海士(あま)の子がせんだく(ごろも)はり(たて)て   (せっ)(さい)

   旅の幸便(かうびん)さだめかねつる    一朝(いっちょう)

 取あへず一筆令啓達候(けいたつせしめそろ)      (ぼく)(せき)

   来合(できあひ)料理御こころやすく   在色(さいしき)

 

初裏

 居つづけに是非と挙屋(あげや)の内二階   (しょう)()

   誓紙その外(まうし)(ごと)あり      執筆(しゅひつ)

 足利(あしかが)の何左衛門が役がはり     一鉄

   御蔵(おくら)にこれほど残ルそめ絹   志計

 入札(いれふだ)(ほか)の国より通ひ来て     正友

   一座をもれて伽羅(きゃら)の香ぞする  松臼

 酒盛はともあれ野郎(やらう)の袖枕     一朝

   思ひみだるるその薩摩(さつま)ぶし   雪柴

 (たち)わかれ沖の小嶋の屋形船     在色

   花火の(ゆく)()波のよるみゆ    卜尺

 いざや子ら()(がく)(てら)す秋の月    志計

   神慮にかなふ鈴虫の声     松意

 金ひろふ鳴海(なるみ)の野辺のぬけ(まゐり)    松臼

   草のまくらに今朝(けさ)のむだ夢   一鉄

 

 

二表

 ばかばかと一樹(いちじゅ)(かげ)()合宿(あひやど)    雪柴

   他生(たしょう)の縁の博奕(ばくち)うちども    正友

 公儀(こうぎ)沙汰(ざた)かりそめながら(これ)とても  卜尺

   覚書(おぼえがき)見て(ゆく)使番(つかひばん)       一朝

 門外にかし馬(ひき)よせゆらりと(のり)   松意

   まはれば三里(あさ)(くま)の山     在色

 曇なき鏡の宮の(さかひ)(ぐひ)        一鉄

   訴状をかづくむくつけ男    志計

 御白洲(おしらす)御息所(みやすどころ)やめされけん    正友

   題は今宵(こよひ)の月にまつ恋     松臼

 なく泪持(なみだぢ)と定むべし雁の声     一朝

   胸よりおこす霧雲のそら    雪柴

 大竜(たいりう)やひさげの水をあけつらん   在色

   文学(もんがく)その時うがひせらるる   卜尺

 

二裏

 二日酔高雄(たかを)の山の朝ぼらけ     志計

   (わかれ)にやせてとぎすとぞなく   松意

 思ひの火四花(しくわ)患門(くわんもん)にさればこそ   一鉄

   (つひ)にかへほす人間の水     正友

 世の中はごみに(まじは)()()なれや   松臼

   宮もわら屋もたてる味噌汁   一朝

 子取ばばとり(あげ)見れば盲目(めくら)(なり)    雪柴

   右や左や隠密(をんみつ)の事       在色

 くどきよる中は十六(ばかり)にて     卜尺

   むずとくみふせ頬ずりをする  志計

 色好みあつぱれそなたは日本一   松意

   蛍をあつめ()()(ぶみ)をかく    一鉄

 月はまだお(ちゃう)の涼み(はな)(むしろ)     正友

   名主を(ここ)にまねく瓜鉢     松臼

 

 

三表

 府中より武蔵野(わけ)籠見廻(かごみまひ)     一朝

   むかひの岡の公事(くじ)頭取(とうど)リ   雪柴

 (きり)たふす松のいはれをながながと  在色

   (じょう)(うば)とが臼のきね歌     卜尺

 むかしざつと隣の(よめ)の名を(たて)て   志計

   なすび畠の味な事見た     松意

 (ゆふ)(がほ)をしかとにぎれば五六寸    一鉄

   うすばの(きず)に肝がつぶるる   正友

 常々(つねづね)麁相(そそう)(なり)けり納所坊(なっしょぼん)     松臼

   若衆(わかしゅ)のふくれもつとも至極   一朝

 (つけ)ざしの酒にのまれて(これ)(さて)    雪柴

   巾着(きんちゃく)ふるふ後朝(きぬぎぬ)の鐘      在色

 女房に見付(みつけ)られたる月の影     卜尺

   はらはんとせしもとゆひの露  志計

 

三裏

 そちがいさめいかにも(きこ)えた虫の声 松意

   野辺(のべ)のうら(がれ)後世(ごせ)をおどろく  一鉄

 見わたせば千日寺(せんにちでら)の松の風     正友

   (じゃう)(かう)のけぶりみねのうき雲   松臼

 人中(ひとなか)をはなれきつたる隠居(ずみ)    一朝

   岩井(いはゐ)(ながれ)茶釜をあらふ     雪柴

 二三枚木の下たよる(こけ)(むしろ)      在色

   (ねぶり)をさます蝉のせつきやう   卜尺

 夕立のあとや凉しき与七郎     志計

   (はは)()の先のみじか夜の月    松意

 出来(でき)(ぼし)は雲のいづこにきえつらん  一鉄

   空さだめなき年代記(なり)     正友

 風わたるからくり芝ゐ花ちりて   松臼

   所望(しょまう)かしよまうかうぐいすの声 一朝

 

名残表

 手本紙おそらく(のこ)ンの雪の色    雪柴

   がつそうあたま春風ぞふく   在色

 青柳(あをやぎ)の糸もてまはる(かま)つかひ    卜尺

   葛城山(かづらきやま)の草をたばぬる     志計

 岩橋(いははし)の夜のちぎりに蚊をいぶし   松意

   枕に汗のかかる美目(みめ)わる    一鉄

 恋風や敗毒散(はいどくさん)にさめつらん     正友

   なみだは袖に一ぱい半分    松臼

 夕まぐれ貧女(ひんにょ)がともす油皿     一朝

   夜なべに(かご)をつくる裏店(うらだな)    雪柴

 雪隠(せっちん)のあたりにすだく(きりぎりす)     在色

   りっぱに見ゆる萩垣の露    卜尺

 はき掃除(さうぢ)尻からげして今朝の月   志計

   住持(ぢうぢ)数寄(すき)の山ほととぎす   松意

 

名残裏

 (たちばな)()(ない)(まうす)小姓(こしゃう)衆      一鉄

   きのふはたれが軒の宿(やど)(ふだ)    正友

 洪水の(ながれ)てはやき大井川      松臼

   嵯峨(さが)丸太(まるた)にて丸にたふるる   一朝

 ぬかり道足にまかせて(ゆく)ほどに   雪柴

   作麼生(そもさん)かこれ畳の古床(ふるどこ)     在色

 山寺を仕まふ大八(だいはち)花車       卜尺

   (とび)(くち)帰る春の夕暮       松意

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 峰高し上々(じゃうじゃう)めどをり松の月    志計(しけい)

 

 「めどをり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目通」の解説」に、

 

 「① 目の前。めさき。めじ。

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)三「慰のためとて庭籠鳥を目通りへ放ちける」

  ② 目の高さ。目のあたり。目に触れるあたり。

  ※浮世草子・本朝二十不孝(1686)三「目通(トヲリ)より高く手をあげさせず」

  ③ 貴人の前に出てまみえること。身分の高い人にお目にかかること。お目通り。

  ※暁月夜(1893)〈樋口一葉〉四「目通(メドホ)りも厭やなれば疾く此処を去()ねかし」

  ④ 立ち木の太さにいう語。人が木の傍に立って、目の高さに相当する部分の樹木の太さ。目通り直径。

  ※俳諧・毛吹草(1638)四「大和 〈略〉松角 目通と云 書院木に用」

 

とある。

 眺めれば高い峰があって、その下の方の目の高さに見える松の木の辺りから月が昇る。

 月が峰にかかることなく早く昇って、早くから明るい夜になった。上々だ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「峰」は山類。「松」は植物、木類。

 

 

   峰高し上々めどをり松の月

 (あげ)て無類な岩の下露        (いっ)(てつ)

 (峰高し上々めどをり松の月揚て無類な岩の下露)

 

 発句の上々に「無類な」と応じ、峰に岩、月に露と四手に付ける。

 

季語は「下露」で秋、降物。「岩」は山類。

 

第三

 

   揚て無類な岩の下露

 (いそ)清水(しみず)(のど)に秋もやくぐるらん    (しょう)(きゅう)

 (磯清水喉に秋もやくぐるらん揚て無類な岩の下露)

 

 磯清水は、

 

 いかにせむ世をうみ際の磯清水

     汐満ちくればからき棲家を

              (みなもとの)(なか)(さだ)(夫木抄)

 

の歌に詠まれている。

 前句の岩の下露を湧き水としその塩辛さに秋を感じるとする。五行説では秋は辛味になる。芭蕉にも、

 

 身にしみて大根からし秋の風   芭蕉

 

の句がある。

 

季語は「秋」で秋。「磯清水」は水辺。

 

四句目

 

   磯清水喉に秋もやくぐるらん

 (くず)の粉ちらす浜荻のこゑ      正友(せいゆう)

 (磯清水喉に秋もやくぐるらん葛の粉ちらす浜荻のこゑ)

 

 葛粉は葛の根から採れる澱粉(でんぷん)で、かつては救荒食糧とされていた。不作で葛粉を喉に通す。

 伊勢の浜荻は蘆のことで、前句の磯の応じる。

 

季語は「浜荻」で秋、水辺、植物、草類。

 

五句目

 

   葛の粉ちらす浜荻のこゑ

 海士(あま)の子がせんだく(ごろも)はり(たて)て   (せっ)(さい)

 (海士の子がせんだく衣はり立て葛の粉ちらす浜荻のこゑ)

 

 葛粉は冷すと固まるので海士の子が洗濯糊の代りに用いる。

 

無季。「海士の子」は人倫。

 

六句目

 

   海士の子がせんだく衣はり立て

 旅の幸便(かうびん)さだめかねつる      一朝(いっちょう)

 (海士の子がせんだく衣はり立て旅の幸便さだめかねつる)

 

 幸便(かうびん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「幸便」の解説」に、

 

 「〘名〙 つごうがよいこと。よいついで。また、そのような時に人に手紙を託することが多かったので、手紙の書き出しの文句や添え書きのことばとしても用いる。

  ※言継卿記‐天文二年(1533)一一月紙背(高倉永綱書状)「一昨日幸便文を進レ之候をとりをとし」

  ※嵐蘭宛芭蕉書簡‐元祿四年(1671)二月一三日「幸便啓上」

 

とある。

 前句の海士の子の親は旅に出たのだろう。手紙も来なくて不安だ。

 

無季。旅体。

 

七句目

 

   旅の幸便さだめかねつる

 取あへず一筆令啓達候(けいたつせしめそろ)       (ぼく)(せき)

 (取あへず一筆令啓達候旅の幸便さだめかねつる)

 

 令啓達候(けいたつせしめそろ)は「啓を達ししめ候」で前句の幸便と合わせて手紙の書き出しの常套句とする。「とりあえず手紙を書きますが、うまく届くかどうかは分かりません」という意味になる。

 

無季。

 

八句目

 

   取あへず一筆令啓達候

 出来合(できあひ)料理御こころやすく     在色(さいしき)

 (取あへず一筆令啓達候出来合料理御こころやすく)

 

 前句の「取あへず」から、取り合えず既に出来ている料理を届けますので、遠慮しないでください、とする。

 

無季。

初裏

九句目

 

   出来合料理御こころやすく

  居つづけに是非と挙屋(あげや)の内二階   (しょう)()

 (居つづけに是非と挙屋の内二階出来合料理御こころやすく)

 

 居つづけはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「居続」の解説」に、

 

 「① 一つ所に長くいて、家に帰らないこと。引き続いて同じ所にいること。

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)五「是程せつなくて、居つづけの奉公あるにも」

  ② 特に遊里などで遊び続けて帰らないこと。また、その客。流連。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「出来合料理御こころやすく〈在色〉 居つづけに是非と挙屋の内二階〈松意〉」

  ③ 遊里で、雪の降る朝は居続けする客が多いことから、朝の雪をしゃれていう。

  ※雑俳・柳多留‐四六(1808)「居つづけがちらつきんすと禿言」

 

とある。

 遊郭に入り浸っていると揚屋の中二階に出来合いの料理を持ってきてくれる。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   居つづけに是非と挙屋の内二階

 誓紙その外(まうし)(ごと)あり        執筆(しゅひつ)

 (居つづけに是非と挙屋の内二階誓紙その外申事あり)

 

 なかなか金払いのいい客だったのだろう。このままもう少しいてくださいと起請文(きしょうもん)を書いてきて、その他の用は身請けの相談か。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   誓紙その外申事あり

 足利(あしかが)の何左衛門が役がはり     一鉄

 (足利の何左衛門が役がはり誓紙その外申事あり)

 

 起請文は武家の忠誠の誓いとしても用いられていた。役替りの時にも起請文が要求されることがあったのだろう。

 

無季。

 

十二句目

 

   足利の何左衛門が役がはり

 御蔵(おくら)にこれほど残ルそめ絹     志計

 (足利の何左衛門が役がはり御蔵にこれほど残ルそめ絹)

 

 前句を商家の役替りとする。蔵に売れ残った染絹の在庫を抱えていたのが配置換えの原因か。

 

無季。「そめ絹」は衣裳。

 

十三句目

 

   御蔵にこれほど残ルそめ絹

 入札(いれふだ)(ほか)の国より通ひ来て     正友

 (入札は他の国より通ひ来て御蔵にこれほど残ルそめ絹)

 

 入札は「いれふだ」とルビがある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入札」の解説」に、

 

 「① 多数の買い手、工事請負人がある場合、それぞれの見積り価額を書いた紙を提出させ、その結果を見て買い手、請負人を決めること。また、その見積り価額を書いた用紙。にゅうさつ。競売。せりうり。

  ※慶長見聞集(1614)三「百両も二百両も積置皆入札を入、是を買とる」

  ② 江戸時代、村役人や住職などを選ぶ際、名前を記して投票した用紙。また、一般に投票すること。〔書言字考節用集(1717)〕

  ③ 頼母子(たのもし)=無尽)で、二回目以後の取り人を決めるとき、各自の希望取り金額を書かせ、一番安い金額を書いたものに決定すること。主として関西で行なわれた方法。また、その取り金額を書いた用紙。

  ※徳川時代警察沿革誌(188491)三「又者終り迄掛続兼候もの者相対次第入札いたし掛金高を請取相退」

 

とある。

 大量の染衣が蔵ごと競売に出されたのだろう。遠くからも競売にやってくる。

 

無季。

 

十四句目

 

   入札は他の国より通ひ来て

 一座をもれて伽羅(きゃら)の香ぞする    松臼

 (入札は他の国より通ひ来て一座をもれて伽羅の香ぞする)

 

 伽羅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「伽羅」の解説」に、

 

 「① (kālāguru kālā は伽羅、黒の意、aguru は阿伽、沈香の意)の略。また、tāgara (多伽羅、零陵香と訳す)の略ともいう) 沈香の優良品。香木中の至宝とされる。〔伊京集(室町)〕

  ※評判記・色道大鏡(1678)二「傾城に金銀を遣す外に、伽羅(キャラ)を贈る事を心にかくべし」 〔陀羅尼集経‐一〇〕

  ② 優秀なもの、世にまれなものをほめていう語。極上。粋。

  ※俳諧・隠蓑(1677)春「立すがた世界の伽羅よけふの春〈蘭〉」

  ※浄瑠璃・十六夜物語(1681頃)二「姿こそひなびたれ、心はきゃらにて候」

  ③ 江戸時代、遊里で、金銀、金銭をいう隠語。〔評判記・寝物語(1656)〕

  ④ お世辞。追従。

  ※浄瑠璃・壇浦兜軍記(1732)三「なんの子細らしい。四相の五相の、小袖にとめる伽羅(キャラ)ぢゃ迄と仇口に言ひ流せしが」

  ⑤ 「きゃらぼく(伽羅木)」の略。

  ※田舎教師(1909)〈田山花袋〉一一「前には伽羅(キャラ)や躑躅や木犀などの点綴された庭が」

 

とある。まあ、江戸時代では遊女を連想させるものだったのだろう。遊女の人身売買の入札か。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   一座をもれて伽羅の香ぞする

 酒盛はともあれ野郎(やらう)の袖枕     一朝

 (酒盛はともあれ野郎の袖枕一座をもれて伽羅の香ぞする)

 

 前句の伽羅の香を男娼のものとする。

 

無季。「野郎」は人倫。「袖」は衣裳。

 

十六句目

 

   酒盛はともあれ野郎の袖枕

 思ひみだるるその薩摩(さつま)ぶし     雪柴

 (酒盛はともあれ野郎の袖枕思ひみだるるその薩摩ぶし)

 

 薩摩節はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「薩摩節」の解説」に、

 

 「① 浄瑠璃節の一つ。薩摩浄雲が寛永(一六二四‐四四)の頃江戸で語りはじめ、多くの江戸浄瑠璃の流派を生んだ。硬派の江戸浄瑠璃の元祖。浄雲節。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「酒盛はともあれ野郎の袖枕〈一朝〉 思ひみだるるその薩摩ぶし〈雪柴〉」

  ② 元祿(一六八八‐一七〇四)頃流行した七七七五型の唄。

  ※歌謡・松の葉(1703)三・薩摩ぶし「さつまぶし。おやは他国に、子は島原に、桜花かや散りぢりに」

  ③ 文政(一八一八‐三〇)頃流行した薩摩の金山をうたった舟唄。それを少し改めたものが歌舞伎の下座や小唄に、「さつまさ」という曲名で歌われている。

  ※歌謡・浮れ草(1822)薩摩節「薩摩節。さつまさつまと急いで押せど、いやな薩摩に金山しょんがへ」

  ④ 薩摩国(鹿児島県)から産出する鰹節。形状が大きく土佐産とならび本場物とされる。」

 

とあり、この時代は①になる。「精選版 日本国語大辞典「浄雲節」の解説」には、

 

 「〘名〙 江戸初期の古浄瑠璃の一つ。寛永(一六二四‐四四)の頃、薩摩太夫浄雲が江戸で語り始めたもの。江戸浄瑠璃に大きな影響を与えた。薩摩節。〔随筆・本朝世事談綺(1733)〕」

 

とある。

 古浄瑠璃から人形芝居への移行期で、やがて元禄になると江戸浄瑠璃として確立される。初期の頃は野郎歌舞伎のような売春も行われていたか。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   思ひみだるるその薩摩ぶし

 (たち)わかれ沖の小嶋の屋形船     在色

 (立わかれ沖の小嶋の屋形船思ひみだるるその薩摩ぶし)

 

 薩摩と沖の小嶋は、

 

 薩摩潟おきの小島に我ありと

     親にはつげよ八重の潮風

              平康頼(たいらのやすより)(千載集)

 

の縁がある。喜界島に流された時の歌だが、それを江戸の屋形船にする。

 船は吉原から離れて佃島の方へ向かったか。屋形船では酒宴が行われ、薩摩節が唄われている。

 

無季。「沖」「小嶋」「屋形船」は水辺。

 

十八句目

 

   立わかれ沖の小嶋の屋形船

 花火の(ゆく)()波のよるみゆ      卜尺

 (立わかれ沖の小嶋の屋形船花火の行衛波のよるみゆ)

 

 両国では花火が打ち上げられていたが、この時代は各自が実費で勝手に花火で遊んでいる状態で、今のような花火大会になるのは享保十八年(一七三三年)の両国川開きからになる。

 この場合はねずみ花火のような、どこへ飛ぶかわからない花火であろう。

 花火は近代では夏の季語だが貞徳の『俳諧(はいかい)御笠(ごさん)』には、

 

 「正花を持也。春に非ず、秋の由也。夜分也。植物にきらはず。」

 

とある。正花なので花の定座の繰り上げになる。

 

季語は「花火」で秋、夜分。「波」は水辺。

 

十九句目

 

   花火の行衛波のよるみゆ

 いざや子ら()(がく)(てら)す秋の月    志計

 (いざや子ら試楽を照す秋の月花火の行衛波のよるみゆ)

 

 ()(がく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「試楽」の解説」に、

 

 「〘名〙 (ためし試みる楽の意) 平安時代に楽舞の公式演奏の予行演習として行なう楽。石清水八幡宮や賀茂神社などの臨時祭の二日前に、宮中の清涼殿前庭で、東遊(あずまあそび)と神楽を天覧に供する行事をさすことが多い。

  ※九暦‐九暦抄・天徳三年(959)七月二六日「左右相撲司試楽」

  ※蜻蛉(974頃)中「十日の日になりぬ。ここにて、しがくのやうなることする」

 

とある。

 ここでは宮廷の試楽ではなく、秋祭り舞楽奉納の試楽であろう。

 

季語は「秋の月」で秋、夜分、天象。「子ら」は人倫。

 

二十句目

 

   いざや子ら試楽を照す秋の月

 神慮にかなふ鈴虫の声      松意

 (いざや子ら試楽を照す秋の月神慮にかなふ鈴虫の声)

 

 神社には鈴が付き物なので、鈴虫の神社にふさわしい。

 

季語は「鈴虫」で秋、虫類。神祇。

 

二十一句目

 

   神慮にかなふ鈴虫の声

 金ひろふ鳴海(なるみ)の野辺のぬけ(まゐり)    松臼

 (金ひろふ鳴海の野辺のぬけ参神慮にかなふ鈴虫の声)

 

 前句の神慮をお伊勢参りの神慮とする。

 鈴虫に鳴海は、

 

 古里にかわらざりけり鈴虫の

     鳴海の野辺の夕暮れの声

              橘爲(たちばなのため)(なか)(詞花集)

 

の歌がある。

 

無季。神祇。旅体。「鳴海」は名所。

 

二十二句目

 

   金ひろふ鳴海の野辺のぬけ参

 草のまくらに今朝(けさ)のむだ夢     一鉄

 (金ひろふ鳴海の野辺のぬけ参草のまくらに今朝のむだ夢)

 

 金を拾ったと思ったら夢だった。

 

無季。旅体。

二表

二十三句目

 

   草のまくらに今朝のむだ夢

 ばかばかと一樹(いちじゅ)(かげ)()合宿(あひやど)    雪柴

 (ばかばかと一樹の陰の出合宿草のまくらに今朝のむだ夢)

 

 一樹の陰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「いちじゅ【一樹】の陰(かげ)一河(いちが)の流(なが)れも他生(たしょう)の縁(えん)

 

  知らぬ者同士が、雨を避けて同じ木陰に身を寄せ合うのも、あるいは同じ川の水をくんで飲み合うのも、前世からの因縁によるものだということ。

  ※海道記(1223頃)西帰「一樹の陰、宿縁浅からず」

  ※平家(13C前)七「一樹の陰に宿るも、先世の契(ちぎり)あさからず。同じ流をむすぶも、多生の縁猶(なほ)ふかし」

  [語誌]仏教的な表現だが、漢訳仏典には用例がなく日本で作られたものか。「平家物語」(覚一本で四例)や謡曲に多く使われたため、中世・近世の文学に広まったと考えられる。」

 

とある。これをさらに拡大したのが「袖振り合うも他生の縁」か。十九世紀初めの歌舞伎に見られ、近代によく用いられる。

 ()合宿(あひやど)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出合宿」の解説」に、

 

 「〘名〙 男女が密会に使う家。出合屋。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「草のまくらに今朝のむだ夢〈一鉄〉 ばかばかと一樹の陰の出合宿〈雪柴〉」

 

とある。出合茶屋とも言い、ラブホの原型とも言える。昭和の頃は「連れ込み宿」とも言った。

 旅先での行きずりの恋に一時だけの虚しい夢を見る。

 「ばかばかと」は「莫々」から来た言葉だとするといかにも盛んな様子だが、「ばか」にはネジがバカになるみたいに緩い、締まらなという意味もあり、『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は「間の抜けたさま。うかうかと。」としている。

 

無季。恋。「一樹」は植物、木類。

 

二十四句目

 

   ばかばかと一樹の陰の出合宿

 他生(たしょう)の縁の博奕(ばくち)うちども      正友

 (ばかばかと一樹の陰の出合宿他生の縁の博奕うちども)

 

 賭場(とば)も見知らぬ人同士が集まる場所で、その筋の人とお知り合いになって泥沼にはまって行く。

 

無季。「博奕うち」は人倫。

 

二十五句目

 

   他生の縁の博奕うちども

 公儀(こうぎ)沙汰(ざた)かりそめながら(これ)とても  卜尺

 (公儀沙汰かりそめながら是とても他生の縁の博奕うちども)

 

 公儀沙汰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「公儀沙汰」の解説」に、

 

 「〘名〙 おおやけの沙汰。表沙汰。公事沙汰(くじざた)

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「他生の縁の博奕うちども〈正友〉 公儀沙汰かりそめながら是とても〈卜尺〉」

 

とある。この場合は今の言葉でいう警察沙汰に近いか。ちょっと出来心で遊んだつもりでも、たまたま手入れがあってお縄になる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   公儀沙汰かりそめながら是とても

 覚書おぼえがき見てゆく使番つかひばん         一朝

 (公儀沙汰かりそめながら是とても覚書見て行使番)

 

 覚書(おぼえがき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「覚書」の解説」に、

 

 「① 後々の記憶のために書いておくこと。また、その文書。メモ。

  ※芭蕉遺状(1694)「杉風方に前々よりの発句文章の覚書可レ有レ之候」

 

とある。使番(つかひばん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「使番」の解説」に、

 

 「① 織田・豊臣時代の職名。戦時には伝令使となり、また、軍中を巡視する役にも当たった。つかいやく。

  ※太閤記(1625)六「うたせようたせよと使番母衣之者を以て仰付られしかば」

  ② 徳川幕府の職名。若年寄の支配に属し、戦時は軍陣中を巡回・視察し、伝令の役を果たし、平時には諸国に出張して、遠国の役人の能否を監察したり、将軍の代替わりごとに大名の動きを視察したり、江戸市中に火災ある場合は、その状況を報告するなどの任に当たった。旧称は使役。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「公儀沙汰かりそめながら是とても〈卜尺〉 覚書見て行使番〈一朝〉」

  ※浮世草子・武道伝来記(1687)二「福崎軍平といへる人、御使番(ツカヒハン)を勤め」

  ③ 江戸時代、将軍家の大奥の女中の職名。また、大名の奥女中付の女。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)四「女臈がしら其一人、つかひ番の女を頼み」

  ④ 使い走りの役をする人。

  ※俳諧・独吟一日千句(1675)第一「方方へ雪のあしたの使ひ番 鍬をかたげて孝行の道」

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)二「茶の間の役、湯殿役、又は使(ツカヒ)番の者も極め」

 

とある。

 ②の用例にされているけど、この場合は④で良いのではないかと思う。些細な訴訟沙汰に呼び出される。

 

無季。「使番」は人倫。

 

二十七句目

 

   覚書見て行使番

 門外にかし馬(ひき)よせゆらりと(のり)   松意

 (門外にかし馬引よせゆらりと乗覚書見て行使番)

 

 貸し馬に乗って颯爽と出て行くのは「② 徳川幕府の職名。」の方の使番であろう。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

二十八句目

 

   門外にかし馬引よせゆらりと乗

 まはれば三里(あさ)(くま)の山       在色

 (門外にかし馬引よせゆらりと乗まはれば三里朝熊の山)

 

 伊勢の(あさ)熊山(まやま)金剛證(こんごうしょう)()はウィキペディアに、

 

 「神仏習合時代、伊勢神宮の丑寅(うしとら)(北東)に位置する当寺が「伊勢神宮の鬼門を守る寺」として伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、伊勢・志摩最大の寺となった。 虚空蔵菩薩の眷属、雨宝童子が祀られており、当時は天照大御神の化現と考えられたため、伊勢皇大神宮の奥の院とされた。」

 

とある。後の『春の日』の「春めくや」の巻三十句目に、

 

   傘の内近付になる雨の昏に

 朝熊おるる出家ぼくぼく     雨桐

 

とある。「ぼくぼく」は馬にも用いられるが、

 

 一僕とぼくぼくありく花見哉   季吟

 

のように徒歩にも用いる。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「直に通へば一里八丁、廻らば三里」(落葉集)」とある。「直に」というのは宇治(うじ)(たけ)(みち)のことか。山の稜線を行く。「廻らば」は鳥羽道を行って一宇田を登る道か。

 宇治岳道は険しい徒歩のルートで馬で行く場合は一宇田へ回ったのだろう。

 

無季。旅体。「朝熊の山」は名所、山類。

 

二十九句目

 

   まはれば三里朝熊の山

 曇なき鏡の宮の(さかひ)(ぐひ)        一鉄

 (曇なき鏡の宮の境杭まはれば三里朝熊の山)

 

 鏡の宮は近鉄朝熊駅に近い五十鈴川と支流の朝熊川の合流にあった。ウィキペディアに、

 

 「社名「鏡宮」は元来、朝熊神社の異称の1つであった。朝熊神社で白と銅の2面の鏡を奉安していたことに由来する名で、寛文3年(1663年)に朝熊神社の御前社として鏡宮神社が再興された。朝熊神社・朝熊御前神社と鏡宮神社は直線距離では100mも離れていないが、朝熊川を公道の橋で渡るとかなりの距離を移動しなければならなかった。そのため祭祀の便宜を図り、歩行者しか渡れない程度の幅の狭い橋が架橋された。これにより約200mの移動で済むようになった。」

 

とある。小さな川を挟んで目と鼻の先にありながら、かつては一度鳥羽道に戻らなくてはならなかったのだろう。三里は大袈裟だが。

 

無季。神祇。

 

三十句目

 

   曇なき鏡の宮の境杭

 訴状をかづくむくつけ男     志計

 (曇なき鏡の宮の境杭訴状をかづくむくつけ男)

 

 「むくつけ男」は今の言葉だと「キモ男」だろう。横着して頭に訴状を乗せて川を渡る。

 これも数少ない下七の四三の例。

 

無季。「むくつけ男」は人倫。

 

三十一句目

 

   訴状をかづくむくつけ男

 御白洲(おしらす)御息所(みやすどころ)やめされけん    正友

 (御白洲へ御息所やめされけん訴状をかづくむくつけ男)

 

 御白洲(おしらす)はこの場合、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白州・白洲」の解説」の、

 

 「⑥ (白い砂が敷かれていたところからいう) 江戸時代、奉行所の法廷の一部。当時は身分により出廷者の座席に段階が設けられており、ここは百姓、町人をはじめ町医師、足軽、中間、浪人などが着席した最下等の場所。砂利(じゃり)

  ※浮世草子・本朝桜陰比事(1689)四「夜中同じ事を百たびもおしへて又其朝もいひ聞せて両方御白洲(シラス)に出ける」

  ⑦ (⑥から転じて) 訴訟を裁断したり、罪人を取り調べたりした所。奉行所。裁判所。法廷。

  ※虎明本狂言・昆布柿(室町末‐近世初)「さやうの事は、此奏者はぐどんな者で、申上る事はならぬほどに、汝らが、お白砂(シラス)へまいって直に申上い」

 

であろう。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『恋重荷(こひのおもに)』の荘司の俤としている。恋重荷はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「恋重荷」の解説」に、

 

 「臣下の者(ワキ)が下人を従えて登場、御苑の菊作りの老人(前シテ)が女御(にょうご)(ツレ)に恋をしていることを述べ、老人を呼び出させる。作り物の重荷を持って百回も千回も回ることができたら、ふたたび女御の姿を拝ませようという提示に、老人は力を尽くして挑戦するが、巌(いわお)を錦(にしき)で包んだ重荷が上がろうはずもない。絶望と恨みに老人は自殺する。後段は、女御の不実を責める恐ろしげな老人の悪霊(後シテ)の出現だが、あとを弔うならば守り神になろうと心を和らげて消える。恨み抜いて終わる『綾鼓』とは、和解の結末が大きく異なっている。試練の米俵を楽々と担ぎ、主人の娘を手に入れる老翁(ろうおう)を描いた狂言の『祖父俵(おおじだわら)』は、『恋重荷』のパロディーである。」[増田正造]

 

とある。

 江戸時代の世だったら裁判になるということか。ストーカーに優しい時代だった。今なら逆だろう。

 

無季。恋。「御息所」は人倫。

 

三十二句目

 

   御白洲へ御息所やめされけん

 題は今宵(こよひ)の月にまつ恋       松臼

 (御白洲へ御息所やめされけん題は今宵の月にまつ恋)

 

 御白州を単なる白砂を敷き詰めた所として、邸宅の庭とする。歌会に御息所が召される。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

 

三十三句目

 

   題は今宵の月にまつ恋

 なく泪持(なみだぢ)と定むべし雁の声     一朝

 (なく泪持と定むべし雁の声題は今宵の月にまつ恋)

 

 歌合として「なく泪」の歌と「雁の声」の歌を持(ぢ:引き分け)とする。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。恋。

 

三十四句目

 

   なく泪持と定むべし雁の声

 胸よりおこす霧雲のそら     雪柴

 (なく泪持と定むべし雁の声胸よりおこす霧雲のそら)

 

 雁は秋の霧に渡ってきて春の霞みに帰って行く。通ってくるようにと胸の恋心が霧を生み、愛しい人を通わせる。泣いてなんていられない。

 霧雲は、

 

 秋来ての見べき紅葉を霧曇り

     佐保の山辺の晴るる時なし

              大伴家持(おおとものやかもち)(家持集)

 

の用例がある。

 

季語は「霧雲」で秋、聳物。恋。

 

三十五句目

 

   胸よりおこす霧雲のそら

 大竜(たいりう)やひさげの水をあけつらん   在色

 (大竜やひさげの水をあけつらん胸よりおこす霧雲のそら)

 

 ひさげはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「提・提子」の解説」に、

 

 「〘名〙 (動詞「ひさぐ(提)」の連用形の名詞化。鉉(つる)があってさげるようになっているところからいう) 鉉と注ぎ口のついた、鍋に似てやや小形の金属製の器。湯や酒を入れて、さげたり、暖めたりするのに用いる。後には、そうした形で、酒を入れて杯などに注ぐ器具にもいう。

  ※宇津保(970999頃)蔵開中「おほいなるしろがねのひさげに、わかなのあつものひとなべ」

 

とある。

 空に雲霧がかかっているのは八大竜王が胸元に提子を抱えて水を注いでいるからだ。

 

 時によりすぐれば民の嘆きなり

     八大龍王雨やめたまへ

              源実朝(みなもとのさねとも)(金槐和歌集)

 

の歌にも詠まれている。

 

無季。

 

三十六句目

 

   大竜やひさげの水をあけつらん

 文学(もんがく)その時うがひせらるる     卜尺

 (大竜やひさげの水をあけつらん文学その時うがひせらるる)

 

 文学は「もんがく」とルビがあり、文覚のことであろう。文覚は伊勢から伊豆へ向かう時に嵐に遭った時、

 

 「『竜王やある竜王やある』とぞ呼うだりける。『何とてかやうに大願起こしたる聖が乗つたる船をば、過またうとはするぞ。ただ今天の責め被ぶらんず竜神どもかな』」

 

と竜を𠮟りつけ、嵐を鎮めたという話が『平家物語』にある。

 以後、竜をテイムしてうがいの水を汲ませた、とする。

 

無季。

二裏

三十七句目

 

   文学その時うがひせらるる

 二日酔高雄(たかを)の山の朝ぼらけ     志計

 (二日酔高雄の山の朝ぼらけ文学その時うがひせらるる)

 

 文覚は高雄山神護寺で四十五箇條起請文を書いた。ここでは吉原の高尾(たかお)太夫(だゆう)のこととして、高尾太夫を酔わせて起請文を書かせたが、自分も酔っ払って二日酔いでうがいをする。

 

無季。恋。「高雄の山」は名所、山類。

 

三十八句目

 

   二日酔高雄の山の朝ぼらけ

 (わかれ)にやせてとぎすとぞなく     松意

 (二日酔高雄の山の朝ぼらけ別にやせてとぎすとぞなく)

 

 「とぎす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「とぎす」の解説」に、

 

 「① 昆虫「かまきり(蟷螂)」の異名。

  ② 転じて、かまきりのようにやせた人などをあざけっていう語。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「二日酔高雄の山の朝ぼらけ〈志計〉 別にやせてとぎすとぞなく〈松意〉」

 

とある。

 山の朝ぼらけに鳴くのはホトトギスだが、失恋痩せでトギスになる。

 

無季。恋。

 

三十九句目

 

   別にやせてとぎすとぞなく

 思ひの火四花(しくわ)患門(くわんもん)にさればこそ   一鉄

 (思ひの火四花患門にさればこそ別にやせてとぎすとぞなく)

 

 四花患門はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「四火関門・四花患門」の解説」に、

 

 「〘名〙 (きゅう)のつぼの一つ。腰に近い背中の部分で、四角な紙を貼って、その四隅に当たるところ。また、そこにすえる灸。しか。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「別にやせてとぎすとぞなく〈松意〉 思ひの火四花患門にさればこそ〈一鉄〉」

 ※談義本・根無草(176369)後「薬よ、鍼(はり)よ、四花患門、祈祷立願残る方なく」

 

とある。失恋痩せには思い火のお灸が効く。

 

無季。恋。

 

四十句目

 

   思ひの火四花患門にさればこそ

 (つひ)にかへほす人間の水       正友

 (思ひの火四花患門にさればこそ終にかへほす人間の水)

 

 「かへほす」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「換乾」の解説」に、

 

 「〘他サ四〙 池、沼などの水を汲()みつくす。干す。さらえる。

  ※百丈清規抄(1462)四「痴人尚野塘水と云たは、底に魚があるかと思て、龍と化去たをば不レ知して、かへほすと云心ぞ」

  ※浮世草子・好色一代男(1682)一「うないこより已来(このかた)腎水をかえほしてさても命はある物か」

 

とある。

 干からびて干物みたいになってしまったか。

 

無季。恋。

 

四十一句目

 

   終にかへほす人間の水

 世の中はごみに(まじは)()()なれや   松臼

 (世の中はごみに交る雑喉なれや終にかへほす人間の水)

 

 雑喉は「ざこ」とルビがある。雑魚(ざこ)のこと。雑魚はその外の生ごみと一緒に捨てられて干からびてゆく。人の世というのはそういうもので、大勢の人が江戸に出て来るけど成功するのは一握りで、多くはスラムから抜け出せずにやがて悪の道に染まって命を落として行く。

 

無季。

 

四十二句目

 

   世の中はごみに交る雑喉なれや

 宮もわら屋もたてる味噌汁    一朝

 (世の中はごみに交る雑喉なれや宮もわら屋もたてる味噌汁)

 

 立派なお武家さんだって厳しい権力争いがあって、負ければ牢人となり、末は乞食同然になる。

 

 世の中はとてもかくても同じこと

     宮も藁屋(わらや)もはてしなければ

              蝉丸(新古今集)

 

の歌にも詠まれている。生産力の停滞した社会では余剰人口は排除され、似たり寄ったりの運命をたどる。

 ただ、宮廷や将軍の料理でも庶民の食卓でも、汁物だけは変わらない。一汁一菜という言葉もある。貧しくても汁は一緒という発想は、のちに、

 

 木の下に汁も(なます)も桜かな     芭蕉

 

の句に結実する。

 

無季。

 

四十三句目

 

   宮もわら屋もたてる味噌汁

 子取ばばとり(あげ)見れば盲目(めくら)(なり)    雪柴

 (子取ばばとり上見れば盲目也宮もわら屋もたてる味噌汁)

 

 「宮もわら屋も」の歌を詠んだ蝉丸は、皇子でありながら目が見えないために逢坂山に蓑笠杖を与えられて捨てられた。

 そんな蝉丸を取り上げた産婆さんもいたのだろう。

 

無季。

 

四十四句目

 

   子取ばばとり上見れば盲目也

 右や左や隠密(をんみつ)の事         在色

 (子取ばばとり上見れば盲目也右や左や隠密の事)

 

 隠密はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「隠密」の解説」に、

 

 「① (形動) (━する) 物事をかくしておくこと。また、そのさま。内密。秘密。

  ※東寺百合文書‐は・建武元年(1334)七月・若狭太良荘時沢名本名主国広代行信重申状「恐自科、雖令隠蜜彼状等、時行訴訟之時」

  ※太平記(14C後)三三「天に耳無しといへども、是を聞くに人を以てする事なれば、互に隠密(ヲンミツ)しけれ共」

  ② 中世の末から近世、情報収集を担当していた武士。幕府や各藩に所属し、スパイ活動をおこなった。「忍びの者」「間者(かんじゃ)」などの称がある。

  [語誌]室町時代末から江戸時代にかけて①から②が生じる一方で①の用法がすたれていくが、その背景には仏教語の「秘密」などが徐々に一般化し、①の用法をおかしていったことなどが考えられる。」

 

とある。ここでは①の意味。

 

無季。

 

四十五句目

 

   右や左や隠密の事

 くどきよる中は十六(ばかり)にて     卜尺

 (くどきよる中は十六計にて右や左や隠密の事)

 

 娘十六はこの時代ではやや売れ残り感があった。誰かが下手に口出しして破談にならないように黙って見守ろう。

 

無季。恋。

 

四十六句目

 

   くどきよる中は十六計にて

 むずとくみふせ頬ずりをする   志計

 (くどきよる中は十六計にてむずとくみふせ頬ずりをする)

 

 源氏十六の時、空蝉の部屋にいきなり押し入って組み伏せた。

 

無季。恋。

 

四十七句目

 

   むずとくみふせ頬ずりをする

 色好みあつぱれそなたは日本一  松意

 (色好みあつぱれそなたは日本一むずとくみふせ頬ずりをする)

 

 組み伏せたくらいで「あっぱれ日本一」だから、江戸の男の立場は相当弱かったんだろうな。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『(さね)(もり)』の、

 

 「あつぱれおのれは日本一(にツぽんいち)の、(こお)の者とぐんでうずよとて、」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.904). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。

 

無季。恋。

 

四十八句目

 

   色好みあつぱれそなたは日本一

 蛍をあつめ()()(ぶみ)をかく      一鉄

 (色好みあつぱれそなたは日本一蛍をあつめ千話文をかく)

 

 蛍雪(けいせつ)の功という言葉もあるが、蛍を集めて夜通し何をしているかと思ったら千話文を書いていた。ラブレターのことだが、仮名(かな)草子(ぞうし)の『恨之(うらみの)(すけ)』はかなり長文の恋文を書いている。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。恋。

 

四十九句目

 

   蛍をあつめ千話文をかく

 月はまだお(ちゃう)の涼み(はな)(むしろ)     正友

 (月はまだお町の涼み花莚蛍をあつめ千話文をかく)

 

 お町はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御町」の解説」に、

 

 「① 江戸の遊里、吉原の通称。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)八「いつも初音の いつも初音の〈春澄〉 御町にて其御姿は御姿は〈芭蕉〉」

  ② 広く、公許の遊里。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「恋せしは右衛門といひし見世守り〈志計〉 お町におゐて皆きせるやき〈一朝〉」

 

とある。遊郭の夕涼みは花莚に座り、蛍の明りで恋文を書く。

 

季語は「涼み」で夏。恋。「月」は夜分、天象。

 

五十句目

 

   月はまだお町の涼み花莚

 名主を(ここ)にまねく瓜鉢       松臼

 (月はまだお町の涼み花莚名主を爰にまねく瓜鉢)

 

 前句の「お町」を「おまち」のことにする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御町」の解説」に、

 

 「① 江戸時代、町方(まちかた)に関する民政を行なった町年寄、町代(ちょうだい)などの町役人が使用した集会所。町会所(まちかいしょ)

  ※浮世草子・好色盛衰記(1688)三「むかしなじみのお町に行て、門の役人を望みしに、各(をのをの)たはけの沙汰して」

  ② =おちょう(御町)」

 

とある。お町(まち)では鉢に入れた瓜を用意して名主を招待する。

 

季語は「瓜」で夏。「名主」は人倫。

三表

五十一句目

 

   名主を爰にまねく瓜鉢

 府中より武蔵野(わけ)籠見廻(かごみまひ)     一朝

 (府中より武蔵野分て籠見廻名主を爰にまねく瓜鉢)

 

 武蔵野だから東海道の府中ではなく甲州街道の府中であろう。かつて武蔵国の国府があった。見廻(みまひ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「見舞・見廻」の解説」に、

 

 「① 見回ること。見回り。巡察。巡視。

  ※天草本伊曾保(1593)イソポの生涯の事「デンバタヲ mimaini(ミマイニ) イデラレタレバ」

  ② 訪問すること。とぶらうこと。挨拶に行くこと。

  ※古文真宝彦龍抄(1490頃)「我一期の間奉公せいでは叶まいが、捨之父を見まいに行よ」

  ※大英游記(1908)〈杉村楚人冠〉本記「此の曠世の詩人が生れたといふ家を見舞(ミマ)ひ」

  ③ 医者が病人の様子を見て回ること。往診。

 ※仮名草子・竹斎(162123)下「門より典薬衆見まひとあり」

  ④ 病気、災難などにあった人を慰めるために訪れたり、書面で問い慰めたりすること。また、そのための訪問や書状、贈物など。

  ※古活字本毛詩抄(17C前)一九「骨ををらるるらうと云て見まいに来」

 ※咄本・昨日は今日の物語(161424頃)上「あるもの、火事にあひけるを、見舞(みマヒ)に行きければ」

  ⑤ 好ましくない物事が襲うこと。

  ※相撲講話(1919)〈日本青年教育会〉力士の階級と給金「出世すべき力士一同が〈略〉土俵に登り、森厳な儀式があるのだが、其道々でばたばたお祝の拳骨や平手の見舞(ミマヒ)を受ける」

 

とある。本来は見て回ること全般を言った。今日では④と⑤の意味になっている。④の不吉さから⑤の意味に拡張されたのであろう。

 昔の国府のイメージで役人が武蔵野を見廻りすると瓜で歓迎を受けるとしたか。

 

無季。旅体。

 

五十二句目

 

   府中より武蔵野分て籠見廻

 むかひの岡の公事(くじ)頭取(とうど)リ     雪柴

 (府中より武蔵野分て籠見廻むかひの岡の公事の頭取リ)

 

 「むかひの岡」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「文京区本郷」とあるが、この場合は武蔵野だから多摩川の南側の向ヶ丘ではないか。ウィキペディアに、

 

 「『新編武蔵風土記稿』巻之五八橘樹郡之一に「向ヶ岡」の名が登場しており(ここでは山の名前として紹介されている)、この山には金程・細山・菅・高石・菅生・長尾・作延(かつては一つの村であったが後に上作延・下作延に分かれる)・久本・末長の 9村があるとしている。つまり、かつては一地域の地名としてではなく、「多摩の横山」などと同様に、より広い地域にこの名が使われていたことを示唆している(向丘村については#旧橘樹郡向丘村の節を参照)。」

 

とある。

 

 武蔵野の向かいの岡の草なれば

     根を訪ねても哀れとぞ思ふ

              小野小町(新勅撰集)

 

など、歌枕になっている。元は府中の国府から見て多摩川の対岸にある岡の意味だったか。

 頭取はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「頭取」の解説」に、

 

 「① 音頭を取る人。音頭取。

  () 雅楽の合奏で、各楽器特に、管楽器の首席演奏者。音頭(おんどう)

  ※楽家録(1690)一三「調子一名品玄、奏楽毎調始奏レ之、畧之時音取也 〈略〉至二于終句一止レ之法、絃管共頭取一人奏二終之一」

  () 能楽・歌舞伎で「翁(おきな)」「三番叟」を演奏するとき、小鼓方三人のうちの中央の主奏者。小鼓方の統率者。

  ※四座役者目録(164653)「子へ、忝も、観世の頭取、不二相替一被二仰付一」

  ② 転じて、一般に頭(かしら)だつ人。

  () 集団の長である人。首領。頭領。頭目。かしら。

  ※三河物語(1626頃)一「信忠も聞召て、其中に頭取(トウトリ)之族を御手討に被レ成ければ」

  () 歌舞伎劇場で、奥役の下に楽屋内の庶務の取締りを兼ねる役者。名題下の役者ではあるが、物わかりよく顔の売れた古参の役者が選ばれた。その詰めている所を頭取座という。楽屋頭取。

  ※浮世草子・嵐無常物語(1688)上「頭取(トウドリ)に断りいひて帰りさまに」

  () 相撲で、力士を統轄して興行に参加する者。年寄。

  ※古今相撲大全(1763)下本「頭取は、往古禁廷にて、相撲番行はせ給ふとき、相撲長と称するもの是なり」

  () 銀行・会社などで、取締役の首席で、その代表者となって業務執行の任に当たる者。

  ※大新ぱん浮世のあなさがし(1896)「会社の頭取が其会社の事を知らぬがある」

  () 議長。

  ※英政如何(1868)五「ミニストル方の組は下院に於ては、スピーケル(頭取)の椅子の右側に坐し」

 

とある。②の(イ)の意味であろう。向かいの岡の訴訟を指揮する。

 

無季。「むかひの岡」は名所、山類。

 

五十三句目

 

   むかひの岡の公事の頭取リ

 (きり)たふす松のいはれをながながと  在色

 (伐たふす松のいはれをながながとむかひの岡の公事の頭取リ)

 

 土地の境界線に松を植えることはよくあったのだろう。裁判で境界線が変わった時には伐り倒される。反対派の代表はなおもその松の謂れを滔々(とうとう)と訴える。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

五十四句目

 

   伐たふす松のいはれをながながと

 (じょう)(うば)とが臼のきね歌       卜尺

 (伐たふす松のいはれをながながと尉と姥とが臼のきね歌)

 

 松の謂われは杵歌(きねうた)となって語り継がれていた。

 杵歌はコトバンクに「精選版 日本国語大辞典「杵歌」の解説」に、

 

 「〘名〙 穀物や餠などをつく時、杵の動きの調子をとるためにうたう労働歌。きうた。

  ※文明本節用集(室町中)「隣有レ喪舂不レ相(ウスヅクトキニキネウタウタハズ)、里有レ殯不二巷歌一〔礼記〕」

 

 ()く人と()ねる人とのタイミングを取るための掛け合い歌だったか。松を伐る時に尉と姥が掛け合いで歌う。

 

無季。「尉と姥」は人倫。

 

五十五句目

 

   尉と姥とが臼のきね歌

 むかしざつと隣の(よめ)の名を(たて)て   志計

 (むかしざつと隣の嫁の名を立て尉と姥とが臼のきね歌)

 

 「ざつと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ざっと」の解説」に、

 

 「① 風や雨などがにわかに勢いよく吹いたり降ったりするさまを表わす語。

  ※金刀比羅本平治(1220頃か)中「一むら雨ざっとして、風ははげしく吹(ふく)間」

  ※中華若木詩抄(1520頃)下「軽風かざっと吹たれは、宿雨かとくとくと落て」

  ② 動作が勢いよく急なさまを表わす語。

  ※金刀比羅本保元(1220頃か)中「鏑はざっとわれてはらりと落(おつ)

  ③ ある作業をおおまかにするさまを表わす語。簡略に。

  ※玉塵抄(1563)一五「さいしょにざっとたいめんして口をきいたれば」

  ※思出の記(190001)〈徳富蘆花〉六「今一二年は学校の生活をするかも知れぬと云ふことをざっと話した」

  ④ 数量、状態、程度などのおおよそのさまを表わす語。あらまし。ほぼ。大体。

  ※雲形本狂言・木六駄(室町末‐近世初)「よいやよいや、扨々面白い事ぢゃ、ざっと酒盛になった」

  ※滑稽本・古朽木(1780)三「ざっと五十両の損と見ゆれば」

 

とあり、この場合は④の意味で正確な時期をぼかす言い方で昔話に用いられる。今の「ざっくり」とも関係があるのか。

 姥は元々尉の隣に住む女房で不倫関係にあって、という暴露話にする。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

 

五十六句目

 

   むかしざつと隣の嫁の名を立て

 なすび畠の味な事見た      松意

 (むかしざつと隣の嫁の名を立てなすび畠の味な事見た)

 

 「味な」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「味」の解説」に、

 

 「② 妙味のある行為や状態についていう。

  () 気のきいていること。手際のいいこと。また、そういうさま。味にする・味をやる。

  ※評判記・難波物語(1655)「雲井〈略〉逢(あふ)時はさもなくて、文にはあぢをかく人なり」

  ※仮名草子・東海道名所記(165961頃)二「黒き帽子にてかしらをあぢに包みたれば」

  () 風流で趣があること。また、そういうさま。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「峰の松あぢなあたりを見出たり〈野水〉 旅するうちの心寄麗さ〈落梧〉」

  () 色めいていること。また、そういうさま。

  ※評判記・難波物語(1655)「若旦那とあぢあるよし」

  ※咄本・無事志有意(1798)稽古所「娘のあたっている中へ足をふみ込、ついあぢな心になって、娘の手だと思ひ、母の手を握りければ」

  () わけありげなこと。何か意味ありげに感じられるさま。

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)京「あぢな手つきして、是だんな斗いふて、盃のあいしたり、かる口いふ分では」

  ※洒落本・風俗八色談(1756)二「人と対する時は作り声をしてあぢに笑ひ」

  () 囲碁で、あとになって有利に展開する可能性のある手。また、そういうねらい。

  () こまかいこと。また、そのようなさま。

  ※咄本・楽牽頭(1772)目見へ「男がよすぎて女房もあぶなし、金もあぶなく、湯へ行てもながからうのと、あじな所へ迄かんを付て、いちゑんきまらず」

  ③ 人の意表に出るような行為や状態についていう。」

 

とある。()()を合わせた意味で、ようするに茄子畑でイチャイチャしてるように見えたということで、名の立つ原因とする。

 

季語は「なすび」で夏。恋。

 

五十七句目

 

   なすび畠の味な事見た

 (ゆふ)(がほ)をしかとにぎれば五六寸    一鉄

 (夕㒵をしかとにぎれば五六寸なすび畠の味な事見た)

 

 五六寸は当時の男性の身長を考えれば歌麿級か。

 

季語は「夕㒵」で夏、植物、草類。

 

五十八句目

 

   夕㒵をしかとにぎれば五六寸

 うすばの(きず)に肝がつぶるる     正友

 (夕㒵をしかとにぎれば五六寸うすばの疵に肝がつぶるる)

 

 薄刃包丁は野菜を切るための包丁で、夕顔の実を伐りそこなって手に五六寸の傷ができてしまったら、そりゃ肝潰すわ。

 

無季。

 

五十九句目

 

   うすばの疵に肝がつぶるる

 常々(つねづね)麁相(そそう)(なり)けり納所坊(なっしょぼん)      松臼

 (常々が麁相也けり納所坊うすばの疵に肝がつぶるる)

 

 納所坊(なっしょぼん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「納所坊主」の解説」に、

 

 「〘名〙 寺の会計や雑務を扱う下級の僧。納所ぼん。なっしょ。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二七「今や引らん豆の粉の音 身の行衛納所坊主の塗坊主」

 

とある。

 うっかり者の納所坊に料理をさせたか。

 

無季。「納所坊」は人倫。

 

六十句目

 

   常々が麁相也けり納所坊

 若衆(わかしゅ)のふくれもつとも至極     一朝

 (常々が麁相也けり納所坊若衆のふくれもつとも至極)

 

 いつも周りに迷惑かけている納所坊。若衆が怒るのももっともなこと。

 

無季。「若衆」は人倫。

 

六十一句目

 

   若衆のふくれもつとも至極

 (つけ)ざしの酒にのまれて(これ)(さて)    雪柴

 (付ざしの酒にのまれて是は扨若衆のふくれもつとも至極)

 

 下戸(げこ)だったのか、若衆の口移しの酒だけで酔っ払って倒れてしまい、不首尾に終わる。

 

無季。恋。

 

六十二句目

 

   付ざしの酒にのまれて是は扨

 巾着(きんちゃく)ふるふ後朝(きぬぎぬ)の鐘        在色

 (付ざしの酒にのまれて是は扨巾着ふるふ後朝の鐘)

 

 遊女の付けざしの酒にいい気になって大盤振る舞いしてしまったのだろう。気が付いたら巾着は空っぽ。

 

無季。恋。

 

六十三句目

 

   巾着ふるふ後朝の鐘

 女房に見付(みつけ)られたる月の影     卜尺

 (女房に見付られたる月の影巾着ふるふ後朝の鐘)

 

 女房に遊郭通いがバレて、お金を取り上げられる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「女房」は人倫。

 

六十四句目

 

   女房に見付られたる月の影

 はらはんとせしもとゆひの露   志計

 (女房に見付られたる月の影はらはんとせしもとゆひの露)

 

 もとゆひ(元結)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「元結・鬠」の解説」に、

 

 「〘名〙 髪の髻(もとどり)を結び束ねる糸、紐の類。古くは組糸または麻糸を用い、後世は糊で固く捻ったこよりで製したものを用いる。もとい。

  ※古今(905914)恋四・六九三「きみこずはねやへもいらじこ紫我もとゆひに霜はおくとも〈よみ人しらず〉」

 

とある。元結が月の光を反射して光ったので露があるとわかる。女房が見つけて露をはらってくれる。

 

季語は「露」で秋、降物。

三裏

六十五句目

 

   はらはんとせしもとゆひの露

 そちがいさめいかにも(きこ)えた虫の声 松意

 (そちがいさめいかにも聞えた虫の声はらはんとせしもとゆひの露)

 

 虫の声で元結の露に気付いた。

 

季語は「虫の声」で秋、虫類。

 

六十六句目

 

   そちがいさめいかにも聞えた虫の声

 野辺(のべ)のうら(がれ)後世(ごせ)をおどろく    一鉄

 (そちがいさめいかにも聞えた虫の声野辺のうら枯後世をおどろく)

 

 虫の声に下を見ると、野辺の草の先の方が枯れてきたのをを見て無常(むじょう)迅速(じんそく)を悟る。虫が諫めてくれた。

 

季語は「うら枯」で秋。釈教。

 

六十七句目

 

   野辺のうら枯後世をおどろく

 見わたせば千日寺(せんにちでら)の松の風     正友

 (見わたせば千日寺の松の風野辺のうら枯後世をおどろく)

 

 千日寺は難波の法善寺。千日念仏が行われる。第三百韻の「いざ折て」の巻五十七句目にも、

 

   三昧原に夕あらしふく

 千日をむすぶ庵の露ふかし    松臼

 

の句がある。

 松風に野辺のうら枯れに千日念仏と来れば、発心の要素が揃っている。

 

無季。釈教。「松」は植物、木類。

 

六十八句目

 

   見わたせば千日寺の松の風

 (じゃう)(かう)のけぶりみねのうき雲     松臼

 (見わたせば千日寺の松の風常香のけぶりみねのうき雲)

 

 常香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「常香」の解説」に、

 

 「〘名〙 仏前にいつも絶やさないようにたく香。不断香。

  ※参天台五台山記(107273)三「前立二常燈常花常香台一」

  ※滑稽本・浮世床(181323)二「常香(ジャウカウ)もる間も忘れかねて、ほんにほんに泣かぬ間はなかった」

 

とある。千日念仏で香を焚き続ける。千日念仏をやる寺を法善寺ではなく、どこか山の方の寺とする。

 

無季。釈教。「けぶり」「うき雲」は聳物。

 

六十九句目

 

   常香のけぶりみねのうき雲

 人中(ひとなか)をはなれきつたる隠居(ずみ)    一朝

 (人中をはなれきつたる隠居住常香のけぶりみねのうき雲)

 

 山の中の隠遁者とする。

 

無季。

 

七十句目

 

   人中をはなれきつたる隠居住

 岩井(いはゐ)(ながれ)茶釜をあらふ       雪柴

 (人中をはなれきつたる隠居住岩井の流茶釜をあらふ)

 

 隠遁者を茶人とする。

 

無季。「岩井の流」は水辺。

 

七十一句目

 

   岩井の流茶釜をあらふ

 二三枚木の下たよる(こけ)(むしろ)      在色

 (二三枚木の下たよる苔莚岩井の流茶釜をあらふ)

 

 山の中の野点(のだて)とする。

 苔莚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苔筵」の解説」に、

 

 「① 苔が一面にはえたさまを、敷き物としてのむしろに見たてていう語。苔のむしろ。

  ※万葉(8C後)七・一一二〇「み吉野の青根が峯の蘿席(こけむしろ)誰か織りなむ経緯(たてぬき)無しに」

  ② 山に住む人や隠棲者あるいは旅人のわびしい寝床。苔のむしろ。

  ※千載(1187)雑中・一一〇九「宿りする岩屋の床(とこ)の苔莚いく夜になりぬ寝()こそやられね〈覚忠〉」

  ③ (苔は、永遠、長久などのたとえに用いられる常滑(とこなめ)(水苔)を連想させるところから) 永遠の意のたとえ。

  ※長秋詠藻(1178)上「岩たたむ山のかたそのこけむしろとこしなへにもものを思哉」

 

とある。筵のような苔の意味にも苔のような筵の意味にも用いる。ここでは二三枚敷くから②の方。

 

無季。「木」は植物、木類。

 

七十二句目

 

   二三枚木の下たよる苔莚

 (ねぶり)をさます蝉のせつきやう     卜尺

 (二三枚木の下たよる苔莚眠をさます蝉のせつきやう)

 

 木の下で野宿で、朝になると蝉が泣き出して起こされる。説教をするのだからつくつく法師だろうか。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。釈教。

 

七十三句目

 

   眠をさます蝉のせつきやう

 夕立のあとや凉しき与七郎    志計

 (夕立のあとや凉しき与七郎眠をさます蝉のせつきやう)

 

 与七郎は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「寛永年間の大阪の説経浄瑠璃師」とある。コトバンクの「世界大百科事典内の与七郎の言及」に、

 

 「このように説経節は本来,大道芸や門付芸であったが,その中から三味線を伴奏とし,人形をとり入れて操り芝居を興行するものがあらわれた。

[操り興行]

 《色道大鏡》(1678成立)巻八に〈説経の操は,大坂与七郎といふ者よりはじまる〉とあって,大坂では,伊勢出身というこの与七郎(説経与七郎)が寛永(162444)ころ,生玉神社境内で操りを興行したと伝え,明暦~寛文(165573)ころには説経七太夫も興行を行ったと伝える。この七太夫が江戸の佐渡七太夫の前身であろうとする説がある。

 

 「説経語り。1639(寛永16)の正本《山荘太夫》のはじめに,摂州東成郡生玉庄大坂,天下一説経与七郎とあるのは当人で,寛永年間(162444)生玉境内で操り説経を上演したようである。《諸国遊里好色揃》(1692)の説に従うと,与七郎は伊勢出身の簓(ささら)説経の徒であったが,後に操り説経に転じて大坂で興行するようになったということである。

 

とある。

 夕立の跡の繰り芝居興行で、雨が止んで蝉の声もする中で行われる。

 

季語は「夕立ち」で夏、降物。

 

七十四句目

 

   夕立のあとや凉しき与七郎

 (はは)()の先のみじか夜の月      松意

 (夕立のあとや凉しき与七郎箒木の先のみじか夜の月)

 

 そこいらの与七郎として、夕立で掃除も中止で、夕立が去れば(ほうき)を立ててのんびり月を見て涼む。

 

季語は「みじか夜」で夏、夜分。「月」は夜分、天象。

 

七十五句目

 

   箒木の先のみじか夜の月

 出来(でき)(ぼし)は雲のいづこにきえつらん  一鉄

 (出来星は雲のいづこにきえつらん箒木の先のみじか夜の月)

 

 出来星はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出来星」の解説」に、

 

 「① 急に夜空に現われた星。

  ※俳諧・毛吹草(1638)六「出来星と見やはとがめぬ揚燈籠〈宗除〉」

  ② にわかに立身出世すること。急に大金持になること。また、その人。なりあがり。

  ※歌舞伎・夢結蝶鳥追(雪駄直)(1856)三幕「主膳といふは出来星(デキボシ)の此頃流行る人相見」

 

とある。前句の(はは)()をほうき星とする。

 彗星は現れたと思ったら去って行く。この前まで見えていたのにどこへいったやら。

 比喩としては、(にわか)成金も宵越しの金は持たねえとばかりにあっという間に使い果たし、今はどこへ行ったやら。

 

無季。「出来星」は夜分、天象。「雲」は聳物。

 

七十六句目

 

   出来星は雲のいづこにきえつらん

 空さだめなき年代記(なり)       正友

 (出来星は雲のいづこにきえつらん空さだめなき年代記也)

 

 年代記などには彗星の出現が記録されている。

 ウィキペディアによると、『鎌倉年代記』には「正安3年(1301年)に地球に接近したハレー彗星についての記事がある」という。

 

無季。

 

七十七句目

 

   空さだめなき年代記也

 風わたるからくり芝ゐ花ちりて  松臼

 (風わたるからくり芝ゐ花ちりて空さだめなき年代記也)

 

 からくり芝居はコトバンクの「デジタル大辞泉「絡繰り芝居」の解説」に、

 

 「絡繰り人形の芝居。元禄期(16881704)を中心に、寛文から寛延に至る90年間に盛行。大坂道頓堀の竹田近江掾たけだおうみのじょうの芝居が有名。竹田芝居。」

 

とある。

 からくり芝居は旅芸人で、花見の人が集まる所にやって来ては、どこへともなく消えてゆく。「年代記」は出し物の名前としたか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

七十八句目

 

   風わたるからくり芝ゐ花ちりて

 所望(しょまう)かしよまうかうぐいすの声   一朝

 (風わたるからくり芝ゐ花ちりて所望かしよまうかうぐいすの声)

 

 所望はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「所望」の解説」に、

 

 「〘名〙 ある物を手に入れたい、ある事をしてほしいなどとのぞむこと。のぞみ。ねがい。注文。

  ※明衡往来(11C中か)上本「所望之事成敗難レ計」

  ※虚子俳句集(1935)〈高浜虚子〉昭和六年四月「花冷の汁のあつきを所望かな」 〔資治通鑑‐巻六五〕」

 

とある。

 所望はからくり芝居の人が「何を所望か」と客のリクエストを聞く場面で、花も散ると人も少なく、鶯の声が返ってくるだけ。

 

季語は「うぐいす」で春、鳥類。

名残表

七十九句目

 

   所望かしよまうかうぐいすの声

 手本紙おそらく(のこ)ンの雪の色    雪柴

 (手本紙おそらく残ンの雪の色所望かしよまうかうぐいすの声)

 

 書の練習用の手本紙を書いては見たが、今日は生徒が来ない。手本紙が残雪のように取り残され、鶯だけが鳴いている。

 

季語は「残ンの雪」で春。

 

八十句目

 

   手本紙おそらく残ンの雪の色

 がつそうあたま春風ぞふく     在色

 (手本紙おそらく残ンの雪の色がつそうあたま春風ぞふく)

 

 「がつそうあたま」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「兀僧頭」の解説」に、

 

 「① 男の髪形で、月代(さかやき)を剃らないで、全体の髪をのばし頭上で束ねたもの。また、その髪をした者。坊主、医者、老人などが主にした。また、束ねないで全体の髪を  のばして、垂れ下げた髪形もいう。総髪。がっそう。がっそうがしら。

  ※仮名草子・可笑記(1642)四「今其方のすがたを見るに、がっそうあたまにやつし、刀わきざしをもささず」

  ② 芥子(けし)を置かずに髪をのばし、まだ束ねるに至らない七、八歳ぐらいの小児の頭髪。がっそう。〔随筆・守貞漫稿(183753)〕」

 

とある。この場合は①で、書の先生にありがちな髪型とする。

 

季語は「春風」で春。

 

八十一句目

 

   がつそうあたま春風ぞふく

 青柳(あをやぎ)の糸もてまはる(かま)つかひ    卜尺

 (青柳の糸もてまはる鎌つかひがつそうあたま春風ぞふく)

 

 「鎌つかひ」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「鎖鎌のつかい手」とある。鎖鎌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鎖鎌」の解説」に、

 

 「〘名〙 武器の一つ。鎌に長い鎖をつけ、その先に分銅(ふんどう)をつけたもの。分銅を相手に投げつけて、武器にからみつかせ、引き寄せて、鎌で斬りつけたり首を掻いたりするもの。

  ※俳諧・二葉集(1679)「くさり鎌もれて出たる三ケの月 雲居に落る雁の細首〈芭蕉〉」

  ※浄瑠璃・彦山権現誓助剣(1786)七「直に踏込み打ちかくるを、くぐるは神力くさり鎌(ガマ)、ちゃうちゃうはっしと請止めて」

 

とある。用例は延宝六年の「わすれ草」の巻。

 (がつ)僧頭(そうあたま)で髪を束ねてなかったのだろう。風が吹くと青柳のようになり、鎌を振り回す釜使いのようだ。

 柳に春風は、

 

 佐保姫のうち垂れ神の玉柳

     ただ春風の梳るなりけり

              大江(おおえの)匡房(まさふさ)(玉葉集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。「鎌つかひ」は人倫。

 

八十二句目

 

   青柳の糸もてまはる鎌つかひ

 葛城山(かづらきやま)の草をたばぬる       志計

 (青柳の糸もてまはる鎌つかひ葛城山の草をたばぬる)

 

 鎌使いは葛城山の草刈をしていた。

 葛城山の草は、

 

 葛城や夏は裾野の草茂み

     雨に置く露を誰かわくらむ

              慈円(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「葛城山」は名所、山類。「草」は植物、草類。

 

八十三句目

 

   葛城山の草をたばぬる

 岩橋(いははし)の夜のちぎりに蚊をいぶし   松意

 (岩橋の夜のちぎりに蚊をいぶし葛城山の草をたばぬる)

 

 葛城山の一言(ひとこと)(ぬし)大神(おおかみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葛城の神」の解説」に、

 

 「奈良県葛城山の山神。特に、一言主神(ひとことぬしのかみ)。また、昔、役行者(えんのぎょうじゃ)の命で葛城山と吉野の金峰山(きんぷせん)との間に岩橋をかけようとした一言主神が、容貌の醜いのを恥じて、夜間だけ仕事をしたため、完成しなかったという伝説から、恋愛や物事が成就しないことのたとえや、醜い顔を恥じたり、昼間や明るい所を恥じたりするたとえなどにも用いられる。

  ※清正集(10C中)「かづらきやくめのつぎはしつぎつぎもわたしもはてじかづらきのかみ」

  ※枕(10C終)一六一「あまりあかうなりしかば、『かづらきの神、いまぞずちなき』とて、逃げおはしにしを」

 

とある。

 このことは、

 

   大納言朝光下らふに侍りける時、

   女のもとにしのひてまかりて、

   あか月にかへらしといひけれは

 岩橋の夜の契もたえぬべし

     あくるわびしき葛木の神

              春宮女(しゅんぐうにょ)蔵人(くろうど)左近(さこん)(拾遺集)

 

のように、恋の意味に転じて用いられることもある。

 前句の「草をたばぬる」を蚊遣(かやり)()の草とする。

 

季語は「蚊」で夏、虫類。恋。「夜」は夜分。

 

八十四句目

 

   岩橋の夜のちぎりに蚊をいぶし

 枕に汗のかかる美目(みめ)わる      一鉄

 (岩橋の夜のちぎりに蚊をいぶし枕に汗のかかる美目わる)

 

 葛城の神は見目(みめ)(わる)だったということだが、元の顔が醜いのではなく、蚊を燻す烟にむせて変な顔になっているとして、葛城の岩橋を恋に転じた趣向が三句に跨ってしまっているが、やや変化を加えている。

 

季語は「汗」で夏。恋。

 

八十五句目

 

   枕に汗のかかる美目わる

 恋風や敗毒散(はいどくさん)にさめつらん     正友

 (恋風や敗毒散にさめつらん枕に汗のかかる美目わる)

 

 敗毒散はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「敗毒散・排毒散」の解説」に、

 

 「〘名〙 近世、広く愛用された売薬。人参・甘草・陳皮などをもって製し、頭痛、せき、かぜなどに効があった。

  ※蔗軒日録‐文明一六年(1484)四月一八日「与敗毒散五色」 〔玉機微義‐滞下治法〕」

 

とある。

 恋の病も敗毒散が効いて醒めてしまったか。

 

無季。恋。

 

八十六句目

 

   恋風や敗毒散にさめつらん

 なみだは袖に一ぱい半分     松臼

 (恋風や敗毒散にさめつらんなみだは袖に一ぱい半分)

 

 「一ぱい半分」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「敗毒散の服用量」とある。

 前句の「らん」を反語として、敗毒散に覚めたのではなく、一杯半の泪を流してあきらめたとする。

 

無季。恋。「袖」は衣裳。

 

八十七句目

 

   なみだは袖に一ぱい半分

 夕まぐれ貧女(ひんにょ)がともす油皿     一朝

 (夕まぐれ貧女がともす油皿なみだは袖に一ぱい半分)

 

 前句の「一ぱい半分」を油の量として、前句の泪は貧しさからの泪とする。

 

無季。「貧女」は人倫。

 

八十八句目

 

   夕まぐれ貧女がともす油皿

 夜なべに(かご)をつくる裏店(うらだな)      雪柴

 (夕まぐれ貧女がともす油皿夜なべに籠をつくる裏店)

 

 裏店(うらだな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「裏店」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「たな」は家屋の意) 市街地の裏通りや、商家の背後の地所に建てられた家。とくに、裏通りに面して建てられた粗末な棟割長屋をいった。うらや。裏長屋。裏借屋(うらじゃくや)。裏貸屋(うらがしや)。⇔表店。

  ※御触書寛保集成‐三九・寛文二寅年(1662)九月「右之輩町屋表棚に差置申間敷候。裏店に宿借候共」

 

とある。

 前句の油皿をよなべ仕事のためのものとする。

 

季語は「夜なべ」で秋、夜分。

 

八十九句目

 

   夜なべに籠をつくる裏店

 雪隠(せっちん)のあたりにすだく(きりぎりす)     在色

 (雪隠のあたりにすだく蛬夜なべに籠をつくる裏店)

 

 「すだく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「すだく」の解説」に、

 

 「〘自カ四〙 (古くは「すたく」) 呼吸が苦しくなる。あえぐ。〔文明本節用集(室町中)〕

  ※浄瑠璃・栬狩剣本地(1714)三「急げ急げといふ声も喘(スダキ)せぐりて」

 

とある。蛬(きりぎりす)はここではコオロギのことで、晩秋の虫の音も弱り息絶え絶えのコオロギであろう。

 夜なべで籠を作る手も寒い。

 

季語は「蛬」で秋、虫類。

 

九十句目

 

   雪隠のあたりにすだく蛬

 りっぱに見ゆる萩垣の露     卜尺

 (雪隠のあたりにすだく蛬りっぱに見ゆる萩垣の露)

 

 すだくコオロギで物悲しいのと裏腹に、どこの屋敷の雪隠か、立派な垣根がある。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。「露」は降物。

 

九十一句目

 

   りっぱに見ゆる萩垣の露

 はき掃除(さうぢ)尻からげして今朝の月   志計

 (はき掃除尻からげして今朝の月りっぱに見ゆる萩垣の露)

 

 「尻からげ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尻を絡げる」の解説」に、

 

 「① 着物の裾(すそ)をまくりあげて、端を帯にはさみこむ。〔伊京集(室町)〕

  ② (転じて、その走りやすい姿から) 早々に逃げ出す。

  ※談義本・根無草(176369)前「聖人も父母の国を尻(シリ)引からげて去り給ふは」

 

とある。ここでは①の意味。

 垣根の辺りでは尻からげして掃除している人がいる。

 

季語は「今朝の月」で秋、天象。

 

九十二句目

 

   はき掃除尻からげして今朝の月

 住持(ぢうぢ)数寄(すき)の山ほととぎす     松意

 (はき掃除尻からげして今朝の月住持の数寄の山ほととぎす)

 

 数寄は茶道の趣味によく用いられる。ここではもっと漠然とした風流好みということか。住持は朝の月にホトトギスの声を聞いて風流にひたっているが、その頃小坊主は掃除させられている。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「山」は山類。

名残裏

九十三句目

 

   住持の数寄の山ほととぎす

 (たちばな)()(ない)(まうす)小姓(こしゃう)衆       一鉄

 (橘の喜内と申小姓衆住持の数寄の山ほととぎす)

 

 喜内は人名に時折使われているが、東百官に起源がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「東百官」の解説」に、

 

 「① 京都の官名にならって、天正~慶長(一五七三‐一六一五)以来、関東武士の用いた通称。左内、右内、兵馬、大弐、小弐、典膳、頼母の類。

  ※随筆・貞丈雑記(1784頃)二「今世に云東百官の号は将門が作りしにはあらず」

 

とある。伊織(いおり)、数馬(かずま)は今日でも名前に用いられている。有名な所では平賀源内の源内(げんない)もある。近代の時代小説の丹下左膳は丹下も左膳も両方とも東百官。

 橘は姓だとすると立派過ぎるから、通称か自称であろう。路通も忌部の姓を名乗っていたようだが。

 まあ、何となく小姓にいそうな名前だったのだろう。

 住持はそっちの方も好きだったようだ。

 

季語は「橘」で夏、植物、木類。恋。「小姓衆」は人倫。

 

九十四句目

 

   橘の喜内と申小姓衆

 きのふはたれが軒の宿(やど)(ふだ)      正友

 (橘の喜内と申小姓衆きのふはたれが軒の宿札)

 

 売春の小姓とする。

 宿札はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「宿札」の解説」に、

 

 「① 旅宿で誰が宿泊しているかを示す札。江戸時代には、大名や貴人などの宿泊の標識として「何々様御泊」と記し、宿駅の出入口と本陣の前に立てた札。長さ三尺半(約一メートル)、幅一尺(約三〇センチメートル)ほどの木札を、一丈半(約四・五メートル)程度の竹の先につけて、大大名の時は三枚、それ以下の大名は二枚を立てた。特別な場合や旗本・陪臣の宿泊の際には、奉書紙をもって本陣に貼ることもあった。関札(せきふだ)。泊札(とまりふだ)。しゅくさつ。

  ※太平記(14C後)八「我前に京へ入て、よからんずる宿をも取、財宝をも官領せんと志て、宿札(ヤドフダ)共を面々に、二三十づつ持せて」

  ② 氏名などを記して門口に掲げ、その人の住居であることなどを示す札。表札。門札。家札(やふだ)

  ※俳諧・埋草(1661)一「鶯の宿札か梅に小短尺〈貞盛〉」

 

とあり、この場合は①で、上級武士の宿泊する宿に出没しては稼いでいる。

 

無季。恋。旅体。「軒」は居所。

 

九十五句目

 

   きのふはたれが軒の宿札

 洪水の(ながれ)てはやき大井川      松臼

 (洪水の流てはやき大井川きのふはたれが軒の宿札)

 

 大井川は東海道の大井川、京都嵯峨野の大井川、江戸川の辺りもかつては大井川だった。特にどこのということではなく、洪水で家が流されて、昨日の軒の表札も今はない。

 

無季。「大井川」は名所、水辺。

 

九十六句目

 

   洪水の流てはやき大井川

 嵯峨(さが)丸太(まるた)にて丸にたふるる     一朝

 (洪水の流てはやき大井川嵯峨丸太にて丸にたふるる)

 

 嵯峨丸太はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「嵯峨丸太」の解説」に、

 

 「① 京都嵯峨で陸揚げされた丹波産の丸太。丹波の奥山で切り出された丸太を筏(いかだ)に組んで大堰川(おおいがわ)に流し、その沿岸である嵯峨で陸揚げしたところからいう。

  ※俳諧・桜川(1674)夏「蚊はしらのたつやうき世の嵯峨丸太〈為勝〉」

  ② (尼は色恋になれていないで堅いところから) 京都嵯峨の尼。また、売春をする尼のこと。

  ※雑俳・尚歯会(1722)「正法にげに節木(ふし)なき嵯峨丸太」

 

とある。

 前句の大井川を嵯峨野の大井川(桂川)として、洪水のあとで嵯峨丸太が丸々倒れて流されたとする。

 

無季。

 

九十七句目

 

   嵯峨丸太にて丸にたふるる

 ぬかり道足にまかせて(ゆく)ほどに   雪柴

 (ぬかり道足にまかせて行ほどに嵯峨丸太にて丸にたふるる)

 

 「足にまかせて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「足に任せる」の解説」に、

 

 「① 乗物に乗らないで、歩いて行く。足を頼りに行く。また、足の力の続くかぎり歩く。

  ※平家(13C前)一二「北条、馬にのれといへども乗らず〈略〉足にまかせてぞ下りける」

  ② はっきりした行先もなく、また、特に目的も定めないで歩く。あてもなく気ままに歩きまわる。

  ※虎明本狂言・八尾(室町末‐近世初)「足にまかせて行程に、六道の辻に着にけり」

 

とある。この場合は①であろう。ぬかり道を歩いて行くと嵯峨丸太につまずいて転ぶ。

 

無季。

 

九十八句目

 

   ぬかり道足にまかせて行ほどに

 作麼生(そもさん)かこれ畳の古床(ふるどこ)       在色

 (ぬかり道足にまかせて行ほどに作麼生かこれ畳の古床)

 

 作麼生(そもさん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「作麽生・什麽生」の解説」に、

 

 「〘副〙 中国、近世の口語。いかに。どのように。さあどうだ。日本ではとくに禅僧の問答の際の語として広まった。

※正法眼蔵(123153)仏性「この宗旨は作麽生なるべきぞ」

※読本・雨月物語(1776)青頭巾「やがて禅杖を拿(とり)なほし『作麽生(ソモサン)何所為ぞ』と一喝して」 〔景徳伝燈録‐道信大師旁出・崇慧禅師〕」

 

とある。

 床はいろいろな意味があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「床」の解説」に、

 

 「① 人の座する台。高さ一尺くらいで土間に用いる。

  ※新撰字鏡(898901頃)「 止己」

  ※延喜式(927)三四「牀〈長八尺、広五尺、高一尺三寸、厚二寸四分〉長功十人」

  ② 寝所として設ける所。ねどこ。ふしど。

  ※古事記(712)中・歌謡「をとめの 登許(トコ)のべに 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや」

  ※源氏(100114頃)末摘花「心やすきひとりねのとこにてゆるひにけりや」

  ③ ふとんを敷いたねどこ。また、男女の共寝。

  ※評判記・野郎虫(1660)伊藤古今「床(トコ)にいりての後は、あぢものじゃといふ」

  ④ ゆか。

  ※読本・雨月物語(1776)蛇性の婬「然(さて)見るに、女はいづち行けん見えずなりにけり。此床(トコ)の上に輝輝(きらきら)しき物あり」

  ⑤ (たたみ)のこと。現代では畳の心(しん)を、畳表と区別していう。

  ※大乗院寺社雑事記‐寛正三年(1462)一月一三日「長床二帖」

  ⑥ 牛車(ぎっしゃ)の人の乗る所。車の床。車箱(くるまばこ)

  ※三代実録‐貞観一七年(875)九月九日「吾欲レ令二此牛不一レ行、乃以レ手拠二車床一、閉レ気堅坐不レ動」

  ⑦ =とこのま(床間)②

  ※玉塵抄(1563)一一「軸の物と云が座敷のかざりに床(トコ)の上に台にのせておかるるぞ」

  ⑧ 桟敷(さじき)。涼みどこ。

  ※俳諧・己が光(1692)四条の納涼「夕月夜のころより有明過る比まで、川中に床をならべて、夜すがらさけのみものくひあそぶ」

  ⑨ 葭簀(よしず)ばりにゆかを張るなどして、常時は人の住めない簡単な店。渡船場などの休息所。とこみせ。

  ※浄瑠璃・鑓の権三重帷子(1717)下「床(トコ)の陰に身を潜め、甚平が爰に有からは、市の進も此辺にゐらるるはひつぢゃう」

  ⑩ (以前は「とこみせ」程度であったところから) 髪結床(かみゆいどこ)。床屋。

  ※浄瑠璃・夏祭浪花鑑(1745)三「床(トコ)の衆今日のお払ひ者いかふ遅うござるの」

  ⑪ 和船の最後部の船梁で、舵(かじ)を保持する床船梁(とこふなばり)の略称。〔和漢船用集(1766)〕

  ⑫ (からすき)の底の地面にふれる部分の名称。いさり。〔訓蒙図彙(1666)〕

  ⑬ 「なえどこ(苗床)」の略。

  ⑭ 「かなとこ(鉄床)」の略。

  [語誌](1)元来、土間に用いられた①が、住宅・寺院が板敷になるに伴ってその上に置かれ、室町時代には⑤のように畳を意味するようにもなった。

  (2)床は一段高い所で、その上段の間には押板がつけられるのが普通であったが、茶室の発生とともに、上段と押板が縮小されて一つになり、今日いう⑦の「床の間」となった。」

 

とある。延宝の頃はまだ畳は高級品だったと思われる。まあ、板敷の部屋の多かった時代には一段高くなった所というイメージもあっただろう。

 ぬかり道も心を澄ませば、古くはあるが畳の上を歩いているようなもの、ということか。

 

無季。釈教。「畳の古床」は居所。

 

九十九句目

 

   作麼生かこれ畳の古床

 山寺を仕まふ大八(だいはち)花車       卜尺

 (山寺を仕まふ大八花車作麼生かこれ畳の古床)

 

 山寺からの引越しに、大八車に古畳を積んで運び出す。これも当時は古畳とはいえ一財産というイメージがあったのだろう。それゆえ花車になる。

 

季語は「花車」で春、植物、木類。釈教。

 

挙句

 

   山寺を仕まふ大八花車

 (とび)(くち)帰る春の夕暮         松意

 (山寺を仕まふ大八花車鳶口帰る春の夕暮)

 

 (とび)(くち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鳶口」の解説」に、

 

 「① 棒の先端に、鳶のくちばしに似た鉄製の鉤(かぎ)を付けたもの。物をひっかけたり、引き寄せたりするのに用いる。

  ※俳諧・生玉万句(1673)「鴟口のさきとがる三ケ月〈正春〉 秋かぜをおききゃるかとて木やりして〈重故〉」

  ② =とび(鳶)の者

  ※東京日日新聞‐明治七年(1874)七月二六日「鳶口も長髷となり、依然として旧の如し」

  ③ (①が物を引き寄せる道具であるところから) 欲深く物を取り込むこと。

  ※評判記・吉原すずめ(1667)下「さだまりたる手のよきとびぐちは、くるしかるまじき事也」

 

とある。②は用例が近代だが、ここでも鳶口を持った人が帰るということで②の意味でいいと思う。

 近代でも国鉄の貨物便などロープで縛ってある荷物を鳶口を使って持ち上げたりしてた記憶がある。昔の引越しには欠かせないものだったのだろう。

 無事引越しも終わり、一巻は目出度く終了する。

 

季語は「春」で春。「鳶口」は人倫。