言水独吟「凩の」の巻、解説

初表

 凩の果はありけり海の音     言水

   漂泠の火きえてさむき明星

 碁にかへる人に師走の様もなし

   又梅が香に調ぶ膝琴

 ゆふぐれは狐の眠る朧月

   春辺よながれ次第なる船

 

初裏

 伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡

   田に物運ぶ嫁身すぼらし

 面白や傾城連て涼むころ

   蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣

 しごけども紅葉は出ぬ夏木立

   四十かぞへて跡はあそばん

 世中の欲後見にある習ひ

   菊の隣はあさがほの垣

 名月の念仏は歌の障なして

   片帆に比叡を塞ぐ秋風

 花笠はなきか網引の女ども

   牛は柳につながれて鳴ク

 

二表

 野々宮も酒さへあれば春の興

   詞かくるに見返りし尼

 思ひ出る古主の別二十年

   東に足はささでぬる夜半

 漏ほどの霰掃やる風破の関

   餅つく人ぞ人らしき㒵

 来ますとは世の嘘ながら祭ル魂

   邪神に弓はひかぬ鹿狩

 腰居し岩に麓の秋をみて

   朝霧かくす児の古郷

 月にこそ砧は昼の物めかず

   鷗と遊ぶ江のかかり舟

 

二裏

 黄昏を無官の座頭うたひけり

   ゆるく焼せてながく入風呂

 しぐれより雪みる迄の命乞

   内裏拝みてかへる諸人

 やさしきは花くはへたる池の亀

   弥生のあやめ出さぬ紫

      参考;『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(大内初夫、櫻井武次郎、雲英末雄校注、一九九四、岩波書店)

初表

発句

 

 凩の果はありけり海の音     言水

 

 言水は奈良の生まれで、延宝の頃は江戸に出てきていて芭蕉(当時は桃青)とも交流があった。天和二年に京都に移っている。

 凩(こがらし)は木から木へと吹きすさび、その名のとおり木を枯らしてゆく。そして最後は海へと出て、後はどこへ行くのか誰も知らない。

 木枯らしは放浪者の比喩でもある。風来坊などと放浪者は風に喩えられる。芭蕉も「風羅坊」を名乗り、自らを「狂句木枯し」と称し「放浪のやぶくす師竹斎」になぞらえた。そのさすらう者も海に行く手を阻まれれば、そこで引き返すことになる。

 ただ、実際は「湖上眺望」という前書きの真蹟短冊があるらしく、本来は琵琶湖の景色を詠んだものだった。木枯らしも越えられないほどこの琵琶湖は巨大だという意図だったのか。琵琶湖を巨大な琵琶に見立てて、凩はあたかもそれを掻き鳴らして音を立てているかのようだ。

 この句はすぐに有名になり、「木枯しの言水」と呼ばれるようになったというから、元禄七年の、

 

 あれあれて末は海行野分哉    猿雖

 

の句にもこの句の影響はあったのだと思う。

 

季語は「凩」で冬。「海」は水辺。

 

 

   凩の果はありけり海の音

 漂泠の火きえてさむき明星    言水

 (凩の果はありけり海の音漂泠の火きえてさむき明星)

 

 「漂泠」は「みを」と読む。澪標(みをつくし)のこと。ウィキペディアには、

 

 「澪標は川の河口などに港が開かれている場合、土砂の堆積により浅くて舟(船)の航行が不可能な場所が多く座礁の危険性があるため、比較的水深が深く航行可能な場所である澪との境界に並べて設置され、航路を示した。同義語に澪木(みおぎ)・水尾坊木(みおぼうぎ)などがある。」

 

とある。夜はそこに火を灯し、灯台の役割を果たしていた。

 明け方になるとその火も消え、空には明けの明星が輝く。発句の海の音に海浜をさすらう旅人の朝に旅立つ様を付ける。海を越えることなく引き返す所に、海が「果て」になっている。

 

季語は「さむき」で冬。「漂泠」は水辺。「明星」は天象。

 

第三

 

   漂泠の火きえてさむき明星

 碁にかへる人に師走の様もなし  言水

 (碁にかへる人に師走の様もなし漂泠の火きえてさむき明星)

 

 明け方の海にたたずむ人を碁打ちとする。この時代は本因坊道策の活躍によって囲碁ブームが起きていた。漁師の間でも碁が流行っていたか。

 おそらく負けて茫然自失で家路についたのだろう。そこでは世間の師走のあわただしさも他所事のようだ。

 

季語は「師走」で冬。「人」は人倫。

 

四句目

 

   碁にかへる人に師走の様もなし

 又梅が香に調ぶ膝琴       言水

 (碁にかへる人に師走の様もなし又梅が香に調ぶ膝琴)

 

 膝琴は膝に乗せて弾く古琴(七弦琴)のことか。

 前句を世俗の師走のあわただしさとは無縁な貴族か何かとする。正月前に既に咲いた寒梅を前に琴をたしなむ。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

五句目

 

   又梅が香に調ぶ膝琴

 ゆふぐれは狐の眠る朧月     言水

 (ゆふぐれは狐の眠る朧月又梅が香に調ぶ膝琴)

 

 この狐は玉藻前のような美女に化けた狐だろうか。

 

季語は「朧月」で春、夜分、天象。

 

六句目

 

   ゆふぐれは狐の眠る朧月

 春辺よながれ次第なる船     言水

 (ゆふぐれは狐の眠る朧月春辺よながれ次第なる船)

 

 狐はここでは本物で、春の野辺のどこかで眠っている。そこを流れに任せて下ってゆく舟がある。

 このあたりのやや浮世離れした風流が、蕉門の卑近な笑いの世界とは違う所だ。

 

季語は「春辺」で春。「船」は水辺

初裏

七句目

 

   春辺よながれ次第なる船

 伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡   言水

 (伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡春辺よながれ次第なる船)

 

 「水の淡」は「水の泡」で、この言葉はしばしば和歌にも詠まれている。

 

 水の泡の消えでうき身といひながら

     流れてなほもたのまるるかな

                紀友則(古今集)

 思ひ川たえずながるる水のあわの

     うたかた人に逢はで消えめや

                伊勢(後撰集)

 

 『古今集』の仮名序にも「草の露、水の泡を見てわが身をおどろき」とある。

 川に生じてはすぐに消えて行く水の泡の儚さは、人生にも喩えられるし、恋にも喩えられる。

 伊賀と伊勢が接する加太のあたりは分水嶺で、ここに降った雨は鈴鹿川になれば伊勢へと流れ、柘植川になれば伊賀を経てやがて木津川になり、淀川に合流して大阪まで流れる。

 雨で生じた水の泡も流れ次第でどこへ行くかわからない。人生はそんな流れを行く船のようなものというところか。

 

無季。「伊賀」「伊勢」は名所。「雨」は降物。

 

八句目

 

   伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡

 田に物運ぶ嫁身すぼらし     言水

 (伊賀伊勢の雨に先だつ水の淡田に物運ぶ嫁身すぼらし)

 

 水の泡といえば、田舎に住む百姓の嫁の物を運ぶやつれた姿か。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

 

九句目

 

   田に物運ぶ嫁身すぼらし

 面白や傾城連て涼むころ     言水

 (面白や傾城連て涼むころ田に物運ぶ嫁身すぼらし)

 

 嫁は苦労しているというのに旦那は傾城連れていいご身分。『伊勢物語』の筒井筒からの発想か。

 本説や俤ではなく、現代に移し変えて換骨奪胎するのは、談林的な手法だ。

 

季語は「涼む」で夏。「傾城」は人倫。

 

十句目

 

   面白や傾城連て涼むころ

 蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣    言水

 (面白や傾城連て涼むころ蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣)

 

 遊郭で遊ぶのは楽しいけど、ついついはまってお金をつぎ込んで、後が恐いもの。それを蜘蛛の巣にかかる蝉に喩える。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。「蛛」も虫類。

 

十一句目

 

   蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣

 しごけども紅葉は出ぬ夏木立   言水

 (しごけども紅葉は出ぬ夏木立蝉ゆくかたにゆるぐ蛛の巣)

 

 「しごく」は「扱(こ)く」から来た言葉で、ここではむしるという意味だろう。

 茂る葉をいくらむしってみても、夏に紅葉した葉っぱどこにもない。夏の蝉がなく頃には、やがて紅葉する景色もない。

 

 やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

 

の句は元禄三年の句だからまだ言水はまだ知らなかっただろう。蝉もいつしか死んでゆくように、夏木立もいつしか紅葉して落葉になる。

 

季語は「夏木立」で夏、植物、木類。

 

十二句目

 

   しごけども紅葉は出ぬ夏木立

 四十かぞへて跡はあそばん    言水

 (しごけども紅葉は出ぬ夏木立四十かぞへて跡はあそばん)

 

 昔は四十歳は初老で、これくらいの歳で隠居する事が多かった。まだ元気なうちに隠居して、後は遊んで暮らそう。

 

無季。

 

十三句目

 

   四十かぞへて跡はあそばん

 世中の欲後見にある習ひ     言水

 (世中の欲後見にある習ひ四十かぞへて跡はあそばん)

 

 老後を悠々自適に隠居生活というのではなく、年少者の後ろ盾となってその財産を着服しという悪い爺さんに取り成す。まあ「習ひ」つまりよくあること、ということか。

 

無季。

 

十四句目

 

   世中の欲後見にある習ひ

 菊の隣はあさがほの垣      言水

 (世中の欲後見にある習ひ菊の隣はあさがほの垣)

 

 この場合は庭造りに欲を出すということか。菊があるなら、その後ろに朝顔の垣も欲しい。

 

季語は「菊」「あさがほ」で秋、植物、草類。

 

十五句目

 

   菊の隣はあさがほの垣

 名月の念仏は歌の障なして    言水

 (名月の念仏は歌の障なして菊の隣はあさがほの垣)

 

 菊の酒は不老長寿の仙薬で、重陽の日に飲んだりする。

 これに対し、朝顔は朝に咲いて昼には萎み、いかにも諸行無常を感じさせる。

 長寿を願うのに隣では儚い命と、それはまるで名月の夜をこれから楽しもうというのに、隣から念仏が聞こえてくるようなものだ。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

十六句目

 

   名月の念仏は歌の障なして

 片帆に比叡を塞ぐ秋風      言水

 (名月の念仏は歌の障なして片帆に比叡を塞ぐ秋風)

 

 和船の帆は便利なもので、ヤードを水平にすれば横帆になり、追い風で早く走ることができ、ヤードを傾けて片帆にすれば縦帆になり、向かい風で間切って進むことができる。

 比叡山から琵琶湖へと吹き降ろす秋風(西風)に片帆で進む舟は、帆を左右に動かすのでそのつど月が隠れてしまう。

 名月に歌の一つも詠もうにも、無粋な比叡下ろしが邪魔をする。

 

季語は「秋風」で秋。「片帆」は水辺。「比叡」は名所、山類。

 

十七句目

 

   片帆に比叡を塞ぐ秋風

 花笠はなきか網引の女ども    言水

 (花笠はなきか網引の女ども片帆に比叡を塞ぐ秋風)

 

 「花笠」は貞徳の『俳諧御傘』にも立圃の『増補はなひ草』にも記述がない。秋風の花笠なら盆踊りの傘だろうか。笠に花籠をつけて生花を入れたものならば、花籠に準じて正花、植物、春になる。

 花笠も植物に準じてか「菊の隣はあさがほの垣」から二句隔てている。

 琵琶湖の秋風から花の定座への移行ということで、やや無理な展開だが、秋風を防ぐために網引の女に、盆踊りに被るような花笠はないのか、と問いかける。

 

季語は「花笠」で春、植物、木類。「網引」は水辺。「女」は人倫。

 

十八句目

 

   花笠はなきか網引の女ども

 牛は柳につながれて鳴ク     言水

 (花笠はなきか網引の女ども牛は柳につながれて鳴ク)

 

 花笠が春になるので春の場面に転じる。「なきか」という上句に「なく」で受ける。

 女たちは網を引き、漁具を運ぶのに用いたか、牛が柳に繋がれている。花笠はなく、ただ牛だけがなく。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「牛」は獣類。

二表

十九句目

 

   牛は柳につながれて鳴ク

 野々宮も酒さへあれば春の興   言水

 (野々宮も酒さへあれば春の興牛は柳につながれて鳴ク)

 

 京都嵯峨野にある野宮(ののみや)神社は、かつては伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした場所で、『源氏物語』賢木巻では源氏の君が六条御息所を尋ねてこの野宮にやってくる。秋のことだった。

 謡曲『野宮』では牛車に乗った御息所が登場するというから、前句の牛を牛車を引く牛としたのだろう。源氏も忍んで来たから、源氏がどこかの柳の木に牛を繋いでいたのかもしれない。

 斎王の制度は南北朝時代に廃絶し、それ以降は普通の神社になったのだろう。ならば酒さえあれば昔の源氏と御息所の寂しげな別れの場面なども忘れ、春の興となる。まあ、昔は潔斎の場所だから酒はなかったのだろう。

 これも古典の雰囲気を生かした蕉門の俤付けとは違い、むしろ古代と現代のギャップで笑わせる。そういうところが談林的で言水流なのだろう。

 

季語は「春」で春。神祇。

 

二十句目

 

   野々宮も酒さへあれば春の興

 詞かくるに見返りし尼      言水

 (野々宮も酒さへあれば春の興詞かくるに見返りし尼)

 

 嵯峨で尼さんをナンパしようとしたのか。

 嵯峨の尼というと祇王寺で、清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前の悲しい物語があるが、それも昔の話。

 

無季。恋。「尼」は人倫。

 

二十一句目

 

   詞かくるに見返りし尼

 思ひ出る古主の別二十年     言水

 (思ひ出る古主の別二十年詞かくるに見返りし尼)

 

 昔の主人との恋物語もあったのだろう。結局結ばれることなく女は尼となり、あれから二十年。ふと昔の主人に呼び止められたような気がして振り返る。そこには‥‥。メロドラマだね。

 

無季。恋。「古主」は人倫。

 

二十二句目

 

   思ひ出る古主の別二十年

 東に足はささでぬる夜半     言水

 (思ひ出る古主の別二十年東に足はささでぬる夜半)

 

 忠臣だったのだろう。何かの誤解で左遷されてしまったかお暇を出されたか、それでも主君のいる方角に足を向けて寝ることはない。

 殿は東にいるということは家康公の忠臣か。

 

無季。「夜半」は夜分。

 

二十三句目

 

   東に足はささでぬる夜半

 漏ほどの霰掃やる風破の関    言水

 (漏ほどの霰掃やる風破の関東に足はささでぬる夜半)

 

 前句の「東に足をささで」を東に向って歩かずにと取り成したか。

 風破の関(不破の関)は荒れ果てて、雨漏りどころか霰も漏ってくるので掃き出さなくてはならない。そんな荒れた天気だから、今日は関を越えずにここで一夜過ごそう、とする。

 

季語は「霰」で冬、降物。「風破の関」は名所。

 

二十四句目

 

   漏ほどの霰掃やる風破の関

 餅つく人ぞ人らしき㒵      言水

 (漏ほどの霰掃やる風破の関餅つく人ぞ人らしき㒵)

 

 前句の霰をあられ餅のこととする。不破の関で餅を搗いては大量のあられを作っている。一体こんな所で餅を搗くとは誰なんだろうか。人のように見えるがひょっとして昔の人の亡霊?

 

季語は「餅つく」で冬。「人」は人倫。

 

二十五句目

 

   餅つく人ぞ人らしき㒵

 来ますとは世の嘘ながら祭ル魂  言水

 (来ますとは世の嘘ながら祭ル魂餅つく人ぞ人らしき㒵)

 

 お盆で先祖の魂が帰ってくるというのは確かに「世の嘘」なのだけど、それを言っては元も子もない。

 京都ではお盆に「おけそく」と呼ばれる餅を供えるという。霊魂の話、鬼神の話は疑わしいとはいえ、それを信じて祭る人の心は人らしい。

 

季語は「祭ル魂」で秋。

 

二十六句目

 

   来ますとは世の嘘ながら祭ル魂

 邪神に弓はひかぬ鹿狩      言水

 (来ますとは世の嘘ながら祭ル魂邪神に弓はひかぬ鹿狩)

 

 邪神というと今はクトゥルー神話になってしまったが、元は災いをもたらす神の意味だった。

 日本では鹿を食う習慣がなかったので、鹿狩りは農作物の害獣駆除として行われていた。

 鹿は鹿島神宮の神使でもあり、奈良の春日大社でも神鹿とされている。その鹿には弓を向けるけど、邪神には弓を向けないというのは、確かに先祖の魂など信じない合理主義者には矛盾のように感じるのかもしれない。実際に姿を現すわけでもない邪神には弓の引きようがないが。

 このあたりも蕉門の人たちと言水のキャラの違いなのだろう。何のかんの言って蕉門の人たちは信心深い。それが不易の風雅の誠の探求へと向わせたのだが、言水は現世的だ。

 唯物論者というのはいつの時代にもいるもので、定家の卿もそうだったようだ。他の巻だが、

 

   牙生し子は我家に置兼て

 いのれど弥陀は常の㒵なる    言水

 

なんて句もある。

 

季語は「鹿狩」で秋、獣類。

 

二十七句目

 

   邪神に弓はひかぬ鹿狩

 腰居し岩に麓の秋をみて     言水

 (腰居し岩に麓の秋をみて邪神に弓はひかぬ鹿狩)

 

 前句を単なる鹿狩りの光景として、岩に腰掛けて麓の秋の景色を眺める狩人を描く。

 

季語は「秋」で秋。「麓」は山類。

 

二十八句目

 

   腰居し岩に麓の秋をみて

 朝霧かくす児の古郷       言水

 (腰居し岩に麓の秋をみて朝霧かくす児の古郷)

 

 「秋」は「飽き」との掛詞になる。男色に相手に飽きた稚児は故郷を離れる。岡の上から振り返る故郷は朝霧に隠れている。

 

季語は「朝霧」で秋、聳物。恋。「児(ちご)」は人倫。「古郷」は居所。

 

二十九句目

 

   朝霧かくす児の古郷

 月にこそ砧は昼の物めかず    言水

 (月にこそ砧は昼の物めかず朝霧かくす児の古郷)

 

 砧といえば李白の「子夜呉歌」で、月の下で聞くから趣もある。

 

 み吉野の山の秋風小夜ふけて

     ふるさと寒く衣うつなり

               参議雅経(新古今集)

 

が本歌だが、朝になってもはや砧の音は聞こえない。まあ、昼聞いてもらしくないしな、と冷ややかに言う所が言水らしさなのだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「砧」も秋。

 

三十句目

 

   月にこそ砧は昼の物めかず

 鷗と遊ぶ江のかかり舟      言水

 (月にこそ砧は昼の物めかず鷗と遊ぶ江のかかり舟)

 

 「かかり舟」は繋船(けいせん)のこと。江に浮かぶ船は月にこそふさわしいが、つながれて鷗と遊ぶ昼の舟はそれはそれで別の味わいがある。

 砧は物めかないが、舟は昼でも物めく。

 

無季。「鷗」は鳥類、水辺。「江」「舟」も水辺。

二裏

三十一句目

 

   鷗と遊ぶ江のかかり舟

 黄昏を無官の座頭うたひけり   言水

 (黄昏を無官の座頭うたひけり鷗と遊ぶ江のかかり舟)

 

 ウィキペディアによると琵琶法師は、「検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは73の段階に分けられていたという。これらの官位段階は、当道座に属し職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。」という。無官というのは、まだ官位を持っていない初心の琵琶法師だという。

 場面を黄昏時とし、はじめたばかりの琵琶法師が鷗相手に練習をしているのだろうか。

 

無季。「座頭」は人倫。

 

三十二句目

 

   黄昏を無官の座頭うたひけり

 ゆるく焼せてながく入風呂    言水

 (黄昏を無官の座頭うたひけりゆるく焼せてながく入風呂)

 

 「焼せて」は「たかせて」と読む。当時の銭湯はサウナだったが、この場合は家の中に据え付ける据風呂(水風呂)だろう。

 ここでいう無官の座頭は多分なんちゃって座頭で、入浴している人が気分良くて平曲の一節なんかを歌ったりしたのだろう。

 

無季。

 

三十三句目

 

   ゆるく焼せてながく入風呂

 しぐれより雪みる迄の命乞    言水

 (しぐれより雪みる迄の命乞ゆるく焼せてながく入風呂)

 

 「命乞(いのちごひ)」は本来は長生きができるように神仏に祈ることだった。

 長風呂をしていると、時雨がいつの間に雪に変わっていた。

 

季語は「しぐれ」「雪」で冬、降物。

 

三十四句目

 

   しぐれより雪みる迄の命乞

 内裏拝みてかへる諸人      言水

 (しぐれより雪みる迄の命乞内裏拝みてかへる諸人)

 

 内裏というと京都御所のことだろうが、ここを訪れて神社のように拝んで、長寿を祈ることは普通に行われていたのだろうか、よくわからない。

 だいぶ後になるが、

 

 女具して内裏拝まんおぼろ月   蕪村

 

の句もある。

 

無季。「諸人」は人倫。

 

三十五句目

 

   内裏拝みてかへる諸人

 やさしきは花くはへたる池の亀  言水

 (やさしきは花くはへたる池の亀内裏拝みてかへる諸人)

 

 ネットで調べたが、亀が花を食べるのは珍しくないようだ。

 「やさし」の元の意味は身も痩せ細るような思いをすることだが、それが転じて謙虚で立派な心がけを言うこともある。

 まあ、実際は花を食べているのだろうけど、見た目には花を咥えていると、内裏に花を奉げているようにも見える。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「池の亀」は水辺。

 

挙句

 

   やさしきは花くはへたる池の亀

 弥生のあやめ出さぬ紫      言水

 (やさしきは花くはへたる池の亀弥生のあやめ出さぬ紫)

 

 池の亀ということで、池にはあやめ(ここでは花菖蒲であろう)が植えられているが、弥生なのでまだ紫の花も蕾も見えない。亀の咥えている桜の花が池に花を添えている。

 まあ、亀に花ということで、目出度く一巻は終わる。

 

季語は「弥生」で春。「あやめ」は植物、草類。