「暁や」の巻、解説

元禄二年十一月二十二日、土芳蓑虫庵

初表

 暁や雪をすきぬく薮の月     園風

   けぶりを作る榾のげだ物   梅額

 暦よむ人なき里も安居て     半残

   かはり牡丹の名をひろめけり 土芳

 献々に間する事の上手にて    良品

   扇の角をつぶす舞まひ    風麦

 春にあふ蒔絵の鞘をさげ帯て   芭蕉

   初かみなりに将監がみの   木白

 

初裏

 馬の鞍ふまへて手折る桜花    梅額

   おこぜを出す注連縄の影   配力

 いせの海よごれ素襖を打すすぎ  風麦

   敵の首を送る古郷      園風

 村人は関のむしろにこごなりて  土芳

   鯖谷門徒を尊がりけり    良品

 造り出す今年の酒も甘口に    半残

   月も名残のやや寒き足    配力

 妹がりや溝に穂蓼の生茂り    園風

   文書ちらす庭のばせを葉   風麦

 それぞれの楽の衣装を脱すてて  芭蕉

   出しかけたる饅頭の汁    土芳

 此花に瀧をのぼるも今はじめ   木白

   肩に持ぬる供のさわらび   梅額

 

 

二表

 残る雪舅に見せん里がくれ    園風

   放て犬のあとを追来る    風麦

 葬礼にしほるる馬のあはれ也   良品

   女咳たる薮の戸の内     土芳

 後朝のゐの子の餅を配るとて   芭蕉

   背は寒く頭うちける     木白

 時雨する旅の巾着たよりなき   梅額

   手を扣見る猿沢の魚     配力

 歌よめとみなみな烏帽子傾て   木白

   なみだもろしやしづが黛   半残

 七夕にうきをかしたる染ふくさ  園風

   家うりて世はあぢきなき月  芭蕉

 柿の木の枝もたははに実を持て  風麦

   飛で冷じ名は紅葉どり    土芳

 

二裏

 修行者のふみ迷ひたる峯伝ひ   梅額

   北斗の星を包む村雲     木白

 鷹の爪あかがり寒く鳴ぬらん   半残

   松一本は山の神也      園風

 乞食して花に巻する薦簾     芭蕉

   雉子雉子逃そこはひことなき 土芳

 春雨によろよろ酔のおかしくて  配力

   思はぬ方の款冬を摘     風麦

 頃日は火を焼習ふひとり住    良品

   家ぬしの来て琵琶の名を問  木白

 引かつぐ菖の階子重たげに    土芳

   目のちり吹て貰ふ夕ぐれ   園風

 月の前しかみし㒵もうつくしく  芭蕉

   碪うちうち恋のいさかひ   配力

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 暁や雪をすきぬく薮の月     園風

 

 明け方で、白んで見えてきた雪の積もった薮を貫き通すように月の光が射してくる。

 特に寓意もなく、美しい景色を詠んだ句といえよう。

 

季語は「雪」で冬、降物。「月」は夜分、天象。

 

 

   暁や雪をすきぬく薮の月

 けぶりを作る榾のげだ物     梅額

 (暁や雪をすきぬく薮の月けぶりを作る榾のげだ物)

 

 榾(ほだ)は薪で、「げだ物」は質の悪い物という意味。

 明け方は寒くて火を焚くが、煙がひどい。

 これも寓意はない。

 

季語は「榾」で冬。「けぶり」は聳物。

 

第三

 

   けぶりを作る榾のげだ物

 暦よむ人なき里も安居て     半残

 (暦よむ人なき里も安居てけぶりを作る榾のげだ物)

 

 暦というと伊勢暦や京の経師暦などがあったが、どこでも行き渡ってたわけでもなかったか。

 僧などが隠棲していると、暦の読めない字などを聞きに来る人がいて、結構うざかったりしたのだろう。

 

無季。「人」は人倫。「里」は居所。

 

四句目

 

   暦よむ人なき里も安居て

 かはり牡丹の名をひろめけり   土芳

 (暦よむ人なき里も安居てかはり牡丹の名をひろめけり)

 

 田舎の寺でも珍しい牡丹で有名になることもある。

 ただ、「変わり牡丹」という紋章もあるのでどちらの意味か。

 

季語は「牡丹」で夏、植物、草類。

 

五句目

 

   かはり牡丹の名をひろめけり

 献々に間する事の上手にて    良品

 (献々に間する事の上手にてかはり牡丹の名をひろめけり)

 

 「献々(こんこん)」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「盃をすすめる毎にの意」とある。

 酒を勧めることが旨くて、ということで、前句の牡丹を見せては酒を勧め、牡丹が有名になる。

 貞享元年の「はつ雪の」の巻十四句目に、

 

   小三太に盃とらせひとつうたひ

 月は遅かれ牡丹ぬす人      杜国

 

元禄二年六月新庄での「御尋に」の巻二十三句目にも、

 

   牡丹の雫風ほのか也

 老僧のいで小盃初んと      芭蕉

 

の句がある。

 

無季。

 

六句目

 

   献々に間する事の上手にて

 扇の角をつぶす舞まひ      風麦

 (献々に間する事の上手にて扇の角をつぶす舞まひ)

 

 「舞まひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「舞舞」の解説」に、

 

 「[1] 〘名〙

  ① 烏帽子・直垂・大口袴を着用した謡い手が、楽器を用いず扇で拍子をとりながら、戦争・英雄伝など武士の世界の物語を勇壮な歌詞で謡い、高潮した場面では舞いめぐる舞曲。幸若(こうわか)・大頭(だいがしら)の派があり、室町時代から江戸時代の中頃まで多く武家で行なわれた。《季・新年》 〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② ①の舞を演ずる者。幸若舞の太夫(たゆう)。また、幸若舞を演ずる辻芸人。

  ※相州文書‐四・(天正一三年)(1585)七月二二日・北条氏政印判状「悉可二罷立一、まいまい猿引躰之者成共可二罷出一事」

  ③ 「まいまいつぶり(舞舞螺)」の略。

  ※書言字考節用集(1717)五「蝸牛 マヒマヒ」

  ④ 「まいまいむし(舞舞虫)②」の略。《季・夏》

  ⑤ 「まいまいが(舞舞蛾)」の略。

  [2] 〘副〙 (「と」「する」を伴って用いることもある) くるくると回るさま、また、うろうろするさま、まごまごするさま。

  ※浄瑠璃・心中二つ腹帯(1722)三「半兵衛はまだまいまいと、這入りたさうに覗きゐる」

 

とある。

 勇壮な舞だが扇をぶつけたりして角を潰すこともあったのだろう。幸若といえばやはり信長の十八番の「敦盛」かな。

 

無季。

 

七句目

 

   扇の角をつぶす舞まひ

 春にあふ蒔絵の鞘をさげ帯て   芭蕉

 (春にあふ蒔絵の鞘をさげ帯て扇の角をつぶす舞まひ)

 

 前句の位で付けたのだろう。幸若を舞う男は季節ごとの綺麗な蒔絵が施された鞘の刀を下げているような人物だった。

 

季語は「春」で春。

 

八句目

 

   春にあふ蒔絵の鞘をさげ帯て

 初かみなりに将監がみの     木白

 (春にあふ蒔絵の鞘をさげ帯て初かみなりに将監がみの)

 

 将監(しゃうげん)はウィキペディアに、

 

 「近衛府の三等官。またはそれにちなんだ武家官位。

  官位に由来して百官名にもなっている。」

 

とある。

 洒落た蒔絵の刀を下げているが、雷にあって簑を着る。

 将監はあるいは生駒将監のことか。ウィキペディアに、

 

 「生駒 将監(いこま しょうげん、? - 寛永10年(1633年))は、安土桃山時代から江戸時代初期のにかけての武将。大名生駒家の家臣。妻は生駒一正の娘。子に生駒帯刀、佐藤久兵衞、娘(園池宗朝室、生駒一正養女)、娘(多賀源介室)。」

 

とある。息子の生駒帯刀は生駒騒動を起こし、藤堂家とも関わりが深い。

 

季語は「初かみなり」で春。「将監」は人倫。「蓑」は衣裳。

初裏

九句目

 

   初かみなりに将監がみの

 馬の鞍ふまへて手折る桜花    梅額

 (馬の鞍ふまへて手折る桜花初かみなりに将監がみの)

 

 「ふまへる」は足で踏むことで、馬の鞍の上に立って高い所の桜の枝を折る。

 桜の枝を折ったからバチが当たったのだろう。帰りには初雷にあう。

 

季語は「桜花」で春、植物、木類。「馬」は獣類。

 

十句目

 

   馬の鞍ふまへて手折る桜花

 おこぜを出す注連縄の影     配力

 (馬の鞍ふまへて手折る桜花おこぜを出す注連縄の影)

 

 オコゼはコトバンクの「世界大百科事典 第2版「オコゼ」の解説」に、

 

 「山の神はオコゼを見ることを好むと伝えられ,山で仕事をする狩人,山師,放牧者などがこれを供えて祈願すると望みがかなうといわれている。とくに狩猟者にこの伝承が強く残り,この魚を干し固めたものを紙に包んで懐中して狩りに出る。」

 

とある。前句の馬の鞍に乗って桜を折る人を山で仕事をする人とする。

 

無季。神祇。

 

十一句目

 

   おこぜを出す注連縄の影

 いせの海よごれ素襖を打すすぎ  風麦

 (いせの海よごれ素襖を打すすぎおこぜを出す注連縄の影)

 

 素襖(すあを)はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「素襖」の解説」に、

 

 「素袍とも書くが素襖が正しい。直垂(ひたたれ)の一種で、大紋(だいもん)とともに同系列の服装。いずれも江戸時代に武家の礼装に用いられたが、その順位は、直垂が最高で、次が大紋、素襖はその下で平士、陪臣(ばいしん)の料とされた。生地(きじ)は布(麻)で、仕立ては直垂、大紋とほぼ同じであるが、前二者の袴(はかま)の腰(紐(ひも))が白であるのに対して共裂(ともぎれ)が用いられ、後ろに山形の腰板が入る。また胸紐、菊綴(きくとじ)は、組紐のかわりに革が用いられ、このゆえに一名「革緒(かわお)の直垂」とも称された。背と両袖(そで)、袴の腰板と左右の相引(あいびき)のところに、紋を染め抜く。頭には侍烏帽子(えぼし)をかぶり、下には熨斗目(のしめ)の小袖を着る。素襖の一種に小素襖(こすおう)というのがあるが、これは略装で、袖が一幅(ひとの)半(素襖は二幅(ふたの))で短く、下には長袴でなく半袴をはく。[山辺知行]」

 

とある。

 伊勢に素襖は狂言『素袍落』であろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「素袍落」の解説」に、

 

 「狂言の曲名。太郎冠者(かじゃ)狂言。ふと伊勢(いせ)参宮を思い立った主人は、太郎冠者(シテ)に、かねて同行を約束していた伯父へこのことを伝えにやる。伯父は、急のことで行けないと返事し、冠者も供をするであろうと門出を祝って酒をふるまう。酔いの回った冠者は、慈悲深い伯父を褒め、けちな主人をけなして気炎をあげる。そのうえ祝儀に素袍までもらっていっそう機嫌よく、小歌交じりに帰途に着く。あまり帰りが遅いので途中まで迎えにきた主人はこのようすを見て苦りきっているが、冠者がつい取り落とした素袍を拾うと、2人の機嫌は逆になる。大蔵流では冠者が素袍を取り返して逃げ、和泉(いずみ)流では素袍を持って入る主人を冠者が追い込む。冠者の酔態が見どころ。明るくにぎやかな曲なので、よく上演される。

 これを歌舞伎(かぶき)舞踊化したものに新歌舞伎十八番の『素襖落(すおうおとし)』がある。本名題(ほんなだい)『素襖落那須語(なすのかたり)』。義太夫(ぎだゆう)・長唄(ながうた)掛け合い。福地桜痴(ふくちおうち)作詞、鶴沢安太郎・杵屋(きねや)正次郎作曲。1892年(明治25)東京・歌舞伎座で9世市川団十郎が初演。太郎冠者が酒宴の芸に能『八島(やしま)』の替間(かえあい)(特殊演出)「那須」(那須与市扇の的の語り)を演ずるのが独特の趣向である。[小林 責]」

 

とある。

 

無季。「いせの海」は名所、水辺。「素襖」は衣裳。

 

十二句目

 

   いせの海よごれ素襖を打すすぎ

 敵の首を送る古郷        園風

 (いせの海よごれ素襖を打すすぎ敵の首を送る古郷)

 

 前句を仇討として返り血を浴びた素襖を洗う。

 

無季。「古郷」は居所。

 

十三句目

 

   敵の首を送る古郷

 村人は関のむしろにこごなりて  土芳

 (村人は関のむしろにこごなりて敵の首を送る古郷)

 

 「こごなる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「こごなる」の解説」に、

 

 「① 細かいものが寄り集まって一つのかたまりになる。あるいは、密集する。

  ※尚書抄(16C前‐中)三「塊と云はここなりたる土を云。壌とははらはらとしてここならざる土を云」

  ② じっとする。動かないでいる。体を固くする。

  ※玉塵抄(1563)一三「冬のこをった水のそこに、をよぎもえせいでここなってをる魚よりも、吾はなをものぐさいぞ」

 

とある。

 合戦があって巻き込まれた村人が関に集まってじっとしている中を、敵将の首が運ばれてゆく。

 慶長五年の安濃津城の戦いではないかと思う。伊賀では語り継がれることも多かったのではないかと思う。だとすると「関」は関宿になる。

 

無季。「村人」は人倫。

 

十四句目

 

   村人は関のむしろにこごなりて

 鯖谷門徒を尊がりけり      良品

 (村人は関のむしろにこごなりて鯖谷門徒を尊がりけり)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に「底本以外はすべて『鯖江門徒』」とある。鯖江門徒はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鯖江門徒」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「鯖江」は「鯖江御堂」で、誠照寺(じょうしょうじ)の別称) 福井県鯖江市にある誠照寺を本山とする真宗の門徒。誠照寺派。」

 

とある。誠照寺はウィキペディアに、

 

 「戦国時代には本願寺と対立し越前一向一揆の焼き討ちに遭うなど兵火に晒され、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家側についたことから、後に羽柴秀吉の報復によって破却され衰退した。」

 

とある。

 

無季。釈教。「門徒」は人倫。

 

十五句目

 

   鯖谷門徒を尊がりけり

 造り出す今年の酒も甘口に    半残

 (造り出す今年の酒も甘口に鯖谷門徒を尊がりけり)

 

 僧坊酒であろう。奈良の南都諸白は有名だが、各地の大きな寺院で作られていた。

 糖度の高い米を使い発酵をほどほどのところで止めると、糖分が残って甘口の酒になる。

 

季語は「今年の酒」で秋。

 

十六句目

 

   造り出す今年の酒も甘口に

 月も名残のやや寒き足      配力

 (造り出す今年の酒も甘口に月も名残のやや寒き足)

 

 新酒のできるのは晩秋で、月も名残の十三夜、足もとが寒い。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「やや寒き」も秋。

 

十七句目

 

   月も名残のやや寒き足

 妹がりや溝に穂蓼の生茂り    園風

 (妹がりや溝に穂蓼の生茂り月も名残のやや寒き足)

 

 「妹がり」は愛しき人の所に通うこと。そろそろ霜の降りる頃の穂蓼を踏みしめて、足が寒い。

 

季語は「穂蓼」で秋、植物、草類。恋。「妹」は人倫。

 

十八句目

 

   妹がりや溝に穂蓼の生茂り

 文書ちらす庭のばせを葉     風麦

 (妹がりや溝に穂蓼の生茂り文書ちらす庭のばせを葉)

 

 書き散らした手紙が風に舞い、庭の芭蕉葉のようだ。

 

 いかがするやがて枯れゆく芭蕉葉に

     こころしてふく秋風もなし

              藤原為家(夫木抄)

 

の歌もある。

 

季語は「ばせを葉」で秋、植物、木類。恋。「庭」は居所。

 

十九句目

 

   文書ちらす庭のばせを葉

 それぞれの楽の衣装を脱すてて  芭蕉

 (それぞれの楽の衣装を脱すてて文書ちらす庭のばせを葉)

 

 猿楽(能)の衣装であろう。次の出し物のためにいそいで着替えると、あちこちに衣裳が散らばり、庭の芭蕉葉のようになる。

 

無季。「衣装」は衣裳。

 

二十句目

 

   それぞれの楽の衣装を脱すてて

 出しかけたる饅頭の汁      土芳

 (それぞれの楽の衣装を脱すてて出しかけたる饅頭の汁)

 

 昔は饅頭に汁物を添えて出したという。一曲終わった後、出番のない時は饅頭を食って一休みしていたのだろう。

 

無季。

 

二十一句目

 

   出しかけたる饅頭の汁

 此花に瀧をのぼるも今はじめ   木白

 (此花に瀧をのぼるも今はじめ出しかけたる饅頭の汁)

 

 吉野の西河(にじつこう)だろうか。

 

 ほろほろと山吹散るか瀧の音   芭蕉

 

の句がある。

 ここは花の定座で桜の花を表す正花になる。ただ、六句目に「桜花」があり、実質的には山吹を詠んだ形式的な花と見た方が良いのかもしれない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「瀧」は山類、水辺。

 

二十二句目

 

   此花に瀧をのぼるも今はじめ

 肩に持ぬる供のさわらび     梅額

 (此花に瀧をのぼるも今はじめ肩に持ぬる供のさわらび)

 

 瀧の傍で摘んだ蕨を供に背負わせる。「供の肩に持ぬるさわらび」の倒置。

 

季語は「さわらび」で春、植物、草類。「供」は人倫。

二表

二十三句目

 

   肩に持ぬる供のさわらび

 残る雪舅に見せん里がくれ    園風

 (残る雪舅に見せん里がくれ肩に持ぬる供のさわらび)

 

 雪で里隠れというと牛若等三人の子どもを連れて大和国の宇陀に逃れた常盤御前が思い浮かぶが、ここはあくまで別の、舅の元に逃れる話にしている。これも本説から俤への一つの試みだったのではないかと思う。

 

季語は「残る雪」で春、降物。「舅」は人倫。「里」は居所。

 

二十四句目

 

   残る雪舅に見せん里がくれ

 放て犬のあとを追来る      風麦

 (残る雪舅に見せん里がくれ放て犬のあとを追来る)

 

 出る時に犬を放ったが、けなげにも旅についてくる。

 

無季。「犬」は獣類。

 

二十五句目

 

   放て犬のあとを追来る

 葬礼にしほるる馬のあはれ也   良品

 (葬礼にしほるる馬のあはれ也放て犬のあとを追来る)

 

 葬儀の時に主を失いやつれた馬に犬もまたついてくる。

 

無季。「馬」は獣類。

 

二十六句目

 

   葬礼にしほるる馬のあはれ也

 女咳たる薮の戸の内       土芳

 (葬礼にしほるる馬のあはれ也女咳たる薮の戸の内)

 

 未亡人であろう。薮は賤を暗示させる。

 

無季。「女」は人倫。「薮の戸」は居所。

 

二十七句目

 

   女咳たる薮の戸の内

 後朝のゐの子の餅を配るとて   芭蕉

 (後朝のゐの子の餅を配るとて女咳たる薮の戸の内)

 

 これも一瞬『源氏物語』葵巻のまだ子供の紫の君とついに我慢できずにやってしまったあと、(処女喪失後の少女の様子がリアルに描かれた下り、)折から亥の子餅が贈られてたので、婚姻を示す「ねの子餅」を惟光に用意させる場面が思い浮かぶが、本説というほどの結びつきがなく、俤付けの実験ではないかと思う。

 

季語は「ゐの子の餅」で冬。恋。

 

二十八句目

 

   後朝のゐの子の餅を配るとて

 背は寒く頭うちける       木白

 (後朝のゐの子の餅を配るとて背は寒く頭うちける)

 

 冬の猪子餅配りの忙しさであろう。慌てて家に入ろうとすると頭は打つし。背中は寒い。

 

季語は「寒く」で冬。

 

二十九句目

 

   背は寒く頭うちける

 時雨する旅の巾着たよりなき   梅額

 (時雨する旅の巾着たよりなき背は寒く頭うちける)

 

 巾着は身の回りの物を入れてすぐに取り出せるように手元に置いておくためのもので、旅の必需品。

 前句を駕籠に乗り込むときのこととしたか。頭は打つし、それに巾着に入った小銭も心細くなる。

 

季語は「時雨」で冬、降物。旅体。

 

三十句目

 

   時雨する旅の巾着たよりなき

 手を扣見る猿沢の魚       配力

 (時雨する旅の巾着たよりなき手を扣見る猿沢の魚)

 

 扣は「ひかへ」。時雨で猿沢の池の畔にある茶屋で雨宿りしたのだろう。やはり観光地価格で高かったのか。

 こういう所にいる鯉は人が来ると餌がもらえると思って寄ってくる。

 

無季。「猿沢」は名所、水辺。

 

三十一句目

 

   手を扣見る猿沢の魚

 歌よめとみなみな烏帽子傾て   木白

 (歌よめとみなみな烏帽子傾て手を扣見る猿沢の魚)

 

 王朝時代の歌会とする。

 

 我妹子が寝くたれ髪を猿沢の

     池の玉藻と見るぞ悲しき

              柿本人麻呂(拾遺集)

 

などの歌があり、歌枕とされていた。

 

無季。「烏帽子」は衣裳。

 

三十二句目

 

   歌よめとみなみな烏帽子傾て

 なみだもろしやしづが黛     半残

 (歌よめとみなみな烏帽子傾てなみだもろしやしづが黛)

 

 歌に感銘して皆涙を流すが、身分の低い者は黛がすぐ落ちる。「もろし」を涙もろいと黛のもろいに掛けて用いる。

 

無季。「しづ」は人倫。

 

三十三句目

 

   なみだもろしやしづが黛

 七夕にうきをかしたる染ふくさ  園風

 (七夕にうきをかしたる染ふくさなみだもろしやしづが黛)

 

 七夕の悲恋の話に涙する賤に、涙をぬぐうための染めた袱紗を貸してやる。

 

季語は「七夕」で秋。恋。

 

三十四句目

 

   七夕にうきをかしたる染ふくさ

 家うりて世はあぢきなき月    芭蕉

 (七夕にうきをかしたる染ふくさ家うりて世はあぢきなき月)

 

 前句の「うき」を浮きに掛けて、浮草暮らしになったとする。身の回りの物を袱紗に包んで家を出て行く。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「家」が居所。

 

三十五句目

 

   家うりて世はあぢきなき月

 柿の木の枝もたははに実を持て  風麦

 (柿の木の枝もたははに実を持て家うりて世はあぢきなき月)

 

 庭の柿の木はたわわに実をつけているというのに、自分は家を売って出ていかなくてはならない。

 

季語は「柿の木」「実」で秋、植物、木類。

 

三十六句目

 

   柿の木の枝もたははに実を持て

 飛で冷じ名は紅葉どり      土芳

 (柿の木の枝もたははに実を持て飛で冷じ名は紅葉どり)

 

 紅葉鳥はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「紅葉鳥」の解説」に、

 

 「〘名〙 「しか(鹿)」の異名。《季・秋》

  ※蔵玉集(室町)「紅葉鳥 鹿 しぐれふる龍田の山の紅葉とりもみぢの衣きてや鳴らん〈後鳥羽院〉」

 

とある。鹿のビイと鳴く声が鳥に似ているからだという。

 鹿は平地で助走をつけると、かなりの距離を跳べるらしい。

 

季語は「紅葉どり」で秋、獣類。

二裏

三十七句目

 

   飛で冷じ名は紅葉どり

 修行者のふみ迷ひたる峯伝ひ   梅額

 (修行者のふみ迷ひたる峯伝ひ飛で冷じ名は紅葉どり)

 

 仏道の修行で山に入ったが道に迷ってしまい、崖から落ちたか。

 

無季。「修行者」は人倫。「峯」は山類。

 

三十八句目

 

   修行者のふみ迷ひたる峯伝ひ

 北斗の星を包む村雲       木白

 (修行者のふみ迷ひたる峯伝ひ北斗の星を包む村雲)

 

 道に迷ったのを北極星が雲で見えなかったからだとする。

 

無季。「北斗の星」は夜分、天象。「村雲」は聳物。

 

三十九句目

 

   北斗の星を包む村雲

 鷹の爪あかがり寒く鳴ぬらん   半残

 (鷹の爪あかがり寒く鳴ぬらん北斗の星を包む村雲)

 

 「あかがり」は皸(あかぎれ)のこと。鷹狩の鷹の爪があかがりの手に食い込んで、寒さだけでなく痛さで鳴いたのではないか。手袋はしているのだろうけど。

 北斗を包む村雲で方角が分からなくて困るところから、皸がひどくて困る所へ、匂いで付ける。

 

季語は「鷹」で冬、鳥類。「あかがり」「寒く」も冬。

 

四十句目

 

   鷹の爪あかがり寒く鳴ぬらん

 松一本は山の神也        園風

 (鷹の爪あかがり寒く鳴ぬらん松一本は山の神也)

 

 松の木は山の神の降りてくる場所とされることも多かったようだ。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「枝垂木」の解説」に、

 

 「松の場合は、そのかっこうから笠松(かさまつ)、三階松などとよばれている。枝垂木はそれに神が降臨するという信仰があり、神様松、山の神松、天狗(てんぐ)松などとよばれている。瘤(こぶ)のある松は天狗の腰掛松といって、それに天狗が住んでいるという。村に異変があると神が降(くだ)って知らせる神降松(かみおりまつ)といわれているものもある。[大藤時彦]」

 

とある。

 鷹狩の山にもこうした山の神松があってもおかしくない。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

四十一句目

 

   松一本は山の神也

 乞食して花に巻する薦簾     芭蕉

 (乞食して花に巻する薦簾松一本は山の神也)

 

 松に花は相対付けになる。

 薦被りが乞食を意味するように、乞食は薦を着る。

 松は山の神、桜は乞食坊主が宿る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「乞食」は人倫。

 

四十二句目

 

   乞食して花に巻する薦簾

 雉子雉子逃そこはひことなき   土芳

 (乞食して花に巻する薦簾雉子雉子逃そこはひことなき)

 

 「逃そ」は逃げるな、「こはひ」は「怖い」。「怖いことないから逃げないでね」という乞食の台詞であろう。そう言って捕まえて食おうというんじゃないかな。

 

季語は「雉子」で春、鳥類。

 

四十三句目

 

   雉子雉子逃そこはひことなき

 春雨によろよろ酔のおかしくて  配力

 (春雨によろよろ酔のおかしくて雉子雉子逃そこはひことなき)

 

 前句を酔っ払いの台詞とする。

 

季語は「春雨」で春、降物。

 

四十四句目

 

   春雨によろよろ酔のおかしくて

 思はぬ方の款冬を摘       風麦

 (春雨によろよろ酔のおかしくて思はぬ方の款冬を摘)

 

 よろけて山吹の枝を折ってしまったのだろう。

 

季語は「款冬」で春、植物、草類。

 

四十五句目

 

   思はぬ方の款冬を摘

 頃日は火を焼習ふひとり住    良品

 (頃日は火を焼習ふひとり住思はぬ方の款冬を摘)

 

 山に薪を取りに行って、思わぬところで山吹の咲いているのを見つける。

 

無季。

 

四十六句目

 

   頃日は火を焼習ふひとり住

 家ぬしの来て琵琶の名を問    木白

 (頃日は火を焼習ふひとり住家ぬしの来て琵琶の名を問)

 

 前句を慣れぬ一人住まいの隠士として、家主がその隠士の持っている琵琶に興味を持つ。

 円形の琵琶を作った竹林の七賢の一人、阮咸のことであろう。今日でもこの楽器は阮咸の名で呼ばれている。正倉院の御物にもある。

 

無季。「家ぬし」は人倫。

 

四十七句目

 

   家ぬしの来て琵琶の名を問

 引かつぐ菖の階子重たげに    土芳

 (引かつぐ菖の階子重たげに家ぬしの来て琵琶の名を問)

 

 端午の節句の軒菖蒲(のきのあやめ)のための梯子であろう。家主が梯子を持ってやってきて軒に菖蒲を飾る。

 軒菖蒲はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「菖蒲葺く」の解説」に、

 

 「端午の節句の行事として、五月四日の夜、軒にショウブをさす。邪気を払い火災を防ぐという。古く宮中で行なわれたが、後、武家、民間にも伝わった。《季・夏》

  ※山家集(12C後)上「空はれて沼の水嵩(みかさ)を落さずはあやめもふかぬ五月(さつき)なるべし」

 

とある。

 

季語は「菖(あやめ)」で夏。

 

四十八句目

 

   引かつぐ菖の階子重たげに

 目のちり吹て貰ふ夕ぐれ     園風

 (引かつぐ菖の階子重たげに目のちり吹て貰ふ夕ぐれ)

 

 前句の「菖(あやめ)」に「吹て」が菖蒲葺くの縁で掛けてにはになる。

 菖蒲軒を葺く作業をしていて目にゴミが入ったか、目を拭ってもらう。

 

無季。

 

四十九句目

 

   目のちり吹て貰ふ夕ぐれ

 月の前しかみし㒵もうつくしく  芭蕉

 (月の前しかみし㒵もうつくしく目のちり吹て貰ふ夕ぐれ)

 

 「しかみし㒵(かほ)」は西施の顰であろう。コトバンクの「デジタル大辞泉「西施の顰みに倣う」の解説」に、

 

 「《美人の西施が、病気で顔をしかめたところ、それを見た醜女が、自分も顔をしかめれば美しく見えるかと思い、まねをしたという「荘子」天運の故事から》善し悪しも考えずに、人のまねをして物笑いになる。また、他人にならって事をするのをへりくだっていう言葉。顰みにならう。」

 

とある。

 この場合は眼にゴミが入って顔をしかめていたが、その顔も美しいので、西施のような美女だったのだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

挙句

 

   月の前しかみし㒵もうつくしく

 碪うちうち恋のいさかひ     配力

 (月の前しかみし㒵もうつくしく碪うちうち恋のいさかひ)

 

 前句の「しかみし㒵」を恋のいさかいのせいにして、一巻を恋で終わる。

 

季語は「碪」で秋。恋。