「水鳥よ」の巻、解説

初表

 水鳥よ汝は誰を恐るるぞ     兀峰

   白頭更に芦静也       芭蕉

 中汲の酔も仄に棒提て      洒堂

   月の径に沓拾ふらし     兀峰

 鳩吹ば榎の実こぼるるさらさらと 芭蕉

   板の埃に円座かさぬる    洒堂

 

初裏

 簾戸に袖口赤き日の移り     里東

   君はみなみな撫子の時    芭蕉

 泣出して土器ふるふ身のよはり  兀峰

   御念比にて鎌倉をたつ    里東

 門々に明日の餝りくばりをき   洒堂

   筵踏なとうつす塩鰡     兀峰

 山陰をまれに出たる牛の尿    芭蕉

   梨地露けき兒のさげ鞘    洒堂

 名月に雲井の橋の一またげ    里東

   今年の米を背負ふ嬉しき   芭蕉

 花に来て我名は佛徳右衛門    洒堂

   春はかはらぬ三輪の人宿   里東

 

 

二表

 陽炎の庭に機へる株打て     兀峰

   たたむ衣に菖蒲折置     洒堂

 さんといふ娘は後のものおもひ  芭蕉

   恋のあはれを見よや鳩胸   兀峰

 城代の国はしまらず田は餒て   洒堂

   美濃は伊吹で寒き秋風    芭蕉

 夕月に荷鞍をおろす鈴の音    兀報

   聟なじまする質の出し入   洒堂

 麦飯に交らぬ食をとりわけて   芭蕉

   徳利引摺川舩の舳      兀峰

 帷子に風も凉しき中小性     洒堂

   明日御返事を黄昏の文    其角

 

二裏

 うつくしき声の匂ひを似せて見る 兀峰

   人めにたつとひきなぐる数珠 洒堂

 一息に地主権現の花盛      其角

   膳に日のさす春ぞきらめく  兀峰

 鶯は此次の間にいとひ啼     洒堂

   歳旦帳を鼻紙の間      其角

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 水鳥よ汝は誰を恐るるぞ     兀峰

 

 この句は、

 

 水鳥のしたやすからぬ思ひには

     あたりの水もこほらざりけり

            よみ人しらず(拾遺集)

 

によるものか。「やすからぬ思ひ」を誰かを恐れているとする。ここに集まっているのは風流の徒で、あんたらを射たりはしないから安心せよ、ということか。

 

季語は「水鳥」で冬、鳥類。「誰」は人倫。

 

 

   水鳥よ汝は誰を恐るるぞ

 白頭更に芦静也         芭蕉

 (水鳥よ汝は誰を恐るるぞ白頭更に芦静也)

 

 「白頭更に」は杜甫の『春望』の「白頭掻けば更に短く」で、ここにいるのは年寄りだから水鳥も安心して、芦も静かだとなる。

 

無季。「芦」は植物、草類、水辺。

 

第三

 

   白頭更に芦静也

 中汲の酔も仄に棒提て      洒堂

 (中汲の酔も仄に棒提て白頭更に芦静也)

 

 中汲(なかくみ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「中汲」の解説」に、

 

 「① 濁り酒の一種。上澄みとよどみとの中間をくみ取った下等の酒。なかずみ。

  ※本朝食鑑(1697)二「中酌(なかクミ)〈略〉〈上薫者新造濁酒之濃香升重也。中酌者半清半濁之称也〉」

  ② 新酒と古酒の間の酒。

  ※俳諧・をだまき(元祿四年本)(1691)四季之詞「新酒 中くみ 古酒」

 

とある。

 この頃酒屋では清酒が普及していて、原酒の薄め具合で高い酒安い酒があったが、中汲はどぶろくの一種で自家醸造も出来た。

 天秤棒を担いだ振り売りの老人で、朝寒いからか、中汲の酒を一杯ひっかけて、ほろ酔いで仕事に出て行く。「芦静」と前句にあるから、魚介売りであろう。

 

季語は「中汲」で秋。

 

四句目

 

   中汲の酔も仄に棒提て

 月の径に沓拾ふらし       兀峰

 (中汲の酔も仄に棒提て月の径に沓拾ふらし)

 

 「径」は「こみち」。

 この場合は仕事の帰りであろう。思い掛けずに沓を拾う。中原中也の月夜に釦を拾うような、何か意味があるのかないのか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五句目

 

   月の径に沓拾ふらし

 鳩吹ば榎の実こぼるるさらさらと 芭蕉

 (鳩吹ば榎の実こぼるるさらさらと月の径に沓拾ふらし)

 

 鳩吹くのは猟師で、鹿を呼ぶのに鳩の鳴き真似をする。鹿は来なくてただ榎の小さな実がさらさらと地面にこぼれる。榎(え)の実というと元禄七年の伊賀での、

 

 つぶつぶと掃木をもるる榎実哉  望翠

 

の句がある。

 榎の実の音に地面を見ると、誰が落としたか靴が落ちている。漁師なら沓は有り難いか。

 

季語は「鳩吹」で秋。「榎」は植物、木類。

 

六句目

 

   鳩吹ば榎の実こぼるるさらさらと

 板の埃に円座かさぬる      洒堂

 (鳩吹ば榎の実こぼるるさらさらと板の埃に円座かさぬる)

 

 「円座」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「円座・円坐」の解説」に、

 

 「① 円い形をした敷物の一種。蒲(がま)の葉、菅(すげ)、藁(わら)、藺(い)などで渦巻形に平たく編んで作ったもの。のちには縁に模様をつけたり、布、綿、綾などで包んだものもあり、主として公卿(くぎょう)の間で用いられた。現在も神社祭式には用いられ、民間にも使う者があり、座蒲団の異名としても残っている。わろうだ。わらざ。

  ※正倉院文書‐山背国隼人計帳(735)「輸調銭弐拾漆文 円坐弐枚」

  ※中務内侍(1292頃か)弘安一一年二月二一日「簀子に円座を敷く、関白・大臣のはあつゑんざ、その外の公卿のはうすゑんざなり」

  ② 茶庭の腰掛待合(こしかけまちあい)に置く敷物。真菰(まこも)や藁(わら)などを円形に編んだもの。利休好みは竹皮製といわれる。

  ③ (━する) 多くの人が輪の形になってすわること。車座(くるまざ)。

  ※随筆・一話一言(1779‐1820頃)補遺「うさぎ数十疋つらなり、円座して、皆々立ちあがり」 〔晉書‐阮咸伝〕」

 

とある。前句の鳩吹くを、鳩の声が聞こえるとして茶席の場面に転じたか。

 

無季。

初裏

七句目

 

   板の埃に円座かさぬる

 簾戸に袖口赤き日の移り     里東

 (簾戸に袖口赤き日の移り板の埃に円座かさぬる)

 

 簾戸(すだれど)は枝折戸のことか。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「枝折戸」の解説」に、

 

 「庭園内の見切り、とくに内外露地の境に設けられる木戸の一種。本来は、木の枝を折ってつくった粗末な開き戸を意味したが、今日では和風庭園などで風雅を求めて用いられ、茶庭では、露地門として使われる場合が多い。

 折り曲げた青竹を框(かまち)として、これに割り竹で両面から菱目(ひしめ)模様に組み上げ、前後の重なりを蕨縄(わらびなわ)で結び付けてつくる。略して枝折(しおり)ともいう。[中村 仁]」

 

とある。簾戸を漏る西日に袖口が赤くなる。

 

無季。「袖口」は衣裳。「日」は天象。

 

八句目

 

   簾戸に袖口赤き日の移り

 君はみなみな撫子の時      芭蕉

 (簾戸に袖口赤き日の移り君はみなみな撫子の時)

 

 前句の簾戸を王朝時代の御簾のこととして、幼い天皇を登場させる。「撫子」は撫でる子で子供の意味がある。大人は常夏という。

 

季語は「撫子」で夏、植物、草類。「君」は人倫。

 

九句目

 

   君はみなみな撫子の時

 泣出して土器ふるふ身のよはり  兀峰

 (泣出して土器ふるふ身のよはり君はみなみな撫子の時)

 

 土器は「かはらけ」。前句の幼い帝が安徳天皇だとして、後白河法皇を付けたか。安徳天皇の即位とともに幽閉される。違え付けになる。

 

無季。「身」は人倫。

 

十句目

 

   泣出して土器ふるふ身のよはり

 御念比にて鎌倉をたつ      里東

 (泣出して土器ふるふ身のよはり御念比にて鎌倉をたつ)

 

 御念比は「ごねんごろ」。今でも「ねんごろの仲」という。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「懇合」の解説」に、

 

 「〘名〙 互いにねんごろであること。互いに親密な間柄であること。また、男女が情交を結んだ仲であること。

  ※浄瑠璃・心中刃は氷の朔日(1709)上「こな様もとは知らぬ人、小勘がいとしがる人と云ふて互ひの念比あひ」

 

とある。

 鎌倉から駆け落ちした武将がいたのかどうかはよくわからない。前句はその親ということか。

 

無季。恋。「鎌倉」は名所。

 

十一句目

 

   御念比にて鎌倉をたつ

 門々に明日の餝りくばりをき   洒堂

 (門々に明日の餝りくばりをき御念比にて鎌倉をたつ)

 

 「餝り」は「かざり」。正月飾りであろう。

 前句の「御念比」を「御念」の比としたか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御念」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ご」は接頭語) 念をおいれになること。お心づかい。ご配慮。御念文字。また、ねんごろなこと。からかいの気持で用いることもある。

  ※虎明本狂言・三本柱(室町末‐近世初)「こなたのやうな、御念のいった御普請は御ざるまひと申」

 

とある。正月飾りを配るという御念をしたら、頃合いということで鎌倉を出て行く。

 

季語は「明日の餝り」で冬。「門々」は居所。

 

十二句目

 

   門々に明日の餝りくばりをき

 筵踏なとうつす塩鰡       兀峰

 (門々に明日の餝りくばりをき筵踏なとうつす塩鰡)

 

 鰡はここでは「いな」と読む。ボラの子でコトバンクの「デジタル大辞泉「鯔」の解説」には、

 

 「スズキ目ボラ科の海水魚。体は円筒形でやや側扁し、全長約80センチ。背面が灰青色、腹面は銀白色。胃壁は肥厚し、俗にへそという。幼魚期を内湾や淡水で過ごし、外海に出て成熟・産卵する。出世魚の一で、一般に3センチくらいをハク、5~10センチをオボコ・スバシリ、20センチくらいをイナ、30~40センチをボラ、50センチ以上をトドとよぶ。温・熱帯に分布し、日本では関東以南に多い。食用。卵巣の塩干しをからすみという。《季 秋》「岸釣や波立てすぎし―の列/秋桜子」

 

とある。秋に獲れたものを塩漬けにして保存する。筵の上に並べていた塩イナを正月飾りを配りに来る人が踏まないように、場所を移動させる。

 

無季。

 

十三句目

 

   筵踏なとうつす塩鰡

 山陰をまれに出たる牛の尿    芭蕉

 (山陰をまれに出たる牛の尿筵踏なとうつす塩鰡)

 

 山奥で飼われていた牛が稀に麓に降りてくると、トイレの躾が出きてないので、所かまわず尿(バリ)をする。みんな知っているのか、この牛が来ると干物の筵をあわててどかす。

 尿は「バリ」とルビがふってある。尿というと『奥の細道』の、

 

 蚤虱馬の尿する枕元       芭蕉

 

の尿はちょっと前までは「しと」と読んでいた。一九九六年に発見された芭蕉自筆『奥の細道』に「バリ」というルビがあったので、今は「バリ」と読む。

 

無季。「山陰」は山類。「牛」は獣類。

 

十四句目

 

   山陰をまれに出たる牛の尿

 梨地露けき兒のさげ鞘      洒堂

 (山陰をまれに出たる牛の尿梨地露けき兒のさげ鞘)

 

 「梨地」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「梨地」の解説」に、

 

 「蒔絵(まきえ)の地蒔(じまき)の一種。梨の肌に似ていることからの名称。蒔絵粉(ふん)は製法によって精粗、形状の異なりが生じるが、これに使用する梨地粉は平目粉(ひらめふん)をさらに平らに圧延して薄く細かにしたもので、漆を薄く塗った上にこれを蒔き、乾燥後、透漆(すきうるし)を塗って十分に乾かし、粉の露出しない程度に朴炭(ほおずみ)で研ぎ出して滑らかにする。鎌倉時代に始まり、室町時代に発達して厚梨地という語も出現する。桃山時代には文様のなかに取り入れられた絵(え)梨地が流行し、金溜地(きんためじ)と対照的に使用されて色彩効果をあげ、とくに高台寺(こうだいじ)蒔絵によくみられる。江戸時代には手法も多様化し、すきまのないように蒔く詰(つめ)梨地、斑文(はんもん)状に表した村(むら)梨地、平目粉を混ぜる鹿(か)の子(こ)梨地、金箔(きんぱく)を置く刑部(ぎょうぶ)梨地などが現れた。ちなみに、中国の灑金(さいきん)は梨地のたぐいである。[郷家忠臣]」

 

とある。

 「さげ鞘」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「提鞘」の解説」に、

 

 「① 僧侶などが携える小刀。柄も鞘も木でつくり、金具をつけ、合口(あいくち)のように鞘を太く、鞘尻を丸くつくったもの。長い打紐を下げ緒とし、それに火打袋をつけた。

  ※神宮文庫本発心集(1216頃か)三「さけざやを抜て其縄を切つ」 〔剣法略記(1839)〕

  ② 短い腰刀に長い鞘袋をかけたもの。その先端が折りかけて垂れているところからいう。

  ※太平記(14C後)二九「裳なし衣に提鞘(サゲサヤ)さげて降人に成て出ければ、見人毎に爪弾(つまはじき)して」

  ③ 茶人の携える小刀。〔随筆・海録(1820‐37)〕」

 

とある。僧は牛に乗っているのであろう。お供の稚児の持っている刀の鞘の梨地が牛の小便で濡れてしまった。

 

季語は「露けき」で秋。「兒」は人倫。

 

十五句目

 

   梨地露けき兒のさげ鞘

 名月に雲井の橋の一またげ    里東

 (名月に雲井の橋の一またげ梨地露けき兒のさげ鞘)

 

 「雲井の橋」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雲居の橋」の解説」に、

 

 「① 雲のかなたにかかっている橋。七夕(たなばた)の夜、天の川にかけられるという鵲(かささぎ)の橋。

  ※続古今(1265)秋上・三一四「かささぎの雲井の橋の遠ければ渡らぬ中に行く月日哉〈藤原知家〉」

  ② 宮中の階段。

  ※六百番歌合(1193頃)春上・四番「春来れば星の位にかげ見えて雲ゐのはしに出づるたをやめ〈藤原定家〉」

  ③ 通ってこないこと。または、通うことができないことのたとえ。

  ※女重宝記(元祿五年)(1692)五「雲井(クモヰ)の橋(ハシ)とはかよひなきをいふ」

 

とある。雲居は恋の歌では遠く果てしない、たどり着けないという意味で用いられるため、②から③の意味が生じたのであろう。

 

 人を思ふ心はかりにあらねども

     くもゐにのみもなきわたるかな

              清原深養父(古今集)

 

の歌がある。

 稚児はこの困難な橋を月夜に簡単に越えて行く。まあ、月見の宴に稚児は付き物だからか。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。恋。

 

十六句目

 

   名月に雲井の橋の一またげ

 今年の米を背負ふ嬉しき     芭蕉

 (名月に雲井の橋の一またげ今年の米を背負ふ嬉しき)

 

 前句の「雲井の橋の一またげ」を比喩として、収穫の嬉しさは雲井の橋も一跨ぎで行くような気分だ、とする。

 

季語は「今年の米」で秋。

 

十七句目

 

   今年の米を背負ふ嬉しき

 花に来て我名は佛徳右衛門    洒堂

 (花に来て我名は佛徳右衛門今年の米を背負ふ嬉しき)

 

 「佛徳右衛門」というと『奥の細道』の日光のところに登場する仏五左衛門が思い浮かぶが、そこには、

 

 「「卅日(みそか)、日光山の梺に泊る。あるじの云ひけるやう、『我名を仏五左衛門(ほとけござゑもん)と云ふ。万(よろづ)正直を旨とする故に、人かくは申し侍るまま、一夜(いちや)の草の枕も打ち解けて休み給へ』と云ふ。」

 

とある。直接関係はないが、仏何某と呼ばれる人は時折いたのだろう。

 嬉しそうに米を背負う男、その名は佛徳右衛門。ここでの「花に来て」はこの世の花という意味の比喩になる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「我」は人倫。

 

十八句目

 

   花に来て我名は佛徳右衛門

 春はかはらぬ三輪の人宿     里東

 (花に来て我名は佛徳右衛門春はかはらぬ三輪の人宿)

 

 前句の佛徳右衛門を三輪の宿屋の主人とする。やはり日光の仏五左衛門は門人の間では有名になっていたか。

 

季語は「春」で春。旅体。三輪は名所、神祇。

二表

十九句目

 

   春はかはらぬ三輪の人宿

 陽炎の庭に機へる株打て     兀峰

 (陽炎の庭に機へる株打て春はかはらぬ三輪の人宿)

 

 「機へる」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「綜」の解説」に、

 

 「〘他ハ下一〙 ふ 〘他ハ下二〙 経(たていと)を引きのばして機(はた)織り機にかける。織るために経をのばし整える。

  ※万葉(8C後)一六・三七九一「うちそやし 麻続(をみ)の子ら ありきぬの 宝の子らが 打つ栲は 経(へ)て織る布」

 

とある。経糸は一つ置きにまとめて、それを交互に上下させて、そこに横糸を通して行く。この経糸を上下に動かすことを「へる」と言う。

 前句の三輪から活玉依媛(いくたまよりひめ)の連想で、古代の地機を思い浮かべたのだろう。

 古代の機織りは機台がなく、まず杭を打ってそこに縦糸を止める棒を固定し、そこからもう一本の棒で経糸を水平に伸ばし、間に綜絃で糸を一つ置きに二種類に分けて上下させ、そこに杼(ひ)で横糸を通して行く。

 江戸時代ではおそらくほとんどの機織りは屋内に機織り機を置いて行われていただろう。三輪だから庭に株(くひ)を打つ情景になる。

 

季語は「陽炎」で春。「庭」は居所。

 

二十句目

 

   陽炎の庭に機へる株打て

 たたむ衣に菖蒲折置       洒堂

 (陽炎の庭に機へる株打てたたむ衣に菖蒲折置)

 

 菖蒲はここでは「しゃうぶ」と読む。

 前句の地機で織り上がった衣に端午の節句の菖蒲を添える。菖蒲は古くは「あやめ」とも言ったが、

 

 昆陽の池におふるあやめのながき根は

     ひく白絲の心ちこそすれ

              待賢門院堀河(詞花集)

 

の歌があり、菖蒲は糸の縁がある。菖蒲(あやめ)は根を「仮寝」「浮寝」などに掛けて用いることも多い。

 

季語は「菖蒲」で夏、植物、草類。

 

二十一句目

 

   たたむ衣に菖蒲折置

 さんといふ娘は後のものおもひ  芭蕉

 (さんといふ娘は後のものおもひたたむ衣に菖蒲折置)

 

 菖蒲を「あやめ」のこととするなら、

 

 郭公なくや五月のあやめぐさ

     あやめも知らぬ戀もするかな

               よみ人しらず(古今集)

 

の歌で恋への展開は自然だ。「さん」は人名とおもわれるが、呼ぶときは「おさん」と呼ばれ「お産」に通じ、後の物思いは「産後」の物思いになる。

 

無季。恋。「娘」は人倫。

 

二十二句目

 

   さんといふ娘は後のものおもひ

 恋のあはれを見よや鳩胸     兀峰

 (さんといふ娘は後のものおもひ恋のあはれを見よや鳩胸)

 

 鳩胸はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鳩胸」の解説」に、

 

 「① 胸部が鳩の胸に似て、高く突き出ていること。また、その人。医学では、胸骨が前方に突き出て船底の梁の形にふくらんでいる奇形。〔観智院本名義抄(1241)〕

  ② 近世の南蛮胴(なんばんどう)の具足で正面中央に鎬(しのぎ)を立て、その下部を前方に突き出させたもの。

  ③ 鐙(あぶみ)の正面中央の、鳩の胸のように突き出たところ。〔今川大双紙(15C前)〕

  ④ 三味線の胴と棹(さお)が接する部分の張り出たところ。

  ⑤ 和船の舵の部分の名。身木のほぼ中央、ゆりこしの穴付近の幅の広くなった所で、その形状から呼ぶもの。〔廻船之図絵(18C後)〕」

 

とある。①の意味には違いないが、この場合は乳が張った状態か。

 

無季。恋。

 

二十三句目

 

   恋のあはれを見よや鳩胸

 城代の国はしまらず田は餒て   洒堂

 (城代の国はしまらず田は餒て恋のあはれを見よや鳩胸)

 

 「餒て」は「あせて」と読む。ここでは水がなくなることであろう。領主の交替があって、統括する者がないため、水争いが起きたのであろう。

 水はないが乳は張っている。子を失ったか。

 「田は餒て」は秋になって収穫期に水を抜いたとも取れる。

 

季語は「田は餒て」で秋。

 

二十四句目

 

   城代の国はしまらず田は餒て

 美濃は伊吹で寒き秋風      芭蕉

 (城代の国はしまらず田は餒て美濃は伊吹で寒き秋風)

 

 美濃国は十万石に満たない小さな藩の沢山あった地域で、移封や転封が多かった。そこには伊吹颪と呼ばれる冷たい風が吹く。

 

季語は「秋風」で秋。「伊吹」は名所、山類。

 

二十五句目

 

   美濃は伊吹で寒き秋風

 夕月に荷鞍をおろす鈴の音    兀報

 (夕月に荷鞍をおろす鈴の音美濃は伊吹で寒き秋風)

 

 伊吹山の下を中山道が通っていて、大垣から彦根へと抜ける。物流も多く、夕暮れに荷物を降ろす馬の鈴の音がする。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。

 

二十六句目

 

   夕月に荷鞍をおろす鈴の音

 聟なじまする質の出し入     洒堂

 (夕月に荷鞍をおろす鈴の音聟なじまする質の出し入)

 

 財産がたくさんあると思って婿養子になったが、いざ婿になって見ると質屋に使い走りで行かされる。大丈夫だろうかこの家。

 前句をを商家として、その聟を付ける。

 

無季。恋。「聟」は人倫。

 

二十七句目

 

   聟なじまする質の出し入

 麦飯に交らぬ食をとりわけて   芭蕉

 (麦飯に交らぬ食をとりわけて聟なじまする質の出し入)

 

 『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「麦飯を炊く時、上に少し置いて炊く米の飯。庶民の神仏へ供えるためのもの。」

 

とある。

 ここでは神仏ではなく聟様用によそって、金のあるように見せかけているということか。

 

無季。

 

二十八句目

 

   麦飯に交らぬ食をとりわけて

 徳利引摺川舩の舳        兀峰

 (麦飯に交らぬ食をとりわけて徳利引摺川舩の舳)

 

 「舳」は「さき」で舳先(へさき)のこと。船の進水式か、舳先に飯と酒を供える。

 

無季。「川舩」は水辺。

 

二十九句目

 

   徳利引摺川舩の舳

 帷子に風も凉しき中小性     洒堂

 (帷子に風も凉しき中小性徳利引摺川舩の舳)

 

 中小性は中小姓(ちゅうごしゃう)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「中小姓・中小性・中扈従」の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸時代の諸藩の職名の一つ。小姓組と徒士(かち)衆の中間の身分で、主君に近侍する小姓組に対し、主君外出の際供奉し、また祝日に配膳・酌役などをつとめた。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「殿の目見えを待て有明 秋風の手分し尋ぬ中扈従〈重安〉」

 

とある。新しい船の安全を祈って酒と飯を供える役を務めるのは、中小性の役目だった。

 

季語は「凉し」で夏。「帷子」は衣裳。「中小性」は人倫。

 

三十句目

 

   帷子に風も凉しき中小性

 明日御返事を黄昏の文      其角

 (帷子に風も凉しき中小性明日御返事を黄昏の文)

 

 十八句目から里東の句がないと思ったら、ここで其角が代わりに登場する。芭蕉も二十七句目が最後になって、其角・兀峰・洒堂の三吟になっている。

 小姓というとやはり稚児と同様、恋の匂いという所か。夕暮れに貰った恋文に明日返事すると涼しい顔で言う。

 

無季。恋。

二裏

三十一句目

 

   明日御返事を黄昏の文

 うつくしき声の匂ひを似せて見る 兀峰

 (うつくしき声の匂ひを似せて見る明日御返事を黄昏の文)

 

 女の許に恋文を取り次いだ者が、「明日御返事を」と言われたので、その調子をそっくり真似て伝える。

 脈がある時の目をキラキラさせて「明日御返事を」なのか、脈のない時のふんという顔しての「明日御返事を」なのか。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   うつくしき声の匂ひを似せて見る

 人めにたつとひきなぐる数珠   洒堂

 (うつくしき声の匂ひを似せて見る人めにたつとひきなぐる数珠)

 

 物真似されて、あまり似てたんで腹が立ったか。お坊さんと稚児の痴話喧嘩か。

 

無季。釈教。

 

三十三句目

 

   人めにたつとひきなぐる数珠

 一息に地主権現の花盛      其角

 (人めにたつとひきなぐる数珠一息に地主権現の花盛)

 

 地主権現(じしゅごんげん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「地主権現」の解説」に、

 

 「〘名〙 寺院の境内で、その寺院の守護神としてまつってある神社。また、その祭神。特に、中世以後、京都東山の清水寺のものをさすことが多く、桜の名所としても広く全国的に名高い。じしゅ。

  ※宇治拾遺(1221頃)五「地主こんけんの申せとさぶらふは」

 

とある。

 京都の清水寺は桜の名所だが、その垂迹の地主権現は神道なので、数珠は目立つ。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。神祇。

 

三十四句目

 

   一息に地主権現の花盛

 膳に日のさす春ぞきらめく    兀峰

 (一息に地主権現の花盛膳に日のさす春ぞきらめく)

 

 花見の宴で膳に日が差す。お寺ではないから精進料理でないのも嬉しいところか。

 

季語は「春」で春。「日」は天象。

 

三十五句目

 

   膳に日のさす春ぞきらめく

 鶯は此次の間にいとひ啼     洒堂

 (鶯は此次の間にいとひ啼膳に日のさす春ぞきらめく)

 

 前句の膳を正月の膳として、鶯を付ける。

 「いとひ啼(なく)」は、

 

 梅の花見にこそ來つれ鶯の

     ひとくひとくと厭ひしもをる

              よみ人しらず(古今集)

 

であろう。古代では鶯は「ひとく(人来)ひとく(人来)」と鳴いていたようだ。

 正月の朝に膳が並べられると、「ひとく(人来)ひとく(人来)」と言って鶯は隣の部屋に避難する。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

挙句

 

   鶯は此次の間にいとひ啼

 歳旦帳を鼻紙の間        其角

 (鶯は此次の間にいとひ啼歳旦帳を鼻紙の間)

 

 俳諧師は毎年正月に歳旦帳を出すが、現存する者がわずかなのは正月の縁起物として扱われ、左義長で燃やされたり、正月過ぎたら鼻紙になったり、保存しようという人がいなかったのだろう。

 

季語は「歳旦帳」で春。