「打よりて」の巻、解説

壬申十二月廿日即興

初表

 打よりて花入探れんめつばき   芭蕉

   降こむままのはつ雪の宿   彫棠

 日にたたぬつまり肴を引かへて  其角

   羽織のよさに行を繕ふ    黄山

 夕月の道ふさげ也かんな屑    桃隣

   出代過て秋ぞせはしき    銀杏

 

初裏

 網に成きぬはひかゆる槌の音   彫棠

   肩でやしなふ駕籠かきが親  其角

 足もとに菜種は臥て芥の花    銀杏

   茶を煮て廻す長谷の学寮   芭蕉

 下張の反故見えすくまくらして  黄山

   つめたい猫の身をひそめ来ル 桃隣

 むづかしや襟にさし込嫁の㒵   彫棠

   硯法度とこひやせかるる   其角

 夜の雨窓のかたにてなぐさまん  芭蕉

   三寸の残をしたむ唇     桃隣

 ま一ッと嚏をはやす朝の月    其角

   らんときくとに遠ザカル疫  彫棠

 

 

二表

 愚なる和尚も友を秋の庵     銀杏

   高みに水を揚る箱戸樋    黄山

 山鳥のわかるる比はしづか也   芭蕉

   ねぶりかかる歟合歓の下闇  其角

 かけむかひ機へる床のいとまなし 黄山

   思はぬ舟に昼の汐待     銀杏

 気色まで曹洞宗の寒がりに    桃隣

   焦す畳にいたく手を焼く   彫棠

 見ぬふりの主人に恋をしられけり 其角

   すがた半分かくす傘     芭蕉

 珍しき星は皎けてよるの月    彫棠

   渡はじめの声ひくき雁    黄山

 

二裏

 松茸を近江路からは沢山に    其角

   そくさいな子は下々に有   銀杏

 老たるは御簾より外にかしこまり 芭蕉

   花の名にくしどこが楊貴妃  彫棠

 付ざしを中でばはるる桃の色   黄山

   こてふの影の跨ぐ三絃    桃隣

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

初表

 

   壬申十二月廿日即興

 打よりて花入探れんめつばき   芭蕉

 

 「んめつばき」は梅椿。興行場所の彫棠(てうたう、現代語だと「ちょうとう」)亭に梅と椿が花入れに行けてあるのを見ての即興で、その生け花のセンスの良さに、花入れもひょっとしたらとんでもない名品かもしれないぞと、みんなうち寄って花入れも調べてみよう、と呼びかける。

 椿は茶花としてよく用いられる。

 

季語は「んめつばき」で本来なら春だが、ここでは「探梅」に掛けて冬として扱われている。

 

 

   打よりて花入探れんめつばき

 降こむままのはつ雪の宿     彫棠

 (打よりて花入探れんめつばき降こむままのはつ雪の宿)

 

 この日実際に雪が降っていたかどうかはわからないが、季節としては降っていてもおかしくない。寒いけど障子を明はなって、庭の雪景色を見ましょう、という意味だろう。さすがに雪を防ぐこともできない侘しい宿ということはあるまい。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

第三

 

   降こむままのはつ雪の宿

 日にたたぬつまり肴を引かへて  其角

 (日にたたぬつまり肴を引かへて降こむままのはつ雪の宿)

 

 「つまり肴」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「詰肴」の解説」に、

 

 「① 宴会などの終わりに、材料が尽きたため残りのものを集めてあつものなどにして最後に出す料理。また、材料の乏しい時につくって出す酒のさかな。

  ※御伽草子・猿の草子(室町末)「つまりさかなよく候べく候」

  ② 転じて、困り果てたあげくに、あまりうまくない手段を用いることのたとえ。

  ※雑俳・冬至梅(1725)「はだかにてつまり肴の江戸下り」

 

 前句を宿屋とする。雪の降り込むぼろい宿だから、酒の肴も使い回しする。今でも案外立派な料亭などでもやっていそうだが。

 

無季。

 

四句目

 

   日にたたぬつまり肴を引かへて

 羽織のよさに行を繕ふ      黄山

 (日にたたぬつまり肴を引かへて羽織のよさに行を繕ふ)

 

 残り物も料理人の腕次第で化けるように、素行の悪い者でも立派な羽織を着ればごまかされる。

 

無季。「羽織」は衣裳。

 

五句目

 

   羽織のよさに行を繕ふ

 夕月の道ふさげ也かんな屑    桃隣

 (夕月の道ふさげ也かんな屑羽織のよさに行を繕ふ)

 

 立派な羽織を着ていたのは大工の棟梁だったか。夕月を見に行くのに鉋屑が道を塞いでいる。

 

季語は「夕月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   夕月の道ふさげ也かんな屑

 出代過て秋ぞせはしき      銀杏

 (夕月の道ふさげ也かんな屑出代過て秋ぞせはしき)

 

 出代(でかはり)は出替りで、奉公人が入れ替わること。この場合は「後の出替り」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「後の出替り」の解説」に、

 

 「もと、九月五日、または九月一〇日に半年季の奉公人が出替りをしたこと。三月の出替りに対していう。《季・秋》

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)下「無になすな今夜の月のいもあらひ 後の出かはり過るますらお〈悦春〉」

 

とある。夕月の季節を付ける。

 

季語は「秋」で秋。

初裏

七句目

 

   出代過て秋ぞせはしき

 網に成きぬはひかゆる槌の音   彫棠

 (網に成きぬはひかゆる槌の音出代過て秋ぞせはしき)

 

 「槌の音」は砧打つ槌の音で、「網に成」は何度も叩いて繊維の傷んだ布ということか。これ以上叩くと穴だらけになるので砧打ちは控える。

 前句の出替りの奉公人の衣装を管理する人だろう。

 

季語は「槌の音」で秋。

 

八句目

 

   網に成きぬはひかゆる槌の音

 肩でやしなふ駕籠かきが親    其角

 (網に成きぬはひかゆる槌の音肩でやしなふ駕籠かきが親)

 

 息子が駕籠かきで、息子に養ってもらっている身。息子のために砧を打つが、古くなった衣は破れないように気遣う。駕籠かきだと肩の所だけ擦り切れて、網になってたりしそうだ。

 

無季。「駕籠かき」は人倫。

 

九句目

 

   肩でやしなふ駕籠かきが親

 足もとに菜種は臥て芥の花    銀杏

 (足もとに菜種は臥て芥の花肩でやしなふ駕籠かきが親)

 

 芥子の花が咲く頃は菜種の収穫期になる。江戸時代は夜を楽しむようになり、菜種の需要も増えていた。駕籠かきの親は菜種栽培で稼いで息子に仕送りしていたのだろう。

 

季語は「芥の花」で夏、植物、草類。

 

十句目

 

   足もとに菜種は臥て芥の花

 茶を煮て廻す長谷の学寮     芭蕉

 (足もとに菜種は臥て芥の花茶を煮て廻す長谷の学寮)

 

 奈良長谷寺の麓も、この頃は菜の花畑に変わっていたのだろう。

 「茶を煮て」も当時急速に広まっていった隠元禅師の唐茶で、今の煎茶の元となっている。

 

無季。釈教。

 

十一句目

 

   茶を煮て廻す長谷の学寮

 下張の反故見えすくまくらして  黄山

 (下張の反故見えすくまくらして茶を煮て廻す長谷の学寮)

 

 下張りは襖の下に貼るもので、見えないところだというので反古にした紙を利用したりする。ただ、上に張った紙が薄いと、それが透けて見えたりする。それが結構とんでもない落書きだったりする。学寮には有りがちだったのだろう。

 余談だが昭和の頃に「四畳半襖の下張事件」という猥褻文書を廻る訴訟があった。ウィキペディアに、

 

 「伝荷風作・春本版『四畳半襖の下張』冒頭に「金阜山人戯作」とあり、長らく永井荷風作として伝えられ、後述のようにそれを認める説が現在でも有力である。終戦前後から一部で知られるようになり、春本における傑作の一つとされてきた。1972年、雑誌『面白半分』に掲載されて摘発を受け、その後の「四畳半襖の下張事件」裁判において特に有名になった。」

 

とある。

 

無季。「下張」は居所。

 

十二句目

 

   下張の反故見えすくまくらして

 つめたい猫の身をひそめ来ル   桃隣

 (下張の反故見えすくまくらしてつめたい猫の身をひそめ来ル)

 

 寒さですっかり冷え切った猫がこっそりやってきては、下張りの反故の見えるような部屋で眠っている。

 

季語は「つめたい」で冬。「猫」は獣類。

 

十三句目

 

   つめたい猫の身をひそめ来ル

 むづかしや襟にさし込嫁の㒵   彫棠

 (むづかしや襟にさし込嫁の㒵つめたい猫の身をひそめ来ル)

 

 嫁の胸の襟の中に猫が身を潜めている。手を出したくても手を出せない。男としては悩ましいところだ。

 

無季。恋。「襟」は衣裳。「嫁」は人倫。

 

十四句目

 

   むづかしや襟にさし込嫁の㒵

 硯法度とこひやせかるる     其角

 (むづかしや襟にさし込嫁の㒵硯法度とこひやせかるる)

 

 硯法度は『校本芭蕉全集 第五巻』の中村注に、

 

 「硯の水に我影をうつさぬもの。硯に物を書いてはならぬという言いつたえの忌避。」

 

とある。

 前句を嫁が自分の襟もとに顔を差し入れ、すがってきたとしての展開で、恋が急かされているということだと思うが、何か出典があるのか、其角の句は難解だ。

 

無季。恋。

 

十五句目

 

   硯法度とこひやせかるる

 夜の雨窓のかたにてなぐさまん  芭蕉

 (夜の雨窓のかたにてなぐさまん硯法度とこひやせかるる)

 

 ここでは硯法度は単に手紙を禁じられているということか。雨の夜になすすべもなくせめては窓辺で外をながめよう。

 

無季。「夜の雨」は夜分、降物。「窓」は居所。

 

十六句目

 

   夜の雨窓のかたにてなぐさまん

 三寸の残をしたむ唇       桃隣

 (夜の雨窓のかたにてなぐさまん三寸の残をしたむ唇)

 

 三寸は「みき」でお神酒のこと。お神酒をやった残りのわずかな酒を舐めて、雨夜をなぐさめる。

 

無季。神祇。

 

十七句目

 

   三寸の残をしたむ唇

 ま一ッと嚏をはやす朝の月    其角

 (ま一ッと嚏をはやす朝の月三寸の残をしたむ唇)

 

 嚏は「くさめ」でくしゃみのこと。「まあまあ一つ」は今でも挨拶の時によく用いられる。何が一つなのかはよくわからないが、遠慮しないでおもてなしを受けてください、という意味と、その事には触れないでくださいというニュアンスの時と、状況によっていろいろある。

 くしゃみを囃すというのは、くしゃみが誰か噂をしているという意味で、いやいや噂など気にせずということか。お神酒の残りを飲んだということがバレていて、誰か噂しているということか。

 

季語は「朝の月」で秋、天象。

 

十八句目

 

   ま一ッと嚏をはやす朝の月

 らんときくとに遠ザカル疫    彫棠

 (ま一ッと嚏をはやす朝の月らんときくとに遠ザカル疫)

 

 蘭や菊は疫病除けの作用があるということで、前句を「くしゃみなんてすぐ直りますよ」と囃す。

 

季語は「らんときく」で秋、植物、草類。

二表

十九句目

 

   らんときくとに遠ザカル疫

 愚なる和尚も友を秋の庵     銀杏

 (愚なる和尚も友を秋の庵らんときくとに遠ザカル疫)

 

 これは蘭と菊を友とするということか。まあ蘭や菊の愛好者は多いから、そういうつながりで人間の友達ができたりもする。

 

季語は「秋」で秋。釈教。「和尚」「友」は人倫。「庵」は居所。

 

二十句目

 

   愚なる和尚も友を秋の庵

 高みに水を揚る箱戸樋      黄山

 (愚なる和尚も友を秋の庵高みに水を揚る箱戸樋)

 

 箱戸樋は「はことひ」で、weblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「断面がコの字形の樋。水車の導水路に用いる。はこひ。」

 

とある。水を揚げるのだから揚水水車であろう。日本には古くからある竜骨車と寛文の頃に発明された足踏み式の踏車がある。

 前句の「愚なる和尚」は世俗から見るとそう見えるだけで、実はマッド・サイエンティストだったりして。

 

無季。

 

二十一句目

 

   高みに水を揚る箱戸樋

 山鳥のわかるる比はしづか也   芭蕉

 (山鳥のわかるる比はしづか也高みに水を揚る箱戸樋)

 

 「山鳥のわかるる比」は、

 

 昼は來て夜は別るゝ山鳥の

     影見る時ぞ音は泣かれける

              よみ人しらず(新古今集)

 

が出典であろう。夜は静かというのは、前句の揚水水車は足踏み式の踏車で、日が暮れて人がいなくなると静かになる。

 

無季。「山鳥」は鳥類。

 

二十二句目

 

   山鳥のわかるる比はしづか也

 ねぶりかかる歟合歓の下闇    其角

 (山鳥のわかるる比はしづか也ねぶりかかる歟合歓の下闇)

 

 山鳥というと、

 

 あしひきの山鳥の尾のしだり尾の

     長々し夜をひとりかも寝む

              柿本人麻呂(拾遺集)

 

があまりにも有名だ。ここでは「合歓」と「寝む」を掛けて、前句の「わかるる」に「ひとりかも寝む」の「合歓(寝む)」で応じる。

 

季語は「合歓」で夏、植物、木類。

 

二十三句目

 

   ねぶりかかる歟合歓の下闇

 かけむかひ機へる床のいとまなし 黄山

 (かけむかひ機へる床のいとまなしねぶりかかる歟合歓の下闇)

 

 「かけむかひ」は「さしむかひ」と同じで、二人で向かい合ってという意味。

 「機へる」は元禄五年冬の「水鳥よ」の巻十九句目にも、

 

   春はかはらぬ三輪の人宿

 陽炎の庭に機へる株打て     兀峰

 

の句がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「綜」の解説」に、

 

 「〘他ハ下一〙 ふ 〘他ハ下二〙 経(たていと)を引きのばして機(はた)織り機にかける。織るために経をのばし整える。

  ※万葉(8C後)一六・三七九一「うちそやし 麻続(をみ)の子ら ありきぬの 宝の子らが 打つ栲は 経(へ)て織る布」

 

とある。機織りの経糸をセットすることを言うが、ここでは単に機織ると同じに考えていいだろう。

 夜は機織りで床に就く暇がないので、昼間合歓の木の下でうとうとする。

 

無季。

 

二十四句目

 

   かけむかひ機へる床のいとまなし

 思はぬ舟に昼の汐待       銀杏

 (かけむかひ機へる床のいとまなし思はぬ舟に昼の汐待)

 

 昼は機を織って、夕暮れに潮目が変わって船が来るのを待つ。七夕の俤か。

 

無季。「舟」は水辺。

 

二十五句目

 

   思はぬ舟に昼の汐待

 気色まで曹洞宗の寒がりに    桃隣

 (気色まで曹洞宗の寒がりに思はぬ舟に昼の汐待)

 

 曹洞宗は総本山が加賀永平寺なので、寒そうなイメージがあったか。加賀の港は景色まで寒そうで、そこで汐待ちになる。

 

季語は「寒がり」で冬。釈教。

 

二十六句目

 

   気色まで曹洞宗の寒がりに

 焦す畳にいたく手を焼く     彫棠

 (気色まで曹洞宗の寒がりに焦す畳にいたく手を焼く)

 

 寒がりで部屋の中で火を焚くが、畳を焦がしてしまう。

 

無季。

 

二十七句目

 

   焦す畳にいたく手を焼く

 見ぬふりの主人に恋をしられけり 其角

 (見ぬふりの主人に恋をしられけり焦す畳にいたく手を焼く)

 

 恋に身を焦がすというが、心ここに有らずで畳を焦がしてしまった女に恋が知られる。

 

無季。恋。「主人」は人倫。

 

二十八句目

 

   見ぬふりの主人に恋をしられけり

 すがた半分かくす傘       芭蕉

 (見ぬふりの主人に恋をしられけりすがた半分かくす傘)

 

 相合傘であろう。主人は見て見ぬふりをするが、慌てて傘(からかさ)で顔を隠す。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   すがた半分かくす傘

 珍しき星は皎けてよるの月    彫棠

 (珍しき星は皎けてよるの月すがた半分かくす傘)

 

 「皎けて」は「しらけて」。前句を月の笠として、星が月の笠に隠れるとする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「星」も天象。

 

三十句目

 

   珍しき星は皎けてよるの月

 渡はじめの声ひくき雁      黄山

 (珍しき星は皎けてよるの月渡はじめの声ひくき雁)

 

 月に雁は画題にも用いられ、近代の切手にもなっている。秋の初めの渡り始めて頃の雁は声が低い。本当かどうかは知らないけど、俳諧はあくまで噂なので。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

二裏

三十一句目

 

   渡はじめの声ひくき雁

 松茸を近江路からは沢山に    其角

 (松茸を近江路からは沢山に渡はじめの声ひくき雁)

 

 松茸の生えるアカマツは内陸部に多く、海岸部は松茸の生えないクロマツが多いという。近江路は内陸だから松茸が良く採れるのだろう。

 

季語は「松茸」で秋。

 

三十二句目

 

   松茸を近江路からは沢山に

 そくさいな子は下々に有     銀杏

 (松茸を近江路からは沢山にそくさいな子は下々に有)

 

 元禄七年の夏の「夕がほや」の巻七句目に、

 

    稗に穂蓼に庭の埒なき

 松茸に小僧もたねば守られず   鳳仭

 

とあるが、松茸は手入れの行き届いた山に生える。下草が生い茂ると生えてこない。そういうわけで、元気な子供の沢山いるところは松茸が良く採れる。

 

無季。「子」は人倫。

 

三十三句目

 

   そくさいな子は下々に有

 老たるは御簾より外にかしこまり 芭蕉

 (老たるは御簾より外にかしこまりそくさいな子は下々に有)

 

 貧乏人の老人は御簾の中に籠ってたりせずに、いつも外でしゃきっとして、悪い子がいたら叱ったりしている。

 

無季。「御簾」は居所。

 

三十四句目

 

   老たるは御簾より外にかしこまり

 花の名にくしどこが楊貴妃    彫棠

 (老たるは御簾より外にかしこまり花の名にくしどこが楊貴妃)

 

 楊貴妃桜はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「楊貴妃桜」の解説」に、

 

 「〘名〙 サトザクラの園芸品種。花は淡紅色で外部は色濃く、径五センチメートルぐらいの八重咲き。芽は淡茶色。楊貴妃。《季・春》

  ※多聞院日記‐天正一九年(1591)二月九日「やうきひ桜のかきけつこうに仕了」

 

とある。

 堅物の老人なのだろう。傾城の美女なんてもってのほかという所か。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

三十五句目

 

   花の名にくしどこが楊貴妃

 付ざしを中でばはるる桃の色   黄山

 (付ざしを中でばはるる桃の色花の名にくしどこが楊貴妃)

 

 昔は桜というと山桜で色は白かったが、楊貴妃桜は桃色をしている。

 「付ざし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、

 

 「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。

  ※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」

 

とある。八重桜を浮かべた酒を回し飲みしたのであろう。塩漬けにした八重桜なら、結構酸っぱい。

 

季語は「桃の色」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   付ざしを中でばはるる桃の色

 こてふの影の跨ぐ三絃      桃隣

 (付ざしを中でばはるる桃の色こてふの影の跨ぐ三絃)

 

 前句を遊郭か何かとして三絃(三味線)を付けて、花に蝶と目出度く一巻は終わる。

 

季語は「こてふ」で春、虫類。