天正十年愛宕百韻の世界

ー明智光秀の連歌ー


 「でも光秀公はたしか、俳句がお得意だったと聞いておりましたが」帝子嬢が控えめにいった。

 「幼稚です」順慶はあっさりとそういった。「たとえば彼の句で『ほととぎすいくたびもりの木間哉』というのがある。わたしたちはこれを読み、腹をかかえて笑いころげたものです。この句は後世では、古典への復帰の意図が見られるなどと買いかぶられていますが、当時としてはただ古く幼稚なだけのものだったのです。たとえば、そう、文学者の会合へ出てきて得意満面カチカチ山の話をするようなもので」彼はまたくすくす笑った。(『筒井順慶』筒井康隆、1973、角川文庫)

 

 確かに「ほととぎすいくたびもりの木間哉」の句は、ホトトギスの一声を聞くという本意をふまえていないし、ホトトギスの声が木の間から聞こえてくるのも別に珍しいことではない。

 ただ、いわゆる武士(もののふ)の連歌としてはこれで十分だっただろうし、古今伝授を受けた細川幽斎などと比較するのは酷であろう。筒井順慶の方はよくわからないが。

 この二人が加勢しなかったことが山崎の戦いの敗因とも言われているが、風雅の道と関係があったかどうかはわからない。

 むしろ、風雅の道も武士の道もどこか器用貧乏で中途半端なところが明智光秀の不運だったのかもしれない。

 明智光秀の連歌というと、天正十年(一五八二)の本能寺の変の直前に京都愛宕神社の西坊(威徳院)で行われた連歌会で詠んだ、

 

 ときは今天が下しる五月哉    明智光秀

 

の発句が有名だ。このときの一巻は『天正十年愛宕百韻』と呼ばれている。

 この句は「とき」を時と土岐(とき)に掛けて、「天が下しる」を天下を取るという意味の暗号とした側面ばかりが強調されている。

 ここでは『天正十年愛宕百韻』を連歌の作品として見てみようと思う。光秀の力量がどれほどであったかも、一巻全体の流れを見て判断した方がいいだろう。

天正十年愛宕百韻 賦何人連歌

   天正十年五月廿四日 於愛宕山威徳陰

 

〔初表〕

 ときは今天が下しる五月哉     光秀

   水上まさる庭の夏山      行祐

 花落つる池の流れをせきとめて   紹巴

   風に霞を吹き送るくれ     宥源

 春も猶鐘のひびきや冴えぬらん   昌叱

   かたしく袖は有明の霜     心前

 うらがれになりぬる草の枕して   兼如

   聞きなれにたる野辺の松虫   行澄

 

〔初裏〕

 秋は只涼しき方に行きかへり    行祐

   尾上の朝け夕ぐれの空     光秀

 立ちつづく松の梢やふかからん   宥源

   波のまがひの入海の里     紹巴

 漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み    心前

   隔たりぬるも友千鳥啼く    昌叱

 しばし只嵐の音もしづまりて    兼如

   ただよふ雲はいづちなるらん  行祐

 つきは秋秋はもなかの夜はの月   光秀

   それとばかりの声ほのかなり  宥源

 たたく戸の答へ程ふる袖の露    紹巴

   我よりさきにたれちぎるらん  心前

 いとけなきけはひならぬは妬まれて 昌叱

   といひかくいひそむくくるしさ 兼如

 

〔二表〕

 度々の化の情はなにかせん     行祐

   たのみがたきは猶後の親    紹巴

 泊瀬路やおもはぬ方にいざなはれ  心前

   深く尋ぬる山ほととぎす    光秀

 谷の戸に草の庵をしめ置きて    宥源

   薪も水も絶えやらぬ陰     昌叱

 松が枝の朽ちそひにたる岩伝ひ   兼如

   あらためかこふ奥の古寺    心前

 春日野やあたりも広き道にして   紹巴

   うらめづらしき衣手の月    行祐

 葛のはのみだるる露や玉ならん   光秀

   たわわになびくいと萩の色   紹巴

 秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶     昌叱

   みぎりも深く霧をこめたる   兼如

 

〔ニ裏〕

 呉竹の泡雪ながら片よりて     紹巴

   岩ねをひたす波の薄氷     昌叱

 鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん   心前

   みだれふしたる菖蒲菅原    光秀

 山風の吹きそふ音はたえやらで   紹巴

   とぢはてにたる住ゐ寂しも   宥源

 とふ人もくれぬるままに立ちかへり 兼如

   心のうちに合ふやうらなひ   紹巴

 はかなきも頼みかけたる夢語り   昌叱

   おもひに永き夜は明石がた   光秀

 舟は只月にぞ浮かぶ波の上     宥源

   所々にちる柳陰        心前

 秋の色を花の春迄移しきて     光秀

   山は水無瀬の霞たつくれ    昌叱

 

〔三表〕

 下解くる雪の雫の音すなり     心前

   猶も折りたく柴の屋の内    兼如

 しほれしを重ね侘びたる小夜衣   紹巴

   おもひなれたる妻もへだつる  光秀

 浅からぬ文の数々よみぬらし    行祐

   とけるも法は聞きうるにこそ  昌叱

 賢きは時を待ちつつ出づる世に   兼如

   心ありけり釣のいとなみ    光秀

 行く行くも浜辺づたひの霧晴れて  宥源

   一筋白し月の川水       紹巴

 紅葉ばを分くる龍田の峰颪     昌叱

   夕さびしき小雄鹿の声     心前

 里遠き庵も哀に住み馴れて     紹巴

   捨てしうき身もほだしこそあれ 行祐

 

〔三裏〕

 みどり子の生ひ立つ末を思ひやり  心前

   猶永かれの命ならずや     昌叱

 契り只かけつつ酌める盃に     宥源

   わかれてこそはあふ坂の関   紹巴

 旅なるをけふはあすはの神もしれ  光秀

   ひとりながむる浅茅生の月   兼如

 爰かしこ流るる水の冷やかに    行祐

   秋の螢やくれいそぐらん    心前

 急雨の跡よりも猶霧降りて     紹巴

   露はらひつつ人のかへるさ   宥源

 宿とする木陰も花の散り尽くし   昌叱

   山より山にうつる鶯      紹巴

 朝霞薄きがうへに重なりて     光秀

   引きすてられし横雲の空    心前

 

〔名残表〕

 出でぬれど波風かはるとまり船   兼如

   めぐる時雨の遠き浦々     昌叱

 むら蘆の葉隠れ寒き入日影     心前

   たちさわぎては鴫の羽がき   光秀

 行く人もあらぬ田の面の秋過ぎて  紹巴

   かたぶくままの笘茨の露    宥源

 月みつつうちもやあかす麻衣    昌叱

   寝もせぬ袖のよはの休らひ   行祐

 しづまらば更けてこんとの契りにて 光秀

   あまたの門を中の通ひ路    兼如

 埋みつる竹はかけ樋の水の音    紹巴

   石間の苔はいづくなるらん   心前

 みづ垣は千代に経ぬべきとばかりに 行祐

   翁さびたる袖の白木綿     昌叱

 

〔名残裏〕

 明くる迄霜よの神楽さやかにて   兼如

   とりどりにしもうたふ声添ふ  紹巴

 はるばると里の前田を植ゑわたし  宥源

   縄手の行衛ただちとはしれ   光秀

 いさむればいさむるままの馬の上  昌叱

   うちみえつつもつるる伴ひ   行祐

 色も香も酔ひをすすむる花の本   心前

   国々は猶のどかなるころ    光慶

 

紹巴;18句 兼如;12句

昌叱;16句 行祐;11句

光秀;15句 宥源;11句

心前;15句 行澄;1句

       光慶;1句

『天正十年愛宕百韻』解説

     参考;『連歌集』新潮日本古典集成33、島津忠夫註、1979、新潮社

初表

天正十年愛宕百韻、発句

 ときは今天が下しる五月哉     光秀

 

 句の表向きの意味は、今まさに五月で、雨が降っているという意味だが、「あめが下しる」という言い回しはいかにも不自然で、言葉も漢文っぽくて連歌本来の雅語の優雅さがない。その点では、この句は最初から戦勝祈願の発句として詠まれたものと思われる。

 もっとも、一般に言われているような、本能寺の変を予告した句、という意味ではなく、あくまで備前備中への出陣という意味での戦勝祈願の句としてである。少なくとも、ここに会した連衆は、そのような意味に受け取ったと思われる。

 何も謀反を起こして天下を取るという計画を、わざわざここで暴露する必要もなかったし、「とき」が光秀の出身地を意味する「土岐(岐阜)」に掛けているとしても、備前備中の敵を打ち破って主君信長の下で天下を平定するという決意の句だと言われれば、誰しも疑うものもなかっただろう。

式目分析

季語:「五月」で夏。その他:「天」は雨の意味があるので降物になる。

天正十年愛宕百韻、脇

   ときは今天が下しる五月哉

 水上まさる庭の夏山        行祐

 (ときは今天が下しる五月哉水上まさる庭の夏山)

 

 五月で雨が降れば、川の水かさは増す。前句を原因として下句を結果とした「心付け」による脇句。

 「まさる」は増えるという意味と優れるという両方の意味を含んでいる。江戸時代の俳諧でも、

 

 湖の水まさりけり五月雨      去来

 

の用例がある。

 「庭の夏山」というのは、庭の借景としている遠くの山という意味か。

 行祐は愛宕西之坊威徳陰住職で、この連歌会の会場を提供しているホストに当たる。そのため脇を詠んでいる。

式目分析

季語:「夏山」で夏。その他:山類の体。「水上」は水辺の体。

天正十年愛宕百韻、第三

   水上まさる庭の夏山

 花落つる池の流れをせきとめて   紹巴

 (花落つる池の流れをせきとめて水上まさる庭の夏山)

 

 前句の「水上まさる」の原因を、せっかく桜の花が散り、きれいな花びらがたくさん浮かんでいるのだから、それを流してしまうのを惜しんで、池の流れを堰き止めたためだとする。

 当時は中世の温暖季が終わり、地球規模での寒冷期に差し掛かった頃で、ただでさえ遅い山桜の散る頃には既に旧暦の四月となっていてもおかしくなかったのだろう。

 「せきとめて」は水だけでなく、春から夏への時の流れも堰き止めたいという願いを込めている。

 この句は夏から春への季移りも見事だ。さすが当代きっての連歌師といえよう。

 「せきとめて」に光秀の謀反を堰き止めようという意図で、「散り急ぐでない」と戒めたにしては出来が良すぎる。

式目分析

季語:「花落つる」で春。その他:植物、木類。「池の流れ」は水辺の用。

天正十年愛宕百韻、四句目

   花落つる池の流れをせきとめて

 風に霞を吹き送るくれ       宥源

 (花落つる池の流れをせきとめて風に霞を吹き送るくれ)

 

 前句の「せきとめて」を、時の流れを惜しむ風情として、暮春の情を付けた句。花も散り、かすみも風に吹き送られ、春も暮れて行く。

 宥源は愛宕上之坊大善院住。

式目分析

季語:「霞」で春、聳物。

天正十年愛宕百韻、五句目

   風に霞を吹き送るくれ

 春も猶鐘のひびきや冴えぬらん   昌叱

 (春も猶鐘のひびきや冴えぬらん風に霞を吹き送るくれ)

 

 前句の「くれ」を夕暮に取り成す。「冴ゆる」は冬の季語。「猶、冴えぬらん」と疑うことで初春だが冬の名残を留め、霞を吹き飛ばす風に鐘の音も朦朧とせずに冴えて聞こえるのだろうか、とする。

 昌叱は紹巴門の連歌師。

式目分析

季語:「春」で春。季重なりだが、連歌では特に嫌わない。むしろ季移りには便利で、春の三句目にふさわしい。

天正十年愛宕百韻、六句目

   春も猶鐘のひびきや冴えぬらん

 かたしく袖は有明の霜       心前

 (春も猶鐘のひびきや冴えぬらんかたしく袖は有明の霜)

 

 前句の「鐘」を入相ではなく明け方の鐘と取り成す。

 春になってもこんなに鐘の響きは冴えるのだろうか、今は秋の有明の霜だ、とすることで秋の句に転じる。違え付けになる。季移りの基本とも言えよう。

 袖の霜は涙の露の凍ったものを連想させ、意味ありげであるが、この内容だけでは恋とも哀傷とも別離とも述懐とも決め難いので、単なる秋の句として扱われる。

 なお、発句に「五月」という月の字があるが、初表に本当の月がないのは寂しいということで(当時はまだ月花の定座は確立されてない)、ここで「月」の字を避けてあえて「有明」を出したものと思われる。

 日次の月と光物の月は同字なので五句去りとなる。別に七句目に出せないわけではない。

 心前は紹巴の門弟で『連歌新式心前注』を書き残している。古典文庫の『連歌新式古注集』(木藤才蔵編、一九八八)に収録されている。

式目分析

季語:「有明」で秋、夜分、光物。その他:「霜」も秋、降物。発句に「あめ」があるが、降物と降物は可隔三句物なので問題はない。「袖」は衣裳。

天正十年愛宕百韻、七句目

   かたしく袖は有明の霜

 うらがれになりぬる草の枕して   兼如

 (うらがれになりぬる草の枕してかたしく袖は有明の霜)

 

 前句の意味ありげな涙を、羇旅の情とする。「うらがれ」は葉の裏が枯れるというだけでなく、「うら」という言葉自体に「心」という意味がある。

 兼如は猪苗代兼裁の子で、紹巴に連歌を学ぶ。

式目分析

季語:「うらがれ」で秋。その他:羇旅。

天正十年愛宕百韻、八句目

   うらがれになりぬる草の枕して

 聞きなれにたる野辺の松虫     行澄

 (うらがれになりぬる草の枕して聞きなれにたる野辺の松虫)

 

 「草の枕」は単に旅寝の意味でも用いられるが、ここでは文字通り野宿の意味として、松虫の泣く音の悲しさに最初は寝付けなかったが、今では慣れたとする。

 行澄は光秀の家臣。この巻ではこの一句のみ。

式目分析

季語:「松虫」で秋、虫類。

初裏

天正十年愛宕百韻、九句目

   聞きなれにたる野辺の松虫

 秋は只涼しき方に行きかへり    行祐

 (秋は只涼しき方に行きかへり聞きなれにたる野辺の松虫)

 

 前句を秋の日に日に深まる様子とし、

 

 夏と秋と行きかふ空の通ひ路は

     かたへすずしき風やふくらむ

                   凡河内躬恒

 

をふまえて、風が日に日に涼しさを増して行く様を付ける。

式目分析

季語:「秋」で秋。

天正十年愛宕百韻、十句目

   秋は只涼しき方に行きかへり

 尾上の朝け夕ぐれの空       光秀

 (秋は只涼しき方に行きかへり尾上の朝け夕ぐれの空)

 

 「尾上」は尾根の上という意味。「涼しき方に行きかへり」という言葉から、尾根を越えて朝夕涼しい方へ行って帰ってくるという意味に取り成したか。

 朝は尾根の西が涼しくて、夕暮れは東が涼しい。午前中に西側から登って尾根に出て、午後には東側へ下るれば確かに涼しいが‥‥。

式目分析

季語:なし。その他:「尾上」は山類の体。

天正十年愛宕百韻、十一句目

   尾上の朝け夕ぐれの空

 立ちつづく松の梢やふかからん   宥源

 (立ちつづく松の梢やふかからん尾上の朝け夕ぐれの空)

 

 「尾上の松」はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「古歌などに詠まれた松の名。兵庫県加古川市尾上神社にある『尾上の松』、対岸の高砂市高砂神社の『高砂の松』のいずれをさすか不明。 『高砂の-に吹く風の/千載 恋一』」

 

とある。引用されているの歌は、

 

 高砂の尾上の松に吹く風の

     音にのみやは聞きわたるべき

               待賢門院堀河(千載集)

 

の歌で、他にも、

 

 ふく風の色こそ見えね高砂の

     をのへの松に秋はきにけり

               藤原秀能(新古今集)

 

など、尾上の松を詠んだ歌はいくつもある。謡曲『高砂』でも知られている。

 松のこずえの深さに、昼なお薄暗く、朝なのか夕暮なのかもわからない、と付ける。

 謝霊運の、「登永嘉綠嶂山詩」の、

 

 眷西謂初月 顧東疑落日

 西を振り向けば月が見え始めたのかと思い、

 東を振り返れば日が落ちたのかと疑う。

 

の心か。

式目分析

季語:なし。その他:「松」は植物、木類。

天正十年愛宕百韻、十二句目

   立ちつづく松の梢やふかからん

 波のまがひの入海の里       紹巴

 (立ちつづく松の梢やふかからん波のまがひの入海の里)

 

 海岸に立つ松林が深すぎて、どこに里があるのかわからない。それを「波のまがひの(波に紛れて)」と表現するところに、紹巴の技ありといっていいだろう。

式目分析

季語:なし。その他:「入海」は水辺の体。「里」は居所の体。

天正十年愛宕百韻、十三句目

   波のまがひの入海の里

 漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み    心前

 (漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み波のまがひの入海の里)

 

 岸を離れてどこかへと帰って行く蜑の小舟の航跡はただ果てしなく長く、その行方にある里は波に紛れて見えない。

 

 わたの原八十島かけて漕ぎいでぬと

     人には告げよ海人の釣舟

                  小野篁

 

の歌のような、流罪になった人の帰らぬ旅を彷彿させる。

式目分析

季語:なし。その他:「蜑の小舟」は水辺の用。

天正十年愛宕百韻、十四句目

   漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み

 隔たりぬるも友千鳥啼く      昌叱

 (漕ぎかへる蜑の小舟の跡遠み隔たりぬるも友千鳥啼く)

 

 友との離別の句への取り成しであろう。二人の間を海が隔てるとも、群を成す友千鳥がその間を往復するように、友情はいつまでも変わらない。

式目分析

季語:「千鳥」で冬、鳥類、水辺の用。

天正十年愛宕百韻、十五句目

   隔たりぬるも友千鳥啼く

 しばし只嵐の音もしづまりて    兼如

 (しばし只嵐の音もしづまりて隔たりぬるも友千鳥啼く)

 

 「隔てる」を距離の問題ではなく、嵐のせいとして、嵐が静まったので、千鳥の声がすると展開する。

式目分析

季語:なし。

天正十年愛宕百韻、十六句目

   しばし只嵐の音もしづまりて

 ただよふ雲はいづちなるらん    行祐

 (しばし只嵐の音もしづまりてただよふ雲はいづちなるらん)

 

 嵐が去って、切れ切れの雲が猛スピードで流れて行くが、あの雲はどこへ行ってしまうのかと、片雲の情に掛けて、羇旅の情を思い起こさせる。あるいは人生の行方を案じるか。

式目分析

季語:なし。その他:「雲」は聳物。

天正十年愛宕百韻、十七句目

   ただよふ雲はいづちなるらん

 つきは秋秋はもなかの夜はの月   光秀

 (つきは秋秋はもなかの夜はの月ただよふ雲はいづちなるらん)

 

 これはどう考えればいいのだろうか。多分紹巴が、この辺で月が欲しいから思い切って詠んでみろ、とでも言ったのだろう。今回の主賓への配慮なのだが、それにしてもこの句は‥‥。

 雲は去って空は晴れたのだから、確かに月が出るのはわかるが、もう少し何とかならなかっただろうか。「月」や「秋」の言葉の重複はもとより、「もなか」「夜は」も意味的には重複している。秋の真ん中の月という以外に何の内容も風情もない。一句の意味が独立して発句のようになっているのも傷となる。

式目分析

季語:「月」で秋、夜分、光物。「秋」も秋。

天正十年愛宕百韻、十八句目

   つきは秋秋はもなかの夜はの月

 それとばかりの声ほのかなり    宥源

 (つきは秋秋はもなかの夜はの月それとばかりの声ほのかなり)

 

 この前句では、後に付ける人も大変だ。とりあえず月に雁というありきたりな付け合いに頼りながら、それを「それとばかり」と掛詞にすることによって何とか面白みを出そうとしている。

 まあ光秀の前句が「それとばかり」だったが。

式目分析

季語:「かり」で秋、鳥類。

 

天正十年愛宕百韻、十九句目

   それとばかりの声ほのかなり

 たたく戸の答へ程ふる袖の露    紹巴

 (たたく戸の答へ程ふる袖の露それとばかりの声ほのかなり)

 

 「袖の露」は言わずと知れた涙のこと。恋に転じる。

 戸をいくら叩いても答がないため、叩けば叩くほど涙が溢れてくる。その悲しさをさらに増幅させるかのように、雁のほのかな声が聞こえてくる。

式目分析

 

季語:「露」で秋、降物。その他:恋。「戸」は居所の体。「袖」は衣裳。

天正十年愛宕百韻、二十句目

   たたく戸の答へ程ふる袖の露

 我よりさきにたれちぎるらん    心前

 (たたく戸の答へ程ふる袖の露我よりさきにたれちぎるらん)

 

 戸を叩いてみたが返事はよそよそしく、何かを隠している様子。どうも別の男がいるらしい。問い詰めてみるが、聞けば聞くほど涙がこみ上げてくる。

式目分析

季語:なし。その他:恋。「我」は人倫。

天正十年愛宕百韻、二十一句目

   我よりさきにたれちぎるらん

 いとけなきけはひならぬは妬まれて 昌叱

 (いとけなきけはひならぬは妬まれて我よりさきにたれちぎるらん)

 

 「て」留めは後ろ付けでもいい。

 「我よりさきにたれちぎるらん」だなんて、初々しいそぶりを見せなかったから、前に付き合ってた人がいると疑われ妬まれる。まあ、こういう嫉妬深い男を肯定していくと、結婚は処女でなくてはなんてことになってゆく。

 処女を求めると女性も身を固くするから結果的に性交の機会が減り、欲求不満で悶々と過ごすことになる。これも一種の合成の誤謬か。

 だから昔から色を好む男は処女を好まない。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

天正十年愛宕百韻、ニ十二句目

   いとけなきけはひならぬは妬まれて

 といひかくいひそむくくるしさ   兼如

 (いとけなきけはひならぬは妬まれてといひかくいひそむくくるしさ)

 

 嫉妬に駆られ過去をいろいろ穿り出そうとする男は最低、ということであれこれ理由を作っては遁れようとするが、こういう奴に限ってしつこいものだ。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

二表

天正十年愛宕百韻、ニ十三句目

   といひかくいひそむくくるしさ

 度々の化の情はなにかせん     行祐

 (度々の化の情はなにかせんといひかくいひそむくくるしさ)

 

 「化(あだ)」は浮気なということ。遊びのつもりで度々言い寄ってくる男はうざいものだ。そのつどうまいことかわして遁れていても苦しいだけだ。いつかきっぱり言ってやった方がいい。

式目分析

季語:なし。その他:恋。

天正十年愛宕百韻、二十四句目

   度々の化の情はなにかせん

 たのみがたきは猶後の親      紹巴

 (度々の化の情はなにかせんたのみがたきは猶後の親)

 

 さて恋も四句続いた所で、紹巴師匠が話題を親子の話に変える。

 「あだ」は儚い、という意味もある。その場限りの取り繕った優しさは信用できるものではない。「せん」は反語で「どうしようもない」という意味になる。実の親ではないから仕方ない。

式目分析

季語:なし。その他:「親」は人倫。

天正十年愛宕百韻、二十五句目

   たのみがたきは猶後の親

 泊瀬路やおもはぬ方にいざなはれ  心前

 (泊瀬路やおもはぬ方にいざなはれたのみがたきは猶後の親)

 

 「泊瀬」は初瀬のことで、飛鳥京の鬼門に当たり、伊勢や東国との交通の要衝でもあった。ただ、都が平安京に移ってからはあまり用いられなくなっていたのだろう。

 ここでは後の親かどうかはそれほど問題でなく、馴れない街道では方向音痴の親だと苦労するということ。

式目分析

季語:なし。その他:羇旅。「泊瀬路」は名所。

天正十年愛宕百韻、二十六句目

   泊瀬路やおもはぬ方にいざなはれ

 深く尋ぬる山ほととぎす      光秀

 (泊瀬路やおもはぬ方にいざなはれ深く尋ぬる山ほととぎす)

 

 初瀬の山にホトトギスを聞きに行って、ホトトギスを探しているうちに思わぬ所に入り込んでしまったという趣向で、月並ではあるが古典の本意にかなっている。

 光秀のこれまでの句の中では一番良い出来といっていいだろう。

式目分析

季語:「ほととぎす」で夏、鳥類。その他:「山」は山類の体。

天正十年愛宕百韻、二十七句目

   深く尋ぬる山ほととぎす

 谷の戸に草の庵をしめ置きて    宥源

 (谷の戸に草の庵をしめ置きて深く尋ぬる山ほととぎす)

 

 山の奥にホトトギスを聞きに行くのなら、山の入口の所に庵を構えるのがいい。

式目分析

季語:なし。その他:「谷」は山類の体。「草の庵」は居所の体。

天正十年愛宕百韻、二十八句目

   谷の戸に草の庵をしめ置きて

 薪も水も絶えやらぬ陰       昌叱

 (谷の戸に草の庵をしめ置きて薪も水も絶えやらぬ陰)

 

 谷の戸なら薪にも水にも不自由はしない。

 

   谷の戸に草の庵をしめ置きて

 薪も水も絶えやらぬ陰       昌叱

 (谷の戸に草の庵をしめ置きて薪も水も絶えやらぬ陰)

 

 谷の戸なら薪にも水にも不自由はしない。

式目分析

季語:なし。その他:「薪」は燃料なので非植物。「水」も飲み水なので非水辺。なし。その他:「薪」は燃料なので非植物。「水」も飲み水なので非水辺。

天正十年愛宕百韻、二十九句目

   薪も水も絶えやらぬ陰

 松が枝の朽ちそひにたる岩伝ひ   兼如

 (松が枝の朽ちそひにたる岩伝ひ薪も水も絶えやらぬ陰)

 

 松は油分を含み高温で燃えるから良い薪になる。それに、岩のある処からは濁りのない澄んだ水が湧き出る。侘びて棲む僧侶というよりは、職人さんが住むのに良さそうだ。

式目分析

季語:なし。その他:「松」は植物、木類。

天正十年愛宕百韻、三十句目

   松が枝の朽ちそひにたる岩伝ひ

 あらためかこふ奥の古寺      心前

 (松が枝の朽ちそひにたる岩伝ひあらためかこふ奥の古寺)

 

 前句を荒れ果てた情景とし、廃寺となっていた所にようやく新しい主が現れ、囲いから修復を始めるとする。「あらため」という所に布教の志しが感じられ、本来の意味での釈教となる。

式目分析

季語:なし。その他:釈教。

天正十年愛宕百韻、三十一句目

   あらためかこふ奥の古寺

 春日野やあたりも広き道にして   紹巴

 (春日野やあたりも広き道にしてあらためかこふ奥の古寺)

 

 奈良の春日野は春日大社の広大な敷地があり、古くからの都なので古代道路の名残を留める広い直線の道があったのだろう。

 春日大社は神仏習合により興福寺と一体化していた。

 ただ、このあたりは永禄十年(一五六七)の東大寺大仏殿の戦いで、戦場にもなっている。十五年前のことで、紹巴も強く記憶に残っていたことだろう。

 前句は「奥の古寺」だが、東大寺や興福寺の復興のことも念頭にあったのかもしれない。

式目分析

季語:なし。その他:「春日野」は名所。

天正十年愛宕百韻、三十二句目

   春日野やあたりも広き道にして

 うらめづらしき衣手の月      行祐

 (春日野やあたりも広き道にしてうらめづらしき衣手の月)

 

 「うら」は心のことで、「うらさびし」は何となく心持寂しい、というこどだから、「うらめづらし」も何となく「愛でる」にふさわしいような、という意味になる。

 「衣手の月」は

 

 衣手は寒くもあらねど月影を

     たまらぬ秋の雪とこそ見れ

              紀貫之(後撰集)

 

から来た言葉で、春日野の広い道を白く照らす雪のような月の光ということか。

式目分析

季語:「月」で秋、夜分、光物。その他:「衣手」は衣裳。

天正十年愛宕百韻、三十三句目

    うらめづらしき衣手の月

 葛のはのみだるる露や玉ならん   光秀

 (葛のはのみだるる露や玉ならんうらめづらしき衣手の月)

 

 さて、ここで光秀さんの登場だが、これもそう悪い句ではない。「うら」に「葛の葉」、「月」に「露の玉」と四手に付き、基本に忠実に付けたという感じがする。

式目分析

季語:「露」で秋、降物。「葛」も秋、植物、草類。「松」から三句隔てていて、木類に草類と違えているので問題はない。

天正十年愛宕百韻、三十四句目

   葛のはのみだるる露や玉ならん

 たわわになびくいと萩の色     紹巴

 (葛のはのみだるる露や玉ならんたわわになびくいと萩の色)

 

 糸萩は園芸品種として改良された萩で、枝は細くて枝垂れる。

 「萩の上露、荻の下風」と言われるように、萩の花はしばしば露とともに詠まれる。露に濡れた萩の花の鮮やかさは、月の光に輝くと露なのか花なのか見まごうというのを本意とする。

 前句を秋風に裏返る葛の葉から散って降り注ぐ露とし、糸萩の花がその露のようだとする。

式目分析

季語:「萩」で植物、草類。

天正十年愛宕百韻、三十五句目

   たわわになびくいと萩の色

 秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶     昌叱

 (秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶たわわになびくいと萩の色)

 

 今日は風もないから糸萩に喋々が泊って眠っている。秋風が吹いたらどうするのだろうか、と警句として展開する。

 秋風はしばしばやがて来る老化の象徴としても用いられる。老後のことを考えずに遊び歩いていると後悔することになるぞ、という意味も読み取れる。

式目分析

季語:「秋風」で秋。その他:「胡蝶」は虫類。

天正十年愛宕百韻、三十六句目

   秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶

 みぎりも深く霧をこめたる     兼如

 (秋風もしらぬ夕やぬる胡蝶みぎりも深く霧をこめたる)

 

 風のない日は霧が出やすい。

 「みぎり(砌)」は雨露の落ちる際(きわ)のことで、軒下や庭の意味にも用いられるし、「幼少のみぎり」のように「頃」という意味でも用いられ、取り成しのしやすい便利な言葉でもある。

式目分析

季語:「霧」で秋、聳物。

二裏

天正十年愛宕百韻、三十七句目

   みぎりも深く霧をこめたる

 呉竹の泡雪ながら片よりて     紹巴

 (呉竹の泡雪ながら片よりてみぎりも深く霧をこめたる)

 

 これは後ろ付けで霧で見えない砌から雪が零れ落ちたため、淡雪なのに呉竹が傾いている、とする。

 「みぎりも深く霧をこめたる(ゆえに)呉竹の泡雪ながら片よりて」となる。

 

季語:「泡雪」で冬、降物。その他:「呉竹」は植物。「連歌新式永禄十二年注」には、

 

 「もろこしには、草の部に用也。古今の歌に

  木にもあらず草にもあらぬ竹のよのはしに我身はなりぬべら也

 是によりて、木にも草にも付ざる也。」(『連歌新式古注集』木藤才蔵編、一九八八、古典文庫p.59)

式目分析

 植物だが草でも木でもない。「応安新式」には「竹に草木」は可嫌打越物になっている。三十四句目の「萩(草類)」から二句去っている。

天正十年愛宕百韻、三十八句目

   呉竹の泡雪ながら片よりて

 岩ねをひたす波の薄氷(うすらひ) 昌叱

 (呉竹の泡雪ながら片よりて岩ねをひたす波の薄氷うすらひ)

 

 泡雪に薄氷(うすらひ)と応じる。対句のように付ける相対付けと言っていいだろう。江戸時代の俳諧では「向え付け」という。

式目分析

季語:「薄氷」で冬。その他:「波」は水辺の体。

天正十年愛宕百韻、三十九句目

   岩ねをひたす波の薄氷

 鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん   心前

(鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん岩ねをひたす波の薄氷)

 

 「鴛鴨」はオシドリのこと。カモ科の鳥。『連歌集』(新潮日本古典集成33、島津忠夫註、一九七九、新潮社)には、

 

 鴛鴨のおりゐる池の水波の

     立つことやすき我が名なりけり

              藤原実雄(新拾遺集)

 

の歌が引用されている。

 「鴛(をし)」は「惜しい」に掛かり、本来は夫婦仲の良い鳥とされ、今でも「おしどり夫婦」という言葉がある。実際のオシドリは毎年相手を変えるという。

 心前の句の方は、池と降り立つオシドリの縁だけを借りた本歌付けで、浮名を立てるのではなく、仲睦まじく羽を交わすオシドリの情景としている。

式目分析

季語:「鴛鴨」で冬、鳥類、水辺の用。

天正十年愛宕百韻、四十句目

   鴛鴨や下りゐて羽をかはすらん

 みだれふしたる菖蒲菅原      光秀

 (鴛鴨や下りゐて羽をかはすらんみだれふしたる菖蒲菅原)

 

 「羽をかはす」から「みだれふす」の移りは交尾のイメージがやや露骨な感じがする。オシドリの繁殖期は夏なので、そこは合っている。

 菖蒲(あやめ)が押し倒されているのは、オシドリが羽を交わすために通った跡だとする。

式目分析

季語:「菖蒲(あやめ)」で夏、植物、草類、水辺の用。

天正十年愛宕百韻、四十一句目

   みだれふしたる菖蒲菅原

 山風の吹きそふ音はたえやらで   紹巴

 (山風の吹きそふ音はたえやらでみだれふしたる菖蒲菅原)

 

 これは遣り句で、乱れ臥す菖蒲(あやめ)を山風のせいだとする。

式目分析

季語:なし。

天正十年愛宕百韻、四十二句目

   山風の吹きそふ音はたえやらで

 とぢはてにたる住ゐ寂しも     宥源

 (山風の吹きそふ音はたえやらでとぢはてにたる住ゐ寂しも)

 

 風のせいで戸を閉ざしているというよりは、寂びれて人のいなくなった町の情景ではないかと思う。戦国時代には新たな所に城が立ち、城下町が形作られる一方で、寂れてゆく街も多かったのだろう。今で言えばシャッターストリートか。

式目分析

季語:なし。その他:「住ゐ」は居所の体。

天正十年愛宕百韻、四十三句目

   とぢはてにたる住ゐ寂しも

 とふ人もくれぬるままに立ちかへり 兼如

 (とふ人もくれぬるままに立ちかへりとぢはてにたる住ゐ寂しも)

 

 久しぶりに昔の恋人の所を尋ねてきたのだろう。

 扉は閉ざされ既に廃墟となり、しばらく昔の思い出に浸ってひとしきり涙を流した後、立ち去ってゆく、そんな姿が浮かぶ。

式目分析

季語:なし。その他:恋。「人」は人倫。

天正十年愛宕百韻、四十四句目

   とふ人もくれぬるままに立ちかへり

 心のうちに合ふやうらなひ     紹巴

 (とふ人もくれぬるままに立ちかへり心のうちに合ふやうらなひ)

 

 戦国時代は占いが盛んで、名だたる戦国武将すら占いにはまったといわれている。

 ただ、ここではやはり恋の占いだろう。せっかく尋ねてきてくれた人が夕暮れになって帰ってしまったのはどうやら占いのせいだった。

式目分析

季語:なし。恋。

天正十年愛宕百韻、四十五句目

   心のうちに合ふやうらなひ

 はかなきも頼みかけたる夢語り   昌叱

 (はかなきも頼みかけたる夢語り心のうちに合ふやうらなひ)

 

 「夢語り」は夢に見たことを語ること。

 今では「夢」という言葉は、将来や未来の輝かしい希望や願望を語る言葉として用いられるが、昔は寝ているときに見る夢を意味するだけで、目覚めると消えてしまうところから儚いものという意味でも用いられていた。

 恋しい人が夢に出てきて、これは吉兆だと思って相手に伝えるのだが、はたしてそのとおりになるのか。儚い夢だが、それに頼りたいという心を表わす。

式目分析

季語:なし。恋。

天正十年愛宕百韻、四十六句目

   はかなきも頼みかけたる夢語り

 おもひに永き夜は明石がた     光秀

 (はかなきも頼みかけたる夢語りおもひに永き夜は明石がた)

 

 夢に見たことを語って相手に聞かせてはみても、なかなか埒があかぬまま、秋の長い夜は更けてゆく。「夜を明かす」と明石という地名を掛けるのはよくあること。

 

 有明の月もあかしの浦風に

     波ばかりこそよると見えしか

             平忠盛(金葉集)

 一人寝は君も知りぬやつれづれと

     思ひ明かしの浦さびしさを

             『源氏物語』明石巻

 旅衣うら悲しさにあかしかね

     草の枕まくらは夢も結ばず

             同

 

などの歌がある。

 名所を出して恋を離れる展開の仕方は見事で、光秀にしては出来の良い句だ。

式目分析

季語:「永き夜」で秋、夜分。その他:恋。「明石がた」は名所、水辺の体。

天正十年愛宕百韻、四十七句目

   おもひに永き夜は明石がた

 舟は只月にぞ浮かぶ波の上     宥源

 (舟は只月にぞ浮かぶ波の上おもひに永き夜は明石がた)

 

 明石といえば月。そして船。漕ぎ出る船は流人の船ではなく、月夜に舟遊びをする粋人の船だ。

式目分析

季語:「月」で秋、夜分、光物。その他:「船」「波」は水辺の用。

天正十年愛宕百韻、四十八句目

   舟は只月にぞ浮かぶ波の上

 所々にちる柳陰          心前

 (舟は只月にぞ浮かぶ波の上所々にちる柳陰)

 

 舞台を海ではなく川か運河に変え、散る柳を付ける。

式目分析

季語:「ちる柳」で秋、植物、木類。

天正十年愛宕百韻、四十九句目

   所々にちる柳陰

 秋の色を花の春迄移しきて     光秀

 (秋の色を花の春迄移しきて所々にちる柳陰)

 

 宗祇の頃までの連歌には月花の定座というものはなかったが、紹巴の時代になると、月花の句を遠慮する習慣が生じてきたのか、懐紙の表裏のそれぞれ最後の長句に月花が詠まれることが多くなってくる。

 この場面で定座の意識があったかどうかはわからないが、二の懐紙でこれまで花の句が出てない以上、必然的にここでは花を詠むことになる。しかもスペシャルゲストである明智光秀がその任を預る。

 秋から春への季移りを必要とする技量の試される場でもある。句は理屈っぽいが何とかその課題をクリアしている。

 新しい年が来ても去年散った柳がまだ所々に残っているということで、花は春を表わす比喩となる。桜の句ではない。

式目分析

季語:「花の春」で春。

天正十年愛宕百韻、五十句目

   秋の色を花の春迄移しきて

 山は水無瀬の霞たつくれ      昌叱

 (秋の色を花の春迄移しきて山は水無瀬の霞たつくれ)

 

 水無瀬といえば後鳥羽院の水無瀬離宮。

 

 見わたせば山もと霞む水無瀬川

     夕べは秋と何思ひけむ

             後鳥羽院(新古今集)

 

の歌が知られている。この歌を本歌とした付け。

 水無瀬といえば宗祇、肖柏、宗長による水無瀬三吟、

 

 雪ながら山もと霞む夕べかな    宗祇

   行く水遠く梅匂う里      肖柏

 川風にひとむら柳春みえて     宗長

            以下略。

 

も思い浮かぶ。

式目分析

季語:「霞」で春、聳物。その他:「山」は山類の体。「水無瀬」は名所。明石から三句隔てている。