「木枯しに」の巻、解説

初表

 木枯しにうめる間おそき入湯哉  荊口

   毛を引く鴨をのする俎板   洒堂

 懸乞の中脇ざしに袴着て     芭蕉

   ところどころは木履はく道  此筋

 梨の枝おもりを解ば暮の月    左柳

   桶に色こき芋売のあく    大舟

 

初裏

 秋風に架こしらゆる鷹の宿    千川

   鼠のわたる梁の弓      芭蕉

 六月の日も照りじまふ柞の木   洒堂

   手数の入し荷縄ゆるまる   左柳

 袈裟斗リかけて供する浄土宗   此筋

   箕面の瀧のくもる山降    千川

 籠ぶせの駒鳥おとす篠の陰    大舟

   俵に豆の葉をしごく秋    洒堂

 月代も小ぐらき里のはなれ際   千川

   手綱ひかへて馬の順くる   此筋

 盃は今朝よりとれぬ花盛     左柳

   畳の上にのぼる陽炎     芭蕉

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 木枯しにうめる間おそき入湯哉  荊口

 

 芭蕉の時代はサウナ文化から湯舟文化への移行期だった。今のような湯船につかる風呂は、俳諧から推測できるのは、お寺を中心に広まっていったのではないかということで、流行に敏感な俳諧師もいち早く湯舟の風呂を取り入れ、ネタにしていった。

 木枯らしが寒いので、ついついお湯を熱いままにしておきたくなる。ただ、下で薪をくべ続けていれば、お湯はどんどん熱くなってゆくので、適当なところでうめなくてはならない。

 一度火を止めてしまうと、今度は冷めた時に暖めるまで時間がかかってしまうから、火は焚き続けて、熱くなったらうめて温度調節をしていたのだろう。

 

季語は「木枯し」で冬。

 

 

   木枯しにうめる間おそき入湯哉

 毛を引く鴨をのする俎板     洒堂

 (木枯しにうめる間おそき入湯哉毛を引く鴨をのする俎板)

 

 昔は鶏はもとより、採ってきた野鳥も自分で絞めて自分で裁いて食べていた。

 絞めた鴨はまず羽をむしらなくてはならないが、これは一仕事だった。この作業は今でも「毛抜き」と呼ばれている。

 木枯しの吹く頃は鴨鍋の季節でもあり、人は風呂を焚くのに時間をかけ、鴨は毛抜きに時間がかかる。

 

季語は「鴨」で冬。

 

第三

 

   毛を引く鴨をのする俎板

 懸乞の中脇ざしに袴着て     芭蕉

 (懸乞の中脇ざしに袴着て毛を引く鴨をのする俎板)

 

 懸乞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「掛乞」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「かけごい」とも) 掛売りの代金を請求すること。また、その人。掛取り。《季・冬》

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「きんかあたまに盆前の露 懸乞も分別盛の秋更て〈西鶴〉」

  ※風俗画報‐二五五号(1902)人事門「同十三日は〈略〉、町内掛乞(カケゴヒ)の往来頻繁雑沓を極む」

 

とある。

 掛売の取り立てに来る人が町人用の脇指を指して袴着てやって来た。さあ、お前も俎板の鯉だ、というところか。この場合は鴨だが。

 

季語は「懸乞」で冬。「袴」は衣裳。

 

四句目

 

   懸乞の中脇ざしに袴着て

 ところどころは木履はく道    此筋

 (懸乞の中脇ざしに袴着てところどころは木履はく道)

 

 木履(ぼくり)はこの場合は高下駄か。道の悪い所に取り立てに行く。

 

無季。

 

五句目

 

   ところどころは木履はく道

 梨の枝おもりを解ば暮の月    左柳

 (梨の枝おもりを解ば暮の月ところどころは木履はく道)

 

 梨に限らず果樹は枝が自然に上に伸びて行ってしまうと成長に栄養を取られて実が付きにくくなる。そのため紐を掛けて下から引っ張り、枝が上に伸びないようにする。この時重りを掛ける場合もある。

 重りを外すのは収穫が終わったということか。梨園への道は高下駄を履く。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「梨」は植物、木類。

 

六句目

 

   梨の枝おもりを解ば暮の月

 桶に色こき芋売のあく      大舟

 (梨の枝おもりを解ば暮の月桶に色こき芋売のあく)

 

 芋売はここでは「いもがら」と読む。

 芋がらは里芋の葉柄で、ウィキペディアにはズイキの「皮を剥いて乾燥させたものは芋がらと呼ばれる」とある。あくが強くてあく抜きする必要がある。

 梨の収穫が終わると里芋の季節になる。

 

季語は「芋売」で秋。

初裏

七句目

 

   桶に色こき芋売のあく

 秋風に架こしらゆる鷹の宿    千川

 (秋風に架こしらゆる鷹の宿桶に色こき芋売のあく)

 

 架は「ほこ」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「鷹槊・架」の解説」に、

 

 「〘名〙 鷹狩の鷹をとまらせておく木。春は梅、夏は樫、秋は檜、冬は松を用いる。《季・冬》 〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※俳諧・滑稽雑談(1713)冬「鷹槊(たかホコ)」

 

とある。季節の変わり目で新しい架をこしらえてたようだ。秋風の頃なら檜になる。同じ檜で芋がらのあく抜きの桶を作るということか。

 

季語は「秋風」で秋。

 

八句目

 

   秋風に架こしらゆる鷹の宿

 鼠のわたる梁の弓        芭蕉

 (秋風に架こしらゆる鷹の宿鼠のわたる梁の弓)

 

 梁(うつばり)は家の屋根を支える横の柱。昔の家では天井がなく、むき出しになっている家も多い。梁には上棟式の時に弓や破魔矢を取り付ける。

 鷹の架を作ればそこに鷹がとまるように、上棟式で弓矢を取り付けると、やがてそこを鼠が渡るようになる。

 

無季。「鼠」は獣類。

 

九句目

 

   鼠のわたる梁の弓

 六月の日も照りじまふ柞の木   洒堂

 (六月の日も照りじまふ柞の木鼠のわたる梁の弓)

 

 柞(ははそ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「柞」の解説」に、

 

 「① ミズナラなどのナラ類およびクヌギの総称。ははそのき。」

 

とある。和歌では柞の紅葉や落葉が詠まれることが多い。六月の暑い日の太陽も柞の木の方に落ちて行き、やがて夏も終わって行く。

 前句との関係はよくわからない。

 

季語は「六月」で夏。「柞」は植物、木類。

 

十句目

 

   六月の日も照りじまふ柞の木

 手数の入し荷縄ゆるまる     左柳

 (六月の日も照りじまふ柞の木手数の入し荷縄ゆるまる)

 

 夏の暑い日差しも緩み、きつく締めてあった荷縄も緩まる。

 

無季。

 

十一句目

 

   手数の入し荷縄ゆるまる

 袈裟斗リかけて供する浄土宗   此筋

 (袈裟斗リかけて供する浄土宗手数の入し荷縄ゆるまる)

 

 袈裟は輪袈裟のことと思われるが、浄土宗の半袈裟は輪宝や梵天のないシンプルなものを用いる。それを「袈裟斗リ」と言ったか。

 前句を巡礼の旅の荷物として、輪袈裟を掛けた浄土僧を登場させる。

 

無季。旅体。釈教。「袈裟」は衣裳。

 

十二句目

 

   袈裟斗リかけて供する浄土宗

 箕面の瀧のくもる山降      千川

 (袈裟斗リかけて供する浄土宗箕面の瀧のくもる山降)

 

 箕面の瀧は修験の地で、浄土宗開祖の法然ゆかり地でもある。「くもる山降」は水しぶきで曇って見えるということか。

 なお今の箕面の瀧が人口の瀧だというのはデマで、ウィキペディアにそういう風評の広まったいきさつが記されている。

 

無季。「箕面の瀧」は名所、水辺、山類。

 

十三句目

 

   箕面の瀧のくもる山降

 籠ぶせの駒鳥おとす篠の陰    大舟

 (籠ぶせの駒鳥おとす篠の陰箕面の瀧のくもる山降)

 

 篠はここでは「ささ」と読む。

 「籠ぶせ」は升落としの升の代わりに籠を使った罠であろう。駒鳥を捕まえる。「鵙落とし」という言葉があるように、「落とす」には罠で獲られる意味があったのだろう。

 仏教に殺生を付けるのも一つのパターンではある。箕面の瀧は殺生で曇ったか。

 

季語は「駒鳥おとす」で秋。「篠」は植物で木類でも草類でもない。

 

十四句目

 

   籠ぶせの駒鳥おとす篠の陰

 俵に豆の葉をしごく秋      洒堂

 (籠ぶせの駒鳥おとす篠の陰俵に豆の葉をしごく秋)

 

 大豆は根元から刈り取り、そのまま乾燥させてから豆を取り出す。その豆を取り出す時に、まず余分な葉っぱをしごいて落すということか。

 

季語は「秋」で秋。

 

十五句目

 

   俵に豆の葉をしごく秋

 月代も小ぐらき里のはなれ際   千川

 (月代も小ぐらき里のはなれ際俵に豆の葉をしごく秋)

 

 月代はここでは「つきしろ」で、月の昇る辺りの空のこと。豆の収穫にその背景を付ける。

 

季語は「月代」で秋、夜分、天象。「里」は居所。

 

十六句目

 

   月代も小ぐらき里のはなれ際

 手綱ひかへて馬の順くる     此筋

 (月代も小ぐらき里のはなれ際手綱ひかへて馬の順くる)

 

 宮中の八月十六日に行われる駒牽(こまひき)であろう。

 

無季。「馬」は獣類。

 

十七句目

 

   手綱ひかへて馬の順くる

 盃は今朝よりとれぬ花盛     左柳

 (盃は今朝よりとれぬ花盛手綱ひかへて馬の順くる)

 

 花見の宴の出席者を運ぶ馬子であろう。自分たちは朝から仕事で飲めない。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   盃は今朝よりとれぬ花盛

 畳の上にのぼる陽炎       芭蕉

 (盃は今朝よりとれぬ花盛畳の上にのぼる陽炎)

 

 花盛りが命日か何かと重なったか。陽炎は死者の霊を暗示させる。

 先祖に敬意を表し、厳粛な花盛りということで、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「陽炎」で春。