「郭公」の巻、解説

初表

   蚊足にすすめられて

 郭公麦つく臼にこしかけて

   たそがれ渡る青鷺の空    其角

 川風や衣干ス揖にそよぐらん   其角

   樽をつくして皆童なり    蚊足

 初秋の潤はわきて月なれや    蚊足

   扇の日記を捨る関の戸    其角

 

初裏

 萩のねに所の土を包み行     蚊足

   僧と咄して沓静なる     其角

 瓦工おりよりといそぐ入相に   蚊足

   神鳴りつべき雲を詠て    其角

 折ふしの狂惑つらき命哉     蚊足

   嶋原近き吾草の庵      其角

 忍啼キふるきふとんに跡さして  蚊足

   前髪惜む月のこよひぞ    其角

 江は露に亭の蝋燭白くなり    蚊足

   馬に信する瀬田の秋風    其角

 花盛梟ならべたる首を見て    蚊足

   勇士の土産此梅を折     其角

 

 

二表

 美女の酌日長けれとも暮安し   其角

   契めでたき奥の絵を書    蚊足

 或はしらら住吉須磨に遣され   其角

   乞食に馴て安き世を知    蚊足

 町ぐたり二声うらぬ茶筌売    其角

   夜は飛ビ田の狐也けり    蚊足

 高灯籠杉の梢にありあけて    其角

   晩-稲花さく湖の隈        蚊足

 蜻-蛉の一かたまりに流るなり     其角

   隣ならべて機の糊ひく    蚊足

 通リなき冬の駅の夕あらし    其角

   降かかりたる雪の玉味噌   蚊足

 

二裏

 釜かりに松の扉をたたかれて   其角

   反故そろゆる閑な倫ミぞ   蚊足

 顔あまた都の友のなつかしく   蚊足

   豆くふ数も人に笑われ    其角

 世中の花に駝のよろほひて    其角

   寺より寺にあそぶ春の日   蚊足

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句、脇

 

   蚊足にすすめられて

 郭公麦つく臼にこしかけて

 

 この句には作者名がない。

 脇の所に、

 

 郭公麦つく臼にこしかけて

   たそがれ渡る青鷺の空   其角

 

とある。「て」留で通常の発句の体でない所から、其角が詠んだ俳諧歌を発句と脇の代わりにするということか。狂歌というほど笑いを狙ったものでもなく、「麦つく臼」が雅語でないので、「俳諧歌」が適切なように思える。

 青鷺は「青鷺の駒」であれば和歌にも詠まれている。これは馬の毛の色で、青毛はほとんど黒なので、青鷺の色に近いというと原毛色が青毛の薄墨毛ではないかと思う。

 其角の歌の「青鷺の空」も馬の青毛の薄墨毛のような色の空とも取れる。夕暮れの薄暗い頃だと、空が青鷺色になる。それに鳥の青鷺の渡るを掛けているのではないかと思う。

 

 春深みゆるぎの森の下草の

     茂みにはむや青鷺の駒

              花園左大臣家小大進(夫木抄)

 ひまもあらばをぐろに立てる青鷺の

     こまごまとこそ言はまほしけれ

              源俊頼(夫木抄)

 見渡せば皆青鷺の毛梳めるを

     引き連ねたる馬つかさかな

              藤原信実(夫木抄)

 

などの歌がある。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。「青鷺も」鳥類、水辺。

 

第三

 

   たそがれ渡る青鷺の空

 川風や衣干ス揖にそよぐらん   其角

 (川風や衣干ス揖にそよぐらんたそがれ渡る青鷺の空)

 

 「衣」は「きぬ」、「揖」は「かい」とルビがある。

 青鷺に水辺の景を添える。

 

無季。「揖」は水辺。

 

四句目

 

   川風や衣干ス揖にそよぐらん

 樽をつくして皆童なり      蚊足

 (川風や衣干ス揖にそよぐらん樽をつくして皆童なり)

 

 「尽す」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尽・竭・殫」の解説に、

 

 「〘他サ五(四)〙 (「つきる(尽)」の他動詞形)

  ① つきるようにする。

  (イ) なくする。終わりにする。

  ※万葉(8C後)一一・二四四二「大土は採りつくすとも世の中の尽(つくし)得ぬ物は恋にしありけり」

  ※地蔵十輪経元慶七年点(883)四「我等が命を尽(ツクサ)むと欲(おも)ひてするにあらずあらむや」

  (ロ) あるかぎり出す。全部出しきる。つきるまでする。

  ※万葉(8C後)四・六九二「うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つくさ)く思へば」

  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「鈴虫の声のかぎりをつくしてもながき夜あかずふるなみだ哉」

  ② その極まで達する。できるかぎりする。きわめる。

  ※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)五「永く苦海を竭(ツクシ)て罪を消除し」

  ※春窓綺話(1884)〈高田早苗・坪内逍遙・天野為之訳〉一「凞々たる歓楽を罄(ツ)くさんが為めのみ」

  ③ (動詞の連用形に付いて) 十分にする、すっかりする、余すところなくするの意を添える。「言いつくす」「書きつくす」など。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Yomi(ヨミ) tçucusu(ツクス)。モノヲ cuitçucusu(クイツクス)」

  ※日本読本(1887)〈新保磐次〉五「マッチの焔を石油の中に落したるが、忽満室の火となり、遂にその町を類焼し尽しぬ」

  ④ (「力を尽くす」などを略した表現で) 他のもののために働く。人のために力を出す。

  ※真善美日本人(1891)〈三宅雪嶺〉国民論派〈陸実〉「個人が国家に対して竭すべきの義務あるが如く」

  ⑤ (「意を尽くす」などを略した表現で) 十分に表現する。くわしく述べる。

  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「口でさへつくされぬ筆には中々まはらぬと」

  ⑥ 心をよせる。熱をあげる。

  ※浮世草子・傾城歌三味線(1732)二「地の女中にはしゃれたる奥様、旦那様のつくさるる相肩の太夫がな、見にござるであらふと」

  ⑦ (「あんだらつくす」「阿呆(あほう)をつくす」「馬鹿をつくす」などの略から) 「言う」「する」の意の俗語となる。

  (イ) 「言う」をののしっていう語。ぬかす。ほざく。〔評判記・色道大鏡(1678)〕

  ※洒落本・色深睡夢(1826)下「大(おほ)ふうな事、つくしやがって」

  (ロ) 「する」をののしっていう語。しやがる。しくさる。

  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)上「起請をとりかはすからは偽りは申さないと存じ、つくす程にける程に」

 

とある。

 ここでは元の①の意味で、樽の舟に乗って遊ぶのを終わらせ、櫂に濡れた着物を干していたのは、みんな子供だったという意味だと思う。

 

無季。「童」は人倫。

 

五句目

 

   樽をつくして皆童なり

 初秋の潤はわきて月なれや    蚊足

 (初秋の潤はわきて月なれや樽をつくして皆童なり)

 

 初秋の七月に閏月が来ると、秋の満月が四回あることになる。月見が四回出来ると言うので、樽の酒が尽きるまで読んで、みんな子供のようだ、となる。

 ただ、この比実際に七月潤の年はなく、延宝八年に八月潤があった。元禄四年に再び八月潤がある。

 

季語は「初秋」で秋。「月」は夜分、天象。

 

六句目

 

   初秋の潤はわきて月なれや

 扇の日記を捨る関の戸      其角

 (初秋の潤はわきて月なれや扇の日記を捨る関の戸)

 

 日記は「にき」とルビがある。扇の日記は夏の暑い時の日記ということで、秋の月の季節に終わる。

 月に扇は、

 

 なれなれて秋に扇をおく露の

     色もうらめし閨の月影

              俊成女(新勅撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「扇‥捨る」で秋。

初裏

七句目

 

   扇の日記を捨る関の戸

 萩のねに所の土を包み行     蚊足

 (萩のねに所の土を包み行扇の日記を捨る関の戸)

 

 萩の根を土で包んだまま運び、関の戸を越えるというと、コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「橘為仲」の解説」にある、

 

 「晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。」

 

のことか。ウィキペディアに「日記として『橘為仲記』(散逸)があった。」とある。散逸したのではなく、関を越える時に捨てていたことにしたか。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

 

八句目

 

   萩のねに所の土を包み行

 僧と咄して沓静なる       其角

 (萩のねに所の土を包み行僧と咄して沓静なる)

 

 お寺に萩を植えに行くと、僧が大勢歩いていて、その靴の音が響いているが、僧に話しかけると静かになる。

 僧の沓というと、芭蕉の『野ざらし紀行』の東大寺二月堂での、

 

 水取りや氷の僧の沓の音     芭蕉

 

の句がある。「僧の沓の氷の音」の倒置。

 

無季。釈教。「僧」は人倫。「沓」は衣裳。

 

九句目

 

   僧と咄して沓静なる

 瓦工おりよりといそぐ入相に   蚊足

 (瓦工おりよりといそぐ入相に僧と咄して沓静なる)

 

 工は「ふき」とルビがある。瓦葺の職人のことであろう。僧に話しかけて僧の沓音が止まる。

 

無季。「瓦工」は人倫。

 

十句目

 

   瓦工おりよりといそぐ入相に

 神鳴りつべき雲を詠て      其角

 (瓦工おりよりといそぐ入相に神鳴りつべき雲を詠て)

 

 入道雲がむくむくと沸き起こり、夕立になりそうなので瓦工も作業を急ぐ。

 

無季。「雲」は聳物。

 

十一句目

 

   神鳴りつべき雲を詠て

 折ふしの狂惑つらき命哉     蚊足

 (折ふしの狂惑つらき命哉神鳴りつべき雲を詠て)

 

 狂惑は「きちがひ」とルビがある。「きゃうわく」と読んだ場合の意味は、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「狂惑」の解説」に、

 

 「① 正気を失い惑うこと。狂乱。また、常軌を逸した言動をとること。

  ※楓軒文書纂一一・香取文書‐建久五年(1194)五月日・関白藤原兼実家政所下文案「助康如レ此以二虚妄一為レ宗、以二狂惑一為レ業」 〔荀子‐君道〕

  ② とんでもなく馬鹿げていること。たわけていること。

  ※袋草紙(1157‐58頃か)上「なけやなけ蓬が杣の蛬(きりぎりす)更け行く秋はげにぞかなしき 長能云、狂惑のやつなり、蓬が杣と云事やは有と云々」

  ③ =きょうわく(誑惑)

  ※米沢本沙石集(1283)五本「誰れか狂惑(キャウワク)し、誰れか狂惑せられん」

 

とある。

 「折節」とあるから今でいう精神病ではなく、雷を恐れて発作的にパニックに陥って、とんでもないことをしてしまう人のことであろう。

 

無季。

 

十二句目

 

   折ふしの狂惑つらき命哉

 嶋原近き吾草の庵        其角

 (折ふしの狂惑つらき命哉嶋原近き吾草の庵)

 

 京都嶋原の遊郭の側に庵を構えていると、遊郭の乱痴気騒ぎが聞こえてきて修行に身が入らない。

 

無季。恋。「庵」は居所。

 

十三句目

 

   嶋原近き吾草の庵

 忍啼キふるきふとんに跡さして  蚊足

 (忍啼キふるきふとんに跡さして嶋原近き吾草の庵)

 

 引退した遊女の庵だろうか。

 

季語は「ふとん」で冬。恋。

 

十四句目

 

   忍啼キふるきふとんに跡さして

 前髪惜む月のこよひぞ      其角

 (忍啼キふるきふとんに跡さして前髪惜む月のこよひぞ)

 

 前髪を落とすのは稚児が一人前の僧になる時で、衆道の対象から外れることが惜しまれる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   前髪惜む月のこよひぞ

 江は露に亭の蝋燭白くなり    蚊足

 (江は露に亭の蝋燭白くなり前髪惜む月のこよひぞ)

 

 「惜む」を追悼の意味に取り成したか。お通夜の場面であろう。明け方になり、蝋燭がその光を失ってゆく。

 月に露は多くの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。「江」は水辺。「蝋燭」は夜分。

 

十六句目

 

   江は露に亭の蝋燭白くなり

 馬に信する瀬田の秋風      其角

 (江は露に亭の蝋燭白くなり馬に信する瀬田の秋風)

 

 「信」には「まか」とルビがある。世も白む頃に馬に任せて瀬田へと向かう。旅体で、都落ちを暗示させる。

 露に秋風も多くの歌に詠まれている。

 

季語は「秋風」で秋。旅体。「馬」は獣類。「瀬田」は名所。

 

十七句目

 

   馬に信する瀬田の秋風

 花盛梟ならべたる首を見て    蚊足

 (花盛梟ならべたる首を見て馬に信する瀬田の秋風)

 

 梟には「かけ」とルビがある。この字には「さらす」という訓読みもあり、晒し首のことになる。

 前句の秋風を比喩として春に転じたか。宇治川合戦で敗れた木曽方の多くの首が都晒される頃、木曽義仲は勢田へと向かい討ち死にする。違え付けによる季移り。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   花盛梟ならべたる首を見て

 勇士の土産此梅を折       其角

 (花盛梟ならべたる首を見て勇士の土産此梅を折)

 

 梅の花盛りの頃、勇士の持ち帰った首にも梅の枝が折って添えられている。残虐さと風流が共存するのが武士道の本質という所か。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。「勇士」は人倫。

二表

十九句目

 

   勇士の土産此梅を折

 美女の酌日長けれとも暮安し   其角

 (美女の酌日長けれとも暮安し勇士の土産此梅を折)

 

 勇士が梅の枝を土産に帰還すると、美女がお出迎えして酌をしてくれる。こういう時の時間はあっという間に過ぎ去る。

 

季語は「日長」で春。恋。「美女」は人倫。

 

二十句目

 

   美女の酌日長けれとも暮安し

 契めでたき奥の絵を書      蚊足

 (美女の酌日長けれとも暮安し契めでたき奥の絵を書)

 

 前句を婚礼とする。新居となる奥の間に新たに絵を書かせる。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   契めでたき奥の絵を書

 或はしらら住吉須磨に遣され   其角

 (或はしらら住吉須磨に遣され契めでたき奥の絵を書)

 

 奥の間に結婚の目出度い題材の絵ということで、高砂の松を描けと命じられ、住吉と須磨に実物を見に行かされる。

 「しらら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「白か」の解説」に、

 

 「〘形動〙 (「か」は接尾語) 色の白々としたさま。白く、明るいさま。また、はっきりしているさま。しろらか。しらら。

  ※今昔(1120頃か)二九「其に差去(さしのき)て色白らかなる男の小さやかなる立たり」

 

とある。明け方に出発するということか。

 

無季。旅体。「住吉」「須磨」は名所、水辺。

 

二十二句目

 

   或はしらら住吉須磨に遣され

 乞食に馴て安き世を知      蚊足

 (或はしらら住吉須磨に遣され乞食に馴て安き世を知)

 

 配流で住吉から須磨に渡り、そこで出家して乞食僧となった時、世の中は何とかなるもんだということを知る。

 

無季。「乞食」は人倫。

 

二十三句目

 

   乞食に馴て安き世を知

 町ぐたり二声うらぬ茶筌売    其角

 (町ぐたり二声うらぬ茶筌売乞食に馴て安き世を知)

 

 「ぐたり」はいまの「ぐったり」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ぐったり」の解説」に、

 

 「〘副〙 (「と」を伴って用いることもある) 弱りきって力がぬけたさま、疲労して力のぬけたさまを表わす語。ぐだり。ぐたり。くたり。

  ※敬斎箴講義(17C後)「外形自惰落なれば、内心もぐったりとして」

  ※爛(1913)〈徳田秋声〉六「団扇を顔に当てながらぐったり死んだやうになってゐた」

 

とある。

 茶筌売は冬には鉢叩きになるが、茶筌売の時は疲れたように一声しか上げずに町を売り歩く。

 

無季。

 

二十四句目

 

   町ぐたり二声うらぬ茶筌売

 夜は飛ビ田の狐也けり      蚊足

 (町ぐたり二声うらぬ茶筌売夜は飛ビ田の狐也けり)

 

 飛ビ田はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飛田・鴟田・鳶田」の解説」に、

 

 「大阪市西成区北東隅、山王・天下茶屋東一帯の呼称。天王寺駅の西方になる。江戸時代に墓地・刑場があった。」

 

とある。近代には赤線が作られ、飛田遊郭と呼ばれたが、この時代にはまだない。

 茶筌売にはいろいろな顔があったのだろう。刑場の仕事もしていたか。

 

無季。「夜」は夜分。「狐」は獣類。

 

二十五句目

 

   夜は飛ビ田の狐也けり

 高灯籠杉の梢にありあけて    其角

 (高灯籠杉の梢にありあけて夜は飛ビ田の狐也けり)

 

 高灯籠はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「高灯籠」の解説」に、

 

 「① 石灯籠の一つ。台石を幾層にも重ねて高く作ったもの。

  ② 人の死後七回忌まで、その霊を慰めるために、盂蘭盆会(うらぼんえ)のある七月に立てる高い灯籠。また、特に関東・東北で新盆の家が高い竿につけてともす灯籠。《季・秋》

  ※俳諧・佐夜中山集(1664)三「寺々や世上に眼高灯籠〈重頼〉」

  ③ 高い櫓(やぐら)の上部に灯をともし、船の航行を助けたもの。灯台。

  ※新板なぞづくし(1830‐44)一「住吉高燈(タカトウロウ)(とかけて)色事の出合(ととく心は)松からうへぢゃ」

 

とある。

 飛田の稲荷神社に①の意味での高灯籠か。京の伏見稲荷には験の杉があり、稲荷は杉に縁がある。

 

季語は「高灯籠」で秋、夜分。「杉」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   高灯籠杉の梢にありあけて

 晩-稲花さく湖の隈        蚊足

 (高灯籠杉の梢にありあけて晩-稲花さく湖の隈)

 

 目立たないけど稲にも小さな花が咲く。前句をお盆の高灯籠として晩稲(おくて)の花が湖に面した田んぼに咲いている。隈は「くま」とルビがある。

 

季語は「晩-稲」で秋、植物、草類。「湖」は水辺。

 

二十七句目

 

   晩-稲花さく湖の隈

 蜻-蛉の一かたまりに流るなり   其角

 (蜻-蛉の一かたまりに流るなり晩-稲花さく湖の隈)

 

 蜻-蛉はカゲロウであろう。一時期に大量発生する。大量発生して卵を産んだ後は皆死んで落ちて、湖を流れて行く。

 

季語は「蜻-蛉」で秋、虫類。

 

二十八句目

 

   蜻-蛉の一かたまりに流るなり

 隣ならべて機の糊ひく      蚊足

 (蜻-蛉の一かたまりに流るなり隣ならべて機の糊ひく)

 

 前句を天の川に見立てて、機織りの情景を付ける。

 機(はた)の糊は、織り糸を扱いやすくするために糊を付ける作業か。地域によっては男も機織りをするので、織姫彦星も一緒に機を織ったか。

 

無季。

 

二十九句目

 

   隣ならべて機の糊ひく

 通リなき冬の駅の夕あらし    其角

 (通リなき冬の駅の夕あらし隣ならべて機の糊ひく)

 

 この場合の駅は「うまや」であろう。古代は駅路に準備されている駅馬のことだったが、近世では伝馬のいる場所になる。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「伝馬」の解説」に、

 

 「徳川家康は1601年(慶長6)に公用の書札、荷物の逓送のため東海道各宿に伝馬制度を設定した。徳川家康は「伝馬之調」の印判、ついで駒牽(こまひき)朱印、1607年から「伝馬無相違(そういなく) 可出(いだすべき)者也」の9字を3行にして縦に二分した朱印を使用し、この御朱印のほかに御証文による場合もある。伝馬役には馬役と歩行(かち)役(人足役)とがあり、東海道およびその他の五街道にもおのおの規定ができた。

 

 伝馬は使用される際には無賃か、御定(おさだめ)賃銭のため、宿には代償として各種の保護が与えられたが、一部民間物資の輸送も営業として認めた。伝馬制度は前述のとおり公用のためのものであったから、一般物資の輸送は街道では後回しにされた。武士の場合でも幕臣が優先されている。民間の運送業者、たとえば中馬(ちゅうま)などが成立して伝馬以外の手段が私用にあたった。1872年(明治5)に各街道の伝馬所、助郷(すけごう)が廃止された。」

 

とある。

 冬の駅は人通りも少なく、機織りの音が聞こえてくる。

 

季語は「冬」で冬。

 

三十句目

 

   通リなき冬の駅の夕あらし

 降かかりたる雪の玉味噌     蚊足

 (通リなき冬の駅の夕あらし降かかりたる雪の玉味噌)

 

 玉味噌はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「玉味噌」の解説」に、

 

 「〘名〙 一般に、煮た大豆をつき砕いて麹(こうじ)と塩を混ぜて丸めた味噌玉をいう。また、大豆や蚕豆(そらまめ)を煮てつき砕き、麹と塩を混ぜて大きなだんごに丸め、わらづとに包み、炉の上などに一、二年置いて熟させた味噌。味噌玉。

  ※俳諧・続虚栗(1687)夏「通りなき冬の駅の夕あらし〈其角〉 降かかりたる雪の玉味噌〈蚊足〉」

  ※眉かくしの霊(1924)〈泉鏡花〉六「玉味噌を塗って、串にさして焼いて持ちます」

 

とある。

 今の岐阜県関市にある道の駅平成で売られているという玉味噌は、真ん中に穴が開いていて、そこに縄を通して上から吊り下げて乾燥させるという。

 大粒の牡丹雪、当時は帷子雪と言ったそういう雪だと、吊り下げた味噌玉のように見えなくもない。

 元禄七年の「鶯に」の巻十九句目にも、

 

   一阝でもなき梨子の切物

 玉味噌の信濃にかかる秋の風   芭蕉

 

の句がある。これも吊り下げた玉味噌が秋の風に揺れる情景だったか。

 

季語は「雪」で冬、降物。

二裏

三十一句目

 

   降かかりたる雪の玉味噌

 釜かりに松の扉をたたかれて   其角

 (釜かりに松の扉をたたかれて降かかりたる雪の玉味噌)

 

 松の扉は槇の戸と同様、山奥に暮らす隠士の風情がある。豆を煮る釜を借りに来る人がいる。

 松の戸は、

 

 山深み春とも知らぬ松の戸に

     たえだえかかる雪の玉水

              式子内親王(新古今集)

 

の歌にも詠まれている。松の戸にかかる雪の一致からも、本歌と言って良いだろう。

 

無季。

 

三十二句目

 

   釜かりに松の扉をたたかれて

 反故そろゆる閑な倫ミぞ     蚊足

 (釜かりに松の扉をたたかれて反故そろゆる閑な倫ミぞ)

 

 反故は字数から「ほうぐ」だろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「反故・反古」の解説」に、

 

 「〘名〙 =ほぐ(反故)

  ※右京大夫集(13C前)「ほかへまかるに、ほうぐどもとりしたたむるに」

  [語誌](1)奈良期に「本古紙」〔正倉院文書‐天平宝字四年(七六〇)六月二五日・奉造丈六観世音菩薩料雑物請用帳〕、「本久紙」〔正倉院文書‐天平宝字六年(七六二)石山院牒〕の表記で見えるのが古い。また、「霊異記‐下」には「本垢」とあり、当初の語形はホゴ・ホグ、あるいはホンク(グ)であったと考えられる。

  (2)平安期の仮名文では「ほく」と表記されることもあるが、ホンクの撥音無表記とも見られる。「色葉字類抄」には「反故 ホク 俗ホンコ」とあり、鎌倉時代においては、複数の語形があったこと、正俗の意識があったことなどが分かる。

  (3)「日葡辞書」の「Fongo(ホンゴ)」の項に「Fôgu(ホウグ)と発音される」との説明があるところから、中世末期においてはホウグが優勢であり、近世になってからもホウゴ・ホンゴ・ホゴ・ホング・ホグなどとともに主要な語形として用いられている。→「ほご(反故)」の語誌」

 

とある。上古の乙類のオはウに変わったものが多いが、ウとオの交替がしばしば生じる。人麻呂が人丸になるのもその一つの例。反故はホグともホゴとも読む。

 「倫ミ」の読み方はよくわからない。「なじみ」か。

 隠士同士が軒を並べていれば、釜の貸し借りもあれば一緒に反故を整理したりすることもある。

 

無季。

 

三十三句目

 

   反故そろゆる閑な倫ミぞ

 顔あまた都の友のなつかしく   蚊足

 (顔あまた都の友のなつかしく反故そろゆる閑な倫ミぞ)

 

 昔一緒に書を学んだ仲間たちを、その頃の反故を揃えながら、都を遠く離れた所で思い出す。

 

無季。「友」は人倫。

 

三十四句目

 

   顔あまた都の友のなつかしく

 豆くふ数も人に笑われ      其角

 (顔あまた都の友のなつかしく豆くふ数も人に笑われ)

 

 節分には年の数だけ豆を食うが、久しぶりに会った都の仲間たちは皆老人となっていて、豆の数がこんなにとお互いに笑い合う。

 

無季。「人」は人倫。

 

三十五句目

 

   豆くふ数も人に笑われ

 世中の花に駝のよろほひて    其角

 (世中の花に駝のよろほひて豆くふ数も人に笑われ)

 

 駝は「せむし」とルビがある。背骨が後ろに湾曲することを言う。この場合は老化が原因で、節分の豆もたくさん食べる。

 節分・立春は旧歴正月の前後なので、正月の「花の春」の季節になる。背中が曲がってよろよろ歩く老人は、それだけでお目出度い。正月に海老を食べるのも、腰が曲がるまで生きられますようにという願いだった。死亡率の高い時代は、年寄りになるまで生きられるというのがみんなの願いだった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   世中の花に駝のよろほひて

 寺より寺にあそぶ春の日     蚊足

 (世中の花に駝のよろほひて寺より寺にあそぶ春の日)

 

 年を取ってよろよろになっても、杖ついて順礼の旅をし続ける。そんな老人になってみたいものだ。

 

季語は「春」で春。釈教。旅体。