「花に遊ぶ」の巻、解説

貞享四年春、江戸

初表

   花園 貞享四 江戸

 花に遊ぶ虻なくらひそ友雀    芭蕉

   猫和らかにゆるる緒柳    岩松

 春雨に留主の隣の屋根見へて   古益

   碁盤によりし翁三人     爐方

 るりの酒水晶の月重ねたる    岩松

 

初裏

 朝露の夢に仏を孕らん      爐方

   笠の下端に結ぶ御祓     古益

 盗人の関は戸ざしもなかりけり  芭蕉

   あはれに枯し樗一本     爐方

 風寒き夕日に鳶の声引て     古益

   軍にあすの首を占ふ     芭蕉

 肌衣汗を筧にすすぐらむ     爐方

   荊に閉る松の潜り戸     岩松

 都より三里遊女を忍ばせて    芭蕉

   思ひ内にあれば日は何時ぞ  古益

 其まぎれ敵打べき雨の月     岩松

   玉むし売て酒屋尋る     爐方

 

 

二表

 お針して秋も命の緒を繋ぎ    古益

   琴引娘八ッになりける    芭蕉

 石竹に小百合の露のこぼれつつ  爐方

   風の南に麝香驚く      岩松

 此山に尊の沓を踏たまひ     芭蕉

   松の鱗をはがす幕綱     古益

 紅の蔦は棺をかざるらん     岩松

   二声啼て鶴月に入      爐方

 西に見る長安城に霧細く     古益

   大樽荷ふ上戸百人      芭蕉

 聟乗て箔置牛の静なる      爐方

   牡丹を手をる牡丹花の恋   古益

 

二裏

 薄やうの文に桜の実を染て    芭蕉

   ねりの裳に蛍つつめる    爐方

 しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり  古益

   出代り侘る一條の辻     芭蕉

 寺々や社々の花ざかり      古益

   雲は弥生のぬひものの天   爐方

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

   花園 貞享四 江戸

 花に遊ぶ虻なくらひそ友雀    芭蕉

 

 「な‥‥そ」は弱い禁止を表すという。「な」という強い禁止の終助詞と「そ」という弱い禁止の終助詞があるから、元は「虻くらひそ」だったのをやや強調する形で二重に禁止の言葉を重ね「虻なくらひそ」になったのだろう。

 スズメはウィキペディアに、

 

 「食性は雑食性で、イネ科を中心とした植物の種子や虫を食べる。また、都市部に生息するスズメは桜の花の蜜、パン屑・菓子屑や生ゴミまで、何でも食料にする。」

 

とあるから虻を食べることも知られていたのだろう。

 句の方はせっかく花に遊びに来たんだから、虻とはいえ食べないでくれよ、という意味になる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「虻」は虫類。「友雀」は鳥類。

 

 

   花に遊ぶ虻なくらひそ友雀

 猫和らかにゆるる緒柳      岩松

 (花に遊ぶ虻なくらひそ友雀猫和らかにゆるる緒柳)

 

 「緒」は糸のことだが、ここは猫の尾と両義的に用いているのではないかと思う。春の咲く頃、猫も雀を襲うこともなくのんびりしっぽを動かし、柳の緒もゆっくりと揺れる。こんなに長閑なのだからスズメも虻を食わないでくれよ、と発句の平和を願う心に和す。猫>雀>虻と食物連鎖になっている。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。「猫」は獣類。

 

第三

 

   猫和らかにゆるる緒柳

 春雨に留主の隣の屋根見へて   古益

 (春雨に留主の隣の屋根見へて猫和らかにゆるる緒柳

 

 古益は桑名本統寺の住職、第三世大谷琢恵で、芭蕉は貞享元年の『野ざらし紀行』の旅で、

 

 冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす   芭蕉

 

の句を詠んでいる。今回はたまたま何かの用で江戸に来ていたのだろう。

 春の細かい雨なので猫も隣の屋根の上にいて、近くで柳の枝が揺れている。

 

季語は「春雨」で春、降物。

 

四句目

 

   春雨に留主の隣の屋根見へて

 碁盤によりし翁三人       爐方

 (春雨に留主の隣の屋根見へて碁盤によりし翁三人)

 

 留守なのをいいことに、年寄り三人勝手に上がり込んで囲碁をやっている。田舎ではありそうなことだ。一人は観戦に回っているが、岡目八目であーだこーだ言ってそうだ。

 

無季。「翁」は人倫。

 

五句目

 

   碁盤によりし翁三人

 るりの酒水晶の月重ねたる    岩松

 (るりの酒水晶の月重ねたる碁盤によりし翁三人)

 

 中国の宮廷か何かだろう。狩野派の『琴棋書画図』のような世界を思い描いたか。ラピスラズリの盃の酒に水晶のような月が映り、空の月と盃の月の二つになる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   るりの酒水晶の月重ねたる

 鸞の卵をくくむ桐の葉      芭蕉

 (るりの酒水晶の月重ねたる鸞の卵をくくむ桐の葉)

 

 「鸞(らん)」はウィキペディアに、

 

 「鸞(らん)は中国の伝説の霊鳥。日本の江戸時代の百科事典『和漢三才図会』には、実在の鳥として記載されている。それによれば、中国の類書『三才図会』からの引用で、鸞は神霊の精が鳥と化したものとされている。「鸞」は雄の名であり、雌は「和」と呼ぶのが正しいとされる。鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適とある。

 実在の鳥類であるケツァール(キヌバネドリ目)の姿が、鸞の外観についての説明に合致するとの指摘もある。」

 

とある。「くくむ」は「くるむ」。

 前句のゴージャスな雰囲気に逆らわずに桐の葉に包んだ鸞の卵を差し出す。

 古益は季吟門で貞門にありがちな古典趣味の浮世離れした風に留まっているのだろう。芭蕉も最初は季吟の風を学んだが、江戸で談林の流行に染まり、貞享に入ってふたたび古典復古に傾いていた。ちょっと昔の風を懐かしむようにこの興行を楽しんでいたのかもしれない。

 

季語は「桐の葉」で秋。「鸞」は鳥類。

初裏

七句目

 

   鸞の卵をくくむ桐の葉

 朝露の夢に仏を孕らん      爐方

 (朝露の夢に仏を孕らん鸞の卵をくくむ桐の葉)

 

 釈迦(ゴータマ・シッダッタ)の母(マーヤー)は、ウィキペディアによれば、

 

 「『ラリタ・ヴィスタラ』(『普曜経』、『方広大荘厳経』)などによれば、マーヤーはヴァイシャーカ月に6本の牙を持つ白い象が胎内に入る夢を見てシッダッタを懐妊したとされており、その出産の様も、郷里に帰る途中に立ち寄ったルンビニーの園で花(北方伝ではアショーカ樹〈無憂樹〉、南方伝ではサール〈娑羅双樹〉)を手折ろうと手を伸ばしたところ、右脇から釈迦が生まれたと伝える。」

 

とある。

 鸞の卵に、これほどの珍しいものがあるなら、お釈迦様を孕みそうだ、ということであろう。

 

季語は「朝露」で秋、降物。釈教。

 

八句目

 

   朝露の夢に仏を孕らん

 笠の下端に結ぶ御祓       古益

 (朝露の夢に仏を孕らん笠の下端に結ぶ御祓)

 

 「御祓(おはらひ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「お」は接頭語)

  ① 神社で出す厄よけのお札。特に伊勢神宮で八座置神事(やつくらおきじんじ)の祓をして毎年全国の崇敬者に配った大麻(たいま)やお札。おはらいぐし。

  ※山科家礼記‐文明一二年(1480)一〇月九日「禅宗参宮下向候也。御はらいくれ候也」

  ② 罪や災いを除くために六月と一二月の晦日(みそか)に行なう儀式。また、特に「おはらいまつり」のことをいう。

  ※襟帯集(1569)「明堂は政ををこなう処也。そこで河原の御祓(ハライ)の様な事ばしある歟」

  ③ 「おはらいまつり」での神輿の行列。

  ※浮世草子・好色五人女(1686)二「鼻高く㒵(かほ)赤く眼ひかり住吉の御はらひの先へ渡る形のごとく」

  ④ 災厄を除くために、神官が行なう儀式。

  ⑤ 「おはらいばこ(御祓箱)①」の略。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)四「風の神のおはらひなれや扇子箱〈重弘〉」

 

とあり、笠の下に結ぶ物を指すので①であろう。

 前句を朝露の夢に仏さまが出てきてという意味に取り成し、お伊勢参りの巡礼者の姿を付ける。本地垂迹の句。

 

無季。神祇。旅体。

 

九句目

 

   笠の下端に結ぶ御祓

 盗人の関は戸ざしもなかりけり  芭蕉

 (盗人の関は戸ざしもなかりけり笠の下端に結ぶ御祓)

 

 「戸ざし」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①戸じまり。門や戸を閉ざすこと。また、門や戸をさし固めるもの。錠や掛け金など。

  ②門。

  出典平家物語 一一・先帝身投

  「門をば不老と号(かう)して、老いせぬとざしと説きたれども」

  [訳] 門を不老と名づけて、年をとらない門と説明したが。」

 

とある。荒れ果てた関は、

 

 人すまぬ不破の関屋の板廂

     あれにしのちはただ秋の風

            藤原良経(新古今集)

 

のイメージであろう。芭蕉の『野ざらし紀行』の旅で、

 

 秋風や藪も畠も不破の関     芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 

無季。「盗人」は人倫。

 

十句目

 

   盗人の関は戸ざしもなかりけり

 あはれに枯し樗一本       爐方

 (盗人の関は戸ざしもなかりけりあはれに枯し樗一本)

 

 「樗(あふち)」は栴檀の古名。荒れた関所に枯れ木となった栴檀の木に昔の名残をとどめている。

 

季語は「枯し樗」で冬、植物、木類。

 

十一句目

 

   あはれに枯し樗一本

 風寒き夕日に鳶の声引て     古益

 (風寒き夕日に鳶の声引てあはれに枯し樗一本)

 

 栴檀は落葉樹なので、ここでは冬の落葉した樗になる。北風に夕日にトンビの長く引くようなピーヒョロロの声がする。

 

季語は「風寒き」で冬。「夕日」は天象。「鳶」は鳥類。

 

十二句目

 

   風寒き夕日に鳶の声引て

 軍にあすの首を占ふ       芭蕉

 (風寒き夕日に鳶の声引て軍にあすの首を占ふ)

 

 冬と言い夕日と言い死を暗示させる。それにトンビは死肉食でウィキペディアに、

 

 「郊外に生息する個体の餌は主に動物の死骸やカエル、トカゲ、ネズミ、ヘビ、魚などの小動物を捕食する。」

 

とある。

 

無季。

 

十三句目

 

   軍にあすの首を占ふ

 肌衣汗を筧にすすぐらむ     爐方

 (肌衣汗を筧にすすぐらむ軍にあすの首を占ふ)

 

 「肌衣(はだぎぬ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 =はだぎ(肌着)

  ※車屋本謡曲・朝長(1432頃)「朝長の御腹めされて候やと申されければ、〈略〉御はだぎぬも紅にそみてめも当てられぬ有様也」

 

とある。問題はこの用例の方で、謡曲『朝長』の切腹の場面になっている。この場面から肌衣→切腹という連想があったのではないかと思う。

 明日は腹を切ることになるかもしれないと、肌衣をきれいに洗っておく。

 

無季。「肌衣」は衣裳。「汗」に関しては古くから諸説あったようで、松永貞徳の『俳諧御傘』には、「無言抄に夏の部に出せり、新式には是なし、汗は夏にかぎらず、病にも又恥をかきても、おもき物をもちても、あつぎをしても、湯茶呑ても、常に人のながす物なり。或説に汗と斗は雑なり、汗ほすとすれば夏と申されし。今思へば是もうきたる説なり。」とある。これは貞徳の見解で、必ずしも一定してなかったと思われる。

 

十四句目

 

   肌衣汗を筧にすすぐらむ

 荊に閉る松の潜り戸       岩松

 (肌衣汗を筧にすすぐらむ荊に閉る松の潜り戸)

 

 「荊」は「いばら」とも読むが、ここでは「おどろ」で、weblio辞書の「デジタル大辞泉」に、

 

 「おどろ【×棘/荊=棘】

  [名・形動]

  1 髪などの乱れているさま。

  「髪は―と乱れて」〈鴎外・舞姫〉

  2 草木・いばらなどの乱れ茂っていること。また、その場所やそのさま。やぶ。

  「奥山の―が下もふみ分けて道ある世ぞと人に知らせむ」〈新古今・雑中〉」

 

とある。ここでは2の意味。前句を荊などが茂って道も閉ざされた草庵に籠る隠者とする。

 

無季。

 

十五句目

 

   荊に閉る松の潜り戸

 都より三里遊女を忍ばせて    芭蕉

 (都より三里遊女を忍ばせて荊に閉る松の潜り戸)

 

 京都から三里(十二キロ)くらいというと大原の里だろうか。こんなところに遊女を呼んでひそかに楽しむ人もいたのだろうか。大原女が遊女だったという説もあるが。

 大原の雑魚寝は西鶴が『好色一代男』に記しているが、どこまでが本当でどこまでが都市伝説なのかよくわからない。原始乱婚制の名残などという説は十九世紀の仮説で今は完全に否定されている。

 

無季。恋。「遊女」は人倫。

 

十六句目

 

   都より三里遊女を忍ばせて

 思ひ内にあれば日は何時ぞ    古益

 (都より三里遊女を忍ばせて思ひ内にあれば日は何時ぞ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「今夜は女の所へ通おうとの下心があるので時刻を気にして聞くの意。」

 

とある。三里の道を行かねばならないから、日の暮れる三時間前、申の上刻には出発しなくてはならない。

 

無季。恋。

 

十七句目

 

   思ひ内にあれば日は何時ぞ

 其まぎれ敵打べき雨の月     岩松

 (思ひ内にあれば日は何時ぞ其まぎれ敵打べき雨の月)

 

 名月でも雨なら真っ暗闇。それに紛れて仇を打とう。月の出る晩ばかりやないで。

 

季語は「雨の月」で秋、夜分、天象、降物。

 

十八句目

 

   其まぎれ敵打べき雨の月

 玉むし売て酒屋尋る       爐方

 (其まぎれ敵打べき雨の月玉むし売て酒屋尋る)

 

 虫売りはウィキペディアに、

 

 「虫を売り歩くという職業は遅くとも17世紀頃には上方で出現していた事が確認されているが、1687年に発布された生類憐れみの令により、虫の売買および飼育が禁じられ、その職業自体も完全に途絶する。その後、江戸・神田で行われ始めた虫売りをその起源とする事が多い。スズムシ、クツワムシ、マツムシ、カンタン、キリギリスなどの鳴く虫の他、季節によってホタルやタマムシ、ヒグラシなどを取り扱う。」

 

とある。生類憐みの令は一度に出された法令ではないので、この貞享四年の春がどういう状況だったのかはよくわからない。それにどこまで厳密に取り締まられたかもよくわからない。ひょっとしたら取り締まられるかもしれないというところから来る自粛ムードの方が大きかったのかもしれない。

 タマムシは吉丁虫という字が当てられることもあり、箪笥に入れておくと衣類が増えると言われていた。

 虫売りをしたり酒屋で情報を仕入たり、敵討ちにはいろいろと苦労がある。

 

季語は「虫」で秋、虫類。

二表

十九句目

 

   玉むし売て酒屋尋る

 お針して秋も命の緒を繋ぎ    古益

 (お針して秋も命の緒を繋ぎ玉むし売て酒屋尋る)

 

 夫は虫売りだが酒飲みで、妻はお針仕事で生計を支える。違え付け。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十句目

 

   お針して秋も命の緒を繋ぎ

 琴引娘八ッになりける      芭蕉

 (お針して秋も命の緒を繋ぎ琴引娘八ッになりける)

 

 琴は遊女にするための修行であろう。母も引退した遊女か。

 

無季。「娘」は人倫。

 

二十一句目

 

   琴引娘八ッになりける

 石竹に小百合の露のこぼれつつ  爐方

 (石竹に小百合の露のこぼれつつ琴引娘八ッになりける)

 

 石竹(せきちく)は撫子の園芸品種。小百合(さゆり)は百合のこと。小庭の景色とする。

 八つの娘は撫子、母は小百合に喩えるなら、「露」は涙か。

 

季語は「石竹」「小百合」で夏、植物、草類。「露」は降物。

 

二十二句目

 

   石竹に小百合の露のこぼれつつ

 風の南に麝香驚く        岩松

 (石竹に小百合の露のこぼれつつ風の南に麝香驚く)

 

 石竹、小百合の咲く庭に南風に乗って麝香の香がただよってくる。

 

無季。

 

二十三句目

 

   風の南に麝香驚く

 此山に尊の沓を踏たまひ     芭蕉

 (此山に尊の沓を踏たまひ風の南に麝香驚く)

 

 「尊(みこと)」は高貴な人で靴を履いているから王朝時代であろう。従者がその沓をうっかり踏んでしまうというところで囃して俳諧にする。前句の「驚く」が麝香の香を漂わす尊が沓を踏まれて驚く、になる。

 俳諧らしからぬ句が続いたので、何とか笑いに戻そうとしたか。

 

無季。「山」は山類。「尊」は人倫。「沓」は衣裳。

 

二十四句目

 

   此山に尊の沓を踏たまひ

 松の鱗をはがす幕綱       古益

 (此山に尊の沓を踏たまひ松の鱗をはがす幕綱)

 

 山の中で高貴な人が来るので、垂れ幕で臨時の席を作ったが、そのせいで松の皮が削ぎ取られてしまった。あたかも龍の鱗をはがすかのようだ。逆鱗に触れなければいいが。

 俳諧らしい展開に戻る。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

二十五句目

 

   松の鱗をはがす幕綱

 紅の蔦は棺をかざるらん     岩松

 (紅の蔦は棺をかざるらん松の鱗をはがす幕綱)

 

 幕綱を葬式の垂れ幕にし、哀傷に展開する。前句の「松の鱗をはがす」も痛々しいイメージに変わる。

 言葉は奇麗だが浮世離れした本統寺流の俳諧にまた戻ってゆく。ある意味で現代連句に近いのはこっちかもしれない。

 

季語は「蔦」で秋、植物、草類。哀傷。

 

二十六句目

 

   紅の蔦は棺をかざるらん

 二声啼て鶴月に入        爐方

 (紅の蔦は棺をかざるらん二声啼て鶴月に入)

 

 鶴が鳴いて月の方に飛んでゆくのは死者を月の都(冥府)に届けるかのようだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十七句目

 

   二声啼て鶴月に入

 西に見る長安城に霧細く     古益

 (西に見る長安城に霧細く二声啼て鶴月に入)

 

 長安の月だが出征の兵士も帰りを待つ妻の碪もない。ただ月が西に傾き、鶴が飛んでゆく景だけにとどめる。

 

季語は「霧」で秋、聳物。「長安城」は名所。

 

二十八句目

 

   西に見る長安城に霧細く

 大樽荷ふ上戸百人        芭蕉

 (西に見る長安城に霧細く大樽荷ふ上戸百人)

 

 長安なので杜甫の「飲中八仙歌」の

 

 李白一斗詩百篇 長安市上酒家眠

 

の詩句から、大酒飲みを登場させる。それも百人で酒は大樽。漢詩の趣向でもきちんと笑いに持ってゆく。

 

無季。「上戸百人」は人倫。

 

二十九句目

 

   大樽荷ふ上戸百人

 聟乗て箔置牛の静なる      爐方

 (聟乗て箔置牛の静なる大樽荷ふ上戸百人)

 

 大きな婚礼の儀式で、婿の乗る牛車の牛は金箔などを施した飾りできらびやかに飾られている。やはりこの路線に戻ってゆく。

 

無季。恋。「牛」は獣類。

 

三十句目

 

   聟乗て箔置牛の静なる

 牡丹を手をる牡丹花の恋     古益

 (聟乗て箔置牛の静なる牡丹を手をる牡丹花の恋)

 

 「千人万首─よよのうたびと─」というサイトの肖柏のところに、「号:夢庵(むあん)・牡丹花(ぼたんか)・弄花軒(ろうかけん)」とあり、さらに

 

 「『出る事あるときは必ず牛に乗る。かねて黄金をして角を飾る。見る人あやしみ笑へども自らこれを恥じず』といった風狂の暮らしぶりであったという(海棠『夢の名残』)」

 

とある。

 前句を『水無瀬三吟』『湯山三吟』などで宗祇・宗長とともに中世連歌の頂点に立った牡丹花肖柏の婚姻とする。あくまで想像だが。現代だったら薔薇を咥えた貴公子?

 

季語は「牡丹」で夏、植物、草類。恋。

二裏

三十一句目

 

   牡丹を手をる牡丹花の恋

 薄やうの文に桜の実を染て    芭蕉

 (薄やうの文に桜の実を染て牡丹を手をる牡丹花の恋)

 

 桜の実はサクランボだが、日本では桜は観賞用でサクランボ用の品種は発達しなかったため、小さな実しかない。サクランボで染めた紙は桜色というよりは赤紫になるのではないかと思う。

 

季語は「桜の実」で夏。恋。

 

三十二句目

 

   薄やうの文に桜の実を染て

 ねりの裳に蛍つつめる      爐方

 (薄やうの文に桜の実を染てねりの裳に蛍つつめる)

 

 「ねり」は練絹(ねりぎぬ)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (古くは「ねりきぬ」か) 生織物を精練して柔軟性と光沢を持たせた絹布。

  ※書紀(720)敏達元年五月(前田本訓)「辰爾乃ち、羽を飯の気(け)に蒸(む)して帛(ネリキヌ)を以て羽に印(お)して悉に其の字を写す」

 

とある。やはり古代のものであろう。蛍は隠した恋心の隠喩でもあり、王朝時代の恋という趣向であろう。

 

季語は「蛍」で夏、虫類。「ねりも裳」は衣裳。

 

三十三句目

 

   ねりの裳に蛍つつめる

 しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり  古益

 (しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふりねりの裳に蛍つつめる)

 

 「信楽笠」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 滋賀県信楽地方から産出した、大きなかさ。信楽の大笠。しがらき。

  ※新撰六帖(1244頃)五「雨過るとやまの道の木くれよりしからきかさぞみえかくれする〈藤原為家〉」

 

とある。

 

無季。「小雨」は降物。

 

三十四句目

 

   しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり

 出代り侘る一條の辻       芭蕉

 (しよぼしよぼ信楽笠に小雨ふり出代り侘る一條の辻)

 

 「出代り」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 前の人が出たあとにかわってはいること。入れ替わり。「―の激しい下宿」

  2 奉公人が契約期間を終えて入れ替わること。多年季・一年季・半年季などがあり、地域ごとに期日を定めた例が多い。

 「年末の―の季節になれば」〈長塚・土〉」

 

とある。

 京都の一条通りは御所から、西陣を通る道で千両ヶ辻がある。奉公の期間が終わった人は春雨の降る中信楽笠を被って出て行く。これは芭蕉らしい現実的な句だ。

 

季語は「出代り」で春。

 

三十五句目

 

   出代り侘る一條の辻

 寺々や社々の花ざかり      古益

 (寺々や社々の花ざかり出代り侘る一條の辻)

 

 一条通りの北側には清明神社、北野八幡宮、龍安寺、妙心寺、仁和寺などが並ぶ。いずれも境内は一斉に花盛り。

 

季語は「花ざかり」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   寺々や社々の花ざかり

 雲は弥生のぬひものの天     爐方

 (寺々や社々の花ざかり雲は弥生のぬひものの天)

 

 「ぬひもの」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①裁縫。仕立て物。

  ②刺繡(ししゆう)。

  出典枕草子 むつかしげなるもの

  「むつかしげなるもの、ぬひものの裏」

  [訳] 見苦しい感じがするものは、ししゅう(した布)の裏。」

 

とある。②の意味であろう。

 雲は花の雲とも取れる。空は満開の桜で満たされあたかも天に刺繍を施したかのような空だ、と奇麗にまとめて一巻は目出度く終了する。

 

季語は「弥生」で春。「雲」は聳物。