鈴呂屋日乗2015

9月20日

 今回の法案の騒ぎは一体なんだったのか。法案の説明不足は政府だけの問題ではなく、反対する野党も報道するマスコミも、この法案について正確な情報を提供してきたかどうかは問われなくてはならない。

 民主党は政権時代の迷走ぶりから、すっかり国民の信頼を失い、マスコミも従軍慰安婦の捏造問題から権威が失墜した。そうした人たちの間でフラストレーションが溜まってたのは容易に想像がつく。もちろん、左翼系の思想に共鳴する人たちも気持ちは同じだろう。

 彼らは国民の圧倒的な支持を得て誕生した安部政権に最初から嫉妬していたし、ことあるごとにヒットラーだのアベシネだの、到底批判とはいえないような罵詈雑言、ヘイトスピーチを繰り返してきた。

 安倍首相が当初の公約どおりに憲法改正に向かって一直線に進んでいたなら、また違った歴史になったかもしれない。しかし、おそらく党内からの様々な圧力に屈したか、憲法解釈の変更だけで処理して、PKOの恒久法と抱き合わせにしてこっそりとこの法案を通そうとしたのが完全に裏目に出てしまった。

 いかにも後ろめたそうな自民党の態度は、不満が爆発寸前の人たちが噛み付くのにまたとないチャンスとなった。

 マスコミはそれこそ週刊ゲスの記者よろしく、「そんなこと言って、本当は戦争やりたいんでしょっ」ってな感じで、自民党側が何を言ってもまともに伝えない。自民党としては冷静に抗議すべき所だったが、どこぞの作家がしゃしゃり出てきてぶち壊してしまった。

 民主党も負けじとばかりに細野氏が「徴兵制が必要」と発言し、これがツイッターなどで拡散され、あたかも今度の法案に徴兵制が盛り込まれているかのようなデマが一部の人の間に広がった。ググれば法案そのものも読むことができるから確かめることもできるのだが、ネットに疎くテレビばかり見ているお年寄りの中には踊らされた人もいたかもしれない。

 そこに正義の見方SEALDsの登場で、反対理由が何であれ参加可能なデモであるため、ここぞとばかりに共産党をはじめとする左翼諸団体が一斉に動員をかけて、デモは瞬く間に膨れ上がった。

 マスコミはその中では少数派であるはずの子連れの主婦を大々的に報道し、これが一般人のデモであるかのように偽装した。

 こうなると、今まで関心のなかった一般の人も不安にさせられる所だが、今回はいたって冷静だった。

 9・6の新宿のデモは実際に俺も見たが、デモ隊は伊勢丹の交差点からビックロの前に掛かるか掛からないか程度で収まっていて、その合間を大勢の一般人がほとんど無関心に通り過ぎて行くだけだった。

 左翼やマスコミの手法は基本的に安保闘争の頃から何一つ変わらないもので、戦争が始まる、徴兵制が復活する、子供たちを戦場に送ることになる、そして300万人が死ぬ‥‥この種のアジテーションはこれまでもことあるごとに繰り返されてきたもので、すっかりみんな慣れっこになっていて、いちいちそんな言葉には反応しない。

 ただ一つ新しさがあったとすれば、、それはイベント企画団体SEALDsの登場くらいだ。彼らのおかげでこれまでセクトに分裂してばらばらにデモをやっていた左翼が一つになった。デモ会場は安保闘争の同窓会のようなものだったのかもしれない。

 戦後左翼は過去の侵略戦争の反省をするも、あたかも日本という国家、民族、伝統、文化全体の間違いであるかのように錯覚していた。そのため、ほとんど日本を全否定することで戦争は防げると考えていた。日本は国を守ってはいけないし、そもそもやがて世界は一つになるのだから日本なんて国は必要ない、文化も伝統もすべてかなぐり捨てて西洋人のようにならなくてはいけない、否、日本人であることを否定して西洋人になりきらなくてはならない、という考えなのだが、だからといってアメリカ追従も不快で、頼みの綱の共産圏も崩壊し、とっくに行き場を失っていた。

 その不確かなアイデンティティーは、今やただアメリカから与えられた平和憲法だけで、それを奪われたなら、確かに彼らはもはや行く所がない。だから、彼らにとってはこれが最後の抵抗なのだろう。

 彼らの多くはまぎれもなく日本人だが、ただ日本人であることを否定しようとしてきたという点では、アイデンティティーの上では日本人ではない。だからといって本当に西洋人になりきれるものでもない。ネトウヨが彼らをチョン認定するのは間違いだが、ある意味「在日反日本人」なのかもしれない。

 法案は成立したけど、こうした人たちの不満はまだまだくすぶり続けるだろうな。ただ、歴史が彼らの味方をすることはないだろう。

9月17日

 今回の安全保障関連法案の通過で、日本は憲法改正をせず、解釈変更を実質的な改憲とするというのが定着するのだろうか。

 どこの国でも憲法は不磨の大典ではない。時代が変わり状況が変われば柔軟に憲法を変えて対応するのは普通のことだ。

 憲法に限らず、法律は一つの仮説にすぎない。人間は全知全能の神ではないのだから、未来永劫に至るまで絶対に正しい法律を作る能力はどこにもない。だから試行錯誤を繰り返しながら、常に改良を繰り返し、より良い法律を作ってゆくしかない。

 コーランは7世紀には画期的だったかもしれないが、現代でそれを文字通りに行ったらイスラム国になってしまう。だからといってコーランを書き換えることはできないとなれば、結局解釈の変更で対応するしかない。日本国憲法もそれと同じことになるのか。

 アメリカの憲法はウィキペディアによれば、「憲法の修正がなされた場合にはそれまでの条文はそのまま残され、憲法修正条項として追加される形により修正される。」とあり、そして、この修正条項は議会の承認だけで可能であり、国民投票は行われない。

 イギリスの場合は「国家の性格を規定するものの集合体が憲法とされる不文憲法国家である」とあり、憲法は通常の立法と同じ手続きで行われるという。国民投票は必要ない。

 フランスの場合は大統領が憲法改正案を提起し、国民投票で決定するという。国民投票をやるという点では日本と似ているが、憲法改正案の提起は遥かに日本より簡単にできる。

 日本国憲法がなかなか改憲に踏み切れず、不磨の大典化していくのは、一つには憲法改正の手続きのハードルの高さにあるのかもしれない。戦前の場合は憲法は天皇の発布したものだから、いわば勅語であり、神聖にして犯すべからざる存在とされたのはまだわかる。しかし、神ではなくアメリカから与えられた憲法も、結局不磨の大典となってしまうと、どうしたって現実とのギャップが時間の経過とともに大きくなってゆく。

 ただ、これからも様々な形で「憲法解釈の変更」が行われる可能性はあるので、憲法解釈変更の手続きに関して明確に法律で定める必要があるのではないかと思うのだが、そんなことを言うと憲法原理主義者がウッキッキーとなっちゃいそうだな。

 憲法9条を守ると言ったって、結局いまさら自衛隊を廃止するだとか、PKOから撤退するなんてことはできないとなれば、集団的自衛権の問題に関しても実際にやってみてさしたる深刻な問題が生じないならば、やがて既成事実化していくに違いない。

 結局この国ではいつまでたっても曖昧な形でしか決着がつかないのだろう。他ならぬ、それが日本人の意思なのだから。

9月15日

 SEALDsの奥田愛基の国会スピーチがネットにあったので読んでみた。大体想像したような内容だった。つまり、「無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えて繋がっています」という以上、法案のどこが問題なのか、何が問題なのかについての組織としての統一見解がないのだから、それについてはこのスピーチでも一切触れていない。

 スピーチの内容は結局「成果の強調」「手続き上の問題点の指摘」に終始する。それにこの法案に直接関係ない相対的貧困率のことが持ち出されたりしている。


 「今日、私が話したいことは3つあります。

 ひとつは、いま、全国各地でどのようなことが起こっているか。人々がこの安保法制に対してどのように声を上げているか。

 ふたつ目は、この安保法制に関して、現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりに説明不足だということです。端的に言って、このままでは私たちは、この法案に対して、到底納得することができません。

 みっつ目は、政治家の方々への私からのお願いです。」


 全国各地で確かにデモは起きている。しかし、実際行ってみるとわかるのだが、デモ隊の中で若者や一般人とおぼしき人は極めて少数であり、大半はあちこちの組織から動員されてきた人たちで埋め尽くされている。人数に関して主催者側の発表と警察の発表が大きく異なるのは今に始まったものではない。昔からさんざんネタにされているので省く。

 たしかにSEALDsがデモを企画したことで、多くの一般人がこの問題に関心を寄せるきっかけを作った面はあると思う。ただ、興味を持って実際に行ってみても、昔からの左翼連中の大群のスローガンやシュプレヒコールにがっかりした人も多かったことだろう。

 法案の問題点はここでも明らかにされることはなく、「戦争はんたーーーい!」というあまりにも大雑把で漠然としたシュプレヒコールに加えて、やれ人殺しだのヒットラーだのサタンだの安倍首相に対するヘイトスピーチばかりが目立ったり、そういうわけで、「ふたつ目」の「この安保法制に関して、現在の国会はまともな議論の運営をしているとは言いがたく、あまりに説明不足だ」ということは反対デモをする側にもブーメランになって戻ってくる。

 デモをやっている人たちも何に反対しているのか説明不足だし、またやれ戦争が始まるだの徴兵制がしかれるだの、これまた法案に関係ない方向でデマが飛び交い、デモ隊というよりもデマ隊になってきてしまっている。

 これはSEALDsとは関係なく、集まった連中が勝手にやったことだといえばそれまでだが、デモを企画する側にも管理責任がないとは言えない。


 「第2に、この法案の審議に関してです。各世論調査の平均値を見たとき、始めから過半数近い人々は反対していました。そして月日をおうごと、反対世論は拡大しています。

 「理解してもらうためにきちんと説明していく」と、現政府の方はおっしゃられていました。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、この法案への賛成意見は減りました。

 「選挙のときに集団的自衛権に関して既に説明した」とおっしゃる方々もいます。しかしながら、自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関しては26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行しか書かれていません。

 昨年の選挙でも、菅官房長官は「集団的自衛権は争点ではない」と言っています。

 さらに言えば、選挙のときに、国民投票もせず、解釈で改憲するような、違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案をつくるなど、私たちは聞かされていません。

 私には、政府は法的安定性の説明をすることを、途中から放棄してしまったようにも思えます。

憲法とは国民の権利であり、それを無視することは、国民を無視するのと同義です。

 また、本当に与党の方々はこの法律が通ったらどのようなことが起こるのか、理解しているのでしょうか。想定しているのでしょうか。

 先日言っていた答弁とは全く違う説明を、翌日に平然とし、野党からの質問に対しても、国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。

 このような状況で、いったいどうやって国民は納得したら良いのでしょうか。」


 一番いい納得の仕方は、この法案は官僚が書いたもので、結局自民党の政治家はもとより安倍総理自身もそんなに深く理解しているわけではない、ということではないかと思う。残念ながらこれが今の日本の政治の現実で、国会議員にあまり多くのことを期待しても無駄なのだが、まだ希望を持っているところが彼らの若さなのだろう。


 「いったいなぜ、11個の法案を2つにまとめて審議したか。その理由もわかりません。ひとつひとつ審議してはダメだったのでしょうか。全く納得がいきません。」


 これはいい指摘だ。要するに抱き合わせ商法を狙ったのだろう。集団的自衛権だけだと憲法上いろいろ議論が出てしまうし、中国の脅威の受け止め方にも国民の間でかなり温度差があるから、それだけで法案を出しても成立は難しい。だから、PKO活動への参加といった、既に既成事実になっているものを恒久法化する法案と抱き合わせにして出したのではないかと思う。

 最後に、


 「私は毎週、国会前に立ち、この安保法制に対して、抗議活動を行ってきました。そして、たくさんの人々に出会ってきました。その中には自分のおじいちゃんやおばあちゃん世代の人や親世代の人、そして最近では自分の妹や弟のような人たちもいます。

 たしかに「若者は政治的に無関心だ」と言われています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。

 私は、彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人と言われる超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。いまこそ政治の力が必要なのです。どうかこれ以上、政治に対して絶望してしまうような仕方で、議会を運営するのはやめてください。」


と言うが、SEALDsのみんなも一応大人なのだから、政治家に注文をつけるだけでなく、どうすればこの状況を変えられるのか考え続けなければいけないと思う。もちろん、俺も人のことは言えないし、ほとんど何もしていないに等しいが、でも一人ひとりの小さな積み重ねしか結局ないのだと思う。

 今回のSEALDsのデモの企画は世間的にも大きな注目を集めたし、それだけにいろいろな問題点も露呈したと思う。だからこそこれで終わりにしないで欲しい。政界に打って出るもよし、新しい産業を興すのもよし、新しい時代の新たな政治理論を探求するのもよし、やらなければならないことは山ほどある。

 昔の左翼はよく、「外圧を利用して変える」なんてことを言って、中国や韓国にあることないこと吹き込んで回っていたが、大事なのは自分たちを変えることに他ならない。西洋のパクリではなく、日本のオリジナル文化を自ら創造し、今度は日本が世界をリードしてゆくんだというくらいの意気込みを持って欲しい。

 個人的には「親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。いまこそ政治の力が‥‥」ではなく、ここは民間の力が必要だと強調してもしすぎでないと思う。親方日の丸おんぶに抱っこでは経済は浮上しない。

 今の国会を変えるには、政策決定機関が結局官僚以外にないという今の状況を変えていかなくてはいけないと思う。政党やあるいは民間でも政策立案能力を持つ団体を作っていき、良い意味で競争し、切磋琢磨できるような状況を作らなくてはいけないと思う。

 まあ、検索にも掛からない絶海の孤島のこのHPで、何を言っても無駄ではあるが。

9月1日

 このホームページはグーグル検索では出てこない。本当に公開されているのだろうか。アクセス解析も有料にしないと駄目みたいだし、多分まだ誰も来てないんだろうな。

 いつの間にか国会前のデモが3万人規模になって、フランス革命だなんて言っている。そうなると、この俺はギロチンか、なんてことはないにしても、もう一度この問題を整理しておこう。
 多分読む人は誰もいないと思うが、ただ個人的な鬱憤晴らしのために書いておく。
 とにかく、安全保障関連法案の一番の問題点は、その内容にではなく、民主主義国家として、立憲国家として当然為すべき手続きをしていないということだ。
 重要な問題の決定には国民の同意が不可欠であり、まして憲法に抵触する恐れのある事柄については、基本的に憲法を改正してから行うべきだ。
 憲法改正の動議を行えば、当然憲法に基づいて国民投票を行わなくてはならないことになる。そこではっきりと民意が下された上で行わなくてはならない。
 通常の衆議院選挙では、安全保障問題だけを争点にはできないから、経済だったり政局の安定だったりお灸をすえるためだったり、様々な要素で議員や政党を選んでいるため、選挙で勝ったからといって民意が下ったわけではない。そもそも公約やマニフェストやアジェンダに全面的に賛成した上で投票しなくてはならないとしたら、それこそ投票率0パーセントになる。
 おそらく憲法改正の動議が為されれば、かなりの接戦になるに違いない。だから自民党の野党もどちらも勝つ自信がない。だから一方では何とかごまかして憲法解釈の変更ということで乗り切ろうとするし、反対する側も国民投票で確実に否決できる自信がないから、憲法改正の議論そのものを拒絶し続けている。本当なら憲法改正の国民投票を行い、堂々と否決すればいいのだが、やはり自信がないのだろう。結局デマを流して大衆を扇動することしか思いつかない。
 安全保障関連法案の二番目の問題点は、二つの異なる法案を抱き合わせにして議論を混乱させていることだ。
 今回は複数の法案を一括して審議しているが、大きく分けて集団的自衛権の行使に関するものと、国連平和維持活動を時限立法ではなく恒久法化しようとするものとに分けられる。憲法解釈が問題になるのは前者であり、後者は既に行われているPKOなどを追認するためのものだ。
 安倍総理が高らかに宣言した積極的平和主義は後者にかかわるもので、この方面に関しては反対するものは少ないのではないかと思う。一方、集団的自衛権に関しては、中国の脅威をどう評価するかで意見が分かれる所だろう。
 この二つを抱き合わせにすることで、一方では国連平和維持活動の際に受けた攻撃に対して集団的自衛権があるかのように誤解され、海外で無制限に戦争ができるようにするいわゆる「戦争法」だということになってしまう。
 もっとも、共産党が「戦争法」だとか「アメリカのはじめる戦争に参加させられる」とか言っているのはもう少し狡猾で、これは共産党がこれまでPKOに反対してきたのと同じ論理で、国連平和維持活動といっても実際は中国やロシアの拒否権にあって国連軍が組織できないため、実際にはアメリカを中心とした多国籍軍がこの任務に当たっていることを指して、「アメリカが始める戦争」と呼んでいるからだ。だから、本来なら集団的自衛権の問題と関係なく、この法案が「戦争法」であり、「アメリカのはじめる戦争に参加させられる」と言うことができる。
 民主党が徴兵制の問題を持ち出したのは、まったくこの法案に関係なく、単なるデマゴーク。論点をずらそうとしているだけ。
 SEALDsに至っては、これは政治団体というよりイベント企画団体といったほうがいい。つまり、組織として明白な主張があるわけではなく、ただテーマを決めてデモを企画運営しているだけ。この法案のどこが問題かなんて彼らに聞くのは無意味といっていいだろう。まあ、一番の問題が憲法改正の手続きを踏まずに、民意を問わずに立法化しようとしているところにあるから、理由が何であるかにかかわらずこの法案そのものに反対するという態度は間違っていない。
 明白な主張がないから誰でも参加できるということで、様々に分裂対立している左翼系政治団体や労働組合などが敵味方関係なく参加できるというので、デモ隊があのような数に膨れ上がったのだろう。
 反対の理由は問わないのだから、もちろん俺があのデモに参加しても良かったんだが、ただ実際は動員力のある団体の声が大きくて、少数派の反対理由などはどこかへ消し飛んでしまい、かえってお前もあいつらの仲間かと言われてしまうだけだからやめておく。

8月30日

 戦前の国際連盟の無力さを考えるなら、国連が何らかの武力を持って紛争を鎮圧できるようにするという考え方は画期的だった。
 しかし、国連もまたたくさんの国の集まりで、それぞれの国にはそれぞれの立場があるから、結局一致した行動はほとんど不可能で、その無力さが暴露されてきた。
 実際はアメリカ主導の多国籍軍が組織され、それに中国・ロシアが距離を取る形になっている。今の所、民主主義と人権の大義名分はアメリカの側にあり、そのため安倍首相の70年談話で表明した積極的平和主義もアメリカを中心とする旧西側諸国の立場に偏らざるをえなくなっている。たしかに中国やロシアよりはましだと思うが、そうは思わない人たちもたくさんいる。国会前で騒いでる人たちは、基本的には反米主義者たちなのだろう。
 一つの世界という幻想は、日本だけでなく、今も世界に様々な不安をもたらしている。イスラム圏も民主化はしたいが、それが即西洋化につながるのを警戒している。中国も孔子文化賞を作ってノーベル賞に対抗しようとしたり、今回のAIIBも世界銀行に対抗しようとしているのか。中国が中心でもいいじゃないかという所で突っ張っている。ロシアもまた西洋とアジアの中間で独自性を保とうとしている。
 誰もアメリカが世界を征服するなんて思っていないが、アメリカ主導で一つの世界が形成されることに脅威を感じる人は多い。
 まだまだ理想とは程遠い今の国連だが、だからといって後戻りするのも危険だと思うなら、今はアメリカ主導のやり方についていきながらも、それが暴走しないように監視し、意見できるような立場に身を置くしかないだろう。ずるずるべったりで着いて行くのも危険だし、だからといって背を向けて、民主主義と人権をないがしろにしている国に着いて行くのはもっと危険だ。
 積極的平和主義は日本が世界の中で正義を貫けることが前提になる。ここで言う正義はプラグマティックな正義で、最大多数の最大幸福、つまり全世界に平和と豊かさをもたらすことに他ならない。
 多分、今憲法改正法案を提起しても国民の過半数の支持を得られるかどうかは微妙だ。自民党もそれがわかっているから、今回のような解釈の変更という姑息なやり方になったのかもしれない。
 今回の安全保障法案への反対運動がここまで盛り上がったのは、結局は今の自民党ではアメリカずるずるべったりになるという不安が大きいからなのだろう。ただ、だからといって一切国際貢献に背を向ければいいというものではない。
 単なる反米は何でも反対党のすることで代案がない。アメリカが駄目なら何がいいのか、と言われても中国やロシアはもっと悪い。ならば日本がアメリカを越えるしかない。越えられなくてもアメリカが暴走したときにはブレーキをかけるくらいに成熟した国にならなくてはいけない。それだけのしっかりした理念が持てるなら、そのときこそ憲法を改正し、積極的平和主義を高らかに宣言すべきだ。
 積極的平和主義という考え方そのものは悪くない。日本だけでなく世界が本当に平和になるには、ただ反米を叫ぶだけでは駄目で、反米ではなく超米である必要がある。そのためにも国際平和維持活動への積極的な参加が望まれる。
 いたずらに戦前の侵略戦争を思い出させ、恐怖で人を操ろうなんてやり方も、ただ反米感情を煽るだけのやり方も、今の時代には通用しないことを早く知るべきだ。

8月29日

 自衛隊の国際貢献の機会が増えれば、当然それだけの人員が必要になる。だからといって細野氏が言うような徴兵制の導入はいかにも飛躍した考え方だ。
 まず、国際貢献活動には国際社会のルールや紛争当事国の事情・文化などをきちんと理解しているメンバーで構成される必要があり、ただ鉄砲持たせて送り込めばいいというものではない。
 その鉄砲にしても、今日では兵器のハイテク化が進み、素人が簡単に扱えるようなものではない。だからといって長い研修期間を設けて、専門知識を叩き込んでからということになると、今度は兵役期間が長くなりすぎて、その分通常の仕事や勉学がおろそかになるから、経済の方に影響が出る。
 大体、やる気のないものを無理やり動員しても、士気は上がらないし、モラルも下がり、現地で何やらよからぬことをしでかしたりして日本の評判を下げることにもなりかねない。
 土木工事に付随する単純作業をやらせる程度だったら、徴兵された兵士でもできるかもしれないが、それなら現地の安い労働力を活用した方がいい。
 徴兵などしなくても、傭兵を雇うという考え方もある。何しろ日本の場合最前線に送り込まれる心配がないから、安全で確実に稼げるということで人気が出るのではないか。
 単なる領土拡大の戦争とは違い、世界のあちらこちらで起きている紛争を抑えるための警察的な役割を担った戦争では、世界平和に向けての並々ならぬ情熱が要求される。そういう場面でとにかく徴兵制なんてのは有り得ないと考えた方がいい。むしろSEALDsの若者たちのような人こそこういう場に来て欲しい。
 日本は戦後70年平和な時代が続き、繁栄を謳歌してきた。しかし世界ではまだいたるところで戦争が起きている。平和への情熱は日本以外でも生かせる場所はいくらでもある。
 今でも徴兵制が残っているヨーロッパの国はいくつかあるが、徴兵制廃止は世界的な趨勢だ。日本がいまさら韓国や北朝鮮と同レベルのことをする必要はない。

8月27日

 どうやら安倍首相の続投は決まりそうだ。その一方で維新の会はまた分裂か。
 大衆を先導するときに恐怖を利用するのは普通のことだが、さすがにあの太平洋戦争の恐怖を呼び起こすのも時代錯誤なのか、庶民はいたって冷静だ。
 徴兵制なんてことは今度の法案に一言も書いてないばかりか、ほのめかすような文言もない。民主党の細野豪志政調会長が、国際貢献等で自衛隊の任務が膨れ上がると自衛隊員が不足するから徴兵制が必要になるというようなことを言ったのがネットで拡散され、いつの間にかいかにも安倍が徴兵制を敷こうとしているみたいに尾ひれが付いてしまっただけだ。
 それに、「日本が戦争をする国になる」と言うが、自衛隊ができた時点でいつでも降りかかった火の粉を振り払うための戦争はできる状態にあるのだから、何を今さらだ。それが集団的自衛権を認めるということになると、日本近海で日本を守っている同盟国(米国以外には考えられないが)が攻撃を受けた際にも、日本が攻撃を受けたとみなすという条項が付け加わる程度のものだ。
 問題となる法案というのは、多分これのことだろう。


国家安全保障基本法案 (概要)

第10条 (国際連合憲章に定められた自衛権の行使)
第2条第2項第4号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない。
一 我が国、あるいは我が国と密接な関係にある他国に対する、外部からの武力攻撃が発生した事態であること。
二 自衛権行使に当たって採った措置を、直ちに国際連合安全保障理事会に報告すること。
三 この措置は、国際連合安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置が講じられたときに終了すること。
四 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、その国に対する攻撃が我が国に対する攻撃とみなしうるに足る関係性があること。
五 一号に定める「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃については、当該被害国から我が国の支援についての要請があること。
六 自衛権行使は、我が国の安全を守るため必要やむを得ない限度とし、かつ当該武力攻撃との均衡を失しないこと。
2 前項の権利の行使は、国会の適切な関与等、厳格な文民統制のもとに行われなければならない。


 これを読む限りでは、この法律はアメリカが「始める」戦争に巻き込まれるかどうかについて何も書かれていない。ここで想定されているのは「我が国と密接な関係にある他国」(遠まわしにアメリカのことを言っているのだと思うけど)が武力攻撃を受けた場合、つまりアメリカが「始める」のではなく、アメリカに対して始められた戦争しか想定されていない。
 「安全保障法制整備に関するQ&A(自由民主党)」によると、


 「これまでの憲法解釈の下で行使できる個別的自衛権や、既存の法制度の下では、例えば、日本近海の公海上で活動している米国の艦船が仮に他国から武力攻撃を受け、自衛権を行使して対処する場合、日本は何もできないという制約があり ました。
 このようなことから、今回の閣議決定が行われました。」


とある。つまり具体的には、日本の周辺にいる米軍が攻撃を受けた場合、日本が攻撃されたと同様に考える、という意味のように思われる。
 ただ、アメリカの艦船が日本とはかけ離れた所で攻撃を受けるということは確かにいつでも起こりうることで、これに対して集団的自衛権を発動することは法案をかなり極端に拡大解釈すればありうるかもしれない。
 例えば、中東でアメリカの艦船がミサイル攻撃を受けた場合、日本は石油の安定確保が困難になり国民の生存を脅かすだとかいう理由で「必要やむを得ない」と解釈する可能性。
 あるいはアメリカを攻撃した国が、かつてのイスラム帝国の再現をもくろむ国で、これを放置すれば中東地域のみならず将来世界中がこの国の侵略の危機にさらされ、日本も例外ではないという理由で「必要やむを得ない」と解釈する可能性。
 ただ、どちらにしても「その国に対する攻撃が我が国に対する攻撃とみなしうるに足る関係性がある」と言えるかどうかとなると、かなり無理がある。
 集団的自衛権は確かに憲法違反になる可能性が高い。だから、こういうことはまず憲法改正を行ってからすべきことであるのは言うまでもない。ただ、間違ってはいけないのは、違憲かどうかを決めるのは政治家でもなければ、まして憲法学者でもない。違憲の判断を下せるのは裁判官だけだ。
 選挙のたびに出される何増何減法案と一緒で、国会は一票の格差をほんの少し縮めるだけのおざなりの法案を可決することはできるが、裁判所はそれに違憲の判決を出すことができる。
 安保関連法案に関しても、成立後訴訟が起こり、裁判所が違憲の判断をする可能性はある。そうなると、せっかく作った法律も使えない法律になる。それならば、先にきちんと憲法を改正した方がいい。

 日本が「アメリカの始める戦争」に巻き込まれる可能性のもう一つは平和維持活動で、後方支援のはずが戦闘に巻き込まれると言う可能性だ。「国際平和支援法案」のこの部分だろう。


第一章 総則
(目的)
 第一条 この法律は、国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動を行い、かつ、我が国が国際社会の一員としてこれに主体的かつ積極的に寄与する必要があるもの(以下「国際平和共同対処事態」という。)に際し、当該活動を行う諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等を行うことにより、国際社会の平和及び安全の確保に資することを目的とする。
(基本原則)
 第二条 政府は、国際平和共同対処事態に際し、この法律に基づく協力支援活動若しくは捜索救助活動又は重要影響事態等に際して実施する船舶検査活動に関する法律(平成十二年法律第百四十五号)第二条に規定する船舶検査活動(国際平和共同対処事態に際して実施するものに限る。第四条第二項第五号において単に「船舶検査活動」という。)(以下「対応措置」という。)を適切かつ迅速に実施することにより、国際社会の平和及び安全の確保に資するものとする。
 2 対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない。
 3 協力支援活動及び捜索救助活動は、現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が行われている現場では実施しないものとする。ただし、第八条第六項の規定により行われる捜索救助活動については、この限りでない。
 4 外国の領域における対応措置については、当該対応措置が行われることについて当該外国(国際連合の総会又は安全保障理事会の決議に従って当該外国において施政を行う機関がある場合にあっては、当該機関)の同意がある場合に限り実施するものとする。
 5 内閣総理大臣は、対応措置の実施に当たり、第四条第一項に規定する基本計画に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督する。
 6 関係行政機関の長は、前条の目的を達成するため、対応措置の実施に関し、防衛大臣に協力するものとする。


 ここには国連が行う平和維持活動だけではなく。国連決議に基づくアメリカ主導の多国籍軍の活動も含まれるから、これを「アメリカが始める戦争」だと言えなくもない。
 ただ、ここでは戦闘行為は禁じられている。捜索救助活動も拉致された邦人を助けるためのものではなく、「遭難者」と記されている。
 こうしたアメリカの始めた多国籍軍の戦争に巻き込まれるとしたら、それは戦闘地域外で協力支援活動を行っている所に急に戦線が拡大されて、逃げる暇もなく巻き込まれる場合、戦闘地域外で敵方を支援するテロ組織に襲撃される場合などが考えられる。
 この時、自衛のために応戦したままずるずるとこう着状態に陥ると、ほとんど参戦していると変わらない状態になる。いわば泥沼にはまった状態になる。
 こうしたリスクはもちろん多国籍軍の活動だけでなく国連の活動でも存在する。だからといって一切自衛をせず、やられっぱなしというのも大きなリスクだ。
 もちろん自衛隊を一切海外に出さないと言うのであれば、海外で戦争に巻き込まれるリスクはないし、その選択肢は当然存在する。つまり、「国際社会の平和及び安全を脅かす事態であって、その脅威を除去するために国際社会が国際連合憲章の目的に従い共同して対処する活動」そのものを否定するなら安全は確保できる。
 殺人は人々の生活を脅かす恐ろしい暴力。だからそれを食い止める警察も殺人犯に負けないだけの暴力の行使が認められている。戦争も世界の多くの人々脅かす恐ろしい暴力だから、それを食い止めるにも暴力装置が必要になる。日本が参加しなくても、世界のどこかの国がそれをしなくてはならないし、現に行っている。戦争を食い止めるのも一種の戦争だ。
 日本がそういう意味で戦争をする国になるのかどうかが問われているのであって、日本が侵略戦争を始めるだとか、アメリカの侵略戦争に付き合わされるだとかいうことが問題になっているのではない。

 まあ、安倍ヒットラー打倒を叫んだ所で、憲兵に捕まるわけでもなければアウシュビッツに連れて行かれるわけでもない。安全なところで憂さ晴らしというのはどこの国でもあることだ。ただ、原発の危険はリアルだが、徴兵制や侵略戦争にはほとんどリアリティーがない。踊らされないように。

8月25日

 株価は下げた後反発して一時プラスになったので、下げ止まったかなと思ったが甘かった。

 最近の韓国での元従軍慰安婦の発言の中に「今でも父を恨みます」と言っているあたりに、これが軍の強制連行によるものではなく、、ある種の闇のブローカーによる人身売買だったことが垣間見られる。親に工場で働くと騙されて、行ってみたら従軍慰安婦で、、もはや逃げることもできなかったという。

 戦前の日本でも人身売買が行われていて、貧しい家の娘が赤線に売り飛ばされるのはよくある話だった。韓国でも事情は同じようなもので、そうやって妓生 (キーセン)になった女性も数多くいたのだろう。そうした中で暗躍する人身売買ブローカーたちが旧日本軍の従軍慰安婦の募集を見れば、これは特需と飛びつくのも無理はない。

 兼ねのためなら娘をも売るような悪い親はどこにでもいたし、昔は多産多死だったから子供の一人や二人いなくなってもそれほど悲しくなかったのかもしれない。むしろ貧しい家では口減らしだったのだろう。

 ただ、もちろん人身売買となれば、買う方にも責任はあるから、旧日本軍がひそかにそういう方法で従軍慰安婦をかき集めていたとすれば重大な問題であることには変わりない。証拠を残すようなへまはやってないだろうけど、国民の供出したなけなしの金をそんな所で使ってたのは、同じ日本人として恥ずかしい。

 ましてその女性たちを公費で船に乗せて戦地に運び、そこで肉便器となれば、やはり国辱以外の何でもない。

 従軍慰安婦の問題は、単に軍による強制連行があったかどうかの議論に終始しているところがある。強制連行がなかったからといって白というわけではない。


 日本は今でも児童買春大国で、世界的にも問題になっている、といってもピンと来る人は少ない。これは「児童買春」という堅苦しい用語のせいで、「援交」と言えば誰でもわかるのではないかと思う。

 何やら最近援交の中心が新宿から秋葉原に移っているらしい。これはきちんとした対策をとらないと、秋葉がやくざ恐くて歩けない町になってからでは遅い。漫画アニメの聖地がこういう仕方で汚されてゆくのは、文化的にも観光面でも大きな損失だ。


8月24日

 先週からの株の暴落は心も財布もへこむ。
 安倍バブルの崩壊だという人もいるが、安倍さんにそんな世界の株を大暴落させる力なんてない。そもそも、日本の株はドルに連動して上がっていただけで、今回も急速な円高を差し引けば、そんなに下がってはいない。
 アメリカの利上げ観測で、そろそろ株高も終わるだろうと思われていたところに中国株の大暴落が重なって、予想よりも早く株が下がってしまったのだろう。
 もちろん、日本の政府がこんなときにあの姑息な法案を通して面子を保つことだけに専念して、身動き取れないとしたら情けない。
 戦後70年談話も玉虫色というのか、
 「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。」
の文言には主語がなく、どこの国がこれをやったのかが示されていない。
 「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」
 この文章も従軍慰安婦を指すわけではなく、これだと戦争のどさくさでレイプされた人たちも含まれるし、それもどこの国がやったと限定されているわけではない。従軍慰安婦には日本人もいたから、被害者もまたどこの国の人とは特定できない。あくまで一般論として、戦場では殺し合いだけでなく、女性たちに対する暴力も行われていたという、至極当たり前なことを言っているにすぎない。
 とにかく、誰がやった誰がやられたではなく、これからはそういうことのない世界にしなくてはならない。そういうわけで、「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」というのがこの談話の骨子のように思える。
 「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて」
というのは、要するに中国を排除して、主に欧米諸国と手を携えて、という意味なのだろう。この文章は、
 「『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。」と続く。ここにアメリカを中心とする同盟国と連携した平和維持(後方支援)活動への参加と集団的自衛権の行使が宣言される。それはいいから、ちゃんと憲法改正の手続きをして、国民の信をとった上でやったほうがいいと思う。
 昔の右翼は、あくまで世界は弱肉強食、世界がやがて一つになるならそれは日本が消滅するか日本が天下をとるかのどちらかだみたいな感覚で、日本の軍備はあくまで独立したものでなくてはならず、当然そこに核保有も含まれ、日本一国で世界に対峙することを考えていた。それに比べれば、今の集団的自衛権の議論は隔世の感がある。

8月17日

 ADSLの終了によって閉鎖されていたホームページが、ようやくここに復活。

 よろしく。

8月16日

 これもあとから日記。

 8月15日の夜、伊豆へ星を見に行った。

 夕方のまだ暗くならない頃家を出て、途中秦野の博多山笠で夕食を食べた。

 246でそのまま御殿場から沼津へと抜け、西伊豆スカイラインの土肥駐車場を目指した。

 船原峠までは天気が良く、車の窓から星が見えていたのだが、そこから更に山を登ってゆくとガスがかかり、前も良く見えなくなる。そんな中でなにやら光るものが。鹿だ。

 スピードを落とし、ゆっくり車を走らせると、あたりに二、三頭の鹿が確認できた。がさがさと音がし、ビイという声が聞こえる。


 びいと啼く尻声悲し夜の鹿  芭蕉


という句を思い出したが、実際は悲しそうではなく、車が来ても動じずに悠然とあたりの葉っぱを食べていた。

 ここでは星が見えそうもないので、引き返して空が見えるところで車を止める。

 視界は木々で限られていたが、星は十分見えた。天の川を見たのは何十年ぶりか。ペルセウス座流星群のピークは13日だったが、それでもいくつか流れ星が見えた。

 雲が引いたようなので、土肥駐車場の方へ行った。また、当たり前のように鹿がいた。そういえば鹿除けの電気柵で事故があったのも西伊豆だったか。

 駐車場からは海が見えた。ここは視界がいい。天の川も流れ星も良く見えた。他にも車が止まっていて、星の写真を撮っていた。

 やがてまた雲が出てきて星が見えなくなったので立ち去り、さっき車を止めた所に移動した。

 このあと土肥の方へ降り、海岸沿いに沼津の方へ引き返した。途中、碧の丘で車を止め、また星を見た。

 帰りは海岸沿いをずっと通って沼津に出、そのまま246を引き返した。家に帰ってきたのは朝だった。なかなかいい体験になった。

8月13日

 これもあとから日記。

 そごう横浜店へ写真展「岩合光昭の世界ネコ歩き」を見に行った。babel bayside kitchenで昼食。

 そのあとみなと未来へ行き、「踊る?ピカチュウ大量発生チュウ!」を見に行った。ピカチュウお散歩、ピカチュウスーパーダンスユニットショーを見て、横浜赤レンガ倉庫へ行き、ピカチュウ ダンス・ダンス・ダンスを見た。

 馬車道タップルームで夕食。


8月12日

 あとから日記。

 渋谷ヒカリエへ岩合光昭写真展「ふるさとのねこ」を見に行った。iBeer LE SUN PALMでパンケーキを食べ、マスカットピルスを飲んだ。

8月3日

 これは実は後から書いた日記なのだが、8月2日には三菱一号美術館へ「画鬼・暁斎」展を見に行った。8月2日の日記は7月20日にことを書いているので、ややこしくなってしまった。

 動物の楽しい絵がたくさんあった。ミミズクの絵は普通だったが、フクロウが踊っている絵は面白い。グッズが欲しいな。

8月2日

 久しぶりにどこか歩こうかと思って、7月20日の海の日に、古代東海道の秦野ルートを求めて、平塚から秦野まで歩いたのだが、家に帰ってみるとメールが使えないしホームページも消えているし、何があったかと思ったら、AUのADSL終了でWiMAXに変えたところ、ADSLに付属していたプロバイダメールとホームページサービスが契約切れになってしまっていた。気付いた時には遅かった。
 急遽Gmailのアドレスを取得して、いろいろなサイトに登録してあったメアドを変更したものの、楽天銀行だけはフリーメール不可で、他人名義の口座への振込みができなくなってしまった。
 そうこうしている中、ただでさえ最近日記が遅れがちだったのだが、今回は2週間遅れとなってしまった。

 7月20日、8時くらいに平塚駅を出て古代東海道の大磯ルートと秦野ルートの分岐点と思われる東中原E遺跡(西友平塚店)に向かった。
 途中、平塚八幡宮に行った。参道は静かで、鳥が休んでいた。茅の輪があったので遅ればせながらくぐった。隣に旧横浜ゴム平塚製造所記念館という古い洋館があって、庭にはバラの花が咲いていた。元々は火薬製造所で、同じ平塚の別の場所に立っていたらしい。

 平塚は確か連合軍の上陸予定地点ということで空襲にあったと聞いたが、肝心な火薬製造所を逃してしまったのか。戦後は横浜ゴムが払い下げを受けて、2004年にここに移築されたという。公園には平和の慰霊塔も建てられている。
 「一つの世界」という幻想に引きずられ、欧米列強が世界の覇権を競って植民地拡大を続け、日本も遅ればせながらこの地球規模での天下統一の戦いに名乗りを上げたあんな時代はもう二度と来ることがないにしても、結局戦争も軍隊もなくなることはなく、今も国会周辺でごたごたしている。誰も本気で戦争を望んでいるわけではないのだろうけど、平和への方法論の違いからか互いに疑心暗鬼になり、売


り言葉に買い言葉みたいな極端な声が出てきてしまうのはなんとも見苦しい。
 そんなことを思いながら8時38分、ようやく西友平塚店に着いた。店はもちろん開いていない。古代東海道の位置を記したアスファルトは前に来たときと変わっていない。今日はここからスタート。
 北西に進路をとるのだが、例によってまっすぐ進める道はない。住宅地をジグザグに進みながら渋田川に出る。西にはかすかに夏の富士山が見えた。
 小さな橋を渡るとしばらく富士山に向かって田んぼの中の道を行く。南豊田の交差点に出、豊田本郷からまた西に進む。少し行くと豊中天満宮がある。狛犬はなく、入り口に大正9年銘の文字型道祖神塔があった。
 少し行くと東海道新幹線のガードがあり、その先に鈴川を渡る東橋がある。ここからやや北へ行ったところに木本雅康さんが古代道路の跡ではないかと指摘した岡崎と寺田縄(てらだな)の境界線の道路がある。
 橋を渡ったあたりがその寺田縄で、日枝神社があった。平成11年銘の新しい岡崎型の狛犬がある。
 ここから北へ行くとやや広い道に出て公園がある。そこから鈴川の方へ戻ると牛や豚のブロンズ像がある。豚の石像もあった。平塚食肉センターの慰霊碑のようだ。

 ここから北西にその道がある。道は右左にゆるやかにカーブしていて直線ではないが、もちろん昔のままの道が今も残っているはずはない。
 途中で道は西に進路を変える。そして小田原厚木道路(おだあつ道路)平塚インターの手前で行き止まりになる。このインターを越えるには少し北にある陸橋を渡らなくてはならない。
 この頃には富士山は霞んで見えなくなっていたが、おそらくしばらく道は富士山を正面に進んでいったのだろう。ただ、残念ながら今はまっすぐ進める道はなく、大分南の方にずれてしまい、金目川に出てしまった。河川改修の石碑が建っていて、解説には度重なる洪水被害のことが書かれていた。おそ


らく、古代東海道が大磯ルートに移ったのもそういう事情があったのだろう。
 このあと東海大の湘南キャンパスの方へ登ってゆく道に入る。この頃からかなり暑さが身にしみてくる。東海大の前にはフリーデンの工場がある。♪やまと豚~、やまと豚~、今日も明日もやまと豚~。
 東海大の門を過ぎると東光寺がある。どこかで聞いた名前の寺だが、昔の街道沿いに東光寺は付き物だったのか。このあたりの登りはかなり急だ。
 やがて広畑小学校入り口の交差点に出る。このあたりが昔の稜線だったのだろう。向こう側が急な下りになっている。ここで狭い一方通行の下り坂に入る。ここを下ると下大槻峯遺跡があった辺りに出る。東名高速の工事で発見された幅9メートルの道路遺構があったところだ。
 途中、健速神社がある。狛犬は昭和61年銘の無彩色の岡崎型。
 下大槻峯遺跡のあった辺りは公園のようになっていたが、どこに遺構があったかはよくわからない。
 高速をくぐり金目側のほうへ下りて行くと、正面に山の上が芝生になっている場所が見える。上智大学の秦野グラウンドだ。西へ一直線にということになると、そのグラウンドを突っ切ることになる。行ってみるとグラウンドの下をくぐるトンネルがあり、ここを抜けた頃、ちょうど12時のチャイムがなる。
 ここから先は秦野の市街地だ。30度を超える暑さで、今日は秦野駅で終わりだ。
 西大竹から広い通りに出て、秦野総合高校入り口を曲がると秦野駅に出る。ここで終わりでよかったが、何かお土産をというので、ここから秦野のAEONまで行った。秦野ではなく厚木のビールだが、サンクトガーレンの湘南ゴールドとパイナップルエールとスイートバニラスタウトを買って帰った。

7月18日

 やがて世界が一つになるという前提で、日本は西洋列強に消されないために、西洋列強に対抗できる国になるために富国強兵政策を進めた。そして、西洋の帝国主義、植民地支配に対抗するために、自らも侵略戦争を展開し、アジアの支配をもくろんだ。
 そして、敗戦は当時の知識人たちにとって、日本は西洋に対抗できない、日本は西洋に飲み込まれる、という意味を持っていた。そこで、日本の国家・民族・文化・伝統はもはや守りきれないと判断し、自らの国家・民族・文化・伝統を捨て、西洋社会の一員になることで日本は生き残れると考えた。
 彼らにとって、国家・民族・文化・伝統を肯定することは、日本を再び侵略戦争に導く危険な選択に他ならなかった。
 戦後長い年月が経ち、時代が変わっても、日本人の意識はそれほど変わっていない。
 敗戦国ではなく戦勝国の立場に立った韓国や中国は、大胆に自らの民族・文化・伝統を肯定し、日本にはそれらを否定し続けることを求める。「それがお前らの選択ではないか」というわけだ。
 世界は結局一つにはならなかったし、これからも一つにはならないだろう。それでも日本だけが敗戦国だという理由で、自らの国家・民族・文化・伝統を否定し続けなくてはならないのは何でなのだろうか。
 俺も今回の安保法制には反対だ。こういうことはどうにでもなるような曖昧な解釈で突き進むのではなく、きちんと憲法改正の手続きをとって、世界に日本がどのように国際平和にかかわるのかを明白にするべきだからだ。だからといって日本が今のままでいいとは思わない。
 日本は自らの国家・民族・文化・伝統を取り戻し、世界の多様性の一つとして独自の存在にならなくてはならない。
 俳諧の問題もその一つだ。明治以降日本は西洋文学の観念でもって古典文学を評価するのが当たり前になっていた。日本の文学の独自性を主張することは、文学の権威たちからすれば、もう一度戦争をしようとしていると受け止められることだった。
 そんな閉塞感を何とかして打ち破りたかったが、残念ながら俺一人では力不足だった。
 安保法制の問題でも、どうかみんな冷静に考えて欲しい。日本にはヒットラーなんてどこにもいない。ひ弱な二世議員がいるだけだ。

7月17日

  ピース又吉さんの芥川賞受賞をみると、やはり芸人差別というのは根強いのかもしれない。やっかみ半分の酷評がネットにあふれるのはともかくとして、受賞を祝福しているのが芸能人ばかりで、文学界の重鎮の名前が全然出てこない。芭蕉さんもきっとこんな気持ちだったんだろうな。
 俺はまだ読んでないけど、これだけの社会現象を起こせるのだから、当然それなりのものはあるはずだと思う。本当につまらない小説だったら、ファンだって「えー」と思うはずだ。ただ、お年寄りが内容についていけなかったりというのは、いつの時代でもあることだと思う。

 俳諧の話だが、写生とあるあるネタと何が違うかというと、写生はただ自分が見たものをそのまま語るだけで読者に同意だとか共感だとか共通体験だとかを求めていないが、あるあるネタというのはそれを求めているという点が違う。
 芭蕉の古池の句は単に見たままを詠んだのではなく、あの時代なら古池はそう珍しいものではなく、町外れ、村外れの荒れ果てた風景は多くの人の共通体験というか原風景のようなものになっていて、それを呼び覚ます効果があったのだと思う。
 「そういえばあったね。古池って。」
 「そう、シーンと静まり返った寂しいというか、何か出そうな雰囲気でね。」
 「したら、急に蛙が飛び込んだりしてねwww。」
 「あるあるwww。」
 そんな会話がなされてたのではなかったか。
 「海士の屋は小海老にまじるいとど哉 芭蕉」の句も、去来が「其物を案じたる時ハ、予が口にもいでん」と言うように、いかにもありそうなことだったのだろう。これを今風にすれば、
 「海士の屋あるある言いたいーーー、海士の屋あるある言いたいーーー、
 小エビにいとどが混じってる。」
といったところか。
 『去来抄』には、こうも書かれている。
 「牡年曰く、発句の善悪はいかに。去来曰く、発句は人の尤もと感ずるがよし。さも有べしといふは其次也なり。さも有べきやといふは又また其次也。さはあらじといふは下也。」
 発句は人が「あるある」と思うものが良い。「いかにもありそうだ」というのはその次で、「そんなこともあるかな」というのはその又次、「それはないだろう」というのは駄目だ。
 今の文学者はえてして、他人と共有できないような個人的な特殊な体験を句にして、「だからなんなんだ」という句が多いように思える。それで受けないと、読者のレベルが低いと言って拗ねてしまう。
 小説でも、多くの人に読んでもらおうと思うなら、内容にしても細かい描写の端々でも「あるある」の要素が必要だと思う。芸人がそれに長けているのは言うまでもない。

7月14日

 『芭蕉 「かるみ」の境地へ』( 田中善信、2010、中公新書)を読んだ。
 今まで読んだ芭蕉入門書の中では、一番出来がいいと思う。
 もちろん、「道野辺の槿」の句では写生説をほのめかすような書き方をしたりしていわゆる「俳人」に媚びているし、連句に関しては「連想ゲーム」だという現代連句の文学者たちに媚びている。だが、芭蕉本の読者層というのは結局こういった連中なんだからそれは仕方ないだろう。
 ただ、逆に言えば明治以来の近代文学を支配してきた写生説を、それと言わずにほのめかすにとどめたという所は画期的かもしれない。これまでの本はまず写生説ありきで始まるのが常だった。
 『奥の細道』を書くことが趣味だったというのは、多分ダビンチのモナリザのようなイメージで言っているのだろう。
 「かるみ」は「かろみ」というのが多分の本当なんだろうけど、江戸時代にuとoの交換は頻繁に見られた。江戸時代の人がしばしば人麿を人丸と表記しているのもそのためだ。現代語では「かろみ」とは言わず「かるみ」となる。
 前にもどこかで書いたが、芭蕉の「かるみ」は今日ではラノベ、つまりライトノベルの「ライト」という言葉に受け継がれているのではないかと思う。当時の俳諧が文学から閉め出されてたように、ラノベも未だに現代文学の範疇から閉め出されている。そのあたりも似ている。
 もっとも、近代俳句が西洋文学の影響によって作られた別物だとするなら、未だに「俳諧」そのものはまともな文学とはみなされていない。芭蕉の悲願は未だに達成されていない。
 ただ、今日のラノベでは天和的なシュールネタもありだが、芭蕉の「かるみ」はむしろ日常系の「あるあるネタ」に極まったと言った方がいいかもしれない。
 今日のお笑いでは、たとえば笑い飯の「鳥人」などは天和的なシュールネタといっていいかもしれない。これはわかる人にはわかるが、その一方で「何が面白いのかわからない」というネットへの書き込みを何度か見たことがある。これに対し、日常系の「あるある」は確かに誰でもわかる。
 西洋ではカリカチュアに代表されるように、誇張によって生み出される笑いが主流を占めている。チャップリンなんかも基本は動作の誇張ではないかと思う。パントマイム芸以来の西洋の伝統なのだろう。これに対しマルクスブラザーズはシュールネタを取り入れ、モンティパイソンもこの系譜にあるが、あるあるネタというのは案外日本独自の笑いの世界なのかもしれない。これを確立したのが芭蕉だとしたら、やはり芭蕉は偉大だ。
 自動詞と他動詞の混同は、古くから「佐渡に横たふ天の川」の句で議論されてきたことだが、これが奥の細道の地の文にも頻繁に見られ、漢文の書き下し文の影響だというのは、何で今まで気がつかなかったかというところだ。
 今でもたとえば「コンプレックスが僕を強くした」なんてのは日本語としておかしいが、英語の翻訳であれば自然であるように、中国語の漢文を日本語に直訳した際にも、同様の混乱が起きていたのだろう。
 最後に「俳聖」についてだが、芭蕉の「俳聖」には二重の意味がある。一つは本因坊道策が「棋聖」と呼ばれるような意味での「俳聖」で、これは名人という程度の意味しかない。川上哲治を野球の神様と呼んだり、ペレをサッカーの神様と呼んだりするような意味での「聖」にすぎない。
 もう一つは「非業の死」という意味での神様で、芭蕉は旅で死に、その最後の句にも極楽往生の願いが込められてなかったという意味では非業の死にふさわしかった。芭蕉を祭る神社が建てられたのはそのためだと思われる。
 「俳聖」という言葉の響きだけから芭蕉の神格化なんてことを言うのは、「英霊」という言葉尻をとって戦犯の神格化だというのと一緒だ。(「英」は「はなぶさ」であり、「英雄」ではない。)

6月22日

 多分自民党をはじめとする保守派の人が考えているのは、日本が国際的な平和維持活動に積極的に参加してポイントを稼ぎ、国連常任理事国に推挙されたい。そして、常任理事国になることで、敗戦国から抜け出し、戦後レジームを終わらせたいということなのだと思う。さすがに今さら侵略戦争で世界征服なんて考えるのは、あのイス何とか国くらいだろう。
 ただ、それをやるには当然問題がある。一つは憲法を改正するという問題。ここがあいまいなままだと、日本はどこまでやってどこから先はやらないのかという明確な線引きがなくなるので、国際的な信用を得にくくなる。なし崩し的に憲法解釈だけで突き進んでしまうと、紛争地帯の平和維持活動に参加しても、なし崩し的に内戦の泥沼にはまる危険が大きいから、日本国民だけでなく、世界からの信用も得られなくなる。
 何で自民党が憲法改正を躊躇したのかはよくわからないが、今の状況を見るなら、やはり失敗ではなかったかと思う。ラジオでは、選挙が近いときに憲法改正の話はタブーだからと言っていた人がいたが、それだと結局議員一人ひとりの選挙に影響するリスクを避けたいと言う声に負けて安倍さんがぶれてしまったということなのだろう。どこが独裁者だ。
 憲法でしっかりと活動の範囲が規定されているなら、国際平和に貢献できるやりがいのある仕事に魅力を感じる若者も出てくることだろう。何をやらされるかわからない所に無駄に命を捨てに行く奴なんてのはいない。やるべきことがわかっているなら、それこそあのイス何とか国にだって行きたがる若者もいるくらいだから、自衛隊にもたくさんの有能な人材が集まるに違いない。
 逆に、どこまでやらされるかわからないまま戦場に放り込まれるなら、自衛隊に入る人もいなくなるし、徴兵で無理矢理派遣されてもモラルも士気も下がるばかりで、それこそ日中戦争の二の舞になりかねない。ベトナムへ行った韓国軍を笑えなくなる。もちろん常任理事国なんて夢の夢だ。
 自民党は何としてでも今国会で安全保障関連法案を通そうとしているけど、できれば一度仕切り直ししてきちんとした憲法改正案を準備し、その間に経済の方を何とかして欲しいものだ。成長戦略も「生産性革命」だけでは生産過剰に陥るだけで、生活をより豊かにする「消費革命」の戦略を持たなくては無意味だ。

6月20日

 橋下さんの場合は確かに「強いリーダー」だったが、変革への意気込みばかりで細かい所を詰めてゆく作業がおろそかになり、結局大風呂敷を広げただけで終わってしまったような所がある。リーダーシップはあったが参謀に恵まれなかったという所なのか。
 これに対して安倍さんは「作られた強いリーダー」にすぎない。民主党政権がへろへろになったところで、何とか自民党に票を引き戻そうとしたときに、ちょうど世間の人気を博していたのが橋下さんだったため、自民党は戦略的にこれにあやかろうとした。
 実際あのときの衆議院選挙の戦い方は、完全に橋下さんのお株を奪うものだった。
 第一次安倍政権のときは党内の派閥争いに疲れ果たのか、9月病でいきなり辞任してしまったが、今回は政権奪還のために党内が一致結束できたせいか、強気な態度を前面に押し出し、特に防衛や改憲の問題で維新の会に類似したレトリックを用いて成功した。
 アベノミクスに関しては、当時のエコノミストたちが言っていたことをおおむね踏襲するもので、それほど目新しいものではなかった。安倍さんが経済に疎いことは、安倍さんの発言が、特に用語の使い方や何かで暴露されてきたし、これが安倍さんの発案ではないのは間違いないだろう。
 むしろ多くのエコノミストがおおむね支持できる平均的なものだったため、海外の市場で好感され、日本の復活に期待がもたれるようになった。
 今の日本に必要なのは頑張ってお金をたくさん印刷することだとクルーグマン教授も言っていたし、金融緩和とインフレ誘導はおおむね市場では支持された。その結果円安株高になった。ただし、株高はドル高との連動によるもので、日本の企業がそれほど高い評価を得ているわけではない。
 問題は第二の矢の財政出動で、これはインフレ誘導に成功し、若干のインフレが持続することで税収がアップし、同時に国の借金が目減りすることを見越したもので、デフレ脱却ができないとなればあとに山のような借金を残すだけになる。そして、今の所デフレ脱却の糸口は見えていない。一部の賃上げ報道とは裏腹に給料は下がり続けている。そのため消費意欲は盛り上がらず、輸入品価格の上昇も消費者に転化しにくい状況が続き、かえって小売業を圧迫している。
 もう長いこと日本では「生産性」という言葉がマイナスの意味で用いられている。生産性の向上はリストラにつながるというわけだ。労働時間を短縮するのではなく、労働時間をそのままにして人の数を減らそうとするからだ。
 そのため、労働者は相変わらず消費に時間を割くことができない。働いて寝るだけの生活では消費意欲が盛り上がらないのも当然だ。
 日本は失業したときのセーフティーネットが不十分なため、失業を他の国以上に恐れなくてはならないし、そのために生き残るためには労働者同士で過酷な生存競争にさらされ、出る杭を打ちつけ、常に足を引っ張り合うことになる。そのため、休みたくても休めない。上司の評価以上に同僚からハブられるのが恐いからだ。
 長い経済の停滞は互いが限られたパイを奪い合うライバルだという意識を大衆に植え付け、互いに低賃金長時間労働に縛りつけあうことになる。そこでは嫉妬と排他主義が正義として君臨する。
 こうした社会の空気が生産性向上がもたらすはずの豊かさを抑制している。どこかの宗教団体の言葉ではないが「豊かになりたくない症候群」がはびこっている。生産性が向上しても労働者は互いに豊かになってはいけないんだという観念に縛られて、お互い同じ貧困の平等に縛り付けあっている。これがデフレ脱却を困難にしている最大の要因ではないかと思う。
 第三の矢は成長戦略だが、これもただ生産能力を高めるだけでは生産過剰に陥り、かえって物の価値は下落してデフレになってしまう。成長戦略はまず消費能力を高めることで、消費構造を根底から変えるような消費革命が求められる。
 消費革命は技術革新が前提となるものの、技術革新だけでは駄目だ。消費者が今までと違うこういう生活がしたいという気持ちがなければならない。昨日までの日常が永遠に続くことを望むような社会では消費革命は生まれない。
 高度成長期にはアメリカという手本があった。家には家電があり庭には車がある、そんな生活に誰もがあこがれた。だが、経済大国に成り上がった日本がさらに上を目指すには、外国の豊かな暮らしの後追いというわけにもいかない。いまだかつてない豊かな生活スタイルを自分たちで考案しなくてはならない。
 結局の所、アベノミクスが成功するかどうかは政治家の問題ではない。我々庶民が今よりいい暮らしを望むのか、それとも足を引っ張り合ってみんな一緒に貧しい今の平凡な日常を一生続けるのかという問題だ。
 アベノミクスの反対者は、ほぼ決まって安部を独裁者だと言い、「強いリーダー」の存在そのものに恐怖を感じている。しかし、それは虚像にすぎない。安倍さんは相変わらず党内や支持者層の様々な既得権益の圧力や官僚依存のなかでぶれまくっている普通の政治家にすぎない。アベノミクスは市場から安倍さんに突きつけられている課題にすぎず、安倍さんの手をとっくに離れている。そしてそれを拒むことは安倍さんだけでなく、日本国民全体にとっても大きなリスクであることを知らねばならない。
 経済が停滞すれば嫉妬と排他が正義として君臨する。それは日本だけではない。お隣の韓国も同じだ。そしてこれからはバブルのはじけた後の中国が恐い。だからこそ、こういう国と対等な喧嘩をしてはいけない。日本はいち早くそこから抜け出る必要がある。
 大事なのは「どうやったら早く安倍政権が終わるか」ではない。どうやったら早く停滞から抜け出せるかだ。日本は昔から総理は誰がなっても同じという国だ。安倍政権が問題なのではない。薬屋大助ではないが、敵が誰なのか見誤らないことが大事だ。

6月15日

 安倍首相の支持率がさらに低下しているようで、アベノミクスに反対の人は前からいたが、アベノミクスがどこへ行っちゃったかという感じで止まったままなので、アベノミクス支持者からも見放され始めているのではないか。
 安倍さんはやはり憲法改正論議を貫くべきだったんじゃないかと思う。中途半端に憲法解釈だけで姑息な手を使おうとするから、右からも左からも支持されなくなっている。
 今の状況じゃ株価が2万円をちょい越えたところで上値が重くなるのは仕方ない。それも円安だから相対的に株高になっているだけで、ドル建てだとほとんど上がっていない。株が上がったのではなく現金(日本円)の価値が下がっているだけだ。これが今の日本の実力相応という所なのだろう。そこを突き抜けてゆけるだけの要素がない。それで突き抜けたらそれこそバブルだ。
 経済が停滞すれば、限られた富を奪い合うだけで、誰かが儲ければその分誰かが損する状態になるため、そうなると出る杭は打たれる式の禁欲倫理が台頭し、排他的で嫉妬に満ちた昔の正義に逆戻りする。右肩上がりの時代の自由な雰囲気はもう戻ってこないのかと思うと、やはり俺も歳を取ったのだろうか。

6月11日

 榊原さん(東さん?)の本が話題になっているようだが、まあ、たいていの人は「なんでお前が生きてるんだよ」ってとこなんだろうな。本を書くことはもちろん、生活していること、生きていること、それ自体にみんな憤りを感じずにはいられないんだと思う。そして、司法に関しても、「何で殺してやんなかったんだ」という所なんだと思う。
 そんな本だから、書店で手に取ったりしたら袋叩きに合いそうだな。電子書籍にならないかな。
 今の所読めたのはネットにアップされてた後書きだけだが、そこにこんな言葉があった。

 「それでも、もうこの本を書く以外に、この社会の中で、罪を背負って生きられる居場所を、僕はとうとう見つけることができませんでした。許されないと思います。」

 はっきり言ってこの本を書いても、この社会の中で罪を背負って生きられる居場所はないと思う。絶対に生きられない場所で生きる。殺されなければいけないのに誰も自分が手を下すことを恐れて「生かされている」。きれいごとばかり言って、遺族に共感するふりをして、そんな奴らに生かされ続けている。

 「事件当時の僕は、自分や他人が生きていることも、死んでいくことも、『生きる』、『死ぬ』という、匂いも感触もない言葉として、記号として、どこかバーチャルなものとして認識していたように思います。しかし、人間が『生きる』ということは、決して無味無臭の『言葉』や『記号』などでなく、見ることも、嗅ぐことも、触ることもできる、温かく、柔らかく、優しく、尊く、気高く、美しく、絶対に傷つけてはならない、かけがえのない、この上なく愛おしいものなのだと、実社会の生活で経験したさまざまな痛みをとおして、肌に直接触れるように感じ取るようになりました。」

 つまり、普通の人間が生得的に理解しているような感覚に関して、学習が必要だったということ自体が根本的な問題だったのだろう。ただ、それは一つの障害であり生まれてくるときに選ぶことができなかった。身体の障害なら同情もされただろうけど、人格の障害は目に見えないから誰にもわかってもらえない。自分の意志でそうしているようにしか見えない。
 どんな殺人鬼だろうが「生きたい」と思うのは当たり前なことで、そう思わないならとっくに死んでいるはずだ。まだ生きているという事実が「生きたい」と言っているのと同じだ。だから、どんなに過去の自分を責めようが、生きている限り反省しているとはみなされないし、どんなことがあっても許されることはないだろう。
 基本的に世間は殺人鬼の気持ちなど知りたくはないし、知ったからどうなるものではない。必要なのは真相ではなく神話だ。基本的には人を殺せば死ななければならない。その因果応報の神話が欲しいだけだ。だけど自分で殺す勇気がないから、生きていても徹底的に無視し、死んだものとして扱い、自分は虫も殺せぬ善良な市民だというポーズをとり続けるしかない。
 だから、「この本を絶対に買うな」「早く絶版にしろ」と騒ぎはしても、だれも君を殺しに来ることはないだろう。ただ誰も殺せないから生かされ続けているあの動物園の象さんのようなものだ。本を書こうが何しようが、それは変わらない。それでも生きたいなら生きればいいし、死にたくなったら死ねばいい。それは最後の自由だ。

6月7日

 渋谷RUIDO K2へMetal Battle Japan 2015を見に行った。
 今日出場する6つのバンドの中から一つ、ドイツのメタルフェスWacken Open Air 2015に出演するバンドを選ぶイベントで、Ethereal Sinもエントリーされているし、他にも面白そうなバンドがあったので見に行った。
 橋山メイデンというメタル芸人が前せつをやっていた。
 最初に出てきたHeavensDustは、和太鼓と普通のドラムとのツインドラムで、笠を被った顔の良くみえない虚無僧風の尺八奏者がいたりしたが、音楽自体はあまり和の要素がない。いわゆるフォークメタルの要素はほとんどないし、尺八の音は控えめで、効果音程度にしかなっていないのがちょっと残念。まあ、この程度の方がアメリカ人にはわかりやすいか。
 次のI Promised Onceは日本人とドイツ人との混成バンドで、なかなか元気のいいバンドだった。
 三番目がEthereal Sin。前にDark Mirror Ov Tragedyを見に行ったときに知ったバンドで一年半ぶりに見る。
 衣装が陰陽師と巫女さんでドイツへ行くことを意識して日本のバンドということをアピールしているのか。それに巫女さんは前に見た人とは違うような。
 ところで、演奏が始まると、あれっ、ボーカルの声が出てない。マイクトラブルなのか。それでも何事もないかのように演奏を続けてゆく。袖の飾りの紐がギターのマシンヘッドに引っかかったりするし、大丈夫かと思ったが、演奏の方はまったく何事もなかったかのように続くので、だんだん声が出てないことも気にならなくなってくる。
 やがて声も復活し、結構盛り上がった。
 次がRe*(リアスタリスク)。女性ボーカルのバンド。迫力でもお色気でもなく可愛い系。  次のVimokshaは名古屋のバンドらしく、スラッシュと紹介されてたが、どちらかというとプログレか。
 次がWARMACHINEで、戦争がテーマなのか。元気のいい演奏で6つのバンドの最後を締めてくれた。
 最後にゲストで出てきた前回優勝のHellhoundはジージャンにサングラスにとげとげという古きよき時代のヘビーメタルの伝統を守っている。マイケル・シェンカーかというフライングVは、ドイツ人も思わず懐かしくなったのではなかったか。
 前回優勝のときに弦が切れて、それでもかまわず演奏をし続けたことを話していたが、これは大事なことだ。その点では、今回のEthereal Sinも立派だ。どんなことがあっても演奏を止めたりしてはいけない。
 最後の曲で「メタル、メタルメタルウォリアー」と唄いだしたとき、あれっ、これ聞いたことがあると思った。思い出した。確か最初に落武者スラッシュメタルのモノノフを見に行ったときではなかったか。後で日記を調べてみたら2009年の6月27日だった。6年ぶりの再会だった。
 そして結果発表。「発表します。センター、さしこ」とフェイントをかましてくれたがすべっていた。Ethereal Sinの優勝。表彰式にはメンバーが素顔で出てきた。やはり知っているバンドが優勝するのは嬉しい。ドイツでも受けるといいな。

5月24日

 市ヶ尾のフクロウカフェ「ふわふわ」に行った。

 ブログ見て、まだ綿毛に包まれたわたわたのススガオメンフクロウのコムタンを見に行ったのだが、ここ2、3日で成長して、大分綿毛が減り、頭のてっぺんにモヒカン状に残っているのと、後は首周りだけだった。フクロウの雛は成長が早い。

 ユーラシアワシミミズクのボブもすっかり大きくなっていた。


5月18日

 昨日の夜はネットの開票速報をついつい見てしまった。開票速報なんてここ何年、まともに見たことがなかったのだが。
 みんなのツイットを読んでいると阪神の試合を見ているような感覚で、結局途中までは勝っていたが最後に逆転負けというお約束のような展開になってしまった。
 結局政策論争が不十分なまま橋下さんが好きか嫌いかの投票になってしまったような所があり、橋下さんもそのことがわかっていたのか、政界引退が本当なら潔い決断だ。アイデアとして面白いというレベルではなく、謹厳実直に実行していけるキャラによってもう一度大阪都構想が練り直されたなら、次は可決するかもしれないが、橋下さんのキャラのままではここまでという所だろう。
 安倍さんの方も支持率低下で、経済の方が既に手詰まりになって久しく、TPPも進む気配がなく、エネルギー政策は時代に逆行するばかりで、防衛方面で国民の目をそらそうとしているだけじゃ無理もない。ここまで既得権に遠慮してたのでは成長戦略など描けるはずもない。去年の秋の日銀のサプライズがなかったなら、とっくにアベノミクスは終わっててもよさそうなものだ。
 震災を機にこのままでは日本が終わるという危機感から変革の機運が高まったものの、それがここに来て結局何も変わらないんだというあきらめに変わりつつある。そんな空気が海外の投資家に伝わったなら、日本は売りだということになる。そうなって株が大暴落すれば、心の底から「ざまー見ろ」と言って祝杯を挙げる人がたくさんいるんだろうな。
 「ざまー見ろ」、そう言ってみんな貧しくなるのを願う人たちがたくさんいる限り、昨日までと同じ日常がこれからも続いてゆくんだろうな。「ざまー見ろ」なんて言葉何度繰り返しても、誰も給料は上がらないよ。
 日本が世界の経済の成長に大きく貢献して世界に豊かさを輸出できれば、歴史問題なんてのは問題ではない。過去を速やかに水に流す日本の文化こそが世界に平和と繁栄をもたらすと高々と宣言すればいいだけだ。
 だが日本が貧しくなり、韓国や中国に逆転を許すなら、正義は彼らの下にある。人を貧しくする文化に敬意を払う人なんていない。

5月9日

 アメリカの正義ということにちょっとばかり説明を加えておこう。
 これは別にアメリカの政策や軍事行動が正義であるという意味ではない。もちろん、広島や長崎に原爆を落としたことが正義だなんて言うつもりはない。
 ただ、最大多数の最大幸福が正義であるなら、それをもたらす文化、制度、法体系、習慣などの中にもその正義を生み出す要素があると考えられる。そして、それらを見習い、真似れば、その国の生産力が上がり、より多くの幸福をもたらすなら、それはプラグマティックな意味での正義に他ならない。
 アメリカや西ヨーロッパ、北ヨーロッパは長いこと日本人も崇拝し模倣し、追いつけ追い越せで西洋化に取り組んできた。それは、欧米が日本より高い生産性を持ち、そのやり方を取り入れることで日本にも高い生産性が実現でき、最大多数の最大幸福につながるなら当然のことだった。
 世界中にアメリカ人のようになりたいという人はたくさんいる。だがロシア人や中国人のようになりたいという人は遥かに少ない。それは単純に豊かさが足りないからだ。
 正義は生産性の高さにある。ゆえに生産性の高い国により多くの正義がある。現時点ではやはり欧米がトップに位置し、日本がそれに次ぐ形になる。それに追いつこうとする韓国がいて、その下に新興国の群れがある。
 世界中の多くの人が日本にあこがれ、日本の文化を学びたいと思うようになったことは、日本の文化が昔から優れていたというよりは、日本がそれだけ豊かになったからだと思った方がいい。
 漫画やアニメが好まれるのは、それが新しい消費スタイルにつながるからで、それによって経済成長が期待できるからだ。ジャズやクラッシックがどんなに優れた音楽であっても、新たな消費を生み出すという点ではポストロックやエレクトロにはかなわない。純文学がどんなに高尚であっても、ラノベに負ける。過去の偉大な文化は次の文化の創造のヒントにはなっても、消費構造を変える力はないし、むしろ消費スタイルを昔の貧しい時代に引き戻しかねない。
 連歌や俳諧の復活が難しいのも、我々はもはやあの時代には戻れないからだ。ただ、先人たちが切り開いた道は、間違いなく今のジャパンクールに反映されている。伝統文化が輝くのは、ただ保存されたそれを鑑賞するときではなく、そこから未知の消費文化が誕生したときだ。
 もちろんこうした考え方には多くの反論があるだろうし、俺自身ですらこのアイデアに心酔しているわけではない。ただ、その理由のほとんどは「古い正義」で説明できる。それは本能だから仕方がない。
 「新しい正義」は本能ではないし、先験的な直観によっては認識できない。ただやってみて結果が良いか悪いかで判断するしかない一つの仮説だ。だから、結果を出している文化に関しては一定の正義があるとみなすことができる。日本も世界に冠たる国になるには、その豊かさにおいて結果を出す必要がある。

5月8日

 『さびしがりやのロリフェラトゥ』(さがら総、2015、ガガガ文庫)は4人の異なる視点で描かれた一つの物語で、珍しくダウンローでして一気に読んで、もう一度読み返した。
 最初は、吸血鬼や宇宙人がいながらほのぼのとした予定調和的な世界を作ることのできないのできないアンチ・ハルヒ的な小説かと思ったが、それぞれの主観が濃くて一体事件の真相はと考え出すと推理ものみたいになる。どこまでがこの世界の「実在」なのか、どこまでがこの世界でも「空想」なのか。ひょっとしたら、時の魔法を使って人間と吸血鬼と宇宙人が仲良くできるまでカケラを紡いでゆくというひぐらし的展開もあるのか。
 複数視点という点では少し前に読んだ『モーテ 水葬の少女』(縹けいか、2014、MF文庫J)も面白かった。特殊な病気の存在する世界という設定がなければ純文学になっていたような小説だ。
 『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(枯野瑛、2014、角川スニーカー文庫)も一巻・二巻と続けて読んだし、まだまだラノベは面白い。
 あと『棺姫のチャイカⅫ』(榊一郎、2015、富士見ファンタジア文庫)、出た~、テロリスト集団チャイカ国w。正しくは「新生ガズ帝国」。後日談かと思って読んでゆくと、最後で‥‥。

 子供向けの単純なヒーローものと違って、ラノベでは「正義」が一体何なのか様々な懐疑にさらされる。
 おそらく人類は普遍的な正義なるものを進化させるにはまだ至っていない。古い正義は嫉妬や妬み嫉みなどで出来上がった、出る杭は打たれる式の平等社会、みんな等しく貧しく、不幸な世界を作るためのもので、新しい正義は最大多数の最大幸福を目指す実験的なプラグマティズムだが、これも神のような理性など望むべくもなくただ試行錯誤を繰り返しながら、結局は経済的な豊かさだけが正義の証明となる。アメリカが正義なのはそういう理由だ。ロシアや中国が反米的な正義を振りかざそうとどんな頑張っても、結局アメリカより豊かになれない。だから世界はアメリカの方が正義だとみなすにすぎない。
 サルにシャーロットという名前をつけることに抗議した人たちは、一体どんな正義があったのだろうか。結局お目出度さに浮かれている人たちが妬ましかっただけなのか。何でもめでたい雰囲気に水さすことに生きがいを感じる人たちというのもいるのだろう。
 前にも書いたが桑田佳祐が勲章をポケットから出しておどけてみせたのも喜びの表現であって、それに不謹慎だ何だ言うのも、勲章をもらえない人の僻みなんだろうな。

5月3日

 ふくろうの聖地めぐりということで、池袋・雑司が谷の次はちょっと遠く、茨城と栃木の県境に位置するふくろう神社、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)へ行くことにした。
 途中、ふくろうつながりで茨城県那珂市にあるふくろう印の常陸野ネストビールの木内酒造本社売店へも寄りたいため、茨城側から行くことにした。
 朝5時出発を予定していたが、何やかやで5時15分くらいの出発になった。
 東名は順調で、首都高は大橋ジャンクション手前で右車線が渋滞してたので箱崎回りとして、何とか順調だった。天気は晴れるという予報だったが、スカイツリーは雲がかかっていた。
 三郷の手前あたりから渋滞しだし、こんな朝早くからと思ったが、やがて道路に霧がかかり、そのためだとわかった。
 水戸インターに着いたのが8時近くで、まず昼食のパンを確保しようと、ネットで事前に調べて8時からやっているというのがわかっているレフィーユブティック赤塚店へ行った。朝早くてサンドイッチ類はまだ並んでなかったが、長いソーセージパンがちょうど焼きあがって出てきた所だった。
 パンを買うと、まずは水戸に来たということでとりあえず偕楽園に行った。
 着いたときにはまだ駐車場もがらがらで、土産物屋も準備中だった。
 東門から入る前に、常盤神社に参拝した。昭和62年の大きな狛犬があった。水府神楽記念碑の前にも岡崎型の狛犬があった。

 東門から入ると、丸く刈り込まれた大きなツツジが目を引く。その向こうに好文亭があったが入れるのは9時からだった。杉林、吐玉泉、藤棚、向学立志の像、孟宗竹林を見て戻ってくる頃には中に入れるようになっていた。好文亭は眺めが良く、昔の人はここで宴会とかやったのだろうか。料理を二階に上げる手動のエレベーターがあった。
 駐車場の方へ戻る途中、御老公と助さん角さんの一行がいた。一緒に写真はいかがですかと道行く人に声をかけていた。みやげ物屋も開いていて、常陸野ネストビールも3種類ほど売っていた。
 水戸を出ると、木内酒造本社売店へ行き、そこでビールや日本酒や梅酒、コースターやグラスなどを


買い込んだ。
 国道118号線は袋田の滝へ向かう車が多いのか混んでいた。東宮から293号線に入るとこっちはがらがらだった。鷲子の交差点を左折すると道の駅みわがあった。結構人が来ていた。太鼓の演奏もあった。
 鷲子山に登る道は狭く茨城側の駐車場は小さくて満車で、栃木県側に止めた。
 日本一の大フクロウというのは境内社の本宮神社にある、四聖獣を刻んだ四つの柱のある丸い台座の上の金ぴかの像だった。金運、特に宝くじに御利益があるようだった。

 拝殿前には一対のフクロウが置いてあった。台座も銘もないがこれも一応狛ふくろうなのか、福運びフクロウという立て札が立っていて、手前の籠にある石をフクロウの前の籠に移すと御利益があるとのことだった。拝殿両脇にも木彫りのフクロウの像が並んでいた。
 鷲子山上神社の方へ行くと、ゴールデンウィークということで春のフクロウ祭り(神社の祭礼ではなく、あくまでイベントとしての祭りだが)をやっていた。フラダンスの人たちが来ていて、軍鶏もたくさん来ていた。売店ではフクロウのお守りなどがたくさん並んでいた。
 楼門も拝殿も古くて立派で本来は格式のある由緒


ある神社なのだろう。拝殿前の狛犬も昭和32年銘のなかなか立派なもので、両方とも頭に宝珠を載せた江戸狛犬だ。ただ境内のフクロウの像はたくさんあるもののどれも新しく、最近のパワースポットブームに乗っかろうとしているあざとさが感じられなくもない。ただ、荒れ果てて無人になりかかっていた神社がこのおかげで再興できたのだから別に悪いことではない。それだけでもここのフクロウの霊力は偉大で、すでに御利益の程は証明されているといっていい。
 ふくろうロードという遊歩道にもこれでもかとたくさんのフクロウの像があり、撫でると御利益があるらしい。フクロウカフェで習ったとおり、前から後ろへ羽の生える向きに逆らわずに軽く撫でるだけにした。
 境内で写真展もやっていて、中に入ると写真だけでなく、右側に野村修一氏のフクロウコレクションの部屋もあり、見ることができた。普段は予約が必要な所なのでラッキーだった。  境内の前を通り抜ける道が狭いので、看板に書いてあったとおり、ここを通らずに栃木側に下り、那珂川町の方へ出てから袋田の滝のある大子へと向かった。
 途中、大子ブルワリーでもビールを買った。茨城のビールは常陸野ネストだけではない。道の駅奥久慈だいごがあったが、満車で入れなかった。
 袋田の滝はさすがに人が多かった。ゆるキャラのたき丸くんがいた。こんな所にも中国人が結構来ていた。
 帰りの高速は思ったより流れがよく、7時半には帰ることができた。

4月26日

 根津神社につつじを見に行った。つつじは身頃だったが、やはりというかとにかく人が多かった。

 その後谷中を散歩した。

 ボンジュールモジョモジョでパンを買い、取り合えず昼飯を確保。

 前に行った猫グッズの店を探した。大名時計博物館の近くだと思ったが、いつの間にか谷中霊園まで出てしまった。ようやく見つけた、そう、ねんねこ屋という名前だったか。そしたらいつの間にかカフェの方がメインになっていた。結局入らなかった。

 このあと、谷中銀座商店街の方へ向かった。狭い路地を行き、谷中銀座に出る少し手前に行列している店があった。ひみつ堂というかき氷屋さんだった。

 谷中銀座では肉の鈴木でメンチカツを食べ、やなかしっぽやで猫の尻尾のような焼ドーナツを食べた。

 だんだんの猫は1匹だけだった。三毛猫で老ネコさんだった。階段の上でビールを買い、さっき買ったパンも食べた。

 昔祖母が住んでいたあたりをまわり、再び谷中墓地に入り、駅のほうへ出た。ショコラティエ イナムラショウゾウでチョコレートケーキを食べた。

 谷中は猫で有名になって人が集まるようになった。人が集まると今度はその人を目当てにいい店が集まる。こういう相乗効果が起きる所はいいのだが、人が集まらなくなって、店も閉店していってシャッターストリートというところが日本のいたるところにある。そうやって二極化してしまうのだろうか。


4月25日

 コリン・ターンブルの『ブリンジ・ヌガグ』を久しぶりに読んでみたくなって、古書をネットで取り寄せた。この本を読んだのはずいぶん前で、生物学に興味を持ち始めたころ、アシュレイ・モンターギュの本か何かに出てきたのではなかったかと思うが、どうも記憶が定かでない。
 人間の社会に幻想だとか魔法だとかを求めない人間にとっては、それほど衝撃的な内容ではない。どこの国でも、我々の社会でもありがちなことがただ極限の状態で露骨に表れてしまっているといったところではないかと思う。
 最初の方で、コリンさんが断崖の道で石に躓いて落ちそうになったときに同行していた二人のイク族がけらけら笑っていたとしても、飢えて痩せ細った老人が立ち上がろうとしてつかんだ腕がするっと抜けて転んだときに本人もその隣にいたひともげらげら笑っていたというのも、それほど理解に苦しむことではない。こんなときには笑うっきゃないだろう。実際にそういう状況におかれたらどう思うかわからないが、ギャグのネタとしては我々の文化でも別に珍しいことではない。「人の不幸は蜜の味」という言葉もあるように、誰かが派手にすっ転んでくれれば、それは確かに笑える。
 また、たくさんの人が上で苦しんでいる中で、ひそかに蓄財する人がいたとしても、我々の文化では別に驚くことではない。アフリカで飢餓で苦しむ人がたくさんいても、せいぜい毛布を送ろうとか募金をしようくらいのとことしかせず、だれも自分の身を犠牲にしてまで助けようとはしないのは、あまりにわかりきったことだからだ。
 狩猟採集民の社会は、いわゆる「出る杭は打たれる」式の平等社会で、ちょっとでも自分だけ豊かになろうとしたり、自分の才能や持ち物を自慢したりしたら、たちまちハブられてしまうような過酷な社会だ。そうしてみんな平等に働いて食っていく社会が、狩猟を禁じられ、定住を強いられ、作物の実らない過酷な土地で濃厚を強いられて、みんなで食べ物を分け合ったのでは全員が餓死するしかないような状況に置かれれば、結局自分だけは何とか食べて生き残ることを考えざるを得なくなる。
 ただ、動物のように強いものが弱いものの食料を取り上げるような、それこそ口の中に入っているものまで奪い取るような露骨な生存競争の世界に逆戻りすることはない。ただ彼らは隠れて食料を貯め込むだけで、表面的には従来の平等社会を維持しようとする。
 それが前に読んだときの印象だったが、今回また読み返してその印象が変わるかどうか。まだ60ページくらいしか読んでないので何とも言えない。
 表紙のカバーにマーガレット・ミードのコメントが乗っていた。『サモアの思春期』も今読めば案外面白いかもしれない。ミードの批判者であったフリードマンも、結局サモア人からすれば余所者だし、どこまで正確な情報を得られたかどうかは疑わしい。ただ、両方とも自分の先入観で都合のいいサモア人を描いてしまったのだろう。こうしたことは人間である以上避けがたい。マスコミの報道と一緒で、どちらもまったくの嘘ではないにせよ、結局正反対の色眼鏡で描かれてしまったということなのだろう。歴史の真実なんてのも結局そういうものだ。
 長い、おそらく500万年以上続いた狩猟採集社会の平等主義が終わりを告げたのは、決してこうした飢餓のせいではないだろう。そんなものは500万年の間に数限りなく起きただろうからだ。イク族も近代化の波に洗われなければ、多少の飢餓の時代があったとしてもやがては元の狩猟採集生活に戻り、平等社会を取り戻していったのだろう。ただ、時代はもはやその逆行を許さなかった。
 文明の誕生は、おそらく人間の遺伝子の中に微細な変異が生じたことによるものであろう。そして、この突然変異は今でも不安定で、それが結局今日でもまだ文明是か非かの議論となったり、テロの原因となったりしているのではないかと思う。

 この間、某テレビドラマを見ていたら、「嫉妬は正義の服を着てやって来る」というような台詞があったが、おそらく人類にとって500万年に渡って嫉妬が正義だった時代があったのだろう。
 完全な平等社会を維持する上で、理性はほとんど何の役にも立たない。人間の幸福量を計測することなんでできないからだ。たとえ食べ物を正確に同じ分量測って配分しても、必要とされる食べ物の量には個体差がある。まして一人一人容姿も能力も異なる女をすべての男に平等に分けるなど無理な話だ。平等はただ、誰かが自分より幸福だということを鋭く感知して、集団でそれを抑制するという「出る杭は打たれる」という原理でしか維持できない。そのために、人類は嫉妬という感情を進化させたと言ってもいいのではないかと思う。
 ただ、500万年に及ぶ狩猟採集社会で進化した感情は、長期に渡って生産性が停滞している状況を前提としていた。
 文明の開始とともに、狩猟採集時代に進化した感情は次第に「正義」とは呼べなくなり、生産性を向上させて豊かになったものに対しては嫉妬しないことが要求されるようになった。嫉妬でせっかくの生産性の向上を無にするのではなく、むしろそれを学び、自らも裕福になろうと努力することが求められるようになった。
 仕事ができる人間が他人より余計に仕事をやらないように周囲の人間から圧力を受けるのは、近代化以前の社会では普通のことだった。江戸時代の日本も、できる男は午前中で仕事を終わらせ、昼真っから酒飲んでるのが粋だった。決して人の二倍の仕事をしてはいけない。それをすると誰かが仕事にあぶれるからだ。停滞した経済では仕事の全体量が増えない。だから、人より多く仕事をすれば、誰かが失業することになる。勤勉は経済成長を前提として初めて美徳となる。
 文明は、生産性を向上させることによって生じる不平等を、プラグマティックな観点から容認することで生じた。しかし、そのプラグマティックな観点というのは理性によるものであって、むしろ我々の自然な道徳感情との対立を引き起こす。
 仕事のできる人間を正当に評価し、多くの報酬を与えるということに、今日でも感情的な反発は避けられない。「そりゃできる人はいいけど、そうでない俺だってせめて努力は認めて欲しいな」というわけだ。
 日本ではこうした自然な感情の声が尊重されるため、しばしば能力のある人間がいじめにあい、ハブられ、ノイローゼになったりする。欧米では逆に理性の声の方が尊重されるため、自分自身の中にある自然な感情を激しく抑圧することで、結局ノイローゼになってしまうのかもしれない。どちらが良いとも言えないが、ただこれから成長するフロンティア諸国にあっては、今ある感情を西洋人みたいに否定しなくても経済成長が可能だという所に、日本への特別な期待感があるのかもしれない。
 自分より幸福な人間が許せず、みんなが平等でなければいけないという古い感情と、多少の不平等はあっても全体が豊かになることの方が大事だという理性との間に、常に越えがたい溝がある。どちらを優先させるかとなると、かつては無条件に前者を優先させていたわけだが、それでは文明は誕生すると同時に激しく叩かれ消されるだけだった。
 ある時から人類は感情よりもプラグマティックな合理性を優先させるようになっていった。プラトンの『プロタゴラス』はその高らかな宣言といっていいだろう。そこには、単なる文化の問題だけでは解消できない遺伝子レベルの変異が起きていた可能性がある。

4月19日

 先日ラジオで秦野市千村の八重桜のことが紹介されていて、なんでも食用の八重桜の生産量が日本の8割を占めているとのことで、時期的にも今しかなさそうなので行ってみた。
 小田急線の渋沢駅では「負けないで」のメロディーが流れていた。丹沢の方へ行くと思われる登山装備のシニアがたくさん降りる駅だった。
 駅のHOKUOで昼食のパンを買い、千村へと向かった。
 緩やかに、いかにも旧道っぽくカーブを描く道は、かつての矢倉沢往還と呼ばれる道で、江戸時代に江戸から足柄峠を越えて沼津へ抜ける道で、大山街道とも呼ばれ、今の国道246の元になっている。
 もともとは古代東海道だったとも言われているが、古代の道はこんな曲がりくねってなくて、どこかに直線的な道が別にあったのだろう。秦野市下大槻の下大槻峯遺跡で9メートルの道路遺構が東名高速を東西に横切る形で発見されているから、おそらくはこの延長で西大竹のあたりから一直線に震生湖の北側を通り、栃窪から篠窪を抜けてゆく道があったのではないかと思っている。それとは別に古くからあった善波峠から伊勢原へ抜ける道と合わさって、江戸時代の矢倉沢往還と呼ばれる道ができたのであろう。
 この旧矢倉沢往還を行くと、家の庭の八重桜の木の収穫をしているのが目に入る。八重桜の花の買い取りの看板もあったりして、農家だけでなく、庭の八重桜も売れば小遣い稼ぎぐらいにはなるのだろう。
 やがて住宅地が途切れると、柵で囲った農地に並ぶ八重桜の木が見えてくる。ここでも収穫作業をやっていた。辺りは静かで鶯の声が聞こえる。しばらく右左に八重桜を見る道を行くと、やがて道は細くなり、切通しの下り坂になる。この辺にくるともう八重桜はないし、このまま行くと四十八瀬川のほうへ降りてしまうので引き返した。
 千村配水場の所に戻ると、秦野市歩こう会の団体さんがやってきて休憩してた。みんな老人のようだったが、みんな元気でおしゃべりしている姿は遠足の子供のようでもある。
 ここから南へ頭高山(ずっこうやま)へ向かう道の脇にも八重桜の林があった。やはり収穫作業をしている。
 途中に泉蔵寺(せんそうじ)というお寺があった。チューリップはやや終わりかけていたが、まだまだたくさん咲いていた。牡丹も咲き始めていた。
 その先には白山神社があった。そのまえから太鼓の音らしきものが聞こえてたので気になったいたが、境内で子供が太鼓を叩いていた。祭りの練習だろうか。
 白山神社には大きな杉の木があり、古びた拝殿の前には昭和57年銘の岡崎型の狛犬があった。
 白山神社の少し先で右に曲がると頭高山の登山道になる。
 しばらくは軽トラが通れるような道が続き、右側の視界が開けると、さっき来た八重桜の林が遠くに見える。

 やがて植えたばかりの八重桜の林があり、東屋と公衆便所があるところに出る。ここからの眺めもいい。とりあえずここで昼食にした。最近になって観光用に整備し始めたようだ。やがてはこのあたりの斜面を八重桜でいっぱいにして、吉野の千本桜に対抗しようというのだろうか。今植えたばかりだから、まだまだ大分先のことだろう。ただ、ソメイヨシノの名所はたくさんあって過当競争気味だが、八重桜の名所は少ないのでなかなか期待できるのではないか。
 八重桜というと、何となく都会の公園ではソメイヨシノの散ったあとで、時期を逃してしまった人が八重桜で花見するようなイメージだが、八重桜自体


は「いにしえの奈良の都の八重桜」と歌われるくらいだから、かなり古くからあったのだろう。もっとも、白っぽい普賢象の方は室町時代からあったと言われているが、濃いピンクの関山は江戸後期らしい。花と葉が一緒に出るあたりも、ソメイヨシノより原種に近いのではないかと思う。八重桜をソメイヨシノの補欠みたいに扱うのではなく、八重桜自体の魅力をもっと見直してもいいと思う。
 その休憩場所から頭高山の山頂はすぐだった。最後の方になると道が二つに分かれ、左が雄坂、右が雌坂のようだが、どちらも道は細くなって、最後は結構急になる。
 山頂には小さな木の鳥居があり、石祠と馬頭観音塔がある。石祠の方はよくわからないが、白山神社の奥院だろうか。だとすると、頭高山という名前は白頭山と関係があるのだろうか。古代東海道が近くを通っていたのだから、このあたりに高麗人がいたとしてもおかしくない。  頭高山を降りると、あの秦野市歩こう会の一団とすれ違った。
 白山神社のあたりまで降りてきたとき、雨がポツリポツリと落ちてきた。早く来て良かった。後はゆっくりと、来た道を戻った。
 駅前の商店街では丹沢祭りをやっていたが、雨が降ってきたのはちょっと残念。商店街の酒屋で桜入りのスパークリングワイン「千村」と金井酒造の桜入りの清酒「やえの華」を買って帰った。

4月14日

 『日本の古代道路 道路は社会をどう変えたのか』(近江俊英、2014、角川選書)は少し前に読み終えた。こういう本はどうしてもかつての貧農史観から脱却しきれないのか、立派な道路を作ったのは国家の威信と官僚の見栄で、農民は搾取され苦労を強いられたという視点になりがちになる。
 実際にはその恩恵にあずかった人たちも当然いたのだろう。それは今の道路建設もそうで、一方では先祖伝来の田畑が奪われ、自然が破壊され、という側面を持つものの、一方ではそれによって建築業界が潤い、またそれを利用することで商業が発達したわけだから、古代であっても、農民には敵であったかもしれないが、その恩恵を受けた商人や職人・芸能などの人もいたことだろう。その辺は後の研究に期待したい。
 最後の方に書かれていた八幡神の起源の話が面白くて、参考文献にあった『八幡神とはなにか』(飯沼 賢司、2004、角川選書)を早速ロードした。
 以前に『なぜ八幡神社が日本で‥‥』なるトンデモ本を掴まされただけに、何だ八幡神社の起源について、こんなちゃんとしたまともな研究があるんじゃないか、しかも一般向けの選書で、と思った。
 これを読めば、何となく八幡神社がなぜこんなに多いのかわかるような気がしてくる。  まず、最初に歴史に登場したのが、南九州の隼人平定のときで、そのときの軍神でありながら仏に帰依することで、戦死者の供養までやってのけたということで、なかなか便利な神様だったということ。
 そして、このことが奈良の大仏建立の際、聖武天皇によって神輿に乗って華々しく都入りしたことで、その宣伝効果も抜群だったこと。ひょっとしたら神輿や狛犬(この時代はまだ木造の神殿狛犬だが)といった、今の神社や祭りの原型がこの頃に生まれたのかもしれない。
 さらに、道鏡事件の時には、一方では道鏡を天皇にしろという宣託を下し、一方では、和気清麻呂に「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」という宣託を下すという両面性を持ち、体制か反体制かを問わず、皇位を左右する存在となったこと。後に平将門が新皇になった時も八幡神が利用されたという。
 この時点で、八幡神は神仏習合、万世一系天皇制の二つの起源にかかわっている。
 そしてさらには新羅の脅威から国を守る神ともされ、日本の国境の画定と合わせると、八幡神は日本そのものの神格化と言ってもいいのかもしれない。
 そして、多分その起源があやふやだったところから、後に三韓征伐に結び付けられ、応神天皇の霊とされるようになったのだろう。最初の起源において帰化人がかかわっていた可能性は否定できないが、新羅起源というのはいくらなんでもでトンデモ説と言っていい。

3月31日

 一昨日のことになってしまったが‥‥。
 朝は晴れていたが、午後からは雨の予報なので、午前中のうちに近所の公園へ花を見に行った。
 花は五分咲きといったところで、それでも人は多かった。このあたりは若い家族が多く子供も多い。やはり公園で子供の声を聞きながらの花見というのはいいものだ。お散歩の犬もたくさん通る。

 花は静かに見るものだというのも御尤もなことで、山桜などはそうしたいものだ。ただ、ソメイヨシノはもともと人工的な花だし、誰もいないというのもさびしいものだ。人の花が咲いてこその花見ではないか。
 取り合えず持参したサンドイッチと、先週横須賀で買った赤米入りの常陸野ビールで乾杯。親父やお袋もどこかで見てるかな。日本は今日も平和だし、子供の笑い声であふれているよ。俺も何とか元気にやっているし、だから心配しないでね。
 午後から市ヶ尾のフクロウカフェ「ふわふわ」に行った。
 エースとボブというふくろうの赤ちゃんを見に行ったのだが、思ったより大きかった。ふくろうは成長が早いのか。アカスズメフクロウのピグちゃんは本当に小さかった。
 帰る頃には予報どおり雨が降っていた。

 昨日は母の命日で、去年とはうって変わって穏やかな一日だった。いろいろ悔やむことばかり多かったけど、そろそろ前を向かないと。

 今日は横浜でも桜の満開宣言。
 ところで、

 賃上げの花が舞い散る春の風  内閣総理大臣安倍晋三

の句だが、本来俳諧では季重なりは嫌わないから、その辺は問題ない。ただ、自分の功をアピールするかのような驕慢な心からか、風雅に乏しい。
 こういう発句に対して脇は、

   賃上げの花が舞い散る春の風
 かぶらの薹の高き日のもと

くらいに受けておくのが無難だろう。
 第三は発句の心を絶って、まったく別の場面に展開させる。

   かぶらの薹の高き日のもと
 あばら家に老いた農夫の朝寝して

てな具合に。

3月22日

 今日は横須賀へ行った。
 汐入の駅で降りてまずどぶ板通りを歩いた。
 延命地蔵尊の隣にライブハウスがあった。
 その先には酒屋があって、常陸野ネストビールがほとんどの種類そろっていた。
 スカジャンや軍服を売っているお店、アイリッシュパブなど、横須賀ならではの雰囲気のあるお店が並んでいる。11時ごろだったがレストランTSUNAMIには行列ができていた。
 どぶいた食堂PERRYで海軍カレーとネイビーバーガーのスペシャルプレートを食べた。

 その後三笠公園へ行き、戦艦三笠を見た。一部足場が組まれてペンキが塗りなおされていた。
 この頃の軍艦はまだ国産ではなくイギリスから買っていたようで、何のかんの言ってイギリスとロシアの代理戦争をさせられてしまったのかな。ロシアは確かに脅威だったかもしれないが、それにかこつけて朝鮮を併合したり清国にまで攻め入ったり、本当に必要だったのか。タイのような静かな独立国でいることもできただろうに。ただ、そのせいでタイはアンコールワットを失ったが。
 平行宇宙というのがあったなら、ひょっとしたらタイが侵略戦争をして、日本が静かな独立国でいる世界もあったのかな。逆に、朝鮮がいち早く開国し


て日本が併合されてしまう世界もあったりして。
 よこすかポートマーケットに行き、再び三笠公園に戻ると、猿島航路の乗り場近くに三毛猫がいた。
 このあと再びどぶ板通りに戻り、さっきの店でビールを買い、ヴェルニー公園に行った。潜水艦が2艘泊まっているのが見えた。
 帰りはJR横須賀駅から横須賀線に乗って帰った。
 桜がほんの少し咲いていた。

3月21日

 二子玉川の玉川大師玉真院へ狛羊を見に行った。
 場所は二子玉川商店街になっている旧大山街道を瀬田方向に行き、上り坂になる手前のサークルKのところを右に曲がったところにある。
 入るとすぐに拝殿があり、その右側の方の道にその狛羊はあった。右側の方はかなり傷んでいて、顔がよくわからないが、左側の方は目鼻がわかる。阿吽はない。

 空海(弘法大師)の『秘密曼陀羅十住心論』のうちの人の心の十段階の内の最初の段階「異生羝羊心」にちなんだものらしく、これは無明を表すものだから有り難いのやら有り難くないのやら、羊がそんな草をはんで子孫を残すだけの畜生の代表にされてしまって何だか可愛そう。密教の本場チベットでは、動物というとまず羊が思い浮かんだということなのだろうか。
 狛羊が守る道の先には仏像や石碑の並ぶ一角があり、その中には鳥獣供養塔もあった。その前には小さな犬や猫の像が並んでいた。そうだよ、犬や猫だって成仏させてあげてよ。
 ただ食べて子孫を残すだけでも、この地球上に命をつないでゆく大事な仕事だと思うよ。それに比べて人間は、何やらわからぬ思想や宗教のために平気で大勢の命を奪う。そんなんで天国へ行けるだとか成仏できるだとか言っている。チュニジアでも、20年前の東京でも。
 このお寺は地下霊場がウリらしく、ここを通れば四国88箇所の霊験があるというが、面倒なのでパスした。
 このあと旧大山街道の坂を上り、瀬田玉川神社に行った。途中、笠付庚申塔というのがあった。顔のところが赤い布で覆わ


れているのでめくってみたら、青面金剛の頭の後ろに光背があり、これが笠付ということなのか。
 瀬田玉川神社は慈眼寺の隣にあり、本地垂迹の関係にあるのだろう。境内は結構広く、狛犬も3対あった。石段を登った所にあるのは昭和39年銘の岡崎型で、拝殿前の2対のうちの手前のものは昭和43年銘でやや大型のもの。そして一番奥にあったのが明治32年銘の溝の口の石工内藤慶雲作の狛犬だった。両方とも子取りで子獅子がなかなか可愛らしい。
 さらに坂を上ったところに瘡守稲荷神社があった。大正10年銘のお狐さんは阿吽があり、阿形の方は子取りで、子狐が宝珠にじゃれていた。
 短いコースだが久々の狛犬散歩で、まずまずの成果だった。
 二子玉川の駅に戻ると島根のゆるキャラ、しまねっこが来ていた。このあと高島屋やライズを見て帰った。

3月20日

 今日は地下鉄サリン事件から20年目で、昨日はチュニジアで乱射事件があった。
 新左翼から新興宗教、イスラム原理主義と世にテロの種は尽きない。思想はさまざまだが、根底にはおそらく同じ衝動があるのだろう。
 つまり右翼か左翼かだとか、仏教かキリスト教かイスラム教かとかに関係なく、とにかく今のこの文明をぶっ壊してやりたいという衝動が。
 500万年続いた狩猟採取社会は、基本的に出る杭は打たれる状態によって平等社会が保たれていた。
 人間以外の哺乳類社会は基本的に順位社会で、弱いものから順に淘汰されてゆく社会だったが、共感能力の発達により、ある時から弱くてもみんなで力を合わせればどんな強いものも倒せるに気づいてしまう。そこから生存競争は個々の力の争いではなく、多数派工作の戦いになる。そこから人間は利他行動を進化させた。
 人間の道徳感情は、こうして進化してきた。利己主義は嫌われ、己の欲望を抑え、他人に対する優しさ、気前よさを美徳とする感情を進化させてきた。相手を威嚇し、強さを誇示するのではなく、いつでも腰が低くて微笑みを絶やさず、謙虚に振舞うことを良しとするようになった。
 ただ、有限の大地の恵みに対し人口が等比数列的(鼠算式)に増えようとすれば、やはり誰かが淘汰されねばならない。それは何らかの理由で少数派に回る人たちだった。そして、こうした少数派を容赦なく排除するということも人間の道徳感情の中に組み込まれていった。
 犯罪者に対して世間から死刑コールが巻き起こるのもその意味では自然なことだし、愛国無罪というのも、異質なものを排除する所から来る道徳感情の一つだ。そのほかさまざまな理由で生じる差別やいじめも、基本的に同じところから来る。
 人間社会は常に平均化を保ち、人と違うものを排除しようとする。平等社会はそこからはみ出すものを排除することによってしか成立しない。
 これに対し、文明は不平等をもたらす。生産性を向上させるような技術やシステムが生み出されると、その恩恵にあずかれる人と取り残される人とに別れてしまうからだ。こうして文明が発達すればするほど格差は必然的に広がる。文明の発達の中心とそこから取り残された地域が生じるからだ。それは駆けっこをすれば、走れば走るほどトップとビリの差が開いてゆくようなものだ。
 テロはこうした不平等を解消しようという衝動から来る。彼らは文明から取り残された貧しい人たちを救うのではなく、逆に文明を否定し富裕層を排除することで全員が等しく貧しくなる社会を求める。
 しかも、テロを起こす人間は決して貧しい人たちではない。貧しい人たちはテロの主体ではなく、むしろ洗脳され利用される側にすぎない。テロは豊かな人たちの古い道徳感情から来る厨二病的正義感の産物だ。
 人は誰しも500万年の狩猟採集社会が生んだ道徳感情を生得的に持って生まれてくる。前近代的社会では、この感情は既存の社会と衝突することはほとんどなかった。そのためにいわゆる青春期というのはなかった。ただ未熟な子供時代から連続的に大人への階段を登ってゆくだけだった。大人社会への反発というのは特になく、年長者はほぼ無条件に尊敬されていた。
 しかし、文明が発達し近代化するにつれ、生得的な道徳感情と実際の社会とのギャップを感じずにいられなくなる。そこで15の自分はこのギャップの前に自分の存在が何なのかわからず不安になり、何を頼りに生きればいいのか迷うようになる。そこから理由なき反抗も生まれてくる。
 通常この生得的道徳感情は現実の世界のルールを学習していくことで修正され、大人になって行く。ただ、大人になっても、どこか吹っ切れずに残るものがある。
 たいていの場合、それらは社会に破壊的な行動をとるのではなく、さまざまな息抜きによって解消されている。ロックを聴いてアナキストを気取ったり、穏健な反体制思想で斜に構えたり、酒や女や博打などチョイ悪な行動で発散したりする。それらは健全な反応といえる。
 ただ、稀に本気でこの文明をひっくり返そうとする人たちが現れる。こうした人たちがいる限り、テロの種は尽きないのであろう。

3月18日

 島根原発1号機、玄海原発1号機、美浜原発1号機、2号機、敦賀原発1号機が廃炉決定ということで、福島第一原発事故から4年たってようやく脱原発への第一歩が踏み出されることになった。
 再生可能エネルギーといえば、『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』(2014、金子勝・武本俊彦、集英社新書)の「兼業農家」という言葉は今日一般的に言われている兼業農家の概念ではなく、かなり拡大されて用いられていることは注意する必要があるだろう。
 「エネルギー兼業農家」といっても、ここで言うのは会社勤めが主で片手間に農業をやっているいわゆる兼業農家が、自宅の屋根にソーラーパネルを乗っけて売電でさらに収入アップというのではない。むしろ「専業農家の多角化戦略」と言った方がいいのではないかと思う。
 つまり、専業農家としても十分自立し成功をしている状態を想定しつつ、それをさらに六次産業化し、さらに電力事業にも手を広げるといった発想で、それを地域ぐるみで盛り上げていこうというものではないかと思う。
 ただ、地方再生がうまくいかない最大の原因は、やはり農村特有の閉鎖性なのだと思う。この本でも中央資本をあたかも敵視するかのようなアジテーションが目立ち、農協や地元信用金庫などの地元資本で何でもかんでも進めようとしているように見えるが、それでは資金面でも限界がある。やるなら株式会社化して上場し、世界から資金を集めることを考えた方がいい。
 農業の六次産業化も常にグローバル市場を見据えてなければならない。農村特有のなあなあの考え方ではえてして、あの特産品を使ったんなら、どこどこのあれも使ってやらんと、仲間はずれにするわけにはいかんがな、なんて売れるものも売れないものも混ぜこぜにして結局わけのわからないものが出来上がってしまいがちだ。
 震災復興も、痩せ細った地元だけでできることには限界があると思う。かといって中央資本に依存するのではなく、中央資本をうまく利用する知恵が必要だと思う。もちろん中央資本だけでなく、利用できるなら外資へも目を向けていいと思う。
 地方は孤立しているのではない。地方は世界の中にある。

3月13日

 仕事で遅くなって家に戻るとテレビがついていて、アニメをやっていた。
 主要人物以外はほとんど静止画像で、一瞬フラッシュアニメかと思った。「注、このアニメはあまり動きません」というテロップを入れてもよさそうなものだった。
 絵柄も昔見た中国製の孫悟空のアニメを思い出した。これがあのアカデミー賞にノミネートされた作品?と目を疑うようなできばえで、まあ、アカデミー賞もいろいろ業界の力関係とかあるから、ジブリというだけでノミネートされてしまったのか。
 日本のアニメは虫プロ以来大勢の漫画家やアニメーターやそれにかかわる人たちによって一つの文化として磨き上げられて今に至っているし、ジブリもその一翼を担っていたはずなのだが、世界的な名声を得て何か勘違いしてしまったのだろう。長年にわたって積み重ねられたものをいきなり否定して別のものを作ろうとすれば、初期の原始的な作品に先祖帰りするだけだ。
 伝統に逆らうのはカッコいいことなのかもしれないが、大勢の人によって積み重ねられ鍛え上げられて確立されたスタイルというのは、一見ステレオタイプのようなものに見えるかもしれないが、長年の試行錯誤の末に生き残ったものを越えることは容易ではない。
 近代俳句が100年以上たっても結局芭蕉を越えられないのも、芭蕉の俳諧は一人の天才によって作られたのではなく、和歌・連歌・初期俳諧の伝統の上に磨き上げられ完成されたものだったからだ。それを一切否定するところからはじめた近代俳句は、いくらもっともらしい芸術論を振り回しても、結局芭蕉の句ほど世間に広く愛されることはなかった。
 今日のアニメも、「オタク文化」だと言ってしまえばそれまでだが、それでも世界中で愛され、そして世界がそれを真似ようにも容易に辿り着けないほどのものを作り上げている。それは、少数の天才が作ったものではなく、おびただしい数の人々の試行錯誤の末に確立されたものだからだ。
 帝のキャラも、今のアニメではイケメンキャラだけで十何人という兄弟を作れるほどバリエーションがあるのに、あえてそれを採用せずに無理に一から作ろうとするからあんなアントニオ猪木みたいな顔になってしまったのだろう。
 それにまあ、仏様を出せばなにやら深いものがあるかのように見せられると思ったのか。60年代の文化人なら絶賛したかもしれないが。

3月11日

 昨日は東京大空襲の日で今日は東日本大震災の日。
 マスコミは一日中特番組んで記憶を風化させるなというけど、記憶は風化するのではない、美化されるだけだ。
 戦争にしても震災にしても、本当に悲痛なことを言えば、塞ぎかかった心の傷をまた開いてしまうことになる。だから苦しい中でも心がほっこりするようなちょっといい話を見つけ出しては拡散させてゆく。そして長い時が過ぎると、やがて辛いことも忘れ、そうしたいい話だけが語り伝えられてゆくようになる。
 記憶は風化するのではない。美化されるだけだ。そしてそれがやがて歴史となる。
 だから歴史なんてのは半分眉に唾をつけて聞き流すくらいでちょうどいい。すべてが嘘だと意は言わないが、たいていは大分一方的な観点から単純化され、ある部分は抜け落ち、ある部分が異様に誇張されたりしているのが普通だからだ。
 まして戦争なんかで国が違えば、それぞれの立場で自分たちの民族を美化して語ろうとするから、どのみち共通の認識なんてのは無理な話だ。
 記憶は平気で嘘をつく。その記憶から生み出される歴史にこだわれば、それこそ次の戦争に火種になりかねない。歴史は所詮物語りにすぎないという割り切りも必要だ。
 大事なのはいつの時代でもどこの国でも人間は基本的に同じだということだ。どんなに歴史が美化された物語を語ろうとも、そこにいたのは所詮人間であり、綺麗なことばかりではなかったことは容易に想像できる。人間だから、裏ではいろいろ汚い、目を背けたくなるようなこともたくさんあっただろう。それでも醜いことばかりでもなかった。それはみんな同じなんだということだ。
 歴史を何やら神聖なものであるかのように扱うような歴史原理主義が人を引き裂いても、所詮同じ人間なんだという認識があれば人と人をつなぐことができる。綺麗なことも醜いことも含めて、みんな同じ人間なんだ。それだけは信じなくてはならない。
 かつて進化論の間違った解釈から、同じ人間でも進化の度合いでもって差があるとみなされ、そこから人種差別が正当化された時代もあった。人間は段階を追って進化するもので、その歴史を作るところに人生の目的があるなんて言われた時代もあった。そんな誤った思想こそ、早く忘れて風化させなくてはならない。

 この4年間、再生可能エネルギーについての認識はずいぶん変わってきたと思う。少なくとも今さら「夢のエネルギー」なんていう人はもういないだろう。「原発を止めたら日本が死ぬ」なんていう人がいたのも、今となっては笑い話だ。
 復興が進まないのは、もともと過疎の地域だったということも大きいだろう。その意味で、東北の復興は神戸の復興のようには行かない。ただでさえ産業が弱体化し人が離れて行ったところに震災が起き、さらに壊滅的な打撃を受けてしまえば、出て行った人は戻りようがない。  復興は元通りにするというより、もとあった以上のものが要求される。
 そこに強力な産業が興らない限り、帰ってきても雇用がない。だから帰るに帰れない。ある意味、震災前でも出来なかったことをしなければならないわけだから、復興の遅れはあまり責められない。

3月5日

 韓国ではアメリカの大使が刃渡り25センチの刃物で首を切りつけられるという事件があり、顔に80針も縫う大怪我を負ったものの幸い命には別状なかった。
 犯人は北朝鮮に同調するいわゆる左翼なのか、いわゆる反米闘争の一環だったのだろう。北朝鮮は良くやったとばかりのコメントを出している。独島守護運動もやっていて反日反米両方だったから、シャーマン米国務次官の日本よりの発言が引き金となったか。犯行は計画的で、明らかにテロ行為と思われる。
 韓国では、少し前に18歳の少年がイシスへ渡航する事件もあった。
 韓国はウォン高デフレで経済も低迷していて、日本よりワンテンポ遅れて失われた何ちゃらに入ってしまったのか。かつてIMFの支配を受け立ち直った国だが、浮き沈みが激しい。
 韓流ブームも現地迎合型で、国内で確固とした独自文化を確立できてなかった点がジャパンクールとは違っていた。円高の頃は予算不足の日本のテレビにもてはやされたが、円安ウォン高になったら急速に廃れてしまった。そういう経済へのもやもやが反米・反日につながっているのか。
 本当に自分の国の文化伝統に誇りがあるなら、日本やアメリカや中国がどうであろうが黙々と我が道を行けばいいんで、それが本物ならいずれは世界に認められる。
 日本も西洋崇拝で欧米の猿真似ばかりしていたが、欧米の猿真似なら結局韓国人でも中国人でもできるということでこんなふうにジリ貧になってしまった。
 日本もまだ株価が上がっただけで本当の景気回復には程遠いし、本当の回復は他をうらやむのではなく、地道に自分たちの仕事をすることに尽きるのではないかと思う。

 『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』(2014、金子勝・武本俊彦、集英社新書)は、ようやく80パーセントくらいのところまで来た。
 農業の六次産業化やエネルギーの地産地消という考え方は悪くないが、外国や中央資本に対する排他的なアジテーションが多いのはやはり気になるところだ。
 ドイツの事例に学ぶというのはシュタットベルケのことだろうか。
 儲かる農業を作るには、地元経済だけではなく日本全体や世界の経済を見据えた戦略も不可欠で、ただTPPに反対して孤立した農業を守るというのでは未来はない。本当に儲かる農業ならTPPなど恐るるに足らない。

3月3日

 あの事件は海外ではIsis-style murderって報道されているようだ。
 確かに首を切るという殺害方法は最初からイシスを連想させたし、その後どこまで本当かわからないが、犯人グループが「川崎国」を名乗っていただとか、殺害動画を投稿したがすぐ削除されただとかいう話がネットをにぎわせている。
 日本でもイスラム国に同調した日本人によるテロが起こる可能性というのは想定してたが、まさかこういう展開とは思っても見なかった。
 不良少年たちが大人の社会に反発して、いろいろ反社会的な悪さをしたり、グループを作って付近の学校を絞めて回って地元に縄張りを作って、いわばガキ帝国を作るというのは昔からよくあることだった。
 ただ、こうした天下取りの野望もたいていは警察にしろやくざにしろ大人の圧倒的な力の前に挫折し、更生するかやくざに就職するかに分かれていったものだった。
 川崎国もそういったガキ帝国の一種だと思えばいいのだろう。だが、イシスと彼らとの違いは一体何なのだろうか。単にイシスの真似をした馬鹿ということなのだろうか。むしろ、彼らも武器が容易に入手できて戦闘訓練が受けられる環境にあったなら、本当に川崎国を作っていたかもしれない。ただ、イスラム原理主義のようなある程度の支持者のいる思想を彼らが持ってなかったという点で、たとえ武力で日本の警察を蹴散らしたところで、まともな統治はできそうにもないが。
 今の日本じゃ手に入るのはせいぜいカッターナイフですぐ折れてしまうから、ジハーディ・ジョンみたいにはいかなくて、悪戦苦闘してさぞかし格好悪い思いをしたにちがいない。
 イシスも何のかんの言って、いい年こいてガキ帝国の延長のようなことをやっているだけなのかもしれない。ただ、それができてしまう環境にあったということなのだろう。
 マケドニアのアレキサンダー大王だって、今の日本に生まれていればただの厨二病で終わっていただろう。たまたまそれを実行できる環境にあったということだ。
 まあ、世界征服なんてことは実際誰しも思うことで、ただ自分の資質や置かれている環境を考えればどうせ無理だとあきらめるだけのことだ。他の手段で、例えばお笑いで天下を取るだとかおしゃれで世界征服だとか、平和でクリエイティブな方向に向かってくれれば、それはそれで世の中の役に立つ。
 かく言う俺も、知の世界で世界征服したかったな。大学院に行けなかったところで挫折したが。

 今日は30年目の結婚記念日、真珠婚式というのか、一応宮崎牛のステーキと本物のシャンパーニュでお祝いした。去年のこの日は親父の遺骨を岐阜に届けに行って何もできなかった。

2月27日

 『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』(2014、金子勝・武本俊彦、集英社新書)を26パーセントあたりまで読んだ。
 タイトルには結構そそられるものがある。農地には水も流れれば風も吹くし、バイオマスに必要な繊維質や糖類も豊富にある。それらを利用して、農地を同時に発電所にするという発想は悪くない。発電だけでなく、農業はバイオ燃料、特に今注目の水素をバイオで生み出す可能性も秘めている。だから読んでみようと思ったのだが‥‥。
 ただ、読み始めてみると、原油価格は高騰することはあっても下がることはない、というのは既に外れているし、それに、食料自給率を問題にするときはいろいろな要因を挙げて食糧輸入が困難になると言っておきながら、農産物自由化問題になると一転して外国から大量の食糧が輸入されることを前提として議論をしている。一体どっちなんだ。
 世界的に食糧危機が起きて農産物価格が高騰するなら、これは日本の農業にとって輸出攻勢をかける大きなチャンスになるし、安い食料が大量に日本に入ってくる状況なら、それは世界的に食料が余っているということになる。余ってないなら、日本が輸入を増やせば増やすほど需要と供給の関係でその価格は上昇し、それほど安くはなくなる。
 現実的に見れば、世界的に食料の生産が不安定になればなるほど、その調整にバイオ燃料が重要な意味をもってくる。つまり価格が暴落したなら燃料に回し、高騰したなら食べればいいというわけだ。こうした調整機能を考えても、エネルギー兼業農家という発想はおもしろいのだが。
 まあ、まだ最初の方しか読んでないから、これからどういう展開になるのか見ていこう。

2月22日

 どんな宗教でも、神の言葉そのものを記したものはなく、それを記したのは人間であり、人間が書いた以上、その内容はその時代の状況によって限界付けられている。
 神道は教義も戒律もないという点で、神の言葉からは最も遠い。記紀神話は8世紀に伝わる様々な神々の伝承を統一したものであるが、それにしても『古事記』と『日本書紀』との間に若干の違いがあり、その権威は相対化されてしまっている。
 その後の本地垂迹説による仏教との習合の過程で、記紀神話もまた仏教の日本独自の顕現という形で、さらに相対化されていった。
 唯一神道も本地を仏教とせずに、神道を本地とするものだが、記紀神話を文字通り解釈するのではなく、その背後の普遍的真理をむしろ陰陽五行や宋学などによって解明しようとする方向にあった。この動きは江戸時代の儒家神道に受け継がれていった。
 本居宣長は儒家神道に反対して、記紀神話を日本独自のものとしたが、基本的にインドに仏教があり中国に儒教があるごとく日本には神道があるという相対主義で、ただ日本人であるからには神道に従うべきとした。そこには本地に相当する普遍的原理がなかった。
 明治の国家神道は江戸後期の国学に基づいて全国の神社を格付けして管理下に置こうとしたが、結局明確な教義や戒律を作り出すには至らず、むしろ神道非宗教説により神道はむしろ習慣として位置づけられることとなった。記紀神話は国定教科書で「歴史」として教えられることとなったが、これも教義とは言えず、学者の多様な意見を生むだけだった。
 神道にとって幸運だったのは、ついに一つの時代に限界付けられた教義や戒律が確立されなかったことで、原理主義に陥ることがなかったことだ。右翼が天皇を神だとするのは、神道の教義ではなく明治帝国憲法や教育勅語に基づくもので、彼らは神道原理主義というよりも明治憲法原理主義というべきであろう。これに対し左翼は平和憲法原理主義になることで対抗し、今に至っている。
 日本では結局「不磨の大典」とされた憲法が神の言葉に近い位置を占め、二つの憲法をめぐって双方の原理主義者が対立している。これで新憲法ができた日にはどうなってしまうことやら。
 仏教はゴータマ・シッダールタが悟りを開いたことにより、後に神格化し、他のインドの神々を従え、多神教の形態をとることになった。そこには一即多・多即一の原理が働き、すべての神々は唯一のものに統一されることになる。
 仏典は弟子たちの記したもので、神の言葉ではない。戒律もまた弟子たちの伝えたものであり、上座部と下座部とで当初からその受け止め方にかなりの温度差があった。
 仏典も戒律も結局国によって独自の変容し、様々な宗派に分かれ、無数の仏典が作られてゆく過程で相対化され、仏教原理主義が広範囲に広がることはなかった。オウムや幸福も仏典の独自な解釈というだけで原理主義とはまた別であろう。仏教で国境を越えた大規模な原理主義者集団が形成されることはなかった。
 仏典があまりに多様なのに対し、キリスト教は新約旧約の聖書で統一されているため、その聖書の教えを時代に関係なく文字通りに解釈する、いわゆる原理主義者が多数存在する。
 イスラム教は最後の預言者ムハンマドによる『コーラン』を持つことによって、ムハンマドを通じた神の言葉を直接共有することになる。もちろん、ムハンマドの死後、その『コーラン』をどう解釈するかで後継争いとなり、正当な後継者であるカリフをめぐって宗派対立を生じていった。
 神の言葉が何らかの形で伝わっていたとしても、それを伝えたり解釈したりするのは人間であり、人間を媒介する以上、人間の有限な能力によって限界付けられている。当然その時代の状況に即した発言をするため、そこに歴史的な限界が存在することになる。
 ある時代には有効だった言葉も、時代が変わればそのままの意味では時代にそぐわなくなる。そのため、一つの言葉を文字通りに解釈するのではなく、時代状況を考慮しながらその隠された真意を探り、その真意に基づいて、今の状況ならおそらくこう言っていただろうという現実的な解釈を引き出してゆく。それが宗教の健全な継承の仕方といえよう。
 クリスチャンにしてもユダヤ人にしてもイスラム教徒にしても、大半はそういう健全な継承を心掛けている。
 原理主義者は、残された言葉に対して、その隠された本質を理解して状況に即した行動を導き出す努力をせず、むしろそうした無数の信徒たちの努力を無にして、結局はその宗教の信用を貶めることになる。

 平和憲法も時代が変われば解釈によって対応しなければならなくなるし、元来憲法は人間の作ったもので神の言葉ではないのだから、必要あれば修正したり改正したりするのは当然で、そうやって試行錯誤を繰り返すことによって、法律をより良いものへとしていかなくてはならない。
 だが、日本では明治憲法のときに天皇によって発布された「不磨の大典」とされてしまったため、あたかも憲法が神の言葉であるかのように扱われるようになってしまった。戦後の左翼もただ明治憲法を平和憲法に置き換えただけで、原理主義化している。
 今回の人質事件でも、イスラム原理主義者と平和憲法原理主義者が共闘してイスラムと日本国憲法の改革派と対立する構図ができてしまった。

2月20日

 テレビで「風たちぬ」を見た。
 全体の印象としては、完全に監督の趣味で作った映画かなって感じだ。
 頭はひょっとしてこれ寅さん?って感じで始まり、堀越二郎の物語と堀辰雄の物語のとの接合は強引だし、映像は綺麗過ぎてあの時代の暗さをまったく感じさせないし、最後のユーミンの曲は付き過ぎ。「風たちぬ、いざ生きめやも」という言葉との関係もあやふやで、なるほどと思わせるものがない。
 ラブストーリーとしては盛り上がりに欠くし、飛行機の開発の話は航空機オタクや軍事オタクにこれまでも散々突っ込まれていて、俺の知識で付け加えるようなことは何もない。
 途中、紙飛行機を飛ばす場面があって、二宮さんのことを思い出した。同じ団地に住んでいる人で、子供の頃、近くの空き地で紙飛行機を飛ばしているのを見たことがある。ゴムカタパルトで飛ばすタイプのものは、大きな空き地をゆっくりと旋回するように1分くらい飛んでたのを思い出す。ただ、堀越さんが二宮さんに先立ってゴムカタパルトの飛行機を飛ばしていたというのはフィクションだろう。
 歳取ると、思い出の中の過去は美しいものへと姿を変える。この映画はその見本なのだろうか。まあ、他人事ではない。俺もこの1年ずいぶん老け込んだ。
 宮崎さんは明確な原点があるからああいう映画を作れるが、俺の原点ってなんだったのだろうかと思うと何も見当たらない。そこが成功する人としない人の差なのかもしれない。

2月17日

 人間の道徳本能は500万年以上にも及ぶ進化の中で獲得されたものだが、この期間は基本的に狩猟採集によって生活してきた時代で、農耕や牧畜はまだ1万年に満たない。まして文明の歴史はさらに短いし、近代はせいぜい200年。そのため、我々が本能的に感じ取る善悪の意識は、狩猟採集の時代をそのまま引きずっている。それを何とか教育の場で修正を試みながらも、決してそれは容易なことではない。
 前近代社会では、基本的にその土地の生産力は一定で、生産力を飛躍的に高めるようなイノベーションは滅多に起こることはない。そのため、限られた土地の生産物を配分する際、誰かが多く取れば、その分誰かが飢えることになる。そのため、道徳の基本はまず禁欲ということになる。欲張らない、人より多くを求めない、譲り合い、分け合う、それが基本になる。
 そしてもう一つ、前近代社会は生産が一定でありながら、常に人口はそれ以上に増えようとするという、いわゆるマルサス的状況にあった。そのため、社会は基本的に排除のシステムだった。様々なルールやタブーを作っては、常に人口を一定に保つべく、何らかの理由で一定数の人間を排除してゆく必要があった。これも我々の本能に刻み込まれている。
 この二つが組み合わさることによって、伝統的な規則や因襲によって己を縛り、またそこからはみ出ようとする人間を厳しく排除することが、長いこと共同体の基本原理となっていた。
 学校からいじめがなくならないのも、子供ほどこうした古い時代の道徳感情に従うため、何らかの理由をつけては誰かを排除しようとする行動を止めることは難しい。子供にとって、それは内なる道徳律の定言命令に従うものであり、それは「正義」だと認識されている。ちょっと変わってたり、人とのコミュニケーションが苦手だったり、動作が鈍かったり、そんな理由で子供たちは正義の「あーんパンチ」を食らわすのだ。
 何も学校が一定の価値観を押し付けなくても、子供たちは平均であることを求め、出る杭を容赦なく打ちつける。それは本能だ。子供だけでなく、実際は大人もやっていることだ。
 経済学で言う「合成の誤謬」もまた、我々の素朴な道徳意識が近代資本主義に適合していないことを示しているといっていいだろう。

 こう考えていくと、世界中の多くの若者がなぜ既存の秩序に反抗的になるかもわかるだろう。近代的な秩序は500万年の進化の歴史の中で培われてきた道徳感情と激しく衝突する。そこで、若者は「大人は汚い」と感じ、「社会全体が狂っている」と感じる。そして、ポルノグラフィティーの『アポロ』の歌にあるように、「僕らはこの街がまだジャングルだった頃から変わらない愛の形さがしてる」となるわけだ。
 大人になると、少しづつ、生理的な感情に反するものでも、それが今の経済を支えるのに必要なことだということが見えてくる。そして、それをやめてしまうと多くの人が飢えるということもわかってくる。もっともすべての大人がそうなるわけではない。戦いからの卒業ができないまま生涯戦い続ける人も、中にはいる。
 戦後の中東の歴史の中で、最初は共産主義者が台頭し、やがてそれがイスラム原理主義者に取って代わられていったにせよ、その底流は変わらない。それは西洋化・近代化といったものが人間の本能的な道徳感情に反するところから来る反抗だといえよう。そして、それは近代に生きる多くの若者の反抗とそれほど大きく異なるものではない。
 近代化は物質面でも精神面でも破壊的イノベーションを繰り返すことで、持続的な生産性の向上を実現するが、我々の本能は500万年の停滞した時代が生んだ道徳感情によってそれに抵抗し、破壊を試みる。
 イシスのやることが厨二病的に見えるのも、そのせいなのだろう。
 古い伝統的な共同体の記憶は、長く失われたあとだと悪いことは都合よく忘れ去られ、ただ甘く美しいノスタルジーだけが残る。だが、実際に行動してみると思い知らされることになる。それはユートピアどころか地獄への道だということを。

2月16日

 中国金属もいいが、ウクライナもなかなか面白いバンドがたくさんいる。
 Тінь Сонця(Tin' Sontsya)はバンドゥーラの音が心地よい。音程が微妙にずれている感じで、綺麗な和音を響かせているのは、ひょっとして純正率でチューニングされているのか。バンドゥーラ奏者のIvan LuzanはロシアのバンドBeer bearでもセッションで参加している。ウクライナとロシアが仲良くするのはいいことだ。
 Чур(Chur)は前にも書いたことがあったが,Лихоのときは3人編成で女性ボーカルがマトリョーシュカみたいだったが、基本はChurのお一人様バンドのようだ。朗々と歌うクリアボーカルはウクライナの伝統的な歌唱法なのか。
 Свентояр (Sventoyar) はいかにも土臭いフォークメタル。
 Viterは最初はこてこてのフォークメタルだったが、Веснаではインダストリアルの要素の加わった洗練された音になっている。
 I miss my deathは女性ボーカルのゴシックメタル。
 ウクライナはロシアと比べるとややローマっぽい感じがする。ロシアのメタルも好きだけど、頑張れウクライナ。

2月15日

 すっかり前のことになってしまったが、2月1日(日)には川崎へ工場の夜景を見に行った。
 4時頃家を出たが、道路がすいていて1時間で東扇島に着いてしまい、東扇島東公園で暗くなるのを待った。風は強く冷たかった。ここからだと工場は遠い。
 東扇島を出て千鳥町エリアを回った。線路の向こう見にえる工場の灯りがまずまずだった。
 夜光の交差点まで戻り次に水江町の方へ行った。水江運河前の眺めはなかなかだった。
 このあと夜光の方へ引き返し、浮島の方を回った。車を止めるのにちょうどいいところが見つからず、浮島ジャンクションの手前で引き返した。
 寒いけどまずまず夜景を楽しめた。写真はうまく取れなかった。

 2月11日(祝)には、神田須田町の常陸野ブルーイング・ラボへ、ビールを飲みに行った。
 常陸野ブルーイング・ラボは茨城県那珂市の木内酒造の作った店で、ふくろうのラベルの付いた常陸野ネストビールが飲める。
 去年フクロウカフェに行ったのをきっかけに、いろいろふくろうのグッズを探していたところ、このふくろうラベルのビールを見つけ、クリスマス限定のビールをネットで取り寄せたのをきっかけに、正月用の「賀正エール」もお取り寄せした。
 神田神保町で降りて、姉川書店内の神保町にゃんこ堂を見てから万世橋の方へと歩いた。三省堂の一階でもいろいろと猫グッズが売っていた。
 常陸野ブルーイング・ラボは万世橋の前で、かつて交通博物館があった煉瓦の建物にあった。店の中から万世橋と秋葉原の町が見える。

 店内はそう広くなく、カウンターで注文する方式で、おつまみなどは瓶詰めになっているものを皿にあけてくれる。雰囲気はいいが、料理は量が少なくやや高め。
 昼間からビール3杯飲んで、このあと柳森神社に行った。お狐さん、お狸さん、駒龍は前にシュタインズゲートの聖地巡礼で来たときと変わってなかった。
 前に来たときにいた猫はいなくて、かわりにこの神社の猫のアルバムが置いてあった。
 帰り際に通りの方から神社を見ると、本殿の縁側で猫が二匹寝ていた。
 このあと、秋葉原の町を散歩したあと、ニコライ


堂に行った。中に入ったのは初めてだった。入り口で蝋燭を渡された。蝋燭を立てるところがあった。綺麗な建物だった。
 神保町駅に戻る途中に太田姫稲荷神社があった。稲荷だけどお狐さんはなく、先代の狛犬が入り口近くにあった。獅子山タイプのもので、本来は獅子山があったのだろう。片方は顔も足も欠けていた。手水場というとたいていは竜だが、ここは魚だった。

 今日は市ヶ尾のフクロウカフェ「ふわふわ」に行った。
 小さいフクロウのほうは3羽でやや淋しい。他に見習いの小さなフクロウがそれとは別に2羽いた。まだ触れ合うことはできないで、別のところにいる。見るだけ。
 大きなフクロウのほうも入れ替わりがあり、メガネフクロウとメンフクロウが新たに加わっていた。メンフクロウは常に首をぐるぐる動かしている。
 シロフクロウのシロちゃんも健在だった。客は多く10人くらいいた。


2月13日

 イシスの恐怖を語るという点では、やはり日本でテロが起こる可能性を語ることも重要だろう。
 ただ、イシスは敵だらけで、優先順位としてはやはりアメリカ、イギリス、ヨーロッパ諸国、中東の国々などの方が戦略的には優先され、日本の優先順位がそれほど上がったわけではないだろう。それに自分の国の領土拡大がやはり最優先で、そっちのほうが忙しいから、イシスが直接手を下す可能性は低い。だからといってないとは言えない。
 日本人は愛国心がないから、日本人や日本政府を批判したり侮辱したりしても、一方で怒る人もいれば、その一方で逆に快哉を叫ぶ人もいて、容易に国論を二分できるから、そっちの方で揺さぶりをかけるほうが簡単で安上がりだ。
 むしろ注意する必要があるのは、自称「イスラム国」ではないかと思う。イスラム国に共鳴する人が、イシスの組織と無関係にテロを起こす可能性だ。あるいはイシスに入りたくてそのために名を売るというか、手土産代わりに何かしでかそうというのも出てこないとは限らない。
 こうした連中が現れ始めると、それが何人なのかもわからない。日本人かもしれない。また、イスラム教徒であるとも限らない。あくまで改宗予定者であれば、今はクリスチャンかもしれないし、仏教徒かもしれないし、無宗教かもしれない。何をしでかすかも予測できない。
 当然イシスの方もそういうのが現れることを望んでいるし、煽るような発言を繰り返すだろう。
 ただ、あぶない奴というのはイスラム国がなくても別の理由を見つけて何かやらかすものだから、今と同じでそんなに心配する必要もないかもしれない。
 やはり一番恐ろしいのは、イスラム国がどんどん領土を拡大し、気づいたときには取り返しの付かない状態になっているということだ。「長いものには巻かれろ」だとか「さわらぬ神にたたりなし」という考え方が一番危険なのではないかと思う。

2月12日

 テロの恐怖を言えない世の中になってはいけないから、あえて今日もイシスの恐怖について語ろう。
 イシスの恐怖はこれまでのテロリストや中東の独裁政権の恐怖とは桁外れだ。それはとにかく普通の人間としての常識が通用しないということだ。
 杉本さんもジャーナリストなら、当然一連の首ちょんぱ動画はチェックしているはずだし、ムスリムに対する焼き殺し動画だって知っているはずで、つかまったらこうなるとわかっていて取材に行くというなら、それは最初から殉教するつもりだとしか思えない。本当に殉教したいなら、奴らは望みどうりそうさせてくれる。
 イスラム国空爆に反対して人間の盾になりたいのなら、望み通りオレンジの服を着せてくれて、「アベが24時間以内にヨルダンや他の国に空爆をやめさせるようにしないなら私の命はそのときまでだ」というメッセージを読まされて、ネットで世界に公開してくれるはずだ。
 もちろん、安倍首相に空爆をやめさせるような力はないし、要するに安倍に恥をかかせるのが奴らの狙いだ。安倍が何もできずにうろたえる姿を見て、日本国内で反安倍感情が高まり、安倍政権を葬り去れれば奴らとしても願ったりだろう。空爆を止められないとなれば、次は首ちょんぱ動画だ。
 本当は命が惜しくて、というのなら渡航差し止めで騒ぐのは売名行為だと言われても仕方ないし、本当に死ぬ気ならどうぞ死んでくれ、ただし日本国民に迷惑をかけないで死んでくれと言うしかない。まあ、でも俺は「死ね」とは言わないよ。命を大切にして欲しいだけだ。
 イシスに関して言えば、「長いものには巻かれろ」で済む相手ではない。日本は中東から遠いし、西洋のように中東に勝手に国境を引いたりしたわけではないから、確かに敵国としての優先順位は低かっただろう。だからといってサラフィー・ジハード主義でもなければイスラム教徒でもない、コーランに抹殺せよと書かれている多神教徒の国が奴らの敵にならないはずはない。
 まあ、日本人が全員そろってサラフィー・ジハード主義に改宗し、イスラム国に加わるべく韓国や中国に戦争を吹っかけるというなら、彼らも日本を味方として認めてくれるかもしれないが。(室井さんあたりは、そろそろ改宗を考えているのかな?)
 イシスのやっていることは、日本で言えばこういうことだろう。
 「俺は天皇だ。今日からこの地域を『天皇国』と名づけ、大宝律令に基づく政治を行う。そして、5年以内にこの天皇国は韓国中国のみならずオーストラリアまでも支配するであろう。」

2月9日

 まあ日本には平和憲法があるしこちらに戦う気はなくても、奴らは戦う気満々だし人殺し大好きだし、わざわざ敵陣に乗り込んでも無駄に命を捨てるだけだと思うよ。
 本人は反米闘争をこれまでやってきたからお前らの味方だと言いたいのかも知れないけど、奴らからすれば奴ら独自のサラフィー・ジハード主義に改宗しない人間は基本的に敵だからね。行くにしても日本キリスト教団と絶縁してからの方がいいね。
 俺も多神教徒だから、あんなところには絶対に行かない。間違いなく殺される。

2月8日

 世界の共通言語は笑顔だけではない。科学と経済も国家、民族、宗教に関係なく学ぶことができ、それを適切に用いれば人々に豊かさをもたらすことができる。1+1はどこの国へ行っても2であり、国や民族や宗教が異なるからといって3や4になることはない。
 西洋文明が世界を席巻する元となったのは、基本的にこの科学と経済を伝統文化から開放したからであり、この開放は西洋の文化の特に古代ギリシャから受け継いだ部分に基づくものだが、西洋の文化全体としてみれば必ずしも主要な位置を占めるものではなかった。
 そのため、西洋社会は今でも科学的世界観とキリスト教をどう調和させるかで苦悩している。アメリカ人の半分は進化論を否定し、創造説を信じているとも言われている。
 西洋ですら、近代化と伝統的世界観の間にギャップを抱えている。そこにキリスト教原理主義がはびこっている。まして非西洋圏とあれば、伝統文化と近代化との対立は必然的なものともいえる。
 非西洋圏の場合、近代化は最初「西洋化」という形で入ってくるため、余計変なねじれが生じやすい。西洋ですら伝統文化と近代化の間で揺れ動いているのに、その西洋の近代的なものと前近代的なものとがいっぺんに入って来るのだから始末が悪い。
 非西洋圏が近代化に成功するには、西洋から入ってくるものを何でもかんでも受け入れるのではなく、西洋の近代的要素と前近代的要素をより分けなくてはならない。日本は、未だに多少の混乱はあるにせよ、それに成功した稀有な例といえよう。
 経験科学は仮説と検証の繰り返しによりあくまで真理の近似値を得るものであり、最初に絶対的な真理を仮定する一神教の考え方とは相容れない。そのため、科学の進歩は西洋ですら、常に教会との対立の中でなされてきた。
 科学の根は古代ギリシャの多神教世界の中で生まれたもので、最初から必ずしも唯一絶対の真理を探究してきたのではない。永遠の真理に憧れはするものの、あくまで人間の理性はパラドックスに陥る限界のあるものにすぎないというその「無知の知」の自覚によって、多様な仮説を容認し、競わせることを可能にした。これに対し、一神教は一つの教義を信じることによって、仮説の多様性と競争原理を奪うものだった。
 日本が非西洋圏でいち早く近代化に成功したのは、日本が多神教世界を維持し、近代化とキリスト教を切り離すことに成功したからだ。これによって、矛盾しあういくつもの仮説を並存させ競わせるという、科学の発展に欠かせない自由を手にすることができた。
 これに対して、イスラム圏は西洋以上に宗教と科学との調和に苦悩することとなった。それが今日の過激な原理主義組織の乱立につながっているのではないか。
 一神教と科学との調和に必要なのは、人間が決して唯一絶対の真理に触れることができないという「無知の知」の自覚だ。唯一絶対の真理にあこがれ、求めることはできる。でもそれは手にすることができない。この神と人間とのギャップを最もよく知るのがユダヤ人だった。ユダヤ教は神の子も預言者も認めない。ただ、神の痕跡を解釈するラビがいるだけで、神と人間との間は永遠に隔絶されている。この断絶ゆえに、世界の自由な解釈が可能になり、実際西洋科学の近代化の業績の多くはユダヤ人の手によってなされている。
 イスラム圏の近代化の難しさは、預言者の言葉と神との関係が近すぎることにも関係あるのだろう。
 日本でも戦後の知識人の中には、「フランス語を公用語にすべきだ」だとか「日本人はみなキリスト教徒かマルクス主義者かどちらかになるべきだ」なんて極端なことを言う西洋崇拝者がたくさんいた。今となっては笑い話だが、今日のイスラム圏ではまだ笑えない状態なのだろう。それが原理主義を生む土壌になっている。

 池内恵の『現代アラブの社会思想』(2002、講談社現代新書)を読み始めた。
 時代はさかのぼること1967年、戦後の世界革命を唱えた戦士たちが急速に敗北してテロリスト化してゆく時代、まだ子供の頃で赤軍派や連合赤軍のことはおぼろげながら記憶がある。それにしても、連合赤軍の記述の中に総括リンチ殺人事件のことがない。若いから知らないのかな。
 岡本公三のテルアビブ乱射事件も子供の頃だったからあまり覚えてなかったが、あれは本当は3人で実行し、2人は爆弾で自害したというのは知らなかった。ひょっとして自爆テロは日本人の発明?あまり有り難くないな。
 ひょっとしてイシスがリシャウィ死刑囚の釈放を要求したのは、日本人に岡本公三のことを思い出させようとしたのか。日本人はもうとっくに忘れているが。
 あの頃の新左翼は、結局資本主義が実現した豊かさに対抗できるものを生み出せなかった。旧左翼はまだ計画経済で経済成長を目指したが、新左翼の多くは文明否定に走り、前近代的な生活に戻そうとした。前近代的な生産力で今の肥大化した人口を養うことができないから、そこに待っていたのは飢餓と粛清の嵐だけだった。
 だが、まだその夢覚めやらぬ人たちがいて、そうした人たちが今日のイスラム国に幻想を抱いているのだろう。
 新左翼が挫折したあと神秘主義が支配したのは日本の80年代後半でも同じだった。日本でも中沢進一を筆頭にして、かつての新左翼がこぞってチベットに関心を見せ、宗教ブームが巻き起こった。その意味では、イシスからオウムを連想した人は間違ってないのかもしれない。

 この本の後半は結構面白い。
 終末論は日本でもはやったし、オウムのアルマゲドンも巷に流布する終末論を利用したものだろう。
 ノストラダムスは中学のときにはやったし、そのあと小惑星の衝突やらマヤ暦やらいろいろ出てきた。この種の終末論の流行には欧米のキリスト教文化の影響がかなりあったんだろうな。その大元が旧約聖書だったなら、当然イスラム圏でもそれにもまして終末論が盛んだったのは何となく想像できる。
 ユダヤの陰謀論も時折日本でも話題になったりしたし、チェルノブイリの頃に脱原発の本を書いていた人もはまっちゃったようだが、日本では身近にユダヤ人がいないのでそれほどは盛り上がらなかった。
 終末論の根底にあるのは、資源の限界だと思う。つまり地球上の資源は一定であり、贅沢をしてたくさん使っちゃえばそれだけ早く枯渇するということを戒めるためのものだったのだと思う。
 放牧するにしても欲張って家畜を増やせば過放牧で草を食い尽くして砂漠化する。農耕をするにしても欲張れば土地が痩せて最後には砂漠化する。狩猟採集も欲張れば捕り尽くして絶滅する。
 前近代の社会では生産性を飛躍的に高めるような画期的なイノベーションが何百年に一度くらいしか起こらず、生産量がほぼ一定していたので、誰かが余計に食べればその分誰かが飢えるという状態だった。そのため禁欲がすべての道徳の基本だった。
 これに対して生産性を向上させるようなイノベーションが連続して起こる近代社会では、生産性の向上分だけ一人当たりの取り分が増えてゆくので、むしろ欲望を肯定し、それをイノベーションの動機付けとしてきた。この新い価値観は伝統的な観念からすると悪魔の所業のように映る。
 この価値観の転換は戦後の高度成長によって急速にもたらされたため、日本でも60年代70年代には世代間の「断絶」が問題になった。物欲は経済を活性化させるとみなされ、自由な恋愛がもてはやされる時代に、今でもついていけない人は多い。イスラム圏ならなおさらだろう。
 こんな贅沢をしていては、やがて世界は破滅する。そういう危機感は新左翼にもあったし、80年代以降の新興宗教も利用してきた。それがちょうど1900年代の終わりとあいまって、世界的に噴出していたのだろう。
 21世紀に入ってから、少なくとも日本では終末論は下火になり、せいぜいバンドの名前くらいにしかならなくなった。イスラム圏ではどうなのか、この本は2002年の本だからよくわからない。イシスが救世主なのか偽救世主なのかは、多分話題になっているだろうな。イシスにも実はアメリカが裏で操っているといった手の陰謀説はあるみたいだし。バグダジャールとか言われているのかな。
 資源循環型社会が確立できないなら、長い目で見ればやがて資源は枯渇し、今の資本主義経済は行き詰まり、前近代的な状態に戻る可能性はある。そのときには、破滅のあとに敬虔なイスラム信者が生き残る時代が来るのかもしれない。
 ただ、今すぐに資本主義を破壊しようとしても、先にも述べたように、前近代的生産で今の肥大化した人口を支えることはできないため、飢餓と粛清の嵐が吹き荒れることになる。

 もうすぐ父の命日だし、あれ以来どうも無常感を感じることが多く、何となく無気力になりがちで、今日もだらだらと一日を過ごした。おかげでこの本を1日で読みきってしまった。

2月7日

 ロレッタ・ナポリオーニの『イスラム国 テロリストが国家をつくる時 』(2015、文藝春秋)を読み終えた。
 かなりイスラム国の宣伝に乗っかったような「褒めすぎ」という感じがしなくもない。
 イスラム国の近代性とは言うが、残虐な公開処刑にしても、法といっても古代国家に逆行するような復古的イスラム法で、近代的な法治国家には程遠いように思うのだが、その点にはあまり触れられていない。
 国際的な承認と無関係に、ただ実効支配による既成事実だけで国家を名乗ること自体も、近代国家というよりは、古代国家そのものといえよう。近代的近代的と何度も言うけど、どこが近代的なのかがさっぱりわからなかった。
 本人たちも果たして近代国家を作る意志があるのか不明だ。正統カリフの時代のイスラム帝国のパロディーにしか見えない。
 ただ、発想が古代でも、戦略や手法の近代性は確かだ。だから、この本の前半を読んだとき、バグダディと織田信長がずいぶんと重なるような気がした。バグダディは今日の中東の乱世の中で天下統一を志す織田信長なのではないかと思った。他のテロリストたちがおおむねかつてヨーロッパ列強の定めた国境に準じて、反政府運動や反米運動を展開しているのに対し、むしろ国境だとか国際秩序だとかいうものを一切認めないというところから出発しているように思える。
 織田信長も他の大名がおおむね足利幕府体制から受け継いだ所領の統治と若干の拡大に終始している中で、真っ向から将軍の権威を否定し、寺社の顕密体制を否定し、最終的には天皇の権威までも否定して、日本のみならず韓国中国を含めたアジア征服をたくらんだ。
 どっちにしてもあの国は、言っていることを真に受けないほうがいい。あのヨルダン軍パイロットもとっくに殺されていて、それでいてしれーっと人質交渉を吹っかけてくるやつらだし、たぶん湯川さんもかなり前に殺害されてたのだろう。最初の公開映像の湯川さんと後藤さんの顔の影が一致してなくて合成っぽかったし、もうあの時点で死んでいたのではないかと思う。
 既存の秩序の破壊は、一見ものすごい革新的なことのように見えるものだし、維新とは復古であるなんてこともよく言われることではあるが、本当にそうなのかどうかしっかりと見極める必要がある。日本でもそれを信じて国会を退席した人もいたようだが、真の革新と時代錯誤は紙一重というところか。

2月2日

 「日本にとっての悪夢が始まる」との捨て台詞で一応この事件は一区切りということなのか。今回の事件では二人の日本人の貴い命が犠牲になってしまったが、イシスも無駄に二人を公開処刑して世界の非難を浴びただけで、得るものはなかったと思う。
 日本人は冷静だったし、安倍政権への批判はあっても、その根幹を揺るがすほどの盛り上がりはなく、基本的に日本はこの事件で政策を変えることはなかった。
 イシスの恐怖に関しては、ネットでは話題になっていたもののマスコミではそれほど報道されてこなかったせいか、まだかなり温度差があるようだ。
 「過激派イスラム国」だとか「イスラム国を名乗るテロ組織」だとかいう言い方は、かえって誤解を招く。これではイシスがアルカイダやタリバンのような普通のテロ組織であるかのように誤解されてしまい、多分一部から「こういう事件は日本の警察と地元の警察との連携で解決すればいい」などという呑気な声が上がったのもそのせいだろう。
 イスラム国は未承認ではあるが一定の地域を実効支配している事実上の一つの国家であり、警察ごときが踏み込んで逮捕できるような状態にはない。だから、呼称としては「イスラム国」でいいんだと思う。ISIS(アイシス、イシス、椅子椅子)にしてもISIL(アイスル)にしても頭のISはイスラム・ステイツの略で、名称の中に「イスラム国」が含まれている。あとの二文字はその所在する地域の名前にすぎない。
 日本がアメリカを中心とする有志連合と一切かかわらなければ日本は標的にならずに済んだかというと、そんなこともないだろう。イスラム国内に勝手に入り込んで、その情報を外に漏らす者に対しては、どのみち彼らは容赦しなかっただろう。せいぜいいつの間にか殺されて長く消息不明扱いになっていたか、今回のような大きな事件になったか程度の違いに過ぎなかったと思う。どっちにしろ二人が無事である保証はなかった。
 平和憲法は左翼にとっては天皇と同格の神聖にして犯すべからぬものなのかもしれないが、残念ながら神風を吹かす力はない。つまりテロの抑止力にはならない。
 イシスは小さかったうちは内紛につけ込んで今の状態まで成長することができたが、これからはそうは行くまい。大きくなればそれだけ目立つ。周辺の国家だけでなく、他のテロ組織ですら警戒する。早かれ遅かれ包囲網が形成されるであろう。昨日の友は明日の敵というのがあの地域の慣わしだ。カリフを名乗ることは、当然真面目な原理主義者からしてもそれこそ「神をも恐れぬ」ことで、側近の裏切りに合う可能性もある。織田信長の最後がそうであったように。
 イシスが何か積極的なものを提起したとすれば、それはずいぶん昔に西洋列強の引いた国境の意味を問い直したという点であろう。イラクは最初から三つの国に分かれてても良かったのではないのか。ユダヤ人とパレスチナ人に国家を認めるなら、それより遥かに大きな集団であるクルド人にもその権利があったのではなかったか。今の国境は何としてでも守る価値があるのか。
 イシスを壊滅させることに成功したにせよ、あの地域の根本的な問題が未解決のまま、ただ従来の国境の現状維持に終始するなら、必ずや第二・第三のイシスが現れる。

2月1日

 イシスはPLOではない。
 バグダディは織田信長で、カリフを名乗った以上は「コーランか剣か」ですべての従わない異教徒・異宗派に宣戦布告し、天下取る気満々でいる。
 イシスの目的は世界征服だ。PLOのような単なる一つの民族が一定の領土を確保するための戦いをしているのではない。
 実際、市場経済の重視、外国人の起用(使える道具は何でも使う)という側面と、虐殺すら何とも思わない冷淡さ、既存の宗教的権威や世俗的権威を屁とも思わないところなど、驚くほど織田信長に似ている。
 そういいうわけで、基本的にバグダディ独自の解釈に基づくサラフィー・ジハード主義に従わないものはいつでもテロの対象になりうる。お人好しの日本人がいかに理解あるふりをしても、どのみち彼らの敵には変わりない。我々には彼らに従うか、それともアメリカ主導の有志連合に加わる加わらないは別にしても何らかの形でテロとの戦いを続けるかしか選択肢はない。
 二人の死に報いるためにも、我々は仲間割れすることなく、この脅威に対抗していかなくてはならない。
 カリフを名乗る時点で、彼らは十分厨二病だ。ジハーディ・ジョン(聖戦太郎)といい、いかにも悪の結社の戦闘員といったあの黒ずくめのユニフォームといい、まともな交渉のできる相手ではないことも知っておいた方がいいだろう。

1月27日

 シリアはアサド政権と反アサドはが対立してイスラム国どころではなかったし、アメリカもアサド政権を助けたくないという思惑で積極的な介入ができなかった。
 イラクもスンニ派とシーア派とクルド人の三つ巴で、この対立を利用すればいくらでも付け入る隙があった。
 イスラエルはイスラム教徒同士でもめてくれれば願ったりだし、トルコもクルド人が力をつけると困るから、イラクで戦うクルド人を支援できない。
 ヨーロッパもテロとは戦いたいが国内のイスラム系移民は目ざわりとあって、周辺のイスラム諸国の支援に及び腰になる。
 こういった内紛状態があるから、あのDQNで厨二病の集団でもあそこまで勢力を伸ばすことができたのだろう。
 内紛を煽るというのが、結局基本的に彼らの戦略なのか。
 結局彼らのメッセージというのはこういうことなのだろう。
 「お前らにとって本当の敵は俺たちではなくアベじゃないのか?
 血税をよその国に景気よくばら撒いてるし、イスラム国にかこつけて集団的自衛権や憲法改正でよからぬことをたくらんでるぞ。」
 リビアも内戦が続いているから、こういうところに飛び地を作る可能性もないとは言えない。内紛、内戦、仲間割れ、それが彼らの糧になる。

1月25日

 アナ雪のDVDを見た。
 英語日本語字幕版と日本語版を立て続けに見たが、日本語版が良くできていてわかりやすかった。
 アナのキャラといい、ベタな出会いといい、日本の少女マンガの王道パターンを踏まえているし、アメリカと日本の文化の差をほとんど感じさせない展開が、ヒットの要因の一つだったのだろう。

 イスラム国の要求は相変わらずむちゃくちゃだ。日本が拘束している犯人ならともかく、ヨルダンのことはヨルダンに要求してくれないと、日本の権力の及ばないところなのでどうしようもない。無理だとわかっての要求だとすると、やはり挑発か。それにしてはDQNすぎる。
 それに「アベ、お前がハルナを殺した」と言われても、やったのはお前らだろうとしか言えない。日本国内で安倍批判が高まり、あわよくば安倍政権崩壊なんて夢見ているかもしれないけど、日本人もそこまでお人よしではない。何の実りもなく無駄に人を殺すことになるだけだ。
 湯川さんにも、あの画像でお悔やみを言っていいものかどうかもわからない。

 どうすれば格差社会をなくし、結果的平等ではなく出発点の平等を実現できるのか、ピケティのことをとやかく言うなら、やはり「ならどうすればいいか」を考えていかなくてはならないだろうな。
 27年度からの相続税の最高税率の引き上げはいいが、基礎控除の引き下げの方は比較的財産の少ない層を増税することになる。特に不動産を持っている場合にはちょっとした土地でも課税されてしまうことになり、中間層の増税の方が大きく、かえって二極化につながる危険が大きい。もっと富裕層の課税を強化すべきだろう。
 キャピタルゲイン課税についても、一律20パーセントではなく、これにも累進税率を適用した方がいい。NISA枠というのは一つの解決策ではあるが、投資枠ではなく年間の収入に一定枠を作って非課税にしたほうが損失分を相殺できる、基本的に大きく儲からなければいくらつぎ込んでも非課税なので、庶民の投資意欲を喚起できるのではないかと思う。ただ、問題は今の源泉徴収制度で対応しにくくなり、確定申告が必要になるということか。
 金持ちから取った税金を再配分するにしても、毎月一定額という発想だと一回にもらう額が少なく、ともすると全部生活費に消えてしまい、投資にはなかなか回らない。これを10年とか12年とかに一度まとまった額を支給するようにすれば、投資に回しやすくなるのではないか。
 生まれたときにある程度の額をもらえれば、それを将来のための将来の学費のためにストックできるし、12歳でふたたびまとまった額がもらえれば、さらに高度な教育のためにそれを使うことができ、24歳で再びもらえるときには、結婚資金や住宅の頭金や独立開業するための資金に当てることもできる。
 もっとも、こんなことをやっても、すぐに競馬やパチンコで使ったり、風俗につぎ込んであぶく銭にしてしまう人はたくさんいると思う。だからといって金持ちになるチャンスをまったく与えないでいるなら、全員が貧しいままになる。
 お金持ちからそれなりのものを奪うのであれば、その奪った分を経済の発展に役立つことに使う必要がある。それには自ら資本家になって高額の税金を払う側へ上昇しようという意欲を常に喚起し続けなくてはならない。
 国民の間に上昇志向た強まれば、それだけ資本家同士の熾烈な競争になり、それが経済の強化につながればいいと思う。
 労働者と資本家が階級として固定化されれば、最終的には社会主義化して貧しいほうへ平等化する方向に向かうしかなくなる。そこにいかに流動性を持たせるかがその国の経済の活力の勝負になる。
 もちろん、教育の方でも、今のような均質で従順な労働者を育てる教育はすぐにでもやめるべきだ。

1月23日

 イシスは拍子抜けしたか。
 これがアメリカ人だったらすぐに頭に血が上って空爆してくるかもしれないし、フランス人だったらたちまちデモ行進を始めたかもしれないが、日本は至って平和だ。
 ネットでは思いのほか安倍批判が多かったし、例の脅迫画像も合成の稚拙さを嘲笑する声ばかりで全然ビビッてないばかりか、萌えキャラやサイコパスの画像とクソコラにされて遊ばれているし、まあイシスよ、これが日本だ。
 あの程度の挑発で、安倍ちゃんが頭に血を上らせて、集団的自衛権の名の下に自衛隊を送ってくると思ったら大間違いだ。
 何しろ原爆を2発落とされても怒らなかった国民だ。この日本を切れさせたらたいしたものだ。

1月22日

 さすがに今回の件で「一人の人間の命は地球より重い」とか言って、すぐに2億円払うべきだなんて言う声は聞こえてこない。相手が悪すぎて、身代金を払ったらその資金で戦闘が拡大し、大勢の人命が失われるのはわかりきっているし、それに簡単に差し出せる額でないというのもあるだろう。
 取れるあてのない身代金がイシスの狙いではないとなれば、イシスの狙いは何なのか。日本とアメリカとの分断なのか。あるいは、イスラム国と直接戦闘しているクルド人と日本とが接近することを牽制しているのか。
 日本のテレビでもあたかもクルド人の油田独占が戦争の原因みたいなコメントをする人がいるし、そんなのを真に受けて難民支援を中止させれば、それこそイシスの思う壺というものだ。
 大方狙いはそこにあるのだろう。つまり2億円は取れなくても、2億円の援助を中止させたい。それができなくても、日本の左翼を煽って安倍政権に打撃を与えたい、そんなところだろうか。

 ピケティさんが日本のテレビにも出ているが、資本主義が格差を拡大させていることは、社会主義者がずっと言い続けてきたことで、戦後労働者が飢餓と隣り合わせの生活から開放され豊かになったときでも、左翼は一貫して格差の拡大を主張し、それを社会主義革命の必然性の根拠としてきた。ピケティさんはそれよりは穏健で、革命ではなく富裕税程度でとどめているが、それでも金持ちから税金をがっぽりとって庶民にばら撒くといういわゆる富の再配分という発想に何一つ新しさはない。
 つまり、
 ×二十一世紀の資本論
 ○遅れてきた二十世紀の資本論
ではないかと思う。
 今の主流はどちらかというと出発点の平等を目指す方向で、相続税の増税の方ではないかと思う。ただ、これも生前贈与で抜け道を作って骨抜きになったのでは意味がない。

1月18日

 紅白にサザンが出たのは見てたが、正直あのちょび髭が何を意味するのかはわからなかった。
 加藤ちゃんなのかな、それにしてはメガネがないとか、コンサートで前のネタの流れでそうなのかとか、たいした意味もないと思ってそのままスルーしてた。
 後になって、あれが安倍総理をヒトラーにたとえた風刺だというネット情報があったが、いくらなんでもそれはないだろうと思った。
 だいたい安倍首相がそんなヒットラーの10分の1でも独裁者だったら、とっくにTPPもやってただろうし、農協改革やそのほかの規制緩和もすいすい進んで、とっくに日経平均も2万円を突破してただろうな。散々足を引っ張られ、よれよれになりながらも、何とかまだアベノミクスの命脈は首の皮一枚でつながっているという感じで、日本の総理というのは誰がなっても頼りないものだ。
 勲章をポケットから取り出してオークションの真似事をやったとは言うけど、それくらいいいじゃないかとは思う。オリンピックの金メダルを噛んで見せるようなもので、本当は嬉しいんだと思う。そうでないなら辞退していたろうよ。ビートルズだって笑顔で勲章を手にしてたし、まあ、ジョンレノンだけは後に返したというが。
 言論の自由という点では、皇室関係でも例外であってはならない。もっともあまりひどいシモネタは皇室でなくても「よしなさい」と言う所で、そういうものを無視する健全さは必要だと思う。
 皇室がらみでいつも言いたいのは、もう明治維新から百何十年も経っているんだから、そろそろ「尊皇」と「攘夷」を結びつける発想から卒業したらどうかということだ。
 平安時代の平和な時代、つまり「王朝時代」(「皇朝時代」なんて言葉はない)は奥州藤原三代が蝦夷を支配し、半独立状態にある中で成立していたのを、源頼朝が外敵からの危機に対する暫定政権を装うことによって、いわば「征夷大将軍」として事実上の全権を掌握する手段とした時から、尊皇と攘夷が結び付けられるようになったのだから、「尊皇攘夷」なんてのは本来武家が朝廷を差し置いて権力を握るための手段にすぎなかった。
 それを幕末の志士たちは、攘夷を行わないという所でそれを徳川幕府の汚点だとし、天皇を担ぎ上げて自分たちが権力を握り、韓国中国はもとよりオーストラリアまで掠め取る戦争を企てたが、何で未だにそんな奴らの大河ドラマを作って賛美しているのか理解に苦しむ。
 おそらく今でも在日排除を強硬に主張する人たちというのは、「攘夷」を口実にして権力を奪おうというやからなのだろう。
 形だけ皇室を担ぎ上げて、その実皇室を無視して国家権力を欲しがるようなやつらは、どうせ何か悪い結果になれば責任を天皇に押し付けて逃げる気なんだろう。
 たった一人で国民のいない独裁者なんてのは寂しいもんで、確か「ドラえもん」のネタにもそんなのがあったか。八紘一宇というのも当然、世界が日本人だけになることではなく、日本が世界中の国の人からリスペクトされる国になることで、だからこそ日本人として生まれた以上、日本をそういう国にしていかなくてはならないのではないかと思う。
 力でねじ伏せるのではなく、力を入れなくても自ずとすべての人が日本を慕うような、そういう国を作っていきたいと思わないか?

   神の為道ある時やなびくらん
 風のまへなる草の末々       心敬

1月13日

 どうも日記が一日遅れになってしまっているが、昨日は新宿WildSide TokyoへEgo Fall(颠覆M)を見に行った。
 出演バンドは4つで、最初に出てきたのはMary's Bloodという女5人のバンド。HPだと4人組になっているから、一番左側にいた子はサポートなのか、新メンバーなのかよくわからない。とにかくなかなか迫力のあるお姉さんたちでした。
 二番目が Vigilanteで、年季が入っているのかなかなか上手い。安心して聞いてられるが、そういう時ってついつい雑念が入って別のことを考え始めたりする。
 三番目にいよいよEgo Fall登場。最初はステージのスクリーンのこのバンドを紹介する映像が映し出され、そのスクリーンが上がると馬頭琴の演奏とホーミーが始まる。音が重ねてあったが、どこから出ているのかは不明。
 バンドの演奏の時には馬頭琴は使用されてない。ボーカルに、ギター二人、ベース、キーボード、ドラムスの編成で、みんなやたらガタイがいい。モンゴル系の人は何か骨格が違うのか、武藤敬司か長州力かみたいな感じだ。これじゃ相撲をとってもとてもかなわない。
 曲はDuguilangとJangarの中の曲が多く、力でぐいぐい押してくる。ボーカルの煽りも良くて、かなり盛り上がった。最初は直立不動だったSECRET SPHERE地蔵も、途中から結構乗って来ていた。
 中ほどでもう一度馬頭琴とホーミーが入り、後半も前半と同じようにのりの良い曲ばかりだった。モンゴルのバンドと紹介されてたが、正確には中華人民共和国内蒙古自治区。活動も中国が中心。中国には他にもTengger Cavalry(长生天铁骑)、Nine Treasures(九大圣器)など、モンゴル系バンドがいて面白い。ネットでは反日的とも言われていたが、メタルは基本的にどこの国でも右翼的なもので、そこがパンクやオルタナとは違う。日本ももっと和楽器や何かを取り入れたフォークメタルを盛んにして、中国や韓国に遠征してはどうか。
 最後に出てきたのはSECRET SPHEREで、いかにもイタリア人というのが出てきた。シンフォニックなメロスピで、ハイトーンボイスのボーカルは声量もあって、さすが外タレ。でもEgo Fallで完全燃焼していたので、後ろの方で一応見ていたが、アンコールはパスして帰った。

1月12日

 昨日はフクロウの聖地、池袋と雑司が谷に行った。
 東急ハンズの前ではインコのケーキが売っていた。外にもいろいろ鳥のぬいぐるみやグッズなど多数あり、フクロウの高価なぬいぐるみもあった。
 ポケモンセンターは長い行列が出きってたので入らなかった。店の外で大勢DSを広げている人がいた。ここで色違いのピカチュウはゲットできたようだ。
 みみずく資料館はジュンク堂の角を曲がってしばらくいった南池袋小学校の中にあった。学校の中なので、公開は土日のみ。門の横の塀には大きなブロンズのミミズクのレリーフがあり、時計の上の学校のマークもミミズクだった。


 展示室はそれほど大きくない。世界のいろんなフクロウ・ミミズクのグッズが展示されていた。古代ギリシャのフクロウ銀貨もあった。永楽銭と一緒でたくさん作られたんだろうな。この銀貨のおかげで古代ギリシャ人は働くなくても食って行けたもんだから、オリンピックに興じたり哲学したり、戦争ばかりやってたのも暇だったからなのか。
 ここが商店街のスタンプラリーの終点なのか、子供たちが途切れることなくやってきては去っていった。
 このあと雑司が谷の鬼子母神に向かった。都電の線路のあたりの工事現場の塀に変な前髪猫の絵が描かれていた。
 線路脇を行き、少し行くと大鳥神社があった。入り口には尻を上に持ち上げた獅子山タイプの狛犬が通常の台座の上に乗っかってた。このポーズはすずちゃんの尻尾の付け根ぽんぽんをねだるときのポーズに似ている。茅の輪くぐりをしてから参拝した。
 拝殿の前には招魂社系の大きな狛犬があった。境内社の稲荷神社のお狐さんは金網の中に守られていた。
 鬼子母神にも両脇がミミズクの形したベンチがあった。狛犬は江戸狛犬。
 雑司が谷案内所のススキミミズクを見て、鬼子母神駅前でメロンパンを食べ、池袋に戻った。
 ジュンク堂ではトマ・ピケティの『21世紀の資本論』が平積みされてたくさん並んでた。経済が発展すればするほど、ちょうどマラソンで走れば走るほどトップとビリの差が開いてゆくように貧富の差が拡大してゆくのは、別にこの本を読まなくても誰もが思うところだが、それをきちんと数字で証明したところが重要なのだろう。ただ、富裕税という、要するに金持ちからがっぽり税金取ってばら撒けばいいという社会主義的発想では、経済全体の活力が失われ、貧しいほうに平均化してしまう危険がある。
 HUBという英国風のパブで夕飯を食べて帰った。時間が早かったのでカクテルが安かった。1杯190円のもあった。楽しい一日だった。

 ふくろうのどこ吹く風の平和かな


1月11日

 風刺というのは政治に直接参加することの許されなかった時代の民衆が、歌のなどの芸能によって不満や意見を世間に広める行為であり、誰が言い出したかわからないその匿名性によって自由が保たれていた。それゆえ為政者はこれを罰することができず、むしろ為政者は民意を知る手段としてこれに積極的に耳を傾けることが求められた。このことは『詩経』の大序に記されている。
 民謡のような口承によって伝達される媒体は、つまらなければ誰もそれを拡散させようとする人もいないため、面白くて多くの人の共感できるものだけが自ずと残ることになる。そのため、流行するものは一定の民意を反映しているとみなすことができた。
 これに対し西洋のカリカチュアは、語源的には「過積載」だったらしく、単に物事を大袈裟に表現する手法を指すにすぎない。その主体も民衆ではなく、新聞などの大衆扇動装置に由来する場合が多い。
 どっちにしても基本的に受けるかどうかが重要だ。多くの大衆の共感を得たなら、その風刺は一定の真実を語るのであり、大衆からそっぽを向かれ忘れ去られたものに力はない。
 シャルリー・エブドのニュースで肝心なことが今ひとつ伝わっていない。それは、例のカリカチュアがどれくらい流行していたものなのかということだ。どれくらい売れていたのか。そして、どの層に主に受けていたかも重要だ。ムスリムの間でも受けていたのか、フランスの左翼の間で受けていたのか、右翼の間で受けていたのか、広く大衆の支持を受けていたのか、それによってこのカリカチュアの評価はまったく違うものになるし、犯人のイスラム原理主義者も、それによって何に挑戦していたのかがまったく意味合いの違うものになる。
 人殺しは悪いことだし、テロはいけないことだ。ただ、圧倒的な力を持った相手に抵抗するときには、暴力的手段は限定的に許されている。ストライキやデモ行進などは広く抵抗権として認められている。この抵抗権という概念がないなら、フランス革命も無効になる。圧制を武力によって打ち倒すのは、それ自身はテロであるが、それによって民衆が開放されるなら抵抗権の一つとなる。
 逆説的に言うなら、例のカリカチュアに共鳴する者たちが圧倒的な多数派で絶対的な力を持っているなら、それに対する抵抗はかえって正当性を持つことになる。
 どんなカリカチュアを書こうとそれは自由だというのなら、それを「くだらない」というのも自由であり、くだらないものは無視する、というのがカリカチュアに対する最大の抵抗だということを、原理主義者も知るべきであろう。
 どのみちそんなカリカチュアが多くの大衆に受けていたとは思えない。それがテロ事件を起こすことによって、かえって無視していた100万の大衆がこのカリカチュアの支持に回ってしまったとすれば、これは逆効果以外の何でもない。
 そういうわけで俺も言論の自由を行使する。Je ne suis pas Charlie!

1月8日

 フランスの新聞社が襲撃されたというニュースがあったが、これだと日本で言う朝日新聞あたりが襲撃されたみたいに聞こえるが、、ネットで出てくる見出しだけを見ても「 パリ中心部の風刺週刊紙「シャルリエブド」本社」とあったり、「フランスの風刺週刊紙「シャルリエブド」を発行するパリの新聞社」とあったり、いったい新聞なのか週刊誌なのかはっきりしない。「シャルリエブド」はどうも前々からイスラム教を茶化した風刺記事を載せては問題になってた週刊誌のようで、あまりまともな雑誌ではなさそうだ。過去にも何度も襲撃を受けていた。
 フランスは北アフリカや西アフリカの旧植民地からの移民が多く、こうした移民を排斥しようとする右翼もたくさんいるから、多分そういう人たちに支持されていたのだろう。原理主義者だけでなく、全イスラム教徒を敵に回すようなことをやっていたのなら、いわゆるヘイトスピーチと大して変わりない。
 日本だったらヘイトスピーチは人権問題だが、フランスでは愛国者の方が数が多いから、こういうのも「言論の自由を守れ」という方向に行くのだろう。どっちにしても人を殺して良い訳はないが、単純に原理主義だとかイスラム国の陰謀のようなことで片の付く問題でもなさそうだ。
 日本人の人権意識は欧米のような単なる理性の問題ではなく、長い「人情」の伝統の上にある。「盗人にも三分の理」というのが日本人の昔からの人権意識だ。
 フランスでは公共の場でのブルカなどの顔を覆うベールを禁止する法律があるが、これも西洋の習慣を基準にした一方的な人権意識の押し付けのような気がする。法的には目だけしか出てないような極端なものを禁止するにとどまっているけど、そうでない髪だけを覆うヒジャブにも圧力がかけられている。
 フランスの2004年の宗教シンボル禁止法では、公教育の場での宗教シンボルが禁止されているが、これもイスラム教徒を狙い撃ちしているようなものだ。十字架に関しては壁に飾るような大きなものだけが禁止されているだけで、十字架のネックレスは別にいいみたいだし、それだと合格祈願の神社のお守りもいいのかな?
 確かにベールが女性の行動を制約するために用いられていた時代もあったし、今でも原理主義者の支配地域ではそうだけど、そうでない自由化の進んだ地域では、目だけしか出さないような極端なものは別として、普通に髪を覆う程度のヒジャブは、むしろ女性の方から自発的に着用を始めている。
 砂漠の強い直射日光を考えればむしろUVケアだし、日本の農家のおばちゃんだってほっかぶりしているのだから、宗教とは関係なしに必要とされているから着用しているにすぎない。顔を隠すという点では、化粧だって素顔を隠しているのだし、サングラスやつばの大きなサンバイザーなども似たようなものではないか。
 顔を隠すのがいけないなら、ゆるきゃらの着ぐるみも公共の場ではNGということになる。
 日本人の感覚からすると、西洋人は十字架を下げ、日本人は神社のお守りをぶら下げ、アラビア人はベールをかぶり、シーク教徒はターバンを巻いてと、それぞれ独自の格好をするのが自由だと思うのだが、フランス人の感覚は違うのだろう。「フランス人の格好をするところに人間の自由がある」ということだろうか。

1月4日

 昨日の帰りの電車の中で、小田原に着く前に『イギリス人アナリスト日本の国宝を守る』を100パーセント読みきった。
 内容はまあ、賢明な日本人ならみんな分かっているようなことなのだろうけど、「わかっちゃいるけどやめられない」といったところか。
 不良債権の問題だって、本当はわかっていても、それを公表して国民がパニックを起こし、取り付け騒ぎなんかが起きるのではないかと思うと、やはり口封じしたくなるものなのだろう。災害のときでも避難勧告が遅れるのは、大体そういった理由だ。大本営発表だって、結局そうだったのだろう。
 日本の「おもてなし」だって、マスコミがいろいろ誇張してあおったりするけど、日本人だってそんなに満足しているわけではない。ただ「そういうものだ」と思っているだけだ。
 日本では職人の地位が高く、ユーザー無視で生産者のわがままが通るのも、三谷幸喜の『みんなのいえ』の中に出てくる大工さんが頑強に玄関の内開きを拒むあたりでネタにされている。
 このあたりのことは、みんなわかってはいるけどあきらめてる、といった方がいい。だから、日本の社会にしがらみのない外人さんが言ってくれるとスカッとするわけで、こういう本も売れるわけだ。
 日本の観光地が外国人受けしないのには基本的に二つの理由があると思う。
 一つは、日本は人口が多く日本人観光客だけでも市場が成立するため、ほとんどの観光地は日本人の好みに合わせたものに特化しているということと、もう一つは、その日本人の嗜好が明治以来の西洋崇拝のせいで、日本の伝統文化にほとんど関心がなく、むしろ居ながらにして西洋に行ったような気分になることの方が重要だったということだと思う。
 軽井沢や那須のような高原には西洋風のホテルやペンションが立ち並び、小洒落たレストランやパン屋さんがあって、西洋のものを集めたテーマパークや博物館が立ち並んでいる。どこにもその土地本来の文化を感じさせるようなものはないし、むしろそういうのをできる限り隠そうとしてすらいる。
 かつての南国宮崎の観光のキャッチフレーズは日本のハワイだったし、福島で炭鉱が閉山になった後の起死回生の町おこしが常磐ハワイアンセンターだったりもした。日本人はその地元の文化には関心がなかったし、そんなものは田舎くさい、ダサいとさえ思っていた。
 だが、西洋人はそんな西洋のもののフェイクなんかには興味がない。那須のステンドグラス美術館はイギリスコッツウォルズのマナーハウスを見事に再現しているけど、果たして本物のイギリス人がそんなものを日本にまで来て見たいだろうか。逆に考えれば、ピーターラビットの世界に浸りたくてイギリスの湖水地方を尋ねたとき、そこにもし合掌造りの浮世絵美術館があったりしたらどう思うだろうか。ネタくらいにはなるだろうけど。
 二条城に解説がないのは、日本人ならそこでどんなドラマがあったか常識的に知っているからではない。そんなものは歴史オタクくらいしか知らない。俺も修学旅行で二条城に行ったが、鴬張りの廊下の記憶くらいしかない。この前足利学校に行ったが、もちろんそこでどんな人間ドラマがあったのかなんて何も知らない。中世の歴史の専門家だってわからないのではないかと思う。
 人形浄瑠璃だって、たいていの人は見たってどこがいいのかわからないし、何で人形を操る人が顔出ししているのかだって、ちゃんと説明できる人はそうはいない。まして大阪市長や大阪府知事がそれを知らなくても何の不思議もない。瀬戸内さんもきーんさんも庶民にわかるような説明はしてくれない。補助金といってもたいした額は出てないのだろうけど、そのお金が集客に結びついてないのは明らかだ。
 日本人に対してできてないことを外人にというのは、かなりハードルが高い。だが、それができたら外国人だけでなく、日本人の客も増えるに違いない。
 結局日本人自身がもっと自分の国の文化を愛せるようにならなくては、問題は何も解決しないのではないかと思う。自分の国の文化を自虐的にしか語れない人がデービッド・アトキンソンさんの本を読んでも、「ほれみたことか、おもてなしもサッカー場の清掃も和食もジャパンクールも世界には通用しない、だから日本人は駄目なんだ」で終わるだけだ。
 西洋崇拝の文化人は、明治以降の西洋的に改変された伝統文化観を守りたいし、それに疑問を持たれたくない。だから一方では伝統文化を保存しなければ欧米に笑われるという意識で保存に力を入れているものの、その本来の精神が蘇ることを警戒している。文化財は生かさぬように殺さぬようにというのが本音なのだろう。
 そこから脱却して本来の精神を取り戻したいなら、俺を働かせろ~!

1月3日

 今年の旅初めは、とりあえず東海道の続きということで、去年からちょうど一年、岳南鉄道の吉原本町駅をスタートすることにした。
 朝5時半に家を出て、着いたのが8時37分、3時間も電車に揺られたので、昨日ダウンロードしたばかりのデービッド・アトキンソンの『イギリス人アナリスト日本の国宝を守る─雇用400万人、GDP8パーセント成長への提言』(2014、講談社+α新書)が73パーセントまで読めた。
 空は雲一つない快晴で、もちろん富士山もくっきり見えた。去年は、次に来るときにまた晴れるかどうかわからないからと左富士のところを急いだが、あの時は春か夏にもう一度来るつもりだったからで、1年先になるとは思ってなかった。
 正月の吉原の町は当然ながら閑散としていた。
 富士山側に天神社があった。入ってすぐのところに撫で牛があったのでお約束で頭を撫でた。手水場のところにもう同じ牛があった。牛の前には水がお供えされていたが凍ってた。
 狛犬は年代がわからなかったが昭和のものだろう。単体道祖神塔もあり、菅原道真像もあり、そんな広くはない境内だが、なかなか盛りだくさんだ。
 街道に戻り、少し行くと吉原中央駅というのがあった。駅というってもバスの発着する駅だ。ここを左に曲がり、次の信号を右に曲がる。錦町北の交差点で国道139号に出るが、本来道はここを突っ切って、次の錦町交差点を少し右に行ったところで左斜めに入る道に続いていたのだろう。この道沿いにも小さな八幡宮があり、道の脇に文字型道祖神塔があった。
 高島の交差点を右前に行くと潤井川橋がある。この手前で右に入り富安橋を通る方が旧東海道だ。
 路上でカラスが何かをつついていた。よく見るとそれはパックに入った鏡餅で、嘴で穴を開けていた。道の脇には単体道祖神塔があり、そこのお供えだったのだろう。正月はゴミの収集がないため、からすには厳しい季節。

 ところで、さっきから富士山の写真を撮ろうとするのだが、富安橋では病院の建物が邪魔していたし、広い交差点に出ても道路標識が邪魔したりして、なかなかいいポイントがない。狭い路地の縦横に張り巡らされた電線も何とかならないものか。
 しばらく右左に緩やかなカーブの続く、いかにも旧道らしい道が続く。途中左側にこの辺ではあまり見ない双体道祖神塔があった。その道が今の県道に合流すると、目の前にJRのガードが見えてくる。その手前に鳥居があり、天白神社がある。この神社の脇にも双体道祖神塔があった。
 JRのガードのすぐ横は身延線柚木駅になっていた。この少し先で、また右側に入る旧道がある。秋葉山と書いた常夜灯がある。この手の常夜灯はこの先何度も見ることになる。
 旧道はすぐにもとの道に合流し、先のほうに大きなトラス橋が見えてくる。富士川はすぐ先だ。
 橋の手前に水神社がある。入り口付近には富士川渡船場跡の碑があり、短い石段の向こうに昭和61年銘の岡崎型狛犬がある。拝殿前にも昭和34年銘の角ばった顔の狛犬があった。
 富士川に出ると、左に駿河湾、右に富士山が見えてくる。橋を渡るにつれ、富士山は全貌を現し、愛鷹山に至る雄大な眺め


が展開される。
 富士川というと、芭蕉の『野ざらし紀行』では富士川の捨て子と呼ばれる場面がある。富士川のほとりで捨て子が泣いていて、芭蕉がどうすることもできずにとりあえず食い物を投げて通り、

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに   芭蕉

の句を詠む場面だ。今ならすぐ警察を呼ぶところだが、当時はまだ捨て子を収容するような公的施設がなかったため、その悲しさを句にして多くの人に訴え、問題提起するしかなかった。
 橋を渡り終えると、県道を渡ってすぐの小さな道を右に行き、坂道を登ってゆくと岩淵という間宿(あいのしゅく)に出る。振り返ると正面に富士山が見える。
 右側に八坂神社の鳥居があり、参道は東名高速の下をくぐり、その先の石段の上に八坂神社の拝殿がある。拝殿前には紀元2600年銘の狛犬がある。渋めの赤と黄に目のところは白を使い綺麗に彩色されている。

 再び街道に戻り少し行くと、道が大きく右に曲がるところに一里塚がある。岩淵一里塚だ。
 もう少し行くと、右に分岐する道がある。ここを曲がり東名高速をくぐったところですぐ左に行く。途中に鏡餅を備えた秋葉山の常夜灯があった。
 やがて右側に宇多利神社と書いた石塔が立っていて、山の斜面に小さな神社がある。鳥居には電線が巻きつけられ、外灯の蛍光灯がついている。拝殿にも笠を付けた裸電球があり、エレクトリゼーションされている。手前の建物には春埜堂と書いてある。後で調べたら、ここは春埜堂で、宇多利神社はもっと奥にあったようだ。神社の名前が何で「宇多利」なのかちょっと気になる。ウタリというとアイヌ語で同胞の意味だが、何か関係があるのだろうか。それで行くと富士はフチ(母)の山?
 新幹線のガードをくぐると道は上り坂になる。坂を登ると富士山がまたくっきりと姿を現す。そして、東名高速を見下ろすところに来る。ちょうど名古屋方面から来ると、この峠を越えたところで目の前に富士山が見えてきて、おおっとなる所だ。そしてすぐに富士川サービスエリアがあり、その先の下り坂は


東名高速随一の絶景といってもいい。
 東海道も今は東名高速を作る際に削られてしまったが、この上を通り、やはり峠越えの道だったのだろう。今は橋を渡り向こう側に渡る。ちょうど渡り終えた頃、「遠き島より~」のメロディーが流れてくる。正午だ。
 ここを越えると目の前に海が見え、下り坂になる。ここを降りると蒲原宿だ。
 県道と並行して走る旧道に出るとすぐのところに小さな社があり、一里塚と書いてある。蒲原一里塚跡で、塚は残っていない。
 少し先に行くと、道がわずかにクランク上のカーブを描く場所がある。その手前に鳥居があり、諏訪神社がある。昭和12年銘の狛犬がある。
 道がクランク状になっているのは、かつてここに東木戸があって宿場に入る場所で、外的が侵入しにくいように宿場の入り口を枡形にしたと言われている。
 水路式の水力発電所があるのか、山から下りてくる太いパイプの上の橋を渡る。ここを過ぎると周りの建物も宿場町らしくなってくる。
 山側に八幡神社があり、石段を登ってゆくと眺めがいい。ここにも狛犬がある。銘はないが昭和のものだろう。そろそろ昼飯にしたいのでどこか食べるところはないかと探すと、イオンタウンが見えた。
 イオンタウンは新蒲原駅の向こう側にあり、バーミヤンがあった。丸大飯店というのがあったが並んでたので、結局どこにでもあるマックに入った。マックは確かこの東海道の旅で茅ヶ崎のマックに入ったとき以来かもしれない。マックだけでなくモスも売り上げが減っているというから、世間全体でハンバーガー離れが進んでいるのだろう。そのせいか、狭い店内だけどすいてた。ラーメン屋に客を取られちゃったんだろうな。
 街道に戻る。八坂神社は境内に桜の木が多く、「サクラの木をおらないで!!」書いた札が下がっていた。平成20年銘の新しい狛犬は尾が台座の方に下がって台座と一体化している珍しいタイプで、脱岡崎型への新機軸が伺われる。
 さらにすぐ先に若宮神社がある。ここの狛犬は紡錘形の大きな尻尾に特徴があり、首もひょろっと長く、かなり珍しい。大正2年のものらしい。こういった面白い狛犬がいくつも見られるとなると、狛犬貧困県の汚名は返上しなくてはならない。静岡にも結構面白い狛犬がたくさんある。
 やがて街道は大きくクランクして、今の県道に出る。その突き当りに位置するのが和歌宮神社だ。さっきのは若宮、今度のは和歌宮、紛らわしい。入り口には昭和2年銘の岡崎型としては初期の狛犬がいる。御神体がコノハナサクヤヒメと山部赤人になっている。ここの説明板によると、蒲原宿吹き上げ浜で富士山を見て、

 田子の浦ゆ打ち出でてみれば真白にぞ
     富士の高嶺に雪は降りける
                 山部赤人

の歌を詠んだとしている。
 元のテキストは、「田兒之浦従打出而見者真白衣不盡能高嶺尓雪波零家留」で、この田兒之浦が今の田子の浦ではなく、『続日本記(しょくにほんぎ)』の廬原(いおはら)郡多胡浦で、これを庵原郡蒲原町(今は平成の大合併で静岡市清水区蒲原になっている)に比定して、蒲原あたりの浜辺で詠んだものとされている。
 貞観6年(864年)より前の古代東海道は、富士川の西側の廬原郡に蒲原駅があり、そこから近世東海道の間宿だった柏原のあたりと思われる柏原駅へと海沿いのルートを通っていた。おそらくこのあたり一体が多胡浦だったのだろう。田兒之浦従の「従」という字は「後ろに付いて行く」という意味で、助字としては「~から、~より」という意味で用いられる。この歌も「田子の浦から海に打ち出でてみれば」という意味で、富士川の河口域から今の田子の浦港のあたりまでの低湿地を避けて船で渡ったのだろう。
 時代は下るが、11世紀の『更級日記』にも、「たごの浦は浪たかくて舟にてこぎめぐる」とある。
 山部赤人の時代はまだ人口が希薄で、街道がいくら幅12メートルあったといっても、左右の眺めは森林に遮られ、海に出たとき初めて富士山がその全貌を現して「おおっ」となったのだろう。
 県道に出ると、しばらく坦々とした道が続く。時折微妙に曲がっているものの直線的な道で、原のあたりの道に雰囲気が似ている。おそらくこのあたりも古代東海道を踏襲した道だったのだろう。
 途中にあった酒屋で、お土産用に正雪という由井の地酒を買う。
 東名高速をくぐると道が二股に分かれ、左の方が旧道になる。この分岐点付近に正八幡宮がある。狛犬はなかった。
 旧道をしばらく行くと、道が小さくクランクする枡形があり、ここから由井宿になる。その少し手前に小さな社と由井一里塚の跡の説明板がある。
 由井宿本陣の跡には立派な記念館が建ち、櫓が再現されている。
 橋を渡ると桜海老を売る店が並び、いかにも観光地らしくなっている。
 右側に豊積(とよつみ)神社があった。坂上田村麿も立ち寄ったという古い神社で、境内には太鼓の像があろ「井」の字の形をした井戸があった。狛犬は昭和3年の招魂社系で、正月の注連縄を首に巻いていた。
 JR油井駅ももうすぐというところに天神社があった。地図には北野社となっている。北野天神だ。細い道を行き、国道1号線を越えて石段を登っると眺めがいい。山の間に富士の白い山頂部分だけが顔を出している。狛犬は大正10年銘の小ぶりなものがあった。
 JRの線路脇に出ると、由比駅はもうすぐそこだ。もうすぐ3時。ここから薩埵峠を越えて興津まで行くと、早くても2時間、この時期なら真っ暗になっているだろう。富士の綺麗に見える日に薩埵峠を越えたい気もするけど、今日はここまで。また電車で3時間乗って帰った。

1月2日

 今日は琴平隠者に初詣に行った。
 昨日は雪がちらちら降って、枯れ草の上にそれが少し残ってた。寒い日だった。