「粟稗に」の巻、解説

貞享五年七月二十日、名古屋長虹亭

初表

 粟稗にとぼしくもあらず草の庵   芭蕉

   薮の中より見ゆる青柿     長虹

 秋の雨歩行鵜に出る暮かけて    荷兮

   月なき岨をまがる山あい    一井

 ひだるしと人の申ばひだるさよ   越人

   藁もちよりて屋根葺にけり   胡及

 

初裏

 木の葉ちる榎の末も神無月     鼠弾

   つて待かぬる嶋のくひ物    芭蕉

 筵着て蚊のなく聲に眠られず    長虹

   われに狂ふや妾がおとろへ   荷兮

 水つけず立たる髪の冷じく     一井

   死で間もなき玉まつるなり   越人

 石篭もあらはれいづる夜るの月   胡及

   箕をくむとて寐ぬわたし守   鼠弾

 火ぶりして帰るおのこは何者ぞ   芭蕉

   白きたもとの見ゆる輿かき   一井

 雨乞にすはすは花のうるおひて   荷兮

   竹ゆひそゆる軒の連翹     長虹

 

 

二表

 日和さよけふは気あひの少よく   荷兮

   木馬直して子をのせにけり   胡及

 色黒き下部つまげてかしこまり   鼠弾

   切篭おりかけすごき夕ぐれ   一井

 さまざまの香かほりけり月の影   越人

   人一代の恋をとふ秋      芭蕉

 捨し世はくずのうらみも引むしり  長虹

   きたなくなれどかほも洗はず  越人

 懐に脇指さしてまたいづる     胡及

   下戸をにくめる雪の夜の亭   荷兮

 早咲のむめをわが身にたとへたり  芭蕉

   嫁せぬむすめの眉かかでおる  鼠弾

 

二裏

 しのび音にすががきならす垣の奥  胡及

   ふみきやさせる松のともしび  越人

 明やすき夜をますらが腹立て    荷兮

   なにを鳴行ほととぎすやら   芭蕉

 花によるすずりのふたに物かきぬ  鼠弾

   簾はり出すはるの夕ぐれ    長虹

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   貞享五戊辰七月廿日

    於竹葉軒

     長虹興行

   俳諧之連歌

 粟稗にとぼしくもあらず草の庵  芭蕉

 

 長虹は僧でお寺の中の草庵に住んでいたという。これはその印象をちょっと面白くいじった感じで詠んだのだろう。

 実際にどういう庵かわからないが、多分思った以上に立派だったのだろう。まあ、興行で集まる前はとにかく粗末な所でだとか、謙遜して話していていたが、実際に見てあまりに立派なので、「確かにこれでは粟稗に乏しいとは思えないな」とからかい、一座からも笑いが漏れたんではないかと思う。

 同じようの句作りは芭蕉最後の興行の、

 

 白菊の眼に立て見る塵もなし   芭蕉

 

の句で、これも園女があまりに自分の容姿のことを謙遜していたからではなかったかと思う。

 

季語は「粟稗」で秋。「草の庵」は居所。

 

 

   粟稗にとぼしくもあらず草の庵

 薮の中より見ゆる青柿      長虹

 (粟稗にとぼしくもあらず草の庵薮の中より見ゆる青柿)

 

 そんなことないですよ、粗末な庵ですよと言わんばかりに、藪の中から見る青柿、といかにも貧相そうに答える。

 

季語は「青柿」で秋、植物、木類。

 

第三

 

   薮の中より見ゆる青柿

 秋の雨歩行鵜に出る暮かけて   荷兮

 (秋の雨歩行鵜に出る暮かけて薮の中より見ゆる青柿)

 

 元禄二年刊荷兮編『阿羅野』の「麦をわすれ」の巻二十七句目にも、

 

   秋になるより里の酒桶

 露しぐれ歩鵜に出る暮かけて   荷兮

 

の句がある。「麦をわすれ」の興行は春の発句だが、芭蕉が去って行ったことを詠んだ素堂の発句の興によるものなので、芭蕉が江戸に帰った後の元禄二年の興行で『阿羅野』の員外の冒頭を飾る一巻として、『阿羅野』完成間際に作られたのではないかと思う。この第三が芭蕉に褒められたか何かで、あえてこの俳諧を飾るものとして使い回したのではないかと思う。

 「歩行鵜」は「かちう」で、ネット上の『「清流長良川流域の生き物・生活・産業」連続講座第1回今を生きる逞しき伝統美“鵜飼:川漁”講演録』に、

 

 「現在、私としては、鵜飼というのは、先ほどもこういうふうにしてパネルが出ておりますが、船の上で、それに乗って鵜飼をやるのがほとんどなんですけれども、鵜匠さんが川の中を歩きながらやる鵜飼、徒歩鵜飼(かちうかい)という鵜飼もございます。それが、山梨県は石和温泉笛吹川。現在やられておりませんが、和歌山県は有田川、有田鵜飼。この2か所だけが現在日本に残っておりますが、有田さんについては、ここ4、5年、経済的に難しいということでやっておられませんが、技術というのは残っているようです。私たちとしては残してほしいということが現状でございます。」

 

とある。かつては長良川でも行われたいたと思われる。

 前句の薮の中の青柿を貧相な鵜匠の家として、雨の中を歩行鵜に出る、とする。

 

季語は「秋の雨」で秋、降物。「鵜」は鳥類。

 

四句目

 

   秋の雨歩行鵜に出る暮かけて

 月なき岨をまがる山あい     一井

 (秋の雨歩行鵜に出る暮かけて月なき岨をまがる山あい)

 

 歩行鵜は船で登れないような上流の方で行われていたのだろう。雨で月もない真っ暗な中で行われる。

 

季語は「月なき」で秋、夜分、天象。「岨」「山あい」は山類。

 

五句目

 

   月なき岨をまがる山あい

 ひだるしと人の申ばひだるさよ  越人

 (ひだるしと人の申ばひだるさよ月なき岨をまがる山あい)

 

 旅体に転じる。一人旅は危険が多いので、最低でも二人で旅をする。芭蕉の旅でも同じだ。

 一人が腹減ったというと、そういえば忘れてたが腹が減ったな、となる。旅のあるある。

 

無季。旅体。「人」は人倫。

 

六句目

 

   ひだるしと人の申ばひだるさよ

 藁もちよりて屋根葺にけり    胡及

 (ひだるしと人の申ばひだるさよ藁もちよりて屋根葺にけり)

 

 茅葺屋根だとか藁葺屋根とかいう場合、藁や茅で吹いた屋根を総称している場合もあれば区別して言う場合もある。ここでは茅を刈ってきて葺くのではなく、田畑で生じた藁を持ち寄って葺いているのだろう。稲藁か麦藁かはわからない。

 村中総出の作業で、一人が腹減ったというと、他の人もそういえば、となる。

 

無季。

初裏

七句目

 

   藁もちよりて屋根葺にけり

 木の葉ちる榎の末も神無月    鼠弾

 (木の葉ちる榎の末も神無月藁もちよりて屋根葺にけり)

 

 榎は街道の一里塚に植えられていたが、神社の神木になっていることもある。神木の榎も木の葉が散れば神無月になる。

 

季語は「神無月」で冬。「榎」は植物、木類。

 

八句目

 

   木の葉ちる榎の末も神無月

 つて待かぬる嶋のくひ物     芭蕉

 (木の葉ちる榎の末も神無月つて待かぬる嶋のくひ物)

 

 本土では穀物の収穫は終わる頃だろう。いつ食料が届くかと島では待っている。

 

無季。「嶋」は水辺。

 

九句目

 

   つて待かぬる嶋のくひ物

 筵着て蚊のなく聲に眠られず   長虹

 (筵着て蚊のなく聲に眠られずつて待かぬる嶋のくひ物)

 

 嶋の流人であろう。この興行の少し前の「初秋は」の巻二十九句目にも、

 

   魚つむ船の岸による月

 露の身の嶋の乞食とくろみ果   芭蕉

 

とある。これはその乞食の方を詠んでいる。

 

季語は「蚊」で夏、虫類。

 

十句目

 

   筵着て蚊のなく聲に眠られず

 われに狂ふや妾がおとろへ    荷兮

 (筵着て蚊のなく聲に眠られずわれに狂ふや妾がおとろへ)

 

 謡曲『卒塔婆小町』であろう。乞食に身を落とした小町は深草の少将の霊が取り付き狂乱する。

 

無季。「われ」「妾」は人倫。

 

十一句目

 

   われに狂ふや妾がおとろへ

 水つけず立たる髪の冷じく    一井

 (われに狂ふや妾がおとろへ水つけず立たる髪の冷じく)

 

 謡曲『蝉丸』の逆髪に転じる。やはり狂乱物になる。

 

季語は「冷じ」で秋。

 

十二句目

 

   水つけず立たる髪の冷じく

 死で間もなき玉まつるなり    越人

 (水つけず立たる髪の冷じく死で間もなき玉まつるなり)

 

 前句を遺体とし、まだ埋葬も済まないうちに初盆になる。

 

季語は「玉まつる」で秋。

 

十三句目

 

   死で間もなき玉まつるなり

 石篭もあらはれいづる夜るの月  胡及

 (石篭もあらはれいづる夜るの月死で間もなき玉まつるなり)

 

 石篭(いしかご)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 あらく編んだ長い籠の中に石などをつめたもの。河川の護岸に使用。蛇籠(じゃかご)。

  ※多聞院日記‐天文一九年(1550)七月二九日「三蔵院東の川の石籠つませられ了」

 

とある。

 川施餓鬼とする。水害があって、その死者を弔っているだろう。

 川施餓鬼はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 水死した人の冥福を祈って、川で行なう施餓鬼供養。多くは川に漕ぎ出し、塔婆を水中に立て、あるいは経木、紙などに死者の法名を記し、河中に投げるなどして回向する。盆の頃多く行なわれ、流灌頂(ながれかんじょう)に起因するものという。《季・秋》

  ※雑俳・蓍萩(1735)「経文に水かけ合の川施餓鬼」

  ※黄表紙・憎口返答返(1780)「屋形舟を借りて川施餓鬼とやら」

  ② 難産で死んだ産婦をとむらうこと。流灌頂から転じたもの。

  ※俳諧・類船集(1676)世「難産して身まかりたるを川せがきといふ事をすとかや」

 

とある。

 

季語は「夜るの月」で秋、夜分、天象。

 

十四句目

 

   石篭もあらはれいづる夜るの月

 箕をくむとて寐ぬわたし守    鼠弾

 (石篭もあらはれいづる夜るの月箕をくむとて寐ぬわたし守)

 

 隠亡(おんぼう)であろう。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「隠坊、熅坊などと書くが御坊の意と思われる。火葬の処理人、墓守のことをいったが、もと下級法師の役であったという。本居内遠(もとおりうちとお)の『賤者考』によれば、熅房(坊)は熅法師、煙法師と書くべきであり、下火は僧のすべきことで、古くは皆、徳行ある法師に付せしことなりとある。旧時のことだが、伊賀地方(三重県中西部)ではおん坊のことをハチといって、土師と書いていた。また備中(びっちゅう)地方(岡山県西部)では、隠亡といわれる者がおり、亡者の取り扱い、あるいは非人番などをしていた。正月には村内へ茶筅(ちゃせん)を配るので、茶筅ともいわれていた。彼らは竹細工のほか渡し守をしているものもあった。水呑百姓(みずのみびゃくしょう)より下級とされ、賤民(せんみん)として差別されて、普通の農民とは通婚しなかった。関東地方における番太と同じ役、村の見張番などもやった。[大藤時彦]」

 

とある。穢多・非人とは異なる雑種賤民で、隠亡という名ではなくても、似たような存在は他の地方にもあったと思われる。

 渡し守の外に竹細工もやっていたので石篭や箕(粉をふるう道具)を作っている。

 

無季。「わたし守」は人倫、水辺。

 

十五句目

 

   箕をくむとて寐ぬわたし守

 火ぶりして帰るおのこは何者ぞ  芭蕉

 (火ぶりして帰るおのこは何者ぞ箕をくむとて寐ぬわたし守)

 

 「火ぶり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ひふり」とも)

  ① 松明(たいまつ)などを振り回すこと。

  ※謡曲・烏帽子折(1480頃)「火振りの親方として」

  ② 夜、松明などをともして、川漁を行なうこと。

  ※狂歌・堀河百首題狂歌集(1671)夏「夏とともに火ふりの身をも打はらひ明日よりは秋のかね儲せん」

 

とある。

 ここでは①で用例にあるように、謡曲『烏帽子折』を思い起こして、盗賊熊坂長範の投げ松明を切ったり投げ返したりし、盗賊を一網打尽にして帰るあの男は何者ぞ、となる。

 

無季。「火ぶり」は夜分。「おのこ」は人倫。

 

十六句目

 

   火ぶりして帰るおのこは何者ぞ

 白きたもとの見ゆる輿かき    一井

 (火ぶりして帰るおのこは何者ぞ白きたもとの見ゆる輿かき)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注には、「葬列に用いる白衣」という。ということは輿は棺を乗せた輿で、誰が乗っているのか、ということか。

 

無季。「白きたもと」は衣裳。

 

十七句目

 

   白きたもとの見ゆる輿かき

 雨乞にすはすは花のうるおひて  荷兮

 (雨乞にすはすは花のうるおひて白きたもとの見ゆる輿かき)

 

 「すはすは」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)

  ① 水などを飲むときの音を表わす語。

  ※古今著聞集(1254)一七「御盥にみづから水を入させ給て、たまはせければ、うちうつぶきて、よによげにすはすはとみなのみてけり」

  ② 滞りなく軽やかに物を切るさまを表わす語。

  ※波形本狂言・鱸庖丁(室町末‐近世初)「すっぱり、すっぱり、すはすはすはと作て生姜酢きずきずとあへ」

  ③ 物が軽く何かに当たるさまを表わす語。

  ※宇治拾遺(1221頃)一「毛の中より松茸の大きやかなる物の、ふらふらと出で来て、腹にすはすはとうちつけたり」

 

とある。ここでは桜の木が水を吸い上げてということか。

 前句を雨乞の儀式のための行列とし、雨乞がうまく行って雨が降り、萎れかかった桜の花も元気になる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。 

 

十八句目

 

   雨乞にすはすは花のうるおひて

 竹ゆひそゆる軒の連翹      長虹

 (雨乞にすはすは花のうるおひて竹ゆひそゆる軒の連翹)

 

 レンギョウは半つる性の枝垂れなので竹を組んでそこに結いつけて生垣に仕立てる。潤う桜に、レンギョウの垣を添える。

 

季語は「連翹」で春、植物、草類。「軒」は居所。

二表

十九句目

 

   竹ゆひそゆる軒の連翹

 日和さよけふは気あひの少よく  荷兮

 (日和さよけふは気あひの少よく竹ゆひそゆる軒の連翹)

 

 日和はここでは「のどか」と読む。「気あひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (形動) 気が合うこと。気持、いきが合うこと。また、そのような人。あるいは、そのようなさま。

  ※本福寺跡書(1560頃)「五度も十度も、その機合の人をもて和を入て、教訓正路にあるべし」

  ② (「あい」は様子、調子の意) 気持の様子、具合。

  (イ) 健康状態についていう。気分。転じて、気分が悪い意にも用いる。

  ※天理本狂言・蝸牛(室町末‐近世初)「扨々おうち子の気相がおもわしうもなふてきのどくな事じゃ」

  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「己がきあひの事をば、今で宣はねば、偽と思ふらん」

  (ロ) その場の状態や雰囲気(ふんいき)。

  ※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉四「客の機合(キアヒ)を取なしに、ぬけめなだかき流行妓」

  (ハ) 気風。気性。きだて。

  ※落語・成田小僧(下の巻)(1890)〈三代目三遊亭円遊〉「夫りァ容貌(かほ)は好くないが、チョイと気合が好くって法律家で」

  ③ 息。呼吸。多く、ある事をする二人以上の間の、相互の気持具合、調子の意に用いられる。

  ※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉一四「互に気合(キアヒ)を見やって見やって。ヨイショどっこい」

  ④ 精神を集中して事に当たる気勢。また、そのときの掛け声。

  ※園遊会(1902)〈国木田独歩〉三「禅僧の教を奉じ猛虎の気合(キアヒ)で、ウンと取って来ました」

 

とある。ここでは②の(イ)の意味。今日ではほとんどの場合④の意味で用いられる。

 病気がちだったけど今日は調子が良く、庭の連翹に竹を添える。

 

季語は「日和」で春。

 

二十句目

 

   日和さよけふは気あひの少よく

 木馬直して子をのせにけり    胡及

 (日和さよけふは気あひの少よく木馬直して子をのせにけり)

 

 木馬は当時は遊具ではなく武家の子どもの乗馬の練習に用いた。

 

無季。「子」は人倫。

 

二十一句目

 

   木馬直して子をのせにけり

 色黒き下部つまげてかしこまり  鼠弾

 (色黒き下部つまげてかしこまり木馬直して子をのせにけり)

 

 下部は「しもべ」で下僕のこと。「つまぐ」は裾を持ち上げること。上級武士の御子息で下部が仕える。

 

無季。「下部」は人倫。

 

二十二句目

 

   色黒き下部つまげてかしこまり

 切篭おりかけすごき夕ぐれ    一井

 (色黒き下部つまげてかしこまり切篭おりかけすごき夕ぐれ)

 

 「切篭(きりこ)」はお盆の切子灯籠でコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「盆灯籠の一種で、灯袋(ひぶくろ)が立方体の各角を切り落とした形の吊(つ)り灯籠。灯袋の枠に白紙を張り、底の四辺から透(すかし)模様や六字名号(ろくじみょうごう)(南無阿弥陀仏)などを入れた幅広の幡(はた)を下げたもの。灯袋の四方の角にボタンやレンゲの造花をつけ、細長い白紙を数枚ずつ下げることもある。点灯には、中に油皿を置いて種油を注ぎ、灯心を立てた。お盆に灯籠を点ずることは『明月記(めいげつき)』(鎌倉時代初期)などにあり、『円光(えんこう)大師絵伝』には切子灯籠と同形のものがみえている。江戸時代には『和漢三才図会』(1713)に切子灯籠があり、庶民の間でも一般化していたことがわかるが、その後しだいに盆提灯に変わっていった。ただし現在でも、各地の寺院や天竜川流域などの盆踊り、念仏踊りには切子灯籠が用いられ、香川県にはこれをつくる人がいる。[小川直之]」

 

とある。折掛け灯籠はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「細く削った竹2本を交差させて折り曲げ、その四端を方形の薄板の四隅に挿して、紙を張った盆灯籠。《季 秋》」

 

とある。貞享三年の「冬景や」の巻二十八句目に、

 

   美濃なるや蛤ぶねの朝よばひ

 ながれに破る切籠折かけ     李下

 

の句がある。

 良家のお盆で下部がかしこまる。

 

季語は「切篭おりかけ」で秋。

 

二十三句目

 

   切篭おりかけすごき夕ぐれ

 さまざまの香かほりけり月の影  越人

 (さまざまの香かほりけり月の影切篭おりかけすごき夕ぐれ)

 

 お盆は様々な香(こう)が焚かれ、薫ってくる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十四句目

 

   さまざまの香かほりけり月の影

 人一代の恋をとふ秋       芭蕉

 (さまざまの香かほりけり月の影人一代の恋をとふ秋)

 

 「人一代」は西鶴の『好色一代男』の一代と同じで、一人の人間の生涯の恋遍歴のことであろう。そこにはたくさんの女との出会い別れがあり、その都度違う香の薫りがあった。

 

季語は「秋」で秋。恋。「人」は人倫。

 

二十五句目

 

   人一代の恋をとふ秋

 捨し世はくずのうらみも引むしり 長虹

 (捨し世はくずのうらみも引むしり人一代の恋をとふ秋)

 

 葛の葉は秋風に葉の裏を見せる所から、古来、

 

 秋風の吹きうらがへす葛の葉の

     うらみてもなほ恨めしきかな

              平貞文(古今集)

 

の歌のように、「恨み」と掛詞にして用いられてきた。

 ここでは世捨て人になることで過去の恨みも断ち切りという所を、葛の葉に掛けて「引むしり」とする。

 

季語は「くず」で秋、植物、草類。恋。

 

二十六句目

 

   捨し世はくずのうらみも引むしり

 きたなくなれどかほも洗はず   越人

 (捨し世はくずのうらみも引むしりきたなくなれどかほも洗はず)

 

 人間色気を失ってしまうと身なりに関心のなくなるものだ。ただでさえ世を捨て乞食となり、衣類もボロボロな所に顔も洗わないとなれば、誰も近寄りたくない。

 

無季。

 

二十七句目

 

   きたなくなれどかほも洗はず

 懐に脇指さしてまたいづる    胡及

 (懐に脇指さしてまたいづるきたなくなれどかほも洗はず)

 

 脇指は武士でなくても所持することができた。裏世界の荒くれか。

 

無季。

 

二十八句目

 

   懐に脇指さしてまたいづる

 下戸をにくめる雪の夜の亭    荷兮

 (懐に脇指さしてまたいづる下戸をにくめる雪の夜の亭)

 

 亭はここでは「ちん」と読む。ちんと読む場合は庭に設けた東屋などを指す。

 雪の夜に庭園の景色を楽しむのは、酒で暖まることのできる酒飲みであろう。寒いからやめておくという下戸に不満で、また今日も亭に行く。

 

季語は「雪」で冬、降物。「下戸」は人倫。「夜」は夜分。

 

二十九句目

 

   下戸をにくめる雪の夜の亭

 早咲のむめをわが身にたとへたり 芭蕉

 (早咲のむめをわが身にたとへたり下戸をにくめる雪の夜の亭)

 

 雪の夜に外で風流を楽しむ酒飲みは、自らを寒梅に喩える。

 

季語は「早咲のむめ」で冬、植物、木類。「わが身」は人倫。

 

三十句目

 

   早咲のむめをわが身にたとへたり

 嫁せぬむすめの眉かかでおる   鼠弾

 (早咲のむめをわが身にたとへたり嫁せぬむすめの眉かかでおる)

 

 引眉はウィキペディアに、

 

 「江戸時代では以下に該当する女性のみの習慣となり、元服の際にお歯黒とセットで行われたものである。

   ●既婚女性全般(お歯黒を付け、引眉する、但し武家(武士)の妻は出産後に引眉する)

   ●18〜20歳以上の未婚女性(お歯黒を付けても引眉する場合としない場合有り)

 江戸中期までは眉を剃る、または抜いたあと、元々の眉を薄い墨でなぞる。江戸後期以降は眉を剃る、または抜いたあと眉を描かない場合が多い。

 

とある。この場合はまだそんな歳ではないと言って元服をせずに眉を剃ってない、という意味か。

 そんな自分を早く咲きすぎた梅だと言っている。実年齢より下に偽ってるのだろう。

 

無季。恋。「むすめ」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   嫁せぬむすめの眉かかでおる

 しのび音にすががきならす垣の奥 胡及

 (しのび音にすががきならす垣の奥嫁せぬむすめの眉かかでおる)

 

 前句を「嫁せぬむすめ」を遊女とする。遊女は鉄漿はするが子供を産んで初めて眉を剃るという。

 「すががき」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「清掻」の解説」に、

 

 「菅掻、清攬、菅垣とも書く。もっとも一般的には、近世邦楽の楽曲の一群。箏(そう)、三味線、一節切(ひとよぎり)の器楽曲で、入門的な性格である。『糸竹初心集(しちくしょしんしゅう)』(1664)や『大(おお)ぬさ』(1685)などに楽譜がある。また尺八でも、『秋田菅垣』『二段菅垣』ほか、「すががき」と名のつく古典本曲が多くある。そのほか、和琴(わごん)の基本的な奏法、およびそれらの手法を用いた曲節をさして用いられ、楽箏(がくそう)(雅楽の箏)の手法名としても用いられている。

 また、三味線音楽の曲節名としても使われる。これは、江戸・吉原の遊女が客寄せのため店先で弾き鳴らした三味線だけの単純な曲「見世すががき」に始まり、これが劇場音楽に取り入れられて、吉原や廓(くるわ)の表現に広く用いられるようになった。常磐津(ときわず)、清元、長唄(ながうた)など、多数の曲で応用されている。[卜田隆嗣]」

 

とある。「垣」はこの場合遊郭の入口の籬であろう。

 奥の方で客を待つ遊女がひそひそ話をしながら清掻(すががき)を演奏しているのが聞こえる。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   しのび音にすががきならす垣の奥

 ふみきやさせる松のともしび   越人

 (しのび音にすががきならす垣の奥ふみきやさせる松のともしび)

 

 前句の「すががき」を和琴(わごん)の奏法とすれば、王朝時代の恋になる。通ってきた男に松明を踏み消させる。十五句目に「火ぶり」があり、松明が被っていて遠輪廻気味なので「松のともしび」と言い換えたのであろう。

 

無季。「ともしび」は夜分。

 

三十三句目

 

   ふみきやさせる松のともしび

 明やすき夜をますらが腹立て   荷兮

 (明やすき夜をますらが腹立てふみきやさせる松のともしび)

 

 「ますら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「益荒」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ます」は「増す」の意。「ら」は接尾語) 神や男の雄々しく力のあるさまにいう語。また、その神やその男。

  ※万葉(8C後)一七・三九六九「しなざかる 越(こし)を治めに 出でて来し 麻須良(マスラ)われすら」

 

とある。

 夜が明けたのにいつまで松明燃やしてんだ!と益荒男が怒る。

 

無季。「夜」は夜分。「ますら」は人倫。

 

三十四句目

 

   明やすき夜をますらが腹立て

 なにを鳴行ほととぎすやら    芭蕉

 (明やすき夜をますらが腹立てなにを鳴行ほととぎすやら)

 

 王朝貴族なら明け方に聞くホトトギスに風流を感じるところだが、武骨な益荒男は「なんだ、もう夜が明けちまったか」と腹を立て、せっかくのホトトギスも台無し。

 江戸後期の国学のせいで「益荒男ぶり」が『万葉集』の歌風を表すポジティブな言葉になったが、芭蕉の時代の「益荒」のイメージはこんなもんだった。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

三十五句目

 

   なにを鳴行ほととぎすやら

 花によるすずりのふたに物かきぬ 鼠弾

 (花によるすずりのふたに物かきぬなにを鳴行ほととぎすやら)

 

 花見の席で花の歌を詠むべき所に急にホトトギスが鳴いたものだから、とりあえずホトトギスの歌は硯の蓋に記しておく。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花によるすずりのふたに物かきぬ

 簾はり出すはるの夕ぐれ     長虹

 (花によるすずりのふたに物かきぬ簾はり出すはるの夕ぐれ)

 

 建物の外に張り出した仮の桟敷に簾を掛けて、そのなかで硯の蓋に物を書いている。そんな花の季節の夕暮れだった。

 花の下の連歌興行のイメージだろう。一巻は目出度く終わる。

 

季語は「はる」で春。