「革足袋の」の巻、解説

初表

 (かは)足袋(たび)のむかしは紅葉(もみぢ)(ふみ)(わけ)たり   (いっ)(てつ)

   (もっとも)頭巾(づきん)の山おろしの風    在色(さいしき)

 おほへいに峰の白雪めにかけて   (せっ)(さい)

   春ゆく水の材木奉行(ぶぎゃう)      志計(しけい)

 青柳(あをやぎ)の岸のはね橋八年ぶり     一朝(いっちょう)

   又落書(らくがき)にかへるかりがね    正友(せいゆう)

 (おぼろ)()の月をうしろに負軍(まけいくさ)     (しょう)()

   ひつぱがれぬるあけぼのの空  (ぼく)(せき)

 

初裏

 うき()(まち)枕のかねをふきあげて   (しょう)(きゅう)

   わすれぬ恋の荷持(にもち)()行持(ちもち)    執筆(しゅひつ)

 しのぶ山しのびてかよふ駕籠(かご)(かな)  在色

   人のこころのかたき(いは)(たけ)    一鉄

 松の葉の露をがてんの隠家(かくれが)に    志計

   なる程せばき窓の月影      雪柴

 ふいごより雲に嵐の音す(なり)      正友

   あん餅をうるかづらきの山    一朝

 ふりにける(とゆ)()の寺の御開帳     卜尺

   善の網うらそよぐ竹の葉     松意

 灯明(とうみゃう)やそれより(いで)(とぶ)蛍      一鉄

   物おもふ身のこもる神前     松臼

 血の(なみだ)(さて)は並木の花の雨      一朝

   親はそらにて鳥の巣ばなれ    在色

 

 

二表

 うはばみは霞をのたる山の(くき)     雪柴

   (かま)おつ(とっ)てはしる柴人(しばびと)     志計

 野境(のざかひ)の言葉たたかひ事おはり    松意

   平家の方より塚をつく(なり)    正友

 庚申(かうしん)や九代の末にまつるらん    松臼

   無間(むげん)の鐘にには鳥の声     一鉄

 (わかれ)はの思ひや胸の火の車      在色

   なみだいくたびあげ屋の門を  卜尺

 またるるはそれか雪踏(せった)の音(たえ)て   志計

   この文ひとつ犬こころせよ   一朝

 むば玉の夜ばひも夜討の手立(てだて)あり  正友

   富士のすそ野に(おと)すふんどし  雪柴

 白妙(しろたへ)の雪の夕月(やく)はらひ      一鉄

   (すす)をおさむる城の松風     松意

 

二裏

 から(ざけ)尾上(をのへ)にちかき台所     卜尺

   猫のにやぐにやぐいづれ山びこ 松臼

 杣人(そまびと)やなたの下より(さと)るらん    一朝

   ()くずの(ころも)すきの塵の世    在色

 信濃(しなの)なる木曽屋が(くら)(あれ)にけり   雪柴

   (おし)(こみ)強盗(がうたう)みやはとがめぬ    志計

 小男(こをとこ)のさも()ざかしき同心衆    松意

   消すに火のこのくぐる股ぐら  正友

 長持を所せくまでかきすへて    松臼

   (この)殿様へ浄瑠(じゃうる)大夫(だいふ)      一鉄

 女郎客(ぢょらうきゃく)簾中(れんちう)ふかく(いり)給ふ     在色

   衣引(きぬひき)かづきはや新枕(にひまくら)     卜尺

 花も月もなんでもない事恋の道   志計

   わづかのなさけ春の夜の夢   一朝

 

三表

 やぶ(いり)や世のうき橋を渡るらん   正友

   三人(わらっ)てたたく手みやげ    雪柴

 たのしみやおはずかさずに子を愛し 一鉄

   年のきはともしらぬ老鶴(おいづる)    松意

 鎌倉の将軍以来の(まつ)の雪      卜尺

   東海道にあらし(さえ)ゆく     松臼

 追出(おひだ)しの鐘に目(ざめ)て馬やらふ    一朝

   人間万事まよふうかれめ    在色

 方便(はうべん)や今(この)娑婆(しゃば)(ほとけ)御前(ごぜ)     雪柴

   (それ)おもんみる恋のみなもと   志計

 (うらみ)ては昼夜(ちうや)をすてぬ(なみだ)(がは)     松意

   水もたまらずあはれ一太刀   正友

 真向(まっかう)にさしかざしたる月の色    松臼

   すすみ(いで)たるはつ(かり)の声     一鉄

 

三裏

 秋風の(ふく)につけても(くひ)つきて    在色

   旅なれたりし萩の下露     卜尺

 (ゆき)(くれ)て飛脚は野辺の仮枕(かりまくら)      志計

   何十何里夢のかよひ()     一朝

 あら海の岸による波(なみだ)じやもの   正友

   ()邪間(じゃま)(いり)て中の(われ)(ぶね)     雪柴

 うき思ひ問屋次第にともかくも    一鉄

   今(この)さとのりんきいさかひ    松意

 ながむれば烟絶(けぶりたえ)にしかせ所帯(しょたい)    卜尺

   をきわたしたる質草(しちぐさ)の露    松臼

 影てらす三月(みつき)(ぎり)にや虫の声     一朝

   (いち)()はすでに秋いたる(なり)    在色

 (のり)の花火江湖(がうこ)の波の夕景(ゆふげ)(しき)     正友

   ゆく舟屋(ふなや)かた(つひ)彼岸(かのきし)     志計

 

 

名残表

 かやうとはおもはざりしをながし者 雪柴

   七(ツキ)半の(くひ)あはせうき     一鉄

 申さぬが脈にすすんであだ心    松意

   朝ゐの(とこ)をはづる小娘     卜尺

 しやなしやなとしししにいけば乱髪(みだれがみ) 松臼

   乗物(いで)しあとの追風(おひかぜ)      一朝

 腹切(はらきり)やきのふはけふの峰の雪    在色

   何百年の辻堂の月       正友

 飛騨(ひだ)(たくみ)(ここ)に沙汰してきりぎりす  志計

   金岡(かなをか)が筆くさむらの色     雪柴

 片しぐれ(あたひ)いくらの松の風     一鉄

   美濃(みの)のお山の宿に夜あした   松意

 洗足(せんそく)垂井(たるゐ)の水やむすぶらん    卜尺

   追剥(おひはぎ)しまふあとの血刀(ちがたな)     松臼

 

名残裏

 (よし)(もり)がゆかりなるべしす牢人(らうにん)    一朝

   (よる)(ひる)三日(みか)のくすりごしらへ   在色

 (すい)風呂(ふろ)枯木(こぼく)をたたき(たき)(たて)たり   正友

   こぬかみだれて晴天の雨     志計

 まつ(よひ)の油こぼるるうき(なみだ)      雪柴

   かかる思ひをねずみひかぬか   卜尺

 (うらみ)ては(やしろ)の花に五寸釘        松意

   中をかすめてうき天満橋     松臼

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 (かは)足袋(たび)のむかしは紅葉(もみぢ)(ふみ)(わけ)たり   (いっ)(てつ)

 

 (かは)足袋(たび)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「革足袋」の解説」に、

 

 「〘名〙 染革や燻革(ふすべがわ)で仕立てた足袋。《季・冬》 〔日葡辞書(160304)〕

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「革足袋のむかしは紅葉踏分たり〈一鉄〉 尤頭巾の山おろしの風〈在色〉」

 

とある。燻革(ふすべがわ)は「精選版 日本国語大辞典「燻革」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ふすべかわ」とも) 松葉などの煙でいぶして地を黒くし、模様の部分を白く残した革。また、その革でつくられたもの。一説に、わらの煙で、ふすべて茶褐色にした鹿のもみがわ。くすべがわ。

  ※嵯峨の通ひ(1269)「侍従、州浜のふすべがは。大夫、桜の散り花の藍縬」

 

とある。革足袋の鹿革は生きている頃は、

 

 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声

     聞くときぞ秋は悲しき

              猿丸(さるまる)太夫(だゆう)(古今集)

 

のように、紅葉を踏み分けていたのだろう。

 

季語は「革足袋」で冬、衣裳。「紅葉」で植物、木類。

 

 

   革足袋のむかしは紅葉踏分たり

 (もっとも)頭巾(づきん)の山おろしの風      在色(さいしき)

 (革足袋のむかしは紅葉踏分たり尤頭巾の山おろしの風)

 

 革足袋が紅葉踏み分けた鹿なら、この頭巾の山からも山おろしの風が吹くことだろう。

 鹿に山おろしは、

 

 山おろしに鹿の音高く聞こゆなり

     尾上の月に小夜やふけぬる

              藤原(ふじわらの)実房(さねふさ)(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「頭巾」で冬、衣裳。「山おろし」は山類。

 

第三

 

   尤頭巾の山おろしの風

 おほへいに峰の白雪めにかけて   (せっ)(さい)

 (おほへいに峰の白雪めにかけて尤頭巾の山おろしの風)

 

 「めにかけて」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「目に掛ける」の解説」に、

 

 「① 目にとめる。また、めざす。

  ※月清集(1204頃)下「はるかなるみかみのたけをめにかけていくせねたりぬやすのかはなみ」

  ② (多く上に「御」を付けて) 見せる。御覧に入れる。御目(おめ)に掛ける。

  ③ ひいきにする。特別に面倒を見る。

  ※大乗院寺社雑事記‐文明二年(1470)六月二〇日「取分懸レ目者如レ此間可レ被レ加二扶持一者、可レ為二喜悦一者也」

  ④ (はかり)に掛ける。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)四「目にかけてみる紅葉葉やしゅてんひん〈盛成〉」

 

とある。

 前句の頭巾から横柄(おうへい)な老人を登場させ、峰に積る白雪に目を止めて、なるほど山おろしの冷たい風が吹くのも尤もだと納得する。

 

季語は「白雪」で冬、降物。「峰」は山類。

 

四句目

 

   おほへいに峰の白雪めにかけて

 春ゆく水の材木奉行(ぶぎゃう)        志計(しけい)

 (おほへいに峰の白雪めにかけて春ゆく水の材木奉行)

 

 横柄と言えば役人で、峰の白雪に目を止めているので材木奉行とする。

 峰の白雪に春ゆく水は、

 

 千曲川春行く水は澄みにけり

     消えて行くかの峰の白雪

              (じゅん)徳院(とくいん)(風雅集)

 

の歌を本歌とする。

 

季語は「春」で春。「ゆく水」は水辺。「材木奉行」は人倫。

 

五句目

 

   春ゆく水の材木奉行

 青柳(あをやぎ)の岸のはね橋八年ぶり     一朝(いっちょう)

 (青柳の岸のはね橋八年ぶり春ゆく水の材木奉行)

 

 (はね)(ばし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「撥橋・刎橋・跳橋」の解説」に、

 

 「① 城門などの要害に設け、通行しないときは綱や鎖などでつり上げておけるように造られた橋。また、両岸に橋脚の設置が困難な時、橋台の中腹から角材を上方斜めに突き出し、この上に数層の梁を結合して最上層に桁を渡した橋。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「春ゆく水の材木奉行〈志計〉 青柳の岸のはね橋八年ぶり〈一朝〉」

  ② 船が通行するとき、船の上部がぶつからないように、その半分、または全部をはね上げる構造にした橋。跳開橋(ちょうかいきょう)

  ※雑俳・蝶番(1731)「飜(ハネ)橋を引かれて岸を恋の闇」

 

とある。①の後半部分は甲州街道の猿橋のような、

 

 「岸の岩盤に穴を開けて刎ね木を斜めに差込み、中空に突き出させる。その上に同様の刎ね木を突き出し、下の刎ね木に支えさせる。支えを受けた分、上の刎ね木は下のものより少しだけ長く出す。これを何本も重ねて、中空に向けて遠く刎ねだしていく。これを足場に上部構造を組み上げ、板を敷いて橋にする。この手法により、橋脚を立てずに架橋することが可能となる。」(ウィキペディア)

 

のようなものをいう。猿橋はこの『談林十百韻』の翌年の延宝四年に架け替えられている。

 吊り上げ開閉タイプの跳橋が八年ぶりに開くというのはあまりありそうもないので、材木奉行の尽力で八年ぶりに刎橋が復活したとした方がいいかもしれない。

 青柳の岸は、

 

 風吹けば波の綾織る池水に

     糸引き添ふる岸の青柳

              (みなもとの)雅兼(まさかね)(金葉集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。「岸のはね橋」は水辺。

 

六句目

 

   青柳の岸のはね橋八年ぶり

 又落書(らくがき)にかへるかりがね      正友(せいゆう)

 (青柳の岸のはね橋八年ぶり又落書にかへるかりがね)

 

 新しく橋ができるとまたすぐに落書きする人がいる。落書きは行き交う旅人の伝言板の役割を果たしていたのかもしれない。「帰る雁金」は「青柳の岸」へのあしらい。

 

季語は「かへるかりがね」で春、鳥類。

 

七句目

 

   又落書にかへるかりがね

 (おぼろ)()の月をうしろに負軍(まけいくさ)     (しょう)()

 (朧夜の月をうしろに負軍又落書にかへるかりがね)

 

 (いくさ)に負けて撤収する姿を雁の列に喩える。

 

季語は「朧夜の月」で春、夜分、天象。

 

八句目

 

   朧夜の月をうしろに負軍

 ひつぱがれぬるあけぼのの空    (ぼく)(せき)

 (朧夜の月をうしろに負軍ひつぱがれぬるあけぼのの空)

 

 負けた兵士は装備を剝ぎ取られる。

 

無季。

初裏

九句目

 

   ひつぱがれぬるあけぼのの空

 うき()(まち)枕のかねをふきあげて   (しょう)(きゅう)

 (うき世町枕のかねをふきあげてひつぱがれぬるあけぼのの空)

 

 うき世町は名だたる遊郭というよりは、場末の怪しげな売春窟であろう。一夜の枕に散々金をむしり取られた挙句、朝には裸で放り出される。

 

無季。恋。

 

十句目

 

   うき世町枕のかねをふきあげて

 わすれぬ恋の荷持(にもち)()行持(ちもち)      執筆(しゅひつ)

 (うき世町枕のかねをふきあげてわすれぬ恋の荷持歩行持)

 

 荷持(にもち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「荷持」の解説」に、

 

 「① 荷物を持ち運びする人。運搬人。また、その人を卑しんでいう語。〔羅葡日辞書(1595)〕

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)五「大坂旦那廻りの太夫どのにやとはれ荷持(ニモチ)をいたせし時」

  ② 家財道具を多く持っている人。

  ③ 建築で、上の荷重を受ける材。」

 

とある。()行持(ちもちは歩いて運ぶ荷持。

 昔は大商人だったが、遊郭で散財して今は歩行持をして暮らしている。

 

無季。恋。「荷持歩行持」は人倫。

 

十一句目

 

   わすれぬ恋の荷持歩行持

 しのぶ山しのびてかよふ駕籠(かご)(かな)  在色

 (しのぶ山しのびてかよふ駕籠も哉わすれぬ恋の荷持歩行持)

 

 お忍びの恋と言いながらも駕籠に乗って通う人には、付き従う歩行持がいる。本当は俺も好きだったのにと、『源氏物語』の惟光(これみつ)(よし)(きよ)のポジション。

 

無季。恋。「しのぶ山」は名所、山類。

 

十二句目

 

   しのぶ山しのびてかよふ駕籠も哉

 人のこころのかたき(いは)(たけ)      一鉄

 (しのぶ山しのびてかよふ駕籠も哉人のこころのかたき岩茸)

 

 岩茸は崖に生える茸で採集が難しい。

 こっそり通うのは岩茸を取りに行くようなもので危険が大きい。前句の「しのぶ山」から恋を山の茸に喩える。

 

季語は「岩茸」で秋。「人」は人倫。

 

十三句 

 

   人のこころのかたき岩茸

 松の葉の露をがてんの隠家(かくれが)に    志計

 (松の葉の露をがてんの隠家に人のこころのかたき岩茸)

 

 「松の葉の露」は松露(しょうろ)のことか。後に『続猿(ぞくさる)(みの)』の表題となる、

 

 猿蓑にもれたる霜の松露哉    沾圃

 

の句が読まれることになる茸で、美味で香りも良い。

 松露に合点していた隠れ家に、もっと入手困難な岩茸が現れる。

 

季語は「露」で秋、降物。「松」は植物、木類。「隠家」は居所。

 

十四句目

 

   松の葉の露をがてんの隠家に

 なる程せばき窓の月影       雪柴

 (松の葉の露をがてんの隠家になる程せばき窓の月影)

 

 松の枝ぶりが気に行って住んだ隠れ家だが、松の木が邪魔で月の光があまり入らない。切りたくもあり切りたくもなし、という古典的なネタ。

 

季語は「月影」で秋、夜分、天象。「窓」は居所。

 

十五句目

 

   なる程せばき窓の月影

 ふいごより雲に嵐の音す(なり)     正友

 (ふいごより雲に嵐の音す也なる程せばき窓の月影)

 

 ふいごは狭い出口から風を吹き出す。前句の「なる程せばき」をふいごの口の「鳴る程せばき」にして、月影の窓に嵐のような音がする。

 

無季。「雲」は聳物。

 

十六句目

 

   ふいごより雲に嵐の音す也

 あん餅をうるかづらきの山    一朝

 (ふいごより雲に嵐の音す也あん餅をうるかづらきの山)

 

 これは、

 

 うつりゆく雲に嵐の声すなり

     散るかまさきの葛城の山

              飛鳥(あすか)()(まさ)(つね)(新古今集)

 

の歌によって葛城山を出す。巡礼者のために餡餅を売っている。

 

無季。「かづらきの山」は名所、山類。

 

十七句目

 

   あん餅をうるかづらきの山

 ふりにける(とゆ)()の寺の御開帳    卜尺

 (ふりにける豊等の寺の御開帳あん餅をうるかづらきの山)

 

 (とゆ)()の寺はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「豊浦寺」の解説」に、

 

 「奈良県高市郡明日香村豊浦にあった寺。欽明天皇一三年(五五二)蘇我稲目が百済の聖明王から献上された仏像・経巻を自宅に安置し、向原(むくはら)寺と呼ばれたのが始まりと伝えられる。のち、推古天皇元年(五九三)に豊浦宮(とゆらのみや)の地を賜わり、堂宇が建立されて豊浦寺と呼ばれた。遺跡地に浄土真宗本願寺派の向原寺(こうげんじ)がある。とよら。とよらのてら。小墾田(おはりだ)寺。」

 

とある。

 秘仏の御開帳とあれば大勢人が集まり、露店が並ぶ。餡餅も当然あることだろう。

 

 ふりにける跡ともみえず葛城や

     豊浦の寺の雪のあけぼの

              よみ人しらず(続千載集)

 

の歌による。

 

無季。釈教。「豊等」は名所。

 

十八句目

 

   ふりにける豊等の寺の御開帳

 善の綱うらそよぐ竹の葉     松意

 (ふりにける豊等の寺の御開帳善の綱うらそよぐ竹の葉)

 

 善の綱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「善の綱」の解説」に、

 

 「(善所にみちびく綱の意)

  ① 本尊開帳・常念仏・万日供養などのとき、結縁(けちえん)のため仏像の手などにかけ、参詣者などに引かせる綱。五色の糸を用いるのが常である。

  ※曾我物語(南北朝頃)一〇「つけたる縄は、孝行のぜんのつなぞ。おのおの結縁にてかけ候へ」

  ② 葬式のとき、棺に付けて引く白布の綱。縁の綱。

  ※新撰長祿寛正記(15C後か)「同八月八日の暁、高倉の御所にて御他界あり〈略〉御力者十二人御棺を舁奉る。〈略〉将軍家も、ぜんのつなを御肩に置せ玉」

 

とある。

 御開帳なので善の綱を引くと、竹の葉がそよぐ。

 

無季。釈教。「竹の葉」は植物で木類でも草類でもない。

 

十九句目

 

   善の綱うらそよぐ竹の葉

 灯明(とうみゃう)やそれより(いで)(とぶ)蛍      一鉄

 (灯明やそれより出て飛蛍善の綱うらそよぐ竹の葉)

 

 そよぐ竹の葉が善の綱なら、そこから出てきて飛ぶ蛍は灯明になる。

 

季語は「蛍」で夏、虫類、夜分。「灯明」も夜分。

 

二十句目

 

   灯明やそれより出て飛蛍

 物おもふ身のこもる神前     松臼

 (灯明やそれより出て飛蛍物おもふ身のこもる神前)

 

 蛍は身を焦がす恋の情を持つもので、そこから物思う身を導き出す。神前に籠って祈りを捧げる女とする。

 

無季。神祇。恋。「身」は人倫。

 

二十一句目

 

   物おもふ身のこもる神前

 血の(なみだ)(さて)は並木の花の雨      一朝

 (血の泪扨は並木の花の雨物おもふ身のこもる神前)

 

 血の泪は、

 

 見せばやな雄島のあまの袖だにも

     濡れにぞ濡れし色は変らず

              (いん)富門院(ぷもんいんの)大輔(たいふ)(千載集)

 

の歌に「血の涙」という直接的な言葉はないけど、袖の色が変わる涙ということで描かれていて、恋の言葉になる。「血の涙」という言葉の用例は、

 

 ちの涙おちてぞたぎつ白河は

     君が世までの名にこそ有りけれ

              素性(そせい)法師(ほうし)(古今集)

 

の哀傷歌に見られる。

 前句の「物おもふ身」に血の涙と展開するが、花の定座なのでこの桜並木の花散らしの雨も血の涙なのか、とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「雨」は降物。

 

二十二句目

 

   血の泪扨は並木の花の雨

 親はそらにて鳥の巣ばなれ    在色

 (血の泪扨は並木の花の雨親はそらにて鳥の巣ばなれ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『善知鳥(うとう)』の、

 

 「親は(そら)にて血の涙を、親は(そら)にて血の涙を、降らせば濡れじと菅簑(すがみの)や」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2670). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。前句の花の雨の血の涙を親鳥が空で流す涙とする。

 ただ、謡曲の殺生の罪ではなく、ただ子供の巣立ちの悲しみとする。

 

季語は「鳥の巣ばなれ」で春、鳥類。

二表

二十三句目

 

   親はそらにて鳥の巣ばなれ

 うはばみは霞をのたる山の(くき)    雪柴

 (うはばみは霞をのたる山の岫親はそらにて鳥の巣ばなれ)

 

 (くき)は「精選版 日本国語大辞典「岫」の解説」に、

 

 「① 山の斜面やがけにあるほらあな。

  ※書紀(720)仲哀八年正月「皇后(きさいのみや)は別船にめして洞海〈洞、此には久岐(クキ)と云ふ〉より入りたまふ」

  ② 山頂。山の峰。〔新撰字鏡(898901頃)〕

  [補注](1)「草くき」「かやくき」とともに動詞「くく」「たちくく」「とびくく」と関係づけて、「潜る」「漏れる」の意から「穴」をいうとされる。

  (2)「岫」の字は、「説文」「爾雅」に「山有穴」とあって穴のある山の意であるが、「巖穴」をいうとの注もある。なお、「景行紀」「欽明紀」に見られる「峯岫」「巖岫」を古訓でミネクキ、イハクキと訓んでいる。」

 

とある。

 大蛇から雛を守るために、親鳥が勇敢に立ち向かってゆく。前句の「巣ばなれ」を単に巣から離れることとする。

 

季語は「霞」で春、聳物。「山の岫」は山類。

 

二十四句目

 

   うはばみは霞をのたる山の岫

 (かま)おつ(とっ)てはしる柴人(しばびと)       志計

 (うはばみは霞をのたる山の岫鎌おつ取てはしる柴人)

 

 大蛇が出たというので柴人が鎌をとって走って行く。

 

無季。「柴人」は人倫。

 

二十五句目

 

   鎌おつ取てはしる柴人

 野境(のざかひ)の言葉たたかひ事おはり    松意

 (野境の言葉たたかひ事おはり鎌おつ取てはしる柴人)

 

 柴刈る人にも縄張りがあるのだろう。境界線で言い争いになり、勝てないと見て鎌を持って走り去った。

 

無季。

 

二十六句目

 

   野境の言葉たたかひ事おはり

 平家の方より塚をつく(なり)      正友

 (野境の言葉たたかひ事おはり平家の方より塚をつく也)

 

 「つく」は「築く」であろう。

 境界線は落人(おちうど)や無縁仏などの墓所として用いられることもある。境界線が確定したなら、そこに平家の落人の塚を作る。

 

無季。哀傷。

 

二十七句目

 

   平家の方より塚をつく也

 庚申(かうしん)や九代の末にまつるらん    松臼

 (庚申や九代の末にまつるらん平家の方より塚をつく也)

 

 平家の落人の墓も、九代も経てしまえば誰の墓かもわからなくなり、いつの間にか庚申塔(こうしんとう)になっている。

 

無季。

 

二十八句目

 

   庚申や九代の末にまつるらん

 無間(むげん)の鐘にには鳥の声       一鉄

 (庚申や九代の末にまつるらん無間の鐘にには鳥の声)

 

 無間の鐘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「無間の鐘」の解説」に、

 

 「[] 静岡県掛川市東山にあった曹洞宗の寺、観音寺にあった鐘。この鐘をつくと来世では無間地獄に落ちるが、この世では富豪になるという伝説があった。

  ※仮名草子・東海道名所記(165961頃)二「其寺に無間(ムケン)の鐘(カネ)あり。二月の初の午の日、開帳ありといふ」

  [] 近世演劇の趣向の一つで、()になぞらえて手水鉢を打つ所作事(しょさごと)。享保年間(一七一六‐三六)、初代瀬川菊之丞が手水鉢を無間の鐘に見たてる趣向を初めてとり入れ、めりやす最古の曲「傾城無間の鐘」を生み、さらに、浄瑠璃「ひらがな盛衰記」の梅が枝の手水鉢の所作事として有名になった。

  ※咄本・鹿の子餠(1772)睾丸「切くちよりながるる血にまじり、無間(ムゲン)の鐘(カネ)の手水鉢のごとく吹出す水につれ」

 

とある。

 庚申待は三尸(さんし)の虫が閻魔(えんま)様に罪を報告して地獄に落ちるのを防ぐため、三尸の虫が体から抜け出さないように夜通し起きている儀式で、無間の鐘を突いて無間地獄行が決定してしまうと意味がない。

 八代までは地獄確定で、九代目から庚申待をするということか。

 

無季。釈教。「鳥」は鳥類。

 

二十九句目

 

   無間の鐘にには鳥の声

 (わかれ)はの思ひや胸の火の車      在色色

 (別はの思ひや胸の火の車無間の鐘にには鳥の声)

 

 「(わかれ)は」は別れ際のことか。「火の車」は火車(かしゃ)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火の車」の解説」に、

 

 「① (「火車(かしゃ)」の訓読み) 地獄にあって火が燃えているという車。生前悪事を犯した者を乗せて地獄に運ぶという。

  ※今昔(1120頃か)一五「極楽の迎は不見えずして、本意无く火の車を此に寄す」

  ② 家計が非常に苦しいこと。生計のやりくりに苦しむこと。

  ※俳諧・俳諧世説(1785)三「夏酒や我とのり行火の車〈北枝〉」

 

とある。

 無間の鐘は現世の快楽と来世の地獄との一種の等価交換で、快楽の夜の跡には別れという地獄の火車がやってくる。

 

無季。釈教。恋。

 

三十句目

 

   別はの思ひや胸の火の車

 なみだいくたびあげ屋の門を   卜尺

 

 泣いているのは揚屋の門を去る男の方だった。

 (別はの思ひや胸の火の車なみだいくたびあげ屋の門を)

 

無季。恋。

 

三十一句目

 

   なみだいくたびあげ屋の門を

 またるるはそれか雪踏(せった)の音(たえ)て   志計

 (またるるはそれか雪踏の音絶てなみだいくたびあげ屋の門を)

 

 雪踏は「せつた」で雪駄のこと。

 客の来ない揚屋とする。

 

無季。恋。「雪駄」は衣裳。

 

三十二句目

 

   またるるはそれか雪踏の音絶て

 この文ひとつ犬こころせよ    一朝

 (またるるはそれか雪踏の音絶てこの文ひとつ犬こころせよ)

 

 犬が恐くて手紙が届けられないということか。せめてこの一通だけでも犬よ勘弁してくれ。

 

無季。恋。「犬」は獣類。

 

三十三句目

 

   この文ひとつ犬こころせよ

 むば玉の夜ばひも夜討の手立(てだて)あり  正友

 (むば玉の夜ばひも夜討の手立ありこの文ひとつ犬こころせよ)

 

 むば玉は夜にかかる枕詞だが、ここでは夜這いに掛ける。

 手立はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手立」の解説」に、

 

 「① 事を行なう順序。やり方。手段。方法。術。策略。〔色葉字類抄(117781)〕

  ※太平記(14C後)三一「無勢に多勢勝たざらんやと、委細に手立を成敗して」

  ※読本・南総里見八犬伝(181442)四「且(しばらく)この地を遠離(とおざか)らば、彼舵九郎が毒気を避(さく)る、これ究竟の便点(テダテ)ならずや」

  ② 細工を弄(ろう)すること。一時のがれの手段を講じること。また、その手段。方便。かけひき。

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)二「一重こして手だてをあみたてたるのは、大かたわが色にはきたるぞと思ふときは、しり目づかひ」

  ※洒落本・青楼五雁金(1788)「客に手段(テダテ)の透間なければ、遊婦(じょろう)に殺の手管あり」

 

とある。手管に近い意味になる。

 夜這いにきて犬をいなすのは夜討(ようち)の時と同じ方法がある。

 

無季。恋。「夜ばひ」「夜討」は夜分。

 

三十四句目

 

   むば玉の夜ばひも夜討の手立あり

 富士のすそ野に(おと)すふんどし    雪柴

 (むば玉の夜ばひも夜討の手立あり富士のすそ野に落すふんどし)

 

 夜討というと夜討(ようち)曽我(そが)で富士の巻狩りだが、ここでは富士の裾野の「裾」に掛けて褌をほどくとする。さあいざ、太刀を抜き放ち‥‥。

 

無季。「富士」は名所、山類。「ふんどし」は衣裳。

 

三十五句目

 

   富士のすそ野に落すふんどし

 白妙(しろたへ)の雪の夕月(やく)はらひ      一鉄

 (白妙の雪の夕月厄はらひ富士のすそ野に落すふんどし)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、

 

 「厄年に年の数だけの銭をふんどしに包んで落すと、災厄を逃れるという俗説があった。」

 

とある。

 富士に白妙の雪は、

 

 田子の浦に打ち出でてみれば白妙の

     富士の高嶺(たかね)に雪はふりつつ

              山部赤人(やまべのあかひと)(新古今集)

 

の歌が百人一首でも知られている。月の定座(じょうざ)だが打越(うちこし)に夜分があるので夕月とする。

 

季語は「雪」で冬、降物。「夕月」は天象。

 

三十六句目

 

   白妙の雪の夕月厄はらひ

 (すす)をおさむる城の松風       松意

 (白妙の雪の夕月厄はらひ煤をおさむる城の松風)

 

 前句のはらひを煤払いに掛けて「煤をおさむる」とする。

 

季語は「煤をおさむる」で冬。

二裏

三十七句目

 

   煤をおさむる城の松風

 から(ざけ)尾上(をのへ)にちかき台所     卜尺

 (から鮭の尾上にちかき台所煤をおさむる城の松風)

 

 前句の城を尾上にある山城として、そこの台所には正月用のから鮭が大量に入荷している。

 から鮭はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「乾鮭」の解説」に、

 

 「① 塩引鮭を一晩冷たい流水に浸し、陰干しにしたもの。北国の特産。寒塩引。《季・冬》

  ※今昔(1120頃か)二八「枯鮭(からざけ)を大刀に帯()けて」

  ② (その形状から) 首をつって死ぬことのたとえ。

  ※浄瑠璃・五十年忌歌念仏(1707)上「からざけにならふが、〈略〉一文もかねはない」

  ③ 老婆をあざけっていう語。しわくちゃばばあ。

  ※雑俳・田刈笠(1756)「それはその・干鮭に鰭有る隠居」

  ④ 人をののしっていう語。とるにたりない人間ども。

  ※浄瑠璃・摂州渡辺橋供養(1748)五「数にもたりない乾鮭(カラザケ)めら」

 

とある。この頃はまだ②③④の比喩として派生した意味はなかったのだろう。

 

 から鮭も空也の痩も寒の内    芭蕉

 

の句は元禄三年になる。

 

無季。「尾上」は山類。

 

三十八句目

 

   から鮭の尾上にちかき台所

 猫のにやぐにやぐいづれ山びこ  松臼

 (から鮭の尾上にちかき台所猫のにやぐにやぐいづれ山びこ)

 

 「にやぐにやぐ」は今の「にゃごにゃご」。かつての乙類の「お」は「う」と「お」の交替が起きる。人麿=人丸のように。

 前句の尾上の台所を城ではなく山の上の普通の民家として、から鮭に猫が何匹も寄ってくる様とする。猫の声がこだまする。

 

無季。「猫」は獣類。「山びこ」は山類。

 

三十九句目

 

   猫のにやぐにやぐいづれ山びこ

 杣人(そまびと)やなたの下より(さと)るらん    一朝

 (杣人やなたの下より悟るらん猫のにやぐにやぐいづれ山びこ)

 

 これは『無門関(むもんかん)』の南泉斬(なんせんざん)(みょう)のパロディ。

 無数の猫の鳴き声の中から、そこだ!と本物の猫を斬りつける。分身の術を破るのに似ている。この猫は妖魔だったのだろう。

 

無季。釈教。「杣人」は人倫。

 

四十句目

 

   杣人やなたの下より悟るらん

 ()くずの(ころも)すきの塵の世      在色

 (杣人やなたの下より悟るらん苧くずの衣すきの塵の世)

 

 ()くずは苧屑(をぐそ)のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苧屑」の解説」に、

 

 「〘名〙 麻苧(あさお)を糸にする時に出る外皮その他のくず。」

 

とある。

 杣人は粗末な苧屑の衣にこの世は皆塵の如しと悟るのだろう。『平家物語』に「たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」とある。

 

無季。釈教。「苧くずの衣」は衣裳。

 

四十一句目

 

   苧くずの衣すきの塵の世

 信濃(しなの)なる木曽屋が(くら)(あれ)にけり   雪柴

 (信濃なる木曽屋が蔵も荒にけり苧くずの衣すきの塵の世)

 

 麻衣(あさぎぬ)に木曽は、

 

 木賊(とくさ)刈る木曽の麻衣(あさぎぬ)袖ぬれて

     磨かぬ露も玉と散りけり

              寂蓮法師(新勅撰集)

 

の歌がある。ここでは現代風に木曽屋の蔵も荒れて諸行無常とする。

 

無季。

 

四十二句目

 

   信濃なる木曽屋が蔵も荒にけり

 (おし)(こみ)強盗(がうたう)みやはとがめぬ      志計

 (信濃なる木曽屋が蔵も荒にけり押込強盗みやはとがめぬ)

 

 『伊勢物語』第八段に、

 

 信濃なる浅間の嶽にたつ煙

     をちこち人の見やはとがめぬ

 

の歌がある。「みやはとがめぬ」は見て咎めない人がいるだろうか、という反語になる。

 

無季。「押込強盗」は人倫。

 

四十三句目

 

   押込強盗みやはとがめぬ

 小男(こをとこ)のさも()ざかしき同心衆    松意

 (小男のさも小ざかしき同心衆押込強盗みやはとがめぬ)

 

 同心衆は与力同心の下で働く今日の警察官のようなもので、穢多非人の仕事だった。

 小男で正義感が強いというイメージがあったのだろう。

 

無季。「小男」「同心衆」は人倫。

 

四十四句目

 

   小男のさも小ざかしき同心衆

 消すに火のこのくぐる股ぐら   正友

 (小男のさも小ざかしき同心衆消すに火のこのくぐる股ぐら)

 

 前句を火消同心とする。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火消同心」の解説」に、

 

 「〘名〙 火消組の同心。

  ※吏徴(1845)下「火消同心三百人」

 

とある。ここでの同心は与力同心の同心ではなく、一般的な心を一つにするものという意味になる。

 勇敢に火の中に飛び込んで、股ぐらから勢いよく火の粉が噴き出す。

 

無季。

 

四十五句目

 

   消すに火のこのくぐる股ぐら

 長持を所せくまでかきすへて   松臼

 (長持を所せくまでかきすへて消すに火のこのくぐる股ぐら)

 

 火事場から長持ちを運び出す。

 

無季。

 

四十六句目

 

   長持を所せくまでかきすへて

 (この)殿様へ浄瑠(じゃうる)大夫(だいふ)        一鉄

 (長持を所せくまでかきすへて此殿様へ浄瑠り大夫)

 

 前句の長持ちは人形芝居に使う人形のケースだった。

 

無季。「殿様」「浄瑠り大夫」は人倫。

 

四十七句目

 

   此殿様へ浄瑠り大夫

 女郎客(ぢょらうきゃく)簾中(れんちう)ふかく(いり)給ふ      在色

 (女郎客簾中ふかく入給ふ此殿様へ浄瑠り大夫)

 

 浄瑠璃大夫を遊女の名前としたか。お客様を御簾の中に入れる。

 

無季。恋。「女郎客」は人倫。「簾」は居所。

 

四十八句目

 

   女郎客簾中ふかく入給ふ

 衣引(きぬひき)かづきはや新枕(にひまくら)        卜尺

 (女郎客簾中ふかく入給ふ衣引かづきはや新枕)

 

 新枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「新枕」の解説」に、

 

 「〘名〙 男女が初めていっしょに寝ること。にいたまくら。

  ※伊勢物語(10C前)二四「あらたまの年の三年(みとせ)を待ちわびてただこよひこそにゐまくらすれ」

  ※仮名草子・尤双紙(1632)下「物いはぬは、まだいはけなき新枕(ニヰマクラ)

 

とある。着物を被って入って行くのは男の方であろう。

 

無季。恋。「衣」は衣裳。

 

四十九句目

 

   衣引かづきはや新枕

 花も月もなんでもない事恋の道  志計

 (花も月もなんでもない事恋の道衣引かづきはや新枕)

 

 夜這いは大体真っ暗な時にするもので、花も見えないし月もない。何もない中で行われる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「月」は夜分、天象。

 

五十句目

 

   花も月もなんでもない事恋の道

 わづかのなさけ春の夜の夢    一朝

 (花も月もなんでもない事恋の道わづかのなさけ春の夜の夢)

 

 花も月もない行きずりの恋は春の夜の夢の如し。『平家物語』の冒頭にもあるように、「おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。」

 

季語は「春の夜」で春、夜分。恋。

三表

五十一句目

 

   わづかのなさけ春の夜の夢

 やぶ(いり)や世のうき橋を渡るらん   正友

 (やぶ入や世のうき橋を渡るらんわづかのなさけ春の夜の夢)

 

 浮橋は定家の夢の浮橋ではなく、

 

 仮の世のうきこと見るも(はかな)しや

     身をうき舟を浮橋にして

              阿仏(夫木抄)

 

の方だろうか。

 情け容赦のない過酷な職場からたった一日実家に帰と、その日だけの春の夜の夢のような人の情けを感じることができる。

 

季語は「やぶ入」で春。恋。「うき橋」は水辺。

 

五十二句目

 

   やぶ入や世のうき橋を渡るらん

 三人(わらっ)てたたく手みやげ      雪柴

 (やぶ入や世のうき橋を渡るらん三人笑てたたく手みやげ)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「虎渓三笑(こけいさんしょう)」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「虎渓三笑」の解説」に、

 

 「〘名〙 晉の慧遠(えおん)法師が廬山にいた時、訪ねてきた詩人の陶淵明、道士の陸修静を送りながら、話に夢中になって、日頃渡るのを避けていた虎渓を過ぎてしまい、虎の声に初めて気がつき、三人で大笑いしたという「廬山記‐叙山北」の故事。また、それを画題とした水墨画。虎渓の三笑。三笑。

  ※廬山(1971)〈秦恒平〉「妙心寺にも、狩野山楽が描いた立派な虎渓三笑があり」

 

とある。

 お土産を持って郷里に帰ると、三人で大笑いして迎えてくれる。

 

無季。「三人」は人倫。

 

五十三句目

 

   三人笑てたたく手みやげ

 たのしみやおはずかさずに子を愛し 一鉄

 (たのしみやおはずかさずに子を愛し三人笑てたたく手みやげ)

 

 これも『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「負わず貸さずに子三人」という諺とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「負ず借らずに子三人」の解説」に、

 

 「借金がなくて、子供が三人まであるという、平和で幸福な家庭の状態をいう。

  ※浮世草子・女敵高麗茶碗(1717)上「おはずからずに子三人、常住月夜と願のごとく」

 

とある。多分「貸さず」も「借らず」も両方あったのだろう。

 「負わず」は多分元の意味では金を貰ったりして「恩義を負わず」の意味だったのだろう。ただ、負債がないという意味なら「借らず」と同語反復になる。そこで「貸さず」のバージョンが生じたのだと思う。

 子三人は当時の死亡率から考えると、これで大体現状の人口が維持できる数ということだろう。死亡率の低い今なら子二人と言う所か。

 それ以上いると必ず家督の争いになる。男子三人でも二男と三男が結託すれば長男に勝てるという思惑が生じてしまう。

 

無季。「子」は人倫。

 

五十四句目

 

   たのしみやおはずかさずに子を愛し

 年のきはともしらぬ老鶴(おいづる)      松意

 (たのしみやおはずかさずに子を愛し年のきはともしらぬ老鶴)

 

 年の際は年末のこと。年末に借金取りに追われることもなく鶴のように長生きした。

 

季語は「年のきは」で冬。「老鶴」は鳥類。

 

五十五句目

 

   年のきはともしらぬ老鶴

 鎌倉の将軍以来の(まつ)の雪      卜尺

 (鎌倉の将軍以来の松の雪年のきはともしらぬ老鶴)

 

 松の雪というと、

 

 み山には松の雪だにきえなくに

     宮こは野辺の若菜つみけり

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌がある。春が来ても消えないというのを本意とする。

 鶴は千年生きるから、まだ鎌倉の将軍がいた時代からずっと松の雪のように消えることなく、年が変わるのも知らない。

 この頃は頼朝の時代からまだ五百年も経っていない。

 

季語は「雪」で秋。

 

五十六句目

 

   鎌倉の将軍以来の松の雪

 東海道にあらし(さえ)ゆく       松臼

 (鎌倉の将軍以来の松の雪東海道にあらし寒ゆく)

 

 松の雪を源実朝が暗殺された時の雪としたか。東海道に嵐が吹き荒れる。

 

季語は「寒ゆく」で冬。

 

五十七句目

 

   東海道にあらし寒ゆく

 追出(おひだ)しの鐘に目(ざめ)て馬やらふ    一朝

 (追出しの鐘に目覚て馬やらふ東海道にあらし寒ゆく)

 

 追出しの鐘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出の鐘」の解説」に、

 

 「夜明けをつげる鐘。遊里などで、明け六つ(今の午前六時ごろ)の鐘をいう語。泊まり客が帰る時刻に鳴ることからいう。追い出し。起こし鐘。〔日葡辞書(160304)〕

  ※俳諧・鷹筑波(1638)二「耳かしましきをひ出しの鐘(カネ)一季をり限になればきう乞て〈正好〉」

 

とある。

 宿場の遊女と遊んで朝になれば追出しの鐘が鳴る。それだけだと普通だが、「馬やらふ」というのは金がなくて馬に乗せられて家まで金を取りに行くということか。そりゃあ嵐のようだ。

 

無季。恋。「馬」は獣類。

 

五十八句目

 

   追出しの鐘に目覚て馬やらふ

 人間万事まよふうかれめ     在色

 (追出しの鐘に目覚て馬やらふ人間万事まよふうかれめ)

 

 「人間万事塞翁(さいおう)が馬」という『淮南子(えなんじ)』人間訓に由来する諺から馬に人間万事を付ける。内容は諺とは関係なく、人は誰でも遊女に迷わされる。

 

無季。恋。「うかれめ」は人倫。

 

五十九句目

 

   人間万事まよふうかれめ

 方便(はうべん)や今(この)娑婆(しゃば)(ほとけ)御前(ごぜ)      雪柴

 (方便や今此娑婆に仏御前人間万事まよふうかれめ)

 

 仏御前はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典「仏御前」の解説」に、

 

 「没年:治承4.8.18(1180.9.9)

生年:永暦1.1.15(1160.2.23)

平安時代末期の白拍子。加賀国(石川県)の出身。16歳で都に聞こえた白拍子の上手となり,平清盛の西八条邸に推参。すでに白拍子祇王を寵愛していた清盛の拒絶に合うが,祇王の取り成しで清盛と対面して舞を舞う。この結果,清盛の寵愛は仏に移り,仏を慰めるために清盛に召されて今様を謡った祇王は,母刀自,妹祇女と共に悲嘆のうちに嵯峨の奥に出家して,庵を結んだ。一方仏は,祇王の恩を仇で返したことを情けなく思い,かつ祇王の身の上がいつか自分自身の身の上となることに無常を感じ,尼となって祇王たちの庵を訪れた。そして,仏ら4人の尼は皆往生して,長講堂の過去帳にも記されたという。<参考文献>山本清嗣・藤島秀隆『仏御前』

(細川涼一)

 

とある。

 前句のうかれめと引き離すのに、仏御前を差し向けるのは方便ということか。

 

無季。釈教。恋。

 

六十句目

 

   方便や今此娑婆に仏御前

 (それ)おもんみる恋のみなもと     志計

 (方便や今此娑婆に仏御前夫おもんみる恋のみなもと)

 

 夫は「それ」と読む。

 仏教は恋すらも成仏のための方便とするが、ならば恋そのものはどこから生じるのか。

 

無季。恋。

 

六十一句目

 

   夫おもんみる恋のみなもと

 (うらみ)ては昼夜(ちうや)をすてぬ(なみだ)(がは)     松意

 (恨ては昼夜をすてぬ泪川夫おもんみる恋のみなもと)

 

 涙の川は昼夜休むことなく流れる。その涙の源は満たされぬ恋にある。

 涙川はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「涙川」の解説」に、

 

 「[1] 涙が多く流れることを、川にたとえた語。川のように流れる涙。涙の川。

  ※班子女王歌合(893頃)「人知れずしたに流るるなみだがはせきとどめなむ影やみゆると」

  [2] 地名。伊勢国の歌枕。和訓栞に、一志郡の川という。

  ※後撰(951953頃)離別・一三二七「男の伊勢の国へまかりけるに 君がゆく方に有りてふ涙河まづは袖にぞ流るべらなる」

 

とあり、名所に掛けて用いられる。

 

無季。恋。「泪川」は名所、水辺。

 

六十二句目

 

   恨ては昼夜をすてぬ泪川

 水もたまらずあはれ一太刀    正友

 (恨ては昼夜をすてぬ泪川水もたまらずあはれ一太刀)

 

 「水もたまらず」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水も溜まらず」の解説」に、

 

 「刀剣で、あざやかに切るさま。また、切れ味のよいさま。

  ※長門本平家(13C前)一四「本どりをつかみてひきあげて首をかく、水もたまらず切れにけり」

 

とある。前句を仇討(あだうち)の積年の恨みとして、一太刀で本懐を遂げる。

 

無季。

 

六十三句目

 

   水もたまらずあはれ一太刀

 真向(まっかう)にさしかざしたる月の色    松臼

 (真向にさしかざしたる月の色水もたまらずあはれ一太刀)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』は謡曲『生田(いくた)(あつ)(もり)』の、

 

 「馴れつる修羅の(かたき)ぞかしと、太刀(たち)真向(まツこお)にさしかざし、ここやかしこに走り(めぐ)り、火花を散らして戦ひしが、(しばら)くありて黒雲(こくうん)も、次第に立ち去り修羅の(かたき)(たちま)ちに消え失せて、月澄み渡りて明明(めいめい)たる(あかつき)の空とぞなりたりける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1038). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。この場面の本説と見ていい。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六十四句目

 

   真向にさしかざしたる月の色

 すすみ(いで)たるはつ(かり)の声      一鉄

 (真向にさしかざしたる月の色すすみ出たるはつ鴈の声)

 

 前句の月を刀に見立てて初雁が刀を構えて前に進み出て名乗りを上げたとする。月は三日月であろう。

 

季語は「はつ鴈」で秋、鳥類。

三裏

六十五句目

 

   すすみ出たるはつ鴈の声

 秋風の(ふく)につけても(くひ)つきて    在色

 (秋風の吹につけても食つきてすすみ出たるはつ鴈の声)

 

 雁は草食で地面の草や落穂などをつついている。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、

 

 秋風の吹くにつけてもとはぬかな

     荻の葉ならばおとはしてまし

              中務(なかつかさ)(後撰集)

 

の歌を引いている。

 

季語は「秋風」で秋。

 

六十六句目

 

   秋風の吹につけても食つきて

 旅なれたりし萩の下露      卜尺

 (秋風の吹につけても食つきて旅なれたりし萩の下露)

 

 秋風が吹こうが萩の下露に濡れようが、野宿に慣れた人間はひたすら食う。

 

季語は「萩の下露」で秋、植物、草類、降物。旅体。

 

六十七句目

 

   旅なれたりし萩の下露

 (ゆき)(くれ)て飛脚は野辺の仮枕(かりまくら)      志計

 (行暮て飛脚は野辺の仮枕旅なれたりし萩の下露)

 

 飛脚も旅慣れている。

 

無季。旅体。「飛脚」は人倫。

 

六十八句目

 

   行暮て飛脚は野辺の仮枕

 何十何里夢のかよひ()       一朝

 (行暮て飛脚は野辺の仮枕何十何里夢のかよひ路)

 

 行き倒れか。夢の中でも配達し続ける。

 

無季。哀傷。

 

六十九句目

 

   何十何里夢のかよひ路

 あら海の岸による波(なみだ)じやもの   正友

 (あら海の岸による波泪じやもの何十何里夢のかよひ路)

 

 何十何里夢のかよひ路と思うと、岸に寄せる波くらい涙が出る。

 「夢のかよひ路」に「岸による波」は、

 

 住の江の岸による浪よるさへや

     ゆめのかよひぢ人めよくらむ

              藤原(ふじわらの)(とし)(ゆき)(古今集)

 

の歌による。

 

無季。恋。「あら海」「岸」「波」は水辺。

 

七十句目

 

   あら海の岸による波泪じやもの

 ()邪間(じゃま)(いり)て中の(われ)(ぶね)       雪柴

 (あら海の岸による波泪じやもの誰が邪間入て中の破舟)

 

 二人の仲を船に喩えて、誰かに邪魔されて船が壊れて岸に流れ着き涙する。

 

無季。恋。「誰」は人倫。「破舟」は水辺。

 

七十一句目

 

   誰が邪間入て中の破舟

 うき思ひ問屋次第にともかくも  一鉄

 (うき思ひ問屋次第にともかくも誰が邪間入て中の破舟)

 

 破舟に「浮き」が縁語になり、「憂き思ひ」に掛けて用いる。

 問屋は取り次ぐ人ということで、仲を取り次いでもらうと、その中に立つ人次第で破談にもなる。

 

無季。恋。「問屋」は人倫。

 

七十二句目

 

   うき思ひ問屋次第にともかくも

 今(この)さとのりんきいさかひ     松意

 (うき思ひ問屋次第にともかくも今此さとのりんきいさかひ)

 

 問屋の(せがれ)が浮気者で悋気(りんき)(いさか)いがこの里の噂になっている。

 

無季。恋。「さと」は居所。

 

七十三句目

 

   今此さとのりんきいさかひ

 ながむれば烟絶(けぶりたえ)にしかせ所帯(しょたい)    卜尺

 (ながむれば烟絶にしかせ所帯今此さとのりんきいさかひ)

 

 かせ所帯はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「悴所帯」の解説」に、

 

 「〘名〙 貧乏所帯。貧乏暮らし。貧しい生活。かせせたい。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「童子が好む秋なすの皮〈在色〉 花娵(はなよめ)を中につかんでかせ所帯〈雪柴〉」

  ※浄瑠璃・双生隅田川(1720)三「あるかなきかのかせ所帯(ショタイ)、妻は手づまの賃仕事(しごと)

 

とある。例文は第一百韻「されば爰に」の巻四十九句目。

 「ながむれば烟絶にし」は古歌だと藻塩焼く蜑の苫屋の烟も絶えてだが、ここでは貧乏で飯も炊けないということになる。

 悋気諍い絶えなければ仕事もままならず困窮することになる。

 

無季。「烟」は聳物。

 

七十四句目

 

   ながむれば烟絶にしかせ所帯

 をきわたしたる質草(しちぐさ)の露      松臼

 (ながむれば烟絶にしかせ所帯をきわたしたる質草の露)

 

 (あま)の苫屋の煙絶えてに沖へ渡すの連想から、それに掛けて質屋に置き渡した質草の露とする。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

七十五句目

 

   をきわたしたる質草の露

 影てらす三月(みつき)(ぎり)にや虫の声     一朝

 (影てらす三月切にや虫の声をきわたしたる質草の露)

 

 三月切はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「月切」の解説」に、

 

 「① 一か月ごとに区切りをつけること。また、何か月かに月を限って定めること。

  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)四月四日「約束いたし、月切之事候間」

  ② =つきがこい(月囲)

  ※俳諧・物種集(1678)「世盛を問ふせんし茶の水 いかなるか是は月切の竹柄𣏐〈任口〉」

 

とある。ここでは三か月経つと質草が流れることを言い、それを三日月に掛けて、月の抜けとする。

 

季語は「虫の声」で秋、虫類。

 

七十六句目

 

   影てらす三月切にや虫の声

 (いち)()はすでに秋いたる(なり)      在色

 (影てらす三月切にや虫の声一夏はすでに秋いたる也)

 

 前句の三月切を夏は四月五月六月の三月きりと読んで、一夏は終わり秋になるとする。

 

季語は「秋いたる」で秋。

 

七十七句目

 

   一夏はすでに秋いたる也

 (のり)の花火江湖(がうこ)の波の夕景(ゆふげ)(しき)     正友

 (法の花火江湖の波の夕景色一夏はすでに秋いたる也)

 

 花火はお盆の迎え火・送り火から派生したもので、死者を供養するためのものだった。

 この時代はまだ花火大会のようなものはなく、各自が勝手に隅田川の河原で打ち上げてた。そのため初秋のものとなる。

 江湖はこの場合江戸の墨田川を指す。

 

季語は「花火」で秋、正花で定座の花になる。「江湖の波」は水辺。

 

七十八句目

 

   法の花火江湖の波の夕景色

 ゆく舟屋(ふなや)かた(つひ)彼岸(かのきし)       志計

 (法の花火江湖の波の夕景色ゆく舟屋かた終は彼岸)

 

 隅田川を行く屋形船は花火に送られて彼岸へと行くが、そこは多分吉原だろう。

 

季語は「彼岸」で秋。「舟屋かた」は水辺。

名残表

七十九句目

 

   ゆく舟屋かた終は彼岸

 かやうとはおもはざりしをながし者 雪柴

 (かやうとはおもはざりしをながし者ゆく舟屋かた終は彼岸)

 

 「ながし者」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「流者」の解説」に、

 

 「〘名〙 島流しに処された者。流人。

  ※俳諧・類船集(1676)留「切ても捨られぬ科人はながしものとなる」

 

とある。

 まさか流罪になるとはおもわなかった、世の中を甘く見ていた罪人はいつの世にもいるものだ。

 

無季。「ながし者」は人倫。

 

八十句目

 

   かやうとはおもはざりしをながし者

 七(ツキ)半の(くひ)あはせうき       一鉄

 (かやうとはおもはざりしをながし者七月半の喰あはせうき)

 

 前句の「ながし者」を下痢便とする。

 月には「つき」とルビがある。「ななつきはん」で流罪の刑期として付けてはいるが、意味的には文月半ばの食中毒とする。微妙だが無季扱いにする。

 

無季。

 

八十一句目

 

   七月半の喰あはせうき

 申さぬが脈にすすんであだ心   松意

 (申さぬが脈にすすんであだ心七月半の喰あはせうき)

 

 ここでも七月半(ななつきはん)の意味になる。何も言わないから脈ありと見てやっちゃったが、それが失敗で、今は妊娠七ヶ月半。

 

無季。恋。

 

八十二句目

 

   申さぬが脈にすすんであだ心

 朝ゐの(とこ)をはづる小娘       卜尺

 (申さぬが脈にすすんであだ心朝ゐの床をはづる小娘)

 

 前句を病気かと脈を取ってみたが、どうも片思いの恋で娘は恥ずかしがる。

 

無季。恋。「小娘」は人倫。

 

八十三句目

 

   朝ゐの床をはづる小娘

 しやなしやなとしししにいけば乱髪(みだれがみ) 松臼

 (しやなしやなとしししにいけば乱髪朝ゐの床をはづる小娘)

 

 「しゃなしゃな」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「しゃなしゃな」の解説」に、

 

 「① =しゃなりしゃなり

  ※俳諧・談林十百韻(1675)下「朝ゐの床をはつる小娘〈卜尺〉 しゃなしゃなとしししに行けば乱髪〈松臼〉」

  ② 細く弱々しいさまを表わす語。

  ※歌舞伎・鳴神(日本古典全書所収)(1742か)「造り物、本舞台一面に嶮岨なる岩山。〈略〉岩壺よりしゃなしゃな水を吹き上げ」

 

とある。

 「ししし」はおしっこで、前句の小娘を幼女とする。

 

無季。

 

八十四句目

 

   しやなしやなとしししにいけば乱髪

 乗物(いで)しあとの追風(おひかぜ)        一朝

 (しやなしやなとしししにいけば乱髪乗物出しあとの追風)

 

 追風はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追風」の解説」に、

 

 「① うしろから吹いてくる風。⇔向かい風。

  ※後撰(951953頃)恋三・七七八「今はとて行かへりぬるこゑならばおひ風にてもきこえましやは〈兼覧王〉」

  ② 船の進む方向に吹く風。おいて。順風。⇔向かい風。

  ※書紀(720)神功摂政前(北野本訓)「則ち、大きなる風、順(オヒカセ)に吹き、帆舶(ほつむ)波の随(まにま)に、楫(かいかぢ)を労(ねぎら)はず」

  ③ 物の香りを吹き送ってくる風。

  ※伊勢集(11C後)「おひかぜのわがやどにだに吹き来ずはゐながら空の花を見ましや」

  ④ 特に、着物にたきしめた香や、たいている香の薫りなどをただよわせてくる風。追い風用意。

  ※源氏(100114頃)若紫「君の御をひかせ、いと殊(こと)なれば」

  ⑤ すぐれた馬。逸馬(いつば)。〔元和本下学集(1617)〕」

 

とある。

 ⑤の意味を比喩として用いての駕籠かきの立小便か。

 

無季。

 

八十五句目

 

   乗物出しあとの追風

 腹切(はらきり)やきのふはけふの峰の雪    在色

 (腹切やきのふはけふの峰の雲乗物出しあとの追風)

 

 切腹を命じられた主君は駕籠に乗せられ、連れ去られてしまった。

 雲は魂に通じるもので、古代の中国語では音が似ていた。しばしば雲は死者の霊の喩えとして用いられる。

 すぐに魂は峰の雲となる。

 

無季。哀傷。「峰」は山類。「雲」は聳物。

 

八十六句目

 

   腹切やきのふはけふの峰の雪

 何百年の辻堂の月        正友

 (腹切やきのふはけふの峰の雪何百年の辻堂の月)

 

 辻堂はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「辻堂」の解説」に、

 

 「[1] 道の辻などに建てられている仏堂。

  ※太平記(14C後)五「宮をばとある辻堂(ツジダウ)の内に置奉て」

  [2] 神奈川県藤沢市南西部の地名。相模湾に面する。もとはショウロとハツタケの名産地として知られた農業集落。

 

とある。この場合は[1]になる。

 何百年も前に腹切があって建てられた辻堂を、当時と変わらぬ月が照らす。

 もっとも、切腹の習慣はそんなに古くはない。単なる噂であろう。

 辻堂は旅人が野宿するのにも用いられ、あえて旅人の休息所として建てられた所もある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。

 

八十七句目

 

   何百年の辻堂の月

 飛騨(ひだ)(たくみ)(ここ)に沙汰してきりぎりす  志計

 (飛騨の工爰に沙汰してきりぎりす何百年の辻堂の月)

 

 飛騨の(たくみ)はコトバンクの「百科事典マイペディア「飛騨工」の解説」に、

 

 「飛騨匠とも書く。古代の飛騨から朝廷に交替で勤務した大工。養老令に斐陀匠。割当ては里()ごとに10人,衣食は各里の負担。平安時代には総員10060人に減。木工(もく)寮などに配属し,建築に従事。その技術は伝説化し,《今昔物語集》に絵師百済川(河)成(くだらのかわなり)と腕を競った話がある。」

 

とある。

 前句の「何百年の辻堂」から平安時代の辻堂として「飛騨の工」を出す。キリギリスは材木を切りと掛けている。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。「飛騨の工」は人倫。

 

八十八句目

 

   飛騨の工爰に沙汰してきりぎりす

 金岡(かなをか)が筆くさむらの色       雪柴

 (飛騨の工爰に沙汰してきりぎりす金岡が筆くさむらの色)

 

 金岡は巨勢(こせの)金岡(かなおか)で平安時代の絵師で、筆比べに負けて筆を投げ捨てたという「筆捨て松」の伝説がある。

 ここでは飛騨の工に負けて筆を草むらに投げ捨てたとする。

 

季語は「くさむらの色」で秋、植物、草類。

 

八十九句目

 

   金岡が筆くさむらの色

 片しぐれ(あたひ)いくらの松の風     一鉄

 (片しぐれ価いくらの松の風金岡が筆くさむらの色)

 

 巨勢金岡が捨てたという草むらの色をした筆は、とんでもないプレミアがつきそうだ。

 

季語は「片しぐれ」で冬、降物。「松」は植物、木類。

 

九十句目

 

   片しぐれ価いくらの松の風

 美濃(みの)のお山の宿に夜あした     松意

 (片しぐれ価いくらの松の風美濃のお山の宿に夜あした)

 

 美濃のお山は養老山地の北側の山で、

 

 思い出づや美濃のを山の一つ松

     契りしことはいつも忘れず

              伊勢(新古今集)

 我が恋ふる美濃のお山の一つ松

     結びし心今も忘れず

              よみ人しらず(夫木抄)

 

などの歌に詠まれている。

 この一夜の契を遊女との契とする。

 

無季。恋。「お山」は名所、山類。「夜あした」は夜分。

 

九十一句目

 

   美濃のお山の宿に夜あした

 洗足(せんそく)垂井(たるゐ)の水やむすぶらん    卜尺

 (洗足に垂井の水やむすぶらん美濃のお山の宿に夜あした)

 

 洗足はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「洗足」の解説」に、

 

 「① (━する) 汚れた足を湯水などで洗うこと。足をすすぐこと。

  ※延喜式(927)五「湯槽、円槽、洗足槽各一隻」

  ※正法眼蔵(123153)洗面「経行をはりて、さらに端坐坐禅せんとするには、かならず洗足するといふ」 〔史記‐酈生伝〕

  ② 足を洗うのに用いる湯水。すすぎ。洗足湯。」

 

とある。この場合は単に②の意味か。

 垂井宿は中山道の関ヶ原宿の江戸寄りの隣宿になる。歌枕の美濃のお山に近い。

 

 昔見し垂井の水はかわらねど

     うつれる影ぞ年を経にける

              藤原(ふじわらの)(たか)(つね)(詞花集)

 

などの歌に詠まれている。

 

無季。「垂井の水」は名所、水辺。

 

九十二句目

 

   洗足に垂井の水やむすぶらん

 追剥(おひはぎ)しまふあとの血刀(ちがたな)       松臼

 (洗足に垂井の水やむすぶらん追剥しまふあとの血刀)

 

 追剥が血の付いた刀を洗足のための水で洗う。垂井の隣の赤坂宿(美濃赤坂)は謡曲『烏帽子(えぼし)(おり)』や『熊坂(くまさか)』の舞台でもある。

 

無季。「追剥」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   追剥しまふあとの血刀

 (よし)(もり)がゆかりなるべしす牢人(らうにん)    一朝

 (義盛がゆかりなるべしす牢人追剥しまふあとの血刀)

 

 和田義盛はウィキペディアに、

 

 「『吾妻(あづま)(かがみ)』では、その後、義盛は罪人の処断や、平家と対峙する遠江国への派遣などの活動をしている。源義仲との合戦や、一ノ谷の戦いの軍中にはその名は見えない。」

 

とある。頼朝の御所が完成した後は罪人を処罰していた。

 追剥の処断をしたのはその義盛ゆかりの牢人だったか。

 

無季。「牢人」は人倫。

 

九十四句目

 

   義盛がゆかりなるべしす牢人

 (よる)(ひる)三日(みか)のくすりごしらへ     在色

 (義盛がゆかりなるべしす牢人夜日三日のくすりごしらへ)

 

 和田義盛ゆかりの天養院の薬師如来からの連想か。

 和田合戦で負傷した時に身代わりになったという薬師如来は、実は牢人が夜昼三日かけて作った薬のおかげだった。

 

無季。

 

九十五句目

 

   夜日三日のくすりごしらへ

 (すい)風呂(ふろ)枯木(こぼく)をたたき(たき)(たて)たり   正友

 (水風呂や枯木をたたき焼立たり夜日三日のくすりごしらへ)

 

 湯船にお湯を沸かす(すい)風呂(ふろ)は、この頃お寺などを中心に少しずつ広まっていた。

 焼立はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼立」の解説」に、

 

 「① 盛んに焼く。いっそう盛んになるように焼く。焼いて煙をたてる。

  ※万葉(8C後)一一・二七四二「志賀の海人の火気(ほけ)焼立(やきたて)て焼く塩の辛き恋をも吾れはするかも」

  ② 盛んにおだててうれしがらせる。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「太夫に焼(ヤキ)たてられ、羽柴の煙かぎりと思ひつくを」

 

とある。

 これは火が強くなりすぎて火傷したということだろう。薬を作る。

 

無季。「枯木」は植物、木類。

 

九十六句目

 

   水風呂や枯木をたたき焼立たり

 こぬかみだれて晴天の雨     志計

 (水風呂や枯木をたたき焼立たりこぬかみだれて晴天の雨)

 

 小糠は玄米を精米する時の細かい粉で、火の側で唐臼で精米作業を行うと粉塵爆発を起こす。元禄三年の「鶯の」の巻二十五句目にも、

 

   泣てゐる子のかほのきたなさ

 宿かして米搗程は火も焼ず    芭蕉

 

の句がある。また、元禄六年の「いさみたつ(嵐)」の巻二十六句目にも、

 

   火燵の火いけて勝手をしづまらせ

 一石ふみし碓の米        沾圃

 

の句もある。

 粉塵爆発が起こって浴槽が吹っ飛び、晴れているのに雨が降る。

 粉塵爆発で危ないから火を消すというのが蕉門だが、談林ではドカーンと爆発させる。

 

無季。「雨」は降物。

 

九十七句目

 

   こぬかみだれて晴天の雨

 まつ(よひ)の油こぼるるうき(なみだ)     雪柴

 (まつ宵の油こぼるるうき泪こぬかみだれて晴天の雨)

 

 前句の小糠を小糠油のこととする。

 油をこぼして火事になって空に星が見えているのに雨のような涙を流す。

 

無季。

 

九十八句目

 

   まつ宵の油こぼるるうき泪

 かかる思ひをねずみひかぬか   卜尺

 (まつ宵の油こぼるるうき泪かかる思ひをねずみひかぬか)

 

 こぼれた涙が油の様なら、ネズミがどこか持ってってくれないか。

 

無季。恋。「ねずみ」は獣類。

 

九十九句目

 

   かかる思ひをねずみひかぬか

 (うらみ)ては(やしろ)の花に五寸釘      松意

 (恨ては社の花に五寸釘かかる思ひをねずみひかぬか)

 

 恋の恨みから神社で五寸釘を打ち付けて、(うし)(こく)(まい)りをする。

 花の定座なので放り込み気味の花を添える。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

挙句

 

   恨ては社の花に五寸釘

 中をかすめてうき天満橋     松臼

 (恨ては社の花に五寸釘中をかすめてうき天満橋)

 

 前句を寝取られの恨みとして、仲を掠め取った方も呪われて憂き天満橋となる。

 掠めては「霞めて」と掛詞になり、春の句となり、前句と無関係に見れば大阪の天満橋に春の霞がかかると、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「かすめて」で春、聳物。「天満橋」は水辺。