「兼好も」の巻、解説

初表

 兼好も莚織けり花ざかり      嵐雪

   あざみや苣に雀鮨もる     利牛

 片道は春の小坂のかたまりて    野坡

   外をざまくに囲う相撲場    嵐雪

 細々と朔日ごろの宵の月      利牛

   早稲も晩稲も相生に出る    野坡

 

初裏

 泥染を長き流れにのばすらん    嵐雪

   あちこちすれば昼のかねうつ  利牛

 隣から節々嫁を呼に来る      野坡

   てうてうしくも誉るかいわり  嵐雪

 黒谷のくちは岡崎聖護院      利牛

   五百のかけを二度に取けり   野坡

 綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ   嵐雪

   人のさわらぬ松黒む也     利牛

 雑-役の鞍を下せば日がくれて    野坡

   飯の中なる芋をほる月     野坡

 漸と雨降やみてあきの風      利牛

   鶏-頭みては又鼾かく      野坡

 

 

二表

 奉公のくるしき顔に墨ぬりて    嵐雪

   抱揚る子の小便をする     利牛

 くはたくはたと河内の荷物送り懸  野坡

   心みらるる箸のせんだく    嵐雪

 婿が来て娘の世とはなりにけり   利牛

   ことしのくれは何も貰はぬ   野坡

 金仏の細き御足をさするらん    嵐雪

   此かいわいの小鳥皆よる    利牛

 黍の穂は残らず風に吹倒れ     野坡

   馬場の喧嘩の跡にすむ月    嵐雪

 弟はとうとう江戸で人になる    利牛

   今に庄やのくちはほどけず   野坡

 

二裏

 売手からうつてみせたるたたき鉦  嵐雪

   ひらりひらりとゆきのふり出し 野坡

 鎌倉の便きかせに走らする     野坡

   鎌倉の便きかせに走らする   野坡

 独ある母をすすめて花の陰     利牛

   まだかびのこる正月の餅    野坡

 

      参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)

初表

発句

 

 兼好も莚織けり花ざかり      嵐雪

 

 元禄六年一月に芭蕉は嵐雪との両吟「蒟蒻に」の巻で対座しているが、この両吟の三十五句目に珍碩の句がある辺り、芭蕉に駄目出しされて三十四句で終了したのだろう。この一巻はそれより後で、元禄七年の春か。

 発句は、『徒然草』で有名な兼好法師が花見をするなら、きっと世俗のような派手な花見ではなく、自分一人座れるような筵を自分で織って花見をするのではないか、という句で、兼好の名はあっても特に出典にもたれていない、軽みの句といえよう。

 兼好というと『徒然草』一三七段の、

 

 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」

 

の言葉も有名なようで、これは花は咲き初めから散り終わるまで、すべて風情があるというもので、別に花見に対してアンチなわけではない。

 寓意を強いて言うなら、兼好法師に倣って、三人だけで静かな花見でもしましょうか、といったところか。

 これより百年後の寛政の頃に出版された『摂津名所図会』の東成郡のところに、

 

 「吉田の兼好法師は乱をさけて阿閇野の命帰丸が故郷に寄り、莚を織りて業を扶くるは」

 

とあるから、何らかの形でこれに類する伝説も知られていたのだろう。阿閇野は大阪の阿倍野で、今はハルカスがあるが、昔は名前の通り野原だった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

 

   兼好も莚織けり花ざかり

 あざみや苣に雀鮨もる       利牛

 (兼好も莚織けり花ざかりあざみや苣に雀鮨もる)

 

 雀鮨はコトバンクの「デジタル大辞泉「雀鮨」の解説」に、

 

 「小鯛(こだい)を背開きにして、腹に鮨飯を詰めた鮨。もとは江鮒(えぶな)を用いた。大阪・和歌山の名物。形が雀のようにふくれているのでいう。《季 夏》「蓼たでの葉を此君と申せ—/蕪村」

 

 舞台が大阪の阿倍野ということで雀鮨を出す。苣(ちさ)はレタスのことで、今で言うとサンチュに近いものか。アザミも若芽は食用になる。

 雀鮨を食器を使わずにアザミやチサの葉に盛るというのが、昔っぽい風流を感じさせる。

 

季語は「あざみ」「苣」で春、植物、草類。

 

第三

 

   あざみや苣に雀鮨もる

 片道は春の小坂のかたまりて    野坡

 (片道は春の小坂のかたまりてあざみや苣に雀鮨もる)

 

 坂道を行くと荷物が片寄って、アザミやチサの中に雀鮨が混ざってしまったということか。弁当箱などでよくある現象だ。

 

季語は「春」で春。

 

四句目

 

   片道は春の小坂のかたまりて

 外をざまくに囲う相撲場      嵐雪

 (片道は春の小坂のかたまりて外をざまくに囲う相撲場)

 

 ざまくはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ざまく」の解説」に、

 

 「① 異質なものがはいり込んでいて、それがじゃまであるさま。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② (人が)不注意でだらしないさま。(動作、仕事が)ぞんざいなさま。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※俳諧・炭俵(1694)上「片道は春の小坂のかたまりて〈野坡〉 外をざまくに囲ふ相撲場〈嵐雪〉」

 

とある。

 相撲は秋の季語で秋のものだが、春にも行われることはあったのだろう。坂道を突き固めて外側をざっと覆っただけの相撲場は、何やら怪しげな感じもする。土俵が傾いていたりしたら上の方が有利になる。

 

季語は「相撲」で秋。

 

五句目

 

   外をざまくに囲う相撲場

 細々と朔日ごろの宵の月      利牛

 (細々と朔日ごろの宵の月外をざまくに囲う相撲場)

 

 朔日ごろの月は厳密に朔日ということではなく、二日か三日の月をいう。満月の日の相撲がメインで、二日三日は前座というか、会場の設営も雑だったのだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   細々と朔日ごろの宵の月

 早稲も晩稲も相生に出る      野坡

 (細々と朔日ごろの宵の月早稲も晩稲も相生に出る)

 

 旧暦八月の一日頃は、早稲は既に刈り取られた跡から新芽が生え、晩稲はまだ伸びていない。二つの田んぼが隣り合っていると、どっちがどっちかよくわからない。

 この時間差をうまく利用すると米の二期作ができる。

 

季語は「早稲も晩稲も」で秋、植物、草類。

初裏

七句目

 

   早稲も晩稲も相生に出る

 泥染を長き流れにのばすらん    嵐雪

 (泥染を長き流れにのばすらん早稲も晩稲も相生に出る)

 

 泥染(どろぞめ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「泥染」の解説」に、

 

 「〘名〙 媒染に鉄分のある泥に漬けて染める染色法。染料によって黒褐色、黒色などに発色する。大島紬・黒の八丈縞・五日市の黒八丈などがこの染色法を用いる。

  ※随筆・遠碧軒記(1675)下「今のどろぞめなどと云の色にて、ねずみ色の少しこきやうなものなり」

 

とある。

 前句を温暖な地として、奄美大島の大島紬としたか。

 

無季。「泥染」は衣裳。

 

八句目

 

   泥染を長き流れにのばすらん

 あちこちすれば昼のかねうつ    利牛

 (泥染を長き流れにのばすらんあちこちすれば昼のかねうつ)

 

 昼の鐘はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「昼鐘」の解説」に、

 

 「〘名〙 昼間に鳴らす鐘。また、午(ひる)を告げ知らせる鐘や鐘の音。

  ※俳諧・小柑子(1703)下「昼鉦やのどかにわたる栄の中〈一貞〉」

 

とある。

 高価で粋な泥染めの紬も、吉原から隅田川を下ってあちこち寄り道して帰れば昼になる。

 

無季。

 

九句目

 

   あちこちすれば昼のかねうつ

 隣から節々嫁を呼に来る      野坡

 (隣から節々嫁を呼に来るあちこちすれば昼のかねうつ)

 

 嫁が芝居でも見に行ってしまったか。隣の主人が探しに来る。夫は夜遊び、妻は昼遊ぶ。

 

無季。恋。「嫁」は人倫。

 

十句目

 

   隣から節々嫁を呼に来る

 てうてうしくも誉るかいわり    嵐雪

 (隣から節々嫁を呼に来るてうてうしくも誉るかいわり)

 

 「かいわり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「貝割・卵割」の解説」に、

 

 「① (「かい」は卵の意) 卵の殻を割って雛がかえること。また、殻を割って生まれたばかりの意から転じて、なりたて、未熟の意にいう。

  ※洒落本・真女意題(1781)自序「何を申も作者の新米。〈略〉究らぬ処も多かるべし。そこが作りの卵割(カイワリ)と」

  ② =かいわりな(貝割菜)《季・秋》 〔改正増補和英語林集成(1886)〕

  ③ 袖口の形の一つ。袖口を真中で括って上下を卵の殻を二つに割った形に分けたものをいうか。

  ※俳諧・流川集(1693)「爪にかかりて抜る魚の目〈露川〉 かいわりの袖しほらしき辻か花〈素覧〉」

  ④ 帯の結び方の一つ。卵の殻を二つに割った形に結んだものをいうか。

  ※俳諧・炭俵(1694)上「隣から節節嫁を呼に来る〈野坡〉 てうてうしくも誉(ほむ)るかいわり〈嵐雪〉」

  ⑤ アジ科の海魚。全長三〇センチメートルに達し、体は著しく側扁した卵円形。体色は背部が青緑色で、腹部は銀白色。第二背びれと尻びれに黒褐色の縦走帯がある。本州の金華山、能登半島以南に分布する。食用とし、美味。ひらあじ。」

 

とある。④の意味になる。

 婚礼衣装か。なかなか準備が整わない。

 

無季。恋。「かいわり」は衣裳。

 

十一句目

 

   てうてうしくも誉るかいわり

 黒谷のくちは岡崎聖護院      利牛

 (黒谷のくちは岡崎聖護院てうてうしくも誉るかいわり)

 

 京の黒谷は金戒光明寺のある辺りで、京都市街から行くとその手前に聖護院がある。聖護院大根が有名で、前句の「かいわり」をそこのカイワレ大根とする。この時代は周りは畑だった。

 

無季。釈教。

 

十二句目

 

   黒谷のくちは岡崎聖護院

 五百のかけを二度に取けり     野坡

 (黒谷のくちは岡崎聖護院五百のかけを二度に取けり)

 

 掛売の金は通常盆と大晦日に取りに来る。岡崎聖護院との関係がよくわからない。岡崎に非田院があったことと関係があるのか。

 

無季。

 

十三句目

 

   五百のかけを二度に取けり

 綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ   嵐雪

 (綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ五百のかけを二度に取けり)

 

 綱ぬきは日本皮革産業連合会の「皮革用語辞典」に、

 

 「江戸中期以降の関西にのみ普及した革製の巾着沓<きんちゃくくつ>を指す。革の甲側足首周囲に何カ所かの穴を開けてひも(綱縄)を通し、これを絞り締めるようにして履く。貫き緒を通すところから名前がつけられたとの説が有力である。」

 

とある。また、「広辞苑無料検索」には、

 

 「牛の皮で作り、底に鉄の釘を打ったくつ。」

 

とあり、滑り止めのためのスパイクを付けたものもあったのだろう。雪の中を掛け取りに行く。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

十四句目

 

   綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ

 人のさわらぬ松黒む也       利牛

 (綱ぬきのいぼの跡ある雪のうへ人のさわらぬ松黒む也)

 

 雪が降れば松の葉が白くなって、これを王朝時代の人は松の紅葉と呼んだが、この場合は葉は雪原の白に目立たなくなり、雪の積もらない枝や幹が黒々と見えるという意味か。湯山三吟の発句、

 

 うす雪に木葉色こき山路哉     肖柏

 

を思わせる。

 

無季。「人」は人倫。「松」は植物、木類。

 

十五句目

 

   人のさわらぬ松黒む也

 雑-役の鞍を下せば日がくれて    野坡

 (雑-役の鞍を下せば日がくれて人のさわらぬ松黒む也)

 

 雑役(ざふやく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雑役」の解説」に、

 

 「① 雑用。また、雑用をする者。

  ※三代格‐六・大同三年(808)二月五日「停レ給二事力一、支二用雑役一」

  ※源氏(1001‐14頃)行幸「下臈、童べなどの仕うまつりたらぬざうやくをも、たち走りやすく、惑ひ歩きつつ」

  ② 種々の労役。また特に、中世、荘園領主・在地領主が支配下の農民を使役したいろいろな夫役(ぶやく)をもいう。

  ※観智院本三宝絵(984)中「外国より来れる人あれば其の名をたづね注して雑役におほせてかりつかひ」

  ③ こまごまとした仕事。ちょっとした手入れ仕事。

  ※俳諧・父の終焉日記(1801)享和元年五月一一日「畠のざうやくなりとて、人々は皆、鎌提、塊槌もて門を出れば」

  ④ 「ぞうやくうま(雑役馬)」の略。

  ※詞林三知抄(1532‐55頃)上「駒情 こまのみやび ざうやくをこふる也」

  ⑤ ⇒ぞうやく(駅)

  ⑥ ⇒ざつえき(雑役)」

 

とある。ここでは④の意味か。雑役馬は「精選版 日本国語大辞典「雑役馬」の解説」に、

 

 「〘名〙 乗用には使わないで、いろいろな雑用に使う牝馬(めすうま)。駄馬。雑役。

  ※仮名草子・智恵鑑(1660)八「ぞうやく馬を五百疋ばかりひきよせをき」

 

とある。

 前句の松の黒むのを日が暮れたからとする。

 

無季。「雑-役」は獣類。

 

十六句目

 

   雑-役の鞍を下せば日がくれて

 飯の中なる芋をほる月       野坡

 (雑-役の鞍を下せば日がくれて飯の中なる芋をほる月)

 

 貧しい人は米に麦や雑考を焚き込んだりしたが、大根や芋を焚き込むこともあった。その焚き込んだ芋を箸で取り出して、これが雑役の芋名月。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十七句目

 

   飯の中なる芋をほる月

 漸と雨降やみてあきの風      利牛

 (漸と雨降やみてあきの風飯の中なる芋をほる月)

 

 「芋をほる月」を単に芋名月のこととして季候を付けて流す。

 「漸」は「やうやう」。雨上がりの秋風に夕食を食べていると、芋名月が昇る。

 

季語は「あきの風」で秋。「雨」は降物。

 

十八句目

 

   漸と雨降やみてあきの風

 鶏-頭みては又鼾かく        野坡

 (漸と雨降やみてあきの風鶏-頭みては又鼾かく)

 

 雨上がりの涼しさにのんびり庭の鶏頭を眺めていると、眠くなる。

 

季語は「鶏-頭」で秋、植物、草類。

二表

十九句目

 

   鶏-頭みては又鼾かく

 奉公のくるしき顔に墨ぬりて    嵐雪

 (奉公のくるしき顔に墨ぬりて鶏-頭みては又鼾かく)

 

 居眠りをしていると顔に墨を塗られていじられる。徹夜の奉公が続いたりしたのかな。

 

無季。

 

二十句目

 

   奉公のくるしき顔に墨ぬりて

 抱揚る子の小便をする       利牛

 (奉公のくるしき顔に墨ぬりて抱揚る子の小便をする)

 

 前句を奉公の苦しい合間をぬっての子供たちとの遊びとする。

 ゲームで負けて墨を塗られ、抱き上げた小さな子はお漏らしをする。まあ、それもつかの間の安らぎか。

 

無季。「子」は人倫。

 

二十一句目

 

   抱揚る子の小便をする

 くはたくはたと河内の荷物送り懸  野坡

 (くはたくはたと河内の荷物送り懸抱揚る子の小便をする)

 

 河内の特産品というと綿がまず思い浮かぶ。また、河内というと河内国高安の里で、『伊勢物語』二十三段「筒井筒」という連想もある。

 高安の娘より幼馴染を選んだ男は、平和な家庭を築いだのだろう。

 

無季。

 

二十二句目

 

   くはたくはたと河内の荷物送り懸

 心みらるる箸のせんだく      嵐雪

 (くはたくはたと河内の荷物送り懸心みらるる箸のせんだく)

 

 洗濯はいまは「せんたく」と読むが、昔は「せんだく」と濁って読んでいた。

 弁当の箸をきれいに洗って返すというのは、なかなかの心遣いだ。

 

無季。

 

二十三句目

 

   心みらるる箸のせんだく

 婿が来て娘の世とはなりにけり   利牛

 (婿が来て娘の世とはなりにけり心みらるる箸のせんだく)

 

 婿養子を入れて家督を譲ると、娘の代になる。箸を洗うのは婿養子の仕事だったりして。

 

無季。恋。「婿」「娘」は人倫。

 

二十四句目

 

   婿が来て娘の世とはなりにけり

 ことしのくれは何も貰はぬ     野坡

 (婿が来て娘の世とはなりにけりことしのくれは何も貰はぬ)

 

 娘婿に家督を譲って隠居の身になったら、今まで貰ってたお歳暮がかたっと来なくなった。近代でもよく、定年退職すると年賀状がまったく来なくなったなんてのいうのを聞く。

 

季語は「ことしのくれ」で冬。

 

二十五句目

 

   ことしのくれは何も貰はぬ

 金仏の細き御足をさするらん    嵐雪

 (金仏の細き御足をさするらんことしのくれは何も貰はぬ)

 

 金仏はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「金仏」の解説」に、

 

 「① 金属で作った仏像。かなぼとけ。

  ※俳諧・炭俵(1694)上「金仏の細き御足をさするらん〈嵐雪〉 此かいわいの小鳥皆よる〈利牛〉」

  ※人情本・閑情末摘花(1839‐41)三「たとへ金仏(カナブツ)、石地蔵、木で造った閻魔でも、唯はおかれぬ今霄の景勢(ありさま)」

  ② 比喩的に、心のきわめて冷たい人。感情に動かされない人をいう。

  ※雑俳・蓍萩(1735)「金仏に猶心猿が手をのばす」

  ※上海(1928‐31)〈横光利一〉四「毎日あの女を使ってゐるくせに、まさか金仏(カナブツ)でもないだらう」

 

とある。「堅物(かたぶつ)」は元は「金仏(かなぶつ)」だったか。

 仏像の足は衣で隠れていることが多いが、足が細いというと空也仏だろうか。だとすると、引退した鉢叩きということか。

 芭蕉にも、

 

 乾鮭も空也の痩も寒の中      芭蕉(元禄三年)

 長嘯の墓もめぐるか鉢叩き     同(元禄二年)

 

の句がある。年末の風物だった。

 

無季。釈教。

 

二十六句目

 

   金仏の細き御足をさするらん

 此かいわいの小鳥皆よる      利牛

 (金仏の細き御足をさするらん此かいわいの小鳥皆よる)

 

 釈迦涅槃図か。

 

季語は「小鳥よる」で秋、鳥類。

 

二十七句目

 

   此かいわいの小鳥皆よる

 黍の穂は残らず風に吹倒れ     野坡

 (黍の穂は残らず風に吹倒れ此かいわいの小鳥皆よる)

 

 黍の穂が倒れれば、小鳥がそれを食べに集まってくる。

 黍の茎は堅いが、その分風に折れやすい。貞享四年の名古屋での「凩の」の巻四句目に、

 

   鵙の居る里の垣根に餌をさして

 黍の折レ合道ほそき也       越人

 

の句がある。

 

季語は「黍の穂」で秋、植物、草類。

 

二十八句目

 

   黍の穂は残らず風に吹倒れ

 馬場の喧嘩の跡にすむ月      嵐雪

 (黍の折レ合道ほそき也馬場の喧嘩の跡にすむ月)

 

 前句を高田馬場周辺の風景とし、そこでの決闘の後、誰もいない馬場に月がぽっかりと浮かぶ。

 この巻が元禄七年春だとすると、この年の二月十一日に高田馬場の決闘と呼ばれる事件が起きている。ウィキペディアに、

 

 「元禄7年2月7日、伊予西条藩の組頭の下で同藩藩士の菅野六郎左衛門と村上庄左衛門が相番していたときのこと、年始振舞に村上が菅野を疎言したことについて2人は口論になった。このときは他の藩士たちがすぐに止めに入ったため、2人は盃を交わして仲直りしたのだが、その後また口論となってしまう。ついに2人は高田馬場で決闘をすることと決める。」

 

とある。これからすると偶発的に高田馬場で喧嘩が起きたわけではない。高田馬場はそれ以前から決闘の場所に選ばれることが多かったのではなかったか。

 元禄五年(六年説もある)の芭蕉・其角・嵐雪の三吟「両の手に」の巻の二十四句目に、

 

   女房よぶ米屋の亭主若やぎて

 高田の喧嘩はやむかしなり     其角

 

の句がある。

 元禄七年の高田馬場の決闘以前にも、ここでしばしば決闘が行われてたとすれば、元禄五年の其角の句も矛盾なく説明できる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   馬場の喧嘩の跡にすむ月

 弟はとうとう江戸で人になる    利牛

 (弟はとうとう江戸で人になる馬場の喧嘩の跡にすむ月)

 

 この場合の「人」はあまり良い意味ではなさそうだ。「他人になる」ということか。喧嘩がもとで勘当されたのだろう。

 

無季。「弟」「人」は人倫。

 

三十句目

 

   弟はとうとう江戸で人になる

 今に庄やのくちはほどけず     野坡

 (弟はとうとう江戸で人になる今に庄やのくちはほどけず)

 

 「くちはほどけず」は『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の中村注に、「出入りが許されないの意」とある。

 庄屋はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「庄屋」の解説」に、

 

 「江戸時代,村政を担当した村役人の一つで,村方三役の長。庄屋の呼称は関西,北陸に多く,関東では名主 (なぬし) というが,肝煎 (きもいり) というところもある。法令伝達,年貢納入決算事務,農民管理など領主支配の末端の行政官であったが,身分は農民で,世襲,一代限り,隔年交代など任期は一定しないが,入会,水利の管理維持,農業技術の指導などの面で村落共同体の指導者的性格ももっていた。」

 

とあるように農村のもので、前句の「江戸」とは違え付けになる。

 庄屋の息子だったが勘当され、江戸に出てきた。

 

無季。

二裏

三十一句目

 

   今に庄やのくちはほどけず

 売手からうつてみせたるたたき鉦  嵐雪

 (売手からうつてみせたるたたき鉦今に庄やのくちはほどけず)

 

 たたき鉦はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「叩鉦・敲鉦」の解説」に、

 

 「〘名〙 仏具の一つ。念仏にあわせてたたきならす鉦。もとは架にかけたり、胸間につってならしたが、後世伏せて台座にのせ、念仏のときに撞木(しゅもく)でたたきならした鉦。形は鉦鼓(しょうこ)に似て、背のひくい丸い鉦。ふせがね。ひらがね。

  ※わらんべ草(1660)五「わに口のかたわれ、則扣(タタキ)鐘にして有」

 

とある。今でも葬式でお経をあげる時にチーンと鳴らす、あれだ。

 昔は鉦叩きという鉦を鳴らしながら金品を乞う鉢坊主のようなのがいたので、それと間違えられて出禁になったか。

 

無季。

 

三十二句目

 

   売手からうつてみせたるたたき鉦

 ひらりひらりとゆきのふり出し   野坡

 (売手からうつてみせたるたたき鉦ひらりひらりとゆきのふり出し)

 

 帷子雪であろう。空也念仏の鉢叩きと同様ということで、鉦叩きに雪を添えたか。

 

季語は「ゆき」で冬、降物。

 

三十三句目

 

   ひらりひらりとゆきのふり出し

 鎌倉の便きかせに走らする     野坡

 (鎌倉の便きかせに走らするひらりひらりとゆきのふり出し)

 

 謡曲『鉢木』の前半の僧が佐野の源左衛門の所にやってくる場面は雪が効果的に用いられているが、後半の鎌倉から呼び出しを掛ける場面は特に雪の場面ではない。

 『鉢木』をイメージしながらも、その出典を外した軽みの句と見ていいだろう。

 鎌倉は、

 

 われひとり鎌倉山を越えゆけば

     星月夜こそうれしかりけれ

               京極関白家肥後(永久百首)

 宮柱ふとしきたててよろづ世に

     今ぞさかえむ鎌倉の里

               源実朝(続古今集)

 

など、歌に詠まれている。

 

無季。「鎌倉」は名所。

 

三十四句目

 

   鎌倉の便きかせに走らする

 かした處のしれぬ細引       嵐雪

 (鎌倉の便きかせに走らするかした處のしれぬ細引)

 

 細引(ほそびき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「細引」の解説」に、

 

 「① 「ほそびきなわ(細引縄)」の略。

  ※羅葡日辞書(1595)「Camus〈略〉 モノヲ ククル fosobiqi(ホソビキ)、または、サシナワ」

  ② 魚の刺身などで、身を細長く切ったもの。細作り。

  ※洒落本・やまあらし(1808)一「首陽山の蕨蛭子爰にゐまさばはまやきをくらひ琴高も爰に来らばほそひきをあぢわふべし」

 

 細く切った刺身は膾にした。生きのいい魚は高価なので、借金してでも鎌倉から細引に使う魚を取り寄せる。

 肴屋であろうか、代金を貸しにして大急ぎで魚を届けさせたが、後で取り立てようとしても姿をくらまされたということか。

 

無季。

 

三十五句目

 

   かした處のしれぬ細引

 独ある母をすすめて花の陰     利牛

 (独ある母をすすめて花の陰かした處のしれぬ細引)

 

 親孝行で花見に細引をご馳走する。どうやってそのお金を、というのは問わないことにしよう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「母」は人倫。

 

挙句

 

   独ある母をすすめて花の陰

 まだかびのこる正月の餅      野坡

 (独ある母をすすめて花の陰まだかびのこる正月の餅)

 

 年老いて白髪頭になった母は、正月の鏡餅にカビが生えたようなもので、古くなってもお目出度い。

 

季語は「正月」で春。