「松にばかり」の巻、解説

初表

 松にばかり嵐や花の(かた)贔屓(びいき)  ()(げん)

   (おほせ)のごとくなびく藤がえ

 小うなづき二つ三つめに春(くれ)

   ねぶるあいだもみじかよの月

 酒すこしきいて(あぢ)はふ郭公(ほととぎす)

   宿(しゅく)はづれにてはらすむら(さめ)

 旅の空日はまだ残るつかひ銭

   わたしの舟を出さふ出すまひ

 

初裏

 都鳥とへばしれたる似せなまり

   歌の師匠をとるやむなぐら

 目に見えぬ鬼もやはらで(うち)たふし

   年越(としこし)の夜はただ一寐入(ひとねいり)

 するすると往生(わうじゃう)(まうす)(はち)たたき

   うづめば土と(なり)しへうたん

 貧しきが(すみ)こし跡を田畠に

   いつくたままぞよはる虫の音

 (つゆ)(しも)(おけ)ばさび(つく)鼻毛ぬき

   座敷の壁に月の鏡を

 肴舞(さかなまひ)鍾馗(しゃうき)聖霊(せいれい)あらはれて

   ぞつとするほどきれな小扈従(こごしょう)

 もみうらのだての薄着を(ふく)あらし

   頭巾(づきん)の山やまたこひの山

 

 

二表

 (ふくろふ)の羽かはしたる中なれや

   手水(てうづ)(ばち)にも(めぐ)(きよ)(みづ)

 ()(がま)にや音羽(おとは)の滝をしかくらん

   初雪の影くろき筋なし

 (やま)(まゆ)の小袖がさねの朝風に

   味噌酒(すご)陸奥(みちのく)のたび

 薄鍋(うすなべ)亡者(まうじゃ)泣々(なくなく)見送(みおくり)

   地ごくのさたも悪銭かする

 博奕打(ばくちうつ)子は三界(さんがい)のくびかせよ

   こころはやみに夜もろくにねず

 (にはか)めくら夢かうつつかうつの山

   時宜(じぎ)にて人にあはぬ(なり)けり

 夕ぐれの月のさはりの女かも

   (しも)十五日かよひ()の露

 

二裏

 秋の海浅瀬は西に(ある)(まうす)

   上荷(うはに)とるらし彼岸(かのきし)の舟

 薪買(たきぎかひ)百味(ひゃくみの)飲食(おんじき)ととのへて

   あたごの坊の納所(なっしょ)ともみゆ

 しこためしかねや鳥井に(なり)ぬらん

   家蔵(いへくら)其外(そのほか)たつる天びん

 どのかうのかたり(つけ)たる仲人(なこど)(ぐち)

   よいとしをして紅粉(べに)やおしろい

 この異見耳にあたるもしらね(ども)

   君をながすの御沙汰(すさま)

 京はただひそひそとして秋(さび)

   七つさがれば(かど)をさす月

 花の火もあだにちらすな城の内

   くま手(とび)(ぐち)らびに(やり)(うめ)

 

 

三表

 雪とけて流木(とり)がち国ざかひ

   角田(すみだ)がはらの浪のわれぶね

 いくたりか浅草橋にこもかぶり

   おたすけたまはれなむくわんぜ音

 (うたひ)ずき引取(ひきとる)息の下までも

   箸はすたらぬなら茶なるらん

 小豆(あづき)ささげ粟嶋殿の初尾(はつを)にて

   かぶり太鼓も秋のかたみに

 いたいけを(だい)(うらみ)の露なみだ

   鎌田(かまた)(ゑへ)るさかづきの影

 上留(じゃうる)りの(さて)其後(そののち)さゆのみて

   やくしの反化(へげ)がなをす痳病

 土の(ろう)(いづ)れば虎のいきほひに

   のびたる髭を(ふく)風の音

 

三裏

 みめよしはおどろかれぬる松浦人(まつらびと)

   たがしのびてかはらむ()()(ひめ)

 (こひ)(ごろも)おもきが上に(うち)かけて

   (まつ)(よひ)のかねはらふ町役(ちゃうやく)

 家主(いへぬし)はわかぬ別れの牢人に

   委細の事はたがひに江戸から

 道づれと箱根の切手見合(みあはせ)

   やぶれつづらを(あけ)(くや)しき

 あるるとやにくき鼠を(とり)にがし

   へる(あぶら)()(きゆ)る秋風

 ひら岡へくる(うば)(たま)のよるの月

   宮司(ぐうじ)(ころも)うちかへしけり

 神木(しんぼく)花見(はなみ)(じらみ)やうつるらん

   かすむ塩垢離(しほごり)身もふくれつつ

 

 

名残表

 吉日(きちにち)と舟(のり)(そむ)るちからこぶ

   喧嘩(けんくわ)におよぶ尼崎(あまがさき)うら

 焼亡(ぜうまう)の煙をかづく壁隣

   何のかのとてしれぬ境目(さかひめ)

 たうとさや同じやう(なる)仏ぼさつ

   十方はみな浄土すご六

 お日待(ひまち)の光明遍照あらた也

   おこりまじなふよし水のみね

 東山に位(ある)人のあがり膳

   蒔絵(まきゑ)に見ゆる半切(はんぎり)の数

 (のう)衣装(いしゃう)松の村立(むらだち)はしがかり

   未明にはじまる(この)宮うつし

 月くらく三井寺さして(おち)たまふ

   むかしにかへる妻をよぶ秋

 

名残裏

 身入(しんいれ)ていろはにほへと(かき)くどき

   恋の重荷のしるしや(ある)らん

 さらぬのみか尻にしかるる百貫目

   欲には人のよくまよふ(なり)

 六道(ろくだう)(つじ)(ぎり)をする夕まぐれ

   なふかなしやとてなく(とり)辺山(べやま)

 (さく)花を(ひき)むしるてふずぼろ坊

   気ままにそだつ少年の春

 

 

     参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)

初表

発句

 

 松にばかり嵐や花の(かた)贔屓(びいき)  

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にあるように、この発句は『太平記』第七、四十四、千剣破(ちはや)(じょう)軍事の吉野で連歌をする、

 

 「長崎四郎左衛門尉(この)有様(ありさま)を見て、「(この)城を(ちから)(ぜめ)にする事は、人の(うた)るゝ(ばかり)にて、(その)(こう)成難(なしがた)し。(ただ)取巻(とりまき)(じき)(ぜめ)にせよ。」と下知して、軍を被止(とめられ)ければ、徒然に皆堪兼(たえかね)て、花の下の連歌し共を呼下(よびくだ)し、一万句の連歌をぞ(はじめ)たりける。(その)初日の発句をば長崎九郎左衛門師宗、さき(がけ)てかつ色みせよ山桜としたりけるを、脇の句、工藤二郎右衛門尉嵐や花のかたきなるらんとぞ(つけ)たりける。誠に両句ともに、詞の(えん)(たくみ)にして句の体は優なれども、御方をば花になし、敵を嵐に(たと)へければ、禁忌也。

 

の場面によるもので、「嵐や花のかたきなるらん」の脇を換骨奪胎して「嵐や花の片贔屓(かたびいき)」として、松にばかり嵐が吹いて花には吹いてない、とする。

 

   さき懸てかつ色みせよ山桜

 嵐や花のかたきなるらん

 

の句は、「先駆けて勝つ」という戦勝祈願の発句で、それに嵐が敵と応じるのだが、味方が桜で敵が嵐では縁起が悪い。

 これに対して素玄の句は嵐は松の方に吹いて花には吹かないとする。実際に嵐が松にだけ吹くことがあるのかと思うと不自然な句なので、これも何か寓意があったと思われる。

 あるいは松は松江重頼(まつえしげより)で、貞徳、貞室、貫風、親重などと激しい論戦を繰り広げたことを暗に示し、それと花(梅翁)とを対比してたのかもしれない。

 長点があり「かづらき金剛山のむかし(おもひ)やられ候」とある。葛城金剛は楠木正成の本拠地だった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「松」も植物、木類。

 

 

   松にばかり嵐や花の片贔屓

 (おほせ)のごとくなびく藤がえ

 (松にばかり嵐や花の片贔屓仰のごとくなびく藤がえ)

 

 松に絡みつく藤は、

 

 みなぞこの色さへ深き松が枝に

     ちとせをかねてさける藤波

             よみ人しらず(後撰集)

 夏にこそ咲きかかりけれ藤の花

     松にとのみも思ひけるかな

             源重之(みなもとのしげゆき)(拾遺集)

 

など、古くから歌に詠まれ、目出度いものとされている。

 源重之の歌の方は松に絡みつく藤を松に寄り添う女に見立てた感じもすし、主君に寄り添う臣下とも取れる。藤原が臣下の姓でであることを思えば、臣下と見る方が良いのかもしれない。

 「なびく」という言葉も多くの臣下や民が朝廷になびくという意味で用いられることも多い。

 ここでも発句を、松が自ら嵐を引き受けて藤の花を庇護(ひご)するというふうに取り成したと見ていいのだろう。

 点あり。

 

季語は「藤」で春、植物、草類(蔓物は草類として扱われる)。

 

第三

 

   仰のごとくなびく藤がえ

 小うなづき二つ三つめに春(くれ)

 (小うなづき二つ三つめに春暮て仰のごとくなびく藤がえ)

 

 前句の靡く藤が枝が小さく二つ三つ頷くうちに春は暮れて行く、とする。

 「小うなづき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「小頷」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「こ」は接頭語) ちょっと首を傾けること。軽くうなずくこと。

  ※虎明本狂言・鈍太郎(室町末‐近世初)「互に、こうなづきをして」

 

とある。

 長点で「『三つめ』あたひ千金の所也」とある。春の暮は三月で句も第三で三が重なるとも取れるが、三回頷くというのが当時の仕草として何か意味を持っていたのかもしれない。

 

季語は「春暮て」で春。

 

四句目

 

   小うなづき二つ三つめに春暮て

 ねぶるあいだもみじかよの月

 (小うなづき二つ三つめに春暮てねぶるあいだもみじかよの月)

 

 春が暮れて夏になると短夜になる。夜が短ければ寝ている時間も短い。四句目らしく本当にさっと流した感じで、特にひねりはなさそうだ。

 点なし。

 

季語は「みじかよ」で夏、夜分。「月」は夜分、天象。

 

五句目

 

   ねぶるあいだもみじかよの月

 酒すこしきいて(あじ)はふ郭公(ほととぎす)

 (酒すこしきいて味はふ郭公ねぶるあいだもみじかよの月)

 

 酒が回るという意味の「効いて」とホトトギスの声を聞いてと掛けて、「味はふ」も酒とホトトギス両方を受ける。

 ホトトギスは夜明けを待って聞くもので、眠ってしまっては聞けないから、酒を飲みながら眠る間も惜しんでホトトギスを聞く、とする。

 長点で「(きき)やうにおいて(この)うへあるまじく候」とある。

 

季語は「郭公」で夏、鳥類。

 

六句目

 

   酒すこしきいて味はふ郭公

 宿(しゅく)はづれにてはらすむら(さめ)

 (酒すこしきいて味はふ郭公宿はづれにてはらすむら雨)

 

 ホトトギスは村雨に詠む。

 

 はるとてや山郭公(やまほととぎす)鳴かざらむ

     青葉の木々の村雨の宿

             伏見院(玉葉集)

 

などの歌に詠まれている。

 ここでは旅体にして、昨日の酒が残っているのか、あるいは別れの杯を交わしてか、宿場のはずれで村雨も晴れて郭公の声がする。

 点なし。

 

無季。旅体。「むら雨」は降物(ふりもの)

 

七句目

 

   宿はづれにてはらすむら雨

 旅の空日はまだ残るつかひ銭

 (旅の空日はまだ残るつかひ銭宿はづれにてはらすむら雨)

 

 「残る」は「日」と「銭」両方を受ける。五句目の作り方に似ているが、素玄の得意パターンか。日も銭もまだ残っていて、雨宿りをしながら村雨が止んだら宿場に向かう。

 点あり。

 

無季。旅体。「日」は天象。

 

八句目

 

   旅の空日はまだ残るつかひ銭

 わたしの舟を出さふ出すまひ

 (旅の空日はまだ残るつかひ銭わたしの舟を出さふ出すまひ)

 

 日がまだ残ってる頃、渡し船の船頭は船を出そうか出すまいか迷う。旅体が三句続く。

 点なし。

 

無季。旅体。「わたしの舟」は水辺。

初裏

九句目

 

   わたしの舟を出さふ出すまひ

 都鳥とへばしれたる似せなまり

 (都鳥とへばしれたる似せなまりわたしの舟を出さふ出すまひ)

 

 『伊勢物語』の有名な都鳥の場面で、

 

 「渡守、はや舟にのれ、日くれぬと言ひければ、舟に乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なくしもあらず、さる折に、白き鳥の、嘴と脚と赤き、川のほとりにあそびけり。京には見えぬ鳥なりければ、みな人見知らず、渡守に、これは何鳥と問ひければ、これなむ都鳥と言ひけるを聞きてよめる。

 

 名にしおはばいざ(こと)()はむ都鳥

     わが思ふ人はありやなしやと」

 

というくだりで、京にはいないはずの今でいうユリカモメが都鳥だと言っているのに掛けて、どこかの渡し舟で都から来たとか言ってる人も結構似せみやこびとだったりする。今でも世界で似せ日本人が結構いるとかいうが、多分都人を装った方が待遇が良かったのだろう。

 京都人だから金持ってると思って船頭が船を出そうかというと、どうも口ぶりが怪しい。船を出すのをやめる。

 長点で「京の似せ侍、よく見立(みたて)られ候」とある。

 

無季。「都鳥」は鳥類。

 

十句目

 

   都鳥とへばしれたる似せなまり

 歌の師匠をとるやむなぐら

 (都鳥とへばしれたる似せなまり歌の師匠をとるやむなぐら)

 

 和歌の師匠を取るからきちんと和歌を習おうというのかと思ったら、胸ぐらをつかんできた。粗暴で居丈高でこんなのが和歌などものになるはずもない。

 長点で「弟子坂東(ばんどう)ものにや」とある。坂東武者のイメージだったのだろう。あくまでイメージだが薩摩隼人がホグワーツに入学するようなものか。ちなみに薩摩のチェストの掛け声は英語のchest(胸)から来たとも言う。

 

無季。「歌の師匠」は人倫。

 

十一句目

 

   歌の師匠をとるやむなぐら

 目に見えぬ鬼もやはらで(うち)たふし

 (目に見えぬ鬼もやはらで打たふし歌の師匠をとるやむなぐら)

 

 古今集仮名序には「めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ」とあるが、歌で感動させるのではなく胸ぐら掴んで柔術でやっつける。まだ武器を用いない辺りが風雅なところか。

 長点で「鬼泣躰(ききふてい)相見え候」とある。鬼泣躰は定家の和歌十体の鬼拉躰に掛けている。鬼拉躰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 (らっ)鬼体(きてい)」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 藤原定家がたてた和歌の十体の一つ。強いしらべの歌。のち、能楽の風体にも用いられた語。拉鬼様。→十体(じってい)()

  ※毎月抄(1219)「かやうに申せばとて必ず拉鬼躰が歌のすぐれたる躰にてあるには候まじ」

 

とある。

 

無季。

 

十二句目

 

   目に見えぬ鬼もやはらで打たふし

 年越(としこし)の夜はただ一寐入(ひとねいり)

 (目に見えぬ鬼もやはらで打たふし年越の夜はただ一寐入)

 

 前句を節分の鬼やらいとする。豆まきではなく柔術で退治して無事に年を越す。あるいは年末の借金取りを撃退した比喩か。

 点あり。

 

季語は「年越」で冬。「夜」は夜分。

 

十三句目

 

   年越の夜はただ一寐入

 するすると往生(わうじゃう)(まうす)(はち)たたき

 (するすると往生申鉢たたき年越の夜はただ一寐入)

 

 京の年末の風物の鉢たたきも年越しを以てして仕事は終わり、これで死後の極楽往生も確実と安心して年を越す。

 「するする」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「するする」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[1] 〘副〙 (多く「と」を伴って用いる)

  ① 人や動物などが、速やかに滞りなく移り動くさまを表わす語。

  ※古今著聞集(1254)二〇「枝をよこたへて、そばよりするするとよりて、くびのねをつよく打たりければ」

  ※源平盛衰記(14C前)三七「小長刀を取り、十文字に持て開き、するすると歩みより」

  ② 棒状、帯状のものが勢いよく伸びるさまを表わす語。

  ※宇治拾遺(1221頃)三「三ところに植てけり。例よりもするすると生たちて、いみじく大になりたり」

  ③ 物事が滞りなく行なわれるさま、なめらかに進行するさま、支障なく速やかに行なわれるさまを表わす語。すらすら。

  ※風姿花伝(140002頃)六「直に舞ひ謡ひ、振りをもするするとなだらかにすべし」

  ※異端者の悲しみ(1917)〈谷崎潤一郎〉一「不思議や次第に円盤がするするするする廻転し始めて」

 

とある。

 長点で「うらやましく候」とある。

 

季語は「鉢たたき」で冬、人倫。釈教。

 

十四句目

 

   するすると往生申鉢たたき

 うづめば土と成しへうたん

 (するすると往生申鉢たたきうづめば土と成しへうたん)

 

 鉢たたきとは言っても実際には瓢箪を打ち鳴らしている。

 鉢叩きは死ぬと愛用の瓢箪も一緒に土に埋めるということか。知らんけど。瓢箪も土に返る。

 長点で「何もかもひよひよらへうたんに(なり)候」とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は狂言『節分の小歌』の「此方へちやつきりひよ。ひよひよらひよ、瓢箪つるいて面白や」のフレーズを引いている。

 「ひよひよらひよ」は日常でも使われたフレーズなのか、「ひよひよらひよになる」を掛詞にして「ひよひよらへうたんになる」としている。

 

無季。

 

十五句目

 

   うづめば土と成しへうたん

 貧しきが(すみ)こし跡を田畠に

 (貧しきが住こし跡を田畠にうづめば土と成しへうたん)

 

 困窮して先祖代々の屋敷も解体して田畑に変えて細々と暮らす。家を田畑に埋めれば土となって、そこで瓢箪を栽培する。

 点なし。

 

無季。

 

十六句目

 

   貧しきが住こし跡を田畠に

 いつくたままぞよはる虫の音

 (貧しきが住こし跡を田畠にいつくたままぞよはる虫の音)

 

 「いつくたまま」は「いつ食ったまんま」。前句を住人がいなくなって田畠は荒れ放題で、虫も食う物がなくて困ってる、とする。

 長点で「貧家の旧跡、虫までめいわく尤に候」とある。

 

季語は「虫の音」で秋、虫類。

 

十七句目

 

   いつくたままぞよはる虫の音

 (つゆ)(しも)(おけ)ばさび(つく)鼻毛ぬき

 (露霜の置ばさび付鼻毛ぬきいつくたままぞよはる虫の音)

 

 虫の音は霜で弱るもので、

 

 虫の音もほのかになりぬ(はな)(すすき)

     秋のすゑはに霜やおくらむ

            源実朝(みなもとのさねとも)(続古今集)

 

などの歌に詠まれている。

 露霜が降りれば花薄は枯れ、鼻毛抜きは錆びる。

 点あり。

 

季語は「露霜」で秋、降物。

 

十八句目

 

   露霜の置ばさび付鼻毛ぬき

 座敷の壁に月の鏡を

 (露霜の置ばさび付鼻毛ぬき座敷の壁に月の鏡を)

 

 霜に鏡は李白の、

 

   秋浦歌   李白

 白髪三千丈 縁愁似箇長

 不知明鏡裏 何処得秋霜

 (白髪頭が三千丈、悩んでいたらまた延長。

  鏡は誰だかわからない、どこで得たのかその秋霜。)

 

の縁になる。この場合の鏡に映る霜は白髪のことだが、それが月の鏡というのが意味がよくわからない。

 壁に穴が開いて月の鏡が顔を出して、鼻毛抜きも錆びているという廃墟の情景か。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「座敷の壁」は居所。

 

十九句目

 

   座敷の壁に月の鏡を

 肴舞(さかなまひ)鍾馗(しゃうき)聖霊(せいれい)あらはれて

 (肴舞鍾馗の聖霊あらはれて座敷の壁に月の鏡を)

 

 肴舞はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「肴舞」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 酒宴の席で肴として舞う踊り。酒の席に興を添える舞い。

  ※禅鳳雑談(1513頃)「ただ、さかな舞は何(いか)にも何(いか)にもかかはらず、さきへやり候て、しまひを、ふしのごとくひゃうしにのせ候てよく候」

  ② 病気の平癒を祝っておどる舞い。床上げの祝の舞い。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「座敷の壁に月の鏡を 肴舞鏱馗の精霊あらはれて〈素玄〉」

 

とある。この句が用例になっている。

 鍾馗様は疫病除けの神様で、ウィキペディアに、

 

 「ある時、唐の6代皇帝玄宗が瘧(おこり、マラリア)にかかり床に伏せた。

 玄宗は高熱のなかで夢を見る。宮廷内で小鬼が悪戯をしてまわるが、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕らえて食べてしまう。玄宗が大鬼に正体を尋ねると、「自分は終南県出身の鍾馗。武徳年間(618-626年)に官吏になるため科挙を受験したが落第し、そのことを恥じて宮中で自殺した。だが高祖皇帝は自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた」と告げた。

 夢から覚めた玄宗は、病気が治っていることに気付く。感じ入った玄宗は著名な画家の呉道玄に命じ、鍾馗の絵姿を描かせた。その絵は、玄宗が夢で見たそのままの姿だった。」

 

とある。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『皇帝』を引いていて、謡曲では楊貴妃の病気を治す話になっていて、そこでは、

 

 「ワキヅレ 勅諚(ちょくぢょう)(もッと)(しか)るべしと、月卿雲客(げツけいうんかく)一同に、明王(みょおをお)(けい)を取り()だし、御枕(おんまくら)近き御几帳(みきちょお)に、立て添へてこそ置きたりけれ。

  地    かくて暮れ行く雲の脚、かくて暮れ行く雲の脚、(ただよ)()風も、(すさま)しく、身の毛もよだつ折節に、不思議や鏡のそのうちに、鬼神(きじん)の姿ぞ映りける。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3466). Yamatouta e books. Kindle .

 

と鍾馗が鏡の中で病魔を退治する。

 鍾馗が病魔を退散させて肴舞となり、座敷の壁にはその時の鏡がある。

 長点だがコメントはない。

 

無季。

 

二十句目

 

   肴舞鍾馗の聖霊あらはれて

 ぞつとするほどきれな小扈従(こごしょう)

 (肴舞鍾馗の聖霊あらはれてぞつとするほどきれな小扈従)

 

 前句の肴舞と美しいお小姓の舞とする。謡曲の鍾馗の聖霊の舞を舞うということか。

 点なし。

 

無季。恋。「小扈従」は人倫。

 

二十一句目

 

   ぞつとするほどきれな小扈従

 もみうらのだての薄着を(ふく)あらし

 (もみうらのだての薄着を吹あらしぞつとするほどきれな小扈従)

 

 「もみうら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「紅裏」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 もみを衣服の裏とすること。また、その裏地。

  ※俳諧・玉海集(1656)四「絹ならで皆もみうらのかみこかな〈梅盛〉」

 

とあり、もみは「精選版 日本国語大辞典 「紅・紅絹」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (紅花を揉んで染めるところから) べに色で無地に染めた絹布。和服の袖裏や胴裏などに使う。ほんもみ。

  ※俳諧・犬子集(1633)一「春風のもみ紅梅はうら見哉〈親重〉」

  ※夜明け前(193235)〈島崎藤村〉第二部「眼のさめるやうな京染の紅絹(モミ)の色は」

 

とある。

 嵐に薄物の衣が裏返って赤い裏地がちらちらするのは、今日のパンチラのようにそそられるものだったのだろう。

 後の『去来抄』に、

 

 時雨るるや紅粉(もみ)の小袖を吹かへし 去来

 

の句に対し、「正秀曰、いとに寄のたぐひ、去来一生の句くずなり。」とあるのも、談林時代から使い古されたネタだったということがあったか。

 点あり。

 

無季。恋。「薄着」は衣裳。

 

二十二句目

 

   もみうらのだての薄着を吹あらし

 頭巾(づきん)山やまたこひの山

 (もみうらのだての薄着を吹あらし頭巾の山やまたこひの山)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は『柳亭筆記』に浮世狂いの和歌とのばらの被る赤裏頭巾を挙げている。遊郭通いの男は頭巾で顔を隠したりしたが、その裏地にもみを使って洒落ていたか。

 点あり。

 

無季。恋。「頭巾」は衣裳。

二表

二十三句目

 

   頭巾の山やまたこひの山

 (ふくろふ)の羽かはしたる中なれや

 (梟の羽かはしたる中なれや頭巾の山やまたこひの山)

 

 頭巾を被った姿はしばしばフクロウやミミズクに喩えられる。後の句ではあるが、

 

 月華の梟と(もうす)道心者       支考(梟日記)

 (みみ)(づく)の頭巾はやすし紙子きれ   朱拙けふの昔

    けうがる我が旅すがた

 (みみ)(づく)(ひとり)わらひや秋の暮     其角(いつを昔)

 

の句がある。

 「羽かはしたる中」は連理比翼の比翼の方であろう。左右翼を共有し、雌雄一体となって飛ぶ想像上の鳥と言われている。「在天願作比翼鳥 在地願為連理」という白楽天『長恨歌(ちょうごんか)』にあることから、玄宗と楊貴妃のようになるというので却って縁起が悪いとも言われる。

 長点で「めづらしき羽にて候」とある。

 

無季。恋。「梟」は鳥類。

 

二十四句目

 

   梟の羽かはしたる中なれや

 手水(てうづ)(ばち)にも(めぐ)(きよ)(みづ)

 (梟の羽かはしたる中なれや手水鉢にも廻る清水)

 

 「羽かはしたる」から「音羽山(おとわやま)」の連想だとすれば、かなり苦しい展開だ。「したる」を滴るとして手水、清水として、四手にして強引に展開した感じもする。

 まあ清水寺は恋占いの石もあり、ここで恨みの助も上臈を見染め、恋の名所ではある。

 点なし。

 

無季。「清水(きよみづ)」は名所。

 

二十五句目

 

   手水鉢にも廻る清水

 ()(がま)にや音羽(おとは)の滝をしかくらん

 (炉釜にや音羽の滝をしかくらん手水鉢にも廻る清水)

 

 梟の羽が打越にあっての音羽はやや輪廻気味だが、あくまで地名ということで微妙な所だ。

 「しかく」は    weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「し-か・く 【仕掛く・仕懸く】

  他動詞カ行下二段活用

  活用{け/け/く/くる/くれ/けよ}

  ①(行為を、他に)及ぼす。仕掛ける。

  出典枕草子 殿などのおはしまさで後

  「さるがうしかくるに」

  [] おどけたしぐさを仕掛けると。

  ②水などを掛ける。ひっかける。

  出典宇津保物語 蔵開上

  「父君に尿(しと)多(ふさ)にしかけつ」

  [] 父君に尿をたくさんひっかけた。

  ③(装置・工夫などを)細工する。仕掛ける。

  出典日本永代蔵 浮世・西鶴

  「中に火鉢をしかけ」

  [] 中に火鉢を仕掛け。

  ④操作する。ごまかす。▽「しかけ

  ⑤」の行為をする。

  出典日本永代蔵 浮世・西鶴

  「油も、壱升弐匁(いつしようにもんめ)の折から、弐匁三分(にもんめさんぶ)にしかけられ」

  [] 油の値も一升二匁のときなのに二匁三分にごまかされ。」

 

とある。ここでは炉釜のお茶のために音羽の滝の水をこっそり汲んでくるというニュアンスか。

 点ありだが「『羽』の字ちかきさし合ながら」とある。梟の羽に「音羽」は微妙だがここでは流す。

 

無季。「音羽の滝」は名所、山類。

 

二十六句目

 

   炉釜にや音羽の滝をしかくらん

 初雪の影くろき筋なし

 (炉釜にや音羽の滝をしかくらん初雪の影くろき筋なし)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

   比叡の山なる音羽の滝を見てよめる

 落ちたぎつ滝の水上(みなかみ)(とし)(つも)

     老いにけらしな黒きすぢなし

             壬生忠岑(みぶのただみね)(古今集)

 

の歌を引いている。滝の水が真白なように、自分も年老いてすっかり白髪になって黒い毛が残ってないという歌だが、その音羽の滝の水にも喩えられるだろうか、初雪にはなるほど黒い筋はない、とする。

 長点で「明白也」とある。なるほど雪に黒い筋がないのは明白だ、というところか。

 

季語は「初雪」で冬、降物。

 

二十七句目

 

   初雪の影くろき筋なし

 (やま)(まゆ)の小袖がさねの朝風に

 (山眉の小袖がさねの朝風に初雪の影くろき筋なし)

 

 山眉はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「山眉」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 山の端のほのかなさまを眉墨に、また、美しい眉を山の稜線に見立てていう語。

  ※藻塩草(1513頃)一六「山まゆ かすみのまゆ」

 

とあり、山繭だとコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「山繭織」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 山繭糸を混ぜて織った織物。山繭。

  ※人情本・恋の若竹(183339)下「開いて出すは濃いお納戸の細かい山繭織(ヤママユオリ)一反、包み紙には、御袷地と書き附けたり」

 

とある。

 この二つを掛けて、初雪の山の稜線には黒い筋はなく、風が寒いから山繭織りの小袖重ねを着る、とする。

 点あり。

 

無季。「小袖」は衣裳。

 

二十八句目

 

   山眉の小袖がさねの朝風に

 味噌酒(すご)陸奥(みちのく)のたび

 (山眉の小袖がさねの朝風に味噌酒過す陸奥のたび)

 

 味噌酒は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に、「酒で溶いてあたためた味噌汁」とある。

 どういうものなのかあまりイメージできないが、寒い陸奥の旅には暖まるものなのだろう。

 点あり。

 

無季。旅体。

 

二十九句目

 

   味噌酒過す陸奥のたび

 薄鍋(うすなべ)亡者(まうじゃ)泣々(なくなく)見送(みおくり)

 (薄鍋を亡者は泣々見送て味噌酒過す陸奥のたび)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『善知鳥(うとう)』の、

 

 「これをしるしにと、涙を添へて(たび)(ごろも)、涙を添へて(たび)(ごろも)、立ち別れ行くその跡は、雲や煙の立山(たてやま)の、木の芽も()る遥遥と客僧は奥へ(くだ)れば、亡者(もおじゃ)は泣く泣く見送りて行く(かた)知らずなりにけり行く(かた)知らずなりにけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (pp.2664-2665). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。立山(たてやま)禅定(ぜんじょう)の僧が地獄を覗いた時の陸奥(そと)(はま)の猟師の姿になる。

 前句の味噌酒から薄鍋への移りで、善知鳥(うとう)という千鳥科の鳥を鍋にして食って罪で地獄に落ちたか。

 薄鍋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「薄鍋」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 薄手の鍋。また、これを使っての小鍋仕立ての料理。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「味噌酒過す陸奥のたび 薄鍋を亡者は泣泣見送て〈素玄〉」

  ※浮世草子・傾城歌三味線(1732)一「川端に氈しかせ、薄鍋かけて」

 

とある。

 長点で「さては(かの)猟師も一つ(なり)()」とある。外の浜の猟師と同一人物とみなす。

 

無季。

 

三十句目

 

   薄鍋を亡者は泣々見送て

 地ごくのさたも悪銭かする

 (薄鍋を亡者は泣々見送て地ごくのさたも悪銭かする)

 

 前句が地獄の亡者のネタなので、そのまま地獄を付けながら、「地獄の沙汰も金次第」の諺で逃げる。諺そのまんまではなく、ただ金に任せて地獄を逃れようとするのではなく、悪銭を掠めてという所がせこい。即地獄行。

 点なし。

 

無季。釈教。

 

三十一句目

 

   地ごくのさたも悪銭かする

 博奕打(ばくちうつ)子は三界(さんがい)のくびかせよ

 (博奕打子は三界のくびかせよ地ごくのさたも悪銭かする)

 

 「子は三界のくびかせ」はコトバンクの「ことわざを知る辞典 「子は三界の首枷」の解説」に、

 

 「親にとって子どもは、いくつになっても、また、どこへ行っても首にかけた枷のように一生苦労する厄介な存在である。

 

  [使用例] 子は三界の首くび械かせといえど、まこと放蕩のらを子に持つ親ばかり不幸なるは無し[樋口一葉*大つごもり|1894

 

  [解説] 古くは、「親子は三界の首枷」といいました。親にとって、子どもがいつまでも気にかかる存在であることを、枷が「三界」に生を変えても首にまとわりついて離れないさまにたとえています。「三界」は過去、現在、未来のこと、もしくは欲界、色界、無色界のことをいいますが、どこへ行ってもといった意味でも用いられました。「首枷」は罪人の首にかける刑具で、罪人を束縛するもの。」

 

とある。子煩悩は成仏の妨げになり、前世現世来世と輪廻を繰り返す。

 ただ、実際にはそんな宗教的な意味ではなく、子供を育てるためには働いて稼がなくてはいけないし、人生の様々な制約になるという現世的な意味で用いられることも多かったのだろう。「かせ所帯」という言葉もある。

 ましてその子が博打打なんぞになるとなおさら一生の不幸だ。

 古くは「親子は三界の首枷」と言ったとなると、今の「親ガチャ」という発想も昔からあるものだったのだろう。子供だけでなく駄目な親も十分首枷になる。

 点あり。

 

無季。釈教。「子」は人倫。

 

三十二句目

 

   博奕打子は三界のくびかせよ

 こころはやみに夜もろくにねず

 (博奕打子は三界のくびかせよこころはやみに夜もろくにねず)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注にある通り、

 

 人のおやの心はやみにあらねども

     子を思ふ道にまどひぬるかな

            藤原兼(ふじわらのかね)(すけ)(後撰集)

 

を本歌にしたもので、「やみにあらねど」ではなく「闇」だと言っておいて「夜の闇」でしたと落ちにする。

 点なし。

 

無季。「夜」は夜分。

 

三十三句目

 

   こころはやみに夜もろくにねず

 (にはか)めくら夢かうつつかうつの山

 (俄めくら夢かうつつかうつの山こころはやみに夜もろくにねず)

 

 「俄めくら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「俄盲」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 生まれつきではなく、病気や怪我などのために視力を失い、突然目が見えなくなること。俄盲目。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「俄めくら夢かうつつかうつの山 時宜にて人にあはぬ也けり〈素玄〉」

 

とある。

 

 ひと夜寝し茅のまろ屋の跡もなし

     夢かうつつか宇津の山越え

            兼好法師(兼好法師集)

 

の歌もある。在原業平の蔦の細道の興で、都を追われて東国に配流になる哀れさを詠んだ歌であろう。急に眼が見えなくなる時も都を追放された時のような放心状態になる。

 点あり。

 

無季。「うつの山」は名所、山類。

 

三十四句目

 

   俄めくら夢かうつつかうつの山

 時宜(じぎ)にて人にあはぬ(なり)けり

 (俄めくら夢かうつつかうつの山時宜にて人にあはぬ也けり)

 

 蔦の細道の伊勢物語オリジナルの方の、

 

 駿河なる宇津の山辺のうつゝにも

     夢にも人に逢はぬなりけり

            在原業平

 

を本歌にして時宜で人に会わないと転じる。

 点あり。

 

無季。「人」は人倫。

 

三十五句目

 

   時宜にて人にあはぬ也けり

 夕ぐれの月のさはりの女かも

 (夕ぐれの月のさはりの女かも時宜にて人にあはぬ也けり)

 

 「月のさはり」は月経のこと。そういう時宜だけに人に会わない。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「女」は人倫。

 

三十六句目

 

   夕ぐれの月のさはりの女かも

 (しも)十五日かよひ()の露

 (夕ぐれの月のさはりの女かも下十五日かよひ路の露)

 

 夕暮の月の頃の月経なので、宵闇になる十六夜以降の月の夜には通えるようになる。

 点なし。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

二裏

三十七句目

 

   下十五日かよひ路の露

 秋の海浅瀬は西に(ある)(まうす)

 (秋の海浅瀬は西に有と申下十五日かよひ路の露)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『藤戸(ふじと)』の、

 

 「さても去年(きょねん)三月二十五日の()()つて、浦の男を一人(ひとり)かたらひ、この海を馬にて渡すべき所やあると尋ねしに、かの者申すやう、さん(そおろお)河瀬の(よお)なる所の候。月頭(つきがしら)には(ひがし)にあり、月の末には西にあると申す。即ち八幡(はちまん)大菩薩(だいぼさつ)御告(おんつげ)と思ひ、家の子若党にも深く隠し、かの者と唯二人(ににん)()に紛れ忍び()で、この海の浅みを見置きて帰りしが、盛綱心に思ふやう、いやいや下郎(げろお)(すぢ)なき者にて、又もや人に語らんと思ひ、不便(ふびん)には存じしかども、取つて引き寄せ二刀(ふたかたな)刺し、そのまま海に沈めて帰りしが、さては(なんぢ)が子にてありけるよな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2720). Yamatouta e books. Kindle .

 

の場面を引いている。

 月の末(下十五日)は西に浅瀬があると教えてくれた漁師を、敵方に同じ情報を与えるかもしれないということで殺害する。ひどい話だ。前句の「露」が生きていて、場面はオリジナルが春だったのを秋に変える。

 長点で「新しき通路にて候」とある。謡曲の言葉を借りながら、昔の源平合戦の故事を仄めかす程度にして前句の恋の情を残すというところに新しさがあったか。

 

季語は「秋」で秋。「海」「浅瀬」は水辺。

 

三十八句目

 

   秋の海浅瀬は西に有と申

 上荷(うはに)とるらし彼岸(かのきし)の舟

 (秋の海浅瀬は西に有と申上荷とるらし彼岸の舟)

 

 西に浅瀬があるので大きな船は着けられないから、小船に荷物を積んで荷揚げする。

 ただ、西と彼岸の縁は西方浄土に渡ることを意味して、釈教の句としての二重の意味を持つことになる。

 点あり。

 

無季。釈教。「舟」は水辺。

 

三十九句目

 

   上荷とるらし彼岸の舟

 薪買(たきぎかひ)百味(ひゃくみの)飲食(おんじき)ととのへて

 (薪買百味飲食ととのへて上荷とるらし彼岸の舟)

 

 百味飲食はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「百味の飲食」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① =ひゃくみ(百味)①

  ※霊異記(810824)中「大櫃に百味飲食を具へ納め」 〔無量寿経‐上〕

  ② 特に、人の死後四九日の間、仏壇にささげるさまざまの供物。

 

  「(百味)①」は、

 

  ① さまざまの美味、珍味。多くの料理。また、そのような食物を仏前に供えること。百味の飲食(おんじき)

  ※懐風藻(751)侍宴〈刀利康嗣〉「八音寥亮奏、百味馨香陳」

  ※霊異記(810824)中「偉(たたは)しく百味を備(まう)けて、門の左右に祭り、疫神に賂ひて饗す」 〔曹植‐求自試表〕」

 

とある。

 仏前に供える様々なご馳走が運び込まれる。

 点あり。

 

無季。釈教。

 

四十句目

 

   薪買百味飲食ととのへて

 あたごの坊の納所(なっしょ)ともみゆ

 (薪買百味飲食ととのへてあたごの坊の納所ともみゆ)

 

 「あたごの坊」は京の愛宕五坊のことで、この頃には既に日輪寺と伝法寺の二坊は失われてたという。

 納所は納所(なっしょ)坊主(ぼうず)で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「納所」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① (━する) 年貢などを納める所。また、年貢などを納めること。それをつかさどる役人をもいう。

  ※京都大学所蔵東大寺文書‐天喜三年(1055)一一月一日・東大寺牒「牒、以当年御封米内、民部録菅野奉方預納所、欲被下符之状」

  ② 寺院で施物・金銭・年貢などの出納事務を執る所。また、その役職やその事務を執る役僧。納所職。

  ※金沢文庫古文書‐応安三年(1370)加賀国軽海郷年貢済物結解帳(七・五五七三)「行照房方へ御志分に毎年可遣之由、納所方より承候之間、致沙汰候了」

  ③ 「なっしょぼうず(納所坊主)」の略。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「薪買百味飲食ととのへて あたごの坊の納所ともみゆ〈素玄〉」

 

とあり、

 

 「〘名〙 寺の会計や雑務を扱う下級の僧。納所ぼん。なっしょ。

  ※俳諧・西鶴大矢数(1681)第二七「今や引らん豆の粉の音 身の行衛納所坊主の塗坊主」

 

とある。

 百味飲食を整えるのは納所坊主の仕事だったか。

 

無季。釈教。「納所」は人倫。

 

四十一句目

 

   あたごの坊の納所ともみゆ

 しこためしかねや鳥井に(なり)ぬらん

 (しこためしかねや鳥井に成ぬらんあたごの坊の納所ともみゆ)

 

 しっかりと溜めたお金を寄進して愛宕神社の鳥居を立てる。

 長点で「落堕(らくだ)ならで鳥居建立(こんりゅう)きどくに候」とある。俳諧だとついつい破戒僧ネタに走りがちだが、奇特なお坊さんとして神祇に持って行く点を評価する。

 

無季。神祇。

 

四十二句目

 

   しこためしかねや鳥井に成ぬらん

 家蔵(いへくら)其外(そのほか)たつる天びん

 (しこためしかねや鳥井に成ぬらん家蔵其外たつる天びん)

 

 鳥居を立てる費用は天秤にかければ家や蔵を立ててもさらに余るくらいの金額だ。

 点あり。

 

無季。「家蔵」は居所。

 

四十三句目

 

   家蔵其外たつる天びん

 どのかうのかたり(つけ)たる仲人(なこど)(ぐち)

 (どのかうのかたり付たる仲人口家蔵其外たつる天びん)

 

 男の素行などあまり良い縁談ではないが、男の家の財産のことをあれこれ語って、強引に縁組する仲人。

 点あり。

 

無季。恋。「仲人」は人倫。

 

四十四句目

 

   どのかうのかたり付たる仲人口

 よいとしをして紅粉(べに)やおしろい

 (どのかうのかたり付たる仲人口よいとしをして紅粉やおしろい)

 

 仲人をする婆さんはいい歳してやけに若作りしている。あるあるだったか。

 点あり。

 

無季。恋。

 

四十五句目

 

   よいとしをして紅粉やおしろい

 この異見耳にあたるもしらね(ども)

 (この異見耳にあたるもしらね共よいとしをして紅粉やおしろい)

 

 前句を女への忠告とする。「こういっちゃなんだが、化粧濃いぞ」ということ。喧嘩売ってる感じもするが。

 長点で「心いきさてもさても」とある。

 

無季。

 

四十六句目

 

   この異見耳にあたるもしらね共

 君をながすの御沙汰(すさま)

 (この異見耳にあたるもしらね共君をながすの御沙汰冷じ)

 

 忠告の内容を「君を流罪にするとは冷酷だ」というふうに変えて恋を離れる。

 鹿ケ谷の陰謀の場面で、清盛が後白河法皇を幽閉しようとするのを息子の重盛が咎める場面とする。

 点なし。

 

季語は「冷じ」で秋。「君」は人倫。

 

四十七句目

 

   君をながすの御沙汰冷じ

 京はただひそひそとして秋(さび)

 (京はただひそひそとして秋淋し君をながすの御沙汰冷じ)

 

 君が流罪となって京都は静かになる。承久の乱の後の京都か。幕府の横暴に沈黙する。

 点なし。

 

季語は「秋」で秋。

 

四十八句目

 

   京はただひそひそとして秋淋し

 七つさがれば(かど)をさす月

 (京はただひそひそとして秋淋し七つさがれば門をさす月)

 

 七つは申の刻で、それが終わり酉の刻になるころには月が出て、寺院は門を閉ざす。「さす」は鎖すと月の光の「射す」に掛けている。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「門」は居所。

 

四十九句目

 

   七つさがれば門をさす月

 花の火もあだにちらすな城の内

 (花の火もあだにちらすな城の内七つさがれば門をさす月)

 

 「花の火」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「花の火」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「咲いた花を火に見立てた表現。

  ※聞書集(12C後)「花のひをさくらの枝にたきつけてけぶりになれるあさがすみかな」

 

とある。

 花の火は花火ではなく、桜の花を火に見立てたもので、火の粉が外に飛べば城下は大変なことになるからというので城門を閉ざすのはわかるが、散った桜を火の粉に見立てて門を閉ざすのはいかにも大袈裟だが。

 長点で「用心時花の火までに心を(つけ)たる珍重(ちんちょう)」とある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   花の火もあだにちらすな城の内

 くま手(とび)(ぐち)ならびに(やり)(うめ)

 (花の火もあだにちらすな城の内くま手鳶口ならびに鎗梅)

 

 花の火のための火消し道具だから熊手や鳶口に加えて槍梅を用いる。

 槍梅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「槍梅」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 ウメの一品種。花は白く、やや淡紅色を帯びる。

  ※仮名草子・尤双紙(1632)下「名所誹諧発句しなじな〈略〉やり梅のながえやつづくみこし岡」

 

とある。

 点あり。

 

 

季語は「鎗梅」で春、植物、木類。

三表

五十一句目

 

   くま手鳶口ならびに鎗梅

 雪とけて流木(とり)がち国ざかひ

 (雪とけて流木取がち国ざかひくま手鳶口ならびに鎗梅)

 

 流木はこの場合は「ながしぎ」の方だろうか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「流木」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙

  ① 漂い流れる木。ながれぎ。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「雪とけて流木取がち国ざかひ 角田がはらの浪のわれふね〈素玄〉」 〔水経注‐溱水〕

  ② 山から伐り出し、川に浮かべて下流へ流し下す材木。ながし木。

  ③ 流罪に処せられた人間をたとえていう語。流人(るにん)

  ※連理秘抄(1349)「可二分別一事〈略〉浮木 葦田 流木 書レ絵草木此等類非二植物一。他准レ之」

 

とある。山から切り出した材木は川に流して運ぶが、国境を越えた所で掠め取る奴がいたか。鳶口で材木を引っかけて自分の方に引き寄せる。

 鎗梅で春なので雪解けの川とする。

 点なし。

 

季語は「雪とけて」で春、降物。

 

五十二句目

 

   雪とけて流木取がち国ざかひ

 角田(すみだ)がはらの浪のわれぶね

 (雪とけて流木取がち国ざかひ角田がはらの浪のわれぶね)

 

 流れて来た材木だと思ったら割れた船の残骸だった。

 隅田川は長いこと武蔵と下総の境だったが、江戸時代になって当時の利根川(今の江戸川)に境界が移った。

 これがいつのことかははっきりしないのか、ウィキペディアには「近世初期(1683年(天和3年)また一説によれば寛永年間(1624-1645年))に」とあるが、「正保国絵図」には今の江戸川が境になっているので、この巻の作られた延宝の頃には既に江戸川が境界になっていて、当然ながら深川芭蕉庵も武蔵国だった。

 ただ、歴史的には隅田川と江戸川の間の地域はかつて太日川の沢山の中州のある広大な河川敷があって、隅田川もその支流の一つとして扱われていたから、太日川が洪水などによって流れを変える度に国境線が動いてた可能性はある。

 点なし。

 

無季。「角田」は名所。「川原」「浪」「われぶね」は水辺。

 

五十三句目

 

   角田がはらの浪のわれぶね

 いくたりか浅草橋にこもかぶり

 (いくたりか浅草橋にこもかぶり角田がはらの浪のわれぶね)

 

 「こもかぶり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「薦被・菰冠」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙

  ① こもで包んだ酒樽(さかだる)。主に四斗(約七二リットル)入りの大きな酒樽をいう。

  ※雑俳・もみぢ笠(1702)「はんじゃうな庭にいたみの菰かぶり」

  ※朝野新聞‐明治二六年(1893)一月一七日「総勢凡そ三千余名、菰被り二十余樽の鏡を打抜き」

  ② (こもを被っていたところから) 乞食。

  ※俳諧・談林十百韻(1675)上「一犬ほゆる佐野の夕月〈正友〉 こもかふり露打はらふかけもなし〈一朝〉」

  ③ 死刑囚。また、非業の死をとげて、亡骸(なきがら)にこもをかぶせられる者。

  ※評判記・もえくゐ(1677)「せぎゃうのにはのたけやらひ、ゆひたてらるる、こもかぶりにもならばなれと」

  ④ 越後国(新潟県)の新潟・沼垂、羽前国(山形県)の酒田、渡島国(北海道)の湯殿沢などの地方で、売春婦をいう。

  ※西蝦夷日記(186364)二「湯殿沢(松前)の薦被(コモカフ)りは人目を忍ぶ意より取」

 

とある。この場合は②で、隅田川に神田川が合流する浅草橋の下の廃船に乞食が棲み着いている、とする。本当に乞食がいたかどうかは知らない。関西人の言うことだし、俳諧はまあうわさ話ということで。「いくたりか浅草橋にこもかぶり、知らんけど」といった所か。

 点あり。

 

無季。「橋」は水辺。「こもかぶり」は人倫。

 

五十四句目

 

   いくたりか浅草橋にこもかぶり

 おたすけたまはれなむくわんぜ音

 (いくたりか浅草橋にこもかぶりおたすけたまはれなむくわんぜ音)

 

 浅草というと浅草観音。観音様助け給え。

 点なし。

 

無季。釈教。

 

五十五句目

 

   おたすけたまはれなむくわんぜ音

 (うたひ)ずき引取(ひきとる)息の下までも

 (おたすけたまはれなむくわんぜ音諷ずき引取息の下までも)

 

 謡曲『(もり)(ひさ)』の、

 

 「南無(なむ)大慈(だいじ)大悲(だいひ)の観世音さしも草、さしも(かしこ)き誓ひの末、一称(いツしょお)一念(いちねん)なほ頼みあり。ましてや多年値遇(たねんちぐ)御結縁(ごけちえん)(むな)しからんや。あら御名残(おんなごり)惜しや。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.3072). Yamatouta e books. Kindle .

 

だろうか。いまわの際でも普通に念仏を唱えるのではなく謡曲の一節を唱えている。

 長点で「臨終正念南無観世太夫もおどろくべし」とある。観世流家元の観世太夫もびっくり。

 

無季。

 

五十六句目

 

   諷ずき引取息の下までも

 箸はすたらぬなら茶なるらん

 (諷ずき引取息の下までも箸はすたらぬなら茶なるらん)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注には、

 

 「食欲旺盛な諷好きの病人が死ぬまぎわまで願ったのは、奈良座ならぬ奈良茶であった。」

 

とある。この奈良座がよくわからなかったが、大和四座のことか。コトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大和四座」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「大和地方に存在した4つの猿楽座をいう。すなわち,坂戸座,円満井 (えまい) 座,外山 (とび) 座,結崎 (ゆうざき) 座であって,のちにそれぞれ金剛,金春,宝生,観世となる。鎌倉時代末期~室町時代初期に,南都の春日神社,興福寺に奉仕する奉仕者集団 (職業的猿楽師) として,興福寺の修二月会や春日神社の薪 (たきぎ) 猿楽などを演能。いちばん古いのは円満井座で竹田の座ともいわれた。また結崎座からは,観阿弥,世阿弥の父子が現れ,足利義満をパトロンとして,田楽,延年の能などを取入れ,猿楽の能を大成したことはあまりにも有名である。以後,幕府の式楽として繁栄した。」

 

とある。

 能(当時は猿楽と言った)が好きな人なら奈良は能の聖地で、いまわの際でも奈良茶粥を求める。

 点滴などない時代には、食が喉を通らなくなった時点で大体臨終となる。茶粥が食いたいという時点で、まだ生きられそうだ。

 奈良茶は奈良茶飯とも奈良茶粥ともいう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「奈良茶飯」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 薄く入れた煎茶でたいた塩味の飯に濃く入れた茶をかけて食べるもの。また、いり大豆や小豆(あずき)・栗・くわいなどを入れてたいたものもある。もと、奈良の東大寺・興福寺などで作ったものという。ならちゃがゆ。ならちゃがい。ならちゃ。〔本朝食鑑(1697)〕

  ② 茶飯に豆腐汁・煮豆などをそえて出した一膳飯。江戸では、明暦の大火後、浅草の浅草寺門前にこれを売る店ができたのが最初で、料理茶屋の祖となった。〔物類称呼(1775)〕」

 

とある。この場合は①で、延宝六年江戸の「のまれけり」の巻三十一句目にも、

 

   日待にきたか山郭公

 やすき夜も寝ぬに目覚めすならちやずき 春澄

 

の句がある。延宝九年の芭蕉の句にも、

 

 侘テすめ月侘斎がなら茶歌  芭蕉

 

の句がある。

 長点で「『奈良』用に(たつ)一字千金也」とある。「用に立」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「用に立つ」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「役に立つ。使いみちがある。有用である。用だつ。役だつ。

  ※平家(13C前)九「ましてさ様にうちとけさせ給ては、なんの用にかたたせ給ふべき」

 

とある。謡曲に奈良を付けるのは、他にもいろいろ応用が利きそうだ。

 

無季。

 

五十七句目

 

   箸はすたらぬなら茶なるらん

 小豆(あづき)ささげ粟嶋殿の初尾(はつを)にて

 (小豆ささげ粟嶋殿の初尾にて箸はすたらぬなら茶なるらん)

 

 粟嶋殿は加太の淡島神社で、和歌山の淡路島の方に突き出た所にある。

 ささげは大角豆と書き、小豆に似た赤い豆。初尾は初穂と同じ。その年の最初の収穫を神社に奉納する。

 小豆ささげは前句の奈良茶粥の具によく用いられるので、その初穂で淡島の神様も奈良茶を食べるのだろうか、とする。

 点なし。

 

無季。神祇。

 

五十八句目

 

   小豆ささげ粟嶋殿の初尾にて

 かぶり太鼓も秋のかたみに

 (小豆ささげ粟嶋殿の初尾にてかぶり太鼓も秋のかたみに)

 

 かぶり太鼓はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「頭太鼓」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 (「かぶり」は「頭振り」の意か) 太鼓の両側に糸をつけ、先端に大豆をつけて、柄を振って鳴らす太鼓。でんでん太鼓。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「小豆ささげ粟嶋殿の初尾にて かぶり太鼓も秋のかたみに〈素玄〉」

 

とある。淡島神社に縁のあるものだったか。

 点なし。

 

季語は「秋」で秋。

 

五十九句目

 

   かぶり太鼓も秋のかたみに

 いたいけを(だい)(うらみ)の露なみだ

 (いたいけを抱て恨の露なみだかぶり太鼓も秋のかたみに)

 

 いたいけな子供とでんでん太鼓を残して妻か夫が亡くなってしまったか。妻を亡くしたと見て、男の途方に暮れる顔を思い浮かべた方が良いのかもしれない。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は子供の亡骸を抱くとしている。悲しい句でありながらも、どうとでも取れる所はマイナスであろう。

 点なし。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

六十句目

 

   いたいけを抱て恨の露なみだ

 鎌田(かまた)(ゑへ)るさかづきの影

 (いたいけを抱て恨の露なみだ鎌田が酔るさかづきの影)

 

 鎌田は鎌田(かまた)正清(まさきよ)で、コトバンクの「朝日日本歴史人物事典 「鎌田正清」の解説」に、

 

 「没年:永暦1.1.3(1160.2.11)

  生年:保安4(1123)

  平安後期の武士。遠江国(静岡県)出身か。鎌田通清の子。源義朝の家人で,乳母子。保元の乱(1156)では,京の白河殿で源為朝と戦い,その頬を射るなど活躍。乱に勝利した義朝が父為義の首を討つべき勅命を受けて苦慮すると,知恵を授け,七条朱雀で為義の首をはねた。平治の乱(1159)で一時藤原信頼が政権を掌握すると,兵衛尉に任じられ政家と改名した。平清盛に敗れ義朝と共に東国へ落ち,尾張国に住む舅長田忠致を頼ったが,裏切られ,義朝と共に殺された。

(高橋秀樹)

 

とある。(こう)(わか)(まい)では鎌田正清は酔った所を殺され、そのあと妻子も殺される。子供を残して討たれた鎌田正清の無念とする。

 秋三句つづけなければいけない所だが、よく見ると「さかづき」が「つきの影」と掛詞になっている。

 点あり。

 

季語は「つきの影」で秋、夜分、天象。

 

六十一句目

 

   鎌田が酔るさかづきの影

 上留(じゃうる)りの(さて)其後(そののち)さゆのみて

 (上留りの扨も其後さゆのみて鎌田が酔るさかづきの影)

 

 鎌田の最後の所を語り終える浄瑠璃の座頭は、そこで一息ついて白湯(さゆ)を飲む。まあ、迫真の語りで喉が渇いたか。

 点あり。

 

無季。

 

六十二句目

 

   上留りの扨も其後さゆのみて

 やくしの反化(へげ)がなをす痳病

 (上留りの扨も其後さゆのみてやくしの反化がなをす痳病)

 

 浄瑠璃の内容として、白湯を飲んだあと薬師の変化が淋病を治すとする。

 点なし。

 

無季。釈教。

 

六十三句目

 

   やくしの反化がなをす痳病

 土の(ろう)(いづ)れば虎のいきほひに

 (土の籠出れば虎のいきほひにやくしの反化がなをす痳病)

 

 鎌倉の薬師谷にある東光寺の土牢は大塔宮(おおとうのみや)護良(もりよし)親王(しんのう)が幽閉されたことで知られている。

 ここでは特にその故事と関係なく、薬師如来の変化のおかげで病気が治って、虎の勢いで土牢から出て行く。

 「虎の勢い」は「騎虎(きこ)の勢い」のことだろうか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「騎虎の勢い」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「(「隋書‐独孤皇后紀」から) 虎に乗った者が、途中でおりることができないように、物事の勢いがさかんになって、行きがかり上、中止したり、あとへ引けなくなったりすることのたとえにいう。

  ※太平策(171922)「世界はかたづりになりて、騎虎の勢になるゆへ、仕とげずして叶はぬなり」

  ※白く塗りたる墓(1970)〈高橋和巳〉九「騎虎の勢いで三崎は窓際の高木局長の方に寄っていった」

 

とある。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注によれば、淋病が治って小便が勢いよく出るのと掛けているという。確かに小便は途中で止められない。

 点なし。

 

無季。「虎」は獣類。

 

六十四句目

 

   土の籠出れば虎のいきほひに

 のびたる髭を(ふく)風の音

 (土の籠出れば虎のいきほひにのびたる髭を吹風の音)

 

 長く土牢に閉じ込められてたから、髭ぼうぼうの姿になっている。

 「虎(うそぶ)けば風生ず」の諺があり、虎の勢いに風の音が付く。

 

 (ひげ)風ヲ吹いて暮秋(たん)ズルハ()ガ子ゾ 芭蕉

 

はこれより少し後の天和(てんな)二年の発句になる。

 点なし。

 

無季。

三裏

六十五句目

 

   のびたる髭を吹風の音

 みめよしはおどろかれぬる松浦(まつらびと)

 (みめよしはおどろかれぬる松浦人のびたる髭を吹風の音)

 

 有名な、

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞおどろかれぬる

            藤原(ふじわらの)(とし)(ゆき)(古今集)

 

の歌による付けで、『太平記』の一宮御息所というみむよき女を、「見るも恐ろしくむくつけ気なる髭男の、声最なまりて色飽まで黒き」松浦人の松浦五郎が部屋に押し入って略奪してレイプしようという物語に持って行く。まあ『太平記』の方は龍神の怒りを買って船が沈んで因果応報というお約束の展開になる。

 点なし。

 

無季。恋。「松浦人」は人倫。

 

六十六句目

 

   みめよしはおどろかれぬる松浦人

 たがしのびてかはらむ()()(ひめ)

 (みめよしはおどろかれぬる松浦人たがしのびてかはらむ佐与姫)

 

 前句の松浦人を松浦五郎から松浦小夜姫に転じる。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ) 「松浦佐用姫」の意味・わかりやすい解説」に、

 

 「伝説上の人物。古くは『万葉集』にみえる。大伴佐提比古(おおとものさてひこ/さでひこ)が異国へ使者として旅立つとき、妻の松浦佐用比売(さよひめ)が別れを悲しみ、高い山の上で領巾(ひれ)(首から肩に掛けて左右に垂らす白い布)を振って別れを惜しんだので、その山を「領巾麾(ひれふり)の嶺(みね)」とよぶと伝える。大伴狭手彦(さてひこ/さでひこ)が朝廷の命で任那(みまな)に派遣されたことは『日本書紀』の宣化(せんか)天皇2年(537)条にみえるが、佐用姫の伝えはない。肥前(ひぜん)地方で発達した伝説で、奈良時代の『肥前国風土記(ふどき)』にも、松浦(まつら)郡の「褶振(ひれふり)の峯(みね)」の伝えとしてみえるが、大伴狭手彦連(むらじ)と弟日姫子(おとひひめこ)の物語になっている。夫に別れたのち、弟日姫子のもとに、夫に似た男が通ってくる。男の着物の裾(すそ)に麻糸をつけておき、それをたどると、峯の頂の沼の蛇であった。弟日姫子は沼に入って死に、その墓がいまもある、とある。昔話の「蛇婿入り」のおだまき型の話になっている。

 松浦佐用姫は中世の文学でも人気のあった人物で、説経浄瑠璃(じょうるり)の「松浦長者」などの語物のなかでは、松浦長者の娘さよ姫は、大蛇の生贄(いけにえ)に捧(ささ)げられる女として登場する。『肥前国風土記』の伝説などからの転化であろう。東北地方の奥浄瑠璃では「竹生(ちくぶ)島の本地」となって語り広められ、岩手県などでは佐用姫を大蛇の人身御供(ひとみごくう)にする物語が伝説になっている。

 領巾振(ひれふり)山は佐賀県唐津(からつ)市の鏡山のこととされ、その周辺には佐用姫にちなむ伝説が残っている。別れのとき佐用姫が袖(そで)を掛けたという袖掛松(別名、佐用姫松)が山頂にあるほか、松浦川上流には佐用姫岩(別名、松浦岩)という大きな岩が川の中にあり、姫は領巾振山からここに飛び降りたといい、その岩には足跡というくぼみがある。唐津市呼子(よぶこ)町の呼子の浦の古名を呼名(よぶな)の浦というのは、姫がここで夫の名を呼んだのに由来すると伝える。同市加部(かべ)島にある田島神社の末社の佐与姫神社は姫を祭神とし、祠(ほこら)には姫が泣きあかしたという望夫(ぼうふ)石がある。また、伊万里市山代(やましろ)町立岩(たちいわ)は、姫の死骸(しがい)が丸木船に乗って漂着した所といい、姫を祀(まつ)る佐代姫神社がある。神社と浦ノ崎駅の中間の田の畦(あぜ)には、姫を葬ったという塚もあった。神社には、帰国した大伴狭手彦が神饌(しんせん)を盛って供えたという高麗(こうらい)焼の壺(つぼ)が、宝物として伝わっている。なお、肥前地方をはじめ、九州北部では道祖神(「塞神(さえのかみ)」)をサヨの神(かん)といい、松浦佐用姫を葬って祀った神であると伝える。[小島瓔禮]」

 

とある。蛇が忍んできて(はら)む。

 長点で「左手彦留守の間しれまじく候」とある。夫の大伴佐提比(おおとものさてひ)()留守の間のことはわからないということで、本当は蛇ではなく普通に夜這いだった可能性もあるということか。

 

無季。恋。

 

六十七句目

 

   たがしのびてかはらむ佐与姫

 (こひ)(ごろも)おもきが上に(うち)かけて

 (恋衣おもきが上に打かけてたがしのびてかはらむ佐与姫)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、

 

 さらぬだに重きが上の小夜衣

     我が妻ならぬ妻なかさねそ

             寂然法師(新古今集)

 

の歌を引いている。これを逃げ歌にして、誰かが自分の妻でない佐与姫の上に恋衣を打ちかけて孕ませてしまった、とする。

 点あり。

 

無季。恋。「恋衣」は衣裳。

 

六十八句目

 

   恋衣おもきが上に打かけて

 (まつ)(よひ)のかねはらふ町役(ちゃうやく)

 (恋衣おもきが上に打かけて待宵のかねはらふ町役)

 

 町役(ちょうやく)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「町役」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 町内の住民としての義理やつきあい。町内に一戸をかまえる者に対して課せられた。近世、江戸や大坂などでは、町内見回り、冠婚葬祭などに一軒から必ずひとりは出なければならないなどの義務があった。まちやく。〔日葡辞書(160304)〕

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)五「いやといはれぬ祝言振舞、町役(ちゃうヤク)の野おくりには出ぬ事成難し」

  ② 特に、大坂で、各町の費用をその町人に負担させるもの。一軒一役の役割のほか、間口割、坪割、顔割(町人の頭数による)などの方法で徴収された。

  ※俳諧・大坂独吟集(1675)上「恋衣おもきが上に打かけて 待宵のかねはらふ町役〈素玄〉」

  ③ 「ちょうやくにん(町役人)」の略。

  ※雑俳・笠付類題集(1834)「耳にたつ町役持ば犬の声」

 

とある。

 恋に思い悩んでるのも大変なのに、町役の金も払わなくてはいけない。「待つ宵の鐘」から「金払う」を導き出す。

 長点で「恋よりも公役(こうやく)及難義(なんぎにおよび)候か」とある。

 

無季。「町役」は人倫。

 

六十九句目

 

   待宵のかねはらふ町役

 家主(いへぬし)はわかぬ別れの牢人に

 (家主はわかぬ別れの牢人に待宵のかねはらふ町役)

 

 「わかぬ別れ」は「飽かぬ別れ」と同じでコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「飽ぬ別れ」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「いやになったわけではないのに別れること。不本意な別れ。なごり尽きない別れ。

  ※後撰(951953頃)恋一・五六八「今ぞ知るあかぬ別の暁は君をこひちにぬるる物とは〈作者不明〉」

 

 間借りしてた牢人とのわかぬ別れ、要するに家賃を踏み倒して逃げられた、ということ。家主が代りに町役を払う。

 点なし。

 

無季。「家主」「牢人」は人倫。

 

七十句目

 

   家主はわかぬ別れの牢人に

 委細の事はたがひに江戸から

 (家主はわかぬ別れの牢人に委細の事はたがひに江戸から)

 

 家主は単にその家の(あるじ)という意味もある。牢人の主人が妻子を置いて出て行ってしまい、その書置きに「詳しいことは江戸に着いたら」とある。

 点あり。

 

無季。

 

七十一句目

 

   委細の事はたがひに江戸から

 道づれと箱根の切手見合(みあはせ)

 (道づれと箱根の切手見合て委細の事はたがひに江戸から)

 

 切手はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「切手」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① ある定まった目的・用途をもつ物や銭を、その関係から切り放し、別の性格をもつ「切物」とする権利を付与する証文。中世の切符、為替(かわし)、割符(さいふ)、年貢などの貢租  の預状(あずかりじょう)などをいう。

  ※上杉家文書‐(永正五年)(1508)一一月二三日・倉俣実経外五名連署奉書「古志郡内御料所土貢事、御屋形様被レ直二御位一候之間、如二切手一復二前々一、急度御進納尤候」

  ② 江戸時代の通行(往来)手形。関所手形(居住地の名主、五人組の証明によって発行されるもの)、手判の類。割符(さいふ)

  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)三月一八日「道中の御切手、爰元に無レ之候」

 ※浮世草子・世間娘容気(1717)六「御関所あって、御切手(キッテ)なくては」

  ③ ある場所にはいることを認めて発行する券。入場券。

  ※雑俳・田みの笠(1700)「おづおづと切手を出す芝居口」

  ※新聞雑誌‐三一号・明治五年(1872)二月「文部省、博物館に於て博覧会を催さる。〈略〉切手を以て拝観することを許さる」

  ④ 営業などの許可証。

  ※人情本・恩愛二葉草(1834)三「昔拙弾(かじ)った三味線が役に立ったも悲しい事、仁太夫さまの切手を貰うて、漸う繋ぐ細い命」

  ⑤ 商品に対する前払いの証券。これをもって商品の引き換えができる。商品券。商品切手。〔日葡辞書(160304)〕

  ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉後「ビスケットの鑵や、呉服の切手まで貰ってある」

  ⑥ 江戸吉原大門の通行証。遊女が外出する時、抱え主の発行するこれを番所に見せた。

  ※雑俳・柳多留‐二三(1789)「切(きッ)手を見せて田楽を喰いに行き」

  ⑦ 金銭預かりの証文。借用手形。金銭切手。

  ※当代記(1615頃か)四「只切手にて黄金を借引す」

  ⑧ 江戸時代、諸大名家の蔵屋敷が米商人に発行した米穀の空売手形。蔵預かりを保証して発行する。米切手、大豆切手などがある。一種の倉庫証券。明治四年(一八七一)にその発行が禁止された。」

 

など、いろいろなものに用いられる。この場合は②の箱根の関の通行手形のこと。

 男に関して審査は簡単だが、女の場合はきっちりと調べられる。この場合も同行の女の手形に何か不備があったのか関所で止められてしまい、詳しいことは江戸に戻ってからまた、ということになる。

 点あり。

 

無季。旅体。「箱根」は名所、山類。

 

七十二句目

 

   道づれと箱根の切手見合て

 やぶれつづらを(あけ)(くや)しき

 (道づれと箱根の切手見合てやぶれつづらを明て悔しき)

 

 関を越えるってんで()(づら)を開けて切手(手形)と取り出そうっていと、何とまあその葛籠とややが破れてて‥‥。

 点なし。

 

無季。

 

七十三句目

 

   やぶれつづらを明て悔しき

 あるるとやにくき鼠を(とり)にがし

 (あるるとやにくき鼠を取にがしやぶれつづらを明て悔しき)

 

 旅体から家にいる時の体として、葛籠から食い物を出して食おうとすると葛籠が鼠に破られていて、結局その鼠にも逃げられてしまい‥‥。

 点あり。

 

無季。「鼠」は獣類。

 

七十四句目

 

   あるるとやにくき鼠を取にがし

 へる(あぶら)()(きゆ)る秋風

 (あるるとやにくき鼠を取にがしへる油火も消る秋風)

 

 油を鼠に舐められて油が足りなくなった所へ、秋風が吹いて火も消えてしまう。

 点なし。

 

季語は「秋風」で秋。「油火」は夜分。

 

七十五句目

 

   へる油火も消る秋風

 ひら岡へくる(うば)(たま)のよるの月

 (ひら岡へくる姥玉のよるの月へる油火も消る秋風)

 

 (ひら)(おか)の姥ヶ火の伝説による付け。ウィキペディアに、

 

 「『諸国里人談』によれば、雨の夜、河内の枚岡(現・大阪府東大阪市)に、大きさ約一尺(約30センチメートル)の火の玉として現れたとされる。かつてある老女が平岡神社から灯油を盗み、その祟りで怪火となったのだという。

 河内に住むある者が夜道を歩いていたところ、どこからともなく飛んできた姥ヶ火が顔に当たったので、よく見たところ、鶏のような鳥の形をしていた。やがて姥ヶ火が飛び去ると、その姿は鳥の形から元の火の玉に戻っていたという。このことから妖怪漫画家・水木しげるは、この姥ヶ火の正体は鳥だった可能性を示唆している。

 この老女が姥ヶ火となった話は、『西鶴諸国ばなし』でも「身を捨て油壷」として記述されている。それによれば、姥ヶ火は一里(約4キロメートル)をあっという間に飛び去ったといい、姥ヶ火が人の肩をかすめて飛び去ると、その人は3年以内に死んでしまったという。ただし「油さし」と言うと、姥ヶ火は消えてしまうという。」

 

とある。「姥」と枕詞の「うばたま」を掛けている。

 点なし。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

七十六句目

 

   ひら岡へくる姥玉のよるの月

 宮司(ぐうじ)(ころも)うちかへしけり

 (ひら岡へくる姥玉のよるの月宮司が衣うちかへしけり)

 

 枚岡は枚岡神社があり、姥玉を枕詞とすることで姥ヶ火の本説を逃れられる。

 

 いとせめて恋しき時はむば玉の

     よるの衣を返してぞきる

             小野小町(古今集)

 

の歌の縁で枚岡神社の宮司が月の夜に衣を打ち返して着る、とする。

 点なし。

 

季語は「衣うち」で秋、衣裳。神祇。「宮司」は人倫。

 

七十七句目

 

   宮司が衣うちかへしけり

 神木(しんぼく)花見(はなみ)(じらみ)やうつるらん

 (神木の花見虱やうつるらん宮司が衣うちかへしけり)

 

 花見虱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「花見虱」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 春、暖かくなった花見頃に繁殖し、衣服の襟や袖などにまではい出してくる虱。花虱。《季・春》

  ※俳諧・誹諧初学抄(1641)「末春 花みじらみ」

 

とある。宮司に神木、虱に衣打ち返すと付けて、神木の花見をしていた宮司が花見虱を移されて衣をひっくり返す。

 点あり。

 

季語は「花見虱」で春、虫類。神祇。「神木」は植物、木類。

 

七十八句目

 

   神木の花見虱やうつるらん

 かすむ塩垢離(しほごり)身もふくれつつ

 (神木の花見虱やうつるらんかすむ塩垢離身もふくれつつ)

 

 塩垢離はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「潮垢離・塩垢離」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 海水をあびて身を浄めること。海水でみそぎをすること。

  ※後鳥羽院熊野御幸記‐建仁元年(1201)一〇月一一日「於二此宿所一塩垢離かく。眺二望海一。非二甚雨一者可レ有レ興所也」

 

とある。

 虱を移されて塩垢離をして体を清めてはみるが、体のリンパ腺の腫れは引かない。

 長点で「『身もふくるる』よく出申(いでまうし)候」とある。

 

季語は「かすむ」で春、聳物(そびきもの)。「塩垢離」は水辺。「身」は人倫。

名残表

七十九句目

 

   かすむ塩垢離身もふくれつつ

 吉日(きちにち)と舟(のり)(そむ)るちからこぶ

 (吉日と舟乗初るちからこぶかすむ塩垢離身もふくれつつ)

 

 前句の塩垢離を船乗りの(のり)(ぞめ)の清めとする。

船乗(ふなのり)(そめ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「船乗初」の意味・読み・例文・類語」に、

 

〘名〙 正月二日、船方が航海安全を祈って行なう乗りぞめの儀式。《季・新年》

※日本歳時記(1688)一「二日〈略〉舟人は船乗初(フナノリソメ)をす」

 

とある。新年の初乗りなので春になる。

 長点で「又ちからこぶ玄々也」とある。正月の寒い時期に裸になってというのが「ちからこぶ」から伝わってくる。

 

季語は「舟乗初」で春、水辺。

 

八十句目

 

   吉日と舟乗初るちからこぶ

 喧嘩(けんくわ)におよぶ尼崎(あまがさき)うら

 (吉日と舟乗初るちからこぶ喧嘩におよぶ尼崎うら)

 

 尼崎は瀬戸内海を通る廻船など、大阪に入れない大きな船の発着場で賑わっていた。

 出入りする船も多ければ、どっちの舟が先だの、舟と舟がこすっただの喧嘩も珍しくはなかったのだろう。

 点なし。

 

無季。

 

八十一句目

 

   喧嘩におよぶ尼崎うら

 焼亡(ぜうまう)の煙をかづく壁隣

 (焼亡の煙をかづく壁隣喧嘩におよぶ尼崎うら)

 

 火事と喧嘩は江戸の華とは言うが、江戸じゃなくても大きな街じゃ普通だったのだろう。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『雲林院』の、

 

 「松陰(まつかげ)に煙をかづく(あま)(さき)、煙をかづく(あま)(さき)、暮れて見えたる漁火(いさりび)のあたりを問へば難波津(なにわづ)に、咲くやこの花冬ごもり、今は(うつつ)都路(みやこぢ)の、遠かりし程は桜にまぎれある、雲の林に着きにけり雲の林に着きにけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1708). Yamatouta e books. Kindle .

 

を引いている。昔は藻塩焼く煙だったのだろう。海士の焼く藻塩の煙を被った海士ならぬ尼が崎、という洒落で、一種の地名の序詞のように用いている。

 延宝の頃ともなるとは塩田製塩に取って代わられて藻塩焼く煙は昔のこととなっていて、煙をかづくといっても火事の煙をかづくことになる。

 長点で「かづくの妙の一字に候」と謡曲の出典の使い方の巧みを褒めている。

 

無季。「煙」は聳物。

 

八十二句目

 

   焼亡の煙をかづく壁隣

 何のかのとてしれぬ境目(さかひめ)

 (焼亡の煙をかづく壁隣何のかのとてしれぬ境目)

 

 壁隣りの壁が焼けてしまえば、どこに境界線があったかわからなくなる。あとでもめそうだ。

 点なし。

 

無季。

 

八十三句目

 

   何のかのとてしれぬ境目

 たうとさや同じやう(なる)仏ぼさつ

 (たうとさや同じやう成仏ぼさつ何のかのとてしれぬ境目)

 

 仏像にもいろんな種類があるが、今でも一部のマニアを別にすれば、種類の区別など分らない。昔の人も同じだったのだろう。芭蕉の元禄四年の句にも、

 

 大津絵の筆のはじめは何仏  芭蕉

 

の句がある。

 まあ仏像が違うからと言って御利益がないわけではない。御利益があるなら同じことだ。

 点あり。

 

無季。釈教。

 

八十四句目

 

   たうとさや同じやう成仏ぼさつ

 十方はみな浄土すご六

 (たうとさや同じやう成仏ぼさつ十方はみな浄土すご六)

 

 十方は東西南北に、東南、西南、西北、東北の四維と上下を加えた方角で、十方浄土というと仏はあらゆるところにいるということをいうが、ここではそこらかしこで浄土(じょうど)双六(すごろく)をやっている、となる。

 浄土双六はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「浄土双六」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 絵双六の一種。室町時代に起こり、江戸時代に流行した仏法双六。良い目を振って上がりになると極楽浄土があり、悪い目を振ると最後には地獄に落ち永沈(ようちん)となる。賽(さい)は「南無分身諸仏」の六字を記したものを用い、南閻浮州(なんえんぶしゅう)を振り出しに極楽・地獄の道程が絵に書かれている。じょうどすぐろく。《季・新年》

  ※実隆公記‐文明一一年(1479)九月一五日「浄土双六於二御前一打之」

 

とある。

 長点だがコメントはない。

 

無季。釈教。

 

八十五句目

 

   十方はみな浄土すご六

 お日待(ひまち)の光明遍照あらた也

 (お日待の光明遍照あらた也十方はみな浄土すご六)

 

 日待(ひまち)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「日待」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 人々が集まり前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが(日次紀事‐正月)、毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が寄り集まり徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる。影待。《季・新年》

  ※実隆公記‐文明一七年(1485)一〇月一五日「今夜有二囲棊之御会一、終夜不レ眠、世俗称二日待之事一也云云」

 

とある。

 光明(こうみょう)遍照(へんじょう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「光明遍照」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「〘名〙 仏語。阿彌陀如来の光が遍(あまね)く十方を照らし、念仏の衆生をその光の中におさめとって捨てないと説く、「観無量寿経」の光明四句の文「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨」の、最初の一句。〔往生要集(984985)〕

  ※平家(13C前)九「其後西にむかひ、高声に十念となへ、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨とのたまひもはてねば」

 

とある。

 前句の浄土双六を日待ちの娯楽として待っていた日の出は光明遍照新たなり、とする。

 点あり。

 

無季。釈教。

 

八十六句目

 

   お日待の光明遍照あらた也

 おこりまじなふよし水のみね

 (お日待の光明遍照あらた也おこりまじなふよし水のみね)

 

 よし水は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注に「京都東山の大谷」とある。ただ、次の句に東山が出てくるので吉野の吉水にして、次の句で東山の大谷に取り成したのかもしれない。

 大谷の吉水だと吉水上人(法然)のことになる。

 おこりはマラリアのことでそれに霊験があるよし水の光明遍照あらた也、となる。

 点なし。

 

無季。「みね」は山類。

 

八十七句目

 

   おこりまじなふよし水のみね

 東山に位(ある)人のあがり膳

 (東山に位有人のあがり膳おこりまじなふよし水のみね)

 

 マラリアから源氏物語の若紫巻の霊験ある修行僧を尋ねて行ったことの本説付けとする。源氏物語では北山だが、付け句の場合は多少変える。

 点なし。

 

無季。「東山」は山類。「人」は人倫。

 

八十八句目

 

   東山に位有人のあがり膳

 蒔絵(まきゑ)に見ゆる半切(はんぎり)の数

 (東山に位有人のあがり膳蒔絵に見ゆる半切の数)

 

 半切(はんぎり)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「半切」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 半分に切ったもの。

  ※島津家文書‐慶長三年(1598)正月晦日・豊臣氏奉行衆連署副状「半弓之用心に、半切之楯数多可レ有二用意一旨、被二仰遣一候」

  ② 能装束の袴の一つ。形は大口袴に似て裾短とし、金襴、緞子(どんす)などにはなやかな織模様のあるもの。荒神・鬼畜などの役に用いる。はんぎれ。〔易林本節用集(1597)〕

  ③ 歌舞伎衣装の一つ。広袖で丈(たけ)が短く、地質に錦または箔(はく)を摺り込んだもので、主に荒事役に用いる。はんぎれ。

  ※歌舞伎・男伊達初買曾我(1753)「五郎時致、半切、小手、臑当」

  ④ (半桶・盤切) (たらい)の形をした、底の浅い桶(おけ)。はんぎりのおけ。はんぎれ。〔日葡辞書(160304)〕

  ⑤ =つりごし(釣輿)」

 

とある。この場合は④で、位ある人の上り膳だから半桶でも蒔絵が、とやや大袈裟だ。

 点なし。

 

無季。

 

八十九句目

 

   蒔絵に見ゆる半切の数

 (のう)衣装(いしゃう)松の村立(むらだち)はしがかり

 (能衣装松の村立はしがかり蒔絵に見ゆる半切の数)

 

 半切を②の意味に取り成す。能役者の出てくる口の所に能衣装が掛けられていて、松の村立ちの蒔絵のようだ。

 点なし。

 

無季。「能衣装」は衣裳。「松」は植物、木類。

 

九十句目

 

   能衣装松の村立はしがかり

 未明にはじまる(この)宮うつし

 (能衣装松の村立はしがかり未明にはじまる此宮うつし)

 

 前句を能衣装が掛かっていて、松の村立があって、橋掛かりがあってという景色として、遷宮の情景とする。

 点なし。

 

無季。神祇。

 

九十一句目

 

   未明にはじまる此宮うつし

 月くらく三井寺さして(おち)たまふ

 (月くらく三井寺さして落たまふ未明にはじまる此宮うつし)

 

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、謡曲『頼政(よりまさ)』の、

 

 「地( サシ) (そもそ)治承(ぢしょお)の夏の頃、よしなき御謀叛(ごむほん)を勧め申し、名も高倉の宮の内、雲居(くもゐ)のよそに有明の月の都を忍び()でて、

  シテ     憂き時しもに近江(おおみ)()や、

  地      三井寺さして落ち(たも)ふ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.880). Yamatouta e books. Kindle .

 

の場面を引いている。前句の「宮うつし」を高倉の宮の移って来たことと取り成す。

 長点で「作例も不存(ふぞん)(これ)はじめて承驚入(うけたまはりおどろきいり)候」とある。長点といえども、どこかで聞いたようなものも多かったということか。長く連歌俳諧の点者をやってて、このパターンは初めてだったようだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「三井寺」は名所。

 

九十二句目

 

   月くらく三井寺さして落たまふ

 むかしにかへる妻をよぶ秋

 (月くらく三井寺さして落たまふむかしにかへる妻をよぶ秋)

 

 これは謡曲『三井寺(みいでら)』の、

 

 「これはさざ波や三井の古寺鐘はあれど、昔に帰る声は聞こえず。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.1981). Yamatouta e books. Kindle .

 

で、これはありがちなパターンだったのだろう。一応娘を探すところを妻を探すに変えている。

 点なし。

 

季語は「秋」で秋。恋。「妻」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   むかしにかへる妻をよぶ秋

 身入(しんいれ)ていろはにほへと(かき)くどき

 (身入ていろはにほへと書くどきむかしにかへる妻をよぶ秋)

 

 「掻き口説く」を「いろはにほへと書き」と掛けている。

 『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は、前句を還暦で一切に戻って「いろはにほへと」からやり直すとしている。

 昔別れた妻ともとれるし、若い頃に戻って改めて口説くとも取れる。

 点なし。

 

季語は「いろは」を「色葉」として秋としたのだろう。

 

九十四句目

 

   身入ていろはにほへと書くどき

 恋の重荷のしるしや(ある)らん

 (身入ていろはにほへと書くどき恋の重荷のしるしや有ら)

 

 恋の重荷は謡曲のタイトルで『(こいの)重荷(おもに)』。山科(やましな)荘司(しょうじ)という卑しい男が女御(にょうご)に惚れて、

 

 「いやいや早や色に()でてあるぞとよ。さる(あいだ)の事を(かたじけな)くも女御(にょおご)聞こしめし及ばれ、急ぎこの()を持ちて御庭(おんにわ)百度(ももたび)(ちたび)(めぐ)るならば、その(あいだ)御姿(おんすがた)を拝ませ(たも)ふべきとの御事(おんこと)なり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2754). Yamatouta e books. Kindle .

 

と、会いたかったらこの荷物を背負えと言われる。恋の(やつこ)になる覚悟と言えば、恋の奴隷ということか。「亡き世なりとも()からじ」と言ってるうちに本当に死んでしまった。

 最初は化けで出るがすぐに悟って、

 

 「これまでぞ姫小松の、()(もり)の神となりて千代の影を・(まも)らんや千代の影をも(まも)らん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (p.2760). Yamatouta e books. Kindle .

 

ということで目出度く終わる。振った相手に復讐をするのではなく、本当に好きなら死んでもなお愛しい人を守る、という今でもありがちな話だ。

 前句の「いろはにほへと」と掻き口説くのを恋の重荷を背負うようなものとする。

 点なし。

 

無季。恋。

 

九十五句目

 

   恋の重荷のしるしや有らん

 さらぬのみか尻にしかるる百貫目

 (さらぬのみか尻にしかるる百貫目恋の重荷のしるしや有ら)

 

 女に尻に敷かれるというのは今でも使われるよくある表現だが、その重さが百貫目(約375kg)で、なるほどこれが恋の重荷か、とする。ただ、この時代に「百貫でぶ」という言葉があったかどうかは知らない。

 点あり。

 

無季。恋。

 

九十六句目

 

   さらぬのみか尻にしかるる百貫目

 欲には人のよくまよふ(なり)

 (さらぬのみか尻にしかるる百貫目欲には人のよくまよふ也)

 

 「欲にはよくまよふ」というのは駄洒落だが、性欲が止められずに後で責任取らされて、その女房にも尻に敷かれっぱなしと、よくあることだ。

 点なし。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

九十七句目

 

   欲には人のよくまよふ也

 六道(ろくだう)(つじ)(ぎり)をする夕まぐれ

 (六道の辻切をする夕まぐれ欲には人のよくまよふ也)

 

 「六道の辻」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「六道の辻」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「[] 六道へ通じる道の分かれる所。六道のちまた。

  ※虎明本狂言・朝比奈(室町末‐近世初)「六道の辻へ罷出、ぎんみして、よきざい人を、ぢごくへおとさばやと存候」

  [] 京都市東山区の六道珍皇寺の門前あたりをいう。ここから冥途に道が通じているといわれた。

  ※光悦本謡曲・熊野(1505頃)「愛宕の寺も打過ぎぬ、六道の辻とかや、実おそろしや此道は、冥途に通ふなる物を」

 

とある。

 京の六道の辻でよく辻斬りがあったのか、斬られた方はともかく、下手人は間違いなく地獄道へ落ちそうだが。

 点なし。

 

無季。

 

九十八句目

 

   六道の辻切をする夕まぐれ

 なふかなしやとてなく(とり)辺山(べやま)

 (六道の辻切をする夕まぐれなふかなしやとてなく鳥辺山)

 

 六道の辻の傍に葬送の地だった鳥辺野があった。六道で斬られたらそのまま鳥辺野行きか。悲しいもんだ。

 長点で「(つけ)(ごころ)やすくて有感(かんある)か」とある。「六道の辻」に「鳥辺野」はありきたりな発想の付けだが、「夕まぐれ」に「なふかなしや」と情が良く乗っている。

 

無季。哀傷。

 

九十九句目

 

   なふかなしやとてなく鳥辺山

 (さく)花を(ひき)むしるてふずぼろ坊

 (咲花を引むしるてふずぼろ坊なふかなしやとてなく鳥辺山)

 

 「ずぼろ坊」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典 「ずぼろ坊」の意味・読み・例文・類語」に、

 

 「① 丸坊主に剃った頭。また、そのような頭の人。ずぼろぼ。ずぼろぼん。ずぼろぼうず。ずんぼろぼうず。ずんべらぼん。

  ※俳諧・毛吹草(1638)一「児(ちご)桜花とみしもやすぼろばう」

  ② 大入道。大男。

  ※松翁道話(181446)二「過去よりも未来へ通るづぼろぼう雨ふらば降れ風吹かば吹け」

 

とある。無縁仏にどこの坊主か知らないが花をむしって供えてくれる。場所柄、今でいう被差別民かもしれない。

 長点で「かなしみの心かはりてめづらしく候」とある。

 死に対する直接の悲しみではなく、死者も悲しければ坊主も悲しく、全体にじわっとくる感じで、今で言えば「エモい」というところか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「ずぼろ坊」は人倫。

 

挙句

 

   咲花を引むしるてふずぼろ坊

 気ままにそだつ少年の春

 (咲花を引むしるてふずぼろ坊気ままにそだつ少年の春)

 

 前句の坊主を小坊主として、花を引きむしったりしながら自由奔放に育って行く、というところで一巻は目出度く終わる。

 点あり。

 

季語は「春」で春。「少年」は人倫。

 

 点のあったのは五十九句で、そのうち長点が二十八句。第一百韻にも勝るとも劣らぬ点数と言えよう。

 

 もとより御作意存知ながら、独吟はじめて

 一覧、句毎におどろき(いり)、老眼あらたなる心

 ちして

 ぬきんでたその

     さくらやの茂りかな

            西梅花翁

 

 素玄は桜屋素(さくらやそ)(げん)でその桜の茂りに百韻の言の葉の繁栄を讃えている。