「偽レル」の巻、解説

初表

   四月十八日即興

 偽レル卯花に樽を画きけり    千之

   鰹をのぞむ楼の上の月    其角

 この比の裸をにくむ秋の風    其角

   ささ立波に鹿梁もる露    千之

 蔵庇菊を南に見え晴て      千之

   葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ   其角

 

初裏

 侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨    千之

   呉の旅衣酒をかたしく    其角

 水糒西施が影をこぼすらん    千之

   蘭にふれたる紫の汗     其角

 寝語の小杉音なく宵過て     千之

   さみだれ座敷蛙這来ル    其角

 住ム人も志賀の古城やよむかし  千之

   石山の秋ノ月三井の晩鐘   其角

 尺八に棹さす露の丸木舟     千之

   遊子おどりの国ヲ尋ヌル   其角

 花日々に老は娘の手を引て    千之

   松ある隣リ羽かひに行    其角

 

 

二表

 百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに   其角

   雨なかだちて燕ヲ假ル    千之

 年咄し今宵廬山の夜に似タリ   其角

   毛-吹崑-山に名を晒スラン  千之

 木がらしに浪士の市の彳     其角

   囘火消の霜さやぐ松     千之

 経よはる御魂屋のきりぎりす   其角

   夕べは秋の後鳥羽さびしき  千之

 秬の葉に涙をあまる夷衣     其角

   まま子烏の寐に迷ふ月    千之

 盗人をとがむる鎗の音ふけて   其角

   胴の間寒き波の夜嵐     千之

 

二裏

 年と日と賤のつま薪よみ尽ス   千之

   うさきを荷ふ越の山業    其角

 剣術を虚谷に習ふ時は      千之

   有朋自遠方来        千之

 花に粮空嚢に銭をはたくらん   其角

   蛤處々のやまぶきヲ焼    其角

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

   四月十八日即興

 偽レル卯花に樽を画きけり    千之

 

 千之(ちゆき)は佐藤勝明さんの『芭蕉と京都俳壇: 蕉風胎動の延宝・天和期を考える』(八木書店、 二〇〇六)によると重頼門で、千春(ちはる)と同じ望月氏だという。延宝期から千春とともに多くの入集をして活躍していた。

 卯の花は、

 

   ものいひかはし侍りける人のつれなく侍りけれは、

   その家のかきねの卯花ををりていひいれて侍りける

 うらめしき君がかきねの卯花は

     うしと見つつも猶たのむかな

              よみ人しらず(後撰集)

   返し

 うき物と思ひしりなは卯花の

     さけるかきねもたづねざらまし

              よみ人しらず(後撰集)

   卯花のかきねある家にて

 時わかすふれる雪かと見るまでに

     かきねもたわにさける卯花

              よみ人しらず(後撰集)

 

とあるように、かつては垣根に用いる棘のある白い花だった。

 

 なつかしく手には折らねど山がつの

     垣根のうばら花咲にけり

              曽禰好忠(好忠集)

 

のようにイバラの別名であるウバラの垣根が詠まれている所から、ウバラの花のことと思われる。

 江戸時代の卯の花は木に咲くので、桜が終わった後の初夏の山に咲く白い花で、「偽レル」というのは、卯の花の描かれた絵を桜だと偽ってという意味で、それで花見をしようと酒樽を書き足したということだろう。

 即興は文字通りの興に即すで、卯の花の絵を見ての興でははなかったか。

 

季語は「卯花」で夏、植物、木類。

 

 

   偽レル卯花に樽を画きけり

 鰹をのぞむ楼の上の月      其角

 (偽レル卯花に樽を画きけり鰹をのぞむ楼の上の月)

 

 「のぞむ」は「楼の上の月を望む」とカツオを所望するという両方に掛けている。

 卯の花の咲く初夏は初鰹の季節でもある。初鰹を肴に卯の花で似せの花見をする。

 卯の花の月は、

 

 卯花のさけるかきねの月きよみ

     いねすきけとやなくほとときす

              よみ人しらず(後撰集)

 月影を色にて咲ける卯の花は

     明けは有明の心地こそせめ

              よみ人しらず(後拾遺集)

 

などの歌がある。

 

季語は「鰹」で夏、水辺。「月」は夜分、天象。

 

第三

 

   鰹をのぞむ楼の上の月

 この比の裸をにくむ秋の風    其角

 (この比の裸をにくむ秋の風鰹をのぞむ楼の上の月)

 

 鰹を秋の戻り鰹として、秋風が吹けばそろそろ裸の夕涼みの季節も終わる。

 久隅守景筆の国宝『納涼図屏風』には襦袢の男と腰巻だけの女が描かれている。

 月に秋風は、

 

 秋風にいとどふけゆく月影を

     たちなかくしそあまの河ぎり

              藤原清正(後撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「秋の風」で秋。

 

四句目

 

   この比の裸をにくむ秋の風

 ささ立波に鹿梁もる露      千之

 (この比の裸をにくむ秋の風ささ立波に鹿梁もる露)

 

 鹿梁(ししろ)はよくわからない。次の句に蔵庇とあるから、庇の梁のことか。

 前句の湊で働く人の裸とする。

 秋風に露は、

 

 あだし野の露ふきみだる秋風に

     なびきもあへぬ女郎花かな

              藤原公実(金葉集)

 あはれいかに草葉の露のこほるらむ

     秋風たちぬ宮城野の原

              西行法師(新古今集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。「ささ立波」は水辺。「鹿梁」は居所。

 

五句目

 

   ささ立波に鹿梁もる露

 蔵庇菊を南に見え晴て      千之

 (蔵庇菊を南に見え晴てささ立波に鹿梁もる露)

 

 蔵庇は蔵の入口の所の庇。庇の南に菊が見える。

 陶淵明『帰去来辞』の、

 

 引壺觴以自酌 眄庭柯以怡顏

 倚南窗以寄傲 審容膝之易安

 

の心か。前句の「ささ立波」を酒のこととする。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。「蔵庇」は居所。

 

六句目

 

   蔵庇菊を南に見え晴て

 葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ     其角

 (蔵庇菊を南に見え晴て葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ)

 

 葉越はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「葉越」の解説」に、

 

 「〘名〙 葉と葉の間を通してなされること。葉の隙間から透いて見えること。

  ※久安百首(1153)夏「あぢさゐのよひらのやへにみえつるは葉ごしの月の影にぞ有ける〈崇徳院〉」

 

とある。庭の蘇鉄の葉は月の光が漏れてこない。

 

無季。「蘇鉄」は植物、木類。

初裏

七句目

 

   葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ

 侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨    千之

 (侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨葉越はあらぬ蘇鉄一かぶ)

 

 侘びた漢詩人の旅に転じる。蘇鉄の下は雨が漏らないので朝時雨の雨宿りにちょうどいい。

 笠に詩を書き付けたりするのはよくあることなのか。同じ『虚栗』の冬の発句に、

 

   手づから雨のわび笠をはりて

 世にふるもさらに宗祇のやどり哉 芭蕉

 

の句があるが、後の貞享三年に「笠の記」という俳文に仕立て、そこには「ふたたび宗祇の時雨ならでも、かりのやどりに袂うるほして、みづから笠のうらに書つけ侍る。」とある。

 あるいは千之の句の趣向を拝借したか。

 

季語は「時雨」で冬、降物。「笠」は衣裳。

 

八句目

 

   侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨

 呉の旅衣酒をかたしく      其角

 (侘々て笠に詩ヲ着ル朝時雨呉の旅衣酒をかたしく)

 

 笠に呉の旅衣は玉屑の「閩僧可士送僧詩」の「笠重呉天雪 鞋香楚地花」によるものか。

 ここでは雪ではなく朝の時雨に酒を飲む。

 時雨の旅は、

 

 露にだにあてしと思ひし人しもぞ

     時雨ふるころたびにゆきける

              壬生忠見(拾遺集)

 

の歌がある。

 また、

 

 志賀の浦やしばし時雨の雲ながら

     雪になりゆく山おろし風

              慈円(続拾遺集)

 

のように、朝の時雨が雪に変わって呉天の雪になる、という趣向かもしれない。

 

無季。旅体。「旅衣」は衣裳。

 

九句目

 

   呉の旅衣酒をかたしく

 水糒西施が影をこぼすらん    千之

 (水糒西施が影をこぼすらん呉の旅衣酒をかたしく)

 

 糒は「ほしひ」とルビがある。干し飯のこと。炊いたご飯を干して乾燥させたもので、水で戻して食べる。携帯食にもなるし、夏の食欲不振の時にも良い。

 西施はウィキペディアに、

 

 「越王勾践が、呉王夫差に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。」

 

とあり、呉への旅に干し飯を水で戻して食うと、呉に献上された西施のことが思い出される。

 

無季。

 

十句目

 

   水糒西施が影をこぼすらん

 蘭にふれたる紫の汗       其角

 (水糒西施が影をこぼすらん蘭にふれたる紫の汗)

 

 西施なら汗だって普通ではないだろうということで、蘭に触れて紫の汗をこぼすのではないか、「らん」と一応推量にしておく。

 

無季。「蘭」は植物、草類。

 

十一句目

 

   蘭にふれたる紫の汗

 寝語の小杉音なく宵過て     千之

 (寝語の小杉音なく宵過て蘭にふれたる紫の汗)

 

 寝語は「ねがたり」か。「語る」は古代に性交を仄めかす言葉としても用いられる。

 小杉は小杉原という鼻紙の意味もあり、ここでは小杉原で汗を拭うと紫に染まるということか。

 

無季。「小杉」は植物、木類。

 

十二句目

 

   寝語の小杉音なく宵過て

 さみだれ座敷蛙這来ル      其角

 (寝語の小杉音なく宵過てさみだれ座敷蛙這来ル)

 

 五月雨の座敷は静かで、庭の木の小杉の音もなく、蛙だけがやって来る。

 五月雨の蛙は、

 

 蛙なく沼の岩垣波こえて

     水草うかるる五月雨の頃

              洞院実泰(風雅集)

 

の歌がある。

 

季語は「五月雨」で夏、降物。「座敷」は居所。

 

十三句目

 

   さみだれ座敷蛙這来ル

 住ム人も志賀の古城やよむかし  千之

 (住ム人も志賀の古城やよむかしさみだれ座敷蛙這来ル)

 

 志賀の都は歌にも詠まれているが、志賀の古城は特にどこということでもないのだろう。戦国時代の城は信長の安土城、秀吉の長浜城、光秀の坂本城、などが有名だが、その他にも中世から含めるとたくさんある。

 古城の荒れ果てた座敷は蛙が鳴くのみ。

 

無季。「人」は人倫。「志賀」は名所。

 

十四句目

 

   住ム人も志賀の古城やよむかし

 石山の秋ノ月三井の晩鐘     其角

 (住ム人も志賀の古城やよむかし石山の秋ノ月三井の晩鐘)

 

 石山秋月、三井晩鐘はともに近江八景で、他には勢多夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪がある。

 ウィキペディアには、

 

 「明応9年(1500年、室町後期)に近江国に滞在した元・関白の近衛政家(公家)が、当地にちなんでの和歌八首を詠んだ、とする史料[1]もあるが、当時の政家の日記『後法興院記』の調査により、政家が近江に滞在して近江八景の和歌を詠んだとされる明応9年8月13日(1500年9月16日)は、外出せず自邸にこもっていたことが判明している。

 また、江戸後期の歌人・伴蒿蹊は、慶長期の関白・近衛信尹自筆の近江八景和歌巻子を知人のもとで観覧し、その奥書に、現行の近江八景と同様の名所と情景の取り合わせに至る八景成立の経緯が紹介されている。」

 

とある。

 瀟湘八景がもとになっていて、瀟湘夜雨→唐崎夜雨、平沙落雁→堅田落雁、煙寺晩鐘→三井晩鐘、山市晴嵐→粟津晴嵐、江天暮雪→比良暮雪、漁村夕照→勢多夕照、洞庭秋月→石山秋月、遠浦帰帆→矢橋帰帆となる。

 石山秋月は、

 

 石山や鳰の海てる月かげは

     明石も須磨もほかならぬ哉

              近衛政家

 

 三井晩鐘は、

 

 思ふその暁ちぎるはじめとぞ

     まづきく三井の入あひの声

              近衛政家

 

になる。前句の「古城やよむかし」を「古城や、詠むかし」と取り成し、近衛政家のこととしたか。

 

季語は「秋ノ月」で秋、夜分、天象。「石山」「三井」は名所。

 

十五句目

 

   石山の秋ノ月三井の晩鐘

 尺八に棹さす露の丸木舟     千之

 (尺八に棹さす露の丸木舟石山の秋ノ月三井の晩鐘)

 

 琵琶湖というと丸子船で、コトバンクの「世界大百科事典 第2版「丸子船」の解説」に、

 

 「丸船ともいう。おそらく中世末期ないし近世初頭のころから近年に至るまで,琵琶湖で用いられてきた特異な小型~中型船(50石~200石程度)。若狭湾(敦賀,小浜)から峠を越えて琵琶湖経由で京・大坂に至るルートは,日本海岸各地と畿内を結ぶ物資流通の大動脈であったが,この湖上を南北に縦断する航路の主役がこの船であった。その外観上最大の特徴は,船首部の形状にある。すなわち,おけや樽をつくるように,下方をややすぼめた短冊形の板を,縫釘(ぬいくぎ)で円筒形にはぎ合わせ,ちょうど縦半割りにしたおけのような形の船首をつくる(船名の由来)。」

 

とある。

 これに乗って遊ぶのは普通だが、あえてわざとボケて原始的な丸木舟にする。

 

季語は「露」で秋、降物。「丸木舟」は水辺。

 

十六句目

 

   尺八に棹さす露の丸木舟

 遊子おどりの国ヲ尋ヌル     其角

 (尺八に棹さす露の丸木舟遊子おどりの国ヲ尋ヌル)

 

 遊子は旅人の意味だが、ここでは念仏踊りを広めた遊行上人か。踊りを広めるために諸国を旅する。

 

季語は「おどり」で秋。旅体。「遊子」は人倫。

 

十七句目

 

   遊子おどりの国ヲ尋ヌル

 花日々に老は娘の手を引て    千之

 (花日々に老は娘の手を引て遊子おどりの国ヲ尋ヌル)

 

 花の季節ならお伊勢参りであろう。伊勢踊りの国を尋ねる。

 

季語は「花」」で春、植物、木類。「娘」は人倫。

 

十八句目

 

   花日々に老は娘の手を引て

 松ある隣リ羽かひに行      其角

 (花日々に老は娘の手を引て松ある隣リ羽かひに行)

 

 「羽かひ」は字数からして「はがひ」ではなく「はねかひ」であろう。老人が女の子を連れて羽根つきの羽根を買いに行く。

 花に松は、

 

 ふか緑ときはの松の影にゐて

     うつろふ花をよそにこそ見れ

              坂上是則(後撰集)

 

の歌がある。

 

季語は「羽」で春。「松」は植物、木類。

二表

十九句目

 

   松ある隣リ羽かひに行

 百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに   其角

 (百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに松ある隣リ羽かひに行)

 

 「綺羅」には「きら」とルビがある。

 百千鳥は古今伝授三鳥の一つで、

 

 ももちどりさへづる春は物ことに

     あらたまれとも我ぞふり行く

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌に詠まれている。

 諸説あるが、不特定多数の鳥の鳴く様だとも言う。

 轡は遊女屋の主人のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「轡・銜・勒」の解説」に、

 

 「⑤ 遊女をかかえておく家。遊女屋。また、その家の主人。くつわや。ぼうはち。

  ※仮名草子・仁勢物語(1639‐40頃)下「此の女思ひ侘びて揚屋(あげや)へ行く〈略〉集ひて殿達の御出なれば、轡(クツハ)出て、奥に誘(いざな)ひ入れて退きぬ」

 

とある。

 百千鳥は遊女たちの比喩で、正月にきらびやかな服を着せてやり、羽根を買いに行く。

 

季語は「百千鳥」で春、鳥類。恋。「轡」は人倫。「仕着せ」は衣裳。

 

二十句目

 

   百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに

 雨なかだちて燕ヲ假ル      千之

 (百千鳥轡が仕着せ綺羅やかに雨なかだちて燕ヲ假ル)

 

 「燕ヲ假ル」には「さかもりをかる」とルビがある。

 コトバンクの「デジタル大辞泉「燕楽」の解説」に、

 

 「中国で、古代から宴会の席で演奏した音楽。各時代の新しい流行や、西域から移入された胡楽こがくなどを取り入れたもの。儀式のときの雅楽に対して俗楽ともいった。」

 

とあり、宴楽を燕楽とも書き、酒盛りの音楽になる。燕だけだと宴のことになり、「さかもり」と訓じる。

 雨で客の少ない時は、うちわで宴会をやるということか。

 

無季。恋。「雨」は降物。

 

二十一句目

 

   雨なかだちて燕ヲ假ル

 年咄し今宵廬山の夜に似タリ   其角

 (年咄し今宵廬山の夜に似タリ雨なかだちて燕ヲ假ル)

 

 廬山の夜は白楽天の「廬山夜雨草庵中」であろう。

 

   廬山草堂夜雨独宿  寄牛二李七庾三十二員外 白楽天

 丹霄攜手三君子 白髪垂頭一病翁

 蘭省花時錦帳下 廬山夜雨草庵中

 終身膠漆心応在 半路雲泥跡不同

 唯有無生三味観 栄枯一照両成空

 

 朝焼けの空に手を取り合った三人の君子、

 白髪を頭から垂らした一人の病気の老人。

 蘭省とも呼ばれる尚書省は花盛りで錦の帳の下。

 廬山では雨降る夜の草庵の中。

 生涯膝を突き合わせると心に誓ってはいたが、

 途中で雲泥の差がついてしまった。

 何一つ変わったわけではない、

 栄えるも衰えるも結局一緒で最期は空になる。

 

 「年咄し」はこれだと年寄りの繰り言というような意味か。

 昔の友は出世して酒宴を開き、自分は草庵に籠って、栄枯も一炊の夢と自分を慰めている。

 

無季。「今宵」は夜分。「廬山」は名所、山類。

 

二十二句目

 

   年咄し今宵廬山の夜に似タリ

 毛-吹崑-山に名を晒スラン    千之

 (年咄し今宵廬山の夜に似タリ毛-吹崑-山に名を晒スラン)

 

 毛吹は松江重頼の『毛吹草』に、虎の皮の毛を吹いて皮の傷を探す、という喩えで、人のあら捜しばかりしていると、却って足元を掬われるという意味。

 崑-山は崑崙山のことで天帝のいる所。

 今を時めくスターもいれば、ただのヒキニートもいる。成功した人を妬んでディスってばかりいても、却って自分の名を晒されることになる。何だか今のネットみたいだ。白楽天を見習えということか。

 

無季。「崑-山」は山類。

 

二十三句目

 

   毛-吹崑-山に名を晒スラン

 木がらしに浪士の市の彳     其角

 (木がらしに浪士の市の彳毛-吹崑-山に名を晒スラン)

 

 彳は「たたずまひ」とルビがある。

 木枯らしの吹く市場に浪士が一人佇んでいても、完全に浮いてしまっている。

 出世争いて、人を誹謗中傷してばかりいたら逆にその場にいられなくなり、牢人に身を落としたのだろう。

 せめて剣の腕でも立てば、近代の時代劇の主人公だが。

 

季語は「木がらし」で冬。「浪士」は人倫。

 

二十四句目

 

   木がらしに浪士の市の彳

 囘火消の霜さやぐ松       千之

 (木がらしに浪士の市の彳囘火消の霜さやぐ松)

 

 火消はウィキペディアに、

 

 「消防組織としての火消は、江戸においては江戸幕府により、頻発する火事に対応する防火・消火制度として定められた。武士によって組織された武家火消(ぶけびけし)と、町人によって組織された町火消(まちびけし)に大別される。武家火消は幕府直轄で旗本が担当した定火消(じょうびけし)と、大名に課役として命じられた大名火消(だいみょうびけし)に分けて制度化されたため、合わせて3系統の消防組織が存在していた。」

 

とある。

 囘火消は「まはりびけし」でいいのか、よくわからない。火事場見廻(かじばみまはり)というのがあるから、それのことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「火事場見廻」の解説」に、

 

 「〘名〙 江戸幕府の職名。享保六年(一七二一)設置。若年寄の支配。江戸に火災の発生した際、風下にあたる武家屋敷、また寺社、町方へも出役し、消火の指揮をとるとともに、焼け跡を見回り、出火原因、被害状況を調査報告し、定火消(じょうひけ)しの火事場での勤務状況をも監察した。

  ※禁令考‐前集・第三・巻二九・享保九年(1724)正月一八日「出火之節、風下之屋敷方并寺社町等迄火事場見廻り之面々打廻り、防之儀差引いたし」

 

とある。

 この時代はまだこの制度はなく、その前身となる囘火消は牢人が雇われていたのかもしれない。

 焼け跡となったところは風の遮るものもなく、木枯らしが身にしみ、松も悲しげな音を立てる。

 

季語は「霜」で冬、降物。「松」は植物、木類。

 

二十五句目

 

   囘火消の霜さやぐ松

 経よはる御魂屋のきりぎりす   其角

 (経よはる御魂屋のきりぎりす囘火消の霜さやぐ松)

 

 「御」には「おおん」とルビがあり、王朝時代の「おほん」みたいな言い回しだが、「おたまや」のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御霊屋」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「お」は接頭語) 先祖の霊や貴人の霊をまつっておく殿堂。霊廟(れいびょう)。みたまや。

  ※俳諧・三日月日記(1730)「ふるき都に残るお魂屋 くろからぬ首かきたる柘の〈芭蕉〉」

 

とある。例文にあるのは「破風口に」の巻十句目の

 

   挈帚驅倫鼡

 ふるき都に残るお魂屋      芭蕉

 

の句だ。元禄五年夏の素堂との和漢両吟。ここでは火事で死んだ人の遺体安置所であろう。経読む声が夜も更けて弱まってくると、霜置く野原のコオロギの声が弱ってゆくみたいだ。この時代のキリギリスはコオロギのこと。

 霜に弱る虫の音は、

 

 虫の音もほのかになりぬ花薄

     秋の末葉に霜やおくらむ

              源実朝(続古今集)

 風寒み幾夜もへぬに虫の音の

     霜より先に枯れにけるかな

              具平親王(玉葉集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

二十六句目

 

   経よはる御魂屋のきりぎりす

 夕べは秋の後鳥羽さびしき    千之

 (経よはる御魂屋のきりぎりす夕べは秋の後鳥羽さびしき)

 

 「夕べは秋」といえば、

 

 見渡せば山もとかすむ水無瀬川

     夕べは秋となに思ひけむ

              後鳥羽院(新古今集)

 

の歌で、元は春の歌だが、コオロギの声の衰えてゆけば後鳥羽院もやはり寂しいと思うことには変わりない。秋の夕暮れも寂しいが、春の水無瀬の夕暮れも寂しい。

 

 秋もまだ浅きは雪の夕べかな   心敬

 

の連歌発句もある。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十七句目

 

   夕べは秋の後鳥羽さびしき

 秬の葉に涙をあまる夷衣     其角

 (秬の葉に涙をあまる夷衣夕べは秋の後鳥羽さびしき)

 

 秬は「きび」、夷は「ひな」とルビがある。夷衣は特に蝦夷とは関係なさそうだ。陸奥のしのぶもぢ摺りのことか。染料を石の上で擦りつけるだけの原始的な摺り初めの衣で、その不規則な模様が「乱染め」と呼ばれたのだろう。

 

 陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに

     乱れそめにしわれならなくに

              河原左大臣(古今集)

 

の歌は百人一首でもよく知られている。

 辺りは米もなく黍が実るだけで淋しい。王朝時代の陸奥に流された人の情であろう。

 

季語は「秬」で秋、植物、草類。「夷衣」は衣裳。

 

二十八句目

 

   秬の葉に涙をあまる夷衣

 まま子烏の寐に迷ふ月      千之

 (秬の葉に涙をあまる夷衣まま子烏の寐に迷ふ月)

 

 烏はしばしば僧の意味で用いられる。継子故にお寺に預けられるというのも、よくあることだったのだろう。遠く旅をして、泊る所も定まらない。

 

 ことの葉はつゐに色なきわが身かな

     むかしはまま子いまはみなし子

              心敬

 

の歌もある。心敬もまた応仁の乱の頃に東国に下っている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「まま子」は人倫。「烏」は鳥類。

 

二十九句目

 

   まま子烏の寐に迷ふ月

 盗人をとがむる鎗の音ふけて   其角

 (盗人をとがむる鎗の音ふけてまま子烏の寐に迷ふ月)

 

 泊めてもらおうと館に行くと、槍を持った衛兵がいて、泥棒と間違えられる。中世の連歌師の旅ならありそうだ。

 

無季。「盗人」は人倫。

 

三十句目

 

   盗人をとがむる鎗の音ふけて

 胴の間寒き波の夜嵐       千之

 (盗人をとがむる鎗の音ふけて胴の間寒き波の夜嵐)

 

 足軽などの身に付けている胸から腹にかけて覆うだけの胴鎧であろう。槍を以て夜の番をしていると、海から吹いてくる嵐の風が寒い。

 

季語は「寒き」で冬。「胴」は衣裳。「波」は水辺。「夜嵐」は夜分。

二裏

三十一句目

 

   胴の間寒き波の夜嵐

 年と日と賤のつま薪よみ尽ス   千之

 (年と日と賤のつま薪よみ尽ス胴の間寒き波の夜嵐)

 

 薪は「まき」とルビがある。

 山奥の貧しい家庭の妻が必要な量の薪をきちんと振り分けて、一年でこれだけだから、一日で使う薪はここまでと決めている。寒いからって最初にがんがん使ってしまうと夜が寒い。

 

無季。「賤のつま」は人倫。

 

三十二句目

 

   年と日と賤のつま薪よみ尽ス

 うさきを荷ふ越の山業      其角

 (年と日と賤のつま薪よみ尽スうさきを荷ふ越の山業)

 

 業に「わざ」とルビがある。

 夫はウサギ狩りに行き、妻は薪の管理をする。

 越にウサギは越後兎の縁がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「越後兎」の解説」に、

 

 「〘名〙 東北地方、日本海側地方にすむノウサギの一亜種。季節により体色を変え、夏は灰褐色で黒みを帯び、冬は白色で耳の先だけ黒い。保護色の好例。とうほくのうさぎ。しろうさぎ。

  ※俳諧・犬子集(1633)一七「白き物こそ黒くなりけれ 古筆は越後兎の毛でゆひて〈貞徳〉」

 

とある。

 

無季。「うさき」は獣類。「山業」は山類。

 

三十三句目

 

   うさきを荷ふ越の山業

 剣術を虚谷に習ふ時は      千之

 (剣術を虚谷に習ふ時はうさきを荷ふ越の山業)

 

 虚谷は「こだま」、時は「よりより」とルビがある。折々という意味。

 越後兎から「名人越後」と呼ばれた冨田重政への展開か。冨田重政は越前朝倉氏の家臣だったが、越後の守だったため越後と呼ばれている。

 ここでは本人の逸話というわけではなく、越後のように剣を極めるために山に籠って修行をすれば、ということだろう。

 「よりより」は『古今集』仮名序に、

 

 「この人々(人麿赤人)をおきて、又すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。」

 

の用例があり、和歌では、

 

 妹がくる糸井の里のたまき山

     よりよりここに宿りぬるかな

              藤原為家(夫木抄)

 あはれなりよりより知らぬ野の末に

     かせぎを友になるる棲家は

              西行法師(山家集)

 

の用例がある。糸をよるに掛けて用いる。

 

無季。「虚谷」は山類。

 

三十四句目

 

   剣術を虚谷に習ふ時は

 有朋自遠方来          千之

 (剣術を虚谷に習ふ時は有朋自遠方来)

 

 返り点がふってあって「朋(とも)遠方より来れること有」と読む。

 論語の有名な言葉で、「不亦楽乎」と続くき、普通は「朋あり遠方より来たるまた楽しからずや」と読む。下句の形にあわせて、返り点を振り直したのだろう。

 和歌の形にすると、

 

 剣術を虚谷に習ふ時は

     朋遠方より来れること有

 

と二句一章になる。

 

無季。「朋」は人倫。

 

三十五句目

 

   有朋自遠方来 

 花に粮空嚢に銭をはたくらん   其角

 (花に粮空嚢に銭をはたくらん有朋自遠方来)

 

 粮は「かて」。

 遠方より友は花見にやってきた。空嚢はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「空嚢」の解説」に、

 

 「① 物が入っていない袋。からの袋。

  ※露団々(1889)〈幸田露伴〉一七「風は空嚢(クウノウ)を揚げ、説は愚人を動かすだ」 〔劉駕‐送友下第遊鴈門詩〕

  ② 財布に金銭の入っていないこと。また、その財布。〔広益熟字典(1874)〕

  ※怪化百物語(1875)〈高畠藍泉〉下「今朝は忽ち空嚢となって」

 

とある。②の意味で、なけなしの金をはたいて旅の食料を買ったということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。旅体。

 

三十六句目

 

   花に粮空嚢に銭をはたくらん

 蛤處々のやまぶきヲ焼      其角

 (花に粮空嚢に銭をはたくらん蛤處々のやまぶきヲ焼)

 

 大した金も持ってないので、花見の酒の肴に蛤を拾い、山で取れた蕗と一緒に焼く。

 

季語は「蛤」で春、水辺。「やまぶき」は植物、草類。