「夏馬の遅行」の巻、解説

初表

 夏馬の遅行我を絵に見る心かな  芭蕉

   変手ぬるる瀧凋む瀧     麋塒

 蕗の葉に酒灑竹の宿黴て     一晶

   弦なき琵琶にとまる黄鳥

 面洗ふ朧の鏡などとては

   さくらは二十八計けん

 

初裏

 きさらぎや武者物語申上

   後家御寮雨の御簾の居がくれ

 かくとても旅ねは少し矢背の里

   更てはるかに門たたくおと

 斯る雪詩を買に来る人あらん

   一爐の粥に江の焼屋舟

 国荒て憎しと薄肥にけり

   暮風鎮ムル偸の宮

 クツワ子が鞘巻望む月照せ

   妹萩米也もうき世萬葉

 花あはせ櫻は判をしりぞいて

   燕尾は風の裾をかへす也

 

 

二表

 陽炎の具殿屋作る日の大工

   嫁に嫁咲百年の粟

 今朝の今朝のうかれ道者の袖を引

   櫛のり坂の清水濁るな

 血に染まる甲を松にかけ置て

   餅を拝する大年の例

 長史なる乞食は京の栄艸

   千本をふとる牛藁の糞

 崩たる頸は又鳥の媚をかり

   古佛の腹に仮寝せし月

 身をしぐれ荒山伏の袖ぬれて

   俤白雲の后こがるる

 

二裏

 ちぎり守牡丹は昼のかがり火に

   白袋袖躍あやめ髪結

 我ほめる乙聟ばかり雨降な

   夕影長者旦まつらん

 九ツの鼎に赤き花を練

   序を書残す藤の文橋

 

      参考;『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 夏馬の遅行我を絵に見る心かな  芭蕉

 

 画題にもなっている老子騎牛図や、杜甫・杜牧・蘇軾などの中国文人の騎驢図をイメージしたものであろう。(ネット上の中村真理さんの「俳諧における驢馬─旅する詩人の肖像」、関西大学学術リポジトリ参照)

 ただ、牛や驢馬に乗る習慣のない日本の現実では、騎乗といえば街道の乗掛馬で、夏場だと馬もばててるのかゆっくりと進む。

 自分を絵に描いてくれるなら、乗掛馬に乗る騎馬図になるのだろうな、というところか。

 この句は後に、

 

 馬ぼくぼく我を絵に見る夏野かな 芭蕉

 

の形に改作されている。

 

季語は「夏馬」で夏、獣類。旅体。「我」は人倫。

 

 

   夏馬の遅行我を絵に見る心かな

 変手ぬるる瀧凋む瀧       麋塒

 (夏馬の遅行我を絵に見る心かな変手ぬるる瀧凋む瀧)

 

 乗掛馬なので宿場に着くと馬を替える。甲州街道は山の中を通るので、宿に近い所に瀧があり、そこで今まで乗ってきた馬を洗っているが、その瀧も枯れかけている。

 江戸から今の都留あたりにある谷村に来る時に見た風景だろう。

 

季語は「凋む瀧」で夏、山類、水辺。旅体。

 

第三

 

   変手ぬるる瀧凋む瀧

 蕗の葉に酒灑竹の宿黴て     一晶

 (蕗の葉に酒灑竹の宿黴て変手ぬるる瀧凋む瀧)

 

 「酒灑竹」は「さけそそぐたけ」。蕗の葉を肴に竹に酒をそそぐ宿はかび臭い匂いがする。山の中の家に留まり、近くの滝で交替で体を洗う。

 

季語は「蕗の葉」で夏。「宿」は居所。

 

四句目

 

   蕗の葉に酒灑竹の宿黴て

 弦なき琵琶にとまる黄鳥

 (蕗の葉に酒灑竹の宿黴て弦なき琵琶にとまる黄鳥)

 

 作者名がないが順番からすると芭蕉。

 前句を陶淵明のような隠士の家とする。

 陶淵明は弦のない琴を撫でていたという伝説がある。『荘子』の斉物論の、昭文のような後世にまで名を残すような琴の名人の演奏でも、ひとたび音を出してしまえば、演奏されなかった無数の音がそこなわれるという考え方をふまえて、弦のない琴は無限の音の奏でるといった意味で作られた話であろう。

 黄鳥は高麗鶯のことで、漢詩にはよく登場する。ここでは「うぐひす」と読む。

 

季語は「黄鳥」で春、鳥類。

 

五句目

 

   弦なき琵琶にとまる黄鳥

 面洗ふ朧の鏡などとては

 (面洗ふ朧の鏡んどとては弦なき琵琶にとまる黄鳥)

 

 順番からすれば麋塒。

 「面」は「つら」。顔を洗う時の朧の鏡、つまり映りの悪い鏡もまた弦なき琵琶と同じ心で、理想の自分の姿を映すのではないか、とする。

 

季語は「朧」で春。

 

六句目

 

   面洗ふ朧の鏡などとては

 さくらは二十八計けん

 (面洗ふ朧の鏡などとてはさくらは二十八計けん)

 

 順番からすれば一晶。

 二十八という数字には二十八宿、二十八部衆などがあるが桜との関係がわかりにくい。

 

季語は「さくら」で春、植物、木類。

初裏

七句目

 

   さくらは二十八計けん

 きさらぎや武者物語申上

 (きさらぎや武者物語申上さくらは二十八計けん)

 

 順番からすれば芭蕉。

 『武者物語』は松田秀任で承応三年(一六五四年)刊。「三十六計逃げるに如かず」という諺があるが、武者物語だから二十八の計略としたか。

 

季語は「きさらぎ」で春。

 

八句目

 

   きさらぎや武者物語申上

 後家御寮雨の御簾の居がくれ

 (きさらぎや武者物語申上後家御寮雨の御簾の居がくれ)

 

 順番からすれば麋塒。

 御寮(ごれう)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《家督・配偶などの、料となるべき人(候補者)の意。「寮」は当て字》

  1 「御寮人」の略。「嫁―」

  2 貴人またはその子息・息女をいう尊敬語。人名の下に付いて接尾語的にも用いる。

  「―きこしめして」〈曽我・三〉

  「万寿―」〈太平記・一〇〉」

 

とある。御簾の後に隠れている後家さんに敬称を付けて、武者物語を申し上ぐる。

 

無季。「後家」は人倫。「雨」は降物。「御簾」は居所。

 

九句目

 

   後家御寮雨の御簾の居がくれ

 かくとても旅ねは少し矢背の里

 (かくとても旅ねは少し矢背の里後家御寮雨の御簾の居がくれ)

 

 順番からすれば一晶。

 「矢背」は京の八瀬。ウィキペディアに、

 

 「村伝によると、古来より八瀬は「矢脊」と称し、壬申の乱の折、この地で天武天皇が背中に矢傷を負ったという故事に由来するといわれているが、歴史学的な見地から否定されている。また、七瀬・余瀬・美濃瀬など、八瀬川には急な「瀬」が多いことから「八瀬」と称したともいわれる。延喜年中(901年 - 923年)より「八瀬」表記に改められた。」

 

とある。比叡山の下にある。現代だと比叡山のケーブルカーの乗り場がある。

 比叡山に参詣にきた偉い後家さんが麓の八瀬の里に宿を取る。

 

無季。旅体。「里」は居所。

 

十句目

 

   かくとても旅ねは少し矢背の里

 更てはるかに門たたくおと

 (かくとても旅ねは少し矢背の里更てはるかに門たたくおと)

 

 順番からすれば芭蕉。

 比叡山の麓で宿泊して、夜更けに門を叩く音がする。推敲の語源になった「僧推月下門」か。

 

無季。「更て」は夜分。

 

十一句目

 

   更てはるかに門たたくおと

 斯る雪詩を買に来る人あらん

 (斯る雪詩を買に来る人あらん更てはるかに門たたくおと)

 

 順番からすれば麋塒。

 雪の夜更けにわざわざ詩を買いに来る人がいるのだろうか、門を叩く音がする。

 

 詩あきんど年を貪ル酒債哉    其角

 

を踏まえたものか。

 

季語は「雪」で冬、降物。「人」は人倫。

 

十二句目

 

   斯る雪詩を買に来る人あらん

 一爐の粥に江の焼屋舟

 (斯る雪詩を買に来る人あらん一爐の粥に江の焼屋舟)

 

 順番からすれば一晶。

 一爐(いちろ)は囲炉裏のことか。焼屋舟(たきやぶね)はよくわからない。

 

無季。「江」は水辺。

 

十三句目

 

   一爐の粥に江の焼屋舟

 国荒て憎しと薄肥にけり

 (国荒て憎しと薄肥にけり一爐の粥に江の焼屋舟)

 

 順番からすれば芭蕉。

 『校本芭蕉全集 第三巻』に「この字体紛わし。或は雁か。」とある。確かに薄と雁の草書は似てなくもない。

 前句を飢饉の際の炊出し(施行)としたか。延宝九年刊『俳諧次韻』の「春澄にとへ」の巻八十九句目に、

 

   道さまたげに乞食塒す

 霜下て更行里の粥配       其角

 

の句がある。

 飢饉ならば「国荒て」ということになる。稲は実らないのにススキが穂をつけて綿毛で膨らんで見えるのが妬ましいということか。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

十四句目

 

   国荒て憎しと薄肥にけり

 暮風鎮ムル偸の宮

 (国荒て憎しと薄肥にけり暮風鎮ムル偸の宮)

 

 順番からすれば麋塒。

 「偸」は「ぬすびと」と読む。宮だから、非業の死を遂げた盗人を祀った神社のことだろうか。夕暮れの風がその魂を鎮める。

 

無季。ひょっとして「暮風」は「暮秋」の間違いか。神祇。

 

十五句目

 

   暮風鎮ムル偸の宮

 クツワ子が鞘巻望む月照せ

 (クツワ子が鞘巻望む月照せ暮風鎮ムル偸の宮)

 

 順番からすれば一晶。

 「くつわ子」はは京都島原の下級遊女、轡女郎のことだろう。

 「鞘巻(さやまき)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 腰刀の一種。古く、鍔(つば)のない短刀の鞘に葛藤(つづらふじ)の蔓などを巻きつけたもの。中世には、鞘に巻きつけた形の刻み目をつけた漆塗となった。白鞘巻・黒鞘巻・海老鞘巻・木鞘巻などがある。そうまき。

  ※高野本平家(13C前)一「大なる鞘巻(サヤマキ)を用意して、束帯のしたにしどけなげにさし」

  ② 刀の鞘を巻く人。〔色葉字類抄(1177‐81)〕」

 

とある。

 轡女郎が短刀をもって盗人の墓所に奉納するということか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「クツワ子」は人倫。

 

十六句目

 

   クツワ子が鞘巻望む月照せ

 妹萩米也もうき世萬葉

 

 順番からすれば芭蕉。

 「妹萩米也(いもはぎめや)」は前句の轡女郎の源氏名が萩で、それを「妹」と呼んで、万葉仮名っぽくしたのか。ちょっと江戸後期の国学の匂いがする。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。恋。

 

十七句目

 

   妹萩米也もうき世萬葉

 花あはせ櫻は判をしりぞいて

 

 順番からすると麋塒。

 前句の萬葉から歌合せ、花合せという発想なのだろう。花と花の競う花合せなら桜は正花にならないので参加することはできない。判者をしりぞくことになる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「櫻」も植物、木類。

 

十八句目

 

   花あはせ櫻は判をしりぞいて

 燕尾は風の裾をかへす也

 

 順番からすれば一晶。

 燕尾(えんび)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 燕(つばめ)の尾。

  ② 冠に付属する纓(えい)の一種。纓尻(えじり)が円形である纓をいう。中世以来、加冠の際に用いる。

  ※江家次第(1111頃)二〇「次加冠立レ座進入、冠者額結二尾一」

  ③ (②を誤用して) 纓(えい)をいう。

  ※咄本・私可多咄(1671)三「昔、法頂のかづく燕尾(エンビ)といふ物をみて、あれはゑぼしといふかととふ者有」

  ④ 鏃(やじり)の形状による名称で、雁股(かりまた)の鏃の一種。

  ⑤ 掛軸の表装で、上部の中央に並べて垂らした二条の細長い布。

  ⑥ =えんびぼう(燕尾帽)〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑦ 南画で、竹の葉の描き方の一法をいう。竹の葉が二枚出ている様のうち、燕の尾に似た方のもの。」

 

とある。纓(えい)はあの百人一首の絵札のお公家さんの頭の後ろに垂らしている飾りの、中世に変化したものなのだろう。

 判者を退いて帰る櫻の烏帽子に燕尾の纓がついている。

 纓というと『俳諧次韻』の「世に有て」の巻八十八句目に、

 

   宮造る虚の匠の名乗して

 熨斗を冠の纓に折かけ      桃青

 

の句がある。

 

季語は「燕」で春、鳥類。「燕尾」「裾」は衣裳。

二表

十九句目

 

   燕尾は風の裾をかへす也

 陽炎の具殿屋作る日の大工

 (陽炎の具殿屋作る日の大工燕尾は風の裾をかへす也)

 

 順番からすれば芭蕉。

 「殿屋(とのや)」は御殿の建物のことか。太陽の大工が陽炎という御殿を立て、燕の貴族が舞う。「具」は物質として形を持つこと。窮理学的な知識を踏まえ、よく作ったという感がある。

 

季語は「陽炎」で春。「殿屋」は居所。「日」は天象。「大工」は人倫。

 

二十句目

 

   陽炎の具殿屋作る日の大工

 嫁に嫁咲百年の粟

 (陽炎の具殿屋作る日の大工嫁に嫁咲百年の粟)

 

 順番からすれば麋塒。

 前句の陽炎の殿屋を天地万物繁栄の家として、百年にわたって夫婦和合五穀豊穣の句とする。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   嫁に嫁咲百年の粟

 今朝の今朝のうかれ道者の袖を引

 (今朝の今朝のうかれ道者の袖を引嫁に嫁咲百年の粟)

 

 順番からすれば一晶。

 「道者」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 道教を修めた者。道士。道人。

  ※十善法語(1775)二「道者より仏法儒道をそしる」 〔劉得仁‐山中尋道人不遇詩〕

  ② 仏道を修めた者。また、仏道修行に志す者。

  ※凌雲集(814)謁海上人〈仲雄王〉「道者良雖レ衆、勝会不レ易レ遇」

  ※正法眼蔵随聞記(1235‐38)三「宗門の語録等、猶真実参学の道者はみるべからず」 〔皇甫冉‐送普門上人〕

  ③ 歌道、茶道などの道を修めた人。その道の専門家。

  ※浮世草子・日本新永代蔵(1713)五「芸者を下に見ん、道者をなじらんとして、基を取うしなひて金銀なき時は、何の芸にても身は過がたし」

  ④ (「同者」「同社」とも書く) 社寺・霊場へ参詣・巡拝する旅人。多く、連れ立ってでかけたことから、道連れ、同伴の者の意ともなった。遍路。巡礼。回国。道衆。

  ※義経記(室町中か)三「百人同者付け奉りて、三の山の御参詣を事故なく遂げ給ふ」

  ⑤ 僧から施主をさしていう称。檀那(だんな)。檀家。

  ⑥ 街道の宿場にいる遊女。また、一般に、遊女。→みち(道)の者。

  ※随筆・麓の色(1768)一「遊女を道者と呼は、駅路に立の名にして」

 

とある。朝から遊女の袖引きもあるのか。

 

無季。恋。旅体。

 

二十二句目

 

   今朝の今朝のうかれ道者の袖を引

 櫛のり坂の清水濁るな

 (今朝の今朝のうかれ道者の袖を引櫛のり坂の清水濁るな)

 

 順番からすれば芭蕉。

 「櫛のり坂」は不明。挿櫛をした遊女の多い坂ということか。「清水濁るな」はそんな中で道徳的なメッセージを込めているようだ。

 

季語は「清水」で夏。

 

二十三句目

 

   櫛のり坂の清水濁るな

 血に染まる甲を松にかけ置て

 (血に染まる甲を松にかけ置て櫛のり坂の清水濁るな)

 

 順番からすれば麋塒。

 前句の清水の濁りを血によるものとする。八王子城合戦で、立てこもっていた婦女子が次々と自害して川が赤く染まったという話から来ているのだろう。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

二十四句目

 

   血に染まる甲を松にかけ置て

 餅を拝する大年の例

 (血に染まる甲を松にかけ置て餅を拝する大年の例)

 

 順番からすれば一晶。

 戦場での正月か。

 

季語は「大年」で冬。

 

二十五句目

 

   餅を拝する大年の例

 長史なる乞食は京の栄艸

 (長史なる乞食は京の栄艸餅を拝する大年の例)

 

 順番からすれば芭蕉。

 長史(ちょうり)はウィキペディアに、

 

 「長吏(ちょうり)とは日本における賎民の呼称の一つで、中世には穢多(かわた)・非人の頭目を指したが、江戸時代には穢多または非人・非人頭を指してその範囲は地域によって差異があった。」

 

とある。

 こうした被差別民が京の繁栄を支えていて目出度く餅を搗いて年を越せるというわけだが、句としては抽象的で、被差別民の生活をリアルに描くいつもの芭蕉らしさが見られない。

 

無季。「長史なる乞食」は人倫。

 

二十六句目

 

   長史なる乞食は京の栄艸

 千本をふとる牛藁の糞

 (長史なる乞食は京の栄艸千本をふとる牛藁の糞)

 

 順番からすれば麋塒。

 京は古代より広い直線道が多く、荷物を運ぶのに牛が使われことが多い。そのため、京の街には牛糞がたくさん落ちていたのだろう。

 前句の栄草を食べて太った牛が藁の混じった糞をあちこちにして、それがまた肥料になる。

 

無季。「牛」は獣類。

 

二十七句目

 

   千本をふとる牛藁の糞

 崩たる頸は又鳥の媚をかり

 (崩たる頸は又鳥の媚をかり千本をふとる牛藁の糞)

 

 順番からすれば一晶。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は梟首(きゅうしゅ)つまり獄門さらし首のこととしている。鈴ヶ森などの刑場でさらされた。

 

無季。「鳥」は鳥類。

 

二十八句目

 

   崩たる頸は又鳥の媚をかり

 古佛の腹に仮寝せし月

 (崩たる頸は又鳥の媚をかり古佛の腹に仮寝せし月)

 

 順番からすれば芭蕉。

 荒れ果てた寺で崩れた仏像の腹を枕に旅寐する。

 芭蕉は『笈の小文』の旅の時に、

 

 丈六にかげろふ高し石の上    芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。旅体。

 

二十九句目

 

   古佛の腹に仮寝せし月

 身をしぐれ荒山伏の袖ぬれて

 (身をしぐれ荒山伏の袖ぬれて古佛の腹に仮寝せし月)

 

 順番からすれば麋塒。

 時雨で雨宿りをした山伏が仏像の腹で仮寝する。お堂で雨宿りしたり、宿のない所でお堂を借りて泊まることはそう珍しい頃ではない。ただ、仏さまには敬意を払うものだろう。

 

季語は「しぐれ」で冬、降物。「身」「荒山伏」は人倫。

 

三十句目

 

   身をしぐれ荒山伏の袖ぬれて

 俤白雲の后こがるる

 (身をしぐれ荒山伏の袖ぬれて俤白雲の后こがるる)

 

 順番からすれば一晶。

 これは、

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして

     峰にわかるる横雲の空

              藤原定家(新古今集)

 

であろう。巫山神女の故事が元になっている。その伝承はウィキペディアに、

 

 「楚の宋玉の「高唐賦」(『文選』所収)序に、楚の懐王が高唐(楚の雲夢沢(中国語版)にあった台館)に遊んだ際、疲れて昼寝していると、夢の中に「巫山の女(むすめ)」と名乗る女が現れて王の寵愛を受けた、という記述がある。彼女は立ち去る際、王に「私は巫山の南の、険しい峰の頂に住んでおります。朝は雲となり、夕べは雨となり(旦為朝雲、暮為行雨)、朝な夕な、この楼台のもとに参るでしょう」と告げた。

 この故事から、「巫山の雲雨」あるいは「朝雲暮雨」は、男女が夢の中で契りを結ぶこと、あるいは男女の情交を意味する故事成語として用いられるようになった。」

 

とある。

 蕪村にも、

 

 雨となる恋はしらじな雲の峰   蕪村

 

の発句がある。

 

無季。恋。「白雲」は聳物。「后」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   俤白雲の后こがるる

 ちぎり守牡丹は昼のかがり火に

 (ちぎり守牡丹は昼のかがり火に俤白雲の后こがるる)

 

 順番からすれば芭蕉。

 赤い牡丹を篝火、白い牡丹を白雲に見立てて、契りを交わした后を思う。

 

季語は「牡丹」で夏、植物、草類。恋。

 

三十二句目

 

   ちぎり守牡丹は昼のかがり火に

 白袋袖躍あやめ髪結

 (ちぎり守牡丹は昼のかがり火に白袋袖躍あやめ髪結)

 

 順番からすれば麋塒。

 和服の袖は大概袋状になっていて袂に物を入れたりするが、「白袋袖躍」は白い袋状の袖で踊るということか。読み方もよくわからない。牡丹園で踊るということか。

 

季語は「あやめ」で夏、植物、草類。「白袋袖」は衣裳か。

 

三十三句目

 

   白袋袖躍あやめ髪結

 我ほめる乙聟ばかり雨降な

 (我ほめる乙聟ばかり雨降な白袋袖躍あやめ髪結)

 

 順番からすれば一晶。

 「乙聟(おとむこ)」は『校本芭蕉全集 第三巻』に「乙子の婿」とある。乙子(おとご)は末子のこと。末子相続は一分の地域で見られたという。前句をその乙聟の衣装とし、乙聟の踊る時にだけは雨降るなということか。

 

無季。「我」「乙聟」は人倫。「雨」は降物。

 

三十四句目

 

   我ほめる乙聟ばかり雨降な

 夕影長者旦まつらん

 (我ほめる乙聟ばかり雨降な夕影長者旦まつらん)

 

 順番からすれば芭蕉。あるいは芭蕉に花を譲って麋塒か。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「夕日の入る所まで自分の田だという長者」とある。地平線まで自分の田だということか。

 前句の乙聟を夕影長者の乙聟とする。

 

無季。「夕影長者」は人倫。

 

三十五句目

 

   夕影長者旦まつらん

 九ツの鼎に赤き花を練

 (九ツの鼎に赤き花を練夕影長者旦まつらん)

 

 「九ツの鼎」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「シナ古代の王位伝承の重器」とある。ウィキペディアには、

 

 「九鼎(きゅうてい)は、古代中国における王権の象徴。」

 

 「九鼎は周王朝37代にわたって保持され、それをもつものがすなわち天子とされた。周が秦に滅ぼされたとき、秦はこれを持ち帰ろうとしたが、混乱のさなか泗水の底に沈んで失われたという。秦朝は新たに玉璽を刻し、これを帝権の象徴とした。」

 

とある。日本で言えば三種の神器のようなものだ。

 「赤き花」は桜ではないようだが、ここでは正花でなくてはならな。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   九ツの鼎に赤き花を練

 序を書残す藤の文橋

 (九ツの鼎に赤き花を練序を書残す藤の文橋)

 

 「藤の文橋」は藤蔓の絡む橋と藤の文の端と掛けているのか。

 

季語は「藤」で春、植物、草類。