ゆきゆき亭日乗2004

12月31日

 大晦日といえばいつもおせち料理作りで、今年はユリ根とくわい(中国産)を煮てみた。珍しく大晦日に雪が降り、テレビで見る高校サッカーもすっかりピッチが真っ白で、ああいうラインが見えないときの判定はどうしているのだろうか。麻布大付属は負けてしまったが、愛媛のオレンジ軍団は頑張った。

  来年もいい年になりますように。

12月30日

 世の中には歌を歌うために生まれてきたような人や、絵を描くために生まれてきたような人、サッカーをするために生まれてきたような人がいて、どんな障壁があっても彼らはそれをやり遂げようとする。それとは別に、世の中には性犯罪を犯すために生まれてきたような人というのもいるのだろうか。そういう人は務所から出ればまたやるのだろう。世の中にはかなえてはいけない夢というのもある。

 『壬生義士伝』をテレビでやっていたが、大河の後に見ると斉藤はどう見ても鴨だし、沖田はどう見ても山南さんだ。CFではサノも出てくるし。

12月25日

 そういえばこの前ラジオで石井竜也が政治や宗教は平和をもたらさなかったけど、芸術だけが平和をもたらすと信じたいと言っていた。

 思うに、政治は国家という排他的共同体の呪縛を逃れることが出来ず、宗教も教団という排他的共同体の呪縛を逃れることが出来ない。戦争というのは共同体から何らかの敵とみなされたものを排除する行為だから、たとえ芸術家の集団であっても、排他的共同体を志向する限り、どんな団体結社も決して平和をもたらすことはない。だから、私ならグローバル市場へと開かれた大衆芸術は平和をもたらす可能性があるが、国家の教育行政に管理された近代芸術は常に戦争に利用される危険があるし、芸術が政治団体や宗教団体に支配されれば、いくら口では平和と民主主義を掲げても、意に反して戦争と独裁への道へそれていってしまうのではないかと思う。芸術はすべての共同体を超える「排除なき共同体」を生み出すときだけ、平和に貢献できるのだと思う。

12月24日

 今日はクリスマスイブだが、仕事で帰りは十時過ぎに。それでも電車は満員で、いつものようにサラリーマンがこれといった表情もなく乗っていて、クリスマスで町がお祭り騒ぎなんてのは、やはりマスコミが作った幻想なのか。結局日本のクリスマスというのは華やかなイルミネーションと子供のプレゼントを取ると、ほとんど実体がないのではないか。

12月23日

 『ハリーポッター アズカバンの囚人』のDVDを見た。シリウスのその後を知っているとちょっと複雑。

12月22日

 昨日はゆきちゃんホームページの引越しで、午前2時までかかった。今度は50メガまで使えるので、大きな写真をたくさん貼れる。

12月12日

 昨日今日と社員旅行だった。こんな時期にというのも事情があるのか。さて、来年はあるのか。日光というと、修学旅行以来でちょっと童心に戻った。

 「新選組!」もついに終わった。やはり大河ドラマはいいなぁ。歴史の勉強にもなるし。そりゃ史実を無視した部分もあるが、馬が小さかったり、そういうところが忠実だったり。チャンバラに頼らずにこれだけドラマを作れる人はそういないだろう。さすがに三谷さんだ。次はクドカンも大河に挑戦してほしいな。

12月5日

 今日はやけに暖かかった。クリスマスのイルミネーションを撮った。

11月30日

 『チキンライス』という歌が結構売れている。ラブソングばかりの今までの日本のクリスマスソングの中にあっては画期的な内容だ。ただ、「今の子供には嫌われるかな」というが、今の子供はバブルの時代を知らないし、「失われた十年」「年収三百万円時代」しか生きてこなかったので、かえって身にしみるのかもしれない。未来に希望がないと努力のし甲斐もないし、貧乏でいいやと思ってしまえば、結局貧乏になるしかなくなる。やはりいつかは七面鳥をという気持ちを持って頑張んなくてはいけないのだろう。チキンライスでも思い切り豪華なチキンライスというのはどうだろうか。米はイタリア米で鶏はウコッケイを使用、ボルチーニ茸のトマトソースにトリュフのトッピングなんてどうだろうか。

11月23日

 トップページをクリスマスバージョンにした。猫のサンタはまたしてもとらねこ庵さんからの借り物で、いつもお世話になっています。バックの模様は折り紙を八つ折にして鋏で切って開いたもので、幼稚園などの子供の遊びとしてよくあるもの。日本の古い言葉では「紋切り型」ともいう。

 アメリカではクリスマス飾りはサンクスギビングデーが終わってからというので、日本なら勤労感謝の日が終わってからかなって単純に考えた。厳密には一日フライングか。

11月14日

 午前中はゆきちゃんの輸液に行った。午後から昨日に続き三ツ沢へ、天皇杯の横浜FC=サンフレッチェ広島戦を見に行った。客の入りは昨日よりはかなり少なく、メインスタンドは値段が高いせいかガラガラだった。

 今日はサポーターの方も気合が入っていて、応援歌の歌詞を書いた紙を配って、バックスタンドの方まで来て手拍子などの協力をお願いして廻っていた。その成果があったか、いつになくバックスタンド側の応援も盛り上がった。横浜FCもそれに答えるかのように、最初から飛ばして、途中でへばるんじゃないかと心配していたが、終始攻め込んでいた。後半40分頃にセットプレーから得点すると、それを守りきって勝った。\(=´∇`=)/

 ところで、『新選組!』はいつからマトリックスになった!?

 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』もついに読み終えた。

11月13日

 法政二高が決勝戦まで勝ち進んだので、三ツ沢に見に行った。相手は麻布大付属淵野辺だった。最初のうちは法政のペースで始まったが、淵野辺のツートップがとにかくスピードがあって、なかなかディフェンスが付いてゆけず、何度も危ない場面があった。一度はクロスバーで辛くも逃れたが、前半はなんとか逃れきった。

 後半は法政ペースで攻めていたのだが、なかなかチャンスを決められず、ディフェンスが攻撃に参加しようとじわじわ上がってきたところを、一発のカウンターで逆に決められてしまった。結局その一点を返すことができず、敗退した。選手達がピッチに崩れこんで泣く場面、これまでテレビでは何度も見たが、目の前で見るとやはりうるうるしてくる。負けたけどいい試合だった。正月は平田と小川の活躍を楽しみにしよう。

11月12日

 駅前にクリスマスのイルミネーションが灯った。霜月やフライング気味のクリスマス。

11月9日

 ゆきちゃんはトイレで踏ん張ろうとすると、おなかに力が入りすぎてしまうのか、肝心な物が出ずに、げろを吐いてしまうときがある。今日の夜は、それがなかなか止まらなかった。ようやくトイレ以外のところで踏ん張って、ウンチは出たけれど、そのあと、足の裏が何か変なのか、ダダダダと地面に足を叩きつける仕草をする。最初は肉球にトイレの砂が詰まっているのかと思ったが、ずいぶん後になってもやっていた。何だろうか。

11月7日

 ようやく『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の上巻が終わった。読者もハリーとともに一年ずつ大人になってゆくことが想定されているようで、最初はのびたみたいだったハリーが魔法の世界ではと超有名人で、並外れた魔法使いの素質があって、大活躍だったが、この歳ともなると、魔法の世界もマグルの世界と同じ不条理に満ち溢れた世界になり、忍耐ということが重要なテーマになってくる。それは、別にあきらめろとか服従しろということではない。自分の尊厳が脅かされれば怒るのは自然なことだし、そうした感情は人間が人間らしく生きるために必要なことだから進化してきたのだが、ただ、そのエネルギーを無駄使いせず、本当に勝算があるときまで貯蓄しておくことも大事だというだけだ。若者に「切れるな!」というのは、本当はそういうことだ。

11月4日

 アメリカは第二の南北戦争に突入してたのか。ハイテクだニューエコノミーだと浮かれてたクリントン時代に取り残された南部の百姓やカウボーイ達が、反乱を起こしたのだろう。「歴史的勝利」というのは南北戦争の雪辱を晴らしたということか。ライバルの足踏みは本当は日本にとってチャンスなのだが、どうもアメリカと心中したがっている人が多いようだ。

11月2日

 『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を借りてきた。頑張って読まなくては。

10月31日

 午前中に目黒へ「猫の肖像画館 原画展」を見に行った。ゆきちゃんの肖像画を描いてくれた葛西のご隠居様や、老猫会のmoomamaさんにも会えた。

 昼食は目黒の「まるあぜ」で熊本ラーメンを食べた。本店はあざみ野の屋台ということで、いつか行かなくちゃ。

 午後から法政二高の学園祭に行った。映画部のサイレンというPVを見た。音楽部のnearpinというバンドは、学園祭バンドには珍しく花のあるボーカルで、去年の七燐とはまたタイプが違っていて良かった。バックホーンをやるバンドがいたらしいが、間に合わなかった。

10月29日

 まだまだ行政の側には、「最低限の生活の保障」という発想があるのか。命が助かっただけありがたいと思えというのだろうか。誰でもいつ災害にあうかわからないのだから、災害に逢ったときでも快適な避難生活が送れるような工夫ってないのだろうか。

 イラクに行くこと自体を悪いとは言わないが、それなりの信念と覚悟は持って行ってほしい。国は違ってもそういうものは通じるもので、だからこそ前につかまったNGOの人たちは帰ってきたのではなかったか。

10月28日

 スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』の下巻が見つからなくて、何軒も廻った。そんなに売れてるのか?。ピンカーの基準だと、俺などは典型的な悲劇的なビジョンを持つ者になるが、逆にいえば、悲劇的に考えられると言うのは、どんな悲劇的な仮定をしても光を見つけられるという自信があるからで、ユートピア的ビジョンを持ちたがる人ほど、ユートピアがないなら人生は底なしの闇だと思っていて、幻想が壊れるのを恐れているのではないか。この世に本当の闇なんてものはない。

10月24日

 今日もゆきちゃんの輸液に行った。夕方には久しぶりにごろごろ言うのを聞いた。『新選組!』のオダジョーはついにちょい役になってしまったか。ゆきちゃんもちょっとがっかりか。それにしてもなぜか8時40分頃突然鳴き出す。芹沢鴨が死んだとき、山南さんの切腹のとき、いいところで突然鳴き出しては緊張感をそいでくれる。

10月23日

 仕事が終わってから神保町へ出た。当然何千円もするような本には手が出ないので、収穫は『山水詩人 謝霊運』500円、『俳諧のこころ─支考「虚実」論を読む』1500円といったところだ。途中、歩いていてもわかるような地震があった。何か酔ったときのように頭がくらくらしているような感じだった。家に帰ってから新潟で大地震があったことを知った。

10月20日

 大雨の降る中だったが、仕事が終わってから渋谷へ出た。ツタヤもタワレコもアジカンの曲ががんがん流れ、アジカンのコーナーがあちこちに出来ていて、売れるというのは凄いことだ。四枚目のフライヤーをとりあえず持ち帰った。

10月17日

 ゆきちゃんがけさ吐いていたが、吐くのはいつものことだが、それが黄緑色だったのでちょっとびっくり。多分胃液に胆汁が混ざっていたのだろう。

 スティーブン・ピンカーの『人間の本性を考える』を読んでいるが、アメリカも最先端と一般大衆との開きが大きいのか、いまだに創造説を信じる人も多く、大衆レベルではイラクのイスラム原理主義者とそう変わらないのか。知識人レベルで白紙説や「高貴な野蛮人説」が人気があるのは、日本でもそう変わらないが、これは単に仏教や神道に強力な天地創造神話がなかったせいか。

 多分科学がいくら進歩しても、人間の能力は遺伝的に変わらないから、科学が高度になればなるほどそれに対応できる人間の比率は少なくなり、多くの大衆は取り残されてしまうのかもしれない。無理にそれを底上げするよりも、むしろ一般人の社会では宗教を基礎とした伝統的な生活を維持し、それに飽き足らない人が都市遊牧民として世界を放浪し、学問・文化・芸能の担い手になるように、棲み分けを確立した方がいいのかもしれない。

10月10日

 デリダが死んでポストモダンも遠くなったというより、哲学そのものが遠くなったというべきか。かつての意識や認識の問題も今や大脳生理学の分野に移り、冷戦構造の崩壊と急速なグローバリゼーションでポストモダンはずいぶん違った形で現実になりつつある。哲学はとっくに死に、その哲学の墓の上で踊っていた最後の哲学者が死んだような気分だ。でも、今感傷に浸っているわけにはいかない。時は止まってはくれないし、次の時代は容赦なくやってくる。

10月4日

 このホームページもようやく一周年を迎えた。それまではいくら書いても誰も読むことのなかった言葉が、とりあえず公開されたわけだが、果たして公開する価値のある言葉だったのか。残念ながらそれを決定するのは俺ではない。読んだ人が決めることだ。

10月3日

 大河ドラマの『新選組!』の斉藤さんの木彫りの謎はかえって深まってしまった。一体あの頭の尖ったのは何の人形なのだろうか。

9月29日

 図書館で借りた『江戸の娘がたり』という本を読んでいたら、吉田松陰が黒船に乗り込もうとしたとき、江戸の花に浮かれる人々を見て嘆いた、「花に酔わぬ人」だったという話が載っていた。なるほどと思った。吉田松陰といえば、韓国・中国だけでなくオーストラリアまで日本の領土にせよと主張し、後の日本の悲惨な侵略戦争の元凶を作った人だ。人の幸せそうな姿を見て、本当は自分もそうなりたいのに、それを妬むことしかできず、もっともらしい思想でその感情を正当化し、平気で人を見下すような、そういうゆがんだ心が結局人を戦争へと駆り立てるのだろう。昨日は名月。仕事で疲れてあまり「月に酔う」という心境にはなれなかったけど、花の心、月の心は忘れないようにしたいものだ。

 いい知らせは、ゆきちゃんの体重が3キロに戻ったことだ。

9月22日

 何やらプロ野球が思わぬ展開になってきたが、パリーグが八球団になったら、東西に地区を分けて、大リーグ流に交流試合をし、東西それぞれの覇者でプレイオフをやるというのはどうだろうか。

 それにして、サッカーなら数億円でもクラブが作れるが、プロ野球の入会金の60億ってどこにどう消えているのだろうか。ストで経済的損失がいくらなんて言われているが、雨の二日も降ったと思えばなんてことないのではないか。ストライキ、日本では死語になったかと思ってた。

9月19日

 ゆきちゃんの体重はとうとう3キロを切った。あまり動かないがのんびり寝そべって、時折ゴロゴロいうので、苦しそうではない。

 青葉トリエンナーレの作品を見て回った。

9月17日

 moomamaさんから流動食のサンプルがたくさん届いた。相変わらず食欲の戻らないゆきちゃんは、いよいよ流動食のお世話か。

 駅前に青葉トリエンナーレの作品が飾られてた。横浜トリエンナーレは来年に延期されてしまったけど、三年前の楽しかった記憶が甦る。

9月16日

 ゆきちゃんはふたたび肝臓の検査をしたが、数値は良くなっていて、一時的なもののようだった。ただ、ゆきちゃんは相変わらずくたーっとている時間が長く、以前のようにうるさく鳴いたりすることはない。

9月14日

 ゆきちゃんの肖像画のオリジナルが届いた。やはり感動ものだ。画像はゆきちゃんHP「ゆきちゃんのこれが猫だ!」の中で公開中。

9月13日

 ゆきちゃんは黄疸が出ていて、肝臓が悪いということだった。猫の黄疸は人間みたいに表に出ないので検査してわかったことで、これでゆきちゃんの薬がまた増えた。二度の点滴で帰ってきたのは夕方の6時。熱は下がったものの、二日前までの大声で鳴く元気は戻ってきてはいない。

9月12日

 昨日の夜中からゆきちゃんは熱を出していたようだ。今朝はシーツの上でおしっこをしていたし、トイレの手前で、トイレの縁をまたげなかったのか、もらしていた。午前中もぐったりと寝ていたので獣医さんのところに行ったら、40度の熱があった。ただ、心臓には異常はなく、血液検査の数値もむしろ前回よりいいくらいだったので、単なる風邪か、歯の炎症かということだった。もう少し若ければ家で寝ていればすぐに直ったのだが、大事をとって一晩入院することになった。

9月11日

 今日はあの同時多発テロ事件から三年目。相変わらずあちこちでテロは起きている。ただ、これらのテロがもし反グローバリズムのために行われているのだとしたら、逆効果だろう。

 反グローバリズムは幕末の攘夷運動のようなもので、最後は必ず挫折する運命にある。黒船がもたらした西洋文明の圧倒的な豊かさと自由の前にして、それに逆らうというのはわざわざ貧しくて不自由な生活を選ぶばかりでなく、それこそが西洋列強の言いなりになる道だったように、グローバリズムのもたらす豊かさと自由を拒むことは誰も幸せにはしない。

 文明を受けいることは、それまでの生活を一変させることで、そこには誰しも抵抗があるかもしれないが、日本の開国が西洋に対抗する道であったように、民主主義と自由経済を受け入れることは、むしろアメリカに対抗する唯一の道といっていいのではないか。

9月9日

 溝の口駅前で、ベストパートナーというフォークデュオがライブをやっていた。別に好みではないが、声はいい。

9月1日

 涼しいときには走り回っていたゆきちゃんも、今日の暑さにまた食欲が落ちた。刺身をやったら何とか食べた。

 今日は防災の日ということで、災害の際にも出る杭は打たれる仮説は有効なようで、災害だからといってもやはりまわりの目を気にし、自分だけ逃げ出したら慌てもんだとか臆病者だとか思われやしないかと思い、結局人間というのは自分だけ助かるよりはみんなと一緒に死ぬならそれでもいいと思うものだ。災害で生き抜くには、結局冷静に状況を見ながらぎりぎりまで平静を装いつつ、いよいよやばいという時にさっと逃げ出すチキンレースに勝利するしかないのかもしれない。

8月29日

 オリンピックももうすぐ終わり。パラグアイが銀で、イタリアが銅ということは結局組み合わせが悪かっただけか。終わってみれば結構善戦してた。日本は後半だいぶペースが落ちたものの、ずいぶんたくさんメダルを取った。人口比でいえば、アメリカ、中国、ロシアに勝っている。今回は「家族」というのが目立った大会だった。湘南の風の歌にもあったが、国家や会社のためではなく、「家族のため」というのが今の日本のキーワードなのか。

 『水無瀬三吟の世界』がようやくコンプリートできた。従来の研究は景物偏重で恋や述懐にほとんどまともに取り合っていなかったので、その穴を埋めてゆくために一石を投じたいのだが、せめて投げる石があれば。

 今回の『新選組』は三谷さんの息抜きか。なかなか楽しんで作ってたみたいだ。

8月27日

 アクセスカウンターが500を越えた。前に大金かけて作った本は100冊しか売れなかったが、ネットならそれより多くの人に届く。本を作る費用にくらべ、パソコン一台の値段がはるかに安いことを思えば、この方がはるかに効率がいい。いい時代になったものだ。

 涼しくなったせいか、ゆきちゃんが今朝は部屋の中を走っていた。走る姿を見るのは何ヶ月ぶりか。まだまだ元気だ。

8月24日

 バレーボールもやはりというか、負けてしまった。中国の「太さ」に負けたというべきか。なんかサッカーと似ていて、ディフェンスは肝心なところでミスし、天才ミッドフィールダー(テンさん)はいるものの、フォワードの今ひとつの決定力不足、これは日本の国民性か。

 今回の日本のメダルラッシュは、いろいろ言われているけど、世界的に冷戦を知らない世代が台頭してきて、グローバルを当たり前のように受け入れて、かつての国威発揚の雰囲気が薄らいだところにあるのではないか。冷戦時代はアメリカとソ連でメダルを独占していた時代があったが、今回はそれほどアメリカもロシアも目立っていない。そこに日本の付け入る隙ができたのではなかったか。とにかく、オリンピックが国家の祭典ではなく、地球の祭典になりつつあるのは良いことだ。

8月21日

 三ツ沢へ横浜FC=川崎フロンターレ戦を見に行った。前にベルナーレ戦を見に行ったときは、まだこれから勝てば昇格をねらえるところにいたが、今となっては全勝しても勝ち点55でかなり苦しい。フロンターレはもう昇格決まったようなものだし、既に消化試合かという感じだ。それでも、オリンピックの最中にもかかわらず4000人も入ったのは、やはり夏休みのせいか。

 前半5分でディフェンスのパスミスからの失点。何かオリンピックのパラグアイ戦のようなやな展開。その後、マシューと早川のゴールで逆転したものの、前半終了間際に追いつかれて同点。後半は最初のうちはいい試合をしていたが、だんだん動きが悪くなり、勝ち越し点を入れられたあたりから試合が壊れ出して、結局5対2で負けた。

8月14日

 お盆休みということもあって、久々にじっくりとオリンピックを見た気がする。やっぱりいいもんだ。ただ、開会式のアメリカのあのベレー帽、まるで占領軍で、あれが受けると思っているのかな。でもまあ、新聞ではイラクの選手と肩を組んでいる写真もあって、本当はみんな平和が一番なんだな。スポーツを見て興奮して騒いでいられるこの平和というのが、本当は一番大事なんだ。

 ソフトボールとバレーボールは初戦を落としたけど、テンさんの凄いプレーは見れたし、柔道では期待通りに二つの金メダルを取ったし、何か子供の頃見たオリンピックのわくわくするような気分がよみがえる一日だった。

8月13日

 最初の失点が最後まで取り返せなかったか。パラグアイの選手の動きも早かった。

 いよいよ明日はオリンピックの開会式。夕飯にスブラキとムサカを作ってみた。1000円のだけどギリシャのワインというのも飲んでみた。

8月12日

 上野の東京都美術館に「よみがえる四川文明」展を見に行った。三星堆遺跡のお面や何かは1998年に世田谷美術館で見たので、そのとき以来の再会だった。今回はそれに金沙遺跡のものが加わっていた。四川文明は長江文明の一角で、日本にもつながるものが何かしらあるのだろう。

 そのあと、国立博物館にも行ってみた。残念ながら本館が改装中で、代わりに普段見ない東洋館に行ってみた。エジプト、メソポタミアから韓国のものまであり、結構楽しめた。ベトナムの古い白磁を見て、普段百円ショップで見るような模様もベトナムの伝統なのだと改めて知った。

 広開土王碑の拓本も展示されていて、今中国が高句麗を中国の王朝だと主張して問題になっているが、この辺の問題も絡んでいるのか。

8月9日

 サッカーのことに、あまり政治家は口出しして欲しくない。負けてサポーターが暴れるのはどこの国でもあることで、ワールドカップの日本ーロシア戦でも、ロシアで日本車を焼いたりしていたし、あのドーハの悲劇の時にも、一部の日本のサポーターがイラク大使館へ行き、国旗を焼いたりしたという。政治家がしゃしゃり出てくると、単なる感情的な爆発が、それだけですまなくなってしまう。

 『新選組』はこれからは一人減り、一人減りで、史実だから「お願い、殺さないで」と言えないのが悲しい。ひとたび仲間内での殺人を肯定した集団は、みんな連合赤軍のような末路をたどるのだろう。ところで、先週のネタだが、土方さんの「うぐいすやはたきの音もついやめる」の句は智月尼の「鶯に手もと休めむながしもと」(『続猿蓑』)の等類では。

 『東京湾景』はまた何のかんの言って見てしまったが、「健介」の韓国読みのローマ字表記はkongeではなく、kongaeではないのか。「残念!」と言いたいところだが、拙者も「こやん」をkoyangではなくkoyanと書いている。よって、切腹!

8月7日

 決勝戦は無事終わり、何とか格の違いを見せることもできただろう。本当のサッカーファンではなく、いわゆる右翼団体のような連中がフーリガンになるのは西洋ではよくあることだが、中国のサッカー文化がそんな汚れたものになってしまったのは残念だ。このブーイングに刺激されて、日本の右翼が対中国戦に乗り込んでくるなんてことがなければいいが。日本=中国戦が第二のドイツ=イングランド戦にならないことを祈る。サッカーはそんな政治的圧力に負けず、ただひたすら自由というゴールを目指してボールを蹴って欲しい。

8月4日

 メガネロック占いとやらをやってみた。「存在証明!」と入れたらアジカンのゴッチになった。結構単純だったりして。

8月3日

 日本の国民性というと、ぱっと咲いてぱっと散る桜のようにあっさりとしているという感じもあったが、日本代表は二試合連続本当に最後まで粘るようになった。中国人のブーイングがばねになったのだろう。この調子で、決勝戦では中国人に暴動を起こさせてやろう!?

 それにしても、昨日の『東京湾景』は、なんか韓国人が悪役で、古い因習にとらわれる韓国人に、自由な日本人みたいな図式ができてしまって、せっかく冬ソナやチョナンカンが韓国を身近にしてくれて、差別意識も過去のものになったかと思っていたのに、やはりそれを面白く思わない人たちがいるのか。

7月25日

 おととい、ゆきちゃんが肘を横に突き出すような変な歩き方をしていたので、今日獣医さんの所へ皮下輸液をしにいったときにその話をしたら、血栓ができてしびれて腕が動かなくなっている疑いがあると言っていた。心臓が悪いだけに、血栓の可能性があり、そのときはすぐに良くなっても、心臓にできた血栓があちこちに飛び散ると、体が麻痺したり、命にも関わる怖い病気だという。これでまたゆきちゃんの薬が増えた。

7月22日

 最近、「河童文学館」という連句のサイトに投句をしている。連歌俳諧の研究とは違い、実践となるとなかなか難しい。練習のつもりで独吟をやってみた。(「鳴く蝉や」の巻は「我楽多」へ移動しました。)

7月18日

 螢の状況説明会に行った。螢の病気の方はとっくに良くなっていて、精神的にもそれほど深刻な事態ではないようだ。まだ若いし、やりたいことを見つければ、また何かすごいことをやってくれるかも。山本伊織さんにも会えた。

7月12日

 選挙結果を見て面白いのは、比例区で党によって政党名投票の多い党、個人名投票の多い党があることだ。政党名投票の比率の高い党は、一位、共産党、二位、新風と左右が並び、なぜか三位が民主党。逆に、個人名投票が政党名投票を唯一(それも大きく)上回ったのが公明党。なお、中村敦夫の得票は荻原健司や喜納昌吉を上回っている。出る党を間違えた?

7月11日

遅ればせながらアクセスカウンターを設置した。悲しい時~。アクセスカウンターが1のままのとき~。

7月9日

 アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの『「知」の欺瞞』を読み終えた。私も昔はフーコーやデリダにはまり、今でも影響は受けているが、「トンデモ本化するポストモダン」はどうにかならないか。

 とはいえ、実は私、高校の数Ⅰで落ちこぼれて以来、数学は大の苦手。

7月5日

 ポルトガル=ギリシャの決勝戦を後半20分くらいからゆきちゃんと一緒に見た。変なやつがピッチに乱入したせいで、ロスタイムが5分もあったが、ギリシャが守りきった。

 最近ラジオでランクヘッドの『プリズム』が流れているが、ジャパハリに続いてなぜか愛媛県人ががんばっている。

7月1日

 半年以上待ったが、螢LIVEは中止になった。螢の病名についても病状についても具体的な情報はなく、どう反応していいのかわからない。

6月27日

 今朝もオランダ=スウェーデン戦を見た。久々に見る壮絶な試合だった。ゆきちゃんは相変わらず食欲に乏しいが、終始ごろごろ言っていた。

 大河ドラマの『新選組』は、ようやく近藤が鬼になった。新選組というとチャンバラのイメージがあるが、暴力シーンに頼らずによくここまで作ったと思う。暴力よりも男性ヌードをというのが一つのテーマなのかもしれない。芹沢の最後はどこか『幽遊白書』のトグロ(漢字を忘れた)弟を思わせる。「礼を言うぞ、沖田」というところか。

 現代もまたグローバリズムという黒船がやって来て、それを諸手を上げて喜ぶ者と頑なに拒む者がいる。おそらく歴史はそのどちらでもなく、グローバル化しながらも各民族・文化圏が独自の色を出して多元化してゆく多元グローバリズムの道を歩むのだろう。そんな中で、国際貢献の名の下に、平和な日本の若者たちがいつ戦場に駈り出されるかもわからない(すでにイラクに駈り出されているといってもいいが)。FFⅧもそんなテーマだったが、平和な中で育った日本の若者たちが戦場で人を殺さざるを得なくなったとき、何を思うのだろうか、そんなことも考えさせられる。

6月26日

 ゆきちゃんの夜鳴きに起こされて、フランス=ギリシャ戦を見た。ゆきちゃんは食欲がなく、いつもの習慣で鳴くのだけど、皿に近づこうともしない。「食べろ、心のまんま」と歌って応援したけど効果はなかった。それにしても、イタリア、ドイツ、スペインの一次リーグ敗退に次いで、イングランド、フランスも敗退し、強豪国神話は過去のものになったか。

 朝刊を見たら、季語の問題のことが載っていた。私は基本的には、今必要なのは規則の変更ではなく緩和だと考えている。「朝顔」や「お盆」を一律に夏にするのではなく、「近年は夏にも用いる」とでもすれば済むことで、夏に決まったら最後、今度は秋の朝顔を詠んではいけないみたいになってしまうことが危険なのだ。

 季節感というのは生活の中から自然に生じてくるもので、それは処によって変わるように、時代によっても変わる。俳句も今や国際化しているから、ロンドンにはロンドンの、パリにはパリの、シドニーにはシドニーの、バンコクにはバンコクの、カイロにはカイロの季語があって良い。日本国内でも、沖縄と北海道で同じ季語を使うのは不合理だ。同じように、中世には中世の、江戸には江戸の、明治には明治の、平成には平成の季語があっていい。その多様性を認めることが大切だ。

 とにかく、一度決めたら何が何でも杓子定規にという官僚的な発想ではいけない。季語の問題もある程度作者が自由に判断しなければいけないことだ。21世紀の俳句革新はまず季題の規制緩和から!

6月14日

 なにやら近鉄がかつてのフリューゲルスのようなことになって、こうなったらもう近鉄は奇跡の逆転優勝しかない。フリューゲルスだって天皇杯優勝で最後を飾った。近鉄も最後は日本一で飾ってほしい。フリューゲルスは横浜FCとしてよみがえったが、日本のプロ野球は閉鎖的で新規参入のハードルが高いから、横浜FCのようなわけにはいかないのが残念だ。プロアマの試合はおろか指導までも禁止する閉鎖的システムでは、市民クラブへの道が開けないし、結局企業の宣伝イベントの域を出ることができない。私も昔は大洋ホエールズを応援してきたが、Jリーグができて離れてしまった口だけに、プロ野球ももっと新しい理念でよみがえってほしいという気持ちは持っている。もっとも、ナベツネの目が黒いうちは無理か。

6月12日

 横浜国際へ横浜FC=平塚ベルナーレ戦を見に行った。場所が横浜国際で、広くてきれいなこともあって、家族連れが多かった。一階席だけでぱらぱらと入っているように見えて、1万2千人もの人が入っていた。

 試合は、前半はDFのトゥイードがトップの位置に来て、スリーバックで、北村とトゥイードのツートップのような形になっていた。ただ、ベルナーレのサイドを崩す場面が何度かあったが、クロスが通らず、中央の守りを崩せなかった。後半はトゥイードがディフェンスラインに下がり、中央のマシューや小野信義にボールを集め、そこからいいパスが通るようになり、再三にわたってチャンスを作り、ついに後半30分頃、コーナーキックからのこぼれ玉をマシューが押し込んで一点。その後、ベルナーレの怒涛のような攻めを受けたが、何とか守りきって久しぶりの勝利となった。これで、何とか波に乗れば、まだ昇格のチャンスはある

6月11日

 ゆきちゃんは二回目の皮下輸液の後、だいぶ元気になり、元のうるさいゆきちゃんに戻った。

6月5日

 ゆきちゃんが食欲もなく、元気がなく、便も出ないので、病院に連れて行った。歯石がたまっているのと甲状腺機能亢進症の疑いがあるということ。脱水状態だということで、皮下輸液をやって、ラクダみたいにひとこぶゆきちゃんになった。時間がたつと、その輸液が脇の下に降りてきて、懐の暖かいゆきちゃんになった。がんばれゆきちゃん。

6月2日

 まあ、人間だからそりゃカッとなって人を殺すことも稀にはあるだろう。こういうニュースがマスコミであることないこと尾ひれをつけて報道されたりすると、いまどきの子供たちが皆殺人鬼予備軍みたいな目で見られたりして、それが結局子供たちの心を傷つけてゆくことになる。また、わけのわからぬジジーが、子供にパソコンに触らせるななどと騒いで、このネット時代に日本を世界の孤児にしようとしたがる人がいたりして、それも困ったものだし、官僚教師の形だけの反省ポーズや命の尊さの教育なんて、今までずっと繰り返されてきたことだから、今更何もないだろう。

 それにしても、死んだら英雄で、人質になればぼろくそに叩かれる。ずいぶん待遇が違うでねえか。今度からイラクで人質になったら腹を切れ、ということなのか。

5月28日

 朝のテレビニュースで、中国がすでに日本の経済水域ぎりぎりのところで油田開発をやっていると言っていた。これは日本もうかうかとして入られないだろう。今の日本人は安定志向が強いから、一発石油でも掘り当てて億万長者になってやろうという山師はいないかもしれないが、出遅れればやはり国家的に大きな損失になる。

 石油無機説は旧ソ連が本場だから、旧ソ連の科学を引き継ぐロシア、中国、北朝鮮あたりは化石燃料説にとらわれずに日本近海をねらってくる可能性がある。

 また、ヨーロッパではすでに天然ガスの時代といわれているから、石油でなくても天然ガスが見つかり、そこからパイプラインを引くことができれば、日本のエネルギー事情は好転するだろう。そうなれば、イラクのことでアメリカにへつらう必要もあるまい。

5月25日

 拉致被害者家族にイラクの人質5人に対するのと同じような反応が起きているのは興味深い。政治家だけでなく、広く国民の間にも、国家は国民を守る義務があるなんて観念が薄れているのだろう。国民の保護は義務ではなくあくまでサービスで、サービスには対価を要求するのは当然ということになると、国家は一個の企業(それも、お役所仕事で効率の悪い企業)と大差なくなる。

 この二十年の間、日本に限らず様々な公共事業が民営化されたが、こうした動きも国家そのものが共同体としての機能を失い、企業化している現われではないか。もし自衛隊が国民を守る際に対価を要求するということになれば、自衛隊民営化の議論も起きてくるだろう。

 多分、これからのNGOは国家の保護を当てにせずに、自分たちで保険機構を作る必要があるだろう。

5月24日

 トーマス・ゴールドの『未知なる地底生物圏』は、なかなか目からウロコの本で、これが着実に証明されていったなら、エネルギー問題やゴミ問題が一気に解決するかもしれない。石油が化石燃料でないなら、今まで誰も探そうとしなかった火成岩の下からも大油田が発見される可能性もあるし、日本近海だって可能性はある。

 酸化鉄から磁鉄鉱を作るバクテリアは、鉄のリサイクルに利用できないのだろうか。金属鉱床が微生物の働きによって作られるとすれば、武田邦彦の『リサイクル幻想』にあった人工鉱山の発想も現実味を帯びてくるのではないか。まだまだ人類の未来は捨てたものではない。

5月22日

 女子バレーが結構面白かったので、男子バレーもテレビで見た。勝ったけど荒削りな感じで、やっぱりテンさん(竹下)は凄いと思った。

5月21日

 クロソウスキーの『生きた貨幣』を読んだ。

 性は本来繁殖のためのものだが、人間は想像力の過剰から倒錯を生み出し、資本主義は倒錯を商品化することで発達したが、性の商品化は性そのものが「生きた貨幣に」になる可能性も秘めてるってゆ~んじゃな~い。

 性は繁殖のためのものではなく遺伝子の修復のために進化したもので、最初からよりよい遺伝子の選択が重要だった。そのため資本主義はファッション、エステ、ダイエットなどの選ばれるための「赤の女王」状態を生み出しただけで、性の解放は性選択性の比較的少ない男の夢以上でも以下でもなかった。残念!クロソウスキー斬り!

5月16日

 大河ドラマの『新選組』は近藤勇をいい人に設定しすぎてしまったため、どうやって芹沢鴨を斬るかという所で詰まってしまったのだろうか。

5月15日

 女子バレーがオリンピック出場を決めて、なにやら世間で盛り上がっているので、本当に久しぶりにテレビで見た。バレーボールのことはよくわからないが、竹下の動きを見ているだけで結構面白く、結局最後まで見てしまった。台湾のセッターは大体右サイドにポジションを取り、そこからサッカーでいうクロスボールのようなトスを上げることが多いが、竹下は中央でネットを背にして左右にトスを上げたり、二列目を使ったり、すきあらば攻撃に参加したりと、サッカーのトップ下のような、なかなか変幻自在ないい動きをしている。最近今ひとつピリッとしない中田の代わりにジーコジャパンに欲しいくらいだ。

5月12日

 清川村のコージーコーナーの工場に行ったら、途中の道に猿がいた。悪さしてなければいいが。

5月3日

 根津美術館の『南宋絵画展』を見に行った。思いのほか人が多くて、以前五島美術館の『牧谿展』に行ったときがらがらだったのを思うと、何かちょっと嬉しかった。

 南宋の頃の中国絵画は写実的で、緻密に描かれたものが多かった。牧谿の『平沙落雁図』も一見ぼんやりと描かれているようで、雁の一羽一羽がしっかりと描かれていた。これはモネも真似できないだろう。

 ただ、鼻毛の老子の前だけ、なぜか人が途切れる。鼻毛の老子は天才バカボンの原型だといってた人がいたが、長いのは鼻毛だけでなく爪も長かった。

4月29日

 渋谷へ行った。タワーレコードへ行ったら、タッキー&翼の等身大人形があった。マリカミズキのアルバムが出ていた。「行きゅんにゃ加那」は高校生の頃、奄美大島へ行った時に覚えた唯一の歌で、ちょっと懐かしい。いまだに瀬戸内の歌と笠利の歌のどこが違うのかよく分らないが、奄美大島は自分の母方のルーツでもあり、奄美民謡がワールドミュージックとして世界に発信されるといいなと思う。

4月18日

 西新井大師に牡丹を見に行った。天気も良く、花もちょうど見ごろだった。たくさんの大きな花に囲まれ、まさに楽園という感じだった。

 行き帰りの電車が長かったので、図書館で借りたロバート・クリックマンの『震える山』を読みながら行った。帰りに神保町で降り、岩波の日本古典文学大系の『連歌集』などを三冊1000円で買った。

4月10日

 久々に神保町に行った。古本屋を回り、木藤才蔵編の『連歌新式古注集』、金子金次郎の『連歌師と紀行』、頴原退蔵の『校本 犬筑波集』を買った。計3900円。連歌・俳諧関係の本は高い本が多く、いかに安く手に入る本を探すかで苦労する。

4月8日

 今日は雪誕節。ゆきちゃんは今日で19歳。カツオのたたきを三切れ食べました。来年も食べようね。

3月27日

 三ツ沢へ横浜FC=モンテディオ山形戦を見に行った。前半から攻め込まれ、いい所がなかったが、山形のほうもシュートをはずしてくれて、何度も助かった。ひときわ背の低いデーニは要注意だった。

 後半を何とかしのぐと、後半に期待するところだが、やはりデーニにやられた。その後、ジェフェルソンのヘッドがようやく決まって同点に追いついた。後半40分頃、代わったばかりの増田が鋭い飛び出しでゴール前で倒され、これが何とシミュレーションを取られてしまった。結局引き分けてしまったが、それでも今期まだ負けなし。期待できそうだ。

 夜に、遅ればせながら、『The lord of the rings』の「二つの塔」の方のDVDを見た。途中うとうとして、気がつくと沼にいたはずのフロドが森の中にいるし、ゴラムがいないなと思って見ていたら、フロドではなくピピンだった。ホビットはいまだに区別がつかない。

3月18日

 桜の花は咲いたし、オリンピック代表は勝ったし、まずは言うことはない。ただ、自宅でのサッカー観戦は孤独で、やはりスタジアムが良い。

3月13日

 今日はJリーグ開幕の日。仕事が終わってすぐに三ツ沢へ急いだが、着いたのは試合開始30分後。中に入るとさすがにホームでの開幕戦だけあって入りはいい。横浜FCは2-0で勝っていた。見に来たのは去年の夏以来だが、だいぶ顔ぶれも変わり、応援かも変わっていた。ゆきちゃんの応援歌も新しくしなくては。

 ハーフタイムには中田市長が来ていた。今来たということは試合前には横浜国際にいたということか。

 後半、マシューのミドルと城のセットプレーからのゴールで4-0になった。最後のほうはだいぶベガルタに突破を許し、ディフェンスに不安が残ったが、とりあえず無失点で終わった。久しぶりに楽しい一日だった。

2月29日

 曽我梅林に行った。藤沢を過ぎたあたりから雨が降り始め、雨の中の花見だった。雨に濡れた花はきれいなのだが、帰る時間に急かされ、ちょうど帰るころ雨が止んだ。最悪だった。

2月12日

 ネットで買った『大和路の芭蕉遺跡』が届いた。在野の研究者でも地道な研究を続けていれば、こうして死んだ後にでも新聞に取り上げられたりするのかと、思うと、励みにもなる。もっとも、増田晴天楼の場合、実地調査などの基礎研究をしっかりやっているし、正岡子規に直々に指導を受けた別天楼の弟子だから俳統もしっかりしている。私などの地下(じげ)のものの及ぶところではないが。

2月8日

 生田緑地へ梅を見に行った。まだ三分咲きくらいだったが、近づくとやはり梅の香がした。

 ついでに岡本太郎美術館にも行った。カフェが併設されていたので、メニューを眺めてきたら、ウェーターが呼び込みに来た。入らなかった。

 『駄々っ子』という絵に描かれていたのは、あれはたぶん猫だろう。岡本太郎の蝋人形もあった。やっぱりあの手の動きをしていた。

 昔国語の教科書で読んだ『坐ることを拒否する椅子』があった。坐ってもいいと書いてあったので坐ってみたが、確かにちょっと坐りにくかったが、拒否はされなかった。昔の「グラスのそこに顔があっても・・・」や「芸術は爆発だ!」のCFも見れた。

2月7日

 テレビの『スカイハイ2』は原作に比べて地獄へ行く率が高い。どんな理由があろうとも人を憎み呪い殺すものは永遠の地獄に落ちることを覚悟しなければならないというテーマなのだろうが、テレビのイズコは復讐を煽っているように見えてしまうときがある。昨日は珍しく天国へ行った。

2月6日

 本屋で『ニーチェは、今日?』という文庫を見つけた。若い頃ポストモダンにはまっていた頃を思い出して、ちょっと懐かしい感じ。最近ネットでピエール・クロソウスキーのファンらしいポルノ小説サイトを見つけたが、そのクロソウスキーの名前もこの本にあった。

 ポストモダンもすっかり過去のものになってしまったが、あの頃は性について表現するというだけでも画期的だったし、何か反体制の匂いがしたものだ。ただ、結局戦後の世界的な経済成長の恩恵を受けてぬくぬく生活しながら、それを「過剰」という言葉で片付け、生存競争、画一化、疎外や排除といった問題を何もかも資本主義が悪いみたいに言っていたようなところがあった。そこに限界があったのだろう。

2月3日

 今日は節分で、一応豆まきをやった。ところで今年になってラジオでも何度も太巻き寿司のことを聞いたが、どこから来た習慣なのか、それとも大阪の寿司屋の陰謀なのか、とにかく初めて聞いた。そういえば、今年はスーパーの店先でヒイラギを売っていたが、これも今までなかったのでは。まあ、節分に豆まきして歳の数だけ豆を食べるだけでは物足りないので、いろいろにぎやかにするのは悪いことではない。

 日本の祭や行事が廃れているのは、戦後の経済成長にもかかわらず、行事そのものは昔の貧しいままで、経済力に応じたグレードアップが出来なかったのが原因だろう。ひな祭りの雛あられも、端午の節句の粽も、お月見の団子も、甘いものに飢えていた時代には、この日でなければ食べられない御馳走だったのだろう。本来祭りは普段できない贅沢をする日だったのだが、いつの間にか昔の質素な生活をしのぶ日になってしまっている。この質素さの罠にはまっているうちは、結局日本の祭はクリスマスに勝てないのだろう。

1月25日

 ゆきちゃんは一晩寝たらよくなったのか、今日は朝トイレにも行き、ご飯も食べた。外では尻尾の短いシルバータビーのオス猫(メイビーちゃん)が一日何度も通ってゆく。

1月24日

 ゆきちゃんは朝から元気がない。一日中くたーと力が抜けたように寝ていた。昨日も好物のカツオの刺身をなめるだけだった。いつものご飯は食わず、ようやく昨日のカツオをに火を通したものと生ハムを食べた。

1月18日

 高橋ツトムの『ALIVE』と『Blue Heaven』を読んだ。テレビの『スカイハイ2』とはだいぶ雰囲気が違うけど、でもやっぱただ者ではない。人の心の闇も、その中のかすかな光もわかる人なのだろう。

1月17日

 渋谷へ行った。タワーレコードの試聴盤で聴いたpoodlesとMOSSは何か面白そうだった。誕生日に家族からもらったレコード券で、ジャパハリネットの『満ちて来たる日々』を買った。素朴な感じがいい。

 ただ何となく、何か面白いことないか、何か変わったものないかと、こうして渋谷をあてもなく歩いていると、自分がいつでも二十年前と変わってないような気分になる。それがいいことなのか悪いことなのか・・・。

1月16日

 テレビドラマの『スカイハイ2』は泣けた。そのあとすぐ『お笑いオンエアバトル』を見たので、泣いたり笑ったり忙しかった。

1月14日

 ゆきちゃんの家が来た。老猫会で買っている人が多いし、夜中によく啼くからおとなしくなるかなと思うのだが、ちゃんと入ってくれるかな。

1月12日

 今日は成人式の日ということで、テレビでは成人式で騒ぐ羽織袴にリーゼントの若者の映像を流していた。普通こういうニュースを見ると、俺くらいの年齢だと、目を吊り上げて「まったく近頃の若いもんは」と怒らなくてはいけないんだろうなと思いつつ、ついつい笑ってしまった。ボートを盗んで「アメリカへ行こう」と海に出て漂流したニュースも笑えた。NHKの大河ドラマがこんな影響を与えるなんて、大河ドラマ始まって以来ではないか。そういえば、昨日は二十何年かぶりに大河ドラマを見た。

1月11日

 「ゆきちゃんについて」のページを一新して、ゆきちゃんホームページ「ゆきちゃんのこれが猫だ!」という別室みたいにしてみた。老猫会ともリンクできて、猫関係の人が猫つながりで見に来てくれるといいな。これひと筋という感じで同じ趣味の人だけで固まるのではなく、いろいろな人が行き来できるのがネットのいいところだと思う。

 少しづつだが、ルビふり作業を進めている。テキスト中心のサイトだから、とにかく読みやすいページを追求したい。それにしてもCSSは難しい。目次ページをちょっと手直ししたのだが、何時間もかかってしまった。

1月2日

 朝九時からカルディの福袋に並んだ。

 『記憶の音楽』のビデオと『アカルイミライ』のDVDを見た。どちらも未来がテーマだった。物理的な時空の世界とは別に、人間の時間はあくまで想像の中のもので、だから、未来は過去の記憶から作られるのだろう。『記憶の音楽』は究極の音楽を求める物語みたいで、それは結局現実の音を超えてしまうようだ。

 『アカルイミライ』もまた、絶望的な現実の中で、ないものを求め続けるところに未来があるという話なのか。でも、最後のテロップで「はなわ」の名前が出てきて、つい笑ってしまった。

 ところで、今日は私の誕生日。でも、ネットではまだ年齢不詳にしておいてね。

1月1日

 柿生の琴平神社に初詣に行った。混んでいてなかなか車が止められなかった。境内に猿回しが来ていた。