「わすれ草」の巻、解説

延宝六年冬

初表

 わすれ草煎菜に摘まん年の暮    桃青

   笊籬味噌こし岸伝ふ雪     千春

 浜風の碁盤に余る音冴て      信徳

   磯なれ衣おもくかけつつ    桃青

 鼠とりこれにも月の入たるや    千春

   紙燭けしては鶉啼く也     信徳

 

初裏

 ああ誰じや下女が枕の初尾花    桃青

   百にぎらせてたはぶれの秋   千春

 仇し世をかるたの釈迦の説れしは  信徳

   あるひはでつち十六羅漢    桃青

 又男が姿かたちはかはらねど    千春

   古い羽折に老ぞしらるる    信徳

 つくづくと記念のややを寝させ置  桃青

   結びもとめぬざんぎりの露   千春

 鎖がまもれて出たる三日の月    信徳

   雲井に落る鳫の細首      桃青

 料理人御前を立て花の浪      千春

   木具屋の扇沖の春風      信徳

 

 

二表

 住吉の汐干に見えぬ小刀砥     桃青

   箔の姫松縫ものをとく     千春

 ししばばに襁褓も袖も絞りつつ   信徳

   枕ならべし腰ぬけの君     桃青

 踏はづす天の浮はし中絶て     千春

   脛の白きに銭をうしなふ    信徳

 滑川ひねり艾に火をとぼし     桃青

   鶴が岡より羽箒の風      千春

 いはうきはう利久といつし法師有て 信徳

   朝比奈の三郎よし秀の月    桃青

 虫の声つづり置たる判尽し     千春

   いさご長じて石摺の露     信徳

 

二裏

 どんよなも今此時をいはひ哥    桃青

   園生の末葉ならす四竹     千春

 馴てやさし乞食の妹背花に蝶    信徳

   うぐひす啼てこものきぬぎぬ  桃青

 思ひ川垢離も七日の朝霞      千春

   南無や稲荷の瀧つせの春    信徳

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 わすれ草煎菜に摘まん年の暮   桃青

 

 もう暮れも押し迫った「年忘れ」の頃の興行であろう。

 年忘れは、昔の数え年だた、生まれた時に一歳その後正月が来るたびに二歳、三歳とひとつづつ年を取っていくため、その年を取るのを忘れるという意味の言葉だった。

 忘れ草は萱草(かんぞう)のことだと言われている一方で「しのぶ草」の別名とも言われている。これだとシダの一種になる。

 『伊勢物語』百段に、

 

 忘れ草おふる野辺とは見るらめど

     こはしのぶなりのちも頼まむ

 

の歌がある。

 『菟玖波集』の、

 

   草の名も所によりてかはるなり

 難波の葦は伊勢の浜荻      救済

 

の句も、心敬の『筆のすさび』に、

 

   草の名も所によりてかはるなり

 軒のしのぶは人のわすれか

 

という別解がある。

 俳諧では後の『奥の細道』の旅の小松で興行された「しほらしき」の巻の二十九句目に、

 

   恋によせたる虫くらべ見む

 わすれ草しのぶのみだれうへまぜに 觀生

 

の句がある。これだとわすれ草とシノブを植え混ぜにするから別種と認識されている。

 萱草の方は食べられる。ウィキペディアには、

 

 「若葉は、おひたしにして、酢味噌で食べる。花の蕾は食用され、乾燥させて保存食(乾物)とする。中華料理では、主に「金針花」(チンチェンファ jīnzhēnhua)、「黄花菜」(ホワンホアツァイ huánghuācài)と称する花のつぼみの乾燥品を用い、水で戻して、スープの具にすることが多い。」

 

とある。

 煎菜(いりな)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 ゆでて二、三寸くらいに切った菜を酒、しょうゆ、塩などで味をつけて煎りつけた料理。

  ※俳諧・俳諧一葉集(1827)「わすれ草煎菜につまん年の暮〈芭蕉〉 笊籬(いかき)味噌こし岸伝ふ雪〈千春〉」

 

とある。

 年忘れに忘れ草を食べようという発句だが、「摘まん」だからまだ入手してないようだし、洒落で言っただけで本当に食べたわけではないのだろう。

 

季語は「年の暮れ」で冬。「わすれ草」は植物、草類。

 

 

   わすれ草煎菜に摘まん年の暮

 笊籬味噌こし岸伝ふ雪      千春

 (わすれ草煎菜に摘まん年の暮笊籬味噌こし岸伝ふ雪)

 

 「笊籬(いかき)」はコトバンクの「世界大百科事典内の笊籬の言及」に、

 

 「…水が漏れるところから,むだの多いことのたとえに〈ざるに水〉,へたな碁を〈ざる碁〉などという。10世紀の《和名抄》は笊籬(そうり)の字をあてて〈むぎすくい〉と読み,麦索(むぎなわ)を煮る籠としているが,15世紀の《下学集》は笊籬を〈いかき〉と読み,味噌漉(みそこし)としている。いまでも京阪では〈いかき〉,東京では〈ざる〉と呼ぶが,語源については〈いかき〉は〈湯かけ〉から,〈ざる〉は〈そうり〉から転じたなどとされる。…」

 

とある。味噌濾しのこと。煎った萱草の芽を味噌あえにして食べようというので、雪の降る岸に摘みに行く。

 忘れ草に雪は、

 

 忘れ草慎む慎むと言づけて

     しのふる雪の音もせじとや

              和泉式部(和泉式部集)

 

の歌がある。

 

季語は「雪」で冬、降物。「岸」は水辺。

 

第三

 

   笊籬味噌こし岸伝ふ雪

 浜風の碁盤に余る音冴て     信徳

 (浜風の碁盤に余る音冴て笊籬味噌こし岸伝ふ雪)

 

 あげはま(囲碁で取った相手の石)が碁盤の外でじゃらじゃら音を立てるが、それにも勝る浜風の音がして、岸にはまるで味噌漉しで篩ったような粉雪が降る。

 雪に浜風は、

 

 庵さす野島が崎の浜風に

     薄おしなみ雪はふりきぬ

              藤原家隆(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「浜風」は水辺。

 

四句目

 

   浜風の碁盤に余る音冴て

 磯なれ衣おもくかけつつ     桃青

 (浜風の碁盤に余る音冴て磯なれ衣おもくかけつつ)

 

 昔は賭け碁も多かった。なれた衣を賭けての勝負だが、負ければまっぱ?

 「磯なれ」はgoo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」に、

 

 「潮風のために、木の枝や幹が地面にはうように生えていること。また、その木。

 「をちこちに花咲きぬれば鷺のゐる―の松に見ぞ紛へける」〈散木集・一〉」

 

とある。馴衣(なれごろも)を導く枕になる。

 和歌では「潮なれ衣」がよく用いられる。

 

 鈴鹿川誰が名をたてて伊勢の海人

     潮なれ衣降り捨ててけむ

              藤原為家(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「磯」は水辺。「なれ衣」は衣裳。

 

五句目

 

   磯なれ衣おもくかけつつ

 鼠とりこれにも月の入たるや   千春

 (鼠とりこれにも月の入たるや磯なれ衣おもくかけつつ)

 

 前句を潮風でよれよれになった衣として、舞台を海から部屋のなかへ移動させる。

 鼠捕りには升落としという罠をかけるものと殺鼠剤との両方がある。升落としは升に仕え棒して中の餌を食べると升が落ちるというもので、同じように籠を使って鳥をとらえる罠は古くからあったと思われるから、その応用になる。

 衣類は鼠に食われやすいので、罠なのか薬なのかはよくわからないがその傍に置いておくが、月の光がさして罠が目立ってしまうと困る。

 磯の月は、

 

 小夜千鳥吹飯の浦にをとづれて

     絵島が磯に月かたぶきぬ

              藤原家基(千載集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   鼠とりこれにも月の入たるや

 紙燭けしては鶉啼く也      信徳

 (鼠とりこれにも月の入たるや紙燭けしては鶉啼く也)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、礼記「田鼠化して鶉トナル」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」には、

 

 「(古代中国の俗信によることば) モグラがウズラになる。七十二候の一つで、陰暦三月の第二候をいう。《季・春》

  ※文明本節用集(室町中)「鶉 ウヅラ 田鼠化為レ鶉 田鼠蛙也」 〔礼記‐月令〕」

 

とある。ウィキペディアの「七十二候」によれば宣明暦「清明」の次候になる。渋川春海が「本朝七十二候」を定めたのは貞享の改暦(一六八四年)の時なので、この頃にはまだない。「本朝七十二候」だと「雁が北へ渡って行く」になる。

 鼠捕りに月の光が射してきたので紙燭を消すと、鼠が「化(け)して」鶉になったのか鶉が鳴いている。「けして」が掛詞になる。

 鶉に月は、

 

 鶉鳴く夕べの空の哀れまで

     月にふけゆく更科の里

              藤原範宗(夫木抄)

 

の歌がある。

 

季語は「鶉」で秋、鳥類。「紙燭」は夜分。

初裏

七句目

 

   紙燭けしては鶉啼く也

 ああ誰じや下女が枕の初尾花   桃青

 (ああ誰じや下女が枕の初尾花紙燭けしては鶉啼く也)

 

 「初尾花」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 秋になって初めて穂の出た薄(すすき)。《季・秋》

  ※万葉(8C後)二〇・四三〇八「波都乎婆奈(ハツヲバナ)花に見むとし天の河隔りにけらし年の緒長く」

 

とある。

 

 さ牡鹿の入野の薄初尾花

     いつしか妹が手枕にせむ

              柿本人麻呂(新古今集)

 

の歌にも詠まれている。通う男をさ牡鹿、相手を初尾花に喩えた、要するに夜這いの歌。俳諧だと下女に見つかり「ああ誰じゃ」と問い詰められたので、男は紙燭を消して鶉の鳴き真似をする。

 初尾花に鶉は、

 

 初尾花誰が手枕に夕霧の

     籬も近く鶉鳴くなり

              後鳥羽院(玉葉集)

 

の歌がある。

 

季語は「初尾花」で秋、植物、草類。恋。「誰」「下女」は人倫。

 

八句目

 

   ああ誰じや下女が枕の初尾花

 百にぎらせてたはぶれの秋    千春

 (ああ誰じや下女が枕の初尾花百にぎらせてたはぶれの秋)

 

 目当ての女に仕えている下女に百文握らせて手引きしてもらい、初尾花をいただく。

 

季語は「秋」で秋。恋。

 

九句目

 

   百にぎらせてたはぶれの秋

 仇し世をかるたの釈迦の説れしは 信徳

 (仇し世をかるたの釈迦の説れしは百にぎらせてたはぶれの秋)

 

 「かるたの釈迦」はうんすんかるたのソータ(十の札:トランプのジャックに相当する)で、コトバンクの「ソータ」の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (sota) ウンスンカルタの札の一つ。本来はトランプのジャックに当たる札。天正年間(一五七三‐九二)日本に渡来したとき女性の姿に変わり一〇番目の札になった。のち、僧侶とまちがえられ、頭を剃った坊主姿の札となった。坊主とか釈迦とか呼ばれ一〇番目の札であるところから釈迦十(しゃかじゅう)ともいう。

  ※俳諧・鷹筑波(1638)一「あざやかな月にそふたを刈田哉〈一次〉」

 

とある。

 「仇し世」は無常の世でかるたの釈迦が説くには、百文払ってうんすんかるたで遊びなさい、とのこと。

 

無季。釈教。

 

十句目

 

   仇し世をかるたの釈迦の説れしは

 あるひはでつち十六羅漢     桃青

 (仇し世をかるたの釈迦の説れしはあるひはでつち十六羅漢)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注によると、十六と双六の重六とを掛けているという。重六はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 二個の賽(さい)に共に六の目が出ること。ちょうろく。

  ※金刀比羅本平治(1220頃か)上「双六のさいのめに〈略〉二が二つおりたるを重二といふ、重五(でっく)重(ヂウ)六といふも謂たり」

 

とある。今日でいう六ゾロのことのようだ。

 釈迦がカルタならその弟子の十六羅漢は双六のサイコロの重六で、双六で賭け事をする十六になる丁稚、ということになる。

 

無季。釈教。「でつち」は人倫。

 

十一句目

 

   あるひはでつち十六羅漢

 又男が姿かたちはかはらねど   千春

 (又男が姿かたちはかはらねど

 

 「又男」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「大阪の物真似の名人。『物種集』序に『川原もの又男がつけ髪松千代が柿頭巾もかづき物ぞかし』。」

 

とある。ネット上にある石井公成『物真似芸の系譜─仏教芸能との関係を中心にして─(上)』に、

 

 「そうした一人であって元禄歌舞伎で活躍した又男三郎兵衛は、仁王や十六羅漢や観音の三十三身を演じることで有名だった。」

 

とあるが、同じ人か。当時歌舞伎役者は非人の身分だから「川原もの」とも呼ばれていただろう。

 十六羅漢の物真似をレパートリーにしてたようだが、丁稚の真似はどうだったか。

 

無季。

 

十二句目

 

   又男が姿かたちはかはらねど

 古い羽折に老ぞしらるる     信徳

 (又男が姿かたちはかはらねど古い羽折に老ぞしらるる)

 

 「羽折」は羽織のこと。物真似師の演ずるキャラは昔も今も変わらないが、長年やっているので羽織が古くなっている。

 

無季。「羽折」は衣裳。

 

十三句目

 

   古い羽折に老ぞしらるる

 つくづくと記念のややを寝させ置 桃青

 (つくづくと記念のややを寝させ置古い羽折に老ぞしらるる)

 

 「やや」は赤ん坊のこと。亡き夫の形見の子どもを寝かしつけてはいるが、古びた羽織に老いが知られる。

 

無季。「やや」は人倫。

 

十四句目

 

   つくづくと記念のややを寝させ置

 結びもとめぬざんぎりの露    千春

 (つくづくと記念のややを寝させ置結びもとめぬざんぎりの露)

 

 「ざんぎり」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「1 ちょんまげを切り落として、刈り込んだ髪形。明治初期に流行し、文明開化の象徴とされた。散切り頭。斬髪(ざんぱつ)。

  2 髪を切り乱して結ばずにそのままにしておくこと。また、その髪形。散らし髪。」

 

とある。この場合はもちろん2で、女手一つで子を育てる忙しさに髪を結う余裕もない。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

十五句目

 

   結びもとめぬざんぎりの露

 鎖がまもれて出たる三日の月   信徳

 (鎖がまもれて出たる三日の月結びもとめぬざんぎりの露)

 

 前句の「ざんぎり」を斬・切りと鎖鎌で斬りつけることとしたか。結び留めてない鎖鎌が吹っ飛んできて、それが三日月のように光る。

 三日月の露は、

 

 秋の色をしらせ染むとや三日月の

     光を磨く萩の下露

              藤原定家(拾遺愚草)

 

季語は「三日の月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   鎖がまもれて出たる三日の月

 雲井に落る鳫の細首       桃青

 (鎖がまもれて出たる三日の月雲井に落る鳫の細首)

 

 鎖鎌が斬ったのは鳫の首だった。

 雲居に雁は、

 

 さ夜ふかき雲ゐに雁もおとすなり

     われひとりやは旅の空なる

              源雅光(千載集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「鳫」で秋、鳥類。「雲井」は聳物。

 

十七句目

 

   雲井に落る鳫の細首

 料理人御前を立て花の浪     千春

 (料理人御前を立て花の浪雲井に落る鳫の細首)

 

 前句の雲井を御所のこととして、料理人が花見の宴のために呼ばれる。鳫がその場で捌かれる。

 雲井と浪は、

 

 わたの原漕ぎ出でて見れば久かたの

     雲ゐにまがふ沖つ白波

              藤原忠通(詞花集)

 

の縁。

 花の波は、

 

 常よりも春べになればさくら河

     花の浪こそまなくよすらめ

              紀貫之(後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「花の浪」で春、植物、木類。「料理人」は人倫。

 

十八句目

 

   料理人御前を立て花の浪

 木具屋の扇沖の春風       信徳

 (料理人御前を立て花の浪木具屋の扇沖の春風)

 

 「木具(きぐ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 檜の白木で作った器物。

  ※仮名草子・尤双紙(1632)上「きれいなる物の品々〈略〉木具(キグ) かはらけ」

  ② 特に足付きの折敷。足打折敷(あしうちおしき)。木具膳。

  ※親元日記‐寛正六年(1465)三月四日「御一献両所其木具土器御箸已下散二金銀一被レ書レ絵之御例云々」

  ※随筆・貞丈雑記(1784頃)七「木具(きぐ)と云はすべて檜の木の白木にて作りたる也〈略〉然るに今は足付の事斗を木具と云」

 

とある。

 前句の「御前」を木具膳として、木具屋の扇を花の浪の向こうの那須与一の的に見立てる。

 沖の春風は「沖津春風」の形で、

 

 鳰の海や沖津春風吹かぬ日は

     霞をいでぬあまの釣舟

              藤原家隆(壬二集)

 

の歌がある。

 

季語は「春風」で春。「沖」は水辺。

二表

十九句目

 

   木具屋の扇沖の春風

 住吉の汐干に見えぬ小刀砥    桃青

 (住吉の汐干に見えぬ小刀砥木具屋の扇沖の春風)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 我が袖は汐干に見えぬ沖の石の

     人こそしらねかはく間もなし

               二条院讃岐(千載集)

 

の歌が引用されている。

 汐干に見えぬ石を砥石のこととして、木具屋を導き出す序詞とする。

 

季語は「汐干」で春、水辺。「住吉」は名所、水辺。

 

二十句目

 

   住吉の汐干に見えぬ小刀砥

 箔の姫松縫ものをとく      千春

 (住吉の汐干に見えぬ小刀砥箔の姫松縫ものをとく)

 

 姫松は小松のこと。『伊勢物語』の一一七段に、

 

 われ見ても久しくなりぬ住吉の

     きしの姫松いくよ経ぬらむ

 

の歌がある。

 前句の「小刀」を箔付けに用いる小刀とし、それで縫物をほどこうとして海に落としてしまった。

 「小刀砥」は「小刀と」になり、「箔の姫松」はおそらくその小刀の名前だろう。

 

無季。

 

二十一句目

 

   箔の姫松縫ものをとく

 ししばばに襁褓も袖も絞りつつ  信徳

 (ししばばに襁褓も袖も絞りつつ箔の姫松縫ものをとく)

 

 「しし」は尿、「ばば」は糞。「襁褓(むつき)」はおむつのこと。

 箔の姫松を女の名前として、縫物を解いていると抱いていた赤ちゃんがお漏らしして、おむつも袖も絞ることになる。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

二十二句目

 

   ししばばに襁褓も袖も絞りつつ

 枕ならべし腰ぬけの君      桃青

 (ししばばに襁褓も袖も絞りつつ枕ならべし腰ぬけの君)

 

 襁褓(むつき)には褌の意味もある。同衾していた御殿様が賊が押し入ったのかお化けが出たのか、とにかくびびって失禁脱糞し、褌と袖を絞る。

 

無季。恋。「君」は人倫。

 

二十三句目

 

   枕ならべし腰ぬけの君

 踏はづす天の浮はし中絶て    千春

 (踏はづす天の浮はし中絶て枕ならべし腰ぬけの君)

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして

     峰にわかるる横雲の空

              藤原定家(新古今集)

 

を踏まえたもので、雲が切れたため雲の浮橋から落ちてしまい、夢とわかってもすっかり腰が抜けてしまった人よ、と女の方があきれている。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   踏はづす天の浮はし中絶て

 脛の白きに銭をうしなふ     信徳

 (踏はづす天の浮はし中絶て脛の白きに銭をうしなふ)

 

 久米の仙人のよく知られた話だが、洗濯女はじつはあばずれで気を失っている間に銭を取られる。

 久米の仙人については、コトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「古代に伝承された仙人。《今昔物語集》巻十一によれば,昔,大和の国吉野に竜門寺という寺があり,安曇(あずみ)と久米の2人が仙術を修行していた。久米が飛行の術をえて空を飛び渡るとき,吉野川の岸で若い女が洗濯をしており,その白い〈はぎ〉を目にしたため彼は通力を失って落ちてしまう。久米はこの女を妻にし俗人として暮らしていたが,新都造営の人夫となり働くうち元仙人ということが伝わり,仙力で材木を空から運ぶよう命じられる。」

 

とある。

 

無季。

 

二十五句目

 

   脛の白きに銭をうしなふ

 滑川ひねり艾に火をとぼし    桃青

 (滑川ひねり艾に火をとぼし脛の白きに銭をうしなふ)

 

 前句をお灸でお金を支払ったとする。

 滑川(なめりがわ)は鎌倉の朝比奈を水源として鎌倉市街の東を通り由比ガ浜と材木座海岸の間にそそぐ川だが、ここで滑る川という意味で滑って転んで足をひねって艾(もぐさ)に火をつけて、となる。

 

無季。「滑川」は水辺。

 

二十六句目

 

   滑川ひねり艾に火をとぼし

 鶴が岡より羽箒の風       千春

 (滑川ひねり艾に火をとぼし鶴が岡より羽箒の風)

 

 鎌倉なので鶴ケ岡八幡宮。鶴の縁で羽。その羽箒で艾の灰を払ったり、風で煽って火加減を調整したりする。

 

 鶴が岡あふぐ翼のたすけにて

     高きにうつれ宿のうぐひす

              (夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。

 

二十七句目

 

   鶴が岡より羽箒の風

 いはうきはう利久といつし法師有て 信徳

 (いはうきはう利久といつし法師有て鶴が岡より羽箒の風)

 

 「いはうきはう」は已往既往で昔々ということ。「いつし」は「言ひし」が促音化したものか。鶴が岡は縁があるのかどうかわからないが、鶴の羽で作った羽箒は茶道で用いる。

 

無季。釈教。「法師」は人倫。

 

二十八句目

 

   いはうきはう利久といつし法師有て

 朝比奈の三郎よし秀の月     桃青

 (いはうきはう利久といつし法師有て朝比奈の三郎よし秀の月)

 

 朝比奈三郎義秀はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「[生]安元2(1176)?

  [没]建保1(1213)?

 鎌倉時代初期の武士。和田義盛の3男,三郎と称した。鎌倉幕府御家人中で抜群の武勇をもって知られた。正治2 (1200) 年将軍源頼家が海辺遊覧の際,水練の技を披露せよと命じられ,水中深くもぐってさめを手取りにして人々を感嘆させたという。建保1 (13) 年5月父義盛が鎌倉で北条義時と戦ったとき (→和田合戦 ) ,和田方の勇士として奮戦し,将軍の居所の正面から攻め込み,多数の武士を倒した。敵兵は義秀の進路をつとめて避けたと伝えられる。和田方が敗北するに及び,義秀は海路安房国へ向って逃走したが,その直後に戦死したらしい。なお『源平盛衰記』は,和田義盛が先に木曾義仲の妾であった巴 (→巴御前 ) をめとって義秀が生れたと伝えているが,『吾妻鏡』に義秀は建保1年に 38歳とあることから,この説は成立しない。」

 

とある。利休とは時代が合わないが、前句を狂言の口調としての付けであろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十九句目

 

   朝比奈の三郎よし秀の月

 虫の声つづり置たる判尽し    千春

 (虫の声つづり置たる判尽し朝比奈の三郎よし秀の月)

 

 判尽しは花押集のことだと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。

 「つづる」には書き記すという意味と綴じ合わすという意味があり、虫が糸で葉や米などを集めて繭を作ったりすることも「つづる」と言う。

 月と虫の音が付け合いで、朝比奈三郎義秀に花押の判尽くしを付ける。

 

季語は「虫」で秋、虫類。

 

三十句目

 

   虫の声つづり置たる判尽し

 いさご長じて石摺の露      信徳

 (虫の声つづり置たる判尽しいさご長じて石摺の露)

 

 「いさご長じて」は謡曲『氷室』に、

 

 「さもいさぎよき、水底の砂(いさご)。長じてはまた、巌の陰より」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.5177-5180). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とある。この言葉のもとになっているのは、

 

 わが君は千代に八千代にさざれ石の

     巌となりて苔のむすまで

              よみ人しらず(古今集)

 

で、上五を「君が代は」に変えれば今の日本の国歌になる。ここでは石を導き出すための序詞として用いられている。

 「石摺(いしずり)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「石碑の面や木,石に刻した文字の上に紙を当てて墨をつけ,刻まれた文字を写し取ったもの。いわゆる拓本摺 (→拓本 ) のこと。中国では古くから能書家の筆跡を手本や鑑賞のため,この方法で写し取ることが盛んであった。石摺を集めたものを法帖といい,五代の『昇元帖』,宋代の『淳化閣帖』などが早い作品として著名。」

 

とある。

 判尽くしは石刷りで作られている。「虫の声」に「露」が付け合い。

 「此梅に」の巻の七十句目の所でも述べたが、月→虫の声→露という古典のわりとありきたりな連想で句を繋いで、そこに朝比奈の三郎よし秀→判尽し→石摺というネタをつないでゆく。

 

季語は「露」で秋、降物。

二裏

三十一句目

 

   いさご長じて石摺の露

 どんよなも今此時をいはひ哥   桃青

 (どんよなも今此時をいはひ哥いさご長じて石摺の露)

 

 「どんよな」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「鈍なひと。間抜け者の意か。」とある。これだと関西弁の「どんくさい」に近いと考えていいのだろう。「よな」は終助詞「よ」+終助詞「な」で、謡曲にも「狂うよな」「をかしいよな」「ありけるよな」「八騎よな」「討手よな」などの言い回しが見られる。「鈍(どん)」だけで鈍くさい奴という意味があって、「よ」+「な」にさらに「も」のついた形かもしれない。

 まあ、「鈍」でも今この時は祝い唄ということで君が代を謡ったが、ちょっと違ってて「いさご長じて石摺」になってしまったということなのだろう。

 

無季。

 

三十二句目

 

   どんよなも今此時をいはひ哥

 園生の末葉ならす四竹      千春

 (どんよなも今此時をいはひ哥園生の末葉ならす四竹)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に『徒然草』の第一段の「御門(みかど)の御位は、いともかしこし。竹の園生(そのふ)の、末葉(すゑば)まで人間の種ならぬぞ、やんごとなき。」を引用している。

 「四竹(よつだけ)」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「日本の伝統楽器の一つ。竹製の打楽器で、太い竹を四つに割って削り、両手にそれぞれ二枚ずつ持ってカスタネットのように打ち合わせて鳴らす。主として民俗芸能において用いられ、さらには猿回しや女太夫(たゆう)、住吉(すみよし)踊などの舞踊に用いられる。歌舞伎(かぶき)の下座(げざ)音楽では舞踊と同様、門付(かどづけ)や大道芸人などの出る場面のほかに、下町の裏長屋などの貧しい家の場面に用いている。[渡辺尚子]」

 

とある。

 園生の末葉の鈍までも祝い唄を歌って四竹を鳴らす。

 竹の園生は、

 

 日暮れば竹の園生に寝る鳥の

     そこはかとなく音をも鳴くかな

              源俊頼(続古今集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

三十三句目

 

   園生の末葉ならす四竹

 馴てやさし乞食の妹背花に蝶   信徳

 (馴てやさし乞食の妹背花に蝶園生の末葉ならす四竹)

 

 乞食の結婚を祝言風に言う。

 花に蝶は、

 

 花に蝶ここにて常にむつれなむ

     長閑けからねば見る人もなし

              (柿本集)

 

の歌がある。

 

季語は「花に蝶」で春、植物、木類、虫類。恋。「乞食の妹」は人倫。

 

三十四句目

 

   馴てやさし乞食の妹背花に蝶

 うぐひす啼てこものきぬぎぬ   桃青

 (馴てやさし乞食の妹背花に蝶うぐひす啼てこものきぬぎぬ)

 

 「きぬぎぬ」は後朝という字を当てるが、元の意味は重ねてあった衣と衣をそれぞれ着て、という意味。乞食だから重ねてあった「薦(こも)」を着る。

 芭蕉の元禄三年に発句に、

 

 薦を着て誰人います花の春    芭蕉

 

というのがある。

 花に鶯は、

 

 鶯の鳴く野辺ごとに来て見れば

     うつろふ花に風ぞふきける

              よみ人しらず(古今集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。恋。

 

三十五句目

 

   うぐひす啼てこものきぬぎぬ

 思ひ川垢離も七日の朝霞     千春

 (思ひ川垢離も七日の朝霞うぐひす啼てこものきぬぎぬ)

 

 「思ひ川」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「染川・染河」の解説」に、

 

 「福岡県太宰府市、太宰府天満宮の付近を流れる御笠川の上流の名称。歌枕。思川。逢初川。

  ※伊勢物語(10C前)六一「そめ河をわたらむ人のいかでかは色になるてふことのなからん」

 

とある。

 

 思ひ川絶えず流るる水の泡の

     うたかた人にあはできえめや

              伊勢(後撰集)

 山吹の花にせかるる思ひ川

     色の千入は下に染めつつ

              藤原定家(続後撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 「垢離」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「仏教用語。水で清めてあかを取去ること。山伏や修験者が神仏に祈願するとき,冷水や海水を浴びて身を清めることをいう。」

 

とある。

 前句の「こものきぬぎぬ」を修行中の乞食坊主とする。

 鶯に霞は、

 

 花のちることやわびしき春霞

     たつたの山のうぐひすのこゑ

              藤原後蔭(古今集)

 

など、歌に詠まれている。

 

季語は「朝霞」で春、聳物。釈教。

 

挙句

 

   思ひ川垢離も七日の朝霞

 南無や稲荷の瀧つせの春     信徳

 (思ひ川垢離も七日の朝霞南無や稲荷の瀧つせの春)

 

 稲荷の瀧は、『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

   稲荷の神庫に、女の手にて書き付けてはべりける

 滝の水かへりて澄まば稲荷山

     七日のぼれるしるしと思はむ

             よみ人しらず(拾遺抄)

 

によるとある。稲荷山は京都の伏見大社の裏にある。お稲荷さんも神仏習合の時代には「南無稲荷大明神」と呼ばれた。

 神仏の加護ある春ということで目出度く一巻は終わる。

 

季語は「春」で春。釈教。神祇。「瀧」は水辺、山類。