「灰汁桶の」の巻、解説

初表

 灰汁桶の雫やみけりきりぎりす     凡兆

    あぶらかすりて宵寝する秋    芭蕉

 新畳敷ならしたる月かげに       野水

    ならべて嬉し十のさかづき    去来

 千代経べき物を様々子日して      芭蕉

    鶯の音にたびら雪降る      凡兆

 

初裏

 乗出して肱に余る春の駒        去来

    麻耶が高根に雲のかかれる    野水

 ゆふめしにかますご喰へば風薫     凡兆

    蛭の口処をかきて気味よき    芭蕉

 ものおもひけふは忘れて休む日に    野水

    迎せはしき殿よりのふみ     去来

 金鍔と人によばるる身のやすさ     芭蕉

    あつ風呂ずきの宵々の月     凡兆

 町内の秋も更行明やしき        去来

    何を見るにも露ばかり也     野水

 花とちる身は西念が衣着て       芭蕉

    木曾の酢茎に春もくれつつ    凡兆

 

 

二表

 かへるやら山陰伝ふ四十から      野水

    柴さす家のむねをからげる    去来

 冬空のあれに成たる北颪        凡兆

    旅の馳走に有明しをく      芭蕉

 すさまじき女の智恵もはかなくて    去来

    何おもひ草狼のなく       野水

 夕月夜岡の萱ねの御廟守る       芭蕉

    人もわすれしあかそぶの水    凡兆

 うそつきに自慢いはせて遊ぶらん    野水

    又も大事の鮓を取出す      去来

 堤より田の青やぎていさぎよき     凡兆

    加茂のやしろは能き社なり    芭蕉

 

二裏

 物うりの尻声高く名乗すて       去来

    雨のやどりの無常迅速      野水

 昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ     芭蕉

    しょろしょろ水に藺のそよぐらん 凡兆

 糸桜腹いっぱいに咲にけり       去来

    春は三月曙のそら        野水

 

       参考;『連歌俳諧集』(日本古典文学全集32、一九七四、小学館)

          『校本芭蕉全集第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

          『芭蕉連句古注集 猿蓑編』(雲英末雄編、一九八七、汲古書院)

初表

発句

 

 灰汁桶の雫やみけりきりぎりす   凡兆

 

 灰汁は染色の際に使う媒染液で、椿や榊を燃した灰を水で溶いた上澄を用いる。染料につけた布を灰汁に浸して固定するのだが、その作業中に干した布の雫が灰汁桶にぽとぽと垂れたりしていたのだろう。

 昼間に染色した布を干て掛けておいて、その雫の音も止むころ、コオロギの声が聞きこえてくる。「きりぎりす」はかつてはコオロギのことだった。

 

 きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに

    衣かたしきひとりかも寝む

               藤原良経(新古今集)

 

の心を「灰汁桶」という卑近な題材で表現している。

 

季語は「きりぎりす」で秋、虫類。

 

 

   灰汁桶の雫やみけりきりぎりす

 あぶらかすりて宵寝する秋     芭蕉

 (灰汁桶の雫やみけりきりぎりすあぶらかすりて宵寝する秋)

 

 「あぶらかすりて」というのは行灯の油が減って底を尽くことで、油がなくなったので仕方がない、まだ宵の口だがもう寝るか、という句。

 脇は基本的の発句に和すもので、「灰汁桶の雫」に貧しく侘しげな匂いを読み取り、「あぶらかすりて」と付け、更に発句の藤原良経の歌の心を受けて、「宵寝する」と和す。

 

季語は「秋」で秋。「宵寝」は夜分。

 

第三

 

   あぶらかすりて宵寝する秋

 新畳敷しきならしたる月かげに   野水

 (新畳敷しきならしたる月かげにあぶらかすりて宵寝する秋)

 

 新しい草庵に移り住すんだ風情だろうか。新しい畳の匂いが心地よく、また引越のせわしさに油のことも忘れてしまったか、今夜は月も見ずに早々と宵の内に寝てしまった。

 前句が侘しげな風情で付いていたために、それを捨てあえて新しい畳と違えて、新居だから「油かする」と意味上のつながりで付く心付の句。

 最後の「に」の文字もじは「なのに」という意味と、単に「そこに」という両方の意味を持つ。次に付ける人のことを考えたうまい「てには」の使い方で、第三は「て」または「らん」止どめという習慣にこだわらずにうまく付けている。

 もっとも、「に」留の第三は連歌でも時折見られ、「て」「らん」に次ぐ頻度といえるかもしれない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「畳」は居所。

 

四句目

 

   新畳敷しきならしたる月かげに

 ならべて嬉し十のさかづき     去来

 (新畳敷しきならしたる月かげにならべて嬉し十のさかづき)

 

 新しい畳を敷いた新居に月と来れば、月見の宴になる。九人もの客人を迎えて盃を並ならべるのは嬉しいことだ。

 「新畳(あらだたみ)」の豪勢さに「十のさかづき」と匂いで付ける。

 

無季。

 

五句目

 

   ならべて嬉し十のさかづき

 千代経べき物を様々子日して    芭蕉

 (千代経べき物を様々子日してならべて嬉し十のさかづき)

 

 「子日(ねのび)」というのは正月の最初の子の日のお祝いのことで、昔は正月が来と一つ歳を取ったために、長寿の祝いも兼ねての祝とされてきた。十人十色にそれぞれ歳を重ねてのお祝い。

 これには、

 

 千世経べき物をさながらあつむとも

     君かよはひを知らんものかは

               西行法師(山家集)

 

という本歌がある。

 「嬉し」に「千代経」と祝言を付け、盃の「十」という数に「様々」を付ける。いずれも匂いによる付つけ合あいだが、四手よつでにしっと付いているところがむしろ芭蕉らしさでもある。『去来抄』「修行教」に、

 

 「支考曰く、附句は附るもの也。今の俳諧不付句多し。先師曰、句に一句も附ざるはなし。」

 

とあるように、芭蕉の句はいつでもきっちりと付いている。凡庸な作者ほど発想が月並だから、下手に付けると付きすぎると言われるのが怖くて、かえって疎句付などを好むものだが、たいていは技術が足りなくて付かない句になってしまう。付け句の基本はあくまで付けることであり、功者ほどその基本にどこまでも忠実だったりする。

 

季語は「子日」は春。 

 

六句目

 

   千代経べき物を様々子日して

 鶯の音にだびら雪降る       凡兆

 (千代経べき物を様々子日して鶯の音にだびら雪降る)

 

 「だびら雪」はだんびら雪ゆともいい、「平(たいら)雪」を語源とする薄いひらひらとした雪をいう。

 

 雪のうちに春は来にけり鶯の

     こほれる涙今やとくらむ

               よみ人しらず(古今集)

 子の日しに霞たなびく野辺に出でて

    はつ鶯の声をききつる

               西行法師(山家集)

 

などの古歌による。「子日」「鶯」の付け合いになる。

 『去来抄』「修行教」に、

 

 「先師曰、附物にて附る事、当時不好といへども、附ものにて附難からんを、さっぱりと附物にて附たらんは又手柄成べし。」

 

とある。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「雪」は降物。

初裏

七句目

 

   鶯の音にだびら雪降る

 乗出して肱に余る春の駒      去来

 (乗出して肱に余る春の駒鶯の音にだびら雪降る)

 

 雪降る野に武士(もののふ)の匂いで付けたのだろうか。馬に乗って野に出てみたものの、春の馬は発情期で気が荒く手に余る。

 鶯が鳴いたと思ったら雪が降り、勇んで野に出たら肱(かいな)の手に余ると、いずれもトホホで相通じる。響き付けになる。

 

季語は「春の駒」で春、獣類。

 

八句目

 

   乗出して肱に余る春の駒

 麻耶が高根に雲のかかれる     野水

 (乗出して肱に余る春の駒麻耶が高根に雲のかかれる)

 

 麻耶山(まやさん)は神戸市東北部にある山で、前句を馬に乗り慣れぬ平家武者と取り成し、『平家物語』の面影で「麻耶山」を付ける。摩耶山の麓の「生田の森」は歌枕になる。「雲のかかれる」には風雲急の比喩が込められている。

 

無季。「麻耶が高根」は山類。「雲」は聳物。

 

九句目

 

   麻耶が高根に雲のかかれる

 ゆふめしにかますご喰へば風薫   凡兆

 (ゆふめしにかますご喰へば風薫麻耶が高根に雲のかかれる)

 

 カマスゴは体長十センチくらいの魚で、瀬戸内海の名産。特に兵庫県の明石海峡付近がよく獲れる。一年魚をシンコ、二年魚をフルセと呼よび、関西では酒の肴として好まれている。カマスゴの稚魚のイカナゴは二月から三月ごろが旬で、醤油と砂糖でくぎ煮ににする。

 前句の麻耶山からその土地の名産「カマスゴ」を付ける。「風薫(かぜかをる)」は連体形とも終止形とも取れ、ここでは連体形で「風薫る麻耶が高根に」と枕詞のように読み下した方がいいだろう。

 

季語は「風薫」で夏。

 

十句目

 

   ゆふめしにかますご喰へば風薫

 蛭の口処をかきて気味よき     芭蕉

 (ゆふめしにかますご喰へば風薫蛭の口処をかきて気味よき)

 

 カマスゴを夕飯に食う人を農夫の位(くらい)で付けている。「風薫」も「気味よき」で響ひびきでつながり、疎句だがしっかりと付いている。ここでは「風薫」は終止形となる。

 余談だが、幸福とは何かと問われて、「苦痛から解放されることだ」と答えると、「ならば水虫を掻いている時は幸福か」と切り返す人がいるが、これは詭弁だ。

 水虫を掻いて気持ちが良いのは、その刺激で苦痛が紛れるからで、苦痛がなくなったわけではない。水虫が完治すればそれは幸福だと思う。

 

季語は「蛭」は夏、虫類。

 

十一句目

 

   蛭の口処をかきて気味よき

 ものおもひけふは忘れて休む日に  野水

 (ものおもひけふは忘れて休む日に蛭の口処をかきて気味よき)

 

 「物思ひ」は恋の悩みのことで、恋に転じる。ただ、恋の悩みに休日があるというのは、普通の恋の発想ではない。遊女か何かの休日と取って、しつこい客やらから解放されてくつろぎ、「蛭の口処」もそのものの意味にではなく比喩に取った方がいい。

 「蛭の口処」を比喩に取り成して、恋の意味に転じた、心付けの句になる。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   ものおもひけふは忘れて休む日に

 迎せはしき殿よりのふみ      去来

 (ものおもひけふは忘れて休む日に迎せはしき殿よりのふみ)

 

 殿といっても本当の殿様ではなく、女を囲っている男のことだろう。もっとも、一句としては文字通りの殿とも取れるあたり、次の句への展開を考えてのことかもしれない。

 せっかくの休日なのに呼び出されて、謡曲『熊野』の無理花見に呼び出される心境だろうか。前句「に」に、単に「そこに」の意味と「なのに」の意味があるのを生かして、女の苦悩を描いた心付の句になる。

 

無季。恋。「殿」は人倫。

 

十三句目

 

   迎せはしき殿よりのふみ

 金鍔と人によばるる身のやすさ   芭蕉

 (金鍔と人によばるる身のやすさ迎せはしき殿よりのふみ)

 

 去来の思惑通り、「殿」を文字通り大名などに取り成して位で付ける。

 金鍔(きんつば)というのは金箔をした豪華な刀の鍔のことで、それが転じて若殿に仕える老いた家老のことをいうようになったと言われている。

 頼りない殿様に対し、実権を持っている金鍔は、何不自由なくいつもどっしりと構えていて、かえって殿様の方が何かあるたびに頼ってきて、文をよこして、早く来てくれと言う。

 

無季。「人」も「身」も人倫。

 

十四句目

 

   金鍔と人によばるる身のやすさ

 あつ風呂ずきの宵々の月      凡兆

 (金鍔と人によばるる身のやすさあつ風呂ずきの宵々の月)

 

 「金鍔」とはいっても本当の家老クラスではなく、町には町の金鍔と呼ばれる人もいたのだろう。位(くらい)を下さげて「金鍔」「あつ風呂ずき」と移る。家督を息子に任せて隠居した老人か何かか。なぜか年寄りというと熱い風呂を好むという。「宵々の月」も、仕事もなく、ただ日々月を見ながら過す「身のやすさ」に付く。

 なお、この時代は湯船にお湯を張った「水風呂」が急速に広まっていった時代で、それまではサウナが主流だった。あつ風呂は水風呂と思われるので、それを自宅に備えるというのは、当時としては先端を行く人だったのだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十五句目

 

   あつ風呂ずきの宵々の月

 町内の秋も更行明やしき      去来

 (町内の秋も更行明やしきあつ風呂ずきの宵々の月)

 

 民謡『会津磐梯山』の歌詞に「小原庄助さん、なんで身上つぶした、朝寝、朝酒、朝湯が大好で、それで身上つぶした」とあるが、この歌はかなり新らしいものだろう。

 宵々熱い風呂につかりながら、遊んで暮らしていたら、いつしか家も傾むいて屋敷も売りに出されてしまったのだろう。

 「宵々の月」に「秋も更行く」と付く。熱い風呂の好きな風流人の住む町内も宵々の月に秋も更け行き、いつしか家も空き家となった。

 「宵々の月」のあとに「の夢の跡」とでも付け加えれば、句の意味はわかりやすくなる。

 

季語は「秋」で秋。「やしき」は居所。

 

十六句目

 

   町内の秋も更行明やしき

 何を見るにも露ばかり也      野水

 (町内の秋も更行明やしき何を見るにも露ばかり也)

 

 「明(あき)やしき」に「露ばかり」と無常の心を付ける。屋敷の主は亡くなって、それで空家になったのだろう。

 

季語は「露」で秋、降物。無常。

 

十七句目

 

   何を見るにも露ばかり也

 花とちる身は西念が衣着て     芭蕉

 (花とちる身は西念が衣着て何を見るにも露ばかり也)

 

 これまでは凡兆、芭蕉、野水、去来の順で詠んだら、次は一人目と二人目、三人目と四人目を入れ替えて、芭蕉、凡兆、去来、野水の順で詠み、次は元に戻ると繰り返してきた。この順番だと、次は凡兆の番だが、凡兆が師匠である芭蕉に遠慮したのか、芭蕉が花を持つことになる。

 前句の無常を暗示させる句に「花とちる」と付け、花の散った後は露ばかり、として、そこに西念という僧の衣を着た人物を登場させる。西念はおそらく架空の僧で、特に誰ということではないのだろう。「西」は西方浄土を暗示させるし、西行法師の俤とも取れる。

 ちなみにウィキペディアの「西念 (曖昧さ回避)」を見ると、

 

 〇西念 - 平安時代後期の宗派・経歴不詳の僧。京都市で発掘された仏教遺物の埋蔵者。

 〇西念 (天台宗) - 平安時代後期の天台宗の僧侶。観空西念とも。峰定寺を創建。

 〇西念 (浄土真宗) - 鎌倉時代の浄土真宗の僧侶。親鸞聖人二十四輩の1人。

 〇西念 (金沢市) - 石川県金沢市にある地名

 

とある。いずれも当時有名だったというわけではなさそうだ。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「身」は人倫。「衣」は衣裳。

 

十八句目

 

   花とちる身は西念が衣着て

 木曾の酢茎に春もくれつつ     凡兆

 (花とちる身は西念が衣着て木曾の酢茎に春もくれつつ)

 

 酸茎菜(すぐきな)は蕪の一種で千枚漬け、しば漬けとともに京都の三大名産漬物とされているが、木曾でもスンキと呼ばれ、スンキ蕎麦という名物料理がある。ともに冬のものだが、冬に漬け込んでおけば春の終りまでは持つ。

 「散る花」に「春の暮れ」という付け合いは普通だが、それに加え、架空の僧西念の衣を着て、西行法師のように旅をする僧の位(くらい)でも付けている。京都の酸茎菜が思いもかけず木曾で食べられたことに感激しつつ、遠い都を偲んでいるのだろう。

 

季語は「春の暮」で春。「木曾」は名所。

二表

十九句目

 

   木曾の酢茎に春もくれつつ

 かへるやら山陰伝ふ四十から    野水

 (かへるやら山陰伝ふ四十から木曾の酢茎に春もくれつつ)

 

 普通帰る鳥というと渡り鳥のことで、ねぐらへ帰る鳥はいわゆる春の季語としての「帰る鳥」ではない。シジュウカラは留鳥で渡りはしないが、冬の間群を作って移動する習性があることから、渡り鳥と誤解されていたのだろう。

 春が終る頃になるとシジュウカラは繁殖期に入り、縄張り宣言をして群を解消してゆく。

 野水の句にしても「かへるやら」と何とも微妙な言い回しをしていて、はっきり「帰る」とは言い切っていない。「木曾」に「山陰(やまかげ)」と付き、春の暮に帰る鳥とりの情を添えている。

 

「帰る鳥」は春、鳥類。「山陰」は山類。

 

二十句目

 

   かへるやら山陰伝ふ四十から

 柴さす家のむねをからげる     去来

 (かへるやら山陰伝ふ四十から柴さす家のむねをからげる)

 

 屋根は普通藁や萱で葺くが、春などの季節的に藁や萱がないときには柴で仮に葺く。 晩春の山深い里の匂いで、柴を棟にくくりつけて仮修復している情景を付けている。

 

無季。「家」は居所。

 

二十一句目

 

   柴さす家のむねをからげる

 冬空のあれに成たる北颪      凡兆

 (冬空ふゆぞらのあれに成なりたる冬空のあれに成たる北颪)

 

 「からぐ」には「絡める」と「捲り上る」の両方の意味がある。この句は前句の「からげる」を括りつけるの意味にではなく、風に捲れ上るさまに取り成し、「北颪(きたおろし)」という主語に「からげる」という述語を付けている。「北颪」は冬の北風が北の山から吹き降ろしてくるさまで、太平洋側では乾いた冷たい空っ風になる。

 

季語は「冬空」で冬。

 

二十二句目

 

   冬空のあれに成たる北颪

 旅の馳走に有明しをく       芭蕉

 (冬空のあれに成たる北颪旅の馳走に有明しをく)

 

 「有明(ありあか)し」は有明行灯(ありあけあんどん)のこととも、それよりやや大型のものとも言う。有明行灯は枕元を照らすための小型の行灯で、寝ぼけてひっくり返さないように箱型をしている。

 冬の木枯し吹きすさぶ宿では、旅人も寒くて心細かろうと、宿の主人の気遣いで有明行灯を枕元に置いておいてくれたのだろう。

 土芳の『三冊子』には「馳走の字さび有。あれに成たると、心のしほりに旅亭のさびを付つけて寄る也。」とある。前句の心細さに有明行灯が最大限の馳走であるというところにさびがある。

 

無季。旅体。「有明し」は夜分。

 

二十三句目

 

   旅の馳走に有明しをく

 すさまじき女の智恵もはかなくて  去来

 (すさまじき女の智恵もはかなくて旅の馳走に有明しをく)

 

 すさまじは「興覚め」という意味と「殺風景」の意味がある。古註の多くが『枕草子』の「すさまじきもの」の俤としている。ただ、なにが凄まじいかは意見が分かれている。

 その「すさまじきもの」は以下の通り。

 

 「すさまじきもの。昼ほゆる犬、春の網代。三四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。ちご亡くなりたる産屋。火起こさぬ炭櫃、地下炉。博士のうちつづき女子生ませたる。方たがへにいきたるに、あるじせぬ所。まいて、節分などは、いとすさまじ。」

 

 そのあとまだいろいろ続くが、今日の言葉だと「むなしい」に近いかもしれない。

 『七部集振々抄』(振々亭三鴼著、天明四年)には、

 

 「出女などの虚言に旅人を謀たるなり。」

 

とあり、『俳諧古集之弁』(遅日庵杜哉、寛政四年刊)には、

 

 「枕双紙に、清少納言宮に随ひまいらせて、生昌が家にやどりし時、于定国がふるごとをもて門の狭きを難ず。その才発にめでけるや、灯台のひかりあらはなるに忍びよれることあり。かかる風流をなん趣向したらめ。尤就中の塩梅をみるべし。」

 

とある。「生昌が家にやどりし時」は『枕草子』第八段の、

 

 「おなじ局にすむわかき人々などして、よろづのこともしらず、ねぶたければみなねぬ。

 ひんがしの対の西の廂、北かけてあるに、北の障子に懸金もなかりけるを、それも尋ねず。家あるじなれば、案内をしりてあけてけり。

 あやしくかればみさわぎたるこゑにて、

 「さぶらはむはいかに、いかに。」

と、あまたたび言う声にぞおどろきて見れば、几帳のうしろにたてたる燈台の光はあらはなり。障子を五寸ばかりあけていうなりけり。いみじうをかし。

 さらにかやうのすきずきしきわざ、ゆめにせぬものを、わが家におはしましたりとて、むげに心にまかするなめりと思ふもいとをかし。

 かたはらなる人をおしおこして、

 「かれ見給へ。かかるみえぬものあめるは。」

といへば、かしらもたげて見やりて、いみじうわらふ。

 「あれはたそ、顕證に。」

といへば、

 「あらず。家のあるじと、さだめ申すべきことの侍るなり。」

といへば、

 「門のことをこそ聞えつれ、障子あけ給へ。とやは聞えつる。」

と言へば、

 「なほ、そのことも申さむ。そこにさぶらはんはいかに、いかに。」

と言へば、

 「いと見苦しきこと。さらにえおはせじ。」

とて笑ふめれば、

 「若き人おはしけり。」

とて、ひきたてて往ぬる、のちに、わらふこといみじう、あけんとならば、ただ入りねかし。消息を言はむに、よかなりとは、たれか言はん、と、げにぞをかしき。」

 

の場面をいう。

 まあ、中宮定子が身分の低い生昌の家に来た時に、女房の部屋にこっそり夜這いを掛けた生昌が戸を開けた所、灯台の灯りがともっていて顔もしっかり見られて、という話だ。まあ、夜這いと言ってほとんど修学旅行で男子が女子の部屋にこっそりやって来るような乗りだが。

 これを俤にして、宿の出女の話に作り替えたということなのだろう。

 昔の宿場の宿屋には出女という客引きを兼ねた売春婦がいて、それに誘われて行っては見たけど、何を思ったか有明行燈が煌々と灯っている。

 

季語は「すさまじ」で秋。「すさまじ」は「冷まじ」とも書かき、秋の寒々とした風情をもいう。恋。「女」は人倫。

 

二十四句目

 

   すさまじき女の智恵もはかなくて

 何おもひ草ぐさ狼のなく      野水

 (すさまじき女の智恵もはかなくて何おもひ草ぐさ狼のなく)

 

 「おもひ草」は『万葉集』巻まき十、二二七○に、

 

 道の辺の尾花が下の思ひ草

    今さらなにの物か思はむ

               よみ人しらず(続後拾遺集)

 

の歌がある。薄の根元に寄生するというところから、ナンバンギセルではないかと言われている。

 狼は今では童話「赤頭巾ちゃん」のイメージで、男は狼なんていうが、それは近代に入ってからのことで、当時の狼にそのような含みはない。あくまで秋の山奥の物寂びしげな遠吠の声のイメージで、妻訪う鹿のびいと鳴く声ほどの艶もなく、ただただ「凄まじい」。

 「すさまじ」を秋の「冷まじ」と取り成して、「すさまじき(かな)。女おんなの智恵ちえもはかなくて、(一体いったい)何なにを(思おもう)思い草。狼のなく」と付く。

 

季語は「おもひ草」で秋、植物、草類。恋。

 

二十五句目

 

   何おもひ草ぐさ狼のなく

 夕月夜岡の萱ねの御廟守る     芭蕉

 (夕月夜岡の萱ねの御廟守る何おもひ草ぐさ狼のなく)

 

 「おもひ草」は薄に寄生するため、「おもひ草」と萱・薄は付つけ合あいとなる。

 

 野辺見れば尾花がもとの思ひ草

     枯ゆく冬になりぞしにける

               和泉式部(新古今集)

 訪へかしな尾花がもとの思ひ草

     しをるる野辺の露はいかにと

               源通光(新古今集)

 

など多くの和歌に詠まれている。「尾花がもとの思ひ草」は決まり文句になっている。

 「夕月」は夕方に昇る月で、満月にはちょっと早く、やや中途半端な寂しさが漂よう。

 薄が生い茂る御廟もまた、手入れをする人もなく荒れ果てた風情で、夕月だけが静かに見守っている。そんな御廟の姿に何を思ってか狼の声がする、と付く。

 

季語は「夕月夜(ゆふづくよ)」は秋、夜分、天象。「萱(かや)ね」は植物、草類。

 

二十六句目

 

   夕月夜岡の萱ねの御廟守る

 人もわすれしあかそぶの水     凡兆

 (夕月夜岡の萱ねの御廟守る人もわすれしあかそぶの水)

 

 「御廟守る」を終止形とせず、連体形にして「御廟守るあかそぶの水」と付けた句。

 墓所の傍(かたわら)にはお墓を清めるための水を汲む井戸があるもので、人も忘れたような古井戸だけが御廟を守っている。

 「あかそぶ」は「赤渋(あかしぶ)」の訛で、古くなった水が鉄分などで濁って赤くなったものをいう。

 

無季。「人」は人倫。

 

二十七句目

 

   人もわすれしあかそぶの水

 うそつきに自慢いはせて遊ぶらん  野水

 (うそつきに自慢いはせて遊ぶらん人もわすれしあかそぶの水)

 

 誰も知らないような忘れられた井戸は何やら怪しげで、日頃から法螺話の好きな人がこれをネタにして自慢話をしているのだろうか、と付けた句。心付け。

 大方井戸から幽霊が出てきたけど成仏させたという話だろう。仏教の御利益を説くには「嘘も方便」と言われている。

 「うそつき」は「嘘説(うそとき)」のことで、物語をする人のことだとも言う。

 

無季。

 

二十八句目

 

   うそつきに自慢いはせて遊ぶらん

 又も大事の鮓を取出だす      去来

 (うそつきに自慢いはせて遊ぶらん又も大事の鮓を取出だす)

 

 「鮓(すし)」というのは「なれ寿司」のことで、今でいう江戸前寿司や大阪寿司はこの時代はまだない。塩で漬け、乳酸発酵させて腐敗を防ぐ食べ物で、鮒鮨は夏に仕込んで翌年の春に食べごろになるが、鮎鮨は夏が食べごろで、旅の弁当として売られている。夏の季語とされている。

 この句は、うそつきに鮨を振舞とする説もあるが、いかにも法螺吹きのしそうなこととして、位付けで、この鮨がいかに大事なものかと講釈しながらうやうやしく取り出していると見たほうがいい。

 そうなると、「いはせて」は使役ではなく、「勝手に言わせて」というようなニュアンスだろう。自慢話はうざいが鮨が食たべられるなら、我慢して適当に聞き流す方がいい。

 

季語は「鮨」で夏。

 

二十九句目

 

   又も大事の鮓を取出だす

 堤より田の青やぎていさぎよき   凡兆

 (堤より田の青やぎていさぎよき又も大事の鮓を取出だす)

 

 寿司は保存性が高いから、旅の弁当にちょうどいい。「鮨」を「弁当」として、その匂いで、夏の景色のいい様子を付けている。遠くに見える川の堤防から手前にかけて一面の田は青々としていてすがすがしく、さっき弁当を半分食ったばかりなのに又も、というところが俳味があり取り囃しになる。

 

季語は「青田」で夏。「堤」は水辺。

 

三十句目

 

   堤より田の青やぎていさぎよき

 加茂のやしろは能き社なり     芭蕉

 (堤より田の青やぎていさぎよき加茂のやしろは能き社なり)

 

 かつて加茂川べりは一面の田んぼだったのか。「いさぎよき」に神道の清く明き心を読み取って賀茂神社を讃美する神祇の句へと持っていった匂い付けの句。

 「やしろ」を二度にども反復し、「能き」などという単純な言い回しをするあたり、一見拙なそうでいてキャッチーで力強さもあり、古代の素直で素朴な人の心を感じさせる。

 

無季。神祇。「加茂」は名所。

二裏

三十一句目

 

   加茂のやしろは能き社なり

 物うりの尻声高く名乗りすて    去来

 (物うりの尻声高く名乗りすて加茂のやしろは能き社なり)

 

 前句の素朴な調子に、物売の声に相通じる匂いを感じ取ったのだろう。賀茂神社の門前には出店も並び、物売の声でにぎわっていた。人が大勢集まるのも、賀茂神社の徳といえよう。

 

無季。「物うり」は人倫。

 

三十二句目

 

   物うりの尻声高く名乗りすて

 雨のやどりの無常迅速       野水

 (物うりの尻声高く名乗りすて雨のやどりの無常迅速)

 

 「尻声高く」を売るときの声ではなく、雨宿を乞う声に取り成し、我われは○○なりとでも大声で挨拶して雨宿をしたというふうにしたのだろう。

 商売も天候に左右され、思うようにいかないことから、人の世の常ならざることをハッと悟るという、発心の句にする。。

 迅速というと「電光石火」という言葉もある。これは本来一瞬にしてハッと悟りを開くさまをいうもので、いわば頓悟説に基づいて、本当の悟りは努力や学問の積み重ねを超えて一瞬の閃めきのように訪ずれることを説くものだ。

 雨宿りというと、

 

 世にふるもさらに時雨の宿りかな  宗祇

 

の句も思い起こされる。生きているというのは苦しく、冷たい時雨に打たれながら、一瞬の雨宿りに人の情の暖かさを知り、そして、本当に大切なのはその一瞬だというもので、生きとし生けるものはすべては死に向かい、それが避けられない運命だからこそ、命を軽視するのではなく、生きているうちの微かな心の小さな光を大切にしなくてはいけないと説く。

 

無季。「雨」は降物。

 

三十三句目

 

   雨のやどりの無常迅速

 昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ   芭蕉

 (昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ雨あめのやどりの無常迅速じんそく)

 

 芭蕉には、

 

 いなづまに悟らぬひとのたふとさよ 芭蕉

 

の句もある。「電光石火」という言葉もあるが、実際にまばゆいばかりの光が炸裂し、轟音を立てて雷が落ちて来ても平然としていられるのは、これで悟りを開くというのではなく、もう既に悟っている人なのだろう、という句だ。

 雨宿りに悟りを開く人も尊いが、急な雨でも平然としているのは、既に悟りを開いているのだからもっと尊といのではないかと、人にではなく昼でも平然と寝ている青鷺の姿に思う。

 

無季。「青鷺」は鳥類。

 

三十四句目

 

   昼ねぶる青鷺の身のたふとさよ

 しょろしょろ水に藺のそよぐらん  凡兆

 (昼ねぶる青鷺の身のたふとさよしょろしょろ水に藺のそよぐらん)

 

 藺草は畳、ござ、笠、草履など様々さまざまなものに利用され、農閑期を利用して栽培される。「鷺の尻刺し」という別名めいがあるところからの発想による移りだろうか。

 田植前の晩春の田んぼにちょろちょろ(しょろしょろ)と水が流れイグサも収穫間近というところで、青鷺が長閑に昼寝をしている。

 花の定座の前なので、軽く春の景色を付けて花の句を出しやすくする気遣いなのだろう。しかし、それだけに次に来る花の句は予定調和的になりやすい。それを次の番の去来はどう解決かいけつするのか、ということになる。

 

無季。「藺」は植物、草類。

 

三十五句目

 

   しょろしょろ水に藺のそよぐらん

 糸桜腹いっぱいに咲にけり     去来

 (糸桜腹いっぱいに咲にけりしょろしょろ水に藺のそよぐらん)

 

 前句がいかにも春爛漫という景色なだけに、ここで単に満開の花の美しさを言うだけでは面白くないところだ。

 この句に関しては『去来抄』「故実」に、

 

 「去来曰、此時予花を桜にかへんといふ。先師曰、故はいかに。去来曰、凡花は桜にあらずといへる、一通りはする事にて、花婿茶の出はな抔(など)なども、はなやかなるによる。はなやかなりと云ふも據(よるところ)有り。必竟花はさく節をのがるまじと思ひ侍る也。先師曰、さればよ、古は四本の内一本は桜也。汝がいふ所もゆへなきにあらず。兎(と)もかくも作すべし。されど尋常の桜に替かへたるは詮せんなし。糸桜一(ひとつ)はひと句主我まま也と笑ひ給ひけり。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』p.54~55)

 

 ここで去来は芭蕉に向って、ここは「花」ではなく「桜」の句にしてはどうかと問とう。

 「花」は桜とは限らず、「花婿」「出花」なども華やかなるがゆえに正花として扱かわれている。ならば、華やかさがあれば桜でもいいのではないか、と去来は言う。

 「なるほど。昔は百韻一巻の四本の花のうち一本は桜だった。やってみろ。ただし、普通の桜では面白くない。」

 そこで去来は「糸桜(枝垂桜)」の句にした。

 このエピソードの中なかで、実はかつて「四本の花のうち一本は桜だった」というのは疑がわしい。連歌の朝廷の権威に基づく公式ルールである「応安新式」には、四本のうち一本は似せ物の花(比喩としての花)としているだけで、「桜」でもいいとは言っていない。

 もっとも、中世の連歌にはそもそも定座という発想そのものが存在しなかったのだから、その意味ではここで花を出さなくてはならない必然性は何もない。

 定座は安土物山時代くらいから花の句を貴人・功者の詠むべきものとして遠慮する習慣が広まり、だからといって花の句がないのは寂しいという理由で、各懐紙の最後の長句(五七五の句)で必ず花の句を出すようにしようということで広まった慣習であり、式目ではない。

 ただ、ひとたび慣習として定着してしまうと、逆いがたいものがある。この一句は芭蕉にとっても去来にとっても一つの挑戦だったといっていいだろう。定座は式目ではないので、どのみち式目には違反していない。

 

季語は「糸桜」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   糸桜腹いっぱいに咲にけり

 春は三月曙の空          野水

 (糸桜腹いっぱいに咲にけり春は三月曙の空)

 

 さあ、「挙げ句の果て」という言葉もある最後の句。糸桜の満開な景色に軽く春の三月曙(あけぼの)と時間を付けて終りにする。

 エンディングというのは本来大事なものなのだが、花の定座の慣習が定着してしまうと、挙げ句はほとんどの場合春の句となり、どうしても変化に乏しくなる。野水のこの句は、あえて奇をてらわず、前句の花の句を引き立たすようにおとなしく終っている。これはこれで一ひとつの答こたえだろう。

 

季語は「春は三月」で春。