「ぬれて行や」の巻

元禄二年七月二十六日歓生邸

初表

 ぬれて行や人もおかしき雨の萩   芭蕉

   すすき隠に薄葺家       亨子

 月見とて猟にも出ず船あげて    曾良

   干ぬかたびらを待かぬるなり  北枝

 松の風昼寝の夢のかいさめぬ    コ蟾

   轡ならべて馬のひと連     志格

 日を経たる湯本の峯も幽なる    斧卜

   下戸にもたせておもき酒樽   塵生

 

初裏

 むらさめの古き錣もちぎれたり   李邑

   道の地蔵に枕からばや     視三

 入相の鴉の声も啼まじり      夕市

   歌をすすむる牢輿の船     芭蕉

 肌の衣女のかほりとまりける    志格

   ふみ盗まれて我うつつなき   コ蟾

 より懸る木よりふり出す蝉の声   北枝

   雷あがる塔のふすぼり     曾良

 世に住ば竹のはしらも只四本    亨子

   朝露きゆる鉢のあさがほ    李邑

 夜もすがら虫には声のかれめなき  夕市

   むかしを恋る月のみささぎ   斧卜

 ちりかかる花に米搗里ちかき    塵生

   雛うる翁道たづねけり     視三

 

二表

 蝶の羽や赤き袂に狂ふらん     北枝

   はしの上より投るさかづき   曾良

 響来る木魚に心角折て       芭蕉

   目鏡して見て澄渡る月     塵生

 道の名と盗人の名は残る露     曾良

   しかふみくづす石の唐櫃    北枝

 野社は樫の実生の幾かかへ     塵生

   病の癒て歩行はつ雪      芭蕉

 一度は報ひ返さん扶持の礼     北枝

   あなかま鼠夜の戸障子     曾良

 侘しさに心も狭き蚊帳釣て     芭蕉

   かみ切る所を夫はおさゆる   塵生

 入山のいばらに落しうき泪     曾良

   霜に淋しき猿の足跡      北枝

 

二裏

 岩にただ粥たき捨し鍋一ツ     塵生

   甲は笹の中にかくれて     芭蕉

 追剥の砧をならす秋のくれ     北枝

   月に起臥乞食の樂       曾良

 長き夜に碁をつづり居るなつかしさ 芭蕉

   翠簾に二人がかはる物ごし   塵生

 祈られてあら怖しとうち倒れ    曾良

   汗は手透に残る朝風      北枝

 問丸の門より不二のうつくしく   塵生

   鰤呼頃も都しづけき      芭蕉

 長生は殊更君の恩深き       北枝

   賤が袴はやれるともなき    曾良

 はつ花は万才帰る時なれや     芭蕉

   酒にいさめる宿の山吹     塵生

 

      参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 ぬれて行や人もおかしき雨の萩  芭蕉

 

 芭蕉の『奥の細道』の旅の途中の小松滞在で、二十五日には「しほらしき」の世吉が興行された。そして翌二十六日の曾良の『旅日記』にはこうある。

 

 「廿六日 朝止テ巳ノ刻ヨリ風雨甚シ。今日ハ歓生方へ被招。申ノ刻ヨリ晴。夜ニ入テ、俳、五十句。終テ帰ル。庚申也。」

 

 庚申(かのえさる)の夜には人の体の中にいる三尸の虫が寝ている間に抜け出して、天帝にその人間の罪を報告するというので、それを防ぐために大勢で集まり談笑しながら夜を徹する。これを庚申待という。

 この五十韻興行も、庚申待ということで夜を徹して行われたのであろう。「終テ帰ル。」が何時ごろなのかはわからないが。

 「おかしき」は古語で用いられる「面白い、趣がある」という意味。

 雨の中で濡れていても、周りに萩の花が咲いていれば楽しい気分になる。

 この日は昼間は激しい雨が降り、夕方には止んだが、昼間の雨を引き合いに出して、雨の中をたくさんの人が集まり、さながら萩の原を行くようです、という挨拶の意味が込められている。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。「人」は人倫。「雨」は降物。

 

 

   ぬれて行や人もおかしき雨の萩

 すすき隠に薄葺家        亨子

 (ぬれて行や人もおかしき雨の萩すすき隠に薄葺家)

 

 亨子は曾良の『旅日記』にあった歓生のこと。

 雨の萩の原にススキの家で雨宿りできれば、濡れて行く人もじっくりと萩の花を観賞できる。

 ススキに囲まれた中のススキで葺いた家と、ススキ尽くしで語呂がいい。

 脇句の挨拶としては、いかにも粗末な家ですと謙遜しているが、実際大勢集まっているところを見ると、結構立派な家だったのだろう。

 

季語は「すすき」で秋、植物、草類。「家」は居所。

 

第三

 

   すすき隠に薄葺家

 月見とて猟にも出ず船あげて   曾良

 (月見とて猟にも出ず船あげてすすき隠に薄葺家)

 

 ススキで葺いた粗末な漁師の家でも、今日は月見ということで猟を休む。

 昔から水産資源を保護するために、いろいろな名目で禁漁の日もあったのだろう。それを破ると「阿漕が浦」つまり阿漕な奴ということになる。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。「船」は水辺。

 

四句目

 

   月見とて猟にも出ず船あげて

 干ぬかたびらを待かぬるなり   北枝

 (月見とて猟にも出ず船あげて干ぬかたびらを待かぬるなり)

 

 月明かりで辺りを遊び歩きたい気分だが、干した帷子がなかなか乾かない。

 

季語は「かたびら」で夏、衣裳。

 

五句目

 

   干ぬかたびらを待かぬるなり

 松の風昼寝の夢のかいさめぬ   コ蟾

 (松の風昼寝の夢のかいさめぬ干ぬかたびらを待かぬるなり)

 

 コ蟾は「しほらしき」の巻に登場した山王神主藤村伊豆、皷蟾のこと。

 松風の寂しげな音に夢を破られ、目を覚ますが、帷子はまだ乾いていない。

 

無季。「松」は植物、木類。

 

六句目

 

   松の風昼寝の夢のかいさめぬ

 轡ならべて馬のひと連      志格

 (松の風昼寝の夢のかいさめぬ轡ならべて馬のひと連)

 

 志格も「しほらしき」の巻に参加している。

 松の木の下で一休みしていたのは馬を曳いてやってきた一団だった。当時の物流を支えてきた馬子たちを労っての一句だろう。今で言えば道の駅で休む長距離トラックの一団か。

 

無季。「馬」は獣類。

 

七句目

 

   轡ならべて馬のひと連

 日を経たる湯本の峯も幽なる   斧卜

 (日を経たる湯本の峯も幽なる轡ならべて馬のひと連)

 

 斧卜も「しほらしき」の巻の参加者。

 馬の列を温泉街の景色とする。

 

無季。「峯」は山類。

 

八句目

 

   日を経たる湯本の峯も幽なる

 下戸にもたせておもき酒樽    塵生

 (日を経たる湯本の峯も幽なる下戸にもたせておもき酒樽)

 

 塵生も「しほらしき」の巻の参加者。

 飲めないのに酒樽を持たされて、そりゃあ災難だ。飲める人はみんな出来上がっちゃったかな。

 

無季。

初裏

九句目

 

   下戸にもたせておもき酒樽

 むらさめの古き錣もちぎれたり  李邑

 (むらさめの古き錣もちぎれたり下戸にもたせておもき酒樽)

 

 錣(しころ)はコトバンクの「大辞林 第三版の解説」に、

 

 「①兜かぶと・頭巾ずきんの左右・後方に下げて首筋をおおう部分。 → 兜

  ② 「錏庇しころびさし」に同じ。」

 

とある。今だと消防士のヘルメットの横についているものを想像すればいいだろう。

 雨を防ぐ役割もあるので、村雨が降っているというのに錣が古くなって千切れて役に立たない、という意味だろう。

 落ち武者か、それとも熊坂のような盗賊か、特に誰ということもないので俤とは言えないだろう。落ちぶれても酒樽は手放さないが、それを持たされる人はたまったものではない。

 

無季。「むらさめ」は降物。

 

十句目

 

   むらさめの古き錣もちぎれたり

 道の地蔵に枕からばや      視三

 (むらさめの古き錣もちぎれたり道の地蔵に枕からばや)

 

 落ちぶれた雰囲気から、道端の小さな地蔵堂で夜を明かす。「しほらしき」の巻の十句目、

 

   鳥居立松よりおくに火は遠く

 乞食おこして物くはせける    曾良

 

を思い出す。

 

無季。旅体。

 

十一句目

 

   道の地蔵に枕からばや

 入相の鴉の声も啼まじり     夕市

 (入相の鴉の声も啼まじり道の地蔵に枕からばや)

 

 夕市は「しほらしき」の巻にも参加している。

 枕を借りる頃というので、夕暮れの入相の鐘とねぐらに帰るカラスの声を付ける。

 

無季。「鴉」は鳥類。

 

十二句目

 

   入相の鴉の声も啼まじり

 歌をすすむる牢輿の船      芭蕉

 (入相の鴉の声も啼まじり歌をすすむる牢輿の船)

 

 「牢輿(ろうごし)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 囚人を護送するために用いる輿。

  ※金刀比羅本保元(1220頃か)下「さしもきびしく打付たる籠輿(ロウゴシ)の」

 

とある。牢輿の船は護送船だろう。処刑の時も近く、辞世を勧める。

 船ではないが、『懐風藻』の大津皇子に仮託された、

 

 金烏臨西舎 鼓声催短命

 泉路無賓主 此夕誰家向

 黄金烏が棲むという太陽も西にある住まいへ沈もうとし、

 日没を告げる太鼓の声が短い命をせきたてる。

 黄泉の国への旅路は主人もいなければお客さんもいない。

 この夕暮れは一体誰が家に向かっているのだろう。

 

の詩も思い浮かぶ。(この詩については以前『野ざらし紀行─異界への旅』の「十四、僧朝顔」でも触れているのでよろしく。)

 

無季。「船」は水辺。

 

十三句目

 

   歌をすすむる牢輿の船

 肌の衣女のかほりとまりける   志格

 (肌の衣女のかほりとまりける歌をすすむる牢輿の船)

 

 「牢輿の船」を売られてゆく遊女の舟としたか。遊女も歌をたしなむ。

 

無季。恋。「衣」は衣裳。「女」は人倫。

 

十四句目

 

   肌の衣女のかほりとまりける

 ふみ盗まれて我うつつなき    コ蟾

 (肌の衣女のかほりとまりけるふみ盗まれて我うつつなき)

 

 脱いだ服から女の匂いがするというので、女房が気付いて何か浮気の証拠がないかと探したのだろう。手紙が見つかってしまっては万事休す。生きた心地もしない。

 

無季。恋。「我」は人倫。

 

十五句目

 

   ふみ盗まれて我うつつなき

 より懸る木よりふり出す蝉の声  北枝

 (より懸る木よりふり出す蝉の声ふみ盗まれて我うつつなき)

 

 「うつつなき」から「空蝉」の連想であろう。

 呆然として木に寄りかかれば蝉の声が雨のように降り出し、それにつられて蝉の脱げからのような我もまた泣く。

 ちなみに蝉時雨という言葉があるが、越人撰『庭竈集』(享保十三年刊)の、

 

   川音・松風の時雨は涼しきに

 冬の名の時雨に似ぬか蝉の声   簔笠

   時雨といへば雨の字あれども

 蝉の声時雨るる松に露もなし   飛泉

 時雨だけいよいよ暑し蝉の声   嘉吟

 

あたりが最初か。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。「木」は植物、木類。

 

十六句目

 

   より懸る木よりふり出す蝉の声

 雷あがる塔のふすぼり      曾良

 (より懸る木よりふり出す蝉の声雷あがる塔のふすぼり)

 

 「ふすぼる」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①くすぶる。けぶる。

  出典反魂香 浄瑠・近松

  「お寝間(ねま)の内は抹香でふすぼりますと言ひければ」

  [訳] ご寝室の中はお香でくすぶりますと言ったところ。

  ②すすける。黒ずむ。

  出典平家物語 三・頼豪

  「もってのほかにふすぼったる持仏堂にたてごもって」

  [訳] (護摩をたく煙で)予想外にすすけている持仏堂にたてこもって。◇「ふすぼっ」は促音便。」

 

とある。雷が落ちたのだろうか。

 夕立の後、再びセミが鳴きだす。

 

季語は「雷」で夏。

 

十七句目

 

   雷あがる塔のふすぼり

 世に住ば竹のはしらも只四本   亨子

 (世に住ば竹のはしらも只四本雷あがる塔のふすぼり)

 

 竹柱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 枝をはらった竹の幹を用いた家の柱。

  ※池田家文庫本唯心房集(12C後)「よをいとふくさのいほりのたけはしらたてたるすぢのむつましきかな」

 

とある。

 高い塔には雷が落ちるが、竹の柱の粗末な家なら安心して住める。

 

無季。

 

十八句目

 

   世に住ば竹のはしらも只四本

 朝露きゆる鉢のあさがほ     李邑

 (世に住ば竹のはしらも只四本朝露きゆる鉢のあさがほ)

 

 朝顔の鉢に四本の竹の柱を立てる。これが朝顔の世の棲家。

 

季語は「朝露」で秋、降物。「あさがほ」も秋、植物、草類。

 

十九句目

 

   朝露きゆる鉢のあさがほ

 夜もすがら虫には声のかれめなき 夕市

 (夜もすがら虫には声のかれめなき朝露きゆる鉢のあさがほ)

 

 夜通し虫は鳴き続けてきて、朝が来て朝顔が咲き、朝露が降りては消えてゆく。

 

季語は「虫」で秋、虫類。「夜もすがら」は夜分。

 

二十句目

 

   夜もすがら虫には声のかれめなき

 むかしを恋る月のみささぎ    斧卜

 (夜もすがら虫には声のかれめなきむかしを恋る月のみささぎ)

 

 「みささぎ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《古くは「みさざき」》天皇・皇后などの墓所。御陵(ごりょう)。みはか」

 

とある。ただ、和歌の言葉ではないようだ。

 月夜の御陵に昔を偲ぶ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十一句目

 

   むかしを恋る月のみささぎ

 ちりかかる花に米搗里ちかき   塵生

 (ちりかかる花に米搗里ちかきむかしを恋る月のみささぎ)

 

 米は玄米で保存し、食べる時に精米するのが良いとされている。そのため米搗きに特に季節はない。

 米搗く里というのは、白米を食べる裕福な里という意味もあるのだろう。御陵に眠っている人の恩恵でということか。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「里」は居所。

 

二十二句目

 

   ちりかかる花に米搗里ちかき

 雛うる翁道たづねけり      視三

 (ちりかかる花に米搗里ちかき雛うる翁道たづねけり)

 

 当時のひな人形は紙製や布製の立ち雛飾りが主流で、かさばらないので振り売りで売りに来た。都会だけでなく、田舎の方にも売りに来る人がいたのだろう。

 

季語は「雛」で春。「翁」は人倫。

二表

 さて二表だが、一の懐紙は青雲斎湫喧編『しるしの竿』(宝永二年刊)によるもので、宮本注にも「この地の人々の手に成るので、信ずべきものか」とあり、今まで読んできてもいかにも芭蕉の『奥の細道』の頃の風で違和感がない。

 それに対し二の懐紙の方は万子、甘井編『金蘭集』(文化三年刊)によるもので、北枝、曾良、芭蕉、塵生の四吟になっている。それ以上に、意味のよくわからない句が多く、真偽を疑いたくなる。

 「しほらしき」の巻の三十八句目以降も『金蘭集』だが、三十八句目の展開がやや急な感じがする。

 とりあえず、この先も読んでみるが、意味が取りにくいのは筆者の至らなさによるものなのか、読者に判断を任せる。

 

二十三句目

 

   雛うる翁道たづねけり

 蝶の羽や赤き袂に狂ふらん    北枝

 (蝶の羽や赤き袂に狂ふらん雛うる翁道たづねけり)

 

 雛売る翁は赤い着物を着ていたのだろうか。そこに狂ったように蝶が舞う。

 

季語は「蝶」で春、虫類。「赤き袂」は衣裳。

 

二十四句目

 

   蝶の羽や赤き袂に狂ふらん

 はしの上より投るさかづき    曾良

 (蝶の羽や赤き袂に狂ふらんはしの上より投るさかづき)

 

 かわらけ投げのことだろうか。たいていは山の上から投げる。桃隣の「舞都遲登理」には、

 

 五月女に土器投ん淺香山     桃隣

 

の句があった。

 

無季。「はし」は水辺。

 

二十五句目

 

   はしの上より投るさかづき

 響来る木魚に心角折て      芭蕉

 (響来る木魚に心角折てはしの上より投るさかづき)

 

 盃を投げるのが厄除けだとすれば、木魚の響きも怪異を追い払うためのものであろう。「心角折て」は心の(鬼の)角も折れてということだろうか。

 

無季。

 

二十六句目

 

   響来る木魚に心角折て

 目鏡して見て澄渡る月      塵生

 (響来る木魚に心角折て目鏡して見て澄渡る月)

 

 眼鏡はウィキペディアによればザビエルが日本に伝えたもので、周防国の守護大名・大内義隆に献上したという。また、徳川家康が使用したという眼鏡も久能山東照宮にあるという。

 芭蕉の時代に眼鏡がなかったわけではないが、眼鏡の値段は曲亭馬琴の時代でも一両一分だったというから、目が飛び出るくらい高価だったに違いない。

 木魚に改心した鬼が、眼鏡で澄み渡る月を見るというのだが、高価な眼鏡をどうやって手に入れたかが謎だ。それも、月を見るのだから遠眼鏡だろうか。

 遠眼鏡は、桃隣の元禄九年の「舞都遲登理」の旅で金華山へ行ったときに、

 

 水晶や凉しき海を遠目鑑     桃隣

 

の句を詠んでいる。やはり簡単に手に入るものではなかっただろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十七句目

 

   目鏡して見て澄渡る月

 道の名と盗人の名は残る露    曾良

 (道の名と盗人の名は残る露目鏡して見て澄渡る月)

 

 有名な盗人が出没した道なのだろうか。道と盗人は今でも知られていて、そこで眼鏡して月を見る。

 

季語は「露」であき、降物。「盗人」は人倫。

 

二十八句目

 

   道の名と盗人の名は残る露

 しかふみくづす石の唐櫃     北枝

 (道の名と盗人の名は残る露しかふみくづす石の唐櫃)

 

 唐櫃は脚付きの櫃のこと。普通は木でできている。石の頑丈そうな唐櫃を鹿が踏んで壊すというのだが、話を盛ってないか。それに、前句との関係も不明。

 

季語は「しか」で秋、獣類。

 

二十九句目

 

   しかふみくづす石の唐櫃

 野社は樫の実生の幾かかへ    塵生

 (野社は樫の実生の幾かかへしかふみくづす石の唐櫃)

 

 野社(のやしろ)は野で荒れ果てた社ということか。植えたわけではない自然に生えてきた樫が幾抱えもある巨木になっている。そんなところでは巨大な鹿が出てもおかしくはないか。

 

無季。神祇。「樫」は植物、木類。

 

三十句目

 

   野社は樫の実生の幾かかへ

 病の癒て歩行はつ雪       芭蕉

 (野社は樫の実生の幾かかへ病の癒て歩行はつ雪)

 

 これは貞享四年の、

 

 いざさらば雪見にころぶ所まで  芭蕉

 

の心か。「歩行」は「ありく」と読む。

 ここまでざっと見ても、何となく蕪村の時代の匂いを感じるのは私だけだろうか。

 

季語は「はつ雪」で冬、降物。

 

三十一句目

 

   病の癒て歩行はつ雪

 一度は報ひ返さん扶持の礼    北枝

 (一度は報ひ返さん扶持の礼病の癒て歩行はつ雪)

 

 扶持(ふち)はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」には、

 

 「封建時代の武士が主君から与えられた俸禄。鎌倉~室町時代には土地と百姓を与えるのが原則であったが,戦国時代,米を給与する方法が起り,江戸時代になると,武家の離村が進んで城下町に居住するようになり,所領を米に換算する方法が一般化した。特に蔵米取 (→蔵米 ) の者に対して行われた給与方法をさすようになった。1人1日5合の食糧を標準 (一人扶持と呼ぶ) に1年間分を米や金で与える方法が普通で,下級の旗本,御家人,諸藩では下級武士に,身分に応じて何人扶持と定めて,広く行われた。また武士だけでなく,特殊な技能者なども何人扶持でかかえるという方法が行われたり,幕府,諸藩に尽力した商人,百姓にも与えられた。」

 

とある。

 元禄七年春の「五人ぶち」の巻の発句、

 

 五人ぶち取てしだるる柳かな   野坡

 

のところでは、「一人一日五合の米を一年分というのが一人扶持だった。五人扶持は家族が何とか生活していけるだけの最低賃金といったところか。」と書いた。

 その扶持に報いようと雪の中を歩み出る。いざ鎌倉のようなことか。

 

無季。

 

三十二句目

 

   一度は報ひ返さん扶持の礼

 あなかま鼠夜の戸障子      曾良

 (一度は報ひ返さん扶持の礼あなかま鼠夜の戸障子)

 

 「あなかま」は『源氏物語』帚木巻で、雨夜の品定めのあと家に戻ってくつろいでいるときに、「あなかまとて、けふそくによりおはす。」というふうに出てくる。「あな、かしまし」の略で「あー、うるさっ」あるいは「あー、うざっ」といったニュアンスだろうか。

 ここでは扶持の礼に報わなくてはと思うものの、たいした扶持はもらってないのだろう。戸や障子では鼠が走り回っている。

 

無季。「鼠」は獣類。

 

三十三句目

 

   あなかま鼠夜の戸障子

 侘しさに心も狭き蚊帳釣て    芭蕉

 (侘しさに心も狭き蚊帳釣てあなかま鼠夜の戸障子)

 

 二十五句目の「心角折て」とかぶるような「心」の使い方だ。蚊帳が物理的に狭いだけでなく、貧しさに心も狭くなる。

 物理的なものに「心」を付けて精神性を付け加えるやり方は、

 

 義朝の心に似たり秋の風     芭蕉

 

に倣ったものか。

 

季語は「蚊帳」で夏。

 

三十四句目

 

   侘しさに心も狭き蚊帳釣て

 かみ切る所を夫はおさゆる    塵生

 (侘しさに心も狭き蚊帳釣てかみ切る所を夫はおさゆる)

 

 七十年代くらいだと「髪を切る」というのが失恋の意味で用いられたが、この時代は出家して縁切寺に駆け込もうということだろう。夫(つま)の心の貧しさに耐えかねてということか。

 

無季。恋。釈教。「夫」は人倫。

 

三十五句目

 

   かみ切る所を夫はおさゆる

 入山のいばらに落しうき泪    曾良

 (入山のいばらに落しうき泪かみ切る所を夫はおさゆる)

 

 髪を切るから当然山号のあるお寺に入るわけだが、そこはいばらの道でもある。

 

無季。釈教。「山」は山類。「いばら」は植物、草類。

 

三十六句目

 

   入山のいばらに落しうき泪

 霜に淋しき猿の足跡       北枝

 (入山のいばらに落しうき泪霜に淋しき猿の足跡)

 

 仏道に入る身もつらいが、霜枯れで食うものも少ない猿もさぞかしつらかろう。

 とまあ、やはり単純な道徳とわかりやすい人情の句が続き、蕉門らしい乾いた笑いは見当たらない。

 

季語は「霜」で冬、降物。「猿」は獣類。

二裏

三十七句目

 

   霜に淋しき猿の足跡

 岩にただ粥たき捨し鍋一ツ    塵生

 (岩にただ粥たき捨し鍋一ツ霜に淋しき猿の足跡)

 

 去来の、

 

 岩鼻やここにもひとり月の客   去来

 

の句を思わせる。猿だと思ったら、髪も髭も茫々に伸びた風狂人だったということか。

 

無季。

 

三十八句目

 

   岩にただ粥たき捨し鍋一ツ

 甲は笹の中にかくれて      芭蕉

 (岩にただ粥たき捨し鍋一ツ甲は笹の中にかくれて)

 

 落ち武者に転じる。

 

無季。「笹」は植物、草類。

 

三十九句目

 

   甲は笹の中にかくれて

 追剥の砧をならす秋のくれ    北枝

 (追剥の砧をならす秋のくれ甲は笹の中にかくれて)

 

 宮本注に謡曲『山姥』とある。

 

 「宝生流謡曲」のページから引用しておこう。

 

地謡  「隔つる雲の身を変へ。仮に自性を変化して  

     一念化性の鬼女となつて目前に来れども

     邪正一如と見る時は。色即是空そのままに 

     仏法あれば世法あり。煩悩あれば菩提あり、

     仏あれば衆生あり。衆生あれば山姥もあり    

     柳は緑  花は紅の色々        

地謡  「さて人間に遊ぶこと。ある時は山賎の。樵路に通ふ花の蔭 

     休む重荷に肩を貸し。月もろともに山を出で。

     里まで送る折もあり。またある時は織姫の    

     五百機立つる窓に入つて。枝の鶯糸繰り          

     紡績の宿に身を置き。人を助くる業をのみ、賎の目に見えぬ 

     鬼とや人の言ふらん       

シテ  「世を空蝉の唐衣         

地謡  「払はぬ袖に置く霜は夜寒の月に埋もれ、

     打ちすさむ人の絶間にも。千声万声の。

     砧に声のしで打つは。ただ山姥が業なれや

 

季語は「秋のくれ」で秋。「砧」も秋。「追剥」は人倫。 

 

四十句目

 

   追剥の砧をならす秋のくれ

 月に起臥乞食の樂        曾良

 (追剥の砧をならす秋のくれ月に起臥乞食の樂)

 

 乞食なら追剥が出ても盗られるものはなく、気楽だ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「乞食」は人倫。

 

四十一句目

 

   月に起臥乞食の樂

 長き夜に碁をつづり居るなつかしさ 芭蕉

 (長き夜に碁をつづり居るなつかしさ月に起臥乞食の樂)

 

 碁は打つものだが、碁を綴るというのはいったい何なのだろうか。乞食は元棋士で、過去の対戦を思い出して棋譜や戦記を綴っているのだろうか。

 

季語は「長き夜」で秋、夜分。

 

四十二句目

 

   長き夜に碁をつづり居るなつかしさ

 翠簾に二人がかはる物ごし    塵生

 (長き夜に碁をつづり居るなつかしさ翠簾に二人がかはる物ごし)

 

 『源氏物語』空蝉巻の空蝉と軒端荻との対局の本説付けだが、「綴る」が無視されて碁を打つの意味になっているほかはそのまんまだ。

 

無季。恋。「二人」は人倫。

 

四十三句目

 

   翠簾に二人がかはる物ごし

 祈られてあら怖しとうち倒れ   曾良

 (祈られてあら怖しとうち倒れ翠簾に二人がかはる物ごし)

 

 前句を怨霊と憑りつかれている人の二人としての展開する怪異ネタ。

 

無季。

 

四十四句目

 

   祈られてあら怖しとうち倒れ

 汗は手透に残る朝風       北枝

 (祈られてあら怖しとうち倒れ汗は手透に残る朝風)

 

 宮本注にもある通り、「手透」は「襷(たすき)」のことか。修験者などのする結袈裟のことであろう。

 

無季。「手透」は衣裳。

 

四十五句目

 

   汗は手透に残る朝風

 問丸の門より不二のうつくしく  塵生

 (問丸の門より不二のうつくしく汗は手透に残る朝風)

 

 「問丸」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 

 「鎌倉から戦国時代,港町や主要都市で,年貢運送管理や中継ぎ取引に従事した業者。平安時代末期の頃から淀,木津,坂本,敦賀など荘園領主の旅行にあたって船などを準備する問丸がみられた。鎌倉時代になると荘園の年貢米の運送,陸揚げ,管理にあたる問丸が出現し,荘園領主から得分 (問給,問田) を与えられていたが,次第に商業的機能を帯び,やがて独立の業者となった。貢納物の販売にあたって手数料として問料 (といりょう) を取り,さらに貢納物から商品の取引を専門とするようになった。戦国時代の問丸には,港町の自治を指導し,外国貿易に参加する豪商が出たり,ついには運送などの機能を捨て,純粋な卸売業となり,配給機構の中核を構成するようになった。 (→問屋 )  」

 

とあり、「問屋(とんや)」だと、

 

 「「といや」ともいう。江戸時代の卸売業者。鎌倉,室町時代には問,問丸 (といまる) といわれた。江戸時代,運送や宿泊については専業者ができたので,問屋の営業内容はもっぱら商品の取扱いだけとなった。問屋の種類もいろいろあり,荷主の委託を受け,一定の口銭を取って貨物を仲買人に売りさばく荷受問屋,特定の商品を取扱う専業問屋などがあった。さらに仕切込問屋と称する専業問屋もあって,荷主から商品を買取り,損益は自己負担で仲買に売渡すものであった。これらは,多く株仲間を組織し,共通の利害のもとに団結した。大坂の二十四組問屋,江戸の十組問屋 (とくみどんや) などが有名である。天保の改革後,廃止され,のち復活したが,明治になって卸売商人一般の呼称となった。なお江戸時代に問屋場の業務を司った宿場役人も問屋 (または問屋役) と呼ばれた。」

 

 今日では「卸売商人一般の呼称」だが、時代によって変遷がある。芭蕉の時代だと「問屋」だろうけど、あえて古い「問丸」という言葉を用いている。句を古く見せるためか。

 前句の「手透」を問屋の従業員の姿としたか。富士の景を付ける。

 

無季。「不二」は名所、山類。

 

四十六句目

 

   問丸の門より不二のうつくしく

 鰤呼頃も都しづけき       芭蕉

 (問丸の門より不二のうつくしく鰤呼頃も都しづけき)

 

 ブリは関西では正月の魚になっている。昔のことだから生ではなく塩漬けにして運んだのだろう。関東では鮭が主流だった。

 ただ、京都からは富士山は見えないし、師走なのに何で都が静かなのかよくわからない。

 

季語は「師走」で冬。

 

四十七句目

 

   鰤呼頃も都しづけき

 長生は殊更君の恩深き      北枝

 (長生は殊更君の恩深き鰤呼頃も都しづけき)

 

 都だから君は天皇のことだろう。こうして長生きできるのも皇朝の御威光というところか。

 この辺りから早々としめに入ったか、お目出度い題材を出す。

 

無季。「君」は人倫。

 

四十八句目

 

   長生は殊更君の恩深き

 賤が袴はやれるともなき     曾良

 (長生は殊更君の恩深き賤が袴はやれるともなき)

 

 皇朝の御威光は賤民にまで及び、豊かな民は破れた袴をはくこともない。

 

無季。「賤」は人倫。「袴」は衣裳。

 

四十九句目

 

   賤が袴はやれるともなき

 はつ花は万才帰る時なれや    芭蕉

 (はつ花は万才帰る時なれや賤が袴はやれるともなき)

 

 これは、

 

 山里は万歳遅し梅の花      芭蕉

 

であろう。とはいえ、これは元禄四年の句。前句の賤を門付け芸人とする。

 

季語は「はつ花」で春、植物、木類。「万才」は人倫。

 

挙句

 

   はつ花は万才帰る時なれや

 酒にいさめる宿の山吹      塵生

 (はつ花は万才帰る時なれや酒にいさめる宿の山吹)

 

 万才の門付け芸人に酒をふるまい元気づけて帰してやる。

 

季語は「山吹」で春、植物、草類。