「雪や散る」の巻、解説

初表

 雪や散る笠の下なる頭巾迄    杉風

   刀の柄にこほる手拭     芭蕉

 唐がらし木ながら軒に打かけて  岱水

   秋来てよはる鍋蓋の蠅    依々

 朝々は布子をはをる暮の月    曾良

   研イて捨る腰の印判     芭蕉

 

初裏

 嶋守に言葉の礼を染々と     岱水

   あからむ麦は鳥のなみだか  野坡

 白がしの梢は寺の林にて     杉風

   髪を切ても身を作リけり   岱水

 焼かほる物見の筵押まくり    芭蕉

   もらひ寄しも茶にあはぬ水  曾良

 薮こはす跡はうきたつ霜柱    杉風

   出家に物をやり上る也    野坡

 お局も暇がちなる里の月     曾良

   取草の湯の醒て行空     依々

 はつ花は蓬搗よりいそがれて   野坡

   塀の釣木に鶯の鳴      執筆

 

      参考;『校本芭蕉全集 第五巻』(小宮豐隆監修、中村俊定注、一九六八、角川書店)

初表

発句

 

 雪や散る笠の下なる頭巾迄    杉風

 

 「笠の下なる頭巾迄雪(の)散るや」の倒置。風の強い日ということであろう。

 特に挨拶としての寓意はなく、独立した発句を立句にしたのだろう。興行の日の天候と考える必要はない。

 

季語は「雪」で冬、降物。「笠」「頭巾」は衣裳。

 

 

   雪や散る笠の下なる頭巾迄

 刀の柄にこほる手拭       芭蕉

 (雪や散る笠の下なる頭巾迄刀の柄にこほる手拭)

 

 発句を旅の武士として、刀の柄の雪を払おうとした手拭も氷る。

 

季語は「こほる」で冬。

 

第三

 

   刀の柄にこほる手拭

 唐がらし木ながら軒に打かけて  岱水

 (唐がらし木ながら軒に打かけて刀の柄にこほる手拭)

 

 唐辛子は薬味で枝ごと軒に吊るして乾燥させる。

 ウィキペディアの「内藤とうがらし」の所に、

 

 「元禄11年(1698年)、内藤氏の下屋敷の一角に江戸四宿の一つ、内藤新宿が開設された。江戸日本橋から数えて甲州街道で最初の宿場となった内藤新宿は、江戸と近郊農村地帯を結ぶ文化的・経済的拠点として重要な役割を担った。当時、江戸参勤中の大名は屋敷の敷地内に畑を設け、野菜を自給自足するのが一般的であった。高遠藩では内藤新宿の一角に青物市場を開き、屋敷で栽培していた野菜の食べなかった分を販売した。すると唐辛子と南瓜が評判となり、巷間に伝わった。そして、この頃から周辺の農家にも種が伝わり、内藤新宿から近郊の農村地帯(現在の新宿区西新宿(角筈)、北新宿(柏木)、中野区辺りから以西と思われる)では特に唐辛子の栽培が盛んになり、この地域の名産品となった。」

 

とある。内藤とうがらしは元禄十一年以降としても、その前から「江戸参勤中の大名は屋敷の敷地内に畑を設け、野菜を自給自足するのが一般的であった」というから、ここでも前句の武士の位で唐辛子の栽培を付けたとしてもおかしくはなかったのだろう。

 内藤新宿の内藤氏は信州高遠藩の内藤氏で、磐城平藩の内藤氏と直接は関係ないようだ。

 

季語は「唐がらし」で秋。「軒」は居所。

 

四句目

 

   唐がらし木ながら軒に打かけて

 秋来てよはる鍋蓋の蠅      依々

 (唐がらし木ながら軒に打かけて秋来てよはる鍋蓋の蠅)

 

 唐辛子の収穫の頃になると、鍋に寄ってくるハエも弱々しくなる。

 

季語は「秋来て」で秋。「蠅」は虫類。

 

五句目

 

   秋来てよはる鍋蓋の蠅

 朝々は布子をはをる暮の月    曾良

 (朝々は布子をはをる暮の月秋来てよはる鍋蓋の蠅)

 

 布子(ぬのこ)は綿入れのこと。朝は冷えるので布子を羽織る。これも前句の時候による。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「布子」は衣裳。

 

六句目

 

   朝々は布子をはをる暮の月

 研イて捨る腰の印判       芭蕉

 (朝々は布子をはをる暮の月研イて捨る腰の印判)

 

 印判は印鑑のことだが、「腰の印判」というのは腰に下げた印籠に入っていた印鑑ということか。

 印鑑を捨てる時には悪用されないように、文字が映らないように磨いてから捨てる。

 磨かれた印鑑が月のようだということか。

 

無季。

初裏

七句目

 

   研イて捨る腰の印判

 嶋守に言葉の礼を染々と     岱水

 (嶋守に言葉の礼を染々と研イて捨る腰の印判)

 

 染々(そめぞめ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「染染」の解説」に、

 

 「〘副〙 (「そめぞめ」とも。染めたばかりの意からとも、黒く染める意からともいう。多く「と」を伴って用いる) 墨跡もあざやかに、心をこめて書くさまを表わす語。転じて、こまごまと心をこめて。しみじみ。

  ※浮世草子・好色一代男(1682)六「後の朝の名残をそめそめと書つづけたる着物」

  ※浮世草子・浮世栄花一代男(1693)三「そめぞめと語り出せば此男も泪(なみだ)に沈み」

 

とある。

 嶋守は島の番人だが、流刑地の番人だろうか。帰ることを許されて、古い印鑑を捨てるということか。

 

無季。「嶋守」は人倫。

 

八句目

 

   嶋守に言葉の礼を染々と

 あからむ麦は鳥のなみだか    野坡

 (嶋守に言葉の礼を染々とあからむ麦は鳥のなみだか)

 

 前句を別れの場面として、折から赤らんで稔りを迎えた麥も、鳥の泪が染めたかのようで悲しい、とする。

 

季語は「あからむ麦」で夏。「鳥」は鳥類。

 

九句目

 

   あからむ麦は鳥のなみだか

 白がしの梢は寺の林にて     杉風

 (白がしの梢は寺の林にてあからむ麦は鳥のなみだか)

 

 白樫は材木にした時に白いということで、木自体が白いわけではないが、前句の「あか」に応じる。梢から巣立って行く鳥の泪に、麦が赤らむとする。

 

無季。釈教。「白がし」は植物、木類。

 

十句目

 

   白がしの梢は寺の林にて

 髪を切ても身を作リけり     岱水

 (白がしの梢は寺の林にて髪を切ても身を作リけり)

 

 樫の木というと、

 

 樫の木の花にかまわぬ姿かな   芭蕉

 

の句がある。貞享二年の『野ざらし紀行』の時の句だ。

 花が咲いても散っても不動の樫の木のように、髪を切って出家しても、身なりや身のこなしなどは出家前と同じように気を抜かない。

 

無季。釈教。「身」は人倫。

 

十一句目

 

   髪を切ても身を作リけり

 焼かほる物見の筵押まくり    芭蕉

 (焼かほる物見の筵押まくり髪を切ても身を作リけり)

 

 物見はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「物見」の解説」に、

 

 「① (━する) 物事を見ること。見物すること。祭礼や、観賞にあたいする場所、または賑わう場所などに行って見ること。物見遊山。

  ※古今(905‐914)恋一・四七八・詞書「かすがのまつりにまかれりける時に、ものみにいでたりける女のもとに」

  ② (━する) 戦陣で、敵の動静・敵地の状況などを探ること。また、その役の者。斥候(せっこう)。物見番。物見役。

  ※上杉家文書‐(元亀三年)(1572)九月一八日・上杉謙信書状「あなたより此方之武見(ものみ)之衆へ押懸候」

  ③ 遠くを望み見たり、のぞいたりするための、場所や設備。

  (イ) 牛車の網代(あじろ)による八葉(はちよう)や文(もん)の車の左右の立板に設けた窓。前袖から後袖まで開いているのを長物見、半分のものを切物見という。また、そこに設けられた戸を物見板という。駕籠や輿などについてもいう。

  ※大鏡(12C前)五「馬頭の、ものみよりさしいでたりつるこそ、むげに出家の相ちかくなりにてみえつれ」

  (ロ) 城や邸宅の一部に、外部を見るために設けられた台や楼などの施設。物見台。物見やぐら。

  ※浮世草子・男色大鑑(1687)四「物見(モノミ)より様子を吟味して、扨門をひらけば」

  (ハ) 外または内をのぞき見るのに便利なように作った、幕・壁・編笠などの穴。

  ※寛永版曾我物語(南北朝頃)八「誰なるらんと不思議にて立ち寄り、幕のものみより見入れければ」

  (ニ) 大型和船で駒の頭立(二本立)のあいだ、つまり左右の挟みの間にはさまれた所をいう。ここから船底の淦水(あかみず)のたまりぐあいを見るためのもので、通常は戸を立てる。〔和漢船用集(1766)〕

  ④ 「ものみぶね(物見船)」の略。

  ⑤ (形動) 見るにあたいするもの。また、見事であるさま。立派であるさま。見物(みもの)。

  ※義経記(室町中か)六「これ程のもの見を一期に一度の大事ぞ」

  ※咄本・醒睡笑(1628)二「大名の、世にすぐれて物見なる大鬚をもちたまへるあり」

 

とある。

 ③の意味であろう。香を焚き込んだ筵を押し捲るというのは(イ)の駕籠の筵だろうか。筵を捲り上げて現す姿が、出家の身とは言え立派な衣装を着飾っている。

 

無季。

 

十二句目

 

   焼かほる物見の筵押まくり

 もらひ寄しも茶にあはぬ水    曾良

 (焼かほる物見の筵押まくりもらひ寄しも茶にあはぬ水)

 

 前句を茶席の筵とする。水を汲みなおしてこい、ということか。

 

無季。

 

十三句目

 

   もらひ寄しも茶にあはぬ水

 薮こはす跡はうきたつ霜柱    杉風

 (薮こはす跡はうきたつ霜柱もらひ寄しも茶にあはぬ水)

 

 薮を壊したために水が濁ったということか。土がむき出しになって霜柱が立っている。

 

季語は「霜柱」で冬、降物。

 

十四句目

 

   薮こはす跡はうきたつ霜柱

 出家に物をやり上る也      野坡

 (薮こはす跡はうきたつ霜柱出家に物をやり上る也)

 

 「やり上(あげ)る」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「遣上」の解説」に、

 

 「① 進めて陸にあげる。

  ※日葡辞書(1603‐04)「フネヲ yariaguru(ヤリアグル)〈訳〉船を陸、または岸に引きあげる」

  ② 物事を完成させる。すっかり仕上げる。

  ※煤煙の臭ひ(1918)〈宮地嘉六〉八「でも、あれまでやり上げたんだから偉い人さ」

 

とある。どちらでもなさそうだ。

 出家に物をいろいろとやっていたら、その僧が偉くなって、薮の中の草庵を引き払ったということか。

 

無季。釈教。「出家」は人倫。

 

十五句目

 

   出家に物をやり上る也

 お局も暇がちなる里の月     曾良

 (お局も暇がちなる里の月出家に物をやり上る也)

 

 局(つぼね)は自分の部屋の持てる女官で、里帰りしても村人とは話が合わず、出家僧にいろいろ物を与えたりする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「お局」は人倫。「里」は居所。

 

十六句目

 

   お局も暇がちなる里の月

 取草の湯の醒て行空       依々

 (お局も暇がちなる里の月取草の湯の醒て行空)

 

 「取草(とりくさ)」は八重葎の別称の鳥草(とりぐさ)のことか。

 里に帰ればお局様も八重葎の茂る中での入浴となる。

 秋の句になる所だが、三句続けると花の定座がきついため、あえて一句で捨てたか。連歌の式目『応安新式』には「春 秋 恋(已上五句)」と五句まで続けていいというルールはあるが、三句続けなくてはならないというルールはない。ただ、習慣として三句までは続けている。

 

季語は「鳥草」で夏、植物、草類。

 

十七句目

 

   取草の湯の醒て行空

 はつ花は蓬搗よりいそがれて   野坡

 (はつ花は蓬搗よりいそがれて取草の湯の醒て行空)

 

 取草(葎)に蓬を付けることで春に転じる。

 花は咲いたと思うとすぐに散ってしまうので、三月三日の蓬餅を搗く頃から花見の準備に急かされる。

 

季語は「はつ花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   はつ花は蓬搗よりいそがれて

 塀の釣木に鶯の鳴        執筆

 (はつ花は蓬搗よりいそがれて塀の釣木に鶯の鳴)

 

 「釣木(つりぎ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「釣木」の解説」に、

 

 「〘名〙 棚・天井などをつるのに用いる木。

  ※浮世草子・西鶴織留(1694)三「年徳棚を買ければ釣(ツリ)木・釘まで持きたりて、え方をあらため釣て帰りぬ」

 

とある。塀に吊った釣木はちょっとイメージがわかないが、そこに鶯がとまって鳴いている。鶯の声で一巻は目出度く終了する。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。