ゆきゆき亭哲学、断片

 形而上学の命題なんてのは、基本的にどんなものでも反証不能なのだが、だからといってむげにそれを全部否定するってのも大人げない。どうせ証明できないのだから、みんながそれぞれ好き勝手に自分の哲学を造っちゃえばいいじゃないか。これからはMy哲学の時代だ。

 イデオロギーの時代も終り、もはや哲学は共同体のものではなく、個のものへと開放されなくてはならない。だいたい、人生の意味だとか目的だとか、たった一つしかない何てのはつまらない。今の地球上に65億の人生の意味があると思えば、結構豊ゆたかな気分になれるのではないか。これからの哲学はハイパー多元論だ。

 (これを書いた時は地球の人口は65億人と言われていた。2022年の時点ではというと、どうやら今年中に80億を越えるらしい。)


真の巻

 意識や経験の内省的な探求は、それ自身を絶対的な真理とみなすことはできない。だが、将来の脳科学によって検証されるべき先行的な仮説の役割を担うことならできる。

 マルチン・ハイデッガーが明らかにしたのは、われわれの存在了解が時間の意識に拘束されていることで、そこに真の宇宙認識への飛躍の鍵や、クオリアの問題などの答も隠されているのかもしれない。

ある

 

 「ある」は、単に自分の意識が生み出しているにすぎないのだろうか。もしそうだとすれば、他人もまた自分の意識の産物にすぎない。自分が意識を失えば、他人も存在しないことになる。
 だが、人はそのように考えて行動することはまずない。自分が意識を失えば、他人が助けてくれると思っているし、自分が死んだなら、残された人のことが気にかかる。自分の生まれる前にも父や母が存在し、さらにたくさんのご先祖様が存在している。宇宙には百数十億年の歴史があり、自分が死んだあとも宇宙は存在すると考えている。
 「ある」は自分が意識しようとしまいと何かが存在している、という一つの仮説といってもいい。自分が死んだあと、宇宙が存在しているかどうかを、自分で検証することはできない。でも、誰かの死を知っている。そして今も宇宙がここにあることも知っている。だから、この推測には十分な根拠がある。
 検証できなくても確信を持って存在するといえることがある。それは自分の外にこの存在する世界があること。それは「ある」ということ。
 もちろん「何もない」という仮定も可能だ。今見たり聞いたりしているものはすべてバーチャルリアリティーにすぎない、現実には何も存在していない、そうかもしれない。だが、たとえ幻想やバーチャルリアリティーの類であるとしても、それは「ある」ともいえる。
 「ある」は検証不能の仮説にすぎない。存在とは仮説である。それでも、こういう議論をすること自体、「ある」を信じているからなのである。

真理とは?

 真理には二通りのものがある。
 一つは絶対的な真理。つまり、私がこうしてここで生きて、何かを感じているということ。たとえ、今見ているものがすべて幻覚だとしても、あるいはバーチャルリアリティーの映像にすぎないとしても、何かを感じている、意識している、生きている、今ここにいるということは確かだ。
 もう一つは絶対ではないが確実に役に立つ真理、つまり、長い年月をかけて、仮設と検証を繰り返した結果、十分に信頼できるとされる真理がある。

 この二つの真理は同じではない。前者から後者を演繹することもできないし、後者でもって前者を解明することも、いまだ成功していない。
 哲学者たちは、しばしば前者を拡大解釈して、数学や論理学の知識を、超越的な主観の形式として絶対視しようと試みてきた。しかし、そこには常にこれらの論理が完全に無矛盾な体系を作ることの困難に直面し、パラドックスに陥ることに悩んできた。数学や論理学の能力がいかに先験的なものであるとしても、神性のあらわれ、つまり神が宇宙を設計したものと同じ能力とみなすことは困難だ。もしそうであるなら、矛盾やパラドックスは決して起こらないはずなのである。
 これらの能力もまた、我々が進化の過程で獲得したものであり、それがこの宇宙を説明するのに役に立つのは、一つには、それが40億年にわたって遺伝子レベルで、突然変異という名の仮説と自然選択という名の検証が繰り返されてきた結果であり、もう一つにはその能力そのものが自然の法則によって成り立っていることによる。

 前者の真理、つまり生きているというこの感覚そのものは、なんら経験している出来事の確実さを証明することはない。むしろ、それが夢であったとしても、夢見ている私がいることを証明する。つまり、確実なのは「ある」ということだけで、それが何であるか、いかにあるか、どうあるべきかについてまでは確実にはならない。それゆえに、これは「存在の真理」とでも呼ぶべきだろう。
 存在の真理について確かなのは、「ある」ということだけだ。ないのかもしれない。しかし、それなら「ない」ということがあることになる。「ない」は「ある」の反対ではなく、単なる打消しにすぎない。少なくとも生きている間は。我々は生まれる前の世界を想像したり、死んだあとの世界を想像し、それを「無」と呼ぶことはできる。しかし、それは想像を絶する。そして、その想像を絶するものに不安や恐怖を感じている今は、間違いなく「ある」。
 この「ある」という感覚に、様々な内省的なアプローチは可能であろう。その一方で、将来の自然科学は、いかにして人間の脳にこの「ある」という感覚を生じさせているのか、そのメカニズムを解明できる日が来るのかもしれない。そのときこそ、いわゆる「ハードプロブレム」に答が出たことになり、「意識とは何か」という難問に答が出たことになる。しかし、いまだに我々はそれが可能かどうかすらわからない。
 人間はこの計り知れない宇宙に生まれ、それを「ある」と感じる奇妙な存在だ。「ある」と感じることがなければ、この宇宙のいかなることも疑問に思わなかっただろう。  そこからすべてが始まる。宇宙とは何か、なぜ宇宙が生まれたのか、生命とは何か、なぜ生命が生まれたのか、こうした疑問を発することができるのも、まず「ある」というところから始まる。「ある」─それは究極の問いであり、これに答えることができたとき、本当の意味で哲学が終わることになる。

 後者の真理、これは自然科学全般がそれであり、人文科学の方法も基本的にはこれに準じる。それはあくまで仮説の体系にすぎないが、検証に耐えるということで信頼性を得ている。それは月や火星にロケットを飛ばすことをも可能にしたし、一度に何十万人もの命を奪う兵器を生むことも可能にした。
 生物学や大脳生理学の発達は、それまで哲学の分野で内省的に探求されていたことにも、科学的根拠を与えることが可能になった。クオリアの問題が解明されるなら、「ある」というこの難問に、何らかの科学的説明がなされる可能性もある。

 二つの真理にわかりやすい名称を与えるなら、一つは「存在の真理」、もう一つは「科学の真理」であろう。

 哲学の探求に対し、自然科学を軽視すべきではないし、自然科学抜きで、直観だけで真理が明らかになると考えるべきではない。「ある」というこの感覚は、確かにその人にとっては絶対的なものだ。しかし、そこから説明できるものというのは、きわめて限られている。
 「ある」という感覚は誰もが持つものであり、誰もがそれぞれ絶対的な真理を持っている。だからこそ、この真理には限界がある。それは絶対的だが人それぞれの真理にすぎない。知識の客観性は、結局のところ仮説と検証の繰り返しによって、万人にとって明らかになり、誰もがそれを利用できるところに成り立っているのだからだ。
 「ある」というこの感覚がいかに鮮明だからといって、その絶対性を万人の上に君臨する神の智と混同してはならない。それはあくまであなたのものだ。

経験的真理

 経験的真理というのは、自ら概念を操作してつくり上げた仮説を、実際の自らの生きた経験に照らし合わせ、絶えず検証を繰り返して行く中で生じる。
 そのため、経験的真理は絶対的ではない。
 たとえば「あの角を右に曲がるとコンビニがある」という真理は、何度となくそこを歩いていれば、そのつど検証できる。
 しかし、コンビには永久にそこに存在するわけでない。コンビニがつぶれて他の店に変われば、「あの角を右に曲がるとコンビニがある」は真実ではなくなる。
 たとえ、何年もそこにいて、経験的に熟知しているはずの道であっても、しばらく行ってなかったりすると状況が変っていて、「コンビニないじゃん」ということになりかねない。
 経験的真理を一歩進めたものに「法則」というものがある。
 たとえば「物を空中で手は離せば下に落ちる」といった知識は、物が何であるか、空中がどこの空中であるのかという個別の事情に左右されることがない。
 こうした法則もまた、生きた経験による検証の繰り返しによって真理とみなされる。
 この法則は、宇宙船にでも乗って無重力の所にでも行かない限り、確固としたものだ。そして、宇宙船に乗るなんてことは人生のうちで滅多にあることではない。だから、ビルの屋上から飛び降りれば、間違いなく地面に叩きつけられるという揺るぎない予測が可能になる。
 しかし、いくら揺るぎなくても経験則は絶対ではない。つまり宇宙へ行けば無重力を体験することになるからだ。無重力は落下しているエレベーターの中でも体験できる。宇宙飛行士の訓練では、飛行機を急降下させて一時的に無重力の状態を作り出したりもする。
 仮説と検証の繰り返しは科学的真理の基礎であるが、実際に一人の人間があらゆる場面でそれを検証することは不可能なため、絶対的なものではない。
 不完全さの一つの理由は、検証の物理的困難であり、もう一つの理由は個人的限界によるものだ。
 たとえば源頼朝が鎌倉幕府を開いたことは、文献によって知られるだけで、実際に見て確かめることはできない。人間が猿から進化したといっても、サルが人間になる過程を実際に見ることはできない。
 個人的な限界というのは、たとえば地球は丸いというようなことでも、実際に見たのかといわれれば、宇宙に行って地球を自分の目で眺めた人なんてのはそんなに多くない。写真や動画はあっても、それが本物であることを自力で証明できる人はそう多くはない。
 我々が真実だと信じていることの多くは、必ずしも「見た」わけではない。人から聞いた話として、あくまで「信用」によって成立っているに過ぎない。
 最先端の科学にしても、ほとんどの人は自分で実験して確かめたわけではない。ただ学校やマスコミや身近にいる頭のいい人のことを信用しているに過ぎない。
 自分自身が生きた経験として知っていることの確実さに比べ、人から習った知識は明らかに確実さを欠いている。たとえどんなに定説とされていることでも、後の時代には覆される可能性もある。
 実際に、何十年も前に学校で習った知識というのは、既に今では通用しなくなっているものがいくらもある。

 存在そのものが仮説であり、人間の知識は100パーセント仮説である。
 ただ、それが真実だと感じるのは、我々の生きた経験と照らし合わせて検証されうるからである。
 検証される限り、それは真実と感じられる。
 自分がここにいる、生きているという感覚は、誰にとっても一番確実に体験できる。他人の経験はそうはいかない。自分がここにいるということは、生きている限りいつでも検証できる。それゆえ、これほど確実で絶対的な真理はない。
 もちろん死んだら検証はできなくなる。その代わりにそれが「ある」という仮説を立てることもなくなるから、検証できるかどうかは問題にならなくなる。
 次に確実なのは、自分が立てた仮説に対し、自分の目で常に検証できる身近な事実や法則であろう。
 その次に確実なのは、自分では検証できなくても多くの人が信じている「事実」や「法則」。
 それと同等なのが、滅多に自分では検証できないこと、あるいは一度しか見てないことで、こうしたものは人からその存在が疑われると、「見間違いだったのではないか」と自分自身を疑うことにもなる。

 科学は検証に裏打ちされた仮説の諸体系である。
 科学は決して一つの体系ではない。
 一番いい例は、相対性理論と量子力学という多くの人に支持されている学説に対して、その両者を矛盾なく説明できるような「統一理論」が未だに存在しないということだ。他にも、催眠術のように科学的な説明が十分なされぬまま、経験的に一つの技術として確立されているものがある。
 そうでなくても、「相対性理論は嘘だ」「ビッグバンは存在しない」「進化論は事実でない」などと定説を真っ向から否定する学者というのも必ずいる。
 こうした人たちは、トンデモ科学と呼ばれることもあるが、トンデモなのか、それともひょっとしたらこっちの方が真理なのかというボーダーラインの学説というのも存在する。石油は化石燃料ではなく、地底のメタンガスから微生物が作り出したものだという説。水生類人猿説など、世間ではあまり信用されてないが、私自身はかなり真実である可能性があると思っている。
 科学はあくまで「諸体系」であり、統一された一つの体系でもなければ、まして唯一の体系でもない。自然科学ですらそうなのであるから、まして人文科学はかなり混沌とした諸体系の集合体の様相を呈している。
 こうした諸体系に対して、自分自身で検証してその真偽を確かめられる人間は、極めて一部の専門家に限られている。そうでない普通の人間にしてみれば、どの体系を真実だと信じるかは一種の賭けでもある。
 賭けといってももちろん銀行レースよりも手堅い説というのもあるし、当然大穴もある。安全確実を選ぶか一発逆転を狙うかは、その人間のパーソナリティーの問題とってもいいだろう。
 絶対確実な真理が存在しない以上、何を信じるかは賭けである。それは個人の自由であり、リスクのある説に対してそのリスクを背負うのは、その人の自己責任の問題である。
 古代ギリシャ人は、どんな説でも必ずその反対の説を立てられることを発見した。そこから弁論術が発達し、裁判は相反する二つの説を競わせ、多数決で決定するというスタイルをとるようになった。
 決定的な証拠、つまり確実な検証ができない限り、二つの相反する説の真偽はわからない。わからないものに決着をつけるには結局多数決しかないというのが、古代ギリシャ人の合理主義だった。
 純粋に科学の知的好奇心から来る議論であれば、評決を取る必要はない。しかし、犯罪の立証となるとそうもいかない。それが今の検察と弁護人が双方意見を主張し、陪審員が評決を下すというスタイルに引き継がれていて、西洋ではこのやり方が主流となっている。
 完全な検証が不能なら、相反する説のどちらに従うかは個人の自由な選択に任されている。そしていかなる人間の知識も、ただ単に自分がここにいるということを別にするなら完全な検証は不可能である。つまり真理の本質は自由であり、絶対的な真理を語る哲学は存在せず、ただ一人一人が選び取った無数のmy哲学があるのみである。
 昔から哲学者の数だけ哲学があるといわれてきたが、その状況はおそらくこれからも変わることはないだろう。ただ、検証の精度は明らかに進歩している。

古代ギリシャにおける真理

 古代ギリシャにおける真理の概念は、二つの真理が接合されていた。
 一つはアレーテイアとしての、つまり覆われてない状態という意味での真理概念だった。これは今日で言えば意識のクオリアの問題であり、意識に与えられた事実は誰しも否定できないものであり、たとえそれが脳によって処理されたものだとしても、そのように感じられるという事実は残る。科学は意識のメカニズムを解明することはできる。しかし、そのメカニズムがどうして今このように感じられているのかという最後の難問、いわゆるハードプロブレムが残ってしまう。いかに科学が進歩しようとも、今ここで感じているものは絶対であり、それが生きているという証ですらある。
 しかし、このアレーテイアとしての真理、それは各自がそれぞれ生きているという真理であって、そこで感じられるものは、時間とともに移ろいゆき、最後は死によって消失するものであり、また、人それぞれ感じ方が違うように、人それぞれの真理にしかならない。
 それは最も確実な「存在」の真理であるが、同時にまたとらえどころのない真理でもある。
 もう一つは数学的秩序の真理である。それは1足す1が2であるというような、単純な真理をいう。
 数学的、論理学的ないわゆる「理性」は、人間が40億年の進化の歴史の中で獲得した一つの能力であり、それが進化した理由は、それが実際に世界の現象をよく説明し、生存し、子孫を残すことに役に立ってきたからに他ならない。
 そのため、理性の能力は検証の繰り返しによって生き残ったものにすぎず、実際の生存にほとんど影響をあたえないような、たとえば量子レベルの出来事や、宇宙を高速に近い速度で飛び回るような事態を説明するようには進化してこなかった。そのため、こうしたミクロやマクロの出来事を説明しようとすると、我々の論理は矛盾に陥ってしまう。
 論理の不完全さは、古代ギリシャでも、様々なパラドックスとして認識されていた。そして、この論理の不完全性、真理の論証不能性が、ソフィストたちの活躍の根拠となった。これに対し、ソクラテス・プラトン・アリストテレスのラインは、数的真理をアレーテイアの真理と同一視することで、西洋哲学の基礎を築くこととなった。
 絶対確実でありながら無内容なアレーテイアの真理。そして役には立つが矛盾する理性の真理。古代ギリシャ人にとっての真理概念は、この二つのかなり無理やりな結合によって生じ、この無理やりさは「存在一般の問い」の忘却によって隠蔽され、その後の西洋哲学の伝統となった。
 そして、この継ぎ目は西洋哲学史のいたるところで露呈しては、哲学を危機に陥れてきた。カントのアンチノミーはその決定的なもので、ヘーゲルにおいて理性の不可避的な矛盾は終わりのない弁証法のゲームとなり、最終的にハイデッガーが再び「存在の問い」を開始することで止めを刺された。
 今我々は、別の方法でこの二つの真理の和解に挑戦している。それは一方では、数学や論理学を量子レベルや光速レベルにも対応できるものに高め、統一理論を見出そうという試みであり、もう一方ではクオリアの秘密に迫る試みである。いまだ発見されてない高度な数学によって、クオリアの難問にも答が出るなら、その時ようやく古代ギリシャ依頼中の悪かった二つの真理が、和解することになるだろう。

時間という鍵

 南イタリアのエレアでパルメニデスがアレーテイアという絶対的な存在の真理と、様々な経験的に生じるドクサとの埋め合わすことのない平行線を思惟したちょうどその頃、ヘラクレイトスはアケメネス朝ペルシャ占領下のエペソスで、存在を思惟するもう一つの鍵を見出していた。
 それはすべての存在するものが変化してやまぬものとして現れる、つまり万物流転の発見である。存在そのものはパルメニデスの言うように、一にして永遠で、有るものが有らぬものになったり、有らぬものが有るようになったりはしない。しかし、存在者は有るものは必ず無になり、無から有るものが生れてくる。この二つの説は一見矛盾するようだが、ハイデッガーの言う存在と存在者の根源的差異を考慮するなら、和解させることができる。
 存在は一にして永遠である。
 存在者は時間的に変化してやまぬものとして存在する。
 時間のみが有るものを有らぬものとし、有らぬものを有るものとする。

「なにもない」

 竜騎士07さんの『彼岸花の咲く夜に(文庫版)』の第二話の冒頭に、一人理科室を掃除していた野々宮武が、にわかにやってきた女の子達がふざけているうちに、その中の一人が目の前で人体模型が倒して壊したのを目撃する。
 しかし、それが発覚すると女の子達は口裏を合わせてそれを否定し、その結果、教師達は野々宮武が犯人だと断定する。
 確かにこの目で見たことなのに、それを証明できない。よくある話だ。
 「人は真実を見ることはできても、その証拠が示せない限り、それを語ることができない。」(『彼岸花の咲く夜に』竜騎士07、2011、富士見文庫、p.126)

 ギリシャ哲学に詳しい人なら、ゴルギアスの言葉、

 「何もない、あったとしても知ることができない、知ったとしても伝えることができない。」

を思い起こすかもしれない。
 客観的な真理が「証明」を必要とするものである限り、証明できないものは、どんなに自分の目ではっきりと見たものであっても、あるいは自分の体ではっきり感じられて痛みであったとしても、それが本当に「存在」したかどうかすら疑われてしまう。
 つまり、それは「ない」に等しい。
 こういう事例は、日常様々な形で日々生じている。
 ちょっとした誤解や些細な濡れ衣から、冤罪事件、さらには国際問題まで及ぶような歴史認識など、枚挙に暇はない。

 仮想敵国の飛行機が領空を侵犯したから撃ち落した。
 撃ち落した側は正当防衛を主張する。
 しかし、海の上に線が引いてあるわけではなく、それを判定する線審が旗を揚げているわけでもない。仮にそんなものがいたとしても、審判が買収されてないと誰がいい切れるか。人工衛星から得たデータが存在すると言ったところで、そのデータが捏造でないと誰がいい切れるか。
 だから、当然撃ち落された側は「公海上で攻撃を受けた」と主張する。どちらも決定的証拠がない以上、水掛け論にしかならない。
 ある国で起きた虐殺事件にしても、やがて何十年も時が経過しているうちに、その数多くの物証についても様々な異論が生じてくる。証言についても、記憶は時の経過とともに変容するもので、信憑性は薄らいで行く。そのなったときに、既に多くの証拠が失われ、証言する人も稀になった状態では、反証も困難になる。
 こうして、ある事件はなかったことにされたり矮小化されたりする。
 そして、最後の生き証人がこの世を去ったとき、事件は文献学の領域へ追いやられ、学者達の気ままな好奇心の対象になり下がって行く。

 証明できないものは存在しないものとみなされる。
 純粋に科学の問題ならそれでもいい。
 しかし、われわれの日々の日常の中で起きている事件はもとより、歴史的に重要な事件までもがなかったことにされてゆくのは、あまりにも痛々しい。それでも「ある」ということの不確かさは現実だ。

 自分の目で見たものや、自分の体で体験したものは、自分自身にとっては絶対的な意味を持って「存在した」と言える。
 しかし、その確信は、それが幻覚だったりバーチャルリアリティーだったりする可能性を排除できない。
 つまり、「おまえはただ家でテレビを見ていた夢を見ていただけで、本当のおまえはあの時あいつを殺しに行っていたんだ。」と言われたとき、どうやって反証すればいいものか。
 自分自身にとっての真理は、どんなに自分自身にとって自明なことであっても、それを他人は経験することができない。つまり、それは他人にとっては「存在しない」。
 これに対し、客観的な真理というのは厳密な証明が条件となっている。証明できないものは「存在しない」。
 しかし、そもそも証明するというのは何なのだろうか。
 それは仮説を立て、検証されたときに暫定的に真理とみなされるだけのものであって、絶対的な真理ではない。
 まず、その「検証する」という行為が、それぞれの人間の経験に他ならない。だから、ある実験者が自分の目ではっきりと確かめて証明できたと思っても、他人はそれを経験できない。
 ただ、複数の人が同じ実験をやって証明されることによって「検証された」と見做されているにすぎない。
 しかし、いずれにせよ、実験をするのも検証されたと判定するのも、それぞれ人間の個々の経験によらざるを得ない。
 そうなると、本当に存在するものとは一体何なのだろうか。
 自分自身にとって、自分がここにいて、今目の前に何かが存在している。そのゆるぎない真実を見ることができるというのに、ひとたび客観的真理かどうかということになると、すべてはゆめまぼろしとなって消えて行く。
 ゴルギアスの言葉は詭弁ではなく、長年法廷ソフィスト(今でいう弁護士に相当するもの)を続けてきた経験から得た、率直な感想なのだろう。

my哲学──65億分の1の哲学の孤独

 絶対的な真理が一つだけある。
 いや、むしろ65億以上あるというべきなのかもしれない。
 それでも誰にとっても一つしかない。
 自分が今こうして生きて、何かを感じているということ。
 それだけが、誰も何も言うことのできない絶対的なもの。

 デカルトはcogito sum(われ思う、我あり)と言った。
 もちろんこれは「思考」に限るものではない。
 「意識」という言い方もできる。
 あるいはこの世界に対して感じている何らかのクオリアのことかもしれない。
 The Back Hornのナンバーにもあった、♪われー生きるゆえ我あーりー(無限の荒野)
 生きていると感じること、それも含めて、絶対に否定することのできないものがある。

 しかし、それは自分のものだ。
 他人もおそらく同じことを感じているのだろう。
 でも、他人の感覚は自分のものではない。
 他人が何を感じているかは、推測するしかない。
 決して手に取るようにわかるということはない。
 それが愛する人なら、その人の中に入っていって、その世界を見てみたいと願うかもしれない。
 でもその夢はかなわない。
 RADWIMPSの歌にもある。♪内側からは君にだけしか見えないのに/外からは僕にしか見えないものはなーんだ(謎謎)

 「他人」は一つの仮説だ。ただし、それは単なる思いつきではなく、遺伝子レベルのものだ。
 だが、それは騙されることがあるかもしれない。
 たとえば、精巧に作られた会話プログラムが存在していて、電話の向こうでPCが受け答えしているのに、本当に人が喋っていると錯覚するようなことが、近い将来起こる可能性はある。
 ただ、長い進化の歴史のなかで、そのようなコンピューター・プログラムが存在したことはなかった。
 だから、「他人の存在」は自明のように感じられる。

 独我論という哲学上の仮定がある。
 つまり、われわれが他人だと思っているのは、実は自分の思い描く幻影だったり、デカルトのいるような悪霊にだまされているのだったり、現代的には映画「マトリックス」のようなバーチャルリアリティーだったり、とにかくそういうもので、本当はこの世界に自分だけしか存在していないという仮定。

 しかし、誰も本当にそんなものを信じて生きている人はいない。
 他人の存在はほぼ確実な真理といっていい。
 だが、他人の感覚を直接感じることはできない。
 自分自身の生きているという真理は、自分だけのもので、自分にとってのみ絶対的なのである。

 この真理に基づく哲学は、つまり、科学的な実証ではない、自分自身の人生経験に基づく哲学は、その人にとっては絶対的な意味を持ちながらも、他人と共有することはできない。
 他人と共有できたっと思ったときでも、それはその人の人生において真実であるだけで、自分の人生の真実ではないからだ。
 だから、この種の哲学は永遠に孤独である。
 自分にとってこれほど素晴らしく、確実で、絶対的な意味を持っていても、それは人それぞれのもので、60億分の1に哲学にすぎない。
 自分にとっては絶対でも、世間では65億分の1。
 このギャップに耐えられるか。

 ギリシャ人がアレーテイアと呼び、ドクサ(思惑、臆見)と区別した真理は、こうした真理だった。
 それは、ハイデッガー的に解釈するなら、「覆われてないもの」であり、この世界に対するさまざまな解釈、説明、知識といったものを取り除いた時に、最後に残る「それがある」という感覚でもある。
 いかなる臆見でも覆われていない、ありのままに存在に触れた時の感覚、それは時として宗教的な一つの境地ともされている。
 しかし、それは何ら神秘的な体験ではない。
 それは現象学的還元の際の、対象に対する判断を保留(エポケー)したときにも、偶発的に至福の体験として生じることがある。
 それはもちろんヨガや瞑想や座禅などによってもたらされることもある。
 あるいは仏教で「頓悟」と呼ぶような、突然襲われる感覚となることもある。
 雷に打たれたように、電光石火。
 また、ある種のラボ活動で、たいていは海外ホームステイでの体験で、日本語で覆われていた世界に穴が開き、そこにわずかな外国語しか覆うものがない状態が生じた時に、神秘体験にも近い至福感に襲われることがある。
 こうした光の体験、至福の体験、それはしばしば人に、いわゆる「悟り」を得たと感じさせる。
 言葉では上手く説明できない、それでも自分が今感じているこの胸いっぱいにあふれる幸福感こそが何より証拠であり、これが人生における最高のものでなくては何なのだろうかと思う。
 多分人はこのために生れてきたのだと思いたくなるし、すでに人生の究極のものを得たような気分になる。
 それは「梵我一如」と呼ぶような、宇宙との一体感として経験されるかもしれないし、まさに「神」を見たという人もいるだろう。
 アンドリュー・ニューバーグ、ユージーン・ダギリ、ヴィンス・ローズ著の『脳はいかにして<神>を見るか』(2003、PHP研究所)によれば、瞑想によって深い宗教的境地に達した時、上頭頂葉後部の方向定位連合野の活動が低下し、前頭前野の注意連合野の活動は逆に増大するという。
 これによって、自己と外界との区別が曖昧になりながらも、強い集中力で外界に接している状態が生れる。これによって、自他不二の宇宙と一体化したような意識が生れるという。
 おそらく、脳科学的には、こうした神秘体験は一つの脳の状態として説明可能なものであろう。
 しかし、こうした体験は、宇宙と一体化したように感じられたからといっても、宇宙の未知の現象を解明してくれるわけでもなければ、相対性理論と量子力学との統一理論の答が得られるわけでもない。
 もちろん、自他不二に感じられたからといって、他人のことが手にとるように分かるようになったりはしない。
 神秘体験によって超能力が身につくのは物語の中だけのこと。
 いくら素晴らしい体験をしたからといっても、次の瞬間には逃れられない現実が待っている。
 絶対的な真理は自分の中にある。
 しかし、自分は65億分の1でしかない。

 哲学や宗教は、この65億分の1という現実への抵抗から始まると言ってもいい。
 つまり、自分自身の真実が、当然他の人にとっても絶対的な真理であることを要求する。
 他の人の真理はその人の中にしかないのに、あたかも自分の中にあるかのように振舞う。
 そして、他の人を自らの真理に屈服させようと試みる。

 真理が自分の中にある限り、その真理を他人に共有させることはできない。
 もちろん、共有させることができなくても、他の人のできないような行為を行なうことで自分にだけ真理があることを信じ込ませることはできる。
 ならば、空中浮遊でもしてみせるか?
 ようするにそういうこと。
 奇跡を起こしてみせるということ。
 洋の東西を問わずよくあることだが、手品の一種と思えばいい。
 しかし、この方法では、他人に自分の持つ真理を分け与えることはできない。ただひれ伏させるだけだ。

 それを教えるということは、通常の知識を教えるような仕方では成立たない。
 1足す1が2であることを教えたり、水が酸素と水素からできていることを教えたり、鎌倉幕府が源頼朝によって開かれたことを教えたり、そういうドクサ(思惑、臆見)を教えるような仕方で、アレーテイアを教えることはできない。
 だが、方法はある。
 自分にとっての真理は、他人にとっても誰にとっても、それぞれその人の中にあるからだ。
 それを見つけさせる。
 そして、見つけたものをその人のものではなく、自分が分け与えてやったのだということにして、思いっきり恩を着せてやればいい。
 本来他人のものであるその人の真理を、いかにも自分のものであるかのように言いくるめる。
 そこに真理は「継承」される。

 真理の継承は、知識の継承ではない。
 真理を伝える言葉は、曖昧でどうにでも取れる言葉であることが望ましい。
 そして、考えさせる。
 ある日、その人は自分にとってこの上ない最高の解釈を思いつく。
 そこでおもむろに、「ようやく君はその境地にまで達したか、だがまだ道は遠い」とでも言ってやればいい。
 真理は教える必要はない。
 その人に思いつかせればいいのである。
 その人にとっては、自分で見つけた真理だから、それはその人にとって絶対的な意味を持つ。
 それをあたかも自分が教えたかのように掠め取るだけのことなのである。

 誰しもが持っているその人自身の真理。
 それはその人にとって絶対的なもの。
 そして本当は自分で見つけたもの。
 それを、誰かのおかげだと思うことで、結局は他人の恩義に縛られ、自分の真理を一人の教祖にゆだねてしまう。
 こうして真理は略奪され、独占されている。
 65億分の1の真理であることに飽き足らず、この世で唯一の真理であろうとして、他人の真理を食って成長する。
 この真理を「夢」という言葉に置き換えるなら、それを食って成長するものは「虫」だ。岩井恭平のライトノベル「ムシウタ」のような。
 真理を食われた人間は、教祖様の奴隷のような生涯を送る。
 そこから抜け出すには、その真理が自分自身のものであることを再発見しなければならない。

 哲学もまた、65億分の1の真理であることに飽き足らず、この世で唯一の真理であろうとする欲求から作られる。
 ただ、哲学が宗教と違うのは、奇跡を起こして自分だけに真理があることを証明しようとしたり、他人の見つけた真理をさも自分が教えたかのように恩着せがましいことを言ったりはしないところだ。
 だが、この境界も時として曖昧ではある。
 哲学にも宗教の要素はあるし、宗教にも哲学的なところはある。
 だが、あえて区別するなら、それは真理を自己所有とする点であり、それゆえ哲学者の数だけ哲学がある。
 つまり、自分自身の真理をさまざまなレトリックを用いて他人に伝達しようとするさまざまな努力は、基本的に哲学に属するものだが、それをみんながそれぞれやるだけなので、知識の共有という点では実りがない。
 緑の野にあって枯れ草を食う、という比喩が相応しい。
 それは哲学者と称する人が少数であるから成り立っている。
 しかし、基本的には誰でもmy哲学を語ることは可能である。

 それでも哲学には需要がある。
 なぜなら、自分自身の真理が65億分の1にすぎないということに飽き足らないものの、自ら哲学者を名のるほどの自信もない人間というのは、世の中には結構たくさんいるものだ。
 だから、そういう人が自信を持って自分自身の真理を世間に向かって「真理」だと主張する際に、よって立つ「権威」が必要になる。
 哲学を支えているのは、そういう権威を求める需要に対し、それに答えられる哲学者がいるからだ。
 つまり、一見深遠なことを言ってるように見えながら、よくよく見るとありきたりなことを言っている。
 そして、適度に突飛なことを言っては、世間の常識を軽んじ、世間の常識より若干独りよがりなところが、じぶんが65億分の1であることに飽き足らない人間にとって、たまらない魅力となる。
 つまり、哲学は世間の常識を見下せるものでなくてはならない。
 そして、適度に独善的でなければならない。
 だから、民主主義に諸手を挙げて賛同するよりは、民主主義を衆愚政治だと笑い、独裁政治を夢見る方が「哲学的」だ。

 自分の人生は自分のもの。
 自分の生きているというこの感覚は、誰にとっても絶対的で、他のものに変えることは出来ない。
 だが、それはどんなに自分にとって光り輝くものであっても、それは結局65億分の1の真理にすぎない。
 それを受入れたくないから、人は権威を求めては哲学者に学び、1分の1の真理を求めては宗教に走る。
 単純な真理に満足できなくて、偽りの真理をこしらえては世の中をどうしようもなく複雑にしてしまうのは、人間の悪い癖だ。
 それに気づいた時、哲学も宗教も終る。
 ただ一人一人、my哲学がある。
 それでいい。

最初の論理

A→B

 人類の科学がこれほどまでに高度になり、宇宙の謎にまであと一歩と思えるところまでくると、あたかも人間の理性は宇宙そのものを理解するためにあったかのように思えるかもしれない。
 いわば、われわれの意識は宇宙そのものの「自覚」であるかのように。
 しかし、われわれの理性も長い進化の歴史のなかで獲得した能力だとすれば、始まりは別のところにあった。
 それは単なる偶然だった。
 遺伝子が複製を繰り返し、その暗号を世代を超えて維持するようになったとき、何らかの外のものを取り込み、それを複製のための素材やエネルギーとするようになった。
 それが最初の「宇宙」とのかかわりだった。
 宇宙の中の何らかの物質を取り込んで、遺伝子の複製を生み出す。 生命の最初の「食事」から、宇宙とのかかわりが始まった。
 そして、次の段階として、「食事」のための「食料」を感知し、移動するようになった。
 ここに最初の「認識」が生じた。
 それはたんに光があるほうへ移動する「走光性」や、ある分子の存在を感知し、その方向へ移動する「捕食」の開始だったのかもしれない。
 宇宙の中のあるものを感知し、それに反応する。それが最初の世界認識だった。
 そして、それを可能にする身体を作る遺伝子が生き残った。
 そこから宇宙を認識する生物の長い旅が始まった。

 思考が何らかの化学反応によって生じるかぎり、その最も根源的な形式はA→B、つまり、もしAならばBである(あるいはBを行なう)である。
 これはたとえば水素が燃焼すれば水になるようなもの(H+O→HO)で、ある条件が生じれば必然的にある結果が生じることを意味する。
 たとえば走光性のように、光が与えられれば光の方に向って進むというのも、それが基本的に化学反応によるものである限り、A→Bという形式を取る。
 ここでもしかりに量子レベルの原因によって生じる思考が存在するなら、Aは必ずしもBという結果を引き起こさないかもしれない。  
何らかの確率論的問題が生じるかもしれない。
 しかし、我々の思考が基本的にA→Bという形式を基礎としているとすれば、我々の思考は分子レベルの化学反応に立脚しているといえよう。

 A→Bは非可逆的である。少なくともこの思考が分子レベルの化学反応に依存する限り、この思考過程は直線的かつ非可逆的な時間概念に拘束される。
 我々が分子レベルの科学を理解するのに比べて、量子レベルの現象を想像することが困難なのは、我々の思考が分子レベルで生じているからである。
 もし我々の頭脳が(一部の人が主張するように)一種の量子コンピュータだったなら、我々はもう少し楽に相対性理論や量子力学を理解することができただろう。
 我々の頭は分子レベルでできているため、分子レベルの現象までは容易に理解できるが、それを超えるにはかなり特殊な後天的な発想の転換を必要とする。

 A→Bという行動は短絡的で、時には生命の危険をもたらす。たとえば光→進めという走光性は、燃え盛る火に飛び込む危険を孕んでいる。
 まさに飛んで火にいる夏の虫だ。
 そこで用心深くするには、光→進めという思考にもう一つ、過度の温度→進むなというプログラムを追加することになる。
 ここにA∩Bという新しい論理が生じる。つまり、光がある(A)と熱すぎない(B)との二つの条件を具えた時のみ進め、A∩B→Cという論理が生じる。

 また、別々の条件でありながら、同じ行動を引き起こすようなプログラムというのもありうる。
 たとえば光のあるほうに進め(光→進め)というプログラムがあり、それとは別にある種の匂いがしたならその方向に進め(匂い→進め)というプログラムがある場合、光∪匂い→進め(A∪B→C)という論理形式が生じる。

 A→Bが原始的であると同様、A∩B→C、A∪B→Cという論理形式も極めて早い時期に進化したものと思われる。
 ただ、A→Bが直線的かつ非可逆的な時間意識によるのに対し、A∩B、A∪Bは可逆的になる。つまり、

A         NO      
 [光を感知したか]→[進むな]
     │
     │YES
     ↓       NO
 [適度の熱を感知したか]→[進むな]
     │
     │YES
     ↓
    [進め]

A´           NO
 [適度の熱を感知したか]→[進むな]
     │
     │YES
     ↓    NO
 [光を感知したか]→[進むな]
     │
     │YES
     ↓
    [進め]


のプログラムは等価になる。

 ここに、生物の思考には、並列処理という現象が生じる。
 光を感知する過程と熱を感知する過程は特に順序を必要としない上に、できる限り短時間で処理して結論を導き出す必要があるとすれば、同時に別々に行なう方がいい。
 そして、この二つの処理によってスイッチを押すようにすればいい。
 両方のスイッチが入ることで「進む」という結果が引き起こすようなシステムを作れば二つの処理を順番に行うよりも時間が節約できる。
 つまり、A∩Bという論理にはスイッチを直列に並べ、A∪Bという論理にはスイッチを並列に並べればいい。

A∩B
 ┌スイッチA─スイッチB┐
 │           │
 └(電池)─(モーター)┘

A∪B
 ┌スイッチA──────┐ 
 ├スイッチB──────┤
 └(電池)─(モーター)┘



 電池とモーターというのはもちろん比喩で、複雑な演算装置がなくても、このような単純な仕組みでもできるという一つの例である。
 A⊂B、つまり部分集合というのは、A∩BとA∪Bの複合によって生じる。
 というのも、A∩Bは必然的にA∪Bの部分集合となるからだ。
 たとえば、A∩B→できるだけ早く進む、A∪B→普通に進むという二つのプログラムを並列的に具えれば、早く進む⊂進むという論理形式が生じる。

 概念の形成も、このようないくつかの感覚入力のパターンとして説明できる。
 たとえば、光と適温というだけでなく、光の色、形、あるいは特定の音、匂いなどの組み合わせとして、一定の対象物を描き出すことができる。たとえば、{(A∩B)∪(C∩D)}∩(E∪F)→Gなら、

 ┌スイッチA─スイッチB┬┬スイッチE┐
 ├スイッチC─スイッチD┘└スイッチF┤
 └(電池)─(モーター)───────┘


というような配線パターンとなる。つまり、Gという概念はこういう配線のパターンとして示される。これを脳の発火パターンの比喩と見ればいい。

 

A→Bの交換法則

 渡辺茂によれば、A→Bは動物に普遍的に見られる論理だが、A→BならB→Aであるという対称性は、人間となぜかアシカに見られるもので、人間に近いと言われるチンパンジーですら困難だとされている。

 「さて、『AはB』であれば、逆に『BはA』である。これが対称性といわれるもので、ヒトにとっては当たり前のようなものである。対称性が成り立つには両者の関係が『=』でなければならない。‥‥略‥‥チンパンジー、ヒヒ、サル、ハトなどで実験が行われ、対称性らしき結果が得られたものもあるが、すくなくともヒトが即座に、いわば自動的に対称性をしめすのに比べれば、大変悪い成績である。」(『ヒト型脳とハト型脳』渡辺茂、2001、文春新書、p.25)

 この交換法則は、実はA=Bである時にしか成立しないもので、A⊂Bの時には誤謬となる。たとえば「人間は動物である」というのは真だが、「動物は人間である」とは言えない。A→Bという形式はこの両者を一緒くたにしているため、混乱がおきやすい。
 実際にA=Bという思考は、極めた限られた場面でしか生じない。一つはトートロジーであり、「林檎は林檎である」というようなもので、最初からほとんど何の意味もない。もう一つは同じ対象に対して二つの名称がある場合で、「アップルは林檎である」だとか「難波の葦は伊勢の浜荻」というようなものをいうが、これは言語を持たない動物には何の意味もない。
 A=Bが重要になるのは、一つは定義であり、たとえば「殺意をもって人を殺すことを殺人という」だとか「すべての辺の長さが同じですべての角度が同じ四角形を正方形と呼ぶ」というようなもので、これは学問の基礎としては重要だが、日常的な思考にはあまり関係がない。もう一つは、定義ではなくても数学上の真理を表す場合、つまり「1+1は2である」というような場合である。
 こうやってみると「A→BならB→Aである」という交換法則がいかに特殊なものであるかがわかる。はっきりいって、これがわからなくても日常生活にほとんど支障をきたさないのではないかと思われる。だから、人間以外の動物に理解できなくても、何ら不思議はない。
 むしろ、人間に関して驚くべきことは、こうした交換法則をかなり頻繁にA⊂Bの場合にも当てはめて、いわゆる「当て推量」を行うことではないだろうか。

 

 

自由の進化

 

 コンピューターは無知を知らない。
 プログラミングされているものが知っているすべてであり、プログラミングされてないものについては何一つ知ることがない。
 だから、たとえ不完全なプログラムでも、迷うことなく実行できる。
 それしか知らないのだからしょうがない。

 これに対し、人間は迷う。
 自分の知っていることが不完全であり、絶対でないことを知っているからだ。
 自分の知っていること以外に何も知らないなら、コンピューターと同様、何も迷うことはない。
 知らないものがあることを知っている。
 だから既存の知識だけで決定することを躊躇する。
 もしかしたら何か別の要因があるかもしれない。
 もしかしたら別の結果が待っているかもしれない。
 もしかしたらもっと別の可能性があるかもしれない。
 自分の知らないことが起こりうることを計算に入れて、判断を下す。
 だから迷う。
 そして、既存の知識によるのと別の判断を下すことができる。
 そこに「自由」がある。
 自由とは無知に他ならない。
 無知だから自由がある。
 無知を知るから、既存の知識から自由になることができる。
 自由とは無知を知ることである。

 自由はおそらく並列処理に関係があるのだろう。
 直線的な単一の処理では、一つの問題に関して必ず一つの答が出る。
 しかし、複数の処理が行なわれれば、その処理の仕方の違いによって別の矛盾する回答が出る可能性がある。
 一番確実な解決法による回答があっても、別の解決法ではそれと反対の帰結が出ることがある。
 そこで迷いが生じる。
 そこで、どっちを優先するか、また別のプログラムで検討する。
 そこでは、新たな解決法が模索される。

 たとえば、森で熊に遭遇した時、脳はとっさに「逃げろ」という結論を出す。
 しかし、それにちょっと遅れてもう一つのプログラムが「逃げられない」という結論を出す。
 そこで、「逃げるべきか逃げないべきか」という迷いが意識に上ってくる。
 そこで急遽新たな解決法が模索される。
 戦った時勝てるだろうか。でも武器はないし、自分は空手の達人ではない。
 死んだ振りをすればいいのか。いやあれは迷信だと言う。
 一目散に逃げれば追いかけられるのなら、ジグザグに逃げればいいのか。それでも逃げられない。
 逃げられなくても一縷の望みを賭けて敗走すべきか。
 実際には喧嘩では勝てなくても、熊をにらみつけ自分が強いぞと思わせれば、相手もひるんで攻撃してこないのではないのか。
 あとは最終的な結論が早いか、熊が襲ってくるのが早いかの勝負となる。

 そのとき、決して確実ではない方法でも、すばやく結論を出さなくてはならない。
 完全な解決法を、つまり完全な知を要求していたのでは、決断がどうしようもなく遅れてしまう時、自分が無知だという判断を下し、それを元に行動を決定しなくてはならない。
 この時、根拠のないあてずっぽうがすばやい結論につながり、結果的に問題の解決につながる。
 このあてずっぽうシステム、賭けをするシステム、それが「自由」だ。
 自由というのは、知らないことでもとりあえず行動するために必要とされている。
 それゆえ、人類は自由を進化させた。

善の巻

 人間の利他行動の起源を、「出る杭は打たれる仮説」に求めることで、人間の道徳感情を過大評価せず、人間の利己性をきちんとふまえた現実的な社会を構築することが可能になる。

 これによって、われわれが理想とすべき社会は、決して一つの原理によって支配された、観念の王国ではなく、多様なものの共存するシステムであることが明らかになる。われわれに必要なのはユートピア(不在郷)ではなく、ヘテロトピア(多在郷)だ。排除なき共同体を構築することこそが、真の共同体主義(コミュニズム)だ。

 

良心の起源

道徳の起源

 道徳の起源に対し、二つの考え方がある。

 一つは、道徳は超越的な霊性によるものであり、それらは神仏など超越的かつ霊的な存在によって与えられる。
 一つは、道徳はわれわれが生存し、子孫を残すために進化した様々な感情の複合であり、遺伝的な基礎を持つ。

 この両者はともに仮説である。
 しかし、後者は検証しうる。
 たとえば、脳の損傷によって、その人間の道徳観念が劇的に変化するという例が観察されている。
 1848年、アメリカのニューイングランドの25歳の建設工事現場監督、フィアネス・P・ゲージが、現場での爆発災害に見舞われ、鉄棒が脳の前頭葉を貫通した。
 幸いに命に別状はなく、ある一点を別にすれば目立った後遺症も残らなかった。
 その一点が、人格の変化だった。穏健で精力的でみんなから尊敬されていた現場監督は、もはやどこにもいなかった。ただ、自分勝手で移り気でいつもいらいらしては口汚い言葉を撒き散らす、どうしようもない人間がそこにいた。

 ここで、道徳の進化について、一つの仮説を提示する。

 ≪道徳は進化の産物である。≫

 もしそうであるなら、それは利己的な遺伝子が自らの複製を作り、いわゆる「子孫」を残すという目的にかなってなければならない。
 逆に言えば、これに対する反証は、道徳概念が子孫を残さないことを可能にするものであり、今まで様々な宗教化によって実行されてきた。単純に言えば、極端な禁欲である。自ら異性と交わることをやめ、子孫を残さないことを選択する。それは可能である。

 もちろん、ある程度の禁欲は、どんな社会でも普遍的に見られるし、どんな社会でも欲望丸出しで良いというものではない。
 そこには、現実的な問題がある。つまり、前近代的な、限られた生産量で、限られた食料しかない状態で生活するには、暴食は他の人間を飢えさせる危険がある。
 だから、食欲は抑えなくてはならない。
 しかし、別に死んでも食うなということではない。
 性欲にしても、一人で多くの異性を独占しようとすれば、その分あぶれるものも出てきて、嫉妬や争いが絶えなくなる。
 その意味ではほどほどにすることが求められるが、極端な禁欲とはこれとは別のものである。
 ここで言うのは、あくまで生存や子孫繁栄への遺伝子的な欲求を真っ向から否定する、極端な禁欲のことに限られる。

 こうした行動は「普遍化」しただろうか。多くの宗教家は、確かにそれを試みた。しかし、もし万人がそれを実行していたなら、人類は一代にして滅び、今頃われわれはこの世に存在していなかっただろう。
 われわれがこの世に存在する。
 そして、われわれは親から生まれている。
 つまりわれわれは誰かの子孫である。
 これが事実である以上、「子孫を残さない」という道徳的実践は仮説に終ったと結論付けねばならない。決して万人によって実践されることはなかった。
 せいぜい一部の宗教家がそれを実践することで尊敬を勝ち得たというだけの話なのである。

 宗教家たちは、道徳が肉体的なものではなく、超越的な霊性に基づくことを証明するには、それが肉体的欲求では決してできないことを証明するしかなかった。
 つまり、自らいかに肉体的な欲求に反することができるかを示すことで、その証明としてきた。
 性欲における禁欲のみならず、食欲を禁ずる断食、そして究極的には自らの生存欲求を絶つ「即身仏」などが挙げられる。あるいはガイアナの人民寺院事件のような集団自殺の例もある。
 それを真剣に実践した人には本当に申し訳ないのだが、この仮説は万人によって支持されることはなかった。
 大半の人は、こういう行為をそれこそ「敬して遠ざける」、つまり敬遠のファーボールの道を選んだ。これが答だった。

   こうした証明法は、例えて言うなら、竜騎士07のゲーム『うみねこのなく頃に』の魔女の証明のようなものだ。
 右代宮家とその使用人18人が六軒島という孤島で全滅するという事件を推理させるこのゲームは、この殺人が魔女によるものか人間によるものなのかが焦点となる。
 事件はきわめて不可解なものであり、ゲームではこれを魔女によるものとする解釈と人間によるものとする二つの解釈が示され、論戦が繰り広げられる。
 魔女側は、これらの事件はどんなトリックとしても説明できないことをもってして、魔女の魔法なしでは実行不可能であることを主張する。これに対し、それがトリックで可能であることを暴くことで、人間の犯罪であることが証明される。
 その中に、こういう会話がある。

 ワルギリア(魔女)「あなたは、ブラウン管の構造がどうなっているか知っていますか?分解してその中身を見たことは?」
 戦人(人間)「‥‥ねぇよ。本かなんかで構造を読んだ気もするが、難しくてさっぱりだったな。確か、電子が蛍光物質にぶつかる時、発光してどうたらこうたら‥。」
 ワルギリア「それは偽書です。真実は、ブラウン管の中に、グレムリンという小人が閉じ込められていて、魔法で仕事をしてくれているからなのですよ。」
 戦人「はぁッ?!馬鹿なことを言うなよ、そんなわけねぇだろ‥!」
 ワルギリア「ブラウン管の中を覗いたこともないのにどうして否定を?」
 戦人「‥‥覗いたことはねぇが、絶対にそんな小人はいないと断言できるさ!」
 ワルギリア「ここにブラウン管がない以上、実証は不能ですよ。」
 戦人「他、確かに今この瞬間は実証不能だが、‥あとでどこかのテレビをバラして見せればすぐに論破できるさ!」
 ワルギリア「ということは。ブラウン管の中にグレムリンが閉じ込められていて、その魔法で映像を映し出しているという私の“魔法説”は、ブラウン管の中身を検証するまで否定不能ということになりますね?」(竜騎士07『うみねこのなく頃に Episode 3』より)

 人間の理性や道徳感情が「霊」の仕業によるものなのか、それとも遺伝子や脳の働きによるものなのかは、ブラウン管がグレムリンによるものなのか電子によるものなのかの議論に似ている。
 それは蓋を開けてみればわかる。
 しかし、蓋が開くまでは両方の説が並存する。
 いまや脳科学の発達によって、ようやく蓋が開けられようとしている。
 しかし、蓋が完全に開き、脳の構造が完全に明かされるまでは、まだ両者の意見は存在できる。
 こうして、「霊」を信じる人は、肉体では為し得ない、霊でなければ為しえない証拠を探し続けるのだろう。

 しかし、ここではこの説は採らない。
 なぜなら、霊の証明は霊そのものを見せるという積極的証明ではなく、あくまで肉体には為し得ないことをするという消極的な証明しか成り立たないからだ。
 つまりこの勝負に勝利する確率はきわめて低い。
 これに対し、脳に関しては、将来の脳科学の進歩で解明される可能性が十分ある。われわれはこの可能性にかけるべきだろう。

 そして、私は決して「神」を否定することはない。
 ただ、神の本体を「霊」の存在で持って説明するのではなく、人間には「神」を生み出す本能があるということで説明するだけのことなのである。
 もしそのような本能がないのなら、宗教的な儀式がほとんどの民族に見られることを説明できないからだ。

 道徳が子孫を残すために進化したものである。
 ただしこの「残すため」の「ため」は、厳密に言えば原因や目的を意味しない。
 進化は偶発的な遺伝子の変異によって起こる。
 こうした変異のなかで、子孫を残すことに成功した遺伝子だけが「残る」。
 子孫を残せなかった遺伝子の複製は、永遠にこの世に生じることがない。
 つまり、残った遺伝子の複製は、子孫を残すことに成功したものの遺伝子の複製である。
 それはあくまで結果である。
 結果としてそうなってみると、あたかも遺伝子自体が子孫を残すために存在しているかのように見える。  そういう意味で「子孫を残すため」という言葉が使われているだけなので、お間違えのないように。

 ≪道徳は進化の産物である。≫

 このことから、いくつかのことが導き出せる。
 道徳は結果的に子孫を残すことに役立つ。これを一つの比喩として「子孫を残すためにある」と言うこともできる。
 子孫を残すには、子孫を残せる状態に至るまで、生き延びなくてはならない。
 そのため、道徳は生存にも役立たなくてはならない。
 命あっての繁殖なのだから、「生命の尊厳」はもっとも原始的な道徳となる。
 そして、生命の尊厳は、同時に生命を脅かすものからの開放でなければならない。
 そのもっとも大きなものは「争いの回避」つまり「平和」ということになる。
 「平和」は道徳において最も根源的なものである。
 われわれが遺伝子の快適な乗り物であるためには、遺伝子が極力安全であるように努めなければならない。その極致と言えるのが争いのないこと、つまり「平和」である。

 しかし、一方で、有限な地球上で無限の生命の繁殖は不可能である。
 有限な地球上で、等比数列的に生命が増え続ければ、必ず争いが起こる。
 ならば、等比数列的に増えないということが可能であろうか。
 たとえば、親と同じ数の子供しか作らないとする。
 これだと一定の人口を維持できるかのように見える。
 しかし、この世界では、様々な事故が起こりうる。
 事故によって繁殖できるようになるまで生き残れないものが存在する以上、親と同数の数の子供しか作らない生物は次第に個体数を減らし、最後には亡んでしまう。
 それを防ぐには、親と同じ数以上の子供を常に作り続けなくてはならない。
 そうやって事故死に対して保険をかけると、今度はその余剰分が事故死しないということもありうる。そうなれば、人口は増えることになる。
 しかし、人口がどんどん減っていけば、遺伝子の子孫がやがて途絶えるのに対し、人口が少しづつ増え続ける分には、争いは生じ、一部の遺伝子は淘汰されるが、結局のところ遺伝子は残る。
 こうして、生命は親の数以上の子供を作ろうとする。(そうした遺伝子を持つものだけが生き残る。)  したがって、必然的に生存競争が生じる。

 ひとたび、生存競争が避けられない現実となるならば、子孫を残すためにはこの競争に勝たなくてはならない。
 そこで、道徳には不可避的にもう一つの要素が加わる。
 つまり「勝利」である。
 その個体を生存競争の勝者へと導くものが「善」となる
 ただし、この「勝利の善」は「平和の善」とは同じではない。
 勝者があれば必ず敗者がいる。
 つまり「勝利の善」は必然的に「敗北」という「悪」を生み出す。
 ここに「悪」の起源がある。

 「平和」には敗者はいない
 したがって「悪」は存在しない。
 しかし「勝利」には敗者がいる。
 そこから「悪」が生じる。
 負けることは本人にとって「悪」であると同時に、「勝利」もまた敗者という「悪」を生み出すという点では、「善」であると同時に「悪」なのである。
 ここにおいて、「善悪」は全体的なものではなく、あくまで相対的なものになる。
 「平和」は絶対的な「善」である。
 これに対し「勝利」は「敗北」という悪に対し相対的に「善」であるにすぎない。
 ここから、われわれは道徳の根本に関してこういうことができる。

 ≪平和は金、勝利は銀。≫

 ここでわれわれは「理想と現実」という古典的問題に直面することになる。
 平和は絶対的な善である。
 しかし、現実には生存競争が避けられない。
 だから現実には勝利という不完全な善に甘んじるしかない。
 「平和は理想だ。だが現実には勝たねばならない。」
 この言葉を人類は何度繰り返してきたことだろうか。

 勝利が完全な善でないという理由は、第一に「敗者」という悪を生み出す。
 しかし、これはあくまで負けた場合だけであって、勝てば悪ではないと思うかもしれない。
 しかし、いかなる争いにも「敗北」のリスクがある。このリスクそのものがすでに「悪」となる。
 また、勝利は常に完全勝利とは限らない。1対1の戦いの勝利であったとしても、深手を負った上での辛勝である場合、やはり相対的な「善」にすぎない。
 また、深手を負った勝利である場合、次の勝負で敗北する確率が高くなる。これも「悪」と言わねばならない。
 もちろん、平和には敗北のリスクはないのだから、その意味ではやはり≪平和は金、勝利は銀。≫であることは揺るがない。

 単純な構造の生物は、敵と見ると闇雲に戦闘を仕掛けたかもしれない。
 しかし、ある程度進化した生物では、勝ち目がないと判断した時に「逃げる」という選択肢を持つようになる。
 戦って、敗北という悪に見舞われるよりは、逃げて戦闘を回避できれば平和という絶対の善が得られる。
 まして人間でも「三十六計逃げるにしかず」という諺もあるくらいだ。
 少なくとも、「逃げる」ということの価値を知るものは、平和の価値を知っている。
 それは優位にある方も同じで、いくら敵が弱いとはいえ、「窮鼠猫を噛む」の諺もあるように、リスクのない戦いなんてものは存在しない。
 そうなると逃げる敵を闇雲に追いかけることは、それだけ無駄な体力を消耗することになり、その間により強い敵が現われたりすれば致命傷となる。
 だから「逃げる」相手に対し「深追いはしない」というのも、一つの賢明な選択肢となる。
 最初の生物は「勝利」という徳しか存在しなかったかもしれない。
 しかし、長い戦損競争のなかで高度に進化した生物であれば、可能な限り無益な争いを避け、本当に必要な場合だけ戦う方向に進化する。
 こうして、われわれが自然の風景を眺めた時に、あたかもそこに生存競争が存在するなんて信じられないくらい、長閑で平和そのもののように見える。
 それは、生物が長い進化の過程で、無益な争いを極力避けるように進化したからだ。
 もちろん、だからといって生存競争が存在しないということではない。

 平和が勝利に勝る価値を持つところから、われわれの素朴でいて根源的な道徳意識が説明できる。
 つまり、なぜ人を殺すことがいけないのか。
 なぜ暴力はいけないのか。
 それは単純に平和が勝利に勝るからなのである。

 このことから、「なぜ人を殺してはいけないのか」を小学生にもわかるような簡単な説明ができる。

 人を殺しても良いということになれば、誰でも自分のしたいことをしようとして喧嘩になったとき、殺し合いになりやすくなる。
 殺し合いになれば、勝ったとしても怪我をしたりするだろうし、そうやって疲れたり弱ったりしている時にまた喧嘩になれば、どんなに強くてもいつかはそのうち負けて殺されることになる。
 だからみんなで示し合わせて、殺し合いはやめようということにしたほうが、自分も殺されなくてすむ。

 道徳の起源は進化にあり、利己的な遺伝子が子孫を残すまで生存するための知恵こそが、道徳の根源となるものだった。
 平和を金とし勝利を銀とする、争いの回避という道徳は、その中で最も根源的なものであり、この道徳により、多くの動物は順位制社会を作り上げた。
 ただ、人間は共感能力を進化させ、共同で戦うことを思いついてしまったため、一対一の戦いを基礎とする順位制社会が崩壊し、出る杭は打たれる状態に陥ってしまった。ここに人類は他の動物とは違う、独自な道徳観念を発達させることになった。
 こうして人類が500万年にも及ぶ独自の進化の中で作られたのは、多数派工作を生存戦略とする道徳意識であった。
 それは平等を基礎としながらも、実際に不平等が生じた時に、それを恩義の「貸し借り」としてとらえる義理人情の道徳だった。
 やがて、文明化とともに「快楽の算術」が付け加わった。これによって、人類は「出る杭は打たれる」状態を脱し、生産性の向上によってより多くの幸福が得られると確信するようになり、生産性を高める行為が新たに「善」として付け加わるようになった。
 そして、文明が地球生態系に危機をもたらすまでに発達するようになると、われわれはさらに新たな倫理を進化させるよう、迫られることとなった。
 道徳は進化し続ける。昨日の善がある日突然悪に変わるということもありうる。しかし、その根底にあるものは変わらない。それはわれわれの遺伝子の中に深く刻み込まれているからだ。

生存競争

 生存競争というと、弱肉強食だとか、食物連鎖のようなものを想像する人もいるかもしれない。それらも確かに生存競争の一部ではある。だが、それがすべてではない。
 生存競争というと、それこそ、森の真ん中の空き地に、今まさに森の最強の動物を決めようとして二匹の猛獣が戦い、それをたくさんの動物達が輪になって見物しているかのような場面を想像する人もいるかもしれない。それも、実際の生存競争とはかなり異なる。
 生存競争はそのままの意味では、生きるための競争であるが、生物学的には、少なくとも進化論的に問題になるのは、あくまで子孫を残すかどうかの競争だ。つまり、独裁者になろうが、世界一の大富豪になろうが、ノーベル賞を受賞しようが、子供を残すことができなかったなら、生存競争の敗者なのである。逆に、名もなく貧しい人であっても、子沢山で、その子孫もまたことごとく多くの子孫を残し、繁栄したなら、生存競争の勝者なのである。
 いかなる生物も、遺伝子の暗号(コード)に基づいた化学反応によってその身体が作られてゆく以上、どのような生物が生れるかは遺伝子のコードによるものであり、その遺伝子のコードを複製(コピー)することによってのみ、生物は個体数を増やすことができる。子孫を残すというのは、原始的な生物の細胞分裂であれ、無性生殖であれ有性生殖であれ、遺伝子のコピーを作るという行為に他ならない。進化は、その遺伝子をコピーする際の偶然のエラーから生じるもので、エラーによって組み変わった遺伝子の複製がさらにコピーを繰り返してゆけば、異なった遺伝子を持つ集団が出来上がる。その間にもさらに一定の確率で遺伝子の複製エラーが生じてゆくから、やがて、遺伝子のエラーがいくつも蓄積されてゆき、それが結果的に生物の形を変えてゆくことになる。それが進化の元になる。
 生存競争というのは、こうした絶えず変化し続ける遺伝子コードが、実際に生きて次の複製を作り出す際に生じる。まず、遺伝子のコピーを作る(つまり子孫を残す)まで生き残れなかった遺伝子の配列は、その個体の死とともに永遠に失われることになる。子孫を残したもののみが、遺伝子の配列を残すことができる。それゆえ、我々はもちろんのこと、生きとし生けるすべての生き物は、子孫を残すことに成功した者の子孫である。子孫を残せなかったものの子孫なんてものはたとえウイルス一つであれ存在しない。そういう意味では、我々はすべて生存競争の勝者の子孫である。生存競争の敗者の子孫などというものは存在しない。この子孫を残せるかどうかの戦いが生存競争である。
 だから、生存競争の勝敗は、偶然にも支配される。たとえば、いかにも屈強のボス猿で、たくさんのメスをハーレムのように従え、そのいずれもからたくさんの子が生れたとしよう。その時点では、生存競争の勝者である。しかし、突然火山が噴火して、群全員ことごとく死滅したなら、一転して敗者になる。恐竜は一時代地球上で最も繁栄した生存競争の勝者たちだったが、巨大隕石の落下によって、一転して敗者になったと言われる。
 それでも弱肉強食というイメージがあるのは、確かに、子供を残すためにはしっかりと食べなくてはならないからで、ただ、大食いである必要はないし、美食である必要もない。生きるの必要な程度食べれば、子孫は残すことができる。ただ、栄養失調になるようなレベルでは、子供を育て上げることも困難で、ましてたくさんの子を育てることはできないという程度のことにすぎない
 弱肉強食のイメージからか、生存競争は種と種の戦いであるかのように誤解する人も多い。確かに、同じような所で同じものを食べて生きて行く種と種の間には、生存競争が見られる。キジが棲んでいたところにコジュケイが進出してきたり、ヒメマスの泳いでいた湖がブラックバスに席巻されたり、西洋タンポポと日本タンポポとの戦いだったり、そういったことも生存競争の一部には違いない。
 しかし、生存競争は常に個と個の間のものであることを忘れてはいけない。少なくとも、子孫を残す戦いという点では、生存競争はまず個がいかにして子孫を残すかの戦いから始まる。個が子孫を残すことができ、たくさんの個が子孫を残すことに成功することで、結果的に種が勝利するのである。種が繁栄したとしても、同じ種の中でも必ず多くの子孫を残すものと子孫を残せぬものという、いわゆる勝ち組負け組みが存在している。
 そもそも、永遠の命なんてものはないのだから、どんな生物でも子孫を残さなくては、命は途絶えてしまう。子孫を残すのは種ではない。あくまで個体レベルのことである。「人類」が子供を作るのではない。子供を作るのはある男とある女がそういう関係を持つことにほかならない。だから、基本的に、生存競争は個と個の戦いである。子供を作れる年齢まで生き延び、相手を見つけ、子供を育て上げる戦いである。

   この世に生れたすべての生き物は、子孫を残すことで命をつなぎ、死んでゆく。ただ、どんな生き物も、親と同じ数だけの子しか作らないなら、途中で何らかの理由で子孫を残せぬものがいれば、次第に先細って絶滅してしまう。そのため、生き物は子孫を絶やさないために、常に多めに子孫を殘そうとする。そうしたものだけが生き残る。しかし、有限な地球で常に過剰な数の子孫を残そうとすれば、生存競争は避けられないものとなる。有限な地球で、無限の生命は不可能だ。すべてはあまりに単純な理窟で成り立っている。
 確実に生きながらえ、子孫を残すには、一番いいのは平和である。戦わなければ命を落とす心配もない。しかし、絶えず有限な地球で子孫が等比数列的(鼠算式)に増え続ければ、争いは避けられない。そして、戦いに明け暮れ、無駄に命を落とし、大地は悲しみに満ち溢れる。

人口調節と順位社会

 動物の個体数の調節というと、まだ多くの人は「食物連鎖」を想像するかもしれない。つまり、動物は捕食者に食べられることによって増えすぎずにすんでいるのであって、捕食者がいなかったらたちまち動物はネズミ算式に増えてしまう、と。実際はどうもそうではないらしい。
 たとえば、B・バートラム(『ライオン,草原に生きる』1984、早川書房)によると、アフリカのセレンゲティのには2000頭のライオンがいるが、これがヌーしか食べないとすると、一頭平均で一年間で20頭のヌー食べるとしても、一年間に食われるヌーはせいぜい4万頭で、これ以上は無理だという。その一方で、100万頭もいるヌーに毎年生まれる子供の数はこれの何倍にもなる。ライオンによる捕食はヌーの個体数を抑えるのに役に立っているとは思えない。

 「おそらくライオンに補食される個体数の5倍のヌーが、病気、老齢、飢え、あるいはこれらの組み合わさったなんらかの原因で死んでいる。」(『ライオン,草原に生きる』B・バートラム、1984、早川書房)

 もちろん、捕食者は肉食獣だけではない。病原菌もまた捕食者と見ることができる。しかし、肉食獣に食べられたりするのは、群れからはずれた個体が多く、病気になりやすいのも、群れのなかでの仲間どうしの生存競争に破れた個体だ。捕食者はただそうした個体に最終的な死をもたらすにすぎない。

 「1838年‥(略)‥マルサスの「人口論」を初めて読んだ日にダーウィンは「種の変形に関するノート」に次のように書いている。‥(略)‥
 生存競争はしかし、種の間でなされるものではなく、ダーウィンが早くから正しく見抜いていたように、個体、同じ種の中の異なる構成員の間でのものである(『進化の科学』ジョン・グリビン、1989、青土社、p.26~27)

 個体数調節で一番重要なのは、むしろ縄張りやテリトリーの防衛本能によるものだ。たいていの動物は食えなくなるぎりぎりの所まで増え続けることはない。そんなことになったら、ちょっとした環境の変化であっという間に飢えてしまう。たいていは、それよりもはるかに少ない数で安定している。生息域はびっしりと誰かの縄張りで覆われていて、新たに縄張りを作ることが困難な状態にある。生まれてくる子供は成長しても自分の縄張りを持つことができず、放浪の旅を続け、どこかにたまたま年老いて弱ったものを見つけては、その縄張りを奪い取り、そして自分もまた年老いて力が衰えたとき、若いものに縄張りを奪われ、のたれ死んでゆくことになる。一定の生息域、一定のニッチのなかでの定員は既に決まっていて、あぶれたものは一生放浪を続け、繁殖もできないまま客死する。多くの動物の個対数は、こうして一定に守られている。
 群れを作る動物であっても、基本的に群れが無制限に拡大することはない。ほとんどの動物の群れは何らかの形で順位制によって成り立っている。
 この場合、順位というのは常に社会を貫いているわけではなく、人間の組織の命令指揮系統のようなものとはまったく質が異なる。初期の霊長類研究ではその点が混同され、群れはリーダーの手によってあやつられ移動し、食物を見つけるかのように言われていた時期があった。なかには、ニホンザルの群れはまず露払いをつとめる斥候のサルがいて、そのあと若衆が続き、中央にボスがいて、その回りを女たちが取り囲むだとかいった、さながら大名行列のような空想をする説もあったが、実際に野性の群れが十分に観察されてくると、さしたる規則性をもたない大ざっぱな集団であることが分かってきている。実際に順位というのは、二頭の間ではっきりとした欲求の衝突が起こらないとはっきりしない。ミカン投げテストというのは最も結果がはっきりする。つまり、二頭のサルの間にミカンを投げ込んでやると、強いほうが拾うといったものだ。しかし、野原や森で食物がそこかしこにあるとき、そうそう二頭が一個の食物を取り合うという事態は生じない。ただそれぞれてんで勝手に自分の好きなものを食べている光景だけが展開されるのである。それを見れば、順位制などどこにもないようにすら見える。しかし、人間がミカンを投げてやると、順位制は明白に存在するのである。平和そうに見えても、おそらく順位の高いサルはちゃっかり一番いい場所を占めて、劣位のサルは優位のサルのたまたまいない隙間で食物を獲っているわけだから、長い目で見れば勝負ははっきりとついてくる。順位の低いサルは栄養状態も悪く、繁殖の機会も意欲も少なく、子孫を残せずに消えてゆく確立が高くなる。

 「順位を持つサル社会は、一見して人間社会に非常に近いように思われます。当初は群れ内の高順位個体がボスまたはリーダーとして権力を持ち、そのしたに中順位、低順位のサルたちがいて、それぞれの役割をになっているという、人間の階級社会をサル社会に過程した研究者も多くいました。しかし、高順位個体が群れを誘導したり、群れ内の争いをしずめたり、外敵に立ち向かったりするなどの役割を必ずしも担っているわけではなく、群れが高順位個体の力によって治められているわけでもありませんでした。
 サルにとっての順位とはあくまでも資源獲得の順番であり、人間社会の権力や地位などと同レベルで扱うことがそもそも無理な話なのです。(『サル学なんでも小事典』京都大学霊長類研究所編、1992、講談社ブルーバックス、p.75)

 最初の頃、今西錦司をリーダーとする京大霊長類研究所の学者達は、サルの社会には厳密な順位が存在しているかのように見ていた。しかし、これは初期の研究の際、観察をしやすくするため、サルを餌付けし、ひとところに集めて観察しようとした結果だった。ミカンやサツマイモなど、自然界にないような魅力的な餌が一箇所に集中して置かれていれば、サルたちは力ずくでその場所を陣取ろうとする。そこに激しい戦いが起きてしまった結果だった。
 のちに同じ京大霊長類研究所の井沢紘生が、白山のまだ餌付けされてない野生猿を大変な苦労の下に観察し、野生のニホンザルの群にはほとんど順位がないことを明らかにした。(しかし、こうした情報は世間にはどうも正確に伝わらなかったようで、「最近のサルはマイホーム主義になった」という俗説が流布した。いまだにこのガセネタを使う人がいたりする。)
 順位社会には、人間の命令指揮系統のような服従関係があるわけではない。ただ無益な闘争を回避するための機構なのである。
 もし「万人の万人に対する闘争状態」ならぬ、万個体の万個体に対する闘争状態があったとしたら、一個の木の実を見つけたり一頭のメスを見つけるたびに命がけの死闘を行なわなくてはならなくなる。どんな強いものでも相手を完全に先頭不能にするまで戦えば、かなりの体力を消耗する。やっと勝ったというところでまた第二のライバルが出現し、連戦ということになれば、どんな強いものでも負けるであろう。仮によろよろの勝利を収めたにしても、一個の木の実がそれほど価値のあるものか、あるいはメスと交尾するだけの力が残っているか、ということになる。こうした無駄をやっている生物は、まず子孫を十分に残すことは不可能であろう。このような無駄を回避するには、「勝てないと思う相手とは戦わない」という行動を獲得するだけで十分なのである。つまり「逃げる」のコマンドを追加するだけで十分なのである。逃げるといっても完全にその場から姿を消す必要はなく、争う意志がないことを表示できればいい。つまり「降伏」のサインを決めればいいだけなのだ。
 順位社会は基本的に「勝てないと見たら降伏する」という単純なルールで成り立っているため、必ずしも高度な知能を必要としない。単独生活、つがい婚、単雄群、複雄群など、多種多様な社会が形成されようと、基本は弱いものが強いものにゆずるというところに秩序を保っているのであり、こうした社会の形態はしばしば流動的であったりもする。
 順位制社会では、個対数を一定に保つのにそう苦労することはない。弱いものは自分の縄張りを持てず交尾も思うようにできないため、自動的に子孫を残す機会を減らされてゆくため、一定以上増えないようになっているのだ。人間が異常に増えすぎてしまった原因は、こうした順位制社会を捨てたことによる。強いものにも弱いものにも平等に繁殖の機会を与えようという人道的配慮が、人口抑制を困難にしたのである。もっとも、だからと言って我々はもうサルにもどることはできない。
 人間が順位制を混乱させ、崩壊させた原因は、人間が連合して戦うことを覚えたからだ。もちろん、他の動物でも複数の個体がともに戦うことはある。しかし、フランス・ド・ヴァールの『政治をするサル』(西田利貞訳、1984、平凡社)などでの順位争いの記録を見ても、連合して戦うのは二頭か三頭程度で、闘争の発生そのものも偶発的のように思われる。こうした状態では、まだ順位制は混乱しない。しかし、順位を上げるための闘争に「連合」が頻繁に持ち込まれるようになり、恒常化してくると、やがて状況は大きく変わってしまったのだろう。二三頭が連合する分には、まだ群れの中での大きな勢力にはならないが、群れの大半が連合するような状態が生まれてくると、順位は意味をなさなくなる。なぜなら、どんな強い個体でも、大勢の連合の前ではとても太刀打ちできるものではないからだ。しかも、誰だって順位を下げたくはない。連合を解消すれば、強いものが優位にたつが、一番強い個体以外は、すべて誰かよりも劣位に立つことになる。劣位になれば、食べ物やメスを優位なものに横取りされたり、いいことはない。順位制で利益を受けるのは一番強いものだけであり、他のものは利益がない。とすれば‥‥一番いいのは連合を解消しないことなのである。
 「出る杭は打たれる」という諺は、順位制社会には当てはまらない。この言葉は人間社会の本質を最も端的に表している。大勢が連合して戦えば、どんな強いものでも倒せる。このことは、一方では共同狩猟への可能性を開くが、この原理は自分たちにもすぐに帰ってくる。少しでも他より優位に立とうとするものは、弱者の連合によって簡単にその野望を封じらるだろう。連合は力の勝負から数の勝負へと戦略の変更を余技なくさせた。もはや喧嘩に強いものの支配する時代ではない。個人としての強さより、いかに常に多数派に回るかが重要になる。
 初期の人類、アウストラロピテクス・アファレンシスにも既にはっきりチンパンジーと違うある特徴が見られる。それは犬歯の退化だ。鋭い牙は獲物を捉えるためだけのものではない。特に肉食ではない霊長類、類人猿にとって、むしろ順位闘争のさい仲間を威嚇するためのものだ。従来犬歯の退化は、石器の使用によって牙が不要になったためというふうに説明されていた。しかし、この説明には説得力がない。それは核兵器があれば通常兵器は不要になる、というようなものだ。石器はもみあっているうちに落としたり奪われたりすることもある。また、たまたま石器を持ってない時に喧嘩になることもある。そうした時、牙がないよりはあったほうがいい。牙が不要になったのは順位闘争が無意味になったからなのである。
 石器の使用は別な意味で、初期人類に新たな緊張感をもたらしたであろう。むしろそれは寝込みをゴツンとやられる恐怖であり、ますます腕力だけではどうしようもない状況に置かれる。人間は戦略を百八十度転換し、人よりぬきんでようとはせず、むしろ常に孤立を避け、多数派に回るべく、口元に笑みを浮かべ、腰はあくまでも低く、気前良く、根回しがうまく、要領良くふるまうわざるをえなくなった。人よりぬきんでようとして仲間はずれになった個体は子孫を残せず、人脈形成に成功した個体がより多くの子孫を残す。こうして今日の我々に至ったのだ。
 人間は特別神のような理性を手に入れ、利他行動や自由・平等・博愛の観念を発達させたのではない。我々は今でも生存競争の中にいる。ただ,順位闘争という仕方で争うのではなく、多数派工作という仕方で争っているだけなのだ。地球は有限であり、そこに無制限に多くの人間が生きることはできない。定員は決まっている。もちろん、狩猟で生計をたてるよりは、農耕を行なったほうが、より多くの人間が住めるようにはなる。しかし、その時その時の技術水準での定員はやはり限られている。それ以上に多くの子供が生まれれば、何らかの形で余剰人員を排除しなくてはならない。弱いものが消えていく変わりに、少数派にまわった人間がいじめを受け、差別され、迫害されていく。しかし、それでも矛盾が生じる。なぜなら、多数派のほうが有利になのだから、少数派をも内に取り込んでより大きな派閥を作ろうとする。そうなると、余剰人口を十分に排除できなくなり、その分を領土の拡大や自然の開発によって乗り切ろうとする。そこで不可避的に戦争と環境破壊を繰り返してゆくことになる。より大きな集団に属せば属すほど有利になるのだから、社会の単位は肥大化の一途をたどることになる。こうして,今に至っているのだ。

 「こんなにたくさんモンゴンゴの実があるのに、いったいどうして、作物を植えたりしなければならないのか」と今日のブッシュマンは尋ねる〔リー、,1968〕。何がいったいこのようなパラダイスのような状況から世界中いたるところの人類を立ち去らせ、つらい重荷を背負いこんで、額に汗してみずからのパンを稼ぐという生活に向わしめたのであろうか。(『社会生物学論争』G・ブロイアー、1988、どうぶつ社、p.181)

このことは人口爆発に関係がある。

 「今日の未開民族は人口をいっていに保ち、なわばりの収容能力は不作のとしですら十分利用しつくされてはいない。彼等は人口を生活様式に適合させた少数派のグループだった。(『社会生物学論争』G・ブロイアー、1988、どうぶつ社、p.184~185)
 人類は4万年前に漁を始め、そのすぐあと海生哺乳類を狩るようになった。また船を作り新しい陸地をさがしつづけた。いつも新しい生態的地位を見つけなければならないという巨大な圧力にさらされてきた。この力から、ヒトは獲物を根だやしにするという点でどんな補食者よりも危険な存在になった.(『社会生物学論争』G・ブロイアー、1988、どうぶつ社、p.185)

 順位社会の名残は人間の行動の至る所に見られる。と言っても、政治家の権力争いを「猿山のボス争い」に例えるのは間違っている。政治家は金や人脈を利用して争っているだけであり、一対一で純粋に自分一人の力で戦うようなことはしない。順位闘争の名残はむしろゲームやスポーツや不良少年のタイマン勝負のようなところに残るだけで、我々の社会を構成する重要な要素にはなっていない。それでも、我々の「美意識」においては、なお決定的な役割を果たしている。
 権力にへいこらする人間を見れば「卑屈」だと言い、一人で堂々と組織に立ち向かう人間はヒーローになる。一対一こそ本当の戦いであり、大勢で一人をいじめるのを潔しとしない傾向は、人類が本当の意味で順位社会を脱していない現れなのである。漫画「幽遊白書」の幽助の「ただの喧嘩をやろうぜ。国なんか抜きでよう。」というセリフに感動するのも、はるか500万年以上前に、人間がまだ言葉などなくてもこぶしで語り合うことができた遠い遺伝子の記憶が蘇るからなのだろう。それくらい、順位性というのは単純でありながら、最もすっきりとした生存競争のルールなのである。
 スポーツでも、たとえチームとチームの勝負であってもサッカーのストライカーが相手のディフェンダーを交わしたり、野球でもピッチャーとバッターとの駆け引きがあったり、至るところに一対一の要素がある。一対一の勝負に勝つというのは、今もわれわれの血を興奮させ、非日常の世界に連れてゆく。そして、それが現実ではなくゲームであるというところが人間なのである。

「出る杭は打たれる」仮説

 人間の利他行動の起源については、一般的には互酬性の原理から説明されている。互酬性原理というのはロバート・トリバースが提唱したもので、簡単に言えば「やられたらやり返せ」の反対で、「他人のために善いことをすれば善いことをしてもらえる」という推測に基づく行動が発達したためだというのだ。日本でも「情けは人のためならず」という諺がある。これは情けは無用という意味ではなく、廻り廻って自分のためになるという意味で、互酬性原理の本質をよくあらわしている。もちろん世の中には恩を仇で返す人もいるだろう。そのときにはこちらも恩を受けたときには仇で返す。それを繰り返すと、恩を恩で返す互酬的な行動を取る人がおのずと生存率を高め、恩を仇で返す人は互酬性の輪から締め出され、生存競争に敗北するというのだ。
 しかし、この説にも問題はある。たとえば一番最初に互酬性の原理を信じ、実践した人は、人に尽くすだけ尽くしても何も自分に返ってくることがなく、これでは生存競争に勝ち残れなかったのではなかったか。互酬性が成立するには、最初からある程度の集団が必要だったのではなかったか。そうすると、進化の個体発生原理に矛盾し、集団的な進化を仮定しなくてはならなくなるのではないのか。こうして、結局は人類だけは利己的な遺伝子の進化の唯一の例外であり、利他行動や道徳や良心の起源は生物学的には説明できない、何か神秘的な力によるという結論になってしまいやしないか。(もちろん、そうした説を喜ぶ人のほうが多いだろう。)
 また、互酬性による報酬の価値は客観的に数量化できるものではなく、双方の主観によるため、実際は「小さな親切大きなお世話」になったりしないだろうか。そうでなくても人は自分の行為を贔屓目に見る傾向があるから、自分が人にしてあげた行為より人が自分にしてくれた好意を過小評価する傾向がないだろうか。そうなると、実際は互酬的でありながら、絶えず恩が十分に返されていない、仇で返されているという誤解が生じ、互酬性集団は絶えず決裂の危機にさらされるのではないか。互酬性原理が十分に機能するには、ある程度無償の奉仕に終わる行為があったとしても十分割が合うような、いわば集団から何か利益を得るというよりも無償奉仕をし続けることが生存に有利に働くような状況があったからではなかったか。
 私が利他行動の起源として考えているのは、むしろ「出る杭は打たれる仮説」だ。人間以外の動物に多く見られる順位制社会は、基本的に一対一での力関係による序列に基づくもので、二党が連合して戦うようなことがあれば一時的にこの序列は混乱する。チンパンジーの社会ではしばしば二頭が協力して第一位のオスを倒すことがある。しかし、大きな群れの中の二頭三頭の連合では、それほど順位社会を大きく混乱させることはない。しかし、より知能が高くなり、共感能力が増し、他の個体の行動や心理状態が読めるようになれば、やがて五頭、六頭、それ以上の連合関係が成立するようになる。やがて、全員が力を合わせればどんな強いボスでも倒せるということがわかってしまえば、もはや一対一での腕力の強さは無意味になる。むしろ、群れの中で自分だけ多くのえさを独占したり、多くのメスを独占したりするような行動をとれば、他のすべての個体にとってそれは不利益になる。しかし、それまでは一対一では勝てないから我慢してきた。しかし、全員が協力すれば勝負はあっけなくつくだろう。まさに袋叩きだ。一頭が利益を得る行動は、他のみんなの不利益になる。したがって、少しでも利己的に振舞おうとするものはたちまち袋叩きに合い、群れから排除されることになる。人類は長いことこのような「出る杭は打たれる」状態にあったのではなかったか。
 「出る杭は打たれる」状態に陥れば、無償の利他行動でも生存に有利に働く。少なくとも利己的な行動でない限り、他のメンバーの恨みを買う心配はない。むしろ、「出る杭は打たれる」状態に陥った場合、ほんのちょっとした利己的な行動にも神経質にならざるを得ない。たとえば、他人から恩を受けながらそれを受けっぱなしにしていると、あいつは恩知らずだということになる。それゆえ、利他行動は互酬的にならざるを得なくなる。それは見返りを期待するのではなく、他人の恨みを買わないための必死な行為であり、むしろそれはポトラッチのような競覇的なものにすらなる。つまり、この状態では、他人が自分にしてくれた以上のことを常に自分が他人に対して施していると思える状態で、初めて安心できるのである。そして、このことが道徳や良心の起源となる。
 ギブ・アンド・テイクという考え方が今日でも都会的でドライな響きを失ってないように、見返りを前提に人に何かをするというのは、むしろ原始共同体が崩壊し、文明化してゆく過程の中で生まれた発想だろう。原始的な社会では、人はできる限り利他的に振舞いながら、それが十分に返済されていない、いわゆる貸しを作った状態を維持しようとするし、逆に借りを作った状態というのは不安でしょうがないだろう。ただよくしたもので、たいていの人には欲目があり、誰でも自分のしてやったことは過大評価するから、みんながそれぞれ貸しがあると思っている状態で大体バランスが取れるものなのである。良心の呵責も「負い目」という言葉が示すように、借りを作ることに対する漠然とした不安からくるもので、それゆえに負債が返済できないときには「済まない」というのだろう。逆に、自分はみんなのためになっている、社会に十分貢献していると確信している人間は、精神的にも安定しているし、自身にみなぎっているものだ。これに対し、悪いことをする人間というのも、最初は世のため人のためになって貸しを作っておこうとするのだが、不幸にもその能力に欠けていて失敗したり裏目に出たりを繰り返しながら、負債をゆきだるま式に増やしてしまう。そしてついにはデフォルト(返済不能)に陥る。可哀想だが、生存競争に負けるとはそういうものだ。
 こうした「出る杭は打たれる」仮説の考え方は、人類のさまざまな特殊な進化を説明するのにきわめて有効ではないかと思う。たとえば、家族の起源は異性の独占、(主にオスによるメスの独占)を防ぎ、メスを平等に分配するシステムだと考えればうまく説明できるように思える。また、チンパンジーなどの高等霊長類が潜在的に三歳児程度の原型言語を持つ能力がありながら、それが野生状態の中で発現することがないのも、言語というのが本質的に他に情報を提供したり他者への愛情を表現する本来利他的な性質のものだからであり、一般的な順位制社会の中ではまったく役に立たないからではないだろうか。だから、手話を覚えたチンパンジーの会話の大半は、餌をくれ、抱っこしろといった自分の欲求を伝える言葉に限られている。これに対し、人間の会話のほとんどはいわゆるお喋りや無駄話だ。これには実は意味がある。言語というのは本来情報を得るためといった打算的なものではなく、むしろ毛づくろい行動のような敵意のないことを示す緊張緩和や仲直り行動と結びついたものだったのである。
 人間の利他行動は、人間が全員協力して戦うようになったため「出る杭は打たれる」状態に陥り、その中で生き残るために発達したものであり、その意味では決して利己的な遺伝子の例外ではない。人間は単なる動物でもなければ天使でもない。いかに利他行動を発達させようとも決して過酷な生存競争を逃れているわけではない。むしろわれわれは生存競争を一対一の腕力の戦いから、仲間はずれにならないための多数派工作の競争に変えただけなのだ。そもそも有限な大地の有限な生産力に対し人口が絶えず等比数列的に増加しようとすれば、必ず争いは起こる。それは人類がその生産力に応じて完全に人口をコントロールする手段を見つけない限り終わることはないだろう。それゆえ、社会は常に何らかの理由でミシェル・フーコー的な排除のシステムであることをやめないだろう。また、自分たちと異なる集団に対しては容赦のない攻撃(戦争や虐殺といったことも)そう簡単になくなることはないだろう。そして、そのつどわれわれは良心の無力さを思わずにはいられないだろう。

意図せざる集団狩猟と分配

 挟み撃ちだとか包囲網という集団狩猟の基本戦術は、実はそれほど高度なものではない。ただ、他の者が獲物を襲うのを目撃した時に、その獲物の逃げ道で待ち伏せすれば獲物が懐に飛び込んでくることにさえ気付けば十分なのである。東の方向から獲物を襲おうとしている他のものを見つけたら、西の方向で獲物が逃げるのを待っていれば、自分の方に獲物が飛び込んでくる可能性が高い。そこには何ら利他的な動機は必要ない。また、獲物がその先に狙いをつけた一頭に気を取られて、他の方角には無防備になっている場合には、獲物を横取りできるかもしれない。この場合、見ようによっては一人が囮になって相手の注意を引き付けている間にもう一人がしとめるという、見事な連係プレーに見える。群で生活している動物であれば、一頭が獲物を見つけたとき、他のものがそれぞれ逃げ道を予測して待ち伏せしてゆけば、簡単に包囲網が出来上がる。一等を東と西の方角から挟み撃ちしているところを見た三頭目は、獲物がその両方を避けて南か北に逃げることが想像できる。そうして三頭目が南の方角で待つと、四頭目は今度は北の方角を埋めるだろう。こうして頭数が増えるごとに包囲網は完全なものとなって行く。しかし、そこには必ずしも協力し合うという意識は必要ない。ただ、どこで待てば自分の方に獲物が逃げてくる確率が高いか、それだけの計算でいいのである。
 獲物を見つけたときの、叫び声を上げて群にみんなに知らせるというのも、単なる協力というだけではない。一人で追うより包囲網を作った方が、獲物を捕らえる確率が高くなるなら、あくまで利己的な動機から「召集行動」を取る可能性は十分ある。
 分配行動についても、必ずしも利他的な意識を必要としない。たとえば誰もが我先に肉の塊を手に入れようとしたらどうなるか。たちまち奪い合いになり、仲間同士で攻撃しあうことが予測できる。特に大きな塊を持っていると、より強いものに奪われる危険が大きい。そのとき、肉の塊の半分を千切って奪おうとして追っかけてくる相手に投げつけ、それを拾っている間に逃げるという戦法が考えられる。この場合、自分の手に持っている肉より投げつけた肉の方が明らかに小さいと、追いかける方は投げつけられた小さな肉には目もくれずに、手に持っている大きな方の塊を奪おうとするだろう。かといって、半分より大きな肉を投げつければ、追っ手もそれを拾って満足するだろうが、それでは自分の取り分が少ない。相手が自分を襲わない程度の最小限の肉を投げつけようとすれば、自ずと半分こということになるだろう。結果的に山分けしたのと同じになる。
 追っかけてくるのが二頭だったら、半分の肉を投げつけても襲われる危険がでてくる。というのも、投げつけられた肉を手にしても、一緒に追っかけてきたもう一頭に横取りされる可能性があるし、それを防ぐには、その半分の肉の半分をちぎって投げつけて逃げる必要があるから、結果的に四分の一になってしまう。それよりは、もう半分の肉を持っている一頭を襲ってそれを手に入れた方がよくなる。そのため、逃げる方は三分の二をちぎって投げなくてはならない。これなら、最初に拾った方は半分は投げ捨てるにせよ、結果的に三分の一の肉を手に入れることができる。これならもう三分の一を持って逃げている方を襲うのと一緒になる。結果的に肉は意図せず三等分されることになる。同様に、四頭いれば自ずと四等分、五頭いれば五等分されることになる。
 こうして、共同狩猟も分配行動も、特に利他的な動機がなくても自然に成立する。その起源はおそらく恐竜の時代にまで遡れるだろう。
 チンパンジーの共同狩猟も分配行動も、基本的にはこうした意図せざるものから始まったと思われる。ただチンパンジーの場合、分配の際に、いわゆる「物乞い行動」が見られるというところに特徴がある。
 チンパンジーの共同狩猟は、ジェーン=グドールのゴンベ公園での野生チンパンジーの研究の中で、かなり早い時期から観察され、話題になっていた。特に60年代のハンティング・エイプ仮説、つまり人は狩りをすることで人間になったとする説に、大きな疑問を投げつけることとなった。

 「ゴンベ公園で報告されている共同狩猟とは次のようなものである。一頭のサルが群れの他のメンバーから一時的に離れて樹上にいるとき、その木を一頭のチンパンジーが注意深く獲物に向かってのぼっていく。一方、他の数頭のチンパンジーはそれぞれその木の周囲の木の下に陣取っている。もしくだんのチンパンジーが『忍びより』や『捕獲』に失敗してサルが逃げても、その逃走ルートには他のチンパンジーが待っていて、まんまと捕えられてしまう。」(『野性チンパンジー観察記』西田利貞、1981、中央公論社。p.227)

 しかし、チンパンジーの獲物は小さく、赤ん坊が多く、一頭で1、2秒で倒せる程度のもので、必ずしも共同でとる必要はない。

 「『おれはこの木を登るから、おまえはそっちにまわれ』というようなことを表明する表情、身振り、音声などのシグナルは報告されていない。」(『野性チンパンジー観察記』西田利貞、1981、中央公論社。p.228)
 「ゴンベ公園のチンパンジーの狩猟を系統的に研究したビュスは、個体のの狩猟成功率は、グループ・サイズが大きくなるにつれて減少することを見い出した。」(『野性チンパンジー観察記』西田利貞、1981、中央公論社。p.229)

 これはオオカミなどとは逆であり、共同狩猟とは考え難いという。
 これを読むかぎりでは、チンパンジーの待ち伏せや包囲網が、計画されたものとは言い難い。大勢集まれば、確かに狩りの成功率は高まるが、獲物が最初から一頭でも捕らえられる程度の小さなものであるため、大勢集まれば集まるほど一人当たりの取り分が減ってしまうという現象が生じる。

 「『共同狩猟』というレッテルが張られる理由の一つは、ゴンベではサルが捕獲されたあと、それがまず『山分け』され、ついで『再分配』が起こることが多いからである。『山分け』というのは、捕獲したチンパンジーのまわりに、4,5頭が集まって、一斉に頭部、四肢などを引っぱり合い、咬みちぎって、めいめいがかなり大きな部分を入手する過程である。この『山分け』の過程で物乞い行動は見られない。ついで、数頭の肉の所有者のまわりにそれぞれ『近親者』、『友人』、発情メスなどが集まり、物乞い行動を示し、肉の小片の再分配がなされる。
 以上は、ゴンベ公園の捕食行動をまとめたテレキが典型的な例として示したものであり、必ずしもいつもこの通りに、ことが進行するわけではない。注目すべきは、山分け。再分配の過程は必ずしも平和的に行なわれるのではなく、けんかや奪い合いなどの行動が見られがちなことである。」(『野性チンパンジー観察記』西田利貞、1981、中央公論社。p.229~230)

 食物の分配は肉に限らず植物でも行なわれる。だが、九分九厘それは親子の間にみられる。また、大きな食物を一人で持っていると他のものに襲われるので、自分だけ切り取って逃げることも多く、肉の分配もそのようなものと思われるという。
 このゴンベでの観察結果は、しばしば物乞い行動のよる分配の場面ばかりが過大評価されてあたかもチンパンジーが仲良くみんなで獲物を分け合っているかのようなイメージを生む結果にもなったが、実際はそうではなさそうだ。まず、一緒に獲物を追いかけた一群は、それぞれ自分の獲物だとして独占しようとするが、結局力関係で意図せず結果的に分配する形になる。これに対して、その場居合わせなかった者たちが寄ってきたとき、二次分配が生じる。このときは物乞い行動が頻繁に見られる。その「物乞い行動」による分配も、人間の分配行動とは明らかに異なる。

 「チンパンジーとボノボでは、食物の分配は『物乞い行動』によっておこる。これは、食物をもっている個体や口にくわえている個体に近づき、片手を差し出したり、手を相手の口にあてたり、口を相手の口につける行動で、優位な者がもっている食物を劣位な者がねだるといった形で発現する傾向がある。しかし、劣位者がおびえた表情を浮かべるということはなく、この交渉は優劣が露骨に表現されるものではないと考えられる。食物をねだられた者はすぐこの要求に応じることはないが、執拗に迫られると手や口から相手が食物の一部をとることを許す。食物をねだられた者はなかなかその要求を拒むことはできない。だが面白いことに、優位者が劣位者にねだるより、劣位者が優位者にねだる方が食物を得られる確立が高いという。劣位者は優位者の要求を敢然と拒むことが多いのである。」(『家族の起源-父性の登場-』山極寿一、1994,東京大学出版会、p.156)

 『物乞い行動』は母子間の給餌行動が成熟個体間の親和関係の表明に利用されたもので、乞う方はそれが劣位の表明であるため、優位者はそれを拒みにくくなる。拒めば対等であることを認めたことになるからだ。人間でも、頭を下げて下手に出られると要求を断りにくいのは、要求に答えると確実に相手より優位に立つが、断ると対等な関係になってしまうからであろう。  それゆえ、最初に獲物を捕らえたときに我勝ちに一次分配がおこなわれた後、肉を持っている勝利者に対して、あぶれた者やその場に居合わせなかったが物乞い行動に出ることは、十分に考えられる。そして、この場合、ねだられたものは、優位者の証しとして分配するか、優位者でなくてもいいから獲物を取るかの選択に立たされることになる。いわば、名誉を取るか実利を取るかの選択である。

 「西田利貞は、食物を独占して皆の要求を退けたり逃げ回ったりするよりも、分配した方が物乞いの対象を分散させることができるので結局体力を使わずにすむと解釈している。」(『家族の起源-父性の登場-』山極寿一、1994、東京大学出版会、p.156)

 与えた方が優位に立つという現象は、与えられたほうが与えるものに依存するという優劣の関係が生じるためで、こうした心理は、やがて未開社会のポトラッチ(競覇的贈与)などにも発展して行くのであろう。酒場などで、俺がおごる、いやここは俺におごらせろなどというやり取りがあったりするのも、その名残だろう。

 「パン属2種には平和的に食物が他者に渡される交渉が見られる。食物分配がおこるには食物の余剰がある程度必要だが、自己で消費してしまえる量の美味な食物もよく分配される。これは経済の萌芽といってよい。とはいえ、所有者が相手に積極的に与えることはごく稀で、多くは手を差しのべられ物乞いされて後に相手にとらせたり与えるといった消極的な分配であること、食物の入手地と分配地が一致している、互酬性が見られない、雄から雌とその逆の方向で質の異なる食物が分配されることはない(性的分業)、分配と結合する配偶関係がない、ことなどでヒトの場合と異なっている。」(『人類の起源と進化』黒田末寿,片山一道,市川光雄、1987、有斐閣双書、p.88~89)
 「物乞いがもともと幼児の母親への行動であること、を考えると、互酬性は優位行動のし合いという性格をもつ。こうした交渉が一般的になるには、性行動を媒介にすると容易に食物が動く両性間の食物のやりとりや成長の遅い子どもへの積極的給餌の定着が先行したに違いない。また、単に相互扶助のメリットの理解が進めば互酬性が出現すると考えることはできない。チンパンジーは、共同の効用も因果律もかなり高いレベルで理解しながら互酬性の萌芽をもたないからだ。互酬性の確立には、相手と同じ行為をしたりそれを返すことでコミュニケーションと対等性の確認をするヒトに顕著な交渉パターンが確立していなくてはならない。ヒトのこの交渉パターンのもとは母子間の行動や気分の同調、模倣のやりとりに求めることができる。それらはやはり、成長遅滞をおこした子どもを母親に結びつける必要条件である。しかし、ピグミーチンパンジー程度の成長遅滞では互酬性と呼べる食物分配は出現していない。」(『人類の起源と進化』黒田末寿,片山一道,市川光雄、1987,有斐閣双書、p.89~90)

 奪われないために肉片をちぎって逃げるという行動も、物乞いによる分配行動も、結果的には食物を群全体に行き渡らせることになる。しかし、その動機はいずれも利己的で(判決文のような言い回しだが)、そのため、狩猟による利益の再配分は必ずしも確実なものではないし、それを常に当てにすることもできない。そうなれば、狩猟はあくまで偶発的になり、役割分担などの困難になる。それゆえ、共同狩猟というよりは、同時多発的単独狩猟という形にならざるをえない。
 つまり、チンパンジーは共同狩猟をするとはいえ、それは人間の狩猟民族がするような狩猟とは明らかに似て非なるものであり、その意味ではハンティング・エイプ仮説を脅かすほどのものではないし、チンパンジーにその萌芽があるというわけでもなさそうだ。チンパンジーはあくまでそれぞれが利己的な動機によって獲物を捕らえようとし、全部持っていると襲われるからという理由と、物乞いするものにくれてやれば自分が優位に立てるという理由で、やむなく分配するにすぎない。
 チンパンジーの社会には占有権があるだけで、所有権はない。持っていればたとえ口の中に入ったものでも、手を突っ込んで取られる可能性がある。先に腹に収めたものが勝ちなだけだ。だから、狩猟に参加したからと言って、配分を受ける権利が生じるわけではない。
 元来、草木の葉や堅果などを食べる分には、順位争いはさほど顕在化することはない。食物が十分広く分散した形で豊富にあるからだ。ただ、若干の場所争いはあるかもしれないが、人の取ったものを奪う必要はないし、奪うにしては小さすぎるし、奪おうにもすぐ腹の中に収められてしまうため、体力の無駄にしかならない。そのため、野生状態のニホンザルの採食風景はおおむね平和そのものであり、餌付けされた猿のような、我先に奪い合う喧騒状態は見られない。チンパンジーにしても、順位争いが激化するのは餌付けや飼育により、食物が一箇所に偏在することによる。
 また、テナガザルやオランウータンのような果実食の場合は、食物があまりに散在していて、その絶対量も少ないため、群を作るよりも互いに距離を取って、十分な大きさのテリトリーを確保する必要がでてくる。そのため、菜食の際に他の個体とかち合うことは少なく、順位争いも起りにくい。
 分配行動が発達するには、分け合うだけのある程度の大きさと魅力を持った食物がなくてはならない。それも、散発的なものであれば、一時の喧騒状態を生むだけでおわることとなる。順位争いが顕在化する場面が少なければ、共同で強い相手を倒すという知恵も発達しにくいし、それが出る杭は打たれる状態に陥ることもない。つまり、人類の祖先に出る杭は打たれる状態が生じたとすれば、それはチンパンジー以上にかなりの頻度で、分割しなければならないような大きな獲物を手にしたということになる。チンパンジーに、いくら共同で闘えばどんな強い敵でも倒せるという頭があっても、それを試せるチャンスはそう多くはない。つまり、出る杭は打たれる状態に陥るには、出る杭になるチャンスがあまりに少なすぎたのである。
 この場合、獲物が大きすぎても分配の必然は生じない。雌のライオンの間に顕著な順位争いが生じないのは、獲物が一頭では食べきれないほど大きいからで、先を争って食べる必要はあっても、他のものが口に入れたものまで奪う必要はない。オオカミなどの共同狩猟でも、事情は同じだろう。
 つまり、分配行動が発達するには、さほど大きくない獲物を、かなりの頻度で手に入れ、常食することが不可欠になる。狩猟は分配行動の結果であって、原因にならないとすれば、「死肉漁り」ということになる。これは今ではハンティング・エイプ説に変わって有力になってきている。しかし、シマウマなどの大きな死肉は分配するには大きすぎるし、小動物の屍骸は見つけにくいから、小動物の屍骸ばかりを狙っていたとも考えられない。
 水生説のほうが、この点でも有利なように思える。海辺には陸上の生物に比べて逃げ足が遅く、その分硬い殻で身を守っている獲物がいくらでもいる。海老、蟹、貝、海亀、海胆、今日でもわれわれにとって御馳走となるようなシーフードがいくらでもある。潮溜まりには魚が閉じ込められることもあるし、時にはタコも陸上に上ってくる。こうした獲物と従来の堅果や葉っぱなどとを合わせた食生活をしていたなら、共同狩猟や分配の機会も増えたであろう。硬い殻を破るには、手先の器用さが役立ったし、やがて石器などの使用をも生み出していったであろう。

人類の起源

 人類がどこで生まれたのか、実際にわかっていることはあまりに少ない。ほんのわずかな化石証拠、それ以外に物的証拠はない。そのため、ごく断片的な事実から人は様々に想像をめぐらせる。厳密な科学のテーマとするには証拠が少なすぎるこのジャンルだけに、想像力豊かで突飛な珍説を考えたがる人にはもってこいだ。ちょうど我が国でひところ流行った邪馬台国論争のようなもので、人類の起源論争は素人でも簡単に参加できるため、欧米では一種の産業とまで化しているという。
 それでも、人は「わかりません」という答えでは不満なもので、何かしらもっともらしい説明を求め、定説としたがる。実際、人類の起源について、既にほとんど定説となっているものがある。たとえばアフリカ起源説だ。これは19世紀にダーウィンが、人類にもっとも近いゴリラやチンパンジーがアフリカにいるところから、人類もそのあたりから出てきたのではないか、とした説で、それ程深い根拠があったわけではなかった。最初の頃は、化石証拠もネアンデルタール人のようなヨーロッパのものに限られていたから、ヨーロッパ起源説が幅を利かせていた時代もあった。特にイギリスで発見されたというか、本当は捏造された骨だったのだが、ピルトダウン人なるものが人類の初期のものとされた時代もあった。やがて、ジャワ島からのジャワ原人、ペキン周口店から発見された北京原人の発見などで人類の起源がアジアに傾いた時期もあった。しかし、レイモンドダートによる南アフリカでもアウストラロピテクスの発見、さらにルイス・リーキーやその家族やドン・ジョハンソンなどが次々にアフリカから最古の人骨を堀あて、その年代を次々に更新してゆき、今日ではアフリカ起源説が不動のものになっている。
 しかし、化石は掘ってみなければ発見できない。縄文時代の遺跡なら、宅地開発や道路工事でいきなり出現して工事が中断したりして困ったことになるが、最古の人類化石ということになればそうそう至る所で出てくるわけではない。偶然鉱山開発などで発見されるのを除けば、ほとんどは化石ハンターがこの辺なら出るだろうと当りをつけて発掘調査をする。それもアフリカあたりまで行って長期の発掘調査となれば、それなりにお金もかかる。それにはスポンサーをつけなければならない。そのスポンサーを納得させるには、そこがいかに有望なところか、そして化石が出た暁にはそれを博物館に貸し出したりして十分な収入がえられるかを力説する必要があるだろう。そうなれば、あまり飛んでもない意表をついた場所の調査はできない。大体世間での定説に従って選ばれる。ここまで言えばアフリカ起源説のからくりもわかってくるだろう。つまり、アフリカが有望だと言われれば、化石ハンターはアフリカに集中する、そこでたまたま人骨が出る、それでアフリカ起源説は証明されたことになる。それ以外の地ではほとんど偶然の発掘を待つしかない。だから、将来どこかから突然最古の人類の骨が出現して、情勢が一瞬にして変るという可能性がないわけではない。特に、中国はそうした西洋での流行をよそに、独自に国内の発掘調査をし、その中には100万年前とも言われる古い人骨が発掘されている。そのため、かつて、アフリカで進化した人類の祖先が、アフリカを出てその他の地域に広がっていったのは100万年くらい前だと言われていたが、最近ではもう少し早い時期に修正されてきている。
 アフリカ起源説と同様、すっかり定説となっているものにサバンナ起源説がある。人類の二足歩行はサバンナの草原で生活するのに適応して発達したものだという説だ。この説も、一つ一つよく検討していくと、けっこうおかしなことが多い。たとえばサバンナにはヒヒもいればチンパンジーも一部サバンナで生活している。彼等は四足歩行で十分にサバンナの草原に適応している。草原で肉食動物から身を守るため遠くを見回さなくてはならないから直立姿勢を取るのだというのだが、確かに直立姿勢だとこちらから肉食獣を発見しやすくなる。ただ、肉食獣のほうからも発見されやすい。むしろ通常四足で茂みや灌木のなかに身を潜め、必要なときだけ伸び上がって遠くを警戒するほうが理にかなっている。二本足だと四本足より早く走れるといわれても、人が馬や鹿のように走れるわけではない。手に物を持つために二足歩行したというが、チンパンジーのフィストウォークというのは便利なもので、拳骨で握り拳を作って地面を歩くから、棒や石を持ったまま歩くことができる。少なくとも、最初に人類が直立歩行したときにはまだそんな高度な道具を作る能力はなかったのだから、道具を作り、手を解放するために二足歩行したというのも考えもんだ。最近では人類が二足歩行になったのは木の上でぶら下がる、いわゆるブラキュエーションから急に地上に降り立って歩く必要が生じたためだと説明されている。つまり、木の上で体を垂直に保っていた名残で、地上に降りても体を垂直に保ったのだという。
 アフリカ起源説が人気があるのは、ひょっとしたらある種の人間が教訓的な苦労話を好むからかもしれない。つまり、人間の先祖は突然のアフリカに乾燥化によって、森林という楽園を追われ、乾燥したサバンナに放り出された。そこには豊かな木の実はなく、おまけに猛獣がうようよしている過酷な大地だった。そこでわれわれの先祖は知恵を絞ってついには石器を発明し、また、みんなで力を合わせて集団狩猟を行ない、過酷な大地を知恵と勇気と愛の力で乗り切り、人間となったのだ、云々。特に西洋では、これが『創世記』の失楽園のイメージと重なり合う。
 それに比べると、水生説(水生類人猿説)というのはいかにもお気楽なもので、人間は白いサンゴ礁にヤシの木の並ぶ海辺のリゾート地で、エビやカニや貝や海胆などのシーフードを食べながら、何の苦労もせずに人間になったというもので、今一つ教育的ではない。
 水生説の発想は、人間はいかに苦労して人間になったかという発想ではなく、あくまで人間の体がどのような環境に最もよく適応しているか、という発想から来ている。
 たとえば、もしあなたが一年中裸で暮らさなければならないとしたら、どこに住みたいと思うだろうか。シベリアやアラスカは論外として、日本やヨーロッパのような温帯地域でも、夏はいいが冬の寒さは裸では耐えがたい。自ずと熱帯地方に目を向けなければならない。そうした時、果たしてアフリカのサバンナはどうだろうか。確かに気温は平均すると一年中暑すぎもせず寒すぎもせず、心地いいかもしれない。しかし、サバンナは一日の寒暖の差が激しく、明け方にはかなり冷え込む。また、人間は炎天下にいるとすぐに脱水状態になり、熱中症にかかる。それを避けるには水分を頻繁に取る必要があるが、乾期のサバンナの水場は限られている。おまけにライオンやヒョウなどの猛獣もうようよいるし、川にはワニもいる。一年中裸で暮らすとしたら、やはり南の島がいいだろう。そこはまさに楽園という言葉がふさわしい。
 人類がサバンナよりも海辺に適応しているというもっとも顕著な特徴は、人間の発汗システムだ。人間の発汗システムは、ラクダや馬や牛などのアポクリン腺による発汗ではなく、エクリン腺による。アポクリン腺による発汗は、いわゆる脂汗(スエット)で、水分や塩分はほとんど流出せず、ワックス状の匂いのある物質を流出させる。これに対し、人間のアポクリン腺は腋の下などの限られた場所に痕跡をとどめる程度で、ほとんどが退化してしまっている。人間の汗のほとんどはエクリン腺によるもので、これは水分と塩分を大量に流出させるが、匂いはそれほど強烈ではない。それはスエット(sweat)というよりはパスパレーション(perspiration)だ。だから、我々が汗の匂いを消すために消臭スプレーを使うにしても、たいていは腋の下などにシュッと一吹きすれば足りる。
 エレイン・モーガンによると、

 「霊長類の進化の途上でエクリン腺は、体表のあちこちに不規則に散らばって現れるようになりはじめた。比較的原始的な小形の種では、そうしたことはごく稀にしか起こらない。おそらくその個体にたまたま先天性の位置異常が起きた場合にのみ、エクリン腺に分散が起こるのだろう。だがもっと大形のサルでは、エクリン腺の分散は、かなり頻繁に見られる。そしてチンパンジーやゴリラといったアフリカの類人猿では、エクリン腺はアポクリン腺と同じくらいか、それ以上にたくさんある。類人猿の場合、その比率は五十二対四十八ぐらいだ。人間ではこの比率がさらに飛躍的に増え、九十九対一近くにまで達している。
 これまでにわかっている範囲では、類人猿はこの全身に散らばったエクリン腺を、まったく利用していない。そして人間はそれを、発汗による体温調節に利用している。」(『進化の傷あと』エレイン・モーガン、1999、どうぶつ社、p.125~126)

という。なぜ人間だけが太陽のジリジリと照りつける乾燥したサバンナで、水分と塩分を大量に消失し、死の危険を伴うこうした発汗システムを進化させたか、これはサバンナ起源説を信じるかぎり、永遠の謎といわねばならない。ただ、人間が海辺で進化したとすれば、絶えず塩分の過剰摂取に悩まされたはずであり、体の中の余分な塩分を排出するためにエクリン腺が進化したと考えれば、ほとんど無理なく説明できる。
 発汗作用だけでなく、人間がなぜ体毛を失ったのか。そして、その皮膚は、脂取り紙で拭いてもなかなかテカリが取れないほど、脂ぎっているのか、こうした特長も、サバンナの他の動物では類を見ない。二足歩行もまた、水中を歩行するためだとすれば、最初から長く頑丈な足を持ってなくても、スムーズに移行できた。現に海辺に住むテングザルは頻繁に二足歩行をする。
 ここで、サバンナ説と水生人類説を調和させる、一つの考え方がある。つまり、人類の故郷はどこか熱帯の海辺にあり、人類はそこで進化をし続けた。そして、そこでたくさんの子孫が生れ、やがて人口過剰になると、彼らはやがて川を遡り、内陸の森林やサバンナにも広がって行った。ところが、彼らがサバンナに到着すると、彼らが海辺で獲得した形質は生存に極度に不利になり、進化はそこで止まってしまうことになる。そして、彼らは乾燥地帯に適応するために、まったく別の進化を始めなくてはならなかった。それはすべて人間への進化の道筋とは逆のものだった。水中を歩くには、それほど頑丈な足は必要なかったが、岡に上れば足は長く立派なものにならなくてはならなかった。そこで彼らは長身になり、がっしりした体系に進化した。そしておそらく、彼は裸で汗をかくような状態では生きられなかった。エクリン腺は過去の遺物として痕跡をとどめるだけになり、かといって牛や馬のようなアポクリンを発達させることもなく、多くの動物がそうであるように、息をハアハアさせて体温を外に逃がし、後はしっかりとした毛皮で水分の発散を抑えるという方向に進化せざるをえなかっただろう。
 人類の歴史は、楽園で進化した人類の人口が増加するたびに何度も乾燥地帯への進出を引き起こし、そのつど頑丈で特殊化した種を生み出してきたが、やがて本来の楽園で、より進化したニューバージョンの人類が現れて乾燥地帯に進出してくると、いつしか片隅に追いやられ絶滅してゆく、そんな繰り返しだったのだろう。
 この楽園がどこにあったかについては、今日のアフリカで発掘された大量の初期人類の化石証拠と矛盾しないという点では、東アフリカの海岸にあったと見るのがいいだろう。エレイン・モーガンによれば、ルーシーと呼ばれるアウストラロピテクス・アファレンシスのほぼ完全な骨格の発見された、アファール地方がその有力な候補地だという。地質学者のポール・モールの説を受けたもので、

 「かつてアファール三角地帯には海水が流れこみ、長期間そこにたまったままになっていた。別の地殻の塊が、海水の出口を塞いでしまったからだ。そこでアファール三角地帯にたまった海水は、何百万年もかけて少しずつ蒸発していくことになった。似たようなことは、地溝帯の北端でも起こっている。イスラエルの死海がそれだ。死海もやがて、アファール三角地帯の海水と同じ運命をたどるだろう-水が蒸発して塩分がどんどん濃くなっていき、やがては乾いた塩の平原だけになってしまうのだ。
 現在のアファール低地は、地球上でも最も気温が高く、最も乾燥した砂漠地帯である。その砂漠には、塩の堆積物が数百メートルの厚さで積もっている。」(『進化の傷あと』エレイン・モーガン、1999、どうぶつ社、p.79~80)

という。この塩の平原の東側のダナキル山と呼ばれる高地が、アファール三角地帯の浸水時にも、海中に没することはなく、島のようになっていたという。このダナキル島が人類の故郷だっただという。ただ、この島はその後地続きになっているので、人類の本来の楽園はダナキル島に限らず、アフリカの東海岸一体だったと考えた方がいいだろう。あるいは紅海沿岸にもかかるかもしれない。
 最初の人類は約700万年前に北アフリカの森林地帯全体に広く生息していたのだろう。彼らはぶら下がり(ブラキエーション)生活をしていたが、時折地上を歩く時に体を垂直に保つ姿勢を取る傾向にあったため、二足歩行を行ったが、まだ足の指も長く、樹上生活に適応していた。そして、彼らはやがて東西のグループにに分断され、西側ではやがて地上での四足歩行が主流になり、今日のゴリラやチンパンジーやボノボとなり、東側では人類への進化が始まった。
 人類のバージョン2はそれから200万年くらいして現れた。水生類人猿説が成立しうるのはこの時以降であろう。今度は短い足ながらも完全な二足歩行を完成させていた。彼らもまた内陸部へ進出し、いわゆるアウストラロピテクスになった。しかし、彼らもまた乾燥地帯で特殊化し、およそ100万年前に、後続の人類バージョン3に追いやられ、絶滅した。
 人類バージョン3は約300万年前に同じく楽園で生れた。彼らは脳を少しばかり大型化させ、オルドワン石器を製作した。しかし、彼らも内陸部に進出すると大型化し、ホモ・エルガンテスから、ホモ・ハビリスへと進化し、アウストラロピテクスにとってかわるかのようにアフリカに広がって行った。
 約200万年前、人類のバージョン4がやはり楽園で誕生した。彼らは脳をさらに大型化させ、アシュール石器というより高度な石器を手にし、アフリカのみならず、ヨーロッパやアジアにも進出し、インドネシアのピテカントロプスや中国周口店の北京原人になった。これらの一族は総称して、ホモ・エレクトスと呼ばれている。
 約60万年前、再びアフリカの楽園で人類のバージョン5が誕生した。今度は脳の容積が現代人とほとんど変わらないが、眉の辺りが著しく隆起している点では今日の人類とは異なっていた。後期アシュール石器を携え、火を使用していた彼らは、やがてヨーロッパに進出し、ネアンデルタール人になった。
 そして、約30万年前、人類のバージョン6が現れた。今度は眉上突起もなく、その後のクロマニヨン人の祖先となって、アフリカからヨーロッパへと広がって行った。いわゆる「アフリカのイブ」と呼ばれる、ミトコンドリアDNAからたどれる人類の共通の祖先も、この一群にいたと思われる。
 しかし、ここでまた一つの断層が存在する。5万前のビッグバンとも呼ばれるこの変化は、絵を描いたり、埋葬の儀式を行ったりといった、今日の人類の精神的な活動の痕跡をとどめる遺物を多数残しており、これが人類の最終形となる。この変化については、骨格などの外形的な変化をほとんど伴わない。おそらく、今日我々が用いているような言語能力が、この頃完成されたのではないかと思われる。

VER.1 最初の人類

 最近になって、1960年代以降主流となった人類のアフリカ東部起源説(イーストサイド・ストーリー)、サバンナ起源説をくつがえすような発見がいくつか出てきている。人類はサバンナに降り立って二足歩行に移行したのではなく、森林でぶら下がり(ブラキエーション)生活している中で地上に降り立った時の移動方法として、すでに二足歩行をしていた可能性が強まってきた。そして、むしろ地上で生活する頻度の高くなった最初の一群が、四足歩行を進化させてゴリラやチンパンジーやボノボの祖先となり、二足歩行のまま残ったグループが人間になったとも考えられる。

   サヘラントロプス・チャデンシス(トーマイ)

 2002年7月、フランスのポワチエ大学の古生物学者ミシェル・ブルネはチャド北部の樹ブラ砂漠で700万年前のほぼ完全な頭骨を発見し、サヘラントロプス・チャデンシス(チャドのサヘル人)と名づけられた。年代的には人類とチンパンジーが分化する以前の、共通の祖先とも考えられる。  脳は小さくチンパンジー的だが、切歯に似た小さな犬歯にヒト的な特徴があり、口吻部の突出具合が人とチンパンジーの中間にある。足の骨がないので二足歩行をしたかどうかはさだかではない。

   オロリン・トゥゲネシス

 2001年にパリの国立自然史博物館の古生物学者マーチン・ピックフォードとブリジット・セニュが発表した約600万年前の人類化石で、下顎、歯、指、腕、大腿骨などの19個の破片が発見されている。これも年代的には人類とチンパンジーが分化する以前の、共通の祖先としてもおかしくはない。
 犬歯は尖っていてチンパンジー的だし、手の指は樹上生活に適応している。ただ、大腿骨からアウストラロピテクスのように、すでに直立歩行に適応していた可能性がある。これが本当だとすると、チンパンジーやゴリラは最初二足歩行をしていて、それから今のフィストウォークへと進化したのかもしれない。

   アルディオピテクス・ラミダス

 1990年代に入って、エチオピアでティム・ホワイトら、カルフォルニア大学グループを中心に日本の東京大学助教授の諏訪元も参加した発掘チームが発表した初期人類の骨で、約440万年前のものと推定されている。
 犬歯がチンパンジー的で、臼歯が小さく、エナメル質が薄い。アウストラロピテクス・アファーレンシスよりも原始的であるため、新しい属名が与えられた。

   アルディオピテクス・ラミダス・カダバ

 2001年。同じく、カルフォルニア大学グループを中心に日本の東京大学助教授の諏訪元も参加した発掘チームがエチオピアで発見した骨で、約580万~520万年前とされている。犬歯は尖っていてチンパンジー的だが、足の指の骨の形から、二足歩行に適応していたことがわかるものの、指は長く、まだ樹上生活の痕跡を残している。

VER.2アウストラロピテクス

 この段階で二足歩行が成立した。これは樹上でのブラ木エーション(ぶらさがり)から急に地上に降りためだったと思われる。これがチンパンジーのようなフィストウォーク(手を握ったまま地に付けて手首で歩くる歩行)に至らなかったのは、しばしば水中を歩行したためだと思われる。水生類人猿説が有効になるとしたら、この不完全な二足歩行から完全な二足歩行に移行する過程であり、最初の二足歩行を説明するものではない。むしろなぜ地上を歩くようになった時、四足歩行を進化させなかったかという問題に有効となる。
 アウストラロピテクス・アファレンシスの段階では、ラエトリの足跡化石から、完全な二足歩行が行われていたことが証明されている。もっとも、この場合の完全というのは脚の動きが完全であり、いわゆるよちよち歩きではないということで、上半身の動きまでが今日と同じだったかどうかは定かでない。特に、手の長さにくらべて足が短かかったことから、綱渡りをするときのように腕を広げてバランスを取る必要があったかもしれないし、腰のくびれがないところから、今日のように腰をひねって歩くのではなく、右手と右足を同時に前に出す「なんば歩き」をしていた可能性もある。
 ラエトリの足跡化石は1976年にメアリー・リーキーのもとで調査をしていたアンドリュー・ヒルが発見した。それは露出した凝灰岩にゾウやサイなどの何千もの足跡であり、その後の2年間の調査の末、1978年に27メートルにわたる人間の足跡を発見した。340~80万年前のものと推定された。骨や石器が出土したわけではないので、この足跡がアウストラロピテクス・アファレンシスのものかどうかの確証はない。ただ、この頃完全な二足歩行をする生物がいたことと、ルーシーと呼ばれる290~340万年前のアウストラロピテクス・アファレンシスの全身骨格化石が二足歩行に適応していたところから、また、ラエトリでアウストラロピテクス・アファレンシスと思われる化石も出土しているところから、状況的にアウストラロピテクス・アファレンシスの足跡と思われる。
 当時のラエトリの環境は、乾燥してほとんど木が生えてなく、降り積もった火山灰が泥状になったところを歩いたものと思われる。ただ、ルーシーの発見されたハダールの方は、湿度も高く木も生い茂っていたと考えられている。そのため、二足歩行が乾燥地帯への適応かどうかはさだかではない。それより前に二足歩行を進化させたホミニド(初期人類)が、ハダールのような森林地帯にも、ラエトリのような乾燥地帯にも広がり、広く分布していた可能性もある。その誕生は400万年以上前の アルディオピテクス・ラミダスの時代にも遡れるだろう。水生類人猿説が可能なのはその年代である。そして、海辺を離れた彼らは、人間へと進化することはなく、脳の大きさの進化が止まったまま、乾燥地帯に適応してやがて大型化し、アウストラロピテクス・アフリカーヌスやパラントロプス・ボイセイとなり、およそ100万年前に絶滅したとも考えられる。
 最初の彼らは森林で木葉や樹皮や堅果を食うだけでなく、海辺でしばしば大きな獲物を手にした。そのため、そのつど大きな獲物の配分をめぐって順位争いが顕在化し、緊張を強いられるようになった。そして、最終的に「出る杭は打たれる」状態に陥り、順位社会は崩壊寸前となった。
 また、彼らの発声は基本的にチンパンジー的なものであったが、魅力ある獲物の偏在により、絶えず緊張が生じる地域では、発声量が増加する傾向にあったと思われる。いわゆるスティーブン・ミズンのいうHmmmmが生じたのはこの頃と思われる。
 しかし、彼らが順調に繁殖し、個体数が増加すると、一部は川をさかのぼり、内陸部へと進出し、さらに一部はサバンナに適応を遂げた。しかし、こうした一団は、まれに小動物をつかまえたり、死肉をあさったりはしたかもしれないが、群内部の緊張を高める場面は減り、すみやかに通常の順位制社会に戻っていった。特に、食料が広範囲に渡って散在するサバンナでは、大きな群の維持が難しくなり、一夫多妻の単雄郡を形成する傾向にあったと思われる。そのため、オスとメスとの体格の差は大きくなり、明確な性的二形が生じていった。アウストラロピテクス・アファレンシスの段階で、すでにオスはメスよりも50パーセントも大きく、オスの犬歯は相当大きかった。
 これに対し、豊かな海浜部に残った仲間は、海岸の塩分と湿気の多い環境に適応するために、次第に毛髪が産毛化し、人間特有の発汗作用を進化させていった。
 アウストラロピテクスはまだ石器は作らなかった。しかし、海辺での生活では、岩に付いた貝や岩海苔をそぎ落とすために、石を道具として用いた可能性はある。こうした「そぎ落とす動作」の習熟が、後の剥片石器につながっていったのだろう。もちろん、石はラッコのように、貝殻を砕いたりするのにも役立っただろう。
 群自体の緊張感のそれほど高くない状態なら、石はそれほど大きな生活の変化をもたらすことはない。チンパンジーも木の実を砕くために石を用いるし、蟻釣りのための棒を製作したりする。ただ、常に緊張感の高い状態に置かれると、石は恐ろしい兵器となる可能性がある。つまり、順位争いが激化している状況であれば、石は仲間同士の闘争での武器となる。しかも、腕力に関係なく、寝込みをガツンとやればどんな屈強なものでも倒せるという点では、最終兵器といっていい。
 群の内部での順位争いが激化すれば、石は兵器となる可能性を持っていた。そして、その使用を避けるには、他のものから恨みを買わないようにしなければならない。食物の独占とメスの独占は、緊張が高まれば高まるほど困難になる。そこから、行動を180度転換する必要があった。つまり、長く生きながらえ、子孫をたくさん残すためには、メスの独占をやめ、食物も進んで他の者に分け与えなければならない。「出る杭は打たれる状態」に陥った時、利他行動が生存競争に勝利をもたらすようになる。
 アウストラロピテクスの中でも、アフリカヌスやパラントロプス・ボイセイのように滅んでいった傍系の集団は、内陸部の貧しい環境にあって、個体数もそれほど増えず、個体数密度の低いところで平和に暮らし、チンパンジー的生活に逆戻りした集団であった。海辺の豊かな海産物に恵まれた地域では個体数密度も上昇し、順位闘争の激化が必然的に「出る杭は打たれる状態」を生み、そして石器と利他行動を進化させていった。それがホモ・ハビリスになったのだろう。

   ルーシー

 1974年、エチオピアのアファール低地で、ドナルド・ジョハンソンらのグループが発見したもので、その土地の名前を取ってアウストラロピテクス・アファレンシスと命名された。290~340万年前のものと推定されているメスの全身骨格化石で、全骨格の40パーセントにも及ぶ大発見だった。特に足の形状からすでに二足歩行を行っていたことが証明された上、脳のサイズがチンパンジー並だったところから、人間は脳から進化したとするそれまでの常識を覆し、二足歩行が最も最初に現れたヒト化への道だったことが確認された。
 身長は1メートル足らずで、大臼歯はかなり大きく、犬歯は小さかった。

 「アファレンシスの祖先はその祖先と同じく、食べ物に関してえり好みをしない、雑食性の霊長類だった。だが、それはえり好みをしないだけでなく、さらに決定的な一歩を踏み出し、そのメニューをひろげ、森林のかなたへと進み出した。アファレンシスの歯は咬頭が低く、大臼歯のエナメル質が厚く、柔らかい果物と同様に、定期的にナッツや穀粒のように固いものを食べなれている動物であることを示している。」(『ルーシーの子供たち』ドナルド・ジョハンスン&ジェイムズ・シュリーヴ、1993、早川書房p.329~330)

また、下肢の長さに対し腕が長いことからも、チンパンジーと人類との中間の形態をしていた。

 「現代のホモ・サピエンスの場合、上腕骨は大腿骨のほぼ75%の長さがある。類人猿は腕が脚より長いので、「上腕骨/大腿骨指数」は100%を超える。ルーシーはその中間で、85%だったことがわかっている。」(『ルーシーの子供たち』ドナルド・ジョハンスン&ジェイムズ・シュリーヴ、1993、早川書房p.264)

骨盤の形や身長の低さから女性のものとされた。
 この化石は、当時キャンプに流れていたビートルズのヒット曲、“Lucy in the sky with diamond”からルーシーという通称で呼ばれるようになった。サイケデリックなトリップ感のあるメロディーとシュールな歌詞を持つこのビートルズの名曲に象徴されるように、古人類学の分野でのレイモンド・ダートやルイス・リーキーとは違う新世代の華々しい登場にふさわしいものだった。これ以降、アフリカの古生物界はリーキー一家対ジョハンソンらのカルフォルニア大学グループとの二大勢力の時代を迎えることとなった。

   ОH5(ジンジ)

 ルイス・リーキーが流感で寝込んでいた朝、妻のメアリーが発見したという。1960年に発表されたこの化石は、「デア・ボーイ」あるいは、ジンジャントロプス・ボイセイ(チャールズ・ボイスに捧ぐ東アフリカ人)という最初の学名から、「ジンジ」とも呼ばれている。さらにジャーナリストからは「くるみ割り男」とも呼ばれた。頑丈なあごに巨大な歯がついていて、後頭部から頭のてっぺんにかけて鶏冠状の骨の隆起がある。今ではアウストラロピテクスに分類されている。約180万年前のものと推定されている。脳のサイズは530cc。

VER.3ホモ・ハビリス

 彼らはオルドバイ型石器と呼ばれる剥片石器を手にした。最初は石を無造作に割ったような大きな石の方に目がいって、これを何に使うのか議論になっていたが、やがてそれは小さな剥片を取った後の残りかすだとわかり、決着した。小さな鋭い切り口を持つ石の剥片は、おそらく剃刀のように指に挟んで、肉の切断などに使ったのだろう。こうした鋭利な刃物を平和的に使いこなすには、既に「出る杭が打たれる状態」が定着し、出る杭にならぬために、大きな獲物を積極的に分配するシステムが定着していたと思われる。
 脳容積はアウストラロピテクスよりも若干大きく、660ccくらいとされている。ただ、全体に身長が低かったことから、体の容積との比からすると、長身の高いホモ・エレクトスの910ccとそれほど変わらない。側頭葉にはブローカー野の形成も見られる。ただ、ブローカー野の形成は必ずしも言語の存在を証明するものではない。
 ホモ・ハビリスはアウストラロピテクス・アファレンシスよりもさらに小型とおもわれ、足の長さに対して手の長さもまた同じくらい長く、むしろチンパンジー的な体型に逆行しているかのようである。
 これと同時期に同じく775ccの大きな脳を持つホモ・ルドルフェンシスも存在し、かつてはどちらもホモ・ハビリスに分類されていた。どちらが人類の本当の祖先なのか、また、石器の真の製作者がどちらであるかも、まだ議論が分かれるところである。

   ОH7

 1961年から63年にかけて、リーキー夫妻が発見したもので、手の骨数点、あごの骨一点、頭骨片数点からなる。1964年にルイス・リーキー、ジョン・ネイピア、フィリップ・トバイアスの三人の連盟で論文を発表する時、レイモンド・ダートの提案でホモ・ハビリス(器用な人)という学名がつけられた。手の骨から、ホモ・ハビリスはチンパンジーのような親指の対抗しない指ではなく、今日の人類と同様、親指の根元の間接を曲げることで、親指と人差し指を向かい合わせにでき、小さなものでも指でつまめるようになったという。ただ、これらの骨が本当に同一個体のものなのかどうかは疑問がもたれている。

   ОH13(シンディ)

 同じく1964年に発表された。ほぼ完全な下顎、口蓋、上顎の歯、頭蓋骨の一部が発見されたが、当初はオオコロブスの手の骨が混じっていた。脳の容積は643~723ccで、多数の石器も一緒に発見された。

   ОH24(ツウィギー)

 同じくオルドヴァイ出土の頭骨化石で、クリームとピンク色の中間の美しい骨だったが、化石化の過程で骨が押しつぶされていたために、ミニスカートブームを生み出して当時人気だったファッションモデルの名がつけられた。

   KNM-ER1470

 ケニア人のカモヤ・キメウのもとで発掘調査をしていたホミニド・ギャングの一人ヴァーナード・ヌジェネオが発見した、ひどく風化して粉々の状態にあった150点あまりの頭骨破片で、1470:フォーティーン・セブンティと略称されている。775ccの大きな脳と、大きくて長い顔面、口蓋もかなり大きく、巨大な小臼歯がついていた。それは大きな脳を持つアウストラロピテクスのように見えた。当初はホモ・ハビリスのオスの典型的な標本とされた。今日ではホモ・ルドルフェンシスという名で、別種とされている。

   KNM-ER1813

 ケニアのクービ・フォラで発見された頭蓋で、口蓋と歯がОH13(シンディ)に似ていた。

   KNM-ER1590

 「ОH24(ツウィギー)─ОH13(シンディ)─KNM-ER1813─ОH7」グループとは異なる上顎歯列やあごをそなえ、大きな脳容量を持っているという理由でKNM-ER1470のグループに入れられた。かつてはこの二つの系列を性差によるものとする議論が盛んに起ったが、ОH62の発見によって性差があまりに大きすぎるため、下火になっていった。今日ではホモ・ルドルフェンシスという名で、別種とされている。

   ОH62

 1986年にドン・ジョハンソンとティム・ホワイトを中心とするカルフォルニア大学系のグループ(ルーシーを発見したグループでもあり、リーキー一家の最大のライバルともいえよう)の発見した身長わずか106・7センチの成人女性の骨格化石だった。これを「ОH24(ツウィギー)─ОH13(シンディ)─KNM-ER1813─ОH7」のグループに含めることで、この系列の手の長さと足の長さの比がチンパンジーに近いことがわかった。この系列には、さらに南アフリカ出土のStW53も加わった。

???ホモ・フロレシエンシス

 2003年8月10日、インドネシアのフローレス島、リアン・ブアの聖なる洞窟で、1万2千年前の人類の全身骨格が発見された。1万2千年前といえば、日本ではすでに縄文時代が始まった頃で、もはや現生人類とは違う初期人類がいるとは思えない年代だった。
 しかし、このフローレス島で見つかった『指輪物語』にちなんで「ホビット」と綽名された人骨(学術的には「LB1」と呼ばれている)は、現生人類とは明らかに違う、初期人類としか思えないような多くの特徴を持っていた。
 まず脳の容積が380ccで、身長が1メートル足らずということを考慮しても、アウストラロピテクス・アファレンシスの「ルーシー」に近い。
 そのあまりの小ささに、一部では小頭症の現生人類ではないかという人もいるくらいだ。しかし、小頭症にしても600cc以下の極度の小頭症は稀で、そのような者が1万2千年前にあって成人になるまで生き延びたとは考えがたい。
 しかも、脳の容積が380ccであるにもかかわらず、その形状は明らかにアウストラロピテクスのものとは異なり、発達した前頭葉と側頭葉を持っていて、ホモ・エレクトスに近い。
 頭蓋骨の多くの特徴は、ホモ・エレクトスによく似ている。頭蓋骨は前後に長く低くて、最大幅が下方にある。眼窩の上には弧を描くような突起がある。また、下顎骨におとがいはなかった。下顎骨内側の湾曲部の中心には骨の棚状の支えがあり、これはアウストラロピテクスに見られる特長だった。
 発見されたもう一つのLB6と呼ばれる下顎骨もまたLB1とよく似ていて、LB1が特別な病的な個体ではないことがわかる。ただ、それはLB1よりも頑強で、真直ぐなV字型の歯列弓をしていて、こちらの方がアウストラロピテクスに近い。つまり、脳はホモ・エレクトスだが、顎はアウストラロピテクスという、新旧両方の特徴を持ってはいるものの、いずれにせよ現生人類には似ていない。
 また、LB1の肩甲骨が発見されたことで、肩の構造も現生人類とは異なることがわかっている。上腕骨の骨頭は現生人類では145度から165度だが、LB1は110度で、これはテナガザルやマカクと同じだ。ただ、鎖骨が比較的短いため、肩甲骨が前方へとすくまり、体の前にある物を手で扱うことはできた。むしろそれはナリオコトメ・ボーイと呼ばれるホモ・エルガステル(約160万年前)に近かった。
 手足の長さの比でもLB1はアウストラロピテクス・アファレンシス(ルーシー)と同様、85パーセントで、チンパンジーの100パーセントと現生人類の75パーセントとの中間の値だった。
 ただ、同じ85パーセントでも、ストーニー・ブルック校のビル・ジャンガースは、ルーシーは腕が長いためで、LB1は足が短いためだとしている。つまり、ルーシーはまだ樹上で生活するための長い腕を残していたために足に対して手が長く、LB1は足が短く退化したために足に対して手が長くなったもので、同じ85パーセントでも中身はちがうという。
 また、LB1はくるぶしから下が長く、短い足のわりには歩幅が長く、スピードを犠牲にしながらも安定した歩行を獲得していたという。
 これらの特徴を総合すると、LB1は初期のまだホモ・ハビリス的な特徴を残した、最初にアフリカを離れて世界に拡散したホモ・エレクトスに近く、そしてフローレス島という離島で他の集団から隔絶されて、「島嶼化」と呼ばれる離島特有の矮小化が起ったと考えられている。つまり、離島では強力は捕食者がいないため、警戒心は必要なく、後頭葉の退化が起りやすい。また、島では一般的に大きな動物は矮小化し、小さな動物は大型化するとされている。LB1もまた長距離を逃げ回る必要のなさから、足の退化が生じたのであろう。
 脳は大きければ賢いというものではない。特に後頭葉の機能の多くは警戒心にかかわるもので、むしろ安全志向が強く、保守化をもたらす。後頭葉の退化はネアンデルタール人から現生人類への進化の過程でも生じており、現生人類はネアンデルタール人よりも若干脳が小さい。しかし、この脳の退化によって現生人類は新しいものに対する警戒心を棄て、文明を飛躍的に進歩させることとなった。

道徳意識

 人間とは、共感能力の発達によって、出る杭は打たれる状態に陥ってしまった動物である。
 それが欠陥生物だとか病んだ動物だとか言われるのは、順位制社会の単純さを失ってしまったからである。
 人間の生存競争は一対一での力関係によるものではなく、多数派工作の勝負となった。多数派に所属し、数の力で勝つことこそが、その人間が生き残り、子孫を残してゆくのに不可欠なこ条件となった。そこに、仲間を大事にし、仲間のために闘う、さまざまな利他行動が進化した。ここに良心の起源があるとともに、同時に限界もある。
 つまり、仲間のためとはいえ、それは生存競争の中で自分が生き残るためのものであり、利他的であると同時に利己的でもある。

 延べられた手を守ったその時に
 守りたかったのは自分かもしれない
            (Bump of Chicken『supernova』)

 そして、この仲間を守るということは同時に、仲間の敵に対するどのような残虐さをも秘めている。榎本其角の「蝶を噛で子猫を舐る心哉」の句にもあるように、子猫をなめて可愛がり、育てていくということは同時に、子猫のために蝶を捕まえてやることでもある。人間の場合、これが社会集団全体に対して行なわれる。仲間を守るため、大切な人を守るためという口実で、しばしば何十万人にも及ぶ虐殺が行われたり、地球環境を破滅的な状態に追い込んだりする。

 若き兵士が愛しき者を守るため
 殺し合うのは美しいことだと本当に言えるのか
            (The Back Horn『世界樹の下で』)

 

 仲間のためということが、良心の起源であるとともに、良心の限界になる。
 仲間のためということは、裏返せば所属集団からの排除を恐れる気持ちである。
 人間は誕生とともにこの世界の中に突然投げ出されることは、すでにかつての実存哲学者が繰り返し語ってきた。しかし、それは単なる物質としての宇宙空間に投げ出されたのでもなければ、知覚し、認知する空間に投げ出されたのでもない。我々は人と人との間に投げ出されたのだ。そして、人と人との間で生きてゆかねばならない。
 そして、我々は単に見知らぬ世界に投げ出されたという抽象的な不安の中で生きているのではない。一定の社会集団の中に投げ出され、いつでもそこから排除される不安の中で生きているのである。社会的動物である我々にとって、排除はしばしば「死」以上の意味を持つ。我々は社会からの抹殺の恐怖にさらされれば、しばしば死の方を選ぶからだ。いじめによる自殺はもとより、不倫の発覚した芸能人、汚職の発覚した政治家秘書、借金を背負った一家、さらには特攻隊、自爆テロなど、人はさまざまな形で社会のために死ぬ。こうした死の可能性の中で、我々は良心の声を聞くのである。
 良心の声は、死ぬより恐ろしい社会的排除の声の中で誕生する。最初は単純に排除を避けようとする生理的反応を示す。つまり「恥」を知る。しかし、恥はまだ個体レベルでの危険の回避の反応にすぎないし、恥から来る呼び声はただ逃げるか服従するかの帰結しか生まない。
 良心の声は社会の掟を意識し、その掟に触れ、罰を与えれられることを恐れる、いわゆる「罪」の意識によって始まる。しかし、罰を恐れ、罰が下る前に自分で自分を罰するとしても、それはまだ集団からの排除に対する防衛反応であり、良心の声として十分なものではない。
 良心の声は、人が生まれてから普段に繰り返すある種の取り引き、つまり自分の中にあるある種の感情や情動を封印することと引き換えに、他者の与える自分の存在の意味を受入れるという、「生誕の取り引き」によって生れる。
 人は相互に抑制し合うとともに、それによって意味を与え合う。この自分自身の人生の意味をたえず更新し続けるということの中に、本当の良心の声がある。

 恥というのは本来は危険に対して回避を促す反応である。動悸や赤面や体の震えなどの身体的な変化も、本来は危機を回避するためのものだった。
 ただ、順位制社会においては、危険は毒蛇や猛獣などの外敵であったり、内部的には自分より強い個体であったり、対象がはっきり特定しやすい。これに対し、出る杭は打たれる状態に陥った人類の祖先にとって、人間関係の中で、不特定多数の他者が結束して襲ってくるかもしれないというものが重要となる。しかし、これは具体的に誰と誰がというふうに特定しにくく、あくまで想像上の漠然とした危険となる。人間関係の中で、想像上の形のない、それでいて現実に起りうる危険に対し、その危険の回避を促す生理的な反応として、人間独自の恥の意識が生じる。
 恥というのは基本的には所属する人間関係からの排除の恐怖であり、必ずしも倫理的に善であるとは限らない。たとえば、電車でお年寄りに席を譲ったり、奉仕活動で道端のゴミを拾うような、明らかな善行であっても、実際にはそこに気恥ずかしさをともなう場合が多い。これに対し、実際には悪いことであっても、みんながやっていることについては、それほど恥の意識はない。
 恥ずかしさは、善か悪かにかかわらず、みんなとちがうことをやっているのではないかという不安から生じる。
 マックス・シェーラーは羞恥心を人間が精神と肉体を両方持っていることからくるものだとし、完全であることを望みながらも不完全な肉体に拘束されていることを恥だとする。(参照;http://www.nagaitosiya.com/b/scheler_ressentiment.html)これはいかにも西洋の霊肉二元論的な解釈だ。だが、これだと所属する集団のちがいによる羞恥心の温度差が説明しにくいし、善行であっても人とちがう行動に羞恥心がついて回ることを説明できない。
 羞恥心のなかでももっとも代表的なのは、性的羞恥心だろう。本来繁殖につながる行動は、利己的な遺伝子がより多くの子孫を残すのに適応的な行動であるために、隠す理由はない。シェーラーも花を例にとって、「植物はこのことによってあたかも自分の現存在の意味を生殖に賭けているとでも言わんばかりである」(参照;http://www.nagaitosiya.com/b/scheler_ressentiment.html)と言っている。
 同じように、動物も発情していることを隠す必要はない。しかし、例外はある。それは自分より強い優位なオスのいる前で、メスに対してあからさまなプレゼンティングを行うことはできないということである。つまり、発情を示すと、自分より強いオスが自分のメスを奪うのではないかと警戒し、ひどい目にあうから、隠さなければならないのである。チンパンジーの群でも、弱いオスの場合は強いオスの目を逃れて隠れて性交をすることがあるという。
 人間の場合はさらに複雑になる。発情をあらわにすることは、何も強い個体に警戒されるだけではない。同じ集団内の不特定多数の仲間に、自分だけ性交をし、自分の遺伝子だけを殘そうとしているということアピールしたことになってしまう。つまり「出る杭」になってしまい、叩かれる危険が大きくなる。他の動物であれば、メスは発情を隠す必要はなかったし、オスでも強い個体は堂々としていれば良かった。しかし、出る杭は打たれる状態に陥った人類は、誰であれ、発情をあらわにすることは危険な行動となってしまったのである。
 このことは特に、人間の女性がの進化に大きな影響を与えた。性皮の膨張などの発情の徴候が消滅し、排卵周期の徴候も最小限に抑え、いつでも性交が可能である代わりに、いわゆる発情期は消滅してしまったのである。デズモンド・モリスは人間の女性は性皮が退化した代わりに大きな乳房で発情を表現するようになったという説を唱えたが、これはオッパイ星人の妄想と言っていいだろう。
 性的羞恥心で問題なのは、性器の露出ではない。問題になるのは性交しようとしているというアピールである。性交は明らかに利己的な行動である。それは社会的な意味で利己的なのではなく、生物学的な意味で、遺伝子を残すための直接的な行動であるがゆえに利己的である。性交は自分の遺伝子を殘すための行動であり、他の遺伝子を排除する行動である。なぜなら、一個の卵子は同時に二人の精子を受入れることができないからである。どちらかが排除されてしまうのである。
 どんなに平和主義で平等な集団でも、遺伝子を残すということに関しては、不平等があからさまになってしまう。たとえ、昔のユートピア社会主義者が空想したような、すべての男性がすべての女性と等しく性交をするような社会を仮定したにしても、実際にできる子供は必ず誰かの子供である。そこには日常生活の中で隠されていた生存競争の現実があからさまになってしまう。この世には結局もてるやつともてないやつがいる。それは残酷な現実だ。
 こうした社会関係の緊張の中では、結局性交はもとより、発情の徴候もできるかぎり隠し、波風を立てないほうがいいということになる。しかし、隠していても実際に性交は行われている。ここに一つの矛盾が生じるのは確かである。特に近代的な社会では、性交を公の場からできるかぎり締め出し、あたかもそのようなものが存在しないかのように振舞いたがる。公の場での性表現はタブーとなり、猥褻物とみなされる。しかし、逆の場合もある。
 菅原和孝は『ブッシュマンとして生きる』(2004、中公新書)のなかで、グイ(ブッシュマンの一族)の性に関連して、羞恥心とは何かという問いを展開している。
 グイは男はかなり頻繁に妻以外の女と関係を結び、それをザークと呼んでいる。ザークそのものは純粋な恋愛関係として肯定されながらも、実際には二股かけられた女や妻を寝取られた男との間に常に嫉妬に満ちたどろどろした関係を生み出す。そのため、ザークについては隠しておきたいとう心情と、隠さずに語るべきであるという道徳とが緊張関係を生んでいる。おそらく、隠せば隠すほどお互いに疑心暗鬼になり、悲惨な結末になりかねないということなのだろう。そこには、性に対する普遍的な羞恥心に対し、実際の性の現実が引き起こす問題をむしろできるかぎり表面化させ、社会全体で監視することで切り抜けようとしていると言ってもいいだろう。
 こうした、性が公にされ、いわば「見える化」され、絶えず問題にされる社会では、強姦などの性犯罪が生じたとき、我々の社会とは逆の現象が見られる。つまり、被害にあった女性が恥ずかしさから自殺するのではなく、逆に犯人が恥ずかしさから自殺するのである。強姦やそれに至った性欲そのものが恥ずかしいのではなく、それが社会からの排除の対象と化すことがもっとも恥ずかしいことなのである。
 性的羞恥心はもちろん服を着ることとは何の関係もない。裸でいることの恥ずかしさは、基本的に他人とちがう格好をしていることへの恥ずかしさであり、その意味では相対的である。誰もが裸で銭湯に入っているとき、ひとりだけパンツをはいて入っていたら恥ずかしい。しかし、国によってはサウナに入るときにパンツを脱いではいけない国も多い。水着で入る温泉で真っ裸は恥ずかしいし、普通の温泉で水着は恥ずかしい。これはあくまで他人とちがうことをしているということが恥ずかしさにつながっているにすぎない。みんながスーツを着て集まっている結婚式に一人だけTシャツ・ジーンズが恥ずかしいようなものである。
 他人とちがうことをしているのが恥ずかしいというのも、恥が所属集団からの排除の恐怖から来ている何よりの証拠であろう。外人が違う格好をしても別に恥ずかしいことではない。周りにいるのは自分の所属する集団の人間ではないからだ。また、電車で席を譲るのが恥ずかしいのは、それをする人が稀だからで、誰もがお年寄りを見るとすぐに席を空けるような習慣の国なら、別に恥ずかしいこともないだろう。
 もちろん、この所属集団からの排除の恐怖は実体があるものではなく、あくまで個々の人間の仮想であるため、しばしば過剰反応を生むこともある。
 たとえば、近代の日本の文化人は、西洋を崇拝するあまりに、西洋的な価値観で説明できない日本の伝統文化に過度な恥の意識を持つことがある。心理的に西洋社会に所属しているために、日本人であることを恥じるのである。
 また、社会からの排除の恐怖に対する過剰反応は、しばしば「社会恐怖」という病的な反応を引き起こす。「社会恐怖」という言葉はあまり耳馴染みでないかと思うが、いわゆる対人恐怖、赤面恐怖、視線恐怖などの社会的関係で生じる恐怖症を総称するもので、対人恐怖だというと結構耳馴染みのある言葉なのではないかと思われる。
 こうした恐怖症は一般には日本特有な現象のように思われるかもしれないが、実際にはアメリカ人の25パーセントがそうだとも言われ、おそらくはどんな国やどんな文化の人にでも普遍的に存在するのではないかと思われる。むしろ、病気として認められているかどうかが問題だと言ってもいいだろう。西洋文化圏で「引きこもり」が問題にならないのは、むしろ「引きこもり」が人格的な問題ではなく、病理学的な問題として扱われているからかもしれない。
 いずれにせよ、恥の意識は集団からの排除に対する防衛反応であり、必ずしも善なる意志に結びつくものではない。集団が悪に染まっていれば良いことをするのが恥になる、そんな相対的であやふやなものであり、これを道徳の起源とすることはできない。
 また、恥は「穴があったら入りたい」という言葉があるように、逃げたり隠れたりすることで、いわば集団の人に知られないことによって回避できると考えられる。つまりばれたら恥ずかしいがばれなければいい。これも道徳の起源とすることはできない。

辱める

 人に恥をかかせること、はずかしめることは、何ら人を善には導かない。そんなこと当たり前だと思う人かもしれないが、実際に人に恥をかかせることを教育だと思っている人は多い。「恥を知れ」なんて言葉にもそれは表れている。
 たとえば、学校教育の場合でも、さらし者にするような罰を与える場合がしばしばある。昔は文化革命頃の中国の真似をして、「私は○○をしました」なんて紙をサンドイッチマンみたいに首からかけさせる先生もいた。そこまではいかなくても、黒板の前に立たせる、廊下に立たせるなどは古典的な罰だ。大声で「私は○○をしました」と言わせるのも、恥をかかせることが教育だと勘違いした人の愚行だ。中にはズボンを脱がせたりして性的に辱めるような罰を科して、新聞に載ったりするようなこともある。
 街中でごミ拾いなんてのは本当は良いことなのだが、これも罰当番としてあえてさらし者にするようなやり方をすれば、むしろ逆効果といえよう。ゴミ拾いそのものが何か恥ずかしいことであるかのように世間に印象づけてしまうことになる。
 人をはずかしめるのはそう難しいことではない。基本的に相手を「出る杭」にさせる行為は、何らかの形で恥の感情を与えることができる。
 まず第一には、一人だけ、あるいはある種の人たちにだけ違うことをさせること。違う服を着せたり、違う髪形をさせたり、それと区別できるような印をつけること。そして、それを人前にさらすこと。それが基本になる。坊主頭や囚人服などもそれに値するし、街頭歌唱訓練(ひところはやったが今でも行われているのだろうか)、それに宗教団体がよくやる街頭でのチラシ配りや飛込みでの戸別訪問、飛び込みセールスなども同じ効果がある。街頭での奉仕活動も、やり方によってはさらし者にすることになり、いわゆる罰当番になる。
 懺悔というのも、キリスト教の場合は普通密室で人のいないところで密かに行われるものだが、古代の道教に始まり、今日の新興宗教でしばしば見られるような、大勢の人の前で自分の過去に犯した罪を告白させることは、やはり人をはずかしめる効果的な方法になる。
 出る杭にさせるという点では、贈与をさせないというのも人の体面を潰し、はずかしめることになる。つまり、ものを手に入れる、貰い受けるというのは、その人だけが一方的にものを多く所有することであり、出る杭になるのである。これを防ぐには、裕福になったり高い地位に着いた者は、贈与を行ってそれを埋め合わせなくてはならない。ふいに大金を手にすればみんなに酒を振舞ってやったりしなくてはならないのもそのためだ。
 贈与というのは、こうした多くを持つ者が出る杭になることを利用した、相手を出る杭にする行為であり、いわば恩を売っておくことで貸しを作り、結果的に優位に立とうとする行動であり、一般的にはこれに対しお返し(対抗贈与)を行うことでその優位性を打ち消すことができる。贈り物にはお返しをし、おごられたら今度はおごり返す。こうしてお互いが対等の立場に立つことができる。また、上下関係が明確な社会では(特に韓国・中国などの儒教文化圏では)、上に立つ者がおごるのが基本であり、それを断ると上下関係を否定することになる。いわば相手の面目を潰すことになる。
 性的羞恥心を刺激するには、一方的に性的快楽を与えるだけで十分である。たとえ無意識にであれ、人を興奮させるようなものは、いわゆる「性的羞恥心を刺激するもの」となる。ポルノ映像をこれ見よがしに見せつけたり、卑猥な言葉を吐いたりするのがこれに当る。「嫌だの不快だの言っているけど、本当は気持ちいいんだろ?」なんて言う人もいるが、気持ちよくさせることが恥をかかせることなのである。他の人が発情の兆候を見せない中で、ひとりだけ発情の徴候をさらけ出すことが、その人間を出る杭にしてはずかしめることになる。私は別にポルノそのものを否定しようとは思わないが、こういうものは誰にも見られない所で密かに楽しむべきである。
 それなら、周りにいる人もみんな興奮していればいいのか。多分本人たちの意志による密室での乱交パーティーならそれでいいのかもしれない。ただ、こうした形での性交がきわめて稀で、結局人類が乱婚制社会を発達させることがなかったのは、やはりそれでも恥ずかしいからなのだろう。(モーガン=エンゲルスの乱婚制仮説は、どこの民族にも共通して現れる乱交への願望、つまり「猥談」を真に受けたものではなかったかと思われる。もっとも、500万年以上前までさかのぼれば、チンパンジー的な乱婚制はあったかもしれない。)
 まして、これが強制猥褻や強姦ということになると、たとえ密室の中の行為であれ、明らかにはずかしめることになる。確かに、その時点で当事者たちは一様に興奮しているかもしれない。しかし、その事実はそこで完結することなく、一つの事件として世間にさらけ出される不安に常にさらされる。その時、先に言ったような、「他の人が発情の兆候を見せない中で、ひとりだけ発情の徴候をさらけ出すこと」になる。
 恥というのは集団からの排除の恐怖から来る生理的な反応であり、恥をかかせる、はずかしめるというのは、恐怖を刻印するだけで何ら良心を呼び覚ますことはない。むしろそこから喚起されるのは恐怖に対する回避反応であり、逃げるか戦うかなのである。一時的な服従は外見だけのものであり、そこには恨みや憎しみが残るし、屈辱の記憶は必ず復讐心を起こさせることになる。
 陵辱だとか調教だとかいう言葉になると、何やらポルノになってしまうが、恐怖を与えることは一方では「洗脳」の効果を持つ。しかし、それは恐怖に駆られて、それを逃れるための闇雲な行動を生むだけで、善なる意志を呼び起こすことはできない。恥をかかせることに何らかの教育的な効果があると思っている人は、その点を十分に考えるべきであろう。
 むしろ本当の善行は、恥を克服してこそ成し遂げられる。いくら正しいことを知っていても、恥ずかしがって人前で発言することもなく、実行することもないなら、何ら意味もない。良いと思ったことは、所属集団からの排除をも恐れず実行する。たとえどのように辱められようとも、それを克服して進む勇気があってこそ、本当の善は実現される。
 恥は道徳の起源とは何の関係もないし、恥をかかせることは何ら道徳的な教育にはならない。このことを真に自覚することこそ、真に「恥を知る」ことなのである。

 罪の意識が恥と違うのは、社会からの排除に対する漠然とした仮想的な恐怖ではなく、もっと現実的な罰を受ける恐怖から来ている。罪と罰とは対になるものであり、有形であれ無形であれ、罰を受ける恐怖と不可分に結びついている。有形な罰は言うまでもなく、罰金や禁固刑、懲役から死刑になるのはもとより、文化によっては鞭打ちであったり社会奉仕だったり、追放だったりする。無形であれ、社会的な無視や非難嘲笑、信用の失墜など、いわゆる社会的制裁がこれに含まれる。
 それでは神に対する罪はどうかというと、それもまた天罰や死後の地獄行きなどの罰則をともなう。その点では、罪の意識もまた、社会集団からの排除に対する恐怖に由来するもので、相対的である。
 殺人などは普遍的な罪ではないかと思う人もいるかもしれない。それは同じ集団に属する仲間に対してのみであって、相手が所属集団の敵であれば必ずしも罪にはならない。「1人殺せば殺人犯だが100人殺せば英雄になる」というチャップリンのアイロニーを持ち出せば十分だろう。
 恥が漠然とした集団からの排除の恐怖であるため、より身体的で古いものなのに対し、罪の意識は社会の中で生活し、一定の教育を受ける中で形成される。そのため、意識的で新しい。そのために恥のような動悸・赤面・震えなどの身体的な変化は生じない。
 罪は罰に対する恐怖であり、罰に対する恐怖が成立するには、何らかの社会的な「掟」が存在しなければならない。そのため、人間に罪の意識を生じさせるには、共同体の掟を何らかの方法で書き記す必要がある。もちろん必ずしも「文字の発明」を待つ必要はない。神話や文様、歌、ダンスなどでもいい。何らかの形で掟を記録したり思い出させたりする記憶装置が必要なのである。いわば原エクリチュールを必要とする。罪の意識はエクリチュールの発明とともに始まる。
 罪の意識もまた、所属集団からの排除の恐怖を回避しようとする反応である。ただ、その恐怖は現実的であり、それに対する対処法も逃げ隠れではなく、むしろ集団から罰を受ける前に自分自身で罰を与えるという方法をとる。人から責められる前に自分で自分を責める。それが罪の意識の最大の特徴なのである。
 しかし、自分で自分を責めるという行為は、心からのものもあれば、単にそういうポーズを取るだけの場合もある。単なるポーズであれば、それは道徳意識には何の関係もない。道徳意識の根源に関係があるとすれば、罪の意識がわれわれの内面世界の重要な部分を形作り、自分を責めずにいられなくしていることなのである。ここになら、良心の声の源泉を求めることができる。

 

 

道徳の諸相

禁欲

なぜ禁欲か?

 いつの時代でも、どこの土地でも、道徳の基本は禁欲にある。
 理由はきわめて単純で、まず小学生にもわかるような説明をしておこう。

 たとえば一個の円いケーキがある。
 これを四人の兄弟で分けるとする。
 みんな食欲旺盛で、誰もが少しでもたくさん食べたいと思っている。
 みんなが食べたいだけ食べようとすれば、ケーキは奪い合いになり、喧嘩になる。
 喧嘩になれば、喧嘩に強いものが常に食べたいだけ食べ、弱いものはいつまでたっても食べられないことになる。
 そうなっては困るから、四人とも食欲を抑えなくてはならない。

 人間以外の動物では、基本的に強いものが常に食べたいだけ食べ、弱いものはいつまでたっても食べられない状態に陥る。
 ただ、自然界では食料は広い大地全体に散らばっているため、こうした熾烈な生存競争もそれほど目立つことはない。
 ただ、餌付けされたサルの群にミカンを投げてやると、常に強いものが取るという状態が観察できる。
 人間の場合、たとえばいつも一番上のお兄ちゃんだけが、腕力に物言わせてケーキを独り占めしたとしよう。
 他の三人の兄弟は、黙ってそれに耐えているほどのお人よしだろうか。
 おそらく三人で相談して、何とか横暴な上のお兄ちゃんをやっつけてやろうとするはずだ。
 そう、人間は言葉をもつ動物であり、話し合うということができる。その上道具を用いることもできるし、策略をめぐらすこともできる。
 だから、程なく横暴だった一番上のお兄ちゃんは袋叩きに会い、ケーキは残りの三人に奪われてしまうだろう。

 ここでまた、二番目のお兄ちゃんが腹黒い人だったとしよう。
 一番上のお兄ちゃんを倒したから、今なら自分が一番強い。なら、後の二人を殴りつけて、このケーキを一人で食べちゃえ!
 杉山幸丸によると、インドに棲むハヌマンラングールという一夫多妻のサルが群を乗っ取るときに、このような状態が生じるという。
 群には一頭のオスと数頭のメスとその子供がいる。群を乗っ取ろうとするオスたちは集団でもってこの群を襲い、その群の一頭のオスを追いはらう。
 しかし、その後すぐに群を乗っ取ったオスたちの中の一番強いオスが、残りのオスを追っ払ってしまう。(『子殺しの行動学』杉山幸丸、1993、講談社学術文庫、p.99~111)
 これは、このサルたちが相談して連携を確認しあうということができないうえ、勝利のあとの分け前などのあらかじめ決めているわけではないからだ。
 からだ。だから、一見大勢で一人をやっつけたように見えても、協力関係は存在しない。いわゆる烏合の衆だった。
 だから、勝利のあとには必ず仲間割れが起こり、最終的に一番強いものだけが残る。

 人間の場合どうだろうか、先のケーキ争いの場合、出し抜かれたしたの二人の兄弟が黙ってないだろう。
 一度は負けた一番上のお兄ちゃんに取引を持ちかける。
 二番目のお兄ちゃんをやっつけてくれたら、ケーキの半分を上げる、と。
 これはリスクの高い取引だ。
 一番上のお兄ちゃんがケーキを取り返すことができても、本当に残りの半分を分けてくれるという保証はない。
 そのときは二番目のお兄ちゃんにもう一度三人で力合わせて、上のお兄ちゃんをやっつけようと相談を持ちかける。
 こうして、上の二人のお兄ちゃんは学習する。下の二人を味方につけなければ、ケーキを食べることはできない。弱い二人の弟たちが実はこのケーキを食べるための鍵を握っていたのだと。
 そこで分け合って食べるということが、結局は確実にケーキを食べるための最善の手段であることを理解する。

 こうしたことはひとつの集落レベルでも起こる。
 村で取れる農作物は、毎年多少の豊作不作はあるにしても、大体一定している。
 それは一個のケーキのようなものだ。
 それは決してみんなで腹いっぱい食ってもあり余るほどの量はない。
 誰かがたくさん食えば、誰かの食う分を削らなくてはならなくなる。
 いつもたくさん食うやつがいれば、他の村人がその分腹をすかさなくてはならない。
 医療水準が低い世界では、空腹は餓死に至らなくても、病気への抵抗力を失わせる。つまり、命にかかわる。
 そうなると、いつか村人たちは相談し、みんなでその大食いを村から追いはらおうとするだろう。
 そのならないためには、ほどほどに食べる、というのが答になる。

 食欲だけではない。多くの女を独占しようとする男はどうだろうか。その逆に多くの男を惹きつける女はどうだろうか。誰かが独占すれば、他の人はあぶれてしまう。
 たとえば一人の男が10人の女を妻にする。男女の比が1:1だとすれば、9人の男があぶれることになる。すると、9人が協力して一人の男をやっつけるのはそんなに難しくない。
 ならば、ちょっと我慢して妻を3人だけにしたとする。
 そうするとあぶれた男は2人。2:1の戦闘はまだ分が悪い。
 なら妻を二人にする。
 そうなるとあぶれた男は一人。1:1の戦いなら勝てるかもしれない。
 これを単純に、1:1の戦いに勝ったものが妻を独占できるゲームと考えてみよう。
 そうなると、勝った1は負けた1よりも強い。
 つまり1:1の戦いで他より強いものが二人の妻を持つことができるとする。
 つまり、妻を二人持つことは可能である。しかし、三人ということになると、ひとりで二人を相手にしなくてはならないから厳しくなる。
 動物の世界では一般に一夫多妻の生物はメスに比べてオスのからだの方が大きい。この平均体重の比率を見れば、大体一頭に対して何頭の妻が独占されているかがわかるという。
 人間の場合、男は若干女より体が大きい。その比率から算定すると、人間の妻の数は2.5人だという。
 二人までは可能だが三人だと苦しい、というさっきのゲーム結果と一致する。
 人間の社会は基本的には40パーセントのモテ男とそうでない60パーセントによって成立っている。
 表向きは一夫一婦制をしいていても、実際は密かに行われる浮気や不倫の関係によって、何人もの女と関係している男と、ほとんどセックスに縁のない者に分かれてしまうのである。その平均が1:2.5という比率になる。
 ただ、それが表立ってしまうと、60パーセントの男たちの怒りに火がついてしまうことになる。
 だから、性欲の方もほどほどに、というのが答になる。

 食欲、性欲とくれば、次は睡眠欲だろう。
 つまり、いつも寝てばかりいて働かない男はどうだろうか。
 村の中の仕事の量が一定であれば、誰かがサボれば、その分他の人の負担が増える。
 簡単なことである。働かない男は袋叩きにあるだろう。
 だが、単純ではないのは、働きすぎる男がいた場合だ。
 仕事の量が一定であるなら、誰かが二人分働けば、一人分の仕事がなくなる。
 仕事がなくなった男は二人分働いている男の稼ぎで扶養されることになる。それが合理的に割り切れるなら問題がないが、実際にはそこに恩義が発生し、人間関係に優劣が生じる。
 それゆえ、働きすぎもまた咎められることになる。
 勤勉が道徳的に重要になるのは、それによって共同体全体の生産力が高まる場合に限られる。
 耕せる農地は限られていて、技術の革新もほとんどなく、常に一定の量の作物しか生み出せない前近代的な共同体では、必ずしも勤勉はいいことではない。
 ほどほどに休み、ほどほどに働くというのが答になる。

 さて、近代社会というのは、せいぜいここ200年の出来事であり、それ以前の500万年の間、人間はさしたる技術革新もなく、あったとしても極めて稀なことであり(たとえば、石器の発明、火の使用、新石器革命、農耕や牧畜の開始、灌漑農法の発明等の革新はないではないがきわめてゆっくりとしたペースでしか起こらなかった)、大地の生み出す限られた食料を分け合って生きてきた。
 われわれの遺伝子に刻まれた道徳意識はその時代に進化したものであり、今日のような急速な技術革新の時代には、少なからず誰しも違和感を覚える。
 経済成長のためには、どんどん消費していかなくてはならないと言われても、「もったいない」という感情は抜けない。そこから、いわゆる「合成の誤謬」が生じることになる。

 人類はこれまでほとんどの時代を、技術革新が極めて稀にしか起こらない環境で生きてきた。
 同じ技術を用いて、同じ生活スタイルを続け、気候の変化も極めて緩やかだったとすれば、大体一人の人間が生れてから死ぬまで、生産力に大きな変化は起こらない。
 つまり、一人の人間の経験においては、生産力は常に一定であると結論することになる。
 同じような農法を行なう限り、農耕可能な場所は限られていて、農地を一定以上広げることはできない。なおかつ、面積辺りの生産高も増えることはない。
 そうなると、食料は限られている。それは飢饉などによって減ることはあっても、基本的に増えることはない。
 食料が限られていれば、その土地が養える人口も一定ということになる。
 こういう環境では、一人が多くを求めれば、その分誰かの分を削ることになり、それは反発を招く。
 それゆえ、「人より多く」という欲望は抑えなくてはならない。
 「人並み」が一番という結論になる。
 かくして、世界中どこへ行っても「禁欲」は普遍的な道徳となる。

 ただし、技術革新が頻繁に起こる環境では、そこに若干の変化が加わることになる。
 単純に言えばこうだ。
 生産量を10パーセント増やすことができるなら、われわれは10パーセント余分に求めることができる。
 しかし、それ以上を求めると、これまでと同じ問題が生じてしまうことになる。
 近代社会が欲望を開放したと言っても、無制限にではない。
 それは生産性の向上分だけ解放されたにすぎない。

道徳と自由

 実際には道徳的価値観は多種多様だ。
 時代によっても異なれば、民族によっても異なるし、一人一人をとってみても同じとは言えない。
 しかし、大まかな点ではだいたい一致している。人を殺すのは悪いことだし、嘘をついたり物を盗んだりするのは悪いことだ。
 ただ細かく言うと、こうした善悪の観念はすぐにあやふやになる。

 人を殺してはいけない。
 ならば、今まさに自分に向かって包丁を振り回している男を殺してはいけないのか。
 あるいは罪もない女を10人、自分の欲望のために犯した上、ばれるのを恐れて殺害した男を死刑にしてはいけないのか。
 戦争で国のために敵を殺すことは悪いことなのかどうか。
 中絶は人を殺すことなのかどうか。
 脳死者からの臓器の摘出は、人を殺すことなのかどうか。
 大まかなところでは、人を殺してはいけないということに同意できるにせよ、実際に細かなところになると、意見は分かれてしまう。

 ならば、道徳は完全に「自由」なのだろうか。
 たとえば、誰かれかまわず無差別に人を殺してもいい、という道徳は可能なのだろうか。
 もし道徳が完全な自由によるものであれば、逆説的な言い方だが、「汝為しうる」ということになる。
 そして、それが普遍的な立法となったとき、その結果を受入れる覚悟があるなら、それで良いということなのか。
 ほとんどの人は同意しないだろう。

 善悪のことは観念的にはどうとでもいえる。
 たとえば、人類はここ1万年のうちにあまりにも増えすぎ、地球生態系を破壊しつくし、このままでは死の星になる。
 ならば地球を守るためにはハルマゲドンを起こして、人類を滅亡させることも、地球生態系の観点からすれば「善」なのではないか、と。
 しかし、これも実行に移されたなら、とんでもない話である。

 実際にこうした道徳が存在しえないと思うとしたら、なぜそう思えるのだろうか。
 道徳の背後には、何らかの生得的な傾向が存在しているのではないか。
 つまり、道徳は理性の完全な自由によるものではなく、何らかの肉体的、遺伝的基礎を持っているのではないか。

 道徳が、もし進化の産物であるなら、それは利己的な遺伝子の観点から、個体レベルでの生存と子孫を残すことに有利になるようにできているはずである。
 少なくとも、そうでない道徳を進化させても、生き延び、子孫を残すことは困難になるため、淘汰されているはずである。
 つまり、根本にある道徳感情は、個体レベルでの生存と子孫を残すことに有利にするものであることを予測することができる。
 しかし、それに反する倫理を打ち立てることも「汝為しうる」。

 実際の、具体的な道徳的判断に、ある程度の自由が存在するのは確かだろう。
 なぜなら、その行為がもたらす帰結は、しばしばその人間の能力を越えたものとなりうるからだ。

 たとえば内戦で傷ついた人がいるとする。
 今ここで手術をしないと助からない。
 しかし、手術を行なうに十分な医薬品が手元にない。
 一日たてばそれは届くかもしれない。
 しかし、それすらも内戦のさなかのことで確実ではない。
 医薬品を載せたワゴンが軍隊によって襲撃されないとも限らないし、途中で橋が爆破されてないという保証もない。
 今の状況で手術を行なっても、成功する確率は2分の1。もちろん正確な数字ではない。
 1日待って、物資が届いたなら、ほぼ確実に成功する。
 しかし、それが本当に届くという保証もないし、何よりも一日の手術の遅れが致命的な結果を招かないという保証はない。
 戦地の医者は容赦なく選択に迫られる。
 決定を下すには、不確定な要素が多すぎる。
 今ここで手術して成功するかどうかはわからない。
 一日待って手術を行なっても成功するかどうかはわからない。
 どっちが成功する確率が高いのかもわからない。
 わからない、わからない、わからない、‥‥つまりまったくの無知のなかで、人は容赦なく選択に迫られる。
 もし人が完全な知識を持っていたなら、判断に迷うことはない。
 一日待てば必ず救援物資が届き、それを待って手術をしても十分間に合う、と、それがわかっているなら誰だって待つだろう。
 救援物資が届かないということをあらかじめ知っていたなら、すぐに手術を開始するだろう。
 つまり、人間は無知なるがゆえに自由が必要なのである。
 自由というのは、決定的な情報不足のなかで決断を下すのに不可欠なものとして、進化したものと思われる。
 人は無知であるがゆえに「汝為しうる」。
 人間が自由であるというのは、人間が賭けをする動物であるということでもある。

 そうなると、共通の進化させた道徳感情を持っていたとしても、それが具体的な判断の場になって人それぞれになってしまう原因は、ここにあると考えることができる。
 つまり、誰も完全な知識を持っていない。
 それぞれ不完全な知識のなかで、不完全なりに決定を下す。
 これで万人の意見が一致したら、そのほうが不思議だろう。

 こう考えるなら、人間の道徳感情が生得的であることと、道徳的判断が自由であるということとは、何ら矛盾はしない。

 ここで、「無知の知」という古いテーマを思い起こすこともできる。
 自分が完全な知識をもっていると思い込んだ場合、道徳的判断はその信じる知識によって拘束される。
 無知を自覚するものほど、柔軟に臨機応変に判断することができる。
 無知とは自由であり、自由は無知を知ることなのである。

道徳の生存競争

 二つの大戦が終わり、20世紀後半に入ると、電気と内燃機関の普及により生産性は飛躍的に進歩し、それと並行して急速な少子化という現象が先進国の間に起こった。
 それは人類がかつて経験したことのない豊かさをもたらした。
 もはや人類は生存競争から解放されたかのようにも見えたが、実際はそうはならなかった。
 おそらく、排除をめぐる生存競争は、われわれの遺伝子に刻まれていたのだろう。

 もちろん、性別や人種や宗教や病気、身体障害者、同性愛などによる差別がいけないということに、多くの人が目覚めた。
 そして、それぞれの国で、差別をなくそうとして、様々な政策や教育が行なわれてきた。
 それでも、世界から戦争やテロはもとより、学校や職場でのいじめを追放することはできなかった。
 日本やアメリカはもとより、北欧の教育や福祉の優等生といわれる国でも同じだった。

 人間が道徳感情を持つ限り、人は善をしとし、悪をにくむだろう。
 人は常に完全な善行を行なうことはできない。
 なぜなら人は無知だからだ。
 行為の帰結を完全に予測することができないからだ。
 どんなに良かれと思ってやったことでも、必ずしもいい結果を有無とは限らない。
 こうして人は自分の行為を悔いるだろうし、他人の行為を非難するだろう。
 完全な善行は不可能。
 だけど、悪は憎い。
 自分も許せないし、他人も許せない。
 自虐は自分の生命の軽視を生み出し、やがては自殺に通じる。
 そして、自分に対してとる態度は、容赦なく他人へも向けられてゆく。
 自殺と殺人、それは北欧の、一見何不自由のないように見える国でも克服できない課題だった。
 それが、これらの国にブラックメタルという音楽を生み、それは今や世界に広まっている。

 人間の絶対的な無知が、行為に対して異なる判断を生み出す。
 それは人間が自由である証でもある。
 そして、そこに異なる帰結が生れる。
 その帰結は比較される。
 そして、どちらがより「善」であったかが判断される。
 ここにおいて、「善」は量的な問題となり、比較は競争を生む。
 つまり、誰がより善人であるかの。
 そして、競争は不可避的に「悪」を生む。
 敗北は悪であるからだ。
 競争があるところには、必ず勝者と敗者がいる。
 いくら人がそれぞれ善人であろうとしても、善の実践は、われわれが完全なその行為の帰結を予測できない以上、そしてわからない中で自由に判断しなくてはならない以上、よい結果を生み出す勝者と、悪い結果を生み出す敗者とに分かれる。
 たまたまよい結果を生んだものは善人と呼ばれ、悪い結果を生んだものは悪人と呼ばれる。
 こうして、社会には歓迎されるべき善人と、排除されるべき悪人との二つが存在することになる。
 もとはみんな同じ、生得的な道徳感情に従い、善を為そうとしてきたのに、現実には善人と悪人とが分けられてゆく。
 そして、悪人は当然のことながら、社会のあらゆる場面で差別を受け、拘束され、排除されてゆく。
 性や人種や宗教や病気・障害、同性愛者の差別は、様々な形で克服されようとしている。
 そして、最後に残ったのが、悪人に対する差別だった。
 曰く、悪行は自由な意志によって選択されたものであって、そうしないことも選択できた。だから、その選択に責任を持たねばならない、と。
 自由が生み出した帰結としての差別は、こういう理由で容認されている。
 しかし、人間が自由であるのは、人間が決定的に無知だからではないか。神様のようにすべてを見通して行動することができないからではないか。
 われわれは神ではない。行為の帰結を完全に予測することはできない。だから、どっちかに賭けねばならない。
 そして、長い人生のなかで、幾度もこの賭けを繰り返してゆくうちに、勝率のいいものと悪いものに振り分けられてゆく。
 そこには偶然もあれば、その人の持って生れた生得的な資質もかかわる。
 もし人間が完全な知を持ち、行為の選択の帰結を完全に予測できるのであれば、悪を為すものは自ら悪を為そうとしてそれを行なった、と考えることができる。
 だが、現実はそうではない。悪人とは賭けに負けた人間のことであり、善人とは賭けに勝った人間なのである。

 人間は自由であり、その判断がもたらす帰結には絶対の責任がある。
 それはたった一つの点で間違っている。
 人間は無知である、ということを忘れているのである。
 われわれは、こう言い直すべきであろう。
 ≪人間は無知であるがゆえに自由であり、それゆえその判断は賭けである。ゆえにその勝利は偶発的な要素が強く、責任は相対的である。≫

 道徳もまた、生存競争の一つなのである。
 善行は賭けであり、その勝率によって善人と悪人とに分かれてゆく。
 それはどうしようもない偶然なのである。
 しかし、人はそこに容赦なく排除の原理を適応してゆく。
 実際のところ、責任が絶対的であるか相対的であるかは大きな問題ではない。
 われわれの社会が基本的に生存競争であり、排除の原理で成立っているとすれば、必ず何らかの形で誰かが排除されてゆく。
 それが「悪人だから」という理由であったとしても、生存競争は生存競争なのである。
 そこに、われわれの道徳の限界がある。
 悪人を裁くのも、われわれが神でない以上、絶対的なものではない。
 ひょっとしたら間違っているのかもしれない。
 本当のところはわからない。
 わからない中で裁かねばならない。
 だからそれもまた一つの「賭け」なのである。

 

 

   

 悪とは敗北である。
 善は、二つに分かれる。
 絶対的な善は平和であり、相対的な善は勝利である。
 勝利が相対的に善なのは、勝利する者がいれば必ず敗北する者がいるからである。
 競争があることによって、善と悪は分かれる。
 悪とは敗北である。

 悪は二重の意味で敗北である。
 一つは自らが敗北するという悪。
 もう一つは誰かを敗北させるという悪。
 つまり、競争は勝っても負けても「悪」を生じさせる。

 悪はとは敗北であり、それゆえ相対的である。
 絶対的な悪というのは存在しない。

 悪もまた、敗北の性質から二つに分けられる。
 一つは敗者を生み出すという勝者の悪。
 もう一つは敗北するという敗者の悪。

 たとえば、殺人は悪だと考えるとき、それはしばしば殺されるものの側から見て、殺人がまかり通るなら、自分のいつ殺されるかわからない、という論理で悪だという人が多い。
 しかし、こうした人たちは、えてして「人を殺したものは即死刑だ」とも言う。
 殺人は悪で、死刑は善だというのは、何を根拠としているのだろうか。
 おそらくは「殺人」は本来善でも悪でもなく、良い殺人と悪い殺人があると思っているのだろう。

 人間の生存競争は、一対一での力の勝負ではなく、多数派工作の勝負であると、前に言った。
 つまり、ここに「善とは多数派の利益である」という観念が生じる。
 多数派の利益のためなら殺人は善であり、多数派の不利益のためなら殺人は悪であるというわけである。
 これは、しばしば戦争の論理にも適用される。
 戦争は、それぞれの国内の多数派の利益がぶつかり合って起こる。
 そのため、それぞれ、自分の国に勝利をもたらすものが善であり、敵に利益をもたらすものは悪とみなされる。
 戦争では、敵を殺すことが善とされるのみならず、しばしば勝つために味方が捨て駒にされることも善とみなされる。
 よく引き合いに出されるのは、第二次大戦のとき、イギリスのチャーチル首相が、ナチスのロンドン空爆の情報をつかみながらも、疎開などの措置をとらせず、ロンドン市民を見殺しにしたという話だ。
 もし市民を疎開させたら、ナチスの内部にスパイがいるのがばれる。それは戦局にとって決定的な影響を与える、という理由だったという。
 こういう話は、実のところどこまでが本当かどうかはわからない。アメリカも日本の真珠湾攻撃の暗号を解読していながら、現地にそれを伝えず、かえってその日本の卑劣な奇襲を世論操作に使った節がある。それを考えるとありえないことでもない。
 しかも、チャーチルの決断は美化して語る人も多く、勝利のためなら味方を殺すことも許されるという思想は根強い。(こうした勝利至上主義を不服とし、主人公が仲間の大切さを説いてそれと戦う漫画・アニメ、ライトノベル等も多いところをみると、そんなに誰もが納得するような思想でもないが。)
 その根底にあるのは、多数派の利益のためなら少数派の殺害も善であるという思想である。
 これは言い換えれば、多数派の勝利が善であり、多数派の敗北が悪である、ということであり、「敗者を生み出すという勝者の悪」が認識されていない。「敗北するという敗者の悪」を回避するためならすべてが許されるという考えに立っている。

 敗北は確かに悪である。
 ただ、それを回避するために、しばしば勝利もまた敗者を生み出すという点で悪であることを忘れさせ、さらには平和という絶対的な善の存在を忘れさせる。
 競争は勝者と敗者を不可避的に生み出す。
 だから、勝利の善は相対的なものにすぎない。
 それを絶対であるかのように振舞えば、当然そこに悲惨な結末が待っている。それが戦争なのである。

 それは、人間の生存競争が多数派工作の戦いであることに由来する。
 言うまでもなく絶対的な多数というのは「全員」である。
 しかし、多数派は「全員」ではない。
 あくまで少数派の存在を前提とした多数派なのである。
 その少数派とは、「淘汰されるべきもの」を指す。

 多数派の勝利を揺るがすものを「悪」と認識するのは容易だ。
 しかし、多数派の勝利が少数派に悪(敗北)をもたらしていることは、往々にして見落とされている。
 それは結局のところ、生存競争に勝たねばならないという遺伝子の声である。

 多数派工作はなぜ「全員」になりえないのか。
 その答は簡単だ。
 生存競争がなぜ起こるか、その元を知ればいいだけのことだ。
 そもそもこの地球は有限であり、そこで生存できる生命は無限ではない。
 無限に、等比数列的に増えようとする人口にたいして、大地には定員がある。
 だから、誰かを排除しなくてはならない。
 多数派工作の戦いは「全員」のための戦いではなく、最初から誰かを排除するために戦いだからなのである。

 ならば、出生率が低下し、人類が等比数列的に増えるどころか、逆に減少し始めているという今の先進国の現実は何なのかと思うかもしれない。
 実は、われわれが差別や迫害などの排除のための戦いが「悪」であることに気付き、戦争そのものが「平和に対する罪」であることに気付くことができたのは、それが原因だったのである。
 人口の増加に対し、経済成長がそれに追いつかないという事態が生じれば、必ずナショナリズムは復活し、差別や迫害が当然のものとみなされるように人の意識は変わってゆく。

 人類の長い歴史は、多くの場合勝利という相対的な善に向かって戦いを繰り返し、もがき続けてきた。
 そのなかで「敗者を生み出すという勝者の悪」は、むしろ宗教的な「原罪」の観念として理解されることが多かった。
 人間はすべて罪深いという観念が、いっさいの生命への欲望を絶ち、解脱を完成させるという、極端な平和主義を生み出していった。
 平和という絶対的な善と勝利という相対的な善は、聖と俗という二つの価値観のなかで分断されていたといってもいいのかもしれない。

多数派に対する悪と少数派に対する悪

   

 多くの人が不条理と感じるのは、多数派が少数派に対して与える攻撃は当然のものとみなされ、むしろ善とすらみなされるのに対し、その逆はとんでもない悪だとみなされることだ。
 たとえば、上司が部下を叱責するのは善だが、部下が上司を叱責すれば悪となる。
 それは立場をわきまえぬということになる。
 その理由は、要するに、上司は仕事を指揮することで会社全体に利益をもたらすが、部下にはその資格がない、という点に尽きる。
 上司が部下を叱責するのは会社全体(多数派)の利益であり、部下が上司叱責するのは部下のわがまま(少数派の利益)だというのである。

   多くの差別や迫害も、かつては当たり前のようにその種の物とみなされてきたし、今もそう考える人は多い。
 たとえば、日本人が在日や同和に対して攻撃を加えても、それは日本人(多数派)の利益のためであり、彼らが日本人に攻撃を加えればそれは少数派の利益のためだ、ということになる。
 相手がハンセン氏病患者や原爆病患者であっても、その存在そのものが病気をうつすと信じられている限り、多数派の利益の観点から差別が肯定されてきた。
 そして、こうした差別に対する反省もまた、実は病気に対する無知によるものだったとすることで十分とみなされ、多数派の利益という判断そのものが差別を生むことについては、十分な反省がなされているわけではない。
 差別を肯定する思想は、基本的に多数派の利益を善とする考え方にある。

 われわれが無条件に悪だと感じる多くのものは、「多数派に対する悪」である。
 「みんなの迷惑」と称するものが、まさにそれだと言っていい。
 これに対して、平和と平等の意識に目覚めた時に、「少数派に対する悪」という意識が生じる。

 道徳的にわれわれを最も大きな矛盾と困難に導くのは、多数派の利害と少数派の利害が一致しないどころか、しばしば真っ向から対立するところにある。
 多数派にとっての善は少数派にとっての悪となり、その逆も当然起こる。
 そうなると、一体何が本当の善なのかわからなくなる。
 ともすると、われわれの道徳意識は、価値観の多様性のものに相対化されてゆく。
 しかし、そのなかで「勝てば官軍」的な思想が現われ、結局「力が正義だ」ということになりかねない。

 勝利の「善」はもともと相対的なのである。
 しかし、多数派であればあるほど、それを絶対的なものに近づけることができる。
 それに対し、少数派が反乱を起こす。

 プラトンは『ゴルギアス』のなかで、

 「人は誰一人自らすすんで悪事を行なうものはいない。」

という。
 だが、実際は自らすすんで悪事を行うものが絶えることがない。
 それは、多数派にとって悪事だとわかっていても、少数派にとってはそれが善だからだ。
 食うに困って物を盗むのは、それは社会にとって悪であっても、その人やその愛するもののためには善であるからだ。
 自分に生存と快楽をもたらすものは、基本的に善なのである。
 もしそれが間違いなら、社会は人に生存と快楽を保証しなくても良いということになる。
 自分にとって善なるものが、多くの人の利害と対立してしまった時、人はそれを悪と呼ぶが、それは多数派の利害と少数派の利害の不一致以外の何ものでもない。
 したがって、プラトンの命題は正しい。
 ただし、こう修正すべきであろう。

 ≪人は誰一人自らすすんで自分にとっての悪事を行なうものはいない。他人にとっての悪事をするだけなのである。≫

 いかに利己的な犯罪であろうとも、基本的に情状酌量の余地がないということはありえない。
 それを「情状酌量の余地がない」というのは、多数派の利害を守るためにそう言っているのである。

 ただし、誤解のないように言っておこう。
 情状酌量の余地があるからといって、無罪放免せよということではない。
 法体系は罪があるかないかを裁くのではない。
 ただ、何を禁じ、何にどの程度の罰を与えれば、多数派・少数派を含めた全体の幸福のバランスが計れるのか、法体系とはそのための一つの仮説なのである。
 そして、法と刑罰を執行することによって、より不満のない社会ができるかどうかが、この仮説の検証なのである。

 すべては無知の自覚から始まる。
 コンピュータはプログラムに従って演算をするのみで、プログラムされていることしか知らない。それ以外のものがあるということも知らない。知らないものについて何も知るよしもない。
 人間は知らないということを知っている。この世の中、わからないことばかりだ。
 わからないことだらけの世の中で、少しづつ知識を積み重ねて行く。それでもわからないことがなくなるわけではない。
 永遠の謎を追い求める、それが人間。
 そしてわからないこと、自然の神秘、人間の情念の深み、そこに絶えず想像力を働かして、何とか親しみのあるようなものにする。たくさんのモデル、たくさんの仮説、わからないことをわかろうとする。そこで生まれてくる。‥‥神。

 なぜ「わからない」のか。
 それは、人は世界を予測するからだ。このあとこうなるだろう、ああなるだろうと予測する。雲が現われれば雨が降るだろうと思い、雨が降れば草木が育つだろうと思う。
 だが、雲が現われても雨が降らないこともある。雨が降ったのに草木が枯れることもある。
 予想に反することが起これば、人はそれを「わからない」と思う。何でそんなことになったのか、どうすればいいか、ふたたび理論を立て直し、予測をやり直す。
 こうして人は仮説を立て、検証を繰り返す。わからないから、あれこれと想像力を膨らませ、あらゆるモデルを動員する。その中のいくつかのものは、繰り返し検証され、その確かさが確認され、「知識」となる。
 かつて、世界は神秘に包まれ、わからないものだらけの暗黒の森だった。その中で、絶えず仮説を立て、検証を繰り返してきた人間は、少しづつ知識を蓄積させ、自分の身の回りに「知っている世界」を形作る。それは森の中の小さな開墾地。荒海に浮かぶ小さな小島。それが人間の大地。
 やがて、知識が高度に蓄積され、科学の時代がやってくる。それでも人間にわからないことがなくなったわけではない。説明のつかないもの、計算できないもの、そこにいつまでも人は神話を作り続ける。現代の神話。宗教。占い、超能力、UFOなどなど。
 人はいつでも、すべてを知ることはできない。だから人は神を求める。神は死なない。

 もっとも素朴な神概念は、「わからないものは神である」というものだろう。『易経』の「陰陽不測、これを神という」という神概念もこれに類する。わかっているもの、説明のつくものを、わざわざ神を持ち出して説明する必要はない。神を理由にするのは、誰も満足な説明のできない問題に限られる。

 次に生じる神概念は、全知全能の神の概念である。これは人間が理想として思い描いても、実際には実現できないものが存在するところから来る。たとえば絶対的な知、完全な支配、永遠の命などがそれだ。こうしたものは、不可能なのに思い描けるという矛盾を含んでいる。なぜ、不可能なものを思い描けるのか、と問うた時、それがどこかに存在しているからだということになる。そのどこかにある、かといってどこにとはいえないもの、そこに神が登場する。基本的にはこの問題も誰も満足な説明ができないゆえに神なのである。

 この神概念は、神秘体験によって強化される。自己と世界との境界が消え、自他不二、恍惚の境地に達した時、人は全知全能の存在に出会ったような気がする。しかし、その知はすぐ目の前にあるように見えて、永遠に自分のものにならない。

 そこで、後者の神概念をより洗練させたものに、全知全能の神ではなく、全知全能を求める神、全知全能に導く神というのが存在する。つまり、理想はどこかに神として人間から独立して存在するのではなく、ただ理想へと導く存在というものが考えられる。東洋の道祖神、西洋のダイモンがそれだ。

 神話は説明のつかないものを説明するための仮説であり、検証不能な仮説をいう。基本的に誰でも提起できるものであり、新しい神話は常に作られる可能性を持っている。ただ、人間の記憶力に限界があるため、作られた神話の多くは自然淘汰される。特に無文字社会ではそんなに膨大な量の神話群を記憶することはできない。忘却されずに生き残ったものが神話として広まって行く。

 社会や部族や法の起源に関する神話は、その神話を共有する共同体の大人の事情に左右される。だからといって一面的に支配のための道具だということではない。神話は基本的に誰もが作れるのだから、支配者が自分の都合のいい神話を作ったとしても、いくらでもその異聞を作ることで対抗することができる。ほとんどの場合、神話の体系は妥協の産物と見たほうがいい。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、多神教を追い出すことによって成立した排他的一神教だが、文化の低層には多神教の影をとどめている。
 民間信仰、民間呪術、物語に登場するモンスターなど、一神教世界から疎外された物は、エンターテイメントの世界で人を楽しませ、しばしば悪魔崇拝(サタニズム)や異教崇拝(ペイガニズム)が彼らを魅了する。
 日本では、一神教的要素は仏教の「本地」とされ、土着の神々はその「垂迹」として理解されてきた。そして、その両社を繋ぐ存在として、道祖神、猿田彦、青面金剛の一体となる存在が民間に深く浸透していた。

美の巻

 美とは、われわれが生きるために様々な仮説を立てては世界に投げかける際の、イメージのストックである。それゆえ、美とは、当面は役に立たない秩序の発見である。

 芸術はそれゆえ、思考に柔軟性をもたらし、新たなものを受け入れて行くために不可欠なものであり、いわば芸術とは石頭にならないためにあるのである。

 また、芸術はすぐには役に立たないがゆえに、生存競争に対して中立であり、芸術の共有は、生存競争の軍縮への道を開くことができる。

 さらに、芸術はわれわれの生得的な欲求であるがゆえに、国境や民族やあらゆる共同体を超えて、普遍的な力を持ちうる。国家や宗教では果たすことのできなかった世界平和を実現できる力を持つのは、芸術以外にない。

美の起源

 

動物は美を感じるか

 

 下北のニホンザルを観察してきた足沢貞成によると、サルが夜寝る時に泊り場として選ぶ場所は、人間が見ても一度覚えたら忘れられないような景観を具えたところだという。

 「泊り場は細かく見れば種々の多用な地形的条件の所にあり、一言でいうのは難しい。何本かの側枝の多いヒバの木があって、樹冠をおおい樹冠移動が可能であり、周囲には急峻な地形の箇所があり、下方には比較的見通しがよくきいて安全性の高い条件を具えたところというような言い方になろうか。大きくみたなら非常に特徴的な景観を具えていて、遠くからでもあそこと指摘できるほどわかりやすいところで、たとえば顕著な岩峰ないし岩場の周辺とか、特徴のある沢の奥まりとか、独立峰のふところ斜面とか、はっきりとした沢の出会い付近あるいは尾根の末端部とかいったたぐいで、一度覚えてしまうといつでもまざまざと思い出すことができるほど景観的特徴を具えていた。
 この遠くからでもわかりやすいという点は、サルにとって遊動上重要な意味を持っているのではないだろうか。」(『下北のサル』井沢紘生編、1981、どうぶつ社、p.98、足沢貞成)

 人間ならこのような場所には、ある種の美しさを感じるであろう。いわゆる絶景ポイントと言ってもいい。しかし、ニホンザルはこのような場所を泊り場として選ぶ時、果たしてその景色を「美しい」と感じるのだろうか。
 ニホンザルにとって、泊り場に特徴のある景観の場所を選ぶということは、生存上決して無意味なことではない。つまり、生活圏の地図を思い描く時に、記憶に残りやすい、特徴のある景色というのは、自分の位置を知る上で重要な情報になる。ニホンザルはただ、生存のために、覚えやすい特徴のある景色を記憶し、道に迷わないようにしているだけかもしれない。
 しかし、こう考えることもできる。自分の生活圏のマップを作る際、景色にある種の特徴を発見し、記憶することに、遺伝子が何らかの脳内快楽物質を分泌して、報酬を与えるようにプログラムしているかもしれない。つまり、もしある種の景色に遭遇した時に、何らかの快楽を覚えるとしたら、それは「美」を認識していると言ってもいいのかもしれない。
 スキナーボックスのハトにも、同じことが言えるかもしれない。
 スキナーボックスはアメリカの20世紀の心理学者、バラス・F・スキナーが、オペラント条件付けの実験用に考案したもので、行動主義の心理学者の間で広く用いられている。
 オペラント条件付けというのはいわゆる試行錯誤学習のことで、パブロフの犬の条件反射のような古典的条件付けに対し、何らかの未知の道具を与えて試行錯誤させて一定の行動を獲得させることをこういう。つまり、同じ刺激の繰り返し、たとえば餌をやる時に必ずベルを鳴らすことで、ベルの音を聞いただけでよだれが出るような行動を学習させるのではなく、あるスイッチを押すと餌が出てくるような状況を作り、それを見つけるまでに様々な試行錯誤をさせて、一定の行動を学習させることをいう。
 そのスキナーボックスとは、こういうものである。

 「研究室で動物の学習や刺激の識別について研究するとき、多くの場合スキナー・ボックスを使う。被験動物には通常ラットかハトを使う。被験動物を腹をすかせた状態でスキナー・ボックスに入れ、研究対象の刺激以外はほとんどすべての刺激を断つ。被験動物は餌を手に入れるには、ある特定の刺激が与えられたときに、ボックス内のなにかをうまく操作しなくてはならない。ボックスのなかからは、不透明な壁にさえぎられて外にあるものが見えないようになっている。また外の音をカモフラージュするために、波長範囲のひろいシューという音が流されることも多い。したがって被験動物はボックス内の装置を操作する他はほとんどなにもすることがない。またその装置は、この種の動物が簡単に操作を学習することがあらかじめわかっているものがえらばれている。ラットが操作しなくてはならないのは床に近いレバーで、ラットはそれを前足で押しさげることができる。ハトが操作しなくてはならないのは、壁につけて透明材質を裏から照らしてあるキーあるいは小片で、ハトがくちばしでたやすくつつくことのできる高さにしてある。スキナー・ボックスにはもう一つ、機械的に操作されて、食物やときには水を供給する食物桶がとりつけられているが、食物も水も、ふつうは一度に数秒間しか得られない。レバーとか逆光照明のキーは、食物桶をコントロールしたり、動物に与える刺激を変化させるために、マイクロスイッチにつながれている。ボックス全体も照明がついている。ハトはもっばら視覚に頼っているので、この「室内照明」を消すと、キーをつつくなどの行動もほとんどしなくなってしまう傾向がある。」(『動物の心』ドナルド・R・グリフィン、1995、青土社、p.211)

 ハトはこのような箱の中に、空腹な状態で入れられ、たいていはそれほど時間を待たずにキーを突くという。腹をすかせたハトが、何でも手当たり次第に突いてみることは、学習というよりは遺伝的にプログラムされた行動で、スイッチ以外に何もない部屋でキーを突くという行動は程なく発見される。しかし、それで餌が出てこないなら、すぐにやめてしまうことになる。
 このとき、たとえば赤いランプが点灯した時には餌は出ず、緑のランプが点灯した時のみ餌が出てくるようにする。そうなると、ハトはやがて緑のランプが点灯した時以外はキーを突かなくなる。ここで、ハトは赤と緑の色の違いを識別できるということが明らかになる。
 こうしたやり方で、餌の出てくる条件をどんどん複雑にしてゆき、ハトがどの程度まで対象の違いを識別できるのかを調べることができる。

 「別の一連の実験で、リチャード・ヘルンスタインなど数人の心理学者が、記憶と感覚を試すじつにむずかしい問題をハトに示した。ヘルンスタインとラヴランド(Herrnstein and Loveland 1964)が行った先躯的な実験では、標準型のスキナー・ボックスを少し変えて、食物が得られる通常のキーの他に、壁と水平に小さなスクリ-ンがあり、そこにカラー写真が映写できるようになっていた。スクリーンはキーの役目もしていて、ハトがつつくと電源が入るしかけになっていた。このミニスクリーンにさまざまな映像が映しだされた。室内や戸外の光景、人々、動物、建物、木々、花、町並みなど。これらすべての実験で、一部の写真が正解で、食物が手に入る信号だった。正解の写真をつつくと、食物桶がときどき数秒開いた。他の写真は不正解で、それは強化刺激ではなかった。つまりつついても効果はなかった。あるいは「室内照明」が消えて、ハトは暗闇にとりのこされることになった。」(『動物の心』ドナルド・R・グリフィン、1995、青土社、p.217)

 これによってわかったのは、「(1)カシの葉と他の木の葉(Cerella 1979)、(2)木々のある光景と木々のない光景、(3)水がある光景とない光景、(4)特定の人物が映っている写真と、人物はぜんぜん映っていないか他の人が映っている写真(Herrnstein, Loveland, and Cable 1976)、(5)魚のいる水中写真と、同じような水中で魚のいないもの(Herrnstein and de Villiers 1980)。」(『動物の心』ドナルド・R・グリフィン、1995、青土社、p.218)といったものだった。こうした結果は、ハトが決して単なる試行錯誤だけで学習しているのではなく、あらかじめ様々な認識のパターンを遺伝的に持っていて、それに基づいて新たな状況を洞察的に学習していることが想定されるもので、行動主義者にとってはむしろ好ましくない結果かもしれない。
 このような実験の延長で、渡辺茂はピカソとモネの絵を見分けることができるかどうかという実験を行っている。これによってハトは10枚のピカソの絵と10枚のモネのの絵を識別したが、これにも単に20枚の絵を丸暗記したのではないかという疑問が残るので、それまでの訓練では見せなかった絵を見せてみたという。

 「しかし、これはハトがピカソとモネの区別ができるようになったのではなく、二○枚の絵を逐一おぼえただけのことかもしれない。実際、ハトはこのくらいの数の図をまるごとおぼえる記憶力をもっている。そこで、訓練のときには見せなかった絵を見せてみた。図6の上の図はモネの絵に反応し、ピカソの絵には反応しないという訓練をうけたハトの場合、下の図は反対にピカソの絵に反応し、モネには反応しないという訓練をうけたハトの場合である。あきらかに、はじめて見る絵でもモネとピカソの区別をしている。ハトは訓練に使われた特定の作品をおぼえたのではなく、「ピカソ」の作品、「モネ」の作品という作風をおぼえたと考えられる。
 わたしたちはセザンヌやルノアールの絵をピカソよりもモネに近いものと感じる。また、ブラックやマチスの絵を見ればモネよりもピカソに近いものと感じる。つまり、印象派とかキュビズムといったまとめ方もできる。ハトではどうだろうか。図6に見られるように、モネに反応する訓練をうけたハトはモネに画風が似ているセザンヌにも反応しており、ピカソに反応する訓練をうけたハトではピカソに近いブラックにも反応している。ハトはなにか具象画に共通なもの、抽象画に共通なものを見ているのだろう。」(『認知の起源を探る』渡辺茂、1995、岩波書店、p.17~37)

 この実験ではさらに、具象画の場合上下の逆を区別するが、抽象画の場合は上下ひっくり返しても区別がつかないこともわかったという。抽象画の上下は人間でも間違えることがあるのだから、ハト認識の仕方は案外人に似ているのかもしれない。
 同様な実験で、音楽に関しても、バッハやビバルディのような古典音楽とシェーンベルクやカーターのような現代音楽の識別実験にも成功しているという。
 このとき果たして、ハトは美を意識しているのだろうか。かつてハトのような鳥類は外見上、いわゆる大脳皮質がないということで、爬虫類なみの原始的な脳とされてきた。しかし、実際は皮質構造はなくても、それに相当する部分が大脳基底核の上に存在していて、哺乳類とは別の構造に進化した高度な脳であることがわかっている。実際ゴミ捨て場のカラス対策に手を焼いている人だったら、カラスがいかに賢いかを理解できるであろう。
 ハトもまた、かなり高度な脳を持っていることは間違いない。もし絵画や音楽を識別する際、何らかの秩序が存在することを発見したなら、その発見の際に快楽報酬を得ている可能性はある。つまり「美」を感じている可能性はある。

 

性選択と美

 

 人間でも、異性の美しさというのは一番わかりやすい。もちろん同性の美にも、別に同性愛者ではではなくて惹かれるものはある。それは自分がこうありたいという憧れを含むものだが、それはまた異性の目を意識して、異性にこんなふうに見られたいという願望でもある。
 進化というのは、何も弱肉強食のような力だけで起るものではない。少なくとも有性生殖を行う種では、まず異性に繁殖の相手として選ばれなければ、子孫を残すことができない。子孫を残せなければ、遺伝子はそのまま自分の死とともに永久に消滅してしまうことになる。つまり、淘汰されてしまうことになる。無事相手にめぐり合い、子孫を残すことができたものだけが、自らの遺伝子を残すことができる。そして、残った子孫が自然界の様々な圧力によってふるいにかけられ、適者生存となるのだが、子孫を残せなかったものは、そのゲームに加わることすらできない。
 そういうわけで、どんなに強くても、どんなに頭が良くても、異性に選ばれなければ、生存競争の敗者となる。そして、その条件に、しばしば人間から見て「美」と思われるものが関与している。
 たとえば、ゴクラクチョウのカラフルな羽の色は、生きてゆく上でなんの役に立つのだろうか。クジャクの大きな飾り羽は邪魔にならないのだろうか。ハタオリドリの精巧な巣作りは、果たして子育てに不可欠なものなのだろうか。鳥の美しいさえずりは何のためのものだろうか。
 こうした一見無駄とも思える進化の説明に、しばしばアモツ・ザハヴィの「ハンディキャップ理論」が用いられる。アモツ・ザハヴィはイスラエルの生物学者で、オオカミに追いかけられたガゼルの群で、ガゼルが時折高くジャンプすることの説明に用いたもので、1977年に提起された。ガゼルの過度の跳躍は、逃げる速度という点ではマイナスになり、一見不利なように見えるが、実は追いかけているオオカミから見れば、このような高く飛ぶ事のできるガゼルは元気があり、捉えることが難しいと映る。オオカミの標的は自ずと、ジャンプする余裕のないガゼルに向う。いわば、ガゼルのジャンプは俺はこんなに体力があるから捕まりにくいぞ、というアピールとして作用しているのである。
 生存競争というのは残酷なもので、それはあくまで個体レベルでの競争であるがゆえに、捕食者よりも同種のライバルに勝つことが優先される。ある生物学者が冗談でこんなことを言ったという。
 山の中で、「ここで熊が出たら逃げられるだろうか」と一人がいう。
 「そりゃ無理さ、熊は俺たちより足が速いからな。」ともう一人がいう。
 しかし、少し考えて、またこう言ったという。
 「熊から逃げるのは簡単だ。おまえよりほんのちょっと早く走れればいい。それだけのことだ。」
 ガゼルも決してオオカミより早く走れるように進化する必要はない。ただ、ビリにならなければいいのである。だから、ビリにならなくてすむと見れば、これ見よがしにジャンプして、余裕のあるところをアピールするのである。
 この理論はその後様々な分野に応用されている。ハタオリドリの巣にしても、一見無駄なようでありながら、その無駄なことができる余裕があるということで、メスに向って自分が繁殖力があり、卵を無事に守るだけの力があることのアピールになる。メスからすれば、自分が食ってくだけで精一杯なオスでは、卵の保護は期待できない。無事じに子孫を残すためには、ゆとりのあるオスを選んだほうがいい。ただ繁殖するために最低限の巣を作るオスよりは、若干無駄のある巣を作るオスの方が余裕があるというふうに映る。こうして、無駄な巣を作るオスがメスによって選ばれる率が高くなると、無駄な巣を作る遺伝子がより多く生き残り、無駄な装飾を施すオスの行動が徐々に進化してゆく。
 こうした行動は、必ずしも意図されたものではない。それは鳥のオスがメスに比べてカラフルで、華麗になるのと同じで、オスが自ら選べることではなく、そのような性質に生れついていると言った方がいいのかもしれない。きれいな羽の色も、捕食者に発見されやすく、実用にならない飾り羽は、逃げたりするときに邪魔になる。それでも、そうしたものが進化するのは、そうしたハンディキャップを背負っても十分生きられるという余裕を示すもので、そうした余裕のあるオスがメスに選ばれるかぎり、鳥のオスは美しくなる。しかし、それにも限界があり、華美になりすぎて、本当に生存の脅かすまでになれば、そこで進化は止まる。こうして、ハタオリドリは高層ビルを建てることもないし、クジャクの羽も自分の足で踏んづけるまでは大きくならない。
 こうした現象を、しばしば人間のファッションにまで適用しようとする人がいる。しかし、ファッションはあくまで意図的なものであり、自分で調節することができる。贅沢しすぎて家計が苦しくなれば、いつでもやめられるし、にわかに金が入れば、急に金時計や鼈甲眼鏡で、これでもかと成金趣味になったりもする。しかも、すべての人間がそうなるというわけでもなく、金持ちでも安っぽい服を着ている人もいれば、貧乏でも収入の大半を着飾ることにつぎ込む人もいるから、これはあくまで趣味の問題ということになる。むしろ人間の生得的な性質、たとえば男の高身長や女の胸の大きさのほうが、ハンディキャップ理論で説明するのに適しているのかもしれない。
 岡ノ谷おかのや一夫は、ジュウシマツがその原種に近いコシジロキンパラと比べて、複雑なさえずりを短期間で進化させたことについて、コシジロキンパラが自然環境の中では過度なさえずりは捕食者に発見されやすく不利だが、人間に飼われたジュウシマツはその抑制がなくなったからではないか考えた。そこで、岡ノ谷はコシジロキンパラのさえずりとジュウシマツのさえずりと、その二つを合成し、出だしはコシジロキンパラのさえずりだが、途中からジュウシマツのさえずりの入るキメラ歌のテープを作り、コシジロキンパラに聞かせるという実験をした。ケージの中に巣の素材となるシュロの繊維をあらかじめセットしておき、メスを一羽入れ、オスのさえずりを聞かせると、巣の材料を自分の巣に運び始めるという性質を応用したものだ。この結果、

 「第一のグループでは、ジュウシマツの歌を聴いている間は一日5本程度しか巣材を運ばなかったが、コシジロキンパラの歌に切り替えると10本程度に増えた。第二のグループでは、コシジロキンパラの生の歌で刺激している間は平均15本程度であったが、キメラ歌に変えたとたん大量の巣材を運びはじめ、数日のうちに一日30本以上運ぶようになった。キメラ歌は劇的な効果をもったのである。」(『小鳥の歌から人の言葉へ』岡ノ谷一夫、2003、岩波書店、p.96)

 これによって、

 「コシジロキンパラの歌が単純であるとはいえ、少しは個体差がある。コシジロキンパラのメスは、単純な中でも、どちらかというと複雑な形式を持った歌を好むのかもしれない。しかし、野外環境での捕食圧により、歌はあまり複雑にならなかったのであろう。ペットとなることでこの制約が解けると、歌はメスの好みの方向に一気に変化していったのであろう。」(『小鳥の歌から人の言葉へ』岡ノ谷一夫、2003、岩波書店、p.96)

と結論する。コシジロキンパラからすれば、純粋なジュウシマツの歌は別種の歌にすぎず、繁殖に有利にならないが、キメラ歌には「こんな歌を歌っても生きていられる余裕のあるコシジロキンパラがいると思って、ある種のカルチャーショックを受けたのだろうか。
 美の意識の根源にも、このような生存に関してぎりぎりのものではなく、やや余裕を感じさせるものを求める傾向から進化した可能性は十分にある。

 

美の進化の無目的性

 

 鳥の美しい羽やさえずりの声は、性選択によって進化した可能性が大きい。ただ、そこに「目的性」があったかわけではない。つまり、それらはただ偶然の突然変異の蓄積によって生じたもので、意図されたものではないからだ。
 たとえば、たまたま灰色の羽の中に、突然変異で一本の赤い羽根の混じっている個体が出現したとする。この鳥はメスによって、余裕のある個体して識別され、繁殖の相手に選ばれた。こうして、赤い羽根を持つ突然変異の遺伝子は生き残った。そして、その中から、赤い羽根を多く持つ突然変異が出現する。それもメスに選ばれる。こうして、やがて灰色の鳥は赤い鳥へと進化を遂げる。
 オスは誰一人赤い羽根を欲しがったわけではないし、メスもまた遺伝子の決定に従って、あえて生存にハンディを持って生きているオスを選んだにすず、羽は赤でも青でも黒でも良かったのかもしれない。それでも、鳥は美しく進化する。これを人間の目から見ると、ついついオスのトリは、繁殖を成功させる「ために」羽を赤くしたと言いたくなる。ここから、鳥の羽の美しさと、人間の芸術やファッションとを混同した議論が生じることになる。しかし、自然界の生み出すこうした「美」は基本的には偶然の産物であり、目的はない。
 その意味で、カントが『判断力批判』の美の分析論の三番目の中で、

 「美は、合目的性が目的の表象によらずに或る対象において知覚される限りにおいて、この対象の合目的性の形式である。」(『判断力批判』カント、篠田秀雄訳、1964、岩波文庫、p.129)

という際に、チューリップの花を例に挙げて、

 「例えばチューリップは美しいと言われる。それは我々がある種の合目的性┬換言すれば、我々がこの花を判定する場合のように、いかなる目的にも関係せしめられないような合目的性が、この花の知覚において見出されるからである。」(『判断力批判』カント、篠田秀雄訳、1964、岩波文庫、p.129)

 美は、その対象の客観的な目的性なしに、あくまで形式的で主観的な目的によって知覚されることによって生じる。だから、たとえ植物学者が花は生殖のための器官であると言ったとしても、身の判断に関してはそれを度外視することができる。

 「花弁は自由な自然美である。ところで或る花が本来どのようなものであるかということを正確に知っているのは植物学者だけで、余人は恐らくそこまでいくまい。また花が植物の生殖器官であることを承知している植物学者にしろ、これを趣味によって判断する場合には、かかる自然目的を無視して顧みないのである。」(『判断力批判』カント、篠田秀雄訳、1964、岩波文庫、p.116)

 これに対し、デリダは『絵画における真理』の中で、このカントの議論を取り上げて、むしろ生殖という目的のあるものを、意図的に「切断」するところに、それを主観の合目的性の形式という額縁の装飾(パレルゴン)の中に囲い込むものだとしている。
 デリダによれば、このチューリップはただのチューリップではなく、ド・ソシュールの『アルプス紀行』の中に登場する、人里はなれた森の中で見つけた野生のチューリップのことで、それゆえに、目的のないものの例となったのだという。我が国で言えば、

 山路来て何やらゆかしすみれ草     芭蕉

のようなものか。スミレが何かの役に立つからではない。ただ何となく、理由もないから美しい。そんな一つの例だったといっていいだろう。
 原種のチューリップに限らず、野に咲く花の美しさは、基本的には虫や鳥などによって花粉が媒介され、繁殖する種が、鳥や虫の目に止まりやすいという理由で進化したものだが、花弁の進化はあくまで偶然によるものである。たまたま突然変異で花弁が生じた。すると、虫や鳥がそれを目印にして花弁のない花よりも多くの花粉を受け取ることができた。それゆえ、花弁のある花が生き残った。こうして、幾重もの偶然の重なり合いが、結果的に野に咲き乱れる美しい花々を生み出したのである。決して生殖が目的で進化したのではない。
 カントの時代の生物学者は、まだダーウィン進化論を知らなかったから、花の美しさには何かしら目的があると信じていたかもしれない。しかし、デリダがこのことに気づかなかったのは、何らかの思想的な理由でダーウィンを無視したか、そうでなければ単なる科学に対する無知ということにもなろう。ポストモダン哲学には、しばしばこうした科学知識の誤用が見られる。
 対象物がその本来の目的から切断されれば美になるという発想は、マルセル・デュシャンの『泉』という作品を思い浮かべればいいかもしれない。それは1917年に行われたニューヨーク独立芸術協会主催のの展覧会にムットという偽名で出品しようとして拒否されたもので、その後いろいろ論議を呼んだことで有名になった。それは男性用の小便器(日本では朝顔と呼ばれている)を、横倒しにしただけものだった。この便器自体はデュシャンが作ったのではなく、デザインしたのでもない。既製品にサインを入れただけのものだった。いわば、日常ありふれたものをただその用途(目的性)から「切断」しただけのものだ。
 花や鳥のさえずりが「生殖」という目的を持って作られたもので、それを誰もが認識しているというなら、この便器の芸術も花鳥風月と同等のものということになるだろう。しかし、それは誰に目にも無理があると言うに違いないし、実際に生物学的にも正しくはない。赤瀬川源平のトマソンの場合は、まだ、家屋などのある部分が無用のものとなる所には、偶然性がはたらいている。古びた寺社や廃墟や古代遺跡の美しさと共通する部分もある。その点でも、デュシャンの『泉』は芸術かどうかの一つの極限であり、その意味では面白い作品ではある。

 

 

言語と音楽の起源

 

 言語や音楽の根底にあるのは、何らかの相手の仕草や声から相手の置かれている状態を読み取ろうとする行動である。これによって、同種間で起る熾烈な生存競争の中で、いかに自分を優位に保つかが懸かっている。また、そこから派生して、捕食者の状態も読み取れれば、ぎりぎりまで逃げずに食事を取ることができるし、獲物の状態を読み取れれば、狩りの成功率を高めることができる。
 お互いに相手の仕草や声から、何らかの情報を得ようとしているうちに、相手に伝えた方がいい情報も生じてくる。たとえば発情を示す恋鳴きは、それを示さないものよりも子孫を残す率が高まるだろう。また、自分が強いぞということを示す威嚇の声を上げれば、欲望が衝突した時に闘わずして勝つ率が高くなる。これも子孫を残す率を増やすだろう。
 また一方で、悲鳴というのも、相手に降参の意思表示となり、徹底的に打ちのめされるのを防ぐ。これも生存率を高める。
 警戒音というのはこれより複雑になるが、敵に対し一人で立ち向かうよりは大勢で立ち向かう方が結果的に自分自身の生存率を高めるだろう。警戒音を上げなければ、捕食者は確実に自分に襲ってくる。しかし、警戒音を上げれば、敵を追っ払えないとしても、みんなが一斉に散り散りになって逃げ出すことで、捕食者の注意は多くの個体に分散される。
 ここから、いわゆる泣き声が様々に進化する。恋鳴きはある種の鳥の複雑なさえずりを生み出し、咆哮はテリトリーを示す特徴的なロングコールを生み出し、悲鳴は単に自分が劣位であることを示すだけでなく、他の者との争いを防ぐための融和の声にもつながる。そして、警戒音も一部のサルのように、空からの敵、茂みから飛び掛ってくる敵、地を這う毒を持つ者などに特殊化する。
 しかしながら、これらは決してそのままでは言語や音楽を進化させるわけではない。
 まず、鳴き声がもたらす情報は、発したものの身体的状態、つまり呼吸の状態に拘束される。声の大きさはそのまま状況の切迫度を示すし、短く鋭いピッチの鳴き声は心拍数が上昇し、呼吸が荒くなっていることを示す。逆にゆったりとした立ち上がり、息の長いコールは呼吸が安定していることを示す。そのため、相手に対する信頼度の高い指標となる。
 仕草もまた、急激で騒々しい物音を立てる仕草は、それだけで行動する元気のあることを示す。ゆっくりとした動作は、これとは逆に休息を現す。
 表情もまた、生理的な変化を示す。怒りの表情は、相手の動きに油断なく注意を促そうと目を大きく見開き、体に十分な力が入るように歯を食いしばる。
 こうした情報は、相手の身体の状態に関するものだという点では限られた範囲のものだが、生理的な基礎に基づく分嘘が付きにくい確実な情報を入手することができる。
 ジャコモ・リゾラッティとマイケル・アービブは1990年代に、サルの大脳のF5と呼ばれる領域に「ミラーニューロン」と呼ばれるものを発見したという。これはサルが、つかむ、握る、割くなどの行為をするときに活性化することは従来から知られていたが、他のサルや人間がそれをしたときにも活性化することを発見したのだった。つまり、これらの行動は、単に他所の行動として理解されるのでなく、その他者の行為を自分の行為として捉えて、その意味を理解するのに役に立つのである。このF5が人間の言語を司るブローカー野へと進化したとされている。言語は元は相手の仕草や声に注意を払い、それを自分のものとして捉え、理解するところから始まっていた。
 ただ、多くの動物にとって、生きていく上でこれ以上の情報は不用だった。言語も音楽も、人間の独自な社会生活の中で有利にならなければ、進化させる必要もなかっただろう。
 相手の状態を知るには、おもに視覚要素と聴覚要素が用いられる。嗅覚も多くの動物種にとって重要な情報源であるが、嗅覚の言語を発達させるには、嗅覚は手足や口を動かすほどに随意にコントロールするのは困難だった。もし人間が自分の匂いを自在に操ることができたなら、嗅覚言語というのが存在しえたかもしれない。あるいはどこかの星にはそういう宇宙人がいるのかもしれない。ただ、人間が言語を発生させる上で、自在に操れるのは、結局「手」と「声」だけだった。ここに人間の言語は大きく言って、手話と音声言語に分けられる。
 そして、これと同様に、人間は聴覚の音楽と視覚のダンスを生み出した。ダンスも音楽に劣らずいかなる民族文化にも共通して存在するもので、人間にとって音楽が何らかの根源的なものであるなら、ダンスもそれに劣らず根源的なものと考える必要がある。音楽は音声言語と平行して進化したのであれば、ダンスもまた手話の可能性と平行して進化したにちがいない。
 手話であれ音声言語であれ、それが記号として機能するには、それが身体の生理的変化から独立しなければならない。たとえば、「痛い」という言葉は、ただ痛そうに顔をしかめて鋭い声を上げたり、痛む場所を手で押さえて体をかがめたりという仕草とは違う。今体に痛みが走っている必要はない。「イタイ」という音声が、発話者の生理的変化から独立して、完全に自由に発された時に言語となる。この場合、「イタイ」という音声は身体の生理的状態から独立した体系を持つことになる。少なくとも、この分離がないなら、「イタイ」は自分自身の状況しか表現できない。他人が痛がっていることを仲間に知らせる時に、自分がいかにも痛がっているように見えたのでは、誤解を招くことになる。自分は全然痛くも痒くもないが、痛がっている人がいるということを伝えるには、「イタイ」という音声が、本人の生理的状態から独立していなくてはならない。
 言語にしても音楽にしても、基本にあるのは、こうした身体的状態の表示とは異なる、独立した記号体系を持つ必要がある。これはどこから来たのだろうか。おそらく、それは鳴き声や身振りや表情とは違う別の体系によって、声や仕草が支配される必要がある。つまり思考と言語とが結びつかなくてはならない。
 思考は言語が生じて初めて可能になったのではない。思考は非言語的にも可能であり、だからこそ、脳の損傷などによる言語の喪失はそのまま思考の喪失になるわけではない。簡単に言えば、非言語的な思考と感情を表現する鳴き声は多くの動物に見られるが、思考と音声とを結びつけたのは人間だけなのである。
 思考は一定のいくつかのイメージを頭の中で組み合わせることで生じるが、それは必ずしも音声を必要としない。たとえば、一本の棒では届かないところにあるバナナを落とすのに、二本の棒をつなぎ合わせることを思いつくとしても、それを言葉で説明するよりは、頭の中で二つの棒がつながった状態を想像し、そしてそれを持ってバナナに向かって手を伸ばす自分を想像する方がいい。
 ただ、こうしたイメージによる思考は、具体的で確実でスピードも早いが、記憶するには適していない。そのため、思考のほとんどは、目の前に現物があるときに、その記憶が消えないうちにすばやく頭の中で操作して、何かを閃かなくてはならない。しばしばチンパンジーは人間でも思いつかないような閃きを見せる。たとえば、オルドバイ石器の作り方をボノボに教えようとした人類学者は、一生懸命石と石とを打ち付けるところを見せて教えるのだが、あるときそのボノボは突然固い床に向って石を投げつけることで、課題を達成してしまった。
 これに対し、言語を持つ人類はその場で閃く必要はない。今問題になっている解決を要する事柄を、言語で記憶することによって、夜の寝床でじっくり考えればいい。言語の持つ利点とは、まさにそれである。具体的な事物のイメージに、記号のレッテルを貼り付け、記憶することで、思考をいつでも可能にすることに成功したのだ。言語とはいわば記憶にインデックスを付けることなのである。
 チンパンジーの場合、記憶はあくまで非言語的であり、音声はあくまでその場の感情の表出の域を出ない。記憶と音声との間には何の関係もないから、音声を聞いても、そこからそのつどその声を上げた主の身体的状況を推測するだけにとどまる。人間は音声から記憶を引き出すことができる。
 音声は特定の記憶に付けられたインデックスとして機能する限り、その発話者の身体的状態とは無関係な独立した意味を持つことができる。
 音声と記憶との結びつけは、必ずしも会話によって情報を交換することがなくても、思考を持続的にし、目の前にないものでも記憶を頼りに随時考え、何かを閃くことを可能にする。そのため、この結びつけ自体は、会話なしでも子孫を残す率を高める。つまり、言語は本来記憶のインデックスとして進化した可能性がある。
 しかし、記憶と音声との結びつきは、沈黙の中では生れない。絶えず仲間と鳴き声を交わす生活が基礎にあって、その副産物として発生した可能性が高い。
 人間が共感能力を極度に発達さえ、共同で強い敵に立ち向かえるようになり、結果的に出る杭は打たれる状態になってしまったとすれば、チンパンジーやボノボ以上に頻繁に仲間の感情を気にかけ、自分が何頭かの共通した怒りの対象になることを恐れ、常に融和行動を繰り返さざるを得なくなって、頻繁に鳴き声を交わし、相手の感情の状態を確認する必要があっただろう。こうした発声の日常化がなくては音声が偶発的に記憶に結びつくことはなかっただろう。人間が「ケータイを持つサル」だというのは、ここに一つの真実がある。人間は意味のない音声のキャッチボールを日常化させたところから、偶発的にそれを思考の道具にすることを覚えたのではなかったか。人間が「言語を持つサル」になる以前には、ただただ無意味な音声を延々と交わし続ける「かしましいサル」だった時代があったにちがいない。
 ひとたび記憶と音声を結びつけ、現前にないものについての任意な想起と思考が可能になると、野の能力は人間関係の中で常に多数派に立ち回り出る杭にならないために用いられ、生存競争の上で有利に機能する。ならば、その遺伝子は次第に全体へと広がって行くだろう。相変わらず会話の大半は無意味な音声だったにしても、時折有意義な音声が会話に差し挟まれることも起ってきただろう。こうして、最初の言語は感情を示す音声の波の上に木葉か筏が漂うように、しばしば意味のある単語が挿入されるような形で生じたであろう。それは感情的に高ぶった「ウオー」という警戒音にはさまれた、「ウオーーー蛇蛇ウオーーー」というようなものだったかもしれない。あるいは毛づくろいをしながら「グルルルル、好きグルルルルル、可愛いグルルルー」といったものだったかもしれない。深層文法が進化する以前に何らかの原型言語が存在するとしたら、こういうものだっただろう。
 文法はこれに対して、自分の話ではなく他人の話をするところから必要になったのではなかったか。たとえば、「好き」といえば、そのままだと、「私はあなたが好き」という意味になる。誰が誰を好きかを伝えるには、文法が必要になる。「食べる」もそれだけだと、自分がものを食べたいのだという意味になる。あるいはそのために食べ物をよこせという意味にもなる。しかし、誰かに食べ物を上げなさいということを言おうとすれば、文法が必要になる。最初の言語は述語だけで、主語は発話者本人に限られた。チンパンジーの手話の大半もこのようなものだ。これに対し、主語が他の者に入れ替わる時に文法が必要になる。「食べる」が自分が食べたいという意味ではなく、誰か別の者が食べるということを言おうとした時、主語が自分ではないということを指示するために文法が必要になる。
 こう見ると、文法の起源は「噂話」にあったのかもしれない。これこそチンパンジーの手話に欠けていたことではなかったか。人間は共同して戦う。そのため相手の心を静めるだけでなく、他人が何を考えていて、何をしようとしているかということを頻繁に伝え合う必要が生じた。そこで他人の話をするために、主語が明示される必要があった。原始的な文法は主語の特定から始まった。ここに、 「グルルルル、好きグルルルルル、可愛いグルルルー」は「あの娘グルル、好きグルルルー、あんたグルル、可愛いグルルルー」に変化していったのではなかったか。
 音声を記号として使うには、音声をカテゴライズする必要がある。つまり、一つ一つの音声が個別の音として認識されたなら、同じ音は二度と生じないし、それでは記号にはならない。この場合音をたとえば風の音、動物の足音、川の音、雷の音というふうに分類するのではなく、記号として用いる音を切り出さなくてはならない。つまり、それ自体としては意味がなく、組み合わせで意味が生じるような音の体系が必要になる。これはきわめて高度なことなので、最初はおそらく一音節語から始まったのだろう。たとえば「あー」は私、「おー」はあなた、「うー」はあそこにいるあいつ、みないに。そして、この記号音は通常の鳴き声音と区別されなくてはならない。ここに、それまでの鳴き声から相手の感情を読み取るシステムとは別のシステムが必要になる。ある種の音声は特定の記憶を想起させるように設定されなければならない。
 ここに母音と子音を解析する新しいモジュールが必要になり、母音と子音が明瞭に特定できるものに関しては、一定の記憶を想起させ、特定困難な音声は単なる鳴き声として処理することになる。この二つの分割は、鳴き声があくまで呼吸の情報だということに気付けば、それほど難しいものではないことがわかる。つまり、言語音は呼吸ではなく別の秩序を持つ音声であればいいわけである。それは一種のADSLと考えればいい。つまり呼吸のリズムよりはるかに速いリズムを持つ要素を同時に流せばいいのである。
 今日の我々の言語も、音声の記号でありながら、一方でそこから声音やイントネーションで別の情報を引き出している。これはしばしば音声の内容とイントネーションのずれから、相手が心にもないことをいっているだとか、感情を偽っているだとか判断する元になる。同じ「愛してる」というメッセージでも、真剣な告白なのか、軽い会釈程度のものなのか、からかっているのか、判断する。これができるのも、イントネーションはゆっくりとした呼吸のうねりで表現されるのに対し、言語の音素は0.何秒かの速いテンポで繰り出される。人間の言語は鳴き声というアナログ回線の上に、音素という高速のデジタル信号を同時に送るADSLのようなものなのである。
 人間はある時点から、鳴き声に音素のある短いメッセージを乗せるようになったと考えられる。そして、この短いメッセージは記憶を想起させた。
 記憶というのは、現前記憶のように一枚の絵として記憶されることもあるが、通常それは長期間保存することができず、たいていの記憶は様々な要素に分解され、思い出すときはそれを再構成する。この要素に分解する際に、既に非言語的な概念が生じている。たとえばリンゴの実を覚える時にはリンゴの丸い形状、赤い色、つやつやした肌触り、爽やかな匂い、食べた時の甘酸っぱい味、などに分解される。だから、つい三分前まで見ていたリンゴを絵に書けと言われても、大雑把なリンゴの形はかけるが、さっきあったリンゴに固有の微妙な色合いや模様、傷の位置などを正確に再現するのは難しいい。我々がリンゴを「りんご」という音声と結びつけるときも、一個一個の個別のリンゴではなく、記憶の中のリンゴに結び付けているのである。それはかつて見たリンゴの平均的なイメージにすぎない。それはあの時見たあのリンゴでもなければ、植物学的な概念としてのリンゴでもない。
 しかし、我々は決してリンゴとかミカンとか、そういう事物だけを記憶したのではない。むしろ我々の記憶の多くは、社会生活の中で誰が何をしたかであり、リンゴはその中でいつ誰が何個リンゴをもってきて、それをどう分けただとか、あの時俺のリンゴを十個もあいつにやっただとか、あくまで社会生活の中でのリンゴだった。そのため、それを記憶するには、主語、述語、目的語を明確にする必要があった。そこから、単語の発達と文法の発達はほぼ平行して起ったにちがいない。
 鳴き声と言語は、リズムの違いによって明白に識別される。鳴き声は音声がゆっくりと連続的に変化するのに対し、言語音は早いリズムで異なる音素が次々と繰り出される。我々の発声はこの二つを同時に平行して行い、聞く人はそれを同時に聞きながら、脳の中では違う場所で並列処理される。しかし、ここにわれわれは「音楽」を見出すことはできない。果たして音楽は言語と同時に進化したのだろうか。あるいは音楽と言語が未分化で、歌うように喋っていた時代があったのだろうか。
 音楽は言語音を解析するのとは全く違った秩序によって構成される。それは音階とリズムであり、これは必ずしも言語に必要とされるものではない。
 音楽の起源がどこにあるのかは、何をもって音楽と呼ぶかによって違ってくる。たとえば風に木の葉のそよぐ音やそれに混じって聞こえてくる鳥や虫の声を自然の音楽だというのであれば、音楽は起源を持たない。大地に生物がいなかった頃でも、風が石を吹きつけたり、雨や雷や火山の噴火の音、水の流れる音、間欠泉の音などは存在しただろう。宇宙の最初にはビッグバンの音というのもあったかもしれない。
 虫の音や小鳥のさえずりを歌と呼び、音楽だというのであれば、音楽は何億年もの歴史を持っていることになる。まだ言語の進化する以前の初期の人類が、感情を表現するためにしきりに発声していたとすれば、それもまた歌と言えるかもしれない。しかし、それはサルの声が歌だという程度のものでしかない。テナガザルは確かに長くて微妙なメロディーを持ったロングコールを行い、六朝時代の中国の古詩にも、

 巴東山峡巫峡長  猿鳴三声涙沾裳

 巴東はとう山峡さんきょう巫峡ふきょうながく、
 さるのたびたびこえなみだ裳裾もすそらす。

うたわれ、盛唐の詩人の杜甫も「聴猿実下三声泪(猿を聴き三声の泪下る)」と詠んだ。
 黒田末寿の『ピグミーチンパンジー』(1982、筑摩書房)によれば、ボノボの群も夕暮になると全員で大声で「ウワック・ウワック・ウワック」と大合唱をするという。

 「私たちは、ボケラと呼ばれる小川の東岸に出た。あたりは再び原生林となっていたが、森の闇はすでに夜の闇におきかえられつつあった。虫の音が一段と高くなっている。
 エレメが、『おや』と止まった。私たちは耳を澄ましたが、聞こえるものは『ニエェ‥‥』とバイブレーションのかかったうるさいセミの声だけだ。私たちは、ボケラ川に沿ってゆっくりと北上した。と、一瞬、耳を覆っていたセミの声が途切れた。
 今度は私にもはっきり聞こえた。それは、『プアプアプア‥‥』と早いテンポで何かをゆすっているような調子の、かぼそく丸いやさしい声だった。コイとエレメの顔つきは、それがまぎれもなくビーリャ[ボノボ]の声だと私に教える。もし彼らがあれは森の妖精たちの声だよといったら、私は半分信じたにちがいない。それほどひそやかで、しかも楽しげな響きをもった歌声であった。私たちは、ボケラ川の浅い流れを渡り、夜の闇がしのび寄った森の中を歌声の主たちに向かって進んだ。だが、近づくにつれ、歌声のひそやかさはかなぐり捨てられ、『ワカワカワカ‥‥』という力強い合唱に変化し、ついには『ウワック・ウワック・ウワック』と喉の奥からしゃくり上げるわめき声の斉唱となった。こんな醜いわめき声が、あんなにも優しい歌声に聞こえていたとは!私の耳は森にだまされていたのである。木々の葉がフィルターとなって、ビーリャの合唱の中の美しい部分だけを選りすぐり、ひそやかな妖精の歌声にしたてて流していたのだ。
 ビーリャたちは、すでに枝を折り重ねて作った樹上のベットに入っていた。一頭が、『ウョッ・ウョッ』とシャックリのような声を出しはじめると、たちまち全員が加わって、『ウワック‥‥』とやりだす。合唱は10秒から20秒続いてやみ、またしばらくして繰り返す。それはもう、楽しくてしょうがないのに怒鳴ることしかできない連中のようで、学生のコンパのクライマックスの様子にも似ている。聞けば、ビーリャはいつも夕方このようになくのだという。」(『ピグミーチンパンジー』黒田末寿、1982、筑摩書房、p.27~28)

また、きわめて稀ではあるが、チンパンジーも大雨の時に集団で叫んで踊り出すことがあるという。

 「興味あることに、ジェーン・グドールは、アニミズムの起源と思われる行動をゴンベ川保護区のチンパンジーで観察している。それは雨期がはじまったばかりの頃て、曇り空の陰うつな朝のことだ。いつものように彼女は、イチジグの木で採食するチンパンジーの一群を観察していた。やがて雨が降りだす。大粒の雨が木の葉を、チンパンジーを、グドールを激しくたたきつける。彼女はチンパンジ-たちが背を丸めてすわりこみ、哀れっぽい恰好で土砂降りの雨がやむまでじっと待つものと思っていた。ところが、次に見たものは、彼女にとっても、思慮深い進化論者たちにとっても、忘れることのできない光景だった。雨が本降りになると、一五頭以上いたチンパンジーは、全員が、採食していたイチジグの木を下り、険しい草の斜面をとぼとぼと登って、裸地になっている尾根に向かう。メスは尾根近くの木に登り、オスは尾根の裸地にしゃがみこむ。突然、空がみえたかと思うと雨足が一層強くなり、谷間にすむ動物たちが仰天するほどの雷鳴がとどろく。
 すると、時機到来とでもいうかのように、一頭の大柄なチンパンジーが立ち上がり、両足でリズミカルに体を左右に揺すり、金切声をあげる。そして頭から突っこむように勢いよく尾根を駆けおりる。続いて別のチンバンジーが立ち上がり、士砂降りの雨に向かって叫び戸をあげ、急斜面を疾走する。次から次へと続く。走りながら木の枝を折り、その枝を空に向かって打ちふり、地面に投げつけるものもいる。木の枝を引きずり、それを周囲の木にたたきつけながら走るものもいる。
 予期せぬ光景に唖然としたまま、彼女は観察ノートを開きもせずにすわっていたが、それてもこのディスブレイほすぐに終るだろうと思った。ところが最後のオスが、天に叫び地をたたきはじめると、最初に尾根を駆けおりたオスが再び斜面を登っていくではないか。続いて他のオスたちも戻っていく。そして20分後には七頭のおとなのオスが尾根の裸地に戻っていて、彼らは後足で立ち上がり、握りこぶしをふり、木の枝をふりまわし、雷鳴や稲妻や降りしきる雨に向かって叫び声をあげ、やがて木の枝を投げつけながら、雨てすべりやすくなった斜面を再び駆けおりる。グドールがこうした仲間どうしの『レイン・ダンス』を見たのは、その後10年の間にたったの二回である。(『結婚の起源』ヘレン=E=フィッシャー、1983、どうぶつ社、p.232~234)」

 こうした音楽が初期人類にもあったことは十分考えられる。こうした発声が、やがて言語と音楽に分離していったとすれば、それが最初の原型言語と言えなくもない。スティーブン・ミズンのいう、「Hmmmm」というのも、基本的には今日の類人猿の発声とそう変わらない。ボノボの合唱はすでに「Hmmmm」そのものだと言ってもいいのかもしれない。あとは量的な問題である。
 スティーブン・ミズンの「Hmmmm」とは、全体的(Holistic)、多様式的(multi-modal)、操作的(manipulative)、音楽的(musical)の略でもあるが、これをHmmmmと表記するときには、歌のハミング(Humming)の部分を歌詞として書き表す表記を同時にイメージしているのだろう。だから、これは節をつけて鼻歌で「フムムム~」と発音すればいいのか。

 「600万年前の共通祖先の時代から200万年前の初期ホモ属までに起こった解剖学や食料探しや社会生活の変化は、ホミニドのコミュニケーション体系に大きな影響をおよぼした。一番の問題となるのは、単に現代の類人猿やサルと基本的に同じ種類の発声や身振りが多様化し、表出量が増えたにすぎないのか。発声や身振りの種類そのものに変化が生じたのかという点だ。類人猿とサルの発声や身振りが、構成的・指示的ではなく、全体的・操作的であることは前章で示した。初期ホミニドではちがっていたとする理由が私には見つからない。‥‥略‥‥
 私見では、類人猿やサルのコミュニケーションと対照的だったのは、身振りと音楽的な発声の量が増えたことだ。ちがいをはっきりさせるために、初期ホミニドのコミュニケーション体系を『Hmmmm』全体的(Holistic)、多様式的(multi-modal)、操作的(manipulative)、音楽的(musical)と呼ぶことにする。いずれの特徴も現代の類人猿やサルのコミュニケーションに見られるものだが、初期ホミニドではすべてた統合されていたのではないだろうか。その結果が、今日の非ヒト霊長類のコミュニケーションより複雑で、人の言語とはまったく異なるコミュニケーション体系だったと思われる。」(『歌うネアンデルタール』スティーブン・ミズン、2006、早川書房、p.196~197)

 こうしたHmmmmが基礎にあって、そこに時折記憶と結びつく特定の音素、つまり単語が乗っかるようになり、やがてそれが二語、三語とつながり、主語が誰かを示す簡単な文法が備わっていった時、D・ビッカートンのいう「原型言語」が生じたのであろう。この原型言語は今日の片言の外国語のようなたどたどしいものではなく、Hmmmmの大波の上に揺れる木の葉のように、感情を示す鳴き声の体系の上に追加された別のコミュニケーション体系だったのであろう。
 しかし、このHmmmmは音楽だったのだろうか。音楽と言えば音楽だが、音階や特定のリズムを持たないという点では、音楽ではない。音階や特定のリズムのない発声を音楽と呼ぶなら、ボノボの集団的絶叫もテナガザルのロングコールも音楽と呼ぶべきだろう。その点では、人間特有の「音楽」が成立するには、音階とリズムの秩序の発見が不可欠だった。そして、その起源は、おそらく絵画の成立などと同様、それほど古くはない、いわゆる5万6千年前のビックバンに由来するものであり、その点ではクロマニヨン人は歌っていただろうが、ネアンデルタール人が果たして歌っていたかどうかは微妙だ。