「故艸」の巻、解説

天和三年夏

初表

 故艸垣穂に木瓜もむ屋かな      麋塒

   笠おもしろや卯の実むらさめ   一晶

 ちるほたる沓にさくらを拂ふらん   芭蕉

   市に小言をになふあさ月     麋塒

 ややさぶの殿は小袖をうちかけて   一晶

   紅白の菊かぜに碁を採      芭蕉

 

初裏

 しづかなる卵塔雨の日をくらく    麋塒

   とねりは縁をかりて居ねぶる   一晶

 楊弓のそれ矢は御簾にとどまりて   芭蕉

   上気の神といはふ三線      麋塒

 烏羽たまの裸を箔に彩けり      一晶

   密夫はぢよいのちつれなき    芭蕉

 あさがほのくねるにゆすりをこされて 麋塒

   うしと髪きる葛のいつはり    一晶

 母の親にあまえて月を背けをり    芭蕉

   うもれてはてぬ身を支離にて   麋塒

 通夜堂のかいくれ花をのぞくころ   一晶

   さくら子消てつり鐘に垂     芭蕉

 

 

二表

 春風の池にかがみをほり出す     麋塒

   烏は縁をつづるふくどり     一晶

 院の田に餅米刈らん君とつれて    芭蕉

   青萩ぞめのはかま織らする    麋塒

 風のきぬけぶりの音をや括らむ    一晶

   月野をたどる道行の感      芭蕉

 あたらしき塚ゆさゆさとぞ呼凄し   麋塒

   奢をのちの臣にいさめる     一晶

 千金はいやしく糞土をたからとす   芭蕉

   麗姫もすつればあぶらくさしや  麋塒

 吉原の三十年を老のつくも髪     一晶

   ねやのはしらに念仏書おく    芭蕉

 

二裏

 よもぎふに火をけす狐来ざりけり   麋塒

   ひとり鞁弓をつくすよすがら   一晶

 嶋もりの髭等に酒を買せつつ     芭蕉

   松に巣をもる蝙蝠の千代     麋塒

 俳諧のそらごとはなの浮狂人     一晶

   馬蹄に鼓おくるはるかぜ     芭蕉

 

      参考;『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 故艸垣穂に木瓜もむ屋かな    麋塒

 

 故艸は「へぼちぐさ」と読むがどのような草なのかは不明。表記は「胡草」が正しいという。食用にする蜂の幼虫を「へぼ」というが、それと関係があるのか。

 

 「日本には6世紀に華南系キュウリが中国から伝わったとされるが、明治期に華北系キュウリが入ってきたといわれ、本格的に栽培が盛んになったのは昭和初期からである。仏教文化とともに遣唐使によってもたらされたとみられているが、当初は薬用に使われたと考えられていて、空海が元祖といわれる「きゅうり加持」(きゅうり封じ)にも使われてきた。南伝種の伝来後、日本でも江戸時代までは主に完熟させてから食べていたため、「黄瓜」と呼ばれるようになった。完熟した後のキュウリは苦味が強くなり、徳川光圀は「毒多くして能無し。植えるべからず。食べるべからず」、貝原益軒は「これ瓜類の下品なり。味良からず、かつ小毒あり」と、はっきり不味いと書いているように、江戸時代末期まで人気がある野菜ではなかった。」

 

とある。当時は瓜というと甜瓜(まくわうり)で胡瓜はあまり好まれなかったようだ。

 ここでも黄色くなった完熟胡瓜だったのだろうか。薄切りにして塩で揉み、酢で和える食べ方は今と一緒だったか。

 垣穂に雑草がはびこり、あまり人の食わない胡瓜を食うこの家の主人は麋塒自身なのだろう。

 この歌仙の成立が天和三年夏、甲斐国滞在中とされる根拠は、其角編の『枯尾花 芭蕉終焉記』に、

 

 「天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかつぎて、煙のうちに生のびけん。是ぞ玉の緒のはかなき初め也。爰に猶如火宅の變を悟り、無-所住の心を發して、其次の年、夏の半に甲斐が根にくらして、富士の雪のみつれなければと、それより三更月下入無-我といひけん、」

 

とあるためだ。実際には江戸の八百屋お七の大火と呼ばれる火災は天和二年の冬だったので、天和三年の冬とあるのは其角の記憶違いとして、この歌仙興行は天和三年の夏とされている。疑いも持つ者もいるが、今のところ芭蕉がこの夏に甲斐にいなかったとする確実なアリバイはない。

 

季語は「木瓜」で夏。「故艸」は植物、草類。「屋」は居所。

 

 

   故艸垣穂に木瓜もむ屋かな

 笠おもしろや卯の実むらさめ   一晶

 (故艸垣穂に木瓜もむ屋かな笠おもしろや卯の実むらさめ)

 

 卯の花(ウツギの花)は花が終わるとすぐに小さな実を付ける。笠にその実が当たってばらばら音を立てると村雨のようだ。

 

季語は「卯の実」で夏、植物、木類。

 

第三

 

   笠おもしろや卯の実むらさめ

 ちるほたる沓にさくらを拂ふらん 芭蕉

 (ちるほたる沓にさくらを拂ふらん笠おもしろや卯の実むらさめ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は玉屑の「閩僧可士送僧詩」の「笠重呉天雪 鞋香楚地花」の句を引いている。「笠重呉天雪」の方は天和二年に、

 

 夜着は重し呉天に雪を見るあらん 芭蕉

 

の句を詠んで、天和三年刊の其角編『虚栗』に収録されている。

 ここでは飛び回る蛍を散った桜の花びらの空中に漂うのに喩え、「鞋香楚地花(靴は楚地の花を香らす)」に倣って沓でその花(蛍)をはらうのだろうか、とする。桜はあくまで比喩なので「らん」と疑って結ぶ。

 笠には卯の実の村雨を重ね、沓には蛍が花のように香る。漢詩の対句を踏まえた相対付けになる。

 

季語は「ほたる」で夏、虫類、夜分。

 

四句目

 

   ちるほたる沓にさくらを拂ふらん

 市に小言をになふあさ月     麋塒

 (ちるほたる沓にさくらを拂ふらん市に小言をになふあさ月)

 

 蛍を払いながら歩く人を明け方に市に向かう人とする。何を売る人なのかよくわからないが、小言の多い人なのだろう。あさ月だけにアサツキ(浅葱)かとも思ったが、季節が合わない。

 

季語は「あさ月」で秋、天象。

 

五句目

 

   市に小言をになふあさ月

 ややさぶの殿は小袖をうちかけて 一晶

 (ややさぶの殿は小袖をうちかけて市に小言をになふあさ月)

 

 朝なので寒くて小袖を軽く肩にひっかけて、「殿」と呼ばれる人は何やら偉い人なのか、市の責任者に苦言を呈す。

 

季語は「ややさぶ」で秋。「殿」は人倫。「小袖」は衣裳。

 

六句目

 

   ややさぶの殿は小袖をうちかけて

 紅白の菊かぜに碁を採      芭蕉

 (ややさぶの殿は小袖をうちかけて紅白の菊かぜに碁を採)

 

 前句の「うちかけて」を碁の「打ち掛け(途中休憩)」と掛けて、碁の場面とする。

 打ち掛けになったので小袖をうち掛けて、ふと庭を見れば紅白の菊までが碁石に見えてくる。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

初裏

七句目

 

   紅白の菊かぜに碁を採

 しづかなる卵塔雨の日をくらく  麋塒

 (しづかなる卵塔雨の日をくらく紅白の菊かぜに碁を採)

 

 卵塔は無縫塔のこと。かつては墓石に多く用いられた。黒羽にある翠桃の墓もこれの土台のないタイプだ。僧の墓に多いという。

 前句を墓前に供える菊とする。

 

無季。「雨」は降物。

 

八句目

 

   しづかなる卵塔雨の日をくらく

 とねりは縁をかりて居ねぶる   一晶

 (しづかなる卵塔雨の日をくらくとねりは縁をかりて居ねぶる)

 

 とねり(舎人)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 天皇、皇族などに近侍し、雑事にたずさわった者。令制下では内舎人・大舎人・東宮舎人・中宮舎人があり、内舎人は貴族の子弟から、大舎人以下は下級官人の子弟または庶人から選任した。舎人男。

  ※古事記(712)序「時に舎人有りき。姓は稗田、名は阿礼」

  ② 授刀舎人寮および衛府の兵士。

  ※三代格‐七・延暦一四年(795)五月九日「衛府舎人係二望軍毅一、今廃二兵士一其望已絶」

  ③ 「ちょうない(帳内)」または「資人(しじん)」のこと。

  ※続日本紀‐和銅三年(710)七月丙辰「左大臣舎人正八位下牟佐村主相摸」

  ④ 貴人に随従する牛車の牛飼、馬の口取りなどの称。舎人男。

  ※宇津保(970‐999頃)俊蔭「とねり、ざうしきをばうちしばらせなどし給ふ」

  ⑤ 旧宮内省の式部職に置かれた判任の名誉官。他の宮内判任官と兼任し、典式に関する雑務に従事するもの。〔宮内省官制(明治四〇年)(1907)〕」

 

 ⑤は近代の舎人。

 前句を貴族の来るような大きなお寺の卵塔とし、主人が墓参りをしている間、お付の舎人は居眠りしている。

 

無季。「とねり」は人倫。

 

九句目

 

   とねりは縁をかりて居ねぶる

 楊弓のそれ矢は御簾にとどまりて 芭蕉

 (楊弓のそれ矢は御簾にとどまりてとねりは縁をかりて居ねぶる)

 

 楊弓(やうきゆう)はウィキペディアに、

 

 「楊弓(ようきゅう)とは、楊柳で作られた遊戯用の小弓。転じて、楊弓を用いて的を当てる遊戯そのものも指した。弓の長さは2尺8寸(約85cm)、矢の長さは7寸から9寸2分とされる。中国の唐代で始まったとされ、後に日本にも伝わり、室町時代の公家社会では、「楊弓遊戯」として遊ばれた。」

 

とあり、江戸時代には矢場で用いられた。

 ここでは貴族の館で縁側で舎人が居眠りしているところに、遊ぶ子供の放った矢が奥の御簾を直撃してしまったのだろう。

 

無季。「御簾」は居所。

 

十句目

 

   楊弓のそれ矢は御簾にとどまりて

 上気の神といはふ三線      麋塒

 (楊弓のそれ矢は御簾にとどまりて上気の神といはふ三線)

 

 「上気」は「うはき」。

 前句を御座敷での遊びとしたか。誰かがふざけて放った矢が御簾に当たり、周囲は浮気の神を祝うかのように三味線を掻き鳴らし、宴たけなわ。

 

無季。恋。神祇。

 

十一句目

 

   上気の神といはふ三線

 烏羽たまの裸を箔に彩けり    一晶

 (烏羽たまの裸を箔に彩けり上気の神といはふ三線)

 

 「烏羽たま」は「うばたま」、「彩けり」は「いろへけり」。

 「うばたま」は夜にも掛かる枕詞だから、別に遊女が色黒だったということではないのだろう。一般に夜の商売の女性は豪華な衣装で着飾っているから、それを「箔に彩けり」としている。前句の上気の神の御神体なのだろう。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   烏羽たまの裸を箔に彩けり

 密夫はぢよいのちつれなき    芭蕉

 (烏羽たまの裸を箔に彩けり密夫はぢよいのちつれなき)

 

 密夫は「まをとこ」。間男恥じよ、命つれなき。

 当時不倫は死罪だから、命が惜しかったら間男などせずに遊郭で遊んだ方がいいというとこか。

 延宝九年秋の「世に有て」の巻十句目に、

 

   嬉しきや女房のせいて泣付を

 恋あぶれたる弟手討に      揚水

 

の句があり、後の貞享元年九月、露沾邸での「時は秋」の巻二十二句目に、

 

   楢の葉に我文集を書終り

 弟にゆるす妻のさがつき     露荷

 

の句がある所から、案外『芭蕉二つの顔』(田中善信、1998、講談社)にある芭蕉と寿貞は夫婦で甥の桃印と三角関係になったため、桃印が社会的に葬られたという説は本当だったのかもしれない。

 

無季。恋。「密夫」は人倫。

 

十三句目

 

   密夫はぢよいのちつれなき

 あさがほのくねるにゆすりをこされて 麋塒

 (あさがほのくねるにゆすりをこされて密夫はぢよいのちつれなき)

 

 朝顔は命の儚さを教訓として語るのにうってつけなのだろう。密夫は朝まで寝ていて夫に見つかり、命が惜しかったらもう来るなと諭される。やさしい夫だった。

 天和二年暮の「飽やことし」の巻十九句目にも、

 

   薄も白くたぶさ刈る鎌

 朝顔は道哥の種をうへたらん   其角

 

の句がある。

 

季語は「あさがほ」で秋、植物、草類。恋。

 

十四句目

 

   あさがほのくねるにゆすりをこされて

 うしと髪きる葛のいつはり    一晶

 (あさがほのくねるにゆすりをこされてうしと髪きる葛のいつはり)

 

 朝顔はその命の短さを儚んで、葛(くず)という不義な男から遁れるべく出家する。

 『源氏物語』の朝顔の姫君をふまえるなら、クズは源氏の君であろう。

 

季語は「葛」で秋、植物、草類。恋。釈教。

 

十五句目

 

   うしと髪きる葛のいつはり

 母の親にあまえて月を背けをり  芭蕉

 (母の親にあまえて月を背けをりうしと髪きる葛のいつはり)

 

 「母の親」は「めのおや」。『枕草子』第六十七段に、「覚束なきもの十二年の山ごもりの法師の女親(めおや)。」とある。

 母親に甘えて悪いことばかりしていた息子が出家するといって出て行ってしまった。本当に山で修行していることやら、わかったものではない。

 「月を背く」というのは真如の月に合わす顔がない、ということか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「母の親」は人倫。

 

十六句目

 

   母の親にあまえて月を背けをり

 うもれてはてぬ身を支離にて   麋塒

 (母の親にあまえて月を背けをりうもれてはてぬ身を支離にて)

 

 支離は「かたは」と読む。

 母の厄介になりながらも、月に背いて隠棲する身を、生まれつき体に障害があるからだとする。

 

無季。「身」は人倫。

 

十七句目

 

   うもれてはてぬ身を支離にて

 通夜堂のかいくれ花をのぞくころ 一晶

 (通夜堂のかいくれ花をのぞくころうもれてはてぬ身を支離にて)

 

 「通夜堂(つやだう)」はウィキペディアに、

 

 「通夜堂(つやどう)とは、夜を通して仏事を勤行するために、寺の境内に設置されたお堂。夜通しお勤めをすることを「通夜」と言う。」

 

とある。

 「かいくれ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(動詞「かきくれる(掻暗)」の連用形から)

  [1] 〘名〙 すっかり日が暮れること。

  ※俳諧・沙金袋(1657)興「茶𣏐竹かいくれ日くれか三ケの月〈光正〉」

  [2] 〘副〙 (打消の語を伴って用いる。「に」を伴うこともある) 全くわからない、また、見えないさまにいう。まるっきり。さっぱり。かいもく。

  ※雑兵物語(1683頃)下「鑓蒙はどっちへつんぬけたかかいくれ見へない」

  [補注]暗くなって見えないところから行方がわからない意味の述語にかかる事が多い。「お染久松色読販‐中幕」に打消の伴わない「昨日こなたの跡をかいくれ尋(たづね)たは、嫁菜の苞(つと)の」の例が見られるが、「かいくれ」に「全くわからない」の打消の意を含ませた表現と思われる。」

 

とある。この場合は打ち消しの言葉を伴わないので[1]の方。

 桜の季節の通夜堂の花見の人も帰り、日が暮れて真っ暗になったころ、人目を忍ぶように障害のある人がお参りに来る。

 

季語は「花」で春、植物、木類。釈教。「かいくれ」は夜分。

 

十八句目

 

   通夜堂のかいくれ花をのぞくころ

 さくら子消てつり鐘に垂     芭蕉

 (通夜堂のかいくれ花をのぞくころさくら子消てつり鐘に垂)

 

 「さくら子」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「『万葉集』巻十六に見える伝説の主人公」とある。

 二人の男から求婚されてどちらも選べずに自殺した女に二人の男が和歌を詠むというものだが、実話かどうかはわからない。そういう設定で二人の男が歌を詠むという歌合せだったのかもしれない。

 歌合せではないかというのは、その次に御丁寧にも同じような設定で三人の男から求婚されて、やはり三人の男が歌を詠むというのがあるからだ。ここでは鬘子という名前になっている。

 この後に続くのが竹取の翁の歌だが、これは『竹取物語』とは似ても似つかぬハーレム展開で、いわば九等分の花嫁だ。でなければ異仙界でハーレムをといったところか。まあ、こういう物語は万葉の頃の人も好きだったんだろうな。

 その「さくら子」は「樹に懸りて経き死にき」とあるから首を吊ったのだろう。それを踏まえてここでは「つり鐘に垂(たる)」とする。通夜堂だけに釣り鐘のように首を吊った。

 

季語は「さくら」で春、植物、木類。釈教。

二表

十九句目

 

   さくら子消てつり鐘に垂

 春風の池にかがみをほり出す   麋塒

 (春風の池にかがみをほり出すさくら子消てつり鐘に垂)

 

 前句を桜は消えて釣鐘が下がっているとして、それと対になるように桜を散らした春風は池を桜の映る鏡に作り替えたとする。頭上の桜は消えたが足もとの池にそれを映した鏡出現する。いわゆる花筏のことだ。

 

季語は「春風」で春。「池」は水辺。

 

二十句目

 

   春風の池にかがみをほり出す

 烏は縁をつづるふくどり     一晶

 (春風の池にかがみをほり出す烏は縁をつづるふくどり)

 

 八咫鏡に八咫烏の縁か。八咫は大きいという意味だという説もあるが、ともに天照大神に由来するという説もある。

 池から掘り出された鏡は御神体として祀られ、そこに縁を結んでくれる烏が現れる。そんな神話がありそうだな、というところか。

 

無季。「烏」は鳥類。

 

二十一句目

 

   烏は縁をつづるふくどり

 院の田に餅米刈らん君とつれて  芭蕉

 (院の田に餅米刈らん君とつれて烏は縁をつづるふくどり)

 

 院は「おりゐ」と読む例もあるが、ここでは「いん」でいいのだろう。前句の神話っぽさから、

 

 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ

     我が衣手は露に濡れつつ

              天智天皇(後撰集)

 

を思い起こしたか。

 

季語は「餅米刈」で秋。「院」「君」は人倫。

 

二十二句目

 

   院の田に餅米刈らん君とつれて

 青萩ぞめのはかま織らする    麋塒

 (院の田に餅米刈らん君とつれて青萩ぞめのはかま織らする)

 

 萩は万葉の時代に染色に用いられた。榛(はり)と表記されたもののいくつかは萩ではないかとされている。緑の葉っぱを用いるので「青萩」になる。そんなに鮮やかな色ではなかっただろう。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。「はかま」は衣裳。

 

二十三句目

 

   青萩ぞめのはかま織らする

 風のきぬけぶりの音をや括らむ  一晶

 (風のきぬけぶりの音をや括らむ青萩ぞめのはかま織らする)

 

 前句の青萩染めの袴を比喩として、風の絹に煙の音が括り染めにするとする。

 「煙の音(ね)」は実際のは存在しない煙で、風の音が煙のようだということか。

 おそらく、

 

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども

     風の音にぞおどろかれぬる

              藤原敏行(古今集)

 

によるもので、「風のきぬ」は「風の絹(衣)」と「風の来ぬ」に掛けて、目にはさやかに見えない秋風を「けぶりの音」と表現したのだと思う。

 秋は三句続けなければならないが、季語と思われるものはなが、ここでは意味的に秋風の句ということになる。

 

 何となう柴吹く風もあはれなり  杉風

 

の句が言外に「秋風」を込めたもので秋の句になるのと同じに考えればいい。

 

季語は意味的に「秋風」で秋。

 

二十四句目

 

   風のきぬけぶりの音をや括らむ

 月野をたどる道行の感      芭蕉

 (風のきぬけぶりの音をや括らむ月野をたどる道行の感)

 

 絹のような風の煙のような音を聞くと、月が果てしない野原(武蔵野のような)をたどっているかのような感がある。武蔵野を旅するとあたかも月がどこまでもついてくるかのように感じられるのを「月野をたどる」とした。

 前句の実在しない幻のような比喩表現に「感」で応じる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

二十五句目

 

   月野をたどる道行の感

 あたらしき塚ゆさゆさとぞ呼凄し 麋塒

 (あたらしき塚ゆさゆさとぞ呼凄し月野をたどる道行の感)

 

 これはお盆の夜に地獄の釜の蓋が開き、死者がこの世に舞い戻ってくるということだろう。亡くなったばかりの人の初盆で、塚から抜け出て戻ってくる。今だとゾンビを連想しそうだが。

 芭蕉の元禄二年に詠む、

 

 塚も動け我泣声は秋の風     芭蕉

 

の句のイメージの元になったかもしれない。

 

無季。

 

二十六句目

 

   あたらしき塚ゆさゆさとぞ呼凄し

 奢をのちの臣にいさめる     一晶

 (あたらしき塚ゆさゆさとぞ呼凄し奢をのちの臣にいさめる)

 

 崩御した先帝が驕り高ぶる臣下を諫めるために墓から抜け出した。

 

無季。「臣」は人倫。

 

二十七句目

 

   奢をのちの臣にいさめる

 千金はいやしく糞土をたからとす 芭蕉

 (千金はいやしく糞土をたからとす奢をのちの臣にいさめる)

 

 「糞土」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (古くは「ふんと」)

  ① 糞と土。また、腐った土。汚ない土。

  ※正法眼蔵(1231‐53)行持下「金銀珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし」 〔管子‐揆度〕

  ② 転じて、きたないもの、卑しむべきもののたとえ。

  ※薩長土肥(1889)〈小林雄七郎〉四藩政府即聯立内閣「彼等は戊辰前後より廃藩置県に至るまで天下人士の糞土視し」 〔春秋左伝‐僖公二八年〕」

 

とある。

 この正法眼蔵の言葉に限らなくても、金銀を卑しむ考え方は仏教や老荘思想ではそんなに珍しいものではない。「千金は卑しく糞土をたからとす」という金言もいかにもありそうだ。前句の臣を諫めた言葉とする。

 「糞土をたからとす」は農業に励めとも取れる。

 

無季。

 

二十八句目

 

   千金はいやしく糞土をたからとす

 麗姫もすつればあぶらくさしや  麋塒

 (千金はいやしく糞土をたからとす麗姫もすつればあぶらくさしや)

 

 麗姫(りき)は驪姫(りき)ではないかと『校本芭蕉全集 第三巻』の注にある。ウィキペディアには、

 

 「驪姫(りき、? - 紀元前651年)は、晋の献公の寵姫。

 異民族の驪戎の娘であったが、献公が見初めて驪姫の妹の少姫と共に後宮入りして寵愛された。

 晋に連れて来られた当初は自らの境遇を嘆いていたが、献公の寵姫としての贅沢な暮らしに慣れてしまうと、かつて自分が悲しんだことを後悔したという。

 献公との間に生まれた自分の息子の奚斉を太子として立てようとして献公を操り、驪姫以外との女性の間に生まれた申生(中国語版)ら他の公子達を策略を使い次々と抹殺していった。この際、のちに晋を継ぐ重耳と夷吾の兄弟が晋から逃亡することになった。」

 

とある。

 「あぶらくさし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘形口〙 あぶらくさ・し 〘形ク〙 油の匂いが鼻につく。油が強く感じられる。特に、女性の髪油の匂いが臭く感じられる。

  ※観智院本名義抄(1241)「臊 ナマグサシ アサシ アフラクサシ」

  ※社会百面相(1902)〈内田魯庵〉労働問題「油臭い労働服の職工に」

 

とある。

 金への執着の強い驪姫なんぞセックスを別にすればただの髪の油をぷんぷんさせるだけの女ではないか、それなら庶民の女の方がいい。

 

無季。恋。

 

二十九句目

 

   麗姫もすつればあぶらくさしや

 吉原の三十年を老のつくも髪   一晶

 (吉原の三十年を老のつくも髪麗姫もすつればあぶらくさしや)

 

 つくも髪は老婆の白髪のこと。一説に百から一を取ると「白」になるから、九十九(つくも)=白だという。

 吉原に三十年いる老婆はむかしは麗姫だったかもしれないが、今は油臭いだけ、とする。

 十五で吉原デビューして三十年とすれば四十五だから、今の感覚だとそれほどの歳でもないが、当時は四十で初老とされていた。

 

無季。恋。

 

三十句目

 

   吉原の三十年を老のつくも髪

 ねやのはしらに念仏書おく    芭蕉

 (吉原の三十年を老のつくも髪ねやのはしらに念仏書おく)

 

 吉原で遊ぼうと思ったら遊女歴三十年のベテランが出てきたので、閨の柱に念仏での書き残してきた。化粧っ気がなければ芭蕉さんなら対応できそうだが。

 

無季。恋。釈教。

二裏

三十一句目

 

   ねやのはしらに念仏書おく

 よもぎふに火をけす狐来ざりけり 麋塒

 (よもぎふに火をけす狐来ざりけりねやのはしらに念仏書おく)

 

 狐は普通狐火といって火を灯すもので、大晦日の王子稲荷の狐火は有名で、

 

 年の一夜王子の狐見にゆかん   素堂(『続虚栗』)

 

の句もある。

 火を灯す狐なら見てみたいが、火を消す狐はいらない、ということか。念仏を書いて悪霊退散。

 

無季。「狐」は獣類。

 

三十二句目

 

   よもぎふに火をけす狐来ざりけり

 ひとり鞁弓をつくすよすがら   一晶

 (よもぎふに火をけす狐来ざりけりひとり鞁弓をつくすよすがら)

 

 鞁弓は胡弓のこと。遊郭や芝居で用いられた。前句の雰囲気から河原者かもしれない。

 

無季。「よすがら」は夜分。

 

三十三句目

 

   ひとり鞁弓をつくすよすがら

 嶋もりの髭等に酒を買せつつ   芭蕉

 (嶋もりの髭等に酒を買せつつひとり鞁弓をつくすよすがら)

 

 「嶋もり」というと、

 

 我こそは新じま守よ沖の海の

     あらき浪かぜ心してふけ

              後鳥羽院

 

であろう。風流人の後鳥羽院なら、隠岐に流されても卑賤な胡弓という楽器を弾きながら、島にいる髭を生やした他の罪人に酒を買いに行かせたりしていそうだ。

 

無季。

 

三十四句目

 

   嶋もりの髭等に酒を買せつつ

 松に巣をもる蝙蝠の千代     麋塒

 (嶋もりの髭等に酒を買せつつ松に巣をもる蝙蝠の千代)

 

 新島守となった後鳥羽院は松に鶴ではなく松に蝙蝠で千代をことほぐ。

 

季語は「蝙蝠」で夏、獣類。「松」は植物、木類。

 

三十五句目

 

   松に巣をもる蝙蝠の千代

 俳諧のそらごとはなの浮狂人   一晶

 (俳諧のそらごとはなの浮狂人松に巣をもる蝙蝠の千代)

 

 松に鶴は連歌だが松に蝙蝠は俳諧ということで、俳諧の「浮狂人(うかれびと)」をことほぐ。

 俳諧は実体験を句にするのではなく、前句からの想像で、いろいろな人に成り代わったりしながら、あくまで虚構としての句を詠む。それゆえ「そらごと」という。虚を以て実を行うというのは、後に芭蕉から支考へと受け継がれた俳諧の神髄となる。

 

季語は「はな」で春、植物、木類。「浮狂人」は人倫。

 

挙句

 

   俳諧のそらごとはなの浮狂人

 馬蹄に鼓おくるはるかぜ     芭蕉

 (俳諧のそらごとはなの浮狂人馬蹄に鼓おくるはるかぜ)

 

 馬蹄は前句の浮狂人(うかれびと)が旅人であることを表し、この旅人を鼓を打って囃し立て、賛美することで一巻は目出度く終わる。

 『野ざらし紀行』濁子本の素堂の序に、「狂句木枯の竹齋、よく鼓うつて人の心を舞しむ」とあるのを思い起こさせる。その『野ざらし紀行』の旅に出る日まであと一年ちょっとだ。

 

季語は「はるかぜ」で春。旅体。「馬」は獣類。