「我や来ぬ」の巻、解説

初表

   梶の葉に

    小うたかくとて

 我や来ぬひと夜よし原天川    嵐雪

   名とりの衣のおもて見よ葛  其角

 顔しらぬ契は草のしのぶにて   其角

   冶郎打かたふける夕露    嵐雪

 坐月にはぜつる舟の遠恨み    嵐雪

   河そひ泪檜木つむ聲     其角

 

初裏

 寐を独リ乞食うき巣をゆられけん 嵐雪

   しきみ一把を恋の捨草    其角

 人待や人うれふるや赤椿     嵐雪

   蝶女うかれて虵口さめけり  其角

 こちこちと閨啄鳥の匂よけに   嵐雪

   敵にほれて籠のかひま見   其角

 いはで思ふ陸の怒と聞えしは   嵐雪

   色このむ京に初萩の奏    其角

 野分とふ朝な朝なの文くばり   嵐雪

   家々の月見あねに琴借ル   其角

 ねたしとて花によせ来る小袖武者 嵐雪

   美-山ン笑ひ茶簱の風流      其角

 

 

二表

 鸚鵡能帰りをほむる辻霞     其角

   叶はぬ恋をいのる清水    嵐雪

 山城の吉彌むすびに松もこそ   其角

   菱川やうの吾妻俤      嵐雪

 狂哥堂古き枕をおかれける    其角

   はだへは酒に凋む水仙    嵐雪

 簑を焼てみぞれくむ君哀しれ   其角

   身は孤舟女房定めぬ     嵐雪

 萱金かくしうへけん背に     其角

   松虫またず住あれの宮    嵐雪

 露は袖衣桁に蔦のかかる迄    其角

   慕-姫月にふらんとすらん     嵐雪

 

二裏

 若衆と私あかしのほととぎす   嵐雪

   つれなき枕蚊帳越ヲ切ル   其角

 紅の脚布哲姿むごかりし     嵐雪

   五十の内侍恥しらぬかも   嵐雪

 花の宴に御密夫の聞えあり    其角

   やぶ入ル空の雨を懶ク    其角

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

   梶の葉に

    小うたかくとて

 我や来ぬひと夜よし原天川    嵐雪

 

 前書きの「梶の葉」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「梶の葉」の解説」に、

 

 「① カジノキの葉。古く、七夕祭のとき、七枚の梶の葉に詩歌などを書いて供え、芸能の向上や恋の思いが遂げられることなどを祈る風習があった。梶の七葉。《季・秋》

  ※後拾遺(1086)秋上・二四二「天の河とわたる舟のかぢのはに思ふことをも書きつくるかな〈上総乳母〉」

 

とある。

 ここでは梶の葉に詩歌ではなく小唄を書き付けると前書きして、実際には発句を記す。

 小唄は江戸時代を通じて様々なものが流行していたが、本格的な謡(うたい)に対して、軽く口ずさめるような歌を一般的に皆「こうた」と呼んでいたのであろう。俳諧の発句も節をつけて吟じたり唄ったりすれば、小唄の一種だったのではなかったかと思う。

 一般的に日本の小唄は節は同じで、定型の歌詞を即興で自由に作って歌うようなものが多かったのだろう。江戸末期から近代にかけて流行した都都逸も、七・七・七・五の歌詞を自由に創作して唄っていた。

 「我や来ぬ」は「きぬ」でやって来たということ。俺が吉原に来れば、その夜の遊女はみんな織姫のように待ちわびている。まあ、あくまで小唄だから、真に受けないように。

 

季語は「天川」で秋、夜分、天象。恋。「我」は人倫。

 

 

   我や来ぬひと夜よし原天川

 名とりの衣のおもて見よ葛    其角

 (我や来ぬひと夜よし原天川名とりの衣のおもて見よ葛)

 

 「名とり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「名取」の解説」に、

 

 「① その名が多くの人に知られること。評判が高いこと。有名であること。名高いこと。また、その人。なうて。名代(なだい)。

  ※虎明本狂言・神鳴(室町末‐近世初)「まかりくだって、上手の名どりをいたさうずると存」

  ② 音曲・舞踊などを習う人が、師匠・家元から、芸名を許されること。また、その人。

  ※人情本・春色辰巳園(1833‐35)四「何所の宅か知らねども、杵や何某(なにがし)が名取(ナトリ)の妙音、彼の古き唱哥、紅葉狩」

 

とあり、時代的にどっちかという所だが、ここは①の方で、発句を詠んだ嵐雪を「いよっ、名取」とよいしょするものと見た方が良いだろう。

 葛の葉は秋風に吹かれて裏を見せるのを「恨み」に掛けて用いるのを本意とする。ここでは「おもて」、つまりその伊達な衣を見ろ、ということになる。

 

季語は「葛」で秋、植物、草類。恋。「名とりの衣」は衣裳。

 

第三

 

   名とりの衣のおもて見よ葛

 顔しらぬ契は草のしのぶにて   其角

 (顔しらぬ契は草のしのぶにて名とりの衣のおもて見よ葛)

 

 「顔しらぬ契」は夜這いのことであろう。暗くて顔もよくわからない。

 当然男はこっそり通ってくるから、草の上を人目を忍ぶようにやって来る。それをシダの仲間の「しのぶ草」に掛ける。

 前句に付くと、顔はわからないが、衣の表はよく見ろ、となる。

 

季語は「草のしのぶ」で秋、植物、草類。恋。

 

四句目

 

   顔しらぬ契は草のしのぶにて

 冶郎打かたふける夕露      嵐雪

 (顔しらぬ契は草のしのぶにて冶郎打かたふける夕露)

 

 「冶郎」は「やらう」で、ここは遊冶郎(いうやらう)のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「遊冶郎」の解説」に、

 

 「〘名〙 酒色におぼれ道楽にふける男。放蕩者。遊び人。道楽者。

  ※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉三「又去年の謹直生は今年の遊冶郎に変じて其謹直の跡をも見ずと雖ども」 〔李白‐采蓮曲〕」

 

とある。

 遊冶郎が「打かたぶける」といえば盃に決まっている。夕露は酒のことで、前句の草に露が付く。

 忍草に露は、

 

 ゆくすゑの忍草にも有りやとて

     露のかたみもおかんとぞ思ふ

              清原元輔(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「夕露」で秋、降物。恋。「冶郎」は人倫。

 

五句目

 

   冶郎打かたふける夕露

 坐月にはぜつる舟の遠恨み    嵐雪

 (坐月にはぜつる舟の遠恨み冶郎打かたふける夕露)

 

 「坐」は「ソゞロ」とルビがある。ハゼ釣りは後に江戸っ子の間で大ブームになるが、この頃はまだその走りの頃で、ここでは漁師の舟であろう。月夜には月見舟になって酒を飲みながら、隅田川から吉原の方を眺めながめて恨み言を言う。

 同じ『虚栗』に、

 

 はぜつるや水村山郭酒旗風    嵐雪

 

の句がある。

 

   江南春望   杜牧

 千里鶯啼緑映紅 水村山郭酒旗風

 南朝四百八十寺 多少楼台煙雨中

 

 千里鶯鳴いて木の芽に赤い花が映え

 水辺の村山村の壁酒の旗に風

 南朝には四百八十の寺

 沢山の楼台をけぶらせる雨

 

の詩句をそのままサンプリングしている。

 夕露の月は、

 

 月の色もうつりにけりな旅衣

     すそのの萩の花の夕露

              真昭法印(新勅撰集)

 

などの歌がある。

 

季語は「坐月」で秋、夜分、天象。恋。「はぜつる舟」は水辺。

 

六句目

 

   坐月にはぜつる舟の遠恨み

 河そひ泪檜木つむ聲       其角

 (坐月にはぜつる舟の遠恨み河そひ泪檜木つむ聲)

 

 檜には「クレ」とルビがふってある。コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「榑木」の解説」に、

 

 「丸太を四つ割にして心材を取り去った扇形の材。古くは長さ1丈2尺(363センチメートル)、幅6寸(18.2センチメートル)、厚さ4寸(12センチメートル)を定尺として壁の心材に使用されたが、近世に入ってからは、屋根板材として全国で用いられるようになった。素材と規格は採出山によって同一ではないが、主として搬出不便な中部地方、とくに信濃(しなの)伊那(いな)地方で年貢のかわりに生産されるようになってからは、しだいに短くなり、樹種もサワラが多くなった。[浅井潤子]」

 

とある。

 「そひ泪」は男女の寄り添って泣く泪のことであろう。「川沿い」と掛詞になり、涙にくれるから「クレ木」を導き出す。吉原の側からハゼ釣る舟を見ながら、ここを渡って逃げ出したいと舟を遠恨みする。

 

無季。「河そひ」は水辺。恋。

初裏

七句目

 

   河そひ泪檜木つむ聲

 寐を独リ乞食うき巣をゆられけん 嵐雪

 (寐を独リ乞食うき巣をゆられけん河そひ泪檜木つむ聲)

 

 河原には乞食が一人住んでいて、そこに駆け落ちの男女の涙声を聴くと、心も揺り動かされる。

 

無季。恋。「寐を独リ」は夜分。「乞食」は人倫。

 

八句目

 

   寐を独リ乞食うき巣をゆられけん

 しきみ一把を恋の捨草      其角

 (寐を独リ乞食うき巣をゆられけんしきみ一把を恋の捨草)

 

 樒(しきみ)は仏花で葬儀に用いられる。延宝九年刊『俳諧次韻』の「春澄にとへ」の巻九十一句目に、

 

   寺〻の納豆の声。あした冴ュ

 よすがなき樒花売の老を泣ㇰ   揚水

 

の句がある。古くは、

 

 しきみつむ山ぢの露にぬれにけり

     暁おきの墨染の袖

              小侍従(新古今集)

 

の歌もある。前句を恋人を失い出家した乞食坊主として亡き人を弔う。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   しきみ一把を恋の捨草

 人待や人うれふるや赤椿     嵐雪

 (人待や人うれふるや赤椿しきみ一把を恋の捨草)

 

 赤椿は藪椿ともいう。卑賤な薮にも目立つ花のような女は樒を抱えて、人を待っているのか、人を憂いているのか。男に惚れられるというのも、男次第では嬉しくもあれば苦しくもある。

 和歌で椿というと玉椿(白玉椿)のことで、花よりも葉の変わらぬ色を詠むことが多かった。

 

 君が代は白玉椿八千代とも

     なににかぞへむ限りなければ

              藤原資業(後拾遺集)

 とやかへる鷹の尾山の玉椿

     霜をばふとも色は変らじ

              大江匡房(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「赤椿」で春、植物、木類。恋。「人」は人倫。

 

十句目

 

   人待や人うれふるや赤椿

 蝶女うかれて虵口さめけり    其角

 (人待や人うれふるや赤椿蝶女うかれて虵口さめけり)

 

 これはよくわからない。蝶女は遊女のことか。虵口は蛇の口だが、欲深く何でも丸呑みする、というイメージがある。

 そわそわしている田舎臭さの抜けない遊女に、いかにも軽い先輩はどんな男が来るのかすっかり浮き立って、狡猾な先輩は興味なさそうにしている。

 

季語は「蝶」で春、虫類。恋。

 

十一句目

 

   蝶女うかれて虵口さめけり

 こちこちと閨啄鳥の匂よけに   嵐雪

 (こちこちと閨啄鳥の匂よけに蝶女うかれて虵口さめけり)

 

 「啄鳥」は「ツツキドリ」、「匂」は「ニホ」とルビがふってある。「匂よけに」は「匂良げに」か。

 前句を女は浮かれていたが男は冷めたとして、その原因を閨をつつくキツツキのような音とともに、何か良い匂いがしたからとする。

 あるいは「閨啄鳥」は人の閨を邪魔して回る奴とか、そういう意味があったか。

 

無季。恋。「閨」は居所。「啄鳥」は鳥類。

 

十二句目

 

   こちこちと閨啄鳥の匂よけに

 敵にほれて籠のかひま見     其角

 (こちこちと閨啄鳥の匂よけに敵にほれて籠のかひま見)

 

 前句を通ってきた恋敵とする。女は今しがた到着した駕籠を垣間見る。

 

無季。恋。「敵」は人倫。

 

十三句目

 

   敵にほれて籠のかひま見

 いはで思ふ陸の怒と聞えしは   嵐雪

 (いはで思ふ陸の怒と聞えしは敵にほれて籠のかひま見)

 

 「陸」は「ミチ」、「怒」は「イカル」とルビがある。

 「いはで思ふ」は、

 

 おもへどもいはでの山に年を経て

     朽ちや果てなん谷の埋もれ木

              藤原顕輔(千載和歌集)

 

だろうか。そうなると「陸(みち)」は陸奥(みちのく)に掛けて用いられ、恋に破れて陸奥に朽ち果てたと思っていたけど、実はその相手はかたき討ちの相手でもあったと、前句を敵を追う旅に転じたことになる。

 

無季。恋。「いはで」は名所、山類。

 

十四句目

 

   いはで思ふ陸の怒と聞えしは

 色このむ京に初萩の奏      其角

 (いはで思ふ陸の怒と聞えしは色このむ京に初萩の奏)

 

 陸奥の旅に出たと思っていたが、京へ帰ってきていて初萩の歌を奏でていた。

 「奏(そう)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奏」の解説」に、

 

 「そう【奏】

  〘名〙

  ① 天皇に申し上げること。また、その公文書。太政官から申し上げて勅裁を仰ぐには、事の大小により、論奏式・奏事式・便奏式の三種があり、その書式は公式令に規定されていた。また、のちには個人から奉るものもあった。

  ※令義解(718)公式「奉レ勑依レ奏。若更有二勑語一須レ付者、各随レ状付云々」

  ※落窪(10C後)四「早うさるべき様にそうを奉らせよ」 〔蔡邕‐独断〕

  ② 音楽をかなでること。」

 

とある。

 能因法師の『古今著聞集』の実は旅に出てなかったという噂での付けか。

 初萩は、

 

 我が心また変わらずよ初萩の

     下葉にすがる露ばかりだに

              顕昭(風雅集)

 

などの歌がある。

 

季語は「初萩」で秋、植物、草類。恋。

 

十五句目

 

   色このむ京に初萩の奏

 野分とふ朝な朝なの文くばり   嵐雪

 (野分とふ朝な朝なの文くばり色このむ京に初萩の奏)

 

 京の王朝時代の色好みであろう。野分見舞いを口実に、片っ端から女に文を遣わす。

 

   野分のしたりけるに、

   いかがなどおとづれたりける人の、

   その後また音もせざりければつかはしける

 荒かりし風ののちより絶えするは

     蜘蛛手にすがく絲にやあるらん

              相模(古今集)

 

のように、その後音沙汰なかったりする。

 

季語は「野分」で秋。恋。

 

十六句目

 

   野分とふ朝な朝なの文くばり

 家々の月見あねに琴借ル     其角

 (野分とふ朝な朝なの文くばり家々の月見あねに琴借ル)

 

 朝に手紙が来て、夕べの月見に通って来るかと、あわてて琴を借りに行く。

 野分の月は、

 

 野分せし昔の秋の夕べより

     おもかげさらぬ山の端の月

              後鳥羽院(後鳥羽院御集)

 

の歌がある。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。恋。「家々」は居所。「あね」は人倫。

 

十七句目

 

   家々の月見あねに琴借ル

 ねたしとて花によせ来る小袖武者 嵐雪

 (ねたしとて花によせ来る小袖武者家々の月見あねに琴借ル)

 

 花見の席で女の気を引きたいきらびやかな小袖を着た武士が、他の者に負けじと姉の琴を借りてくる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「小袖」は衣裳。「武者」は人倫。

 

十八句目

 

   ねたしとて花によせ来る小袖武者

 美-山ン笑ひ茶簱の風流      其角

 (ねたしとて花によせ来る小袖武者美-山ン笑ひ茶簱の風流)

 

 茶簱(ちゃき)は茶旗(ちゃばた)のことであろう。茶席の外に掲げる。

 花の季節で「山笑う」と展開するが、恋の言葉が入らないので、強引に「美-山ン笑ひ」と美人の笑いに凝らしたか。

 「山笑う」は和歌の言葉ではない。郭煕『臥遊録』の、「春山淡冶而如笑、夏山蒼翠而如滴、秋山明浄而如粧、冬山惨淡而如睡」が起源とされている。

 

季語は「美-山ン笑ひ」で春、山類。恋。

初裏

十九句目

 

   美-山ン笑ひ茶簱の風流

 鸚鵡能帰りをほむる辻霞     其角

 (鸚鵡能帰りをほむる辻霞美-山ン笑ひ茶簱の風流)

 

 鸚鵡というと謡曲『鸚鵡小町』か。百歳になる老いた小町を気遣った陽成院が

 

 雲の上は在りし昔に変はらねど

     見し玉簾の内やゆかしき

 

という歌を行家にもたせ、小町の所に使いに出すと、小町が、

 

 雲の上は在りし昔に変はらねど

     見し玉簾の内ぞゆかしき

 

と答える話で、最後に行家が帰って行く場面を「辻霞」が暗示させる。

 

季語は「霞」で春、聳物。恋。「鸚鵡」は鳥類。

 

二十句目

 

   鸚鵡能帰りをほむる辻霞

 叶はぬ恋をいのる清水      嵐雪

 (鸚鵡能帰りをほむる辻霞叶はぬ恋をいのる清水)

 

 この場合の「清水」は「きよみず」で清水寺のことであろう。叶わぬ恋が叶うように、清水寺で祈りを捧げる。

 清水から帰ると鸚鵡が帰りを褒める。

 清水は、

 

 清水の氷をわくる滝の糸

     いとどよるこそ結ぼほれけれ

              (夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。恋。「清水」は名所、釈教。

 

二十一句目

 

   叶はぬ恋をいのる清水

 山城の吉彌むすびに松もこそ   其角

 (山城の吉彌むすびに松もこそ叶はぬ恋をいのる清水)

 

 「吉彌むすび」は「きちやむすび」でコトバンクの「世界大百科事典内の上村吉弥の言及」に、

 

 「…しかし,寛永(1624‐44)ころから,遊女たちはすでに5寸ほどの広幅の帯を用いていたようである。寛永~延宝(1624‐81)のころから,この広幅の帯は一般にも流行し始め,とくに当時人気のあった歌舞伎役者の上村吉弥(1660‐80年ころ京で活躍した女形)が舞台に広幅帯を結んで出たことがきっかけとなって,広幅,尺長(しやくなが)の帯が広く用いられるようになったといわれている。結び方も,この吉弥のそれをまねて,帯の両端に鉛の鎮(しず)を入れ,結びあまりがだらりと垂れるようにしたのを〈吉弥結び〉といい,非常な流行をみたと伝えられている。…」

 

とある。

 清水寺で叶わぬ恋を祈る女は、当世京で流行していた広幅帯を吉弥結びにしていた。

 松を「待つ」に掛けるのはお約束。

 

無季。恋。「吉彌むすび」は衣裳。「松」は植物、木類。

 

二十二句目

 

   山城の吉彌むすびに松もこそ

 菱川やうの吾妻俤        嵐雪

 (山城の吉彌むすびに松もこそ菱川やうの吾妻俤)

 

 菱川は菱川師宣で浮世絵の祖とも呼ばれている。江戸後期の一般的に言われる浮世絵はのような、一枚の独立した作品ではなく、草紙本などの挿絵画家で、やがて挿絵と本文とどっちがメインだかわからないくらい、絵の方が評価されていった。

 木版だけでなく肉筆の風俗画も描いていて、「見返り美人図」はその代表作だ。

 こうした菱川師宣の美人画を「吾妻俤」と言ったというが、世間で既にそう呼ばれていたなら、この句の手柄はあるまい。「菱川やうの吾妻俤」が嵐雪がそう呼んだところから広まったのなら、手柄と言えよう。

 

無季。恋。

 

二十三句目

 

   菱川やうの吾妻俤

 狂哥堂古き枕をおかれける    其角

 (狂哥堂古き枕をおかれける菱川やうの吾妻俤)

 

 狂歌堂はよくわからないが、『卜養狂歌集』の半井卜養か。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「半井卜養」の解説」に、

 

 「没年:延宝6.12.26(1679.2.7)

  生年:慶長12(1607)

 江戸時代の狂歌作者,俳人。本姓は和気氏。医者の傍ら文事を好んだ。若くして俳諧,狂歌に遊び,京都で松永貞徳らと一座した。27歳のころには,すでに堺俳壇の第一人者であった。寛永13(1636)年前後より,しばしば江戸に住して,斎藤徳元,石田未得らと交わり,江戸俳壇の草分けとなり,貞門の五俳哲のひとりに称された。慶安1(1648)年に姫路城主松平忠次の家医となる。寛永17年仮名草子『和薬物語』を著す。承応2(1653)年将軍に見参を許され,鉄砲洲に居宅を賜った。このころより狂歌活動が盛んになり,朽木稙綱,酒井忠能ら諸大名と贈答を行った。その狂歌は『卜養狂歌集』にみられるように措辞,格調よりも即興性に妙がある。(園田豊)」

 

とある。まあ、其角の世代からすれば貞門的な古臭い狂歌だったのだろう。

 せっかくの菱川師宣の挿絵も、本文が狂哥堂では、というところか。

 

無季。恋。

 

二十四句目

 

   狂哥堂古き枕をおかれける

 はだへは酒に凋む水仙      嵐雪

 (狂哥堂古き枕をおかれけるはだへは酒に凋む水仙)

 

 古い枕を置く老いた女の肌は、酒にやつれて、まるで凋んだ水仙のようだ。

 それでは「我や来ぬ」の巻の続き。挙句まで。

 

季語は「水仙」で冬、植物、草類。恋。

 

二十五句目

 

   はだへは酒に凋む水仙

 簑を焼てみぞれくむ君哀しれ   其角

 (簑を焼てみぞれくむ君哀しれはだへは酒に凋む水仙)

 

 「簑を焼て」は「身を焼て」との掛詞であろう。また、前句の「酒」に「くむ」が受けてにはになる。

 わずかな雨露を防ぐ場所で簑を焼いて暖を取り、霙でのどを潤すのは、過酷な荒行に励む僧であろうか。そこまでして思いを断とうと恋に身を焼いているのは悲しいことだ。肌の色も衰えている。

 

季語は「みぞれ」で冬、降物。恋。「簑」は衣裳。「君」は人倫。

 

二十六句目

 

   簑を焼てみぞれくむ君哀しれ

 身は孤舟女房定めぬ       嵐雪

 (簑を焼てみぞれくむ君哀しれ身は孤舟女房定めぬ)

 

 前句の修行僧は生涯孤独で、女房と取ることはなかった。

 

無季。恋。「身」「女房」は人倫。「孤舟」は水辺。

 

二十七句目

 

   身は孤舟女房定めぬ

 萱金かくしうへけん背に     其角

 (萱金かくしうへけん背に身は孤舟女房定めぬ)

 

 萱は「ワスレ」、背は「キタノネヤ」とルビがふってある。

 萱金は「わすれがね」とでも読むのか。忘れ草に掛けて、お金を埋めて隠しておくということか。

 女房に裏切られたか。離縁した後、北の閨は空き部屋になり、そこに萱草(わすれぐさ)が植えておこう。そして、もう二度と恋なんてしないんだ。

 

無季。恋。

 

二十八句目

 

   萱金かくしうへけん背に

 松虫またず住あれの宮      嵐雪

 (萱金かくしうへけん背に松虫またず住あれの宮)

 

 この場合の宮は王朝時代の皇族の住処で、北の方(妻)だけが取り残され、屋敷が荒れ果てている様とする。もはや誰を待つでもなく松虫だけが鳴く。

 

季語は「松虫」で秋、虫類。恋。

 

二十九句目

 

   松虫またず住あれの宮

 露は袖衣桁に蔦のかかる迄    其角

 (露は袖衣桁に蔦のかかる迄松虫またず住あれの宮)

 

 「衣桁」は「いかう」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣桁」の解説」に、

 

 「〘名〙 衣服をかけておく台。鳥居のような形の、ついたて式のものと、真中から二枚に折れる折り畳み式とがある。衣架(いか)。御衣(みぞ)かけ。ころもざお。いこ。〔文明本節用集(室町中)〕

 ※評判記・色道大鏡(1678)三「次の間には絵莚(ゑむしろ)をしき、衣桁(イカウ)にゆかた、下帯をかけて相まつ」

 

とある。

 これは『伊勢物語』四段の、

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身一つはもとの身にして

              在原業平

 

であろう。

 荒れ果てた家を見て袖に露(涙)し、その袖を掛けるべき衣桁には蔦が絡まっている。

 松虫に露は、

 

 跡もなき庭の浅茅にむすぼほれ

     露の底なる松虫の声

              式子内親王(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。「袖」は衣裳。「蔦」は植物、草類。

 

三十句目

 

   露は袖衣桁に蔦のかかる迄

 慕-姫月にふらんとすらん     嵐雪

 (露は袖衣桁に蔦のかかる迄慕-姫月にふらんとすらん)

 

 かぐや姫であろう。前句の「袖」を「ふらん」で受け、月に帰った姫君に向かって、空き家となったかつての住まいで袖を振る。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「慕-姫」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   慕-姫月にふらんとすらん

 若衆と私あかしのほととぎす   嵐雪

 (若衆と私あかしのほととぎす慕-姫月にふらんとすらん)

 

 「私」は「サゝメ」とルビがふってある。内緒話を意味する「ささめごと」は「私語」という文字を当てるから、ここでは密かに夜を明かす、という意味であろう。

 前句を慕う姫をふってしまおう、という意味にして、若衆と密かに逢引し、明け方の時鳥の声を聴く、とする。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。恋。「若衆」は人倫。

 

三十二句目

 

   若衆と私あかしのほととぎす

 つれなき枕蚊帳越ヲ切ル     其角

 (若衆と私あかしのほととぎすつれなき枕蚊帳越ヲ切ル)

 

 朝まで語り明かしたものの、蚊帳の中に入ってきてくれず、枕を拒み続けたので、蚊帳越しに別れを告げる(切る)。

 

季語は「蚊帳」で夏、居所。恋。

 

三十三句目

 

   つれなき枕蚊帳越ヲ切ル

 紅の脚布哲姿むごかりし     嵐雪

 (紅の脚布哲姿むごかりしつれなき枕蚊帳越ヲ切ル)

 

 脚布は「きゃふ」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「脚布」の解説」に、

 

 「① 腰に巻く布。きゃっぷ。

  ※庭訓往来(1394‐1428頃)「手巾。布衫。鉢盂巾。脚布。筋匙」

  ② とくに、女性の腰巻。ゆもじ。ゆぐ。したおび。きゃっぷ。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・好色一代男(1682)二「掉竹(さほたけ)のわたし、とびざやの布(キャフ)、糠ぶくろ懸て有しはくせものなり」

 

とある。

 哲には「ミシロキ」とルビがあり、「身白き」であろう。

 女性が赤い腰巻一つで白い肌をさらすのは裸と同じで、恥ずかしい姿だった。

 そんな恥ずかしい姿の女性を蚊帳にも入れようとしないのはむごたらしい。

 

無季。恋。「脚布」は衣裳。

 

三十四句目

 

   紅の脚布哲姿むごかりし

 五十の内侍恥しらぬかも     嵐雪

 (五十の内侍恥しらぬかも紅の脚布哲姿むごかりし)

 

 前句を五十になる内侍が迫ってきたとする。『源氏物語』の典侍(ないしのすけ)の俤か。

 

無季。恋。「内侍」は人倫。

 

三十五句目

 

   五十の内侍恥しらぬかも

 花の宴に御密夫の聞えあり    其角

 (花の宴に御密夫の聞えあり五十の内侍恥しらぬかも)

 

 密夫には「マヲトコ」とルビがある。花の宴の時に間男してたという噂がある。真偽のほどは定かでない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「御密夫」は人倫。

 

挙句

 

   花の宴に御密夫の聞えあり

 やぶ入ル空の雨を懶ク      其角

 (花の宴に御密夫の聞えありやぶ入ル空の雨を懶ク)

 

 「懶ク」は「ものうく」。

 前句を薮入りで帰省した時の噂話とする。人の噂もともかくとして、自分の恋で今は手一杯。帰省しても物憂い日を過ごす。

 前句だけでなく一巻全部が藪入りの時の噂話だということで締めくくった、とも取れる。

 

季語は「やぶ入ル」で春。「雨」は降物。