「半日は」の巻、解説

年忘歌仙

初表

 半日は神を友にや年忘れ     芭蕉

   雪に土民の供物納る     示右

 水光る芦のふけ原鶴啼て     凡兆

   闇の夜渡るおも楫の声    去来

 なまらずに物いふ月の都人    景桃丸

   秋に突折ル虫喰の杖     乙州

 

初裏

 実入りよき岡部の早田あからみて 史邦

   里ちかくなる馬の足蹟    玄哉

 押わつて犬にくれけりあぶり餅  示右

   奉加に出る僧の首途     芭蕉

 白川や関屋の土をふし拝み    去来

   右も左も荊蕀咲けり     凡兆

 洗濯にやとはれありく賤が業   乙州

   猫のいがみの声もうらめし  景桃丸

 上はかみ下はしもとて物おもひ  芭蕉

   皆白張のふすまなりけり   示右

 高麗人に名所を見する月と花   好春

   春の海辺に鯛の浜焼     史邦

 

二表

 昼さがり寝たらぬ空に帰る雁   凡兆

   雨ほろほろと南吹也     去来

 米篩隣づからの物語       景桃丸

   日をかぞへても駕篭は戻らず 芭蕉

 くだり腹短夜ながら九十度    玄哉

   おさへはづして蚤逃しける  去来

 閑なる窓に絵筆を引ちらし    史邦

   麓の里のおてて恋しき    凡兆

 首とる歟とらるべきかの烏啼ク  示右

   野中に捨る銭の有たけ    好春

 月ほそく小雨にぬるる石地蔵   史邦

   世は成次第いも焼て喰フ   凡兆

 

二裏

 萩を子に薄を妻に家たてて    芭蕉

   あやの寝巻に匂ふ日の影   示右

 なくなくもちいさき草鞋求かね  去来

   たばこのかたの風にうごける 玄哉

 真白に華表を見こむ花ざかり   景桃丸

   霞にあぐる鷹の羽遣ひ    史邦

       参考:『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 半日は神を友にや年忘れ     芭蕉

 

 ネットで見ると「年忘れ」は鎌倉時代から年末に連歌会を催したところからきているという。出典はよくわからない。

 江戸時代では一年の仕事の終わりの打ち上げだったようだ。

 この時代にはまだ年越し蕎麦はなかったが、年越し蕎麦もまた仕事を終えたときの打ち上げで食べていた。近代だと忘年会と年越し蕎麦は別の行事になっている。

 「年忘れ」は、昔は数え年で、誕生日ではなく正月が来ると年齢が一つ上がるということで、年を取るのを忘れるという意味での「歳忘れ」だった。別にこの一年あったことを忘れるという意味ではない。

 一部の人たちでは歴史を忘れるとはけしからんということで「望年会」をやってたりするが、はたして歴史を忘れているのはどっちだか。

 

 年わすれしかし太鼓はたたかれじ 如柳(『千鳥掛』)

 

の句もあるように、太鼓をたたかないというのは、本来それほど盛大にやるものではなかったのだろう。挨拶程度に今年も一年お疲れさんという感じのもので、江戸後期になると年越し蕎麦に取って代わられていったのだろう。

 

 人に家を買はせて我は年忘れ   芭蕉

 

の句は元禄三年、大津膳所の乙州新宅での句で、

 

 かくれけり師走の海のかいつぶり 芭蕉

 

の句とともに詠まれている。カイツブリは鳰(にお)ともいい、琵琶湖に多く生息していたので琵琶湖のことを「鳰の海」ともいう。

 京都から琵琶湖の方へ逃れてきたから、自身をカイツブリに喩えて詠んでいる。

 そして、同じ元禄三年だがこの句より少し前に京都上御霊神社神主示右亭で年忘れ九吟歌仙興行が行われた。こちらの方が中世以来の連歌会の伝統を引き継ぐ「年忘れ」だったのだろう。

 神主さんを友としてこれから半日楽しい時を過ごしましょうという挨拶の句になっている。

 

季語は「年忘れ」で冬。神祇。

 

 

   半日は神を友にや年忘れ

 雪に土民の供物納る       示右

 (半日は神を友にや年忘れ雪に土民の供物納る)

 

 これから半日俳諧興行を行いますという発句を受けて、その前の半日は地元の氏子さんたちが供物を納めに来たので大忙しでした、満足なおもてなしが出来るかどうかというふうに、ホストとして謙虚に応じている。

 

季語は「雪」で冬、降物。「土民」は人倫。

 

第三

 

   雪に土民の供物納る

 水光る芦のふけ原鶴啼て     凡兆

 (水光る芦のふけ原鶴啼て雪に土民の供物納る)

 

 「ふけ原」は水の深い原のこと。芦の茂るところを「芦原」というように、水に浸っていても草の茂る所は原になる。

 前句の「供物納る」の目出度さから鶴を付ける。冬枯れの芦原の水が日に照らされ光っていれば、その周りの雪の積もった所もまばゆいばかりに輝いているだろう。そんな中に鶴がいれば、まさに吉日だ。

 

無季。「芦のふけ原」は水辺。「鶴」は鳥類。

 

四句目

 

   水光る芦のふけ原鶴啼て

 闇の夜渡るおも楫の声      去来

 (水光る芦のふけ原鶴啼て闇の夜渡るおも楫の声)

 

 前句の光る水を篝火に照らされた水面とし、場面を夜に転じる。船頭の「面舵いっぱい」の声が聞こえる。

 夜に転じたことで月呼び出しと言いたい所だが、「闇」だと月がないことになる。案外これは難題だ。

 

無季。「闇の夜」は夜分。「おも楫」は水辺。

 

五句目

 

   闇の夜渡るおも楫の声

 なまらずに物いふ月の都人    景桃丸

 (なまらずに物いふ月の都人闇の夜渡るおも楫の声)

 

 景桃丸に関しては『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の補注に、

 

 「当時の上御霊神社別当は第二十八代法印小栗栖祐玄。俳号、示右。景桃丸は祐玄の子で当時十一歳。のち二十九代別当を嗣ぎ、小栗栖元規と称す。」

 

とある。

 「月の都」は冥府のことなので、「月の都人」は幽霊か。闇夜に舟漕ぐのは確かに怪しい。

 その幽霊も「都人」なので訛りがないとは洒落ている。去来の振った難題に見事に答えている。

 なお、示右は第二十八代法印小栗栖祐玄ということで、その「祐」の字を分解したのが「示右」の俳号となっている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「都人」は人倫。

 

六句目

 

   なまらずに物いふ月の都人

 秋に突折ル虫喰の杖       乙州

 (なまらずに物いふ月の都人秋に突折ル虫喰の杖)

 

 打越の「闇」がはずれるので、ここは単に月の下の都人の意味にできる。「都人」は遠い辺鄙な地で都から来た人を呼ぶ言い方だから、流人のこととしたのだろう。長旅に使い古した杖も虫が食っていて折れてしまう。

 

季語は「秋」で秋。旅体。

初裏

七句目

 

   秋に突折ル虫喰の杖

 実入りよき岡部の早田あからみて 史邦

 (実入りよき岡部の早田あからみて秋に突折ル虫喰の杖)

 

 「早田」は「わさだ」と読む。早稲を植える田んぼ。供給量の少ない時期に取れるため高く売れ、実入りがいい。

 「岡部」はこの場合岡部宿とは関係なく、普通に岡の辺りという意味だろう。

 その早稲田も赤く実ったので、もう旅を続ける必要はないと杖を折る。

 

季語は「早田」で秋、植物(草類)。「岡」は非山類。

 

八句目

 

   実入りよき岡部の早田あからみて

 里ちかくなる馬の足蹟      玄哉

 (実入りよき岡部の早田あからみて里ちかくなる馬の足蹟)

 

 取れたばかりの稲を運ぶ馬が里へと向う。

 

無季。「里」は居所。「馬」は獣類。

 

九句目

 

   里ちかくなる馬の足蹟

 押わつて犬にくれけりあぶり餅  示右

 (押わつて犬にくれけりあぶり餅里ちかくなる馬の足蹟)

 

 「あぶり餅」は京都今宮神社の名物で、ウィキペディアには「きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあとに白味噌のタレをぬった餅菓子」とある。

 今宮神社の辺りから北西へ鷹峯街道が通っていて、若狭の国に通じている。若狭の方から来れば、今宮神社のあぶり餅は「里ちかくなる」あただったのだろう。興行の行われた上御霊神社からは二キロくらいの所か。

 そのあぶり餅を半分犬にやる。

 

無季。「犬」は獣類。

 

十句目

 

   押わつて犬にくれけりあぶり餅

 奉加に出る僧の首途       芭蕉

 (押わつて犬にくれけりあぶり餅奉加に出る僧の首途)

 

 「奉加(ほうが)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (神仏への寄進の金品に、自分のものを加え奉るの意) 勧進(かんじん)によって神仏に金品を寄進すること。また、その金品。知識。

 ※今昔(1120頃か)一二「此、皆、寺僧の営み、檀越(だんをつ)の奉加也」

  ② 転じて、一般に、金品を与えること、またはもらうこと。また、その金品。寄付。

 ※浄瑠璃・心中天の網島(1720)下「福島の西悦坊が仏壇買ふたほうが、銀一枚回向しやれ」

  ③ 「ほうがちょう(奉加帳)」の略。」

 

とある。

 「奉加に出る」①の勧進に出ることを言うのだろう。ただ、その出発に当たって犬にあぶり餅を与えるのも②の意味での一種の奉加か。

 「首途」はここでは「かどいで」と読む。

 

無季。釈教。旅体。「僧」は人倫。

 

十一句目

 

   奉加に出る僧の首途

 白川や関屋の土をふし拝み    去来

 (白川や関屋の土をふし拝み奉加に出る僧の首途)

 

 「ふし拝み」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「はるかに拝む。遠くから拝む。ひれ伏して拝む。

 出典 平家物語 五・五節之沙汰

 「甲(かぶと)をぬぎ手水(てうづ)うがひをして、王城の方(かた)をふしをがみ」

 [訳] 甲をぬぎ、手を洗い清め、口をすすいで、都のほうをはるかに拝み。」

 

とある。僧は白川の関でひれ伏して拝んだというよりは、白川の関の方角を向いて拝んだと考えた方がいいのではないかと思う。

 

無季。旅体。「白川」は名所。

 

十二句目

 

   白川や関屋の土をふし拝み

 右も左も荊蕀咲けり       凡兆

 (白川や関屋の土をふし拝み右も左も荊蕀咲けり)

 

 『奥の細道』の白河のところに、

 

 「卯(う)の花の白妙(しろたへ)に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。」

 

とある。とはいっても、この頃はまだ芭蕉は『奥の細道』を書いてない。旅の土産話にそんな話をしたことがあったか。

 卯の花に関しては、

 

 見て過ぐる人しなければ卯の花の

     咲ける垣根や白川の関

            藤原季通(千載集)

 

の歌がある。

 

季語は「荊蕀咲けり」で夏、植物(草類)。

 

十三句目

 

   右も左も荊蕀咲けり

 洗濯にやとはれありく賤が業   乙州

 (洗濯にやとはれありく賤が業右も左も荊蕀咲けり)

 

 京都では紺屋が洗濯屋も兼ねていた。ウィキペディアでは紺屋と非人との関係について触れている。

 

 「柳田国男の『毛坊主考』によると、昔は藍染めの発色をよくするために人骨を使ったことから、紺屋は墓場を仕事場とする非人と関係を結んでいた。墓場の非人が紺屋を営んでいたという中世の記録もあり、そのため西日本では差別視されることもあったが、東日本では信州の一部を除いてそのようなことはなかった。山梨の紺屋を先祖に持つ中沢新一は実際京都で差別的な対応に出くわして初めてそのことを知らされたという。」

 

まあ、そういうわけで京の洗濯屋は荊の路だったのだろう。

 

無季。「賤」は人倫。

 

十四句目

 

   洗濯にやとはれありく賤が業

 猫のいがみの声もうらめし    景桃丸

 (洗濯にやとはれありく賤が業猫のいがみの声もうらめし)

 

 洗濯に雇われていたのは女性が多かったという。年増は猫の声にも嫉妬する。

 

無季。恋。「猫」は獣類。

 

十五句目

 

   猫のいがみの声もうらめし

 上はかみ下はしもとて物おもひ  芭蕉

 (上はかみ下はしもとて物おもひ猫のいがみの声もうらめし)

 

 身分の高い人も身分の低い人も恋の悩みは一緒だ。それは猫だって変りはしない。

 猫同士のいがみ合いでは上の方にいる猫の方が優位だという。塀の上下でいがみ合う猫を見て、人もまた身分の高い人も低い人もいがみ合い、物思いにふける。

 猫と人を対比させた向え付けの一種といえよう。

 

無季。恋。

 

十六句目

 

   上はかみ下はしもとて物おもひ

 皆白張のふすまなりけり     示右

 (上はかみ下はしもとて物おもひ皆白張のふすまなりけり)

 

 「白張(しらはり)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「糊(のり)をこわく張った白い布の狩衣(かりぎぬ)。雑色(ぞうしき)などが着た。白張り装束。小張り。はくちょう。」

 

とある。「はくちょう」と読む場合は、同じくコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「《「しらはり」を音読みにした語》

 1 「しらはり」に同じ。

 2 傘持ち・沓(くつ)持ち・車副(くるまぞい)などの役をする、1を着た仕丁(じちょう)。

 3 神事・神葬の際、白い衣を着て物を運ぶなど雑用に従事する者。」

 

とある。

 「ふすま」は夜着のこと。「白張のふすま」はそのままだと白い夜着のことだが、それだと意味がわかりにくい。

 『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注には、

 

 「ここでは葬祭の白装束、白の上衣の意か(柳田國男氏『俳諧評釈』説)。」

 

とある。

 だとすると、前句の「物おもひ」を「喪のおもひ」に取り成したことになる。

 

無季。「白張のふすま」は衣裳。

 

十七句目

 

   皆白張のふすまなりけり

 高麗人に名所を見する月と花   好春

 (高麗人に名所を見する月と花皆白張のふすまなりけり)

 

 好春は季吟門で京都の人。

 前句の「白張のふすま」を韓服のこととする。

 朝鮮通信使は天和二年(一六八二年)に来日している。ただ、その時は緑系の官服を着ていて白ずくめではなかったという。京都では八月に本國寺に宿泊している。

 韓服が白いのが多いという知識は、朝鮮通信使とは関係なく、対馬に貿易に来る朝鮮(チョソン)人のことが京にまで噂で広まっていたか。

 この俳諧の興行は元禄三年(一六九〇年)、慶長の役(丁酉倭乱)は慶長二年から三年(一五九七~八年)、つまり九十二年前になる。さすがにこの時朝鮮半島に渡った兵士達は生き残ってはいないし、その息子世代もちょっと厳しい。だが、その孫くらいならまだ存命だった。高麗人の白い韓服の記憶は、あるいはそうした人たちが語り継いだものだったかもしれない。

 白い韓服の御一行を名所に案内すれば、山桜の白い花に白く光る月で白一色の世界になる。

 

季語は「花」で春、植物(木類)。「高麗人」は人倫。「月」は夜分、天象。

 

十八句目

 

   高麗人に名所を見する月と花

 春の海辺に鯛の浜焼       史邦

 (高麗人に名所を見する月と花春の海辺に鯛の浜焼)

 

 浜焼きはコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「広島県の郷土料理。とりたての魚を浜辺で焼くのをいうが、古くから浜焼きとはタイを材料とすることになっている。『和訓栞(わくんのしおり)』には「鯛(たい)などを塩を焼く釜(かま)の下に生ながら土に埋(い)けて後焼くなり」とある。『料理談合集』には「鯛をよく洗ひ、土間へ塩を厚く敷き、上へ鯛を置き上より瓦(かわら)を蓋(ふた)にして、後先も瓦にてふさぎ炭火を多く瓦の上よりかけて蒸焼きにし(中略)、急なる時は大竹串(たけぐし)にさして長火鉢の縁へ立てかけて焼く」とある。」

 

とある。

 ただ、『和訓栞(わくんのしおり)』は安永六年 (一七七七年)、『料理談合集』は享和元年(一八〇一年)と時代が下るので、芭蕉の時代でも同じ料理法だったかどうかはわからない。

 いずれにせよ、鯛は目出度いもので、お祝いの席などに出される。

 

季語は「春」で春。「海辺」「体」「浜焼」は水辺。

二表

十九句目

 

   春の海辺に鯛の浜焼

 昼さがり寝たらぬ空に帰る雁   凡兆

 (昼さがり寝たらぬ空に帰る雁春の海辺に鯛の浜焼)

 

 春の長閑な日にお祝いの宴で鯛の浜焼きをすれば、いつしか酔いも回って眠くなる。そんな時に帰る雁の姿が見える。

 

季語は「帰る雁」で春、鳥類。

 

二十句目

 

   昼さがり寝たらぬ空に帰る雁

 雨ほろほろと南吹也       去来

 (昼さがり寝たらぬ空に帰る雁雨ほろほろと南吹也)

 

 「南吹」は南風(はえ)の吹くことか。「ほろほろ」は「はらはら」「ぱらぱら」といったまばらな降り方をいう。花が散るときや涙が出る時にも用いられる。花の場合は、

 

 ほろほろと山吹散るか滝の音   芭蕉

 

の句がある。

 ほろほろと南風に乗って落ちてくる雨は、さながら雁の涙のようだ。

 

無季。「雨」は降物。

 

二十一句目

 

   雨ほろほろと南吹也

 米篩隣づからの物語       景桃丸

 (米篩隣づからの物語雨ほろほろと南吹也)

 

 「米篩(こめふるふ)」というのは脱穀した籾のゴミを取り除く作業。籾を落下させて風に当てることで軽い藁屑などを吹き飛ばす。

 「隣(となり)づから」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「隣どうしである間柄。」

 

とある。米を篩いながら、隣同士で世間話をしたりする。

 

無季。

 

二十二句目

 

   米篩隣づからの物語

 日をかぞへても駕篭は戻らず   芭蕉

 (米篩隣づからの物語日をかぞへても駕篭は戻らず)

 

 隣同士での噂話といえば急にいなくなった誰かのこと。駕篭に乗って旅に出たけど、なかなか帰って来ない。何があったのやら。

 

無季。

 

二十三句目

 

   日をかぞへても駕篭は戻らず

 くだり腹短夜ながら九十度    玄哉

 (くだり腹短夜ながら九十度日をかぞへても駕篭は戻らず)

 

 「くだり腹」は下痢のこと。それも一晩に九度も十度もトイレに行くほどのひどい下痢で、こんな状態だから駕篭は帰って来ない。O157のような病原性大腸菌の仕業か。

 

季語は「短夜」で夏、夜分。

 

二十四句目

 

   くだり腹短夜ながら九十度

 おさへはづして蚤逃しける    去来

 (くだり腹短夜ながら九十度おさへはづして蚤逃しける)

 

 下痢のひどい状態だから、蚤を捕まえようにも逃がしてしまう。

 

季語は「蚤」で夏、虫類。

 

二十五句目

 

   おさへはづして蚤逃しける

 閑なる窓に絵筆を引ちらし    史邦

 (閑なる窓に絵筆を引ちらしおさへはづして蚤逃しける)

 

 江戸時代に今のようなガラス窓がなかったことは「海くれて」の巻の八句目のところでも触れたが、中世の書院造りには和紙を張った「明かり障子」が登場する。これは「書院窓」とも呼ばれる。採光と喚起を行うためのものだった。

 こうした窓はある程度立派な屋敷かお寺などにあるもので、「閑なる窓」もこうした格式ある家の窓であろう。書院で絵を描いていると蚤がいるのを見つけ、つい墨のついた筆で捕まえようとしたのだろう。結果、墨が窓の障子に飛び散ることになる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   閑なる窓に絵筆を引ちらし

 麓の里のおてて恋しき      凡兆

 (閑なる窓に絵筆を引ちらし麓の里のおてて恋しき)

 

 「てて」は父(ちち)の母音交替。時代劇などでも「てておや」という言葉が使われてたりする。

 山寺に棲む年少の修行僧であろう。前句の「絵筆を引ちらし」を落書きのこととする。

 

無季。「里」は居所。

 

二十七句目

 

   麓の里のおてて恋しき

 首とる歟とらるべきかの烏啼ク  示右

 (首とる歟とらるべきかの烏啼ク麓の里のおてて恋しき)

 

 合戦の場面であろう。掃討戦になってくると辺りに死体が累々と横たわり、烏が群がってくる。やるかやられるかの極限の状況の中、思い出すのは里に残してきた父のこと。

 

無季「烏」は鳥類。

 

二十八句目

 

   首とる歟とらるべきかの烏啼ク

 野中に捨る銭の有たけ      好春

 (首とる歟とらるべきかの烏啼ク野中に捨る銭の有たけ)

 

 前句を山賊の襲撃とし、ありったけの銭を置いて逃げる。命あっての物種だ。

 

無季。

 

二十九句目

 

   野中に捨る銭の有たけ

 月ほそく小雨にぬるる石地蔵   史邦

 (月ほそく小雨にぬるる石地蔵野中に捨る銭の有たけ)

 

 前句の銭をお賽銭のこととする。村雨も上がり、明け方の空に細い月が浮かぶ。発心し、わずかな財産を捨てて仏道に入るのだろうか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「小雨」は降物。

 

三十句目

 

   月ほそく小雨にぬるる石地蔵

 世は成次第いも焼て喰フ     凡兆

 (月ほそく小雨にぬるる石地蔵世は成次第いも焼て喰フ)

 

 「成次第」は成り行きに任せること。英語だとlet it beか。

 村外れに佇む石地蔵。雨上がりの月の出る明け方、これからどうしようかと嘆いても始まらない。まずは芋でも食って、それから考えよう。どうせ成るようにしか成らないのだから。

 

季語は「いも」で秋。

二裏

三十一句目

 

   世は成次第いも焼て喰フ

 萩を子に薄を妻に家たてて    芭蕉

 (萩を子に薄を妻に家たてて世は成次第いも焼て喰フ)

 

 「いも焼て」というと今ではサツマイモの焼き芋を連想するが、当時はまだサツマイモはない。里芋は今ではもっぱら煮て食うが、かつては櫛に刺して味噌田楽にしたようだ。

 前句の場合は文無しで串に指して焚き火で炙っただけのような雰囲気だが、ここでは家を建てるくらいだから、それなりの味付けをしていたのだろう。芋というと徒然草第六十段の芋頭の僧都のことも思い浮かぶ。

 妻子を持たずにひっそりと暮らす風狂物のようだが、「妻」は薄で葺いた屋根の妻とも取れる。

 

季語は「萩」「薄」で秋、植物(草類)。「子」「妻」は人倫。「家」は居所。

 

三十二句目

 

   萩を子に薄を妻に家たてて

 あやの寝巻に匂ふ日の影     示右

 (萩を子に薄を妻に家たててあやの寝巻に匂ふ日の影)

 

 綾織物はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「模様を織り出した美しい絹織物。朝廷では五位以上の者の朝服に限り許されたが、蔵人(くろうど)は六位でも着用を許された。あやおり。あや。」

 

とある。前句の隠遁者のイメージにはそぐわない。ここは「萩」という娘と「薄」という妻のために家を建てて住まわせた、光源氏のような人物に取り成したか。

 

無季。「寝巻」は衣裳。「日」は天象。

 

三十三句目

 

   あやの寝巻に匂ふ日の影

 なくなくもちいさき草鞋求かね  去来

 (なくなくもちいさき草鞋求かねあやの寝巻に匂ふ日の影)

 

 これは『去来抄』「先師評」に、

 

  「あやのねまきにうつる日の影

 なくなくも小きわらぢもとめかね   去来

 此前句出て座中暫く付あぐみたり。先師曰、能上臈の旅なるべし。やがて此句を付く。好春曰、上人の旅とききて言下に句出いでたり。蕉門の徒、練各別也。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,26~27)

 

とある。

 前句が『源氏物語』のような王朝を連想させるだけに、そこから抜け出すのが難しかったのだろう。

 芭蕉のヒントは「上臈」よりもむしろ「旅」の方が重要だった。旅体に転じてはどうかというヒントで、去来のこの句ができたといっていいだろう。

 上臈の方は朝まで寝ているが、お付の者は草鞋を探して駆けずり回っている。

 

無季。旅体。「草鞋」は衣裳。

 

三十四句目

 

   なくなくもちいさき草鞋求かね

 たばこのかたの風にうごける     玄哉

 (なくなくもちいさき草鞋求かねたばこのかたの風にうごける)

 

 「たばこのかた」は『校本芭蕉全集 第四巻』の注に、

 

 「煙草の葉の形をした厚紙に渋を塗って店の軒にぶらさげた看板。」

 

とある。ネットで検索すると、吉田秀雄記念事業財団のページに「江戸期」の「諸国名葉」と書いてある煙草の葉の形をした看板を見ることができる。江戸中期には、菱形を縦に三つ繋げた看板にそれぞれ多・葉・粉と書いてあるものが用いられていたらしい。これは「たばこと塩の博物館」に再現されている。

 草鞋を探して宿場を歩いていると、ついつい煙草の看板に目が行ってしまうということか。

 

無季。

 

三十五句目

 

   たばこのかたの風にうごける

 真白に華表を見こむ花ざかり     景桃丸

 (真白に華表を見こむ花ざかりたばこのかたの風にうごける)

 

 会場となる上御霊神社の別当の息子さんにいわゆる「花を持たせる」ということで、二番目の花の定座は景桃丸が詠む。最初の花は季吟門からのゲストの好春が詠んだ。

 「華表」が「とりゐ」と読むのは、「海くれて」の巻の十二句目「花表はげたる松の入口 工山」の時と同様で、ここでは正花の「花」が登場するので同字を避けて「華」の字に変えてある。

 「見こむ」はよくわからないが、ついついじっと見てしまう、という意味だろうか。境内の花が満開で真っ白に見えるので、ついついそちらの方を見てしまう。

 ただ、花盛りも長く続くものではなく、やがて風に散る定めか、タバコ屋の看板が風に揺れている。

 

季語は「花」で春、植物(木類)。神祇。

 

挙句

 

   真白に華表を見こむ花ざかり

 霞にあぐる鷹の羽遣ひ        史邦

 (真白に華表を見こむ花ざかり霞にあぐる鷹の羽遣ひ)

 

 神社の花も満開になり、春の霞に若い鷹が羽遣いを覚え、高く舞い上がってゆく。景桃丸の成長を祈ってのことか、この一巻は目出度く締めくくられる。

 

季語は「霞」で春、聳物。「鷹」は鳥類。