「蓮池の」の巻、解説

貞享五年六月十九日岐阜

初表

 蓮池の中に藻の花まじりけり    芦文

   水おもしろく見ゆるかるの子  荷兮

 さざ波やけふは火とぼす暮待て   芭蕉

   肝のつぶるる月の大きさ    越人

 苅萱に道つけ人の通るほど     惟然

   鹿うつ小屋の昼はさびしき   炊玉

 真鉄ふくけぶりは空に細々と    落梧

   かし立岨の風のよめふり    蕉笠

 

初裏

 古寺の瓦葺たる軒あれて      己百

   夜る夜るちぎる盗人の妻    梅餌

 なみだより雨にしめりて蓑おもく  露蛩

   馬の乗たる舟のせばさよ    鷗歩

 須磨明石見残すほどに暑くなり   拾景

   筆ゆひかぬる茄子ちいさし   角呂

 蓬生の垣ねに機を巻かけて     東巡

   歯ぬけの祖父の念仏おかしき  芭蕉

 あし跡に米のこぼれていまいまし  越人

   つなげる舟に有明の月     芦文

 秋の風橋杭つくる手斧屑      荷兮

   はかまをかけて薄からする   惟然

 花盛り節句を山にくらしけり    炊玉

   僧のめしくふ鐘かすむ空    落梧

 

 

二表

 高欄にかぶりならびて長閑也    梅餌

   蹴あげし鞠に夕日まばゆき   露蛩

 みどりなる朴の木末の蝉の声    蕉笠

   弁當あらふ清水なりけり    己百

 微塵ばかりかたよせ通る風の跡   角呂

   荷を待かけて馬子のいさかひ  拾景

 手杵つく賤がかしらのとけながら  鷗歩

   もえしさる火にいとどせはしき 東巡

 雪の日は内迄鳥の餌をはみて    芦文

   琴ならひ居る梅の静さ     蕉笠

 朝霞生捕れたるものおもひ     惟然

   衣着かえねばわるき春雨    越人

 ほととぎす初音待夜はけはひして  芭蕉

   籬の月にくるま忍ばせ     炊玉

 

二裏

 この里に籾するおとのさらさらと  己百

   孝子蜜柑を折もちて行     角呂

 しらぬ川人のわたるを詠居て    東巡

   余所は降らん神のとどろき   拾景

 土とりに此片山を堀くづし     荷兮

   牛のくびする松うごきけり   芦文

 覆なき佛に鳥のとまりたる     惟然

   はしりあがりてわたるそり橋  鷗歩

 土産にとひろふ塩干の空貝     落梧

   風ひきたまふ声のうつくし   越人

 何國から別るる人ぞ衣かけて    芭蕉

   御隔子あぐる月の寒けき    落梧

 木枯に花散庭の笛つづみ      荷兮

   懐紙をつつむ直垂の霜     梅餌

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

   貞享三年戌辰歳林鐘十九日

    於岐阜興行

 蓮池の中に藻の花まじりけり   芦文

 

 前書きは宝永三年(一七〇六年)刊芦文編の『つばさ』にあるもので、貞享五年の間違い。戌辰(つちのえたつ)のほうは正しい。林鐘は陰暦六月の異称。

 蓮池の中に藻の花が混じるというのは、芦文の謙遜の意味も含まれていると思われる。

 

季語は「藻の花」で夏、水辺。「蓮池」も水辺、植物、草類。

 

 

   蓮池の中に藻の花まじりけり

 水おもしろく見ゆるかるの子   荷兮

 (蓮池の中に藻の花まじりけり水おもしろく見ゆるかるの子)

 

 「かる」はカルガモのこと。前句の謙遜の寓意はさらっと流して、蓮池に泳ぐカルガモの子どもを付ける。カルガモは何羽もの小鴨を引き連れて移動する。大手町のカルガモの引っ越しは昭和六十年に話題になった。

 

季語は「かるの子」で夏、鳥類、水辺。

 

第三

 

   水おもしろく見ゆるかるの子

 さざ波やけふは火とぼす暮待て  芭蕉

 (さざ波やけふは火とぼす暮待て水おもしろく見ゆるかるの子)

 

 「火とぼす暮」は暗に長良川の鵜飼いを指しているのだろう。鵜飼もいいがこうしてそれを待ちながらカルガモの子を見るのも癒される。

 

無季。「さざ波」は水辺。

 

四句目

 

   さざ波やけふは火とぼす暮待て

 肝のつぶるる月の大きさ     越人

 (さざ波やけふは火とぼす暮待て肝のつぶるる月の大きさ)

 

 登ったばかりの月は大きく見える。目の錯覚だというが。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五句目

 

   肝のつぶるる月の大きさ

 苅萱に道つけ人の通るほど    惟然

 (苅萱に道つけ人の通るほど肝のつぶるる月の大きさ)

 

 萱を刈って人が通れるほどの道ができたところにちょうど夕暮れの月が昇り、それが異様にでかく見える。

 

季語は「苅萱」で秋、植物、草類。「人」は人倫。

 

六句目

 

   苅萱に道つけ人の通るほど

 鹿うつ小屋の昼はさびしき    炊玉

 (苅萱に道つけ人の通るほど鹿うつ小屋の昼はさびしき)

 

 萱を刈って人が通れるほどの道は作ってあるけど、鹿を撃つための小屋は昼は人けもなく淋しい。害獣駆除のためなら百姓にも銃の所持が許されていた。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

 

七句目

 

   鹿うつ小屋の昼はさびしき

 真鉄ふくけぶりは空に細々と   落梧

 (真鉄ふくけぶりは空に細々と鹿うつ小屋の昼はさびしき)

 

 「真鉄(まがね)ふく」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (真金) 純粋の黄金。純金。しんきん。〔観智院本名義抄(1241)〕

  ② 鉄。くろがね。

  ※能因集(1045頃)下「さみだれにとくるまかねをみがきつつてるひと見ゆるます鏡かな」

  [語誌](1)「ま」は完美な、まったきの意の接頭語。「万葉集」や「古今集」の例は「まかねふく」という枕詞の形で見られる。同項の挙例「万葉‐三五六〇」は当時盛んであった造仏(大仏等)の際に、仏像への鍍金(葺く)の過程で金を水銀によって液状化して用いた(アマルガム法)ところから、水銀の産地である丹生にかける枕詞の用法として出てきたものであり、この「まかね」は黄金をいう。

  (2)鉄とする解釈は、「まかねふく②」の挙例「古今‐神あそびの歌」の理解から出たものと思われる。吉備国が著名な鉄の産地(久米郡久米町の大蔵池遺跡、他)であったところから、「まかね」が鉄と理解され、古今伝授の中で伝えられていった。」

 

とある。

 この場合は鉄の産地に掛からないので枕詞ではなく、鍛冶屋の煙と思われる。あるいは鉄砲の硝煙のことか。

 

無季。「けぶり」は聳物。

 

八句目

 

   真鉄ふくけぶりは空に細々と

 かし立岨の風のよめふり     蕉笠

 (真鉄ふくけぶりは空に細々とかし立岨の風のよめふり)

 

 樫は薪としては火力が強く長く燃える。前句の「真鉄ふく」を鍛冶屋のこととして良質な薪の得られる岨に住む。

 「よめふり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の「山鳴(やまならし)」の項に、

 

 「〘名〙 ヤナギ科の落葉高木。生長迅速で、各地の山地に生える。高さ五メートル内外。葉は長柄をもち広楕円状菱形、縁に細鋸歯(きょし)があり、裏は灰白色。雌雄異株。早春、葉に先立って紐状の尾状花序を垂れる。雄穂は紫紅色を帯び、長さ五センチメートルぐらい。雌穂は長さ一〇センチメートル内外。果実は長卵形。種子には白毛がある。材は柔らかく、箱材、マッチの軸木、つまようじ、げた、経木真田(さなだ)などに使う。和名は、葉がたてる音による。慣用漢名に白楊をあてる。はこやなぎ。まるばやなぎ。いぬやなぎ。よめふり。《季・春》 〔日本植物名彙(1884)〕」

 

とある。風にそよぐ音が雨の音に似ているというので「夜雨降(よめふ)り」と呼ばれているらしい。

 この場合は単に風が(樫の)梢を鳴らすことを「よめふり」と言っているのかもしれない。それほどヤマナラシという木に特別な意味は読み取れない。

 

無季。「かし」は植物、木類。「岨」は山類。

初裏

九句目

 

   かし立岨の風のよめふり

 古寺の瓦葺たる軒あれて     己百

 (古寺の瓦葺たる軒あれてかし立岨の風のよめふり)

 

 前句を山寺とする。前句の風が雨のような音を立てるという所から、瓦葺の軒も荒れて、と付く。

 

無季。釈教。

 

十句目

 

   古寺の瓦葺たる軒あれて

 夜る夜るちぎる盗人の妻     梅餌

 (古寺の瓦葺たる軒あれて夜る夜るちぎる盗人の妻)

 

 人のいない荒れ果てた古寺は泥棒が逢引の場所として利用している。そのうち出るんじゃないかな。生き霊だか死霊だかが。

 

無季。恋。「夜る」は夜分。「盗人の妻」は人倫。

 

十一句目

 

   夜る夜るちぎる盗人の妻

 なみだより雨にしめりて蓑おもく 露蛩

 (なみだより雨にしめりて蓑おもく夜る夜るちぎる盗人の妻)

 

 蓑を着て人目を忍んで逢っていると、涙ではなく雨でびしょ濡れになる。

 

無季。恋。「雨」は降物。「蓑」は衣裳。

 

十二句目

 

   なみだより雨にしめりて蓑おもく

 馬の乗たる舟のせばさよ     鷗歩

 (なみだより雨にしめりて蓑おもく馬の乗たる舟のせばさよ)

 

 狭い渡し舟に馬が乗ってくると余計に狭くなる。ただでさえ雨を含んだ蓑で重量オーバーなので、ちょっとでも動くと舟がひっくり返りそうだ。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。「舟」は水辺。

 

十三句目

 

   馬の乗たる舟のせばさよ

 須磨明石見残すほどに暑くなり  拾景

 (須磨明石見残すほどに暑くなり馬の乗たる舟のせばさよ)

 

 前句を海路で須磨に行ったとしたか。『源氏物語』では淀津から船に乗って川を下り海に出て、日が沈まぬうちに須磨に着いている。江戸時代でも急ぐ人は船を使ったのだろう。芭蕉も貞亨五年四月二十五日付猿雖宛書簡に、「十九日あまが崎出舩。兵庫に夜泊。」と記している。

 夏の暑い時期に須磨明石を訪れれば、暑さでばてて見残す所も出てくる。芭蕉も「この海見たらんこそ物にはかへられじと、あかしより須磨に帰りて泊る。」と一日で帰ってきている。

 

季語は「暑くなり」で夏。「須磨明石」は名所、水辺。

 

十四句目

 

   須磨明石見残すほどに暑くなり

 筆ゆひかぬる茄子ちいさし    角呂

 (須磨明石見残すほどに暑くなり筆ゆひかぬる茄子ちいさし)

 

 筆を作ることを「筆を結ふ」という。これは茄子の受粉のことではないかと思う。「ナスの花には千に一つのあだがない」というのは、茄子は雄花と雌花が分かれてないためだと言われている。ただ、雌蕊が発育不良だと受粉されずに花は落ちてしまう。

 「筆ゆひかぬる」は雌蕊を筆に見立てた、雌蕊が雄蕊の先よりも長く伸びてない「短花柱花」という意味ではないかと思う。

 

季語は「茄子」で夏。

 

十五句目

 

   筆ゆひかぬる茄子ちいさし

 蓬生の垣ねに機を巻かけて    東巡

 (蓬生の垣ねに機を巻かけて筆ゆひかぬる茄子ちいさし)

 

 機(はた)を巻くというのは経糸に横糸を掛けることで、ここでは比喩で、茄子が横に倒れて蓬の茂る垣根に横糸を通すような形になっている、ということではないか。

 

無季。「蓬」は植物、草類。

 

十六句目

 

   蓬生の垣ねに機を巻かけて

 歯ぬけの祖父の念仏おかしき   芭蕉

 (蓬生の垣ねに機を巻かけて歯ぬけの祖父の念仏おかしき)

 

 前句を蓬に蔓草の茂った荒れた隠居所とし、歯の抜けた祖父(ぢぢ)がふがふがと念仏を唱え、お勤めを行っている。

 

無季。釈教。「祖父」は人倫。

 

十七句目

 

   歯ぬけの祖父の念仏おかしき

 あし跡に米のこぼれていまいまし 越人

 (あし跡に米のこぼれていまいまし歯ぬけの祖父の念仏おかしき)

 

 仏壇に供えたご飯を下げて食べる時に、歯が抜けているから足もとにこぼれるということか。

 

無季。

 

十八句目

 

   あし跡に米のこぼれていまいまし

 つなげる舟に有明の月      芦文

 (あし跡に米のこぼれていまいましつなげる舟に有明の月)

 

 荷揚げした米俵に鼠が穴をあけたか、米がこぼれている。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「舟」は水辺。

 

十九句目

 

   つなげる舟に有明の月

 秋の風橋杭つくる手斧屑     荷兮

 (秋の風橋杭つくる手斧屑つなげる舟に有明の月)

 

 「手斧(てうな)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「ておの」の変化した語) 大工道具の一つ。斧でざっとけずった材木を、さらに平らにするために用いる鍬(くわ)形の刃物。ちょうの。ちょんの。

  ※俳諧・つばさ(1706)下「つなげる舟に有明の月〈芦文〉 秋の風橋杭つくる手斧屑〈荷兮〉」

  ※歌舞伎・歳市廓討入(1863)「手斧(テウナ)でなぐり掛け」

 

とある。

 朝の未明に橋の工事が行われていて、秋風に手斧屑が舞い上がる。

 

季語は「秋の風」で秋。「橋杭」は水辺。

 

二十句目

 

   秋の風橋杭つくる手斧屑

 はかまをかけて薄からする    惟然

 (秋の風橋杭つくる手斧屑はかまをかけて薄からする)

 

 橋の工事のために邪魔なススキを刈っている。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。「はかま」は衣裳。

 

二十一句目

 

   はかまをかけて薄からする

 花盛り節句を山にくらしけり   炊玉

 (花盛り節句を山にくらしけりはかまをかけて薄からする)

 

 節句を山で過ごすから袴は必要ないで部屋に掛けておいて、去年の枯れたススキを刈って庭を整える。世間は花盛りだが。

 

季語は「花盛り」で春、植物、木類。「山」は山類。

 

二十二句目

 

   花盛り節句を山にくらしけり

 僧のめしくふ鐘かすむ空     落梧

 (花盛り節句を山にくらしけり僧のめしくふ鐘かすむ空)

 

 前句の山に暮らす者を僧とする。

 

季語は「かすむ」で春、聳物。釈教。「僧」は人倫。

二表

二十三句目

 

   僧のめしくふ鐘かすむ空

 高欄にかぶりならびて長閑也   梅餌

 (高欄にかぶりならびて長閑也僧のめしくふ鐘かすむ空)

 

 大きなお寺として高欄(かうらん)を付ける。コトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「勾欄とも記。宮殿,寺院などの回り縁,橋の両側,須弥(しゅみ)壇の周囲など,人が落ちないよう,また意匠的美観から設ける手すり。3段の横木からなり,柱頭に擬宝珠(ぎぼし)をつけたものを擬宝珠高欄,すみに擬宝珠がなく端部の先端をはね出したのを刎(はね)高欄と呼ぶ。」

 

とある。

 高欄の向こうの部屋に被り物をした僧が並んで食事をしている。

 

季語は「長閑」で春。

 

二十四句目

 

   高欄にかぶりならびて長閑也

 蹴あげし鞠に夕日まばゆき    露蛩

 (高欄にかぶりならびて長閑也蹴あげし鞠に夕日まばゆき)

 

 前句の高欄を皇居か貴族の家として、蹴鞠を付ける。

 

無季。「夕日」は天象。

 

二十五句目

 

   蹴あげし鞠に夕日まばゆき

 みどりなる朴の木末の蝉の声   蕉笠

 (みどりなる朴の木末の蝉の声蹴あげし鞠に夕日まばゆき)

 

 蹴鞠はこの時代、町人の間でも流行した。ウィキペディアには、

 

 「江戸時代前半に、中世に盛んだった技芸のいくつかが町人の間で復活したが、蹴鞠もその中に含まれる。公家文化に触れることの多い上方で盛んであり、井原西鶴は『西鶴織留』で町民の蹴鞠熱を揶揄している。」

 

とある。

 

 椑柿や鞠のかゝりの見ゆる家   珍碩

 

という句が元禄三年刊之道編の『江鮭子(あめこ)』にある。

 蝉の鳴く夕暮れに蹴鞠する庶民もいた。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。「朴」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   みどりなる朴の木末の蝉の声

 弁當あらふ清水なりけり     己百

 (みどりなる朴の木末の蝉の声弁當あらふ清水なりけり)

 

 弁当は竹の葉に包んだような簡単なものから蒔絵入りの立派な幾つもの重箱や食器がセットになった弁当箱に入ったものまで、ピンからキリまであった。

 食べた後は清水で手を洗い、弁当箱があればそれも洗う。

 

季語は「清水」で夏、水辺。

 

二十七句目

 

   弁當あらふ清水なりけり

 微塵ばかりかたよせ通る風の跡  角呂

 (微塵ばかりかたよせ通る風の跡弁當あらふ清水なりけり)

 

 弁当箱を洗ったあとは風がごみを道の片側に片寄せて通って行く。

 

無季。

 

二十八句目

 

   微塵ばかりかたよせ通る風の跡

 荷を待かけて馬子のいさかひ   拾景

 (微塵ばかりかたよせ通る風の跡荷を待かけて馬子のいさかひ)

 

 ゴミの風に舞う道端では、荷待ちの馬子が何やら言い争っている。荷待ちの列に割り込んだ奴がいたのか。

 

無季。「馬」は獣類。「馬子」は人倫。

 

二十九句目

 

   荷を待かけて馬子のいさかひ

 手杵つく賤がかしらのとけながら 鷗歩

 (手杵つく賤がかしらのとけながら荷を待かけて馬子のいさかひ)

 

 「手杵(てぎね)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 中央のくびれた部分を手で握って、まっすぐにつくように作られたきね。かちぎね。

  ※百姓伝記(1673‐81頃)一五「手杵は長さ三尺二三寸」

 

とある。

 「かしらのとける」は髻がほどけて大わらわになろうとしている様。精米作業か、精米した米を運ぶ馬子が待っていて、早くしろとせっつかれる中、慌てて米を搗いている。

 唐臼で搗くよりも手杵で搗く方がきついが、その分早いのだろう。

 

無季。「賤」は人倫。

 

三十句目

 

   手杵つく賤がかしらのとけながら

 もえしさる火にいとどせはしき  東巡

 (手杵つく賤がかしらのとけながらもえしさる火にいとどさはしき)

 

 「もえしさる(燃退)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘自ラ四〙 薪の、かまどの外にはみ出した部分にまで、炎が燃え移る。炭や薪以外のものに火が移る。また、もえさしになる。燃え残る。燃えすさる。

  ※浮世草子・日本永代蔵(1688)六「大釜の下より大束の葭もへしさりしに」

 

とある。

 髪を振り乱して米を搗いている一方で竈からは萌えた薪がこぼれて火が燃え移る。これは大変だ。

 

無季。

 

三十一句目

 

   もえしさる火にいとどせはしき

 雪の日は内迄鳥の餌をはみて   芦文

 (雪の日は内迄鳥の餌をはみてもえしさる火にいとどせはしき)

 

 雪の日は部屋の中まで鳥が入ってきて米を盗んでゆくので、それを追っ払っていると薪が竃からこぼれて忙しい。

 

季語は「雪」で冬、降物。「鳥」は鳥類。

 

三十二句目

 

   雪の日は内迄鳥の餌をはみて

 琴ならひ居る梅の静さ      蕉笠

 (雪の日は内迄鳥の餌をはみて琴ならひ居る梅の静さ)

 

 琴の練習をしながら外には梅が咲くが、まだ冬なので鳥は餌を食うだけで鳴かない。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。

 

三十三句目

 

   琴ならひ居る梅の静さ

 朝霞生捕れたるものおもひ    惟然

 (朝霞生捕れたるものおもひ琴ならひ居る梅の静さ)

 

 「生捕れたる」で売られてきた遊女の身に転じる。お座敷に出るために琴を習う。

 

季語は「朝霞」で春、聳物。恋。

 

三十四句目

 

   朝霞生捕れたるものおもひ

 衣着かえねばわるき春雨     越人

 (朝霞生捕れたるものおもひ衣着かえねばわるき春雨)

 

 春雨で客を取ったあとはじめじめして気持ち悪い。

 

季語は「春雨」で春、降物。恋。「衣」は衣裳。

 

三十五句目

 

   衣着かえねばわるき春雨

 ほととぎす初音待夜はけはひして 芭蕉

 (ほととぎす初音待夜はけはひして衣着かえねばわるき春雨)

 

 晩春の雨の日にホトトギスの初音を待っていると、男が通ってくる気配がして、勝負服に着替えなくてはと思う。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。「待夜」は夜分。

 

三十六句目

 

   ほととぎす初音待夜はけはひして

 籬の月にくるま忍ばせ      炊玉

 (ほととぎす初音待夜はけはひして籬の月にくるま忍ばせ)

 

 籬(まがき)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 竹や柴などで目をあらく編んだ垣。ませ。ませがき。まがきね。

  ※書紀(720)継体六年一二月(前田本訓)「官家(みやけ)を置きて、海表の蕃屏(マカキ)と為て」

  ※梵舜本沙石集(1283)八「春の鶯の、籬(マガキ)の竹におとづれむを聞かんやうに」

  ② 遊郭の見世(みせ)と、その入口の落間(おちま)との間の格子戸(こうしど)。

  ※仮名草子・都風俗鑑(1681)一「名におふ嶋原や、籬(マガキ)のかいまみに首尾をたどらぬはなし」

  ③ 「まがきぶし(籬節)」の略。」

 

とある。この場合は牛車で忍んで来るから王朝時代の設定で、①の意味になる。『源氏物語』花散里などの隠棲している女を尋ねてくるような雰囲気だろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。

二裏

三十七句目

 

   籬の月にくるま忍ばせ

 この里に籾するおとのさらさらと 己百

 (この里に籾するおとのさらさらと籬の月にくるま忍ばせ)

 

 田舎の景色を付けて恋離れとする。

 

季語は「籾する」で秋。「里」は居所。

 

三十八句目

 

   この里に籾するおとのさらさらと

 孝子蜜柑を折もちて行      角呂

 (この里に籾するおとのさらさらと孝子蜜柑を折もちて行)

 

 『二十四孝』の陸績であろう。ウィキペディアに、

 

 「陸績は6歳の時に袁術の所に居た。袁術は陸績のために、おやつとして蜜柑を与えた。陸績はそれを3つ取って帰ろうとすると、袖から蜜柑がこぼれてしまった。袁術は「陸績君は幼いのに泥棒のようなことをするのかね」と言ったところ、陸績は「あまりに見事な蜜柑なので、家に持ち帰って母に食べさせ、恩に報いようと思いました」と言った。袁術はこれを聞いて「幼いのに何という親孝行な子供であろうか、過去現在において稀な心がけである」と褒め称えた。」

 

とある。前句を母の里とする。本説付け。

 

季語は「蜜柑」で秋。「孝子」は人倫。

 

三十九句目

 

   孝子蜜柑を折もちて行

 しらぬ川人のわたるを詠居て   東巡

 (しらぬ川人のわたるを詠居て孝子蜜柑を折もちて行)

 

 「詠」は「ながめ」。

 知らない川は人が渡るのを見て渡れることを確認したうえで渡る。特に陸績にそういうエピソードがあるわけではない。こういう人ならそうしそうだというのを何となくそれっぽく付ける。

 

無季。「川」は水辺。「人」は人倫。

 

四十句目

 

   しらぬ川人のわたるを詠居て

 余所は降らん神のとどろき    拾景

 (しらぬ川人のわたるを詠居て余所は降らん神のとどろき)

 

 雷が鳴っているので上流では雨が降っている。すぐに増水する恐れがあるので渡らずに待ってよう。

 

無季。

 

四十一句目

 

   余所は降らん神のとどろき

 土とりに此片山を堀くづし    荷兮

 (土とりに此片山を堀くづし余所は降らん神のとどろき

 

 山の半分を掘り崩してその土で堤防を作ったので、雨が降ってもこちら側は大丈夫だ。対岸の方は知らん。輪中地域の話だろう。

 

無季。「片山」は山類。

 

四十二句目

 

   土とりに此片山を堀くづし

 牛のくびする松うごきけり    芦文

 (土とりに此片山を堀くづし牛のくびする松うごきけり)

 

 土を運ぶ牛も泥だらけで、松の幹に体をこすりつけて泥を落とす。

 

無季。「牛」は獣類。「松」は植物、木類。

 

四十三句目

 

   牛のくびする松うごきけり

 覆なき佛に鳥のとまりたる    惟然

 (覆なき佛に鳥のとまりたる牛のくびする松うごきけり)

 

 伊賀の護峰山新大仏寺であろう。芭蕉がこの春訪れて、

 

 丈六にかげらふ高し石の上    芭蕉

 

の句を詠んでいる。

 

無季。釈教。「鳥」は鳥類。

 

四十四句目

 

   覆なき佛に鳥のとまりたる

 はしりあがりてわたるそり橋   鷗歩

 (覆なき佛に鳥のとまりたるはしりあがりてわたるそり橋)

 

 そり橋は太鼓橋とも言われる、アーチ状の橋。

 前句を鎌倉の大仏として鶴岡八幡宮の太鼓橋を付けたか。

 

無季。「そり橋」は水辺。

 

四十五句目

 

   はしりあがりてわたるそり橋

 土産にとひろふ塩干の空貝    落梧

 (土産にとひろふ塩干の空貝はしりあがりてわたるそり橋)

 

 前句を難波の住吉大社のそり橋とする。昔は住吉神社は海辺にあって、潮干狩りで賑わった。

 土産の「空(うつせ)貝」は『今昔物語』巻二十四第四十二話に、

 

 拾いおきし君もなぎさのうつせ貝

     いまはいづれの浦によらまし

 

の歌がある。

 

無季。「塩干」は水辺。

 

四十六句目

 

   土産にとひろふ塩干の空貝

 風ひきたまふ声のうつくし    越人

 (土産にとひろふ塩干の空貝風ひきたまふ声のうつくし)

 

 潮干狩りで水に濡れて風邪を引いたということか。やや唐突な感じのする展開で、無理に恋にもっていこうとしたか。「目病み女に風邪引き男」という諺があるが、どちらも色っぽく感じられるという意味。

 全く同じ句がこの年の秋芭蕉との両吟歌仙「雁がねも」の巻(『阿羅野』所収)十四句目にある。

 

   きぬぎぬやあまりかぼそくあてやかに

 かぜひきたまふ声のうつくし   越人

 

 この付け筋は前句の「かぼそく」に「かぜひきたまふ」でわかりやすい。あるいは芭蕉が、この句はこういう時に付けるべき句だとでも教えたか。

 

無季。恋。

 

四十七句目

 

   風ひきたまふ声のうつくし

 何國から別るる人ぞ衣かけて   芭蕉

 (何國から別るる人ぞ衣かけて風ひきたまふ声のうつくし)

 

 「何國」は「いづく」。ともに旅をしていて、途中から道が分かれ、別の所にゆく人が、風邪を引いていたか衣(きぬ)を掛けてやる。

 

無季。恋。旅体。「人」は人倫。「衣」は衣裳。

 

四十八句目

 

   何國から別るる人ぞ衣かけて

 御隔子あぐる月の寒けき     落梧

 (何國から別るる人ぞ衣かけて御隔子あぐる月の寒けき)

 

 御隔子は「みかうし」。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 格子、格子戸を尊んでいう語。

  ※大和(947‐957頃)一二五「みかうしあげさわぐに壬生忠岑御供にあり」

  ② (①を下ろして寝るところから) 天皇がおやすみになること。御寝。

  ※浄瑠璃・惟喬惟仁位諍(1681頃)二「其夜も更けゆきてみかうしならせ給ひければ諸卿残らず退出し」

 

とある。寝殿造りの蔀戸(しとみど)のこと。

 これから他国へ赴任する人を見送り、蔀戸を開けると月が寒々としている。

 

季語は「月の寒けき」で冬、夜分、天象。「御隔子」は居所。

 

四十九句目

 

   御隔子あぐる月の寒けき

 木枯に花散庭の笛つづみ     荷兮

 (木枯に花散庭の笛つづみ御隔子あぐる月の寒けき)

 

 木枯らしに散る花というと山茶花だろうか。厳密には正花といえないだろう。

 前句の御隔子を神社とし、神楽を付ける。

 

季語は「木枯」で冬。「花」は植物、木類。

 

挙句

 

   木枯に花散庭の笛つづみ

 懐紙をつつむ直垂の霜      梅餌

 (木枯に花散庭の笛つづみ懐紙をつつむ直垂の霜)

 

 直垂は神主さんだろう。懐紙はウィキペディアに、

 

 「懐紙(かいし、ふところがみ)とは、懐に入れて携帯するための小ぶりで二つ折りの和紙のことである。手にして持ち歩いている紙という意味で手紙(てがみ)ともいう。

 平安貴族から現代一般人にいたるまでメモ用紙、ハンカチ、ちり紙、便箋などの様々な用途で使われてきた。」

 

とある。連歌や俳諧を記すのにも使われるが、ここでは直垂の霜を包んで拭うのに用いる。

 ただ、一巻の挙句という意味では、この五十韻一巻の二枚の懐紙は直垂の霜のようなものでお粗末様、という終わり方になる。

 

季語は「霜」で冬、降物。「直垂」は衣裳。