「塩にしても」の巻、解説

延宝六年冬、江戸にて

初表

 

 塩にしてもいざことづてん都鳥     桃青

   只今のぼる波のあぢ鴨      春澄

 川淀の杭木や龍のつたふらん     似春

   千年になる苔みどり也      桃青

 まだとはばいかなるうそを岩根の月  春澄

   高う吹出す山の秋風       似春

 

初裏

 ふらすこのみえすく空に霧晴て    桃青

   油なになに雲ぞなだるる     春澄

 浦嶋や櫛箱あけてくやむらん     似春

   鼠あれゆく与謝の夕浪      桃青

 捨小舟米蛇の跡さびて        春澄

   蔵も籬も水草生けり       似春

 今朝みればゐてこし女は貧報神    桃青

   大酒ぐらひ口そへて露      春澄

 一座の月八つのかしらをふり立て   似春

   ばくちに成し小男鹿の角     桃青

 数芝ゐぬれてや袖の雨の花      春澄

   在郷寺を宿として春       似春

 

 

二表

 麦食の𦬇や爰に霞むらん       桃青

   妙なるのりととろろとかるる   春澄

 幽霊は紙漉舟にうかび出       似春

   さかさまにはひよる浅草の浪   桃青

 またぐらから金龍山やみえつらん   春澄

   聖天高くつもるそろばん     似春

 帳面のしめを油にあげられて     桃青

   ながるる年は石川五右衛門    春澄

 まかなひをすいたの太郎左いかならん 似春

   既に所帯も軍やぶれて      桃青

 軒の月横町さして落給ふ       春澄

   後家を相手に恋衣うつ      似春

 

二裏

 去男かねにほれたる秋更て      桃青

   鶉の床にしめころし鳴ク     春澄

 産出すを見ぐるし野とや思ふらん   似春

   きせうものなき天のかぐ山    桃青

 さほ姫のよめり時分も花過て     似春

   古巣にかへる仲人の鳥      春澄

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 塩にしてもいざことづてん都鳥  桃青

 

 言わずと知れた『伊勢物語』の在原業平の歌、

 

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥

     わが思ふ人はありやなしやと

 

によるものだが、このあと春澄が京へ戻るというので、都鳥を塩漬けにしてお土産に持たせたいというものだ。

 もちろん冗談で、ユリカモメを食べる習慣はない。

 

季語は「都鳥」で冬、鳥類、水辺。

 

 

   塩にしてもいざことづてん都鳥

 只今のぼる波のあぢ鴨      春澄

 (塩にしてもいざことづてん都鳥只今のぼる波のあぢ鴨)

 

 都鳥は食べないけどあぢ鴨(トモエガモ)は美味なので、都鳥は言伝だけにして、ただいまトモエガモが都へと上ります、とする。ウィキペディアには、

 

 「食用とされることもあった。またカモ類の中では最も美味であるとされる。そのため古くはアジガモ(味鴨)や単にアジ(䳑)と呼称されることもあった。 アジガモが転じて鴨が多く越冬する滋賀県塩津あたりのことを指す枕詞「あじかま」が出来た。」

 

とある。

 

 あぢかまの塩津を指して漕ぐ船の

     名はいひてしを逢はらざむやも

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌がある。

 春澄は京に戻ったあと、信徳編の『俳諧七百五十韻』(延宝九年刊)に参加する。これに答えて江戸で桃青・其角・才丸・揚水の四人で残り二百五十韻を詠んだのか『俳諧次韻』だった。

 

季語は「あぢ鴨」で冬、鳥類、水辺。「波」は水辺。

 

第三

 

   只今のぼる波のあぢ鴨

 川淀の杭木や龍のつたふらん   似春

 (川淀の杭木や龍のつたふらん只今のぼる波のあぢ鴨)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 吉野なる夏箕の川の川淀に

     鴨ぞ鳴くなる山陰にして

              湯原王(新古今集)

 

の歌があり、川淀と鴨の縁がある。前句の「のぼる」に「龍」が付くことで、龍が川淀の杭を伝って登る、となる。

 似春はコトバンクの「朝日日本歴史人物事典の解説」に、

 

 「没年:元禄年間?(1688~1704)

生年:生年不詳

江戸前期の俳人。通称は平左衛門。俳号は初め似春,晩年に自準と改める。別号,泗水軒。京都大宮に住したようだが,のち江戸本町に移る。晩年は下総行徳で神職に就く。俳諧は初め北村季吟に学び,のち西山宗因に私淑する。『続山井』(1667)以下季吟・宗因系の選集に多くの入集をみている。江戸に移住後は,松尾芭蕉とも交わり,江戸の新風派として活躍した。延宝7(1679)年冬,上方に行脚,諸家と連句を唱和して『室咲百韻』(『拾穂軒都懐紙』とも)を編み,帰府後には『芝肴』を編んでいる。晩年は隠遁,清貧を志向し,「世をとへばやすく茂れる榎かな」などの句を残している。」

 

とある。言水編『東日記』(延宝九年刊)に、

 

   世をいとふ心はあれど猶はた物

   くらふ事のあまり成をにくみて

 かくれ家や蚤の心を種として   似春

 酒遠しわすれぬ柚子を吹嵐    同

 

の句がある。

 

無季。「川淀」は水辺。

 

四句目

 

   川淀の杭木や龍のつたふらん

 千年になる苔みどり也      桃青

 (川淀の杭木や龍のつたふらん千年になる苔みどり也)

 

 山深い手つかずの森であろう。岩や倒木は苔むしていて、こういうところなら龍が潜んでいてもおかしくない。

 千年の苔は、

 

 松の苔千歳をかねておひ茂れ

     鶴のかひこの巣とも見るへく

              清原元輔(拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。

 

五句目

 

   千年になる苔みどり也

 まだとはばいかなるうそを岩根の月 春澄

 (まだとはばいかなるうそを岩根の月千年になる苔みどり也)

 

 千年の苔と岩根の縁は、

 

 常磐なる山の岩根にむす苔の

     染めぬ緑に春雨ぞ降る

              藤原良経(新古今集)

 

の歌にもある。

 謡曲では「岩根」は「居る」に掛けて「しばし岩根の松ほどに」(『通盛』)とも用いられているが、ここでは「嘘を言う」に掛けて用いられている。「いかなるうそを岩根の月」は「いかなるうそを言う、岩根の月」となるが、これは反語で、千年の苔の緑は嘘ではないと、月も証明してくれる、となる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   まだとはばいかなるうそを岩根の月

 高う吹出す山の秋風       似春

 (まだとはばいかなるうそを岩根の月高う吹出す山の秋風)

 

 前句の反語を疑問に取り成し、どんな嘘をついたのか、山の秋風までが吹き出して大笑いしている。

 秋風の月は、

 

 秋風にたなびく雲の絶え間より

     もれ出づる月の影のさやけさ

              藤原顕輔(新古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「秋風」で秋。「山」は山類。

初裏

七句目

 

   高う吹出す山の秋風

 ふらすこのみえすく空に霧晴て  桃青

 (ふらすこのみえすく空に霧晴て高う吹出す山の秋風)

 

 フラスコというと今の日本では理科の実験に使うガラス容器だが、本来は実験に関係なく、ポルトガル語でガラス容器一般をさす言葉だった。

 透き通ったガラスの珍しかった時代、山の秋風に霧が晴れてフラスコのように向こう側が見えるようになった、とする。

 秋風に霧晴れては、

 

 秋の田の穂向けかたより吹く風に

     山本見えて春る夕霧

              葉室光俊(続拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「霧」で秋、聳物。

 

八句目

 

   ふらすこのみえすく空に霧晴て

 油なになに雲ぞなだるる     春澄

 (ふらすこのみえすく空に霧晴て油なになに雲ぞなだるる)

 

 「なだる」は口語の「なだれる」と同じで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「傾・雪崩・頽」の解説」に、

 

 「① 斜めに傾く。傾斜する。

  ※太平記(14C後)二〇「西へなだれたる尾崎は平地につづきたれば」

  ② 斜めにくずれ落ちる。くずれて、しだいにすべり落ちる。崩壊する。特に、雪や土砂などが、くずれ落ちる。

  ※為尹千首(1415)夏「今日いくか猶五月雨のふるはたをなだれて埋む山のしゐ柴」

  ③ 勢いよく、おし寄せる。人波などが、一時に、どっとあふれるように揺れ動く。また、軍勢などが敗走する。

  ※御伽草子・鴉鷺合戦物語(室町中)「南へなだれんずるところを、〈略〉野伏どもに横矢に射殺させ」

 

とある。倒れた瓶から油がこぼれるように、霧が晴れてゆくとともに雲が傾いて崩れて行く。

 霧と雲の晴れるは、

 

 おほたけの峰吹く風に霧晴れて

     鏡の山に月ぞくもらぬ

              慈円(新勅撰集)

 

の歌がある。

 

無季。「雲」は聳物。

 

九句目

 

   油なになに雲ぞなだるる

 浦嶋や櫛箱あけてくやむらん   似春

 (浦嶋や櫛箱あけてくやむらん油なになに雲ぞなだるる)

 

 浦島太郎が玉手箱を開けると煙が出て、という場面を雲の崩れてゆく様に喩える。『校本芭蕉全集 第三巻』の注にもあるように、謡曲『海士』の、

 

 「夜こそ契れ夢人の、あけて悔しき浦島が、親子の契り朝汐の波の底に」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.87362-87365). Yamatouta e books. Kindle 版.)

 

の一節を踏まえている。謡曲の方は「開けて」をさらに「夜が明けて」に掛けている。

 

無季。

 

十句目

 

    浦嶋や櫛箱あけてくやむらん

 鼠あれゆく与謝の夕浪      桃青

 (浦嶋や櫛箱あけてくやむらん鼠あれゆく与謝の夕浪)

 

 与謝の海は天橋立の外側の海をいう。謡曲『大江山』にも「天の橋立与謝の海」とある。ここには与謝神社があり、浦島太郎の伝説の地とされている。

 前句の櫛箱を開けたのを鼠がひっくり返して開けたとして、どたどたと鼠の走り回る音があたかも与謝の夕浪のように聞こえる。

 

 みさごゐる沖の白洲に潮越えて

     夕波荒るる与謝の浦風

              (夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。「鼠」は獣類。「夕浪」は水辺。

 

十一句目

 

   鼠あれゆく与謝の夕浪

 捨小舟米蛇の跡さびて      春澄

 (捨小舟米蛇の跡さびて鼠あれゆく与謝の夕浪)

 

 「米蛇(こめくちなわ)」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「米蔵に居て米を食う白蛇で鼠をとる。」とある。米を食われたら困る。これは「米蔵に居る白蛇で米を食う鼠をとる。」の間違いではないかと思う。アオダイショウのアルビノは日本では古くから信仰の対象になっていた。特に岩国のシロヘビは国の天然記念物にも指定されている。

 白蛇様がいなくなれば米蔵は鼠の天下で荒れ放題。米を運ぶための小舟も捨て置かれたままになっている。

 

無季。「捨小舟」は水辺。

 

十二句目

 

   捨小舟米蛇の跡さびて

 蔵も籬も水草生けり       似春

 (捨小舟米蛇の跡さびて蔵も籬も水草生けり)

 

 米蔵が荒れ果てたのを洪水や川の移動などで浸水したためとする。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注によれば、「蔵も籬(まがき)も」は、

 

 里はあれて人はふりにし宿なれや

     庭もまがきも秋の野らなる

              僧正遍照(古今集)

 

「水草(みくさ)生(おひ)けり」は、

 

 わが門の板井の清水里遠み

     人し汲まねば水草生ひにけり

              よみ人しらず(古今集)

 

を證歌とする。

 

無季。「水草」は植物、草類、水辺。

 

十三句目

 

   蔵も籬も水草生けり

 今朝みればゐてこし女は貧報神  桃青

 (今朝みればゐてこし女は貧報神蔵も籬も水草生けり)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は「ゐてこし女」は『伊勢物語』第六段「芥川」の「見れば率(ゐ)てこし女もなし」を引いている。いなくなった女は鬼に食われたということになっている。

 ここではその言葉だけを借りて、蔵が荒れたのを女が貧乏神だからだとする。

 このように和歌、物語、謡曲の言葉などをつなぎ合わせて作ってゆくのがこの頃の俳諧で、共通言語のなかった時代に、多くの俳諧師たちによって俳諧の言葉を作ってゆく過程にあった。都市部を中心にある程度共通の口語が広まってくると、出典を意識せずとも自在に句を詠むような「軽み」が可能になる。

 

無季。恋。「女」は人倫。

 

十四句目

 

   今朝みればゐてこし女は貧報神

 大酒ぐらひ口そへて露      春澄

 (今朝みればゐてこし女は貧報神大酒ぐらひ口そへて露)

 

 女は貧乏神の大酒飲みに頼まれて酒の工面をしているのだろう。末尾に放り込みで「露」というときは涙という意味で、今で言えば「大酒ぐらひ口そへて( TДT)」のようなものだろう。

 

季語は「露」で秋、降物。恋。

 

十五句目

 

   大酒ぐらひ口そへて露

 一座の月八つのかしらをふり立て 似春

 (一座の月八つのかしらをふり立て大酒ぐらひ口そへて露)

 

 大酒飲みといえば「うわばみ」。八つの頭といえば伝説の八岐大蛇(やまたのおろち)。宴会の一座にこんな大うわばみがいて暴れられると厄介だ。前句の「露」の縁で「一座の月」と「月」を放り込む。一座の主役くらいの意味だろう。

 月に露は付け合い。

 

 もろともに草葉の露のおきゐずは

     ひとりや見まし秋の夜の月

              顕仲卿女(金葉集)

 

を始めとして、月に露を詠んだ例は数多くある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   一座の月八つのかしらをふり立て

 ばくちに成し小男鹿の角     桃青

 (一座の月八つのかしらをふり立てばくちに成し小男鹿の角)

 

 鹿の角はサイコロの材料になる。鹿の角で作ったものを頭(かしら)が振ることで博奕が始まる。

 前句の「月八つ」はこの場合時刻の夜の八つ、丑三つ時に取り成されたか。

 小男鹿の月は、

 

 思ふこと有明がたの月影に

     あはれをそふるさを鹿の聲

              皇后宮右衞門佐(金葉集)

 

など、歌に詠まれている。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

 

十七句目

 

   ばくちに成し小男鹿の角

 数芝ゐぬれてや袖の雨の花    春澄

 (数芝ゐぬれてや袖の雨の花ばくちに成し小男鹿の角)

 

 この場合の「数」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘接頭〙 名詞の上に付けて、数が多い、安っぽい、粗末な、の意を表わす。「かず扇」「かず雪踏」「かず長櫃」など。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)一〇「ばくちに成し小男鹿の角〈芭蕉〉 数芝ゐぬれてや袖の雨の花〈春澄〉」

 

とある。

 どこにでもあるような芝居小屋で、雨で花見に来る人もなく暇を持て余し、結局博奕になる。

 雨の花は、

 

 狩り雨は降り来ぬ同じくは

     濡るとも花の蔭に隠れむ

              よみ人しらず(拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「雨」は降り物。

 

十八句目

 

   数芝ゐぬれてや袖の雨の花

 在郷寺を宿として春       似春

 (数芝ゐぬれてや袖の雨の花在郷寺を宿として春)

 

 在郷は郷里、田舎のこと。田舎わたらいをする役者集団がお寺に宿泊する。

 

季語は「春」で春。釈教。

二表

十九句目

 

   在郷寺を宿として春

 麦食の𦬇や爰に霞むらん     桃青

 (麦食の𦬇や爰に霞むらん在郷寺を宿として春)

 

 𦬇は菩薩の略字。「ささぼさつ」ともいう。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「「菩薩」の2字の草冠を合わせて「𦬇」とだけ書いた字。「菩薩」の略字として、仏書などの書写に多く使われる。片仮名の「サ」を重ねたように見えるのでいう。」

 

とある。

 田舎の寺の菩薩像のお供えは麦飯だったして、忘れ去られたように霞んでいる。

 春に霞は、

 

 春霞たなひく山のさくら花

     うつろはむとや色かはりゆく

              よみ人しらず(古今集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「霞む」で春、聳物。釈教。

 

二十句目

 

   麦食の𦬇や爰に霞むらん

 妙なるのりととろろとかるる   春澄

 (麦食の𦬇や爰に霞むらん妙なるのりととろろとかるる)

 

 菩薩が説くのは妙なる法(のり)だが、ここでは麦飯に合わせて麦とろということで、海苔ととろろをかき混ぜる。

 

無季。釈教。

 

二十一句目

 

   妙なるのりととろろとかるる

 幽霊は紙漉舟にうかび出     似春

 (幽霊は紙漉舟にうかび出妙なるのりととろろとかるる)

 

 「紙漉舟(かみすきぶね)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 紙を漉く原料を入れる長方形の厚板水槽。紙の寸法に応じて大小があり、紙は漉槽の中に水でうすめた原料を入れ漉簀(すきす)で漉き上げる。紙槽(かみぶね)。

  ※俳諧・江戸十歌仙(1678)一〇「幽霊は紙漉舟にうかび出〈似春〉 さかさまにはひよる浅草の浪〈芭蕉〉」

 

とある。

 前句の海苔から板海苔を作る作業を思い浮べたか、海苔漉きに似た紙漉きの作業をしていると仏の霊験で海苔が現れる。「とろろ」は紙の粘土を高めるためのトロロアオイやノリウツギなど粘液の意味もある。

 

無季。

 

二十二句目

 

   幽霊は紙漉舟にうかび出

 さかさまにはひよる浅草の浪   桃青

 (幽霊は紙漉舟にうかび出さかさまにはひよる浅草の浪)

 

 浅草紙はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「江戸時代に、江戸・浅草山谷(さんや)付近で生産された雑用紙。故紙を原料とした漉(す)き返し紙で、普通は色が黒く、黒保(くろほう)とよばれて鼻紙や落し紙に広く使われた。また、漉き返す前に石灰水で蒸解し直したものは色が白く、白保(しろほう)と称して低級本の用紙にも使用された。佐藤信淵(のぶひろ)の『経済要録』(1827)に、「江戸近在の民は、抄(すき)返し紙を製すること、毎年十万両に及ぶ」とあるように、れっきとした製紙産業の一つであった。庶民の日常生活に欠かせないものであったため、江戸時代の川柳などにもよく出てくる。明治以後この地が繁華街となるにつれて、製紙業は周辺の地に分散移転したが、さらに洋式の機械製紙が地方で盛んになるにつれ、手漉きの零細業者はしだいに転廃業して跡を絶った。しかし浅草紙の名は、形や産地が変わってもなお長く庶民に親しまれている。[町田誠之]」

 

とある。

 この頃は一方で紙漉きの技術を用いた板海苔の浅草海苔も生産されていた。ここではどっちなのかよくわからない。

 『さかさまの幽霊』というタイトルの本も出ているようだが、江戸時代の幽霊は時として頭が下で足が上のさかさまの姿で現れたようだ。延宝五年刊の『諸国百物語』巻之四「端井弥三郎ゆうれいを舟渡しせし事」の幽霊も逆さの姿で現れる。

 

無季。「浅草」は名所。「浪」は水辺。

 

二十三句目

 

   さかさまにはひよる浅草の浪

 またぐらから金龍山やみえつらん 春澄

 (またぐらから金龍山やみえつらんさかさまにはひよる浅草の浪)

 

 さかさまになりローアングルになると、人の股の間から金龍山浅草寺が見える。金のつく別のものにも掛けていそうだが。

 

無季。釈教。

 

二十四句目

 

   またぐらから金龍山やみえつらん

 聖天高くつもるそろばん     似春

 (またぐらから金龍山やみえつらん聖天高くつもるそろばん)

 

 金龍山浅草寺のすぐ裏には待乳山聖天(まつちやましょうでん)があり、小高い山になっている。今日では日本一短いケーブルカーもある。本龍院が本来の名前。

 金龍寺はたくさんの人が参詣に訪れて金がたくさんあるから、それが積もって山となったのではないか、ということで、積る算盤となる。

 

無季。釈教。

 

二十五句目

 

   聖天高くつもるそろばん

 帳面のしめを油にあげられて   桃青

 (帳面のしめを油にあげられて聖天高くつもるそろばん)

 

 帳面の締めで利益が上がるのと白絞油で天ぷらが上がるのとを掛けて、待乳山聖天のように高く利益が積もり積って、天ぷらも積み上げられる。

 

無季。

 

二十六句目

 

   帳面のしめを油にあげられて

 ながるる年は石川五右衛門    春澄

 (帳面のしめを油にあげられてながるる年は石川五右衛門)

 

 天ぷらの揚がるところから石川五右衛門の釜茹でを連想したのだろう。ウィキペディアには、

 

 「安土桃山時代から江戸時代初期の20年ほど日本に貿易商として滞在していたベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンの記した『日本王国記』によると、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述がある。」

 

とある。

 大年の締めの借金の返済ができなくて質草がながれてしまったため、石川五右衛門に盗まれたかのような損失を出した。

 「ながるる年」weblio辞書の「季語・季題辞典」に「年の暮れ」とある。

 

季語は「ながるる年」で冬。

 

二十七句目

 

   ながるる年は石川五右衛門

 まかなひをすいたの太郎左いかならん 似春

 (まかなひをすいたの太郎左いかならんながるる年は石川五右衛門)

 

 「まかなひ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「賄」の解説」に、

 

 「① 貴人の身辺などをととのえ、世話すること。

  ※枕(10C終)一八四「上臈御まかなひにさぶらひ給ひけるままに、ちかうゐ給へり」

  ② 食事や宴などの用意をすること。また、その人。

  ※宇津保(970‐999頃)内侍督「そのすまひの日、〈略〉あしたの御まかなひには仁寿殿女御、ひるのまかなひには〈略〉承香殿の女御」

  ③ 給仕をすること。また、その人。陪膳。

  ※枕(10C終)一〇四「みぐしあげまゐりて、蔵人ども、御まかなひの髪あげてまゐらするほどは」

  ④ 武家の職制で、膳所および奥・表台所を支配し、主に食事を供給する役。

  ※随筆・戴恩記(1644頃)上「恩斎と申ものまかなひの人、時々しかられければ」

  ⑤ 間に合わせること。とりつくろい。

  ※浮世草子・世間胸算用(1692)三「諸事を春の事とてのばし、当分のまかなひばかりにくれければ」

  ⑥ 費用を出すこと。また、家計などのきりもりをすること。出費。

  ※本福寺跡書(1560頃)妙専尼懐妊夢相之事「公儀・国方のまかない、家別・屋別、ときならぬ出銭・くくり事、何しらずになりて」

  ⑦ 下宿や寮などで出す食事。また、それを調理する人。

  ※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉二「早くいかないと、賄(マカナヒ)の食を喰ひ損ふぜ」

  ⑧ 江戸時代、品川の遊里で、やり手のこと。

  ※黄表紙・京伝憂世之酔醒(1790)「爰ではやりての事をまかないと申ます」

 

とある。今では②の意味で用いられることが多いが、かつては金を賄うの意味で用いられていた。「賄」という字は賄賂(わいろ)の賄でもある。

 「まかなひをすいた」の「すいた」は好いたとも取れるし「吸い」と掛けたともとれる。要するに「吹田の太郎左」という人物はすぐに金を要求する人物なのだろう。モデルになった人がいたのかどうかはよくわからない。

 

無季。

 

二十八句目

 

   まかなひをすいたの太郎左いかならん

 既に所帯も軍やぶれて      桃青

 (まかなひをすいたの太郎左いかならん既に所帯も軍やぶれて)

 

 「所帯」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「[一]名詞

  身に付けているもの。地位・官職・領地・財産など。

  出典平家物語 三・御産

  「しょたい・所職を帯(たい)する程の人」

  [訳] 財産・官職を持つほどの人。

  [二]名詞※「す」が付いて自動詞(サ行変格活用)になる

  一家を構え、独立した生計を立てること。

  出典仁勢物語 仮名

  「伊勢(いせ)の国にてしょたいしてあらん」

  [訳] 伊勢の国で一家を構え、独立した生計を立てて住もう。」

 

とある。今日では[二]の意味で用いられるのがほとんどだが、ここでは[一]の意味であろう。

 軍(いくさ)に破れて地位や財産も失い、あの賄いの好きな吹田の太郎左はどこへいったやら。

 

無季。

 

二十九句目

 

   既に所帯も軍やぶれて

 軒の月横町さして落給ふ     春澄

 (軒の月横町さして落給ふ既に所帯も軍やぶれて)

 

 「落給ふ」は「軍やぶれて」と「月」の両方を受ける。ただ、舞台が横町(横丁)だから本当の軍ではなく、多分夫婦げんかで[二]の意味での所帯を失うということだろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「軒」は居所。

 

三十句目

 

   軒の月横町さして落給ふ

 後家を相手に恋衣うつ      似春

 (軒の月横町さして落給ふ後家を相手に恋衣うつ)

 

 「恋衣」は、元禄二年『奥の細道』での「残暑暫」の巻十五句目、

 

   さざめ聞ゆる國の境目

 糸かりて寐間に我ぬふ恋ごろも  北枝

 

や「凉しさや」の巻の七句目、

 

   影に任する宵の油火

 不機嫌の心に重き恋衣      扇風

 

などの用例がある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (常に心から離れない恋を、常に身を離れない衣に見立てた語) 恋。

  ※万葉(8C後)一二・三〇八八「恋衣(こひごろも)着奈良の山に鳴く鳥の間なく時なし吾が恋ふらくは」

  ② 恋する人の衣服。

  ※風雅(1346‐49頃)恋二・一〇六五「妹待つと山のしづくに立ちぬれてそぼちにけらし我がこひ衣〈土御門院〉」

 

とある。

 後家さんの所に通って衣を打っていると、横丁の軒に月も落ちて行く。

 月と砧の縁は李白の「子夜呉歌」。

 

   子夜呉歌       李白

 長安一片月 萬戸擣衣声

 秋風吹不尽 総是玉関情

 何日平胡虜 良人罷遠征

 

 長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。

 秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。

 いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。

 

季語は「衣うつ」で秋。恋。「後家」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   後家を相手に恋衣うつ

 去男かねにほれたる秋更て    桃青

 (去男かねにほれたる秋更て後家を相手に恋衣うつ)

 

 後家さんの所に通うのは、後家さんの持っている財産に惚れたからだった。

 

季語は「秋更て」で秋。恋。「男」は人倫。

 

三十二句目

 

   去男かねにほれたる秋更て

 鶉の床にしめころし鳴ク     春澄

 (去男かねにほれたる秋更て鶉の床にしめころし鳴ク)

 

 「鶉の床」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 鶉の臥(ふ)す床。草むらのこと。《季・秋》

  ※月清集(1204頃)百首「深草やうづらのとこはあとたえて春の里とふ鶯のこゑ」

  ② むさくるしい寝床。旅の仮り寝などにいう。」

 

とある。

 金欲しさに殺しちゃうのか。それはヤバすぎる。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「しめころし」は「閨中の秘戯」とある。確かに首を絞めると気持ちいいという俗説はあるようだが、失神して意識が遠くなるだけで非常に危険なので絶対にやらないこと。柔道の「絞め落とし」と同じ。

 

季語は「鶉」で秋、鳥類。

 

三十三句目

 

   鶉の床にしめころし鳴ク

 産出すを見ぐるし野とや思ふらん 似春

 (産出すを見ぐるし野とや思ふらん鶉の床にしめころし鳴ク)

 

 栗栖野(くるすの)はコトバンクの「世界大百科事典 第2版の解説」に、

 

 「京都市北区の歴史地名。北野・紫野などの平安京近郊の野のうちの一つ。平安時代初期に遊猟地としてみえ,近郊として宮廷の氷室(ひむろ)が設けられたり官窯が営まれたりしている。とくに栗栖野瓦窯は著名で,ここでの生産と思われる〈栗〉印の瓦が平安京跡からいくつか発見されていて,史跡に指定されている。中世にも近郊の勝地として親しまれたらしく,洛北七野の一つとして萩の名所でもあった。なお洛東にも栗栖野の地名がみられ(伏見区小栗栖),よく両者は混同されるが北区のそれのほうがより著名であったようだ。」

 

とある。この栗栖野に掛けて「みぐるし野」とする。

 これも生み出してすぐに絞め殺すということか。当時捨て子は犯罪ではなかったし、捨子を収容する施設もなかった。

 

無季。

 

三十四句目

 

   産出すを見ぐるし野とや思ふらん

 きせうものなき天のかぐ山    桃青

 (産出すを見ぐるし野とや思ふらんきせうものなき天のかぐ山)

 

 「きせうもの」は「着せるもの」のウ音便化したものか。

 天の香具山はウィキペディアに、

 

 「天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる。」

 

とある。産み落とされたばかりの香具山に、やはり霞の衣を着せてやらなくてはならない。

 「しめころし」の物騒な雰囲気から神話に転じて何とか逃れる。

 霞の言葉を抜いてあるが、天の香具山の霞のないことを詠んだ句で、天の香具山の霞は、

 

 ほのほのと春こそ空に来にけらし

     天の香具山霞たなびく

              後鳥羽院(新古今集)

 

の歌による。

 

無季。「天のかぐ山」は名所、山類。

 

三十五句目

 

   きせうものなき天のかぐ山

 さほ姫のよめり時分も花過て   似春

 (さほ姫のよめり時分も花過てきせうものなき天のかぐ山)

 

 「よめり」は嫁入り。

 桜の季節が過ぎると霞もたなびかなくなり、天の香具山も裸になる。

 春澄の順番だが十七句目で花の句を詠んでいるので、ここは似春に譲ったか。

 天の香具山に佐保姫は、

 

 佐保姫の衣干すらし春の日の

     光に霞む天の香具山

              宗尊親王(続後拾遺集)

 

の歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。

 

挙句

 

   さほ姫のよめり時分も花過て

 古巣にかへる仲人の鳥      春澄

 (さほ姫のよめり時分も花過て古巣にかへる仲人の鳥)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は、

 

 花は根に鳥はふるすに返なり

     春のとまりを知る人ぞなき

              崇徳院(千載集)

 

の歌を引いている。佐保姫の嫁入りの仲人を務めた鳥も巣に帰って行く。「帰る」というところで、自身の京への帰還を重ね合わせて一巻は終わる。

 談林の俳諧は庶民の生きた現実の世界を解放したが、時になまなましい話題にもなる。やがて芭蕉は古典へ回帰してゆくことで古人の風雅の心を学びつつ、「軽み」の風を打ち出すあたりから、生きた現実の世界を描きながらも古人の風雅の精神を失わないような地点を求めてゆくことになる。

 

季語は「かへる‥鳥」で春、鳥類。恋。「仲人」は人倫。