「何の木の」の巻、解説

初表

 何の木の花とは知らず匂ひ哉   芭蕉

   こゑに朝日をふくむ鶯    益光

 春ふかき柴の橋守雪掃て     又玄

   二葉の菫御幸待けり     平庵

 有明の草紙をきぬに引包     勝延

   寝覚はながき夜の油火    清里

 

初裏

 釣柿に鼠のかよふ音聞て     益光

   しほりを戸ざす田の中の寺  芭蕉

 山路来て清水稀なる袖の汗    平庵

   煩ふ鷹をおしむかなしき   又玄

 女のみ古き御館の破れ簾     芭蕉

   碁に肱つきて涙落しつ    勝延

 いねがてに酒さへならず物おもひ の人

   陣のかり屋に僧の籠りて   益光

 白雲にのぼれと雁を放らし    清里

   はじめて得たる国の初稲   平庵

 もる月を賤き母の窓に見て    又玄

   藍にしみ付指かくすらん   芭蕉

 

 

二表

 神役に雇来ぬる注連縄の内    益光

   返歌につまる衣の俤     の人

 恋草と池の菖蒲を折兼て     勝延

   水鶏を追に起し暁      又玄

 たばこ吸ふ篝の跡の煙たる    平庵

   誰が駕ぞ霜かかるまで    清里

 あこがるる楽の一手を聞とりて  芭蕉

   釣の王子の浦はさびけり   益光

 声さりて鳥居に残る秋の蝉    又玄

   しぐるる風に銀杏吹ちる   勝延

 笈かけて夜毎の月を見ありきし  の人

   心と住ん家の図もなき    平庵

 

二裏

 親ひとり茶に能水と歎れつる   益光

   まづ初瓜を米にしろなす   芭蕉

 此坊を時鳥聞やどりにて     正永

   ゆり込楫にふねつなぎけり  又玄

 武士の弓弦に花を引たわめ    勝延

   短冊のこす瑞籬の春     の人

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 何の木の花とは知らず匂ひ哉   芭蕉

 

 この句は『笈の小文』にもあるし、元禄八年刊支考編の『笈日記』にも、

 

     貞享の間なるべし此國に

     抖擻ありし時

  奉納 二句

     西行のなみだをしたひ增賀の

     信をかなしむ

 何の木の花ともしらずにほひかな はせを

 裸にはまだ二月のあらし哉

 

とある。

 抖擻(とそう)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (dhūta 頭陀の訳) 仏語。

  ① 身心を修錬して衣食住に対する欲望をはらいのけること。また、その修行。これに一二種を数える。とすう。頭陀(ずだ)。

  ※性霊集‐三(835頃)中寿感興詩「斗藪之客、遂爾忘帰」

  ※源平盛衰記(14C前)一八「角(かく)て抖擻(トソウ)修業の後再(ふたたび)高雄の辺に居住して」

  ② ふりはらうこと。特に、雑念をうちはらって心を一つにすること。一つのことに集中して他のことを思わないこと。

  ※卍庵仮名法語(18C中か)「参禅は、刹那も油断あるべからず、出息入息、精神を抖擻(トソウ)し、前歩後歩」

 

とある。

 「此國」は伊勢国のことで、伊勢で修行したということだろう。伊勢神宮に二句を奉納する。その一句は「西行のなみだをしたひ」で、これは、

 

 何ごとのおはしますをば知らねども

     かたじけなさの涙こぼれて

              西行法師

 

の歌による。

 もう一句は「增賀の信をかなしむ」で、これは『撰集抄』増賀上人の話で、天台山根本中堂に千夜こもって祈りを捧げたけども悟りを得られなかったが、あるとき、伊勢神宮を詣でて祈っていると、夢に「道心おこさむとおもはば、此身を身とな思ひそ」という示現を得て、それならとばかりに着ているものを皆脱いで乞食に与え、裸で物乞いをしながら帰ったという話から来ている。

 ここでは前者の方の句を立て句として興業が始まる。

 仏者であるから伊勢神宮の由来や何かは知らないが、この伊勢神宮という花の匂いにはその尊さが感じられ、西行法師のように涙が出ます。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

 

   何の木の花とは知らず匂ひ哉

 こゑに朝日をふくむ鶯      益光

 (何の木の花とは知らず匂ひ哉こゑに朝日をふくむ鶯)

 

 花に鶯を付けて、その鶯の声に登る朝日ような輝かしい心が含まれている、と前句の有難さを補足してゆく。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「朝日」は天象。

 

第三

 

   こゑに朝日をふくむ鶯

 春ふかき柴の橋守雪掃て     又玄

 (春ふかき柴の橋守雪掃てこゑに朝日をふくむ鶯)

 

 柴は森や林の下の方に生える灌木で、実際のところこれで橋が作れるのかどうかはわからないが、比喩としてその辺の雑木を組んで作った簡単な橋、という意味であろう。

 深い谷にあれば朝日の指すのも遅く、まだ暗い中で橋守が橋に積った雪を掃いていると、聞こえてくる鶯の声に見えない朝日の輝きが感じられる。

 

季語は「春」で春。「橋守」は水辺、人倫。「雪」は降物。

 

四句目

 

   春ふかき柴の橋守雪掃て

 二葉の菫御幸待けり       平庵

 (春ふかき柴の橋守雪掃て二葉の菫御幸待けり)

 

 二葉の菫はフタバアオイであろう。皇室の御幸の来るのを待っている。場所は上賀茂神社だろうか。

 

季語は「菫」で春、植物、草類。旅体。

 

五句目

 

   二葉の菫御幸待けり

 有明の草紙をきぬに引包     勝延

 (有明の草紙をきぬに引包二葉の菫御幸待けり)

 

 天皇陛下に捧げる「有明の草紙」を絹に包んで待っている。

 

季語は「有明」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   有明の草紙をきぬに引包

 寝覚はながき夜の油火      清里

 (有明の草紙をきぬに引包寝覚はながき夜の油火)

 

 前句を有明の月の出る頃に草紙を布に引き包み、として寝覚め手行燈の油に火を灯すとする。

 

季語は「ながき夜」で秋、夜分。

初裏

七句目

 

   寝覚はながき夜の油火

 釣柿に鼠のかよふ音聞て     益光

 (釣柿に鼠のかよふ音聞て寝覚はながき夜の油火)

 

 朝寝覚めて行燈に火を灯すと、外には干し柿が釣ってあるのが見え、天井からは鼠の走る音が聞こえてくる。

 

季語は「釣柿」で秋。「鼠」は獣類。

 

八句目

 

   釣柿に鼠のかよふ音聞て

 しほりを戸ざす田の中の寺    芭蕉

 (釣柿に鼠のかよふ音聞てしほりを戸ざす田の中の寺)

 

 「しほり」は枝折戸で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 木や竹の小枝などの折ったものをそのまま並べて作った、簡素な開き戸。しおり。

  ※看聞御記‐永享七年(1435)八月三日「四辻沽却門〈師織戸〉召寄」

 

とある。

 枝折戸を閉ざして田の中の寺は冬籠りに入るのだろう。

 

無季。釈教。

 

九句目

 

   しほりを戸ざす田の中の寺

 山路来て清水稀なる袖の汗    平庵

 (山路来て清水稀なる袖の汗しほりを戸ざす田の中の寺)

 

 長い峠越えの山道で水場がないとなると夏は大変だ。脱水症状になる。お寺があったから水がもらえるかと思ったら無情にも留守のようだ。水分は汗になってどんどん失われてゆく。

 

季語は「清水」で夏、水辺。旅体。「山路」は山類。

 

十句目

 

   山路来て清水稀なる袖の汗

 煩ふ鷹をおしむかなしき     又玄

 (山路来て清水稀なる袖の汗煩ふ鷹をおしむかなしき)

 

 「煩ふ鷹」は『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)の注には、「鷹の羽毛の脱け落ちる「塒(とや)鷹」の意」とある。鳥屋・塒(とや)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 鳥を飼って入れておく小屋。鶏や種々の鳥を飼う小屋をさすが、特に鷹を飼育するための小屋をいうこともある。鳥小屋。

  ※肥前風土記(732‐739頃)養父「鳥屋(とや)を此の郷に造り、雑の鳥を取り聚めて、養ひ馴づけて」

  ② 鷹の羽が夏の末に抜け落ち、冬になって生え整うこと。この間①にこもるところからいう。その回数によって鷹の年齢を数え、三歳あるいは四歳以上の鷹、または四歳の秋から五歳までの鷹を特に称するともいう。

  ※禰津松鴎軒記(室町末か)「鷹の年を見るやう。一とや二とやなれば爪の上に色黒く、そこ色あかし」

 

とある(③以下は省略)。

 鷹狩の鷹は鷹匠に依頼して育てさせていたので、鷹匠は山の中の鳥屋で鷹を飼っていたのだろう。

 夏場は古い羽を抜いてやって、鷹狩の季節までに生え揃うようにしなくてはならない。そういう暑いさなか鳥屋での鷹の健康管理は大変だし、鷹の餌も確保しなくてはいけない。

 そうした中で鷹を死なせてしまうことがあったらどうなったのか、想像もつかない。

 

季語は「煩ふ鷹」で夏、鳥類。

 

十一句目

 

   煩ふ鷹をおしむかなしき

 女のみ古き御館の破れ簾     芭蕉

 (女のみ古き御館の破れ簾煩ふ鷹をおしむかなしき)

 

 「御館(みたち)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「み」は接頭語)

  ① 国府の庁。また、領主の役所。

  ※土左(935頃)承平五年一月九日「藤原のときざね、橘のすゑひら、長谷部のゆきまさらなん、みたちより出でたうびし日より、ここかしこに追ひ来る」

  ② 貴人の住居。おやしき。

  ※虎明本狂言・餠酒(室町末‐近世初)「我らのまいる御(ミ)たちはこれで御ざるが」

  ③ (①の住人の意から) 領主。殿様。

  ※今昔(1120頃か)二四「此は御館の名立にも有(あらむ)と云て」

 

とある。

 未亡人だろう。夫は戦死して、飼っていた鷹も病気で失い、妻のみが荒れ果てた館に残されている。

 

無季。恋。「女」は人倫。「御館」は居所。

 

十二句目

 

   女のみ古き御館の破れ簾

 碁に肱つきて涙落しつ      勝延

 (女のみ古き御館の破れ簾碁に肱つきて涙落しつ)

 

 『源氏物語』でも空蝉と軒端荻が碁を打つ場面があったように、囲碁は女性の間でも人気のある遊びだったのだろう。今でも女性の棋士は多いし、将棋のような「女流」はなくて男女混合で戦っている。

 古い御館に使える女房達が碁を打ちながら、恋ばなをしたり悩みを聞いてもらったりもしてたのだろう。この日は何か悲しいことがあったのか。

 

無季。恋。

 

 

十三句目

 

   碁に肱つきて涙落しつ

 いねがてに酒さへならず物おもひ の人

 (いねがてに酒さへならず物おもひ碁に肱つきて涙落しつ)

 

 「の人(ひと)」は野人、野仁という字も充てる杜国の別号。まあ、今でいうなら裏垢といったところか。不運な事件から尾張国を追放されていたので、野に下った人という意味でつけたか。

 「いねがて」は眠れなくてということ。眠れないうえに酒も飲めず碁盤で過去の棋譜を並べながら悶々としている。大きな試合に負けた棋士だろう。

 

無季。恋。「いねがて」は夜分。

 

十四句目

 

   いねがてに酒さへならず物おもひ

 陣のかり屋に僧の籠りて     益光

 (いねがてに酒さへならず物おもひ陣のかり屋に僧の籠りて)

 

 前句の「酒さへならず」を僧だからだとした。陣中に招かれた僧は酒飲んで高鼾で寝ている武士たちの中で肩身が狭そうだ。芭蕉も杜国の鼾に苦しめられたようだが。

 

無季。釈教。「僧」は人倫。

 

十五句目

 

   陣のかり屋に僧の籠りて

 白雲にのぼれと雁を放らし    清里

 (白雲にのぼれと雁を放らし陣のかり屋に僧の籠りて)

 

 放生会(はうじゃうゑ)であろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 仏語。供養のために、捕らえた魚や鳥などの生物を池や野に放してやる法会。日本では、天武天皇五年(六七六)に諸国に行なわせたともいうが、養老四年(七二〇)宇佐八幡宮で行なわれたのが初例らしい。後に、陰暦八月一五日に八幡宮の神事として行なわれるに至った。特に石清水八幡宮の行事が名高い。放生大会。《季・秋》

  ※扶桑略記(12C初)養老四年九月「合戦之間、多致二殺生一、宜レ修二放生一者、諸国放生会始レ自二此時一矣」

 

とある。

 もっとも、放生会で放つ鳥は結局どこかから捕まえてきたわけだから、鳥の方からすれば迷惑なことだろう。

 飛来したばかりの雁を捕まえて放すようなことがあったのかどうかはよくわからない。「らし」とあるから、これは渡ってきた雁は、放生会で放たれたのだろうか、という反語と見た方がいいのだろう。

 放生会が行われている一方で、陣中の武士はどこかからか雁を捕まえてきて食っていたりする。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。「白雲」は聳物。

 

十六句目

 

   白雲にのぼれと雁を放らし

 はじめて得たる国の初稲     平庵

 (白雲にのぼれと雁を放らしはじめて得たる国の初稲)

 

 放生会のある八月十五日頃は、稲の収穫も始まる頃だった。

 

季語は「初稲」で秋。

 

十七句目

 

   はじめて得たる国の初稲

 もる月を賤き母の窓に見て    又玄

 (もる月を賤き母の窓に見てはじめて得たる国の初稲)

 

 武家奉公の息子が農人の母の元に帰ってきて、という設定だろうか。芭蕉も農人の家に生まれて母の手で育てられて、元服すると武家奉公に出た。農人は自分の田んぼを持ってないいわゆる水飲み百姓で、得たのは自分の稲ではない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「母」は人倫。

 

十八句目

 

   もる月を賤き母の窓に見て

 藍にしみ付指かくすらん     芭蕉

 (もる月を賤き母の窓に見て藍にしみ付指かくすらん)

 

 賤き母を紺屋とした。ウィキペディアに、

 

 「柳田国男の『毛坊主考』によると、昔は藍染めの発色をよくするために人骨を使ったことから、紺屋は墓場を仕事場とする非人と関係を結んでいた。墓場の非人が紺屋を営んでいたという中世の記録もあり、そのため西日本では差別視されることもあったが、東日本では信州の一部を除いてそのようなことはなかった。山梨の紺屋を先祖に持つ中沢新一は実際京都で差別的な対応に出くわして初めてそのことを知らされたという。」

 

とある。

 

無季。

二表

十九句目

 

   藍にしみ付指かくすらん

 神役に雇来ぬる注連縄の内    益光

 (神役に雇来ぬる注連縄の内藍にしみ付指かくすらん)

 

 「注連縄」はここでは「しめ」と読む。「雇」は「やとはれ」。

 神役(しんやく)は神主さんのことだが、ここでは意味としては「かみやく」でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」の、

 

 「② 神事に当たっての司祭者。当番制で祭りの世話をする役目。当屋(とうや)。一年神主。

※浮世草子・男色大鑑(1687)四「当社西の御門に紙伇(ヤク)の家高き。大中井兵部太夫一子に大蔵といへるあり」

 

とある。

 紺屋であることがばれないように指を隠す。

 

無季。神祇。「神役」は人倫。

 

二十句目

 

   神役に雇来ぬる注連縄の内

 返歌につまる衣の俤       の人

 (神役に雇来ぬる注連縄の内返歌につまる衣の俤)

 

 前句の「神役」を斎宮のこととしたか。野宮で斎宮になる娘に付き添って斎戒生活を送っているというのに、言い寄ってくる男がいたりする。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   返歌につまる衣の俤

 恋草と池の菖蒲を折兼て     勝延

 (恋草と池の菖蒲を折兼て返歌につまる衣の俤)

 

 恋草はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 恋心のつのることを草の茂るのにたとえた語。

  ※万葉(8C後)四・六九四「恋草(こひぐさ)を力車に七車積みて恋ふらくわが心から」

  ② 恋愛。恋愛ざた。また、恋人。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ※浮世草子・傾城色三味線(1701)湊「都の恋草に御身のかくし所もなく」

 

とある。

 菖蒲(あやめ)というと、

 

 郭公なくや五月のあやめぐさ

     あやめも知らぬ戀もするかな

              よみ人しらず(古今集)

 

の歌を始めとして、古来恋に詠まれてきた。

 男がこの菖蒲に掛けて歌を詠んできたのだろう。その菖蒲を使ってうまく誘いをしりぞけなくてはいけなのだが、うまい言葉が思いつかない。

 『源氏物語』澪標巻で源氏の君が明石の君に贈った手紙に、

 

 海松や時ぞともなきかげにゐて

     何のあやめもいかにわくらん

 

とあったのに対し、明石の君は、

 

 数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を

     今日もいかにと訪ふ人ぞなき

 

と「あやめ」も恋のこともスルーして、子どものことを気にかけてくれと返している。

 

季語は「菖蒲」で夏、植物、草類。恋。「池」は水辺。

 

二十二句目

 

   恋草と池の菖蒲を折兼て

 水鶏を追に起し暁        又玄

 (恋草と池の菖蒲を折兼て水鶏を追に起し暁)

 

 菖蒲(あやめ)に水鶏(くいな)というと、

 

 まきのとをたたく水鶏のあけぼのに

     人やあやめの軒のうつり香

             藤原定家(拾遺愚草)

 

の歌がある。水鶏の声は戸を叩く音に似ているというので、古来和歌に詠まれている。「日本野鳥の会京都支部」のホームページによると、

 

 「ヒクイナが夜にけたたましく「キョッ、キョッ、キョキョキョキョ…」と鳴く声は、とても戸を叩く音には聞こえません。ところが、野鳥の声の録音の第一人者・松田道生さんが一晩中タイマー録音したところ、早朝に「コッ」とか「クッ」という声を1.5秒間隔で出し続けて鳴いていたそうです。昔の人はその声を「戸を叩く音」に例えていたわけです。」

 

とのこと。

 あやめも知らぬ恋も満たされずに、来ぬ人を待って夜を明かし、コッコッと音がして誰かが戸を叩いたのかと思ったら水鶏だった。それを水鶏を追うために起きたようなものだ、という所に俳諧がある。

 

季語は「水鶏」で夏、鳥類。恋。

 

二十三句目

 

   水鶏を追に起し暁

 たばこ吸ふ篝の跡の煙たる    平庵

 (たばこ吸ふ篝の跡の煙たる水鶏を追に起し暁)

 

 篝火(かがりび)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① =かがり(篝)①

  ※古今(905‐914)恋一・五二九「かがり火にあらぬわが身のなぞもかく涙の河にうきてもゆらん〈よみ人しらず〉」

  ※源氏(1001‐14頃)篝火「御まへのかがり火の、すこし消えがたなるを」

  ② 「やりて(遣手)」の異称。

  ※随筆・当世武野俗談(1757)松葉屋瀬川「かがり火とは、やりてと云事、心の火をたゐたりけしたり、もの思ふといふ心」

 

とある。この場合は前句の恋を受けて②の意味で遊郭に転じたか。

 煙草を吸ってた遣手婆が水鶏という遊女を起こしにゆく。

 

無季。恋。「篝」は夜分。

 

二十四句目

 

   たばこ吸ふ篝の跡の煙たる

 誰が駕ぞ霜かかるまで      清里

 (たばこ吸ふ篝の跡の煙たる誰が駕ぞ霜かかるまで)

 

 ここでは篝を元の意味に戻して、家の警護の者が焚く篝火とし、夜にやってきた駕(のりものと読む、ここでは牛車か)が朝の霜がかかるまでずっと止まってたとする。男が通ってきたのだろう。ただ、王朝時代とすると煙草はオーパーツになるが。

 

季語は「霜」で冬、降物。恋。「誰」は人倫。

 

二十五句目

 

   誰が駕ぞ霜かかるまで

 あこがるる楽の一手を聞とりて  芭蕉

 (あこがるる楽の一手を聞とりて誰が駕ぞ霜かかるまで)

 

 『源氏物語』末摘花巻で常陸の親王の娘が七弦琴が得意だと聞いた源氏の君が、親王が名手だっただけにどういう琴を弾くのか気になり、わざわざ聞きに行く場面がある。ただ、季節は朧月夜だった。

 本説というほど物語に即してはないが、王朝時代ならわざわざ霜の夜に楽の一手を聞きに行くこともあったのではないか、という所で付けている。

 

無季。

 

二十六句目

 

   あこがるる楽の一手を聞とりて

 釣の王子の浦はさびけり     益光

 (あこがるる楽の一手を聞とりて釣の王子の浦はさびけり)

 

 前句を敦盛の笛としたか。敦盛の戦死した一之谷のあたりの須磨の浦は海人の釣舟が歌にも詠まれている。謡曲『敦盛』で笛を吹く敦盛の霊の登場場面のイメージになる。

 そうなると王子が何を指すのかというとこになる。神戸市須磨区に王子公園があるが、王子の浦という場所があったのかどうかはわからない。

 

無季。「釣」「浦」は水辺。

 

二十七句目

 

   釣の王子の浦はさびけり

 声さりて鳥居に残る秋の蝉    又玄

 (声さりて鳥居に残る秋の蝉釣の王子の浦はさびけり)

 

 神戸の王子公園のあたりはもともと王子権現のあったところで、延元元年(一三三六年)に紀伊熊野より若一王子神の分霊を勧請し、創建された。

 前句がこの辺りの浦のことをいうなら、王子権現の鳥居に秋の蝉、ということになる。

 

季語は「秋の蝉」で秋、虫類。神祇。

 

二十八句目

 

   声さりて鳥居に残る秋の蝉

 しぐるる風に銀杏吹ちる     勝延

 (声さりて鳥居に残る秋の蝉しぐるる風に銀杏吹ちる)

 

 神社に銀杏の木は付き物で、前句の「残る秋の蝉」を秋に残る蝉ではなく、冬になってもまだ残る秋の蝉として晩秋から初冬の時雨に銀杏散るとする。

 

季語は「銀杏吹ちる」で秋。「しぐるる」は降物。

 

二十九句目

 

   しぐるる風に銀杏吹ちる

 笈かけて夜毎の月を見ありきし  の人

 (笈かけて夜毎の月を見ありきししぐるる風に銀杏吹ちる)

 

 秋を通じて夜毎夜毎の月見を繰り返してきた風狂の旅人とする。月を見ているうちにいつのまにか時雨の季節になってしまった。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。

 

三十句目

 

   笈かけて夜毎の月を見ありきし

 心と住ん家の図もなき      平庵

 (笈かけて夜毎の月を見ありきし心と住ん家の図もなき)

 

 前句の風狂の徒を一所不住とし、住むべき家は心の中にあって、実物の家を建てる図を描いていない。「住む」は前句の月の「澄む」に掛けている。

 

無季。旅体。「家」は居所。

二裏

三十一句目

 

   心と住ん家の図もなき

 親ひとり茶に能水と歎れつる   益光

 (親ひとり茶に能水と歎れつる心と住ん家の図もなき)

 

 「歎れつる」は「なかれるつ」。

 家を建てようと思うが、親が茶の水の良い所でなければだめだと譲らないので、なかなか決まらない。

 

無季。「親」は人倫。

 

三十二句目

 

   親ひとり茶に能水と歎れつる

 まづ初瓜を米にしろなす     芭蕉

 (親ひとり茶に能水と歎れつるまづ初瓜を米にしろなす)

 

 「米にしろなす」は『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 

 「売って米に換えるの意。『類船』「瓜」の条に「孫鐘といふ人家貧にして瓜を作りし也」と見える」

 

とある。孫鐘の話はウィキペディアに、

 

 「孫鍾は呉郡富春県(現在の浙江省杭州市富陽区)の瓜売りの商人であった。はやくから父を亡くして母とふたりで暮らしおり、親孝行であったという。ある年に凶作の飢饉の状況であり、彼は生き延びるために、瓜を植えてそれを売って生計を立てていた。

 ある日に、彼の家の前にとつぜん三人の少年が現れて、瓜が欲しいとせがんだ。迷った孫鍾自身も生活が苦しいものの、潔く少年らに瓜を与えた。瓜を食べ終わった三人の少年はまとめて孫鍾に「付近の山の下に墓を作って、あなたが埋葬されれば、その子孫から帝王となる人物が出るだろう」と述べた。まもなく三人の少年は白鶴に乗っていずこかに去っていった。

 歳月が流れて、孫鍾が亡くなると、かつて少年らが述べた付近の山の下に埋葬されたが、当地からたびたび光が見えて、五色の雲気が昇ったという。」

 

とある。

 親にいつか茶に良い水を、と思いつつ、まずは瓜を育てて売ることから始める。その子孫が帝王になったかどうかはわからない。

 

季語は「初瓜」で夏。

 

三十三句目

 

   まづ初瓜を米にしろなす

 此坊を時鳥聞やどりにて     正永

 (此坊を時鳥聞やどりにてまづ初瓜を米にしろなす)

 

 正永は初登場だが執筆か。

 前句の瓜を育てている人をお坊さんとし、ホトトギスの声が聞こえるような山の中に住んでいる。

 

季語は「時鳥」で夏、鳥類。釈教。「坊」は居所。

 

三十四句目

 

   此坊を時鳥聞やどりにて

 ゆり込楫にふねつなぎけり    又玄

 (此坊を時鳥聞やどりにてゆり込楫にふねつなぎけり)

 

 ホトトギスの聞こえる坊を水辺とする。

 

 山ちかく浦こぐ舟は時鳥

     なくわたりこそ泊りなりけれ

              康資王母(金葉集)

 

の心か。

 

無季。「ふね」は水辺。

 

三十五句目

 

   ゆり込楫にふねつなぎけり

 武士の弓弦に花を引たわめ    勝延

 (武士の弓弦に花を引たわめゆり込楫にふねつなぎけり)

 

 「武士」は「もののふ」、「弓弦」は「ゆづる」と読む。

 風流に欠いた武士が桜の枝を弓のように撓めて船をつなぎとめる。

 近代の都都逸にある「咲いた桜になぜ駒繋ぐ、駒が勇めば花が散る」と同じようなもの。明和九年(一七七二年)刊の『山家鳥虫歌』が元らしい。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「武士」は人倫。

 

挙句

 

   武士の弓弦に花を引たわめ

 短冊のこす瑞籬の春       の人

 (武士の弓弦に花を引たわめ短冊のこす瑞籬の春)

 

 前句の武士が花の枝を引っ張ったのを、歌を書き記した短冊を吊るすためだとし、場所を瑞籬で神社とすることで、伊勢での興行は目出度く終了する。

 

季語は「春」で春。神祇。