「とりどりの」の巻、解説

元禄二年十一月三日、伊賀半残亭

初表

   霜月三日

    俳諧之連歌

 とりどりのけしきあつむる時雨哉 沢雉

   かちで旅だつ冬の山里    卓袋

 曙のひらたに波の音冴て     梢風

   風にすり合ふ笹の葉の月   松久

 盤すへよまだ宵のうちきぬうたむ 冫固

   甘酒のめとよばれ来し秋   半残

 灯火に笠さす暮の畔づたひ    配力

   木ずゑかれたる森のしら鷺  一夢

 

初裏

 波高く舳先に篷をうちかたげ   梅額

   岩にはげたる旅人の氏    尾頭

 傍のよもぎは塚にはへしげり   猿雖

   矢のねをひろふ夕立の跡   式之

 鮒きりに松明のぼる浪の声    芭蕉

   里よりさとにおくる状箱   土芳

 慈悲ふかき殿の入部の嬉しさよ  沢雉

   親なきわかのはかま着そむる 木白

 杉の葉にしとぎ並べし暮の月   卓袋

   鶏ながす水の秋かぜ     冫固

 わかれては心くるはし肌寒し   配力

   いろのあそびに勘當をゑて  猿雖

 草かれど花には鎌をさえぬ也   一夢

   昼ね仕に行春の山寺     半残

 

 

二表

 一霞おち来る瀧にかた打て    式之

   猫ざれかかる蝶のむらがり  梅額

 若宮のたこ作れとてむつかりぬ  芭蕉

   笛にて琵琶のうら扣くなり  沢雉

 盞をかづらの上に打かづけ    配力

   額かさなるたれ布の内    尾頭

 よみ帰りなき出す聲のおどろしき 土芳

   笠の日付の二月になる    配力

 辻堂の地蔵を絵どる旅の僧    尾頭

   長柄のはしのくゐを尋ねし  卓袋

 津国のいん居はくどくならせらん 沢雉

   夜食はふけぬ鐘のこゑごゑ  冫固

 一順ののちは度々句におくれ   猿雖

   雲の窓かといづる三ヶ月   梅軒

 

二裏

 紅葉ふく竹の筏に打乗て     卓袋

   茅の穂ながら折し楽人    式之

 軒高き祭の家の煙るなり     土芳

   日よりうかがふ鳶の朝聲   梅軒

 賤の男が月代すれて遊ぶらむ   半残

   大サ見たる江戸の観音    沢雉

 古郷の文に思ひを尽されし    梅額

   みづから帳の上おろししぬ  冫固

 鈴虫の髭あるさまに鳴をみん   半残

   いばらのそこを照す稲妻   猿雖

 手に居ばころころ月のこけぬべし 土芳

   秋の咄しをそれぞれにきく  卓袋

 牛馬をやしなふ宿も花見とて   冫固

   弥生ことぶく人の打むれ   木白

 

       参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

   霜月三日

    俳諧之連歌

 とりどりのけしきあつむる時雨哉 沢雉

 

 多分興行前に、みんなそれぞれ時雨の発句を作るというようなのがあったのではないかと思う。そうやって時雨の句が出そろったあとだと、この発句はピタッとはまる。

 ここに集まった沢山の連衆の皆さん、それぞれ時雨に対して色々な景を描いてると思いますが、今日はそのどれが優れているとかいうことは抜きにして、どれもすばらしいということでこの興行を始めたいと思います。そういうことではないかと思う。

 

季語は「時雨」で冬、降物。

 

 

   とりどりのけしきあつむる時雨哉

 かちで旅だつ冬の山里      卓袋

 (とりどりのけしきあつむる時雨哉かちで旅だつ冬の山里)

 

 この脇だと、誰かの送別だった可能性もある。餞別吟として時雨の句が集まった所で、旅立ちへと転じる。

 

季語は「冬」で冬。旅体。「山里」は山類、居所。

 

第三

 

   かちで旅だつ冬の山里

 曙のひらたに波の音冴て     木白

 (曙のひらたに波の音冴てかちで旅だつ冬の山里)

 

 「ひらた」は平田船のこと。高瀬舟と並び、かつての川での水運を支えてきた。比較的小型のものを高瀬舟といい、大型のものを平田舟という。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「艜船・平田船・平駄船」の解説」に、

 

 「〘名〙 上代から近世に至るまで、大型川船として貨客の輸送に重用された吃水(きっすい)の浅い細長い船。上代から中世までは複材刳船形式が用いられ、近世以降は比較的薄板でつくる平底の構造船形式に発展し、特に利根川・荒川筋で使われた上州艜・川越艜が代表的。船型、大きさにより中艜船・似(にたり)艜船・茶船造艜船・修羅艜船などの呼称がある。ひらた。〔十巻本和名抄(934頃)〕」

 

とある。

 旅立ちということで、早朝の平田舟に乗り込む場面とする。

 

無季。「ひらた」「波」は水辺。

 

四句目

 

   曙のひらたに波の音冴て

 風にすり合ふ笹の葉の月     松久

 (曙のひらたに波の音冴て風にすり合ふ笹の葉の月)

 

 川岸の笹の葉の音に有明の月を添える。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五句目

 

   風にすり合ふ笹の葉の月

 盤すへよまだ宵のうちきぬうたむ 冫固

 (盤すへよまだ宵のうちきぬうたむ風にすり合ふ笹の葉の月)

 

 砧はウィキペディアに、

 

 「砧(きぬた)は、洗濯した布を生乾きの状態で台にのせ、棒や槌でたたいて柔らかくしたり、皺をのばすための道具。また、この道具を用いた布打ちの作業を指す。」

 

とあり、盤はこの台のこと。宵の内に女房に砧を打たせて、パリッとした衣装で改まった気分でお月見をする。

 

季語は「きぬうたむ」で秋。

 

六句目

 

   盤すへよまだ宵のうちきぬうたむ

 甘酒のめとよばれ来し秋     半残

 (盤すへよまだ宵のうちきぬうたむ甘酒のめとよばれ来し秋)

 

 女性同士の会話として、「甘酒のみにいらっしゃい」と言われ、宵の内に早いとこ砧なんてすませて甘酒を頂く。

 

季語は「秋」で秋。

 

七句目

 

   甘酒のめとよばれ来し秋

 灯火に笠さす暮の畔づたひ    配力

 (灯火に笠さす暮の畔づたひ甘酒のめとよばれ来し秋)

 

 笠は巡礼者か何かか。灯火を灯して畔伝いに歩いているところを甘酒を飲んでいけと誘われる。

 

無季。「灯火」は夜分。

 

八句目

 

   灯火に笠さす暮の畔づたひ

 木ずゑかれたる森のしら鷺    一夢

 (灯火に笠さす暮の畔づたひ木ずゑかれたる森のしら鷺)

 

 白鷺は木の上に住み、何十羽と集まってかなり大きなコロニーを形成する。あまりたくさん白鷺が留まっているので梢の葉が見えず、薄暗がりだと穴が開いたように枯枝に見える。夕暮れに灯火を灯して歩いてた時に見た光景を付ける。

 

無季。「しら鷺」は鳥類。

初裏

九句目

 

   木ずゑかれたる森のしら鷺

 波高く舳先に篷をうちかたげ   梅額

 (波高く舳先に篷をうちかたげ木ずゑかれたる森のしら鷺)

 

 「篷」は「とま」で船の覆い。波が船の中に入ってこないように篷を舳先へと運ぶ。前句を水辺の景色として、船の様子を付ける。

 

無季。「舳先」は水辺。

 

十句目

 

   波高く舳先に篷をうちかたげ

 岩にはげたる旅人の氏      尾頭

 (波高く舳先に篷をうちかたげ岩にはげたる旅人の氏)

 

 舳先に篷を持って行ったので、後ろで寝ている旅人の上にあった篷が引っ剥がされたということか。岩は舳先を篷で守る原因で、氏は敬称の氏。「何々さん」というときの「さん」のようなもので、今でもオタク言葉では名前に「氏(し)」を付けて呼んだりする。

 

無季。旅体。「旅人」は人倫。

 

十一句目

 

   岩にはげたる旅人の氏

 傍のよもぎは塚にはへしげり   猿雖

 (傍のよもぎは塚にはへしげり岩にはげたる旅人の氏)

 

 前句を旅人の墓で岩に氏(うじ)が刻んであるとし、蓬に埋もれているとする。

 

季語は「よもぎ」の「はへしげり」で夏、植物、草類。

 

十二句目

 

   傍のよもぎは塚にはへしげり

 矢のねをひろふ夕立の跡     式之

 (傍のよもぎは塚にはへしげり矢のねをひろふ夕立の跡)

 

 「矢のね」は矢尻のこと。戦場の墓にする。

 

季語は「夕立」で夏、降物。

 

十三句目

 

   矢のねをひろふ夕立の跡

 鮒きりに松明のぼる浪の声    芭蕉

 (鮒きりに松明のぼる浪の声矢のねをひろふ夕立の跡)

 

 「鮒きり」は鮒鮨切り神事のことか。守山市観光物産協会のホームページによると、

 

 「祭神・豊城入彦命が東国を平定するために湖西から丸竿と丸筏で琵琶湖を渡り着いたこの地を幸津川と命名。この時、村人が鮒鮨を献上して喜ばれたという伝承に由来しています。

 「鮒ずし切りの神事」は日本遺産に、「かんこの舞」や「長刀振り」は「近江のケンケト祭り長刀振り」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。」

 

という。

 

季語は「鮒きり」が鮒鮨切り神事を表すとすれば夏で神祇になる。「松明」は夜分。「浪の声」は水辺。

 

十四句目

 

   鮒きりに松明のぼる浪の声

 里よりさとにおくる状箱     土芳

 (鮒きりに松明のぼる浪の声里よりさとにおくる状箱)

 

 前句の松明を早飛脚とする。早飛脚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「早飛脚」の解説」に、

 

 「〘名〙 必要に応じて、特別に急いで出立させる飛脚。昼だけでなく、夜も走り続けることがあった。早便(はやびん)。

  ※上杉家文書‐(永祿一二年)(1569)六月一八日・由良成繁書状「急度啓達、従小田原以早飛脚被申候」

 

とある。夜も走っていた。

 

無季。「里」は居所。

 

十五句目

 

   里よりさとにおくる状箱

 慈悲ふかき殿の入部の嬉しさよ  沢雉

 (慈悲ふかき殿の入部の嬉しさよ里よりさとにおくる状箱)

 

 入部(にふぶ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「入部」の解説」に、

 

 「① 領内にはいること。特に、国司や領主などが、はじめて任国や領地にはいること。入部入。入国。入府。

  ※令義解(833)戸「謂。国司向二所部一。〈略〉即郡司入部」

  ② ある境地に十分に到達すること。〔名語記(1275)〕」

 

とある。ここでは①の意味で、良き君主が配属されて来れば、その情報はあちこちに知れ渡り、隠者も山から下りてくる。

 

無季。「殿」は人倫。

 

十六句目

 

   慈悲ふかき殿の入部の嬉しさよ

 親なきわかのはかま着そむる   木白

 (慈悲ふかき殿の入部の嬉しさよ親なきわかのはかま着そむる)

 

 『校本芭蕉全集 第四巻』の宮本注に、

 

 「幼年の男子の初めての袴を着ける儀式。旧領主の遺児の袴着も無事にとり行われた意か。」

 

とある。

 袴着はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袴着」の解説」に、

 

 「① 幼児から少年少女に成長することを祝って、初めて袴をつける儀式。年齢は家庭の状況により一定しないが、もっぱら三歳から七歳までに行なった。江戸時代、一一月一五日に、七・五・三の祝いとして、男女三歳の時の髪置きと、女子七歳の帯解きをあわせて祝った。着袴(ちゃっこ)。袴の着初。はかま。《季・冬》」

 

とある。この頃十一月十五日に定着していたかどうかは定かでないが、次に月の句がくるので十一月十五日という共通認識はあったと思われる。

 

季語は「はかま着」で冬、衣裳。「親」「わか」は人倫。

 

十七句目

 

   親なきわかのはかま着そむる

 杉の葉にしとぎ並べし暮の月   卓袋

 (杉の葉にしとぎ並べし暮の月親なきわかのはかま着そむる)

 

 「しとぎ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「粢」の解説」に、

 

 「〘名〙 神に供える餠。もちごめを蒸し、少しついて卵形にしたもの。その形状から鳥の子ともいう。一説に、うるちの粉でつくったものという。しとぎもち。粢餠(しへい)。し。〔享和本新撰字鏡(898‐901頃)〕

  ※宇治拾遺(1221頃)四「しとぎをせさせて、一折敷とらせたれば、すこし食ひて、あなうまや、うまやといふ」

 

とある。袴着の儀式のときに杉の葉にしとぎを供える習慣があったのだろう。

 袴着が十一月十五日なので満月の日になる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十八句目

 

   杉の葉にしとぎ並べし暮の月

 鶏ながす水の秋かぜ       冫固

 (杉の葉にしとぎ並べし暮の月鶏ながす水の秋かぜ)

 

 秋の台風の洪水で鶏が流されたということか。元禄七年閏五月の落柿舎での興行の発句に、

 

 牛流す村のさはぎや五月雨    諷竹

 

の句がある。牛は頑丈で何キロも流されても無事だったりする。鶏は小さいからそうもいかないか。

 

季語は「秋かぜ」で秋。「鶏」は鳥類。

 

十九句目

 

   鶏ながす水の秋かぜ

 わかれては心くるはし肌寒し   配力

 (わかれては心くるはし肌寒し鶏ながす水の秋かぜ)

 

 『伊勢物語』第十四段の陸奥の国の女であろう。その女は後朝の時に、

 

 夜も明けばきつにはめなでくたかけの

    まだきに鳴きてせなをやりつる

 

の歌を詠む。

 「狐に食わすぞ、この糞ニワトリ」というわけだが、ここでは別れた後本当に頭がおかしくなって鶏を流してしまう、とする。

 

季語は「肌寒し」で秋。恋。

 

二十句目

 

   わかれては心くるはし肌寒し

 いろのあそびに勘當をゑて    猿雖

 (わかれては心くるはし肌寒しいろのあそびに勘當をゑて)

 

 遊郭にはまって金をつぎ込んで、ついに勘当されてしまった。金も女も失って寒い。

 

無季。恋。

 

二十一句目

 

   いろのあそびに勘當をゑて

 草かれど花には鎌をさえぬ也   一夢

 (草かれど花には鎌をさえぬ也いろのあそびに勘當をゑて)

 

 勘当されることで、かえってこれからは何も気にせずに色ごとに耽ることができるということか。

 一句は比喩で、草は刈っても花(色ごと)はやめられない。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「草」は植物、草類。

 

二十二句目

 

   草かれど花には鎌をさえぬ也

 昼ね仕に行春の山寺       半残

 (草かれど花には鎌をさえぬ也昼ね仕に行春の山寺)

 

 春の山寺は花見に人が集まってくるから、草だけ刈っておいて、あとは昼寝していればいい。

 

季語は「春」で春。釈教。山寺は山類。

二表

二十三句目

 

   昼ね仕に行春の山寺

 一霞おち来る瀧にかた打て    式之

 (一霞おち来る瀧にかた打て昼ね仕に行春の山寺)

 

 滝行も一霞程度にほどほどにして、ということか。

 

季語は「一霞」で春、聳物。「瀧」は山類、水辺。

 

二十四句目

 

   一霞おち来る瀧にかた打て

 猫ざれかかる蝶のむらがり    梅額

 (一霞おち来る瀧にかた打て猫ざれかかる蝶のむらがり)

 

 滝を見ていると肩をトントン叩く者がいて、誰かと思ったら猫がだった。猫が蝶に戯れていて、その勢いで肩に登ってきたのだった。

 

季語は「蝶」で春、虫類。「猫」は獣類。

 

二十五句目

 

   猫ざれかかる蝶のむらがり

 若宮のたこ作れとてむつかりぬ  芭蕉

 (若宮のたこ作れとてむつかりぬ猫ざれかかる蝶のむらがり)

 

 若宮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「若宮」の解説」に、

 

 「① 幼少の皇子。また、一般に皇族の子。

  ※大和(947‐957頃)一一「亭子院のわか宮につきたてまつり給て」

  ② 将軍の子の僭称。

  ※建内記‐永享一一年(1439)二月五日「若宮自二細川下野守〈御産所也〉宿所一、今夜俄渡二御左衛門督〈略〉今出川亭一」

 

とある。皇族とは限らない。

 「むつかる」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①機嫌を悪くして腹を立てる。機嫌を悪くして不平や小言を言う。

  出典源氏物語 明石

  「『あなにく。例の御癖(おほんくせ)ぞ』と、見奉りむつかるめり」

  [訳] 「ああいやだ。いつもの(色好みの)お癖だ」と、見申し上げ機嫌を悪くしたようだ。

  ②機嫌を悪くして泣く。すねる。特に、子どもが駄々をこねる。

  出典大鏡 公季

  「『例はかくもむつからぬに、いかなればかからむ』と」

  [訳] 「いつもはこうも駄々をこねないのにどうしてこうなのだろう」と。◆のちに「むづかる」とも。」

 

 猫はじゃれかかりし若宮様は凧を作ってと駄々をこね、面倒くさい。響き付け。

 

季語は「凧」で春。「若宮」は人倫。

 

二十六句目

 

   若宮のたこ作れとてむつかりぬ

 笛にて琵琶のうら扣くなり    沢雉

 (若宮のたこ作れとてむつかりぬ笛にて琵琶のうら扣くなり)

 

 やむごとなき子供には笛も琵琶もおもちゃにすぎない。凧作れと笛で琵琶の背中を叩いて太鼓みたいに囃し立てる。

 

無季。

 

二十七句目

 

   笛にて琵琶のうら扣くなり

 盞をかづらの上に打かづけ    配力

 (笛にて琵琶のうら扣くなり盞をかづらの上に打かづけ)

 

 「かづら」は上代では髪飾りや付け髪のことだったが、江戸時代では今の意味での「かつら」になる。現代語だと「かつら」と濁らないが、業界言葉だと「づら」と濁音になり、古語の名残をとどめている。

 笛で琵琶を叩くのを宴会の余興か何かにして、その乗りでかつらを被らせてその上に盃を乗せるように言う。響き付け。

 

無季。

 

二十八句目

 

   盞をかづらの上に打かづけ

 額かさなるたれ布の内      尾頭

 (盞をかづらの上に打かづけ額かさなるたれ布の内)

 

 ぶつかりそうになって、酒をこぼさないように盃を頭の上に掲げる。たれ布の内というのは座敷から調理場を隠すためのもので、調理場の忙しい様子とする。

 

無季。

 

二十九句目

 

   額かさなるたれ布の内

 よみ帰りなき出す聲のおどろしき 土芳

 (よみ帰りなき出す聲のおどろしき額かさなるたれ布の内)

 

 「おどろし」は驚くの形容詞形で、さらに強調すると「おどろおどろし」になる。

 死んだと思って棺桶に入れたら生きていたので、お化けなのか奇跡の生還なのかとまどい、泣き出す声がおどろおどろしい。たれ布は葬式の垂れ幕か。

 

無季。

 

三十句目

 

   よみ帰りなき出す聲のおどろしき

 笠の日付の二月になる      配力

 (よみ帰りなき出す聲のおどろしき笠の日付の二月になる)

 

 この頃はまだ書かれてなかったが『奥の細道』のラストの部分に、

 

 「露通も此みなとまで出むかひて、みのゝ国へと伴なふ。駒にたすけられて大垣の庄に入ば、曾良も伊勢より来り合、越人も馬をとばせて、如行が家に入集る。前川子・荊口父子、其外したしき人々日夜とぶらひて、蘇生のものにあふがごとく、且悦び且いたはる。」

 

とある。旅で別々になった人にまた巡り合う時に「蘇生のものにあふがごとく」という言葉が用いられるように、この句の「よみ帰り」もそういう意味に取り成したのだろう。

 ちなみに芭蕉と曾良が分かれたのは八月五日の山中温泉で、再会するのは九月四日だから大体一月。

 

無季。旅体。

 

三十一句目

 

   笠の日付の二月になる

 辻堂の地蔵を絵どる旅の僧    尾頭

 (辻堂の地蔵を絵どる旅の僧笠の日付の二月になる)

 

 辻堂は街道沿いにあるお堂で、旅人が休んだり、宿のない所では野宿したりもする。地方によっては旅行者用の施設として作った所もある。

 巡礼の旅に出てから二か月、旅僧は地蔵堂のお地蔵さんを絵に書き留めたり、余裕だ。

 

無季。釈教。旅体。「僧」は人倫。

 

三十二句目

 

   辻堂の地蔵を絵どる旅の僧

 長柄のはしのくゐを尋ねし    卓袋

 (辻堂の地蔵を絵どる旅の僧長柄のはしのくゐを尋ねし)

 

 長柄の橋は大阪の淀川に架かる橋。ウィキペディアに、

 

 「弘仁の時代に掛けられたこの橋は、川の中の島と島をつないだものだったようだが、約40年後の仁寿三年(853年)頃、水害によって廃絶。周辺がたびたび氾濫し川幅が広かったことや、9世紀後半が律令政治が弱体化した時期でもあったことで、杭だけを水面に残し中世を通じてついに再建されなかった。しかし、摂関時代以後の中世に、この存在しない橋が貴族たちの間で「天下第一の名橋」と称され、歌や文学作品に多数取り上げられることとなった。」

 

とある。

 

 なにごともかはりゆくめる世の中に

     むかしながらの橋柱かな

             道命法師(千載集)

 年経ればくちこそまされ橋柱

     むかしながらの名だにかはらで

             壬生忠岑(新古今集)

 

など、ながらの橋柱は歌に詠まれている。

 辻堂の地蔵を絵に描いていた旅僧は、長良の橋杭がまだ残ってないか探し求める。

 

無季。「長柄のはし」は名所、水辺。

 

三十三句目

 

   長柄のはしのくゐを尋ねし

 津国のいん居はくどくならせらん 沢雉

 (津国のいん居はくどくならせらん長柄のはしのくゐを尋ねし)

 

 長柄の橋の橋杭のことを摂津国の隠居老人に尋ねようものなら、とうとうと薀蓄を聞かされる。それも大体たいした中身もなく、同じことを延々と繰り返し語るので、とにかくくどい。

 

無季。「隠居」は人倫。

 

三十四句目

 

   津国のいん居はくどくならせらん

 夜食はふけぬ鐘のこゑごゑ    冫固

 (津国のいん居はくどくならせらん夜食はふけぬ鐘のこゑごゑ)

 

 くどくどと延々に話が続く間に、軽く夜食を取るつもりだったのが夜明けの鐘を聞くことになる。

 

無季。「夜食」は夜分。

 

三十五句目

 

   夜食はふけぬ鐘のこゑごゑ

 一順ののちは度々句におくれ   猿雖

 (一順ののちは度々句におくれ夜食はふけぬ鐘のこゑごゑ)

 

 俳諧興行とする。連衆の最初の一順の後は、度々次の句がなかなかつかずに滞って、終に朝になってしまった。

 

無季。

 

三十六句目

 

   一順ののちは度々句におくれ

 雲の窓かといづる三ヶ月     梅軒

 (一順ののちは度々句におくれ雲の窓かといづる三ヶ月)

 

 初裏の月の句がなかなか出せなくて、花の定座の「花の雲」の後にようやく三日月の句が付く。そういえばこの二表も最後になってようやく月が出た。

 

季語は「三ヶ月」で秋、夜分、天象。「雲」は聳物。

二裏

三十七句目

 

   雲の窓かといづる三ヶ月

 紅葉ふく竹の筏に打乗て     卓袋

 (紅葉ふく竹の筏に打乗て雲の窓かといづる三ヶ月)

 

 古典にも名高い龍田川の紅葉であろう。紅葉を秋風の吹く中を竹の筏に乗り込めば既に薄暗く、雲の合間に三日月が見える。

 

季語は「紅葉」で秋、植物、木類。「筏」は水辺。

 

三十八句目

 

   紅葉ふく竹の筏に打乗て

 茅の穂ながら折し楽人      式之

 (紅葉ふく竹の筏に打乗て茅の穂ながら折し楽人)

 

 楽人は「らくにん」と読む場合は生活の苦労のない金持ちのことをいう。筏に乗る時に慣れてなくて、よろけて茅の穂を折ったということか。

 

季語は「茅の穂」で秋、植物、草類。「楽人」は人倫。

 

三十九句目

 

   茅の穂ながら折し楽人

 軒高き祭の家の煙るなり     土芳

 (軒高き祭の家の煙るなり茅の穂ながら折し楽人)

 

 これは、

 

 思ひ出づる折りたく柴の夕煙

     むせぶもうれし忘れ形見に

              後鳥羽院(新古今集)

 

か。ここは柴ではなく茅の穂を折って火にくべる。その煙が祭の家を煙らせる。

 

無季。「家」は居所。「煙る」は聳物。

 

四十句目

 

   軒高き祭の家の煙るなり

 日よりうかがふ鳶の朝聲     梅軒

 (軒高き祭の家の煙るなり日よりうかがふ鳶の朝聲)

 

 トンビは死肉あさりをするので、カラス同様これが現れるのは死人の出る不吉な徴でもある。前句を葬儀として鳶を付ける。

 

無季。「鳶」は鳥類。

 

四十一句目

 

   日よりうかがふ鳶の朝聲

 賤の男が月代すりて遊ぶらむ   半残

 (賤の男が月代すれて遊ぶらむ日よりうかがふ鳶の朝聲)

 

 前句の鳶を鳶職に取り成し、「賤の男」とする。きちんと月代を剃りなおして、朝から集まり遊びに行く。

 

無季。「賤の男」は人倫。

 

四十二句目

 

   賤の男が月代すりて遊ぶらむ

 大サ見たる江戸の観音      沢雉

 (賤の男が月代すりて遊ぶらむ大サ見たる江戸の観音)

 

 江戸だからと言ってそんな特別大きな観音様があるわけではないし、浅草寺に至っては秘仏で見た人もいない。これは賤の男のホラ話であろう。

 

無季。釈教。

 

四十三句目

 

   大サ見たる江戸の観音

 古郷の文に思ひを尽されし    梅額

 (古郷の文に思ひを尽されし大サ見たる江戸の観音)

 

 故郷への文に江戸の観音様をお参りしたことを書くが、観音の大きさは心の中での大きさになる。

 

無季。

 

四十四句目

 

   古郷の文に思ひを尽されし

 みづから帳の上おろししぬ    冫固

 (古郷の文に思ひを尽されしみづから帳の上おろししぬ)

 

 帳は几帳や緞帳などの幕の意味と帳簿の意味があるが、上げ下ろしをするのは幕の方であろう。一人暮らしということか。

 

無季。

 

四十五句目

 

   みづから帳の上おろししぬ

 鈴虫の髭あるさまに鳴をみん   半残

 (鈴虫の髭あるさまに鳴をみんみづから帳の上おろししぬ)

 

 鈴虫の髭は触角のことか。鈴虫の鳴く姿が見たくて帳を上げる。

 

季語は「鈴虫」で秋、虫類。

 

四十六句目

 

   鈴虫の髭あるさまに鳴をみん

 いばらのそこを照す稲妻     猿雖

 (鈴虫の髭あるさまに鳴をみんいばらのそこを照す稲妻)

 

 イバラの中に隠れていた鈴虫も、稲妻の光でその姿を現す。

 

季語は「稲妻」で秋、夜分。「いばら」は植物、草類。

 

四十七句目

 

   いばらのそこを照す稲妻

 手に居ばころころ月のこけぬべし 土芳

 (手に居ばころころ月のこけぬべしいばらのそこを照す稲妻)

 

 居はここでは「すゑ」と読む。

 月が丸いので手に載せたらコロコロ転がるだろうな。稲妻の光に比べれば弱々しい月の光に、そう思ったか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四十八句目

 

   手に居ばころころ月のこけぬべし

 秋の咄しをそれぞれにきく    卓袋

 (手に居ばころころ月のこけぬべし秋の咄しをそれぞれにきく)

 

 秋の夜長を一人一人物語をしながら過ごす。きっと月も笑い転げていることだろう。

 

季語は「秋」で秋。

 

四十九句目

 

   秋の咄しをそれぞれにきく

 牛馬をやしなふ宿も花見とて   冫固

 (牛馬をやしなふ宿も花見とて秋の咄しをそれぞれにきく)

 

 宿は他にも運送などの商売をやっていて、牛や馬も飼っていたのだろう。広い宿なので花見の時は宴ともに誰からともなく話始める。

 『春の日』の「なら坂や」の巻二十七句目に、

 

   宮古に廿日はやき麦の粉

 一夜かる宿は馬かふ寺なれや   野水

 

の句がある。

 

季語は「花見」で春、植物、木類。旅体。「牛馬」は獣類。

 

挙句

 

   牛馬をやしなふ宿も花見とて

 弥生ことぶく人の打むれ     木白

 (牛馬をやしなふ宿も花見とて弥生ことぶく人の打むれ)

 

 花見を兼ねたお祝いの席だったのだろう。弥生の満開の花の下でこの世の春を祝い、一巻は目出度く終了する。

 

季語は「弥生」で春。「人」は人倫。