「世に有て」の巻、解説

延宝九年秋

初表

 世に有て家立は秋の野中哉      才丸

   詠置月にかぶ萩を買       揚水

 哀とも茄子は菊にうら枯て      桃青

   鮎さびすたり海鼠漸ク      其角

 雪の客霙の客とふるまへば      揚水

   蘇鉄の亭に題を設る       才丸

 樂やつこ隠れて風流林とよぶ     其角

   樽に羽織を着せてあふぎし    桃青

 

初裏

 嬉しきや女房のせいて泣付を     才丸

   恋あぶれたる弟手討に      揚水

 音更て槇の板戸をこぢ放ス      桃青

   枯ゆく宿に冬子うむ犬      其角

 髪結の住けん庭は蓬して       揚水

   卒塔婆の男ゆかた凋レる     才丸

 骨刀土器鍔のもろきなり       其角

   痩たる馬の影に鞭うつ      桃青

 内に寐ても心はきのふ羇旅      才丸

   米とぐ音の耳に露けき      揚水

 扨もかびて簀子折たく秋しもぞ    桃青

   無-銭居-士とて朝深き月     其角

 筆耕青磁の牛に花付て        揚水

   燕茶-水の流れくむらん      才丸

 

 

二表

 后宮のやぶ入車やどりふる      其角

   ねたしや上の御若衆の様     桃青

 頭巾かづきさげて○夜の雪駄の忍ぶ音 才丸

   挑灯切つて霜のかげろひ     揚水

 風前の角内と身を悟りける      桃青

   入ㇽの山ぶみ狼にのり      其角

 雷の斧丁々として音さらに      揚水

   玄又玄し龍頭の国        才丸

 俗のいふ鹿嶋の海の底なるや     其角

   朝の日の東本地赤螺       桃青

 何を覚て蛤の寐て夢見たる      才丸

   ひそかひそかと雨蓑をもる    揚水

 月を葺夕芋の葉の片軒端       桃青

   粟刈敷て団子干す比       其角

 

二裏

 露鶏の羽がひの鷇ひよひよと     揚水

   水くみ起て帚尋ぬる       才丸

 釜かぶる人は忍びて別るなり     其角

   槌を子にだくまぼろしの君    桃青

 古家の泣聲闇にさへなれば      才丸

   いたちの禿倉風の荒ぶる     揚水

 麻の葉に生る小鮒を折交て      桃青

   かた枝さすなる生の浦柚子    其角

 きたなくて清き隣と住月に      揚水

   明て寐御座をかけ渡す露     才丸

 昼夢の食たく程に夕ぐるる      其角

   人死を待て生たはいなし     桃青

 石ガ曰ク花の目出度咲にけり     才丸

   木玉にかなで風を舞柳      揚水

 

 

三表

 飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ      桃青

   馿馬ノ進マザル躰キラキラシ   其角

 大根の葉越の関のこなたより     揚水

   雪のから鮭に文付てやる     才丸

 衰へや火桶の嫗の腰寒き       其角

   有侘し床にふとん引づる     桃青

 もやもやと寐入りかねくどくにたえで 才丸

   通はす首の泣てたたずむ     揚水

 迷ひしれ恨が原の目かけ塚      桃青

   横雲別レ之助修行し暮て     其角

 今宵月に村風と申す三味線を     揚水

   やさしや薄泪こぼすか      才丸

 秋の霜腹切草をことはれば      其角

   住持ゆるして明る柴の戸     桃青

 

三裏

 面白く盞。曲を狂ひしに       才丸

   海老ちらしたる海苔の青衣    揚水

 恋崎の松か娘の花の臺        桃青

   契世にのこる雪の明神      其角

 卜問し鷺の翁のしらじらと      揚水

   虵の気立て草の煩        才丸

 笹深き皇居にかりの紙帳釣ル     其角

   清水の司麦を糝ク        桃青

 いつも参る法味寺の醤色殊に     才丸

   老尼はなしの叙ありけり     揚水

 哀余る捨子ひろひに遣して      桃青

   外里に鹿の裾引て入       其角

 松茸の道しまがへば枯いばら     揚水

   栗の梢にあり明のいが      才丸

 

 

名残表

 侘竈に蛬の音をしのぶ成ル      其角

   足袋さす宿に風霜を待      桃青

 扇折る女は夏に捨られて       才丸

   夫は江戸に恋わすれさく     揚水

 むさし壱歩さすがにと読てやみけり  桃青

   艶なる茶のみ所求めて      其角

 夜々に来て上るり語る聲細く     揚水

   法眼が書し武者絵とやらん    才丸

 宮造る虚の匠の名乗して       其角

   熨斗を冠の纓に折かけ      桃青

 鰯なる翠簾のうるめは枯残リ     才丸

   故園今とへば蘭腥し       揚水

 風の月熱の御灵を鎮めける      桃青

   黄なる小僧の怪しさよ露     其角

 

名残裏

 山路わくいぐちの笠を置忘レ     揚水

   篠の枝折を猿にことはる     才丸

 岩彦の栖を深く立のぞき       桃青

   気を奪れし人のぬけがら     其角

 血を踏で風太刀を折ル音厳      揚水

   古沓をとつて野辺に枕ス     才丸

 行くれて花に夜着かる芝筵      其角

   狐は酔て酴醿に入ル       桃青

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

発句

 

 世に有て家立は秋の野中哉    才丸

 

 「家立(やだち)」は検索しても出てこない、辞書にない言葉のようだ。『校本芭蕉全集 第三巻』の注には「家の建て具合」とある。

 おそらくこれは市隠ということで、江戸の市中に住み、世俗にあっても心の中では本当の家は秋の野の中に建っている、という意味だろう。

 百韻とはいえ、基本的には信徳編『七百五十韻』を引き継いで千句を仕上げるということだから、『七百五十韻』ほ八つの発句と被らないような題材を選ばなくてはならない。其角の「春澄にとへ」で『七百五十韻』の発句のパロディーはやってしまったので、最後を締めくくる発句として無難な、精神性の高い発句となっている。

 十巻の発句を並べておこう。

 

 一、江戸桜志賀の都はあれにけり    信徳

 二、浦嶋が上髭化して白魚成べし    正長

 三、竹の精翁姿や皮の面        如風

 四、海鬼燈乙姫舌をふりたてたり    政定

 五、鳫にきけいなおほせ鳥といへるあり 春澄

 六、風蘭や橘の軒もふるかりき     仙菴

 七、夕されば深草火鉢ともよめり    常之

 八、八人や俳諧うたふ里神楽      如泉

 九、春澄にとへ稲負鳥といへるあり   其角

 十、世に有て家立は秋の野中哉     才丸

 

季語は「秋」で秋。「家立」は居所。

 

 

   世に有て家立は秋の野中哉

 詠置月にかぶ萩を買       揚水

 (世に有て家立は秋の野中哉詠置月にかぶ萩を買)

 

 月を眺めながら心を秋の野にするために、萩の株を買ってきて、庭に植えるか鉢植えにして、狭いながらも秋の野を思い浮かべる。

 秋の野の月に萩は、

 

 つねよりも身にぞしみける秋の野に

     月すむ夜はの荻のうはかぜ

              藤原頼実(千載集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「萩」は植物、草類。

 

第三

 

   詠置月にかぶ萩を買

 哀とも茄子は菊にうら枯て    桃青

 (哀とも茄子は菊にうら枯て詠置月にかぶ萩を買)

 

 前句の「かぶ萩」を「蕪」と「萩」として、「蕪」に茄子を、「萩」に菊を付ける。

 季節を晩秋として茄子や菊が末枯れて、代わりに蕪と萩を植える。

 

季語は「菊」で秋、植物、草類。

 

四句目

 

  哀とも茄子は菊にうら枯て

 鮎さびすたり海鼠漸ク      其角

 (哀とも茄子は菊にうら枯て鮎さびすたり海鼠漸ク)

 

 秋の産卵期の鮎は赤くなるので錆鮎(さびあゆ)と呼ばれている。「落ち鮎」とも言う。産卵を済ませると鮎の多くは死んでゆく。

 これに対して海鼠(なまこ)は冬が旬。茄子や菊の末枯れる頃は鮎には遅く海鼠にはまだ早い。

 

季語は「鮎さび」で秋、水辺。

 

五句目

 

   鮎さびすたり海鼠漸ク

 雪の客霙の客とふるまへば    揚水

 (雪の客霙の客とふるまへば鮎さびすたり海鼠漸ク)

 

 雪や霙が降ると、帰るのが億劫になって泊まっていく客も多くなる。何をふるまえばいいのかとなると、鮎には遅いし海鼠には早い。

 

季語は「雪」と「霙」で冬、降物。

 

六句目

 

   雪の客霙の客とふるまへば

 蘇鉄の亭に題を設る       才丸

 (雪の客霙の客とふるまへば蘇鉄の亭に題を設る)

 

 蘇鉄は寒さに弱いので冬は藁や薦を巻いて冬構えをしなくてはいけない。そんなときに来る客に和歌や漢詩の題をどうすればいいのか迷うところだ。

 

無季。「蘇鉄」は植物、木類。

 

七句目

 

   蘇鉄の亭に題を設る

 樂やつこ隠れて風流林とよぶ   其角

 (樂やつこ隠れて風流林とよぶ蘇鉄の亭に題を設る)

 

 「楽やっこ」はよくわからない。「やっこ」はウィキペディアに、

 

 「武家に働く者の中でも低い身分にあたり、「中間(ちゅうげん)」や「折助(おりすけ)」と呼ばれていた武家奉公人を、蔑むときの呼び名である。「家つ子」(やつこ)が語源であるとされる。「ヤケ=家の子」の意味(鬼頭清明 『大和朝廷と東アジア』 吉川弘文 1994年 p.217.ギリシア語でもラテン語でも奴隷は「家の人」と言う意味を有する)。」

 

とある。この場合は遊んでばかりいるしょうもない中間のことか。

 主人の蘇鉄の亭を楽やっこが勝手に「風流林(ふりうりん)」と名前を付けて呼んでいる。

 

無季。「樂やつこ」は人倫。

 

八句目

 

   樂やつこ隠れて風流林とよぶ

 樽に羽織を着せてあふぎし    桃青

 (樂やつこ隠れて風流林とよぶ樽に羽織を着せてあふぎし)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「竹林の七賢の一人、劉伯倫などの俤」とある。

 劉伯倫は劉伶の字(あざな)で、ウィキペデアには、

 

 「『世説新語』によると、身長が約140cmと低く手押し車に乗り、鍤(シャベル)を携えた下僕を連れて、「自分が死んだらそこに埋めろ」と言っていた。酒浸りで、素っ裸でいることもあった。ある人がそれをとがめたのに答えて言った。「私は、天地を家、部屋をふんどしと思っている。君らはどうして私のふんどしの中に入り込むのだ。」また酒浸りなので、妻が心配して意見したところ、「自分では断酒できないので、神様にお願いする」と言って、酒と肉を用意させた。そして祝詞をあげ、「女の言うことなど聞かない」と言って肉を食い、酒を飲んで酔っぱらったと伝わる。」

 

とある。まあ、酔うと脱ぐ人は結構いる。

 この句もそのネタで、酔うと樽に着ているものを脱いでひっかけ、扇で仰いで涼んでいる。人はその楽やっこを劉伶に掛けて風流林と呼んでいる。

 

無季。「羽織」は衣裳。

初裏

九句目

 

   樽に羽織を着せてあふぎし

 嬉しきや女房のせいて泣付を   才丸

 (嬉しきや女房のせいて泣付を樽に羽織を着せてあふぎし)

 

 その劉伶のエピソードで、女房に酒をやめろと言われたから、それなら酒が止められるように神に祈るから、そのためのお供え物として酒と肉を用意してくれ、と言って持ってこさせると、さっそくその酒を飲み肉を食い出した。そして、酒飲みは俺のキャラで酒を飲むから俺は有名人でいられるんだ、と開き直る。確かに酒をやめてたら竹林の七賢にカウントされてなかったかもしれない。

 そういうわけで、樽に羽織を着せていた酒飲みも、女房が酒止めろと言ってくれないかな、そうすればこの手でまた酒が飲めるのにと思うのだった。

 

無季。恋。「女房」は人倫。

 

十句目

 

   嬉しきや女房のせいて泣付を

 恋あぶれたる弟手討に      揚水

 (嬉しきや女房のせいて泣付を恋あぶれたる弟手討に)

 

 兄弟で三角関係も困ったものだ。不義密通が死罪の時代だし、女房に非がなかったのが分かってとりあえず良かったということか。

 そういえば『芭蕉二つの顔』(田中善信、1998、講談社)には芭蕉と寿貞は夫婦で甥の桃印と三角関係になったため、桃印が社会的に葬られたなんていう説もあったが。

 

無季。恋。「弟」は人倫。

 

十一句目

 

   恋あぶれたる弟手討に

 音更て槇の板戸をこぢ放ス    桃青

 (音更て槇の板戸をこぢ放ス恋あぶれたる弟手討に)

 

 「音更て」はよくわからない。物音が遠ざかるということか。槇の板戸をこじ開けて、開け放ったまま弟を手討にする。

 余談だが学校をさぼることを「ふける」というのは古語だというのがわかった。エスケープ=ふけるで正しかった。

 

無季。

 

十二句目

 

   音更て槇の板戸をこぢ放ス

 枯ゆく宿に冬子うむ犬      其角

 (音更て槇の板戸をこぢ放ス枯ゆく宿に冬子うむ犬)

 

 冬子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 冬に生まれた動物の子。

  ※俳諧・俳諧次韻(1681)「音更て槇の板戸をこぢ放す〈芭蕉〉 枯ゆく宿に冬子うむ犬〈其角〉」

 

とある。他の用例がわからない。

 古い板戸が開けっ放しだったのは犬が子を産むために入り込んでいたからだった。

 

季語は「冬子」で冬。「犬」は獣類。

 

十三句目

 

   枯ゆく宿に冬子うむ犬

 髪結の住けん庭は蓬して     揚水

 (髪結の住けん庭は蓬して枯ゆく宿に冬子うむ犬)

 

 髪結(かみゆひ)はコトバンクの「百科事典マイペディアの解説」に、

 

 「髪を結う職人。平安・鎌倉時代には男性は烏帽子(えぼし)をかぶるために簡単な結髪ですんでいたが,室町後期には露頭(ろとう)や月代(さかやき)が一般的になり,そのため,結髪や月代そりを職業とする者が現れた。別に一銭剃(いっせんぞり),一銭職とも呼ばれたが,これは初期の髪結賃からの呼称とされる。また取りたたむことのできるような簡略な仮店(〈床〉)で営業したことから,その店は髪結床(かみゆいどこ),〈とこや〉と呼ばれた。近世には髪結は主に〈町(ちょう)抱え〉〈村抱え〉の形で存在していた。三都(江戸・大坂・京都)では髪結床は,橋詰,辻などに床をかまえる出床(でどこ),番所や会所の内にもうける内床があるが(他に道具をもって顧客をまわる髪結があった),ともに町の所有,管理下におかれており,江戸で番所に床をもうけて番役を代行したように,地域共同体の特定機能を果たすように,いわば雇われていた。そのほか髪結には,橋の見張番,火事の際に役所などに駆け付けることなどの〈役〉が課されていた。さらに髪結床は,《浮世床》や《江戸繁昌記》に描かれるように町の社交場でもあった。なお,女の髪を結う女髪結は,芸妓など一部を除いて女性は自ら結ったことから,現れたのは遅く,禁止されるなどしたが,幕末には公然と営業していた。」

 

とある。

 店を構えて営業したたのではなく、橋詰、辻などで営業していたことや町の所有、管理下にあったというあたりで、部落がらみであったことが窺われる。

 「一般社団法人部落解放・人権研究所」のサイトの「大阪の部落史通信・27号(2001.10)多様な被差別民観について」森田康夫(樟蔭東女子短期大学)の所に大坂の髪結いのことが記されている。

 この句も当時の髪結の生活の一端が垣間見られるものなのだろう。

 蓬の宿は、

 

 いかでかは尋ね来つらん蓬ふの

     人もかよはぬ我が宿の道

              よみ人しらず(拾遺集)

 蓬生の宿の通ひ路いつのまに

     枯れにしあとも霜をへぬらむ

              兼好法師(兼好法師集)

 

などの歌がある。

 

無季。「髪結」は人倫。「住けん庭」は居所。「蓬」は植物、草類。

 

十四句目

 

   髪結の住けん庭は蓬して

 卒塔婆の男ゆかた凋レる     才丸

 (髪結の住けん庭は蓬して卒塔婆の男ゆかた凋レる)

 

 髪結は河原者で葬儀場や墓所にも近いところに住んでいたのだろう。よれよれの浴衣で卒塔婆に向かう。

 

無季。「男」は人倫。「ゆかた」は衣裳。

 

十五句目

 

   卒塔婆の男ゆかた凋レる

 骨刀土器鍔のもろきなり     其角

 (骨刀土器鍔のもろきなり卒塔婆の男ゆかた凋レる)

 

 骨の刀に素焼き土器の鍔というと、ゲームか何かのアンデッド系の戦士みたいだが、多分ここでもそういう怪異をイメージしたのだろう。

 

無季。

 

十六句目

 

   骨刀土器鍔のもろきなり

 痩たる馬の影に鞭うつ      桃青

 (骨刀土器鍔のもろきなり痩たる馬の影に鞭うつ)

 

 武将の幽霊なら馬も幽霊で、さながらアンデッド・ナイトだ。

 

無季。「馬」は獣類。

 

十七句目

 

   痩たる馬の影に鞭うつ

 内に寐ても心はきのふ羇旅    才丸

 (内に寐ても心はきのふ羇旅痩たる馬の影に鞭うつ)

 

 羇旅はここでは「くさまくら」と読む。家に戻ってきたのに夢の中ではまだ旅を続けていて、痩せた馬の影に鞭を打っている。

 

無季。旅体。

 

十八句目

 

   内に寐ても心はきのふ羇旅

 米とぐ音の耳に露けき      揚水

 (内に寐ても心はきのふ羇旅米とぐ音の耳に露けき)

 

 故郷に帰り、母の米を砥ぐ音が聞こえて涙ぐむ。ようやく帰ってきたことを実感する。

 草枕の露は、

 

 君をのみこひつつ旅の草枕

     露しげからぬあか月ぞなき

              よみ人しらず(拾遺集)

 おきてゆく涙のかかる草まくら

     露しげしとや人のあやめん

              よみ人しらず(千載集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「露けき」で秋、降物。

 

十九句目

 

   米とぐ音の耳に露けき

 扨もかびて簀子折たく秋しもぞ  桃青

 (扨もかびて簀子折たく秋しもぞ米とぐ音の耳に露けき)

 

 「折(をり)たく」というと、

 

 思ひ出づる折りたく柴の夕煙

     むせぶもうれし忘れ形見に

              後鳥羽院(新古今集)

 

の歌が思い浮かぶ。

 黴の生えた簀子を薪にくべながら一人飯を炊くと、今は亡き人のことも思い出されるのだろう。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十句目

 

   扨もかびて簀子折たく秋しもぞ

 無-銭居-士とて朝深き月     其角

 (扨もかびて簀子折たく秋しもぞ無-銭居-士とて朝深き月)

 

 居士(こじ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 学徳が高い隠者。処士。

  ※集義外書(1709)三「身は市井にして、心は賢大夫士も恐るべき人ならば、居士とも隠者ともいふべし」 〔礼記‐玉藻〕

  ② (gṛha-pati の訳語。家長・長者の意) 仏語。仏教興隆期のインドで、商工業に従事した資産家。または、出家しないで家にいて仏門に帰依する男子の称。在家の仏教信者、修行者。特に近世以降、禅に関していう場合が多い。

  ※法華義疏(7C前)三「居士譬二内凡夫一」 〔祖庭事苑‐三・雪竇祖英上〕

  ③ 男子の死後、その法名(戒名)に付ける称号。→こじごう(居士号)。

  ※雑俳・柳多留‐三(1768)「国者に聞けば四五人居士に成り」

 

とある。今ではほとんど③の意味でしか使わないが、明治だと正岡子規が「居士」を名乗っていた。これは①の意味になる。ここでも隠者の意味であろう。

 まあ、居士と言っても天下不滅の無一文で、黴の生えた簀子を薪にしている。朝深き月は夜深き月の反対だが。まだ真っ暗な朝の月ということか。

 折たくの朝は、

 

 山深く賤の折りたくしひしばの

     音さへ寒き朝ぼらけかな

              藤原家隆(壬二集)

 

の歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。「居-士」は人倫。

 

二十一句目

 

   無-銭居-士とて朝深き月

 筆耕青磁の牛に花付て      揚水

 (筆耕青磁の牛に花付て無-銭居-士とて朝深き月)

 

 筆耕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 写字や清書をすること。それによって報酬を受けること。また、その人。文筆で生活することもいう。

  ※新撰朗詠(12C前)下「筆耕疲れて未だ獲(か)らず〈高階積善〉」

  ※思出の記(1900‐01)〈徳富蘆花〉七「十行二十字詰一枚五厘の筆耕を周旋して呉れたのは」 〔任昉‐為蕭揚州薦士表〕」

 

とある。ただ、ここでは「耕」に「たがやす」とルビがふってある。

 無-銭居-士とは言いながらも青磁の牛の絵付けをして生活している。筆耕は普通は文筆で生活することだが、絵入れも筆耕に入るのか。

 老子が青牛に乗っていたという伝説があり、老子騎牛図は画題にもなっている。延宝四年の「梅の風」の巻十六句目にも、

 

   夕陽に牛ひき帰る遠の雲

 老子のすがた山の端がくれ    信章

 

の句がある。

 老子騎牛図『史記』に描かれた老子が出典になっているという。

 コトバンクの「関尹子」の項の「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「中国上代の思想家。またはその著書の名。人物としての関尹子の名は、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』や『荘子(そうし)』に静寂を尚(たっと)んだ人物としてみえるが、その経歴は明らかでない。ただ『史記』「老子伝」によると、関令(かんれい)尹喜(いんき)(関所役人の尹喜)なる人物がおり、老子は、彼の要請によりその書を著して授けたという。そして、この関令尹喜がすなわち関尹子であるとされることから、関尹子とは老子の一番弟子であり、『老子』を伝授された人物として伝えられるようになった。」

 

とある。この関が函谷関で、老子が牛に乗って函谷関を越えたという伝説が生じたという。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

二表

二十三句目

 

   燕茶-水の流れくむらん

 后宮のやぶ入車やどりふる    其角

 (后宮のやぶ入車やどりふる燕茶-水の流れくむらん)

 

 皇后が藪入りで帰省するということか。皇后を乗せた車は故郷での長い滞在となり、燕も良い水を知っている。

 

季語は「やぶ入」で春。

 

二十四句目

 

   后宮のやぶ入車やどりふる

 ねたしや上の御若衆の様     桃青

 (后宮のやぶ入車やどりふるねたしや上の御若衆の様)

 

 皇后が実家から戻らないのは、皇帝が若衆に夢中だからだとした。

 

無季。恋。「御若衆」は人倫。

 

二十五句目

 

   ねたしや上の御若衆の様

 頭巾かづきさげて○夜の雪駄の忍ぶ音 才丸

 (頭巾かづきさげて○夜の雪駄の忍ぶ音ねたしや上の御若衆の様)

 

 前句の若衆の様で、頭巾を深くかぶって夜雪駄を履いて忍んでやってくる。

 

無季。恋。「頭巾」「雪駄」は衣裳。「夜」は夜分。

 

二十六句目

 

   頭巾かづきさげて○夜の雪駄の忍ぶ音

 挑灯切つて霜のかげろひ     揚水

 (頭巾かづきさげて○夜の雪駄の忍ぶ音挑灯切つて霜のかげろひ)

 

 前句の「忍ぶ」者は持っていた提燈に切りかかり、火が消えるとその姿は霜の陽炎に消えた。さては忍者か。

 

季語は「かぎろひ」で春。「挑灯」は夜分。「霜」は降物。

 

二十七句目

 

   挑灯切つて霜のかげろひ

 風前の角内と身を悟りける    桃青

 (風前の角内と身を悟りける挑灯切つて霜のかげろひ)

 

 「角内(かくない)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 武家の下僕の通称。角助。

  ※浮世草子・好色二代男(1684)一「角内(カクナイ)が背中に乗うつり給ふありさまは」

 

とある。やっこや中間をいう。

 提灯を斬られて、もはや命も文字通り「風前の灯火」となったのを悟る。

 

無季。「角内」「身」は人倫。

 

二十八句目

 

   風前の角内と身を悟りける

 入ㇽの山ぶみ狼にのり      其角

 (風前の角内と身を悟りける入ㇽの山ぶみ狼にのり)

 

 自らの命が風前の灯だと悟った角内は、仏道に入るために山路を踏み分け入るが、その時に狼に乗る。

 狼は『日本書紀』で日本武尊の前に現れ導いたという。その個所には「時に白き狗、自づからに来て、王を導きまつる状有り。狗に随ひて行でまして、美濃に出づること得つ。」とある。

 狼はその後神の眷属として三峯神社や御嶽神社に祀られ、江戸の庶民の間でもその信仰が広がって行った。

 

無季。「山」は山類。「狼」は獣類。

 

二十九句目

 

   入ㇽの山ぶみ狼にのり

 雷の斧丁々として音さらに    揚水

 (雷の斧丁々として音さらに入ㇽの山ぶみ狼にのり)

 

 「雷(らい)の斧(をの)」は雷斧(らいふ)という言葉から来たもので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 石器時代の遺物である石斧(せきふ)や石槌(せきつい)などをいう。雷雨の後などに地表に露出して発見されたところから、雷神の持ち物と考えて名づけられたもの。雷斧石。雷鎚(らいつい)。かみなりのまさかり。

  ※和蘭天説(1795)「雷斧(ライフ)は、信州水内郡雷屋敷と云処にあるを視る」 〔蘇軾‐雪浪石詩〕」

 

とある。

 「丁」は「はち」とルビがふってある。「丁々」は「はちはち」になる。

 前句から日本武尊の戦いを思い描き、古代の戦いの石斧を打ち合う音を付ける。

 

無季。

 

三十句目

 

   雷の斧丁々として音さらに

 玄又玄し龍頭の国        才丸

 (雷の斧丁々として音さらに玄又玄し龍頭の国)

 

 「玄又玄し」は「ふかくまたふかし」と読む。老子『道徳経』に、

 

 「道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。」

 

とある。天地万物もその道も、もともと言葉で言い表せるものではない。玄之又玄だ、という。龍頭の国は不明。何となく中国っぽい。

 

無季。

 

三十一句目

 

   玄又玄し龍頭の国

 俗のいふ鹿嶋の海の底なるや   其角

 (俗のいふ鹿嶋の海の底なるや玄又玄し龍頭の国)

 

 前句の龍頭の国を竜宮のように鹿島灘の海の底にあるとする。注釈か何かのように「俗にいふ」と付け加える。

 

無季。「鹿嶋」は名所。「海の底」は水辺。

 

三十二句目

 

   俗のいふ鹿嶋の海の底なるや

 朝の日の東本地赤螺       桃青

 (俗のいふ鹿嶋の海の底なるや朝の日の東本地赤螺)

 

 赤螺(あかにし)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① アクキガイ科の巻き貝。殻高約一〇センチメートル。殻の口は大きく、内面は美しい赤色。本州・四国・九州沿岸の砂底にすみ、カキその他の二枚貝を食べるので養殖貝の害敵となることもある。殻は貝細工に、肉は食用にする。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ② (①の蓋(ふた)を堅く閉じたさまが、金銀を握って放さない様子に似ているところから) けちな人をあざけっていう語。

  ※雑俳・柳多留‐一〇七(1829)「赤にしの客雨落でしゃれてゐる」

 

とある。結構大きな貝だ。

 鹿島灘は東の海なので、朝の日の昇る東の海住む神を垂迹とし、その本地、つまり正体は赤螺(あかにし)だという。あくまで俗説だが。

 

無季。「日」は天象。

 

三十三句目

 

   朝の日の東本地赤螺

 何を覚て蛤の寐て夢見たる    才丸

 (何を覚て蛤の寐て夢見たる朝の日の東本地赤螺)

 

 「覚て」はここでは「おぼえて」と読む。

 「本地(ほんぢ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 仏語。本地垂迹説によるもので、世の人を救うために神となって垂迹したその本の仏・菩薩をいう。神はこの世に仮に姿を表わした垂迹身で、仏・菩薩をその真実身である本体とするもの。たとえば、天照大神の本地は大日如来だとする。

  ※発心集(1216頃か)八「智恵の前には本地をあらはし」

  ※平家(13C前)一〇「当山権現は本地阿彌陀如来にてまします」

  ② もとの姿。本体。物の本源。

 ※堤中納言(11C中‐13C頃)虫めづる姫君「人はまことあり、ほんちたづねたるこそ、心ばへをかしけれ」

  ③ 本性。本心。正気。

  ※御伽草子・酒呑童子(室町末)「酔ひてもほんぢ忘れずとて」

  ④ 漆下地の最も丈夫なもの。のり、水を用いず生漆だけで練り合わせたものを下地に用いる。

  ⑤ 謡曲の拍子の一種。地拍子の基本的拍子で、七・五調一二文字の一句を八拍子にはめてうたうもの。平ノリ・中ノリ・大ノリのいずれもこの一連を基本とする。

  ⑥ ⇒ほんち(本地)②」

 

とある。ここでは②の意味で、どういうわけだか蛤になる夢を見ていたが、朝になると元の赤螺に戻っていた。胡蝶の夢か。

 

無季。「寐て夢見たる」は夜分。

 

三十四句目

 

   何を覚て蛤の寐て夢見たる

 ひそかひそかと雨蓑をもる    揚水

 (何を覚て蛤の寐て夢見たるひそかひそかと雨蓑をもる)

 

 「ひそか」は秘すからきた言葉と思われるが、それを二つ並べてオノマトペとして用いている。

 何で蛤になった夢を見たのかと思ったら、雨が蓑を漏ってびしょ濡れになってたからだ。

 

無季。「雨」は降物。「蓑」は衣裳。

 

三十五句目

 

   ひそかひそかと雨蓑をもる

 月を葺夕芋の葉の片軒端     桃青

 (月を葺夕芋の葉の片軒端ひそかひそかと雨蓑をもる)

 

 「月を葺(ふく)」というのは、要するに屋根がないということ。名月に芋は付き物だが、芋の葉しかないところも貧しさがにじみ出ている。夕べには雨が降り、びしょ濡れになる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十六句目

 

   月を葺夕芋の葉の片軒端

 粟刈敷て団子干す比       其角

 (月を葺夕芋の葉の片軒端粟刈敷て団子干す比)

 

 粟もまた貧し印象を与える。団子も粟を混ぜて作られたのだろうか。「団子干す」というのもよくわからないが、対馬の「せんだんご」のような保存食がかつてはいろいろなところで作られていたのかもしれない。

 

季語は「粟」で秋。

二裏

三十七句目

 

   粟刈敷て団子干す比

 露鶏の羽がひの鷇ひよひよと   揚水

 (露鶏の羽がひの鷇ひよひよと粟刈敷て団子干す比)

 

 「露鶏(とり)」は不明。鶏に「露」という季語の放り込みか。

 「羽がひ」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「鳥の左右の翼が重なり合う部分。また、転じて、鳥の翼。

  出典万葉集 六四

  「葦辺(あしべ)行く鴨(かも)のはがひに霜降おりて寒き夕べは大和(やまと)し思ほゆ」

  [訳] ⇒あしべゆく…。」

 

とある。「鷇」は「ひよこ」と読む。

 前句の貧家の秋の景色に露の降りる中で、鶏のひな「ぴよぴよ」言っている様を付ける。

 この時代は半濁音の表記がないので、星の光も「ひかひか」と書くが、じっさいは「ぴかぴか」であろう。

 

季語は「露」で秋、降物。「鶏」「鷇」は鳥類。

 

三十八句目

 

   露鶏の羽がひの鷇ひよひよと

 水くみ起て帚尋ぬる       才丸

 (露鶏の羽がひの鷇ひよひよと水くみ起て帚尋ぬる)

 

 鶏なので朝ということにして、水汲みが起きて、鶏小屋を掃除する。

 

無季。「水汲み」は人倫。

 

三十九句目

 

   水くみ起て帚尋ぬる

 釜かぶる人は忍びて別るなり   其角

 (釜かぶる人は忍びて別るなり水くみ起て帚尋ぬる)

 

 水汲みが起きる頃、夜這いに来ていた男がお釜被って帰って行く。

 近代の童謡「花いちもんめ」でも「お釜被ってちょっときておくれ」と歌っていたが、地方によって違うかもしれない。

 

無季。恋。「人」は人倫。

 

四十句目

 

   釜かぶる人は忍びて別るなり

 槌を子にだくまぼろしの君    桃青

 (釜かぶる人は忍びて別るなり槌を子にだくまぼろしの君)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「槌の日(庚午より十五日の間)に生まれた子は災があるという。」

 

とある。

 釜を被ってやってきた男は、大虬(みづち)の子を産ませては消えていったということか。

 

無季。恋。「子」「君」は人倫。

 

四十一句目

 

   槌を子にだくまぼろしの君

 古家の泣聲闇にさへなれば    才丸

 (古家の泣聲闇にさへなれば槌を子にだくまぼろしの君)

 

 旧家の座敷牢に閉じ込められているのだろうか。夜な夜な泣き声が聞こえる。

 

無季。「古家」は居所。「闇」は夜分。

 

四十二句目

 

   古家の泣聲闇にさへなれば

 いたちの禿倉風の荒ぶる     揚水

 (古家の泣聲闇にさへなればいたちの禿倉風の荒ぶる)

 

 「禿倉」は「ほこら」と読む。鎌鼬を封印した祠か。封印が解けて暴れ出す。

 鎌鼬(かまいたち)はウィキペディアに、

 

 「鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。

 別物であるが風を媒介とする点から江戸時代の書物では中国の窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして「かまいたち」が採用されていた。」

 

とある。

 

無季。「いたち」は獣類。

 

四十三句目

 

   いたちの禿倉風の荒ぶる

 麻の葉に生る小鮒を折交て    桃青

 (麻の葉に生る小鮒を折交ていたちの禿倉風の荒ぶる)

 

 イタチの祠へのお供えものなのだろう。

 ネット上には牛島神社にイタチの像があるとか、北野天満宮の神使だったという情報はある。

 

無季。

 

四十四句目

 

   麻の葉に生る小鮒を折交て

 かた枝さすなる生の浦柚子    其角

 (麻の葉に生る小鮒を折交てかた枝さすなる生の浦柚子)

 

 「生の浦」は「おふのうら」で麻生の浦のこと。伊勢にあるという。『校本芭蕉全集 第三巻』の注にあるように、

 

 片枝さす麻生の浦梨初秋に

     なりもならずも風ぞ身にしむ

              後鳥羽院宮内卿(新古今集)

 

の歌による。ここでは梨を柚子に変えている。

 小鮒は柚子をかけて食べるのがいい。

 

季語は「柚子」で秋。「生の浦」は名所、水辺。

 

四十五句目

 

   かた枝さすなる生の浦柚子

 きたなくて清き隣と住月に    揚水

 (きたなくて清き隣と住月にかた枝さすなる生の浦柚子)

 

 麻生の浦の歌は古今集にもある。

 

   伊勢歌

 をふの浦に片枝さしおほひなる梨の

     なりもならずも寢て語らはむ

              よみ人しらず

 

 そういうわけで柚子がなろうがなるまいが、隣の人が寝て語らむとやってくる。だが実は家が汚いからだった。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

四十六句目

 

   きたなくて清き隣と住月に

 明て寐御座をかけ渡す露     才丸

 (きたなくて清き隣と住月に明て寐御座をかけ渡す露)

 

 汚い隣の人に寝茣蓙をかけ渡す。

 月に露は、

 

 もろともに草葉の露のおきゐずは

     ひとりや見まし秋の夜の月

              顕仲卿女(金葉集)

 

など、多くの歌に詠まれている。

 

季語は「露」で秋、降物。

 

四十七句目

 

   明て寐御座をかけ渡す露

 昼夢の食たく程に夕ぐるる    其角

 (昼夢の食たく程に夕ぐるる明て寐御座をかけ渡す露)

 

 「食たく」は「めしたく」。昼間は夢の中で飯を炊くだけで何も食わずに夕暮れになり次の朝になる。寐御座は乞食の御座だろう。

 

無季。

 

四十八句目

 

   昼夢の食たく程に夕ぐるる

 人死を待て生たはいなし     桃青

 (人死を待て生たはいなし昼夢の食たく程に夕ぐるる)

 

 人生は昼飯を炊いた夢を見たと思っているうちに何を悟ることもなくあっという間に終わっていく。

 

無季。

 

四十九句目

 

   人死を待て生たはいなし

 石ガ曰ク花の目出度咲にけり   才丸

 (石ガ曰ク花の目出度咲にけり人死を待て生たはいなし)

 

 墓石だけが毎年春になると花が目出度く咲いたよと教えてくれる。人の命は儚い。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

五十句目

 

   石ガ曰ク花の目出度咲にけり

 木玉にかなで風を舞柳      揚水

 (石ガ曰ク花の目出度咲にけり木玉にかなで風を舞柳)

 

 石が口上を言い、木魂が音楽を演奏し、風が柳を舞わせる。

  (桜の)花に柳は、

 

 見渡せば柳桜をこきまぜて

     都ぞ春の錦なりける

              素性法師(古今集)

 

の縁になる。

 

季語は「柳」で春、植物、木類。

三表

五十一句目

 

   木玉にかなで風を舞柳

 飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ    桃青

 (飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ木玉にかなで風を舞柳)

 

 「飛雨」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 風に吹き飛ばされながら降っている雨。激しく降る雨。

  ※寛斎先生遺稿(1821)二・雨後絶涼「晩天飛雨折二炎威一、簷角蚊軍亦解レ囲」 〔謝朓‐観朝雨詩〕」

 

とある。

 臺ノ跡は杜甫の「国破れて山河在り」のような漢詩にの趣向で、カタカナにしてあるのも漢詩の注釈書を意識したものであろう。

 臺は宮殿の高い建物で、それも今は荒れてて人の姿もなく、ただ木魂だけが響きわたり風に柳が舞っている。

 

季語は「霞」で春、聳物。「飛雨」は降物。

 

五十二句目

 

   飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ

 馿馬ノ進マザル躰キラキラシ   其角

 (飛雨臺ノ跡ハ霞ニ空シキゾ馿馬ノ進マザル躰キラキラシ)

 

 馿馬は驢馬。杜甫、杜牧、蘇軾などの中国文人の騎驢図などがあり、驢馬は高士の乗物でもある。

 「きらきらし」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 光を発したり、また光を受けたりして輝いている。

  ※枕(10C終)四〇「ゆづり葉の、いみじうふさやかにつやめき、茎はいと赤くきらきらしく見えたるこそ、あやしけれどをかし」

 ② 容姿、態度などが整っていて立派である。端正である。清らかである。

  ※書紀(720)允恭二三年三月(図書寮本訓)「木梨軽(きなしからく)皇子を立て太子と為す。容姿(かほ)佳麗(キラキラシ)。見者、自らに感(めて)ぬ」

  ③ 威厳があって堂々として立派である。

 ※枕(10C終)二九五「きらきらしきもの。大将の御前駆追ひたる。孔雀経の御読経」

  ④ きらびやかで美しい。はなやかに栄えている。

  ※蜻蛉(974頃)中「わざときらきらしくて、日まぜなどにうち通ひたれば」

  ⑤ 目立っている。はっきりしている。

  ※発心集(1216頃か)七「元来心弱く拙くして、きらきらしき罪をもえ作らず」

  [補注]語根「きら」は、物が瞬間的に輝くさまを表わし、「きらきらし」はそれを重ねて形容詞化したもの。人物の容姿・態度・性格、建物の様子などについて、その美しさを表わすのに用いられる。」

 

とある。

 飛雨に霞む臺の跡に、訪れた驢馬に乗る高士の立ち往生している様が感じられて「きらきらし」とする。

 

無季。旅体。「馿馬」は獣類。

 

五十三句目

 

   馿馬ノ進マザル躰キラキラシ

 大根の葉越の関のこなたより   揚水

 (大根の葉越の関のこなたより馿馬ノ進マザル躰キラキラシ)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、

 

 「韓退之の詩『雪ハ藍関ヲ擁シテ馬前マズ』による句作り。」

 

とある。

 「大根の」を枕詞風にして架空の「葉越(はごし)」の関を越えようとする驢馬の進まざる、と付ける。勿来(なこそ)の関か大間越(おおまごし)の関が何となく音的に近い。いずれも北の方にある。

 

季語は「大根」で冬。旅体。

 

五十四句目

 

   大根の葉越の関のこなたより

 雪のから鮭に文付てやる     才丸

 (大根の葉越の関のこなたより雪のから鮭に文付てやる)

 

 前句の北の方の関のイメージから、雪の中を蝦夷の乾鮭に文を付けて都へと贈る。

 

季語は「雪」で冬、降物。

 

五十五句目

 

   雪のから鮭に文付てやる

 衰へや火桶の嫗の腰寒き     其角

 (衰へや火桶の嫗の腰寒き雪のから鮭に文付てやる)

 

 火桶は火鉢のこと。「嫗」は「うば」と読む。

 年寄りの腰が冷えるのは自律神経の問題で血管運動神経失調から血流が衰えるからだという。しっかり栄養を取ってもらおうと乾鮭を送る。

 

季語は「火桶」で冬。「嫗」は人倫。

 

五十六句目

 

   衰へや火桶の嫗の腰寒き

 有侘し床にふとん引づる     桃青

 (衰へや火桶の嫗の腰寒き有侘し床にふとん引づる)

 

 寒いので布団を着たまま引きずって火鉢の所へ行く。布団は敷布団だけでなく夜着のことをも言い、布団は着るものでもあった。

 

 ふとん着て寝たる姿や東山    嵐雪

 

は元禄九年の句。

 

季語は「ふとん」で冬。

 

五十七句目

 

   有侘し床にふとん引づる

 もやもやと寐入りかねくどくにたえで 才丸

 (もやもやと寐入りかねくどくにたえで有侘し床にふとん引づる)

 

 眠れないが口説くこともできず、この場合は敷布団を引きずって引き離す。

 

無季。恋。

 

五十八句目

 

   もやもやと寐入りかねくどくにたえで

 通はす首の泣てたたずむ     揚水

 (もやもやと寐入りかねくどくにたえで通はす首の泣てたたずむ)

 

 前句を通ってくる男として、断ると泣き出してしまう。

 

無季。恋。

 

五十九句目

 

   通はす首の泣てたたずむ

 迷ひしれ恨が原の目かけ塚    桃青

 (迷ひしれ恨が原の目かけ塚通はす首の泣てたたずむ)

 

 前句を幽霊として、迷わず成仏してくれと言う。連歌でいう「咎めてには」のようだが、ここでは前句の幽霊を咎める。「恨が原の目かけ塚」は創作であろう。

 

無季。恋。

 

六十句目

 

   迷ひしれ恨が原の目かけ塚

 横雲別レ之助修行し暮て     其角

 (迷ひしれ恨が原の目かけ塚横雲別レ之助修行し暮て)

 

 「横雲別レ之助」は架空の人名。『校本芭蕉全集 第三巻』の注にもある通り、

 

 春の夜の夢の浮橋とだえして

     峰にわかるる横雲の空

              藤原定家(新古今集)

 

に基づいた名前だが、今でいう中二病のような名前だ。

 修業して、別に仏道で迷ったのではなく、普通に道に迷ったのだろう。なぜか目かけ塚の所にループしてしまう。

 

無季。

 

六十一句目

 

   横雲別レ之助修行し暮て

 今宵月に村風と申す三味線を   揚水

 (今宵月に村風と申す三味線を横雲別レ之助修行し暮て)

 

 村雲、村雨はあるが村風は聞かない。「月に村風」というのは架空の三味線の曲名か。

 前句の横雲別レ之助を古浄瑠璃の太夫とし、三味線の修行をする。

 月に村雨は、

 

 霧はるる雲間に月は影見えて

     猶ふりすさぶ秋の村雨

               藤原為顕(玉葉集)

 

などの歌がある。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六十二句目

 

   今宵月に村風と申す三味線を

 やさしや薄泪こぼすか      才丸

 (今宵月に村風と申す三味線をやさしや薄泪こぼすか)

 

 「やさし」は本来痩せるような思いで、辛い、恥ずかしい、という意味だったが、人の辛さ、恥ずかしさなど人情のわかる人間を表すようにもなった。

 前句の村風を擬人化して村風が弾く三味線に薄が涙をこぼすとした。

 月に薄は、

 

 山遠き末野の原の篠薄

     穂にいでやらぬいざよひの月

               藤原知家(洞院摂政家百首)

 秋風の末ふきなびくすすき野の

     ほむけにのこる月の影かな

               九条行家(宝治百首)

 

などの歌がある。

 

季語は「薄」で秋、植物、草類。

 

六十三句目

 

   やさしや薄泪こぼすか

 秋の霜腹切草をことはれば    其角

 (秋の霜腹切草をことはればやさしや薄泪こぼすか)

 

 弟切草は知ってるが腹切草は知らない。弟切草の方はウィキペディアに、

 

 「日本漢名は「弟切草」と書く。10世紀の平安時代、花山天皇のころ、この草を原料にした秘伝薬の秘密を弟が隣家の恋人に漏らしたため、鷹匠である兄が激怒して弟を切り殺し、恋人もその後を追ったという伝説によるものである。」

 

とある。腹切草だから斬るのではなく切腹を申し付けるのか。

 「ことわる」は理るで、weblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①判断する。判定する。批評する。

  出典紫式部日記 寛弘六・一・一~三

  「それだに、人の詠みたらむ歌、難じことわりゐたらむは、いでやさまで心は得じ」

  [訳] それほどの歌人でさえ、人の詠んだ歌を非難したり批評したりしているようなのは、さあどうだろうか、それほどまでには歌の心得はないだろう。

  ②説明する。説き明かす。

  出典徒然草 一四一

  「『にぎはひ豊かなれば、人には頼まるるぞかし』とことわられ侍(はべ)りしこそ」

  [訳] 「(東国の人は)富み栄えて裕福なので、人に信頼されるのだ」と説き明かされましたことこそ。

  ③前もって了解を得る。ことわる。

  出典歌念仏 浄瑠・近松

  「銀(かね)渡したら御損であらう。ことわって置いたぞ」

  [訳] 金(かね)を渡したらご損であろう。(それについては)了解を得ておいたぞ。◇「断る」とも書く。「ことわっ」は促音便。

  参考「事割る」で、ことの是非・優劣などを筋道だてて判断する意。現代語と異なって、拒絶・辞退の意味はない。」

 

とある。

 薬の秘密を盗んだ弟が切腹を申し付けられ、恋人の薄が涙を流す。

 薄に霜は、

 

 花薄ほにだに恋ひぬ我が仲の

     霜置く野辺となりにけるかな

              寂蓮法師(新勅撰集)

 

などの歌がある。

 

 

季語は「秋の霜」で秋、降物。

 

六十四句目

 

   秋の霜腹切草をことはれば

 住持ゆるして明る柴の戸     桃青

 (秋の霜腹切草をことはれば住持ゆるして明る柴の戸)

 

 住持は住職のこと。前句を切腹を申し付けられた経緯を説明するとして、住職にかくまってもらい、出家する。

 

無季。釈教。「住持」は人倫。

三裏

六十五句目

 

   住持ゆるして明る柴の戸

 面白く盞。曲を狂ひしに     才丸

 (面白く盞。曲を狂ひしに住持ゆるして明る柴の戸)

 

 謡曲『三井寺』であろう。謡曲のフレーズをそのまま引用して使うのではなく、かといって雅語に戻すのではなく、「鷺の足」の巻九十七句目で試みた台本のト書きのような文体で語る。

 月見の席で「面白く盞」は、謡曲だと直接宴席で酒を飲むことを言う言葉はないがあとで、

 

 「さてもさても宵の大御酒に飲べ酔ひ、すでに後夜を忘れうと致した。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40005-40008). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と有、酒を飲んでいたことが分かる。そこで遡って宴の始まる場面に、

 

 「げにげに汝の申す如く、今宵の月ほどおもしろき事はあるまじく候。また小人を伴ひてある間、何にても一曲かなで候へ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.39911-39914). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

とあり、ここで面白く、杯。曲を‥‥となる。そのあと、

 

 「ヤアヤアおもしろい女物狂がまゐると申すか。さてさてそれはおもしろからう。小人の御慰みに、お庭へ入れてそと狂はせ申さう。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.39918-39921). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

ということになる。この女物狂が舞い始めることで「曲を狂ひしに」となる。

 そして舞い、そのあと鐘を搗いた後、

 

 「許し給へや人人よ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40067-40068). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

となる。ここで前句につながる。

 延宝から天和へ、謡曲調から新しい文体の模索へと向かう一歩として、桃青・其角だけでなく、才丸も重要な役割を果たしたことを示す一句であろう。

 

無季。

 

六十六句目

 

   面白く盞。曲を狂ひしに

 海老ちらしたる海苔の青衣    揚水

 (面白く盞。曲を狂ひしに海老ちらしたる海苔の青衣)

 

 「青衣(あおききぬ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「(位色として緑色の朝服を着ることから) 六位の異名。あおきころも。みどりのそで。」

 

とある。

 宴席で面白く狂ってみせるのは、六位の青衣の海苔だった。

 

無季。「青衣」は衣裳。

 

六十七句目

 

   海老ちらしたる海苔の青衣

 恋崎の松か娘の花の臺      桃青

 (恋崎の松か娘の花の臺海老ちらしたる海苔の青衣)

 

 「恋崎の松」は唐崎の松のもじりであろう。後に貞享二年に、

 

 辛崎の松は花より朧にて     芭蕉

 

の句を詠むことになる。その初案は

 

 辛崎の松は小町が身の朧     芭蕉

 

だったという。ただ、この句の発想そのものはこの句にまで遡れるかもしれない。

 年を経る唐崎の松もかつては娘の花の臺だったのか。ならば、これは恋崎の松であろう。そこでは海老を散らした海苔の青衣の男も舞っていたにちがいない。

 これがやがて、娘の歳を取り卒塔婆小町のような老婆となり、千歳の松も花と同じように朧になって行く、というところに行きついたとき、「辛崎の松は花より朧にて」の句に至ることになる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。恋。「松」も植物、木類。「崎」は水辺。「娘」は人倫。

 

六十八句目

 

   恋崎の松か娘の花の臺

 契世にのこる雪の明神      其角

 (恋崎の松か娘の花の臺契世にのこる雪の明神)

 

 娘の花の臺もすっかり昔のことになる、その時の契りも今は雪の明神様として祀られている。

 前句が唐崎だとすると、雪の明神は近江高島の白髭明神か。

 

季語は「のこる雪」で春、降物。恋。神祇。

 

六十九句目

 

   契世にのこる雪の明神

 卜問し鷺の翁のしらじらと    揚水

 (卜問し鷺の翁のしらじらと契世にのこる雪の明神)

 

 「卜」は「うら」で占いのこと。翁は謡曲『白髭』の白髭明神であろう。

 

 「さても江州白鬚の明神は、霊神にて御座候。君この程不思議の御霊夢の御告ましますにより、急ぎ参詣せ との宣旨を蒙り、唯今白鬚の明神へ勅使に下向仕り候。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.9116-9125). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と占いを問いに翁を尋ねて行く。

 この句も直接謡曲の言葉を引かずに、本説として付けている。

 

無季。「鷺」は鳥類。「翁」は人倫。

 

七十句目

 

   卜問し鷺の翁のしらじらと

 虵の気立て草の煩        才丸

 (卜問し鷺の翁のしらじらと虵の気立て草の煩)

 

 「草の煩(わづらひ)」はよくわからない。翁は謡曲ではしばしば龍を呼ぶし、それを「大蛇」と表現したりもする。大蛇が来ると芦などの草がなぎ倒されるのが心配ということか。

 

無季。「草」は草類。

 

七十一句目

 

   虵の気立て草の煩

 笹深き皇居にかりの紙帳釣ル   其角

 (笹深き皇居にかりの紙帳釣ル虵の気立て草の煩)

 

 南朝の皇居だろうか。吉野京皇居跡は吉野町のホームページによると、

 

 「1336(延元元)年、吉水院に難を避けられた後醍醐天皇は、次に蔵王堂の西にあった実城寺を皇居とされ、寺号を金輪王寺と改められました。

 後醍醐天皇は悲運の生涯をここで閉じられましたが、その後、南朝3代の歴史が続きます。徳川時代になり家康は、吉野修験の強大な勢力を恐れて弾圧政策をとり、寺号を没収。もとの実城寺に戻し、直轄の支配下におきました。」

 

とある。

 前句を無駄な権力争いに民草も煩う、としたか。

 

季語は「紙帳」で夏。。「笹」は草類。

 

七十二句目

 

   笹深き皇居にかりの紙帳釣ル

 清水の司麦を糝ク        桃青

 (笹深き皇居にかりの紙帳釣ル清水の司麦を糝ク)

 

 「清水の司」は主水司(もひとりのつかさ)であろう。ウィキペディアに、

 

 「主水(もひとり)とは飲み水のことで、主水司(もひとりのつかさ)は水・氷の調達および粥の調理をつかさどった。やがてこれを扱う役人への敬称(殿=おとど)が接尾して転訛し「もんどのつかさ」とも呼ばれる。」

 

 

とある。お粥の調理もしてたなら、麦を糝(こなか)くこともあったかもしれない。

 

季語は「清水」で夏。

 

七十三句目

 

   清水の司麦を糝ク

 いつも参る法味寺の醤色殊に   才丸

 (いつも参る法味寺の醤色殊に清水の司麦を糝ク)

 

 「法味(ほみ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 仏法を聞いて受ける甘露の味わいを食物の美味にたとえた語。仏教の妙味。

  ※菅家文草(900頃)一一・為故尚侍家人、七々日果宿願法会願文「敬二屈禅徒一、聊嘗二法味一」

  ※とはずがたり(14C前)四「我うる所のほうみを、心のままにたむけしに」 〔八十華厳経‐二五〕

  ② 講経・読経など儀式・法要。

  ※風姿花伝(1400‐02頃)四「南都興福寺の維摩会に、講堂にて、法味(ほふミ)を行ひ給折節」

 

とある。ここから架空の美食の寺ということで法味寺なのだろう。

 醤(ひしほ)はweblio古語辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「(一)【醬】大豆と麦で作った味噌(みそ)の一種。なめみそ。

  (二)【醢】「肉醬(ししびしほ)」の略。肉や魚を塩漬けにした食品。塩辛(しおから)の類。」

 

とある。

 いつも行く法味寺の醤味噌が格別なのは清水の司が原料の麦を挽いているからだ。

 

無季。釈教。

 

七十四句目

 

   いつも参る法味寺の醤色殊に

 老尼はなしの叙ありけり     揚水

 (いつも参る法味寺の醤色殊に老尼はなしの叙ありけり)

 

 前句の法味寺の醤のことはある老尼の話の叙(ついで)に聞いたことだった。

 

無季。釈教。「老尼」は人倫。

 

七十五句目

 

   老尼はなしの叙ありけり

 哀余る捨子ひろひに遣して    桃青

 (哀余る捨子ひろひに遣して老尼はなしの叙ありけり)

 

 捨子は当時は珍しくなかったし、取り締まる法律もなく、収容する施設もなかった。

 『野ざらし紀行』でも、

 

 猿を聞く人捨子に秋の風いかに  芭蕉

 

の句があり、「唯これ天にして、汝の性(さが)のつたなきをなけ。」と突き放している。

 老尼が話のついでに何を言うかと思ったら、あそこの捨子が可哀そうだから拾ってきてくれ、だった。「ついで」で言うことか。

 まあ、あの寺は捨て子を引き取るという噂が立って、捨子だらけになっても困るということか。今だと捨て猫でそういうことがある。

 

無季。「捨子」は人倫。

 

七十六句目

 

   哀余る捨子ひろひに遣して

 外里に鹿の裾引て入       其角

 (哀余る捨子ひろひに遣して外里に鹿の裾引て入)

 

 外里(とさと)は里外(さとはずれ)のことか。捨子を拾いに行ったら鹿までが寄ってきた。慈悲深さは動物にもわかるのだろう。

 

季語は「鹿」で秋、獣類。

 

七十七句目

 

   外里に鹿の裾引て入

 松茸の道しまがへば枯いばら   揚水

 (松茸の道しまがへば枯いばら外里に鹿の裾引て入)

 

 松茸は柴刈りされた下草のないところに生えるが、道を間違えてイバラの茂る薮に来てしまった。こういう所には鹿はいるが松茸はない。

 

季語は「松茸」で秋。「いばら」は植物、草類。

 

七十八句目

 

   松茸の道しまがへば枯いばら

 栗の梢にあり明のいが      才丸

 (松茸の道しまがへば枯いばら栗の梢にあり明のいが)

 

 イバラと棘つながりで栗のいがを出す。

 旧暦八月の十五夜が芋名月と呼ぶように、九月の十三夜は栗名月と呼ばれる。ただ、この句の場合有明だから十五夜以降の月で、梢の栗のいがに、剥き栗のような有明の月を思う。

 

季語は「栗」で秋、植物、木類。「あり明」は夜分、天象。

名残表

七十九句目

 

   栗の梢にあり明のいが

 侘竈に蛬の音をしのぶ成ル    其角

 (侘竈に蛬の音をしのぶ成ル栗の梢にあり明のいが)

 

 「侘竈」は「わびくど」。竃(くど)はウィキペディアに、

 

 「○竈(かまど)のうち、その後部に位置する煙の排出部を意味する(原義)。

   この意味では特に「竈突」「竈処」と表記されることもある。また『竹取物語』には「かみに竈をあけて…」という一節が存在する。

  ○京都などでは、竈(かまど)そのものを意味し、「おくどさん」と呼ぶ。南遠州地方でも、かまど自体をクドと呼んでいた。

 また、土間など住居の中で、煮炊きを行う空間そのものを意味することもある[1]。山陰地方などでは、煮炊きの設備を「かまど」、空間そのものを「くど」と呼んで区別している地域も存在する。」

 

とある。ここでも漠然と侘び住まいの竈(かまど)の周辺ということだろう。

 蛬は「こおろぎ」と読むが、むかしの「こおろぎ」はカマドウマのこと。「いとど」とも言う。ただしカマドウマは鳴かないので、声はコオロギか。ミミズや蓑虫やブッポウソウのように、他の鳴き声と一緒くたになっている場合も多い。

 粗末な家の小さな竃では蛬が鳴き、外には栗の木の向こうに有明の月が見える。

 

季語は「蛬」で秋、虫類。

 

八十句目

 

   侘竈に蛬の音をしのぶ成ル

 足袋さす宿に風霜を待      桃青

 (侘竈に蛬の音をしのぶ成ル足袋さす宿に風霜を待)

 

 コオロギの一種にツヅレサセコオロギというのがいて、ウィキペディアに、

 

 「一見すると奇妙な名前であるが、これは「綴れ刺せ蟋蟀」の意である。これは、かつてコオロギの鳴き声を「肩刺せ、綴れ刺せ」と聞きなし、冬に向かって衣類の手入れをせよとの意にとったことに由来する。」

 

とある。

 ここでは旅人なので、足袋の修繕をしながら冬に備える。

 虫の音に霜は、

 

 虫の音もほのかになりぬ花薄

     秋の末葉に霜やおくらむ

              源実朝(続古今集)

 

の歌がある。

 

季語は「霜を待」で秋、降物。旅体。

 

八十一句目

 

   足袋さす宿に風霜を待

 扇折る女は夏に捨られて     才丸

 (扇折る女は夏に捨られて足袋さす宿に風霜を待)

 

 「扇折(あふぎをり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 扇を作ること。また、それを業とする人。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ② 扇をたたんだときのような形に、紙を折る折り方。」

 

とある。「扇折る女」は扇を作る女のこと。夏に失恋して、今は一人宿で足袋の修繕をやっている。

 

季語は「夏」で夏。恋。「女」は人倫。

 

八十二句目

 

   扇折る女は夏に捨られて

 夫は江戸に恋わすれさく     揚水

 (扇折る女は夏に捨られて夫は江戸に恋わすれさく)

 

 「恋わすれ」は恋忘草(こひわすれぐさ)でコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (恋の苦しさを忘れさせるという意に用いて) 植物「かんぞう(萱草)」の異名。

  ※万葉(8C後)一一・二四七五「わがやどは甍(いらか)しだ草生ひたれど恋忘草(こひわすれぐさ)見るにいまだ生ひず」

 

とある。忘れ草と同じで萱草のこと。夏に黄色い百合のような花が咲く。

 夫は江戸に行ってしまい、残された女のもとにはカンゾウの花が咲く。木綿のハンカチーフはいらないかな。

 恋忘れ草は万葉以外にも、

 

 道知らば摘みにもゆかむ住之江の

     岸におふてふ恋忘草

               紀貫之(古今集)

 住吉の恋忘草種絶えて

     なき世に逢へるわれぞ悲しき

               藤原元真(新古今集)

 

などの歌にも詠まれている。

 

季語は「恋わすれさく」で夏、植物、草類。恋。「夫」は人倫。

 

八十三句目

 

   夫は江戸に恋わすれさく

 むさし壱歩さすがにと読てやみけり 桃青

 (むさし壱歩さすがにと読てやみけり夫は江戸に恋わすれさく)

 

 「壱歩」は一分判(小判)のことで、一両の四分の一。慶長一分判ができる前に「武蔵墨書小判」というのがあって、ウィキペディアに、

 

 「武蔵墨書小判(むさしすみがきこばん/むさしぼくしょこばん)は「武蔵壹两光次(花押)」と墨書された駿河墨書小判と同形式の小判であり武蔵墨判(むさしすみはん)とも呼ばれ、楕円形のもので埋め金により量目調整されたものおよび、長楕円形の形状のものがある。『金銀図録』および『大日本貨幣史』によれば、これも文禄4年(1595年)鋳造とされ(文禄5年(1596年)鋳造との説も有力である)、家康が江戸に移ってから鋳造させた関八州通用の領国貨幣とされ、その量目および金品位から慶長小判の元祖とされるものである。この文禄4年は後藤庄三郎光次が江戸に下向した年である。実際にこれらの墨書小判を作り直したと考えられる慶長古鋳小判が現存している。」

 

とある。

 夫が江戸に行き、武蔵の国だけに武蔵の一分判を送ってくれと金の無心の手紙が来て、恋の情もすっかり冷めてしまった。

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注は『伊勢物語』第十三段の、

 

 むさし鐙さすがにかけて頼むには

     とはぬもつらしとふもうるさし

 

の歌を引いている。

 武蔵鐙はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、

 

 「2 武蔵国で作られた鐙。鋂(くさり)を用いないで、透かしを入れた鉄板にして先端に刺鉄(さすが)をつけ、直接に鉸具(かこ)としたもの。

  [補説]鐙の端に刺鉄を作りつけにするところから、和歌では「さすが」に、また、鐙は踏むところから「踏む」「文(ふみ)」にかけて用いられる。

  「むさしあぶみさすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし」〈伊勢・一三〉」

 

とある。

 鐙は左右両方の足を乗せるから、いわゆる二股かけているということなのだろう。

 「むさし壱歩」も要するに女ができたから金が欲しいということなのだろう。

 

 むさし壱歩さすがにかけて頼むには

     とはぬもつらしとふもうるさし

 

とでも書き送ってやろうかと思っても、そんな価値もない。忘れた方がいい。

 

無季。恋。

 

八十四句目

 

   むさし壱歩さすがにと読てやみけり

 艶なる茶のみ所求めて      其角

 (むさし壱歩さすがにと読てやみけり艶なる茶のみ所求めて)

 

 艶なる茶のみ所は遠回しな言い方だが、いわゆる揚屋や茶屋のことだろう。

 揚屋はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 

 「遊廓(ゆうかく)で遊女を招いて遊興させる店。遊女屋とは別に、遊興の場所のみを提供する店として揚屋が登場するのは近世初期である。遊女屋での遊興に比べて費用は高くても、優雅な待遇を求める需要に応じたものである。したがって、揚屋を利用するのは太夫(たゆう)、格子(こうし)などの高級遊女の客に限られ、中以下の遊女を招く店は茶屋、私娼(ししょう)街での類似店は呼屋(よびや)といって区別した。揚屋のある遊廓でも下級妓(ぎ)は遊女屋に客を揚げた。遊女が揚屋へ往復するときは従者を連れて行列し、これを道中と称した。花魁(おいらん)道中の原型である。江戸の新吉原では、1760年(宝暦10)ごろに揚屋が消滅し、かわりに独特な引手(ひきて)茶屋の制度が生まれた。[原島陽一]」

 

とある。茶屋は「世界大百科事典内の揚屋の言及」に、

 

 「…とくに京坂地方でこの形式が発達し,大坂の堀江,曾根崎などの遊所は茶屋株での営業であり,これを色茶屋といった。遊郭にも太夫を呼ぶ揚屋に対し,下級妓を招く茶屋(または天神茶屋)があったから,〈茶屋遊び〉といえば遊所への出入りを意味した。色茶屋の女に,茶屋女,茶立女,茶汲女,山衆(やましゆう)などいろいろな呼名が与えられたのは,類似商売の多様化を示すが,遊郭が認められない場合に茶屋として営業する例は多く,地方都市で茶屋町といえば私娼(ししよう)街のことであった。…」

 

とある。

 むさしという遊女が壱歩というのを読んでやめた。

 

無季。恋。

 

八十五句目

 

   艶なる茶のみ所求めて

 夜々に来て上るり語る聲細く   揚水

 (夜々に来て上るり語る聲細く艶なる茶のみ所求めて)

 

 茶屋など人の集まる所では古浄瑠璃を語る法師も営業していたのだろう。

 

無季。「夜々」は夜分。

 

八十六句目

 

   夜々に来て上るり語る聲細く

 法眼が書し武者絵とやらん    才丸

 (夜々に来て上るり語る聲細く法眼が書し武者絵とやらん)

 

 「法眼(ほふげん)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 仏語。五眼の一つ。仏法の正理を見る智慧の目。菩薩はこれによって、一切の事物を観察して衆生を救う。法眼浄。

 ※教行信証(1224)六「言下縦尽二千年寿一法眼未中曾開上」 〔無量寿経‐下〕

  ② 「ほうげんかしょうい(法眼和尚位)」の略。

  ※今昔(1120頃か)一四「彼の律師法眼、鮮にして、手に香炉を取て、来て」

  ③ 中世以後、僧侶に準じて、医師、仏師、経師、画工、連歌師など法体の者に授けられた位。近世には、幕府の医師も授けられた。

  ※古今著聞集(1254)一一「絵師大輔法眼賢慶が御弟子に」

 

とある。この場合は③の意味で、『校本芭蕉全集 第三巻』の注には、「狩野法眼」とあるが、これは狩野安信のことであろう。

 狩野安信はウィキペディアに「寛文2年(1662年)には法眼に叙された。」とある。また、

 

 「安信は晩年になっても、武者絵を描くためにわざわざ山鹿素行を訪れ、武者装束や武器などの有職故実の教えを受け、朝鮮進物屏風の制作にあたっても素行を訪ねて様々な質問をしたという逸話が残っている。」

 

とある。これは注によると『山鹿素行日記』天和2年(1682年)4月11日・5月26日条となっている。『俳諧次韻』の巻かれた延宝九年が九月の終わりに天和元年に変わるので、これは翌年の記述になる。ちょうど武者絵を多く描いてた頃だったのだろう。

 ただ、狩野安信の作風からすると、わりと枯れた感じで勇壮な感じがしないので、前句の声の細い浄瑠璃を聞いて法眼の武者絵みたいだ、とする。庶民はやはり浄瑠璃本の挿絵のような武者絵を期待していたのだろう。

 

無季。

 

八十七句目

 

   法眼が書し武者絵とやらん

 宮造る虚の匠の名乗して     其角

 (宮造る虚の匠の名乗して法眼が書し武者絵とやらん)

 

 宮造りの匠と称する人がいるが、どうも嘘っぽく、法眼が書いた武者絵というのもどうも怪しい。

 「宮造(みやつくり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① (━する) 宮殿を造ること。皇居を造営すること。また、神社を造営すること。

  ※古今(905‐914)仮名序「いづものくにに宮づくりしたまふ時に、そのところに、やいろのくものたつをみて」

  ② =みやだいく(宮大工)

  ※歌舞伎・独道中五十三駅(1827)五幕「全体上野でも、浅草でも、お堂造りといふのぢゃアねえ。宮作(ミヤヅク)りといふのだ」

  ③ 神社風の建築物・造作。

  ※歌舞伎・会稽源氏雪白旗(1888)中幕口「上手縁側の留り、宮造りの袖にて見切り」

 

とある。

 

無季。

 

八十八句目

 

   宮造る虚の匠の名乗して

 熨斗を冠の纓に折かけ      桃青

 (宮造る虚の匠の名乗して熨斗を冠の纓に折かけ)

 

 「纓(えい)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 冠の装飾具。冠のうしろに長く垂れるもの。古くは、髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めた紐の余りを、うしろに垂らした。のちには、別に両端に骨を入れ羅(うすぎぬ)を張り、巾子の背面の纓壺(えつぼ)に、差し込んで垂らした。主として文官は垂纓(すいえい)、武官は巻纓(けんえい)で、江戸以降、天皇は立纓(りゅうえい)を用いた。五位以上は有文(うもん)、六位以下は無文。そのほか柏夾(かしわばさみ)、細纓(ほそえい)、縄纓(なわえい)があり全部で六種。

  ※蜻蛉(974頃)下「風はやきほどに、えひふきあげられつつたてるさま、絵にかきたるやうなり」

  ② 冠を固定するために、あごの下で結ぶ紐。

  ※性霊集‐四(835頃)請赦元興寺僧中璟罪表「伏乞、陛下、解レ網而泣レ辜、絶レ纓而報レ讎」

  ※正法眼蔵(1231‐53)春秋「泥裏有泥なり、踏者あしをあらひ、また纓をあらふ」 〔楚辞‐漁父〕」

 

とある。まあ、あの百人一首の絵札のお公家さんの頭の後ろに垂らしている飾りだと思えばいい。

 偽物の宮造りの匠はその纓が熨斗(のし)になっている。

 

無季。

 

八十九句目

 

   熨斗を冠の纓に折かけ

 鰯なる翠簾のうるめは枯残リ   才丸

 (鰯なる翠簾のうるめは枯残リ熨斗を冠の纓に折かけ)

 

 ウルメイワシは他のイワシと同様、目刺や丸干しなどの干物になる。その干物がぶら下がっている様を、「「翠簾(みす)のうるめは枯残リ」と言う。

 前句の偽物の纓に偽物の翠簾(みす)を付ける。

 

無季。

 

九十句目

 

   鰯なる翠簾のうるめは枯残リ

 故園今とへば蘭腥し       揚水

 (鰯なる翠簾のうるめは枯残リ故園今とへば蘭腥し)

 

 「腥し」は「なまぐさし」。

 「故園」は故郷のこと。漁村だったのだろう。鰯の干物が干してあるのを「翠簾」と言ってみても生臭いように、「故園」何て中国風に気取って呼んでも、そこに咲く蘭までもが生臭い匂いに包まれている。

 蘭はフジバカマで干せばいい香りになるが、普通に雑草として生えていても匂いはない。

 

季語は「蘭」で秋、植物、草類。

 

九十一句目

 

   故園今とへば蘭腥し

 風の月熱の御灵を鎮めける    桃青

 (風の月熱の御灵を鎮めける故園今とへば蘭腥し)

 

 風の月は風邪が流行っているということに定座だから「月」を放り込んだだけで、「熱の御灵(みたま)」も気取った言い方をしているが疫病神のことだろう。前句の「故園」を受けて中国かぶれな感じを出す。

 フジバカマは香りだけでなく薬としても用いられていた。疫病神を鎮めるのに用いたフジバカマも今になってみると生臭い。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

九十二句目

 

   風の月熱の御灵を鎮めける

 黄なる小僧の怪しさよ露     其角

 (風の月熱の御灵を鎮めける黄なる小僧の怪しさよ露)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』の注に「病が二豎子になるの故事による」とある。二豎(にじゅ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「豎」は子どもの意。病気をした景公が、病因の変化(へんげ)である二童子が良医を恐れ、肓(こう)の上と膏(こう)の下とに隠れた夢を見たという、「春秋左伝‐成公一〇年」にある故事による) 病魔。転じて、病気。疾病。二豎子。

  ※万葉(8C後)五・沈痾自哀文「仰願 割刳五蔵抄探百病 尋達膏肓之隩処〈略〉欲顕二竪之逃匿」 〔蘇軾‐次韻子由病酒肺疾発詩〕」

 

とある。

 実際江戸時代に黄色い衣というのはどういう人が着たのかよくわからないし、隠元禅師のような高僧くらいしか思いつかない。多分黄色というだけで十分怪しかったのだろう。「露」は放り込みで特に意味はなさそうだ。

 

季語は「露」で秋、降物。「小僧」は人倫。

名残裏

九十三句目

 

   黄なる小僧の怪しさよ露

 山路わくいぐちの笠を置忘レ   揚水

 (山路わくいぐちの笠を置忘レ黄なる小僧の怪しさよ露)

 

 「いぐち」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に茸の一種とある。今日の分類だとイグチは普通に茶色いのもあるが、ハナガサイグチは黄色い。

 イグチは猪口(ゐぐち)という字を当てるもので、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 担子菌類のキノコ。狭義にはイグチ科に限定し、広義にはオニイグチタケ科をも含む。多くは食用とし、針葉樹林内の地上に生える。かさの表面は黄褐色、赤褐色または暗褐色、裏面は淡黄褐色で網目状に多数の小孔を有する。高さ三~一五センチメートル。やまどりたけ。ぬめりいぐち。

  ※名語記(1275)八「くさひらのゐぐち如何。答猪のししのくひてくつるよし歟」

  ② 筍(たけのこ)が伸びてから梅雨中などに立ち枯れして黒くなったもの。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕」

 

とある。

 黄なる小僧は何か座敷童系の怪異のように思える。

 

季語は「いぐち」で秋。旅体。「山路」は山類。

 

九十四句目

 

   山路わくいぐちの笠を置忘レ

 篠の枝折を猿にことはる     才丸

 (山路わくいぐちの笠を置忘レ篠の枝折を猿にことはる)

 

 枝折は道に迷わないように置いてゆく目印。笠を取りに戻る。

 「ことはる」は現代語の「断る」ではなく「理る」で説明するという意味。ちゃんと言っておかないと猿が勝手に動かしてしまう。

 

無季。旅体。「猿」は獣類。

 

九十五句目

 

   篠の枝折を猿にことはる

 岩彦の栖を深く立のぞき     桃青

 (岩彦の栖を深く立のぞき篠の枝折を猿にことはる)

 

 岩彦は海彦山彦のような神様であろう。勝手に覗いて大丈夫なのだろうか、一応門番の猿にはことわりを入れておく。

 

無季。

 

九十六句目

 

   岩彦の栖を深く立のぞき

 気を奪れし人のぬけがら     其角

 (岩彦の栖を深く立のぞき気を奪れし人のぬけがら)

 

 神様は恐いんだから勝手に棲家を覗いたりしたら魂を抜かれる。そうやって人の魂を吸いながら長い命を保ってたりする。

 

無季。「人」は人倫。

 

九十七句目

 

   気を奪れし人のぬけがら

 血を踏で風太刀を折ル音厳    揚水

 (血を踏で風太刀を折ル音厳気を奪れし人のぬけがら)

 

 「厳」はここでは「ひどく」と読む。

 怪異に取りつかれて正気を失った人が、化け物となって暴れる様だろう。巻き起こす風が太刀を折り、激しい音を立てる。

 

無季。

 

九十八句目

 

   血を踏で風太刀を折ル音厳

 古沓をとつて野辺に枕ス     才丸

 (血を踏で風太刀を折ル音厳古沓をとつて野辺に枕ス)

 

 「古沓(くつ)」は「古」の方の読み方が「ふる」でいいならばコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 古びたくつ。

  ※宇治拾遺(1221頃)二「ほろほろと物どもこぼれておつる物は、ひらあしだ、ふるしきれ、ふるわらうづ、ふるぐつ、かやうのもののかぎりあるに」」

 

とある。

 謡曲『俊成忠度』のラストを思わせる。帝釈と修羅の戦いを眼前に見て、やがて「さざなみや」の歌に心動かし、花に月の平和な世界に戻される。忠度の戦いは終わり眠りにつく。

 

無季。旅体。

 

九十九句目

 

   古沓をとつて野辺に枕ス

 行くれて花に夜着かる芝筵    其角

 (行くれて花に夜着かる芝筵古沓をとつて野辺に枕ス)

 

 ここは吉野に逃れた義経のように、しばし戦いを忘れて花の下に休む。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「夜着」は夜分。

 

挙句

 

   行くれて花に夜着かる芝筵

 狐は酔て酴醿に入ル       桃青

 (行くれて花に夜着かる芝筵狐は酔て酴醿に入ル)

 

 「酴醿」はここでは山吹と読む。賈至の「春思二首 其二」に、「金花臘酒解酴醿(金花の臘酒、酴醿を解く)」の詩句がある。

 単なる山吹ではなく山吹の酒に酔って山吹の黄金の世界に入って行くという、まさに貧しくても花に夜着を借りて芝の筵の上に横たわれば、俳諧の夢幻郷にいざなわれる、我々は世俗を化かすそんな狐たちだ、ということで一巻は目出度く終わる。

 

季語は「酴醿」で春、植物、草類。「狐」は獣類。