「川尽て」の巻、解説

初表

 川尽て鱅流るるさくら哉     露沾

   黄精ある峡の日の影     其角

 春を問童衣冠をしらずして    沾徳

   壁なき間屋に残る白雪    露荷

 月冴て砧の槌のつめたしや    嵐雪

   人は風ひくね覚ならまし   虗谷

 

初裏

 傾城の淋しがる顔あはれ也    其角

   初秋半恋はてぬ身を     露沾

 蛬歯落て小哥ふるへけり     露荷

   楼おりかぬる暁の雁     沾徳

 鼓うつ田中の月夜悲しくて    虗谷

   侘てはすがる僧の振袖    嵐雪

 思ひ得ず揚弓くるる園深し    露沾

   三たび浴ミて夏を忘ルル   其角

 我鞍に蝉のとどまる道すがら   沾徳

   砂吹上る垣の松風      露荷

 燭とりて花すかしみる須磨の浦  嵐雪

   小の弥生の光みじかき    虗谷

 

 

二表

 濃墨に蝶もはかなき羽を染て   其角

   氷を湧す蓬生の窓      露沾

 うれしさよ若衆に紙子きせたれば 露荷

   東に来てもまた恋の奥    沾徳

 常陸なる板久にあそぶ友衛    虗谷

   笑に懼て沉む江の鮒     嵐雪

 松並ぶ石の鳥居の陰くらし    露沾

   凩夜々に寒ン笛を吹     其角

 葺かけて月見の磯屋荒にけり   沾徳

   御廟の衛士か袂露けし    露荷

 角切て裾野に放す鹿の声     嵐雪

   鉢に食たく篁の陰      虗谷

 

二裏

 山おろし笈を並べてふせぐ覧   其角

   聞に驚く毒の水音      露沾

 笘買によする湊は人なくて    露荷

   雪の正月を休む塩焼     沾徳

 万葉によまれし花の名所よ    虗谷

   霞こめなと又岩城山     嵐雪

 

      参考;『普及版俳書大系3 蕉門俳諧前集上巻』(一九二八、春秋社)

初表

発句

 

 川尽て鱅流るるさくら哉     露沾

 

 鱅はここではカジカとルビがふってある。多分元は日本にいない魚の字だったのか、他にもハクレン、コノシロ、ハマギギ、ダボハゼ、チチカブリ(ウキゴリ)などの読み方がある。

 「尽くす」という言葉は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「尽・竭・殫」の解説」に、

 

 「① つきるようにする。

  (イ) なくする。終わりにする。

  ※万葉(8C後)一一・二四四二「大土は採りつくすとも世の中の尽(つくし)得ぬ物は恋にしありけり」

  ※地蔵十輪経元慶七年点(883)四「我等が命を尽(ツクサ)むと欲(おも)ひてするにあらずあらむや」

  (ロ) あるかぎり出す。全部出しきる。つきるまでする。

  ※万葉(8C後)四・六九二「うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽(つくさ)く思へば」

  ※源氏(1001‐14頃)桐壺「鈴虫の声のかぎりをつくしてもながき夜あかずふるなみだ哉」

  ② その極まで達する。できるかぎりする。きわめる。

  ※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)五「永く苦海を竭(ツクシ)て罪を消除し」

  ※春窓綺話(1884)〈高田早苗・坪内逍遙・天野為之訳〉一「凞々たる歓楽を罄(ツ)くさんが為めのみ」

  ③ (動詞の連用形に付いて) 十分にする、すっかりする、余すところなくするの意を添える。「言いつくす」「書きつくす」など。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Yomi(ヨミ) tçucusu(ツクス)。モノヲ cuitçucusu(クイツクス)」

  ※日本読本(1887)〈新保磐次〉五「マッチの焔を石油の中に落したるが、忽満室の火となり、遂にその町を類焼し尽しぬ」

  ④ (「力を尽くす」などを略した表現で) 他のもののために働く。人のために力を出す。

  ※真善美日本人(1891)〈三宅雪嶺〉国民論派〈陸実〉「個人が国家に対して竭すべきの義務あるが如く」

  ⑤ (「意を尽くす」などを略した表現で) 十分に表現する。くわしく述べる。

  ※浄瑠璃・傾城反魂香(1708頃)中「口でさへつくされぬ筆には中々まはらぬと」

  ⑥ 心をよせる。熱をあげる。

  ※浮世草子・傾城歌三味線(1732)二「地の女中にはしゃれたる奥様、旦那様のつくさるる相肩の太夫がな、見にござるであらふと」

  ⑦ (「あんだらつくす」「阿呆(あほう)をつくす」「馬鹿をつくす」などの略から) 「言う」「する」の意の俗語となる。

  (イ) 「言う」をののしっていう語。ぬかす。ほざく。〔評判記・色道大鏡(1678)〕

  ※洒落本・色深睡夢(1826)下「大(おほ)ふうな事、つくしやがって」

  (ロ) 「する」をののしっていう語。しやがる。しくさる。

  ※浄瑠璃・心中二枚絵草紙(1706頃)上「起請をとりかはすからは偽りは申さないと存じ、つくす程にける程に」

 

とある。この場合は③の意味で、美味なカジカが獲れて桜の花びらも流れてきて、川の面白さもここに極まる、というところだろう。

 

季語は「さくら」で春、植物、木類。「川」は水辺。

 

 

   川尽て鱅流るるさくら哉

 黄精ある峡の日の影       其角

 (川尽て鱅流るるさくら哉黄精ある峡の日の影)

 

 黄精は「あまところ」とルビがある。アマドコロ(甘野老)のことで、ウィキペディアには、

 

 「アマドコロ(甘野老、学名: Polygonatum odoratum)は、キジカクシ科アマドコロ属の多年草。狭義にはその一変種 P. o. var. pluriflorum。日当たりのよい山野に生え、草丈50センチメートル前後で、長楕円形の葉を左右に互生する。春に、葉の付け根からつぼ形の白い花を垂れ下げて咲かせる。食用や薬用にもされる。変種に大型のヤマアマドコロ、オオアマドコロがある。」

 

とある。野老(トコロ)に似てるが甘みがあり、春は若芽を食用にする。

 発句の「川尽て」の応じて、カジカに桜に更にアマドコロと谷に射しこむ日の光りを付ける。至れり尽くせりだ。

 

季語は「黄精」で春、植物、草類。「峡」は山類。「日」は天象。

 

第三

 

   黄精ある峡の日の影

 春を問童衣冠をしらずして    沾徳

 (春を問童衣冠をしらずして黄精ある峡の日の影)

 

 「はるをとふわらはいかんを」であろう。衣冠はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「衣冠」の解説」に、

 

 「① 衣服と冠(かんむり)。

  ※続日本紀‐養老六年(722)一一月丙戌「敬二事衣冠一終身之憂永結」

  ※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉一「衣冠美麗なりと雖ども、衙門巍々たりと雖ども、安ぞ人の眼を眩惑するを得ん」 〔論語‐堯曰〕

  ② 衣冠をつけている人。高貴な人。天子、皇帝に仕えている人。〔李白‐登金陵鳳凰台詩〕

  ③ 平安中期から着用した装束の名称。束帯よりも略式の装束で、下襲(したがさね)および石帯(せきたい)を着けず、表袴(うえのはかま)、大口もはかないので、裾は引かない。冠をかぶり、縫腋(ほうえき)の袍(ほう)を着、指貫(さしぬき)をはくのがふつう。はじめは宿直装束(とのいそうぞく)として用いられたが、参朝などの時にも着用されるようになった。

  ※大鏡(12C前)六「布衣、衣冠なる御前のしたるくるまのいみじく人はらひなべてならぬいきほひなるくれば」

 

とある。

 そのままの意味だと山中に棲む童は高貴な人の衣装を知らない、ということだが、それだけなのか、何か出典があるのか。「あま」の日の光りに、天子様の縁で付けたか。

 

季語は「春」で春。「童」は人倫。「衣冠」は衣裳。

 

四句目

 

   春を問童衣冠をしらずして

 壁なき間屋に残る白雪      露荷

 (春を問童衣冠をしらずして壁なき間屋に残る白雪)

 

 問屋(といや)ではなく「間屋」なので、「まや」だろうか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「真屋・両下」の解説」に、

 

 「① 切妻造りのこと。「ま」は両方、「や」は「屋根」の意とする説と、神社建築がすべて切妻造りであるところからも、仏教建築渡来以前は切妻造りが上等な建物に用いられたため、「真(ま)」の意とする説とがある。⇔片流れ。→真屋の余り。

  ※尊勝院文書‐天平勝宝七年(755)五月三日・越前国使等解「草葺真屋一間〈長二丈三尺 広一丈六尺〉」

  ② 四方へ屋根が傾斜するように建てた家。寄せ棟(むね)づくりに建てた家。あずまや。また、屋根と柱だけの小さい家。〔名語記(1275)〕

  ③ 別棟などに対して、主となる家屋をいう。〔改正増補和英語林集成(1886)〕」

 

とある。②の「屋根と柱だけの小さいら」なた「壁なき間屋」と一致する。牧童のような童形の職業の人の作業小屋であろう。高貴な人とは縁がない。

 

季語は「残る白雪」で春、降物。「間屋」は居所。

 

五句目

 

   壁なき間屋に残る白雪

 月冴て砧の槌のつめたしや    嵐雪

 (月冴て砧の槌のつめたしや壁なき間屋に残る白雪)

 

 「月冴て」は冬月になる。

 

 月さゆる氷のうへにあられふり

     心くだくる玉川のさと

              藤原俊成(千載集)

 

の歌は冬に分類されている。

 月に砧は、

 

   子夜呉歌       李白

 長安一片月 萬戸擣衣声

 秋風吹不尽 総是玉関情

 何日平胡虜 良人罷遠征

 

 長安のひとひらの月に、どこの家からも衣を打つ音。

 秋風は止むことなく、どれも西域の入口の玉門関の心。

 いつになったら胡人のやつらを平らげて、あの人が遠征から帰るのよ。

 

による。

 

季語は「月冴て」で冬、夜分、天象。

 

六句目

 

   月冴て砧の槌のつめたしや

 人は風ひくね覚ならまし     虗谷

 (月冴て砧の槌のつめたしや人は風ひくね覚ならまし)

 

 寒い冬の夜に砧を打っていると風邪をひく。

 

この時代に風邪が季語だったかどうかはよくわからない。「人」は人倫。

初裏

七句目

 

   人は風ひくね覚ならまし

 傾城の淋しがる顔あはれ也    其角

 (傾城の淋しがる顔あはれ也人は風ひくね覚ならまし)

 

 風邪で訪ねていけないとなると吉原の傾城も寂しがる。多分紋日であろう。この日は遊女は客を取らなくてはならないから、普段からなじみ客に声をかけて確保しておく。それが風邪でドタキャンになると結構困る。

 

無季。恋。「傾城」は人倫。

 

八句目

 

   傾城の淋しがる顔あはれ也

 初秋半恋はてぬ身を       露沾

 (傾城の淋しがる顔あはれ也初秋半恋はてぬ身を)

 

 「半」は「なかば」。初秋の半ばはお盆のころ。お盆は遊郭も静かになったか。

 

季語は「初秋」で秋。恋。「身」は人倫。

 

九句目

 

   初秋半恋はてぬ身を

 蛬歯落て小哥ふるへけり     露荷

 (蛬歯落て小哥ふるへけり初秋半恋はてぬ身を)

 

 蛬は「きりぎりす」とルビがある。コオロギのこと。

 初秋のコオロギの淋しげな声が、歯が抜けても昔の遊郭通いが忘れられずに唄う爺さんの小唄のようだ。弄斎節だろうか。

 

 秋風の吹きくるよひは蛬

     草のねごとにこゑみだれけり

              紀貫之(後撰集)

 

の歌の心か。

 

季語は「蛬」で秋、虫類。

 

十句目

 

   蛬歯落て小哥ふるへけり

 楼おりかぬる暁の雁       沾徳

 (蛬歯落て小哥ふるへけり楼おりかぬる暁の雁)

 

 楼は妓楼だろうか。歯が抜けても生涯遊郭で過ごす老いた遊女とする。秋に飛来した雁が地面に降りられないような宙ぶらりんな状態だ。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

 

十一句目

 

   楼おりかぬる暁の雁

 鼓うつ田中の月夜悲しくて    虗谷

 (鼓うつ田中の月夜悲しくて楼おりかぬる暁の雁)

 

 刈ったばかりの田んぼの真ん中で鼓を打って、月見のどんちゃん騒ぎをしている人がいるので、明け方になっても飛来した雁は地面に降り立つことができず、高い楼の上にいる。

 

季語は「月夜」で秋、夜分、天象。

 

十二句目

 

   鼓うつ田中の月夜悲しくて

 侘てはすがる僧の振袖      嵐雪

 (鼓うつ田中の月夜悲しくて侘てはすがる僧の振袖)

 

 「僧の振袖」がよくわからないが、昔は元服前には男女とも振袖を着ていた。僧に仕える稚児のことか。

 田中の寺で、僧は鼓を打っては慰めるが、それでも悲しくも侘しくて、稚児が僧にすがりつく。

 

無季。釈教。「振袖」は衣裳。

 

十三句目

 

   侘てはすがる僧の振袖

 思ひ得ず揚弓くるる園深し    露沾

 (思ひ得ず揚弓くるる園深し侘てはすがる僧の振袖)

 

 揚弓は矢場などで用いる遊戯用の弓で、元禄二年九月、大垣での「はやう咲」の巻二十三句目にも、

 

   二代上手の医はなかりけり

 揚弓の工するほどむつかしき   曾良

 

の句がある。

 ここでは矢場ではなく、稚児が庭で揚弓で遊んでたら殺生をしてしまったのだろう。主人の僧に怒られている。

 

無季。

 

十四句目

 

   思ひ得ず揚弓くるる園深し

 三たび浴ミて夏を忘ルル     其角

 (思ひ得ず揚弓くるる園深し三たび浴ミて夏を忘ルル)

 

 揚弓で汗を流した後は、三回水を浴びて涼む。

 

季語は「夏」で夏。

 

十五句目

 

   三たび浴ミて夏を忘ルル

 我鞍に蝉のとどまる道すがら   沾徳

 (我鞍に蝉のとどまる道すがら三たび浴ミて夏を忘ルル)

 

 旅体に転じる。馬を降りて水浴びをしてると、鞍に蝉が止まる。

 

季語は「蝉」で夏、虫類。旅体。

 

十六句目

 

   我鞍に蝉のとどまる道すがら

 砂吹上る垣の松風        露荷

 (我鞍に蝉のとどまる道すがら砂吹上る垣の松風)

 

 海辺で風の強い所だろう。砂除けに松を植えている。

 蝉に松風は、

 

 琴の音に響きかよへる松風を

     調べてもなく蝉の声かな

              よみ人しらず(新拾遺集)

 

の歌がある。

 

無季。「松風」は植物、木類。

 

十七句目

 

   砂吹上る垣の松風

 燭とりて花すかしみる須磨の浦  嵐雪

 (燭とりて花すかしみる須磨の浦砂吹上る垣の松風)

 

 松風から須磨の浦を付ける。謡曲『松風』では在原行平が須磨に配流されたときに、松風・村雨の二人の海女と暮らしたというその跡を訪ねて行く物語で、

 

 「さてはこの松は松風村雨とて、姉妹の女人のしるしかや。その身は土中に埋もるれども、名は残る世のかたみとて、変らぬ色の松一木、緑の秋を残すらん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31684-31688). Yamatouta e books. Kindle 版. )

 

と、形見の松が残されている。

 三年の月日をここで過ごしたなら、紙燭の明りで花を見ることもあっただろう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「燭」は夜分。「須磨の浦」は名所、水辺。

 

十八句目

 

   燭とりて花すかしみる須磨の浦

 小の弥生の光みじかき      虗谷

 (燭とりて花すかしみる須磨の浦小の弥生の光みじかき)

 

 旧暦では大の月は三十日で小の月は二十九日になる。一日でも春が早く行ってしまうように思える。その短い春なら、夜でも花を楽しみたい。

 

季語は「弥生」で春。

二表

十九句目

 

   小の弥生の光みじかき

 濃墨に蝶もはかなき羽を染て   其角

 (濃墨に蝶もはかなき羽を染て小の弥生の光みじかき)

 

 この頃は蝶というと黄蝶を指すことが多かったが、短い春を儚んだか、出家して墨染の衣を着る蝶がいる、とする。クロアゲハか何かだろう。

 

季語は「蝶」で春、虫類。

 

二十句目

 

   濃墨に蝶もはかなき羽を染て

 氷を湧す蓬生の窓        露沾

 (濃墨に蝶もはかなき羽を染て氷を湧す蓬生の窓)

 

 宮廷の華やかな蝶のような女性も、後ろ盾を失い、家は荒れ果てて蓬生の宿になる。冬は雪に埋もれ、氷を沸かして溶かして生活する。

 『源氏物語』蓬生巻に、

 

 「霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、越の白山思ひやらるる雪のうちに、出で入る下人だになくて、つれづれと眺め給ふ。」

 (十一月になると雪や霰が時折降って、余所では所々融けているのに、朝日や夕日を遮る蓬や葎の陰に深く積ったまま、越中白山を思わせるような雪の中には出入りする下人すらいなくなって、ただぼんやりと眺めていました。)

 

という場面がある。

 

季語は「氷」で冬。「蓬生」は植物、草類。「窓」は居所。

 

二十一句目

 

   氷を湧す蓬生の窓

 うれしさよ若衆に紙子きせたれば 露荷

 (うれしさよ若衆に紙子きせたれば氷を湧す蓬生の窓)

 

 寒い中の貧しい生活で、紙子を着せてもらえれば嬉しい。紙は風を通さないので暖かい。

 

無季。「若衆」は人倫。「紙子」は衣裳。

 

二十二句目

 

   うれしさよ若衆に紙子きせたれば

 東に来てもまた恋の奥      沾徳

 (うれしさよ若衆に紙子きせたれば東に来てもまた恋の奥)

 

 紙子を旅支度とする。後の芭蕉の『奥の細道』にも、「帋子一衣(かみこいちえ)は夜の防ぎ」とある。

 東国にやって来て、更に陸奥まで行っても恋をする。在原業平であろう。

 

無季。旅体。恋。

 

二十三句目

 

   東に来てもまた恋の奥

 常陸なる板久にあそぶ友衛    虗谷

 (常陸なる板久にあそぶ友衛東に来てもまた恋の奥)

 

 板久は「イタコ」とルビがあるので潮来のことだろう。潮来は水運の要衝で遊郭があった。

 井原西鶴の『好色一代男』の世之介も全国津々浦々の遊郭めぐりをやっていて、常陸鹿島にも来ているから、潮来にも立ち寄っていたかもしれない。

 友衛はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「友千鳥」の解説」に、

 

 「① 群れ集まっている千鳥。むらちどり。むれちどり。

  ※源氏(1001‐14頃)須磨「ともちどりもろ声になくあか月はひとりねさめのとこもたのもし」

  ② 植物「こあにちどり(小阿仁千鳥)」の異名。」

 

とある。遊郭があれば人も群がる。

 友千鳥は、

 

 友さそふ湊の千鳥声すみて

     氷にさゆる明け方の月

              和泉式部(続千載集)

 友千鳥群れて渚に渡るなり

     沖の白洲に潮や満つらむ

              源国信(新勅撰集)

 

などの歌に詠まれている。

 

季語は「友衛」で冬、鳥類、水辺。「板久」は名所。

 

二十四句目

 

   常陸なる板久にあそぶ友衛

 笑に懼て沉む江の鮒       嵐雪

 (常陸なる板久にあそぶ友衛笑に懼て沉む江の鮒)

 

 「懼て」は「おぢて」とルビがある。「沉む」にルビはないが「しづむ」であろう。

 遊ぶ友千鳥だから、その声は笑っているように聞こえる。鮒は食われまいと千鳥の笑い声を恐れ、川深く潜る。

 

無季。「江の鮒」は水辺。

 

二十五句目

 

   笑に懼て沉む江の鮒

 松並ぶ石の鳥居の陰くらし    露沾

 (松並ぶ石の鳥居の陰くらし笑に懼て沉む江の鮒)

 

 富岡八幡宮の辺りか。かつては永代島と呼ばれていた隅田川河口の島にあった。

 天和二年(一六八二年)成立の戸田茂睡の『紫の一本』の永代島の所には、

 

 「八幡の社あり。この地江戸を離れ宮居遠ければ、参詣の人も稀にして、島の内繫昌すべからずとて、御慈悲を以て御法度もゆるやかなれば、八万の社より手前二三町が内は、表店はみな茶屋にて、あまたの女を置きて参詣の輩のなぐさみとす。

 就中鳥居より内おば洲崎の茶屋といひて、十五六二十ばかりのみめかたち勝れたるを、十人ばかりづつも抱へ置きて、酌をとらせ小歌を謡はせ、三味線をひき鼓を打ちて、後はいざ踊らんとて‥‥以下略」

 

と賑わっていた。鳥居の内は人の笑い声で溢れていて、それに驚いたか、鳥居の影の江に鮒は深く沈む。

 

無季。神祇。「松」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   松並ぶ石の鳥居の陰くらし

 凩夜々に寒ン笛を吹       其角

 (松並ぶ石の鳥居の陰くらし凩夜々に寒ン笛を吹)

 

 寒ン笛は「かんてき」であろう。

 一転して寂れた神社の境内に、木枯らしがぴゅうぴゅうと、夜に寒い中に聞えてくる笛の音のように聞こえてくる。

 

季語は「凩」で冬。

 

二十七句目

 

   凩夜々に寒ン笛を吹

 葺かけて月見の磯屋荒にけり   沾徳

 (葺かけて月見の磯屋荒にけり凩夜々に寒ン笛を吹)

 

 かつては月見の宴があって、笛や鼓で賑わっていた磯屋も荒れ果てて、今は木枯らしの寒笛の音しかしない。

 

季語は「月見」で秋、夜分、天象。「磯屋」は居所、水辺。

 

二十八句目

 

   葺かけて月見の磯屋荒にけり

 御廟の衛士か袂露けし      露荷

 (葺かけて月見の磯屋荒にけり御廟の衛士か袂露けし)

 

 荒れた磯屋では衛士が御廟を守っている。

 衛士というと、

 

 御垣守衛士のたく火の夜はもえ

     昼は消えつつものをこそ思へ

              大中臣能宣(詞花集)

 

の歌が百人一首でもよく知られている。

 

季語は「露けし」で秋、降物。「衛士」は人倫。「袂」は衣裳。

 

二十九句目

 

   御廟の衛士か袂露けし

 角切て裾野に放す鹿の声     嵐雪

 (角切て裾野に放す鹿の声御廟の衛士か袂露けし)

 

 春日大社の鹿の角切は寛文の頃に始まったという。麓には本地垂迹の関係にある興福寺があり、明治の神仏分離前は隆盛を誇っていた。北円堂は藤原不比等の廟だったともいう。

 

季語は「鹿の声」で秋、獣類。

 

三十句目

 

   角切て裾野に放す鹿の声

 鉢に食たく篁の陰        虗谷

 (角切て裾野に放す鹿の声鉢に食たく篁の陰)

 

 篁(たかむら)は竹薮のこと。奈良の順礼僧が竹薮の陰で飯を焚いている。

 

無季。旅体。「篁」は植物で木でも草でもない。

二裏

三十一句目

 

   鉢に食たく篁の陰

 山おろし笈を並べてふせぐ覧   其角

 (山おろし笈を並べてふせぐ覧鉢に食たく篁の陰)

 

 巡礼者は笈を背負って旅をしているので。飯を焚く時、風から火を守るのに笈を並べて壁にする。

 

無季。旅体。

 

三十二句目

 

   山おろし笈を並べてふせぐ覧

 聞に驚く毒の水音        露沾

 (山おろし笈を並べてふせぐ覧聞に驚く毒の水音)

 

 水毒のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水毒」の解説」に、

 

 「〘名〙 水あたりの原因となる水の毒。

  ※俚言集覧(1797頃)「加梨勒 かりろくは薬名にて水毒を解す」

 

とある。

 突然の下痢に野糞をするのを笈を並べて隠してやるが、音は隠せない。

 

無季。

 

三十三句目

 

   聞に驚く毒の水音

 笘買によする湊は人なくて    露荷

 (笘買によする湊は人なくて聞に驚く毒の水音)

 

 笘は苫のことか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「苫・篷」の解説」に、

 

 「① 菅(すげ)、茅(かや)などを菰(こも)のように編み、小家屋の屋根や周囲などのおおいや和船の上部のおおいなどに使用するもの。〔十巻本和名抄(934頃)〕

  ※後撰(951‐953頃)秋中・三〇二「秋の田のかりほの庵のとまをあらみわが衣手は露にぬれつつ〈天智天皇〉」

  ② 江戸時代、大工仲間で着物をいう。〔新ぱん普請方おどけ替詞(1818‐30頃か)〕」

 

とある。①の苫を買いに港に入ったが人はいなくて、あとで毒の水が流れていたと聞いて驚く。

 

無季。「湊」は水辺。「人」は人倫。

 

三十四句目

 

   笘買によする湊は人なくて

 雪の正月を休む塩焼       沾徳

 (笘買によする湊は人なくて雪の正月を休む塩焼)

 

 苫屋というと古典では藻塩焼く小屋で、

 

 藻塩焼くあまの苫屋のしるべかは

     うらみてぞふく秋のはつかぜ

              藤原定家(拾遺愚草)

 藻塩焼くあまの苫屋にたつ煙

     ゆくへもしらぬ恋もするかな

              源俊頼(散木奇歌集)

 

などの歌がある。ただ、江戸時代には入浜式塩田が普及し、藻塩は廃れていた。

 浦の苫屋に人がいないのは、雪の正月で藻塩焼きを休んでいたからだ。

 

季語は「正月」で春。「雪」は降物。

 

三十五句目

 

   雪の正月を休む塩焼

 万葉によまれし花の名所よ    虗谷

 (万葉によまれし花の名所よ雪の正月を休む塩焼)

 

 名所は文字数から「などころ」であろう。

 

 桜花いま盛りなり難波の海

     押し照る宮に聞こしめすなへ

              大伴家持(夫木抄)

 

だろうか。

 浪花は浪を花に見立てたもので、雪もまた花に見立てられる。三重の意味で花の名所と言えよう。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   万葉によまれし花の名所よ

 霞こめなと又岩城山       嵐雪

 (万葉によまれし花の名所よ霞こめなと又岩城山)

 

 岩城山は、

 

 岩城山ただ越えきませ磯崎の

     許奴美の浜に我れたちまたむ

              よみ人しらず(夫木抄)

 

の歌に詠まれている。東海道の薩埵山のこととされ、許奴美の浜は興津の海岸だという。

 「また言ふ」に「いはき山」と掛けて用いられている。花の霞よ立ち込めてくれと願って、一巻は目出度く終わる。

 

季語は「霞」で春、聳物。「岩城山」は名所、山類。