「ほととぎす(待)」の巻、解説

初表

 ほととぎす待ぬ心の折もあり    荷兮

   雨のわか葉にたてる戸の口   野水

 引捨し車は琵琶のかたぎにて    野水

   あらさがなくも人のからかひ  荷兮

 月の秋旅のしたさに出る也     荷兮

   一荷になひし露のきくらげ   野水

 

初裏

 初あらしはつせの寮の坊主共    野水

   菜畑ふむなとよばりかけたり  荷兮

 土肥を夕々にかきよせて      荷兮

   印判おとす袖ぞ物うき     野水

 通路のついはりこけて逃かへり   野水

   六位にありし恋のうはきさ   荷兮

 代まいりただやすやすと請おひて  荷兮

   銭一巻に鰹一節        野水

 月の朝鶯つけにいそぐらむ     野水

   花咲けりと心まめなり     荷兮

 天仙蓼に冷飯あさし春の暮     荷兮

   かけがねかけよ看経の中    野水

 

 

二表

 ただ人となりて着物うちはをり   野水

   夕せはしき酒ついでやる    荷兮

 駒のやど昨日は信濃けふは甲斐   野水

   秋のあらしに昔浄瑠璃     荷兮

 めでたくもよばれにけらし生身魄  野水

   八日の月のすきといるまで   荷兮

 山の端に松と樅とのかすかなる   野水

   きつきたばこにくらくらとする 荷兮

 暑き日や腹かけばかり引結び    荷兮

   太皷たたきに階子のぼるか   野水

 ころころと寐たる木賃の草枕    荷兮

   気だてのよきと聟にほしがる  野水

 

二裏

 忍ぶともしらぬ顔にて一二年    野水

   庇をつけて住居かはりぬ    荷兮

 三方の数むつかしと火にくぶる   荷兮

   供奉の草鞋を谷へはきこみ   野水

 段々や小塩大原嵯峨の花      野水

   人おひに行はるの川岸     執筆

 

      参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)

初表

発句

 

 ほととぎす待ぬ心の折もあり   荷兮

 

 郭公はその人声を夜通し待って、明け方の一声を聞くことを本意とするが、実際古歌を見ると必ずしもそうではなく、ホトトギスを待つというのは元はホトトギスを待つというよりも、来ぬ人を待って夜が明けてホトトギスを聞くか、物思いで眠れずにいるとホトトギスの声がするだとかいうものも多かった。

 

 夏山に鳴くほととぎす心あらば

     物思ふ我に声な聞かせそ

              よみ人しらず(古今集)

 足引きの山ほととぎす我がごとや

     君に恋ひつつ寝ねかてにする

              よみ人しらず(古今集)

 

などの歌は別にホトトギスを待っているわけでもない。

 ただ、古今集の時代にも、ホトトギスを待つ歌はあった。

 

   さぶらひにて、男どもの酒たうべけるに、召して、

   「ほととぎすまつ歌よめ」とありければよめる

 ほととぎす声もきこえず山彦は

     ほかに鳴く音をこたへやはせぬ

              凡河内躬恒(古今集)

 

は待つ郭公が題詠になっていたことがわかる。

 ホトトギスを朝まで待つというのは、どこか「罪なくして配所の月を見る」に似ている気がする。眠れぬような悩み無くして夜明けのホトトギスを聞くといったところか。

 

 待たぬ夜も待つ夜も聞きつほととぎす

     花橘の匂ふあたりは

              大弐三位(後拾遺集)

 

の歌もある。

 待って聞くホトトギスも一興だが、待たずして聞くホトトギスも、深い心があってのことなのだろう。

 まあ、風流というのは基本そういうものなのかもしれない。平和で豊かで何不自由ない生活をしていても、苦しい思いをしている人の気持ちを理解するというのは、人間として心を豊かにしてくれる。それを可能にするのが文学の力だ。

 「罪なくして配所の月を見る」というのは、罪がなくても罪人の気持ちを理解するということだ。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

 

   ほととぎす待ぬ心の折もあり

 雨のわか葉にたてる戸の口    野水

 (ほととぎす待ぬ心の折もあり雨のわか葉にたてる戸の口)

 

 ホトトギスというとあやめ草や花橘や卯の花を読むことは和歌にもあるが、若葉を付けるのは近世的な発想なのだろう。とはいえ、室町時代には、

 

 時鳥鳴くや涙のはつ染に

     木木の若葉や色に出つらん

              正徹(草根集)

 

の例がある。『阿羅野』というと、

 

 目には青葉山ほととぎす初鰹   素堂

 

の句は有名だ。

 この場合は戸口を閉ざして、前句の「待ぬ」の心を、誰を待つでもなくホトトギスを待つでもなく、一人引き籠るということで、夏安居の心としたか。

 夏は虫が多く、歩くだけで殺生をすることになるので、外出を控える。夏籠りとも夏行ともいう。

 

季語は「わか葉」で夏、植物、木類。「雨」は降物。「戸の口」は居所。

 

第三

 

   雨のわか葉にたてる戸の口

 引捨し車は琵琶のかたぎにて   野水

 (引捨し車は琵琶のかたぎにて雨のわか葉にたてる戸の口)

 

 「かたぎ」は「堅木」か。枇杷の木は堅くて木刀などに用いられる。

 ここでは戸口の枇杷の木の辺りに車を引き捨てて、戸口を閉ざすとする。雨なので仕事はお休みということだろう。

 

無季。

 

四句目

 

   引捨し車は琵琶のかたぎにて

 あらさがなくも人のからかひ   荷兮

 (引捨し車は琵琶のかたぎにてあらさがなくも人のからかひ)

 

 からかひはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「からかう」の解説」に、

 

 「[1] 〘自ハ四〙

  ① 押したり返したりどちらとも決しない状態で争う。葛藤(かっとう)する。〔色葉字類抄(1177‐81)〕

  ※古今著聞集(1254)一六「心のはたらく事しづめがたけれども、猶とかく心にからかひて、其の年も暮れぬ」

  ② 言い争いをする。また、争う。闘う。

  ※九冊本宝物集(1179頃)八「とりくみ引くみて、夜もすがらからかひて」

  ※葉隠(1716頃)一「渡し舟にて、小姓酒狂にて船頭とからかひ」

  ③ 関心をよせる。かかわる。

  ※大恵書抄(14C後‐16C後)「あるないにはからかうまい」

  [2] 〘他ワ五(ハ四)〙 冗談を言ったり困らせたりしながら相手をなぶりものにする。じらして苦しめる。

  ※滑稽本・浮世床(1813‐23)初「小ぢょくは供をしながらふりかへりて熊にからかふ」

  ※多情多恨(1896)〈尾崎紅葉〉後「那様(あんな)事を言って僕を娗(カラカ)ったに違無い」

 

とある。ここでは口論か軽い小突き合い程度の争いということだろう。

 前句の枇杷の堅木を木刀として、物が木刀だけに真剣ではない喧嘩というところか。

 [2] は今でも用いる「からかう」だが、最近は「いじる」の方をよく用いる。

 

無季。「人」は人倫。

 

五句目

 

   あらさがなくも人のからかひ

 月の秋旅のしたさに出る也    荷兮

 (月の秋旅のしたさに出る也あらさがなくも人のからかひ)

 

 まあ、日々の喧騒というか、いじったりいじられたりするのも面倒くさくなると、人は旅に出たくなるものだ。

 

季語は「月の秋」で秋、夜分、天象。旅体。

 

六句目

 

   月の秋旅のしたさに出る也

 一荷になひし露のきくらげ    野水

 (月の秋旅のしたさに出る也一荷になひし露のきくらげ)

 

 木耳(きくらげ)は中華料理などにも用いられるが、江戸時代の人も好んで食べていた。旅のお供に木耳を背負ってゆく。

 月に草枕の露は、

 

 足引きの山路の苔の露の上に

     寝覚めよ深き月を見るかな

               如願(新古今集)

 秋の月篠に宿借る影たけて

     小笹が原に露ふけにけり

               源家長(新古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「露」で秋、降物。

初裏

七句目

 

   一荷になひし露のきくらげ

 初あらしはつせの寮の坊主共   野水

 (初あらしはつせの寮の坊主共一荷になひし露のきくらげ)

 

 木耳はお坊さんの好物だったのか、長谷寺の寮に寝泊まりすっる坊主たちも木耳を背負って寺に戻る。

 寮はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「寮」の解説」に、

 

 「① 役所。官司。特に、令制で、多く省に属し、職(しき)より下位、司(し)より上位に位置する官司。四等官として、頭(かみ)・助(すけ)・允(じょう)・属(さかん)を置く。允に大・少のあるものとないものによって、さらに二種に分けられる。この名称は明治以後の官制にも使用されたが、明治一八年(一八八五)の内閣制度実施以後は、宮内省の部局名としてのみ用いられ、昭和二四年(一九四九)に廃止された。

  ※続日本紀‐大宝元年(701)七月戊戌「太政官処分、造レ宮官准レ職、造二大安薬師二寺一官准レ寮、造二塔丈六一二官准レ司焉」 〔爾雅‐釈詁〕

  ② おもに禅宗で、僧の住む寺内の建物。また、その部屋。修行する堂とは区別された。寮舎。

  ※正法眼蔵随聞記(1235‐38)四「寺の寮々に各々塗籠をし」 〔陸游‐貧居詩〕

  ③ 僧が寄宿して自宗の学業を修学する道場。室町時代末から江戸時代にかけて、多く一宗一派の宗徒を集めて入寮させたもの。談所(だんしょ)。談林。学林。学寮。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「ややはつ秋のやみあがりなる〈野水〉 つばくらもおほかた帰る寮の窓〈舟泉〉」

  ④ 部屋。居室。〔日葡辞書(1603‐04)〕

  ⑤ 江戸時代、幕府の学問所、藩の学校、私塾などで、学生が寄宿して学問する所。寄宿寮。居寮(きょりょう)。学問寮。学寮。

  ※肥後物語(1781)「居寮の事〈略〉其内一廉才学成就すれば、直に役儀を申付らるることもあり、〈略〉もし案外に進まぬ人は、一年にても寮を出さる」

 

とある。この場合は③の意味になる。

 長谷寺のはる初瀬は、

 

 うかりける人を初瀬の山おろしよ

     はげしかれとは祈らぬものを

              源俊頼(千載集)

 

の歌が百人一首でも有名なように、嵐に縁がある。

 初瀬の嵐を詠んだ歌には、

 

 初瀬山嵐の道の遠ければ

     至り至らぬ鐘の音かな

              道助入道親王(新勅撰集)

 初瀬山尾上の雪げ雲晴れて

     嵐にちかき暁の鐘

              藤原景綱(玉葉集)

 

などの歌がある。

 

季語は「初あらし」で秋。釈教。「はつせ」は名所。「坊主共」は人倫。

 

八句目

 

   初あらしはつせの寮の坊主共

 菜畑ふむなとよばりかけたり   荷兮

 (初あらしはつせの寮の坊主共菜畑ふむなとよばりかけたり)

 

 この時代の初瀬の辺りは菜の花畑が多かったのだろう。春の嵐に転じる。

 春の初瀬の嵐を詠んだ歌に、

 

 山とかは桜乱れて流れきぬ

     初瀬の方に嵐ふくらし

              衣笠家良(夫木抄)

 

の歌がある。

 

無季。

 

九句目

 

   菜畑ふむなとよばりかけたり

 土肥を夕々にかきよせて     荷兮

 (土肥を夕々にかきよせて菜畑ふむなとよばりかけたり)

 

 踏むなというのは糞を踏むからだった。

 

無季。

 

十句目

 

   土肥を夕々にかきよせて

 印判おとす袖ぞ物うき      野水

 (土肥を夕々にかきよせて印判おとす袖ぞ物うき)

 

 印判を肥溜めに落とす。とほほ。

 

無季。「袖」は衣裳。

 

十一句目

 

   印判おとす袖ぞ物うき

 通路のついはりこけて逃かへり  野水

 (通路のついはりこけて逃かへり印判おとす袖ぞ物うき)

 

 「ついはり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「突張」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「つい」は「つき(突)」の変化した語) ものをつっぱるために立てる柱や棒。つっぱり。つっかい。

  ※虎明本狂言・腰祈(室町末‐近世初)「よひとおもふ時分に、うしろからつひはりをめされひ」

 

とある。突っ張り棒のことで、これに足を引っかけると自分も転ぶし、立てかけてあったものも倒れてくる。慌てて逃げかえると判子を落としている。その判子から犯人がバレてしまう。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   通路のついはりこけて逃かへり

 六位にありし恋のうはきさ    荷兮

 (通路のついはりこけて逃かへり六位にありし恋のうはきさ)

 

 昇殿は五位以上だが、蔵人なら六位でもぎりぎり昇殿が許される。下っ端ではあるが殿上人で、下っ端の気楽さから恋の浮名を振りまく。

 

無季。恋。

 

十三句目

 

   六位にありし恋のうはきさ

 代まいりただやすやすと請おひて 荷兮

 (代まいりただやすやすと請おひて六位にありし恋のうはきさ)

 

 身分が低い分フットワークも軽く、代わりにお参りに行ってくれと言われれば、安請け合いする。

 まあ、体よくパシリにされているというか。でもそういう所でこそ出会いがあったりもする。

 

無季。神祇。

 

十四句目

 

   代まいりただやすやすと請おひて

 銭一巻に鰹一節         野水

 (代まいりただやすやすと請おひて銭一巻に鰹一節)

 

 代参りの駄賃が銭一巻と鰹節一本。名古屋からだとこれで何とか伊勢までたどり着けるか。

 

無季。

 

十五句目

 

   銭一巻に鰹一節

 月の朝鶯つけにいそぐらむ    野水

 (月の朝鶯つけにいそぐらむ銭一巻に鰹一節)

 

 江戸時代になっても鶯の鳴き声を競わせる鶯合せは盛んで、ここは鶯の買い付けのことか。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。「月」は夜分、天象。

 

十六句目

 

   月の朝鶯つけにいそぐらむ

 花咲けりと心まめなり      荷兮

 (月の朝鶯つけにいそぐらむ花咲けりと心まめなり)

 

 前句を鶯告げにとして、鶯が鳴いたらその報告に来て、花が咲いたらその報告にと、豆ではある。

 花に鶯は、

 

 花の香を風のたよりにたぐへてぞ

     鶯さそふしるべにはやる

              紀友則(古今集)

 

などの歌がある。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十七句目

 

   花咲けりと心まめなり

 天仙蓼に冷飯あさし春の暮    荷兮

 (天仙蓼に冷飯あさし春の暮花咲けりと心まめなり)

 

 天仙蓼は「またたび」とルビがある。マタタビはキウイの近縁種で実がなるが、辛いので塩漬けや味噌漬けにしたり、マタタビ酒にしたりするが、酒好きにはその辛さも心地良いのかもしれない。

 食べると「又旅ができる」と言われ、元気になる。暮春の頃から冷飯をマタタビで食べる。

 

季語は「春の暮」で春。

 

十八句目

 

   天仙蓼に冷飯あさし春の暮

 かけがねかけよ看経の中     野水

 (天仙蓼に冷飯あさし春の暮かけがねかけよ看経の中)

 

 看経(かんきん)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「看経」の解説」に、

 

 「〘名〙 (「きん」は唐宋音)

  ① 経文を黙読すること。もと、禅家で行なわれた。

  ※参天台五台山記(1072‐73)二「候二看経一百日一、設二羅漢斎僧一方畢」

  ② 声を出して経文を読むこと。読経。誦経。

  ※栂尾明恵上人伝記(1232‐50頃)上「僧俗群集して、或は看経し或は礼拝す」

 

とある。

 「かけがね」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「掛金」の解説」に、

 

 「① 戸や障子などに付けて置き鎖した時、もう一方の金物の穴に掛けて、締りとする鐶(かん)または鉤(かぎ)。かきがね。

  ※枕(10C終)八「北の障子に、かけがねもなかりけるを」

  ② 顎(あご)の骨の顳顬(こめかみ)につながる部分。

  ※日葡辞書(1603‐04)「Caqegane(カケガネ)〈訳〉顎の継ぎ目。関節」

 

とある。この場合は両方に掛けて、看経の間につまみ食いしないように口に鍵をかけておけということか。

 

無季。釈教。

二表

十九句目

 

   かけがねかけよ看経の中

 ただ人となりて着物うちはをり  野水

 (ただ人となりて着物うちはをりかけがねかけよ看経の中)

 

 「ただひと」は多義で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「徒人・只人・直人・常人」の解説」に、

 

 「① 神仏、また、その化身などに対して、ふつうの人間。また、特別の能力や才能を持っている人に対して、あたりまえの人間。つねの人。ただのひと。多く、打消の表現を伴って、すぐれていること、ただの人間でないことなどを評価していう。

  ※書紀(720)神代下(兼方本訓)「顔(かほ)色、甚だ美(よ)く、容貌(かたち)且閑(みやび)たり。殆に常之人(タタヒト)に非(あら)す」

  ※平家(13C前)六「凡はさい後の所労のありさまこそうたてけれ共、まことにはただ人ともおぼえぬ事共おほかりけり」

  ② 天皇・皇族などに対して、臣下の人。

  ※伊勢物語(10C前)三「二条の后のまだ帝にも仕うまつり給はで、ただ人にておはしましける時」

  ③ 身分ある人に対して、身分・地位の低い人。なみの身分の人。摂政・関白に対して、それ以下の人、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじょうびと)などに対して、それ以下の人など、場合により異なる。

  ※西大寺本金光明最勝王経平安初期点(830頃)一〇「土庶(タダヒト)の百千万なるい 亦王に随ひて城を出でぬ」

  ※徒然草(1331頃)一「一の人の御有様はさらなり、ただ人も、舎人など給はるきははゆゆしと見ゆ」

  ④ 僧侶に対して、俗人をいう。

  ※書紀(720)推古三二年四月(岩崎本平安中期訓)「夫れ道(おこなひする)人も尚法を犯す。何を以て俗(タタ)人を誨(をし)へむ」

 

とある。

 前句の看経からすると、④で還俗したということであろう。財産に執着するようになって、鍵をかける習慣を付ける。

 

無季。「ただ人」は人倫。「着物」は衣裳。

 

二十句目

 

   ただ人となりて着物うちはをり

 夕せはしき酒ついでやる     荷兮

 (ただ人となりて着物うちはをり夕せはしき酒ついでやる)

 

 還俗したということで、酒を断つ必要もなく、まあ一杯。

 

無季。

 

二十一句目

 

   夕せはしき酒ついでやる

 駒のやど昨日は信濃けふは甲斐  野水

 (駒のやど昨日は信濃けふは甲斐夕せはしき酒ついでやる)

 

 馬で旅する人で宿に着いてもいろいろやることはあるが、それでもまあ一杯。

 

無季。旅体。「駒」は獣類。

 

二十二句目

 

   駒のやど昨日は信濃けふは甲斐

 秋のあらしに昔浄瑠璃      荷兮

 (駒のやど昨日は信濃けふは甲斐秋のあらしに昔浄瑠璃)

 

 古浄瑠璃を語る琵琶法師とする。この時代にはかなり珍しくなっていたか。陸奥にはまだいて、芭蕉が『奥の細道』の旅で遭遇している。

 

季語は「秋」で秋。

 

二十三句目

 

   秋のあらしに昔浄瑠璃

 めでたくもよばれにけらし生身魄 野水

 (めでたくもよばれにけらし生身魄秋のあらしに昔浄瑠璃)

 

 生身魄は「いきみたま」。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「生御霊・生身魂」の解説」に、

 

 「〘名〙 両親のそろった者が、盆に親をもてなす作法。また、そのときの食物や贈り物。他出した息子や嫁した娘も集まり、親に食物をすすめる。精進料理でなく、贈り物にも刺鯖(さしさば)を使うことが多い。近代、東京でも、老いた親のある者が、盆中に魚を捕り、調理して親にすすめる風習があった。これは生きたみたまも盆に拝む風習があったためといわれる。生盆(いきぼん)。《季・秋》

  ※建内記‐嘉吉元年(1441)七月一〇日「五辻来、面々張行、聊表二祝著一之儀、毎年之儀也。世俗号二生見玉一」

  ※俳諧・花摘(1690)下「生霊(イキミタマ)酒のさがらぬ祖父かな〈其角〉」

  [語誌](1)「生きている尊親の霊」の意で、死者の霊ばかりでなく、生きている尊者の霊を拝むという気持から始まった。

  (2)「盂蘭盆経」に「願使三現在父母、寿命百年、無レ病無二一切苦悩之患一」とあるのに基づくものか。」

 

とある。

 お盆の時にまだ健在な両親への孝行として、琵琶法師を呼ぶ。

 

季語は「生身魄」で秋。

 

二十四句目

 

   めでたくもよばれにけらし生身魄

 八日の月のすきといるまで    荷兮

 (めでたくもよばれにけらし生身魄八日の月のすきといるまで)

 

 「すきと」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「すきと」の解説」に、

 

 「① 少しも残るところがないさま、また、ある状態に完全になるさまを表わす語。すっかり。

  ※史記抄(1477)四「秦使相国呂不韋誅之、此ですきと滅たぞ」

  ※評判記・色道大鏡(1678)一五「帰国の事をすきとわすれつつ、二ケ月ばかり京にとどまりてかよひ」

  ② (下に打消を伴って) その事すべてにわたって否定するさまを表わす語。全然。まるで。すっかり。

  ※箚録(1706)「其れほど又海殊外(ことのほか)遠くして海魚の分すきと無レ之」

  ※談義本・水灌論(1753)三「われらすきと合点まいらず」

 

とある。今の「すっきり」と「すっかり」に相当する。

 八日の月は上弦の月で、夜中に沈む。お盆には少し早いが七夕の後という微妙な日付だ。十五日の死者を迎えるお盆と区別して、少し早く生身魄を行っていたか。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

二十五句目

 

   八日の月のすきといるまで

 山の端に松と樅とのかすかなる  野水

 (山の端に松と樅とのかすかなる八日の月のすきといるまで)

 

 暗い半月だから、山の端の松と樅もはっきりとは見えない。

 

無季。「山の端」は山類。「松」「樅」は植物、木類。

 

二十六句目

 

   山の端に松と樅とのかすかなる

 きつきたばこにくらくらとする  荷兮

 (山の端に松と樅とのかすかなるきつきたばこにくらくらとする)

 

 景色がはっきり見えないのを、きつい煙草のせいとする。

 

無季。

 

二十七句目

 

   きつきたばこにくらくらとする

 暑き日や腹かけばかり引結び   荷兮

 (暑き日や腹かけばかり引結びきつきたばこにくらくらとする)

 

 ただでさえ暑さでくらくらしそうな時に、腹掛け一つのほとんど裸でタバコを吸う。

 

季語は「暑き日」で夏。「腹かけ」は衣裳。

 

二十八句目

 

   暑き日や腹かけばかり引結び

 太皷たたきに階子のぼるか    野水

 (暑き日や腹かけばかり引結び太皷たたきに階子のぼるか)

 

 夏祭りの情景か。

 

無季。

 

二十九句目

 

   太皷たたきに階子のぼるか

 ころころと寐たる木賃の草枕   荷兮

 (ころころと寐たる木賃の草枕太皷たたきに階子のぼるか)

 

 木賃はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「木賃」の解説」に、

 

 「〘名〙 (薪(たきぎ)の代金の意から)

  ① 木賃宿で、泊まり客が自分で持ってきた米などの食糧を煮炊きするために支払う薪の代金。すなわち、木賃宿の宿泊代金。木銭(きせん)。

  ※俳諧・望一千句(1649)三「かやもつらざるかりふしの宿 木ちんさへもたねば月をあかしにて」

  ② 「きちんどまり(木賃泊)」「きちんやど(木賃宿)」の略。

  ※俳諧・曠野(1689)員外「太鼓たたきに階子のぼるか〈野水〉 ころころと寐たる木賃の草枕〈荷兮〉」

 

とある。木賃宿で太皷を叩くことに何か意味があったのか、よくわからない。

 いつまでも寝てると、太皷を叩いて誰かが起こしに来るのか。

 

無季。旅体。

 

三十句目

 

   ころころと寐たる木賃の草枕

 気だてのよきと聟にほしがる   野水

 (ころころと寐たる木賃の草枕気だてのよきと聟にほしがる)

 

 木賃宿に長居しているうちに、宿の仕事のことなんかもいつの間にか覚えてしまったか、なかなかできると宿の主人が娘の婿養子にしたがる。

 

無季。恋。「聟」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   気だてのよきと聟にほしがる

 忍ぶともしらぬ顔にて一二年   野水

 (忍ぶともしらぬ顔にて一二年気だてのよきと聟にほしがる)

 

 娘の所に忍んで通ってくる男がいたが、気付かないふりをしていてその男を値踏みしていた。二年ずっと通い続けている辺り、なかなか真面目で悪くない。

 

無季。恋。

 

三十二句目

 

   忍ぶともしらぬ顔にて一二年

 庇をつけて住居かはりぬ     荷兮

 (忍ぶともしらぬ顔にて一二年庇をつけて住居かはりぬ)

 

 庇は古代の寝殿造りだと、母屋の外側の部屋を意味する。前句の「しらぬ顔」を断り続けてという意味にして、あまりしつこく通って来るので寝る所を庇に移した、とする。

 

無季。「住居」は居所。

 

三十三句目

 

   庇をつけて住居かはりぬ

 三方の数むつかしと火にくぶる  荷兮

 (三方の数むつかしと火にくぶる庇をつけて住居かはりぬ)

 

 これもよくわからない。

 三方はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三方」の解説」に、

 

 「① (現在は「さんぽう」とも) 三つの方向。三つの方面。

  ※平家(13C前)一一「能遠(よしとを)が城におしよせて見れば、三方は沼、一方は堀なり」

  ② 角形の折敷(おしき)に、前と左右との三方に「刳形(くりかた)」もしくは「眼象」と呼ばれる透かし穴のあいた台のついたもの。多く檜の白木で作られ、古くは食事をする台に用いたが、後には神仏や貴人へ物を供したり、儀式の時に物をのせるのに用いる。衝重(ついがさね)の一種。三宝。

  ※三内口決(1579頃)「盤。〈四方三方事〉。大臣以上は四方。大納言以下は三方也」

  ※俳諧・犬子集(1633)一「三方につみしをいかに西ざかな」

  ③ 和算で、正三角形のこと。

  ※竪亥録(1639)六「置二歩数一、用二三方之方鈎相因之歩法一、五帰而得二歩数一、於レ是用二〈鈎方〉之尺数一帰除、則得二尺数一、是〈方鈎〉也」

  ④ 近世、大坂の蔵屋敷米を出米する際の仲立人で新地四組・古三組・上組の総称。〔稲の穂(1842‐幕末頃)〕」

 

とある。

 昔は四方に透かし穴のあいた四方も用いられていたが、ここは三方でなくては駄目だということで、用意し直すのも面倒(むつかし)だからって、透かし穴の一面を剥がして火にくべて、そこに庇をつけて三方にするということか。ただ、これだと「住居かはりぬ」の意味が分からない。

 

無季。

 

三十四句目

 

   三方の数むつかしと火にくぶる

 供奉の草鞋を谷へはきこみ    野水

 (三方の数むつかしと火にくぶる供奉の草鞋を谷へはきこみ)

 

 供奉(ぐふ)はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「供奉」の解説」に、

 

 「① (「くぶ」とも) (━する) 物を供給すること。供えること。供え奉ること。

  ※続日本紀‐和銅元年(708)一一月己卯「大甞。遠江但馬二国供二奉其事一」

  ② (━する) 従事する、仕えるの意を、その動作の相手を敬っていう語。お仕え申し上げること。

  ※令義解(718)職員「侍医四人。〈掌レ供二奉診候。医薬一〉」

  ③ (━する) 天皇の行幸などの行列に供として加わること。また、供の人々。

  ※太平記(14C後)一一「此寺に一日逗留有て、供奉(グフ)の行列還幸の儀式を被レ調ける処に」

  ④ (「くぶ」とも) 仏語。宮中の内道場に奉仕する僧。内供奉(ないぐぶ)のこと。日本では十禅師が兼ねた。内供(ないぐ)。供奉僧。

  ※性霊集‐二(835頃)大唐青龍寺故三朝国師碑「若復、印可紹構者、義明供奉其人也」

  ⑤ =ぐぶそう(供奉僧)①」

 

とある。

 三方の数を数えるのを面倒くさがるような人だから、供奉の草鞋も谷底へと履いて捨てる。草鞋は消耗品ではあるが。

 

無季。「草鞋」は衣裳。「谷」は山類。

 

三十五句目

 

   供奉の草鞋を谷へはきこみ

 段々や小塩大原嵯峨の花     野水

 (段々や小塩大原嵯峨の花供奉の草鞋を谷へはきこみ)

 

 小塩大原は小塩山大原院勝持寺のことか。嵯峨野の南西にあり、花の寺とも呼ばれている。前句をそこへ出入りする供奉僧が草鞋を履き古しているとする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「小塩大原嵯峨」は名所。

 

挙句

 

   段々や小塩大原嵯峨の花

 人おひに行はるの川岸      執筆

 (段々や小塩大原嵯峨の花人おひに行はるの川岸)

 

 花を追いかけて人々は小塩大原から嵐山の大堰川(桂川)の川岸へと移動する。

 

季語は「はる」で春。「人」は人倫。「川岸」は水辺。