「京までは」の巻、解説

貞享四年十一月五日鳴海菐言亭にて

初表

 京まではまだなかぞらや雪の雲   芭蕉

   千鳥しばらく此海の月     菐言

 小蛤ふめどたまらず袖ひぢて    知足

   酒気さむればうらなしの風   如風

 引捨し琵琶の嚢を打はらひ     安信

   僕はおくれて牛いそぐ也    自笑

 

初裏

 ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる    重辰

   明日の命飯けぶりたつ     安信

 わたり舟夜も明がたに山みえて   自笑

   鐘いくところにしかひがしか  芭蕉

 其すがた別の後も人わらひ     知足

   なみだをそへて鄙の腰折    菐言

 髪けづる熊の油の名もつらく    芭蕉

   身に瘡出て秋は寝苦し     如風

 釣簾の外にたばこのたたむ月の前  安信

   楊枝すまふのちからあらそひ  知足

 小袖して花の風をもいとふべし   重辰

   こがるる猫の子を捨て行    安信

 

 

二表

 うき年を取てはたちも漸過ぬ    知足

   父のいくさを起ふしの夢    芭蕉

 松陰にすこし草ある波の声     自笑

   翅をふるふ鳰ひとつがひ    菐言

 しづかなる亀は朝日を戴きて    安信

   三度ほしたる勅のかはらけ   自笑

 山守が車にけづる木をになひ    芭蕉

   燧ならして岩をうちかく    知足

 瀧津瀬に行ふ法の朝嵐       如風

   狐かくるる蔦のくさむら    自笑

 殿やれて月はむかしの影ながら   菐言

   老かむうばがころも打音    芭蕉

 

二裏

 ふすぶりし榾の煙のしらけたる   重辰

   陳のかり屋に碁を作る程    安信

 山更によこおりふせる雨の脚    如風

   気をたすけなんほととぎす鳴ケ 知足

 花盛文をあつむる窓閉て      菐言

   御燈かかぐる神垣の梅     執筆

 

       『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)

初表

初表

 

 京まではまだなかぞらや雪の雲  芭蕉

 

 「なかぞら」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①空の中ほど。中天。

  出典伊勢物語 二一

  「なかぞらに立ちゐる雲のあともなく」

  [訳] 空の中ほどに現れて漂う雲があとかたもなく(消えてしまうように)。

  ②中途。旅の途中。

  出典後拾遺集 雑六

  「道遠みなかぞらにてや帰らまし」

  [訳] (あの世への)道のりが遠いので、旅の途中から帰ってしまおうかしら。」

 

とある。この場合は京までの旅の途中という②の意味と、空の中ほどに雪の雲があるという①の意味とをうまく両義的に用いている。

 『笈の小文』本文には、

 

 「飛鳥井雅章(あすかいまさあき)公の此宿にとまらせ給ひて、『都も遠くなるみがたはるけき海を中にへだてて』と詠じ給ひけるを、自らかかせたまへて、たまはりけるよしをかたるに」

 

とある。飛鳥井雅章はウィキペディアに、

 

 「飛鳥井 雅章(あすかい まさあき、1611年(慶長16年)~1679年(延宝7年))は、江戸時代前期の公卿・歌人。権大納言・飛鳥井雅庸の四男。官位は従一位・権大納言。飛鳥井家16代当主。」

 

とある。延宝の時代まで生きた人で、まだ記憶に新しかった。和歌の方は最初の五文字が抜けているが「うちひさす」だという。飛鳥井雅章が泊まった時は日が差していたようだが、芭蕉が来た時には雪雲だった。

 

季語は「雪」で冬、降物。「雲」は聳物。

 

 

   京まではまだなかぞらや雪の雲

 千鳥しばらく此海の月      菐言

 (京まではまだなかぞらや雪の雲千鳥しばらく此海の月)

 

 菐言は寺島氏だというが、あとはよくわからない。鳴海に千鳥というと、

 

   最勝四天王院の障子に、

   なるみの浦かきたるところ

 浦人の日もゆふぐれになるみがた

     かへる袖より千鳥なくなり

              源通光(新古今集)

 

の歌にも詠まれている。ここでは芭蕉さんを千鳥に喩え、しばらくこの海の月を見ていってください、と受ける。

 

季語は「千鳥」で冬、鳥類、水辺。「海」は水辺。「月」は夜分、天象。

 

第三

 

   千鳥しばらく此海の月

 小蛤ふめどたまらず袖ひぢて   知足

 (小蛤ふめどたまらず袖ひぢて千鳥しばらく此海の月)

 

 蛤と踏むというのはコトバンクの「蛤にじる」の項の「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「潮干狩の時、足で探るなどして蛤を取ることをいう。蛤を踏む。

 ※浮世草子・好色盛衰記(1688)二「汐ならむ川ばたに蛤(ハマグリ)にぢりて」

 

とある。足で探りながら蛤を取っていたが、我慢できずに手も使い袖を濡らしてしまう。前句はその背景となる。

 

無季。「小蛤」は水辺。

 

四句目

 

   小蛤ふめどたまらず袖ひぢて

 酒気さむればうらなしの風    如風

 (小蛤ふめどたまらず袖ひぢて酒気さむればうらなしの風)

 

 「うらなし」の「うら」は心のことで、心なくということ。裏がない、隠し事がないといういみもあるが、この場合は心なくであろう。

 袖まで濡らして取ってきた小蛤を肴に酒を飲んだが、心ない風に酔いもさめてしまった。

 

無季。

 

五句目

 

   酒気さむればうらなしの風

 引捨し琵琶の嚢を打はらひ    安信

 (引捨し琵琶の嚢を打はらひ酒気さむればうらなしの風)

 

 興に乗って琵琶を弾こうと琵琶の嚢を引き捨てたが、それを拾って埃を打ち払う。酔いがさめてしまい、興も失せたからだ。

 

無季。

 

六句目

 

   引捨し琵琶の嚢を打はらひ

 僕はおくれて牛いそぐ也     自笑

 (引捨し琵琶の嚢を打はらひ僕はおくれて牛いそぐ也)

 

 下僕が琵琶の嚢を打ち払っている間に、牛は先に行ってしまった。

 

無季。「牛」は獣類。

初裏

七句目

 

   僕はおくれて牛いそぐ也

 ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる   重辰

 (ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる僕はおくれて牛いそぐ也)

 

 「反哺(はんぽ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 烏のひなが成長してから、親烏に食物をくわえ与えて養育の恩に報いること。転じて、恩返しをすること。

  ※性霊集‐八(1079)為弟子僧真境設亡考七々斎願文「林烏猶知反哺」 〔蔡邕‐為陳留県上孝子状〕」

 

とある。この「林烏猶知反哺(林の鴉もなお反哺を知る)」から「烏に反哺の孝あり」という諺が生じている。

 親孝行な烏に対し、牧童の恩に報いず先に行ってしまう牛を対比する。まあ、普通に風景として、牛に置いていかれた牧童に鴉がかあかあと鳴いて日が暮れてゆく場面を想像すればいいか。

 

無季、「鴉」は鳥類。

 

八句目

 

   ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる

 明日の命飯けぶりたつ      安信

 (ふたつみつ反哺の鴉鳴つるる明日の命飯けぶりたつ)

 

 前句を鴉が塒に帰ってゆく夕暮れの景とし、人もまた明日の糧にと米を炊く。芭蕉の時代は「二時の食」で、一日二食の所が多かった。朝と夕に飯を食う。

 

無季。「けぶり」は聳物。

 

九句目

 

   明日の命飯けぶりたつ

 わたり舟夜も明がたに山みえて  自笑

 (わたり舟夜も明がたに山みえて明日の命飯けぶりたつ)

 

 前句を朝飯のこととする。夜も明ける頃に飯を炊く煙があちこちに見える。

 

無季。「わたり舟」は水辺。「夜」は夜分。「山」は山類。

 

十句目

 

   わたり舟夜も明がたに山みえて

 鐘いくところにしかひがしか   芭蕉

 (わたり舟夜も明がたに山みえて鐘いくところにしかひがしか)

 

 明け方に鐘が鳴るが、それは西か東か、というわけだが、この年の春に詠んだ、

 

 花の雲鐘は上野か浅草か     芭蕉

 

とややかぶっている。隅田川の渡し船に上野か浅草の鐘の音が聞こえてくる情景を、どことも知れぬ山に近い渡し場に変えたというところか。

 

無季。

 

十一句目

 

   鐘いくところにしかひがしか

 其すがた別の後も一わらひ    知足

 (其すがた別の後も一わらひ鐘いくところにしかひがしか)

 

 知足もすぐに芭蕉の「鐘は上野か浅草か」を思い起こしたのだろう。舞台を吉原だろう。遊女との後朝の別れもすっきりしたとばかりに笑う。

 

無季。恋。

 

十二句目

 

   其すがた別の後も一わらひ

 なみだをそへて鄙の腰折     菐言

 (其すがた別の後も一わらひなみだをそへて鄙の腰折)

 

 「腰折(こしおれ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘自ラ下二〙 歌や文などがつたないさまになる。腰離る。

  ※紫式部日記(1010頃か)寛弘五年一〇月十余日「空の気色もうち騒ぎてなんとて、こしをれたる事や書きまぜたりけん」

 

とある。腰折れ歌、腰折れ文という言葉もある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「[補注]「玉葉」や「無名抄」では、和歌の第三句を「腰句(ようく)」「こしの句」といっており、第三句から第四句へのつづき方の悪いという「腰折れ」の解釈を導いたと思われる。」

 

とあり、これが元の語義であろう。この言葉は今でも「話の腰を折る」という言い回しに名残がある。

 前句の「一わらひ」を後朝に去っていった男の涙ながらに残した和歌が腰折れだったので、ついつい笑ってしまったとする。

 

無季。

 

十三句目

 

   なみだをそへて鄙の腰折

 髪けづる熊の油の名もつらく   芭蕉

 (髪けづる熊の油の名もつらくなみだをそへて鄙の腰折)

 

 熊の油はマタギの人たちが古くから用いていたという。ただ、髪に使ったりはしないだろう。どんな田舎者かというギャグ。『伊勢物語』第十四段の「くたかけ」女のイメージか。

 

無季。恋。

 

十四句目

 

   髪けづる熊の油の名もつらく

 身に瘡出て秋は寝苦し      如風

 (髪けづる熊の油の名もつらく身に瘡出て秋は寝苦し)

 

 「瘡(かさ)」は腫物のこと。手荒れや腫物に熊の油を用いるのは正しい使い方。

 

季語は「秋」で秋。「身」は人倫。「寝苦し」は夜分。

 

十五句目

 

   身に瘡出て秋は寝苦し

 釣簾の外にたばこのたたむ月の前 安信

 (釣簾の外にたばこのたたむ月の前身に瘡出て秋は寝苦し)

 

 「釣簾(こす)」は御簾のこと。「外」は「と」と読む。

 たばこと塩の博物館のホームページによると、江戸時代の刻み煙草を作るには以下の工程があったという。

 

 「1 解包 産地から届いた葉たばこの荷をほどく。

  2 砂掃き 葉たばこに付いている土砂やちりを小ぼうきで一枚ずつ掃き落とす。

  3 除骨 葉たばこの真中に通っている太い葉脈(中骨)を取り除く。

  4 葉組み いろいろな種類の葉を組み合わせながら重ねる。(ブレンド)

  5 巻き葉 葉組みした積み葉を刻みやすく折りたたんで巻く。

  6 押え 「責め台」で巻き葉を押えてくせをつける。

  7 細刻み 巻き葉を切り台にのせ、押え板で押えながら刻む。

  8 計量 注文に応じて適当な分量に計る。」

 

 煙草を畳むというのは5の工程であろう。江戸時代のタバコ屋は女房が葉を畳み旦那がそれを刻むといった家内工業だったという。腫物の痛む体で眠れぬまま夜も月の前で作業をする、その辛さが伝わってくる。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

十六句目

 

   釣簾の外にたばこのたたむ月の前

 楊枝すまふのちからあらそひ   知足

 (釣簾の外にたばこのたたむ月の前楊枝すまふのちからあらそひ)

 

 「楊枝すまふ(相撲)」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、

 

 「楊枝を二つ組合わせて、台を叩いて震動させ、倒れた方向によって勝負をきめる遊び。」

 

とある。今の紙相撲に似ている。

 前句の「たばこのたたむ」を煙草を片付けるの意味に取り成したか。

 

季語は「すまふ」で秋。

 

十七句目

 

   楊枝すまふのちからあらそひ

 小袖して花の風をもいとふべし  重辰

 (小袖して花の風をもいとふべし楊枝すまふのちからあらそひ)

 

 楊枝相撲は風が吹くと簡単に倒れてしまうから小袖で風を遮ってやる。花の定座なので、「花の風」とする。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「小袖」は衣裳。

 

十八句目

 

   小袖して花の風をもいとふべし

 こがるる猫の子を捨て行     安信

 (小袖して花の風をもいとふべしこがるる猫の子を捨て行)

 

 昔は捨て猫は普通で、川に流したりした。とはいえやはり可哀そうになり小袖で風を防いでやる。

 猿を聞く人は捨て猫の声をどう思うのだろうか。

 

季語は「猫の子」で春、獣類。

二表

十九句目

 

   こがるる猫の子を捨て行

 うき年を取てはたちも漸過ぬ   知足

 (うき年を取てはたちも漸過ぬこがるる猫の子を捨て行)

 

 『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注には「縁遠い娘」とある。二十歳過ぎて憂き年を取るというのは、そういうことなのだろう。

 まあ、こうした人は家の雑用を押し付けられがちで、猫の子を捨てに行かされたりしたのだろう。

 

季語は「年を取て」で春。

 

二十句目

 

   うき年を取てはたちも漸過ぬ

 父のいくさを起ふしの夢     芭蕉

 (うき年を取てはたちも漸過ぬ父のいくさを起ふしの夢)

 

 前句を戦死した父の喪に服しているので「うき年を取て」とする。

 

無季。「父」は人倫。

 

二十一句目

 

   父のいくさを起ふしの夢

 松陰にすこし草ある波の声    自笑

 (松陰にすこし草ある波の声父のいくさを起ふしの夢)

 

 「松陰(まつかげ)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 松の木がおおっている所。松の木の下陰。

  ※万葉(8C後)二〇・四四六四「ほととぎすかけつつ君が麻都可気(マツカゲ)にひも解き放(さ)くる月近づきぬ」

  ② 水面などに映って見える松の木の姿。

  ※玉葉(1312)賀・一〇五〇「松陰の映れる宿の池なれば水の緑も千世や澄むべき〈源俊頼〉」

  ③ 松の木が日光などをさえぎって、地上などにできる影。

  ※俳諧・文政句帖‐五年(1822)一一月「松影も氷りついたり壁の月」

 

とある。この場合は②の意味か。

 

 松影のいはゐの水をむすひあけて

     夏なきとしと思ひけるかな

               恵慶法師(拾遺集)

 

のように、涼しさを詠む言葉で、「玉葉集」の源俊頼の歌では常緑に澄んだ水で賀歌にしている。ここでは墓所のイメージか。

 

無季。「松」は植物、木類。「草」は植物、草類。「波の声」は水辺。

 

二十二句目

 

   松陰にすこし草ある波の声

 翅をふるふ鳰ひとつがひ     菐言

 (松陰にすこし草ある波の声翅をふるふ鳰ひとつがひ)

 

 「翅」は「つばさ」と読む。夏の繁殖期の鳰(カイツブリ)であろう。

 「575筆まかせ」というサイトから鳰の句を拾ってみると、

 

 うき出る身をはつ秋のかいつぶり 井上士朗

 かげろふに打ひらきたる鳰の海  壺中

 さびしさを我とおもはん秋の鳰  智月尼

 さみだれや植田の中のかいつぶり 泥足

 はつゆきや払ひもあえずかいつぶり 許六

 ほとゝぎすなかでさへよきに鳰の海 高桑闌更

 ほとゝぎす鳰の月夜や待まうけ   支考

 みじか夜の鳰の巣に寝て世を経ばや 鈴木道彦

 やゝのびて冬の行方やよかいつぶり 鬼貫

 ゆられ~終には鳰も巣立けり   高桑闌更

 一夜来て泣友にせん鳰の床    風国

 内川や鳰のうき巣に鳴蛙     其角

 十六夜に落る潮なし鳰のうみ   三宅嘯山

 千早振卯木や鳰の水かゞ見    露川

 名月や磯辺~の鳰の声      諷竹

 夏海や碁盤の石のかいつぶり   野坡

 夕ぐれや露にけぶれる鳰の海   樗良

 夕暾や此ごろ鳰の冬気色     許六

 

のように他の季語と組み合わせて詠まれていて、冬の季語として確立されてなかったと思われる。ただ、江戸後期の曲亭馬琴編『増補俳諧歳時記栞草』では冬の季語になっている。

 

無季。「鳰」は鳥類。

 

二十三句目

 

   翅をふるふ鳰ひとつがひ

 しづかなる亀は朝日を戴きて   安信

 (しづかなる亀は朝日を戴きて翅をふるふ鳰ひとつがひ)

 

 亀に朝日と目出度い言葉が続き、それに鳰のつがいと、結婚式を寿ぐような賀歌の体になっている。

 

無季。賀。「亀」は水辺。

 

二十四句目

 

   しづかなる亀は朝日を戴きて

 三度ほしたる勅のかはらけ    自笑

 (しづかなる亀は朝日を戴きて三度ほしたる勅のかはらけ)

 

 「三度ほしたる」は三回飲み干すことで、「式三献(しきさんけん)」のことと思われる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘名〙 (「しきさんごん」とも) 酒宴の作法の一つで、最も儀礼的なもの。饗宴で献饌ごとに酒を勧めて乾杯することを三度繰り返す作法。三献。

  ※上井覚兼日記‐天正三年(1575)一二月九日「式三献参候、御手長申候」

  [語誌]中世以降、特に盛大な祝宴などでは「三献」では終わらず、献数を重ねることが多くなり、最初の「三献」を儀礼的なものとして、特に「式三献」というようになったものと思われる。」

 

とある。今でも結婚式の三々九度にその名残がある。ここでは「勅のかはらけ」で宮廷儀式とした。

 

無季。

 

二十五句目

 

   三度ほしたる勅のかはらけ

 山守が車にけづる木をになひ   芭蕉

 (山守が車にけづる木をになひ三度ほしたる勅のかはらけ)

 

 「山守(やまもり)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「① 山林を見まわって番をすること。また、それを職とする人。

  ※万葉(8C後)三・四〇一「山守(やまもり)のありける知らにその山に標(しめ)結(ゆ)ひ立てて結(ゆひ)の恥しつ」

  ② 特に、江戸時代、諸藩の御林監守人。

  ※梅津政景日記‐慶長一七年(1612)九月六日「金沢城山守之事〈略〉如右之被仰付由」

 

とある。王朝時代のこととして、山守が牛車に用いる木を献上し、式三献のもてなしを受ける。晴れの儀式などに用いる唐廂車(からびさしのくるま)の車輪に用いる木だろう。割れたりしてはいけないので、厳選された木材を用いたに違いない。

 

無季。「山守」は人倫。

 

二十六句目

 

   山守が車にけづる木をになひ

 燧ならして岩をうちかく     知足

 (山守が車にけづる木をになひ燧ならして岩をうちかく)

 

 燧(ひうち)は火打ち道具のことで、火打石と火打ち金がセットになっている。ここでは火打ち金で辺りの岩を打って火を得たということか。山守のやりそうなことなのだろう。

 

無季。

 

二十七句目

 

   燧ならして岩をうちかく

 瀧津瀬に行ふ法の朝嵐      如風

 (瀧津瀬に行ふ法の朝嵐燧ならして岩をうちかく)

 

 修験の滝行が朝の嵐の中で行われ、魔除けのために切り火を切る。

 

無季。釈教。「瀧津瀬」は水辺、山類。

 

二十八句目

 

   瀧津瀬に行ふ法の朝嵐

 狐かくるる蔦のくさむら     自笑

 (瀧津瀬に行ふ法の朝嵐狐かくるる蔦のくさむら)

 

 山奥の景なので狐を登場させる。

 

季語は「蔦のくさむら」で秋、植物、草類。「狐」は獣類。

 

二十九句目

 

   狐かくるる蔦のくさむら

 殿やれて月はむかしの影ながら  菐言

 (殿やれて月はむかしの影ながら狐かくるる蔦のくさむら)

 

 これは在原業平の有名な、

 

 月やあらぬ春や昔の春ならぬ

     わが身ひとつはもとの身にして

              在原業平(古今集、伊勢物語)

 

であろう。ただ狐が登場することで、立派な屋敷の美女に会って酒を酌み交わし御馳走を食べていて、気づいたら荒れ果てた廃墟だったというよくあるストーリーも思い浮かぶ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

三十句目

 

   殿やれて月はむかしの影ながら

 老かむうばがころも打音     芭蕉

 (殿やれて月はむかしの影ながら老かむうばがころも打音)

 

 月に衣打つといえばもちろん李白の「子夜呉歌」。戦争に行った主人は結局帰ることなく、屋敷もいつしか荒れ果て、老いた姥が帰りを待って今も衣を打っている。

 

季語は「ころも打」で秋。「うば」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   老かむうばがころも打音

 ふすぶりし榾の煙のしらけたる  重辰

 (ふすぶりし榾の煙のしらけたる老かむうばがころも打音)

 

 「ふすぶる」は「くすぶる」と同じ。「榾(ほだ)」は焚き木のこと。水分の多い生木を燃やしたりすると湯気で白い煙が上がる。

 年老いて薪割りも思うようにできず生木を燃やしたのだろう。白い煙の中の老婆は白髪とも相まって浦島太郎のようでもある。

 

無季。「煙」は聳物。

 

三十二句目

 

   ふすぶりし榾の煙のしらけたる

 陳のかり屋に碁を作る程     安信

 (ふすぶりし榾の煙のしらけたる陳のかり屋に碁を作る程)

 

 「碁を作る」は『校本芭蕉全集 第三巻』の注に、「碁の勝負の目数をかぞえる為に、盤面を整理すること」とある。いわゆる整地のことのようだ。『源氏物語』の軒端荻のように整地でズルをする人もいる。

 勝負がついて見物してた人たちも離れて行き、陣屋で暖を取るために焚いた火の煙で白くなる「しらける」に、興が覚めるの「しらける」が重なる。

 「しらける」はweblio辞書の「学研全訳古語辞典」に、

 

 「①白くなる。色があせる。

  出典万葉集 一七四〇

  「黒かりし髪もしらけぬ」

  [訳] 黒かった髪も白くなってしまった。

  ②気分がそがれる。興がさめる。しらける。

  出典冥途飛脚 浄瑠・近松

  「恋に浮き世を投げ首の酒もしらけて醒(さ)めにけり」

  [訳] 恋に浮かれてこの世を捨てるほど思案に余って酒の酔いも気分がそがれてさめてしまった。

  ③間が悪くなる。気まずくなる。

  出典十訓抄 八

  「しらけて、実方(さねかた)は立ちにけり」

  [訳] 気まずくなって、実方は立ってしまった。」

 

とある。

 

無季。

 

三十三句目

 

   陳のかり屋に碁を作る程

 山更によこおりふせる雨の脚   如風

 (山更によこおりふせる雨の脚陳のかり屋に碁を作る程)

 

 「横伏(よこおりふす)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 

 「〘自サ四〙 横に広がって伏す。横たわる。

  ※古今(905‐914)東歌・一〇九七「かひがねをさやにも見しかけけれなくよこほりふせるさやのなか山〈かひうた〉」

 

とある。

 古今集の用例は、小夜の中山越えの道が峯と峯との間の鞍部を越える道ではなく、なだらかな稜線を行く道なので「よこほりふせる」としたのだろう。「かひがね」とあるのは小夜の中山から南アルプス南部の山々が見えることから、特に甲斐駒を指すのではなく南アルプス全体を「かひがね」と呼んでいたと思われる。

 横おり伏せる山を越えてゆく行軍だったのだろう。長々と続く稜線の道に雨の脚も強く、陣の仮屋で雨の止むのを待つ間に碁の一局も終了する。

 

無季。「山」は山類。「雨」は降物。

 

三十四句目

 

   山更によこおりふせる雨の脚

 気をたすけなんほととぎす鳴ケ  知足

 (山更によこおりふせる雨の脚気をたすけなんほととぎす鳴ケ)

 

 延々と続く尾根道に雨となると気が滅入るもので、元気づけるためにもホトトギスでも鳴いてくれ、と付ける。

 

季語は「ほととぎす」で夏、鳥類。

 

三十五句目

 

   気をたすけなんほととぎす鳴ケ

 花盛文をあつむる窓閉て     菐言

 (花盛文をあつむる窓閉て気をたすけなんほととぎす鳴ケ)

 

 花盛りなのに窓を閉じて文を集めるのは気の滅入ることだ。窓を開けると風で文が飛んだりするからだろう。俳諧の選集を作る編者だろうか。せめてホトトギスでも鳴いてくれれば。

 最後の花の定座は亭主である菐言が付ける。

 

季語は「花盛」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   花盛文をあつむる窓閉て

 御燈かかぐる神垣の梅      執筆

 (花盛文をあつむる窓閉て御燈かかぐる神垣の梅)

 

 前句の「花盛り」を初春の梅の花とし、神社の御燈を掲げる神主さんが窓を閉じて文を集めていたとする。菅原道真の面影であろう。

 

季語は「梅」で春、植物、木類。神祇。「御燈」は夜分。