「水仙は」の巻、解説

元禄二年一月、江戸にて。

初表

 水仙は見るまを春に得たりけり  路通

   窓のほそめに開く歳旦    李沓

 我猫に野等猫とをる鳴侘て    芭蕉

   ほしわすれたるきぬ張の月  亀仙

 槿にいらぬ糸瓜のからみあひ   泉川

   仁といはれてわたる白つゆ  執筆

 

初裏

 婿入に茶売も己が名を替て    李沓

   恋に古風の残る奥筋     芭蕉

 めづらしき歌かき付て覚ゆらん  亀仙

   形もおかしうそだつ賤の子  路通

 此里に持つたへたる布袴     芭蕉

   餅そなへ置く名月の空    李沓

 はらはらと葉広柏の露のをと   泉川

   一むれあくる雁の朝啄    亀仙

 折ふしは塩屋まで来る物もらひ  路通

   乱より後は知らぬ年号    芭蕉

 猪猿や無下に見残す花のおく   泉川

   雪のふすまをまくる春風   路通

 

 

二表

 此石のうへを浮世にとし取て   芭蕉

   彼岸にいると鐘聞ゆなり   亀仙

 ゆき違う中に我子に似たるなし  李沓

   いはぬおもひのしるる溜息  泉川

 元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ 路通

   人のなさけをほたに柴かく  芭蕉

 語つつ萩さく秋の悲しさを    亀仙

   陀袋さがす木曾の橡の実   路通

 月の宿亭主盃持いでよ      芭蕉

   朽たる舟のそこ作りけり   李沓

 唐人のしれぬ詞にうなづきて   泉川

   しばらく俗に身をかゆる僧  芭蕉

 

二裏

 飼立し鳥も頃日見えぬなり    路通

   塘の家を降うづむ雪     泉川

 あけぼのは筏の上にたく篝    亀仙

   あかきかしらを撫る青柳   路通

 華さけり静が舞を形見にて    芭蕉

   うぐひすあそぶ中だちの声  李沓

 

      参考;『校本芭蕉全集 第四巻』(小宮豐隆監修、宮本三郎校注、一九六四、角川書店)

初表

発句

 

 水仙は見るまを春に得たりけり  路通

 

 元禄二年の正月、芭蕉が奥の細道に旅立つ三ヶ月前、興行場所は江戸で、それ以上詳しいことはわからない。連衆は当初奥の細道に同行するといわれていた路通と、大垣藩邸の門人たちだという。

 水仙は冬の終わり、新暦正月の頃から咲いている。それを見ている間に春(旧正月)が来たという句だ。この発句からしても、興行は年が明けてそんなに日の経ってない頃に行われたのだろう。

 

季語は「春」で春。「水仙」は植物、草類。

 

 

   水仙は見るまを春に得たりけり

 窓のほそめに開く歳旦      李沓

 (水仙は見るまを春に得たりけり窓のほそめに開く歳旦)

 

 「見る間」をそのまんま見る隙間として、「窓のほそめに開く」と展開する。

 

季語は「歳旦」で春。

 

第三

 

   窓のほそめに開く歳旦

 我猫に野等猫とをる鳴侘て    芭蕉

 (我猫に野等猫とをる鳴侘て窓のほそめに開く歳旦)

 

 歳旦から猫の恋へと展開する。

 

季語は「猫‥‥鳴侘て」で春、獣類。

 

四句目

 

   我猫に野等猫とをる鳴侘て

 ほしわすれたるきぬ張の月    亀仙

 (我猫に野等猫とをる鳴侘てほしわすれたるきぬ張の月)

 

 昔は月の定座といってもそんな厳密なものではなく、四句目の短句で月を出しても別に問題はなかった。

 春の句に月を出すと朧月になるが、「朧月」という言葉を出してしまうと春に限定されてしまうので、春の季題の入れずに春の月を詠まなくてはならない。その工夫で出てきたのが、「ほしわすれたるきぬ張の月」。

 乾いた絹の白い月は秋の月。湿れば朧の春の月。なかなか考えたものだ。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

五句目

 

   ほしわすれたるきぬ張の月

 槿にいらぬ糸瓜のからみあひ   泉川

 (槿にいらぬ糸瓜のからみあひほしわすれたるきぬ張の月)

 

 「槿」は「あさがほ」と読む。古代はムクゲのことだったが、江戸時代だと今の朝顔の意味になる。

 絹張りの月を序詞のように解して、干し忘れた洗濯物の絹張りから白い秋の月を導き出す。

 干し忘れた原因は、物干しに朝顔や糸瓜が絡みついていたから、どこか他に干そうと思っているうちに忘れてしまったということか。

 

季語は「槿」で秋、植物、草類。「糸瓜」も植物、草類。

 

六句目

 

   槿にいらぬ糸瓜のからみあひ

 仁といはれてわたる白つゆ    執筆

 (槿にいらぬ糸瓜のからみあひ仁といはれてわたる白つゆ)

 

 ここで執筆の登場となる。連歌では挙句を詠むことが多いが、この頃の俳諧では連衆が一巡したあと、顔見世として登場することも珍しくない。

 朝顔と糸瓜が絡みついてもそれを無理にどかすのでもなく、自然のままにしてゆくこの家の住人を、仁徳のある人とし、白露の清き輝きに喩える。

 

季語は「つゆ」で秋、降物。

初裏

七句目

 

   仁といはれてわたる白つゆ

 婿入に茶売も己が名を替て    李沓

 (婿入に茶売も己が名を替て仁といはれてわたる白つゆ)

 

 前句を「白露」から「仁」に名前を変えたという意味に取り成す。

 茶売りはここではお茶を売り歩く人という意味ではあるまい。おそらく陰間茶屋の男娼だろう。婿入りが決まってそれまでの源氏名の白露を捨て、仁という名前でこれから生きてゆく。

 

無季。恋。「茶売」は人倫。

 

八句目

 

   婿入に茶売も己が名を替て

 恋に古風の残る奥筋       芭蕉

 (婿入に茶売も己が名を替て恋に古風の残る奥筋)

 

 平安時代の通い婚を想像したのか、夫が妻の家に入り苗字を変えるとした。ただ、芭蕉はまだ奥の細道に旅立つ前なので、陸奥での経験ではない。想像で付けている。

 其角も母方の榎本の姓を名乗っていたし、後に宝井姓に改名したが、これは俗姓で、本来の血統を表す姓ではなく、武家の苗字に準じた苗字帯刀を許されない庶民の姓なのだろう。

 婿養子に入ると苗字が嫁の姓に変わり、その息子もまた母方の苗字を名乗るのは、日本独自の習慣だったのだろう。

 昔の韓国では代理母(シバジ)というのがあって、昔そんな映画のビデオを借りてきて見た記憶があるが、日本人は血統へのこだわりがあまりなく、跡継ぎがいないなら婿をとればいいという発想だった。姓と苗字の違いもそのあたりの血統へのこだわりのなさの反映なのだろう。

 日本の「家」は本当の家ではなく擬制だという議論もある。また、日本では孝より忠が優先されるというのも、そのあたりの文化の差だろう。忠臣蔵でも義士たちは忠を優先して家族を捨てる。

 

無季。恋。

 

九句目

 

   恋に古風の残る奥筋

 めづらしき歌かき付て覚ゆらん  亀仙

 (めづらしき歌かき付て覚ゆらん恋に古風の残る奥筋)

 

 遠い陸奥のことだから、今では珍しくなった和歌の贈答など古代の風習が行われているのを知り、その歌を書き付けて覚える。

 

無季。

 

十句目

 

   めづらしき歌かき付て覚ゆらん

 形もおかしうそだつ賤の子    路通

 (めづらしき歌かき付て覚ゆらん形もおかしうそだつ賤の子)

 

 身分の低いあばら家に住んでいるような貧しい子供が、珍しく和歌に興味を持ち、学ぼうとしている。なかなか殊勝なことだが、上流にあこがれてちぐはぐな格好をしては却って浮いてしまう。

 

無季。「賤の子」は人倫。

 

十一句目

 

   形もおかしうそだつ賤の子

 此里に持つたへたる布袴     芭蕉

 (此里に持つたへたる布袴形もおかしうそだつ賤の子)

 

 布袴(ぬのはかま)は「ほうこ」とも読む。布袴(ほうこ)はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」によると、

 

 「1 布製の括(くく)り袴(ばかま)。裾口の括り緒から指貫(さしぬき)の袴ともいう。

  2 束帯の表袴(うえのはかま)・大口袴の代わりに指貫・下袴を用いた服装。束帯に次ぐ礼装で、朝儀以外の内々の式などに着用した。」

 

という。

 都落ちした貴族がどこか辺鄙な田舎の里に布袴を伝えたのだろう。その影響を受けて、その土地の子供の着るものがどこかおかしい。

 

無季。「里」は居所。「布袴」は衣裳。

 

十二句目

 

   此里に持つたへたる布袴

 餅そなへ置く名月の空      李沓

 (此里に持つたへたる布袴餅そなへ置く名月の空)

 

 前句の「持(もち)」を受けて、布袴とともに名月に餅を供える習慣も伝わったとする。

 

季語は「名月」で秋、夜分、天象。

 

十三句目

 

   餅そなへ置く名月の空

 はらはらと葉広柏の露のをと   泉川

 (はらはらと葉広柏の露のをと餅そなへ置く名月の空)

 

 餅と柏は付き物。前にも書いたが、一六四一年頃には端午の節句の柏餅が定着していたので、元禄二年の時代に餅から柏への連想は自然なものだった。

 とはいえ、これは名月の句なので秋になるから、柏餅は登場しない。そのかわりやがて餅を包むであろう柏の葉に、結んだ露の落ちる音を付けている。

 葉広柏は、

 

 閨の上に片枝さしおほひ外面なる

     葉広柏に霰降るなり

            能因法師(新古今集)

 

の用例があるが、普通の柏と何が違うのかはよくわからない。地域によってはナラガシワで代用することは前にも書いたが、それともまた違うのだろうか。

 

季語は「露」で秋、降物。「柏」は植物、木類。

 

十四句目

 

   はらはらと葉広柏の露のをと

 一むれあくる雁の朝啄      亀仙

 (はらはらと葉広柏の露のをと一むれあくる雁の朝啄)

 

 朝露というくらいで、露に朝も付き物。「あくる」は夜が明けることか、それとも間隔を開けることか。「あるく」の間違いだという説もある。確かに、刈り終わった水田の落穂を啄ばむときは水に浮いてはいない。歩いてる。

 

季語は「雁」で秋、鳥類。

 

十五句目

 

   一むれあくる雁の朝啄

 折ふしは塩屋まで来る物もらひ  路通

 (折ふしは塩屋まで来る物もらひ一むれあくる雁の朝啄)

 

 「物もらひ」は乞胸(ごうみね)とも呼ばれる大道芸人や門付け芸人で、海辺の藻塩を焼く小屋にまでやって来ることもあったのか。人の気配もなく、雁が長閑に餌を啄ばんでいるだけの所に来てもどうかと思うに。

 

無季。

 

十六句目

 

   折ふしは塩屋まで来る物もらひ

 乱より後は知らぬ年号      芭蕉

 (折ふしは塩屋まで来る物もらひ乱より後は知らぬ年号)

 

 京都で「戦後」というと応仁の乱の後のことだとよく冗談に言われるが、この場合の乱もおそらくそれだろう。

 都が荒れ果てて商売上がったりの芸人が、仕方なく辺鄙な田舎にまでやって来る。都の情報が入ってこないため、年号が何になったかもわからない。

 

無季。

 

十七句目

 

   乱より後は知らぬ年号

 猪猿や無下に見残す花のおく   泉川

 (猪猿や無下に見残す花のおく乱より後は知らぬ年号)

 

 戦乱の都から避難してきた者が、出家して一人山奥に隠棲する様か。吉野の西行庵を髣髴させる。となると保元・平治の乱の後は知らぬということか。

 猪や猿は花を見るでもなく、何事もなく通り過ぎてゆく。そんな山奥で花を見ながらの隠棲生活で、世俗の年号のことももはやわからなくなった。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「猪」「猿」は獣類。

 

十八句目

 

   猪猿や無下に見残す花のおく

 雪のふすまをまくる春風     路通

 (猪猿や無下に見残す花のおく雪のふすまをまくる春風)

 

 これはやはり散った桜を雪に見立ててという方がいいだろう。猪や猿が見るだけで人知れずに散ってゆく桜。次の句では本物の雪に取り成すことができるように配慮されている。

 「ふすま」は辞書によると八尺または八尺五寸四方の掛布団で、当時一般に用いられた蒲団は袖と襟がついていて、

 

 蒲団着て寝たる姿や東山     嵐雪

 

のように蒲団は着るものだった。ふすまにはそれがない。

 今日では「ふすま」というと紙を張った建具の意味で用いられるが、昔は「襖障子(ふすましょうじ)」と言った。

 

季語は「春風」で春。「雪」は降物。

二表

十九句目

 

   雪のふすまをまくる春風

 此石のうへを浮世にとし取て   芭蕉

 (此石のうへを浮世にとし取て雪のふすまをまくる春風)

 

 此の石は岩屋か何かだろうか。岩の上に庵を構えて儚き世に年老いてゆく。昔は正月が来ると一つ年を取ったので、前句は雪が春風に融けて春が来る様とする。

 

季語は「とし取て」で春。

 

二十句目

 

   此石のうへを浮世にとし取て

 彼岸にいると鐘聞ゆなり     亀仙

 (此石のうへを浮世にとし取て彼岸にいると鐘聞ゆなり)

 

 前句の石を墓石にして、墓参りしながら自分もまた年を取ったものだと嘆いていると、今は亡きあの人の声であるかのように鐘の音が聞こえてくる。彼岸の入りと「彼岸(あの世)に居る」と掛けている。

 年を取り死に近づくのは辛いけど、死んだらあいつにまた会えるのかと慰められる。

 

季語は「彼岸」で春。哀傷。

 

二十一句目

 

   彼岸にいると鐘聞ゆなり

 ゆき違う中に我子に似たるなし  李沓

 (ゆき違う中に我子に似たるなし彼岸にいると鐘聞ゆなり)

 

 謡曲『百万』は生き別れた我子を捜す狂女物で、その一節に「これほど多き人の中に、などやわが子のなきやら ん。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.42308-42309). Yamatouta e books. Kindle 版.)とあるが、そのイメージを借りてきたか。

 ただ、前句の「鐘」と合わせると、同じ生き別れた我子を捜す狂女物の『三井寺』のようでもあるし、それに「彼岸にいる」となるとこれは『隅田川』のようなバッドエンドになる。色々な要素が合わさっている。

 

無季。「我子」は人倫。

 

二十二句目

 

   ゆき違う中に我子に似たるなし

 いはぬおもひのしるる溜息    泉川

 (ゆき違う中に我子に似たるなしいはぬおもひのしるる溜息)

 

 これは遣り句。前句から大きく違った場面へ展開するのが難しいので、単に我が子を探す人を見て、その思いは溜息でわかる、とだけ付けて逃げる。もちろん恋への転換を計算してのことだろう。

 

無季。

 

二十三句目

 

   いはぬおもひのしるる溜息

 元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ 路通

 (元ゆひのほつれてかかる衣かつぎいはぬおもひのしるる溜息)

 

 「元ゆひ」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」には、

 

 「髪の根を結い束ねるのに用いる紐(ひも)のこと。「もっとい」ともいう。平安時代の垂髪に用いたことが絵巻物でみられるが、身分の低い者は、髪の乱れを防ぐ意味から用いていた。古くは糸やこよりを用いた。垂髪が髷(まげ)をつくる髪形に転じてから、こよりにさまざまの変化を生じ、幅の広い平(ひら)元結は髪飾りとして用いられた。」

 

とある。

 「衣かつぎ」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 

 「平安時代ごろから、上流の婦人が外出するとき、顔を隠すために衣をかぶったこと。またその衣や、それをかぶった女性。中世以降は単衣(ひとえ)の小袖(こそで)を頭からかぶり、両手で支えて持った。」

 

 画像で見ると顔を隠すというよりは髪の毛を隠すような形で、日除けの意味もあったのだろう。覆面ではない。

 一句は前句の溜息をつく女性の外見を描写しただけともいえる。二句合わせて恋になる。

 

無季。恋。「衣かつぎ」は衣裳。

 

二十四句目

 

   元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ

 人のなさけをほたに柴かく    芭蕉

 (元ゆひのほつれてかかる衣かつぎ人のなさけをほたに柴かく)

 

 「ほた(榾)」は古語辞典には「燃料となる木の株や朽ち木」とある。

 元結のほつれた女性を何か分けありと見て、田舎の住人が情けを掛け家に迎え入れ、薪となる榾を探しに柴刈りに行く。

 

無季。「人」は人倫。

 

二十五句目

 

   人のなさけをほたに柴かく

 語つつ萩さく秋の恋しさを    亀仙

 (語つつ萩さく秋の悲しさを人のなさけをほたに柴かく)

 

 季節を秋に転じる。秋の夜長を語り明かすほのぼのとした世界。

 

季語は「秋」で秋。「萩」も秋、植物、草類。

 

二十六句目

 

   語つつ萩さく秋の悲しさを

 陀袋さがす木曾の橡の実     路通

 (語つつ萩さく秋の悲しさを陀袋さがす木曾の橡の実)

 

 この年の前年の秋、芭蕉は越人と荷兮の使わした奴僕と六十斗(むそぢばかり)の道心の僧とともに姨捨山の月を見に行き、そこで、

 

 木曾のとち浮世の人のみやげ哉  芭蕉

 

の句を詠んでいる。この橡の実は荷兮への土産で、三月に出版される『阿羅野』には、

 

     木曽の月みてくる人の、みやげにとて杼(とち)の

     実ひとつおくらる。年の暮迄(くれまで)うしなはず、

     かざりにやせむとて

 としのくれ杼の実一つころころと 荷兮

 

の句が掲載されている。

 路通も芭蕉が荷兮に橡の実をお土産に持って帰った話を知っていて、その情景を付けたのであろう。楽屋落ちという感じもする。『阿羅野』が公刊された後なら、ああそういうことかとわかる。

 

季語は「橡の実」で秋。旅体。「木曾」は名所。

 

二十七句目

 

   陀袋さがす木曾の橡の実

 月の宿亭主盃持いでよ      芭蕉

 (陀袋さがす木曾の橡の実月の宿亭主盃持いでよ)

 

 『更科紀行』に、

 

 「いでや月のあるじに酒振(ふる)まはんといへば、さかづき持出(もちいで)たり。よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつつかなる蒔絵をしたり。」

 

とあるが、この文章がいつ頃書かれたのかはよくわからない。ただ路通の句に、実際に姨捨の宿に泊った時のことを思い出して付けたのだろう。こういうふうに実体験を句にすることは珍しい。近代の連句ではどうか知らないが。

 いずれにせよ、この句は芭蕉の体験としてではなく、あくまで前句と合わせてこの句がどういう意味を持つかが重要で、橡の実はかつて食用にされていたので、酒の肴にしようと頭陀袋の中に「確か橡の実があったな」と探す場面とした方がいいだろう。

 もちろんここでは土産に拾った橡の実ではなく、木曾産のしっかりあく抜きした橡の実であろう。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。旅体。「亭主」は人倫。

 

二十八句目

 

   月の宿亭主盃持いでよ

 朽たる舟のそこ作りけり     李沓

 (月の宿亭主盃持いでよ朽たる舟のそこ作りけり)

 

 朽ちた舟の底を直して浮かべるようにしたので、盃を持ってきてくれ、舟の上で飲もう、ということだろう。

 

無季。「舟」は水辺。

 

二十九句目

 

   朽たる舟のそこ作りけり

 唐人のしれぬ詞にうなづきて   泉川

 (唐人のしれぬ詞にうなづきて朽たる舟のそこ作りけり)

 

 前句の「朽たる舟のそこ作りけり」から、中国で帰国のための舟を修理したとし、唐人も何やら話しかけてくるが、中国語なのでよくわからなくて意味もなく頷く。

 

無季。「唐人」は人倫。

 

三十句目

 

   唐人のしれぬ詞にうなづきて

 しばらく俗に身をかゆる僧    芭蕉

 (唐人のしれぬ詞にうなづきてしばらく俗に身をかゆる僧)

 

 これは明の滅亡によって亡命して日本にやってきた儒者に感化されて、ということか。朱舜水と水戸光圀公との交流はよく知られている。多分こういう人が何人もいたのだろう。

 

無季。「身」「僧」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   しばらく俗に身をかゆる僧

 飼立し鳥も頃日見えぬなり    路通

 (飼立し鳥も頃日見えぬなりしばらく俗に身をかゆる僧)

 

 雛から育ててきた鳥も最近見ないな、そういえばあの僧は還俗したんだっけ、さては‥‥

 

無季。「鳥」は鳥類。

 

三十二句目

 

   飼立し鳥も頃日見えぬなり

 塘の家を降うづむ雪       泉川

 (飼立し鳥も頃日見えぬなり塘の家を降うづむ雪)

 

 鳥の姿がないのを雪のせいとした。

 

季語は「雪」で冬、降物。「家」は居所。

 

三十三句目

 

   塘の家を降うづむ雪

 あけぼのは筏の上にたく篝    亀仙

 (あけぼのは筏の上にたく篝塘の家を降うづむ雪)

 

 塘(つつみ)の家を漁師の家とした。明け方には篝(かがり)火を焚いて漁をする。

 

無季。「筏」は水辺。「篝」は夜分。

 

三十四句目

 

   あけぼのは筏の上にたく篝

 あかきかしらを撫る青柳     路通

 (あけぼのは筏の上にたく篝あかきかしらを撫る青柳)

 

 「筏」の浮かぶ水辺では、春になると柳が美しい。篝火に照らされて赤く照らされた頭を柳の糸が撫でる。春に転じることで花呼び出しになる。「あかきかしら」は酔った人にも取り成せることまで計算しているか。

 

季語は「青柳」で春、植物、木類。

 

三十五句目

 

   あかきかしらを撫る青柳

 華さけり静が舞を形見にて    芭蕉

 (華さけり静が舞を形見にてあかきかしらを撫る青柳)

 

 静(しずか)は静御前で、文治二年(一一八六)四月八日、頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられたことはよく知られている。ただ、季節としては卯の花の頃ではあっても桜の季節ではない。

 『吾妻鏡』では義経と吉野山で別れたことが記されているが、これは雪の季節。謡曲『二人静』は静御前の舞をドッペルゲンガーのように二人で舞う幻想的な能だが、これも正月七日の若菜摘みの時のことになっている。静御前の死についてはいろいろな伝承があり、終焉の地とされている何箇所かの場所には静桜という桜があるが、これもいつ頃からなのかよくわからない。

 それでも静御前の舞には桜の花が似合うといわれれば、誰しもうなづいてしまうところがある。別に本物の静御前の舞を見たわけではなくても、何となくイメージとして華やかで、満開の桜が似合いそうな気がしてしまう。

 静御前の舞を形見にして桜の花が咲き、花見に酔いしれる赤い顔を柳の枝が撫でる。花の下では静御前が舞っているかのような幻想を見せる、芭蕉の幻術と言っていいだろう。

 ちなみに『義経千本桜』はウィキペディアによれば延享四年(一七四七)初演なので、かなり後のことだ。

 

季語は「華」で春、植物、木類。

 

挙句

 

   華さけり静が舞を形見にて

 うぐひすあそぶ中だちの声    李沓

 (華さけり静が舞を形見にてうぐひすあそぶ中だちの声)

 

 花の下の舞を祝言(結婚式)の余興としたか。鶯の歌う中、仲人さんの声がする。

 

季語は「うぐひす」で春、鳥類。