「初雪や」の巻、解説

初表

 初雪やことしのびたる桐の木に   野水

   日のみじかきと冬の朝起    落梧

 山川や鵜の喰ものをさがすらん   落梧

   賤を遠から見るべかりけり   野水

 おもふさま押合月に草臥つ     野水

   あらことごとし長櫃の萩    落梧

 

初裏

 川越の歩にさされ行秋の雨     野水

   ねぶと痛がる顔のきたなき   落梧

 わがせこをわりなくかくす縁の下  野水

   すががき習ふ比のうきこひ   落梧

 更る夜の湯はむづかしと水飲て   野水

   こそぐり起す相住の僧     落梧

 峯の松あぢなあたりを見出たり   野水

   旅するうちの心奇麗さ     落梧

 煮た玉子なまのたまごも一文に   野水

   下戸は皆いく月のおぼろげ   落梧

 耳や歯やようても花の数ならず   野水

   具足めさせにけふの初午    落梧

 

 

二表

 いつやらも鶯聞ぬ此おくに     落梧

   挑灯過て跡闇きくれ      野水

 くはらくはらとくさびぬけたる米車 落梧

   挑灯過て跡闇きくれ      野水

 何事を泣けむ髪を振おほひ     落梧

   しかじか物もいはぬつれなき  野水

 はつかしといやがる馬にかきのせて 落梧

   かかる府中を飴ねぶり行    野水

 雨やみて雲のちぎるる面白や    落梧

   柳ちるかと例の莚道      野水

 軒ながく月こそさはれ五十間    野水

   寂しき秋を女夫居りけり    落梧

 

二裏

 占を上手にめさるうらやまし    野水

   黍もてはやすいにしへの酒   野水

 朝ごとの干魚備るみづ垣に     落梧

   誰より花を先へ見てとる    落梧

 春雨のくらがり峠こえすまし    野水

   ねぶりころべと雲雀鳴也    落梧

 

      参考;『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)

初表

発句

 

 初雪やことしのびたる桐の木に  野水

 

で、梧は青桐(碧梧)のことだから落梧の俳諧の腕の成長と掛けているとも取れる。

 ただ、桐はシソ目キリ科で梧はアオイ目アオイ科だから、今日の分類学では全くの別物ということになる。

 桐は短期間で急速に成長するから、田んぼなども放置しておくと瞬く間に桐の木が生えてくる。福島の立ち入り制限区域で見られる光景だ。

 生えてきたと思ったら、その年のうちに二、三メートルの木になって、その枝に初雪が積もる。

 

季語は「初雪」で冬、降物。「桐の木」は植物、木類。

 

 

   初雪やことしのびたる桐の木に

 日のみじかきと冬の朝起     落梧

 (初雪やことしのびたる桐の木に日のみじかきと冬の朝起)

 

 特に寓意はなく、季候を添える。

 朝起きても日も中々登らない中、外は真っ白な雪景色なっている。

 あっという間に伸びた桐の木に、知らないうちに真っ白になった庭の景色で応じる。

 

季語は「冬」で冬。

 

第三

 

   日のみじかきと冬の朝起

 山川や鵜の喰ものをさがすらん  落梧

 (山川や鵜の喰ものをさがすらん日のみじかきと冬の朝起)

 

 冬になると鵜飼の鵜も人間が餌を調達してやらなくてはならない。朝早く起きて捕りに行く。

 

無季。「山川」は山類、水辺。「鵜」は鳥類。

 

四句目

 

   山川や鵜の喰ものをさがすらん

 賤を遠から見るべかりけり    野水

 (山川や鵜の喰ものをさがすらん賤を遠から見るべかりけり)

 

 山の奥深く、遠くの川辺に賤の姿を見るが、鵜の餌を探しているのだろうか。

 動物と関わる職業は総じて賤だった。

 

無季・「賤」は人倫。

 

五句目

 

   賤を遠から見るべかりけり

 おもふさま押合月に草臥つ    野水

 (おもふさま押合月に草臥つ賤を遠から見るべかりけり)

 

 月夜の相撲だろうか。貴賤交って相撲を取るが、やはり賤民の方が元気が良くて、草臥れることを知らない。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。

 

六句目

 

   おもふさま押合月に草臥つ

 あらことごとし長櫃の萩     落梧

 (おもふさま押合月に草臥つあらことごとし長櫃の萩)

 

 『芭蕉七部集』(中村俊定校注、一九六六、岩波文庫)の注には、

 

 「陸奥守橘為仲が任果てて帰京する時、宮城野の萩を長櫃に入れて上り、貴賤群衆こぞってこれを見物したという(無名抄)故事による。」

 

とある。コトバンクの「朝日日本歴史人物事典「橘為仲」の解説」にも、

 

 「晩年に陸奥守として赴任の際,能因の歌に敬意を表し衣装を改めて白河の関を通り,上京の折には宮城野の萩を長櫃12合に入れて運んだと伝えられるなど,風雅に執した人物として知られた。」

 

とある。

 二条大路に多くの見物人が集まったという。前句の「押合(おしあふ)」を受ける。

 

季語は「萩」で秋、植物、草類。

初裏

七句目

 

   あらことごとし長櫃の萩

 川越の歩にさされ行秋の雨    野水

 (川越の歩にさされ行秋の雨あらことごとし長櫃の萩)

 

 前句を萩の咲く河原を長櫃を運ぶ人の様に転じる。「さされ行(ゆく)」は長櫃に竿をさして運ぶ様をいう。

 

季語は「秋の雨」で秋、降物。旅体。「川越」は水辺。

 

八句目

 

   川越の歩にさされ行秋の雨

 ねぶと痛がる顔のきたなき    落梧

 (川越の歩にさされ行秋の雨ねぶと痛がる顔のきたなき)

 

 前句の「さされ行」をススキや茅などに刺されてとし、「癤(ねぶと)痛がる」とする。

 癤はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「癤」の解説」に、

 

 「疔(ちょう)ともいい、俗におでき、ねぶと、かたねなどとよばれる。毛孔から化膿(かのう)菌の黄色ブドウ球菌が感染して、毛包、脂腺(しせん)に化膿性炎症をおこしたもので、毛孔を中心として赤い地腫(じば)れを生じ、痛みが激しい。化膿が進むと中央が軟化し、破れて黄白色の膿栓を排出し、急速に痛みや腫れが引いて治る。発熱、悪寒、リンパ管炎、リンパ節炎を伴うことがある。顔に生じた癤は面疔とよばれ、口唇や瞼(まぶた)にできると腫れがひどくなり、口や目があけられなくなる。また静脈炎や髄膜炎を続発することがあったが、抗生物質療法により今日ではほとんどみられなくなった。癤が次々に多発するものを癤腫症(せつしゅしょう)という。糖尿病のときや癤の不完全な治療の場合に多い。癤の治療には安静がたいせつで、圧迫したりひっかいたりすると症状を悪化させる。抗生物質軟膏(なんこう)をはり、水道水で冷湿布するのがよい。切開は十分に化膿してから行うが、現在では早期に抗生物質を内服すると化膿が進まずに治ることが多い。[野波英一郎]」

 

とある。

 

無季。

 

九句目

 

   ねぶと痛がる顔のきたなき

 わがせこをわりなくかくす縁の下 野水

 (わがせこをわりなくかくす縁の下ねぶと痛がる顔のきたなき)

 

 「せこ」は背子で夫か男の恋人を指す恋の言葉で、根太で顔が醜いから人に見られないように縁の下に隠す。

 

無季。恋。「縁」は居所。

 

十句目

 

   わがせこをわりなくかくす縁の下

 すががき習ふ比のうきこひ    落梧

 (わがせこをわりなくかくす縁の下すががき習ふ比のうきこひ)

 

 すががき(清掻)は和琴の基礎的な奏法で、幼く未熟な女性が通ってくる男を隠している。

 

無季。恋。

 

十一句目

 

   すががき習ふ比のうきこひ

 更る夜の湯はむづかしと水飲て  野水

 (更る夜の湯はむづかしと水飲てすががき習ふ比のうきこひ)

 

 この場合の「むづかし」は面倒という意味で、夜更けにお湯を沸かすのは面倒だと水を飲む。慣れてない遊女の様としたか。

 

無季。「更る夜」は夜分。

 

十二句目

 

   更る夜の湯はむづかしと水飲て

 こそぐり起す相住の僧      落梧

 (更る夜の湯はむづかしと水飲てこそぐり起す相住の僧)

 

 恋の意味はなく、普通の男同士の気安さとする。

 

無季。釈教。「僧」は人倫。

 

十三句目

 

   こそぐり起す相住の僧

 峯の松あぢなあたりを見出たり  野水

 (峯の松あぢなあたりを見出たりこそぐり起す相住の僧)

 

 峯の松の良い景色の場所を見つけたので、一緒に住んでいる僧を起こす。

 

無季。「峯」は山類。「松」は植物、木類。

 

十四句目

 

   峯の松あぢなあたりを見出たり

 旅するうちの心奇麗さ      落梧

 (峯の松あぢなあたりを見出たり旅するうちの心奇麗さ)

 

 旅をすると心の中の俗世の塵も払われて、峯の松の景色にも心を止めたりする。

 

無季。旅体。

 

十五句目

 

   旅するうちの心奇麗さ

 煮た玉子なまのたまごも一文に  野水

 (煮た玉子なまのたまごも一文に旅するうちの心奇麗さ)

 

 煮た玉子は今日の煮卵ではなく、ゆで卵であろう。玉子は茹でても生でもだいたい同じ値段で売っている。

 

無季。

 

十六句目

 

   煮た玉子なまのたまごも一文に

 下戸は皆いく月のおぼろげ    落梧

 (煮た玉子なまのたまごも一文に下戸は皆いく月のおぼろげ)

 

 玉子は酒飲みよりも下戸に好まれたのか。

 

季語は「月のおぼろげ」で春、夜分、天象。「下戸」は人倫。

 

十七句目

 

   下戸は皆いく月のおぼろげ

 耳や歯やようても花の数ならず  野水

 (耳や歯やようても花の数ならず下戸は皆いく月のおぼろげ)

 

 朧月の花見は暗くて花はよく見えない。酒飲みは音楽や料理のことばかり気にして花を見ず、下戸がわざわざ花を見に行く。

 

季語は「花」で春、植物、木類。

 

十八句目

 

   耳や歯やようても花の数ならず

 具足めさせにけふの初午     落梧

 (耳や歯やようても花の数ならず具足めさせにけふの初午)

 

 二月の最初の午の日は稲荷神社の初午祭で初午詣でに行く。馬の祭りでもあるので馬を馬具足で飾り立てる。

 前句の「耳や歯や」はここでは馬の耳や歯で、それが立派でも具足の華やかさには勝てない。

 

季語は「初午」で春。神祇。「具足」は衣裳。

二表

十九句目

 

   具足めさせにけふの初午

 いつやらも鶯聞ぬ此おくに    落梧

 (いつやらも鶯聞ぬ此おくに具足めさせにけふの初午)

 

 毎年初午詣でに来ているので、毎年同じところで鶯を聞く。

 

季語は「鶯」で春、鳥類。

 

ニ十句目

 

   いつやらも鶯聞ぬ此おくに

 山伏住て人しかるなり      野水

 (いつやらも鶯聞ぬ此おくに山伏住て人しかるなり)

 

 鶯の声に釣られて奥の方に入って行くと、人の家に勝手に入るなと山伏に叱られる。

 

無季。「山伏」は人倫。

 

二十一句目

 

   山伏住て人しかるなり

 くはらくはらとくさびぬけたる米車 落梧

 (くはらくはらとくさびぬけたる米車山伏住て人しかるなり)

 

 米車は米搗き車のことであろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「米搗車」の解説」に、

 

 「〘名〙 玩具の一つ。小さい板の両側に車をつけ、その車の回転につれ板の上の杵(きね)が米をつくようなかっこうに動くしかけのもの。」

 

とある。

 厳つい山伏にも子供がいて、米搗き車で遊んでいるが、壊してしまったのか叱られている。

 

無季。

 

二十二句目

 

   くはらくはらとくさびぬけたる米車

 挑灯過て跡闇きくれ       野水

 (くはらくはらとくさびぬけたる米車挑灯過て跡闇きくれ)

 

 「闇き」は「くらき」であろう。

 夕暮れで家に帰る子供なのか、それとも逢魔が刻に現れる物の怪だろうか。

 

無季。「挑灯」は夜分。

 

二十三句目

 

   挑灯過て跡闇きくれ

 何事を泣けむ髪を振おほひ    落梧

 (何事を泣けむ髪を振おほひ挑灯過て跡闇きくれ)

 

 提燈を持った人は訃報を告げに来たか。

 理由をあえてぼかして「何事は」とする。次への展開を考えてのことだろう。

 

無季。

 

二十四句目

 

   何事を泣けむ髪を振おほひ

 しかじか物もいはぬつれなき   野水

 (何事を泣けむ髪を振おほひしかじか物もいはぬつれなき)

 

 何か誤解があったのか、女に泣かれてしまい口もきいてくれない。

 『芭蕉七部集』の中村注には『大和物語』百三十三段の古事によるとあるが、そこには、

 

 「おなじ帝、月のおもしろき夜、みそかに御息所たちの御曹司ども見歩かせたまひけり。御ともに公忠さぶらひけり。

 それに、ある御曹司より、こき袿ひとかさね着たる女の、いときよげなる、いで来て、いみしう泣きけり。公忠を近く召して、見せたまひければ、髪を振りおほひていみじう泣く。などてかく泣くぞと言へど、いらへもせず。帝もいみじうあやしがりたまひけり。公忠、

 

 思ふらむこゝろのうちは知らねども

     泣くを見るこそ悲しかりけれ

 

と詠めりければ、いとになくめでたまひけり。」

 

とあるだけで、やはり何で泣いていたかわからない。百三十四段がその答えなのか。

 

無季。恋。

 

二十五句目

 

   しかじか物もいはぬつれなき

 はつかしといやがる馬にかきのせて 落梧

 (はつかしといやがる馬にかきのせてしかじか物もいはぬつれなき)

 

 「はづかしといやがる」は遠慮してということか。それでも無理に馬に乗せたので、物も言わない。これも状況がよくわからない。何か古事があるのか。

 

無季。旅体。「馬」は獣類。

 

二十六句目

 

   はつかしといやがる馬にかきのせて

 かかる府中を飴ねぶり行     野水

 (はつかしといやがる馬にかきのせてかかる府中を飴ねぶり行)

 

 いい歳した大人が馬に乗って、市中を飴舐めながら行くのは恥ずかしい。

 府中という地名は国府のあったところに多いが、中世や江戸時代では今の静岡駅のある辺りの府中宿を指す場合が多い。

 

無季。旅体。

 

二十七句目

 

   かかる府中を飴ねぶり行

 雨やみて雲のちぎるる面白や   落梧

 (雨やみて雲のちぎるる面白やかかる府中を飴ねぶり行)

 

 飴と雨の縁での付けなのだろう。雨もたいしたこととないと舐めてかかる心とを掛けたか。

 

無季。「雨」は降物。「雲」は聳物。

 

二十八句目

 

   雨やみて雲のちぎるる面白や

 柳ちるかと例の莚道       野水

 (雨やみて雲のちぎるる面白や柳ちるかと例の莚道)

 

 莚道(えんだう)はコトバンクの「デジタル大辞泉「筵道」の解説」に、

 

 「天皇や貴人が徒歩で進む道筋や、神事に祭神が遷御するときの道に敷く筵むしろ。筵の上に白い絹を敷く場合もある。えどう。」

 

とある。また、ウィキペディアには、

 

 「天皇や貴人が歩く道筋や神事で祭神が遷御する通り道に敷く筵の道のことで、筵の上に白い絹を敷く場合もある。「えんどう」または「えどう」と言う。平安時代に宮中で舞が演じられる際に庭に敷かれる筵の道も筵道と呼ぶ。春日大社の式年造替で仮殿の「移殿(うつしどの)」から本殿まで祭神が通る道に敷かれるものは「清薦(きよごも)」と呼ばれ、明治以降は同大社の旧神領の農家が稲わらで作ってきた。これは神職が正遷宮前に精進潔斎のために泊まる斎館にも敷かれる。出雲大社の涼殿祭(すずみどのさい)では筵道に真菰が敷かれる。」

 

とある。ここでは神祇の句としていいのか。

 遷宮の儀式にちょうど良く雨も止み、折から柳も散って美しくもお目出度い。

 

季語は「柳ちる」で秋、植物、木類。神祇。

 

二十九句目

 

   柳ちるかと例の莚道

 軒ながく月こそさはれ五十間   野水

 (軒ながく月こそさはれ五十間柳ちるかと例の莚道)

 

 五十間は約九十メートル。「例の莚道」を吉原の五十間道の見立てとしたか。

 ウィキペディアの「見返り柳」の項に、

 

 「隅田川の堤防である日本堤から、吉原遊廓(新吉原)へ下る坂を「衣紋坂(えもんさか)」という。衣紋坂から「く」の字に曲がりくねった「五十間道(ごじゅっけんみち)」が吉原の入口の大門まで続くが、この道の入口の左手にあるのが、見返り柳である。

 宝暦7年の吉原細見『なみきのまつ』の序文では「出口の柳」と書かれており、後に「見返り柳」と呼ばれるようになったと考えられている。」

 

とある。

 不首尾で帰る男の情とする。

 

季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。「軒」は居所。

 

三十句目

 

   軒ながく月こそさはれ五十間

 寂しき秋を女夫居りけり     落梧

 (軒ながく月こそさはれ五十間寂しき秋を女夫居りけり)

 

 前句の五十間を普通の町屋の並ぶ風景として、そこに住む夫婦を付ける。「月こそさはれ」に「寂しき秋」と応じる。

 前句の「五十間」を恋の句として、あえて「女夫」を出して、恋を二句続ける。

 

季語は「秋」で秋。恋。「女夫」は人倫。

二裏

三十一句目

 

   寂しき秋を女夫居りけり

 占を上手にめさるうらやまし   野水

 (占を上手にめさるうらやまし寂しき秋を女夫居りけり)

 

 「めさる」と敬語が使われていることから、単なる占い師ではあるまい。前句を『源氏物語』の冷泉帝と秋好中宮として、澪標巻の、

 

 「宿曜に、御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべしと、勘へ申したりし」

 (星占いにも、「子供は三人。御門、后かならず両方生れて来るでしょう。三人の内の最悪でも太政大臣という最高位に着くでしょう」という予言が出てまして)

 

の占いを付けたか。この占い通りに、源の大臣の栄華は確固たるものになった。

 

無季。

 

三十二句目

 

   占を上手にめさるうらやまし

 黍もてはやすいにしへの酒    野水

 (占を上手にめさるうらやまし黍もてはやすいにしへの酒)

 

 黍の酒は、

 

 古(いにしへ)の人の食(き)こせる吉備の酒

     病めばすべなし貫簀賜(ぬきすたば)らむ

              丹生女王(「万葉集」巻四、五五四)

 

か。

 占いで政治を行うということで時代を上古として、吉備の酒がもてはやされていたとするが、そこは俳諧で、雑穀の黍の酒とする。

 

無季。

 

三十三句目

 

   黍もてはやすいにしへの酒

 朝ごとの干魚備るみづ垣に    落梧

 (朝ごとの干魚備るみづ垣に黍もてはやすいにしへの酒)

 

 黍の酒をお神酒としてお供えする神社には、毎朝魚の干物を一緒にお供えする。

 

無季。神祇。

 

三十四句目

 

   朝ごとの干魚備るみづ垣に

 誰より花を先へ見てとる     落梧

 (朝ごとの干魚備るみづ垣に誰より花を先へ見てとる)

 

 「誰より先へ花を見てとる」の倒置。毎朝神社にお供えする人は、境内に咲く花を誰よりも先に見ることになる。

 

季語は「花」で春、植物、木類。「誰」は人倫。

 

三十五句目

 

   誰より花を先へ見てとる

 春雨のくらがり峠こえすまし   野水

 (春雨のくらがり峠こえすまし誰より花を先へ見てとる)

 

 くらがり峠は奈良と大阪の間にある峠。「こえすまし」の「すまし」は今日「なりすまし」に名残をとどめる言い回しで、うまいこと越える、ということ。

 雨で薄暗い峠と「くらがり峠」を掛けて、暗がりに紛れて、誰かに見つからないように何とか越えたという意味だろう。

 『伊勢物語』二十三段「筒井筒」の河内の国高安の郡に通うために龍田山を越える男のイメージを借りて、奈良をうまいこと抜け出して浪花の花を見に行くとする。

 

季語は「春雨」で春、降物。「くらがり峠」は名所、山類。

 

挙句

 

   春雨のくらがり峠こえすまし

 ねぶりころべと雲雀鳴也     落梧

 (春雨のくらがり峠こえすましねぶりころべと雲雀鳴也)

 

 前句をくらがり峠を馬で越える人として、峠を越えると雨も止んで長閑に雲雀が囀るので、まるでそれが居眠りして落馬せよと言っているかのようだ。

 

 雲雀より空にやすら峠哉     芭蕉

 

を踏まえてのものであろう。

 

季語は「雲雀」で春、鳥類。