湯山三吟の世界

─あの『水無瀬三吟』のメンバーが再び集まった─


 水無瀬三吟の四年後の延徳三年(一四九ニ年)、再びあの三人が摂津の有馬温泉に集まった。

 延徳三年十月廿日於有馬湯一座賦何人連歌、通称「湯山(ゆのやま)三吟」。間違いなくこれは中世連歌の最高峰だ。

湯山三吟何人百韻

    延徳三年十月二十日

 

[初表]

 うす雪に木葉色こき山路哉      肖柏

   岩もとすすき冬や猶みん    宗長

 松虫にさそはれそめし宿出でて    宗祇

   さ夜ふけけりな袖の秋かぜ   肖柏

 露さむし月も光やかはるらん     宗長

   おもひもなれぬ野べの行く末  宗祇

 かたらふもはかなの友や旅の空    肖柏

   雲をしるべの峰のはるけさ   宗長

 

[初裏]

 うきはただ鳥をうらやむ花なれや   宗祇

   身をなさばやの朝夕の春    肖柏

 古郷も残らず消ゆる雪をみて     宗長

   世にこそ道はあらまほしけれ  宗祇

 何をかは苔のたもとにうらみまし   肖柏

   すめば山がつ人もたづぬな   宗長

 名もしらぬ草木の本に跡しめて    宗祇

   あはれは月に猶ぞそひ行く   肖柏

 秋の夜もかたる枕に明けやせん    宗長

   思ひの露をかけしくやしさ   宗祇

 たがならぬあだのたのみを命にて   肖柏

   さそふ伝まつ侘人ぞうき    宗長

 住みはなれ今は程さへ雲井路に    宗祇

   いりにし山よなにかさびしき  肖柏

 

[二表]

 わきて其の色やはみゆる松の風    宗長

   泉をきけばただ秋のこゑ    宗祇

 螢とぶ空に夜ふかくはしゐして    肖柏

   物思ふ玉やねんかたもなき   宗長

 枕さへしるとはするな我が心     宗祇

   涙をだにもなぐさめにせん   肖柏

 藤ごろも名残おほくもけふぬぎて   宗長

   いでんもかなし秋の山寺    宗祇

 鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れ     肖柏

   野分せし日の霧のあはれさ   宗長

 しづかなる鐘に月待つ里みへて    宗祇

   行きて心をみださんもうし   肖柏

 我ならでかよふや人もしのぶらん   宗長

   ふるき都のいにしへの道    宗祇

 

[二裏]

 咲く花もおもはざらめや春の夢    肖柏

   さくらといへば山風ぞふく   宗長

 朝露も猶のどかにてかすむ野に    宗祇

   打ちながむるもあぢきなの世や 肖柏

 更くるまで身のうき月をいみかねて  宗長

   今よりいとふながき夜のやみ  宗祇

 いさり火をみるも冷じ興津舟     肖柏

   夕の浪のあら磯のこゑ     宗長

 ほととぎすなのりそれとも誰わかん  宗祇

   かへらん旅を人よわするな   肖柏

 あかぬやと試みにすむ山里に     宗長

   ならはばしをれ嵐もぞうき   宗祇

 つれなしや野は露がれの思ひ草    肖柏

   いつかこころの松もしられし  宗長

 

[三表]

 和歌の浦や磯がくれつつまよふ身に  宗祇

   みちくるしほや人したふらん  肖柏

 捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらで  宗長

   木の下紅葉尋ぬるもなし    宗祇

 露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ   肖柏

   虫の音ほそし霜をまつころ   宗長

 ねぬ夜半の心もしらず月澄みて    宗祇

   あやにくなれやおもひたえばや 肖柏

 頼むことあれば猶うき世間に     宗長

   老いてや人は身をやすくせん  宗祇

 こえじとの矩もくるしき道にして   肖柏

   雪ふむ駒のあしびきの山    宗長

 袖さえて夜は時雨の朝戸出に     宗祇

   うらみがたしよ松風のこゑ   肖柏

 

[三裏]

 花をのみおもへばかすむ月のもと   宗長

   藤さくころのたそがれの空   宗祇

 春ぞ行く心もえやはとめざらん    肖柏

   深山にのこるうぐひすのこゑ  宗長

 うちつけの秋にさびしく霧立ちて   宗祇

   今朝や身にしむ天の川風    肖柏

 衣擣つ宿をかりふしおきわかれ    宗長

   夢は跡なき野辺の露けさ    宗祇

 影しろき月を枕のむら薄       肖柏

   いつしか人になれつつもみむ  宗長

 をちこちになりて浅間の夕煙     宗祇

   きゆとも雲をそれとしらめや  肖柏

 はかなしや西を心の柴の庵      宗長

   身のふりぬまに何おもひけん  宗祇

 

[名表]

 見るめにも耳にもすさび遠ざかり   肖柏

   冬のはやしに水こほるこゑ   宗長

 夕がらすねに行く山は雪はれて    宗祇

   いらかのうへの月の寒けさ   肖柏

  誰となく鐘に音して更くる夜に    宗長

    古人めきてうちぞしはぶく   宗祇

 よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏

    この比しげさまさる道芝    宗長

 あつき日は影よわる露の秋風に    宗祇

    衣手うすし日ぐらしのこゑ   肖柏

  色かはる山の白雲打ちなびき     宗長

    尾上の松も心みせけり     宗祇

 たのめ猶ちぎりし人を草の庵     肖柏

    うときは何かゆかしげもある  宗長

 

[名裏]

 わりなしやなこその関の前わたり   宗祇

    誰よぶこどり鳴きて過ぐらん  肖柏

 おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁    宗長

    さこそは花を跡の山ごえ    宗祇

  心をもそめにし物を桑門       肖柏

    いでばかりなるやどりともなし 宗長

  露のまをうき古郷とおもふなよ    宗祇

    一むら雨に月ぞいさよふ    肖柏

初表

湯山三吟、発句

うすゆき木葉色このはいろこき山路哉やまぢかな      肖柏せうはく

 

古註1山路やまぢのうすゆきに、落葉おちばすきてみえたる眼前がんぜん風景ふうけいにや。いろこきハ、このゆき一入ひとしほきょうをそへたる義也ぎなり奥山おくやまいはがき紅葉散もみぢちりはてて朽葉くちばうへゆきぞつもれる。是等これら風情ふぜいにて吟味ぎんみすべし。

古註2ただ山路やまぢのおもしろきていなり
古註3山路やまぢていなりうすしといふにて、落葉おちばゆきとのにほひ一入ひとしほますなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 薄雪に地面に落ちた木の葉の濃い色がのぞく山路だなあ。

 

 「この葉」は落葉のことで、薄雪の白さによって、落ち葉がまだ透けて見える、という意味の発句ほっくで、雪によって湿った紅葉の鮮やかさと、それが朽葉に変わってゆく微妙なグラデーション、それが雪とのコントラストで沈んだ色調で見える、それが集まった三人の歳を経て、なおもがんばって色を見せている姿に重なり合うように見える。
 古註1は、

 奥山おくやまのいはがき紅葉もみぢちりはてて
    朽葉くちばがうへにゆきぞつもれる
                  大江匡房おおえのまさふさ(『詞花集しいかしゅう』巻四冬)

うたこころとする。

式目分析

季題:「うす雪」;冬。「雪」は降物ふりもので、降物は可隔三句物さんくへだつべきもの(雨、露、霜、霰などとは三句隔てなくてはならない)。また、「雪」自体も一座四句物いちざよんくもので、百韻の百句中、冬の雪を三句、春雪を一句出すことができる。その他:「この葉」は植物。「山路」は山類の体。

湯山三吟、脇

    うすゆき木葉色このはいろこき山路哉やまぢかな
 いはもとすすきふゆやなほみん  宗長そうちゃう

 

古註1前句まへくによるところ、ことなることなし。只落葉ただおちばあたりに、枯残かれのこりたるすすきなるべし。あきよりこころをとめたるみるめに、ふゆなほみんといへり。いまよりハつぎてふらなむ我宿わがやどすすきをしなべふれる白雪しらゆき
古註2岩本いはもとすすきノかれたるさま見事みごとなるノ面白おもしろ様也さまなりつけたるところはウスゆきいはもとススキ、おもしろき様也さまなりなほやトハ、ゆきあきふらざる物也ものなりなほふゆ面白おもしろキトなり
古註3一句いっくは、すすきあきのものなれども、ふゆまできょうずる心也こころなりまへへよるこころは、此薄このすすきまでゆきふりかかりたるなり。古今こきんに、いまよりはつぎてふりなむ、とあるも、すすきゆきあいするなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (うすゆき木葉色このはいろこき山路哉やまぢかないはもとすすきふゆやなほみん)

 

 薄雪に地面に落ちた木の葉の濃い色がのぞく山路だなあ。大きな岩の下から生えているすすきが、冬だというのにまだ穂を見せている。

 岩はこの場合、山などの切り立った岩壁を言うのだろう。その岩の割れ目の土のあるところから、しょろしょろと痩せたススキが生えていたりするのは秋の風情。それが冬になりその薄はすでに枯れてしまっているが、雪が薄いのでうずもれることもなく、まだすっかり綿毛になった白い穂を見ることができる。そこで「冬やなほみん(猶見ん)」が生きてくる。それが、歳を経てもなおがんばるという、前句の寓意を受けている。
 また、発句の「雪に」「色濃き」に、「すすき」と韻を踏んでいることも面白い。「すすき」は「うすい」という字を書くところに縁もあり、芸が細かい。
 ゆきすすきの縁は、

 いまよりはつぎてふらなむ我宿わがやど
    すすきおしなみふれるしらゆき
                よみ人知らず(『古今集』巻6、318)

による。
 なお、脇句は体言止めでなければならないなんて規則はどこにもないということを、念のために。

式目分析

季題:「冬」;冬。その他:「薄」は植物うえものの草類で一座三句物いちざさんくもの。「応安新式」には「只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一」とある。「すすき」は一回だけ、あとは「尾花、すぐろ」などの言葉に変えなくてはいけない。草類と草類は可隔五句物ごくへだつべきもの(ただし草類と木類のような異植物は可隔三句物さんくへだつべきもの)。

湯山三吟、第三

    いはもとすすきふゆやなほみん
 松虫まつむしにさそはれそめし宿出やどいででて    宗祇そうぎ

 

古註1この第三だいさん様々さまざま申侍まうしはべり。されども、むつかしきことあるべからず。松虫まつむしにさそはれそめしハ、初秋はつあきことなり。それよりただいま冬枯ふゆがれまで、すてがたきこころあさからず。いはもとなどいふことば大事だいじなるを、松虫まつむし自然しぜん似合にあひたるをや。ただむしにては、相違さうゐすべし。一句いっくのことハリハ、さそはれそめしより、毎夕まいゆふすすみいでたることなりこれ宿出やどいで岩本薄いはもとすすきふゆなほミんと、わきへかかれる結句むすびくなりこの懐帋くわいし周防すほうくだされしとき太守政弘たいしゅまさひろわざわざ以飛脚ひきゃくをもて第三だいさんおもむき祇公ぎこう御尋之由おんたづねのよし宗長そうちゃう物語申ものがたりまうされはべり。
古註2いはもとすすきのもとに、松虫まつむしノカスカニのこリタルなり。さそはれそめしとは、あきノさそはれたりしを、いまは、むしのかれたるなり
古註3とりわきすすきにむしのえんあり。まへへよるこころは、ふゆやなをみんとあるところつくなり。しかれば、あきのはじめ、すすきがもとむし宿やどをさそはれいでて、ふゆなでみるこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (松虫まつむしにさそはれそめし宿出やどいででていはもとすすきふゆやなほみん)

 

 松虫の音に誘われるように宿を出て、大きな岩の下から生えているすすきが、冬になってもまだ見ていたいものだ。

 古註1に「宿出やどいで岩本薄いはもとすすきふゆなほミんと、わきへかかれる結句むすびくなり」とあるように、まだ初秋だが宿を出て、これから旅に出て、冬になってもなお岩もとのすすきを見よう、という意味に取り成す。
 「松虫にさそはれそめし」はまだ初秋のこと。これから冬になるまで旅でもしようかという意味だが、直接旅の言葉は入っていないので、旅体の句にはならない。
 「虫に」「そめし」と韻を受け継いでいる。

式目分析

季題:「松虫」;秋。「松虫」は虫類で一座いちざ一句いっくもの(一巻に一回しか使えない言葉)。虫類と虫類は可隔五句物ごくへだつべきもの(虫類と鳥類、獣類のような異生類は可隔三句物さんくへだつべきものその他:「宿」は一座二句物で只一句、旅に一句。この場合は只。

湯山三吟、四句目

    松虫まつむしにさそはれそめし宿出やどいででて
 さふけけりなそであきかぜ   肖柏せうはく

 

古註1夜遊やいうして、よるふけたるさままでなり
古註2まつニさそはれしふくるトつくなり
古註3一句いっくこころ夜更よるふけぬれば、かぜたつなり。さそはれそめしとあるところを、ゆふべになしてつくるなりくれよりむしなくものなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (松虫まつむしにさそはれそめし宿出やどいででてさふけけりなそであきかぜ)

 

 松虫の音に誘われるように宿を出てたが、今は夜も更けて袖に冷たい秋風が身にしみる。

 今度は「松虫にさそはれ初めし」をまだ宵のこととし、「宿を出でて」を単なる夜遊びの意味として、「さ夜更けけりな」と付ける。

式目分析

季題:「秋風」;秋。一座二句物で、「秋風」が一回、「秋の風」が一回。その他:「さ夜」は夜分。「袖」は衣装。夜分と夜分、衣装と衣装、ともに可隔五句物ごくへだつべきもの

湯山三吟、五句目

    さふけけりなそであきかぜ
 つゆさむしつきひかりやかはるらん     宗長そうちゃう

 

古註1一句いっく珍重ちんちょうなるものなりつきやどりたるつゆの、そぞろさむきさふけがた、あらぬひかりのみえたるなり
古註2さむキゆへニ、つきひかりましたるなり
古註3ふけぬれば、つゆもさむく、つきのひかりのあざやかになるものなり。それにて、ふけたると合点がてんするこころなり。このかはるは、あざやかになるこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆさむしつきひかりやかはるらんさふけけりなそであきかぜ)

 

 折から露も降りて肌寒く月の光も変わったのだろうか、今は夜も更けて袖に冷たい秋風が身にしみる。

 夜更けになれば寒くなるために、月の光もいつもより鮮やかに冴えているのだろうかと付く。上句下句合わせて読み下すと、

 露さむし月の光やかはるらんさよ更けけりな袖の秋風

となる。月の光が変わったのだろうかと言って、何があったのかと思わせて、夜が更けたからだと納得させる、いわゆる「心付け」。
 なお、この頃にはまだ定座の意識はないし、月のない秋を嫌うこともない。名残表に月のない秋三句がある。

式目分析

季題:つゆ」;あき降物ふりもの。「つき」;あき夜分やぶん光物ひかりものつきつき可隔七句物ななくへだつべきもの

湯山三吟、六句目

    つゆさむしつきひかりやかはるらん
 おもひもなれぬべのすゑ  宗祇そうぎ

 

古註1旅行りょかうそらにハ、つきひかりもかハるよしなり
古註2たびねノ様ナルベシ。
古註3一句いっく旅行りょかうていなり。おもひもなれぬべをゆけば、とあるところにあたりて、つきひかりのかはりて、みしにもあらぬこころなり。旅行りょかうの悲しきこころから、かはるといふこころか。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つゆさむしつきひかりやかはるらんおもひもなれぬべのすゑ

 

 折から露も降りて肌寒く月の光も変わったのだろうか、ものを思うことにも慣れていないこの野辺の向こうの行き先に。

 前句の光の変わる原因を、慣れない旅のせいだとする。「露」には涙の暗示もある。

式目分析

季題:なし。その他:羇旅きりょ

湯山三吟、七句目

    おもひもなれぬべのすゑ
 かたらふもはかなのともたびそら    肖柏せうはく

 

古註1おもひもなれぬハ、ともことなり。あからさまなるとものはかなきなるべし。
古註2たびのともは、ところどころにてかはるよしなり
古註3前句まへくおもひもなれぬべとあるを、まだひとおもひもなれぬかたにつくる旅行りょかうていもっともなるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (かたらふもはかなのともたびそらおもひもなれぬべのすゑ

 

 旅の空では語り合い友となるのもつかの間のことだろうか、まだ思いも打ち解けぬままこの野辺の向こうの行き先に。

 「思ひもなれぬ」を慣れてない旅の意味にではなく、友と慣れ親しむこともないままという意味に取り成す。
 旅の空に語らうもはかなの友や。野辺の行く末に思いも慣れぬ、の倒置。

式目分析

季題:なし。その他:羇旅きりょ。「とも」は人倫じんりん。「たび」は一座二句物いちざにくもの。(「応安新式」にただ一、旅衣など云一とあり、この句の場合はただ。)「そら」は新式今案では一座四句物いちざよんくもの

湯山三吟、八句目

    かたらふもはかなのともたびそら
 くもをしるべのみねのはるけさ   宗長そうちゃう

 

古註1くもともとするなり
古註2くもともとして、かたらふとつくなり
古註3このつけやう、かたらひものに、くもをつけなせり。たびのならひは、かようのものまで、たよりにするなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (かたらふもはかなのともたびそらくもをしるべのみねのはるけさ)

 

 旅の空では語り合う友となってもすぐ消えてゆく、雲を道しるべにしていても峰は遥かに遠い。

 前句の「友」を人間ではなく、「旅の空」という慣用的な言い回しに掛けて、「雲」を友にと展開する。雲を友として山に向かうが、雲はやがてはかなくちぎれて消えてゆき、峰だけが遥か遠くに残っている。

式目分析

季題:なし。その他:羇旅きりょたびは三句まで可。「くも」は聳物そびきもの。「峰」は山類。

初裏

湯山三吟、九句目

    くもをしるべのみねのはるけさ
 うきはただとりをうらやむはななれや   宗祇そうぎ

 

古註1この一句いっくこころハ、とりをうらやむはなとハ、めぢとほこずゑなるべし。このはなおもひうかれて、うきハただといへり。よるところきこえたり。
古註2とりヲうらやみ、かすみヲあはれぶ、といふ古今こきんじょこころなりとりハ、ここかしこノはなるベキトなり
古註3このうきたぐひ、まことのかなしきにはあらず。たとへば、遠嶺とほきみねはなくもに、とりはやすくゆくなり。そのごとく、わがかなはぬはうきとなり古今こきんのかなじょに、とりをうらやみ、かすみをあはれむ、などことばのえんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (うきはただとりをうらやむはななれやくもをしるべのみねのはるけさ)

 

 物憂いのは花を見ようと鳥をうらやむことだろうか、雲を道しるべにしていたものの峰はもっと遥か彼方だった。

 「雲をしるべの」を花の雲として、それがはるかな高嶺の花で見に行くこともできないことを「憂き」とする。鳥になれば飛んでいけるのにと、鳥をうらやむ。

 憂きはただ鳥をうらやむ花なれや雲をしるべの峰のはるけさ

これだと少しわかりづらいが、

 憂きは雲をしるべの峰のはるけき花なれや、ただ鳥をうらやむ

と並べ替えればわかりやすい。宗祇法師は時々こういうわかりにくい倒置を用いる。
 「鳥をうらやむ」は「古今集」仮名序の

 「かくてぞ、花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心言葉おほく、様々になりにける」

をふまえたもの。
 昔は誰もが気軽に旅をすることはできないし、旅は逆に左遷や流刑などの悲しいものだったりもする。土地に縛られ、生活の重みを背負った人間にとって、洋の東西を問わず、鳥はしばしば自由の象徴になる。

式目分析

季題:はな」;はる。植物(木類)。「応安新式」では一座三句物で似せ物のはなを加えて懐紙を変えて四句(各懐紙の表裏を合わせて一句いっく)とする。「新式今案」では一座四句物いちざよんくものその他:とり」は鳥類。「新式今案」では一座四句物いちざよんくものはるとりは一回。

湯山三吟、十句目

    うきはただとりをうらやむはななれや
 をなさばやの朝夕あさゆふはる    肖柏せうはく

 

古註1これハ、また朝夕あさゆふはなにむつるるとり我身わがみになさばやとなり。されどもなしえぬこころ、うきハただといへり。一句いっくは、はるをなさばやとねがひたるなり
古註2一句いっくは、はるはおもしろきものなれば、はるヲなしたきこころなりつくこころハ、とりヲなしたきといふなり
古註3一句いっくはるをなさばやなり。しからば、とをきはなをみむなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (うきはただとりをうらやむはななれやをなさばやの朝夕あさゆふはる

 

 物憂いのは花を見ようと鳥をうらやむことだろうか、そんな身になってみたい春の朝夕。

 これも倒置で、「朝夕の春に身をなさばや」の意味。朝夕花をめでてすごす身分になりたいものだが、現実にはそうも行かない。鳥がうらやましい。

式目分析

季題:はる」;はるその他:」は人倫。人倫と人倫は打越を嫌うのみ。「夕」は一座二句物。

湯山三吟、十一句目

    をなさばやの朝夕あさゆふはる
 古郷ふるさとのこらずゆるゆきをみて     宗長そうちゃう

 

古註1此付様このつけやうきえやすきゆきをなさばや、と云義いふぎみな意得侍こころえはべり。作者さくしゃ本意ほいハさにハあらず。たとヘバ、ゆき古郷ふるさとはるのいたらぬはうなり。されども時節じせつありて、ゆきのこりなくなれるころまですめひとこころ、さびしくかなしく、ふりとぢられしならハしに、いまだはるヲなしはてざる、こころ深甚しんじんなるものなり
古註2キユルゆきテ、われゆきノごとくきえばやとなり
古註3ゆきのきゆるをて、ふるさとにすみわびたるひとの、わがゆきのごとくきえばや、と述懐しゅっかいするこころ前句まへくきょうずるかたなり付所つけどころ述懐しゅっかいなりふるさとのこころも、さもあるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (古郷ふるさとのこらずゆるゆきをみてをなさばやの朝夕あさゆふはる

 

 古里の雪が跡形もなく消えてゆくように、そんな身になってみたい春の朝夕。

 雪に埋もれた山奥の古里にも、遅い春が来て雪がすっかり消えてゆくように、この私もいつまでも悲しみにくれているのではなく、春らしい心に身をなさねば、と自分自身を励ます。

式目分析

季題:ゆるゆき」;はる降物ふりもの。「ゆき」は一座四句物いちざよんくもの。「応安新式」には(三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也)とあり、この場合は春雪。その他:古郷ふるさと」は居所。一座二句物いちざにくもので只一、名所引合一。この場合は只。

湯山三吟、十二句目

    古郷ふるさとのこらずゆるゆきをみて
 にこそみちはあらまほしけれ  宗祇そうぎ

 

古註1はるいたりて、雪中せっちゅうみちあらはれたるやうに、をもなさまほしきなり。下のこころハ、ときにあはずして、古郷ふるさと籠居ろうきょしたるひとおもこころにや。
古註2こころハ、ゆきノキヘテみちノみゆるなり古郷ふるさとみちナレバ、それよりモみちノあれかしとなり
古註3一句いっくは、政道せいだうことか。まへへよるこころは、ふるさとはみちありともとふひとはあらじ。ゆきはみちをうづむものなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (古郷ふるさとのこらずゆるゆきをみてにこそみちはあらまほしけれ)

 

 古里の雪が跡形もなく消えてゆくように、世の中にこそ道があってほしいものだ。

 雪が消えれば、そこに埋もれていた道が現れる。それと同じようにこの世の道も現れてほしい。「水無瀬三吟」の、

    鳴く虫の心ともなく草枯れて
 垣根をとへばあらはなる道    肖柏

の句を髣髴させる。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「」は一座五句物。只一、浮世世中の間に一、恋世一、前世後世などに一とあり、この場合は只の

湯山三吟、十三句目

    にこそみちはあらまほしけれ
 なにをかはこけのたもとにうらみまし   肖柏せうはく

 

古註1こけたもろハ、すてたるひとなり此身躰このしんたいにて、のよしあしハ沙汰さたにをよバず。惣別そうべつのためあらまほしきみちとぞ。
古註2なににても、こけのたもとノうへハのぞみなし。みちノあれかしとつくなり
古註3一句いっくは、をすててこけたもとなりては、なんのうらみもなきなりまへへよるこころは、諸道しょだうのぞみあるときはあるものなり。其叶そのかなはぬうらみも、いまはなにかあらんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (なにをかはこけのたもとにうらみましにこそみちはあらまほしけれ)

 

 苔のたもとにあって一体何を恨むだろうか、世の中にこそ道があってほしいものだ。

 「何をか」は反語で、隠遁生活を送る苔のたもとに、いったい何を恨むことがあるだろうか、私に道などは必要ない、ただ道は世俗の人々にこそあるべきだ、となる。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「こけのたもと」は衣装。「うらみ」は一座二句物。「うらむ」など言い方を変えてもう一句可となる。

湯山三吟、十四句目

    なにをかはこけのたもとにうらみまし
 すめばやまがつひともたづぬな   宗長そうちゃう

 

古註1ひとたづねぬをうらむべき山居さんきょにあらずとなりやまがつハ、ひとたづもの落居らくきょして、すめバやまがつぞとなり
古註2やまがツとヲなさば、たづぬなとなり
古註3すめばやまがつといふより、はじめてすむひとなり。いまはたづねずとも、うらみじなり。捨身しゃしんのほんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (なにをかはこけのたもとにうらみましすめばやまがつひともたづぬな)

 

 苔のたもとにあって一体何を恨むだろうか、棲めば山がつなので尋ねてこないでほしい。

 隠遁者の苔のたもとの境遇にあって、恨むことがないのを、山奥に住み慣れて「山がつ」のようになったからだとする。
 「山がつ」は山に住む主に林業を営む人たちを言い、身分の低いものというニュアンスで用いられることが多いが、一方では「山人」つまり「仙」の意味で用いられることもある。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「山がつ」は人倫。「ひと」は人倫。

湯山三吟、十五句目

    すめばやまがつひともたづぬな
 もしらぬ草木くさきもとあとしめて    宗祇そうぎ

 

古註1此句このく世上せじゃうにハ、木草きくさをもたづぬなといふやうに申侍まうしはべり。一向別いっかうべつことなり一句いっくなし。まへによるところハ、もしらぬやまがつのごとくになりたるを、むかしなにがしたれがし殿どのにてましますらん、などたづねられことをいとふよしなり。さてもしらぬ草木くさきをよせたるなるべし。行様ゆきやう寄妙きみょうなるにや。
古註2深山みやま草木くさきは、モしらぬものなりなん草木くさきトモ、ひとたづぬなとなり
古註3このつけやうことに面白おもしろきなりたづぬなといふに、今度こんど大事だいじなるを、草木くさきをたづぬなとなりすめやまがつとこをなれ、いまだ草木くさきもしらぬなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (もしらぬ草木くさきもとあとしめてすめばやまがつひともたづぬな)

 

 名も知らぬ草木のもとに暮しているのだから、棲めば山がつ、名前を尋ねないでほしい。

 前句の「たづぬな」を尋ねて来るなという意味ではなく、名を尋ねるなの意味に取り成す。
 名もなき草木の下で暮らしているのだから、もはや私は都にいた頃のあの有名な何某ではない。どうか私の名を尋ねないでくれという意味になる。(古註1による。)
 古註2、3によるなら、住めば山賤やまがつではあるけれど、本物の山賤やまがつなら草木には詳しいはずで、にわかの山賤やまがつにすぎないから、どうか草木の名前など質問しないでくれ、という意味になる。奇抜な解釈ではあるが、古典こてんの情ではなく、むしろ俳諧はいかいになる。

式目分析

季題:なし。その他:「草木」は植物。「あとしめて」は居を構えという意味だが、居所を逃れる言い回し。

湯山三吟、十六句目

    もしらぬ草木くさきもとあとしめて
 あはれはつきなほぞそひく   肖柏せうはく

 

古註1名月めいげつはうにハあらざるべし。ただ深山みやまのかげは、みしつきよりもあはれなるなり三句さんくむつかしくきて、やうもなき下句しもく向後きゃうごのためなり
古註2一句いっくハ、みやこにてつきをあはれとおもひしはかずにもあらぬすまひなりけり、といふ西行さいぎゃううたなりつくこのこころなり
古註3一句いっくは、つきのおもしきかなをますなりまへへよるこころは、なれぬ草木くさきかげにてつきをみれば、なほ面白おもしろきなり。このあはれ面白おもしろきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (もしらぬ草木くさきもとあとしめてあはれはつきなほぞそひく)

 

 名も知らぬ草木のもとに暮しているのだが、名月のあわれはなおも付き添ってゆく。

 「名」から「名月」の連想か。名も知らぬ草木の下に暮らさねばならぬこととなって、都で見た名月も哀れだが、今はなおさらそれが哀れに思える。
 都での華やかな生活も、見掛けほどきれいなものではなく、そこには当然どろどろとした権力闘争がある。それも悲しいが、敗れ去り、都を追われた今はもっと悲しい。
 古註2は、

 都にて月をあはれとおもひしは
    かずにもあらぬすまひなりけり
                   西行法師

の歌の心とする。

式目分析

季題:つき」;あき。夜分。光物。

湯山三吟、十七句目

    あはれはつきなほぞそひ
 あきもかたるまくらけやせん    宗長そうちゃう

 

古註1たまさかにあふのむつごと、あはれあけぬべし。名残なごりおもふよしなり
古註2ながも、かたらふニあけやせんとなり
古註3あきといふにて、ながこころあるか。それかたればはやくあくなりまへつくこころは、かたれあはれなることそひゆくなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あきもかたるまくらけやせんあはれはつきなほぞそひく)

 

 秋の長い夜も枕元で語り交わすうちに明けてゆくのだろうか、あわれは月にもなお時が流れてゆくことだ。

 「そふ」には「付け加わる」「いっそうそうなる」という意味の他に、「時がたつ」という意味もある。
 秋の長い夜も、恋人と仲睦まじく語り合ううちにあっという間に明けてしまうのだろうか、あわれにも月を見ているうちに、時はすぎてゆく、となる。

式目分析

季題:あき」;あき。夜分。その他:こい。「枕」;夜分。

湯山三吟、十八句目

    あきもかたるまくらけやせん
 おもひのつゆをかけしくやしさ   宗祇そうぎ

 

古註1おもひをかけそめて、あふあけがた、今更いまさらくやしとなり。
古註2つきテ、かたるさまナルベシ。
古註3一句いっく、おもひをかけしがくやしきなり。前句まへくつくこころは、かたりもてゆけば、あはれまさるなりそのくやしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あきもかたるまくらけやせんおもひのつゆをかけしくやしさ)

 

 秋の長い夜も言い争っているうちに明けてゆくのだろうか、こんな人を思い露の涙を流すくやしさ。

 前句の「語る」を仲睦まじい語らいではなく、口論のようなものと取り成したか。いくら話し合っても平行線で、こんな男に恋し、涙を流す自分が悔しい、となる。

式目分析

季題:つゆ」;あき降物ふりものその他:こい

湯山三吟、十九句目

    おもひのつゆをかけしくやしさ
 たがならぬあだのたのみをいのちにて   肖柏せうはく

 

古註1たがならぬハ、ひとのたのめぬちぎりを、わがこころに、さりともさりともとかかりきて、くやしきよしなりつゆをかけしハ、いのちえんなり
古註2たれならぬとは、ことなり。あだノことヲいのちニシテ、おもヒかくるトつくるなり
古註3一句いっくは、たれともしらぬひとちぎりをかけしなり。くやしさは、さやうのひとちぎりをかけて、おぼつかなさをくやしきとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たがならぬあだのたのみをいのちにておもひのつゆをかけしくやしさ)

 

 だれとも知れぬ無駄な頼みを命と信じて、こんな人を思い露の涙を流すくやしさ。

 どこの誰とも知らない人のいい加減なプロポーズを真に受けて、「思の露をかけし悔しさ」と転じる。

式目分析

季題:なし。その他:こい。「誰」は人倫。「いのち」は一座二句物(只一、虫の命などに一)、この場合は只。

湯山三吟、二十句目

    たがならぬあだのたのみをいのちにて
 さそふつてまつ侘人わびびとぞうき    宗長そうちゃう

 

古註1さそはれたきなり。さそふつてハ、たれともさだまらぬなり。はかなきたのミをいのちになして、待侘まちわびたるさまにや。をうきくさにつみしらるる、あはれあさからず。わびぬればをうきくさのねをたえてさそふみずあらばいなんとぞおもふ。
古註2わびぬればをうきくさのねをたえてさそふみずあらばいなんとぞおもふ、と云哥いふうたなり何方いづかたへもひとノさそへかしトいふこころなりわびびととは、ことなり
古註3わびびとうへなれば、いづかたへもさそふつてまつをうきなり。さやうのときは、たがならぬちぎりまでも、しらぬたのみをなすなりいのちにてとは、たのむこころなり古哥こかに、わびぬればをうきくさをたえてさそふみずあらばいなむとぞおもふ、のこころか。世上せじゃうにかやうのことおほし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (たがならぬあだのたのみをいのちにてさそふつてまつ侘人わびびとぞうき)

 

 だれとも知れぬ無駄な頼みを命と信じて、誘いの声を待っている侘び人は悲しい。

 前句の「たのみ」をプロポーズのことではなく、仕事のオファーのことと取り成す。「侘び人」は落ちぶれた人、乞食やプータローのことも言う。
 古註はいずれも、

   文屋ふんやのやすひでが三河みかはぞうになりて
   「あがたみにはえいでたたじや」と、
   いひやれりける返事へんじによめる

 わびぬればをうきくさのねをたえて
    さそふみずあらばいなんとぞおも
                   小野小町をののこまち(『古今集』巻18、938)

の歌を引用している。
 じょうは「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」という四等官制しとうかんせいのうちの三等官にあたる。国司もまたかみすけじょうさかんに分かれていた。六歌仙の一人、文屋康秀ふんやのやすひで三河国みかわのくにじょうに左遷された時、「田舎見物に出かけないか」と小野小町を誘った時の返事が、このうただった。
 快い返事も、文屋康秀ふんやのやすひでに気があるというよりは、都に愛想が尽きたというニュアンスが強く、藤原氏の勢力が強まる中で劣勢に立たされた六歌仙の悲哀が感じられる。古今集自体が不遇な生涯を終えた六歌仙へのレクイエムだったのかもしれない。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。述懐と述懐は可隔五句物ごくへだつべきもの。「侘人わびびと」は人倫。

湯山三吟、二十一句目

    さそふつてまつ侘人わびびとぞうき
 みはなれいまほどさへ雲井路くもゐぢに    宗祇そうぎ

 

古註1みやこすみはなれたるなり雲井路くもゐぢみやこなり此遠堺このとほきさかひより、みやこへさそふつてまつよしなり足引あしびきのこなたかなたにみちハあれどみやこへいざといふひとはなし。都人みやこびといかにととハバやまたかミはれ雲井くもゐわぶとこたへよ。こころことば相応さうおう両首りゃうしゅなり
古註2雲井くもゐぢトハ、みやこことなりすみはなれて、雲井くもゐぢはるかなることニ、一句いっくヲとりなしたるなり
古註3今度こんどは、又遥またはるかのひなのすまゐなどにありて、雲井くもゐみやこおもふこころなり。さそふひとあらば、みやこへのぼりたきのこころなり。ほど雲井くもゐとは、いかにもとをきをいふなり。まへ侘人わびびとは、みやこきたきわびびとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (みはなれいまほどさへ雲井路くもゐぢにさそふつてまつ侘人わびびとぞうき)

 

 住み慣れた都を離れ、今はその距離さえ雲をつかむような雲居への道だというのに、誘いの声を待っている侘び人は悲しい。

 「すみはなれ」は住み慣れた都を離れという意味。「ほど(程)」は距離のこと。「雲居」には雲の意味と皇居(雲上人の住むところ)の意味があり、その二つの意味に掛けて、今では雲のように果てしない都への路となってしまったという意味になる。
 この場合の「侘び人」は、権力闘争に敗れて左遷された大宮人のことで、再び都に戻れるつてを待っている。
 古註1は、

   やま
 あしひきのこなたかなたにみちはあれど
    みやこへいざといふひとぞなき
             菅贈太政大臣かんぞうだじゃうだいじん(『新古今』巻18、1688)
   甲斐かひかみはべりけるとき
   みやこへまかりのぼりけるひとにつかはしける

 みやこびといかがとはばやまたか
    はれぬ雲居くもゐにわぶとこたへよ
             小野貞樹をののさだき(『古今集』巻18、937)

うたを引用している。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「雲」はこの場合はみやこを意味する「雲居」のことなので、聳物そびきものにはならない。また、「みやこ」、「雲居」は非居所。

湯山三吟、二十二句目

    みはなれいまほどさへ雲井路くもゐぢ
 いりにしやまよなにかさびしき  肖柏せうはく

 

古註1いとはしきところすみはなれ、なにかさびしきぞと、こころをいさめたるなり
古註2みやこヲすみはなれテ、やまいるつくなり
古註3まへすみはなれを、をすみはなれて、やまいりにしは、はるかになりにければ、なにかさびしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (みはなれいまほどさへ雲井路くもゐぢにいりにしやまよなにかさびしき)

 

 住み慣れた都を離れ、今はその距離さえ雲をつかむような雲居への道となり、入った山が何で寂しいことがあろうか。

 前句を、都に嫌気がさして出家した僧のこととする。「何かさびしき」、つまり、何で寂しいことがあるかと自分を励ますが、そう励まさなくてはならないのは、寂しいからだ。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「山」は山類。

二表

湯山三吟、二十三句目

    いりにしやまよなにかさびしき
 わきていろやはみゆるまつかぜ    宗長そうちゃう

 

古註1松風まつかぜにさびしきいろハみえぬを、なにかと、とぢめたるなり。さびしさハそのいろとしもなかりけりまきたつやまあき夕暮ゆふぐれ
古註2さびしさはそのいろとしもなかりけり真木まきたつやまあきのゆふぐれのうたこころなり
古註3まへは、なにかさびしきは、なにごとにかさびしからん、不楽さびしくもなきとあるを、今度こんど松風まつかぜとなれば、さびしきはなにたるゆへに、かくさびしきとまつにさびしきいろはみへねどもなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (わきていろやはみゆるまつかぜいりにしやまよなにかさびしき)

 

 特にその色が見えるわけではない松の風、入った山は何か寂しい。

 前句の「何かさびしき」を反語ではなく、「なんだか寂しい」の意味に取り成す。
 松風は目に見えないのだが、何となく寂しい。

 さびしさはそのいろとしもなかりけり
    真木まきたつやまあきのゆふぐれ
                     寂蓮法師じゃくれんほうし

を本歌として付けている。

式目分析

季題:なし。その他:「松の風」は一座二句物。松風が一、松の風が一で、今回は松の風。

湯山三吟、二十四句目

    わきていろやはみゆるまつかぜ
 いづみをきけばただあきのこゑ    宗祇そうぎ

 

古註1泉声、松風まつかぜいろハなくて、さながらあきぞとなりすずしきこころなり。
古註2冷々ひえびえとして、すずしキことなりまつニハいろハ見えねども、いづみハただあきこゑなり飛泉転吟ひせんにうたひぎんずるいふこころなり
古註3これは、前句まへくこころひとつなり。まつかぜもいづみも、すずしさはただあきうへにて、いづれもあきのごとくなり。わきてそのあきいろは見へねど、さながらあきなりとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (わきていろやはみゆるまつかぜいづみをきけばただあきのこゑ)

 

 湧いても、特にその色が見えるわけではない松の風や、泉を聞けばただ秋の声がする。

 前句の「わきて」を「とりわけ」という意味と「湧く」という意味に掛けての展開。松の風も色は見えないが泉もまた無色透明の水をたたえるが、ともに涼しげで、まるで秋の声を聞くかのようだ、と付く。

 あききぬとにはさやかにえねども
    かぜおとにぞおどろかれぬる
                      藤原敏行ふぢはらのとしゆき

の歌を本歌とする。
 しかし、これは秋の句ではない。松の風が秋を感じさせるように、泉の涼しげな音を聞けば、まるで秋のようだという、夏の句になる。
 泉の音を「声」とする例は、『和漢朗詠集』に見られる。

 望山幽月猶蔵影 聴砌飛泉転倍声
 やまのぞめば幽月ゆうげつなほかげかくせり、
 みぎりけば飛泉ひせんうたゝこゑす、
        法輪寺口号 菅原文時すがはらのふみとき

 なお、連歌では77の下句の末尾の7文字を43で切ったり25で切ることを嫌う。43に関しては、古今集以降の和歌から来た習慣で、江戸時代の俳諧でも天和の破調を別にすれば、かなり厳密に守られている。万葉の時代には特にこの規則はなかったようで、「旅行く我を」だとか「妹とは呼ばじ」「手折りて行かむ」などの例がある。近代短歌も万葉に倣って、特に43の禁はない。
 25については、万葉にも「我恋めやも」「たづ鳴き渡る」などの例があるが、それ以後でも有名な、

 ひとすまぬふはの関屋せきやのいたびさし
    あれにしあとはただあきかぜ
                      藤原良経ふぢはらのよしつね

のような例があり、あまり厳密に守られてはいない。この「湯山三吟」でも、

 みちくるしほやひとしたふらん  肖柏せうはく
 いてやひとをやすくせん  宗祇そうぎ
 のふりぬまになにおもひけん  宗祇そうぎ

などの25の句がある。

式目分析

季題:いづみ」;なつ。水辺。その他:「秋の声」は涼しくてさながら秋の声のようだという意味で用いられていて、意味的に秋ではないので、秋の季語きごとはしない。このあたりが古典こてんの時代の実質季語きごと、今日の形式季語きごとの違いといえよう。

湯山三吟、二十五句目

    いづみをきけばただあきのこゑ
 ほたるとぶそらふかくはしゐして    肖柏せうはく

 

古註1源氏げんじ中川なかがは宿やどやうにや。螢火乱飛けいくゎみだれとんで秋已近あきすでにちかしのよせもあるべし。
古註2ほたるとぶ、はしゐしてすずみたるなり
古註3はしゐのたいなり。にはなどのいづみをきくこころ(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ほたるとぶそらふかくはしゐしていづみをきけばただあきのこゑ)

 

 螢の飛ぶ空に夜更けまで縁先に座って、泉を聞けばただ秋の声がする。

 「源氏物語」帚木の、

 「にはかにとわぶれど、人も聞き入れず。寝殿の東面払ひあけさせて、かりそめの御しつらひしたり。水の心ばへなど、さる方にをかしくしなしたり。田舎家だつ柴垣して、前栽など心とめて植ゑたり。風涼しくて、そこはかとなき虫の声々聞こえ、螢しげく飛びまがひて、をかしきほどなり。人びと、渡殿より出でたる泉にのぞきゐて、酒呑む。」

を踏まえた埋み句。
 光源氏が方違えのため、今の京都御所の東、紫式部が暮らしたという廬山寺もある中川の渡りの紀伊守邸へ行き、その縁側で涼みながら泉の音に耳を傾け、飛び交う螢、すでに鳴き始めた秋の虫の声などを聞く。物語では、ここから空蝉の寝所に忍び込むことになる。今でいえばレイプなのだが‥。それに脱ぎ捨てられた下着の匂いを嗅いだりして、けっこうトホホな光源氏が描かれている。乱れ飛ぶ螢はその不吉な前兆でもあったのだろう。
 源氏に結び付けなくても、『和漢朗詠集』に、

 螢火乱飛秋已近 辰星早没夜初長
 蛍火けいくわみだびてあきすでちかし、
 辰星しんせいはやかくれてよるはじめてながし、
           夜座 元稹げんしん

とある。

式目分析

季題:ほたる」;なつ。虫類。夜分。その他:ぶかく」;夜分。「空」は「新式今案」では一座四句物いちざよんくもので、7句目に次いでこれが二回目。

湯山三吟、二十六句目

    ほたるとぶそらふかくはしゐして
 物思ものおもたまやねんかたもなき   宗長そうちゃう

 

古註1ものおもころ、よふかく端居はしゐして、おもへるこころなりほたる我魂わがたましたるなりものおもへバさハのほたるも我身わがみよりあこがれいづたまかとぞミる。
古註2ものおもひゆへニ、わがたましゐノまよひありくといふなりつくこころハ、ほたるノごとく我玉わがたまのまよふトいふことなり
古註3ものおもふなどは、いねがてにして、はしゐなどするものなり。まえへよるこころは、ほたるたましゐによみなせっるうたあり。たましゐがいでゆくなりものおもへばさはほたるもわがよりあくがれいづるたまかとぞみる。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ほたるとぶそらふかくはしゐして物思ものおもたまやねんかたもなき)

 

 螢の飛ぶ空に夜更けまで縁先に座って、物を思う魂は寝るところもない。

 本歌や本説の句は、同じ歌や物語の趣向が三句にまたがってはいけない。つまり、ここでは源氏を離れなければならない。こういうとき、別の歌や物語の縁で逃れることが多い。この場合は、

   をとこわすられて、はべりけるころ
   貴船きぶねにまゐりて、みたらしがは
   ほたるのとびはべりけるをめる

 物思ものおもへばさはほたるもわがより
    あくがれいづるたまかとぞみる
                     和泉式部いづみしきぶ『後拾遺集』

乱れ飛ぶ螢を自らの生霊にたとえ、苦しい恋を詠んだ歌だ。
 乱れ飛ぶ螢を見ていると、それがあたかも自分の生霊を見るようで、とても眠れやしない、そのために夜更けに端居している、と付く。

式目分析

季題:なし。その他:こい。「ねんかた」;夜分。

湯山三吟、二十七句目

    物思ものおもたまやねんかたもなき
 まくらさへしるとはするなこころ     宗祇そうぎ

 

古註1まくらがおもひをしると、おほくよめり。まくらがしるとおもはば、物思ものおもたまのねどころハあるまじけれバ、しるといふことを、わがこころしるなとなり。
古註2一句いっくは、しるといへバまくらだにせで、といふうたなり。まくらハしるとも、わがこころまくらノしるとなおもヒソ。そのゆへハ、わがこころノしるゆへ、たまハうかれてゆくなり。まくらニわがたまきへてしんすなどいへり。
古註3一句いっくは、まくらこひしるといふことよりつけなせり。まくらさへしるおもへば、ねんかたもなきほどに、ただまくらこひをしるとなおもひそとなり。わがこころをわれといひのぶるなりまくらこひをしるといふことあまたなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (まくらさへしるとはするなこころ物思ものおもたまやねんかたもなき)

 

 枕までが知っていると思うな我が心、物を思う魂は寝るところもない。

 「寝ん方もなし」を魂に限らず、単純に寝る場所がないという方向に持ってゆき、その理由を考えたのだろう。それは、我が恋を枕に知られてしまうからで、そんなことは考えるな、と付ける。「枕さへ知る」と知れば寝る場所がなくなってしまうからだ。

式目分析

季題:なし。その他:こい。「枕」;夜分。「我が」;人倫。

湯山三吟、二十八句目

    まくらさへしるとはするなこころ
 なみだをだにもなぐさめにせん   肖柏せうはく

 

古註1まくらがなみだしるおもハバ、おもふままにこぼしかぬべきのよしなり
古註2つくこころハ、まくらノしると、こころおもはずは、なみだヲなぐさみにせんトなり
古註3なみだは、まくらにかかるものなり一句いっくこころハ、なみだまくらおつなりそれをなぐさむといふは、あまりのせつなるときこころなり。まくらしるは、なみだをとしかねたるこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (まくらさへしるとはするなこころなみだをだにもなぐさめにせん)

 

 枕までが知っていると思うな我が心、涙だけでも慰めにしよう。

 苦しい思いを枕が知っているというのは、枕に涙が染み込むからで、そう思うと泣くこともできなくなる。でも悲しいときは泣いたほうがいい。金八先生だってそう歌っている。

 ♪悲しみこらえて微笑むよりも
  涙かれるまで 泣くほうがいい
  人は悲しみが 多いほど
  人には優しく できるのだから
                  海援隊『贈る言葉』より

式目分析

季題:なし。その他:こい

湯山三吟、二十九句目

    なみだをだにもなぐさめにせん
 ふぢごろも名残なごりおほくもけふぬぎて   宗長そうちゃう

 

古註1ふぢごろもハ、なきひと形見かたみながら、かぎりあれば、けふぬぎはべるなりなみだをだにもとおもへり。かぎりあればけふぬぎすて藤衣ふぢごろもはてなきものなみだなりけり。きみこふるなみだはきハもなきものをけふをバなんのはてとしいふらん、是等これらのよせなるべし。
古註2つゆをだにいまはかたみの藤衣ふぢごろもあだにもそでをふくあらしかなうたヲとれり。名残なごりおほくもけふぬぎて、なみだを形見かたみニなさんといふこころなり
古註3この一句いっく哀傷あいしゃうなり藤衣ふぢごろもとはいろころもなり忌事過いみごとすぎぬれば、ぬぎすつるなり。しかれば、なみだなりとも余波なごりにせんとなり。古哥こかに、かぎりあればけふぬぎすてつふぢごろもはてなきものなみだなりけり。かぎりとは、いみのかぎりあるをいふなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ふぢごろも名残なごりおほくもけふぬぎてなみだをだにもなぐさめにせん)

 

 藤の喪服も名残惜しいが今日脱いで、あとは涙だけで慰めにしよう。

 藤衣ふじごろもに服するときに着る服。というのは、古くは死者の魂を呼び寄せ、再生を願う期間だった。いくら死が冷徹な事実であっても、それが愛する人であればあるほど、その事実が信じられないし、信じたくないものだ。きっとあの人はまだ生きている、きっと帰ってくる、そんな心情を無下むげに否定するのではなく、一定期間社会的に容認するのが、の役割だとも言える。
 しかし、時がたてば、いつか死という現実を受け入れなければならない。の期間が終了すれば、藤衣ふじごろもを脱ぎ、普通の日常に復帰しなくてはならない。だけどそれで悲しみが消えるものではない。ただ泣くことだけが慰めになる。
 古代には親が死んだときは一年間に服したといい、のちに仏教が浸透して四十九日しじゅうくにちになったが、今は葬式が終わればすぐに仕事だったりする。これは本人以上に、周囲の人間が薄情になった結果だろう。こんな時代に「孝」なんてものを求めるのも無理な話だ。
 古註に引用されているうたは、

   恒徳公の服脱ふくぬぎはべるとて
 かぎりあれば今日脱けふぬてつ藤衣ふぢごろも
    はてなきものなみだなりけり
            藤原道信ふぢはらのみちのぶ朝臣(『拾遺集』巻20、1293)
 きみふるなみだきはもなきものを
    今日けふをばなんてといふらん
                      『源氏物語』幻巻
   ちち秀宗ひでむねまかりてのあき
   寄風懐旧かぜによするくゎいきうといふことをよみはべりける

 つゆをだにいまはかたみのふぢごろも
    あだにもそでくあらしかな
              藤原秀能ふぢはらのひでよし(『新古今集』巻8、789)

で、これらのうた余情よせとする。

式目分析

季題:なし。その他:哀傷。「藤衣」;衣装。「名残なごり」は一座二句物。ただ一、はななどに一とあり、この場合はただ今日けふも一座二句物。

湯山三吟、三十句目

    ふぢごろも名残なごりおほくもけふぬぎて
 いでんもかなしあき山寺やまでら    宗祇そうぎ

 

古註1おやおもひに山寺やまでらこもりなど、しふ詞書ことばがきにおほくはべり。一句いっくハ、山寺やまでらこころをとめたるなるべし。また一夏籠いちげこもり名残なごりこころあるべし。
古註2一句いっくは、あきノさびしきところいでことノヲシキトいふなりつくこころハ、服過ふくすぎテ、山寺やまでら籠居ろうきょシたるヲいへなり
古註3一句いっくは、あきのかんなり新古今しんこきん哀傷あいしゃううたに、たれもみなはなみやこにちりはててひとり時雨しぐるあき山里やまざと、とあるこころにてつくるなり。あきという肝要かんえうなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ふぢごろも名残なごりおほくもけふぬぎていでんもかなしあき山寺やまでら

 

 藤の喪服も名残惜しいが今日脱いで、出て行くも悲しい秋の山寺

 喪の期間は生産活動から離れるわけで、部屋に引きこもる人もいれば、寺で過ごす人もいる。四十九日が明けても、寺にこもって修行する人もいた。
 この場合は夏籠りに参加したのだろう。夏籠りは、夏行げぎょうとも夏安居なつあんごともいう。旧暦4月16日に始まり7月15日に終わるから、山を降りるときには秋になっている。
 古註1の「集の詞書におほく」というのは、古註3で引用されている、

   としごろはべりけるをんなの、
   まかりける四十九日しじふくにちてて、
   なほ山里やまざとこもりゐてよみはべりける

 たれもみなはなみやこてて
    ひとりしぐるるあき山里やまざと
                藤原顕輔ふぢはらのあきすけ(『新古今集』巻8、764)

のようなものを指すと思われる。

式目分析

季題:あき」;あきその他:釈教。「山寺」は山類。

湯山三吟、三十一句目

    いでんもかなしあき山寺やまでら
 鹿しかあとなるみねゆふれ     肖柏せうはく

 

古註1山寺やまでら帰路きろ鹿しかかんじたるなり。かなしきは、つゆをかなしぶのたぐひにや。
古註2しかノあとにしていづるをしキなり
古註3前句まへくは、あきのかなしきなり。今度こんど鹿しかおもしろきに、山をいでんかなしきなりこのかなしきは、きょうずるかなしきなりうらこぐふねのつなでかなしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (鹿しかあとなるみねゆふれいでんもかなしあき山寺やまでら

 

 鹿の音をあとにして峰の夕間暮れに、出て行くも悲しい秋の山寺

 は倒置されていて、「峰の夕間暮れに、鹿の音をあとにして出て行くのも」とした方がわかりやすい。
 前句まえくの「かなし」を、夕暮れの鹿の音がしみじみと悲しげだと取り成した。

式目分析

季題:「鹿」;あき。獣類。一座三句物。只一、鹿の子一、すがる一で、この場合は只。その他:「夕」は一座二句物、「夕暮」だと一座一句物だが、この場合は「夕間暮れ」。「夕」の字のつく熟語は「新式追加條々」で一座四句で各懐紙に一句と別に定められている。「夕」は10句目と44句目にあり、夕のつく熟語は75句目に「夕煙」、81句目に「夕がらす」がある。「夕月」「夕立」が一座一句なのを考えると、こうしたものを含めて四句ということか。

湯山三吟、三十二句目

    鹿しかあとなるみねゆふ
 野分のわきせしきりのあはれさ   宗長そうちゃう

 

古註1あとなるみねは、野分のわきあとなり。
古註2一句いっくは、源氏げんじ野分のわきあとあしたのこころなりあとナルみねとは、野分のわきあとつけなしたるなり
古註3まへあとといふ今度こんど野分のわきあとつけなせり。野分のわきには鹿しかもなかず、きりきえうせしに、あとよりきりもたち、鹿しかなくこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (鹿しかあとなるみねゆふ野分のわきせしきりのあはれさ)

 

 鹿の音があととなる峰の夕間暮れ、野分の去った日の霧のはあわれだ。

 「あとなる」を鹿の音を背中に聞いてという意味ではなく、野分の去ったあとという意味に取り成す。

 鹿の音をあとなる嶺の夕まぐれ野分せし日の霧のあはれさ

これだとわかりにくいが、

 野分せし日のあとなる嶺の夕まぐれ、鹿の音を(聞く)霧のあはれさ

と並び替えればわかりやすい。

式目分析

季題:「野分」「霧」;ともにあきその他:「霧」は聳物そびきもの

湯山三吟、三十三句目

    野分のわきせしきりのあはれさ
 しづかなるかね月待つきまさとみへて    宗祇そうぎ

 

古註1本哥ほんか由緒ゆいしょもなくて、なんとやらん面白おもしろきなりとぞ。野分のわき眺望ちょうぼうづからぎんじてしるべし。
古註2かねつきまつとは、其時分そのじぶんつきまつさとえたるこころなりしもヲまつまがきのきくのよひのまにと、しもノふる時分じぶん、きくニたいしていふなり
古註3このさとは、こころあるひと宿やどか。野分のわきのあとのしづかなるゆふべなどに、つきまつたいなり。おほやうなるにて、こころあるなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (しづかなるかね月待つきまさとみへて野分のわきせしきりのあはれさ)

 

 静かな鐘の音に月を待つ里が見えてくる、野分の去った日の霧のはあわれだ。

 これは「日」に「月」を付ける違え付け。
 台風は去ってもまだ夕暮れに霧が残り、晴れきらぬなかで月を待つ里人の心に思いをはせる。
 不安な中に光を求める心情は、何か心を打つものがある。

式目分析

季題:つきまつ」;あき。夜分。光物。その他:さと」;居所。「鐘」は一座四句物いちざよんくもの。只一、入逢一、尺教一、異名一、とあり、この場合は入逢の鐘。

湯山三吟、三十四句目

    しづかなるかね月待つきまさとみへて
 きてこころをみださんもうし   肖柏せうはく

 

古註1こころをしづめて、つきまつさとびとたづねがほならんもいかがとなり無文むもんなる風情ふぜい一両いちりゃうつづきはべれバ、ことはりをつけられたり。ハやりなりとぞ。
古註2一句いっくこひなりつきまつさとへゆきては、さはがしからんとなり
古註3これは、こころあるひとのしづかにつきまつおりふし、ゆきこころをみださばいかがとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (しづかなるかね月待つきまさとみへてきてこころをみださんもうし)

 

 静かな鐘の音に月を待つ里が見えてくる、行ってあの人の心を乱すのも辛いことだ。

 景色けしきが続いたところで、こいに転じる。
 恋人の元に戻りたいけど戻れない、何か深い事情があるのだろう。平和に暮らしてるのなら、あえて波風立てるまでもないと立ち去る。

式目分析

季題:なし。その他:恋。

湯山三吟、三十五句目

    きてこころをみださんもうし
 われならでかよふやひともしのぶらん   宗長そうちゃう

 

古註1わがとふひとに、またしのひとあるべし。ゆきてみあらはさんこそ、本意ほいなからめと、好色かうしょくひとハ、用捨ようしゃあるものなり物語ものがたりなどにこのこころおほし。一句いっくハ、たれもさこそといへり。
古註2われならで、たがしのぶらん。ゆきこころヲみださんこともくちおしきなりじんなり
古註3あだびとなどにかよふこころか。いかなるひとしのびてあるべきところゆきて、こころみださむなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (われならでかよふやひともしのぶらんきてこころをみださんもうし)

 

 自分以外の通う男も忍んで来るかもしれない、行って心を乱すのも辛いことだ。

 前句まえくを相手の心を乱すのではなく、自分の心が乱れるとして、他の男と鉢合わせになることを恐れるとした。
 「われならでかよふひとも忍ぶらんや」の倒置。
 別に身を引こうとかいうのではなく、多分時間を変えて尋ねようというのだろう。

式目分析

季題:なし。その他:恋。「われ」「ひと」;人倫。

湯山三吟、三十六句目

    われならでかよふやひともしのぶらん
 ふるきみやこのいにしへのみち    宗祇そうぎ

 

古註1行様珍重ゆきやうちんちょうなるものなり
古註2たれもふるきみやこへかよひて、むかしのことヲバしのぶべしとつくなり
古註3まへは、ひとかたかよことなり今度こんどは、ふるみやこみちかよふなり、とつかまつりたり。しのぶといふ、むかしをしのぶかたへつけなせり。われならずとは、たれともとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (われならでかよふやひともしのぶらんふるきみやこのいにしへのみち

 

 自分でなくても人は偲んで来るかもしれない、古い都の昔の道。

 これは上手く落ちをつけた。
 「しのぶ」を昔を「しのぶ」意味に取り成し、われならで、人もしのぶ、として、古都のみちを付けた。

式目分析

季題:なし。その他:懐旧。「都」は一座三句物。只一、名所一、旅一で、この場合は只。

湯山三吟、三十七句目

    ふるきみやこのいにしへのみち
 はなもおもはざらめやはるゆめ    肖柏せうはく

 

古註1一句いっくハ、はるほどなくゆめのようなるを、あだなるはなおもふべきのよしなり前句まへくによるこころハ、旧都きうとのむなしきはるを、はなおもふらんとなり是又これまた、やすやすとミるべき。
古註2一句いっくは、さくはなモ、はるゆめトなることヲバおもはんトなりつくこころは、はなもふるきみやこヲバしのぶらんトなり
古註3はるゆめとおしむゆゑに、はやくすぐるをはるのゆめとよみなせり。うたにあまたゆ。そのあだなるをば、はなもおもはであらじなり。ふるきみやこといふにてゆめとなるこころか。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はなもおもはざらめやはるゆめふるきみやこのいにしへのみち

 

 咲いている花も思っていることだろう春は夢のようだと、古い都の昔の道。

 前句まえくから、かつての栄華の面影もなく、すっかり寂れて田畑の広がる古都の景色けしきを見ると、春は夢のようにはかなく去っていくものだという情を汲み取っての付け。
 夢のように去ってゆく春のはかなさは、いまを盛りと咲き誇る古都のさくらもきっとそう思っている。

 さざなみや志賀しがみやこはあれにしを
    むかしながらの山桜やまざくらかな
                      平忠度たいらのただのり

うたも思い浮かぶ。
 古都というと、今は観光向けに整備された、開けたイメージがあるが、かつては文字通り放棄されたみやこで、近江京おうみきょうあとである滋賀しが唐崎からさきうたまくらとして有名ゆうめいだった。
 なお、当時とうじはまだつきはなの「定座じょうざ」はなかったが、この湯山三吟に関して言えば、名残なごり懐紙かいし以外は裏の最初のはなが詠まれている。

式目分析

季題:はな」「はるゆめ」;はる。「はな」は植物(木類)で、「応安新式」では一座三句物で、一枚の懐紙(表、裏あわせて)につき一句いっくのみ。「新式今案」でも一座三句物だが、その下に「近年或為四本之物、然而餘花は可在其中」と注記がある。

湯山三吟、三十八句目

    はなもおもはざらめやはるゆめ
 さくらといへば山風やまかぜぞふく   宗長そうちゃう

 

古註1はなごとにのこりとどまることハなけれども殊更ことさらなるゆめになすやまかぜを、さくらもうらめしくおもハざらめやとなり
古註2つくこころハ、はなやまかぜヲうらみとおもはざらめやトなり
古註3一句いっくさくらとだにいへば、かぜふきやすきなり。わがおしむから、かやういひなせり。まえへよるこころは、さくらもうらむるこころあるべきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (はなもおもはざらめやはるゆめさくらといへば山風やまかぜぞふく)

 

 咲いている花も思っていることだろう春は夢のようだと、ものが「さくら」だけに「咲く」と思ったらすぐに山風がそれを散らしてしまう。

 これは宗長そうちょうわざありの一句いっく
 和歌わか連歌れんがはなといえば、言うまでもなくさくらのことだが、ただ「はな」に「さくら」を付けても芸はない。そこを、「さくら」の名に「咲く」を掛けての展開、お見事としか言いようがない。
 「山風」は山から吹き降ろす強い風をいい、

 くからにあき草木くさきのしをるれば
    むべやまかぜを あらしといふらむ
                  文屋康秀ふんやのやすひで

うたは百人一首でも知られている。ここではあきだが、やまかぜ自体に特に季節はない。

式目分析

季題:さくら」;はる。植物(木類)。その他:やまかぜ」;山類。

湯山三吟、三十九句目

    さくらといへば山風やまかぜぞふく
 朝露あさつゆなほのどかにてかすむに    宗祇そうぎ

 

古註1つゆよるけなるはななるべし。
古註2かぜニモつゆのこことノあるなり朝露あさつゆ長閑のどかにて、かす時分じぶんナレドモ、さくらトいへバ、カぜノふくとなり
古註3あさつゆのうちかすむ、のどやかなるをりふし、さくらには、かぜふきやすげなるていなり。たださくらとだにいへば、ちらしやすきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (朝露あさつゆなほのどかにてかすむにさくらといへば山風やまかぜぞふく)

 

 朝露はいつものように長閑そのものの霞たなびく野に、「さくら」といえば「咲く」と思ったらすぐに山風に散ってしまう。

 やまかぜに散るさくらに長閑な朝露は、違え付け。
 朝つゆは風に吹かれて葉からこぼれ落ちても、またそこで露の玉を結び、なかなか消えることはない。
 はるかすみたなびく野辺はこんなに長閑なのに、どうして桜だけが散り急ぐのかというこころは、

 ひさかたのひかりのどけきはる
    しづこころなくはなるらむ
                    紀友則きのとものり

うた髣髴ほうふつさせる。

式目分析

季題:「かすむ」;はるその他:つゆ」はこの場合は無季。降物ふりもの。「朝」は一座四句物いちざよんくもの

湯山三吟、四十句目

    朝露あさつゆなほのどかにてかすむ
 ちながむるもあぢきなのや 肖柏せうはく

 

古註1はかなきにくらべば、朝露あさつゆ長閑のどかなるべし。観念かんねんさまなり是又これまた連歌れんがなり
古註2朝露あさつゆテ、ヲくわんじたるこころなり
古註3一句いっくは、うちながめとは、のあだなることをあんずることなり。なをといふにあたれば、をあんずるに、あさつゆよりもはあだなりといふこころなり古哥こかに、あだゆめきえかへりてもありぬべしたれかこのをたのみはつべき。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (朝露あさつゆなほのどかにてかすむちながむるもあぢきなのや)

 

 朝露はいつものように長閑そのものの霞たなびく野に、物思いに耽るというのもつまらない世の中だ。

 このを、朝露はこんなに長閑だというのに、世の中は愁いに満ちている、という意味に取ると、散る花の悲しさに逆戻りするような感じがする。ここはもっとポジティブに、雄大な自然の長閑な時間の流れから見れば、人間の悩みなんてちっぽけなものだという意味に取りたい。
 古註3で引用されている和歌わかは、『続後拾遺集』巻16の、

 朝露あさつゆのこりてもありぬべし
    たれかこのをたのみはつべき
                   ひとらず

と思われる。
 朝露は消えても消えても残るものなのに、一体だれがこのに絶望したりするのだろうか。

式目分析

季題:なし。その他:述懐しゅっかい。「」は一座五句物。この場合は只なので、只が二句目となる。これは一応違反ということになるが、この程度の軽微な違反は一巻のなかで必ずあるもので、むしろここまで完璧だったことの方がすごいことだといってもいい。おそらく一句につき5分もかからないくらいのスピーディーな運座のなかで、煩雑な連歌のルールを全部チェックすることは難しいことで、また、一度治定し、次の句が付いてしまったときは、あとで違反だと気付いても、遡ってやり直すということはしない。その点では、ルールの運用はサッカーの笛に近いものだと考えていい。「神の手」ということもありうるのである。

湯山三吟、四十一句目

    ちながむるもあぢきなの
 くるまでのうきつきをいみかねて  宗長そうちゃう

 

古註1つきをミるハいむといふこと古来申こらいまうすことなり本哥ほんか後撰ごせんうたはじめなるにや。いむとハ、我身わがみのため不吉ふきつことなりこころハ、ふかきつきたいして、のためあぢきなきつきをも、ひとりねのなぐさめがたきに、わすれてハさしむかふこころをおどろきて、うちながむるもと、うちなげきたるさまなり甚深じんしん不可思議ふかしぎ金玉こんぎょくなり。なをざりにミるべからず。新撰菟玖波集しんせんつくばしふにもいりけん。本哥ほんかひとりねのわびしきままにおきつつつきあはれといミぞかねぬる。
古註2ひとりねのさびしきままにをきゐつつつきをあはれといみぞかねたる、といふうたなり。あぢきなきままるとなり
古註3一句いっくは、つきをいむといふことありつきをさのみしふすれば、いむことなり。しかれどもかねてつきをうちながむるとつくなりうたに、おもひかねわざとむかふもかひぞなきいむてふつきのものわすれして。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (くるまでのうきつきをいみかねてちながむるもあぢきなのや)

 

 夜更けまで自分にとって不吉な徴である月も忌むことができずに、物思いに耽りながら眺めるというのもつまらない世の中だ。

 月を忌むということは、『後撰集』の、

   月をあはれといふはいむなりと
   いふ人のありけれは

 ひとりねのわびしきままにおきつつ
    つきをあはれとみぞかねつる
                     よみびとしらず

うたにも見られ、このうたが本歌とされている。
 つきは月見などして、眺めてはもてはやすものであるが、それを忌むということはどういうことだったのか。
 おそらく、つきをみんなで賑やかに過ごすというのは、逆に言えば独り鬱々と月を見ることをタブーとしていたということなのであろう。
 月は西洋ではルナティックという言葉もあるように、洋の東西を問わず感情を乱すと見られていたのであろう。大潮が人の行動に影響えいきょう与えるという説もあるが、はっきりとはしないものの、経験的にそういうことが言われてきたのであろう。
 月が感情を増幅させる効果があるとすれば、陽気に騒げばそれだけ幸せになれるが、独り悩んでしまうとどんどん憂鬱になってしまう。それが「憂き月を忌む」ということなのではなかったか。
 古註3で引用されている歌は、正徹しょうてつの『草根集そうこんしゅう』の中のうた

   寄月恋つきによするこひ
 おもひかねわざとむかへとかひぞなき
    いむてふつき物忘ものわすれして
                       正徹しょうてつ

式目分析

季題:つき」;あき。夜分、光物。その他:」;人倫。

湯山三吟、四十二句目

    くるまでのうきつきをいみかねて
 いまよりいとふながきのやみ  宗祇そうぎ

 

古註1のうきつきながら、長夜闇ながきよのやみをいとふゆゑに、いミかぬるこころなり一句いっくハやうなし。
古註2いまよりのちおもヒたるこころなり
古註3ながとは、あきのけしきなりまへはよるこころは、のちのやみのこころか。つきをいむといへども、後世ごせおもへば、いむこころわするるなり。やみをいとふこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (くるまでのうきつきをいみかねていまよりいとふながきのやみ)

 

 夜更けまで自分にとって不吉な徴である月も忌むことができずにいる、今からでも死後の永遠の闇を避けたいから。

 月を見ずにいられない心を、死後の永遠の闇を思うにつけ、光を求めずにいられないからだとした。これは無明の闇に対して真如の光を求める、釈教の心でもある。
 生きるということは、ほとんど避けることができずに生存競争の尽きることのない争いとなる。有限な地球の上に無限の生命の繁栄は不可能だからだ。生物は子孫を確実に残すためには、不測の事態に備えて、常に過剰に増え続ける。過剰があれば、そこに淘汰が生じる。それが自然の掟だ。
 だから、人生は常に生きるための限られた椅子を奪い合う戦いだ。勝利を信じて戦っているうちは、それが正しいことだと誰しも思う。夢を持ち、希望に向って、日々自己実現のために切磋琢磨する日々は、苦しくもあれば楽しくもある。自分のわずかな居場所のために‥‥それだけなのに、人は戦いに明け暮れ、一部の幸運な勝者を除けば、やがて夢破れ、年老いてゆく。
 そして、結局は勝者であろうと敗者であろうと、最終的に死が訪れる。死だけは平等だ。どんな人生の勝者も、これを逃れることはできない。
 本当の光は、この世での勝利なんかではないし、現世での成功の夢や希望ではない。むしろそれをすべて失ったとしても残る、闇の中のかすかな光。つまり、死こそが本当の救いであること。もちろん、死ぬことが救いなのではない。それを間違ったら仏教は人殺しの哲学になる。死を思うこと、死を思うことが可能なこと、それが生きているということ、それが救いなのである。
 永遠の闇を思うのは怖くて、身の毛のよだつことかもしれない。でも、それを受け入れた時から月は忌むべきものではなく、真如の月となる。

式目分析

季題:「ながき」;あき。夜分。その他:釈教。

湯山三吟、四十三句目

    いまよりいとふながきのやみ
 いさりをみるもすさま興津舟おきつぶね     肖柏せうはく

 

古註1漁火いさりびて、来生らいしゃうやみおもよしなり
古註2ひとノツミノこといまよりたるさまなり
古註3眼前がんぜんていなり。いさりはやみにするものなれば、いさりをみて、つみといひ、やみといひ、いまよりはと、いとふこころなるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (いさりをみるもすさま興津舟おきつぶねいまよりいとふながきのやみ)

 

 いさり火を見るにつけても寒々としている沖の舟、今からでも死後の永遠の闇を避けたいから。

 本来「すさまじ」は「さめる」「さむい」に接頭語の「す」がついた形で、本来は気持ちが醒める、しらける、冷ややか、という意味だった。今でいう「寒いネタ」は昔でいえば「すさまじきネタ」ということになるだろう。
 これに対し「すごし」という言葉は、同じ寒い感じでも身にこたえる寒さ、ぞっと背筋が寒くなる感じをいう。そこから鳥肌が立つような、恐ろしいものも、感動的なものも「すごし」と言った。この後者のほうが、今の「すごい」だとか「ものすごい」になっている。
 現代語でいう「すさまじい」というのは、悪い方の意味で「ものすごい」ということだが、これは「すさまじ」と「すごし」が同じ寒いという意味で一緒くたになり、さらに「すさぶ」とも混同された結果だろう。
 本来「すさぶ(すさむ)」は気のむくまま、ほしいがままという意味で、「老いのすさび」というのは、歳とって心の欲するがままに、という意味で、別に心がすさんでいるわけではない。近代になると、おそらく「風が吹きすさぶ(風がほしいままに吹く)」という言い回し以外にあまり使われなくなったことから、すさぶ、すさむ、は悪い意味になってしまったのだろう。
 ぞくっとするような寒さをほしいままにするというところで、今の「すさまじい」という語感が成立っているが、本来は感動とは逆の無感覚な感じを「すさまじ」と表現した。
 そのため、「すさまじ」は「冷じ」という字を当て、秋の季語となる。
 そういうわけで、このは「いさり火」に感動しているのではない。いさり火を見て、こんなのではだめだ、殺生せっしょうをしていると来世で地獄に落ちると醒めた気分で、それを見ているのである。
 ところで、結局人間は殺生せっしょうなしでは生きられないのだし、それはどんな敬虔な仏教徒でも知らないはずはない。自分もさんざん殺しているのだから、いつか自分が死んでもそれを因果応報として受け入れなくてはならない、それが悟りとなる。だが、それは死の可能性を、死への存在を生きることに他ならない。永遠えいえんを生きることなのである。
 そこを履き違えると、仏教はいつでも人殺しの哲学になる。自分にとっての死の可能性を感じることが大事なのであって、本当に死んでしまえば、それも感じることができなくなる。だから、罪深き人を殺すことはその人を救うことになるという種のポアの思想はまちがっているのである。
 おなじく、自分自身の殺生の自覚は大事だが、他人の殺生を責め立て、殺生を生業なりわいにしているという理由である種の職業の人を差別したりすることは、本来の仏教の精神とはいえない。それはやはり履き違えた仏教なのである。

式目分析

季題:すさまじ」;秋。その他:「いさり火」;夜分、水辺(用)。「興津舟おきつぶね」;水辺(用)。

湯山三吟、四十四句目

    いさりをみるもすさま興津舟おきつぶね
 ゆふべなみのあらいそのこゑ     宗長そうちゃう

 

古註1荒磯あらいそのミならず、おきのいさりすさまじきよしなり
古註2すさまじキニ、あらいそをつくなり一句いっくハ、ただなりなり。てうぼうこころなり
古註3なみかぜのあらきていなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (いさりをみるもすさま興津舟おきつぶねゆふべなみのあらいそのこゑ)

 

 いさり火を見るにつけても寒々としている沖の舟、夕方の波の荒磯の声。

 荒涼とした海にいさり火のともる遠景に、荒磯に打ち上げられる波の音という近景を付け、一つの絵としている。ちょっと一休みという感じか。

式目分析

季題:なし。その他:「荒磯」;水辺(体)。「ゆふべ」は一座二句物。十句目は「ゆふ」で今回は「ゆふべ」と変えている。

湯山三吟、四十五句目

    ゆふべなみのあらいそのこゑ
 ほととぎすなのりそれともたれわかん  宗祇そうぎ

 

古註1「夕浪ゆふなみのまがひに一声ひとこゑすぎたるハ、たれ聞分ききわくべきとなり海辺うみべ時鳥ほととぎすに、なのりそハ、さだまれる寄合よりあひながら、一句いっくのしたてる珍重ちんちゃうなり。なのりそをたちいるるなり
古註2あらいそのこゑヲ、郭公ほととぎすこゑつくなり。なのりそをたちいるるなり
古註3まへなみのこゑ、今度こんど郭公ほととぎすこゑつけなせり。海辺うみべ時鳥ほととぎすとてあまたあり。のりそれ、といふうちに、海草かいさういれらるなり古哥こかに、玉藻たまもかるいらこのいそのなのりそのなのりもいでぬ子規ほととぎすかな。とあるえんもあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ほととぎすなのりそれともたれわかんゆふべなみのあらいそのこゑ)

 

 ホトトギスが名乗りを上げても誰がそれとわかるだろうか、夕方の波の荒磯の声。

 このは、海草の名前である「なのりそ(ホンダワラ:藻塩の材料になる)」の文字が隠されていて、その文字が前句まえくの「荒磯」と寄り合いになっている。
 ホトトギスは夏鳥で、旧暦の4月に入ったあたりで渡ってくるところから、その初音を夏の風物として珍重してきた。夜明けまで待ってやっとその声を聞くというのは、あくまで初音を聞くためのもので、ひとたび鳴き始めると、そんなに珍しいものではなくなる。大事なのはあくまで初音であって、それを、ただいま参上という「名乗り」に例えられたりもした。
 そんなみんなが夜中まで待っても聞こうとするホトトギスの初名乗りも、荒磯の波の音にかき消されてしまっては残念だ。
 古註3で引用されているうたは、『続後拾遺集しょくごしゅういしゅう』の、

 あまのるいらこがさきのなのりその
    なのりもてぬ時鳥ほととぎすかな
                 大江匡房おほえのまさふさ

式目分析

季題:「ほととぎす」;なつ。鳥類。一座いちざ一句いっくものその他:たれ」;人倫。

湯山三吟、四十六句目

    ほととぎすなのりそれともたれわかん
 かへらんたびひとよわするな   肖柏せうはく

 

古註1時鳥ほととぎすききて、わがかへるびきたびわするなと、古里人ふるさとびと■いふよしなり不如帰ふじょきなくとりなれバ、よそへていへり。たれわかんハ、ちぎりひとおもいでがたかるべしと、卑下ひげしたるよしなり
古註2不如帰ふじょきトナケバ、これききテやがてかへりたまへと、旅人たびびとたいしていふなり古註3一句いっく旅行人たびゆくひと故郷人ふるさとびと、たがひにちぎるこころなりまへつくる、ちと心得こころえがたきなり郭公ほととぎす不如帰ふじょきといふことにつけて、かへるにはしかじとなり其声そのこゑたれききわかむ、故郷人ふるさとびとしれとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (ほととぎすなのりそれともたれわかんかへらんたびひとよわするな)

 

 不如帰ほととぎす不如帰ふじょき─帰るにしかず─と名乗りを上げても誰がそれとわかるだろうか、必ず帰ってくる旅だということをみんな忘れないでくれ

 ホトトギスの声というと、今は「てっぺんかけたか」と言われているが、古代の中国では不(ピュー)如(ニョ)帰(キューイ)と聞こえたのだろう。意味は「帰るにしかず」つまり「帰りたい」ということ。
 ホトトギスの声を聞いて、それが「帰りたい」と鳴いているのだと、誰がわかってくれるのだろうか。そう故郷の人に問いかけ、必ず帰ってくる、忘れないでくれと約束する。

式目分析

季題:なし。その他:羇旅きりょ。「ひと」;人倫。「たび」は一座二句物で、只一、旅衣など云一となっているが、七句目に「旅の空」とあり、只が二句になっている。

湯山三吟、四十七句目

    かへらんたびひとよわするな
 あかぬやとこころみにすむ山里やまざとに     宗長そうちゃう

 

古註1こころミにたびだちて、かりそめにすむ山里やまざとを、故郷人ふるさとびとかへるまじきやうにわするれバ、いかならんとなり。ぬるき閑居かんきょのやうなれども、かjへりて用心ようじんふかきにや。是又これまた世上せじゃうのありさまの正風せいふうなり
古註2一句いっくハ、まづ山里やまざと心見こころみすみたるなり山家やまがニすむべきかと、こころみたるなり。やがてかへらん、ひとわするなとつくなり。よしのやまやがていでじノうたこころなり
古註3一句いっくは、山居さんきょはじめすむべきこころをあやぶむなり。まへへは、をすてていでぬれど、いかがあらん、とまたふるさとをたのむこころなり。ひとよわするなとは、たのむこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あかぬやとこころみにすむ山里やまざとにかへらんたびひとよわするな)

 

 飽きずにいついてしまうのかい試しに住むはずの山里に、いつか帰ってくる旅だということを人よ忘れないでくれ

 上五を「ありぬやと」とするテキストもある。この方が「そのまま住み着いてしまうのか」という意味がわかりやすい。「こころみにすむ山里やまざとにありぬやと」の倒置。
 前句を故郷人に呼びかけるのではなく、故郷人の立場に取り成し、そのまま住み着いたりしないだろうね、必ず帰って来いよと呼びかける。

式目分析

季題:なし。その他:羇旅きりょ。「山里」;山類。居所。

湯山三吟、四十八句目

    あかぬやとこころみにすむ山里やまざと
 ならはばしをれあらしもぞうき   宗祇そうぎ

 

古註1いまだすみもならハぬひとに、あらしのはげしきをいへるなり
古註2山里やまざとすみなれたらんトキハ、あらしモふけ、まだならはぬときは、ふくなとつくなり
古註3なれぬには、あらしはうきなりといひて、まへによるこころは、やまにすみならはばしほれ、ならはぬほどは、やまのあらしいかがとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (あかぬやとこころみにすむ山里やまざとにならはばしをれあらしもぞうき)

 

 飽きずにいられるかと試しに住んでいる山里に、慣れたなら嵐に吹かれるがままにしおらしくしなるが、慣れなければ嵐はただただつらいことだ。

 「しをる」というのは、草木が元気を失ってしおれてゆくことだが、古来こうしたさびしげな風情ふぜいは一つのとされてきた。のち芭蕉ばしょうも「さび」とともに「しをり」を大事にした。
 『水無瀬三吟』に、

    山深やまふかさとあらしにおくるらん
 れぬまひぞさびしさもき 宗祇そうぎ
という句がある。
 普通は山里での暮しに慣れなければ逃れてきた苦しい日々の記憶に悩まされ憂鬱になるが、慣れてくるとそれがいい思い出に変わり寂しくなってくる。芭蕉の発句ほっくに、

 われさびしがらせよ閑古鳥かんこどり   芭蕉ばしょう

の句もそうしたこころなのだが、それを「さびしさもき」というところが面白かったわけだが、「ならはばしをれ」は寂しさに萎れる境地を指すのだろう。
 そこまで行かなければ、山里の暮らしはただただ過去の辛い出来事がよみがえってきては憂鬱になり、「寂しさも憂き」となる。
 「ならはばしをれあらしもぞうき」もそうした心情で、慣れないからあらしが憂鬱な記憶を呼び覚ます。

式目分析

季題:なし。その他:「あらし」は一座いちざ一句いっく物。

湯山三吟、四十九句目

    ならはばしをれあらしもぞうき
 つれなしやしもがれのおもぐさ    肖柏せうはく

 

古註1霜枯しもがれべにふくならバ、我思わがおもぐさをものこさずしほれとなり。もぞうきハ、あらしをかこつよしなり。行様寄妙なるにや。
古註2しもがれの時分じぶんナレドモ、おもぐさノかれぬことなり。ならはばしほれとハ、くさヲバふきからしたれども、おもぐさヲバからさぬことなり
古註3心得こころえがたきつけやうなり。一句いっくは、おもぐさあきゆめばかり、それはしもにつゐに枯行かれゆくなり。わがおもひぐさは、其折そのをりにもかれぬを、つれなしやというなり。しかれども、かれぬわがおもぐさなりとも、しほらしならふことあらば、わがおもぐさをもしほれとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つれなしやしもがれのおもぐさならはばしをれあらしもぞうき)

 

 何ともつれないことだ、霜枯れの野に残された思い草、慣わしなら萎れてくれ、嵐もただただつらいことだ。

 これも難しい「てには」の使い方だ。

 しもがれのおもぐさはつれなしや、ならはばしをれ、あらしもうきぞ

の倒置だ。
 「思い草」は今日でいうナンバンギセルのことで、『万葉集』巻10、2270に、

 みちのべの尾花おばながもとのおもぐさ
    いまさらになにものかおのはむ
                     よみひとしらず

の歌がある。
 すすきの根元でうつむき加減に咲く小さな花が、恋に悩む女の姿を連想させたのであろう。南蛮なんばんから新大陸原産のタバコが入ってくる前の時代には、「きせる」の連想はなかった。
 ふゆになり、すすきが枯れて、根元に寄生していた「思い草」だけがぽつんと取り残される。花があらしに萎れるのが慣わしならば萎れさせておくれ。
 「つれなし」というのは文字通り「連れ」がいないことで、一人っきりで味気なく、むなしいという意味。

式目分析

季題:しもがれ」;ふゆ降物ふりものその他:こい。「思い草」;植物(草類)。

湯山三吟、五十句目

    つれなしやしもがれのおもぐさ
 いつかこころのまつもしられし  宗長そうちゃう

 

古註1我心わがこころまつをいつかしられて、つれなくのこるぞとなり。とてもしられずバしもがれはてよとなりまつおもくさにとりなされたるなり是猶これなほ三句目さんくめ寄異なることなり
古註2おもぐさたいして、こころまつつくなり
古註3一句いっくは、こころまつとは、こころまつことはしられぬものゆゑに、しもがれのをりまでもこころまつとは、枯様たれやうつくなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)

 

 (つれなしやしもがれのおもぐさいつかこころのまつもしられし)

 

 何ともつれないことだ、霜枯れの野に残された思い草、いつしか心が松の木のように待っていることもしられてしまった。

 人知れずあの人が振り向いてくれるその日を待っていたつもりなのだが、いつかその思い草を隠していたすすきが枯れてしまい、多くの人の知るところとなってしまった。
 待っているうちに、いつの間にか年老いてしまったのだろう。心を紛らわしていた友達もいつしかいなくなり、独り寂しく昔からの一人の人を思い続けている姿がさらけ出されてしまった。
 可憐な思い草も、今となってはまつの老木?

式目分析

季題:なし。その他:こい。「まつ」;植物(木類)。