水無瀬三吟の四年後の延徳三年(一四九ニ年)、再びあの三人が摂津の有馬温泉に集まった。
延徳三年十月廿日於有馬湯一座賦何人連歌、通称「湯山(ゆのやま)三吟」。間違いなくこれは中世連歌の最高峰だ。
湯山三吟何人百韻
延徳三年十月二十日
[初表]
うす雪に木葉色こき山路哉 肖柏
岩もとすすき冬や猶みん 宗長
松虫にさそはれそめし宿出でて 宗祇
さ夜ふけけりな袖の秋かぜ 肖柏
露さむし月も光やかはるらん 宗長
おもひもなれぬ野べの行く末 宗祇
かたらふもはかなの友や旅の空 肖柏
雲をしるべの峰のはるけさ 宗長
[初裏]
うきはただ鳥をうらやむ花なれや 宗祇
身をなさばやの朝夕の春 肖柏
古郷も残らず消ゆる雪をみて 宗長
世にこそ道はあらまほしけれ 宗祇
何をかは苔のたもとにうらみまし 肖柏
すめば山がつ人もたづぬな 宗長
名もしらぬ草木の本に跡しめて 宗祇
あはれは月に猶ぞそひ行く 肖柏
秋の夜もかたる枕に明けやせん 宗長
思ひの露をかけしくやしさ 宗祇
たがならぬあだのたのみを命にて 肖柏
さそふ伝まつ侘人ぞうき 宗長
住みはなれ今は程さへ雲井路に 宗祇
いりにし山よなにかさびしき 肖柏
[二表]
わきて其の色やはみゆる松の風 宗長
泉をきけばただ秋のこゑ 宗祇
螢とぶ空に夜ふかくはしゐして 肖柏
物思ふ玉やねんかたもなき 宗長
枕さへしるとはするな我が心 宗祇
涙をだにもなぐさめにせん 肖柏
藤ごろも名残おほくもけふぬぎて 宗長
いでんもかなし秋の山寺 宗祇
鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れ 肖柏
野分せし日の霧のあはれさ 宗長
しづかなる鐘に月待つ里みへて 宗祇
行きて心をみださんもうし 肖柏
我ならでかよふや人もしのぶらん 宗長
ふるき都のいにしへの道 宗祇
[二裏]
咲く花もおもはざらめや春の夢 肖柏
さくらといへば山風ぞふく 宗長
朝露も猶のどかにてかすむ野に 宗祇
打ちながむるもあぢきなの世や 肖柏
更くるまで身のうき月をいみかねて 宗長
今よりいとふながき夜のやみ 宗祇
いさり火をみるも冷じ興津舟 肖柏
夕の浪のあら磯のこゑ 宗長
ほととぎすなのりそれとも誰わかん 宗祇
かへらん旅を人よわするな 肖柏
あかぬやと試みにすむ山里に 宗長
ならはばしをれ嵐もぞうき 宗祇
つれなしや野は露がれの思ひ草 肖柏
いつかこころの松もしられし 宗長
[三表]
和歌の浦や磯がくれつつまよふ身に 宗祇
みちくるしほや人したふらん 肖柏
捨てらるるかたわれ小舟朽ちやらで 宗長
木の下紅葉尋ぬるもなし 宗祇
露もはや置きわぶる庭の秋の暮れ 肖柏
虫の音ほそし霜をまつころ 宗長
ねぬ夜半の心もしらず月澄みて 宗祇
あやにくなれやおもひたえばや 肖柏
頼むことあれば猶うき世間に 宗長
老いてや人は身をやすくせん 宗祇
こえじとの矩もくるしき道にして 肖柏
雪ふむ駒のあしびきの山 宗長
袖さえて夜は時雨の朝戸出に 宗祇
うらみがたしよ松風のこゑ 肖柏
[三裏]
花をのみおもへばかすむ月のもと 宗長
藤さくころのたそがれの空 宗祇
春ぞ行く心もえやはとめざらん 肖柏
深山にのこるうぐひすのこゑ 宗長
うちつけの秋にさびしく霧立ちて 宗祇
今朝や身にしむ天の川風 肖柏
衣擣つ宿をかりふしおきわかれ 宗長
夢は跡なき野辺の露けさ 宗祇
影しろき月を枕のむら薄 肖柏
いつしか人になれつつもみむ 宗長
をちこちになりて浅間の夕煙 宗祇
きゆとも雲をそれとしらめや 肖柏
はかなしや西を心の柴の庵 宗長
身のふりぬまに何おもひけん 宗祇
[名表]
見るめにも耳にもすさび遠ざかり 肖柏
冬のはやしに水こほるこゑ 宗長
夕がらすねに行く山は雪はれて 宗祇
いらかのうへの月の寒けさ 肖柏
誰となく鐘に音して更くる夜に 宗長
古人めきてうちぞしはぶく 宗祇
よもぎふやとふをたよりにかこつらん 肖柏
この比しげさまさる道芝 宗長
あつき日は影よわる露の秋風に 宗祇
衣手うすし日ぐらしのこゑ 肖柏
色かはる山の白雲打ちなびき 宗長
尾上の松も心みせけり 宗祇
たのめ猶ちぎりし人を草の庵 肖柏
うときは何かゆかしげもある 宗長
[名裏]
わりなしやなこその関の前わたり 宗祇
誰よぶこどり鳴きて過ぐらん 肖柏
おもひ立つ雲路ぞかすむ天津雁 宗長
さこそは花を跡の山ごえ 宗祇
心をもそめにし物を桑門 肖柏
いでばかりなるやどりともなし 宗長
露のまをうき古郷とおもふなよ 宗祇
一むら雨に月ぞいさよふ 肖柏
うす雪に木葉色こき山路哉 肖柏
古註1山路のうす雪に、落葉の過てみえたる眼前の風景にや。色こきハ、この雪に一入興をそへたる義也。奥山の岩がき紅葉散はてて朽葉が上に雪ぞつもれる。是等の風情にて吟味すべし。
古註2ただ山路のおもしろき体也。
古註3山路の体也。薄といふにて、落葉と雪とのにほひ一入ますなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
薄雪に地面に落ちた木の葉の濃い色がのぞく山路だなあ。
「この葉」は落葉のことで、薄雪の白さによって、落ち葉がまだ透けて見える、という意味の発句で、雪によって湿った紅葉の鮮やかさと、それが朽葉に変わってゆく微妙なグラデーション、それが雪とのコントラストで沈んだ色調で見える、それが集まった三人の歳を経て、なおもがんばって色を見せている姿に重なり合うように見える。
古註1は、
奥山のいはがき紅葉ちりはてて
朽葉がうへに雪ぞつもれる
大江匡房(『詞花集』巻四冬)
の歌の心とする。
季題:「うす雪」;冬。「雪」は降物で、降物は可隔三句物(雨、露、霜、霰などとは三句隔てなくてはならない)。また、「雪」自体も一座四句物で、百韻の百句中、冬の雪を三句、春雪を一句出すことができる。その他:「この葉」は植物。「山路」は山類の体。
うす雪に木葉色こき山路哉
岩もとすすき冬やなほみん 宗長
古註1前句による所、ことなる事なし。只落葉の辺に、枯残りたる薄なるべし。秋より心をとめたるみるめに、冬や猶みんといへり。今よりハつぎてふらなむ我宿の薄をしなべふれる白雪。
古註2岩本すすきノかれたる様ノ見事なるノ面白き様也。付たる所はウス雪、木の葉、岩もとススキ、おもしろき様也。猶やトハ、雪は秋ふらざる物也。猶冬面白キト也。
古註3一句は、薄は秋のものなれども、冬まで興ずる心也。前へよる心は、此薄まで雪ふりかかりたるなり。古今に、今よりはつぎてふりなむ、とあるも、薄の雪を愛する也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(うす雪に木葉色こき山路哉岩もとすすき冬やなほみん)
薄雪に地面に落ちた木の葉の濃い色がのぞく山路だなあ。大きな岩の下から生えている薄が、冬だというのにまだ穂を見せている。
岩はこの場合、山などの切り立った岩壁を言うのだろう。その岩の割れ目の土のあるところから、しょろしょろと痩せたススキが生えていたりするのは秋の風情。それが冬になりその薄はすでに枯れてしまっているが、雪が薄いのでうずもれることもなく、まだすっかり綿毛になった白い穂を見ることができる。そこで「冬やなほみん(猶見ん)」が生きてくる。それが、歳を経てもなおがんばるという、前句の寓意を受けている。
また、発句の「雪に」「色濃き」に、「すすき」と韻を踏んでいることも面白い。「すすき」は「うすい」という字を書くところに縁もあり、芸が細かい。
雪に薄の縁は、
今よりはつぎてふらなむ我宿の
すすきおしなみふれるしら雪
よみ人知らず(『古今集』巻6、318)
による。
なお、脇句は体言止めでなければならないなんて規則はどこにもないということを、念のために。
季題:「冬」;冬。その他:「薄」は植物の草類で一座三句物。「応安新式」には「只一、尾花一、すぐろ、ほやなどに一」とある。「すすき」は一回だけ、あとは「尾花、すぐろ」などの言葉に変えなくてはいけない。草類と草類は可隔五句物(ただし草類と木類のような異植物は可隔三句物)。
岩もとすすき冬やなほみん
松虫にさそはれそめし宿出でて 宗祇
古註1此第三、様々申侍り。され共、むつかしき事あるべからず。松虫にさそはれそめしハ、初秋の事也。それより只今の冬枯まで、捨がたき心浅からず。岩もとなどいふ詞大事なるを、松虫自然に似合たるをや。只の虫にては、相違すべし。一句のことハリハ、さそはれそめしより、毎夕すすみ出たる事也。是も宿出て岩本薄冬や猶ミんと、脇へかかれる結句也。此懐帋周防へ下されし時、太守政弘態以飛脚、第三の趣、祇公へ御尋之由、宗長物語申され侍り。
古註2岩もとすすきの本に、松虫ノカスカニ残リタル義也。さそはれそめしとは、秋ノさそはれたりしを、今は、むしの音ノ枯たる義也。
古註3とりわき薄にむしの縁あり。まへへよる心は、冬やなをみんとある所に付也。しかれば、秋のはじめ、すすきが本の虫の音に宿をさそはれいでて、冬なでみる心也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(松虫にさそはれそめし宿出でて岩もとすすき冬やなほみん)
松虫の音に誘われるように宿を出て、大きな岩の下から生えている薄が、冬になってもまだ見ていたいものだ。
古註1に「宿出て岩本薄冬や猶ミんと、脇へかかれる結句也」とあるように、まだ初秋だが宿を出て、これから旅に出て、冬になってもなお岩もとの薄を見よう、という意味に取り成す。
「松虫にさそはれそめし」はまだ初秋のこと。これから冬になるまで旅でもしようかという意味だが、直接旅の言葉は入っていないので、旅体の句にはならない。
「虫に」「そめし」と韻を受け継いでいる。
季題:「松虫」;秋。「松虫」は虫類で一座一句物(一巻に一回しか使えない言葉)。虫類と虫類は可隔五句物(虫類と鳥類、獣類のような異生類は可隔三句物。その他:「宿」は一座二句物で只一句、旅に一句。この場合は只。
松虫にさそはれそめし宿出でて
さ夜ふけけりな袖の秋かぜ 肖柏
古註1夜遊して、夜の更たる様まで也。
古註2松ニさそはれし夜も更るト付ル也。
古註3一句の心は夜更ぬれば、風たつなり。さそはれそめしとある所を、夕になして付也。暮よりむしなくものなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(松虫にさそはれそめし宿出でてさ夜ふけけりな袖の秋かぜ)
松虫の音に誘われるように宿を出てたが、今は夜も更けて袖に冷たい秋風が身にしみる。
今度は「松虫にさそはれ初めし」をまだ宵のこととし、「宿を出でて」を単なる夜遊びの意味として、「さ夜更けけりな」と付ける。
季題:「秋風」;秋。一座二句物で、「秋風」が一回、「秋の風」が一回。その他:「さ夜」は夜分。「袖」は衣装。夜分と夜分、衣装と衣装、ともに可隔五句物。
さ夜ふけけりな袖の秋かぜ
露さむし月も光やかはるらん 宗長
古註1一句珍重なる物也。月やどりたる露の、そぞろ寒きさ夜更がた、あらぬ光のみえたる也。
古註2寒キゆへニ、月も光りましたる也。
古註3夜更ぬれば、露もさむく、月のひかりのあざやかになる物也。それにて、更たると合点する心なり。このかはるは、あざやかになる心也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露さむし月も光やかはるらんさ夜ふけけりな袖の秋かぜ)
折から露も降りて肌寒く月の光も変わったのだろうか、今は夜も更けて袖に冷たい秋風が身にしみる。
夜更けになれば寒くなるために、月の光もいつもより鮮やかに冴えているのだろうかと付く。上句下句合わせて読み下すと、
露さむし月の光やかはるらんさよ更けけりな袖の秋風
となる。月の光が変わったのだろうかと言って、何があったのかと思わせて、夜が更けたからだと納得させる、いわゆる「心付け」。
なお、この頃にはまだ定座の意識はないし、月のない秋を嫌うこともない。名残表に月のない秋三句がある。
季題:「露」;秋、降物。「月」;秋。夜分、光物。月と月は可隔七句物。
露さむし月も光やかはるらん
おもひもなれぬ野べの行ゆく末 宗祇
古註1旅行の空にハ、月の光もかハるよし也。
古註2旅ねノ様ナルベシ。
古註3一句旅行の体なり。思ひもなれぬ野べを行ば、とある所にあたりて、月の光のかはりて、みしにもあらぬ心なり。旅行の悲しきこころから、かはるといふこころか。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(露さむし月も光やかはるらんおもひもなれぬ野べの行ゆく末)
折から露も降りて肌寒く月の光も変わったのだろうか、ものを思うことにも慣れていないこの野辺の向こうの行き先に。
前句の光の変わる原因を、慣れない旅のせいだとする。「露」には涙の暗示もある。
季題:なし。その他:羇旅。
おもひもなれぬ野べの行く末
かたらふもはかなの友や旅の空 肖柏
古註1思ひもなれぬハ、友の事也。あから様なる友のはかなき成べし。
古註2たびの友は、ところどころにてかはる義也。
古註3前句おもひもなれぬ野べとあるを、まだ人に思ひもなれぬかたに付歟。旅行の体尤なるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(かたらふもはかなの友や旅の空おもひもなれぬ野べの行ゆく末)
旅の空では語り合い友となるのもつかの間のことだろうか、まだ思いも打ち解けぬままこの野辺の向こうの行き先に。
「思ひもなれぬ」を慣れてない旅の意味にではなく、友と慣れ親しむこともないままという意味に取り成す。
旅の空に語らうもはかなの友や。野辺の行く末に思いも慣れぬ、の倒置。
季題:なし。その他:羇旅。「友」は人倫。「旅」は一座二句物。(「応安新式」に只一、旅衣など云一とあり、この句の場合は只。)「空」は新式今案では一座四句物。
かたらふもはかなの友や旅の空
雲をしるべの峰のはるけさ 宗長
古註1雲を友とする也。
古註2雲ヲ友として、かたらふと付る也。
古註3この付やう、かたらひものに、雲をつけなせり。旅のならひは、かようのものまで、たよりにする也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(かたらふもはかなの友や旅の空雲をしるべの峰のはるけさ)
旅の空では語り合う友となってもすぐ消えてゆく、雲を道しるべにしていても峰は遥かに遠い。
前句の「友」を人間ではなく、「旅の空」という慣用的な言い回しに掛けて、「雲」を友にと展開する。雲を友として山に向かうが、雲はやがてはかなくちぎれて消えてゆき、峰だけが遥か遠くに残っている。
季題:なし。その他:羇旅。旅は三句まで可。「雲」は聳物。「峰」は山類。
雲をしるべの峰のはるけさ
うきはただ鳥をうらやむ花なれや 宗祇
古註1此一句の心ハ、鳥をうらやむ花とハ、めぢ遠き梢なるべし。此花に思ひうかれて、うきハただといへり。よる所ハ聞えたり。
古註2鳥ヲうらやみ、霞ヲあはれぶ、と云古今ノ序ノ心也。鳥ハ、ここかしこノ花ヲ見るベキト也。
古註3このうきたぐひ、まことのかなしきにはあらず。たとへば、遠嶺の花の雲に、鳥はやすく行也。そのごとく、わが身かなはぬはうきと也。古今のかな序に、鳥をうらやみ、霞をあはれむ、など詞のえんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(うきはただ鳥をうらやむ花なれや雲をしるべの峰のはるけさ)
物憂いのは花を見ようと鳥をうらやむことだろうか、雲を道しるべにしていたものの峰はもっと遥か彼方だった。
「雲をしるべの」を花の雲として、それがはるかな高嶺の花で見に行くこともできないことを「憂き」とする。鳥になれば飛んでいけるのにと、鳥をうらやむ。
憂きはただ鳥をうらやむ花なれや雲をしるべの峰のはるけさ
これだと少しわかりづらいが、
憂きは雲をしるべの峰のはるけき花なれや、ただ鳥をうらやむ
と並べ替えればわかりやすい。宗祇法師は時々こういうわかりにくい倒置を用いる。
「鳥をうらやむ」は「古今集」仮名序の
「かくてぞ、花をめで、鳥をうらやみ、霞をあはれび、露をかなしぶ心言葉おほく、様々になりにける」
をふまえたもの。
昔は誰もが気軽に旅をすることはできないし、旅は逆に左遷や流刑などの悲しいものだったりもする。土地に縛られ、生活の重みを背負った人間にとって、洋の東西を問わず、鳥はしばしば自由の象徴になる。
季題:「花」;春。植物(木類)。「応安新式」では一座三句物で似せ物の花を加えて懐紙を変えて四句(各懐紙の表裏を合わせて一句)とする。「新式今案」では一座四句物。その他:「鳥」は鳥類。「新式今案」では一座四句物。春鳥は一回。
うきはただ鳥をうらやむ花なれや
身をなさばやの朝夕の春 肖柏
古註1是ハ、又朝夕花にむつるる鳥を我身になさばやと也。されどもなしえぬ心、うきハただといへり。一句は、春に身をなさばやとねがひたる也。
古註2一句は、春はおもしろき物なれば、春ニ身ヲなしたき心也。付る心ハ、鳥ニ身ヲなしたきと云義也。
古註3一句は春に身をなさばや也。しからば、とをき花をみむ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(うきはただ鳥をうらやむ花なれや身をなさばやの朝夕の春)
物憂いのは花を見ようと鳥をうらやむことだろうか、そんな身になってみたい春の朝夕。
これも倒置で、「朝夕の春に身をなさばや」の意味。朝夕花をめでてすごす身分になりたいものだが、現実にはそうも行かない。鳥がうらやましい。
季題:「春」;春。その他:「身」は人倫。人倫と人倫は打越を嫌うのみ。「夕」は一座二句物。
身をなさばやの朝夕の春
古郷も残らず消ゆる雪をみて 宗長
古註1此付様、消やすき雪に身をなさばや、と云義に皆意得侍り。作者の本意ハさにハあらず。たとヘバ、雪の古郷ハ春のいたらぬ方也。され共時節ありて、雪も残りなくなれる比まで住る人の心、さびしくかなしく、ふりとぢられしならハしに、いまだ春に身ヲなしはてざる、心深甚なる物也。
古註2キユル雪ヲ見テ、我も雪ノごとくきえばやと也。
古註3雪のきゆるを見て、ふるさとにすみわびたる人の、わが身も雪のごとく消ばや、と述懐する心歟。前句は興ずるかた也。付所は述懐也。故さとの心も、さもあるべし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(古郷も残らず消ゆる雪をみて身をなさばやの朝夕の春)
古里の雪が跡形もなく消えてゆくように、そんな身になってみたい春の朝夕。
雪に埋もれた山奥の古里にも、遅い春が来て雪がすっかり消えてゆくように、この私もいつまでも悲しみにくれているのではなく、春らしい心に身をなさねば、と自分自身を励ます。
季題:「消ゆる雪」;春。降物。「雪」は一座四句物。「応安新式」には(三様之、此外春雪一、似物の雪、別段の事也)とあり、この場合は春雪。その他:「古郷」は居所。一座二句物で只一、名所引合一。この場合は只。
古郷も残らず消ゆる雪をみて
世にこそ道はあらまほしけれ 宗祇
古註1春いたりて、雪中の道あらはれたる様に、世をもなさまほしき也。下の心ハ、時にあはずして、古郷に籠居したる人の思ふ心にや。
古註2心ハ、雪ノキヘテ道ノみゆる義也。古郷ノ道ナレバ、それよりモ世ノ道ノあれかしと也。
古註3一句は、世の政道の事か。前へよる心は、古さとはみちありともとふ人はあらじ。雪はみちをうづむもの也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(古郷も残らず消ゆる雪をみて世にこそ道はあらまほしけれ)
古里の雪が跡形もなく消えてゆくように、世の中にこそ道があってほしいものだ。
雪が消えれば、そこに埋もれていた道が現れる。それと同じようにこの世の道も現れてほしい。「水無瀬三吟」の、
鳴く虫の心ともなく草枯れて
垣根をとへばあらはなる道 肖柏
の句を髣髴させる。
季題:なし。その他:述懐。「世」は一座五句物。只一、浮世世中の間に一、恋世一、前世後世などに一とあり、この場合は只の世。
世にこそ道はあらまほしけれ
何をかは苔のたもとにうらみまし 肖柏
古註1苔の袂ハ、世を捨たる人也。此身躰にて、世のよしあしハ沙汰にをよバず。惣別のためあらまほしき道とぞ。
古註2何にても、こけのたもとノ上ハのぞみなし。世に道ノあれかしと付る也。
古註3一句は、世をすてて苔の袂に成ては、何のうらみもなき也。前へよる心は、諸道の望、世に有時はある物なり。其叶はぬ恨も、今はなにかあらんなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(何をかは苔のたもとにうらみまし世にこそ道はあらまほしけれ)
苔のたもとにあって一体何を恨むだろうか、世の中にこそ道があってほしいものだ。
「何をか」は反語で、隠遁生活を送る苔のたもとに、いったい何を恨むことがあるだろうか、私に道などは必要ない、ただ道は世俗の人々にこそあるべきだ、となる。
季題:なし。その他:述懐。「苔のたもと」は衣装。「うらみ」は一座二句物。「うらむ」など言い方を変えてもう一句可となる。
何をかは苔のたもとにうらみまし
すめば山がつ人もたづぬな 宗長
古註1人の尋ねぬをうらむべき山居にあらずと也。山がつハ、人も尋ぬ物に落居して、すめバ山がつぞと也。
古註2山がツと身ヲなさば、尋ぬなと也。
古註3すめば山がつといふより、初てすむ人なり。いまはたづねずとも、うらみじなり。捨身のほん意なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(何をかは苔のたもとにうらみましすめば山がつ人もたづぬな)
苔のたもとにあって一体何を恨むだろうか、棲めば山がつなので尋ねてこないでほしい。
隠遁者の苔のたもとの境遇にあって、恨むことがないのを、山奥に住み慣れて「山がつ」のようになったからだとする。
「山がつ」は山に住む主に林業を営む人たちを言い、身分の低いものというニュアンスで用いられることが多いが、一方では「山人」つまり「仙」の意味で用いられることもある。
季題:なし。その他:述懐。「山がつ」は人倫。「人」は人倫。
すめば山がつ人もたづぬな
名もしらぬ草木の本に跡しめて 宗祇
古註1此句、世上にハ、木草の名をも尋ぬなといふやうに申侍り。一向別の事也。一句義なし。前による所ハ、名もしらぬ山がつのごとくに成たる身を、昔ハ何がし誰がし殿にてましますらん、など尋られ事をいとふよし也。さて名もしらぬ草木に身をよせたるなるべし。行様寄妙なるにや。
古註2深山の草木は、名モしらぬ物也。何ノ草木トモ、人たづぬなと也。
古註3この付やうことに面白也。尋ぬなと云に、今度は大事なるを、草木の名をたづぬなと也。住ば山がつとこをなれ、いまだ草木の名もしらぬなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(名もしらぬ草木の本に跡しめてすめば山がつ人もたづぬな)
名も知らぬ草木のもとに暮しているのだから、棲めば山がつ、名前を尋ねないでほしい。
前句の「たづぬな」を尋ねて来るなという意味ではなく、名を尋ねるなの意味に取り成す。
名もなき草木の下で暮らしているのだから、もはや私は都にいた頃のあの有名な何某ではない。どうか私の名を尋ねないでくれという意味になる。(古註1による。)
古註2、3によるなら、住めば山賤ではあるけれど、本物の山賤なら草木には詳しいはずで、にわかの山賤にすぎないから、どうか草木の名前など質問しないでくれ、という意味になる。奇抜な解釈ではあるが、古典の情ではなく、むしろ俳諧になる。
季題:なし。その他:「草木」は植物。「跡しめて」は居を構えという意味だが、居所を逃れる言い回し。
名もしらぬ草木の本に跡しめて
あはれは月に猶ぞそひ行く 肖柏
古註1名月の方にハあらざるべし。ただ深山木のかげは、みし世の月よりも哀なる義也。三句むつかしくきて、やうもなき下句、向後のため也。
古註2一句ハ、都にて月をあはれとおもひしはかずにもあらぬすまひなりけり、と云西行ノ哥也。付る此心也。
古註3一句は、月のおもしきかなをます也。前へよるこころは、なれぬ草木の陰にて月をみれば、猶面白也。この哀は面白也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(名もしらぬ草木の本に跡しめてあはれは月に猶ぞそひ行く)
名も知らぬ草木のもとに暮しているのだが、名月のあわれはなおも付き添ってゆく。
「名」から「名月」の連想か。名も知らぬ草木の下に暮らさねばならぬこととなって、都で見た名月も哀れだが、今はなおさらそれが哀れに思える。
都での華やかな生活も、見掛けほどきれいなものではなく、そこには当然どろどろとした権力闘争がある。それも悲しいが、敗れ去り、都を追われた今はもっと悲しい。
古註2は、
都にて月をあはれとおもひしは
かずにもあらぬすまひなりけり
西行法師
の歌の心とする。
季題:「月」;秋。夜分。光物。
あはれは月に猶ぞそひ行く
秋の夜もかたる枕に明けやせん 宗長
古註1たまさかにあふ夜のむつごと、哀に明ぬべし。名残を思ふよし也。
古註2長き夜も、かたらふニ明やせんと也。
古註3秋の夜といふにて、永き夜の心有か。其も語ばはやく明る也。前へ付る心は、語ば哀なる事そひゆく也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(秋の夜もかたる枕に明けやせんあはれは月に猶ぞそひ行く)
秋の長い夜も枕元で語り交わすうちに明けてゆくのだろうか、あわれは月にもなお時が流れてゆくことだ。
「そふ」には「付け加わる」「いっそうそうなる」という意味の他に、「時がたつ」という意味もある。
秋の長い夜も、恋人と仲睦まじく語り合ううちにあっという間に明けてしまうのだろうか、あわれにも月を見ているうちに、時はすぎてゆく、となる。
季題:「秋の夜」;秋。夜分。その他:恋。「枕」;夜分。
秋の夜もかたる枕に明けやせん
思ひの露をかけしくやしさ 宗祇
古註1思ひをかけそめて、あふ夜の明がた、今更くやしとなり。
古註2月ヲ見テ、かたる様ナルベシ。
古註3一句、おもひをかけしがくやしきなり。前句に付る心は、語もてゆけば、哀まさる也。其くやしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(秋の夜もかたる枕に明けやせん思ひの露をかけしくやしさ)
秋の長い夜も言い争っているうちに明けてゆくのだろうか、こんな人を思い露の涙を流すくやしさ。
前句の「語る」を仲睦まじい語らいではなく、口論のようなものと取り成したか。いくら話し合っても平行線で、こんな男に恋し、涙を流す自分が悔しい、となる。
季題:「露」;秋。降物。その他:恋。
思ひの露をかけしくやしさ
たがならぬあだのたのみを命にて 肖柏
古註1たがならぬハ、人のたのめぬ契りを、わが心に、さりともさりともとかかりきて、くやしきよし也。露をかけしハ、命の縁也。
古註2たれならぬとは、我が事也。あだノこと葉ヲいのちニシテ、思ヒかくるトつくる也。
古註3一句は、誰ともしらぬ人に契をかけしなり。くやしさは、さやうの人に契りをかけて、おぼつかなさをくやしきとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(たがならぬあだのたのみを命にて思ひの露をかけしくやしさ)
だれとも知れぬ無駄な頼みを命と信じて、こんな人を思い露の涙を流すくやしさ。
どこの誰とも知らない人のいい加減なプロポーズを真に受けて、「思の露をかけし悔しさ」と転じる。
季題:なし。その他:恋。「誰」は人倫。「命」は一座二句物(只一、虫の命などに一)、この場合は只。
たがならぬあだのたのみを命にて
さそふ伝まつ侘人ぞうき 宗長
古註1さそはれたき也。さそふ伝ハ、誰共さだまらぬ義也。はかなきたのミを命になして、待侘たる様にや。身をうき草につみしらるる、哀あさからず。侘ぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ。
古註2侘ぬれば身をうき草のねをたえてさそふ水あらばいなんとぞ思ふ、と云哥也。何方へも人ノさそへかしト云心也。侘人とは、我が事也。
古註3わび人の上なれば、いづかたへもさそふ伝を待をうきなり。さやうの時は、誰ならぬ契りまでも、しらぬたのみをなす也。命にてとは、たのむ心也。古哥に、わびぬれば身をうき草の根をたえてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ、の心か。世上にかやうの事多し。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(たがならぬあだのたのみを命にてさそふ伝まつ侘人ぞうき)
だれとも知れぬ無駄な頼みを命と信じて、誘いの声を待っている侘び人は悲しい。
前句の「たのみ」をプロポーズのことではなく、仕事のオファーのことと取り成す。「侘び人」は落ちぶれた人、乞食やプータローのことも言う。
古註はいずれも、
文屋のやすひでが三河の掾になりて
「あがたみにはえいでたたじや」と、
いひやれりける返事によめる
侘ぬれば身をうき草のねをたえて
さそふ水あらばいなんとぞ思ふ
小野小町(『古今集』巻18、938)
の歌を引用している。
掾は「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」という四等官制のうちの三等官にあたる。国司もまた守、介、掾、目に分かれていた。六歌仙の一人、文屋康秀が三河国の掾に左遷された時、「田舎見物に出かけないか」と小野小町を誘った時の返事が、この歌だった。
快い返事も、文屋康秀に気があるというよりは、都に愛想が尽きたというニュアンスが強く、藤原氏の勢力が強まる中で劣勢に立たされた六歌仙の悲哀が感じられる。古今集自体が不遇な生涯を終えた六歌仙へのレクイエムだったのかもしれない。
季題:なし。その他:述懐。述懐と述懐は可隔五句物。「侘人」は人倫。
さそふ伝まつ侘人ぞうき
住みはなれ今は程さへ雲井路に 宗祇
古註1都を住はなれたる義也。雲井路に都也。此遠堺より、都へさそふ伝まつよし也。足引のこなたかなたに道ハあれど都へいざといふ人はなし。都人いかにととハバ山たかミ晴ぬ雲井に侘とこたへよ。心詞相応の両首也。
古註2雲井ぢトハ、都ノ事也。住はなれて、雲井ぢはるかなる事ニ、一句ヲとりなしたる也。
古註3今度は、又遥のひなの住ゐなどに有て、雲井の都を思ふこころ也。さそふ人あらば、都へのぼりたきの心なり。程は雲井とは、いかにもとをきを云なり。前の侘人は、都へ行きたきわび人也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(住みはなれ今は程さへ雲井路にさそふ伝まつ侘人ぞうき)
住み慣れた都を離れ、今はその距離さえ雲をつかむような雲居への道だというのに、誘いの声を待っている侘び人は悲しい。
「すみはなれ」は住み慣れた都を離れという意味。「ほど(程)」は距離のこと。「雲居」には雲の意味と皇居(雲上人の住むところ)の意味があり、その二つの意味に掛けて、今では雲のように果てしない都への路となってしまったという意味になる。
この場合の「侘び人」は、権力闘争に敗れて左遷された大宮人のことで、再び都に戻れるつてを待っている。
古註1は、
山
あしひきのこなたかなたに道はあれど
都へいざといふ人ぞなき
菅贈太政大臣(『新古今』巻18、1688)
甲斐の守に侍りける時、
京へまかりのぼりける人につかはしける
都人いかがと問はば山高み
はれぬ雲居にわぶと答へよ
小野貞樹(『古今集』巻18、937)
の歌を引用している。
季題:なし。その他:述懐。「雲」はこの場合は都を意味する「雲居」のことなので、聳物にはならない。また、「都」、「雲居」は非居所。
住みはなれ今は程さへ雲井路に
いりにし山よなにかさびしき 肖柏
古註1いとはしき所を住はなれ、何かさびしきぞと、心をいさめたる句也。
古註2みやこヲ住はなれテ、山ニ入ト付る也。
古註3前の住はなれを、世をすみはなれて、山に入にしは、はるかになりにければ、なにかさびしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(住みはなれ今は程さへ雲井路にいりにし山よなにかさびしき)
住み慣れた都を離れ、今はその距離さえ雲をつかむような雲居への道となり、入った山が何で寂しいことがあろうか。
前句を、都に嫌気がさして出家した僧のこととする。「何かさびしき」、つまり、何で寂しいことがあるかと自分を励ますが、そう励まさなくてはならないのは、寂しいからだ。
季題:なし。その他:述懐。「山」は山類。
いりにし山よなにかさびしき
わきて其の色やはみゆる松の風 宗長
古註1松風にさびしき色ハみえぬを、何かと、とぢめたる義也。さびしさハ其色としもなかりけり槇たつ山の秋の夕暮。
古註2さびしさはそのいろとしもなかりけり真木たつ山の秋のゆふぐれの哥ノ心也。
古註3前は、なにかさびしきは、何事にかさびしからん、不楽もなきとあるを、今度は松風となれば、さびしきはなにたるゆへに、かくさびしきと松にさびしき色はみへねどもなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(わきて其の色やはみゆる松の風いりにし山よなにかさびしき)
特にその色が見えるわけではない松の風、入った山は何か寂しい。
前句の「何かさびしき」を反語ではなく、「なんだか寂しい」の意味に取り成す。
松風は目に見えないのだが、何となく寂しい。
寂しさはその色としもなかりけり
真木たつ山の秋のゆふぐれ
寂蓮法師
を本歌として付けている。
季題:なし。その他:「松の風」は一座二句物。松風が一、松の風が一で、今回は松の風。
わきて其の色やはみゆる松の風
泉をきけばただ秋のこゑ 宗祇
古註1泉声、松風の色ハなくて、さながら秋ぞと也。涼しき心なり。
古註2冷々として、涼しキ事也。松ニハ色ハ見えねども、泉ハただ秋の声ト也。飛泉転吟ト云句ノ心也。
古註3これは、前句と心ひとつなり。まつかぜも泉も、すずしさは只秋の上にて、いづれも秋のごとく也。わきてその秋の色は見へねど、さながら秋なりとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(わきて其の色やはみゆる松の風泉をきけばただ秋のこゑ)
湧いても、特にその色が見えるわけではない松の風や、泉を聞けばただ秋の声がする。
前句の「わきて」を「とりわけ」という意味と「湧く」という意味に掛けての展開。松の風も色は見えないが泉もまた無色透明の水をたたえるが、ともに涼しげで、まるで秋の声を聞くかのようだ、と付く。
秋きぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる
藤原敏行
の歌を本歌とする。
しかし、これは秋の句ではない。松の風が秋を感じさせるように、泉の涼しげな音を聞けば、まるで秋のようだという、夏の句になる。
泉の音を「声」とする例は、『和漢朗詠集』に見られる。
望山幽月猶蔵影 聴砌飛泉転倍声
山を望めば幽月なほ影を蔵せり、
砌に聴けば飛泉うたゝ声を倍す、
法輪寺口号 菅原文時
なお、連歌では77の下句の末尾の7文字を43で切ったり25で切ることを嫌う。43に関しては、古今集以降の和歌から来た習慣で、江戸時代の俳諧でも天和の破調を別にすれば、かなり厳密に守られている。万葉の時代には特にこの規則はなかったようで、「旅行く我を」だとか「妹とは呼ばじ」「手折りて行かむ」などの例がある。近代短歌も万葉に倣って、特に43の禁はない。
25については、万葉にも「我恋めやも」「たづ鳴き渡る」などの例があるが、それ以後でも有名な、
人すまぬふはの関屋のいたびさし
あれにし後はただ秋の風
藤原良経
のような例があり、あまり厳密に守られてはいない。この「湯山三吟」でも、
みちくるしほや人したふらん 肖柏
老いてや人は身をやすくせん 宗祇
身のふりぬまに何おもひけん 宗祇
などの25の句がある。
季題:「泉」;夏。水辺。その他:「秋の声」は涼しくてさながら秋の声のようだという意味で用いられていて、意味的に秋ではないので、秋の季語とはしない。このあたりが古典の時代の実質季語と、今日の形式季語との違いといえよう。
泉をきけばただ秋のこゑ
螢とぶ空に夜ふかくはしゐして 肖柏
古註1源氏中川の宿の様にや。螢火乱飛秋已近のよせもあるべし。
古註2螢とぶ夜、はしゐして涼みたる也。
古註3はしゐの躰なり。庭などの泉をきく心歟(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(螢とぶ空に夜ふかくはしゐして泉をきけばただ秋のこゑ)
螢の飛ぶ空に夜更けまで縁先に座って、泉を聞けばただ秋の声がする。
「源氏物語」帚木の、
「にはかにとわぶれど、人も聞き入れず。寝殿の東面払ひあけさせて、かりそめの御しつらひしたり。水の心ばへなど、さる方にをかしくしなしたり。田舎家だつ柴垣して、前栽など心とめて植ゑたり。風涼しくて、そこはかとなき虫の声々聞こえ、螢しげく飛びまがひて、をかしきほどなり。人びと、渡殿より出でたる泉にのぞきゐて、酒呑む。」
を踏まえた埋み句。
光源氏が方違えのため、今の京都御所の東、紫式部が暮らしたという廬山寺もある中川の渡りの紀伊守邸へ行き、その縁側で涼みながら泉の音に耳を傾け、飛び交う螢、すでに鳴き始めた秋の虫の声などを聞く。物語では、ここから空蝉の寝所に忍び込むことになる。今でいえばレイプなのだが‥。それに脱ぎ捨てられた下着の匂いを嗅いだりして、けっこうトホホな光源氏が描かれている。乱れ飛ぶ螢はその不吉な前兆でもあったのだろう。
源氏に結び付けなくても、『和漢朗詠集』に、
螢火乱飛秋已近 辰星早没夜初長
蛍火乱れ飛びて秋已に近し、
辰星早く没れて夜初めて長し、
夜座 元稹
とある。
季題:「螢」;夏。虫類。夜分。その他:「夜ぶかく」;夜分。「空」は「新式今案」では一座四句物で、7句目に次いでこれが二回目。
螢とぶ空に夜ふかくはしゐして
物思ふ玉やねんかたもなき 宗長
古註1もの思ふ比、よふかく端居して、思へる心也。螢を我魂に比したる句也。物思へバさハのほたるも我身よりあこがれ出る玉かとぞミる。
古註2物思ひゆへニ、我たましゐノまよひありくと云義也。付る心ハ、ほたるノごとく我玉のまよふト云事也。
古註3ものおもふ夜などは、いねがてにして、はしゐなどするものなり。前へよる心は、螢を玉しゐによみなせっる哥あり。玉しゐが出て行か也。物おもへば沢の螢もわが身よりあくがれいづる玉かとぞみる。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(螢とぶ空に夜ふかくはしゐして物思ふ玉やねんかたもなき)
螢の飛ぶ空に夜更けまで縁先に座って、物を思う魂は寝るところもない。
本歌や本説の句は、同じ歌や物語の趣向が三句にまたがってはいけない。つまり、ここでは源氏を離れなければならない。こういうとき、別の歌や物語の縁で逃れることが多い。この場合は、
男に忘られて、侍りける頃
貴船にまゐりて、みたらし川に
螢のとび侍りけるを見て詠める
物思へば沢の螢もわが身より
あくがれ出るたまかとぞみる
和泉式部『後拾遺集』
乱れ飛ぶ螢を自らの生霊にたとえ、苦しい恋を詠んだ歌だ。
乱れ飛ぶ螢を見ていると、それがあたかも自分の生霊を見るようで、とても眠れやしない、そのために夜更けに端居している、と付く。
季題:なし。その他:恋。「ねんかた」;夜分。
物思ふ玉やねんかたもなき
枕さへしるとはするな我が心 宗祇
古註1まくらが思ひを知と、おほくよめり。枕がしるとおもはば、物思ふ魂のね所ハあるまじけれバ、知といふことを、我心しるなとなり。
古註2一句は、しるといへバまくらだにせで、と云哥也。まくらハしるとも、我心、枕ノしるとな思ヒソ。そのゆへハ、我心ノしるゆへ、玉ハうかれて行なり。まくらニ我たまきへてしんすなどいへり。
古註3一句は、枕の恋を知といふ事より付なせり。枕さへ知と思へば、ねんかたもなきほどに、只枕も恋をしるとなおもひそとなり。わが心をわれといひのぶる也。枕の恋をしるといふ事あまたなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(枕さへしるとはするな我が心物思ふ玉やねんかたもなき)
枕までが知っていると思うな我が心、物を思う魂は寝るところもない。
「寝ん方もなし」を魂に限らず、単純に寝る場所がないという方向に持ってゆき、その理由を考えたのだろう。それは、我が恋を枕に知られてしまうからで、そんなことは考えるな、と付ける。「枕さへ知る」と知れば寝る場所がなくなってしまうからだ。
季題:なし。その他:恋。「枕」;夜分。「我が」;人倫。
枕さへしるとはするな我が心
涙をだにもなぐさめにせん 肖柏
古註1まくらが涙を知と思ハバ、おもふままにこぼしかぬべきのよし也。
古註2付る心ハ、枕ノしると、心ノ思はずは、涙ヲなぐさみにせんト也。
古註3なみだは、枕にかかる物也。一句心ハ、なみだ枕に落る也。其をなぐさむと云は、あまりのせつなる時の心なり。枕しるは、なみだをとしかねたるこころなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(枕さへしるとはするな我が心涙をだにもなぐさめにせん)
枕までが知っていると思うな我が心、涙だけでも慰めにしよう。
苦しい思いを枕が知っているというのは、枕に涙が染み込むからで、そう思うと泣くこともできなくなる。でも悲しいときは泣いたほうがいい。金八先生だってそう歌っている。
♪悲しみこらえて微笑むよりも
涙かれるまで 泣くほうがいい
人は悲しみが 多いほど
人には優しく できるのだから
海援隊『贈る言葉』より
季題:なし。その他:恋。
涙をだにもなぐさめにせん
藤ごろも名残おほくもけふぬぎて 宗長
古註1藤ごろもハ、なき人の形見ながら、かぎりあれば、けふぬぎ侍也。涙をだにもとおもへり。限あればけふぬぎ捨つ藤衣はてなき物ハ涙なりけり。君こふる涙はきハもなき物をけふをバ何のはてとしいふらん、是等のよせなるべし。
古註2露をだに今はかたみの藤衣あだにも袖をふくあらし哉ノ哥ヲとれり。名残おほくもけふぬぎて、なみだを形見ニなさんと云心也。
古註3この一句哀傷也。藤衣とは色の衣也。忌事過ぬれば、ぬぎすつる也。しかれば、なみだなりとも余波にせんとなり。古哥に、かぎりあればけふぬぎすてつふぢ衣はてなき物は涙也けり。終とは、いみのかぎりある日をいふ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(藤ごろも名残おほくもけふぬぎて涙をだにもなぐさめにせん)
藤の喪服も名残惜しいが今日脱いで、あとは涙だけで慰めにしよう。
藤衣は喪に服するときに着る服。喪というのは、古くは死者の魂を呼び寄せ、再生を願う期間だった。いくら死が冷徹な事実であっても、それが愛する人であればあるほど、その事実が信じられないし、信じたくないものだ。きっとあの人はまだ生きている、きっと帰ってくる、そんな心情を無下に否定するのではなく、一定期間社会的に容認するのが、喪の役割だとも言える。
しかし、時がたてば、いつか死という現実を受け入れなければならない。喪の期間が終了すれば、藤衣を脱ぎ、普通の日常に復帰しなくてはならない。だけどそれで悲しみが消えるものではない。ただ泣くことだけが慰めになる。
古代には親が死んだときは一年間喪に服したといい、のちに仏教が浸透して四十九日になったが、今は葬式が終わればすぐに仕事だったりする。これは本人以上に、周囲の人間が薄情になった結果だろう。こんな時代に「孝」なんてものを求めるのも無理な話だ。
古註に引用されている歌は、
恒徳公の服脱ぎはべるとて
限りあれば今日脱ぎ捨てつ藤衣
はてなき物は涙なりけり
藤原道信朝臣(『拾遺集』巻20、1293)
君恋ふる涙は際もなきものを
今日をば何の果てといふらん
『源氏物語』幻巻
父秀宗身まかりての秋
寄風懐旧といふことをよみ侍りける
露をだに今はかたみの藤ごろも
あだにも袖を吹くあらしかな
藤原秀能(『新古今集』巻8、789)
で、これらの歌の余情とする。
季題:なし。その他:哀傷。「藤衣」;衣装。「名残」は一座二句物。只一、花などに一とあり、この場合は只。今日も一座二句物。
藤ごろも名残おほくもけふぬぎて
いでんもかなし秋の山寺 宗祇
古註1親の思ひに山寺に籠など、集の詞書におほく侍り。一句ハ、山寺に心をとめたるなるべし。又、一夏籠の名残の心も有べし。
古註2一句は、秋ノさびしき所ヲ出ん事ノヲシキト云義也。付る心ハ、服過テ、山寺ニ籠居シたるヲ云る義也。
古註3一句は、秋のかん也。新古今の哀傷の哥に、誰もみな花の都にちりはててひとり時雨る秋の山里、と有心にて付なり。秋という字が肝要也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(藤ごろも名残おほくもけふぬぎていでんもかなし秋の山寺)
藤の喪服も名残惜しいが今日脱いで、出て行くも悲しい秋の山寺
喪の期間は生産活動から離れるわけで、部屋に引きこもる人もいれば、寺で過ごす人もいる。四十九日が明けても、寺にこもって修行する人もいた。
この場合は夏籠りに参加したのだろう。夏籠りは、夏行とも夏安居ともいう。旧暦4月16日に始まり7月15日に終わるから、山を降りるときには秋になっている。
古註1の「集の詞書におほく」というのは、古註3で引用されている、
年ごろ住み侍りける女の、
身まかりける四十九日果てて、
なほ山里に籠りゐてよみ侍りける
誰もみな花の都に散り果てて
ひとりしぐるる秋の山里
藤原顕輔(『新古今集』巻8、764)
のようなものを指すと思われる。
季題:「秋」;秋。その他:釈教。「山寺」は山類。
いでんもかなし秋の山寺
鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れ 肖柏
古註1山寺の帰路に鹿の音を感じたる義也。かなしきは、露をかなしぶの類にや。
古註2しかノ音ヲ跡にして出るをしキ義也。
古註3前句は、秋のかなしきなり。今度は鹿の音おもしろきに、山を出んかなしき也。此かなしきは、興ずるかなしき也。浦こぐ舟のつなでかなしきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れいでんもかなし秋の山寺)
鹿の音をあとにして峰の夕間暮れに、出て行くも悲しい秋の山寺
句は倒置されていて、「峰の夕間暮れに、鹿の音をあとにして出て行くのも」とした方がわかりやすい。
前句の「かなし」を、夕暮れの鹿の音がしみじみと悲しげだと取り成した。
季題:「鹿」;秋。獣類。一座三句物。只一、鹿の子一、すがる一で、この場合は只。その他:「夕」は一座二句物、「夕暮」だと一座一句物だが、この場合は「夕間暮れ」。「夕」の字のつく熟語は「新式追加條々」で一座四句で各懐紙に一句と別に定められている。「夕」は10句目と44句目にあり、夕のつく熟語は75句目に「夕煙」、81句目に「夕がらす」がある。「夕月」「夕立」が一座一句なのを考えると、こうしたものを含めて四句ということか。
鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れ
野分せし日の霧のあはれさ 宗長
古註1跡なる峰は、野分の跡なり。
古註2一句は、源氏ニ野分ノ後ノ朝心也。跡ナルみねとは、野分ノ跡ニ付なしたる也。
古註3前の跡といふ字、今度は野分の跡と付なせり。野分には鹿もなかず、霧も消うせしに、跡より霧もたち、鹿も鳴心なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(鹿の音を跡なる峰の夕ま暮れ野分せし日の霧のあはれさ)
鹿の音があととなる峰の夕間暮れ、野分の去った日の霧のはあわれだ。
「跡なる」を鹿の音を背中に聞いてという意味ではなく、野分の去ったあとという意味に取り成す。
鹿の音をあとなる嶺の夕まぐれ野分せし日の霧のあはれさ
これだとわかりにくいが、
野分せし日のあとなる嶺の夕まぐれ、鹿の音を(聞く)霧のあはれさ
と並び替えればわかりやすい。
季題:「野分」「霧」;ともに秋。その他:「霧」は聳物。
野分せし日の霧のあはれさ
しづかなる鐘に月待つ里みへて 宗祇
古註1本哥由緒もなくて、何とやらん面白句也とぞ。野分の眺望、身づから吟じて知べし。
古註2鐘に月待とは、其時分、月待里見えたる心也。霜ヲまつまがきのきくのよひのまにと、霜ノふる時分、きくニ対して云也。
古註3この里は、心ある人の宿か。野分のあとの閑なる夕などに、月を待躰なり。大やうなる句にて、心有也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(しづかなる鐘に月待つ里みへて野分せし日の霧のあはれさ)
静かな鐘の音に月を待つ里が見えてくる、野分の去った日の霧のはあわれだ。
これは「日」に「月」を付ける違え付け。
台風は去ってもまだ夕暮れに霧が残り、晴れきらぬなかで月を待つ里人の心に思いをはせる。
不安な中に光を求める心情は、何か心を打つものがある。
季題:「月まつ」;秋。夜分。光物。その他:「里」;居所。「鐘」は一座四句物。只一、入逢一、尺教一、異名一、とあり、この場合は入逢の鐘。
しづかなる鐘に月待つ里みへて
行きて心をみださんもうし 肖柏
古註1心をしづめて、月待里人を尋がほならんもいかがと也。無文なる風情、一両句つづき侍れバ、ことはりを付られたり。句ハやり句なりとぞ。
古註2一句ハ恋也。月待里へゆきては、さはがしからんと也。
古註3これは、こころある人のしづかに月を待折ふし、行て心をみださばいかがとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(しづかなる鐘に月待つ里みへて行きて心をみださんもうし)
静かな鐘の音に月を待つ里が見えてくる、行ってあの人の心を乱すのも辛いことだ。
景色の句が続いたところで、恋に転じる。
恋人の元に戻りたいけど戻れない、何か深い事情があるのだろう。平和に暮らしてるのなら、あえて波風立てるまでもないと立ち去る。
季題:なし。その他:恋。
行きて心をみださんもうし
我ならでかよふや人もしのぶらん 宗長
古註1我とふ人に、又忍ぶ人あるべし。行てみあらはさんこそ、本意なからめと、好色の人ハ、用捨ある物也。物語などに此心おほし。一句ハ、誰もさこそと云り。
古註2われならで、たが忍ぶらん。行て心ヲみださん事もくちおしき義也。仁ノ義也。
古註3あだ人などにかよふ心か。いかなる人も忍びて有べき所へ行て、心みださむなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(我ならでかよふや人もしのぶらん行きて心をみださんもうし)
自分以外の通う男も忍んで来るかもしれない、行って心を乱すのも辛いことだ。
前句を相手の心を乱すのではなく、自分の心が乱れるとして、他の男と鉢合わせになることを恐れる句とした。
「我ならでかよふ人も忍ぶらんや」の倒置。
別に身を引こうとかいうのではなく、多分時間を変えて尋ねようというのだろう。
季題:なし。その他:恋。「われ」「人」;人倫。
我ならでかよふや人もしのぶらん
ふるき都のいにしへの道 宗祇
古註1行様珍重なる物也。
古註2たれもふるき都へかよひて、むかしの事ヲバ忍ぶべしと付る也。
古註3前は、人の方へ通ふ事也。今度は、古き都の道へ通ふなり、と仕たり。忍ぶといふ字、むかしを忍ぶかたへ付なせり。われならずとは、誰ともとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(我ならでかよふや人もしのぶらんふるき都のいにしへの道)
自分でなくても人は偲んで来るかもしれない、古い都の昔の道。
これは上手く落ちをつけた。
「しのぶ」を昔を「しのぶ」意味に取り成し、我ならで、人もしのぶ、として、古都の道を付けた。
季題:なし。その他:懐旧。「都」は一座三句物。只一、名所一、旅一で、この場合は只。
ふるき都のいにしへの道
咲く花もおもはざらめや春の夢 肖柏
古註1一句ハ、春の程なく夢のようなるを、あだなる花も思ふべきのよし也。前句による心ハ、旧都のむなしき春を、花も思ふらんと也。是又、やすやすとミるべき。
古註2一句は、咲花モ、春ノ夢トなる事ヲバおもはんト也。付る心は、花もふるき都ヲバしのぶらんト也。
古註3春の夢とおしむ故に、はやく過るをはるの夢とよみなせり。哥にあまた見ゆ。そのあだなるをば、花もおもはであらじなり。古きみやこといふにて夢となる心か。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(咲く花もおもはざらめや春の夢ふるき都のいにしへの道)
咲いている花も思っていることだろう春は夢のようだと、古い都の昔の道。
前句から、かつての栄華の面影もなく、すっかり寂れて田畑の広がる古都の景色を見ると、春は夢のようにはかなく去っていくものだという情を汲み取っての付け。
夢のように去ってゆく春のはかなさは、今を盛りと咲き誇る古都の桜もきっとそう思っている。
さざなみや志賀の都はあれにしを
昔ながらの山桜かな
平忠度
の歌も思い浮かぶ。
古都というと、今は観光向けに整備された、開けたイメージがあるが、かつては文字通り放棄された都で、近江京の跡である滋賀の唐崎は歌枕として有名だった。
なお、当時はまだ月や花の「定座」はなかったが、この湯山三吟に関して言えば、名残の懐紙以外は裏の最初の句に花が詠まれている。
季題:「花」「春の夢」;春。「花」は植物(木類)で、「応安新式」では一座三句物で、一枚の懐紙(表、裏あわせて)につき一句のみ。「新式今案」でも一座三句物だが、その下に「近年或為四本之物、然而餘花は可在其中」と注記がある。
咲く花もおもはざらめや春の夢
さくらといへば山風ぞふく 宗長
古註1花ごとに残とどまる事ハなけれ共、殊更なる夢になす山風を、桜もうらめしくおもハざらめやと也。
古註2付る心ハ、花も山かぜヲ恨とおもはざらめやト也。
古註3一句、桜とだにいへば、風の吹やすきなり。わがおしむから、か様に云なせり。前へよる心は、桜もうらむる心あるべきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(咲く花もおもはざらめや春の夢さくらといへば山風ぞふく)
咲いている花も思っていることだろう春は夢のようだと、ものが「さくら」だけに「咲く」と思ったらすぐに山風がそれを散らしてしまう。
これは宗長の技ありの一句。
和歌連歌で花といえば、言うまでもなく桜のことだが、ただ「花」に「桜」を付けても芸はない。そこを、「さくら」の名に「咲く」を掛けての展開、お見事としか言いようがない。
「山風」は山から吹き降ろす強い風をいい、
吹くからに秋の草木のしをるれば
むべ山風を あらしといふらむ
文屋康秀
の歌は百人一首でも知られている。ここでは秋だが、山風自体に特に季節はない。
季題:「桜」;春。植物(木類)。その他:「山風」;山類。
さくらといへば山風ぞふく
朝露も猶のどかにてかすむ野に 宗祇
古註1露よるけなる花なるべし。
古註2かぜニモ露ハ残ル事ノある也。朝露長閑にて、霞む時分ナレドモ、桜トいへバ、カぜノふくと也。
古註3あさ露のうちかすむ、のどやかなる折ふし、桜には、風吹やすげなる躰なり。只さくらとだにいへば、ちらしやすきなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(朝露も猶のどかにてかすむ野にさくらといへば山風ぞふく)
朝露はいつものように長閑そのものの霞たなびく野に、「さくら」といえば「咲く」と思ったらすぐに山風に散ってしまう。
山風に散る桜に長閑な朝露は、違え付け。
朝露は風に吹かれて葉からこぼれ落ちても、またそこで露の玉を結び、なかなか消えることはない。
春の霞たなびく野辺はこんなに長閑なのに、どうして桜だけが散り急ぐのかという心は、
ひさかたの光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ
紀友則
の歌を髣髴させる。
季題:「かすむ野」;春。その他:「露」はこの場合は無季。降物。「朝」は一座四句物。
朝露も猶のどかにてかすむ野に
打ちながむるもあぢきなの世や 肖柏
古註1はかなき世にくらべば、朝露も長閑なるべし。観念の様也。是又地連歌也。
古註2朝露ヲ見テ、身ヲくわんじたる心也。
古註3一句は、うちながめとは、世のあだなることを案ずることなり。なをといふにあたれば、世をあんずるに、あさ露よりも世はあだなりといふ心也。古哥に、あだ夢は消かへりてもありぬべしたれかこの世をたのみはつべき。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(朝露も猶のどかにてかすむ野に打ちながむるもあぢきなの世や)
朝露はいつものように長閑そのものの霞たなびく野に、物思いに耽るというのもつまらない世の中だ。
この句を、朝露はこんなに長閑だというのに、世の中は愁いに満ちている、という意味に取ると、散る花の悲しさに逆戻りするような感じがする。ここはもっとポジティブに、雄大な自然の長閑な時間の流れから見れば、人間の悩みなんてちっぽけなものだという意味に取りたい。
古註3で引用されている和歌は、『続後拾遺集』巻16の、
朝露は消え残りてもありぬべし
誰かこの世をたのみはつべき
詠み人知らず
と思われる。
朝露は消えても消えても残るものなのに、一体誰がこの世に絶望したりするのだろうか。
季題:なし。その他:述懐。「世」は一座五句物。この場合は只なので、只が二句目となる。これは一応違反ということになるが、この程度の軽微な違反は一巻のなかで必ずあるもので、むしろここまで完璧だったことの方がすごいことだといってもいい。おそらく一句につき5分もかからないくらいのスピーディーな運座のなかで、煩雑な連歌のルールを全部チェックすることは難しいことで、また、一度治定し、次の句が付いてしまったときは、あとで違反だと気付いても、遡ってやり直すということはしない。その点では、ルールの運用はサッカーの笛に近いものだと考えていい。「神の手」ということもありうるのである。
打ちながむるもあぢきなの世や
更くるまで身のうき月をいみかねて 宗長
古註1月をミるハいむと云事、古来申こと也。本哥■後撰の哥はじめなるにや。いむとハ、我身のため不吉の事也。心ハ、夜ふかき月に対して、身のためあぢきなき月をも、独ねのなぐさめがたきに、忘てハさしむかふ心をおどろきて、打ながむるもと、打なげきたる様也。甚深不可思議の金玉也。なをざりにミるべからず。新撰菟玖波集にも入けん。本哥、独ねの侘しきままにおき居つつ月を哀といミぞかねぬる。
古註2ひとりねのさびしきままにをきゐつつ月をあはれといみぞかねたる、と云哥也。あぢきなきまま見ると也。
古註3一句は、月をいむと云事有。月をさのみ執すれば、いむ事なり。然どもかねて月をうちながむると付る也。哥に、思ひかねわざとむかふもかひぞなきいむてふ月のものわすれして。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(更くるまで身のうき月をいみかねて打ちながむるもあぢきなの世や)
夜更けまで自分にとって不吉な徴である月も忌むことができずに、物思いに耽りながら眺めるというのもつまらない世の中だ。
月を忌むということは、『後撰集』の、
月をあはれといふはいむなりと
いふ人のありけれは
ひとりねの侘しきままにおき居つつ
月をあはれと忌みぞかねつる
よみ人しらず
の歌にも見られ、この歌が本歌とされている。
月は月見などして、眺めてはもてはやすものであるが、それを忌むということはどういうことだったのか。
おそらく、月の夜をみんなで賑やかに過ごすというのは、逆に言えば独り鬱々と月を見ることをタブーとしていたということなのであろう。
月は西洋ではルナティックという言葉もあるように、洋の東西を問わず感情を乱すと見られていたのであろう。大潮が人の行動に影響与えるという説もあるが、はっきりとはしないものの、経験的にそういうことが言われてきたのであろう。
月が感情を増幅させる効果があるとすれば、陽気に騒げばそれだけ幸せになれるが、独り悩んでしまうとどんどん憂鬱になってしまう。それが「憂き月を忌む」ということなのではなかったか。
古註3で引用されている歌は、正徹の『草根集』の中の歌。
寄月恋
思ひかねわざとむかへとかひぞなき
いむてふ月も物忘して
正徹
季題:「月」;秋。夜分、光物。その他:「身」;人倫。
更くるまで身のうき月をいみかねて
今よりいとふながき夜のやみ 宗祇
古註1身のうき月ながら、長夜闇をいとふ故に、いミかぬる心也。一句ハやうなし。
古註2いまより後ノ世ヲ思ヒたる心也。
古註3長き夜とは、秋のけしき也。前はよる心は、後の世のやみの心か。月をいむといへども、後世を思へば、いむ心忘也。やみをいとふこころ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(更くるまで身のうき月をいみかねて今よりいとふながき夜のやみ)
夜更けまで自分にとって不吉な徴である月も忌むことができずにいる、今からでも死後の永遠の闇を避けたいから。
月を見ずにいられない心を、死後の永遠の闇を思うにつけ、光を求めずにいられないからだとした。これは無明の闇に対して真如の光を求める、釈教の心でもある。
生きるということは、ほとんど避けることができずに生存競争の尽きることのない争いとなる。有限な地球の上に無限の生命の繁栄は不可能だからだ。生物は子孫を確実に残すためには、不測の事態に備えて、常に過剰に増え続ける。過剰があれば、そこに淘汰が生じる。それが自然の掟だ。
だから、人生は常に生きるための限られた椅子を奪い合う戦いだ。勝利を信じて戦っているうちは、それが正しいことだと誰しも思う。夢を持ち、希望に向って、日々自己実現のために切磋琢磨する日々は、苦しくもあれば楽しくもある。自分のわずかな居場所のために‥‥それだけなのに、人は戦いに明け暮れ、一部の幸運な勝者を除けば、やがて夢破れ、年老いてゆく。
そして、結局は勝者であろうと敗者であろうと、最終的に死が訪れる。死だけは平等だ。どんな人生の勝者も、これを逃れることはできない。
本当の光は、この世での勝利なんかではないし、現世での成功の夢や希望ではない。むしろそれをすべて失ったとしても残る、闇の中のかすかな光。つまり、死こそが本当の救いであること。もちろん、死ぬことが救いなのではない。それを間違ったら仏教は人殺しの哲学になる。死を思うこと、死を思うことが可能なこと、それが生きているということ、それが救いなのである。
永遠の闇を思うのは怖くて、身の毛のよだつことかもしれない。でも、それを受け入れた時から月は忌むべきものではなく、真如の月となる。
季題:「ながき夜」;秋。夜分。その他:釈教。
今よりいとふながき夜のやみ
いさり火をみるも冷じ興津舟 肖柏
古註1漁火を見て、来生の闇を思ふ由也。
古註2人ノツミノ事ヲ今より見たる様也。
古註3眼前の躰なり。いさりはやみにする物なれば、いさりをみて、罪といひ、闇といひ、今よりはと、いとふ心成べし。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(いさり火をみるも冷じ興津舟今よりいとふながき夜のやみ)
いさり火を見るにつけても寒々としている沖の舟、今からでも死後の永遠の闇を避けたいから。
本来「すさまじ」は「さめる」「さむい」に接頭語の「す」がついた形で、本来は気持ちが醒める、しらける、冷ややか、という意味だった。今でいう「寒いネタ」は昔でいえば「すさまじきネタ」ということになるだろう。
これに対し「すごし」という言葉は、同じ寒い感じでも身にこたえる寒さ、ぞっと背筋が寒くなる感じをいう。そこから鳥肌が立つような、恐ろしいものも、感動的なものも「すごし」と言った。この後者のほうが、今の「すごい」だとか「ものすごい」になっている。
現代語でいう「すさまじい」というのは、悪い方の意味で「ものすごい」ということだが、これは「すさまじ」と「すごし」が同じ寒いという意味で一緒くたになり、さらに「すさぶ」とも混同された結果だろう。
本来「すさぶ(すさむ)」は気のむくまま、ほしいがままという意味で、「老いのすさび」というのは、歳とって心の欲するがままに、という意味で、別に心がすさんでいるわけではない。近代になると、おそらく「風が吹きすさぶ(風がほしいままに吹く)」という言い回し以外にあまり使われなくなったことから、すさぶ、すさむ、は悪い意味になってしまったのだろう。
ぞくっとするような寒さをほしいままにするというところで、今の「すさまじい」という語感が成立っているが、本来は感動とは逆の無感覚な感じを「すさまじ」と表現した。
そのため、「すさまじ」は「冷じ」という字を当て、秋の季語となる。
そういうわけで、この句は「いさり火」に感動しているのではない。いさり火を見て、こんなのではだめだ、殺生をしていると来世で地獄に落ちると醒めた気分で、それを見ているのである。
ところで、結局人間は殺生なしでは生きられないのだし、それはどんな敬虔な仏教徒でも知らないはずはない。自分もさんざん殺しているのだから、いつか自分が死んでもそれを因果応報として受け入れなくてはならない、それが悟りとなる。だが、それは死の可能性を、死への存在を生きることに他ならない。永遠の死を生きることなのである。
そこを履き違えると、仏教はいつでも人殺しの哲学になる。自分にとっての死の可能性を感じることが大事なのであって、本当に死んでしまえば、それも感じることができなくなる。だから、罪深き人を殺すことはその人を救うことになるという種のポアの思想はまちがっているのである。
おなじく、自分自身の殺生の自覚は大事だが、他人の殺生を責め立て、殺生を生業にしているという理由である種の職業の人を差別したりすることは、本来の仏教の精神とはいえない。それはやはり履き違えた仏教なのである。
季題:「冷じ」;秋。その他:「いさり火」;夜分、水辺(用)。「興津舟」;水辺(用)。
いさり火をみるも冷じ興津舟
夕の浪のあら磯のこゑ 宗長
古註1荒磯のミならず、沖のいさり火も冷じきよし也。
古註2すさまじキニ、あらいそを付る也。一句ハ、ただなり也。てう望の心也。
古註3なみかぜのあらき躰なり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(いさり火をみるも冷じ興津舟夕の浪のあら磯のこゑ)
いさり火を見るにつけても寒々としている沖の舟、夕方の波の荒磯の声。
荒涼とした海にいさり火のともる遠景に、荒磯に打ち上げられる波の音という近景を付け、一つの絵としている。ちょっと一休みという感じか。
季題:なし。その他:「荒磯」;水辺(体)。「ゆふべ」は一座二句物。十句目は「ゆふ」で今回は「ゆふべ」と変えている。
夕の浪のあら磯のこゑ
ほととぎすなのりそれとも誰わかん 宗祇
古註1「夕浪(ゆふなみ)のまがひに一声過たるハ、誰聞分べきと也。海辺の時鳥に、なのりそハ、さだまれる寄合ながら、一句のしたてる美珍重(ちんちゃう)也。なのりそをたちいるる也。
古註2あらいその声ヲ、郭公ノ声ニ付る也。なのりそをたちいるる也。
古註3前は浪のこゑ、今度は郭公ノ声に付なせり。海辺も時鳥とてあまたあり。名のりそれ、といふうちに、海草の名を入らる也。古哥に、玉藻かるいらこの磯のなのりそのなのりもいでぬ子規哉。とある縁もあり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(ほととぎすなのりそれとも誰わかん夕の浪のあら磯のこゑ)
ホトトギスが名乗りを上げても誰がそれとわかるだろうか、夕方の波の荒磯の声。
この句は、海草の名前である「なのりそ(ホンダワラ:藻塩の材料になる)」の文字が隠されていて、その文字が前句の「荒磯」と寄り合いになっている。
ホトトギスは夏鳥で、旧暦の4月に入ったあたりで渡ってくるところから、その初音を夏の風物として珍重してきた。夜明けまで待ってやっとその声を聞くというのは、あくまで初音を聞くためのもので、ひとたび鳴き始めると、そんなに珍しいものではなくなる。大事なのはあくまで初音であって、それを、ただいま参上という「名乗り」に例えられたりもした。
そんなみんなが夜中まで待っても聞こうとするホトトギスの初名乗りも、荒磯の波の音にかき消されてしまっては残念だ。
古註3で引用されている歌は、『続後拾遺集』の、
あまの刈るいらこが崎のなのりその
なのりも果てぬ時鳥かな
大江匡房
季題:「ほととぎす」;夏。鳥類。一座一句物。その他:「誰」;人倫。
ほととぎすなのりそれとも誰わかん
かへらん旅を人よわするな 肖柏
古註1時鳥を聞て、我かへるびき旅を忘るなと、古里人■いふよし也。不如帰と鳴鳥なれバ、よそへていへり。誰わかんハ、契し人も思ひ出がたかるべしと、身を卑下したる由也。
古註2不如帰トナケバ、是ヲ聞テやがてかへり給へと、旅人ニ対して云也。
古註3一句、旅行人を故郷人、たがひにちぎる心也。前へ付る、ちと心得がたき也。郭公を不如帰といふことに付て、帰にはしかじと也。其声を誰ききわかむ、故郷人しれとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(ほととぎすなのりそれとも誰わかんかへらん旅を人よわするな)
不如帰が不如帰─帰るにしかず─と名乗りを上げても誰がそれとわかるだろうか、必ず帰ってくる旅だということをみんな忘れないでくれ
ホトトギスの声というと、今は「てっぺんかけたか」と言われているが、古代の中国では不(ピュー)如(ニョ)帰(キューイ)と聞こえたのだろう。意味は「帰るにしかず」つまり「帰りたい」ということ。
ホトトギスの声を聞いて、それが「帰りたい」と鳴いているのだと、誰がわかってくれるのだろうか。そう故郷の人に問いかけ、必ず帰ってくる、忘れないでくれと約束する。
季題:なし。その他:羇旅。「人」;人倫。「旅」は一座二句物で、只一、旅衣など云一となっているが、七句目に「旅の空」とあり、只が二句になっている。
かへらん旅を人よわするな
あかぬやと試みにすむ山里に 宗長
古註1心ミに旅立て、かりそめに住山里を、故郷人の帰るまじきやうに忘れバ、いかならんと也。ぬるき閑居のやうなれども、かjへりて用心ふかきにや。是又、世上のありさまの正風也。
古註2一句ハ、まづ山里ニ心見テ住たる也。山家ニすむべきかと、心みたる義也。やがてかへらん、人よ忘るなと付る也。よしの山やがて出じノ哥ノ心也。
古註3一句は、山居初すむべき心をあやぶむなり。前へは、世をすてて出ぬれど、いかがあらん、と又ふる郷をたのむ心なり。人よわするなとは、たのむこころ也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(あかぬやと試みにすむ山里にかへらん旅を人よわするな)
飽きずにいついてしまうのかい試しに住むはずの山里に、いつか帰ってくる旅だということを人よ忘れないでくれ
上五を「ありぬやと」とするテキストもある。この方が「そのまま住み着いてしまうのか」という意味がわかりやすい。「試みにすむ山里にありぬやと」の倒置。
前句を故郷人に呼びかけるのではなく、故郷人の立場に取り成し、そのまま住み着いたりしないだろうね、必ず帰って来いよと呼びかける。
季題:なし。その他:羇旅。「山里」;山類。居所。
あかぬやと試みにすむ山里に
ならはばしをれ嵐もぞうき 宗祇
古註1いまだ住もならハぬ人に、嵐のはげしきをいへる也。
古註2山里ニ住なれたらんトキハ、嵐モふけ、まだならはぬ時は、吹なと付る也。
古註3なれぬ身には、嵐はうきなりと云て、前による心は、やまにすみならはばしほれ、ならはぬ程は、やまのあらしいかがとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(あかぬやと試みにすむ山里にならはばしをれ嵐もぞうき)
飽きずにいられるかと試しに住んでいる山里に、慣れたなら嵐に吹かれるがままにしおらしくしなるが、慣れなければ嵐はただただつらいことだ。
「しをる」というのは、草木が元気を失ってしおれてゆくことだが、古来こうしたさびしげな風情は一つの美とされてきた。後に芭蕉も「さび」とともに「しをり」を大事にした。
『水無瀬三吟』に、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き 宗祇
という句がある。
普通は山里での暮しに慣れなければ逃れてきた苦しい日々の記憶に悩まされ憂鬱になるが、慣れてくるとそれがいい思い出に変わり寂しくなってくる。芭蕉の発句に、
憂き我を淋しがらせよ閑古鳥 芭蕉
の句もそうした心なのだが、それを「寂しさも憂き」というところが面白かったわけだが、「ならはばしをれ」は寂しさに萎れる境地を指すのだろう。
そこまで行かなければ、山里の暮らしはただただ過去の辛い出来事がよみがえってきては憂鬱になり、「寂しさも憂き」となる。
「ならはばしをれ嵐もぞうき」もそうした心情で、慣れないから嵐が憂鬱な記憶を呼び覚ます。
季題:なし。その他:「あらし」は一座一句物。
ならはばしをれ嵐もぞうき
つれなしや野は霜がれの思ひ草 肖柏
古註1霜枯の野べに吹ならバ、我思ひ草をも残さずしほれと也。もぞうきハ、嵐をかこつよし也。行様寄妙なるにや。
古註2野は霜がれの時分ナレドモ、思ヒ草ノかれぬ事也。ならはばしほれとハ、野ノ草ヲバ吹からしたれども、思ヒ草ヲバからさぬ事也。
古註3心得がたき付やうなり。一句は、思ヒ草秋の夢ばかり、それは霜につゐに枯行也。わがおもひ草は、其折にもかれぬを、つれなしやという也。しかれども、枯ぬわが思ひ草也とも、しほらしならふことあらば、わが思ひ草をもしほれとなり。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(つれなしや野は霜がれの思ひ草ならはばしをれ嵐もぞうき)
何ともつれないことだ、霜枯れの野に残された思い草、慣わしなら萎れてくれ、嵐もただただつらいことだ。
これも難しい「てには」の使い方だ。
霜がれの野の思ひ草はつれなしや、ならはばしをれ、嵐もうきぞ
の倒置だ。
「思い草」は今日でいうナンバンギセルのことで、『万葉集』巻10、2270に、
道のべの尾花がもとの思ひ草
いまさらになに物かおのはむ
よみ人しらず
の歌がある。
薄の根元でうつむき加減に咲く小さな花が、恋に悩む女の姿を連想させたのであろう。南蛮から新大陸原産のタバコが入ってくる前の時代には、「きせる」の連想はなかった。
冬になり、薄が枯れて、根元に寄生していた「思い草」だけがぽつんと取り残される。花が嵐に萎れるのが慣わしならば萎れさせておくれ。
「つれなし」というのは文字通り「連れ」がいないことで、一人っきりで味気なく、むなしいという意味。
季題:「霜がれ」;冬。降物。その他:恋。「思い草」;植物(草類)。
つれなしや野は霜がれの思ひ草
いつかこころの松もしられし 宗長
古註1我心の松をいつかしられて、つれなく残るぞとなり。とてもしられずバ霜がれはてよと也。松を思ひ草にとりなされたる句也。是猶三句目寄異なること也。
古註2思ヒ草ニ対して、心ノ松ヲ付る也。
古註3一句は、心ノ松とは、心に待事はしられぬもの故に、霜がれの折までも心の松とは、枯様に付也。(『連歌俳諧集』日本古典文学全集32、1974、小学館より)
(つれなしや野は霜がれの思ひ草いつかこころの松もしられし)
何ともつれないことだ、霜枯れの野に残された思い草、いつしか心が松の木のように待っていることもしられてしまった。
人知れずあの人が振り向いてくれるその日を待っていたつもりなのだが、いつかその思い草を隠していた薄が枯れてしまい、多くの人の知るところとなってしまった。
待っているうちに、いつの間にか年老いてしまったのだろう。心を紛らわしていた友達もいつしかいなくなり、独り寂しく昔からの一人の人を思い続けている姿がさらけ出されてしまった。
可憐な思い草も、今となっては松の老木?
季題:なし。その他:恋。「松」;植物(木類)。