現代語訳『源氏物語』

24 蛍

 源氏の君も摂政の地位にありながらも、国政は内大臣に任せて、いつも長閑に恋の物思いに沈んでる様子ですが、その周囲の人はそれぞれ皆思うがままの地位に着いて、何の不安もなく夢が叶ったかのようです。

 

 西の対の姫君だけが可哀想に、思ってもみなかった悩み事が加わり、どうしていいのか煩悶するばかりです。

 

 あの大夫の監の時の憂鬱ほどではないにせよ、せっかくこの上なくやんごとなき筋に保護されたのに、それでも人には言えないことが起きて、自分一人で悩み、どこに行っても嫌なことばかりと思ってました。

 

 もう十分判断の出来る年齢なので、いろいろ思案を重ねるものの、母を亡くした遺恨が今さらながらに思い返され、悔しくも悲しく思います。

 

 源氏の大臣も、行動に出してしまってからはなかなか難しいなと思い、他愛もない雑談などもせず苦々しく思うものの、それでも人目を避けながら頻繁に西の対にやってきては、女房達のいない静かな時を見つけては激しく迫り、その都度姫君は胸の潰れるような思いで、きっぱりと拒絶することもできず、ただ見知らぬ他人が来たかのように応対しました。

 

 元々陽気で気さくな人柄なので、とにかく仏頂面で張り詰めていても、可愛らしさは隠すことができないものです。

 

 兵部の卿の宮は小まめに手紙をよこします。

 

 こうした御苦労もまだ始まったばかりなのに、五月雨の物忌みの季節になるのを残念がって、

  「もう少し近くに居させてもらえれば、この物思いの一端でも晴らせるものを。」

 と書いてきてるのを源氏の大臣がご覧になって、

 

 「何か問題はあるのか?

 この公達に思われるだなんて、見込みがあるじゃないか。

 遠ざけたりしちゃいけない。

 その都度返事を書きなさい。」

 

 そう教えて書かせるのですが、ますます嫌になって、病気で気分が悪いといって聞きません。

 

 女房達の中にも特に親王大臣クラスの女房から引き抜いてきたような人は全くいません。

 

 ただ一人、母君の叔父の納言クラスに入らない宰相程度の人の娘で、性格的にもそう悪くはなく、没落した家から探し出してきたため、宰相の娘君とはいっても、書の方はなかなかで、それなりに落ち着きのある人で、こうした手紙などの返事を書く時には、この人を呼んで源氏の言うままに書かせてました。

 

 兵部の卿の宮へのお返事を書かせる時の源氏の様子に、何とかしなくてはと思ったのでしょう。

 

 その人は、このように異様に塞ぎ込むようなことがあったあと、兵部の卿の宮が愛情のこもった手紙を書いてきた時、しばらく見入ってしまうこともありました。

 

 兵部の卿の宮のことはともかく、源氏の大臣のあんな苦しそうにしている姿を見ないようにするにはどうすればと、さすがにその気になったのだろうと思いました。

 

 *

 

 源氏の大臣がしょうもない自己満足のために宮を呼び寄せようとしているのも知らないもんですから、こんな良い返事がきたのも思いがけず、兵部の卿の宮はお忍びでやってきました。

 

 寝殿の側面の両開きの出入り口に四角い敷物を敷いてそこに座らせました。

 

 姫君とは几帳を隔てるだけの近さです。

 

 入念な配慮のもとに、陰から漂って来る源氏の君の薫物(たきもの)の匂いがこれでもかと薫り、姫君を宮様に取り次ぐさまは、親というより迷惑なおせっかい焼きのようで、さすがに哀れに見えます。

 

 宰相の君なども、姫君の返事を取り次ぐのをためらって恥ずかしがってると、暗いぞと抓られたりして、困ったもんです。

 

 夕闇時を過ぎて、空は曇っててはっきりしない天気で、兵部の卿の宮のしっとりとした様子も優雅なものです。

 

 几帳の中から漂って来る風も、源氏の大臣の衣のこれでもかという匂いが混ざっているので、とにかく濃厚な香りで満ち満ちて、兵部の卿の宮様はそれを今まで思ってたのは違う姫君の香りだと思い、ますます興味を惹かれるのでした。

 

 兵部の卿の宮が切々と思う心を語り続ける言葉は、いかにも大人な感じで、ひたすら助平ったらしく口説くといったこともなく、さすがに品があります。

 

 大臣もこれは面白いと、裏で聞いてます。

 

 姫君は東側の部屋に入って床に就いたので、宰相の君が兵部の卿の宮の言葉を伝えようと、そこに膝で歩いて行く時、源氏の大臣が、

 

 「随分面倒なやり方をするな。

 どんなことでも空気を読んで、好印象を心掛けた方が良い。

 若者のようにぐいぐい押してくる状態でもないから逃げる必要もない。

 それに、こうした親王クラスの人に人づてに応対するようなことはやるべきではない。

 いちいち返事はしなくていいけど、もう少し近くで話すように。」

 

 そう忠告しても、やはり耐え難く、しかも源氏の大臣はその注意を伝えようと寝床の方に入って行こうとするので、姫君は宮様には会いたくないが源氏が入って来ても怖いというジレンマに陥り、結局母屋(もや)と庇(ひさし)の間の几帳の所で横向きに臥せりました。

 

 兵部の卿の宮の長々と喋る言葉に返事をすることもなく、言葉に躊躇してるので、源氏の大臣は姫君に近寄ると、几帳の帷子を一枚捲り上げると、さっと光るものが。

 

 紙燭を差し入れたのかとあっけにとられました。

 

 蛍を直衣(のうし)の薄い袖の中に、この夕方たくさん中に入れておいて、その光を隠しておいたのを、身なりを整えるふりをして‥。

 

 急にパッと光ったのでびっくりして、扇で目を覆った横顔も、なかなか愛嬌があります。

 

 「もの凄い光を見れば、兵部の卿の宮も覗いてみるはずだ。

 俺の娘だと思っているからさぞかし綺麗だろうと思って、ここまで熱心に結婚を申し込んでるんだろう。

 見かけも性格も両方備えてるとまでは思うまい。

 こんなけ興味持ってくれてるんだから、もっともっと誘惑してやろう。」

などと企んでます。

 

 本当の娘なら、こんな弄ぶような騒ぎ方はしないはずで、ほんと困った人です。

 

 源氏の大臣は、別の出口からそっと静かに出て行って、自分の寝殿に戻って行きました。

 

 兵部の卿の宮は姫君がいるのがあの辺りだと推測し、すぐそばにその気配があると思うと胸がどきどきしてきて、何とも優雅な薄物の帷子の隙間から覗いてみると、一間ばかり向こうの方に見たことのないような光がほのかに光ってるのが奇麗で、ついつい見てしまいます。

 

 すぐにその光は隠されてしまいました。

 

 それでもほのかな光に、この美しさだけでもまた惚れてしまいそうです。

 

 そのほのかな中に横になっている、すらっとした体つきの女性の美しさをもっと見ていたいと思い、深く心に刻み込みました。

 

 「鳴き声もしないこの虫の秘めた思い

    消そうとしても消せなんてしない

 

 身に染みるようです。」

 

 こういう時の返歌は考え過ぎても上手く伝わらないもので、とにかくすぐにと、

 

 「声もなく身を焦がしてる蛍の方が

    言葉にまさる思いなのでしょう」

 

 そう、ストレートに返して姫君自身は奥に引き籠ってしまったので、兵部の卿の宮もこんな遥か向こうからしか会ってくれないのがひどく悔しくて、恨み言を言います。

 

 自分が何かやらかしたように思われてもいけないので、兵部の卿の宮はそのまま夜を明かすこともなく、軒から滴す雫も涙雨で、びしょ濡れになりながら夜遅く帰って行きました。

 

 こういう時はホトトギスなども鳴くものですが、月並みな趣向なので聞かなかったことにします。

 

 宮様の立ち居振る舞いの優雅なのは、本当源氏の大臣にそっくりねと、女房達も褒めそやしてました。

 

 昨晩の源氏の大臣の母親のように姫君の傍に着いてアドバイスしてたことを、二人の間に何があったかは知らずに「ほんとに優しくて有難いわね」とみんな言ってました。

 

 姫君はここまで表向き完璧な親を演じて、それをみんな信じ込んでしまってる様子を見ると、

 「悩みは自分一人で抱えるしかないのだろう。

 これが本当の親が見つかって、家族の一員として迎え入れてもらっていて、ここまで面倒見てくれてるのだったら、何一つ問題はないのに。

 娘でも妻でもないこんな嘘っぱちの状態が発覚したりしたら、とんでもないスキャンダルになるに決まってる。」

 寝ても覚めても思い悩むばかりです。

 

 そうは言っても源氏の大臣も、最悪の状態だけど、別に意図して追い詰めるつもりはなかったのに、と思ってました。

 

 ただ昔から変わらない浮気癖で、中宮なども礼儀正しく接しているように見えても、何か機会があれば言い寄って靡かせようとするけど、さすがに天皇の妻の地位にある者に手を出せば、藤壺の時のような皇統を揺るがす厄介ごとを背負うことになるので、必死に我慢をしてるのに対し、玉鬘の姫君は気さくな人柄に流行の感性を持っていて、そのためついつい気持ちが抑えきれなくなって、それが時折人が見たら親子なのを疑うようなことをやらかそうとしては、かろうじて踏みとどまってる、そんな危険な状態でした。

 

 *

 

 五月五日には北東の区画にある馬場殿へ行くついてに、また西の対の玉鬘の所へ行きました。

 

 「どうだったんだ?

 兵部の卿の宮は夜更けまでいたのか?

 あまり近づけるんじゃないぞ。

 何やらかすかわからない奴だからな。

 人を傷つけたり過ちを犯したりしない人なんて、まずいないものだ。」

などと、宮様のことを生かさぬように殺さぬように指導してゆくその手管は、ほんと子供のような無邪気さすら感じさせます。

 

 溢れ出るような色つやの御衣(おんぞ)に、薄物の直衣(のうし)を軽く羽織って隠すそのセンスも、さりげない中に気品を感じさせ、この世の人が染めた衣とも思えず、いつも着ているような模様でも今日は特別面白く焚きつけた香りに、「悩み事がなかったならほんとに素敵な姿なのに」と姫君も思います。

 

 兵部の卿の宮から手紙がありました。

 

 薄い鳥の子紙に見事な筆跡で書いてあります。

 

 こういうのは見るだけだから面白いんで、真似しようとすると悲惨なことになりそうな。

 

 「今日でさえ引く人もない水に隠れ

   生えてる菖蒲のねを上げて泣く」

 

 和歌でもしばしば引き合いに出させる菖蒲の根に、結び付けてあったので、「今日は返歌をしろよ」とそそのかしておいて、源氏の大臣は帰って行きました。

 

 女房達も「その通りよ」と言うので、姫君もそう思ったのか、

 

 「見てみたら何だか浅いみたいじゃない

   あやめか知らないけど泣いてた根を

 

 お若いですね。」

 

とだけ幽かに書いてあります。

 

 「もう少し気取って書いてくれたらな」と兵部の卿の宮は気に入ったようで、これで熱が冷めることはなさそうです。

 

 端午の節句の薬玉なども見事なもので、姫君のもとへ沢山贈られてきました。

 

 長年苦労してきた頃の面影はすっかりなくなったかのようで、気持ちが緩むことも多くて、「できれば相手方も傷つくことなく終りにできたらな」と願わない日はありません。

 

 源氏の大臣は同じ北東区画の東の対の花散る里の姫君の所も覗きに行きました。

 

 「息子の中将が今日の左近の司の手結(てつがい)という流鏑馬のようなもののついでに、男たちを引き連れて来て何やらやるようなこと言ってたので、準備しなさい。

 まだ明るいうちに来るはずだ。

 なぜかここには目立たないように隠れ住んでいても、親王達が聞きつけて訪ねてきたりするんで、自ずと盛大なものになるから、心してかかれ。」

と言います。

 

 馬場の御殿は東の対のこの廊下から見えるくらい近くにあります。

 

 「若い女房達は、渡殿の戸を開けて見物すると良い。

 左近の司には家柄の良い官人がたくさんいるはずだ。

 下層の殿上人にも劣ることはない。」

と言えば、見物に興味を持ちました。

 

 西の対の方からも童女(わらわべ)などが見物にやって来て、廊下の戸口に青々とした御簾(みす)を掛け渡したり、裾の方を濃い紫に染めた几帳を立てて並べたりと、童(わらわ)や雑用の下仕(しもづか)えなどが歩き回ります。

 

 萌葱(もえぎ)と濃紅梅の菖蒲襲(しょうぶがさね)の衵(あこめ)に、二藍(ふたあい)の汗衫(かざみ)の薄物を着てるのが、西の対から来た童女(わらわべ)になります。

 

 親し気で好感の持てる四人ほどの下仕えは、緑(あお)と薄色(うすむらさき)の楝襲(あうちかさね)で裾の方が濃くなるグラデーションの裳に、撫子の若葉の色をした唐衣(からぎぬ)が今日の装いでした。

 

 東の花散里の方は、濃い単襲(ひとえがさね)に緑(あお)と薄蘇芳の撫子襲の汗衫(かざみ)などをゆったりと着て、相互に競い合ってるような所も見ものです。

 

 まだ若い殿上人などは、目を釘付けにして見とれてます。

 

 昼過ぎの未の刻に、源氏の大臣は馬場殿へ行くと、確かに親王達がが集まってました。

 

 手結(てつがい)は端午の節句の騎射を左右に分かれて競う行事ですが、ここでは宮中のとは違い、近衛府の中将少将などもたくさん集まって、いろいろ新しい趣向を凝らした試合を行ってました。

 

 見物する女性陣は競技のことなど「あやめも知らぬ」とはいえ、近衛府の下級の舎人までもがきらびやかな衣装を着て、身を賭したアクロバット的な秘術を尽すだけでも楽しめます。

 

 馬場殿は南東区画の境界線まで南北に長く作ってあり、その向こう側でも同じように若い女房や童女たちが見物してました。

 

 中国風の衣裳で毬杖(ぎっちょう)と呼ばれる槌状のスティックを持って舞う「打毬楽(たぎゅうらく)」や、一人舞の「落蹲」などが音楽とともに舞われ、勝負の時の鉦や太鼓の乱声(らんぞう)も騒がしい中で、やがて夜になって何事もなく終了しました。

 

 舎人達も褒美の禄や様々な品々を賜りました。

 

 すっかり夜も更けて、見物の人達も戻って行きました。

 

 大臣はこの北東区画の花散里の所でそのまま寝床に着きました。

 

 いろいろな話などを聞くと、

 「兵部の卿の宮はなかなか他の人よりも良さそうだな。

 見た目は老けてて今一だけど、立ち居振る舞いなどは優雅で愛嬌がある奴だ。

 覗いてみて、見えただろう。

 悪くはないがあと一歩ってところか。」

 

 「あなたの弟さんだと聞いてますが、あなたよりもずいぶんと年上に見えますね。

 この頃はこんな頻繁に通って来るので、親しくなさってると聞いてますが、昔の内裏の辺りではほんのちらっと見ただけで、よくわかりません。

 ほんと良い意味で大人の風格がありますね。

 もう一人の弟さんの帥(そち)の親王(みこ)もなかなかの方ですが、何か品位に欠けていて、親王(みこ)というよりは諸王(おほきみ)って感じですね。」

 

 「よく見てるもんだな。」

 そう言って笑って、源氏の大臣も他の人達の良し悪しは言いませんでした。

 

 人のことを難癖つけて貶めるようなことを言う源氏の大臣は、そんな残念な人なので、花散里が右大将などを上品な方だと持ち上げるのを、それほどのもんか、あんなのを身内に取り込んでも底は見えてると思いながらも、口には出しません。

 

 今はただおざなりの夫婦仲で、寝床も別々にして眠りました。

 

 なんでこんなに冷めてしまったのかと源氏の大臣はもやもやした状態です。

 

 花散里は大体いつも何に関しても妬んだりすることはなく、この頃の様々な折につけて行われてる音楽などの宴でも人づてに聞くだけでしたが、今日ばかりは特別で、自分の区画で行われたことを光栄に思ってました。

 

 「馬ですら食べない草と言われてる

   汀の菖蒲を今日は刈る日ね」

 

と穏やかに歌います。

 

 何てことはないと思っても悲しくなったのでしょう。

 

 「鳰鳥のように一緒の若い馬は

   何で菖蒲を刈って別れる」

 

 まあ、遠慮のないやり取りですね。

 

 「いつもは遠い所にいるようでも、こうして会えば心が休まる。」

 

 本気で言ってるとは思えない言葉ですが、そこは穏やかな人柄の花散里のことで、静かに語り交わします。

 

 寝床の方は源氏の大臣に譲って、自らは几帳の外で寝ました。

 

 添寝するのも今さら似合わないとあきらめて、源氏の大臣も無理なことはしませんでした。

 

 *

 

 梅雨が例年になくひどく、晴れることもなく退屈なので、女房達も絵物語などを眺めては書き写したりして日々を過ごしてました。

 

 明石の母君はこうしたことも得意なので、姫君の為に書き写してます。

 

 まして、西の対の玉鬘の姫君にとっては、いままでの境遇からこうした絵物語も珍しい物を見つけたかのように、一日中読んだり書き写したりしてました。

 

 絵を得意とするお付きの若い者もたくさんいます。

 

 様々な珍奇な人々の身の上など、虚実入り混じった伝承の中にも、「私みたいなのはないわね」と思いました。

 

 『住吉物語』の姫君も、自分の直面したことと照らし合わせて、初瀬の導きとかは似てるものの、今の状況が全然違ている一方、主計頭(かぞえのか)の手から危うく遁れる場面は、あの大夫監(たいふのげん)の怖かったことを彷彿させます。

 

 源氏の大臣は、どこもかしこも絵物語が散らばってて、黙ってられずに、

 

 「ああ、うざっ。

 女ってのは本を読むのを面倒と思わず、作り話に騙されるために生れたようなもんなんだな。

 この中に真実何てほとんどないのに、それを知ってて他愛のない物語に感情移入しては作者の罠にはまって、このくそ暑い五月雨の髪の乱れも構わずに書き写しているなんてな。」

 

 そう言って笑って、また、

 

 「まあ、こういう世に古くから伝わるものでもなければ、うっぷんを晴らすこともできない今の退屈凌ぎくらいにはなるか。

 そうは言っても、この嘘ばかりの中に、まるで本当にあったかのような感情を呼び起こして、きちんと構築された筋書きで、現実の役に立たないと知りながらも感動させられて、美少女が曇らされてるのを見ると、何か気になっちゃうもんだ。

 また、こんなこと絶対ないなんて思うような大袈裟に表現に目を奪われていても、冷静に読み返してみると、癪だけどその面白さになるほどと思うこともある。

 この頃、幼い姫君に女房が読み聞かせしてるのを時々立ち聞きするんだけど、うまいこと言う人も世にあるもんだな。

 嘘をつくことに慣れた人が、その調子で語っているのかと思ったが、そうなんだろう?」

 

 そう言うと、

 「確かに、息を吐くように嘘をつく人はそんなふうに思うのでしょうね。

 ごめんなさい、本当のことを言っちゃった。」

と言って、筆を置きました。

 

 「失礼、言いすぎちゃったかな。

 物語は神代より実際に起きたことを記したものだ。

 『日本書紀』などはその一つだな。

 絵物語の方はそんな詳しくないのでわからない。」

と言って笑いました。

 

 「誰のことを話すにしても、そのまんまということはない。

 良いにつけ悪いにつけ、その人の生涯を、飽きさせないような面白い話や聞き捨てならないことなど、後世に伝えたいことだけを切り取って、心に秘めておくことができずに言い残そうというところから書き始めるものだ。

 その人を讃えようとすれば、これでもかと良いことばかり切り取ったり、世評を気にしてはまた、悪事にしても稀に見るようなことを寄せ集めたり、皆それぞれの個別の事に関しては、嘘とは言い切れないだろう。

 余所の国の王朝の話は書き方が違うし、同じ日本のでも昔は漢文で今は平仮名で絵まで付けて,

表現方法もいろいろ違う。

 深いか浅いかの違いはあっても、単純に嘘と片付けてしまうのも、趣旨を取り違えることになる。

 仏典のとにかくご立派な心掛けでもって説いてる仏法にも方便ということがあって、悟ってない者は、至る所有り得ないことばかりで疑いを持つものだ。

 『方等経』という大乗仏教の経典は特にそういうのが多いが、結局のところ一つの主旨があって、悟りの理想と煩悩の現実のギャップについて、善人と悪人に喩えて述べてるだけのことだ。

 良く言えば、物語はどれも無駄ではないということだな。」

と物語をわざとらしく持ち上げてそう言います。

 

 「さて、こうした古い言葉の中に、俺のような愚直な者の物語はあるかな。

 どうしようもなく愛想のない姫君で、あなたの心のようにつれなくていつも知らん顔をしているこんな男女の仲なんてないよな。

 こういうことこそ、前代未聞の物語として後世に伝えて残さなくては。」

と顔が近いので、襟の中に顔を埋めて、

 

 「そうでなくても、こんな珍事はすぐにでも、噂話になってしまいますよ。」

 「なるほど、珍事とな。

 道理でまたとない気分になるはずだ。」

と言って更に寄って来ては、戯れの歌を詠みます。

 

 「恋しさに昔の例を探したが

    子が親に背く例はなかった

 

 親不孝は仏道でもきつく戒めてる。」

 

 そう言うと顔を伏せたまま髪をかき上げて、いかにも怨念のこもったように絶え絶えに、

 

 「昔の例探したけれどなかったの

    こんなことする親心なんて」

 

 そう言われれば、さすがに自分が恥ずかしくなって、このまま乱心ということもありませんでした。

 

 これからどうなって行くのでしょうか。

 

 *

 

 紫の上も明石の姫君のためにということにして、物語絵巻は捨て難いものと思ってました。

 

 『狛野の物語』の絵の部分が「ほんと良く描けてる」と言って眺めてました。

 

 明石の小さな姫君が何の愁いもなく昼寝している所など、ついつい昔の自分を重ねて見てしまいます。

 

 源氏の大臣は、

 「物語ではこんな子供だって、すぐに悪い遊びを覚えたりしてた。

 俺なんか、模範的な育て方で、君なんぞも他の人とは違って何の心配もなかっただろ。」

 そんなことを言いだします。

 

 なるほど、滅多にないくらい娘に手を出してきたものです。

 

 「幼い姫君の前なんだから、こんな色恋の物語など読み聞かせては駄目だ。

 密かにそういうことを覚えた娘の物語など、そんな面白いもんでもないが、その手のことが世間で普通にあったと、当たり前に思われてしまうのは危険だ。」

と実の娘は特別に扱ってそう言うのも、玉鬘の姫君が聞いたら引くことでしょうね。

 

 「物語の浅はかな女の真似なんて、見てて痛いだけですが、『宇津保物語』の『藤原の君』に出てくる貴宮(あてみや)みたいに、身持ちの堅いしっかりした人なら過ちもないけど、直球で拒絶する歌を返したりするところなど、女らしいところがないのも一緒ね。」

 

 「現実の人もそんなんじゃないかな。

 人それぞれみんな考え方とか違うんだし、適当な所で妥協しないとな。

 それなりに親が手塩にかけて育てた娘が、天真爛漫なだけが取り柄の弱点だらけで、どんな教え方したんだと、親の所業まで疑われるのは残念だ。

 まあ、そうはいってもその人の品格が現れていれば、育てた甲斐もあり、自慢もできる。

 言葉の限りこれでもかと褒めちぎっておいても、やることも言うこともこれといったそれ相応のものがないなら、期待外れになる。

 大体人を褒めたりするには、褒める側もそれなりの人だから褒めることができるんだ。」

などと、ただこの姫君の弱点を突かれないようにと、いろいろ考えてます。

 

 意地悪な継母の物語はたくさんありますが、それを読んで心を見透かされてもいけないと思い、姫君に見せる絵物語は厳選し、清書させて絵を描かせました。

 

 *

 

 息子の中将の君は紫の上の方には近寄せないようにしてましたが、姫君のほうへはそんなに遠ざけるようにしているわけでもありませんでした。

 

 「生きている間はどっちも我が子で面倒見れるが、死んだ後のことを思うと、やはり一緒にいて兄妹力を合わせていってほしいので、特別扱いで認めてる。」

 

 そう言って南面の御簾の内に入ることは許してました。

 

 台所など、女房達のいる所には許してません。

 

 数少ない自分の実子同士の仲なので、特別大事に育ててました。

 

 中将は性格的に大方落ち着きがあって真面目なので安心して見ていられます。

 

 姫君の方はまだ子供のように雛遊びなどをしてる様子を見ると、中将が前に別の姫君と遊んですごした頃のことを思い出してしまい、雛様が内裏様の宮仕えの世話を焼いてるところなど見ると、たびたび悲しみが込み上げてきてます。

 

 そこそこの身分の女性には、軽い気持ちで言い寄ったりすることはしょっちゅうですが、本気で受け止められることもありません。

 

 本妻ではなくても妻の一人にはと気に留めても、すぐになおざりにしてしまって、いつまでも緑の袖と馬鹿にされたのを見返してやりたいという気持ちばかりで、あの姫君に執着してます。

 

 無理にでもしつこく結婚の意を内大臣に懇願すれば、いつかは折れて許してくれるかもしれませんが、身分が低いと蔑まれた屈辱を忘れてないため、本人には愛情の限りを見せてはみるものの、他の人達に悟られるのはプライドが許さないのでしょう。

 

 内大臣の息子兄妹の公達なども、妬ましく思うばかりです。

 

 その一人の右の中将は、西の対にいる玉鬘のことを深く心に思い詰めては言い寄る手段もなかなかないので、源氏の中将を利用しようと近寄っては来るけど、

 「こっちは駄目でそっちは良いのかよ。不愉快だな。」

と取り合おうともしません。

 

 何か昔の源氏の君と頭の中将のようですね。

 

 内大臣は腹違いの子供がたくさんいて、その母方の血筋や才能によって、思うがままの評判を得て、権勢にまかせて皆出世しました。

 

 ただ女の子の方はそうたくさんもいなくて、女御も后にすることに失敗し、姫君も思ったのと違う相手が出て来てしまって、とにかく悔しいと思ってます。

 

 あの撫子のことも忘れることはなく、何かの折にも語ってたことですが、

 「どうなってしまったのだろうか。

 女の子はどんな場合であれ、絶対絶対目を離してはいけなかった。

 勝手に自分の子だと言い張って、怪しげなやり方で触れ回ってやしないか。

 どうであれ風の噂にでも聞こえてくれればな。」

としみじみ思います。

 

 息子たちにも、

 「もしそうやって人の娘を自分の子だと名乗ってるような人がいたら、見逃すな。

 浮気心に任せて、悪いこともずいぶんやって来たが、これは違って、他の遊んできただけの女ではなく、圧力があってうまくいかず足が遠のいたところ、こんな滅多にない宝物を失くしてしまったのは悔しいんだ。」

と、いつも言ってました。

 

 しばらくはそれほどでもなくついつい忘れていた頃もありましたが、誰かが色々なことに付けても女の子の世話をしてるのを見て、自分にはそんなことができないのがとにかく情けなく、残念に思ってました。

 

 ある時見た夢に、良く当たる夢占いの者を呼んで、聞いてみると、

 「もしや、最近全く知らなかった子が、誰かの子として聞くようになったなんてことはありますまいか。」

と言われて、

 「女の子が他人の子になることは、そうそうないことだ。

 どういうことなんだろう。」

などと、今になって思うようになってのでしょうね。