鈴呂屋日乗2010

12月31日

 最近ほとんどテレビを見てなかったが、今日は久々にまとめてテレビを見た。朝からずっと「バクマン」を見て、夕方には「鉄コン筋クリート」を見た。
 「バクマン」はジャンプのこういう新人がほしいというような宣伝マンガみたいだった。「鉄コン筋クリート」は絵の細かいところまでよくできていた。実際に60年代の東京で生きていた俺から見ても、なかなか突っ込みどころが見つからなかった。「鉄コン筋クリート」という言葉は、赤塚不二夫の「もーれつア太郎」のなかで花のでこっぱちが言ってたような気がするが、60年代風の世界観でやくざみたいな子供という設定が重なり合っている。
 テレビを見ながら、一応御節らしきものを作った。毎年作っているのだが、今年はだいぶ規模を縮小し、煮物と雑煮とローストビーフくらいを何とか作った。
 今年は「うみねこ」の発売日が1月1日になったので、秋葉原へも行かなかった。

12月30日

  こやん訳源氏物語、桐壺、続き

 父の大納言はすでにお亡くなりになっていたものの、母は由緒ある血筋の正妻であったため、両親ともにそろっている世間でも評判の華やかな人たちにも引けをとらず、宮廷の様々な儀式もきちんとこなしていたものの、しっかりと助けてくれる人がいなかったため、特別な晴れの席ではなお頼る人もなく心細そうでした。
 前世での契りが深かったせいなのか、この世にまたとないような美しい玉のような皇子様までが生まれました。
 御門もいつしか心臓をばくばくさせながら待つに待てずに大急ぎでやってきて、その皇子様をご覧になると、それはそれは見たこともないようなお顔立ちでした。
 最初の皇子(一の皇子)様はれっきとした右大臣の娘の女御からお生まれになって、その右大臣の一族の圧力も強く、皇位継承者として疑いのないものとして世間からも大事にお世話れてたのですが、この皇子様の美しさの持つただならぬ雰囲気は他に例のないものでしたので、大抵の人はこれは放っては置けぬという気持ちから、この新しい皇子様をあたかも我が子のように思って、もうそれは際限ないくらいにもてはやしました。

 超訳のポイント。
 たとえば「いづれの御ときにか」という書き出しは、「いづれの‥か」とぼやかすことで、この物語が『伊勢物語』のような実際に起きた話ではなく、あくまで虚構だということを読者にわからせようとしたのではないかと思われる。そうした意図を訳出するなら、ということで、あえて竜騎士07さんの『うみねこのなく頃に』の「この物語はどうせ幻想に決まってます」にならってみることにした。
 「めざましきものにおとしめそねみ給(たま)ふ」の「目覚しき」は、「目の覚めるような」という肯定的な意味の言葉が、かつては「安眠を妨げる」ということで否定的にも用いられていたため、今日的に「うぜー、いらつく」というニュアンスにとって見た。「おとしめ」は今と同様人を貶めるということで、嫉妬が理由だということなら、正当の理由のない「いじめ」と訳しても問題はないだろうとおもった。
 「おなじほどそれより下らうの更衣(かうい)たちはましてやすからず、あさゆふの」は、本来原文に句読点がないため、古註ではここで文章を区切らず、「あさゆふの」以下の文章も更衣たちのこととされていた。本居宣長がここを区切って読んだため、今日ではそれが定説になっているが、紫式部の原文はむしろ、女御の反応と更衣の反応の温度差の違いを巧みに描いているもので、女御は「おとしめ」更衣は「こころをうごかし」と対比的に読んだほうが良いと判断した。
 「いとあつしくなりゆき」はどう訳していいのかかなり悩んだ。重い病気になり、というのでは、そのあとの文章に対し大げさすぎるからだ。古註に「異例」とある意味をいろいろと考えた結果、これを病欠を意味する役人言葉ではなかったかと解釈した。
 「もの心(こころ)ぼそげに」の「もの」には霊魂、魂の意味があり、単に心細いのではなく、精神面でも衰弱していると解釈し、あえて今日の口語的な意味での「ノイローゼ」という言葉を使ってみた。
 今回も「心もとながらせ給ひて」は辞書の通りの意味だと「待ち遠しくて」という意味だが、「心もと」は心臓とか胸とかを意味する言葉で、この言葉には心臓をばくばくさせながら今か今かと待っているというニュアンスがあると判断した。そのほうが出産への立会いのシーンに相応しい。

12月27日

 24日にサンタのおじさんではなく楽天ブックスから北村季吟著『源氏物語湖月抄(上) 増注』が届き、「源氏物語」に挑戦してみた。
 辞書を片手に、というか古語辞典は結構分厚いので辞書を両手に、一語一語調べながら読んで行くから、一行読むのに1時間2時間かかる始末で、なかなか進まない。
 ようやくこれだけ読んだ。一応現代語訳をしてみた。

   こやん訳源氏物語、桐壺

 何天皇の時代だったかなんてのはどうでもいいことです。とにかく女御更衣がたくさん仕えている中に、そんなに高貴な家柄ではないにもかかわらず、時流に乗って輝いている一人の更衣がいました。
 以前から私が一番よと思いあがっていた高貴な先輩の女御の方々は、このうざくていらつく目障りな者に嫉妬しては苛めました。
 同僚や後輩の更衣たちも、そんなもんだから安らかでいるわけには行きません。
 朝夕宮仕えするその一つ一つが同僚や後輩たちの心を板ばさみにし、その不満の声を一身に背負うことになって、それが積もり積もったのか、たびたび病欠するようになり、ついにはノイローゼになって実家に帰ることも多くなりました。それでも御門はますます飽きることもなくこの更衣を気の毒に思い、前例のないほどの手厚い処遇をするようになりました。
 上達部や上人なども冷ややかに目をそむけ、「まばゆいばかりの人の思われることだとはいえ、中国にも妲己や褒姒のようなことがあって世が乱れとんでもないことになった」と言うしまつ。
 やがて下々の間でも「しゃーねーな」って感じで悩みの種になって、楊貴妃の例なんかも引き合いに出されるようになり、かなり無礼な扱いをされることも多かったのだけど、御門のもったいないばかりの心遣いだけを頼りにして、こうした人たちとの接していました。

12月23日

 島内景二の『北村季吟』(2004、ミネルヴァ書房)を読み始めた。 
 とりあえず突っ込みどころを3点。 

 「日本語の口語化が奔流のように進み、平安時代の文語で書かれた『源氏物語』がもはや人々の日常言語でなくなり、普通の人たちが何の努力もなしには「読めない作品」になりかかった。」p.viii 

 この文章はわけがわからない。日本語は最初は文語だったとでもいうのだろうか。文語だったなら最初から日常言語(口語)ではなかったのだから、「もはや人々の日常言語でなくなり」とは言えない。正しくは≪日本語の変化が奔流のように進み、平安時代の口語で書かれた『源氏物語』がもはや人々の日常言語ではなく文語と化し、普通の人たちが何の努力もなしには「読めない作品」になりかかった。≫だろう。 
 もう一点。 

 「芭蕉の友人・山口素堂は「芭蕉庵、俗名甚七郎。都の季吟の門に入り」(『松の奥』)と証言しているし、弟子の各務支考も、「芭蕉はもと洛の季吟に俳諧を学びて」(『俳諧十論』)と述べている。芭蕉が、都で季吟に師事した事実は疑えない。」p.87 

 「都の」「洛の」とあるだけで、どこにも「都で」だとか「洛で」とは書いてない。日本語をちゃんと読むなら、これはあくまで都の人であるところの、洛の人であるところの季吟に俳諧を学んだとしか言っていない。季吟が伊賀を訪れた時に学んだとも、あるいは書簡などで学んだとも解釈できる。
 ついでにもう一つ。

 「確かに「思ひこしこと」など、連体形として連体修飾する際には、切れ字にはならない。けれども、「誰か思ひし」「などかなかりし」などの「し」は、たとえ「過去の『し』」であっても、広義の切字になりうるのではないか。」p.100

 「誰か思ひし」「などかなかりし」は「か」という切れ字が入っている。系助詞の「か」と終助詞の「か」は本来同じもので、「誰か思ひし」は「誰思ひしか」の倒置、「などかなかりし」は「などなかりしか」の倒置だから、系助詞の「か」も切れ字になる。
 とはいえ、この本は俳人にありがちな、いかにも俺はこんなに深読みができるんだぞ、どや、て感じの身勝手な解釈がなく、古註を尊重して客観的に評釈しているから、意外に突っ込みどころは少ない。
 子規の写生説やその後継者の俳論にもとらわれず、むしろ明治的な近代文学の枠組みを乗り越えようとしている点では共感できる。

12月15日

 今日はラジオで何回となく、「過激な性表現を規制する東京都青少年健全育成条例改正案が可決しました」というフレーズを耳にしたが、過激な性表現はとっくにわいせつ罪で取り締まられている。今回規制されるのは過激であるとないとにかかわらず、「刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現」したものであって、報道はもっと正確に行なってほしい。
 ネットで見た読売新聞のニュースも、「子どもの登場人物による性行為が描かれた漫画などの」と書いてあるが、条文のどこにもそんなことは書いていない。前回廃案になった改正案とごっちゃにしている。
 もちろん、「誇張」という言葉の中には、過激な表現という意味も含まれているかもしれないし、14歳未満の性行為は強姦罪になるから、「子どもの登場人物による性行為」も確かに対象にはなる。だが、この条例は過激でない控えめな性表現であっても対象になるし、大人の性行為も対象になる。(同性愛は合法だし、「婚姻を禁止されている近親者」にも該当しないので、BLは対象外。また、あくまで「性交若しくは性交類似行為」が対象であって、犯罪行為一般を対象としているのではない。)
 まあ、実際に骨のある作者なら、わざわざ自分でも不当だと思うような賛美はしないだろうから、何が「不当な賛美」に当たるのかはかなり難しい議論になるのはまちがいない。「慎重な運用」というのは、事実上の骨抜きで妥協を図ったとも取れる。
 宗教団体や人権団体等に顔を立てて、一応法律は通したものの、実際には今とほとんど変わらない可能性はある。本当に有害なポルノは、以前からあった「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺もしくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」という条文で十分だからだ。
 今度の改正案で規制されるとしたら、これといった信念もなくただ売れれば良いという理由で、レイプや痴漢やロリや近親相姦を賛美していたものだけで、そういうものは18禁でいいのではないかと思う。具体的にどの作品か、思い浮かぶものはないが。
 どっちにしても、小説や写真や実写映画は対象外なのだから、この法律は、文学や映像表現に携わる人間の、マンガ・アニメへの単なる嫌がらせという感じがしてならない。

12月12日

 そろそろ年末で、クリスマスだの正月だの準備も少しづつ始めなければというところで、今日は近場の散歩に決めた。
 地図によると、元石川の平崎橋を越えて、満願寺の信号のところを入っていったところに御嶽神社がある。
 実際に行ってみると、鳥居には何も書いてなく、石段を上がると小さな社殿があるだけだった。
 静かで穏やかに晴れた小春日和。ここからすすき野の御嶽神社に向った。
 御嶽神社前という信号もあり、住宅地の角のところに鳥居が2つ見えた。狛犬は昭和50年の銘のある新しいものだが、やや緑色に苔が付着していて、かえってきれいに磨かれているよりも味わい深いものとなっていた。
 昔はこの辺りでは御嶽講が盛んだったのか。御嶽神社はこの他にもあるらしい。ただ、残念ながらオオカミ信仰の名残を示すようなものは見えなかった。

 おおかみもなくて社の冬篭り

 「オオカミ」はここでは生物のオオカミではなく狛狼などのことをさすので、季語とはならない。

 若狛犬やや苔いだき小春の日

 「小春」という言葉には井上陽水の「小春おばさん」みたいに、老いたひなびた情がある。 
 坂道を下り桐蔭学園の方に行くと鐡(くろがね)神社があるというが、神社のほうへ行く坂道には「私有地につき通り抜け禁止」と書いてあり、ガードマンも立っているので、一度横浜上麻生道路に出た。 
 こちらからが鐡神社の表参道になるのだが、ここは同時に桐蔭学園の入り口でもある。参道の途中に大正15年銘の狛犬があった。デーモン閣下もこの狛犬を毎日見て登校していたのだろう。 
 やがてバス停のあるロータリーとなり、そこにようやく鳥居が見えた。短い石段を上がるともう一対狛犬があった。御影石がずいぶん磨り減っていて、銘がよく読み取れない。「三」か「五」かと思ったが、ネットで調べたら昭和3年とあった。 
 絵馬をかけるところは、絵馬の無人販売所みたいになっていて、お金を置いてゆくようになっていた。この辺りにはデーマン閣下の後輩たちだろうか、落書きがたくさんあった。まあ、若さに免じてこれくらいは大目に見ておこう。昔だったら2チャンネルもなかったから、神社の壁などは掲示板状態になることもあったのだろう。 
 鐡神社を出ると、中里学園入口から鉄の交差点を越えて、みたけ台の杉山神社に行った。ここは狛犬等はなく、住宅地の中の新しそうなところだった。 
 ここから青葉台へ出て買い物をして帰った。結構歩いた。

12月5日

 日本は性表現や暴力シーンにさしたる規制もないにもかかわらず、性犯罪も凶悪犯罪も少ない。それに対して、西洋ではこうしたものが厳しく規制されているにもかかわらず、相変わらず治安は悪い。これは、性や暴力に対する考え方の違いによるものであり、文化の違いと考えた方がいい。
 西洋哲学は、伝統的に「霊肉二元論」あるいは「精神と肉体の二元論」を特徴とするもので、現代哲学では様々な形でそこからの脱却が図られているものの、こうした考え方は西洋の伝統に深く根ざしている。
 大学の時にある哲学の先生が、「フランス人はデカルトを読む必要がない。デカルトの精神が生活の中に根付いているからだ。」と言っていた。これは良いことばかりではなく、悪い意味でも西洋社会の根底となっている。
 霊肉二元論の考え方からすると、性欲は肉体の次元の問題であり、誰彼かまわぬ見境のない機械的なものとして認識される。そこには恋愛感情は存在しない。そして、精神はそれを合理的にコントロールするものとみなされる。ここにも恋愛感情はない。つまり、霊肉二元論の考え方では、性にまつわるメンタルな部分がそっくり抜け落ちてしまう。つまり、西洋哲学は伝統的に「恋」について思索することができない。
 ジャン・ジャック・ルソーの「人間不平等起源論」などは、ダーウィン以前ということもあって、こうした西洋哲学の伝統がどんな性観念を生むかわかりやすい。そこでは、性欲は男だけのものであり、女と見ると誰彼かまわずやりたくなるものとされている。これに対して女は完全に受身なものとされている。そして、恋愛は女が男を操るために発明した一つの知恵とみなされている。
 こうした観念が、今でも西洋では支配的であるため、強姦事件が起こっても、女が男の性欲を刺激するような格好をしていたかどうかが争点にされてしまう。つまり、ミニスカートをはいて歩いていたら、男はやりたくなるのが自然であり、やられても仕方がないという発想が根強い。だから外国人は、日本では夜でもJKがミニスカートをはいて歩いているのが信じられないと言う。
 さらに奇妙なことなのだが、性欲は自然で不可抗力という発想がある一方で、不自然な性欲(あるいは不適切な性交)、いわばソドミズムが独特な地位を占めている。ソドミズムは狭義では男色をさすが、広義では自然に反した性行為一般を表す。つまり、獣姦、鶏姦、SM、小児性愛もこれに含まれる。
 外国のポルノを見た人なら誰もが驚くのは、アナルセックスがかなり頻繁に出てくることだ。これは日本のポルノにはほとんど登場しない。英語の口語でも「アスホール」という言葉はかなり頻繁に用いられる。日本の吹き替えではなぜか「阿保ー」と訳されているが、それぐらいの感覚で用いられている。
 ソドミズムは自然でないし本能でもない。つまり、かつては「肉体」の領域では説明しにくかった。だから一方では神の摂理に反するとして、それ自体が重大な犯罪とみなされ、かつては死刑にも値するとされてきた。
 しかし、近代化による無神論の蔓延がこの強力な「罪」の観念を揺るがすようになった。そうなると今度はソドミズムはむしろ自由な精神による、むしろ人間らしい正当な行為ではないかという奇妙な論法がまかり通るようになる。
 もちろん性同一性障害などの生理的な説明が確立された分野では、それは「肉体」の病とみなされ、性転換が治療行為として承認されるようになった。しかし、それ以外の分野では、一方ではそれを病気として説明しようと試みられているが、一方ではむしろ精神の自由の表現として文学などの分野で美化されてきた。サド、バタイユ、クロソウスキーなど西洋現代文学の一つの底流となり、おそらく石原慎太郎の「完全な遊戯」もこうしたものの猿真似だったと思われる。
 幼児ポルノの問題でも、西洋ではこうしたソドミズムを美化する思想が根底にあり、それだけ根が深く深刻な問題になっている。
 これに対して、日本では伝統的に肉体でも精神でもない、その中間的なメンタルな部分、つまり「恋」についての思索が発達していて、平和を愛する風雅、風流の文化を形成してきた。今日の「萌え」の文化も、あくまで「恋」を基調としたもので、こうしたものを西洋的なソドミズムと一緒くたにすべきではない。
 むしろ西洋的なソドミズムに相当する分野は、日本では「鬼畜系」と呼ばれている。鬼畜系は厳しく規制されてもしかるべきであろう。(この「鬼畜」という名称自体が、かつて欧米人に対する蔑称として用いられてきた歴史がある。)
 石原慎太郎は素直に鬼畜系だけを規制すればいいのだが、自らそういう小説を書いてしまっているため、小説や実写を除外して漫画・アニメだけを規制するという奇妙な法律を提起している。そこが一番の問題ではないか。
 東京都の都青少年健全育成条例改正案は、真面目にポルノ規制しようというよりは、むしろマンガ・アニメに足枷をすることで小説と実写映画の復権を図るというのが本当の意図ではないのか。こうして、何とか時計の針を戻して60年代の文化を取り戻したいという、老いの一徹というか執念のようなものを感じる。

11月28日

 今日は赤瀬川原平写真展で見た「赤い点線」の撮影された場所を見に、桜新町の久富稲荷神社へ行った。
 写真で見たとおりの鳥居があり、参道は住宅地の中を延々と続いていた。
 ようやくたどり着くと左手にふくろうの社があった。社殿前と裏の鳥居のところに一対づつお狐さんがいた。縁の下にも先代のお狐さんが一対。
 次に桜神宮へ行ったが、狛犬はなかった。
 桜神宮の右手から、駒沢給水塔へと続く直線の水道道路があり、「駒沢給水塔の由来」という看板があった。この道路からだと正面やや右に給水塔が見える。この給水塔は去年の9月23日にも見に行ったが、その時はこの水道道路には気付かなかった。
 給水塔をぐるっと一周してから、弦巻神社へ向った。
 弦巻神社の狛犬は大正10年の銘。この時期はさすがに七五三も終り、どこの境内も静かだ。だが、ふと思ったのだが、新暦の七五三の時期って旧暦だとだいたい神無月だから、神様は出雲へ行って留守なのでは。
 このあと、住宅地の中をあるいていたら道に迷ってしまい、そのうち大山街道の旅人の銅像のある公園に出た。この向い側のマンションの前に小さな社があったが、何を祀っているのかよくわからなかった。あとで道端にこの辺りの地図の看板があって八幡神社となっていた。
 しばらく行くと世田谷通りに出た。地図の看板を見ると、上町天祖神社が近くにあるので行ってみた。拝殿の前には柵があって、その向こうには狛犬があったが、近づくことができなかった。
 世田谷通りを越えて、世田谷線の線路沿いに行くと宮の坂駅があり、世田谷八幡宮に着いた。なかなか大きな神社で、鳥居をくぐると右手に境内社の厳島神社があった。厳島ということで池が作ってあって海に見立てていた。
 世田谷八幡宮拝殿前の狛犬は明治11年の銘。阿吽両方とも子取りだった。ここに来てようやく一組、七五三参りの家族を見た。
 奥にある境内社の招魂社にも狛犬があった。招魂社だから招魂社系というわけではなく、大正6年銘の普通の狛犬だった。
 せっかくここまで来たのだから、招き猫で有名な豪徳寺にも立ち寄った。豪徳寺に来たのはこれが多分4回目。入り口の門柱のような高いところに一対の狛犬があった。中に三重塔があり、よく見ると一回と二階の扉の上に小さな招き猫があった。
 最後に梅が丘の杓子稲荷神社に行った。狛犬、お狐等はなかった。赤い鳥居が二つあり、その奥の社殿の前の柱が鳥居のようになっていた。場所は違うが赤瀬川原平の写真、「鳥居の労働」を思い出した。

11月23日

 中国と北朝鮮で指導者交替、1年前には日本で長く続いた自民党政権が倒れた。中国がGDPで日本を抜いて2位になる。
 何か東アジアが急に変わり始めたような気がする。冷戦崩壊後、アメリカ一極支配といわれた時代が揺らぎ、かつてのソ連に代わって中国がアメリカと対峙する、第二の冷戦時代の始まりなのか。
 冷戦の復活ということになれば、朝鮮半島は東西の最前線となり、当然緊張は高まる。あるいは、北朝鮮はこれまでも中国の恩を受けてきたが、中国の拡大政策の最初の標的は尖閣ではなく、案外北朝鮮の傀儡化かもしれない。
 尖閣諸島への中国の監視強化、ロシア首相の北方領土上陸、今回の延坪島への北朝鮮の砲撃は、偶然の一致ではないだろう。かつての東側陣営が反撃を始めたのではないか。そして、日本にもなぜか東寄りの政権が誕生している。それに反発するように、日本国内は戦後しばらく抑制されてきた愛国意識が噴出しだした。
 冷戦時代と今が違うのは、日本の政府がかつては明確に西寄りだったのに、今は若干東寄りだということだ。これによって、かつては学生運動が起こり西寄り政府に反発したが、今は反中国デモが起こっている。
 とにかく、これからは冷戦崩壊後のアメリカ一極支配の時代の常識は急速に通用しなくなるに違いない。政府もマスコミもこの変化に対応できずに、迷走しているのではないか。

 韓国では北の脅威に対して、珍島犬1(チンドケ・ハナ)、珍島犬2(チンドケ・トゥル)、珍島犬3(チンドケ・セ)の三段階の警報があり、今回はもっとも重い珍島犬1が発令されたという。
 SBSやCNAでは、一時期炎上する島の航空写真が公開されたが、実はイラク戦争の映像だっただとか、金正日が死んで予備軍が召集されるというで間も飛んだとか、韓国国内もいろいろと混乱しているようだ。
 これが国連を通じて武力制裁にまで発展したら、日本も対岸の火事ではない。

11月22日

 ようやく東京都青少年の健全な育成に関する条例の改正案が明らかになった。 
 内容は恐れていた通り、児童ポルノに関しては後退し、漫画アニメなどの特定のジャンルの芸術作品に選択的に厳しい規制をしくものであることを明確にしたものだった。「非実在未成年」が「漫画、アニメーションその他の画像」となったことで、確かに規制の対象は明確になったが‥‥ 
 その改正案は以下の通り。 

 第十八条の六の二 都は、事業者及び都民と連携し、児童ポルノ(児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(平成十一年法律第五十二号)第二条第三項に規定する児童ポルノをいう。)を根絶するための環境の整備に努める責務を有する。 

改正案 
 「児童ポルノの根絶等に向けた都の責務(第十八条の六の二)」を「児童ポルノ及び青少年を性欲の対象として扱う図書類等に係る責務(第十八条の六の二・第十八条のろくの三)」に、‥略‥改める。 

 つまり児童ポルノの根絶を条文からはずすということは、都は児童ポルノ、つまり本物のいたいけな少女を犯すような、明確に被害者の存在する凶悪犯罪については、根絶する責任がないということを意味しないか。少なくとも児童ポルノの取締りという点では明らかに後退している。 
 そして、凶悪犯罪を取り締まることを放棄して、代わりに書店で簡単に購入できる、著者名が明記され、逃げも隠れもしないような芸術家の作品を取り締まる責務があるとしている。 
 つまり、この法律が児童ポルノの根絶を目指すものではなく、あくまで出版物を規制するためのものだということが明確になっている。 

 そして、漫画アニメを選択的に規制強化するものであることも次の一文を付け加えたということで明白だ。 

改正案 
 第七条中、「青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺もしくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがある」を「次の各号のいずれかに該当する」に改め、同条に次の各号を加える。 
 一 青少年に対し、性的感情を刺激し、残虐性を助長し、又は自殺もしくは犯罪を誘発し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの 
 一 漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)で、刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力を妨げ、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」 

 つまり漫画アニメなどの画像媒体については、特別な条項を設けて、選択的に規制を教化しているのは、前回の改正案とまったく変わっていない。 
 まあ、「不当に賛美し又は誇張するように」を常識的に解釈するなら、源氏物語絵巻が対象になることはないだろう。 
 しかし、本気でこういったものを取り締まる必要があるというのなら、なぜ漫画アニメに限定しなくてはならないのだろうか。書店で子どもの手の届くようなところにも置いてある官能小説は野放しでいいのか。 
 おそらくここには単純な理由がある。つまり、この条文を活字媒体に適応したなら、ほかならぬ石原慎太郎東京都知事の著作「完全な遊戯 」(新潮文庫) が規制の対象になってしまうからだ。 
 もっともこのあたりにこの法律の本質があるのかもしれない。つまりこれは一見ポルノ規制のように見えながら、本当は漫画アニメに押されて仕事の減った小説家を救済するための法律ではないのか。つまり、鬼畜系ポルノは小説でしか読めませーん、というところで小説家の利権を確保しようという魂胆ではないのか。
 また、もっとよく読むなら、この条文で写真や実写のポルノも除外されているのに気付くだろう。つまりこの法律は、漫画アニメの侵略から旧メディアを守るための法律といっていいのではないか。

11月21日

 今日は品川プリンスホテルのアクアスタジアムへイルカを見に行った。
 品川プリンスは仕事で何度も行ったことがあったが、裏側の納品口しか知らず、今回は初めてお客さんとして表から入った。(2、3回イルカプールへは受領のサインを貰いに中に入ったことがあった。)
 エスカレーターを上って中に入ると、まず水族館になっていて、マンタやグリーンソーフィッシュがいた。「うみねこ」の美ら海水族館の譲治と紗音の場面を思い出した。
 アシカプールのアシカショーは人とアシカのコンビで2組が登場し、お笑いバトル?のような形をとっていた。
 イルカプールのイルカショーは、ちょうどいきものがかりとのレコ発とタイアップしたコラボ企画で、BGMにいきものがかりのヒット曲を用いていた。

11月13日

 今日の横浜では、大きく分けて二つのデモがあったようだ。
 一つは田母神俊雄氏が会長を務める頑張れ日本!全国行動委員会のデモで、「アジアに自由と平和を」という主張が基本となっていて、中国の軍事独裁体勢に反対し、民主化を要求するその一環として尖閣諸島の侵略を糾弾している。自由貿易に関してはむしろ推進する側にあり、もちろんAPECの開催そのものに反対するものではない。
 もう一つの反APECデモとうのは、「いらない!APEC」横浜民衆フォーラム実行委員会のもので、日本消費者連盟と神奈川県労働組合共闘会議が連絡先団体になっている。君が代日の丸に反対する団体であり、尖閣問題にもほとんど関心がなく、その主張の中心は自由貿易への反対であり、自由貿易を推進するAPEC開催そのものに反対している。
 国内にはいろんな考えの人がいるのだから、まったくタイプの異なるデモが同時に起きることは何ら不思議なことではない。ただ、マスコミ報道ということになると、意図的に偏った報道をすることが多いので、それを鵜呑みにすることなく、ネットできちんと調べた方がいい。
 人数的には正確なところはわからないが、尖閣デモのほうは3000人くらい、反APECデモは400人から1000人くらいといったところか。両方あわせて4000人(神奈川県警発表)といったところだろう。
 ところで頑張れ日本!全国行動委員会の方では日本鬼子(ひのもとおにこ)のキャラの使用を、画像のみで文字を使用しない(外国人に誤解を与えるという理由で)という条件で解禁したようだが、実際には使われたのだろうか、気になる。

11月7日

 今日は横浜市民ギャラリーあざみ野へ赤瀬川原平写真展「散歩の収獲」を見に行った。「収穫」ではなく「収獲」と書く。写真は狩りだそうだ。
 一見どこにでもありそうな風景でも、切り方が上手い。あと、タイトルのつけ方も。
 西新宿の作業服の萬年屋の前はよく通ったが、こういうアングルから撮るとなんか別のものみたいだ。
 南蒲田の七辻の写真はすぐにわかった。子供の頃近くに住んでいたから。
 神社ネタもいくつかあった。「ジュラ紀の手水鉢」「密告者」「鳥居の労働」「赤い点線」「再開、愛の狛犬」、どこの神社か気になる。
 「赤い点線」は久富稲荷神社と書いてあるのが映っていたので、すぐに桜新町だとわかった。「鳥居の労働」は古峯神社と書いてあったが、栃木のではなく、どこかの境内社だろう。「密告者」はお狐さんが三対並ぶどこかの稲荷神社だろうけど、どこにでもありそう。「再開、愛の狛犬」は境内の塀の所に並べられた江戸狛犬の先代さんだが、これもいつか突き止めてみたい。後に映っている建物にちょっと特徴があった。

 日本の田母神氏の主催する「頑張れ日本!全国行動委員会」の反中デモは、昨日は4500人(MSN産経ニュースによる主催者側の発表)と人数的にはやや減ったかのようだが、これまでは主催者側の発表よりも警察側の発表のほうが上回っており、今回は警察側が左翼デモのときと同様、人数をかなり少なめに発表している。警察側がもし正確な人数を発表していたなら、前回の5800人を上回った可能性もある。
 その一方で、ようやくマスコミの方は報道を解禁したのか、昨日の夜のNHKニュースで流れていたし、読売のネットニュースでも流れたから、mixiニュースでも扱われた。これまでの経緯を知らない人は、「遅すぎる」だとか「中国のまね」だとか書き込んでいたようだ。
 尖閣ビデオ流出については、マスコミ報道は犯人探し一辺倒なのだが、世論がこの事件を「よくやった」と評価していることにかなり困惑しているようだ。マスコミは自分たちが世論を作れていないことに、今さら気が付いたのだろう。
 俺の昔の学校の先輩で、新左翼系の活動をやっていた人もマスコミ関係に就職してたし、マスコミにはかつての左翼活動家(元革命家?)が結構な人数がいて、今では出世して上層部を牛耳っているのだろう。こうした人たちは基本的に毛沢東崇拝者で、中国に優しい。
 民主党も旧社会党系の議員は同じだろう。それに加えて旧自民党系も反米色の強い小沢派が中心になっているため、アメリカと対抗するために中国を味方にしようとしているから、親中国という点では民主党は奇妙なことに一致団結できる。
 その民主党にマスコミが同調する傾向があるのは、必然といえば必然だろう。
 昔だったら、もっと国民はマスコミに影響されやすかった。しかし、今はネットが発達したために、新聞を読まない人やテレビニュースを見ないという人も増えている。マスメディアが世論形成に果たす役割は、もはや微々たる物で過去のものになった。

11月3日

 今日は上野毛の五島美術館へ、源氏物語絵巻展を見に行った。
 着いた時には開館時間の10時を少しすぎて、一応入場制限になっていた。
 今回の目玉は単に国宝源氏物語絵巻が展示されるというだけでなく、現代の最新技術を駆使した復元画と一緒に展示されることで、確かにテレビでその作業の様子を見たことがある。
 実際、オリジナルの絵を見ても、人物もはっきりせず、何が書かれているのかよくわからない。源氏物語の専門家ならともかく、俺のようなシロウトには復元の方を見て初めてわかるようなものだ。
 「鈴虫二」の右上はオリジナルだとただ変色して染みになっているみたいに見えるが、復元だとちゃんと月が描かれている。斜投象による作画の最大の弱点で、天象を描くことができないため、月を描く時には空間を切って空を別に書かなくてはならない。「橋姫」でも同じ手法がとられている。(ちなみに斜投象は今日でも製図を書くときの図法で、物の形を正確に描写できることから、洋の東西を問わず線遠近法が普及する前の絵画はこの図法がとられることが多い。まあ、今時こういう絵を見て「遠近法が間違っている」なんて言う人はいないだろうけど。)
 光源氏は銀色の服を着ていて、きっと高かったのだろうな。今の漫画みたいにキャラで着る服が決まっていたのか。夕霧も同じ服を着ていた。
 屏風にはきらびやかな大和絵が描かれていて、こういう絵師がたくさんいたから絵巻物も作れたんだろうな。男の部屋には山水、女の部屋には花の絵だったのかな。
 囲碁の場面はちゃんと三線上に手堅く碁石が打たれていて、囲碁を知っている絵師だったのだろう。
 御簾はあざやかな緑青色だが、絵の具のせいで、本当はもう少し穏やかな萌黄だったのだろう。越人の発句に「君が春蚊屋はもよぎに極りぬ」というのがあったが、蚊帳がみんな萌黄色だったのは、平安時代の御簾の色から来ているのか。元はイグサの色で、宮廷では常に真新しくて奇麗な萌黄色をしているが、古くなると「橋姫」に描かれたような古畳の色になったのだろう。
 この展示室の真ん中にも、この御簾を模したものによって仕切られていた。そして床を見ると六芒星の形をした黒いガムテープ?が、何かを隠すのに用いられていた。この模様は絵巻の梁のところに見られるものなのだが、展示室の床を見ている人がほとんどいないのは残念だ。
 印象として、宇治十帖の一つ手前の「竹河」あたりから、登場人物が多く、華やかな感じがする。
 宇治十帖は古くから紫式部の娘、大弐三位などの別の作者によるという説があり、本来未完だった部分を誰かが引き継いだ可能性がある。
 とはいえ、薫を主人公にした新展開は「匂宮」「紅梅」「竹河」の3帖が宇治十帖の前に書かれていて、物語の基本的な構想は紫式部によるものだろう。
 特に薫の「香のかうばしさぞ、この世の匂ひならずあやしきまで、うちふるまひ給へる辺り遠く隔たるほどの追ひ風も、まことに百歩の外も薫りぬべき心地しける」といった、まるで「おおかみかくし」の蜜のようなおよそありえない設定や、そのライバルとして登場する匂宮など、晩年の筆の遊びからか、軽みの境地に達したか、純文学からラノベに転向したかのようだ。
 見終わった頃には、既に入場制限は解除されていたようだ。最初だから混んでいただけか、それともこれからテレビで紹介されたりしてまた行列になるのか。それなら早いうちに見たほうがいいだろう。
 五島美術館を出て、近くの「上野毛稲荷神社」に行った。広いがらんとした境内に狛犬やお狐さんの姿はなく、神明造(床下はコンクリートで固めてある)の社といい、白い石の鳥居といい、稲荷神社らしさがどこにもない。鳥居は普通の鳥居で神明式ではないものの、雰囲気は完全に神明社のものだ。
 社殿の横には北野神社と書かれた、注連縄をした大きな石があり、石祠となっている。
 この後二子玉川まで歩き、諏訪社を見たがここにも狛犬はなかった。社殿は真新しかった。

10月31日

 昨日の大阪デモは台風で中止になり、今日は静かな朝となった。やはり、ここで冷静になって、何が起きたかを考えてみるのもいいだろう。
 おそらく、2ちゃんねるを読んでなかった人には、今回の尖閣諸島の事件のあと何が起こったのか、さっぱりわからなかったに違いない。
 尖閣諸島の問題というのは、基本的には戦後の日本の政府や官僚が領土問題を軽視し、竹島にしても尖閣諸島にしても、事実上放置された状態にあったことに由来する。
 国際的には、長く放置されている領土は、権利を放棄したものとみなされても仕方がない。「使ってないなら俺にくれよ」と言いたくなる気持ちもわかる。そういうわけで中国が登場したわけだ。ただ「くれよ」と言われてくれてやるほど気前の良いこともいってられないんで、そこで戦後しばらくたってからここに領有権問題が発生する。
 一度双方の国で領有権の主張が始まってしまうと、話はややこしくなる。そういうわけで、日中国交正常化のときに、この問題は先送りすることで話は決まっていた。
 その後、尖閣諸島を巡るトラブルは、あたかも公海上で起きた事件であるかのように扱われ、両方の政府の話し合いで「なあなあ」で決着してきた。今回もそうなるはずだった、今も両国の政府やマスコミはそれで何とか収めようと躍起になっている。「冷静になれ」という言葉がくり返されるのはそういう意味だ。
 船長の逮捕は、明らかに尖閣諸島が日本の支配地域であるということの宣言として中国政府に受け止められた。最近よく使われるようになった「実効支配」という言葉があるが、ここで起きた事件を日本の警察が逮捕し、裁判をするのであれば、実行支配地域だということになる。
 従来なら、一度は逮捕しても、両国の関係に配慮し、政府の超法規的措置により釈放するということで終るところだった。ただ、今回の菅首相は政府の方針として釈放したことを認めていない。検察が勝手にやったということにしている。
 問題は両国のコンセンサスも何もなく、何の説明もなしに、何の交換条件もなしに釈放されたことだ。これだと一度は実効支配をしようとしたが、すぐに放棄した、と受け止められても仕方がない。つまり日本は領土を放棄したとうことになる。
 船長は中国の英雄として凱旋し、高らかにVサインをした。これによって中国人の愛国心に火が着き、反日デモが起こる。これが世界に報道されれば、尖閣諸島が本来中国のもので、中国人が日本の暴挙に怒っている、というふうに見られても仕方がない。このあたりは中国政府の筋書き通りだろう。
 ただ、中国側に想定外のことが実際に起きてしまった。それは安保闘争が収束して以来絶えていた日本のデモが、突如として2000人規模で起きてしまったことだ。その次の週にはデモ隊の数は5800人にまで膨れ上がる。日本のマスコミはこのことを国内に知らせないようにしていたが、中国でも海外でもこのデモのことは報道された。
 これに反発した中国の、特に保守的な四川省の方で、日本のデモに対抗して大規模なデモが始まり、暴動にまで発展した。これは勝ち逃げして穏便にすませたいという中国政府の思惑にも反するものだった。
 それだけでなく、この事件は世界の注目を集めることともなった。欧米諸国にとって、中国の経済力には、リーマンショック以降の景気回復の牽引車として期待はしているものの、独裁体制で正常な商取引ができるかどうかが大きな懸念になっていた。そして、中国と国境を接する東南アジアやインドにとっても、中国の軍事力は脅威だった。ここで日本に期待が集った。
 アメリカはいち早く尖閣諸島が安全保障の範囲内であることを示し、日本の支援に回った。そして、ノルウェーからも思いがけない贈り物が送られてきた。ミャンマー軍事政権がアウンサンスーチーの拘束を解くことを発表したのも、偶然ではないだろう。
 中国政府からすれば欧米諸国、周辺国、日本の民衆、中国の民衆を敵に回す形となり、唯一の味方は日本政府だけとなった。それがあの10分間の会談の意味だろう。
 中国政府はあの船長を酒に酔った上での出来事ということにして、落しどころを模索している。そして、自分のところでも船長を犠牲にしたのだから、日本からも一人(前原)くらいは生贄がほしい、といったところだろう。
 この問題がこれから先どのように展開するかは読めない。中国包囲網の圧力で中国が民主化にむけて決定的一歩を踏み出してくれるのか、それとも世界の日本への失望感だけを残して事なかれ主義が勝利をおさめるのか、日本の国民が大きな鍵を握っていることには変わりない。

10月29日

 テレビを見ていると、地球温暖化のことでずいぶんといいかげんな議論がされていたが、騙されてはいけない。

 まず、科学というのは基本的に反証可能でなくてはいけない。つまり一つの説を絶対的なものだとして強要するのではなく、自由に反対意見を言えるものでなくてはいけない。そして、どちらが正しいかは仮説と検証を繰り返すことで明らかにしなくてはならない。
 そのため、どんな主要な学説でも、必ず反対の意見を言う学者はいる。だから、地球温暖化に異を唱える学者がいるということは、地球温暖化が一つの説を強要する宗教のようなものではないことを証明するだけで、多くの学者が地球温暖化を認めていることには変わりない。
 大体世の中にはいろいろな学者がいるから、タバコが健康に良いという学者もいれば、ビッグバンはなかったという学者もいるし、ダーウィン進化論を否定する学者もいる。

 地球温暖化の問題のポイントは、大雑把に言えば、

1、そもそも地球は温暖化しているか?
2、地球温暖化の原因はCO2の増加なのか?
3、地球温暖化は本当に人類にとって不利益なのか?

というところに絞られる。
 これに対して、

1、地球温暖化は人類に何ら影響を与えない。(「北極の氷が全部溶けても海面は上昇しない。」)
2、それに地球温暖化はCO2の増加と関係ない。(「太陽のせいです。」)
3、大体温暖化そのものが存在しない。(「地球は氷河期に入っている。」)

と反証すると、これは鍋の論理という詭弁になる。1や2の主張は温暖化が存在することを前提した議論であり、3の議論と矛盾している。
 地球は温暖化している。これは春は温かくなるというくらいはっきりしている。ただ、春の気温は三寒四温というように、三寒の部分だけを切り取った統計を提示すれば、「春は寒くなる季節である」という主張も可能だというだけのことだ。
 地球温暖化の原因はもちろんCO2だけではない。メタンガスも水蒸気も原因の一つとなる。そして、これらのものの増加には二つの原因がある。一つは火山活動による自然原因。もう一つは石油石炭天然ガスなどの地下資源燃料を燃焼させることによる人為的原因。
 よくある誤解に、「物を燃やせばCO2は出る」というものと「人の呼吸でもCO2は出るし、牛のゲップは大量のメタンガスを排出するのにそのことが問題になっていない」というものがある。
 薪を燃やしても確かにCO2は出る。だが、薪は元は植物であり、空気中の炭酸ガスを光合成で取り込むことによって生じている。それを燃やしても、もともと空気中にあった炭酸ガスが空気中に戻るだけなので、CO2の量は増えない。
 牛のゲップも同じこと、元は牛が食べた草であり、草は空気中の炭酸ガスからできている。
 バイオ燃料もそれと同じで、植物を発酵させて作る燃料なので、CO2は増やさない。
 CO2が増える原因は、地下に埋もれていた炭素が大気中にばらまかれるからであり、その要因は火山活動か地下資源の使用かのどちらかしかない。
 「太陽のせい」だという説は、太陽の何がどのようにして地球の気温に影響を与えているのかが十分に説明されていないし、もしそれについて明瞭な仮説が立てられるなら、太陽にある変化が生じた時に地球は寒冷化すると予測することも可能であろう。そして、その予測が的中したなら、真実であることが証明される。
 しかし、太陽のせいだとしても、CO2の無罪が立証されたわけではない。原因が一つしかないと決まっているわけではないからだ。むしろ、ただでさえCO2の増加で温暖化しているところに、太陽の活動まで活発化しているとなれば、それはCO2を排出して良いということになるどころか、むしろもっと厳しいCO2削減が求められることになる。
 そこで、温暖化は何ら悪いことではないという説になる。確かにどんな悪い状況でも必ず得をする人がいるように、一部には温暖化で儲かる人もいるだろう。
 アメリカや中国やロシアがCO2排出規制に消極的な理由は簡単だ。産油国だからだ。東シナ海が手付かずの日本ではむしろ逆に、バイオ燃料への切り替えなどによって石油依存を脱却することで容易にCO2規制の優等生になれるし、それによってエコ産業が盛んになり、エコ製品を世界に輸出することによるメリットの方が大きくなる。
 CO2規制に反対することは、アメリカ、中国、ロシアを利するだけで、国益には貢献しない。温暖化を上手く利用した方が日本の繁栄につながる。

10月24日

 今日はとある用事で、護国寺の方へ行った。
 下町の静かなところで、駐車場脇の草村の中に三匹の猫を見つけた。
 そういうわけで今日の神社めぐりはピンポイント的に吹上稲荷神社。ここのお狐さんは宝暦12年の銘があり、狛犬研究家の三遊亭円丈によると、最古の狐だという。
 このお狐さんもそうだが、古い狛犬には立体感のない、線で書いたような目のものがある。単に磨り減っただけなのか、それとも元は彩色していて深く掘る必要がなかったのか。

10月22日

 俺の日記はあくまで不特定多数の人が読むことを想定したもので、特定の仲間内への私信ではない。だからといってコラムだとかエッセイだとか言うほどのものでもない。あくまで自己満足のためのものだ。あるいは不満のはけ口とでも言うべきか。
 だいたい、自分の家族も感動させられない文章が、人様が読んでどうとかなるはずもない。それはもう何十年も証明済みのことだ。別に書かなくてもいいんだ、書かなかったからって誰が困るわけでもないんだ、と思いつつも、ついつい書いてしまう、これはただの病気だ。もっとも、最近は日記以外はほとんど書いていない。
 ネットを始めた頃は調子こいて、見ず知らずの人様のサイトをおとづれては、つまらない書き込みをしたりしていたが、今ではもうやっていない。大体不愉快な目にあうだけだとわかったからだ。中にはマイミクになってくださいというからレスしたら、そのレスの仕方が気に食わなかったのか、逆切れされたこともあった。
 ネット社会とはいえ、ネットに過大な期待をするのは禁物だ。所詮は人間のやっていることだ。そこにいる人間は、ご近所さんや会社や取引先の人間と何ら変わらない普通の人間だ。

10月20日

 負の連鎖ということがある。たとえば虐待を受けた子どもは、大人になると今度は自分の子どもを虐待する側に回ることがしばしば起こる。
 虐待以外の親子のコミュニケーションのとり方を知らないのだからしょうがない。子どもは親の虐待を受入れるしかない。そこで、それは虐待ではなく躾であり、愛の鞭だと自分に言い聞かせ、虐待があったから自分は立派な大人になれたのだと信じる。そして、自分を立派な大人にしてくれたその方法は良いものだと思い込み、我が子にも同じことをする。
 こうしたことは国レベルでも起こる。
 日本の軍国主義の侵略を受けた国は、残念ながら自発的な近代化の道を絶たれ、日本の軍国主義によって強制的に近代化させられた。つまり虐待されながらも、一方では育てられたという一面を持っている。だから、近代化のためには日本のようにならなくてはならないと信じ込む。
 こうして戦後のアジアにはいたるところに日本の軍国主義を真似た軍事独裁国家が生まれた。韓国は高度成長を成し遂げるとともに、自発的に軍支配をやめ、民主主義への移行に成功した。その一方で、北朝鮮は完全に取り残されたままでいる。
 中国はその中間のところで分かれ道に来ている。一つは韓国のように自発的に民主化を断行し、経済成長を続け、やがては日本や韓国と肩を並べ、先進国入りするという道。しかし、残念ながら今の中国はもう一つの道を行こうとしている。それはかつて日本がやった方法、つまり先進国の価値観を拒否して侵略国家となり、世界を中国化しようとする道だ。
 もちろん時代が違うから、あからさまな軍事行動で侵略戦争を開始するわけにはいかない。頼るのは外交戦略だが、これも今のところ功を奏しているとは思えない。戦略的に同調しているのは日本の民主党くらいだろう。
 おそらく反米の小沢のことだから、中国と戦略的互恵関係を構築すればアメリカに対抗できるということなのだろう。ただ、最初からこの路線に日本国民の支持はない。予算ばらまきで釣るくらいしか脳はないが、これもすでに失敗に終わったといっていい。
 アメリカの世界支配はちゃんと理由がある。それは豊かさだ。アメリカの文化を受入れることで、多くの貧しい国は豊かさと自由を手に入れている。だから日本も原爆を落とされながらも、結局はアメリカに憧れ、アメリカ人のようになろうとし、それで高度成長を成し遂げた。
 中国の文化にはそれがない。世界中どこの国も中国人の生活にあこがれてはいない。だから、中国が世界侵略の野望を抱いたとしても、成功する見込みはまずない。早かれ遅かれ民主化の道を選択せざるをえなくなるだろう。

10月19日

 先日靖国神社に行った時に感じたことなのだが、ここは他の神社とはやはり異質な場所だということだ。
 たいていの神社は、どんな小さな神社でも、ひとたび境内に足を踏み入れると、そこは結界に守られたような異空間で、何となく俗世から開放されたような、心が洗われるような気分になるものだ。
 だが、靖国神社は違う。何となく入るなり空気が重い。圧迫感を感じる。境内では骨董市が行なわれているのだが、富岡八幡宮の時とはまるで感じが違う。
 俺は別に霊能力があるなんて思わないし、そういうものを真面目に信じているわけではないのだが、ここに来ると、やはり怨霊というのは「ある」のではないかと思ってしまう。
 戦争で死んだ人も、戦犯として死刑になった人も、みんな死にたくて死んだ人たちではない。ラノベに登場するようなバトルマニアなんてのは、現実にはまずいない。みんな好き好んで命を落とす危険のあるところに来たのではない。ただ、それでも逃れられないから、いろいろと自分を納得させる大義名分を探す。平和な時代だったら誰もが夢見るようなこともすべてあきらめ、運がよければ生きて帰りたいと願いながらも果せなかった人たちばかりだった。しには当然ながら苦痛が伴い、それは肉体のみならず、精神の絶望の苦しみでもあったはずだ。
 靖国神社が非業の死を遂げた人の「御霊」を祭る神社であることは、靖国神社のホームページにも書いてある。

 「我が国には今も、死者の御霊を神として祀り崇敬の対象とする文化・伝統が残されています。日本人は昔から、死者の御霊はこの国土に永遠に留まり、子孫を見守ってくれると信じてきました。今も日本の家庭で祖先の御霊が『家庭の守り神』として大切にされているのは、こうした伝統的な考えが神道の信仰とともに日本人に受け継がれているからです。そして同様に、日本人は家庭という共同体に限らず、地域社会や国家という共同体にとって大切な働きをした死者の御霊を、地域社会や国家の守り神(神霊)と考え大切にしてきました。靖国神社や全国にある護国神社は、そうした日本固有の文化実例の一つということができるでしょう。」

 この文章は、非業の死をとげた魂である「御霊」と通常の祖先の霊であるところの「祖霊」とが、おそらく意図的に混同されるように書かれている。
 ご先祖様のみんながみんな戦死したわけではないように、祖霊=英霊ではない。平和なうちに大往生を遂げたご先祖様は「御霊」ではないし、もちろん「英霊」と呼ばれることはない。ただ、そうした祖霊を祀ることとは別に、非業の死を遂げた人の霊を祭ることによって、その祟りを鎮め、「地域社会や国家の守り神」にするという考え方は確かに存在している。
 祖霊の祭りは中国や韓国にもあるが、御霊信仰はおそらく日本独自のものだろう。それに近いものがあるとすれば、中国の端午の節句に屈原を祭るくらいではないか。屈原の「楚辞」に「招魂」という詩があるが、靖国神社の前身が「東京招魂社」であったことは偶然ではあるまい。
 靖国神社は強力な無数の怨念を鎮めるための施設であるため、決して半端な気持ちで行くところではない。行くからには心を引き締め、どんな悪霊にも負けない気構えが必要だ。今日参拝した66人の国会議員の皆さん、くれぐれも単なるパフォーマンスで行ったのではないことを祈ろう。

10月17日

 日曜の朝というと、何となくこの話題になってしまうが、中国大使館前のでの日本側のデモ隊の人数は5800人(警察側の発表)にも膨れ上がり、中国の反日デモをゆうに凌駕していると言っていい。その模様はyoutubuで公開されている。
 中国の2,3の都市で数千人規模のデモが起きたというが、人口が日本の10倍の中国のことだから、人口比では日本のほうが勝っている。しかも中国のデモは国内メディアも大々的に報道し、中国共産党自らが煽ってあの程度という節がある。それも投石をしたりするお行儀の悪さは、まっとうなデモというよりは失業者の憂さ晴らしにすぎないんじゃないか。(中国共産党によって組織された学生が中心、との説もある。)
 日本はマスコミがほとんど報道しないにもかかわらず、これだけの人数が集結し、しかもみんなきちんとルールを守って、整然と抗議活動を終えている。中国大使館の前の通過は5人づつ間隔をあけて通らなくてはならないというところは笑ったが、それでもちゃんと行列を作って待っているあたり、日頃からラーメン屋で鍛えられた日本人ならではのものだ。中国だったらここで暴動だろう。
 今後は大阪でもデモが計画されているというし、徳之島や沖縄の市民が普天間問題を動かしたように、日本もようやく世界標準の民主主義の国になろうとしているようで心強い。
 日の丸の行列には年配の人の中には不快感を催す人もいるかもしれない。ただ、侵略戦争は吉田松陰が発案したにも関わらず、吉田松陰は英雄扱いで、何の罪もない旗や音楽に責任を押し付けてきた戦後左翼のゆがんだ闘争方法も、今後反省されねばならないだろう。

10月15日

 正直に言うが、俺はまだ本物の児童ポルノというものを見たことがない。もちろん違法なものなのだから、そんな人目につくようなところにあるはずもないので、これは当たり前のことだ。
 似せものならいくらでもある。どう見ても大人の女性がランドセルを背負って現われるようなポルノ映像だとか、最初は子どもが映っていても、いざその行為となると同じ格好をした大人の女性に入れ替わっているだとか、そういうものならある。
 ネットでいろいろなものを検索していると、何年か前なら偶然ポルノサイトが検索にかかることがあったが、最近はお目にかかっていない。それだけ検索エンジンも進歩している。
 ポルノサイトは海外から発信しているものも多いが、海外は日本以上に児童ポルノに対する規制が厳しいと言われているので、もちろん見たことはない。
 だから、児童ポルノの単純所持が禁止されたとしても、普通の生活をしている人にはほとんど問題はないと思う。普通にポルノを楽しんでいる男性でも、児童ポルノはそう簡単に入手できるものではないからだ。
 おそらくそうしたサイトがあったとしても、通常のポルノサイトからはリンクされていない。その道の人から特殊な入り方を伝授されないなら、まずたどり着くことはないだろう。
 そういうわけで、こやんは児童ポルノの単純所持の禁止にはもちろん賛成である。

 この種の議論が混乱しているのは、本来児童ポルノではないものが児童ポルノとして取り締まられるのではないか、という不安から来るのではないかと思う。アート系の少女ヌード写真集(デビット・ハミルトンや石川洋司などの)や娘の入浴写真やロリコン漫画を所持しているとパクられるのではないかという不安ではないかと思う。
 児童ポルノというのは、年端もいかない子供に性交やそれに類似する行為を強要するものであり、当然のことながらそれは児童虐待である。そうでないものは当然児童ポルノではない。
 児童ポルノは厳しく取り締まるべきであり、そうでないものは取り締まってはいけない。是は是、非は非、これははっきりさせなくてはならない。

10月11日

 この頃はラジオで何度も生物多様性会議のことを聞く。
 生物多様性がなぜ必要かということで、決まった言われるパターンというのは、我々の生活がいろいろな生物のお世話になっているからだ、というものだ。間違いではないが、これは建前論であって、本音ではない。
 生物多様性のキャンペーンというと、何か珍しい可愛らしい動物のマスコットを作って、「ほら、自然というのはこんなに素晴らしいものです、だから守りましょう」というイメージがあるが、生物多様性には実際にはすべての生物が含まれる。可愛くないものも守らなくてはならない。
 生物多様性を守る必要というのは、簡単にいえば保険をかけるということだ。
 人間がもし米しか食べなかったなら、米が不作になればみんな飢え死にしてしまう。麦も食べれば、野菜や木の実や豆や肉や魚など、いろいろなものを食べているから、一つのものが取れなくなっても生き延びることができる。
 人間の食料となる生き物も事情は一緒だ。いろいろなものを食べるから、環境が変化して、ある食べ物が急に激減しても生きながらえることができる。
 植物だって、根から水分や養分を吸い上げるには、土を柔らかくしてくれるミミズなどの動物や、様々な微生物の働きを必要とする。一つがダメになっても代わりがあるように、生物は多様化することで保険をかけている。
 だから、生物の多様性が損なわれれば、自然はちょっとした環境の変化にも弱くなる。

 生物種だけでなく、文化にも多様性は必要だ。
 世界がたった一つの理念や思想の下に統一されたなら、その理念で対処できない問題が起こった時、人類全体が混乱に陥る。いろいろな考え方があることで、不測の事態に柔軟に対応することができる。
 独裁国家よりも民主主義のほうが優れているのはそのためだし、大きな国では州などに分けて地方分権を進めたほうがいいのもそのためだ。
 愛国心というのは、日本では敗戦のショックから、長いこと悪ものにされてきた。しかし、高校野球で出身県を応援したり、プロ野球やJリーグで地元のチームを応援したりするのが自然なように、オリンピックやワールドカップで自分の国を応援するのは自然なことであって、悪いことではない。
 ただ、自分の地域、自分の国のエゴをごり押しすれば、そりゃ争いが起きるに決まっている。自分にも愛国心があるように、よその国の人にもそれぞれの愛国心があることは、お互い認め合わなければならない。
 大事なのは、国と国との利害が対立した時にも、それを非暴力的な手段で解決する工夫をすることだ。それには、緊張を緩和し、感情的な爆発を避け、あくまで平和的な手段で争うことが必要だ。
 対話はもちろんのこと、スポーツで発散したり、お笑い芸でもって笑い飛ばしたり、音楽や物語など芸術で訴えたりすることも、みんな平和のために必要なことだ。
 スポーツに熱狂し、お笑いで笑いころげ、音楽や映画や漫画やゲームに夢中になることは、平和を維持するために不可欠なことである。その証拠に、戦争をやっている国やこれから戦争をやろうとしている国は、ほぼ例外なくこれらのものを制限したり禁止したり弾圧したりする。自由の国アメリカとて例外ではない。(スポーツはしばしば国威発揚に利用されるが、軍事独裁の国では報道を制限したり、自国が有利になるような圧力をかけたりして、本来のスポーツのあり方とは程遠く、決して大衆が自由に参加できるようにはなっていない。)
 かつてのインターナショナリズムは、一つの思想(たいていはマルクス主義)が世界を支配することで、固有の文化は消滅するといったもので、それは今では冷戦構造の崩壊とともに終った幻想だ。これからは文化的多様性に基づく、人間の持つ愛国心を大胆に肯定するインターナショナリズムが必要だ。

 家庭のほうは一時はどうなるかとも思ったが、何とか落ち着いて、今日は旅の再開。とりあえず、「天地明察」にも出てきた千駄ヶ谷の鳩森八幡神社へ行った。
 JRの代々木駅から歩いた。
 これだと裏参道の方から入ることになり、入るとすぐに昭和7年銘のブロンズの狛犬があった。
 左手には境内社の甲賀稲荷社があり、その隣には富士塚が見えた。先代と思われる狛犬が大小2体置いてあったが、顔は半分なく、かなり崩れていた。
 その先には将棋堂があり、大きな将棋の駒がお堂の中にあり、外には棋力向上を願う絵馬がかけられていた。屋根のてっぺんには将棋盤の足をかたどったものだという。
 社殿の前の狛犬は文化11年の銘があったが、実際は昭和のものらしい。阿吽が反対に設置されていて、阿形のほうは舌がちゃんと作られている。こういうリアリズムはやはり昭和のものなのだろう。
 富士塚の前にも狛犬がいて、こちらは享保20年と古い。富士塚は寛政の頃だというから、それよりも古くからあるようだ。享保に作られたという説もあるようだが、いずれにせよ、渋川春海の時代にはまだなかった。
 おそらく富士講が盛んになり富士塚が作られるようになったのは、宝永の大噴火が収まった、かなりあとのことだろう。噴火の危険があるうちは、なかなか富士山には行きたがらなかったのではないか。
 社殿の裏に、何神社かわからない境内社があった。社殿の感じから伊勢社かと思ったが、鳩森八幡神社の公式ホームページによれば神明社になっていた。
 鳩森八幡神社を出て、千駄ヶ谷駅を越えて新宿の方に向うと、裏道に多武峯神社があった。内藤新宿という地名の由来でもある内藤清成の駿馬の伝説にちなんだ駿馬塚があり、その隣の神馬殿には大きな白馬の像が収められている。
 ここの狛犬は寛政5年の銘がありなかなか愛嬌のある顔をしている。
 このあと新宿御苑を見て、新宿東口の一蘭のラーメンを食べた。15人くらい行列していた。並んでいる間にスープの濃さだとか麺の固さだとかを記入するオーダー表がまわってきた。これを記入して注文するようになっていた。
 待っている間に、席の空席状況がわかるように、座席表にランプが着いた掲示板があり、空席ができると空席のランプがともるようになっていた。緑のランプはまだ注文してないという意味か、赤と赤点滅と黄色の違いはよくわからなかった。
 中に案内されると、まるで選挙の投票所のようにカウンターに仕切りがついていて、前は壁になっていて、小さな隙間から注文をしたりラーメンが運び込まれたりする。作っている人の姿はまったく見えないし、店員の顔も一応見えるところまで頭を下げてくれるのだけど、やはりよく見えない。対面販売とは真逆のシステムで、これなら対人恐怖症でも安心ということか。
 スープの方も今時の濃色とんこつで、何かいわゆる博多ラーメンとは異次元の店に来てしまったという感じだった。

10月8日

 中国のロック(揺滾)は80年代後半から盛んになり、単なる西洋の模倣ではなく、黄河上流の黄土高原地帯の民謡と融合し、西北風(シーペーフォン)と呼ばれる中国独自のロック文化を生み出した。
 この地域はモンゴルの文化とも接する地域で、騎馬民族の音楽というのは馬のリズムを基調としていて、意外にアメリカのカントリー&ウェスタンにも近かったりする。歌唱法も男の場合はだみ声で、デスボイスに近い。
 崔健の「一無所有(何もない)」は西北風を代表する曲で、やがて天安門の前で民主化を求める学生達の間で大流行した。
 当時中国ではまだチャリティーの名目がないとコンサートが開けない状態で、もちろんテレビなどのマスメディアに乗ることもなかった。
 今でも中国のメタル(金属)で、モンゴルにあこがれる傾向があるのは、その西北風の名残なのだろうか。零壹(リンイー、あるいはVooDoo KungFu)もモンゴルの楽器を使っているし、顛覆M(ジャンフーエム、あるいはEgo Fall)の「The Spirit of Mongolia」はいきなりホーミーで始まる。
 ノルウェーのブラックメタルが、自らの民族意識と原点回帰を求めていった所に、かつてのバイキングの栄光とともに、北欧神話の神オーディンに至り着き、キリスト教を否定し、教会に放火したりすることにもなった。
 中国のメタルはどこへ行くのか。自らの民族の起源を求めて行くところには黄河があり、西北風があった。その先にあるのは、漢民族というよりはジンギスカンの蒙古帝国の栄光なのだろうか。
 愛国心も突き詰めるとかえって異教崇拝(ペイガニズム)に至る。ノルウェー人も中国人も結局一緒なのだろう。

10月3日

 先日、日本人はデモをしないということを書いていたら、渋谷で2600人規模のデモがあったようだ。マスコミは報道してないが、ネットは便利だ。
 日本では「どうせ右翼系」ということで終るけど、海外で報道されたということは重要だし、そこに意味がある。そのためのデモンストレーションといっていい。
 日中戦争では、日本は侵略国で中国は哀れな被害者だったし、戦後も長いこと貧しくて哀れな被害者国という負い目から復興援助し、些細なことには眼をつぶってきた。年配の人の間では、未だにその意識の人が多いのだろう。
 だが、中国が高度成長を遂げた今となっては、いつまでも貧しく哀れな被害者のイメージで同情したり遠慮したりするのも、かえって中国に対して失礼だろう。これからは対等な立場で物を言う存在にならなくてはならない。成長し、反抗期を迎えた中国には、日本は親として、大人として、いつまでも子ども扱いして甘やかせておくわけにもいかないだろう。

9月26日

 秋晴れのいい天気。今日は将門めぐりの続きということで、まず鳥越神社に向った。
 鳥越神社までは、地下鉄銀座線の末広町から真直ぐ蔵前通りを歩いた。
 午前10時の境内は静かで、狛犬は最近すっかり見慣れた招魂社系の昭和7年製。
 境内社の福寿神社は稲荷神社だが、大黒天・恵比寿・菅公も祀ってある。

 ところで、先日、築土神社が鳥越神社、神田明神、築土八幡宮、鎧神社の線上に並ぶみたいなことを書いてしまったが、実際はこの線より500メートルくらい南にずれている。
 また、将門7社が北斗七星をかたどるという説は、将門の縁の薄い、というかどういう関係があるのかよくわからない面影橋の水稲荷神社をその一つとしている。この神社も鳥越-鎧ラインから北にずれる。
 それにもう一つ言えば、兜神社は明治の創建であり、それまでも兜岩はあったようだが、せいぜい小さな社が祭られている程度だったようだ。
 将門7社は本来将門5社で、基本的には鳥越神社、神田明神、築土八幡宮、鎧神社のラインが中心にあり、築土神社はかつて築土明神と呼ばれ築土八幡宮の隣にあった。つまり五つの神社が一列に並び、そこから南にずれるところに兜岩と首塚があったが、これはただ元からあった位置にあるだけで、意図的に配置されたわけではなかったのだろう。兜岩、首塚、神田明神、鳥越神社の4点は不等辺四角形で特に秩序は見られない。
 また、一説には築土神社が靖国神社の参道の延長線上にあり、この線が神田明神につながっているというが、実際に靖国神社の参道は微妙に南にずれていて、この延長線はむしろ秋葉原電気街の真ん中を通る。

 さて、鳥越神社から北へと歩き、新御徒町から大江戸線に乗って飯田橋の築土八幡宮へ向った。築土八幡宮のあるところは小高い丘になっていて正面は結構長い石段になっていた。
 ここの狛犬は文化7年の銘のある江戸狛犬だった。築土神社の狛犬によく似ている。境内には二匹の猿が桃の実を採っているという珍しい図柄の庚申塔があった。普通は「見ざる聞かざる言わざる」なのだが。
 築土八幡宮を出て、JRの飯田橋駅に向った。途中、善国寺が目に止まったので、そこに立ち寄った。善国寺といえば今年の1月24日に狛虎めぐりの時に来たところで、その狛虎に再開した。思えば、これが旅の始まりだった。今そこに戻ってきたということは、その旅ももう終わりが近いのだろう。
 飯田橋から総武線に乗って大久保駅で降り、最後の目的地の鎧神社に向った。
 狭い路地の中を迷いながら、ようやく裏側の鳥居にたどり着いた。そこにも古そうな江戸狛犬があり、天保7年の銘があった。すぐ横には境内社の稲荷神社があった。
 拝殿前の狛犬は招魂社系の大きなものだ。
 正面の鳥居の左隣にもう一つ鳥居があり、そこには天神社と書かれていた。拝殿の横にはかなり風雨で磨り減り、ところどころ修復の後のある、のっぺりとした狛犬が一対あり、狛犬型庚申塔という立て札が立っていた。
 胴体にアバラがあるところから、元は神殿狛犬をモデルにした招魂社系の狛犬だったのだろう。立て札によると享保6年のものだという。ただ、狛犬型庚申塔というのは聞きなれぬ言葉だし、どう見ても普通の狛犬だ。どこにも猿は彫られていない。ネットの説によると、本来は庚申様を祭る社があって、そこの狛犬だったのではないかとのこと。
 さて、秋晴れのいい天気の中、今日も楽しく旅が終った。
 さて、人生これから何が起こるかわからない。良いことよりは悪いことの起こる率のほうが高いのは確かだ。今のこの幸せもいつ突然終るかわからないから、だから今を精一杯楽しまなくてはならない、ということは前にもどこかで書いたことがあった。
 今日のこの天気は、1月24日に狛虎から始まった狛犬めぐりの旅の一区切りになるのかもしれない。

9月25日

 デモというと、日本では安保闘争や労働争議など、どうしても左翼というイメージが強かった。一方で右翼のデモは黒塗りの街宣車に乗って軍歌を流して、やはり一般の人を寄せ付けるものではない。
 デモという習慣は結局日本に根付かないまま、世の中への不満は引きこもりや、せいぜい2ちゃんへの書き込みなど、ネガティブな方向にしか向わない。
 デモは目立つ。目立たせることを意図するからこそデモンストレーションなのであり、大きなデモが行なわれれば、その模様は世界中に報道される。
 今回の尖閣諸島の問題でも、日本だけでなく他の国でも、デモをする中国人の姿は報道されただろう。それで日本はどうしたかというと、ほとんど何も伝わってはないのではないか。ただ、中国の要求を呑んで船長を釈放した、中国のデモに屈した、それ以上に日本人が何かを主張したようには見えないだろう。結果的には尖閣諸島が中国の領土であることを世界に宣言したようなものだ。
 もし今回の事件で日本でも中国に抗議する数万人規模のデモが起こり、それが世界に報道されてたなら、中国政府の出方も違っていただろう。
 日本の政府の弱腰を批判するのは簡単だし、民主も自民もダメだというのは簡単だ。だが、彼らもデモを行なう大群衆の援護があるなら、もっと強気に出ることもできたかもしれない。
 日本が国際社会で目立たないのは、政府以前に国民が目立とうとしないから、ということも言えるのではないか。
 デモは元気玉のようなものだ。外交的には最強の切り札になる。今の日本もそれを思い知ったところではないか。

  おそらく60年代前半くらいまでは、日本も世界の他の国々と同じようにデモをやっていたのだろう。そうなると、責任は全共闘にあると見るのが自然だ。国民の感情そっちのけで、組織同士の内ゲバをくりかえし、暴力的になっていった彼らの末裔のために、警察がデモを厳しく監視せざるを得ない状況が作られていった。
 結局日本の左翼は、口では平和と民主主義、反軍国主義を唱えながらも、自分たちの組織は戦前の軍隊そのものだった。まあ、虐待された人間が、また誰かを虐待するという負の連鎖を引き起こすように、軍国主義に弾圧されてそれに対抗する組織を作ろうとしたのだが、結局軍隊以外の組織を知らなかったので、どうしていいかわからなかったのだろう。
 だから、今デモをやっている連中のほとんどは、あくまで政治団体の、組織のデモンストレーションをやっているにすぎず、それも動員されて仕方なくというだけで、これでは盛り上がるはずはない。

 尖閣諸島の問題も、今までの自民党政治だったら、現場で「まあ、ちょっとこすったくらいだから」とでも言ってうやむやにされていたのだろう。だからこそ、今回の船長逮捕は画期的だった。そのまま粘ってくれれば、民主党の株も上がっただろうに、残念なことだ。
 長期化を懸念なんて言われているが、どっちみちどちらも自国の領土だと主張して譲らないのだから、10年20年で解決する問題ではない。
 中国がレアメタルの輸出を停止したなら、日本は漫画・アニメ・音楽の輸出を停止すればいい。まあ、どっちにしても結局抜け道はあるのだろうけど。

9月21日

 テレビの刑事ドラマや推理小説のずるいところは、犯人が誰であるかを神の視点で語ることができるということだ。犯行の決定的な場面を映像として視聴者に見せて、ほらこの通りこの人物が犯人ですよと示すことができる。
 犯人が誰かが誰の目にも自明であり、その犯人が法の裁きを逃れてのうのうとしていれば、視聴者はその犯人に怒り、誰かがその犯人を殺せば拍手喝さいをする。
 だが、現実は、カメラが回っていて、何が起きたかすべて白日の下にわかるような事件なんてのはまずない。だから、ヒーローはいつまでたっても現われない。
 ただ、被告側・検察側の、証拠物件や証人に関するそれぞれの解釈の議論が果てしなく繰り返され、裁判官も裁判員もそれだけで判断しなければならない。それが法の裁きというものだ。
 「うみねこのなく頃に」はその意味でも画期的なのかもしれない。Ep.1、Ep.2で示された事件は、普通の推理ものなら、それは神の目で描かれた事件の客観的な真実として認知される。それを「記述者」の存在を介入させることで、神の視点をひっくり返し、シュレーディンガーの猫の喩えでいう猫箱の中に事件を閉じ込めた。
 蓋を開けるまでは無限通りの事実が存在する。しかし、蓋は果たして開くのだろうか。神の視点での真実は明かされるのだろうか、それとも永遠に猫箱なのだろうか。それはEp.8を待つしかない。
 いずれにせよ、現実であれば蓋は開かない。後になって新事実や新たな証拠が出ることはあっても、事件そのものが白日の下に再現されることはない。
 「デスノート」のライトはマスコミ情報だけで犯人を決め付けるという単純な弱点を持っていて、デスノートで殺された人たちが真犯人だったかどうかは最初から問題になっていない。それだから逆にリアリティーがあった。
  「ジョーカー 許されざる捜査官」は神の視点があるために主人公は完全なヒーローでいられる。だが、これがこのドラマから決定的にリアリティーを奪っている。まあ、ドラマは所詮作り物と割り切ってみる向きにはいいだろうが、これが何か現実社会に問題を提起しているなんて錯覚は危険だろう。(「デクスター」については見たことがないのでわからない。一人称で語られる物語だったら、神の視点はないのかもしれない。)

9月19日

 今日はこの前兜神社に行ったということもあって、将門めぐりをしようと思った。
 平将門は逆臣でありながらもその怨霊は浄化され、江戸時代には江戸の守護神として、平将門を祭る神社は国家事業として整備された。
 最近では将門の首、胴、首桶、手、足、鎧、兜を祭る七社が北斗七星の形に並べられたのに対し、明治以降の政府は靖国神社を中心とした護国寺、、青山霊園、築地本願寺、谷中墓地の四角形で打ち消したなんて説が、ネット上に流れている。ただ、本当に北斗七星をかたどる意図があったかどうかはやや怪しい。
 そういうわけで、最初にまず半蔵門線九段下駅で降りて、築土神社に向った。ここは本来世継稲荷神社があったところで、築土神社がここに祭られるようになったのは戦後のことだという。そのため、北斗七星の形の中には入っていない。ただ、面白いのは、この地も北新宿の鎧神社、神楽坂の築土八幡神社、神田明神、鳥越神社を結ぶラインの上にうまく並ぶ。
 新しく作られただけあって鉄筋コンクリートの社殿がビルの谷間にあった。ただ、狛犬だけは安永九年のものが遷座して、この神社を守っている。
 九段に来たついでということで、隣の靖国神社にも行ってみた。靖国神社は初めてではなく、かなり前だが桜の季節に来たことがある。あの時は境内は祭りの縁日のように、ドネルケバブやそのほかいろいろな国の料理の屋台が並び、意外に無国籍な世界となっていた。
 靖国神社は最初から明治政府によって管理されていたため、雑多な境内社が並ぶこともなく、鳥居はすべて神明鳥居、狛犬は文字通り招魂社系で統一されている。(一対だけ渡来系の狛犬があった。)
 さて、私人としての参拝だが、政治的にいろいろ言われている神社でもあるので、一応態度をはっきりとしておこう。
 まず、靖国神社に祭られている「英霊」だが、これは基本的に明治維新の際の戦死者の御霊を祀ったことに起源を持つもので、英霊は御霊、つまり非業の死を遂げた人の怨霊とみなされる。御霊には平将門のような逆臣も含まれるし、犯罪者が含まれていても問題はない。それらの魂は祭られることによって鎮められ、浄化されることで、逆にその力を良い方向に用いられる。つまりA級戦犯であろうと、御霊として祭られたのなら、その罪は清められ、むしろ平和の神として生まれ変わることも可能なのである。
 英霊は明神や権現ではない。つまり、偉大な人間を神の現われとして祭っているのではない。秀吉が明神となり、家康が権現とされたのとは意味が違う。ただ、そこのところが韓国人や中国人に理解しがたいだけでなく、日本国内でも混同されているところの問題があるのではないかと思う。
 英霊が御霊である限り、公的参拝は憲法で定める信教の自由に抵触するが、私人としての参拝は問題ない。ただ、海外にそのことをきちんと説明する必要があるだろう。
 さて、靖国神社を出たあと、ふたたび半蔵門線に乗り、大手町の将門の首塚に向った。ビルの谷間は休日でひっそりとしていたが、首塚のところは人が絶えなかった。大勢来るわけではないが、一組が立ち去ると入れ替わりに別の一組がやってくるという感じだった。
 神社ではなく、石碑があるだけで、蛙の置物がいくつもあった。将門の首が飛んで帰ったから「カエル」という説もあるが、何か別の縁もあるのかも。ひょっとしたら芭蕉の古池の蛙も将門の連想を誘ったりしたのだろうか。
 大手町から千代田線に乗って、新御茶ノ水へ向った。目指すは神田明神。
 新御茶ノ水でとりあえずまず昼飯にした。バーガーキングに初めて入ってみた。さすがにアメリカではマクドナルドと二分する勢力だけある。ビッグマックもいいがワッパーもなかなかだ。そういえば、ウインドウズ7が出たとき、バーガーキングが7枚重ねワッパーを出したとか。バーガーキングとウインドウズ、その心は‥‥どちらもマックに対抗しています。
 神田明神は聖橋を渡って湯島聖堂の向こう側ということで、まずは湯島聖堂に寄り道。ここも久しぶりに中に入った。
 中国風の黒塗りの壁の建物で、屋根の上には鬼龍子という虎のようなモンスターが守っているし、鬼犾頭という大きなしゃちほこもある。もう一つの斯文会館の屋根には翼のある西洋式のガーゴイルがいた。
 さて、神田明神だが、極彩色のきらびやかな楼門のむこうに、黒い服を着た一団が雛壇状に並んで、何かと思ったら結婚式の記念写真撮影の最中だった。
 社殿前の大きな狛犬は招魂社系だったが、その横に再建されたという獅子山があって、獅子そのものは文久2年のものだという。札には「石獅子」と書かれていた。
 裏側には境内社がいくつも並んでいて、狛犬も3対あったし、末広稲荷神社の青銅製のお狐さんが珍しい。
 裏門を抜け、秋葉原を通って帰った。ネットにあった説に、秋葉原無差別殺傷事件は将門の怨霊の仕業みたいなのがあった。「帝都物語」の影響か、将門の霊を何か恐ろしいものだと思っている人も多いが、長年にわたってきちんと祭られてきた霊はこの国の守り神であって、そんな悪いことをすることはない。

9月18日

 昨日はテレビでアルマゲドンを見た。
 前にも見たことがあったが、ほとんど忘れてたし、ディープ・インパクトとごっちゃになっていた。オープニングは高校生が出てくるのではなかった。
 そのオープニングを見て思ったのだが、日本の調査捕鯨船もゴルフセット一式積んでいくといいのでは。
 ラストは、一見自己犠牲的のように見えながら、しっかりと自分の遺伝子を残すための最善の選択をしている。これがアメリカの凄いところだ。どこまでも利己的な遺伝子に忠実で、特攻隊や自爆テロのような遺伝子に反した献身は絶対にしない。だから強いのだろう。
 アメリカに逆らう国は、たいていそこを間違えて、遺伝子に反する命令をして自滅して行く。日本もそうだったし、イスラム原理主義も決して勝利することはないだろう。

9月17日

 こんな夢を見た。

 6畳一間くらいの部屋には何もなく、ただ白い壁と窓が一つだけあり、そこで一人俺は目が醒めるという夢だった。
 そう、俺はいつからかここで一人で住んでいた。それがある日から、俺は何かとてつもなく長い長い夢を見始めた。その世界では、俺には妻がいて子どもがいた。いつから夢が始まったのかわからない。気がつくとたった一人。
 まあ、人間というのは結局一人でこの世に生まれてきて、一人でこの世を去って行くものだ。だから、いつかはこの一人の部屋に帰らなくてはならないのだろう。

 夢から醒めるといつものように仕事が始まる。そして、仕事が終れば家に帰る。そこには一応家族はいる。変わりばえのしない一日が終り、同じような一日がまた始まる。
 人生にリセットボタンはなく、セーブデータを消し去るように記憶を消すこともできない。今さら将来の夢もないし、クリアしたあとの何のイベントも発生しない世界。これも夢なのだろうか。

9月15日

 平成22年度の国債費は20兆6491億円、つまり、日本は今これくらいの額を借金の返済に充てている。これに対して新たな国債発行額は44兆3030億円。これでは借金は増え続ける。
 消費税を10パーセント引き上げるとどうなるかというと、平成22年度の消費税収入は9兆6380億円。これが単純に倍になったとしても、19兆2760億円。つまり借金は返せない。
 それならEU諸国並みに20パーセントならどうか。単純に4倍にすれば38兆5520億円。これなら借金の返済に20兆円くらい充てても、半分近く余る。残りの分で国債の新規発行を抑えれば、新規国債は25兆円くらいに抑えることができる。これなら財政の再建も可能だろう。

 民主党が小沢のばらまき路線を選ばなかったのは、とりあえず正解だ。マニフェストは全面的に見直し、そして消費税増税はこれ以上先送りできない。
 増税の議論については、昔から一つのステレオタイプ的な反論がある。つまり、財政の削るべきところは削って、それでもなお足りないなら増税もやむをえないが、まだ削れるところがある以上は増税をすべきでない、といったもの。この論法だと、1円でも節約できるなら増税はダメと言うことになる。
 こういう論者の言うことを聞いていたのでは、間違いなく国家の財政は早晩破綻し、IMFの管理下に落ちることになるだろう。まあ、かつての韓国のようにIMFの力で財政再建ができ、日本がその結果立ち直るのであれば、決して悪いことではない。
 今の状況では、もちろん税金の無駄はどんどん削っていかなくてはならないし、もちろんそれだけではたかが知れているから、同時に増税もしなければならない。どっちが先かなんて言っている場合ではない。すぐに両方やらなくてはならない。
 問題はそれを日本人が自らの手でやるのか、それとも破綻するに任せて外国からの圧力でしぶしぶやるのか、その二者択一があるだけだ。
 景気対策を口実にばらまきを期待する向きもあるだろうが、それもやってはいけない。世界的に新たに大きな消費構造の変化が起こらない以上、国内需要はそれほど増えない。
 かつてのモータリゼーションはエレクトリゼーションに匹敵する大きな変化があるなら、高度成長も可能だろうが、残念ながら今の日本では無理。中国は今まさにモータリゼーションはエレクトリゼーションが進行している最中だから高度成長をしているだけで、日本が中国の真似をしても高度成長はできない。
 景気対策で必要なのは1にも2にも規制緩和であり、特に福祉などの分野で金儲けができる状況を作り出す必要がある。福祉で金儲けなどとんでもないという人は、愛だけを食べて飢え死にしてくれ。

9月12日

 渋谷O-nestへ、「いいにおいのするTOKYO2010」を見に行った。
 Vampilliaがメインでそれを見に行ったのだが、その前にphewを見た。1981年の「天国注射の昼」以来29年ぶりだ。歌がシャンソンっぽくなった以外は、驚くほど変わってなかった。
 Vampilliaは相変わらず面白い。今日のゲスは体をラップで巻いて、死体の姿で登場。小さなステージに12人も乗っかって、にぎやかだった。最後にちゃんと落ちをつけるあたりが関西人だ。

9月5日

 一日暇を潰すにはと考えると思いつくのは、やはり上野だろう。博物館や美術館が集中していて、椅子もあるから一日涼しくすごせそうだ、と。
 不忍池には蓮が咲き、上野公園内には花園稲荷神社や五条天神社や東照宮もある。久しぶりにこうした所もまわってみた。
 花園稲荷神社の入り口にある狛犬は宝暦3年の銘があった。五条天神社の狛犬はブロンズ製だが、近くにはいけなかった。
 秋色の「井戸ばたの桜あぶなし酒の酔」の句碑があった。桜の何が危ないだろうと思わせて「酒の酔い」で落ちをつけるという構成法は、今の俳句ではやらないが、昔の発句では結構好まれた。今の俳句はあくまで真面目で、笑いを取ってはいけないのだろう。「酒に酔い井戸ばたの桜あぶなし」とでもすれば近代俳句になるのか。
 国立科学博物館へは、多分子供の時以来行ってなかったのではなかったか。何か恐竜の骨があったような記憶はあるが、初めて入るような気がする。渋川春海の作った天球儀と地球儀が展示されていたが、これが今日までということで運が良かったというか、何か廻り合せを感じた。
 恐竜の骨がないなと思っていたら、新しい方の建物にたくさん展示されていた。
 昼飯はアメ横の方でゴーゴーカレーのロースカツカレーを食べた。金沢の方から進出してきた店らしい。カツには別のソースがかけてあり、刻みキャベツが添えられていた。スプーンではなくフォークで食べる。今日は5のつく日だったので割引があった。
 そのあと国立博物館へ行った。「誕生!中国文明」展 をやっていた。これも今日までだった。10世紀の武陟県妙楽寺塔の「獅子」はどう見ても狛犬だったが、日本の狛犬の原型がこの頃中国で出来上がっていたのだろうか。後漢の時代の「犬」はブタ耳ブタ鼻で、これも何らかの形で江戸時代の豚型オオカミに影響を与えていたのだろうか。
 平常展のほうでは平安時代(12世紀)の吉備津神社の木製狛犬が展示されていた。さっき見た五条天神社のブロンズ狛犬もこれに似ていて、招魂社系の狛犬の原型となっているのだろう。
 この展覧会では久々に浦上玉堂の「山中結廬図」も見ることができた。玉堂の初期の作品で、まだ丹念に書き込まれ、色数も多い。

9月3日

 今日は9月3日、RADファンにとっては「セプテンバーさん」の日。そのせいか、今日はラジオで「セプテンバーさん」だけでなく、「遠恋」や「携帯電話」もかかっていた。
 すべての曲が一人の人に捧げたラブソングだという野田君の詩に、自分もこんな風になれたらいいと思い、

 ♪もう決めたもん 俺とお前50になっても‥‥(ふたりごと)

にあと一年のところまで来たし、一度は永遠の愛を信じかけたけど、世の中はそんなに甘くはなかった。
 ちょっと前までは笑っていたけど、今はわかる。このフレーズ。

 ♪この恋に僕が名前をつけるならそれは「ありがとう」(me me she)

 どこで間違ってしまったかわからないけど、去年仕事を変わったあたりからうまくいかなくなっていたのは確かだった。いろいろな神社を回って祈ったけど、どうにもならなかった。でも、本当に27年間ありがとう。幸せだった。

8月30日

 26日の日記で「小沢首相誕生なら次の国政選挙はボイコットしよう」てなことを書いたが、訂正する。菅首相続投でも小沢傀儡政権なら次の国政選挙はボイコットしよう。
 小沢立候補で反小沢派は菅が首相の座を引き摺り下ろされると震え上がり、そうでない者も党内分裂の危機ととらえる。そしてこの二つを回避するにはということで、菅が小沢の言うことを聞くという条件で、小沢が立候補を取りやめるというのが一つの落しどころとなる。
 ところで、「トロイカ体制」をググッたら、いきなり変な植草一秀やそれに同調するブログが出てきた。
 まあ、こういう人は小沢支持者の中でもごく少数なのだろうけど、読めば読むほどあの党によく似ている。つまりこの世のすべてはアメリカの謀略によって成立っていて、世論もマスコミも官僚もそれに踊らされているだけだから、当然世論を尊重しようなどという気は毛頭ない。
 ひとたび世論もマスコミも官僚もアメリカに踊らされているだけで、俺だけが正気なんだと思い込めば、どんな世間の常識に反したことでも正当化できる。それこそ痴漢や盗撮をやっても、事件はでっち上げでみんなアメリカの陰謀だですんでしまう。
 カンボジアのポルポトの虐殺も共産圏の崩壊もみんなアメリカの陰謀で、北朝鮮は唯一そのアメリカと勇敢に戦っている国だとでも言うのだろうか。地球温暖化も海面の上昇もみんなアメリカの宣伝だとでも言うのだろうか。
 民主党の内紛が、小沢首相の誕生に終ろうと、小沢傀儡政権の誕生に終ろうと、喜ぶのはそうした人たちで、普通の感覚を持った人たちではない。

8月29日

 先日我が家にソロモン72柱の第33位の大悪魔ガァプが現われたらしく(見たかったな~)、すずぴのDQ9のソフトを数百時間のセーブデータもろともどこかへ瞬間移動させてしまったというので、神頼みで何とかならないかとググったところ、日本橋の明星稲荷神社が失せ物探しの神社だとあったので、行ってみることにした。
 三越前駅を降りると、すぐ目の前に日本橋があり、三越の本店があった。その向い側はかつて芭蕉が深川隠棲前に住んでいた地域だが、特に碑や何かはない。
 そこから蛎殻町の方へと歩くと、途中で目に付いたのが小網神社だった。昭和4年の狛犬はなぜか首に鈴をつけていた。
 明星稲荷は鳥居をくぐると駐車場の間の小さな路地になっていて、しばらく行くと左側にあった。小さな神社で、狛犬等はなく、奥は町内会の建物になっていた。
 失せ物が出てくるように祈ると、案内板に載っている兜神社が気になり、行ってみた。川を渡るとそこは兜町で、東京証券取引所の大きな建物は日曜なのでひっそりとしていた。
 兜神社はその兜町の由来となった神社でもあり、平将門の兜を祭ったとされているが、元は源義家が前九年の役の頃、境内にある兜岩に兜を掛けて願掛けをしたのが起源だという説もあれば、後三年の役で同じ源義家が凱旋してここに兜を埋めたという説もある。近くには鎧橋があり、昔はそこに鎧の渡しがあったという。将門の鎧はここではなく、四谷の鎧神社に祭られている。
 ここの賽銭箱はなぜか厳重に鍵が掛けられている。ひょっとして投資家が願を掛けるのに大金を投げ込んだりするのだろうか。
 このあと人形町の方へと向う。途中に銀杏八幡宮、銀杏稲荷があった。その名の通り大きなイチョウの木が何本もあった。
 水天宮は久しぶりに来た。赤ちゃん連れの人も多く賑やかだった。二十何年も前に息子が生まれる前にここに安産祈願に来たことがあったが、その時は生まれたらお礼参りにと思っていたが、結局産後の忙しさでそのままになっていた。しばらくして確か一回は来たことがあると思った。今日も改めて、良い子を授かったことに感謝してきた。狛犬の写真を撮ろうかと思ったがガードマンが張り付いていた。
 水天宮の反対側には茶ノ木神社があった。お稲荷さんで新しいお狐さんに守られていた。
 昼食にマックの大月見バーガーを食べたあと、最後の目的地、日本橋三光稲荷神社に行った。猫の神社で招き猫が並べられていた。入り口を守るのは稲荷だけど狛犬だった。立川の阿豆佐味天神のような猫探しの絵馬のようなものはなかった。

8月26日

 選挙は国民の権利ではあっても義務ではない。権利を行使するのも行使しないのもどちらも立派な権利であり、投票のボイコットが一つの政治的選択であるのは、今回ビルマでアウン・サン・スー・チーが総選挙のボイコットを呼びかけていることでも明らかである。
 日本でも、あまりにも政治家がバカばっかりで選びようがないというなら、無理にどこかの党を選ばなくてはならないなんて決まりはない。
 無党派層が一斉に投票をボイコットしたなら、おそらく国政選挙の投票率は今の半分、30パーセントを切ることになるだろう。こんな選挙で選ばれた政府や国会は、おそらく国際的にほとんど信用されなくなるだろう。それだけでもすべての政治家に十分なダメージを与えることができる。荒療治だが一度やってみる価値はある。
 小沢首相誕生なら次の国政選挙はボイコットしよう。

8月15日

 今日は「うみねこのなく頃に Ep.7」の店頭発売日なので、いつものように秋葉原のアニメイトに行った。
 暑いので寄り道せずに帰って、プレイを開始した。
 解決編だけあって淡々とした展開でとりあえず今は1983年の所まで来た。今日中に読みきれるか。

8月14日

 戦争体験などで、よく記憶の風化ということが言われるが、本当に恐いのはむしろ記憶の変容ではないかと思う。
 人間は良いことはいつまでも覚えていようとし、悪いことは早く忘れようとする。だから、昨日の苦労も明日には笑い話にできたりする。
 しかしこのことは、いつしか過去には悪いことは何もなく、良いことばかりであったかのような錯覚をもたらすようになる。歳を取ると誰しも昔は良かったと言い、それに引きかえ今時の若い者はと言うようになる。これは過去の良いことしか覚えていず、悪いことは都合よく忘れるために起こる現象だ。
 戦争体験も、本当にその体験が生々しい時代には、逆に辛すぎて思い出すのもいやで語ることもできなかった。それが語られるようになるのは、既に悪いことは忘れ、良いことだけが思い出されるようになったためで、時を経れば経るほど、戦争体験の生々しい記憶が消えうせ、戦争が美化されてゆく。
 今日もテレビであるベストセラー作家が、戦時中は家族が必死になってお互いを支えようとしていたから、虐待なんてことはなかったなんて言っていた。本人は戦争を経験したとは思えないし、おそらく親がかなりの歳になってから言ってたことをそのまま真に受けて言っているのだろう。戦争中はみんなが一致団結して敵と戦ってたから、悪いことをする人間なんていなかったなんて話も、焼け跡派世代の人から聞いたことがある。こんな言葉を信用していいはずがない。
 新聞に子どもへのアンケートで日本が戦争をやってたことについて、「恐い」だとか「人殺しが当たり前のように行なわれるなんて信じられない」といっていたということが書いてあった。年寄りの昔話よりも、戦争の恐怖は子どもに聞いた方がよさそうだ。

8月13日

 葛西の近辺も「ひぐらしのなく頃に」の聖地で、いつかは行こうと思っていた。
 まず東西線の葛西駅で降りて北口の雀荘入り口、南口へまわって葛西警察、富士公園へ行き、そこから公園伝いに西葛西へ向かい、少年野球のグランド、エンジェルモートのモデルとなったジョナサン、おもちゃ屋ピットインとまわり、駅前で昼食を食べてから清新町コミュニティ会館へ行った。結構な距離の散歩コースだった。
 葛西のあたりは昔海だったのか、神社やお寺が見当たらないし、道端の石碑なども見当たらない。狛犬の空白句だ。
 この辺の景色が使われてたということは、作者の竜騎士07さんにゆかりのある土地なのだろう。調布の商店街にゲゲゲの鬼太郎が飾られているように、ここもいつか竜騎士商店街なんて言われるようになるのだろうか。
 帰りに門前仲町に寄った。富岡八幡宮は骨董市は終っていたが、祭りになっていた。この前はガラス越しだった神輿を直に見られた。小さな狛犬が乗っかっていた。

8月12日

 サマーウォーズのテレビ放送があったあと、絶妙のタイミングでミクシーの接続ができなくなった。ひょっとしてラブマシーンの仕業?どうやら今日は接続できて、写真やなんかも無事だったようだ。
 この間、「サマーウォーズ」の岩井恭平のノベライズを一気に読んだ。場面場面は同じなのだが、カット部分が補われると何か全然違う物語のようだ。
 テレビ版は、ほとんど世代間戦争の物語のようだった。若い世代がコンピューターに頼って、そのコンピューターがいろいろ悪さをして社会を混乱させているのを、古い世代のおばあちゃんが、アナログの黒電話一つでてきぱきと解決して行く。その間、子ども達はゲームで遊んでいる。やはり昔ながらの生活と家族の絆が大切なのだ、という具合に文明批判を展開して行く。
 今回の大量のカットシーンは、そういう観点から意図的に編集されたものなのだろう。まあテレビを見るのはお年寄りが多いし、去年鳩山前首相も見たということから、民主党支持者層に媚びた内容になったのではなかったか。
 具体的なエピソードが多いと、物語に潜む潜在的なメタファーは目立たなくなる。逆に意図的にある種のメタファーを際立たせるようにエピソードをカットして行くと、まったく違った政治的な映画になる。
 高校野球の場面がカットされたのは、大人世代が子ども世代を一生懸命応援しているというメタファーを打ち消し、対立の側面を強調する結果となる。よく「近ごろの若者は」と言うお年寄りに対して、「でも、石川遼君のような若者もいる」というお決まりの反論があるが、その部分がなくなったわけだ。
 渋滞に巻き込まれた家族の場面がなかったのも、コンピューターがいかに生活に密着していたかという部分をわかりにくくする。どうようにおばあちゃんの死の原因となった、携帯でOZに情報を送り、心臓の危険度を判断するシステムについても、これがほとんど目立たない形でしか扱われなければ、コンピューターそのものが悪者であるかのように移る。
 カズマがいじめを受けていて、万助に格闘技を習ったというエピソードも、これがなければカズマはただコンピューターで遊んでいただけのダメな引きこもりにしかならない。
 しかし、もっとも大きなのは、夏希と侘助との関係や健二に偽装恋人を依頼したこと、花札を廻るエピソードといった、物語の主要なストーリーに関わることを曖昧にしたため、物語り全体の筋がつかみづらくなったことだ。このため、ストーリーそのものよりもむしろ二次的なメタファーの方が際立つ結果となった。
 そういうわけで、今回のテレビ版「サマーウォーズ」は情報操作という観点からも、いろいろ学ぶべき点が多いのではないかと思う。こうした編集は他の作品でも常に行なわれている可能性があるからだ。

 冷静にこの物語を見るなら、これは「友愛」だとか、家族の絆や団結を説くというよりも、むしろばらばらで、それぞれ強力なキャラクターを持つ家族達の、すれちがいのドタバタ劇と言った方がいいのかもしれない。

 今日はBOOKOFFで刻夜セイゴ(岩井恭平原作)の「Oz」1~3を見つけた。バーチャル世界でのバトル物で、ここにもサマーウォーズと岩井恭平とのつながりが。

8月9日

 昨日の続きで、とりあえず深川についたら名物の深川丼でも食べようかと思って駅前を探したら、永代通りの反対側に深川丼と書いてあるところを見つけた。「つむぎ」という店だったか。卵とじタイプのあさり丼で、味噌汁とおしんこがついて850円だった。
 さて、富岡八幡宮へと向うと、なにやら賑やかで、骨董市が行なわれていた。境内いたるところに店が広げられていた。鳥居をくぐって最初に見えたのは伊能忠敬の像で、ここから全国測量の旅に出たとのこと。「天地明察」では、渋川春海が北極星の観測の旅に出たのもここということになっていた。
 北極星は天の真ん中にいて動かない星ということで、古代中国では天帝を表す星とされていた。特に隋の時代の道教では「天皇大帝」と呼ばれ、日本の「天皇」という号の起源とされている。最高権力者を天帝になぞらえることで、中国にいる地上の皇帝の上を行こうというネーミングだったのであろう。
 伊能忠敬の隣にはガラス張りの倉庫があって、大きなお神輿が見えるようになっていた。  社殿前の狛犬は享保12年の銘があり、さすがにこの神社の歴史を感じさせる。この狛犬は骨董品に埋もれてなかった。
 社殿の右手裏には横綱力士碑があり、そのさらに右側に行くと、境内社がいくつかあって、こっちの方は人も少なく静かだった。永昌五社稲荷神社の前には銘のない獅子山狛犬(獅子山狛犬には銘のないものが多い)と、宝暦13年銘の狛犬があった。
 永昌五社稲荷神社の隣には花本社という立て札があったが、社殿も何もなかった。隣にある末社六社の中の祖霊社に吸収されてしまったようだ。末社六社の前の狛犬は新しいものだった。芭蕉を祭った神社で、天保14年に芭蕉に「花本大明神」の号が送られたという。神道芭蕉派が作られたのは明治になってからのこと。国家神道の片隅に芭蕉の居場所を求めたのだが、結局成功しなかった。
 さらに隣には弁天池と七渡神社(七渡弁天)があった。
 ふたたび社殿の前を横切り、左奥へ行くと、そこにもいくつか境内社があり古そうな狛犬が二対あったが、骨董品に埋もれていた。奥には小さな富士塚があった。
 このあと、隣の深川不動にも行って、清澄白河駅から帰ろうと思って、歩き出した。前にも見たことのある鯉屋杉風の採荼庵の前を通った。前に来たときは特に関心がなかったのだが、この裏側がどうなっているか旧に気になってしまった。この採荼庵は表側だけで、舞台のセットのように裏側は何もなく、なぜか梅干が天日干しされていた。
 さらについでということで深川神明宮に寄ってから帰った。

8月8日

 今日は聖地巡礼ということで、渋谷の金王八幡は2月に行ったばかりなので、赤坂の日枝山王神社と深川の富岡八幡宮に行ってみた。
 日枝山王神社には鳥居の上に合掌をかたどった三角形が乗っかった独特な山王鳥居があった。かなり大きなものが2つ並んでいて、一つは大きな招魂社系狛犬が鎮座し、山王神社の裏手の境内社のところに出た。もう一つの鳥居の方には狛犬はなく、階段の横にはエスカレーターが設置されていた。なかなか金持ちの神社のようだ。
 境内社の猿田彦神社には江戸狛犬があった。状態がよく奇麗で、赤い涎掛けをしていた。
 日枝神社は猿に縁のある神社で、拝殿の前には狛犬ならぬ狛猿がいて、左側の方は子取りの狛猿というか、小猿を抱っこしていた。右側は烏帽子をかぶっていて、猿回しの猿みたいだった。楼門にも内側には猿の像があった。外側は人間だった。
 猿田彦神社が境内社にあるのもその関係なのだろう。山崎闇斎の垂加神道では、天照大神と同様に猿田彦大神を重視している。これは、猿田彦が八街に光るものと記されているのを、天照の太陽の光と結びつけ、同格のものとしたことによるようだ。
 宗教の基本には光の体験というのがある。自己と世界との境界が消滅し、宇宙と一体化したような穏やかな至福に包まれる体験で、洋の東西を問わずこうした体験は神秘体験とされ、しばしば神の姿を見たと解釈されたり、仏教では悟りの境地とされている。プラトンが洞窟の比喩で示したイデアの光も、おそらくは同じ体験によるものだろう。今では脳のある種の状態として説明されている。
 山崎闇斎もおそらくこうした神秘体験をした人なのだろう。だから、猿田彦神話の光と天照大神の岩戸神話の太陽の復活の光とを直観的に同じものだとみなしたのだろう。光は絶対的な真理を表すことで太陽に比せられるものの、現実には人間はそこにたどり着くことができない。ただ絶対の真理にあこがれ、求める心だけが真実にすぎない。だから、この光は下界では八街の中で輝く導きの光にすぎない。それが道祖神とも結びつき、「猿」の縁から庚申待ちにも結び付けられていった。
 日枝山王神社は本来江戸城内にあったものが、一般の人も参拝できるように今の地に移されたもので、江戸幕府との関係が深い。渋川春海がここで碁を打ったというのも、その関係なのだろう。
 楼門の向こうが本当はこの神社の正面で、なるほど江戸城桜田門の方を向いている。ただ、ここにも大きな山王鳥居と石段があるだけで、狛犬はいなかった。
 このあと深川の富岡八幡宮へ行った。北極星の角度の測定へと旅立った場所だが、ここは伊能忠敬の全国測量に旅立った地でもあったが、その話はまた明日。

8月7日

 昨日『サマーウォーズ』をテレビで見た。
 全体的には70年代的な古臭い文明批判の匂いがするし、ネット上の戦いもあまりリアリティーがない。ただ、あとで知ったことだが、テレビ版はかなり重要な伏線がカットされていたようだ。特に夏希と侘助との関係がさっぱりわからないから、花札勝負があまりにも唐突だった。
 設定の方は最初からこれは岩井恭平の『消閑の挑戦者』だと思った。最初の小磯健二がセキュリティーの暗号を解読する場面では、『消閑の挑戦者3』での小槙がエリュシオンの暗号を解く場面がすぐに浮かんだ。
 夏希と侘助との関係は小槙と裕杜のような関係か。なぞなぞが花札に変わったようだ。
 最後の暗号解読は暗算とか言っていたが、あれは超飛躍(ウルトラ・ジャンプ)では。
 数学の天才という以外には特にぱっとしないという主人公設定は、時代を変えれば冲方丁の『天地明察』にも通じる。コンピューターのなかった時代に数学能力でバトルするなら、ああいうストーリーになるのだろう。
 ところで『サマーウォーズ』のノベライズ版は何とその岩井恭平が書いているという。アニメよりこっちの方が面白いかもしれない。

8月1日

 昨日「天地明察」を読み終わった。
 読んでみたらやはりラノベだった。時代小説でもラノベの洗練された手法やお約束は有効だということが証明されたような作品だ。暴力や性描写がまったくなく、子どもにも安心して読ませられる内容なので、こういう時代小説が増えれば、みんなもっと歴史に興味持つようになるのでは。
 ただ、もちろんこれは小説であり、現実ではない。ネットでは数学の部分の過ちがずいぶん指摘されているようだし、山崎闇斎や吉川惟足についても、首をひねる部分がないではない。でも、この小説を機会に江戸時代の神道に興味を持つ人が出てくればいいなと思う。
 今日は久しぶりにIKEAに行った、ジンジャークッキーが旨い。

7月27日

 広瀬隆の『二酸化炭素温暖化説の崩壊』という本の広告が新聞に載っていた。
 そのコピーの最初の一行に、「北極の氷が全部解けても海面は上昇しない」とあった。これは小学校の時に学研の本で読んだ。簡単にいえば、グラスに氷を入れ、なみなみと水を注いだら、一見するとグラスの上に出ている分の氷が溶けると、その分の水が溢れるかのように見える。だが、その水面に出ている部分は、水が凍る時に体積が膨張した分なので、氷が溶ければその分の体積は減る。だから水はこぼれない。
 ところで、その学研の本には、北極の氷が解けても海面は上昇しないが、南極の氷が溶ければ海面は65メートル(この数字は多少うろ覚え)上昇すると書いてあった。地球温暖化では北極の氷だけが解けて、南極の氷は溶けないなんてことがあるのだろうか。
 そういうわけで、この一行を読んだだけで、こやんはこの本がトンデモ本だという程度の推理が可能なのです。
 あとはいわゆる鍋の理論。温暖化には別の犯人がある。そもそも地球は寒冷化しているから温暖化は存在しない。
 広瀬隆というと、かつて『東京に原発を!』や『危険な話』で一世を風靡したが、その後、アメリカの陰謀論などに傾倒し、どんどんおかしな方向に向って行った。
 反原発で多くの人の支持を得たものの、それに味をしめて反原発ならどんないかがわしい情報にも食いつくようになってしまったのだろう。今回も地球温暖化対策で原発推進という民主党や自民党や他の保守政党の動きを見てのものだということはわかる。だが、原発に反対するなら、自然エネルギーやバイオ燃料の推進が正論であり、原発を作らせないために地球温暖化そのものを否定するというのは明らかに本末転倒。一体何を血迷ったか。

7月25日

 今日は都内のオオカミ様のいるところの見残したところ、杉並区の宿町御嶽神社、西荻北の三峰神社(屋敷神)、板橋区の西台天祖神社を見に行った。
 宿町御嶽神社は、環八の四面堂交差点を左折した桃井三丁目交差点に近いところにあった。高井戸や東牟礼のものに近いでこっぱちタイプのオオカミ様だった。銘は明治42年なのか45年なのかよくわからなかったが、ネットで見たら45年になっていた。
 西荻北の三峰神社は個人の所有物なので、外からのぞくだけ。屋敷神にしてはかなり立派な社で、その前には丸顔タイプの狛オオカミが鎮座していた。社殿の中にも小さな狛オオカミがあった。
 西台天祖神社は環八の中台を左折し、大東大前の信号の手前を左斜めに入りローソンを左折すると狭い一本道だった。手前のコインパーキングが目印。
 鳥居をくぐるとまず一対の狛犬があった。古そうだが銘は読めなかった。  神社に入ると右手手前に小さな祠と一対の狛オオカミがいた。左側の方は顔の破損がひどかった。隣には富士塚のような溶岩を積み上げた山が作られていたが、ここでは富士山ではなく御岳山のようだ。
 正面の拝殿前にも狛犬があり、こちらは新しく平成10年のもの両方とも正面を向いた招魂社系だが、それほどふんぞり返ってもいず、可愛い顔立ちに作られていた。今時あまりいかつい顔のものは流行らないのだろう。
 拝殿の左手には石神(おしわぶき様)があった。元は道祖神だったのか、男根をかたどったもので、撫でたりできないように檻で囲われていた。手前にはしゃもじが二本供えられていた。咳や喉の病気に霊験があるらしい。
 さらに奥には境内社のお稲荷さんと石碑のような何て書いてあるかわからない石祠を祀った八雲神社があり、八雲神社の前にも古そうな江戸狛犬があった。

7月21日

 冲方丁の「天地明察」は、角川スニーカー文庫に挟まっていた広告で見て、てっきり江戸を舞台にしたラノベだと思っていたが、文庫のところを探しても見つからず、この前ようやく単行本を見つけたが、獅子猿さんのイラストはどこにもなかった。何かだまされた感じだ。
 読み始めると、渋谷の金王八幡神社が出てきた。そういえば、おおかみさがしの時に宮益御嶽神社に行ったときについでに立ち寄ったな。あの時は絵馬のがどこにあるのかなんてことは全然意識してなかった。
 後になって千駄ヶ谷の鳩森八幡神社も出てきた。今度いつか行ってみよう。もっとも、あの時代に富士塚はまだなかったと思うのだが。

7月19日

 さあ、御嶽神社と名のつくところはずいぶん回ったが、今日はそのオオカミ信仰の総本山、秩父三峰神社と双璧をなす武蔵御嶽神社だ。
 連休中の渋滞を避け、電車で行った。青梅から先は山の中だ。小学生の頃親に連れられて高水三山に行ったのを思い出す。あれは軍畑という駅からだった。御嶽も子供の頃一度は行ってるはずなのだが、御嶽神社のことはほとんど記憶にない。確かあの時は大岳山に登り、馬頭刈尾根を降りたと思った。
 青梅線御嶽駅を降りると、バスを待たずにケーブルカーの滝本駅へと歩いた。駅から少し行くと神明社の鳥居が見えたが、社殿がどこにあるのかよくわからなかった。さらに行くと御嶽神社参道への分岐点に赤い大鳥居があり、されに行くと左手に御嶽祖霊社が見えた。
 滝本までの最後の500メートルは坂が急になり、息が切れた。ようやく登って行くと右側に御影神社があったが、観光客立ち入り禁止と書いてあり、駐車場も会員以外駐車禁止で、狛犬の姿も見えず、なんか怪しげな神社だった。このあたりにある駐車場が1日900円が相場なので、ここに勝手に止めて一応参拝だけして御岳山へ登る人とかいたのだろうか。
 ケーブルカーの駅の前には稲荷社もあったが、とりあえず御嶽神社へ。
 ケーブルカーを降りると、参道が結構長い。途中宿坊や土産物屋が建ち並ぶところを通りすぎると、ようやく鳥居の前に着いた。
 石段を登ると、大きなブロンズの招魂社系の狛犬が出迎えてくれた。招魂社系というのは微妙で、普通の狛犬よりは犬っぽく、アバラもあったりする。だからオオカミだといえばオオカミにも見えなくはない。大体において、ふんぞり返っていて威厳はあるが、可愛くはない。
 拝殿の裏へ行くと、本殿との間の入れない所に、ブロンズのオオカミ狛犬があった。こちらは耳が垂れていてオオカミっぽい。
 左手の石碑の並ぶあたりには先代と思われるオオカミ狛犬の片割れがいた。
 本殿の裏側には神明社、常盤堅磐社(旧本殿)、皇御孫命社が並び、それぞれ狛犬がいた。
 神明社の狛犬は基本は招魂社系のなのだが、首を短く頭を大きくすることでオオカミっぽくしている。阿形の方は耳も垂れているが、吽形の耳がぴんとしていて阿形の耳が寝ているのは招魂社系の特徴でもある。平成11年の銘。
 常盤堅磐社の狛犬もオオカミではなく狛犬だ。銘は読めなかったがかなり古い。
 皇御孫命社の狛犬はオオカミなのだがブタに見える。沼袋氷川神社の小さな狛オオカミにも似ていて、古い時代にはこうしたずんぐりしたオオカミ像が何らかの祖形としてあったのだろう。ずんぐりしたお尻に尻尾がくるりと巻いている所が余計ブタに見えてしまうが、よく見ると拝殿と本殿の間のブロンズオオカミも尻尾が一回転している。
 神社の一番奥には大口真神社があり、ここの狛犬も真新しい平成19年の銘のあるもので、ハスキー犬に近い。この大口真神社の裏手には先代の残骸が並んでいた。
 御嶽神社は古くから修験の山で蔵王権現を祭ってきて、江戸時代に盛んになった講と結びついてオオカミ信仰を広めて行ったという点では、三峰神社と経緯が似ているが、狛犬に関しては途中から招魂社系を取り入れたせいか、オオカミの聖地としてはやや不完全なものになってしまったようにも思える。
 境内を一回りし、ケーブルカーの駅に戻る途中に産安社に寄って、後はそばを食べて山を降りた。

7月18日

 連休ということで、1日目はまず一休み。暑いし、道路はどうせ渋滞だろうし。
 このまえmyspaceのリンクをたどっているうちにたまたま見つけた「わたしのココ」はなかなかやばい。今日ダウンロード(無料)してあらためて聞いてみたが、ノイズばかりなのにどことなくポップで、ララ・ボイスの無表情なボーカルはかえって物悲しい。Phewや螢に出会って以来の、こんな音楽もありなのかという感動だ。
 youtubeの画像はスーパーフラット・アートの一つとして、トリエンナーレに出品されていてもおかしくないような独自の世界を持っている。
 ラノベのほうは甲田学人の「断章のグリム」がいい。本当は恐いグリム童話よりも恐い。

7月12日

 ワールドカップも終った。
 今回もいろいろなドラマがあったが、結局最後においしいところを持っていったのはタコのパウル君だった。前回のワールドカップといって、ジダンの頭突きを思い出すように、何年かして2010年のワールドカップを振り返ると、ああ、タコのいたワールドカップだったな、って思うのだろうか。今となってはマラドーナも霞んで見える。一人のスタープレーヤーが試合をリードする時代は終ったのだろう。
 民主党時代も終った。終ったけど民主党政権は続く。亡霊のように。
 自民党が消費税10パーセントを言い出したのは、無謀ともいえる勇気のある決断で、こちらのほうはそれなりに評価されるだろう。だが、民主党がちゃっかりと相乗りを決め込み、そこまではまだよかったのだが、例によってすぐにぶれ出した。低所得者に消費税を還元?それじゃ何のための消費税だ。ばらまきのための増税なのか。消費税を上げる分、低所得者の所得税を減税するというならまだわかる。まあ、何となくその場の思いつきで言ってしまったのだろう。
 これでまた、選挙に負けたのはばらまき公約を守れなかったからだなんて変な反省をされてしまうと、もう救いようはない。増税はできない、ばらまきはつづける、間違いなく財政は破綻に向ってまっしぐらだ。
 名古屋場所は地味に始まっているようだ。これは今回限りの「みそぎ場所」なのか、それとも後々まで尾を引くのか。どっちにしても相撲の興行団体が一つしかないというのはどうしようもなく大きな弱点だ。一つこけたら全部なくなる。これじゃ日本の伝統文化は守れない。
 プロレスならたくさんの興行団体があるし、総合格闘技もいくつ物団体がある。相撲だって独立した団体が他にあってもいいのではないか。複数の団体が競争しあえば、相撲の世界にも常に新風がもたらされ、汚れた膿は自然に浄化されてゆくのではないか。

7月11日

 今日は久しぶりにオオカミ様を訪ねて、久我山、吉祥寺方面に行った。
 井の頭線の久我山駅で降りて、人見街道を三鷹方向に向うと、やがて小さな川を渡ると、別の道が合流し、その三角地帯に東牟礼御嶽神社があった。川の手前には庚申塔があった。
 付近には御嶽神社というバス停もあり、神社のすぐ後はコインパーキングになっているから交通の便はいい。
 小さな社だが、ちゃんと一対の狛オオカミがいた。額の出っ張った「もーれつア太郎」のでこっぱちのようなタイプは、高井戸御嶽神社のオオカミに似ている。明治41年の銘があった。
 人見街道をさらに三鷹方面へ行くと、真福寺の前に小さな社があった。真新しい鳥居に古峯神社とあったが、狛犬、狛オオカミはいなかった。道路が合流する三角地帯というロケーションはさっきの東牟礼御嶽神社によく似ている。
 さらに人見街道を行くと、道が大きく左に曲がり、その少し先に連雀通りとの分岐点があり、その三角地帯に西牟礼御嶽神社があった。これもロケーションがよく似ている。人見街道にはこうした道の分かれ目にいくつもの神社があったのだろうか。すぐそばには庚申塔もあり、西牟礼と東牟礼で一つの対象性を形づくっている。
 こちらの狛オオカミは丸顔で漫画っぽくデフォルメされていた。消えかかっているが明治44年の銘が読み取れる。同じ頃に作られているが、デザインがずいぶん違う。
 この頃ちょうど薄日が射していたので、狛犬、狛オオカミの情報はなかったがもう一つの深大寺の御嶽神社へ行こうと連雀通りを歩いた。
 ところが、ネットの地図だと、縮尺を大きくしたり小さくしたりしているうちに、距離の感覚がわからなくなることがあって、思ったよりかなり遠かった。狐久保からしばらく行くと下連雀八幡大神社があった。大きな狛犬は昭和40年のものだった。
 さらに行くと左に神明社があった。神明社というと、どうしてこう寂れた感じのところが多いのか。明治28年の狛犬がひっそりと佇んでいた。そのすぐ先の左側にはやはり道路の分かれ目の三角地帯に小さな三鷹大鷲神社があった。狛犬はなかった。
 深大寺御嶽神社はそれよりさらに先の三鷹市井口新田を曲がったところだった。幼稚園の先から左の細い道に入った、裏手にあり、狛犬、狛オオカミの類はなかった。神社も元にあったところと別のところに移され、拡張したせいで、社殿は新しく境内は広くなってはいたが、古くからあったものはその際に失われてしまったのだろうか。
 さて、だいぶ吉祥寺へ行く予定がいつの間にか三鷹を過ぎ武蔵境まで来てしまった。ドラクエならルーラを使いたいところだが、現実の世界には、と見ると吉祥寺行きのバスがあったので、これに乗って吉祥寺駅に向った。
 朝8時に家を出て、そろそろお昼。吉祥寺サンロードの九州らーめん祥でラーメンを食べた。昔ながらのいわゆる博多ラーメンというよりは、最近こういうのが流行なのか、やや東京にこびた感じのスープの色が若干濃いタイプのものだった。
 昼飯を終えるとサンロードを抜け、五日市街道に出た。五日市街道を武蔵野方向へ行くとすぐに八幡宮前の交差点があり武蔵野八幡宮があった。狛犬は明治12年銘がある。耳が垂れていて、昔の電話機みたいな頭をしている。玉取りの方の玉には模様がある。もう一対比較的新しい狛犬が境内社の前にあった。
 その少し先には八枝神社があり、ここには狛犬はなかった。御嶽神社が成蹊学園の門のさらに先にあった。この頃からポツリポツリと雨が降り出した。今日はここまでということか。ここのオオカミは穏やかな顔をした犬に近いものだった。明治22年の銘があった。今日はタイプの違うオオカミ狛犬を3対見ることができた。

7月4日

 アルゼンチンがまさかあんな韓国のような負け方をするとは思わなかった。韓国は一点返したのだからもっと悪いかもしれない。今回は、先制点を取られたあと、それを返そうとして前がかりになり、かえってカウンターをくらって惨敗するというパターンが多いように思える。
 おそらく世界のサッカーの流れがディフェンシーブな方向に傾いているため、全員での強固な守りと早いカウンターにどこの国も磨きをかけている。そのため、先制点が勝敗を左右しやすくなる。早い時間に失点すると、それを取り返そうとしてどうしても前へ出たくなる。その気持ちが、逆に傷口を広げる結果となる。
 マラドーナが監督として出場したせいかどうか知らないが、今回はやたらハンドが目に付く。神の手はサッカーの神様といわれるくらいの人がやるから神の手であって、そうでなければただの反則だ。フォークランド紛争の敗戦で傷ついた国民のために、何としてでもイングランドに一矢を報いたいという状況があればこそ、神の手は輝いたのだが、今の神の手は軽すぎる。それに、マラドーナの場合はあくまでも自分の手を使ってないと言い張るための神の手だったのだが、今では自分から悪びれもせずにハンドを認めている。
 ハンドが増えたのは、ハンドによって確実に1点取れたり、確実に失点を防げるのに対し、それに対する罰則はせいぜいレッドカードだけですむからだ。得点は取り消されるが、失点を防いだ場合には失点を防いだことがそのまま有効になる。あとはPKを防げばいいだけだから、これは不公平だ。ハンドによって防がれたゴールは、ハンドの判定がなされた場合、ゴールとして認めるべきだ。ありもしない神の手なのだから、ボールは手をすり抜けてそのままゴールに入ったとすべきだ。
 アルゼンチンの今回の敗戦は、センターフォワードの時代の終わりを示すものなのかもしれない。カウンター攻撃が主流になれば、ゲームメークやゴール前での想像力あるプレーはそんなに重要でなくなる。メッシを最後にファンタジスタの時代は終るのかもしれない。

7月2日

 今のこの幸せな生活が、ある日突然に終ってしまうかもしれない、と「ひぐらしのなく頃に」のレナの言ってたことが、最近気にかかる。
 別に村一つが消滅するような災害があるわけでなくても、バブル崩壊以降、一億総中流の幻想が終り、倒産だの解雇だの派遣切りだので急に生活が一変することも珍しくなくなった。
 そして、ここにきて、裕福なお年寄りに貧しい若者という構図もあやしくなってきた。お年寄りも元気なうちは、年功序列給の恩恵や若い頃ためたお金や土地で儲けた資産やらなにやらで、悠々自適の老後を過ごすこともできた。
 だが、歳には勝てない。ひとたび病気になれば、医療費も介護も自分持ちのこの国では、せっかくの貯金も取り崩し、最後は何も残らなくなる。そして、その負担は若者以上に中高年の働き盛りの家庭を容赦なく襲う。
 突然襲ってくる不幸にはなすすべがなく、レナの言ってたみたいに、結局今をせいいぱっい楽しく生きるということだけが答なのだろうか。

 選挙中なので詳しくは書けないが、政治家は相変わらず思いつきでものを言うだけだ。高度な政策決定機関を持っているわけでもなく、一般向けのビジネス書程度の知識で閃くだけだから、そのレベルの程もたかが知れている。
 その場の思いつきだから、人からあれこれ突っ込まれれば、意見は二転三転する。つまり「ぶれる」。そしてさんざん迷走した末に、結局官僚に泣きついて何とかしてもらおうとする。

 生産性を否定したら、国は貧しくなるだけ。生産性が向上すれば、その分多くのものを生産することもできるし、労働時間を短縮することもできる。
 貧しくても心の豊かな国なんてのは幻想だ。貧しくて生きて行くのに精一杯になれば、心の余裕なんて言ってられない。あるのは生き馬の目を抜くような過酷な生存競争の地獄だけだ。
 生産性が低いから、みんな過労死するまで必死になって働くしかない。今の日本代表のサッカーと同じだ。豊富な運動量を誇るのは、システムが未熟な証拠でもある。

6月30日

 日本は結局負けちゃったけど、ただ、今回のワールドカップは日本のサッカーが変わる転機になるかもしれない。
 今までの日本代表のサッカーは、長いことワールドカップ予選で韓国が一つの大きな壁になっていたところから、少なからず日本代表を応援する人たちの中に、日本も韓国のようにならなければ勝てないという意識があったのではなかったか。
 それが「高さ」への信仰であり、「スタミナ」への信仰ではなかったか。
 確かに日本人に比べて韓国人は背が高い。ヨーロッパ人はもっと背が高い、しかし中南米の国を見ると、みんなそんな背が高いわけではないけど名だたる強豪国に名を連ねている。何で日本人だけがそんなに身長にコンプレックスを抱いてきたのか。
 韓国のスタミナについてもいつの間にか一つの伝説が出来上がっていた。つまり、韓国は3段階で攻めてくる。最初は普通に、後半からはさらにペースが上がり、終了間際にはもっと早くなる、と。疲れを知らずに攻め続けて来る韓国というイメージが、いつの間にか日本もそうならなくてはならないかのように、自己洗脳してきたのではなかったか。
 今回の岡田監督の決断は、そういう意味で「脱韓国」ではなかったか。日本人には独自の文化もあるし、韓国人とは資質も気質も違う。韓国のようなサッカーでは日本は韓国に勝てないだけでなく、世界でも勝てない。日本人がようやく自分たちのサッカーをしようとしたとき、今回の守りのサッカーが生まれたのではなかったか。
 特に、今回のワールドカップの日本戦の高視聴率は、日本人に守りのサッカーの面白さを伝えたという意味でも大きかったのではなかったか。
 野球でも9対8のような乱打戦は確かに面白い。だが、点がたくさん入るということは、裏を返せば、両方ともピッチャーがへぼだということだ。0対0の息詰まるような投手戦こそ本当の野球の面白さを魅せてくれる。
 サッカーも、ディフェンスがミスをしなければ0対0になるゲームだといわれている。5対4のような試合は、両方ともディフェンスががたがたになっているだけのことだ。
 野球の方では、攻撃はどんな強打者でも3割だが、守りは10割を追求できると言った人がいる。サッカーは野球以上に守備が優位にある。どんな世界的なストライカーでもシュートの成功率が3割になることはないだろう。
 昨日の試合は、野球で言えば18回まで両者無得点の投手戦。日本人もワールドカップでこんな試合ができるようになったことは、誇ってもいいだろう。

6月27日

 韓国も破れ、アメリカも敗退した。
 韓国=ウルグアイ戦はこのあとの日本=パラグアイ戦を占う意味でも面白い。結果的にわかったのは、韓国らしいがむしゃらに前へ出て行くだけのサッカーでは、南米の強豪には通用しないということだろう。
 ウルグアイの試合の進め方は、メリハリがはっきりしている。最初の1点を取りにいったあとは引いて守りに入る。後半に韓国がついに1点かえすと、ふたたび攻撃モードにはいり、また1点追加する。結果として1点差の惜敗のようだが、かなりレベルの差が感じられる。
 日本もワールドカップ前のひたすら前へ出て行くだけのサッカーをやったなら、多分韓国のあとを追うことになるだろう。だが、ワールドカップ前の4連敗で日本は駆け引きすることを覚えた。おそらく、韓国とは違った戦い方をするだろう。それでなければパラグアイには勝てないと思う。
 アメリカ=ガーナ戦は後半の途中から見ただけだったが、アメリカも韓国と同様、根性だけのネバーギブアップのサッカーだ。そのあきらめの悪さで延長戦にまで持ち込んだが、ここでもテクニックの差を見せ付けられた。
 決勝トーナメントはただひたすら一生懸命やるだけでは勝ちあがれない。ドラゴンボール的に言えば悟空のパワーにベジータのずるさが必要だ。でも、今の日本代表ならできないことではない。

 早朝にサッカーを見たあと、また一眠りし、それから「ねこ返し神社」とも呼ばれる立川の阿豆佐味天神社、正確にはそこの境内社である蚕影神社(こかげじんじゃ)を尋ねてみることにした。養蚕は鼠の害を嫌い、猫を祭ることが多かったという。丹後の木島神社には天保時代の立派な狛猫があるらしい。
 南武線で立川に出て、まず駅の裏にある諏訪神社を見ておくことにした。
 途中に小さな稲荷神社があった。お狐さんはいず、赤い社殿の扉だけが印象的だった。
 諏訪神社では骨董市が行なわれていて、隣からは剣道をする子どもの声がし、狛犬は招魂社系で新しかった。裏手には相撲の土俵もあった。
 社殿の奥の「関係者以外立ち入り禁止」のところに、古そうな一対の狛犬と一対のお狐さんが見えたが、近づくことはできなかった。
 阿豆佐味天神社へはふたたび駅に戻り、北口から昭和記念公園を越えて、延々と30分くらい歩いた。昭和記念公園はさすがに広い。
 阿豆佐味天神社は五日市街道沿いにある。入り口にある狛犬は新しそうだが、台座には昭和十三年と刻まれている。
 社殿の右側に境内社が二つあり、奥の方は水天宮、手前は蚕影神社(猫返し神社、養蚕の神)、八雲神社、疱瘡社、稲荷社、天神社、御嶽神社などが合祀されていた。
 この合祀されている社殿の前の古い狛犬の台座には、「永」の字が読めた。ネットでは嘉永元年として紹介されている。
 その向かいにはあたらしい猫神さまが鎮座し、台座には注連縄がされている。1体だけで対になっていないから、狛猫ではない。
 隣には絵馬をかけるところがあって、いなくなった猫が帰ってくることを祈るメッセージがたくさん書かれていて、心が痛むものがあった。
 鳥居の向こうに大きな慰霊碑が建っていたが、ここが本来蚕影神社があった場所だろうか。養蚕のほうはすっかり廃れ、そのままになっているのだろう。
 奥の水天宮には平成16年のデフォルメされた可愛らしい新しい狛犬があった。
 阿豆佐味天神社を見終わると、西武拝島線の武蔵砂川に出た。帰りがけに拝島で一度降りて、味源の函館塩ラーメンを食べた。駅の近くに共光稲荷神社があり、額の二つに割れたお狐さん(新しい)があった。

6月25日

 前日午後9時に寝て、今朝は3時半起きで、一応日本=デンマーク戦を見ました。
 前半の15分くらいは広いレンジを使って攻めてくるデンマークに日本のサンドイッチディフェンスが利かず、危ない場面が多かったが、トマソンが空振りしてくれたりして結構助かった。こっちのトマソンも人間扇風機でよかった。だが、一対一でのディフェンスの弱さは、今後の課題となるだろう。
 1点目の本田のフリーキックは普通なら壁の中に味方がいる場合、その足元に蹴ってすジャンプでスルーさせ、キーパーに見えないようにすることが多いが、あえて味方の頭上に蹴ってたのは意表をついた攻撃だった。ボールが上に見えた瞬間、キーパーはわざと空けておいた壁の左側を狙ってきたと錯覚したのか、左へ飛んだため逆を突かれてしまった。
 2点目の遠藤のフリーキックは、キーパーはまた壁の中の味方のいるところを狙ってくると思って待ってた所で、逆をつかれた。このあたりの駆け引きはどこか野球の配給に似ている。印象としてデンマークは何か壁の作り方が雑なように見えた。
 2点リードしてしまったからには、もう守りに徹する必要もない。デンマークは引き分けではダメなので3点取らなくてはならなかったからだ。見るほうとしては安心して見てられるというか、眠気が戻ってくる展開だった。
 決勝トーナメントはいきなりドイツとイングランドが激突でこのどっちかが消える。しかも、この勝者が準々決勝でアルゼンチンとメキシコの勝者と当たる。ここで強豪国が三つ消えることになる。これに比べると韓国はウルグアイのあとはアメリカとガーナの勝者で運がいい。
 日本の相手のパラグアイは常連国とはいえベスト16止まりの国、勝チャンスは十分にある。そのあとは組み合わせの運に希望を繋ごう。組み合わせ次第ではベスト4も夢ではない。

6月21日

 今朝起きてテレビを見たら、いきなりのカカの退場シーンだった。
 あれ、どうしてって感じでそんなのでレッドなのという感じだが、これがワールドカップだ。
 終盤で2点差だから、ここで一人くらい退場になったって、ブラジルはびくともしないところだが、コートジボワールとしては、ただで負けると国へ帰るのが恐いから、何か手土産でもと思って、とりあえず鬼の首を取ってみたのだろう。
 コートジボワールの選手がなんでもないところで突進してきたのだから、ぶつかるのを待って、あるいはたとえすれすれのところで止まったとしてもぶつかられたふりして、大げさに倒れれば向こうが退場になったものを、ついついひじをほんの少し出してしまったところがカカの若さか。
 家へ帰ると、すでに北朝鮮=ポルトガル戦は後半に。前半は1点でしのいでいた北朝鮮も、後半に完全に壊れてしまった。
 でも、北朝鮮に恥をかかすと後が恐いぞ。洒落のきかないかない相手だから、国際問題になるかも。八つ当たりで日本にミサイルが飛んでこなければいいが。ブラジルくらい手加減して、善戦したことにしてやればよかったのに。

6月19日

 負けたとはいえ0=1というスコアは価値がある負けだ。
 デンマークがオランダに2点差で負けているから、最後に得失点差の争いになったときにこの点差が利いてくる。0=2で負けたなら一次リーグ突破は難しくなるが、0=1なら一次リーグ突破の可能性はかなり高い。
 まず、カメルーン=デンマーク戦でカメルーンが勝った場合でも、カメルーンがオランダに勝つ可能性は低い。そうなると、日本は引き分けでいい。カメルーンがオランダと引き分けても日本は引き分けでいい。直接対決で勝っているからだ。
 デンマークが勝った場合でも、1点差だったなら日本は得失点差で引き分けでいい。
 今日の試合は前半に関してはベストだった。今の日本にこれ以上の戦いを望むべきではない。後半の1失点も仕方ない。相手はオランダだから、これは覚悟すべきだった。
 このあと一点返せるかどうかは時の運だ。残念ながらあと一歩及ばなかったがこれは善戦と言っていい。
 日本代表よ、この試合結果は胸を張っていい。あとはデンマーク戦で確実に引き分け以上に持って行くことだ。

6月17日

 今回のワールドカップを見ていると、サッカーもやはり心理戦だなと思う。
 韓国もギリシャ戦に勝ったところで、若干の気のゆるみがあったのだろう。野球でも大量得点のあとの試合はまったく打てなかったりするようなものだ。ギリシャ戦で2点取った調子では得点できず、先制点が取れぬまま、あせって前に出れば逆に失点する。
 逆に2点とって安心したアルゼンチンはゆっくりと後でパス回しを始め、楽して逃げ切ろうとする。そうなると、一瞬の油断から失点する。しかし、この一点はアルゼンチンを目覚めさせてしまった。
 後半は、アルゼンチンも追加点を取りに来る。韓国はここでひたすら守って、1点負けのまま次の試合の結果をにらみ、得失点差を増やさない選択もあっただろう。だが、あくまで勝ちに行ってしまうのが韓国だ。
 途中までは韓国の惜しい攻撃が続き、ひょっとしたらもう少し運がよければ同点に追いついていたかもしれない。だが、実際はさんざんチャンスを作りながら攻めきれずに、カウンターであっという間の2失点。
 岡田監督もこの試合の結果は知ることになるだろうから、韓国と同じ過ちはしないだろう。
 なぜかこの試合の前から、俺の頭にはあの美空ひばりの名曲がぐるぐると廻っている。
 ♪勝ーつとー思うーなー、思えば負ーけーよー
 元来日本人は心理的な駆け引きは得意なはずだ。オランダ戦に期待しよう。柔よく剛を制すの心で頑張って欲しい。

6月15日

 相撲の方で賭博が問題になっているが、大体テレビの論調は決まりきったもので、博打は悪い。それをめぐって言う事がころころ変わるから信用できない。それで終りだ。
 ただ、博打が悪いというなら、パチンコだって博打だし、競馬、競輪などの公営ギャンブルだって博打だし、宝くじやtotoだって博打ではないか。額が違うと言っても幕内力士のような金持ちのギャンブルが庶民のレートとは違うのは当たり前だ。
 だが、今回の場合、やくざとの関わりが云々、そう君は反論したいのだね。なら、やくざが関わらないのなら君は博打は善だと認めるのかね?(このフレーズはソクラテス風に)
 博打に関しては、今の日本は禁酒法時代のアメリカのようなものだ。酒の禁止は確かに道徳的には崇高な理念によるものだった。だが、現実には酒の密売でマフィアが潤うだけだった。
 イギリスには公認のブックメーカーがあるし、アメリカでは私設馬券が広く認められている。合法的に博打が行なわれることによって、闇の勢力を排除できる。日本では外国人向けのカジノを認めるかどうかで未だに議論が滞っている。
 お相撲さんだって、時には賭け事を楽しみたいだろうし、お金もたくさん持っているのだから、庶民よりももっと大きな刺激的な賭け事を求めても不思議はない。こうしたとき、公認のギャンブルがなくて、あくまでやくざと付き合わなくてはならない。そこに問題があるのではないか。
 射幸心を煽るのはけしからんというなら、商店街の福引もやるな!年賀状のお年玉くじの景品も貰うな!

 ワールドカップの方は、きっちり1点を守ってくれました。前半から引き気味だったので、眠くなる展開で、何となく日韓大会の対ロシア戦を思い出した。
 早く1点取りたい、1点取ったら早く2点目を取りたい。今までの日本はそういうはやる気持ちがなかなか抑えられなくて、結局前がかりになりすぎて失点するというパターンが多かった。結局それは1点取っても安心できない、2点取っても安心できないという自信のなさから来るものだった。
 トルシエはそこのところをよくわかってたから、ロシア戦ではああいうディフェシーブな試合を指示したし、今回の岡田監督もそれに気付いたのだろう。
 昨日は前半の終わりごろに1点入ったので、ロシア戦の時よりも良かった。というわけで、後半はきっとこの1点をきっちり守ってくれるだろうと信じて、安心して眠ることができた。
 次のオランダ戦の場合、はっきり言って勝てると思ってはいけない。引き分けにできれば大変なものだ。たとえ1点先制しても、オランダのあのヒールシュートのようなイマジネーションあふれる攻撃を次から次へと繰り出されると、かなり苦しい。0=0か1=1なら、一次リーグ突破への希望をつなげられる。
 もっとも奥の手もある。大久保のダイビングに遠藤のPKで1点というパターン。終盤でどうしても1点欲しいというときにはやってみる価値はある。

6月13日

 まずはワールドカップから。
 アルゼンチン=ナイジェリア戦は時間が遅かったせいか、見ててだんだん眠くなってきた。メッシよりもマラドーナのほうが目立っていた感じで、マラドーナの何が凄いって、カメラのフォーメーションまできちんと把握していることだ。アメリカ大会の時もゴールを決めた後、真っ先にカメラの前に走ってアピールしていたのを思い出した。
 それから3時間くらい寝ると、今度はアメリカ=イングランド戦。やっぱり起こった番狂わせ、あれはイレギュラーバウンドしたのか。あのキーパー、無事に国へ帰れるかな、なんて心配になる。

 今日は川崎市多摩区長尾の妙楽寺(あじさい寺)へ行った。
 妙楽寺には一応駐車場はあるが、この季節の休日はちょっと苦しい。付近の道路に路駐している車が多かったが、住宅地の中なのでやめた方がいい。コインパーキングは等覚院の近くに6台分、府中街道よりも一本北の道路の稲田小の方にも7台分ある。
 府中街道のあじさい寺入口の方から行くと、妙楽寺までの道にも紫陽花が植えられていて、参道から既にあじさい寺だ。
 妙楽寺に入ると、すぐに閻魔堂があり、その先には薬師堂や六地蔵があった。山門まで行く左側の斜面も一面紫陽花で、門の向こうの本道左脇の斜面も紫陽花が植えられている。
 鎌倉明月院や成就院にも匹敵するあじさい寺がこんな近くにあるとは知らなかった。國領神社の藤、等覚院のつつじと並んで、ここは紫陽花の穴場だ。
 このあと生田緑地へ行き、花菖蒲を見た。中央広場は工事中で、そのせいか人は少なかった。隣には日本民家園の合掌造りの屋根(そば屋になっている)も見えて、気分は雛見沢村。

6月12日

 さあ、ワールドカップが始まった。
 といっても、昨日のメキシコ=南アフリカ戦は途中で寝てしまった。南アフリカはメキシコの猛攻をよくしのいでいた。
 午前3時にすずちゃんが起こしに来たが、ふたたび寝てしまい、フランス=ウルグアイ戦は最後の20分くらいを見た。ウルグアイの堅い守りと時間稼ぎはさすがなものだった。0=0でも勝ったも同然だ。
 さて、今日のギリシャ=韓国戦。これは楽しめた。何と言ってもこんな国民性の真逆な組み合わせもないだろう。せわしく走り回る韓国を、うざそうな顔をしながら坦々とマイペースのギリシャだった。
 残念ながらギリシャはアメリカ大会の延長で、饗宴疲れか。いつエンジンがかかるのかという感じで、後半30分くらいに見せ場はあったものの、ついに不発に終った。ヨーロッパでの実力がなかなかヨーロッパを離れてしまうと出せないようだ。
 フランスの不振に元気な韓国と、どこか日韓ワールドカップを思わせるスタートで、この展開なら日本も案外いけるかも。

6月11日

 いよいよワールドカップも始まる。気持ち的に盛り上がらないのは、日韓大会のバブルがはじけて、現実的になりすぎているせいもあるのだろう。
 アジアのレベルは10年前と比べてそんなに変わったわけでもないし、相変わらずまず1勝できるかどうかで、むしろ5点差以上のぼろ負けをしないでくれというような、それが現実だ。日本も例外ではない。
 この前のイングランド戦でも、冷静に考えるなら、まともに戦って勝てる相手ではない。だから、あれで十分善戦したといえるし、もし本気で勝つ気があるなら、1点取った時点で全員ゴール前に張り付いて守りきるべきだっただろう。2点目3点目を簡単に取れる相手ではない。前回のワールドカップのブラジル戦も同じだ。
 日本で国際試合をやると、ヨーロッパや南米から来る代表選手はどうしても観光気分になるし、本国でもあまり注目されてないとなれば、それほど勝利に執着もしない。それで勝っていい気になっていると、アウェーで戦ってこんなはずではなかったということにもなる。
 だから、今度のワールドカップで注目したいのは、日本が果たして全員守備、カウンター狙いの泥臭いサッカーを本当にやれるのかどうかだ。そして、1勝でもあげたなら、惜しみない拍手送ろう。
 南アフリカはスタジアムのある場所の標高差が大きく、酸素濃度だけでなく気温の差、湿度の差も激しい。また、ヨーロッパにとっても南米にとってもアウェーなので、思わぬ番狂わせが起こる可能性がある。まして、日本に関してはここ何試合か見た相手チームが油断してかかる可能性もある。
 で、優勝はというと、オランダじゃない?大穴はギリシャかな。前評判はスペインが何やら高いようで、みんなピレネーの向こうはアフリカだと思っているのか。

6月6日

 今日は池上線御嶽山(おんたけさん)駅の駅名にもなっている、北嶺町御嶽神社へ行った。久しぶりのおおかみさがしだ。御嶽神社は駅前のジャスコのすぐ裏にあり、駅名に偽りはなかった。
 狛オオカミは垂れ耳で牙はあるものの、表情は穏やかで犬っぽい。あばらは消えかかっている。巻物を咥えているのはお狐さんの影響か。阿形の方の頭の上に何か折れたようなものがあるが、宝珠を乗せていたか。銘はなく製造年は不明。
 オオカミよりは鳥居寄りに一対の狛犬がある。慶應3年の銘があり、全体に赤みがかかっているのは上から漆喰を塗っているからか、ひびが入り、あちこち剥落していた。そのせいか、さわれないように柵で囲まれていた。ネットの画像で見ると、以前は金網の檻に入っていたようだが、見た目が悪いので木の柵に変えたのだろう。
 境内右手には大鳥神社があり、そこにも古そうな狛犬があった。天という銘が読み取れたが、天保年間のものか。
 社殿の後ろに廻ると、奇麗な彫刻の施された壁があり、「大田区文化財社殿彫刻」の立て札が立っていた。社殿の裏は柵がしてあって、たくさんの石碑があった。人の入れないところで猫がのんびりと寝そべっていた。
 境内左手には一山神社とその霊神水があった。稲荷神社も境内には付き物という感じで、小さなお狐さんもいた。
 御嶽神社を出ると、駅の反対側に行って道々橋(どどばし)八幡神社へ行った。明治30年の銘のある狛犬があった。首に注連縄をしていた。

6月4日

 ラジオでRADWIMPSの『マニフェスト』がかかっていた。
 この曲の配信開始の日に合わせたように、鳩山総理が辞任して総理大臣が変わったなんて偶然はそうそうあるもんではない。最高のタイムリーでおいしいナンバーになった。野田クンのハッピー運とラッキー運は恐るべし。
 残念なのは野田クンにまだ参議院の被選挙権がないことだ。このマニフェストで立候補すれば、少なくとも「議員でも金」には勝てるだろう。
 まあ、結局政治はシステムの構築であって、愛だとか友愛だとかに流されていたのでは、いつまでたっても何も決まらない。政治は一種の仮説であって、実際にやってみることで不都合があれば改め、うまく治まればその法律は生き残る。こうした長年の試行錯誤の繰り返しで、今に至っているものだ。首相個人の心で動くものではないし、そんなことをやったら北朝鮮みたいになる。
 RADの『マニフェスト』はそういう意味で一つの逆説だ。愛を語れば語るほど、政治から離れて行く。

5月30日

 今日は田園都市線田奈駅で降りて、神鳥(しとど)前川神社へ行った。
 車祓が売りなのか、境内に新車が一台止まっていて、神主さんがお払いをしていた。帰る頃には別の車が止まっていたから、結構需要があるようだ。
 狛犬は平成2年の新しいものだった。これも何十年かすればなれてきて味わい深いものになるのか。
 左奥の方に境内社がある。八坂神社と伏見稲荷神社がカップリングされていた。
 その前には小さな石造りの富士塚があり、仙元社になっていた。普通は「浅間」だが、ここではこういう字を当てている。周囲には庚申塔などとともに守り犬、子産石(こうみいし)が配置されていた。安産の神様で、首のところにお守りがたくさん巻きつけられていた。
 一度田奈駅に戻ると、こどもの国方向へ向った。このまえ(5月9日)恩田杉山神社に行った時、見つけられなかった道祖神を探すためだ。
 途中、神明社入り口という交差点があったので、行ってみた。神明社というと、何となく寂れたところが多いようなイメージがあるが、ここもそうで、がらんとした無人の境内に社殿と境内社が3っつあった。狛犬、お狐の類はなかった。
 こどもの国線恩田駅の近くに、恩田薬師堂があった。ここも静かで、猫がのんびりとくつろいでいた。境内には庚申等馬頭観音などの石碑郡があり、ムクロジという札の立った木があった。幹の中ほどに大きなうろがあった。
 道祖神は、そのさらに先、恩田駅を越えた川沿いにあった。

政治主導の失敗
 官僚主導から政治主導というのが、民主党政権の一番の売りだった。しかし、これが成功するには、政治家が専門家集団(シンクタンク)を組織して、官僚を上回る政策決定能力をもたなくてはならなかった。
 今考えれば、何でこんなことに気づかなかったのかという感じだ。政治への素人の参加は悪くない。しかし、素人の多種多様な意見をそのままぶちまけてたのでは、まとまりがつかなくて当然だ。民主党政権になってからの政治の迷走は、鳩山一人の責任にするのは酷だろう。 
 自民党の歴代総裁だって、そんなに意志決定力があるわけではなく、いつでもぶれまくってたのだが、結局最後は官僚の言いなりになるから、そこで収拾がついた。民主党政権もいろいろやってみたが、結局最後は官僚の言うとおりというところに落ち着くのだろうか。 
 そういうわけで、民主党だけでなく、有象無象の新党が乱立したところで、どの党が政権とっても結局は同じこと。政治家はシロウトに毛の生えた程度の知識で言いたいことを言って、いつまでたってもまとまらずに迷走を続けるしかない。そして、困ったところで官僚に泣きつくだけだ。 
 どの政党が政権をとっても日本は変わらない、というのはそのせいだ。官僚を超えるような専門家集団を誰も組織しようとしないからだ。なぜしないのか。それは専門家を信用してないからだ。 
 日本はバカが一番偉い国で、頭のいい奴は苛められ、疎外され、オタクとして世間の片隅に生きるしかない。だから、オタク文化は世界最高の水準にある。オタクというのは昔でいえば「隠士」であり、隠士が山にこもっていると国は乱れる。本当の君子が現われれば、隠士は自ら山を降りてくる。

5月28日

 iPadの発売で、日本でも書籍の電子化に向って動き出すのだろう。
 電子書籍の一番のメリットは、メモリの容量の許す限り、大量の書籍を携帯できるようになるということだろう。検索機能があれば、そこから読みたい部分を探し出せるし、本を史料として使うことの多い人にはありがたい。電子書籍が普及すれば、誰もがインデックスだ。
 家に保管するにしても、省スペースになるのは魅力的だ。本棚は家のなかで場所をとるし、すぐにいっぱいになる。もう我が家に新しい本棚を置くようなスペースはない。
 電子書籍なら、ゲーム的な要素を盛り込むことも可能だろう。隠しファイルで別エンディングだとか、読み終わると隠しストーリーが表れるだとか、いろいろとオマケがつけられそうだ。
 ソニーが電子書籍に参入するというのなら、どうせなら新しいハードだけではなく、PSPでも読めるようにしてくれるといい。さらにいえば、iPadサイズのPSPを作って欲しい。最近老眼でゲームが億劫になる。
 既存の出版社は、昔からの印刷所や書籍問屋とのしがらみがあって、なかなか踏み切れないのはわかるが、スクエニやメディアワークスあたりはもっと積極的にラノベを電子書籍化してもいいのではないか。俺としては角川スニーカーも電子化して欲しいが。ハルヒ、ムシウタ、薔薇マリ、add、コードギアス、結構角川には貢献している、といってもほとんどBOOKOFFだが。

 ところでピジョンやピジョットに進化できなかったあの首相は、最初から現行案1本で通せば辺野古埋め立てだけですんだものを、さんざん迷走した末に徳之島のオマケまでつけてしまうとは。
 全国の知事を招いて、日本中に基地を拡散させるつもりか。それで文句言われると今度はオキナワガーか。

5月26日

 こういう状況になると必ず出てくるのが、北朝鮮がいつ攻めてくるかわからないから、アメリカの言いなりになるのは仕方がないという発想だ。
 「仕方がない」だけならまだいい。そうしなければ日本が亡ぶかのような口ぶりで、社民党を非難するのはまだしも、その矛先が沖縄県民に向けられるとなると、これは危険だ。沖縄で右翼のテロがなければいいが。
 普天間の国外移設で沖縄が盛り上がれば、アメリカとしては当然民意に配慮し、極東兵力の撤収へと向わざるを得なくなる。そうなると、北朝鮮問題を早く解決しようということになる。
 ただでさえ、イラクは核開発疑惑だけで攻撃したが、北朝鮮は核保有まで許してしまっている。このまま放置すれば、北は世界中に核兵器を安価でばらまきかねない。だから、そろそろ期日は迫っている。
 あるいはすでに、クリントンと会ったあとの鳩山首相の態度の急変あたりに、既に何らかの密約がなされているのかもしれない。
 いずれにせよ、今問題なのはいつ攻めてくるかではなく、いつ攻めて行くかだ。そのつもりでアメリカの動きをしっかり見すえなくてはならない。その上で、本当にアメリカの言いなりでいいのかを判断しなくてはならない。
 何でもかんでもアメリカ任せで、自分からアメリカに守ってもらおうとしてるのに、あたかもアメリカに強要されたから仕方がないみたいなことをいい、勝手にブリタニアの幻想をつくり上げ、自分からエリア11に閉じこもろうとするのは、そろそろやめたほうがいい。

5月25日

 新聞にはアメリカが北朝鮮政策を見直すということが書いてあった。どの程度変わるのかはよくわからないが、小浜が本気でchengeをしようというのなら、普天間問題が一気に解決する可能性もでてくる。
 普天間で問題になる「抑止力」も、冷戦なき後の脅威は北朝鮮に限定されている。当然抑止力の必要性は、北朝鮮がいつまでも存在することを前提としている。しかし、この世に永遠なんてものはない。
 北朝鮮がいつまでも軍事政権を維持するために挑発行為を繰り返し、そのつど周辺国は我慢し、太陽政策を継続する。アメリカはアフガニスタンやイラクには介入するし、イランへの介入も十分ありうる。だが、北朝鮮だけはアメリカによって生かされ、いつまでも泳がされている。それを当たり前だと思ってきた。
 もし仮に、今度の事件でアメリカと韓国が協力して速やかに国連決議を取り付け、多国籍軍を組織し、軍事介入を決定したとしたら、物量においても装備においても北朝鮮はそう長くは持ちこたえることができない。そして、アフガニスタンやイランと決定的に異なるのは、韓国という受け皿があるということだ。南北は速やかに統一され、北の独立を守る理由はないから、主要な戦闘が終ったあとも長期泥沼化する可能性は低い。
 北朝鮮が消滅すれば、米軍は極東にそんなに多くの戦力を維持する必要はない。在日米軍も自ずと縮小され、普天間問題も国外移設で一気に解決する可能性がある。
 もちろん、軍事介入ということになれば、自衛隊も後方支援に借り出されるだろうし、在日米軍基地はフル稼働ということになる。そして、北のミサイルが飛んでくる可能性も十分にあるから、無傷というわけにもいかないだろう。
 参議院選での民主の惨敗はもう見えている。だからといって、自民党やそのほかの新党に民主党以上のリーダーシップがあるとは思えない。政局がますます混迷するのは目に見えている。そんな中でひょっとしたらとんでもなく重要な選択を迫られるかもしれない。
 現状維持か。それとも、痛みを伴うが一気にすべてが解決する道を選ぶか。

5月16日

 今日は百草園へ行った。
 藤やツツジも終り、やや花の少ない時期だが、それだけに人も少なく静かだった。もこもこした毛の小動物も現れ、ひょっとしてあれは狸か。
 園内には子育て地蔵と芭蕉の句碑が二基、それに芭蕉天神があった。
 句碑は
 志ばらくハ花の上なる月夜かな ばせを
これは吉野の句だが、この裏がちょっと気になる。裏は別の句碑になっている。ひょっとして使い回ししたか。
 私も大学で国文学を専攻したわけではないから古文書は苦手なのでよくわからないが、武蔵国の百草園の句碑の由来みたいなことが書いてあるのだろうか。「月雪も‥」で始まる句も芭蕉の句ではなさそうだ。俳号月華とあるが、徳富蘆花?
 もう一つの句碑は
 春もややけしき調ふ月と梅 はせを
元禄6年春、晩年の軽みの句だ。梅に朧月がそろって、いかにも春らしい景色になったという、ふっと口をついて出てきたような句だ。
 芭蕉天神は小さな石碑で、明治の初めに三森幹雄が「神道芭蕉派」を立ち上げ、国家神道の一角に食い込もうとしたあれと何か関係があるのだろうか。芭蕉も旅に死んだから、非業の死を遂げた御霊ということで、菅原道真公といっしょに天神様ということになるのだろう。
 百草園を出ると、隣に百草八幡宮があった。ここには二対の狛犬があり、一つは昭和42年の普通の狛犬。もうひとつが昭和53年の子犬?狛犬。これはもともとはここに耳の垂れた狛オオカミがあったらしい。新しく作り直したときに子犬になってしまったようだ。
 次に、細い山道のようなところを通り抜けて、大宮神社に出た。ここには十二支のレリーフが描かれた12枚の瓦があった。
 最後に線路の裏側へ行き、落川神明社へ行った。境内には大欅と境内社の小さな御嶽神社とお稲荷さんがあった。
 帰りは溝の口に寄って、ムシウタの10巻を買った。

5月14日

 以前HPに書いたものを、ふと思い出した。

 ゼノンのパラドックスは、基本的には言葉の問題にすぎない。アキレスが亀に追いつけない理由は至って簡単で、「追いつく」という概念の中に既に「追い越してはいけない」という命令が含まれているからだ。だから、アキレスは常に亀がいた所までしか進んではならない。亀がいた所まで進めば、亀はそれよりほんのちょっとだけ前に進む。しかし、アキレスは亀のいる所までしか進んではならない。これでは永久に追いつけないのは当然だ。もしアキレスに対して「亀を追い越してもかまわない」という許可が出たなら、アキレスは楽々と亀に追いつき、追い越すことが出来るだろう。
 教訓:人の後追いをするな。人の先を行け。
 つまり、アキレスが死んでも亀に追いつけない理由は、亀より先に行こうという意識がないからだ。前人未到の地に踏み込もうという開拓者精神を持たず、ただ他所が成功したらうちも真似しようという猿真似の前例主義的発想では、結局追いつくことも出来ないのだ。これはいろいろなことに応用できる。日本がアメリカを追い越せないのは、アメリカに追従しているからだ。

 なぜ思い出したかというと、岩井恭平の「消閑の挑戦者」を読んでいて、この話が出て来たからだ。

 「アキレスと亀との距離がアキレスの脚の速さで一分かかる距離だとしたら、一分間で追い越すことが不可能なんだろ?そもそも問題の定義が間違ってるんだって言ったのは爺ちゃんじゃないか前に答え合わせしたよ」
 『否、アキレスは永遠に亀に辿り着くことができない』
 「どうしてさ?」
 『アキレスに亀に追いつく気がないからだ』
(「消閑の挑戦者」岩井恭平、2002、角川文庫、p.155)

 あっ、俺とおんなじことを考えている人がいた、と思うと何か嬉しくなる。
 この本は、このテーマをさらに拡大して、人間が数学に支配されてはならないということを説いている。そこまでは考えてなかった。
 数学は一つの仮説であり、物事を理解し、意のままに操るための道具にすぎない。これは数学に限らず、すべての学問は基本的に100%仮説にすぎない。(「100%仮説」ということ自体が1%の真実だとすれば、99%仮説ということになる。)人間がそれに操られてはならない。
 まだハリーポッター読み終わってないけど、はやくムシウタ10巻を読まないと。最近本屋に行ってないせいか知らなかった。5月1日に出てたなんて。

5月11日

 普天間問題で最近唐突に「抑止力」なる言葉が登場した。
 海兵隊がそんな良いものであるなら、ぜひとも東京の中央防波堤外側埋立地に呼んで、天皇陛下をお守りして欲しいものだ。と、こやんは呟いた。

 だいたい、徳之島の1万5千人集会といい、沖縄の9万人集会(これはやや誇張があるというが)といい、これは一種の革命だ。アメリカも民主主義の国で、ブリタニアではないのだから、この声を厳粛に受け止め、日本政府がマリアナ諸島への移転主張した場合に、受入れる用意をすべきだ。
 鳩山首相では弱腰で交渉にならないというのなら、いっそのこと他人事みたいなことを言っている社民党の福島みずほを外務大臣兼務にして、代わりにアメリカと交渉させたら良いのではないか。

5月9日

 今日はすずちゃんが来て4年目の日。お祝いにチーズ尽くしを作ろうと、青葉台へ買い物に出た。
 途中、藤が丘の医薬神社に寄った。狛犬は昭和58年の新しいものだった。片隅に道祖神と地神塔とあと石塔が三つあった。道祖神はちょうど今HPの「奥の細道=道祖神の旅」を書き直しているところだったので、早速使わせてもらった。
 そのあと、恩田杉山神社に行った。狛犬は大正5年製で首に注連縄が巻かれていた。
 今日のチーズ尽くしは、成城石井のチーズセットのオードブル。三色フジッリのチーズソース、チーズ乗せハンバーグ、チーズ入りコールスロー、それにイタリアンワイン。

5月4日

 昨日は那須へ行った。
 朝の5時くらいに出て行こうと思ったら、すずちゃんが3時半に起こしに来て、いくらなんでも早いだろうと寝ようとしても、またしつこくにゃーにゃー言う。
 そういうわけで午前4時出発の「早行」となった。

 すずちゃんの判断の方が正しかったのか、流石にこの時間は246も首都高も東北自動車道も渋滞はなく、すいすいと進んだ。
 途中、羽生でそばを食べ、那須インターに着いたのが7時ごろだった。
 まずは「うみねこのなく頃に」の九羽鳥庵のモデルとなった那須ステンドグラス美術館に向ったが、まだ門が閉まっていた。そのまま車を先へと走らせ、芭蕉も見たという殺生石から見て廻ることにした。
 那須温泉(ゆぜん)神社へ行くとまず愛子様の御印の木があり、那須には御用邸があるだけに皇室との結びつきが強いのだと思った。境内には大正八年建立の狛犬が一対と、馬の像があり、境内社の稲荷神社は妖狐玉藻を祭っているせいか、尻尾は分かれていないものの縦にいくつもの切込みを入れて九尾が表現されている。顔は天狗顔。
 殺生石は硫黄の匂いのする石のごろごろしているところだが、今では蒸気を吹き出していないから、箱根大涌谷ほど臭くはない。下手には千体地蔵がずらりと並んでいた。
 さて、那須ステンドグラス美術館にもどると、ちょうど門が開いたところだった。しばらくして開館して中に入ると、たくさんの色鮮やかなステンドグラスと3っつの礼拝堂があって、結構楽しめた。外観がゲームの九羽鳥庵と若干違った印象を受けるのは、おそらく季節が早く、壁の蔦の葉がないせいだろう。

 このあと道の駅友愛の森を覗いていってから、那須高原を離れ、芭蕉ゆかりの地である那須黒羽へと向かった。
 黒羽は思いのほか寂れた町で、つぶれたパチンコ屋があったり、ローソンが一軒あるほかは昔ながらの昭和の香りのする商店が並び、それも閉まっているところが多かった。かつては黒羽藩2万石の城下町で、芭蕉もここに14日間もの長逗留をした地だが、今では平成の大合併で大田原市に編入されてしまっている。
 芭蕉公園の駐車場に車を止め、旧浄法寺邸、芭蕉の館、黒羽城址公園、両社稲荷神社を散歩してから、車を走らせて他の名所を探した。
 玉藻稲荷神社は北西のやや離れたところにあり、付近は梨園や水を張った田んぼが広がり、蛙の声も聞こえる長閑なところだった。ここの御狐さんはつんと上を向いていて、尻尾は太くて真上を向いていた。ミカンがそなえてあった。脇には古池(鏡が池)があり、妖狐玉藻はこの池に映った姿で正体がばれてしまったという。
 犬追物の跡もまた田んぼになっていたが、芭蕉の時代も既に「跡」だったのだから、アスファルトの道路が十字に交差していることを別にすれば、それほど変わってないのかもしれない。  このあと東へ一山越えて雲巌寺へ行った。啄木鳥も破らぬ庵どころか、かなり大きな立派な寺で、近くに瀧があった。境内にある神社が参道が途中で断ち切られている上、横から神社に入る道もふさがれていて、冷遇されていた。
 ふたたび黒羽の市街へ戻り、翠桃邸跡と翠桃の墓を探した。西教寺の近くから狭い道を入った奥にそれはあった。幾つか並んだ石の中に「不説軒一忠恕唯‥」と刻まれたものは確かにあったが、説明書きにあるような辞世の歌は見つからなかった。
 最後に金丸八幡宮(那須神社)へ行った。道の駅那須与一の郷の裏手にあり、立派な楼門と昭和のやや荒削りな感じのいかつい狛犬があった。道の駅には那須与一伝承館という立派な建物があり、中では動く人形と三面ワイドスクリーンを使って「扇の的」の物語をやっていた。このシアターにいくら掛けたか知らないが、途中から入ってそのまま終ったら出たのだが、しきりに最初から見るように進められた。那須与一が奉納したという太刀はここに展示されていた。
 町は寂れているのに、立派な芭蕉の館や那須与一伝承館といい、何かお金の使い方を誤っているのではないか。芭蕉の人気には既にかげりがある。世は空前の俳句ブームだとはいっても、その担い手は団塊世代より上の世代で、これから先細りをするのは目に見えている。那須与一だって、平家物語を誰もが知っていた時代は既に過去のものになっている。
 芭蕉や那須与一に新しい魂を吹き込むことができれば良いのだが(芭蕉に関しては不肖鈴呂屋こやんがもっと頑張らなくてはいけないが)、そのほかにも黒羽には大田原にはない豊かな自然がある。何か盛り上げる方法がないのだろうか。
 黒羽をあとにして大田原の方へ行くと、ここにはツタヤもあればヤマダ電機もあり、大きなホームセンターもある。便利だが没個性的などこにでもある町を通っていると、黒羽のような町が逆にいかに貴重かがわかる。黒羽は寂れてもやはりかつての一つの文化の栄光を持っている。

 既に日は西に傾き、一般道で宇都宮を通り抜け、最後の目的地、室の八島に向った。着いたのが5時半だった。八つの島というのは思ったより小さかった。もちろん煙は出ていない。夕暮れで人の気配もなく静かだった。おそらく芭蕉が来た時もこうだったのだろう。大きな狛犬は昭和45年製だった。
 帰り道は栃木インターから高速に乗ったが、渋滞30キロとはいうものの時速40キロくらいでゆったりと流れていて、心配したほどの時間のロスはなかった。9時過ぎには帰ることができた。

5月3日

 今日は那須へ行った。那須といえば九羽鳥庵。続きは明日。

4月29日

 今日は宮前区神木(しぼく)の等覚院へ、つつじを見に行った。
 車を止めるところがないので家から歩いた。途中、平の白幡八幡大神に立ち寄った。本殿前の狛犬は昭和48年の新しいものだったが、手水場の裏に明治43年の先代の狛犬があった。
 白幡八幡を出る頃から狐の嫁入りとなり、やがて空に雲が広がり小雨となった。だが、天気予報で言ってたような強い雨にはならなかった。
 等覚院は仁王さんのいる立派な山門のある大きな寺で、山門の辺りから、既につつじの花が鮮やかだった。カメラを持ったお年寄りが多く、鎌倉のような雰囲気だった。
 裏手へ出てしばらく住宅地を行くと、長尾神社があった。ここは人もいなく静かで、山のてっぺんで風が強く境内の木々を揺らし、昔の人なら「すさまじ」だとか「物凄し」と言いそうなところだった。
 帰りは梶ヶ谷から電車に乗った。途中、神木天満宮としばられ松聖社があった。境内に大きくアーチ上に曲がった枯れた松の株があった。

4月25日

 今日は國領神社の藤を見に行った。
 國領神社というから国領駅から行けば良いのかと思ったが、最寄り駅は隣の布田駅。国領の駅前には歩道の上に小さなお稲荷さんがあった。それから甲州街道のほうへと行くと、また英会話教室の建物の敷地内にお稲荷さんがあった。ここにはちゃんと狛狐さんがいた。
 甲州街道で布田へと行く途中、右側の路地の向こうに赤い鳥居が見えた。道路の上にはみ出すように四つの赤い鳥居がたっていて、道路がそれを避けるように曲がっていた。これを立ち退かせようとして祟りでもあったのか。八雲台稲荷と書かれていた。
 そこから少し行くと、甲州街道の反対側に國領神社が見えた。「千年乃藤」というだけあって大きな藤棚だったが、まだ咲き初めだった。甲州街道の歩道橋からも見下ろすことができる。見ごろになったら壮観だろうな。
 さて、國領神社は布田にあったのだから、当然のように布田天神は次の駅の調布にある。電車には乗らず、甲州街道を歩いた。
 布田天神には月例祭の縁日の屋台が出ていたし、神楽殿も何かを演じる準備がされていた。寛政8年製の狛犬は市指定文化財の札が立っていた。その向こうには大きな御神牛があった。
 布田天神に通じる参道は、甲州街道を渡ると天神通り商店街となり、ゲゲゲの鬼太郎の像があった。水木しげるゆかりの町のようだ。
 京王線の線路を横切り、多摩川まで出ると、京王閣競輪場の近くに白い旗がたくさんたっている社があった。多摩川の水害から守るという白衣観音菩薩が祀られていた。
 京王多摩川駅から京王線に乗り、稲田堤で南武線に乗り換え、溝の口に来ると、ポレポレ通りではフリマをやっていて、『天体戦士サンレッド』のヴァンプ将軍と戦闘員一人が来ていた。

4月20日

 今日の気になったニュースは、大阪バイオサイエンス研究所が脳神経回路の配線、組み替えを解明したというニュースだ。
 ショウジョウバエでの実験によるものだという。
 マトリックス・メタロプロテアーゼという酵素が働くと、神経が突起を伸ばす際に足場となるたんぱく質を分解し、支えを失った突起は残った足場に移動することで、神経系が再編されるという。余計な接続を減らしてゆく、引き算的なものなのだろう。
 この酵素は人間の脳にもあるところから、人間の脳が4~5歳ごろまでに言語や音感や視覚を発達させる際にも同じことが起こっていると考えられる。
 日経新聞によれば、「これを上手に制御できれば“頭が固くなった”大人でも外国語を容易にマスターできる可能性がありそうだ。」とのこと。まあ、テープを聴いているだけで、赤ちゃんと同じ方法で外国語を習得するというふれ込みの教材は多いが、実際にはそうそう上手くはいかない。言語の自然習得には臨界期があるというのが一般的な説だ。
 酵素を制御できれば大人の外国語自然習得も可能になるかもしれないが、技術的には難しい。新聞の記事もそこは釘を刺している。「人体内で酵素を制御することについて、榎本部長は『現在の技術では難しく、体に悪い影響が出かねない』と話している。」

4月19日

 未来は決して悲観すべきものではない。国を憂いてばかりでも始まらない。
 東西冷戦が終って久しくなり、すでに「核戦争後の荒廃した世界」は過去のものになりつつある。アメリカもロシアも、既に地球を難解も破壊できるほどの核兵器は無用の長物となってきていて、むしろそれを管理するのに多大な経費がかかる。どちらも核を減らすタイミングを探るのみだろう。
 ゴミ問題とエネルギー問題は、バイオ燃料の普及によって、やがて解決されてゆくだろう。これからはゴミは重要なエネルギー資源になる。
 バイオ燃料は発酵の技術があれば比較的簡単に実現できるから、ブラジルでもバイオ燃料大国になれたし、インドネシアも有望だ。そのほかの発展途上国でも比較的容易に開発できるので、やがてエタノール、ディーゼル、ガス、水素などの燃料は、各国で独自に生産し、自給できるようになるだろう。かくして石油の支配した時代は終る。
 バイオ技術がさらに発展すれば、ひょっとしたら石油そのものもバイオの力で作り出せるようになるかもしれないし、そのほかの金属鉱床もゴミから作り出すような、人工鉱山が実現するかもしれない。
 日本は需要不足だといわれるが、医療や介護や保育など福祉の分野は相変わらず供給不足だ。だから、まだまだ経済成長は可能だ。要らないものを作って、必死こいて売り歩くような今の経済を改め、本当に必要なものを作るようにすれば、景気は必ず回復するし、デフレからも脱却できる。必要なのは、規制緩和で福祉で金儲けができるような下地を作ることだ。
 日本の土木建築の技術も世界一流だから、もっと世界へ出てゆくべきだろう。自衛隊の名前を「土木協力隊」に改め、戦争や紛争や自然災害などの復旧事業で国際社会に協力できる。
 電子書籍が普及すれば、やがてはポケットに何百冊もの本を持ち歩け、読みたいページをすぐに探すことができるようになる。本を保管するのに立派な書斎も必要なくなるから、オタクも腐女子も部屋を広く使えるようになり、地震で本が崩れてという悲劇もなくなる。
 これによって紙の消費を抑えることができるし、複雑な流通の手間を省くことで、本は安くなり、著者に入る印税は増えるようになる。誰でも気軽に出版できて、世界に向けて発信できるようになれば、一攫千金の夢も生れる。
 地球の人口は今世紀半ばには減少に転じる可能性がある。そうなれば、人間が飯を食うために原生林を切り開く必要もなくなり、地球上いたるところに手付かずの自然を保存する余裕が生れる。これによって、野生生物の楽園が生れ、人間だけでなく、すべての生き物が等しく栄える地球が生れる。人口爆発による食糧危機なんてのは過去のものとなる。
 人口の増加に歯止めがかかることによって、日本もまた開発一辺倒の政策が転換され、地方に豊かで美しい自然が蘇る。春にはバイオディーゼル用の菜の花が咲き乱れ、秋には休耕地のなくなった田んぼから豊かに米が実る。余った米だけでなく藁までもがバイオエタノールになるので、無駄は一つもない。

4月18日

 今日はまず根津美術館へ「胸中の山水・魂の書」展を見に行った。新しい建物になってから行ったのは初めてで、前とうって変わって広く近代的になっていた。牧谿の「漁村夕照図」とその江戸時代の模本を比べることができた。そのほかにも拙宗(雪舟)の「破墨山水図」があった。
 庭園には天神さんと薬師堂があり、そこにそれぞれ狛犬があった。そのほかにも通路に渡来系の狛犬と狛羊?があった。
 次に渋谷へ出た。タワレコでOrphaned landの「The Never Ending Way Of warrior」を見つけた。イスラエルのメタルで、ジャケットはイスラム教徒に配慮したのか、文字を図案化したイスラム書道が描かれている。だが、ブックレットの裏側は下に黒いスーツ帽子のユダヤのラビに扮したメンバーが、そして左右にはアラビアの衣装を来たメンバーが、そして、中央にはキリストとマリア様?これはイスラム原理主義者に怒られそうだな。さすがに表側にはできなかったのだろう。
 同じ神様を信じながら、ユダヤ、キリスト、ムスリムが互いに殺しあっている中東の現状で、音楽の力でそれを一つにしようという、何とも志の高いバンドで、それこそ原理主義者に狙われたししないかと心配だ。この頃はバーレーンでもブラックメタルのバンドがいるというから、イスラム圏も変わってきたのか。
 イスラエルにせよバーレーンにせよ、そしてアンチキリストとオーディン崇拝を打ち出したノルウェーの最初のブラックメタルにしても、いずれも半端ではできない命張ったところがあるのだろう。ただスタイルだけ真似た日本のメタルや、「がんばれ」「ありがとう」に要約できてしまうような当たり障りのない歌詞ばかりの日本のJ-popとは気合の入れ方が違うにちがいない。
 それから東横線に乗って横浜へ向かい、三ツ沢で横浜FC=ロアッソ熊本戦を見た。
 試合開始直後にいきなり危ない場面があって、先が思いやられたが、前半は一進一退で何とか0=0で乗り切った。
 後半開始直後、横浜FCは怒涛のように攻めるものの、前がかりになりすぎ、後半10分頃、あっさりロカウンターで失点。後半20分頃、代わったばかりの西田のゴールで同点に追いつくも、その直後に熊本の右サイドからのフリーキックで失点。この時は反対側のゴールということで、見ていて何が起こったのかわからなかったが、オウンゴールという発表があったところから、おそらくは蹴ったボールが壁に当って、運悪く微妙にコースが変わってキーパーが逆をつかれてしまったのだろう。
 そのあとPKのチャンスがあったが、大黒がはずし、そのまま1=2で負けた。
 今回は、もちろん簡単にカウンターを食らうディフェンスにも問題があったが、決勝点となった二点目はあくまで不運なもので、あれがなければひょっとしたら勝っていたかもしれない試合だった。
 試合後、選手が挨拶にやってきた時、ブーイングしたい気持ちはわかるが、もう少し温かい心で拍手して励ましてやってもよかったのではなかったか。横浜FCがホームで勝てない原因は、こんなところにもあるのではないのか。ホームが文字通り家庭的で、なんでも包み込んでくれるような広い心を持っていれば、選手ももう少し楽な気持ちで戦えるのではないか。毎回毎回ホームでブーイングでは、選手だってプレーシャーになるだろうし、ホームが嫌いになるのではないか。

4月16日

 人生でやり残したことは何かと、ふと考えた時、急に思い出した。そうだ、ハリーポッターの最終巻をまだ読んでなかった。そういうわけでBOOKOFFへ行ったら、1250円だった。

 そういえば今日はハルキのIQで世間は騒いでいるが、ハルヒの続きはどうなってるんだ。ハルヒの結末もまだ知らないし、「ムシウタ」の結末もまだだ。そんなに俺を長生きさせたいか。

 とりあえずネットの情報によると、ハルヒ(「涼宮ハルヒの驚愕」)の方はザ・スニーカー6月号に一部先行掲載、ムシウタの10巻は5月以降に延期とのこと。

4月15日

 難航している普天間基地移設問題だが、いっそのこと東京湾にある中央防波堤外側埋立地に誘致してはどうだろうか。

 ついでに隣の中央防波堤内側埋立地に、石原都政の長年の懸案であるカジノを建設し、米軍にカモになってもらう、ではなく日頃の労を癒してもらうといいのではないか。

 これぞ「東京に原発を」に匹敵する妙案。民主党がやらないなら立ちあがれ日本の皆さん、立ちあがっちゃえばぁー。

 と、冗談はこれくらいにして、とにかく米軍基地なんて、日本中どこへ行っても賛成するところなんかあるはずがない。建前では日米同盟は大事だなどと言っていても、本音のところ自分のところに来てほしくはない。

 今の民主党は、米軍はグアムにでも帰れという度胸もなければ、かといって国内の反対を押し切ってキャンプ・シュワブ案を通す度量もない。中途半端というのが一番いけない。

 中国が日本人を死刑にしたことでも、「懸念を表明した」というのは一体何なんだ。抗議するわけでもなければ容認するわけでもない、これも中途半端。

 去年の選挙で世間が期待したのは、自民党にはできない思いきった変革ではなかったか。それが今や第二の自民党に成り下がっている。

 国を憂うだけなら簡単だ。誰でもできる。ならばどうすれば良いのか、そこで迷っている。何か今までやったことのない思い切った決断も必要なのではないか。

 

 日本のこの行く春よパルプンテ

4月14日

 たとえば、お笑い芸に関して、良いお笑い芸とは何かなんて言われても、理屈でどうこう言えるものではない。基本的にはその芸で笑えるかどうかであり、同じ芸でも笑う人もいれば笑わない人もいる。M1の笑い飯の「鳥人」にネタについても、「どこがおもしろいかわからない」とmixiにしつこく書き込みしていた人がいたが、それは人それぞれであって、笑いを強要することはできない。

 これは芸術作品一般に言えることで、われわれは感動を強要することはできない。ただ、感動したという人が多ければそれは世間で高く評価されるし、この感動を後世に残したいという人がたくさんいれば、その作品は古典となる。

 権威のある偉い学者が、これは良い作品だと言ったところで、感動は生れない。感動したふりをする人が増えるだけだ。だから、時がたてば忘れ去られる。どんなにこれは良い作品だから後世に残そうと努力したところで、感動のない作品は容赦なく忘れ去られてゆく。学者にできるのはせいぜい「感動は美ではない」という理論(カントの「判断力批判」)を振り回すくらいであろう。

 お笑い芸人が自分の芸がうまくいっているかどうかを知るのはそれほど難しくない。受けているか、すべっているか、それはやっている本人が一番よくわかるからだ。ミュージシャンでもライブをやれば、それはダイレクトにわかる。乗っているか、引いているか、見ればわかることだ。

 漫画やアニメやラノベの分野でも、ファンもいればそうでない人もたくさんいて、作品にいろいろ突っ込みいれたり、言いたい放題のことが言われている。べつに全員に評価される必要はない。ただ、その中で本当に感動してくれる人がいれば、作者冥利というものだろう。

 本来芸術というのは、こうした有象無象の群衆の声によって鍛えられてゆくもので、誰からも何も言われなくなったら、その芸術は衰退する。どんな口汚い非難でも、それでも俺はこれがやりたいんだと思ったら続けるだろうし、褒められればそれはそれで励みにもなる。

 俳句や短歌の不幸は、こうした反応がダイレクトに返ってこないことだ。大体常識のある人なら、よくわからない俳句や短歌の作品を見せられても、自分の感覚で意見を言うようなことはしない。自分にはよくわからないけど、この道ではひょっとして高く評価されていて、下手にけなしたりすると、かえって俳句や短歌に対する無知をさらけ出すことになるのではないか、と考える。

 俳句や短歌の師匠からすると、お金を持っているお年寄りは飯の種だから、頭ごなしにけなしたりはしない。若い者なら多少けなした方が伸びるかもしれないが、ある程度の歳になってしまうとむしろおだてて、長く続けてもらうことを考える。だから、ただでさえプライドの高い老人は、師匠からいつも誉められて、自分もいっぱしの俳人歌人になったと錯覚する。

 最近、こういう老人に、新聞に作品を掲載すると言って、法外な掲載料を請求される事件が増えているという。ただ、この手のものは、どこからが悪質な業者でどこまでが良心的な業者なのか、グレイゾーンが大きいのではないか。

 同人誌でも掲載料は取るし、地方自治体が主催する俳句の募集でも選句料を取る。うっかり俳句誌の賞に応募したりすると、石碑を立てませんかというダイレクトメールまで来る。自費出版を扱っている出版社主催の賞に応募すれば、当然のことながら残念ながら今回は落選ですがと言いながら、応募作品の自費出版を勧める電話がかかってきたりする。日頃人からおだてられて天狗になっている老人なら、ほいほいとこういたものに金をつぎ込みそうだ。

 権威が幅を利かしていて、反応がダイレクトに返ってこない世界では、往々にしてこういうことが起こる。世間ではドン引きされていても、結社の中では褒めてくれる人たちがいる。そうなると、結社の人たちを信じたくなる。宗教団体にはまる時と同じだ。

4月13日

 俺が歌人に求めるのは、単に俺のような素人でも分かるような歌を作ってくれということだ。1987年にベストセラーになった俵万智の「サラダ記念日」は、一応俺も読んでみたが、意味の通らない歌は一つもなかった。

 そんなに特別良い歌があったわけでもないし、そんな特別なことを行っているわけでなくても、少なくとも誰にでもわかるような歌を作れば、それを支持する大衆の基盤が存在する。それはおそらく今でも変わってないだろう。

 短歌に限らない。俳句でも連句でも、ちゃんとわかるようなものを作れば、こうした伝統文芸にもまだまだ可能性はある。

 いまやTwitterで、別に定型を必要とするわけでもない単純なつぶやきでも、不特定多数の人に向けて発信し、様々な反応を得ることができる時代となった。一過性のそのときだけ受ければよくて、そのときだけ楽しければよい言葉なら、Twitterに取って代わられる。

 日常雑記程度の俳句や短歌、句を付けなくても良いただの連想ゲームの連句なら、Twitterで十分だし、それなら結局定型も必要ないということになるだろう。つまりTwitterに飲み込まれてやがてこうした文芸は消滅する。

 伝統文芸が生き残るには、それだけではない何かが必要なのは言うまでもない。ただ、だからといって誰もわからないような独りよがりの芸術ではどうしようもない。でたらめな文法、無意味な死語の乱用、流行や大衆文化の蔑視では、伝統の名が泣くだけだ。

 芭蕉の不易流行というのは決して流行に対して不易の優位を説くものではない。不易の心をその時代の言葉でわかりやすく表現することを説いたものであることを忘れてはならない。

4月12日

 夕刊に若手歌人の歌が紹介されていた。先輩歌人たちの句に比べれば、言葉はわかりやすいのだが、やはり何か変。 

 

 悲しみを眠らせまいとデニーズが 

     光を撒けば僕らはわらふ 

                   黒瀬珂瀾 

 

 「悲しみを眠らせまい」というのは「悲しみを忘れさせてはいけない」という意味で、そのあとの句はまったく脈絡がない。それにデニーズという固有名詞を出しているがガストやサイゼリアでは何でいけないのかもわからない。「ファミレス」で十分ではなかったか。それとも、年寄り世代と同様、「ファミレス」という略語はNGなのか。 

 

 日本はアニメ、ゲームとパソコンと、 

     あとの少しが平山郁夫 

                  黒瀬珂瀾 

 

 これも最後の「平山郁夫」がいかにも唐突だし、意味がわからない。この「平山郁夫」に、うん、そのとおりだ、と共感する人が日本に何人いるのだろうか。もう少しましな落ちをつけて欲しかった。 

 

 ホイミ・ベホイミ・ベホマとひとり唱えては 

     小暗き部屋の昼餉にむかふ 

                  黒瀬珂瀾 

 

 これも、ドラクエねたはわかるが、全回復したければ「ベホマ」だけ唱えれば十分で、三重に回復魔法をかけるのはMPの無駄ではないか。 

 

 夏は行く何度でもゆくだから僕は 

     捕まへたくて虫籠を置く 

                  山田航 

 

 この歌の場合、本当に虫籠を持っているのか、と突っ込みたくなる。夏を捕まえたくて虫籠をなんて、いかにもわざとらしいフレーズで、話を作りすぎている。

 

 「おすすめの本があります」Amazonに 

     教えられては買う本の束 

                  松本秀 

 

 これなどは一番ましな方だろう。意味もちゃんと通るし、共感する人も結構いるだろう。だが、歌にするようなことだろうか。こういうのはTwitterでやってくれ。

4月11日

 ソメイヨシノがだいぶ散りだしたなかで、旧古河庭園の山桜が見ごろだとのラジオの情報があったので、曇り空の中、出かけた。

 南北線駒込駅から歩いたが、ちょっと行くと妙義神社というのがあったので、立ち寄ってみた。太田道灌にゆかりのある神社のようだった。日本武尊を祭った神社だったがオオカミはいないし、狛犬もなかった。

 少し行くと旧古河庭園で、来るのはこれが二度目。前回は2008年の秋で、バラの季節だった。

 曇っていたせいか人も少なく、花見という雰囲気ではなかった。桜の木はそんなに多くはないものの古い大きな木ばかりで、上品に咲いていた。ソメイヨシノもあったし、何とか散る前に間に合った感じだった。庭園を一周する頃には空も晴れてきて、それとともに人も増えてきた。

 旧古河庭園を出て、西ヶ原駅のほうへと歩いた。途中、平塚神社に立ち寄り、西ヶ原駅を少しすぎて七社神社へも行ってみた。七社神社には御衣黄という、やや黄緑がかかった色の桜が咲いていた。境内社の一本杉神明宮には小さいながら、なかなか細かいところのよく作られた狛犬があった。嘉永5年の銘があったが、古さを感じさせない。

4月10日

 電子書籍の売り上げがアメリカで急速に伸びているとはいえ、まだ書籍の売り上げ全体の1パーセント強だという。日本の携帯小説のダウンロード率が書籍に対してどれくらいを占めているのかは知らないが、状況は似たり寄ったりだろう。

 電子書籍を普及させるには、ただ単にこれまでの紙の書籍を移植すれば良いというものではあるまい。ハードが変われば、それに対応するソフトが必要になる。つまり、電子書籍向けに書かれた、電子書籍ならではの面白さを表現できるものが出てこなくてはならない。

 携帯小説だって、普通の小説をそのまま携帯向けに配信すれば良いというものではない。携帯の限られたディスプレーで面白いものを作ろうとすれば、自ずとセンテンスを短くし、簡潔でスピーディーなストーリー展開をせざるをえなくなる。

 サウンドノベルも選択肢によってストーリーが分岐するという点で、アドベンチャーブックの進化した形といえよう。ただ、アドベンチャーブックだと全体のテキスト量に限界がある(一冊の本に収めなくてはならないという)のに対し、サウンドノベルだとテキスト量は紙面に拘束されない。そのため、単なるゲームにとどまらない文学的内容を表現することができる。もちろん竜騎士07の作品のように、あえて選択肢を持たないものもある。サウンドノベルの場合は、もちろんBGMや効果音などの音響もあれば、画像もある。そのうえ、文字の表示法が前から順番に表示され、画面に表示される文字量を一行で終りにしたり画面いっぱいに表示したりと自由に調節できる。これも活字文学にはない独特な表現法を可能にしている。

 近代文学というのは、活字印刷による書籍というハードウェアのために作られた文学だった。そこでの常識は、当然電子書籍では通用しない。電子書籍が本当に広く世間に広まるには、電子書籍ならではの表現が必要になる。古い作家からすれば、それは当然「文学の危機」というふうに映るに違いないが、そんな意見は無視してかまわない。

 たとえば、近代以前の文学には、章を細かく分けることはあまりない。「源氏物語」の帖は、本当に冊子が別になっていたからで、一冊の本のなかで章に分かれていたわけではない。「奥の細道」も、今は本にする場合、地名ごとに章に分けて掲載しているが、原文(芭蕉自筆本)は連続した一つの文章だった。これは、近代の活字本がそれまでの版木本に比べてページ数が多くなったため、読者が読みたいところを探すための目次を作り、その章の目安になるところを、パラパラめくっただけで容易に探せるように工夫したためだった。

 電子書籍だと、ページをペラペラめくることはできない。その代わりに、目次をクリックすれば、すぐにそこに飛ぶようにできる。また、索引を作らなくても、キーワード検索ができるようになる。そのほかにも、今後電子書籍ならではの工夫がいろいろと試みられるであろう。

 電子書籍の文体が新たに多くの作者によって形成されるためには、ハードの規格がある程度統一されてゆく必要がある。近代文学が「書籍」というハードに合わせた表現方法を進化させたように、電子書籍もまずハードがなくては、新たな表現方法の工夫の仕様がない。

 もちろん一種類に統一する必要はない。一つの規格に統一されてしまうと、かえってそこでハードの進歩が止まってしまいかねない。ゲーム機のようにいくつかのメーカーが競合する方がいい。

 今日ではキンドルが先行し、ipadがそれを追う形になっている。書籍に例えるなら、キンドルは文庫本で、ipadは週刊誌に近い。キンドルは「携帯」を強く意識したパーソナルなグッズであるのに対し、ipadは2、3人の人間で画面を覗き込んで談笑できる程度の大きさを持っていて、コミュニケーションツールの役割を担える。あるいは商談などの場面で活用することを念頭においているのか。

 ある程度市場が拡大すれば、日本のメーカーも黙ってないだろう。日本は携帯小説やサウンドノベルの経験があるだけに、電子書籍でもこれまでの常識をひっくり返すような画期的なハードを生み出す可能性もある。大事なのは書籍の常識にとらわれないことだ。

 電子書籍は紙を節約することで森林の保全にもつながるし、日本の狭い住宅事情からすれば、スペースを節約できる効果も大きい。また、暇潰しにたくさんの本を持ち歩くことができるのは魅力的で、途中で読み終えてしまって退屈する心配がないし、調べ物をするとき、別の本をすぐに呼び出せる。

 毎日のように書店には大量の本が入荷し、その大半は返本されてゆく。この無駄を考えれば、チラシの裏をメモ帳に使う程度の資源の節約はあっという間に吹っ飛んでしまう。爪で拾って箕でこぼすようなエコロジーはやめて、電子書籍の普及を積極的に受入れるべきだろう。

 電子書籍が普及すれば、新たな消費が喚起され、新しい市場を生み出す可能性も大きい。そういう意味では電子書籍の未来は明るいし、日本の未来も明るい。

4月5日

 どんな原始的な社会でも、基本的に人間である以上、現実と想像の区別はつく。普段の生活は、基本的に経験的な知識に基づいて営まれる。狩猟、採集、農耕、牧畜、家事、育児、建築、造船、その他様々な道具の製造など、経験の積み重ねがなくては実際のところどうすることもできない。そして、わかっていることについて、神話の入り込む余地はない。神話はわからないことについて語られる。

 近代以前の西洋人がパンを焼くには、経験的な知識の範囲で十分だった。ただ、パンがなぜ膨らむかについては、イースト菌の存在を知らなかったために、エルフの仕業だとかブラウニーの仕業だとか言われていた。しかし、パンがなぜ膨らむのかがわからなくても、パンは作れる。つまり、日常的には基本的にどうでもいい問題だった。

 わからないこと、人知を越えた現象について、人はあれこれ想像をめぐらす。その様々な検証不能な仮説、シミュレーションの積み重ねが、神話を生み出す。神とは人知を越えた現象の総称であり、こうした神概念が我々の文化の一番古い層を形づくっている。つまり「陰陽不測、これを神という」というわけなのである。

 かつて自然現象に関しては、人間は合理的な知識を持たなかった。それゆえ、自然現象は神が起こすものと考えられた。それとともに、野生動物もまた神とされた。

 アイヌ語では、「カムイ(神)」の名を持つ動物がいくつかいる。熊はキムン・カムイ、ヌプイ・コル・カムイ、狼はヌプリパ・ウン・カムイ、ウォーセ・カムイ、ホルケウ・カムイ、狐はシトゥンピ・カムイ、鯱はレプン・カムイ、蛇はキナ・スッ・カムイ、タンネ・カムイ。

 これらは面白いことに、日本でも神とされてきた。日本語の「おほかみ(狼)」は、日本でも古くは神の名で呼ばれる動物がいたことの名残なのかもしれない。

 日本語の「カミ」の「ミ」は乙類の「ミ」で、古くは「カムイ」と発音されていた可能性もある。乙類のイ段の特徴は、あとに別の単語が来ると「ウ」または「オ」に変化することだ。「カミ」もまた「かむなづき」「かむなぎ」「かむやまといはれひこ」など、「カム」に変化する。「おほかみ」も古くは「おぽかむい」だったのであろう。

 「くま」という日本語が古代には「隠れた」だとか「奥深い」という意味を持っていたことを考えれば、動物の熊も「くまかむい」だった可能性がある。

 狼信仰というのも、おそらくは日本の文化の最も古い層に最初からあったのではないかと思われる。ただ、狼の生息域が山の奥に後退して行くとともに、平地の人間の生活からは遠ざかり、次第に山岳信仰特有なものとなり、役の小角(役の行者)と結びついて、修験道のなかで蔵王権現信仰の眷属として受け継がれたものと思われる。山伏もその字面を見るなら「山犬」に人偏がついたもので、山犬(狼)の力を得た人間のことではなかったか。

 それが江戸時代になると三峰講が江戸を中心に流行し、周辺地域へと広がっていった。三峰講というのは遠くの神社にお参りしたいという人たちが集ってお金を出し合い、順番にお参りに行く「代参講」の一つで、平和で豊かになった江戸時代の庶民の、旅をしたいという欲求がそれを支えていたと思われる。

 風光明媚な三峰山はうってつけだったし、伊勢神宮ほど遠くもない。そして、お土産にオオカミの絵の描かれた護符を持ち帰り、家に飾ったりしたのだろう。

 今にも残る狛オオカミはその頃に作られたもので、言わば近所で手軽に楽しめる三峰神社で、そこにお参りしてはいつか本物の三峰山へと旅心がかきたてられ、行ったことのある人は思い出に浸ったりしたのだろう。

4月4日

 今日は多摩川浅間神社に行った。

 東横線で「多摩川」という駅で降りた。以前は「多摩川園前」という駅だった。しばらくこっちに方に来ることがなかったが、いつの間にか目蒲線もなくなり、目黒線と東急多摩川線に分かれていた。そういえば、二子玉川も以前は「二子玉川園」と言っていた。

 浅間神社は駅のすぐそばにあり、すぐ隣は多摩川の河原だった。石段を登っていくと途中に何か家のようなものがおいてある。これも祀られているようだが何だかよくわからなかった。

 オオカミは石段を登りきったところの境内の右側にあった。赤い鳥居があり、立て札には阿夫利神社、三峰神社、稲荷神社、小御岳神社の四つの境内社が列挙され、実際の四つの祠があった。

 右から二番目に一対の狛オオカミと片方だけの古そうな先代の狛オオカミがあり、そこが三峰神社だと思われる。一番右端だが、この謎の生き物は何なのだろうか。オオカミなのか、狐なのか、それとも猫なのか。ここが稲荷神社だとしたら狐だろう。ただ、狐にしては丸顔で、目が漫画っぽい。耳は猫耳だが、本来もう少し大きくぴんと立っていたのが欠けてしまったのか。

 神社から東横線の線路を挟んで隣は多摩川台公園で、子供の頃遠足で行った「かめのこやま」だった。桜の名所で、午前中から既に場所取りの人が何人もいた。

 このあと碑文谷の駐車場の片隅に三峰の祠があり狛オオカミがいるというネット情報に基づき、都立大学駅から碑文谷4丁目21番へ向ったが、それらしきものはなかった。

 仕方なく、雀のお宿公園を散歩し、その向こうに神社が見えたので行ってみた。それが碑文谷八幡神社で、碑文谷の地名の元になったという「碑文」があった。参道は桜並木でてき屋の屋台も出ていた。

4月3日

 桜の花も満開で、昼間は結構温かかった。仕事も早く終わったということで、近所を散歩した。

 あざみ野の驚神社は馬を敬うと書いて「驚き」。境内にも桜が咲いていた。

 新石川公園のあたりを通るとピーヒャラピーヒャラ祭囃子が聞こえてきた。伊勢社は今日が例大祭だった。奥のほうには境内社の秋葉神社があり、その横には小さな石の三峰神社があった。このあたりも昔はオオカミ様がいたのか。

 最後に神明社に行った。

3月31日

 去年もそうだったように記憶しているが、桜の開花とともに寒い日が続き、結局満開は四月に入ってからで、世間の入学式にも間に合った。

 卒業式の頃に、早くも桜が開き、入学も祝ってくれるなんて、自然も粋なことをする。

 開花した頃は今頃が満開だと予想されていたが、どうやら満開は週末になりそうだ。

 

 花冷えは週末までの冷蔵庫

3月29日

 俺は現代人だろうが古代人だろうが、人間というのは変わらないものだと思っている。

 現代人が漫画やアニメやラノベで様々なファンタジーを楽しむように、古代の人たちも神話を一つのファンタジーとして楽しんでいたのだと思う。

 そして、そのファンタジーの舞台になった場所は、いわゆる「聖地」であり、みんなそこを訪れて、やがてこうした場所に神社が建てられるようになったのだと思う。そして、聖地がいくつかあれば、自然とそこを旅してまわる「聖地巡礼」が行なわれるようになったのだと思う。

 ファンタジーは単なる娯楽ではない。それは現実の様々な問題を考える際のシミュレーションだ。現実とは別の世界を仮定することで、問題を簡略化できるだけでなく、一つの事件に固有の解決策を提供する以上の、普遍的な解決の図式を構築するのに役立つ。特定の時代、特定の場所で起きた特定の事件ではないことによって、思考は普遍化できる。

 だからこそ、ファンタジーは人を魅了し、感動を与え、語り継がれる。

 本来信仰とは、多種多様なファンタジーの集合体であり、それは自然と多神教の形をとる。一神教は強力な権力の下でそれを一元化するところにしか成立しない。

3月28日

 多摩市永山にある瓜生御嶽神社へ行った。多摩ニュータウン造成によって平成元年に今の場所に遷ったということで、建物も新しい。

 狛オオカミも新しいけどいわゆるリアル系ではなく、古風を意識してデフォルメされたデザインで、耳が垂れていて、牙や歯もあって、肋骨もちゃんとある。古い狛オオカミもいいが、平成の時代でもオオカミ様がこうやって新しく作られているというのは頼もしい。

3月25日

 ロシア・シベリアの南部の洞窟から。約4万年前の人類の指の骨片が見つかり、DNAの比較により、104万年くらい前に現生人類やネアンデルタール人の祖先から分岐したことがわかったという。今朝の新聞にも載っていたし、mixiニュースにもあった。

 104万年前という年代はなかなか微妙だ。半世紀前(つまり60年代くらい)にはホモ・エレクトスとアウストラロピテクスとが分かれたのがこれくらいなんて言われていた時期もあった。今ではホモ・ハビリスからホモ・エレクトスが分かれたのが200万年位前で、ホモ・エレクトスと現生人類やネアンデルタール人の共通祖先の分化が約60万年くらい前とされているらしい。104万年前というのはその中間だ。

 もっとも、これはそれほど驚くには値しない。インドネシアのフローレス島では1万2千年前にホモ・エレクトスの小型化(島嶼化)したような、現生人類でもネアンデルタール人でもない初期人類が発見されている。

 ホモ・エレクトスは現生人類やネアンデルタール人の共通の祖先が誕生した跡も、一気に入れ替わったのではなく、徐々に入れ替わったのであれば、その最後の生き残りが4万年前のロシアにいたとしてもおかしくないし、海に隔てられたフローレス島では1万2千年前まで生きながらえていた。(ひところイエティはネアンデルタール人の生き残りではないかという説があったが、こうした未知の人類の伝承や古典的なところではゴブリンやトロルなどの妖精の伝承なども、数万年前の記憶が語り伝えられてきた結果なのかもしれない。)