初表
いざ折て人中見せん山桜 雪柴
懐そだちの谷のさわらび 正友
鼻紙の白雪残る方もなし 松意
楊枝の先に風わたる也 卜尺
朝ぼらけ氷をたたく手水鉢 松臼
なぐる一銭霜に寒ゆく 在色
今日の月宿かる橋にあめ博奕 志計
馬士籠かき秋の雲介 一鉄
初裏
御上使や勢ひ猛にわたる鴈 一朝
草木黄みすでに落城 執筆
獄門の眼にそそぐ露時雨 正友
にせ金ふきし跡のうき雲 雪柴
看板に風もうそぶく虎つかひ 卜尺
十郎なまめき 松意
挙屋入たがひにゑいやと引力 在色
成ほどおもき恋のもと綱 松臼
上り舟やさすが難所の泪川 一鉄
さかまく水に死骸たづぬる 志計
すつぽんは波間かき分失にけり 雪柴
からさけうとき蓼の葉の露 一朝
楽や月花同じ糂粏瓶 松臼
世間をよそに春の山風 正友
二表
抹香の煙をぬすめ薄霞 松意
卒塔婆の文字に帰る雁金 卜尺
破損舟名こそおしけれ薩摩潟 志計
かくなり果て肩に棒の津 在色
玉章に腸を断なま肴 一朝
ああ鳶ならば君がかたにぞ 一鉄
すて詞こはよせじとの縄ばりか 正友
おもひは色に出し葉たばこ 雪柴
若後家や油ひかずの髪の露 卜尺
おりやうのしめしすむ胸の月 松臼
鹿の角きのふは今日のびんざさら 在色
をどりはありやありや山のおくにも 松意
今ぞ引宮木にみねの松丸太 一鉄
禰宜も算盤三一六二 志計
二裏
注連にきるあまりを以帳にとぢ 雪柴
かざりの竹をうぐひすの声 一朝
袴腰山もかすみて門の前 松臼
八丁鉦もさへかへるそら 正友
莚なら一枚敷ほど雪消て 松意
飼付による雉子鳴也 卜尺
山城の岩田の小野の地侍 志計
そうがう額尾花波よる 在色
夕間暮なく虫薬虫ぐすり 一朝
あれ有明のののさまを見よ 一鉄
山颪の風うちまねくぬり団 正友
麓のまつりねるせうぎ持チ 雪柴
神木の余花は袂に色をかし 卜尺
垢離かく水の影をにごすな 松臼
三表
うごきなき岩井に立る売僧坊 在色
無辺なりけり山のむら雲 松意
一流の寸鑓の先や時雨るらん 一鉄
分捕高名冬陣にこそ 志計
焼あとに残る松さへさびしくて 雪柴
三昧原に夕あらしふく 一朝
千日をむすぶ庵の露ふかし 松臼
邪見の心に月はいたらじ 正友
長き夜も口説其間に明はなれ 松意
なみだの末は目やにとぞなる 卜尺
記念とはおもはぬ物をふくさもの 志計
あらためざるは父の印判 在色
借金や長柄の橋もつくる也 一朝
しまつらしきを何にたとへん 一鉄
三裏
初嫁は飯がい取てわたくしなし 正友
家子が中言うらみなるべし 雪柴
返事神ぞ神ぞとかく計 卜尺
あはれふかまを待し俤 松臼
友だちのかはらでつもる物語 在色
十万億の後世のみちすぢ 松意
珠数袋こしをさる事すべからず 一鉄
隠居の齢ひ山の端の雲 志計
御病者は三室の奥の下屋敷 雪柴
ただ好色にめづる月影 一朝
虫の声かかるも同じぬめりぶし 松臼
釜中になきし黒豆の露 正友
あをによし奈良茶に花の香をとめて 松意
一座の執筆鳥のさへづり 卜尺
名残表
遠近の春風まねく勢揃 志計
山もかすみてたつ番がはり 在色
大伽藍雲に隔たる朝朗 一朝
つとめの鐘に仏法僧なく 一鉄
煩悩の夢はやぶれし古衾 正友
小部屋の別れおしむ妻蔵 雪柴
玉ぶちの笠につらぬく泪しれ 卜尺
かたじけなさの恋につらるる 松臼
かはらじと君が詞のやき鼠 在色
鶉ごろものしきせ何ぞも 松意
見世守り床の山風夜寒にて 一鉄
秤のさらにあふみ路の月 志計
合薬や松原さして匂ふらん 雪柴
真砂長じて石火矢の音 一朝
名残裏
敵味方海山一度にどつさくさ 松臼
浄瑠璃芝居須磨の浦風 正友
巾着や三とせは爰にすりからし 松意
傾城あがり新まくらする 在色
伊達衣今は小夜ぎの袖はへて 志計
旅のり物に眠る老らく 卜尺
道の記やちりかいくもる四方の花 一朝
あふのく山の春雨のそら 一鉄
参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)
発句
いざ折て人中見せん山桜 雪柴
山桜というと、
もろともにあはれと思へ
山桜花よりほかに知る人もなし
行尊(金葉集)
の歌は百人一首でもよく知られている。その知る人もない山桜を見せて進ぜよう、というわけだ。
山の中にひっそりと咲く花は、貞節を重んじる儒教では蘭の花の役割だが、日本では隠遁者に、山奥にひっそり咲く山桜のイメージになる。
江戸の市井に潜んでいる市隠たちに、俳諧の席でその姿を現してやろうではないか、という意気込みもあってのことだろう。
季語は「山桜」で春、植物、木類。「人」は人倫。
脇
いざ折て人中見せん山桜
懐そだちの谷のさわらび 正友
(いざ折て人中見せん山桜懐そだちの谷のさわらび)
「懐そだち」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「懐育」の解説」に、
「〘名〙 懐に抱かれて育つこと。親の手許で大切に養育されること。
※浮世草子・世間娘容気(1717)一「十六七になっても親の懐(フトコロ)そだちとて恋の道にうとく」
とある。
前句の山桜に谷の早蕨を添える。山を降りる隠士が娘を連れてきたようなイメージだ。でも、早蕨は花見の酒の肴に食べられてしまうが。
季語は「さわらび」で春、植物、草類。「谷」は山類。
第三
懐そだちの谷のさわらび
鼻紙の白雪残る方もなし 松意
(鼻紙の白雪残る方もなし懐そだちの谷のさわらび)
早蕨に雪解け、懐に鼻紙での展開で、親に甘やかされて育ったから、懐の金もすぐに使い果たしてしまったのだろう。懐には鼻紙すら残っていない。
季語は「白雪残る」で春、降物。
四句目
鼻紙の白雪残る方もなし
楊枝の先に風わたる也 卜尺
(鼻紙の白雪残る方もなし楊枝の先に風わたる也)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、
「『男女ともに楊枝さしと云へるもの昔はなく、はながみの間に入るまでなり』(嬉遊笑覧)。」
とある。
鼻紙がなければ楊枝が風にさらされる。『荘子』の「唇竭則歯寒(唇がなければ葉が寒い)」の心だろう。
無季。
五句目
楊枝の先に風わたる也
朝ぼらけ氷をたたく手水鉢 松臼
(朝ぼらけ氷をたたく手水鉢楊枝の先に風わたる也)
風が氷を叩くという趣向は和歌にもあり、
池水のさえはてにける冬の夜は
氷をたたく芦のした風
藤原為家(為家千首)
の歌などがある。前句の楊枝を柳の枝と取り成し、その風が朝の手水鉢の氷を叩く。
季語は「氷」で冬。
六句目
朝ぼらけ氷をたたく手水鉢
なぐる一銭霜に寒ゆく 在色
(朝ぼらけ氷をたたく手水鉢なぐる一銭霜に寒ゆく)
「寒ゆく」は「さえゆく」。「氷をたたく」というと、
もとめけるみ法の道の深ければ
氷をたたく谷川の水
藤原定家(続拾遺集)
の歌もある。
岩間とぢし氷も今朝は解け初めて
苔の下水道もとむらむ
西行法師(新古今集)
の歌を踏まえたものであろう。谷川の水が氷りを割って流れ出す道を求めるように、我もまた氷を叩いて仏道を求めんという歌だ。
寺の手水鉢の氷の解けるのに道を求める、ということにして賽銭を投げる。
季語は「霜」で冬、降物。
七句目
なぐる一銭霜に寒ゆく
今日の月宿かる橋にあめ博奕 志計
(今日の月宿かる橋にあめ博奕なぐる一銭霜に寒ゆく)
「あめ博奕」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に「飴宝引」とある。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飴宝引」の解説」に、
「〘名〙 子供相手の飴売りが飴を賞品にして子供に引かせる福引き。《季・新年》
※雑俳・三尺の鞭(1753)「能ひ日和・あめ宝引も一里出る」
とある。
ただ、ここでは正月でもない月の頃の飴博奕なので、大人向けのものもあったか。商品も大人向けのものなのだろう。本当に当たりがあるのかどうか怪しいもんだが。
季語は「月」で秋、夜分、天象。「橋」は水辺。
八句目
今日の月宿かる橋にあめ博奕
馬士籠かき秋の雲介 一鉄
(今日の月宿かる橋にあめ博奕馬士籠かき秋の雲介)
月に雲ということで雲助を出す。雲助はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「雲助」の解説」に、
「① 江戸時代、住所不定の道中人足。宿駅で交通労働に専従する人足を確保するために、無宿の無頼漢を抱えておき、必要に応じて助郷(すけごう)役の代わりに使用したもの。くも。
※俳諧・桃青三百韻附両吟二百韻(1678)延宝五之冬「雲助のたな引空に来にけらし〈信徳〉 幽灵(ゆうれい)と成て娑婆の小盗〈芭蕉〉」
② 下品な者や、相手をおどして暴利をむさぼる者などをののしっていう。
※甘い土(1953)〈高見順〉「気の弱そうなこの男が、一時は『雲助』とまで言われた流しの運転手を、よくやれたものだ」
とある。
宿場の橋のあるあたりに仕事を終えて戻ってきた人たちだろう。例文にもあるが、延宝五年冬の「あら何共なや」の巻八十一句目に、
かた荷はさいふめてはかぐ山
雲助のたな引空に来にけらし 信徳
の句がある。
こうした職業の人たちの一部に、悪い奴もいたのだろう。近代でもトラックやタクシーの運転手の蔑称として用いられている。
季語は「秋」で秋。旅体。「馬士籠かき」は人倫。
九句目
馬士籠かき秋の雲介
御上使や勢ひ猛にわたる鴈 一朝
(御上使や勢ひ猛にわたる鴈馬士籠かき秋の雲介)
御上使はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「上使」の解説」に、
「① 幕府、朝廷、主家など上級権力者から公命を帯びて派遣される使い。
※百丈清規抄(1462)一「達魯花赤は監郡ぞ。日本の上使と云やうな官人也」
② 江戸幕府から諸大名などに将軍の意(上意)を伝えるために派遣した使者。先方の身分などによって、老中、奏者番、高家(こうけ)、小姓、使番などが適宜任ぜられた。
※男重宝記(元祿六年)(1693)一「あるひは上意(じゃうゐ)、上使(シ)、上聞、上覧などと、公方家には上の字を付ていふ也」
とある。
雲助なんておとなしいもので、人を蹴散らしてゆく御上使の方がよっぽど乱暴だ。秋の雲に雁が付くが、隊列を組んでるということで御上使を狩りに喩えるが、随分乱暴な雁もいたものだ。
季語は「わたる鴈」で秋、鳥類。「御上使」は人倫。
十句目
御上使や勢ひ猛にわたる鴈
草木黄みすでに落城 執筆
(御上使や勢ひ猛にわたる鴈草木黄みすでに落城)
猛烈な勢いで通り過ぎて行く御上使は、落城を知らせるためのものだった。
季語は「草木黄み」で秋、植物。
十一句目
草木黄みすでに落城
獄門の眼にそそぐ露時雨 正友
(獄門の眼にそそぐ露時雨草木黄みすでに落城)
落城し、城主は獄門さらし首になる。前句の「草木黄み」に泪の「露時雨」を添える。
季語は「露時雨」で秋、降物。
十二句目
獄門の眼にそそぐ露時雨
にせ金ふきし跡のうき雲 雪柴
(獄門の眼にそそぐ露時雨にせ金ふきし跡のうき雲)
「贋金はどこの国、いつの時代にもあるもので、ウィキペディアには、
「日本では古くは私鋳銭と呼ばれ、大宝律令にはこれを処罰する規定が定められているが、和同開珎発行後に最高刑が死罪まで引き上げられた。私鋳銭とは、日本の朝廷が発行した貨幣以外の貨幣を指すものとされ、平安時代末期には宋銭などの渡来銭が私鋳銭にあたるかどうかについて、貴族や明法家などの間で議論された。実際に渡来銭を私鋳銭と同じとみなして宋銭禁止令が発令されたこともある。だが、皇朝十二銭以後、日本政府が貨幣を発行することはなくなり、一方で貨幣経済の発達により社会からは一定の貨幣供給量が求められることとなり、不足する貨幣を渡来銭で補う以外に選択肢はなかった。渡来銭を流通させてもなお貨幣供給量は不足し、私鋳銭の鋳造は日本全国でごく一般的に行われた。江戸幕府による三貨体制の確立にいたって、銭貨の私鋳はすべて贋金として禁止された。」
とある。銭の鋳造はコストの点であまり割の良いものではない。むしろ通貨供給の不足を防ぐ意味もあって、中世では容認されるような所もあったのだろう。
金は真鍮、銀は鉛や錫などで、オリジナルから鋳型を取れば、容易に作れたのではないかと思う。そのため贋金は後を絶たず、そのために獄門さらし首にして見せしめにする必要もあったのだろう。
無季。「うき雲」は聳物。
十三句目
にせ金ふきし跡のうき雲
看板に風もうそぶく虎つかひ 卜尺
(看板に風もうそぶく虎つかひにせ金ふきし跡のうき雲)
見世物小屋だろうか。看板に「虎使い」とあっても嘘っぽい。
捕まらずにすんだか、下っ端で釈放された贋金作りが、その後も地方を転々と浮雲のような生活をしては、怪しげな見世物小屋を出す。
無季。「虎」は獣類。
十四句目
看板に風もうそぶく虎つかひ
十郎なまめき 松意
(看板に風もうそぶく虎つかひ十郎なまめき )
元から下七がなかったようだ。意図的な伏字で、まあ御想像に、ということか。
前句の虎を『曽我物語』の遊女虎御前とするが、「看板に」とあるから、野郎歌舞伎の虎御前役の女形であろう。曾我の討入よりも十郎と虎御前とのチョメチョメの場面の方が人気を博してたりして。二流の劇団だとありそうなことだ。
無季。恋。
十五句目
十郎なまめき
挙屋入たがひにゑいやと引力 在色
(挙屋入たがひにゑいやと引力十郎なまめき )
挙屋は遊郭の揚屋。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「揚屋入」の解説」に、
「〘名〙 遊女が客に呼ばれて遊女屋から揚屋に行くこと。また、その儀式。前帯、裲襠(うちかけ)の盛装に、高下駄をはき、八文字を踏み、若い衆、引舟、禿(かむろ)などを従え、華美な行列で練り歩いた。おいらん道中。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「挙屋入たがひにゑいやと引力に〈在色〉 成ほどおもき恋のもと綱〈松臼〉」
とある。
この頃の遊郭は双方の同意を必要としたので、「たがひにゑいやと引力」となる。
「たがひにゑいやと引力」の言葉は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、謡曲『八島』の、
ツレ「景清追つかけ三保の谷が、
シテ「着たる兜の錣を摑んで、
ツレ「後へ引けば三保の谷も、
シテ「身を遁れんと前へ引く。
ツレ「互ひにえいやと、
シテ「引く力に、
地 鉢附の板より、引きちぎつて、左右へくわつとぞ退きにけるこれを御覧じて判官、お馬を汀にうち寄せ給へば、佐藤継信能登殿の矢先にかかつて」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.15435-15452). Yamatouta e books. Kindle 版. )
の場面を引いている。三保の谷は謡曲では四郎となっているが、『平家物語』では十郎になっているという。
無季。恋。
十六句目
挙屋入たがひにゑいやと引力
成ほどおもき恋のもと綱 松臼
(挙屋入たがひにゑいやと引力成ほどおもき恋のもと綱)
もと綱はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「元綱」の解説」に、
「〘名〙 車などに綱をつけて引く時の、その綱のもとの方。また、それを引く人。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「挙屋入たがひにゑいやと引力に〈在色〉 成ほどおもき恋のもと綱〈松臼〉」
とある。「えいや」と引くというので、車を引くイメージにする。
無季。恋。
十七句目
成ほどおもき恋のもと綱
上り舟やさすが難所の泪川 一鉄
(上り舟やさすが難所の泪川成ほどおもき恋のもと綱)
もと綱を船を引く綱とし、恋の舟の難所は泪川だとする。
泪川はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「涙川」の解説」に、
「[1] 涙が多く流れることを、川にたとえた語。川のように流れる涙。涙の川。
※班子女王歌合(893頃)「人知れずしたに流るるなみだがはせきとどめなむ影やみゆると」
[2] 地名。伊勢国の歌枕。和訓栞に、一志郡の川という。
※後撰(951‐953頃)離別・一三二七「男の伊勢の国へまかりけるに 君がゆく方に有りてふ涙河まづは袖にぞ流るべらなる」
とある。
無季。恋。「舟」は水辺。「泪川」は名所、水辺。
十八句目
上り舟やさすが難所の泪川
さかまく水に死骸たづぬる 志計
(上り舟やさすが難所の泪川さかまく水に死骸たづぬる)
泪川に浮かぶ舟は入水した人を探している。『源氏物語』の浮舟であろう。二人の男に板挟みになって入水するというのは古くからの物語のパターンで、『万葉集』そういう設定で歌を競わせるというのがある。また、『竹取物語』は入水はしないが月が冥府の象徴であるなら、このパターンになる。
無季。「さかまく水」は水辺。
十九句目
さかまく水に死骸たづぬる
すつぽんは波間かき分失にけり 雪柴
(すつぽんは波間かき分失にけりさかまく水に死骸たづぬる)
「鼈人を食わんとして却って人に食わる」という言葉があるが、かつては人を食うと考えられていたのだろうか。噛みついたら放さないとはよく言われるが。
無季。「波間」は水辺。
二十句目
すつぽんは波間かき分失にけり
からさけうとき蓼の葉の露 一朝
(すつぽんは波間かき分失にけりからさけうとき蓼の葉の露)
「からさけうとき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、『徒然草』三十段の「骸は気うとき山の中におさめて」のもじりとある。
元ネタだと屍(しかばね)のことで、打越に被ってしまうので、この意味にとることはできない。
「けうとき」は気味が悪いという意味もあるので、スッポンの殻(甲羅)は柔らかくて気味が悪いという意味になり、波間をかき分け、蓼の生い茂る中に逃げていった、とする。
ホンタデ(本蓼)やマタデ(真蓼)とも呼ばれるヤナギタデは水辺の湿地に生え、高さ50センチメートルほどになる。葉を蓼味噌にして食べる。
すっぽんも美味なので、逃げられたのは残念だ。
季語は「蓼の葉」で夏、植物、草類。「露」は降物。
二十一句目
からさけうとき蓼の葉の露
楽や月花同じ糂粏瓶 松臼
(楽や月花同じ糂粏瓶からさけうとき蓼の葉の露)
糂粏瓶はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「糂粏瓶」の解説」に、
「〘名〙 ぬかみそを入れるかめ。
※米沢本沙石集(1283)四「秦太瓶(シンタカメ)一つ也とも、執心とどまらん物は、棄つ可きとこそ心得て侍れ」
とある。この場合は中身は糠味噌ではなく蓼味噌だろう。
前句は空になったら困る蓼の葉の露(蓼味噌)と取り成される。
季語は「花」で春、植物、木類。「月」は夜分、天象。
二十二句目
楽や月花同じ糂粏瓶
世間をよそに春の山風 正友
(楽や月花同じ糂粏瓶世間をよそに春の山風)
春の桜に月もそろう楽しみに、糠味噌の瓶一つということで、ぬか漬けだけの質素な生活をする世捨て人として、世間を余所に、とする。
季語は「春」で春。「山風」は山類。
二十三句目
世間をよそに春の山風
抹香の煙をぬすめ薄霞 松意
(抹香の煙をぬすめ薄霞世間をよそに春の山風)
抹香はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「抹香・末香」の解説」に、
「① 沈香(じんこう)・栴檀(せんだん)などをついて粉末にした香。今は、樒(しきみ)の葉と皮とを乾燥し、細末にして製する。仏前で焼香のときに用いる。古くは仏塔・仏像などに散布した。
※往生要集(984‐985)大文二「復如意妙香。塗香抹香無量香。芬馥遍二満於世界一」 〔法華経‐提婆達多品〕
② =まっこうくじら(抹香鯨)〔本朝食鑑(1697)〕」
とある。第一百韻「されば爰に」の巻四十句目に「葉抹香」が出てきたが、
あかぬ別に申万日
移り香の袖もか様に葉抹香 在色
の句も万日回向で用いられていた香だから、大勢の参拝者のために大量に用いる抹香が葉抹香なのか。沈香・栴檀などを用いない樒で作った安価な抹香と考えていいのだろう。
風が強いと霞もかかりにくいので、抹香の煙で春の霞としたい、ということで、「世間をよそに」はお寺か墓所など亡くなった人を供養する場所の意味になる。
季語は「薄霞」で春、聳物。
二十四句目
抹香の煙をぬすめ薄霞
卒塔婆の文字に帰る雁金 卜尺
(抹香の煙をぬすめ薄霞卒塔婆の文字に帰る雁金)
卒塔婆の一行に書かれた文字列を雁の列に見立てる。
季語は「帰る雁金」で春、鳥類。無常。
二十五句目
卒塔婆の文字に帰る雁金
破損舟名こそおしけれ薩摩潟 志計
(破損舟名こそおしけれ薩摩潟卒塔婆の文字に帰る雁金)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注にもあるように、『平家物語』の「卒塔婆流し」とする。
「康頼入道、故郷の恋しきままに、せめての謀に千本の卒塔婆を作り、阿の梵字、年号月日、仮名実名、二首の歌をぞ書いたりける。
薩摩潟沖の小島に我ありと
親には告げよ八重の潮風
思ひやれしばしと思ふ旅だにも
なほ故郷は恋しきものを
これを浦に持って出でて、『南無帰命頂礼、梵天帝釈、四大天王、堅牢地神、王城の鎮守諸大明神、殊には熊野権現、厳島大明神、せめては一本なりとも、都へ伝へてたべ』とて、沖津白波の、寄せては返るたびごとに、卒塔婆を海にぞ浮かべける。‥‥略‥‥千本の卒塔婆の中に、一本、安芸国厳島の大明神の御前の渚に打ち上げたり。」(『平家物語』巻二、卒塔婆流)
流罪の身を「破損船」で遭難したことに変える。
なお、薩摩潟は「薩摩方」で薩摩の南方の海一帯を指す。
無季。「破損舟」は水辺。旅体。「薩摩潟」は名所、水辺。
二十六句目
破損舟名こそおしけれ薩摩潟
かくなり果て肩に棒の津 在色
(破損舟名こそおしけれ薩摩潟かくなり果て肩に棒の津)
舟を壊したことで六尺棒で取り押さえられたか。棒に薩摩の坊津の地名を掛ける。
無季。「棒の津」は名所、水辺。
二十七句目
かくなり果て肩に棒の津
玉章に腸を断なま肴 一朝
(玉章に腸を断なま肴かくなり果て肩に棒の津)
傾城に金を使い果たして魚屋に身を落とし、天秤棒を担ぐ。
生魚は昔は鮮度を保つのが難しい上、アニサキスによる食中毒も多く、文字通り腸を断つ。
無季。
二十八句目
玉章に腸を断なま肴
ああ鳶ならば君がかたにぞ 一鉄
(玉章に腸を断なま肴ああ鳶ならば君がかたにぞ)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『伊勢物語』十段の、
みよしののたのむの雁もひたぶるに
君が方にぞよると鳴くなる
の歌を引いている。
前句が「なま肴」なので、生魚を食う鳶ならば、とする。
無季。恋。「鳶」は鳥類。
二十九句目
ああ鳶ならば君がかたにぞ
すて詞こはよせじとの縄ばりか 正友
(すて詞こはよせじとの縄ばりかああ鳶ならば君がかたにぞ)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は『徒然草』十段の、
「後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、
「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心さばかりにこそ」
とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮の、おはします小坂殿の棟に、いつぞや縄をひかれたりしかば、かの例思ひ出でられ侍りしに、
「まことや、烏の群ゐて池の蛙をとりければ、御覧じかなしませ給ひてなん」
と人の語りしこそ、さてはいみじくこそと覚えしか。徳大寺にも、いかなる故か侍りけん。」
を引いている。鳶はカラスの天敵なので、鳶を追払うとカラスが増えるという話だ。
句の方は、鳶になって逢いに行きたいのに、遊郭を出禁になってしまい、「これは鳶除けの繩張りか」と捨て台詞を言う。
無季。恋。
三十句目
すて詞こはよせじとの縄ばりか
おもひは色に出し葉たばこ 雪柴
(すて詞こはよせじとの縄ばりかおもひは色に出し葉たばこ)
煙草は注連縄のような縄に葉の軸の部分編み込んで乾燥させる。
干されて顔色を変えて行き、捨て台詞を吐く。
季語は「葉たばこ」で秋。
三十一句目
おもひは色に出し葉たばこ
若後家や油ひかずの髪の露 卜尺
(若後家や油ひかずの髪の露おもひは色に出し葉たばこ)
若後家となって、髪を油で整えることもなくなり、髪の色も葉煙草のように茶色くなってゆく。悲しい思いは傍目にもわかる。
季語は「露」で秋、降物。恋。「若後家」は人倫。
三十二句目
若後家や油ひかずの髪の露
おりやうのしめしすむ胸の月 松臼
(若後家や油ひかずの髪の露おりやうのしめしすむ胸の月)
「おりやう」は御寮で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「御寮」の解説」に、
「① 比丘尼(びくに)、尼、特にその長として取り締まりに当たる者。→御庵(おあん)。
※天正本狂言・比丘貞(室町末‐近世初)「うとくなるおりゃうをゑぼしおやにせんとゆふ」
② 狂言面の一つ。「比丘貞(びくさだ)」「庵の梅(いおりのうめ)」など、老尼の登場するものに用いる。
③ 江戸時代、売春婦の一種であった歌比丘尼、勧進比丘尼の称。特にその元締め。
※仮名草子・都風俗鑑(1681)四「比丘尼の住所は〈略〉功齢(こうれう)へては御寮(オレウ)と号す」
とある。
比丘尼に諭されて、胸の曇りも取れてゆく。
季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「おりやう」は人倫。
三十三句目
おりやうのしめしすむ胸の月
鹿の角きのふは今日のびんざさら 在色
(鹿の角きのふは今日のびんざさらおりやうのしめしすむ胸の月)
「びんざさら」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「編木・拍板」の解説」に、
「① 民俗芸能の打楽器の一つ。短冊形の薄い板を数十枚連ねて上方を紐で綴じ合わせたもの。両端を握って振り合わせて音を出す。ささら。
※洛陽田楽記(1096)「永長元年之夏、洛陽大有二田楽之事一〈略〉高足一足、腰鼓、振鼓、銅鈸子、編木(びんざさら)、殖女養女之類、日夜無レ絶」
② ①を持ってする踊り。田楽踊(でんがくおどり)。びくざさら。
※文安田楽能記(1446)「次田楽。先中門口。びんざさら。菊阿彌。笛。玉阿彌 着二花笠一。高足駄をはく」
とある。
弥生時代の遺跡からは鹿の角のササラが出土したというが、この時代にも鹿の角のササラがあったか。
季語は「鹿」で秋、獣類。
三十四句目
鹿の角きのふは今日のびんざさら
をどりはありやありや山のおくにも 松意
(鹿の角きのふは今日のびんざさらをどりはありやありや山のおくにも)
前句を鹿踊りとする。ウィキペディアに、
「シカの頭部を模した鹿頭とそれより垂らした布により上半身を隠し、ささらを背負った踊り手が、シカの動きを表現するように上体を大きく前後に揺らし、激しく跳びはねて踊る。」
とある。
「山のおくにも」は言わずと知れた、
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
藤原俊成(千載集)
による。山の奥にも鹿踊りがある。
季語は「をどり」で秋。「山のおく」は山類。
三十五句目
をどりはありやありや山のおくにも
今ぞ引宮木にみねの松丸太 一鉄
(今ぞ引宮木にみねの松丸太をどりはありやありや山のおくにも)
諏訪大社の御柱祭の木落としであろう。今は樅の木を用いるが、かつてはカラマツや杉なども用いていたという。松を用いることもあったのかもしれない。
無季。神祇。「みね」は山類。
三十六句目
今ぞ引宮木にみねの松丸太
禰宜も算盤三一六二 志計
(今ぞ引宮木にみねの松丸太禰宜も算盤三一六二)
神社の造営にも金がかかるので、材木の価格など、算盤をはじく。「三一六二」の数字の意味はよくわからない。
無季。神祇。
三十七句目
禰宜も算盤三一六二
注連にきるあまりを以帳にとぢ 雪柴
(注連にきるあまりを以帳にとぢ禰宜も算盤三一六二)
禰宜のつける帳簿だから、綴じるのに注連縄の余りを使う。
無季。神祇。
三十八句目
注連にきるあまりを以帳にとぢ
かざりの竹をうぐひすの声 一朝
(注連にきるあまりを以帳にとぢかざりの竹をうぐひすの声)
「かざりの竹」は門松に用いる竹。二句去りで「松丸太」があるため竹にしたか。
正月の注連飾りをし、賭け乞いも終わると帳簿も閉じる。
季語は「うぐひす」で春、鳥類。
三十九句目
かざりの竹をうぐひすの声
袴腰山もかすみて門の前 松臼
(袴腰山もかすみて門の前かざりの竹をうぐひすの声)
袴腰はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袴腰」の解説」に、
「① 袴の後ろの腰にあたる部分。男子用のは、中に長方形で上のそげた厚紙、または薄い板を入れて仕立てる。袴の腰。袴の山。
※俳諧・毛吹草(1638)三「山〈略〉袴腰」
② (①の形から) 四辺形の一種。台形。梯形。また、その形をした土手、または女の額の剃りようなど。
※評判記・色道大鏡(1678)三「顔(ひたい)の取りやうは、〈略〉瓦燈がた、袴(ハカマ)ごし、かたく是を制す」
③ 袴の腰の形をした香炉のこと。中国宋代の青磁器に多い。
④ 弁才船のやぐらの一部材。やぐら控(梁)と矢倉板の間にあって、矢倉根太と歩桁(あゆみ)とをささえる①の形状の材。〔新造精帳書(1863)〕」
とある。元は①の意味で、あとは台形をしたものを呼ぶのに転用したものだろう。ここでは台形の山も霞んで、ということか。
季語は「かすみ」で春、聳物。「山」は山類。「門」は居所。
四十句目
袴腰山もかすみて門の前
八丁鉦もさへかへるそら 正友
(袴腰山もかすみて門の前八丁鉦もさへかへるそら)
八丁鉦はコトバンクの「世界大百科事典内の八丁鉦の言及」に、
「…鉦をたたいて経文を唱え,門付などをして喜捨を乞う僧形の下級宗教芸能者。近世初期には〈八丁鉦(はつちようがね)〉とか〈やつからかね〉と称して,若衆が鉦を八つ円形に並べたものを打ち分ける芸能があったが,のちには鉦八つを首に掛け,曲打ちを見せ,僧形の連れが喜捨を求めた。なお首に掛けた鉦を打つ門付芸能者としては,僧形の歌念仏,頭に水を入れた手桶を載せ即席の流れ灌頂(かんぢよう)をした行人鳥足(ぎようにんとりあし)などもいた。…」
とある。正月の角付け芸の一つだったのだろう。
「さへる」は冬だが、「さへかへる」は冬の冴えが春にまた戻って来るという意味で、春になる。
季語は「さへかへる」で春。
四十一句目
八丁鉦もさへかへるそら
莚なら一枚敷ほど雪消て 松意
(莚なら一枚敷ほど雪消て八丁鉦もさへかへるそら)
八丁鉦の芸で敷いた莚一枚分だけが一時的に雪が見えなくなる。つまり一面真っ白の雪が積もっている、ということだが、言葉としては「雪消て」で春になる。
季語は「雪消て」で春、降物。
四十二句目
莚なら一枚敷ほど雪消て
飼付による雉子鳴也 卜尺
(莚なら一枚敷ほど雪消て飼付による雉子鳴也)
雉子はここでは「きぎす」。筵の上で篭に入った雉が鳴く。
季語は「雉子」で春、鳥類。
四十三句目
飼付による雉子鳴也
山城の岩田の小野の地侍 志計
(山城の岩田の小野の地侍飼付による雉子鳴也)
きゞすなく岩田の小野のつぼすみれ
しめさすばかりなりにけるかな
藤原顕季(千載集)
の縁で、「きぎす」に岩田の小野が付く。今の京都市伏見区石田の辺りになる。
地侍はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「地侍」の解説」に、
「〘名〙 南北朝から戦国時代にかけて、荘園、郷村に勢力をもち、戦乱や一揆の際に現地の動向を指導した有力名主層出身の侍。広範な所領をもって一部を手作りし、一部を小作させた。戦国時代には諸大名の家臣となった。また、幕府や諸大名家に属する武士に対して、在野の武士、土豪をもいう。じざぶらい。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山城の岩田の小野の地侍〈志計〉 そうがう額尾花波よる〈在色〉」
とある。食用として雉の飼育も行っていたか。
無季。「地侍」は人倫。
四十四句目
山城の岩田の小野の地侍
そうがう額尾花波よる 在色
(山城の岩田の小野の地侍そうがう額尾花波よる)
そうがう額は総髪額で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「総髪額」の解説」に、
「〘名〙 生え際の髪を抜いて広く作った額。→十河額(そごうびたい)。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山城の岩田の小野の地侍〈志計〉 そうがう額尾花波よる〈在色〉」
とある。「精選版 日本国語大辞典「十河額」の解説」には、
「〘名〙 江戸前期、正保・慶安(一六四四‐五二)ごろに流行した深く剃り込んだ額。形は円くなく四角でなく、撫角(なでかく)のもので、鬢髪(びんぱつ)の薄い人などが、生えぎわの毛を深く剃り込んで作った額。十河某なる人の月代(さかやき)の形を模したものとも、総髪(そうごう)びたいの意ともいう。唐犬額。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浄瑠璃・通俗傾城三国志(1708)二「大なでつけのすみびたい、男じまんにはいくはいし、そがうびたいと世にたかく」
とある。前句の小野の地侍というと、こういう髪型のイメージだったのだろう。
薄が原が風で波打つ中に佇んでそうだ。
季語は「尾花」で秋、植物、草類。
四十五句目
そうがう額尾花波よる
夕間暮なく虫薬虫ぐすり 一朝
(夕間暮なく虫薬虫ぐすりそうがう額尾花波よる)
前句を薬売りとする。
鶉鳴く真野の入江の浜風に
尾花なみよる秋の夕暮れ
源俊頼(金葉集)
の縁で「夕間暮」とする。
季語は「なく虫」で秋、虫類。
四十六句目
夕間暮なく虫薬虫ぐすり
あれ有明のののさまを見よ 一鉄
(夕間暮なく虫薬虫ぐすりあれ有明のののさまを見よ)
「のの」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「のの」の解説」に、
「〘名〙 幼児語。神・仏や日・月など、すべて尊ぶべきものをいう語。のんのん。
※狂歌・堀河百首題狂歌集(1671)秋「みどり子のののとゆびさし見る月や教へのままの仏成らん」
※浄瑠璃・小野道風青柳硯(1754)三「仏(ノノ)参ろ、と仏(ほとけ)頼むも」
とある。ここでは「月」の語をあえて隠して、前句が子供の癇の虫の薬なので、幼児言葉を用いる。
夕暮れには虫が鳴いているが、やがて有明には虫の声も止んでゆくことを思え、と違え付けになる。
季語は「有明」で秋、夜分、天象。
四十七句目
あれ有明のののさまを見よ
山颪の風うちまねくぬり団 正友
(山颪の風うちまねくぬり団あれ有明のののさまを見よ)
「ぬり団(うちは)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗団扇」の解説」に、
「〘名〙 両面を漆で塗った網代団扇(あじろうちわ)。
※金沢文庫古文書‐正安二年(1300)七月二四日・極楽寺布施注文(五九七八)「塗打輪、三本、檀紙、十帖」
とある。
有明に山颪は、
ほのぼのと有明の月の月影に
紅葉吹きおろす山颪の風
源信明(新古今集)
の歌の縁になる。
季語は「ぬり団」で夏。「山颪」は山類。
四十八句目
山颪の風うちまねくぬり団
麓のまつりねるせうぎ持チ 雪柴
(山颪の風うちまねくぬり団麓のまつりねるせうぎ持チ)
前句の団扇を祭りの団扇とする。「せうぎ持チ」は腰掛を持ち歩く人で、草履持ち同様に小姓か。あるいは神輿を載せる台も床几というが、神輿が練り歩くと一緒に持ち歩く人がいたのか。
季語は「まつり」で夏。神祇。「麓」は山類。
四十九句目
麓のまつりねるせうぎ持チ
神木の余花は袂に色をかし 卜尺
(神木の余花は袂に色をかし麓のまつりねるせうぎ持チ)
余花は遅咲きの夏になって咲いた桜の花で、夏の季語になる。祭の頃に袂に桜が散って、その色が面白い。
季語は「余花」で夏、植物、木類。神祇。「袂」は衣裳。
五十句目
神木の余花は袂に色をかし
垢離かく水の影をにごすな 松臼
(神木の余花は袂に色をかし垢離かく水の影をにごすな)
垢離(こり)は水で身を清めることで、神道の禊に対して仏道では垢離という。
余花の花びらで水を濁すな。
無季。釈教。
五十一句目
垢離かく水の影をにごすな
うごきなき岩井に立る売僧坊 在色
(うごきなき岩井に立る売僧坊垢離かく水の影をにごすな)
売僧はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「売僧」の解説」に、
「〘名〙 (「まい」は「売」の慣用音、「す」は「僧」の唐宋音)
① 仏語。禅宗で、僧形で物品の販売などをした堕落僧。転じて、一般に僧としてあるまじき行為をする僧。不徳・俗悪学僧。また、僧侶をののしってもいう。売僧坊主。まいすぼん。
※壒嚢鈔(1445‐46)二「あきないするをば売僧(マイス)と云」
② 転じて、人をだましたり、うそをついたりする者。また、人をののしってもいう。売僧坊主。まいすぼん。〔日葡辞書(1603‐04)〕
③ いつわり。うそ。
※日葡辞書(1603‐04)「Maisuuo(マイスヲ) ユウ」
とある。①の最後にもあるが、「売僧坊」には「まいすぼん」とルビがある。
岩井の前に立って動かないというのは、もしかして立小便?
無季。釈教。
五十二句目
うごきなき岩井に立る売僧坊
無辺なりけり山のむら雲 松意
(うごきなき岩井に立る売僧坊無辺なりけり山のむら雲)
無辺は無量無辺で果てしないこと。売僧坊はただ雲を見てただけだった。疑って悪かった。
無季。「山」は山類。「むら雲」は聳物。
五十三句目
無辺なりけり山のむら雲
一流の寸鑓の先や時雨るらん 一鉄
(一流の寸鑓の先や時雨るらん無辺なりけり山のむら雲)
寸鑓は直鑓(すやり)で真っすぐな穂先のシンプルな鑓。
前句の「無辺」を槍の一流派の無辺流として、山のむら雲を突き刺したから時雨が降ってきたとする。
無辺流はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「無辺流」の解説」に、
「近世槍術(そうじゅつ)の一流派。大内流ともいう。流祖は出羽(でわ)国横手(よこて)(現秋田県横手市)の人、大内無辺(生没年不詳)。無辺は壮年より槍術を好み、平鹿(ひらが)の真人山(まひとやま)(秋田県横手市)に祈念して槍術の神妙を開悟したといい、その子上右衛門、孫清右衛門とよくその業を継ぎ、清右衛門の門人椎名靭負佐(しいなゆきえのすけ)は大坂夏の陣に従軍して功名をたて、その門人小泉七左衛門吉久は大坂に住み無辺流を広めた。一方、無辺の甥(おい)山本刑部(ぎょうぶ)宗茂(むねしげ)は、越後(えちご)国(新潟県)村松(むらまつ)から江戸に出て山本無辺流を唱えたが、その孫加兵衛久茂(かへえひさしげ)は名手の聞こえ高く、1637年(寛永14)柳生宗矩(やぎゅうむねのり)の別邸においてその妙技を将軍家光(いえみつ)の台覧に供したのをはじめ、しばしば台覧の栄を受け、1667年(寛文7)には男久明(ひさあきら)・久玄(ひさはる)を伴って将軍家綱(いえつな)の台覧を賜り、同年12月ついに御家人(ごけにん)に登用され、廩米(くらまい)200俵を給せられた。このほか羽州鶴岡(つるおか)の田村八右衛門秋義(あきよし)を祖とする無辺無極(むへんむきょく)流など、幾多の分流が全国に広がりをみせた。[渡邉一郎]」
とある。
季語は「時雨」で冬、降物。
五十四句目
一流の寸鑓の先や時雨るらん
分捕高名冬陣にこそ 志計
(一流の寸鑓の先や時雨るらん分捕高名冬陣にこそ)
大内流が名を上げるもとになったのは大坂夏の陣での椎名靭負佐の高名だが、その時の鑓はその前の冬の陣で時雨に紛れて拾ってきたものだった。嘘です。
分捕高名はコトバンクの「世界大百科事典内の分捕高名の言及」に、
「…ちなみに野伏(のぶし)などが活躍した後世の合戦では分捕勝手といって,単なる戦利品の略奪行為を意味するようになったが,元来は自己の戦功を示す証拠品として分捕した敵の首級とともに具足などを差し出す行為を意味した。それゆえに分捕は分捕高名などとも表現された。〈分捕高名と言ふ事は,其の首の一人の分を一人して取りたるを分捕高名と申すなり。…」
とある。
季語は「冬陣」で冬。
五十五句目
分捕高名冬陣にこそ
焼あとに残る松さへさびしくて 雪柴
(焼あとに残る松さへさびしくて分捕高名冬陣にこそ)
落城した大阪城の松であろう。冬の陣の分捕高名を思い出す。
無季。「松」は植物、木類。
五十六句目
焼あとに残る松さへさびしくて
三昧原に夕あらしふく 一朝
(焼あとに残る松さへさびしくて三昧原に夕あらしふく)
「三昧原」は三昧場で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「三昧場」の解説」に、
「〘名〙 仏語。葬場・火葬場もしくは墓地。三昧。〔書言字考節用集(1717)〕」
とある。火葬に用いた松の燃え残りが淋しい。
無季。無常。
五十七句目
三昧原に夕あらしふく
千日をむすぶ庵の露ふかし 松臼
(千日をむすぶ庵の露ふかし三昧原に夕あらしふく)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注には「千日念仏」とある。千日念仏は大阪の法善寺で行われていたもので、、ウィキペディアに、
「山城国宇治郡北山村に琴雲上人が開山として法善寺を建立する。寛永14年(1637年)、金比羅天王懇伝の故事により中誉専念上人が現在地に移転する。他説では、同年に現在の大阪市天王寺区上本町8丁目より現在地に移り、寛永21年(1644年)から千日念仏回向が始まったという。」
とあり、南地中筋商店街振興組合にホームページには、
「寛永14年(1637)、刑場や墓地が広がる現在の大阪市中央区難波の地に法善寺は建立されました。ここで刑に処された人や埋葬された人々の霊を慰めるための千日念仏を唱えていたことから通称「千日寺」と呼ばれるようになり、その門前で栄える街は「千日前」と称されました。」
とある。
季語は「露」で秋、降物。釈教。「庵」は居所。
五十八句目
千日をむすぶ庵の露ふかし
邪見の心に月はいたらじ 正友
(千日をむすぶ庵の露ふかし邪見の心に月はいたらじ)
千日念仏が刑死した人への弔いだから、庵をむすんだのはかつての悪行の仲間であろう。邪見を捨てれば仲間も成仏するが、悪行を繰り返すなら浮ばれない。真如の月の心に至ることはない。咎めてにはになる。
季語は「月」で秋、夜分、天象。
五十九句目
邪見の心に月はいたらじ
長き夜も口説其間に明はなれ 松意
(長き夜も口説其間に明はなれ邪見の心に月はいたらじ)
口説はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「口舌・口説」の解説」に、
「く‐ぜつ【口舌・口説】
〘名〙
① =くぜち(口舌)①②〔色葉字類抄(1177‐81)〕
※日葡辞書(1603‐04)「Cujetno(クゼツノ) キイタ ヒト〈訳〉おしゃべりな人。雄弁な人」
② 江戸時代、主として男女間の言いあいをいう。痴話げんか。くぜち。くぜ。
※評判記・難波物語(1655)「口説(クゼツ)などしても、銭なければ、はるべき手だてもなく」
とあり「くぜち(口舌)①②」は、
「① ことば。また、口先だけのもの言い。多弁。弁舌。くぜつ。こうぜつ。
② 言い争い。いさかい。口論。苦情。くぜつ。
※伊勢物語(10C前)九六「ここかしこより、その人のもとへいなむずなりとて、くせちいできにけり」
とある。
この場合は痴話げんかで、恋に転じたと見ていいだろう。
長い夜も言い争うだけで明けてしまい、せっかくの月の夜も無駄になる。
季語は「長き夜」で秋、夜分。恋。
六十句目
長き夜も口説其間に明はなれ
なみだの末は目やにとぞなる 卜尺
(長き夜も口説其間に明はなれなみだの末は目やにとぞなる)
一晩中言い争った涙はいつしか目やにになる。
目やには「眼脂」という皮膚の垢で、泣いたから出るというものでもないが。
無季。恋。
六十一句目
なみだの末は目やにとぞなる
記念とはおもはぬ物をふくさもの 志計
(記念とはおもはぬ物をふくさものなみだの末は目やにとぞなる)
記念は「かたみ」とルビがある。
「ふくさ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「袱紗・服紗・帛紗」の解説」に、
「① 糊(のり)を引いてない絹。やわらかい絹。略儀の衣服などに用いた。また、単に、絹。ふくさぎぬ。
※枕(10C終)二八二「狩衣は、香染の薄き。白き。ふくさ。赤色。松の葉色」
② 絹や縮緬(ちりめん)などで作り、紋様を染めつけたり縫いつけたりし、裏地に無地の絹布を用いた正方形の絹の布。贈物を覆い、または、その上に掛けて用いる。掛袱紗。袱紗物。
※浮世草子・好色一代男(1682)七「太夫なぐさみに金を拾はせて、御目に懸ると服紗(フクサ)をあけて一歩山をうつして有しを」
③ 茶道で、茶器をぬぐったり、茶碗を受けたり、茶入・香合などを拝見したりする際、下に敷いたりする正方形の絹の布。茶袱紗、使い袱紗、出袱紗、小袱紗などがある。袱紗物。
※仮名草子・尤双紙(1632)上「紫のふくさに茶わんのせ」
④ 本式でないものをいう語。
※洒落本・粋町甲閨(1779か)「『どうだ仙台浄瑠璃は』『ありゃアふくさサ』」
とある。②の袱紗で包んだものを袱紗物という。
一般的な贈り物に用いられるが、遊郭でも遊女への贈り物にも用いられたのだろう。その袱紗が形見になってしまい、涙を「拭く」さになる。
無季。恋。
六十二句目
記念とはおもはぬ物をふくさもの
あらためざるは父の印判 在色
(記念とはおもはぬ物をふくさものあらためざるは父の印判)
印判は花押の代わりに用いられる印鑑で、今日の実印の起源とも言えよう。
袱紗物が亡き父の形見だとは思わず、中を調べてもみなかったが、そこには父の印判があった。
印判そのものというよりは、印判を押してある遺言状が出てきたということだろう。まあ、遺産の分配でもめそうだ。
無季。「父」は人倫。
六十三句目
あらためざるは父の印判
借金や長柄の橋もつくる也 一朝
(借金や長柄の橋もつくる也あらためざるは父の印判)
長柄の橋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「長柄の橋」の解説」に、
「大阪市北区を流れていた長柄川に架けられていた橋。弘仁三年(八一二)現在の長柄橋付近に架橋されたといわれる。
※古今(905‐914)恋五・八二六「あふ事をながらの橋のながらへて恋渡るまに年ぞ経にける〈坂上是則〉」
[語誌](1)「難波なるながらのはしもつくる也今は我身を何にたとへん〈伊勢〉」〔古今‐雑〕のように古くなっていくものへの感慨を詠んだり、「芦間より見ゆるながらの橋柱昔の跡のしるべなりけり〈藤原清正〉」〔拾遺‐雑上〕のように朽ち残った橋柱によって往時を偲んだりする歌も詠まれた。
(2)この橋は淀川河口近くのため洪水による損壊も多く、そのため、人を生きながら柱に入れ、その霊によって柱を強化しようとする「人柱伝説」でも有名。謡曲「長柄」はこの人柱伝説を素材としたもの。」
とある。
難波なる長柄の橋もつくるなり
今はわが身を何にたとへむ
伊勢(古今集)
の「つくる」が「造る」なのか「尽くる」なのか、諸説あるようだ。「ながら」は「永らえる」に掛る。
この句の場合は、難波ということで「死一倍」ネタだろうか。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「死一倍」の解説」に、
「〘名〙 親が死んで遺産を相続したら、元金を倍にして返すという条件の証文を入れて借金すること。また、その借金や証文。江戸時代、借金手形による貸借は法令で禁止されていたが、主として大坂の富豪の道楽むすこなどがひそかに利用した。しいちばい。
※俳諧・大坂独吟集(1675)下「死一倍をなせ金衣鳥 耳いたき子共衆あるべく候 呉竹のよこにねる共ねさせまひ〈由平〉」
とある。
親の遺産を当てにして借金しまくって遊んでたが、親父の遺書をきちんと把握してなかったので、長柄の橋も尽きてしまった。
無季。「長柄の橋」は名所、水辺。
六十四句目
借金や長柄の橋もつくる也
しまつらしきを何にたとへん 一鉄
(借金や長柄の橋もつくる也しまつらしきを何にたとへん)
「しまつらしき」は「始末・らしき」か。始末はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「始末」の解説」に、
「① 事の始めと終わり。始めから終わりまで。終始。本末。首尾。
※史記抄(1477)四「いかに簡古にせうとても事の始末がさらりときこえいでは史筆ではあるまいぞ」 〔晉書‐謝安伝〕
② 事の次第。事情。特に悪い結果。
※蔭凉軒日録‐延徳二年(1490)九月六日「崇寿院主出二堺庄支証案文一説二破葉室公一。愚先開口云。始末院主可レ被レ白云々。院主丁寧説破」
※滑稽本・八笑人(1820‐49)二「オヤオヤあぶらだらけだ。コリャア大へんな始末だ」
③ (━する) 物事に決まりをつけること。かたづけること。しめくくり。処理。
※多聞院日記‐永祿十二年(1478)八月二〇日「同請取算用の始末の事、以上種々てま入了」
※草枕(1906)〈夏目漱石〉二「凡ての葛藤を、二枚の蹠に安々と始末する」
④ (形動) (━する) 浪費しないこと。倹約すること。また、そのさま。質素。
※日葡辞書(1603‐04)「Ximat(シマツ) アル ヒト」
※浮世草子・好色一代男(1682)七「藤屋の市兵衛が申事を尤と思はば、始末(シマツ)をすべし」
とある。④の意味なら、いかにも倹約しているような、つまりケチくさい、ということか。
借金をすれば長良の橋も作れるというのに、倹約臭さは何にたとえん、ということか。
無季。
六十五句目
しまつらしきを何にたとへん
初嫁は飯がい取てわたくしなし 正友
(初嫁は飯がい取てわたくしなししまつらしきを何にたとへん)
「飯がい」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「飯匙」の解説」に、
「〘名〙 飯を器物に移し盛るための道具。いがい。しゃくし。しゃもじ。
※伊勢物語(10C前)二三「手づからいゐかひ取りて、笥子(けこ)のうつは物に盛りけるを見て」
とある。
例文にある『伊勢物語』二十三段は有名な「筒井筒」で、高安の女が自分の手で飯匙を取って飯をよそってるのを見て、「心うがりて」通うのをやめるという場面だ。
自分で飯をよそうことの何が悪いのか、と現代人だと首をかしげる所だが、昔はその辺の作法が何かあったのだろう。近代では女房がみんなの飯をよそうのが当たり前みたいなところがあるが。
その習慣は江戸時代でも一緒だったのだろう。初めて迎えた嫁が自分で飯匙を取るのを見て、別に他意はないんだろうけどけち臭い、そういう感覚は平安時代から江戸時代まで変わらずにあったのだろう。
あるいは、最初の一杯は神仏に供えるため男が盛らなくてはいけない、というのを無視したということか。
無季。恋。「初嫁」は人倫。
六十六句目
初嫁は飯がい取てわたくしなし
家子が中言うらみなるべし 雪柴
(初嫁は飯がい取てわたくしなし家子が中言うらみなるべし)
家子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「家子」の解説」に、
「〘名〙 家の者。妻子、召使、弟子などの類。後世、特に「しもべ」の意に限っていう地方もある。いえのこ。
※竹取(9C末‐10C初)「然(しかる)に祿いまだ給はらず。是を給ひてわろきけこに給はせん」
※俳諧・芭蕉真蹟懐紙(酒に梅)(1685)「葛城の郡竹内に住人有けり。妻子寒からず、家子(けご)ゆたかにして、春田かへし、秋いそがはし」
[語誌](1)「いへのこ」の漢字表記「家子」の「家」を音読みした語と説かれる。「いへのこ」が古く「万葉集」にあるのに対して、「けご」は挙例の「竹取物語」の用例が最も古い。
(2)平安時代の貴族社会における「いへのこ」は名門の子弟などを指した。中世以降、「いへのこ」は従者の意も表わしたが、従者の中でも尊重される者に対して用いた。それに対して、「けご」は本来、妻子、弟子、召使など家に属する(主人以外の)者を一般的に指す語として用いられた。」
とある。
中言はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「中言」の解説」に、
「① 両者の中に立って告げ口すること。なかごと。
※玉葉‐寿永二年(1183)一一月七日「義仲一人、漏二其人数一之間、殊成レ奇之上、又有二中言之者一歟」
② 他人のことばの途中に口をはさむこと。他人の談話中に話しかけること。ちゅうごん。
※滑稽本・続々膝栗毛(1831‐36)二「御中言(ごチウゲン)ではござりやすが、下十五日わたしのかたとおっしゃれば、もし小の月だと、此はう一千日の損」
とある。ここでは「なかごと」とルビがあるので①の方の意味になる。
この場合の飯をよそうのではなく、飯匙を握ったまま、私は無実だと訴える場面になる。
無季。恋。「家子」は人倫。
六十七句目
家子が中言うらみなるべし
返事神ぞ神ぞとかく計 卜尺
(返事神ぞ神ぞとかく計家子が中言うらみなるべし)
「返事」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「返事・返言」の解説」に、
「〘名〙 (古くは「かえりこと」)
① 使いの者が帰って報告することば。
※書紀(720)雄略即位前(図書寮本訓)「大臣、使を以て報(かヘリコトまうし)て曰く」
② もらった手紙や和歌、また、質問に対する返事。
※竹取(9C末‐10C初)「翁(おきな)かしこまりて御返事申すやう」
※源氏(1001‐14頃)夕顔「書きなれたる手して、口とくかへり事などし侍き」
③ 贈物の返礼。おかえし。
※土左(935頃)承平五年二月八日「ある人、あざらかなるものもてきたり、米(よね)してかへりことす」
とある。
「神ぞ神ぞ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「神ぞ・真ぞ」の解説」に、
「〘副〙 (「神ぞ照覧あれ」の略で、決してこの誓いにそむくまいの意の自誓のことば) 神かけて。ほんとうに。心から。かならず。
※歌舞伎・いとなみ六方(1674頃)「うなぎにはあらねども、しんぞ此身は君ゆへに」
とある。
家子の告げ口に「神にかけて誓う」とだけ返事する。
無季。恋。
六十八句目
返事神ぞ神ぞとかく計
あはれふかまを待し俤 松臼
(返事神ぞ神ぞとかく計あはれふかまを待し俤)
「ふかま」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「深間」の解説」に、
「① 川・谷などの深いところ。深み。
※類従本素性集(10C前)「あふみのや深まの稲を苅つめて君か千年のありかすにせん」
② 男女関係で深い仲になること。また、その情交の相手。間夫(まぶ)。情人。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「返事神ぞ神ぞとかく斗〈卜尺〉 あはれふかまを待し俤〈松臼〉」
③ 人や物事との関係が好ましくない方に進んで、そこから抜け出しにくい情況。
※死の棘(1960)〈島尾敏雄〉「前よりもいっそう深まにはまりこんで救いがたくなった」
とあり、ここでは②の意味になる。「神ぞ神ぞ」と言ってはいるけど、いかにも愛人を待っているかのようだ。
無季。
六十九句目
あはれふかまを待し俤
友だちのかはらでつもる物語 在色
(友だちのかはらでつもる物語あはれふかまを待し俤)
友達と久しぶりに会って、お互い変わってないなと話が盛り上がって行く様が、まるで愛人に出もあったかのようだ。
無季。「友だち」は人倫。
七十句目
友だちのかはらでつもる物語
十万億の後世のみちすぢ 松意
(友だちのかはらでつもる物語十万億の後世のみちすぢ)
「十万億」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「十万億仏土」の解説」に、
「〘名〙 仏語。この世から西方の極楽浄土に行くまでにある無数の仏土。また、極楽浄土のこと。十万億。十万億土。十万億刹の土。
※仮名草子・夫婦宗論物語(1644‐46頃)「又有時は、過十万億仏土(オクブツド)有世界と説(とき)、或は勝過三界道と宣給ふ」 〔阿彌陀経〕」
とある。
年を取ると、どうしても話題が極楽浄土や後生の話となる。
無季。釈教。
七十一句目
十万億の後世のみちすぢ
珠数袋こしをさる事すべからず 一鉄
(珠数袋こしをさる事すべからず十万億の後世のみちすぢ)
極楽浄土や次の生まれ変わりなどの長い旅路には、数珠袋を常に腰に付けておくこと。
無季。釈教。
七十二句目
珠数袋こしをさる事すべからず
隠居の齢ひ山の端の雲 志計
(珠数袋こしをさる事すべからず隠居の齢ひ山の端の雲)
「山の端の雲」というと、
終り思ふ心の末の悲しきは
月見る西の山の端の雲
慈円(玉葉集)
の歌がある。御隠居さんも終わりを思う齢いとなり、数珠袋を手放さない。
無季。「隠居」は人倫。「山の端」は山類。「雲」は聳物。
七十三句目
隠居の齢ひ山の端の雲
御病者は三室の奥の下屋敷 雪柴
(御病者は三室の奥の下屋敷隠居の齢ひ山の端の雲)
御病者は病人のこと。
神南備の三室の山に雲晴れて
龍田河原にすめる月影
藤原範兼(続後拾遺集)
の歌があるが、病気の御隠居は三室の奥に住む。
無季。「御病者」は人倫。「三室」は名所、山類。「下屋敷」は居所。
七十四句目
御病者は三室の奥の下屋敷
ただ好色にめづる月影 一朝
(御病者は三室の奥の下屋敷ただ好色にめづる月影)
神南備の三室の龍田川とくれば、
千早ぶる神代もきかず龍田川
からくれなゐに水くくるとは
在原業平(古今集)
の歌がよく知られている。業平のように好色に月を愛でるということか。
季語は「月影」で秋、夜分、天象。恋。
七十五句目
ただ好色にめづる月影
虫の声かかるも同じぬめりぶし 松臼
(虫の声かかるも同じぬめりぶしただ好色にめづる月影)
ぬめり節はぬめり歌のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「滑歌」の解説」に、
「① 江戸時代、明暦・万治(一六五五‐六一)のころ、遊里を中心に流行した小歌。「ぬめり」とは、当時、のらりくらりと遊蕩する意の流行語で、遊客などに口ずさまれたもの。ぬめりぶし。ぬめりこうた。
※狂歌・吾吟我集(1649)序「今ぬめり哥天下にはやること、四つ時・九つの真昼になん有ける」
② 歌舞伎の下座音楽の一つ。主に傾城の出端に三味線、太鼓、すりがねなどを用いて歌いはやすもの。
※歌舞伎・幼稚子敵討(1753)口明「ぬめり哥にて、大橋、傾城にて出る」
とある。
遊郭で歌う滑歌は虫の声のようなもので、好色に月影を愛でている。
季語は「虫の声」で秋、虫類。恋。
七十六句目
虫の声かかるも同じぬめりぶし
釜中になきし黒豆の露 正友
(虫の声かかるも同じぬめりぶし釜中になきし黒豆の露)
釜中は「ふちう」とルビがある。虫の声に草の露が付き物なように、ぬめり節には釜の中で煮えている黒豆が付き物ということになる。黒豆の煮汁は喉に良いという。
季語は「露」で秋、降物。
七十七句目
釜中になきし黒豆の露
あをによし奈良茶に花の香をとめて 松意
(あをによし奈良茶に花の香をとめて釜中になきし黒豆の露)
奈良茶はここでは奈良茶飯のこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奈良茶飯」の解説」に、
「① 薄く入れた煎茶でたいた塩味の飯に濃く入れた茶をかけて食べるもの。また、いり大豆や小豆(あずき)・栗・くわいなどを入れてたいたものもある。もと、奈良の東大寺・興福寺などで作ったものという。ならちゃがゆ。ならちゃがい。ならちゃ。〔本朝食鑑(1697)〕
② 茶飯に豆腐汁・煮豆などをそえて出した一膳飯。江戸では、明暦の大火後、浅草の浅草寺門前にこれを売る店ができたのが最初で、料理茶屋の祖となった。〔物類称呼(1775)〕」
とある。ここでは江戸なので②の方で、奈良茶飯に浅草の桜の香りを留めて、釜で煮た黒豆を添える。
季語は「花」で春、植物、木類。
七十八句目
あをによし奈良茶に花の香をとめて
一座の執筆鳥のさへづり 卜尺
(あをによし奈良茶に花の香をとめて一座の執筆鳥のさへづり)
一座、執筆とくれば、連歌か俳諧。
前句の「奈良茶」はここでは普通に奈良のお茶のこととする。
「あをによし」などという枕詞を用いたり、どこか連歌っぽい句なので、挙句の前の最後の花の句として、一座の執筆が「鳥のさへづり」と挙句を付ける。
前句の「とめて」は書き留めるの意味と掛ける。
季語は「鳥のさへづり」で春、鳥類。「執筆」は人倫。
七十九句目
一座の執筆鳥のさへづり
遠近の春風まねく勢揃 志計
(遠近の春風まねく勢揃一座の執筆鳥のさへづり)
前句の執筆はかなりの有力者というか金持ちなのだろう。一声かければ連衆が集まって来る。
あしのうて登りかねたる筑波山
和歌の道には達者なれども
桜井基佐
という歌もあるくらい、連歌会は連歌師への報酬、旅費、宿の手配、会場の確保、それに当座の料理や賞品の用意など、とにかく金がかかる。明智光秀の連歌会のために妻が髪の毛を売ったという話もある。
季語は「春風」で春。
八十句目
遠近の春風まねく勢揃
山もかすみてたつ番がはり 在色
(遠近の春風まねく勢揃山もかすみてたつ番がはり)
「番がはり」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「番代・番替」の解説」に、
「〘名〙 勤務を交代すること。当番をかわること。また、交代で行なわれること。かわりばん。
※御伽草子・熊野の本地(室町時代物語集所収)(室町末)「よるひるばんがはりにつかへ申」
とある。早朝の山本の霞の見えてくる頃、当番の人が次々と現れ勢ぞろいする。
季語は「かすみ」で春、聳物。「山」は山類。
八十一句目
山もかすみてたつ番がはり
大伽藍雲に隔たる朝朗 一朝
(大伽藍雲に隔たる朝朗山もかすみてたつ番がはり)
番替りというと大きなお寺というイメージがあったのだろう。朝朗は「あさぼらけ」。
無季。釈教。「雲」は聳物。
八十二句目
大伽藍雲に隔たる朝朗
つとめの鐘に仏法僧なく 一鉄
(大伽藍雲に隔たる朝朗つとめの鐘に仏法僧なく)
仏法僧は鳥の名前で、声の仏法僧と姿の仏法僧がいる。声の仏法僧はコノハヅクで、姿の仏法僧の方が今の分類でブッポウソウになっている。大きな瑠璃色の鳥で仏法僧の名にふさわしい外見だが、声の方は今一だという。鳥界のミリ・ヴァニリだが、当時はまだこのことを知らなかった。
大伽藍の朝にお目出度い仏法僧の声が響く。
季語は「仏法僧」で夏、鳥類。釈教。
八十三句目
つとめの鐘に仏法僧なく
煩悩の夢はやぶれし古衾 正友
(煩悩の夢はやぶれし古衾つとめの鐘に仏法僧なく)
大いなる野望を持ちながらもかなえられずに没落し、出家した人だろう。古い旧家も荒れ果てて、仏法僧の声を聞く。
無季。釈教。「古衾」は居所。
八十四句目
煩悩の夢はやぶれし古衾
小部屋の別れおしむ妻蔵 雪柴
(煩悩の夢はやぶれし古衾小部屋の別れおしむ妻蔵)
妻蔵は「つばくら(燕)」に妻を掛けた造語か。mとbの交替は「けむり=けぶり」「なむる=なぶる」など頻繁に見られる。
「若い燕」は近代の奥村博史が平塚らいてうに送った手紙に由来すると言われているので、この頃はまだその用法はなかったと思われる。
ここでは単にツバメが南へ帰って行くように、妻との別れを惜しむという意味だろう。
無季。恋。「小部屋」は居所。「妻」は人倫。
八十五句目
小部屋の別れおしむ妻蔵
玉ぶちの笠につらぬく泪しれ 卜尺
(玉ぶちの笠につらぬく泪しれ小部屋の別れおしむ妻蔵)
「玉ぶちの笠」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「玉縁笠」の解説」に、
「〘名〙 江戸時代、万治年間(一六五八‐六一)の頃から流行した女のかぶる編み笠。一文字笠のふちを美しい紐・布などでふちどったもの。一説に、白い皮革でふちどったとも。玉縁。
※浮世草子・男色大鑑(1687)三「玉縁笠(タマブチカサ)に浅黄紐の仕出し」
とある。
玉に「つらぬく」と言えば、
白露に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
文屋朝康(後撰集)
の歌が百人一首でも知られている。
前句の妻の玉縁笠姿に、貫き留めていた玉が散るように涙が溢れているのを知れ。
無季。恋。
八十六句目
玉ぶちの笠につらぬく泪しれ
かたじけなさの恋につらるる 松臼
(玉ぶちの笠につらぬく泪しれかたじけなさの恋につらるる)
「かたじけなさ」と言えば、
なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる
西行法師
の歌が思い浮かぶ。
女の涙に騙されて恋心を募らすのはよくあること。
無季。恋。
八十七句目
かたじけなさの恋につらるる
かはらじと君が詞のやき鼠 在色
(かはらじと君が詞のやき鼠かたじけなさの恋につらるる)
「やき鼠」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「焼鼠」の解説」に、
「〘名〙 鼠をあぶって焼いたもの。狐の好物といわれ、罠(わな)の餌(え)に用いた。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「かたじけなさの恋につらるる〈松臼〉 かはらじと君が詞のやき鼠〈在色〉」
とある。
女の側に立って、あなたの言葉は焼鼠みたいですわ、となる。ということは女は狐?
余談だが、最近那須の殺生石が割れたため、妖狐玉藻の封印が解けたと噂されている。
無季。恋。「君」は人倫。
八十八句目
かはらじと君が詞のやき鼠
鶉ごろものしきせ何ぞも 松意
(かはらじと君が詞のやき鼠鶉ごろものしきせ何ぞも)
鶉衣はボロボロの着物でそれの仕着せって、前句はそこまで没落した主君なのか。
季語は「鶉ごろも」で秋、衣裳。
八十九句目
鶉ごろものしきせ何ぞも
見世守り床の山風夜寒にて 一鉄
(見世守り床の山風夜寒にて鶉ごろものしきせ何ぞも)
「見世守り」は今で言えば店長。部下に夜風は身に染みるだろうと、ぼろ服ではあるが支給する。
第一百韻「されば爰に」の巻の六十九句目にも、
戸棚をゆらりと飛猫の声
恋せしは右衛門といひし見世守リ 志計
の句がある。
床の山は近江の彦根付近の歌枕で、
妻恋ふる鹿ぞなくなるひとり寝の
床の山風身にやしむらむ
三宮大進(金葉集)
の歌がある。
季語は「夜寒」で秋、夜分。「見世守り」は人倫。「床」は居所。「山風」は山類。
九十句目
見世守り床の山風夜寒にて
秤のさらにあふみ路の月 志計
(見世守り床の山風夜寒にて秤のさらにあふみ路の月)
見世守りから重さを量る天秤の皿に「さらに逢ふ」を掛けて、「逢ふ」に「床の山」のある「近江(あふみ)」を掛けて「あふみ路の月」と結ぶ。
夜寒の中で、金銀の重さを量る近江商人とした。
近江商人はウィキペディアに、
「江戸時代に入ると近江出身の商人は徐々に活動地域や事業を日本全国に拡大させ、中には朱印船貿易を行う者も現れた。鎖国成立後は、京都・大坂・江戸の三都へ進出して大名貸や醸造業を営む者や、蝦夷地で場所請負人となる者もあった。幕末から明治維新にかけての混乱で没落する商人もあったが、西川のように社会の近代化に適応して存続・発展した企業も少なくない。今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く会社は多い。」
とある。
季語は「月」で秋、夜分、天象。
九十一句目
秤のさらにあふみ路の月
合薬や松原さして匂ふらん 雪柴
(合薬や松原さして匂ふらん秤のさらにあふみ路の月)
合薬はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「合薬」の解説」に、
「① 数種の薬剤を調合した薬。あわせぐすり。
※聖徳太子伝暦(917頃か)上「天皇賜二薬千余種一。太子合薬而施二諸病人一」
② 火薬。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「合薬や松原さして匂ふらん〈雪柴〉 真砂長じて石火矢の音〈一朝〉」
とある。
天秤で量るので、この場合は①の意味か。
近江というと木曽義仲最期の地として知られる粟津の松原がある。この縁から近江には義仲寺があり、後に芭蕉が無名庵を結び、最期にはここに埋葬される。
この粟津の松原にから「腹さして(腹痛を起こして)」を導き出す。
匂ふというのは薬ではなく、あっちの方だろう。漏れたから「合薬をーっ」というところか。
無季。「松原」は植物、木類。
九十二句目
合薬や松原さして匂ふらん
真砂長じて石火矢の音 一朝
(合薬や松原さして匂ふらん真砂長じて石火矢の音)
「石火矢」はウィキペディアに、
「石火矢(いしびや)とは、室町時代末期に伝来した火砲の一種。元来弩の一種を指した語であったが、同様に火薬を用い、石を弾丸とする「stein buchse」の訳語としてこの名が使われた。フランキ(仏朗機・仏郎機・仏狼機)、ハラカン(破羅漢)、国崩ともいう。 但し、江戸時代では棒火矢(ぼうびや)と呼ばれる矢状の飛翔物を大筒で発射する術が登場するにおよび、それと区別する意味で、単に球状の金属弾を打つ砲を石火矢ということが多いため、江戸時代の記録に「石火矢」とあってもフランキを指すとは限らない。」
とある。
大坂の陣でも用いられたので、前句の松原を住の江の松として、真砂に石火矢の音とする。
「真砂長じて」は『古今集』真名序の「砂長ジテ巌ト為ル」による。言わずと知れた、
わが君は千代に八千代に細れ石の
いはほとなりて苔のむすまで
よみ人しらず(古今集)
の歌を指しての言葉だ。
無季。
九十三句目
真砂長じて石火矢の音
敵味方海山一度にどつさくさ 松臼
(敵味方海山一度にどつさくさ真砂長じて石火矢の音)
「どつさくさ」は今の「どさくさ」で、ここでは敵味方含めた兵の混乱状態を言う。聞き慣れぬでかい音が響けばそういうことにもなる。
無季。「海」は水辺。「山」は山類。
九十四句目
敵味方海山一度にどつさくさ
浄瑠璃芝居須磨の浦風 正友
(敵味方海山一度にどつさくさ浄瑠璃芝居須磨の浦風)
一の谷合戦の場面であろう。
野郎歌舞伎と同様、人形芝居もこの頃流行し、後の文楽の元となった。
無季。「須磨の浦風」は名所、水辺。
九十五句目
浄瑠璃芝居須磨の浦風
巾着や三とせは爰にすりからし 松意
(巾着や三とせは爰にすりからし浄瑠璃芝居須磨の浦風)
野郎歌舞伎や浄瑠璃芝居は散財のもとでもあった。
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、謡曲『松風』の、
「行平の中納言、三年はここに須磨の浦」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.31895-31896). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。
無季。
九十六句目
巾着や三とせは爰にすりからし
傾城あがり新まくらする 在色
(巾着や三とせは爰にすりからし傾城あがり新まくらする)
三年間傾城に金をつぎ込んで、ついに身請けして新妻にする。まあ、男の憧れというところか。
無季。恋。「傾城」は人倫。
九十七句目
傾城あがり新まくらする
伊達衣今は小夜ぎの袖はへて 志計
(伊達衣今は小夜ぎの袖はへて傾城あがり新まくらする)
遊郭にいた頃のような立派な伊達衣も今はなく、小夜着の袖だけになる。傾城からすると、ちょっと寂しいかな。
小夜着はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小夜着」の解説」に、
「〘名〙 小形の夜着。袖のついた綿入れのかけぶとんの小さいもの。小夜(こよる)。《季・冬》
※評判記・色道大鏡(1678)五「うそよごれたる小夜着(コヨギ)ひきかづきてふしぬ」
とある。
無季。恋。「伊達衣」「小夜ぎの袖」は衣裳。
九十八句目
伊達衣今は小夜ぎの袖はへて
旅のり物に眠る老らく 卜尺
(伊達衣今は小夜ぎの袖はへて旅のり物に眠る老らく)
左遷の悲哀というところか。都で伊達衣を着た日々も昔のことで、いまは旅寝の小夜着のみ。
無季。旅体。
九十九句目
旅のり物に眠る老らく
道の記やちりかいくもる四方の花 一朝
(道の記やちりかいくもる四方の花旅のり物に眠る老らく)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、『伊勢物語』九十七段を引いている。
「むかし、堀河のおほいまうちぎみと申す、いまそかりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりける翁、
桜花散り交ひ曇れ老いらくの
来むといふなる道まがふがに」
を引いている。
老いらくの道が散る花にかき曇って、道を間違えて若返ればいいのに、という歌だ。
道の記は道中記で宗祇の『筑紫道記』のようにタイトルになることもある。
その道の記に四方の花の散ってホワイトアウトするような記述があるが、夢でも見たのだろう、とする。
季語は「花」で春、植物、木類。旅体。
挙句
道の記やちりかいくもる四方の花
あふのく山の春雨のそら 一鉄
(道の記やちりかいくもる四方の花あふのく山の春雨のそら)
「あふのく」は仰向けになることを言う。仰向けになって見ると散って来る桜の花が春雨のように見える。白い花びらも、下から見ると太陽の影で黒く見えるからだろう。
季語は「春雨」で春、降物。「山」は山類。