初表
青がらし目をおどろかす有様也 松臼
礒うつなみのその鮒鱠 卜尺
客帆の台所ぶねかすみ来て 一鉄
小づかひのかねひびく夕暮 一朝
巾着の尾上に出し月の影 正友
瑚珀のむかし松の下露 松意
きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ 雪柴
ねこだをくみしあとの秋風 在色
初裏
火影立へついの外に飛蛍 志計
でんがくでんがく宇治の川舟 執筆
日傭取ともに印をなびかせて 卜尺
材木出す山おろしふく 松臼
こもりくの泊瀬の寺の奉加帳 一朝
檜原を分し僧にて候 一鉄
淡雪の夕さびしき宿からふ 松意
駒牽とめてたたく柴門 正友
さればこそ琴かきならす遊び者 在色
膝をまくらに付ざし三盃 雪柴
腕を引漸こころを取直し 松臼
口説ののちに見る笑ひ㒵 志計
さく花の床入いそぐ暮の月 正友
中腰かけにかすむどらの音 卜尺
二表
山寺の乗物下馬に雪消て 雪柴
禅尼の分る苔の細道 一朝
ぬり笠に松のあらしやめぐるらん 一鉄
手拍子ならす庭の夕暮 松意
だうづきも月にはみだるる心あり 志計
五人張よりわたる鴈また 在色
わだつ海みさごがあぐる素波の露 卜尺
須佐の入舟さす棹の歌 松臼
汐風に袖ひるかへす伽やらふ 一朝
烟はそらにすひ付たばこ 正友
朝ぼらけへだての雲にさらばさらば 松意
よしのの里のすゑのはたご屋 雪柴
水風呂の滝の流をせき入て 松臼
ちろりの酒に老をやしなふ 一鉄
二裏
腰もとは隠居の夢をおどろかし 在色
かはす手枕珠数御免あれ 志計
思ひの色赤地のにしき袈裟衣 正友
あつぱれ和尚児性ずき也 卜尺
万石を茶の具にかへて身しりぞき 雪柴
遠嶋をたのしむ雪のあけぼの 一朝
そなれ松七言四句や吟ずらん 一鉄
蔵主の名残見する古塚 松意
すみ染の夕の月に化狐 志計
深草の露ちる馬の骨 松臼
秋は金たのめしすゑの秤ざほ 卜尺
水冷にくむくすり鍋 在色
湯の山や花の下枝のかけ作リ 一朝
宗祇その外うぐひすの声 正友
三表
手鑑に文字をのこして帰鴈 松意
刀わきざし朧夜の月 雪柴
難波潟質屋の見せの暮過て 松臼
出格子の前海わたる舟 一鉄
あだ波のながれの女小うなづき 在色
すすりなきには袖のぬれもの 志計
敷たえのふとんの上の恋の道 正友
あはでうかりし文枕して 卜尺
むば玉の夢は在所の伝となり 雪柴
道心堅固ああ南無阿弥陀 一朝
斎米やあるかなきかの草の庵 一鉄
筧のしづくにごる水棚 松意
縄たぶら峰の浮雲引はへたり 志計
山陰にして馬のすそする 松臼
三裏
明日はかまくら入と聞えけり 卜尺
うきかぎりぞと夫すて行 在色
所帯くづし契を余所に身を売て 一朝
大くべのはてむねの火とこそ 正友
扨も此野辺の土とは仕なしたり 松意
城山すかれてそよぐ粟稗 一鉄
わたり来る小鳥たがへぬ時の声 松臼
月落すでにおひ出しの鐘 雪柴
置銭や袖と袖との露なみだ 在色
おもひをつみてゆく舟問屋 志計
浦手形此もの壱人前髪あり 正友
詮議におよぶしら波の音 卜尺
山類の言葉をかりて花の滝 一鉄
いかに老翁かすむ岩橋 一朝
名残表
有難や社頭のとびらあけの春 雪柴
鏡のおもてしろじろと見る 松意
口中に若衆のいきやみがくらん 志計
兼保のたれおもひみだるる 松臼
しのび路はつらき余所目の関の住 卜尺
首たけはまる中の藤川 在色
から尻の駒うちなづみけし飛で 一朝
とある朽木をこすはや使 正友
すり火打きせる袋にがらめかし 松意
こまもの店にわたる夕風 一鉄
寺町の鐘に命のおもはれて 松臼
かつしきのわかれ又いつの世か 雪柴
身が袖に出舟うらまん今日の月 在色
悋気いさかひ浜荻の声 志計
名残裏
あたら夜の床をひやしてうき思ひ 正友
此子のなやみうばがいたづら 卜尺
青き物又ある時はつまみ喰 一鉄
盆に何々むすび昆布あり 一朝
岩代の野辺に宗匠座をしめて 雪柴
たのむうき世の夢の追善 在色
一通義理をたてたる花軍 志計
その七本のすゑの鑓梅 松意
参考;『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)
発句
青がらし目をおどろかす有様也 松臼
で、「青がらし」は曲亭馬琴編『増補俳諧歳時記栞草』に、
「[本朝食鑑]菘(すずな)に似て柔毛あり。葉深青なるものを青芥(あをからし)と云。これ常に用るところの芥(からし)なり、云々。」
とある。カラシナのこと。種を和がらしにする他、葉も食べられる。
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』(森川昭、加藤定彦、乾裕幸校注、一九九一、岩波書店)の注は謡曲『兼平』の、
「汀に追つつめて磯打つ波の、まくり切り、蜘蛛手十文字に、打ち破り・かけ通つて、その後、自害の手本よとて・太刀を銜へつつ逆様に落ちて、貫ぬかれ失せにけり。兼平が最期の仕儀目を驚かす有様かな目を驚かす有様かな。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18679-18687). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。第一百韻に「まくり切り」が出てきたように、有名な場面だったのだろう。
ここでは青がらしの葉であろう。その辛さに目から涙が出て、それが目を驚かす有様になる。
季語は「青がらし」で春。
脇
青がらし目をおどろかす有様也
礒うつなみのその鮒鱠 卜尺
(青がらし目をおどろかす有様也礒うつなみのその鮒鱠)
前句の兼平のまくり切りの「礒打つ波」で受けて、青がらしに鮒鱠を付ける。
フナの膾に青がらしの葉を混ぜて、ピリッと辛い酒のつまみの出来上がり。
季語は「鮒鱠」で春。「礒うつなみ」は水辺。
第三
礒うつなみのその鮒鱠
客帆の台所ぶねかすみ来て 一鉄
(客帆の台所ぶねかすみ来て礒うつなみのその鮒鱠)
客帆はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「客帆」の解説」に、
「〘名〙 客船の帆。転じて、旅客を乗せる舟。客舟。
※本朝無題詩(1162‐64頃)二・詠画障詩〈藤原周光〉「群鶴頻鳴露濃夜、客帆緩過浪閑時」
とある。台所船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「台所船」の解説」に、
「〘名〙 船遊びなどの屋形船に付随して料理を作りまかなう小船。厨船(くりやぶね)とも称し、江戸や大坂の川筋での船遊びに多く使われた。また、近世大名の川御座船にも台所御座船と呼ぶ同じ目的のものがあり、これはかなり大型船であった。賄舟(まかないぶね)。
※俳諧・談林十百韻(1675)「磯うつなみのその鮒鱠〈卜尺〉 客帆の台所ふねかすみ来て〈一鉄〉」
とある。礒打つ波に屋形船で鮒鱠を食う。
季語は「かすみ」で春、聳物。「客帆の台所ぶね」は水辺。
四句目
客帆の台所ぶねかすみ来て
小づかひのかねひびく夕暮 一朝
(客帆の台所ぶねかすみ来て小づかひのかねひびく夕暮)
小使船はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「小使船」の解説」に、
「〘名〙 安宅(あたけ)、関船(せきぶね)などの大型の船に従って走り使いをする小舟。」
とある。安宅も関船も元は軍船だが、「精選版 日本国語大辞典「関船」の解説」には、
「〘名〙 室町時代、瀬戸内海の主要航路上の港湾を中心に設けられた海関所属の船から転じて、戦国時代から江戸時代にかけて使われた軍船の船型の呼称。安宅船(あたけぶね)より小型で軽快な行動力をもつ快速船で、周囲に防御装甲をもつ矢倉を設け、適宜、弓・鉄砲の狭間(はざま)をあける。安宅船とともに水軍の中心勢力を形成し、慶長一四年(一六〇九)安宅船が禁止されてからは諸藩の水軍の基幹勢力となった。一般に櫓四〇挺立内外のものを中関(なかぜき)と称し、大型のものは八〇挺立前後におよび、諸大名の御座船に使用された。徳川家光が建造した天地丸七六挺立はその代表的なもの。早船ともいい、小型のものを小関船または小早という。〔大内氏掟書‐一〇八~一一五条後書・文明一九年(1487)四月二〇日〕」
とある。この時代なら御座船の使い走りをする小使船であろう。
前句の台所ぶねを御座船とし、そこに小使船がやって来て夕暮れの鐘を叩く。
無季。
五句目
小づかひのかねひびく夕暮
巾着の尾上に出し月の影 正友
(巾着の尾上に出し月の影小づかひのかねひびく夕暮)
尾上(をのへ)は山の頂で、前句の小づかひを小遣い銭として、夕暮れの尾上に月が出ると、巾着の小遣い銭の金の音が響く。
「かねひびく」に尾上は、
たかさこのをのへのかねのおとすなり
暁かけて霜やおくらん
大江匡房(千載集)
などの和歌に詠まれている尾上の鐘の縁になる。
季語は「月」で秋、夜分、天象。「尾上」は山類。
六句目
巾着の尾上に出し月の影
瑚珀のむかし松の下露 松意
(巾着の尾上に出し月の影瑚珀のむかし松の下露)
瑚珀は琥珀と同じ。天然樹脂の化石で、ウィキペディアに「200℃以上に加熱すると、油状の琥珀油に分解され」とあるから、松脂との類似は知られていたのだろう。琥珀が太古の松脂のようなものが化石化したものだという知識が、当時あったかどうかはわからないが、加熱した油脂と松脂の類似で、そういう推測は成り立ったであろう。
尾上と謡曲『高砂』にも登場する尾上の松が有名で、その松を照らす琥珀のような月を見て、琥珀は元々松の下露に融けた樹脂が固まったものだとする。
季語は「下露」で秋、降物。「松」は植物、木類。
七句目
瑚珀のむかし松の下露
きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ 雪柴
(きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ瑚珀のむかし松の下露)
松と言えば、
立ち別れいなばの山の峰に生ふる
まつとしきかば今かへり来む
在原行平(古今集)
の歌で、稲葉と縁がある。
前句の琥珀に変じた松は稲葉山の峰に生うる松だった。稲葉の松は、昨日は帰るつもりでいたが、そのまま琥珀になってしまった。
季語は「稲葉」で秋。
八句目
きのふこそ稲葉と見しか塵と変じ
ねこだをくみしあとの秋風 在色
(きのふこそ稲葉と見しか塵と変じねこだをくみしあとの秋風)
「ねこだ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「ねこだ」の解説」に、
「〘名〙 わらやなわで編んだ大形のむしろ。また、背負袋。ねこ。
※俳諧・玉海集(1656)四「ねこたといふ物をとり出てしかせ侍し程に」
塵となった稲葉を筵袋に詰めて運ぶ。災害の後片付けであろう。悲しい秋風が吹く。
季語は「秋風」で秋。
九句目
ねこだをくみしあとの秋風
火影立へついの外に飛蛍 志計
(火影立へついの外に飛蛍ねこだをくみしあとの秋風)
火影というと、
篝火の火影に見ればますらをは
たももいとなくこひこくむらし
源俊頼(夫木抄)
の歌がある。この歌は、
篝火の火影に見ればますらをは
たもといとなくあゆこくむらし
源俊頼(永久百首)
の別バージョンがある。
前句の「ねこだをくみし」を漁師の魚を詰める姿としたか。火影に蛍をあしらって、夏に転じる。
季語は「蛍」で夏、虫類、夜分。
十句目
火影立へついの外に飛蛍
でんがくでんがく宇治の川舟 執筆
(火影立へついの外に飛蛍でんがくでんがく宇治の川舟)
宇治の瀬田川の蛍船とする。酒のつまみにと田楽を売りに来る。
芭蕉は元禄三年の幻住庵滞在の頃、瀬田川の蛍船に乗って、
蛍見や船頭酔うておぼつかな 芭蕉
の句を詠んでいる。蛍船は川下りの舟で、近江瀬田と宇治を結んでいたのだろう。
無季。「宇治の川舟」は名所、水辺。
十一句目
でんがくでんがく宇治の川舟
日傭取ともに印をなびかせて 卜尺
(日傭取ともに印をなびかせてでんがくでんがく宇治の川舟)
日傭取はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「日傭取り」の解説」に、
「日傭、日用、日雇(ひやとい)ともいい、日決めの賃稼ぎをいう。江戸時代、主要都市に借屋住いの貧民層として存在し、17世紀後半には在郷町、農村に広がっていった。初期には都市で城郭建築・都市建設のため多数の労働力が必要であり、とくに大名は城郭普請(ふしん)に膨大な日傭を使った。かつて豊臣(とよとみ)秀吉は農民が都市へ賃仕事に出ることを禁じたが、前期にはこうした禁令は各藩でみられる。しかし都市には相当数の日傭が住んでおり、雑多な仕事に従事していた。鳶口(とびぐち)、車力(しゃりき)、米搗(つ)きなども日傭的な性格として把握された。幕府は都市貧民対策として、17世紀中葉には江戸・大坂などで日用頭(かしら)を置いたり、日用座(ざ)を設け、日用札(ふだ)を発行して、彼らを統制した。[脇田 修]」
とある。
日傭取の田楽売りの立てた幟を、その昔宇治河合戦の時の源氏の白旗に見立てたか。
無季。「日傭取」は人倫。
十二句目
日傭取ともに印をなびかせて
材木出す山おろしふく 松臼
(日傭取ともに印をなびかせて材木出す山おろしふく)
材木の出荷の時も日傭取がたくさん集められたのだろう。
無季。「山おろし」は山類。
十三句目
材木出す山おろしふく
こもりくの泊瀬の寺の奉加帳 一朝
(こもりくの泊瀬の寺の奉加帳材木出す山おろしふく)
奉加帳はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「奉加帳」の解説」に、
「① 神仏に奉加する金品の目録や寄進者の氏名などを記した帳簿。
※高野山文書‐承安四年(1174)一二月日・高野山住僧等愁状案「仍捧二奉加帳一」
※御湯殿上日記‐文明一五年(1483)二月九日「ひてん院のくわんしんほうかちやうつかわさるる」
② 転じて、一般の寄付金名簿。
※大乗院寺社雑事記‐文正元年(1466)五月一日「河口庄金津道場作事奉伽帳加判了」
とある。奈良の長谷寺の増改築など、寄付を集めて材木を切り出す。
山おろしと言えば、
憂かりける人を初瀬の山おろしよ
はげしかれとは祈らぬものを
源俊頼(千載集)
の歌で初瀬との縁がある。
無季。釈教。「泊瀬」は名所。
十四句目
こもりくの泊瀬の寺の奉加帳
檜原を分し僧にて候 一鉄
(こもりくの泊瀬の寺の奉加帳檜原を分し僧にて候)
初瀬山の檜原というと、
長月のころ初瀬に詣でける道にてよみ侍りける
初瀬山夕越え暮れて宿問へば
三輪の檜原に秋風ぞ吹く
禅性法師(新古今集)
の歌がある。この歌を本歌とする。「檜原を分し僧」は禅性法師。
無季。釈教。
十五句目
檜原を分し僧にて候
淡雪の夕さびしき宿からふ 松意
(淡雪の夕さびしき宿からふ檜原を分し僧にて候)
檜原に淡雪は、
まきもくの檜原のいまだ曇らねば
小松が原に淡雪ぞ降る
大伴家持(新古今集)
の縁がある。
これを本歌にした付けで、前句の旅体に「宿からふ」と結ぶ。
季語は「淡雪」で冬、降物。旅体。
十六句目
淡雪の夕さびしき宿からふ
駒牽とめてたたく柴門 正友
(淡雪の夕さびしき宿からふ駒牽とめてたたく柴門)
これも、
駒とめて袖うちはらふ陰もなし
佐野のわたりの雪の夕暮
藤原定家(新古今集)
の縁になる。
袖うちはらう陰もなしではなく、柴門があって宿が借りられる。有難い話だ。
無季。「柴門」は居所。
十七句目
駒牽とめてたたく柴門
さればこそ琴かきならす遊び者 在色
(さればこそ琴かきならす遊び者駒牽とめてたたく柴門)
王朝時代の雰囲気で、源氏の君のような遊び者が門の向こうから箏の音が聞こえてくるのを聞き止めて、駒を止めて訪ねて行く。「
「さればこそ琴かきならす」で一度切って「遊び者駒牽とめてたたく柴門」と読んだ方がいい。
『源氏物語』末摘花巻の源氏の君であろう。「あやしき馬に、かりぎぬすがたのないがしろにてきければ(あやしげな馬に狩衣を無造作に羽織って出かけて)」とあり、末摘花の七弦琴の演奏を聞きに行く。
無季。恋。「遊び者」は人倫。
十八句目
さればこそ琴かきならす遊び者
膝をまくらに付ざし三盃 雪柴
(さればこそ琴かきならす遊び者膝をまくらに付ざし三盃)
まあ、遊郭に行ったらやってみたいことの一つなんだろうね。
付ざしはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「付差」の解説」に、
「〘名〙 自分が口を付けたものを相手に差し出すこと。吸いさしのきせるや飲みさしの杯を、そのまま相手に与えること。また、そのもの。親愛の気持を表わすものとされ、特に、遊里などで遊女が情の深さを示すしぐさとされた。つけざ。
※天理本狂言・花子(室町末‐近世初)「わたくしにくだされい、たべうと申た、これはつけざしがのみたさに申た」
とある。
無季。恋。
十九句目
膝をまくらに付ざし三盃
腕を引漸こころを取直し 松臼
(腕を引漸こころを取直し膝をまくらに付ざし三盃)
腕引はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腕引」の解説」に、
「〘名〙 衆道(しゅどう)または男女の間で、その愛情の深さや誓いの固さを示すために腕に刀を引いて血を出すこと。
※浄瑠璃・曾我虎が磨(1711頃)傾城十番斬「心中見たい、指切か、かひな引か、入ぼくろか、此きせるのやきがねかと、一もんじにもってかかる」
とある。
まあ、刀なんて物騒なことだ。お互いの貞節の誓いを確認して、ようやく悋気に高ぶった気持ちも収まり、膝枕で付ざし三杯をもらう。
遊郭も当時はお金で割り切った関係ではなく、頭に血の昇ってストーカーになった男が、遊女に無理な貞節を要求することも多かった。起請文くらいではすまず、指詰や腕引を要求されることもあった。
衆道の方も、お寺の方はともかく、血の気の多い武士の衆道は、三角関係で斬り合いになったりすることもあったようだ。西鶴の『男色大鑑』にそういった話がいくつもある。
無季。恋。
二十句目
腕を引漸こころを取直し
口説ののちに見る笑ひ㒵 志計
(腕を引漸こころを取直し口説ののちに見る笑ひ㒵)
打越の膝枕が遊女相手の和解なのに対し、前句を衆道として男っぽく口説の後の笑顔とする。
昔の女性は笑う時は手を当てて隠したりしたから、笑顔は男という連想ではないかと思う。
無季。恋。
二十一句目
口説ののちに見る笑ひ㒵
さく花の床入いそぐ暮の月 正友
(さく花の床入いそぐ暮の月口説ののちに見る笑ひ㒵)
さく花は桜の花であると同時に「花嫁」の比喩であろう。新婚初夜で「床入」を急ぐ。
口説は過去の罪を告白したりしてもめたのだろう。
季語は「さく花」で春、植物、木類。恋。「月」は夜分、天象。
二十二句目
さく花の床入いそぐ暮の月
中腰かけにかすむどらの音 卜尺
(さく花の床入いそぐ暮の月中腰かけにかすむどらの音)
銅鑼は茶室で準備が整ったことを知らせるのに用いる。腰掛も客を待たすのに用いる。コトバンクの「世界大百科事典内の内腰掛の言及」に、
「…中門を境に外露地と内露地とに分かれる二重露地が整うのは千利休からとも古田織部からともいわれるが,利休時代にはほぼ整っていたとみられる。露地の発展に伴い,外露地には外腰掛,下腹雪隠(したばらせつちん)が,内露地には内腰掛が設けられるようになった。客は外腰掛で連客を待ち合わせて亭主の迎付(むかえつけ)を待ち,内腰掛では中立ちをして再び席入りの合図を待つ。…」
とある。中腰掛はよくわからないが、中門より中の内腰掛のことか。
茶道ネタの句ということになると、前句の「床入」は、咲く花を床の間に入れて飾るという意味になる。
季語は「かすむ」で春、聳物。
二十三句目
中腰かけにかすむどらの音
山寺の乗物下馬に雪消て 雪柴
(山寺の乗物下馬に雪消て中腰かけにかすむどらの音)
銅鑼はお寺でも使うことがあるようだ。多分茶室と同様、食事などの連絡用であろう。ここだとお客さんの到着の連絡用に用いるということか。
山寺に到着した御一行が駕籠や馬から降り、腰掛で門の飽くのを待つ。「雪消えて」と季節を添える。
季語は「雪消て」で春。釈教。
二十四句目
山寺の乗物下馬に雪消て
禅尼の分る苔の細道 一朝
(山寺の乗物下馬に雪消て禅尼の分る苔の細道)
駕籠に乗ってやってきたのを尼僧とする。
「苔の細道」は『徒然草』十一段に、
「神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道を踏み分けて、心ぼそく住みなしたる庵あり。」
とある。
駕籠を降りた尼僧が苔の細道をたどって寺に戻る。
無季。釈教。「禅尼」は人倫。
二十五句目
禅尼の分る苔の細道
ぬり笠に松のあらしやめぐるらん 一鉄
(ぬり笠に松のあらしやめぐるらん禅尼の分る苔の細道)
「松のあらし」は、
山ふかき松のあらしを身にしめて
たれかねさめに月をみるらん
藤原家隆(千載集)
など、和歌に詠まれている。『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『松山天狗』の、
「苔の下道たどり来て、風の音さへすさまじき松山に早く着きにけり松山に早く着きにけり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.89280-89281). Yamatouta e books. Kindle 版. )
の一節を引いている。
ぬり笠はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「塗笠」の解説」に、
「〘名〙 薄い板に紙を張り、漆塗りにした笠。多く女がかぶる。
※日葡辞書(1603‐04)「Nurigasa(ヌリガサ)」
※天理本狂言・千鳥(室町末‐近世初)「其上さむらひじゃによって、はかまかたぎぬ、ぬりがさで、かほをかくいておじゃる」
とある。女性用の笠。
無季。「松」は植物、木類。
二十六句目
ぬり笠に松のあらしやめぐるらん
手拍子ならす庭の夕暮 松意
(ぬり笠に松のあらしやめぐるらん手拍子ならす庭の夕暮)
塗笠を舞に用いる笠として、夕暮れの庭で舞う。さながら嵐の如し。
無季。「庭」は居所。
二十七句目
手拍子ならす庭の夕暮
だうづきも月にはみだるる心あり 志計
(だうづきも月にはみだるる心あり手拍子ならす庭の夕暮)
「だうづき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は胴突のこととしている。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「胴突」の解説」に、
「① (「どつき(土突)」の変化した語という) 地盤を突き固めたり、杭(くい)を打ったりすること。また、それに用いる具。やぐらを組んで、その中に太い丸太をたて(あるいは重い石を置き)数本の綱を丸太の根本に結び、その綱で引き上げては落として突き固めるもの。また、丸太に数本の足をつけ、その足を持って突く具にもいう。
※ロザリオの経(一六二二年版)(1622)ビルゼン・サンタ・マリア、ロザリオに現し給ふ御奇特の事「ツチヲ ヲヲイ、dôzzuqinite(ドウヅキニテ) ツキ カタメテ」
② 丸太や長い棒を武具として用いたもの。
※幸若・烏帽子折(室町末‐近世初)「熊坂の太郎はどうづきをおっとってどうどうとあてた」
③ 江戸時代、年末の煤払(すすはら)いに祝儀として、主人以下一同の胴上げをしたこと。胴上げ。
※大和耕作絵抄(1688‐1704頃)煤払「胴築(ドウヅキ)や栄さら栄よ煤払」
④ 釣りの仕掛けの一つ。最下端におもりをつけ、先糸に数本の枝針をつけたもの。
⑤ 城壁の上などに備えておいて、攻め寄せる敵の上に落とす太い丸太。胴木。
※中尾落草子(16C後)「壁につけたるだうつきども、ばらりばらりと切りおとす」
とある。
庭で杭打ちの作業を行っているが、月も登る夕暮れになるとみんな疲れてきて、杭打ちの規則正しいリズムも乱れて来る。手拍子でリズムを取る。
「月にはみだるる」の言葉は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『三井寺』の、
「かほどの聖人なりしかども、月には乱るる心あり。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.40065-40066). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。狂女の撞く三井寺の鐘の乱れ打ちをいう。
季語は「月」で秋、夜分、天象。
二十八句目
だうづきも月にはみだるる心あり
五人張よりわたる鴈また 在色
(だうづきも月にはみだるる心あり五人張よりわたる鴈また)
五人張はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「五人張」の解説」に、
「① (五人がかりで張る弓の意) 四人で弓をまげ、残るひとりがようやく弦をかけるほどの強い弓。強弓。
※保元(1220頃か)上「三尺五寸の太刀に、熊の皮の尻ざや入れ、五人張の弓、長さ八尺五寸にて、つく打ったるに」
② 家屋の棟上げのときに縁起をかついで飾る弓。
※雑俳・柳筥(1783‐86)一「五人ばりをぶっつがひ餠を投げる」
とある。「鴈また」は「精選版 日本国語大辞典「雁股」の解説」に、
「① 鏃(やじり)の一種。鏃の先端を二股にし、その内側に刃をつけたもの。飛ぶ鳥や走っている獣の足を射切るのに用いる。
※名語記(1275)「かりまた如何。鴈俣也。かりのとびたる称にて、さきのひろごれる故になづくる歟」
② ①をつけた矢。かぶら矢のなりかぶらにつけるが、ふつうの矢につけるものもある。羽は旋回して飛ばないように四立てとする。主として狩猟用。雁股箆(かりまたがら)。雁股矢。
※今昔(1120頃か)一九「箭を放つ、鹿の右の腹より彼方に鷹胯(かりまた)を射通しつ」
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「かりまたをひっくはへ、ねらひすましてはなちければ」
とある。ここでは「雁も亦(また)」の意と掛けて用いる。
ここでは前句の「だうづき」を「② 丸太や長い棒を武具として用いたもの。」の意味に取り成し。真っすぐの棒のように一列に並んで飛んでいた雁も、月には乱れるのか弓の形になり、銅突、五人張の縁で雁又を雁亦と掛けて結ぶ。
季語は「鴈」で秋、鳥類。
二十九句目
五人張よりわたる鴈また
わだつ海みさごがあぐる素波の露 卜尺
(わだつ海みさごがあぐる素波の露五人張よりわたる鴈また)
素波はコトバンクの「普及版 字通「素波」の解説」に、
「白波。漢・武帝〔秋風の辞〕詩 樓を泛(うか)べて汾河を濟(わた)り 中にたはりて素波を揚ぐ」
とある。
漢武帝の『秋風辞』は、
秋風辞 漢武帝
秋風起兮白雲飛 草木黄落兮雁南帰
蘭有秀兮菊有芳 懐佳人兮不能忘
泛楼舡兮済汾河 横中流兮揚素波
簫鼓鳴兮発棹歌 歓楽極兮哀情多
少壮幾時兮奈老何
秋風が立つ、ヘイ!白雲が飛ぶ
草木は黄葉して落ちる、ヘイ!雁も南へ帰る
蘭は咲き誇つ、ヘイ!菊も薫る
佳人を懐かしむ、ヘイ!忘れることもできず
楼を乗せた船を浮かぶ、ヘイ!汾河を渡る
中流で止める、ヘイ!素波が揚がる
簫鼓を鳴らす、ヘイ!棹さし歌が始まる
歓楽極まる、ヘイ!いと哀れなる
若い盛りも幾時ある、ヘイ!一体何で年を取る
棹さし歌の雰囲気で、漕ぎ手に客が合いの手を入れるように歌うと、なかなか酒宴も盛り上がりそうだ。
中国の汾河山西省で北にあるから、日本とは逆に秋に雁が南へ行く。日本では北から飛来する。
「草木黄落兮雁南帰」の句のあとに「横中流兮揚素波」の句がある。川遊びを述べた辞だが、若き日もやがて衰えると思うと哀愁も漂い、それを秋風に託す。
ここではこの『秋風辞』を踏まえつつ、雁が弓のように列をなして渡ってくるという前句に、海ではミサゴが波を立てると対句的に付ける。向え付けになる。
ミサゴは英語でオスプレーという。ホバリングの後、急降下して獲物を捕らえる。雁の弓が乱れるように、ミサゴは波を乱す。
季語は「露」で秋、降物。「わだつ海」は水辺。「みさご」は鳥類。
三十句目
わだつ海みさごがあぐる素波の露
須佐の入舟さす棹の歌 松臼
(わだつ海みさごがあぐる素波の露須佐の入舟さす棹の歌)
愛知県の南知多町豊浜にあったという須佐の入江は歌枕になっている。
夜をさむみ須佐の入江にたつ千鳥
空さへこほる月になくなり
公猷法師(続拾遺集)
うかれ立つすさの入江の夕なみは
あとまてさわくあちの村鳥
正徹(草根集)
など、鳥とともに詠まれることが多い。
前句の漢武帝の船を須佐に入船の舟歌に変える。
無季。「須佐」は名所。「入舟」は水辺。
三十一句目
須佐の入舟さす棹の歌
汐風に袖ひるかへす伽やらふ 一朝
(汐風に袖ひるかへす伽やらふ須佐の入舟さす棹の歌)
「伽やらふ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「伽遣」の解説」に、
「〘名〙 江戸時代、停泊中の船に小舟でこぎ寄り、船人などを相手に売春した下級の娼婦。船上に向かって「とぎやろう、とぎやろう」と呼びかけたところからいう。舟惣嫁(ふなそうか)。舟饅頭(ふなまんじゅう)。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「汐風に袖ひるがへす伽やらふ〈一朝〉 烟はそらにすい付たばこ〈正友〉」
とある。舟饅頭は元禄六年の「帷子は」の巻二十六句目にも、
夜あそびのふけて床とる坊主共
百里そのまま船のきぬぎぬ 芭蕉
の句がある。
須佐の入江に舟が帰ってくると、伽遣が迎えが客引きに来る。
無季。恋。「汐風」は水辺。「袖」は衣裳。
三十二句目
汐風に袖ひるかへす伽やらふ
烟はそらにすひ付たばこ 正友
(汐風に袖ひるかへす伽やらふ烟はそらにすひ付たばこ)
「すひ付たばこ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「吸付煙草」の解説」に、
「〘名〙 (タバコはtabaco) 火を吸いつけて相手にさし出すタバコ。すいつけ。遊女など、女性が男性に対して示す情愛の表現。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「汐風に袖ひるがへす伽やらふ〈一朝〉 烟はそらにすい付たはこ〈正友〉」
とある。伽遣の遊女を買うと「すひ付たばこ」のサービスがある。
無季。恋。「烟」は聳物。
三十三句目
烟はそらにすひ付たばこ
朝ぼらけへだての雲にさらばさらば 松意
(朝ぼらけへだての雲にさらばさらば烟はそらにすひ付たばこ)
普通に後朝だが、「へだての雲」は、
春の夜の夢の浮橋とだえして
峰にわかるる横雲の空
藤原定家(新古今集)
の趣向を借りて、それを「さらばさらば」と俗語で落とす。
無季。恋。「雲」は聳物。
三十四句目
朝ぼらけへだての雲にさらばさらば
よしのの里のすゑのはたご屋 雪柴
(朝ぼらけへだての雲にさらばさらばよしのの里のすゑのはたご屋)
本歌は、
急ぎたてここはかりねの草枕
なほ奥深しみ吉野の里
八条院高倉(続後撰集)
か。帰る雁の音と仮寝を掛けている。江戸時代だから「仮寝の草枕」はは旅籠屋になる。
無季。旅体。「よしの」は名所、山類。「里」は居所。
三十五句目
よしのの里のすゑのはたご屋
水風呂の滝の流をせき入て 松臼
(水風呂の滝の流をせき入てよしのの里のすゑのはたご屋)
湯船に水を張る、これまでの蒸し風呂とは違う今風の風呂は、お寺を中心にこの時代急速に普及していった。吉野金峯山寺の宿坊にもあったのだろう。吉野の滝の清流の水で風呂を沸かす。
無季。「滝」は山類。
三十六句目
水風呂の滝の流をせき入て
ちろりの酒に老をやしなふ 一鉄
(水風呂の滝の流をせき入てちろりの酒に老をやしなふ)
「ちろり」はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「ちろり」の解説」に、
「酒を燗(かん)するための容器で、酒器の一種。注(つ)ぎ口、取っ手のついた筒形で、下方がやや細くなっている。銀、銅、黄銅、錫(すず)などの金属でつくられているが、一般には錫製が多い。容量は0.18リットル(一合)内外入るものが普通である。酒をちろりに入れて、湯で燗をする。ちろりの語源は不明だが、中国に、ちろりに似た酒器があるところから、中国から渡来したと考えられている。江戸時代によく使用されたが、現在も小料理屋などで用いているところもある。[河野友美]」
とある。天和二年刊千春編『武蔵曲』の「酒の衛士」の巻発句の前書きにも、
「尻掲を下ろさず、敷物を設けず、堂の陰に群れゐて、珍露利を打ち敲き、以て滑歌を撼するまことに餘念無きなり。」
とある。
滝の流れを水風呂にして、ちろりの酒で一杯。はあーーー極楽極楽。
無季。
三十七句目
ちろりの酒に老をやしなふ
腰もとは隠居の夢をおどろかし 在色
(腰もとは隠居の夢をおどろかしちろりの酒に老をやしなふ)
腰もとはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「腰元・腰本」の解説」に、
「① 腰のあたり。腰つき。〔運歩色葉(1548)〕
※浄瑠璃・丹波与作待夜の小室節(1707頃)中「足本・こしもと・身のまはりすっきり奇麗に」
② 身のまわり。身辺。
※玉塵抄(1563)一六「唾(だ)壺はかすはきをはき入るつぼなり。こしもとにちゃうどをくぞ」
③ 貴人、大家の主人のそば近く仕えて身辺の雑用をする女。侍女。
※波形本狂言・人を馬(室町末‐近世初)「某はわかいくせして独寝がきらいじゃ。奥様申上てみめのよいお腰本かおはしたを馬になして某のいる側につないて」
④ 遊女屋で、主人の居間や帳場で雑用に使われる女。遊女の罰として、これに従事させることがあった。
※洒落本・通言総籬(1787)二「あんまり引込と腰元(コシモト)にするとおっせへすから、けふもむりにみせへでへした」
⑤ 刀の鞘(さや)の外側の鯉口に近い所にとりつけた半円状のもの。栗形。
⑥ 「こしもとがね(腰元金)」の略。
※長祿二年以来申次記(1509)「正月御服事〈略〉然御作りの様は御つかさや梨子地にこじりつか頭御腰本、何もしゃくどう」
とある。この場合は③であろう。夢に出てきたので、酒飲みながら、もしかしてだけど、と勝手に妄想する。まだまだ若い。
無季。恋。「腰もと」は人倫。
三十八句目
腰もとは隠居の夢をおどろかし
かはす手枕珠数御免あれ 志計
(腰もとは隠居の夢をおどろかしかはす手枕珠数御免あれ)
隠居は既に出家の身であった。
無季。恋。釈教。
三十九句目
かはす手枕珠数御免あれ
思ひの色赤地のにしき袈裟衣 正友
(思ひの色赤地のにしき袈裟衣かはす手枕珠数御免あれ)
「赤地のにしき」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は謡曲『実盛』で、
「老後の思出これに過ぎじ御免あれと望みしかば、赤地の錦の直垂を下し賜はりぬ。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.18193-18198). Yamatouta e books. Kindle 版. )
を引いている。この注にある通り、「おもひのいろ」は「緋の色」に掛かり、赤地の錦を導き出す。
まあ、真っ赤な袈裟を着るなんて、派手好きのお坊さんなのだろう。
赤袈裟はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「赤袈裟」の解説」には、
「〘名〙 赤地の布帛(ふはく)で仕立てた袈裟。奈良、平安時代、勅許を得た威儀師が着用した。
※枕(10C終)一五六「季の御読経の威儀師、あかげさ着て」
とあり、王朝時代にはあったようだ。
無季。恋。釈教。「袈裟衣」は衣裳。
四十句目
思ひの色赤地のにしき袈裟衣
あつぱれ和尚児性ずき也 卜尺
(思ひの色赤地のにしき袈裟衣あつぱれ和尚児性ずき也)
「和尚(をしゃう)」「児性(こしゃう)」で韻を踏んでいる。前句の赤い袈裟の人物を、お寺だから男色だとする。
無季。釈教。「和尚」「児性」は人倫。
四十一句目
あつぱれ和尚児性ずき也
万石を茶の具にかへて身しりぞき 雪柴
(万石を茶の具にかへて身しりぞきあつぱれ和尚児性ずき也)
一万石の大名の地位も捨てて茶の道に走るのは、小姓が好きだからだとする。
西鶴の『男色大鑑』にも、武士の衆道が発覚しても、閉門で済むケースが描かれている。女性関係の不倫よりも寛大だったようだ。
衆道好きで殿様辞めても、茶の道で食ってゆくことはできたのだろう。
無季。「身」は人倫。
四十二句目
万石を茶の具にかへて身しりぞき
遠嶋をたのしむ雪のあけぼの 一朝
(万石を茶の具にかへて身しりぞき遠嶋をたのしむ雪のあけぼの)
「罪なくして配所の月を見る」の心だろう。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「(「古事談‐一」などによると、源中納言顕基(あきもと)がいったといわれることば) 罪を得て遠くわびしい土地に流されるのではなくて、罪のない身でそうした閑寂な片田舎へ行き、そこの月をながめる。すなわち、俗世をはなれて風雅な思いをするということ。わびしさの中にも風流な趣(おもむき)のあること。物のあわれに対する一つの理想を表明したことばであるが、無実の罪により流罪地に流され、そこで悲嘆にくれるとの意に誤って用いられている場合もある。
※平家(13C前)三「もとよりつみなくして配所の月をみむといふ事は、心あるきはの人の願ふ事なれば、おとどあへて事共し給はず」
とある。
雪のあけぼのは、
淋しきはいつもながめのものなれど
雲間の峰の雪のあけほの
藤原良経(新勅撰集)
など、歌に詠まれている。
季語は「雪」で冬、降物。「遠嶋」は水辺。
四十三句目
遠嶋をたのしむ雪のあけぼの
そなれ松七言四句や吟ずらん 一鉄
(そなれ松七言四句や吟ずらん遠嶋をたのしむ雪のあけぼの)
「そなれ松」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「磯馴松」の解説」に、
「① 海の強い潮風のために枝や幹が低くなびき傾いて生えている松。いそなれまつ。そなれ。
※古今六帖(976‐987頃)六「風ふけば波こすいそのそなれまつ根にあらはれてなきぬべら也〈柿本人麻呂〉」
② 植物「はいびゃくしん(這柏槇)」の異名。」
とある。
そなれ松こずゑくたくる雪折れに
いはうちやまぬ波のさびしさ
藤原定家(夫木抄)
の歌もある。
ここでは歌ではなく七言絶句の詩に作る。「遠嶋」を流刑の意味にではなく、中国から日本にやってきた謡曲『白楽天』の白楽天とする。
無季。「そなれ松」は植物、木類。
四十四句目
そなれ松七言四句や吟ずらん
蔵主の名残見する古塚 松意
(そなれ松七言四句や吟ずらん蔵主の名残見する古塚)
蔵主はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「蔵司・蔵主」の解説」に、
「① 禅寺で、経蔵をつかさどる僧。のちに知蔵と称せられたもので、禅院六頭首中、第三に位する職。また、一般に僧をいう。
※太平記(14C後)一六「小弐が最末(いとすゑ)の子に、宗応蔵主(サウス)と云僧」 〔勅修百丈清規‐下・両序〕
② (蔵司) 禅宗で、①の居室をいう。蔵司寮。
とある。
どこの蔵主だったか、磯馴松の古塚に眠っている。ここで七言四句の偈を吟じていたのだろうか。
無季。釈教。「蔵主」は人倫。
四十五句目
蔵主の名残見する古塚
すみ染の夕の月に化狐 志計
(すみ染の夕の月に化狐蔵主の名残見する古塚)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注には狂言『釣狐』だという。ウィキペディアに、
「猟師に一族をみな釣り取られた老狐が、猟師の伯父の白蔵主という僧に化けて猟師のもとへ行く。白蔵主は妖狐玉藻前の伝説を用いて狐の祟りの恐ろしさを説き、猟師に狐釣りをやめさせる。その帰路、猟師が捨てた狐釣りの罠の餌である鼠の油揚げを見つけ、遂にその誘惑に負けてしまい、化け衣装を脱ぎ身軽になって出直そうとする。それに気付いた猟師は罠を仕掛けて待ち受ける。本性を現して戻って来た狐が罠にかかるが、最後はなんとか罠を外して逃げていく。」
とある。ここでは狐は殺されて塚になったのだろう。
季語は「月」で秋、夜分、天象。釈教。「すみ染」は衣裳。「狐」は獣類。
四十六句目
すみ染の夕の月に化狐
深草の露ちる馬の骨 松臼
(すみ染の夕の月に化狐深草の露ちる馬の骨)
墨染と深草の縁は、
ほりかはのおほきおほいまうち君身まかりにける時に、
深草の山にをさめてけるのちによみける
ふかくさののへの桜し心あらば
ことしばかりはすみそめにさけ
上野岑雄(古今集)
の歌による。深草も草葉の陰の連想からか、哀傷に詠まれる。
キツネの化けた墨染僧の哀傷だから、弔うのも馬の骨となる。
季語は「露」で秋、降物。「馬」は獣類。
四十七句目
深草の露ちる馬の骨
秋は金たのめしすゑの秤ざほ 卜尺
(秋は金たのめしすゑの秤ざほ深草の露ちる馬の骨)
秋は五行説では金になる。春=木、夏=火、土用=土、秋=金、冬=水。金生水で秋は露を生じる。
ここでは金が大事だとばかり、深草の馬の骨を金の重さを量る天秤の棹にする。
コトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)「さお秤」の解説」には、
「中国および日本では、古くはさおに金属を使わず、木、角(つの)、骨などを用いた。」
とある。馬の骨から秤棹の連想は自然だったのだろう。
季語は「秋」で秋。
四十八句目
秋は金たのめしすゑの秤ざほ
水冷にくむくすり鍋 在色
(秋は金たのめしすゑの秤ざほ水冷にくむくすり鍋)
水冷は「みづひややか」と読む。前句の天秤を薬の調合に用いるものとする。
季語は「水冷」で秋。
四十九句目
水冷にくむくすり鍋
湯の山や花の下枝のかけ作リ 一朝
(湯の山や花の下枝のかけ作リ水冷にくむくすり鍋)
「かけ作り」はコトバンクの「世界大百科事典 第2版「懸造」の解説」に、
「傾斜地や段状の敷地,あるいは池などへ張り出して建てることを〈懸け造る〉といい,その建物形式を懸造と称する。崖造(がけづくり)ともいう。敷地の低い側では床下の柱や束が下から高く立ち,これに鎌倉時代以降では貫を何段にも通して固めている。平安時代以降,山地に寺院が造られるようになってからのもので,観音霊場に多く,三仏寺投入堂(国宝,鳥取,12世紀)や清水寺本堂(国宝,京都,1633)などがよく知られている。」
とある。湯の山と呼ばれた有馬温泉にも、こうした建物が多かったのだろう。
前句の「くすり鍋」から温泉療養ということで、花の有馬温泉へ転じる。
花の有馬温泉といえば、『春の日』の「なら坂や」の巻十八句目に、
ころびたる木の根に花の鮎とらん
諷尽せる春の湯の山 旦藁
の句もある。桜の季節の有馬温泉を舞台としたものに、今は廃曲となっている謡曲『鼓瀧』があったという。
季語は「花」で春、植物、木類。「湯の山」は名所、山類。
五十句目
湯の山や花の下枝のかけ作リ
宗祇その外うぐひすの声 正友
(湯の山や花の下枝のかけ作リ宗祇その外うぐひすの声)
湯の山と言えば宗祇、肖柏、宗長による『湯山三吟』が知られている。延徳三年(一四九ニ年)十月二十日の興行で、発句は、
うす雪に木葉色こき山路哉 肖柏
ここでは特にこの三吟ということではなく、大勢の連衆を集めた興行をイメージしたものであろう。宗祇以下の連衆を鶯に喩えるのは、『古今集』仮名序の、
「花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。」
による。
季語は「うぐひす」で春、鳥類。
五十一句目
宗祇その外うぐひすの声
手鑑に文字をのこして帰鴈 松意
(手鑑に文字をのこして帰鴈宗祇その外うぐひすの声)
手鑑はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「手鑑」の解説」に、
「① 代表的な古人の筆跡を集めて帖としたもの。もと古筆鑑定のために作られたが、後には愛好家が能筆家の筆跡や写経などを集めて作るようにもなった。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※浮世草子・好色一代男(1682)六「了佐極(きはめ)の手鑑(テカカミ)、定家の歌切」
② 手本。規範。
※評判記・役者胎内捜(1709)坂東彦三郎「刀のすんちがいしとふしんの時、〈略〉手かがみにあふた刀は近江に有とだんだんに云」
とある。
連歌師は能筆家でもあり、その書は高い値で取り引きされるから、宗祇とその連衆も手鑑に文字を残しているのだろう。
帰る雁は放り込み気味だが、雁が一列になって飛ぶ姿は文字列に喩えられる。
季語は「帰鴈」で春、鳥類。
五十二句目
手鑑に文字をのこして帰鴈
刀わきざし朧夜の月 雪柴
(手鑑に文字をのこして帰鴈刀わきざし朧夜の月)
手鑑を②の意味に取り成し、刀の手鑑とする。帰る雁に朧月を添える。
季語は「朧夜の月」で春、夜分、天象。
五十三句目
刀わきざし朧夜の月
難波潟質屋の見せの暮過て 松臼
(難波潟質屋の見せの暮過て刀わきざし朧夜の月)
刀脇差と言えば、生活に困った牢人が質草に入れるもので、商人の町大阪は特に質屋が多かったのだろう。刀を失った牢人に今日も日が暮れて行く。
無季。「難波潟」は名所、水辺。
五十四句目
難波潟質屋の見せの暮過て
出格子の前海わたる舟 一鉄
(難波潟質屋の見せの暮過て出格子の前海わたる舟)
出格子はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「出格子」の解説」に、
「① 外部へ張り出して作った窓の格子。
※俳諧・桜川(1674)秋一「出格子のひまゆくこまちをどり哉〈季吟〉」
② (多く①を構えた家に住んだところから) 囲われ者、踊り子などの住居。
※雑俳・柳多留‐二(1767)「出格子で鰹買日は旦那が来」
とある。
親は質屋通いで娘は遊女として売られてゆく、という話だろうか。
無季。恋。「海わたる舟」は水辺。
五十五句目
出格子の前海わたる舟
あだ波のながれの女小うなづき 在色
(あだ波のながれの女小うなづき出格子の前海わたる舟)
あだ波は風もないのに立つ波で、転じてたいしたこともないのに大騒ぎすることを言う。
そこひなき淵やは騒ぐ山川の
淺き瀬にとぞ徒波はたて
素性法師(古今集)
の歌によるという。
音に聞く高師の浦のあだ波は
かけじや袖のぬれもこそすれ
一宮紀伊(金葉集)
の歌も、根も葉もない噂という含みで言っている。歌合の席で、
人しれぬ思ひありその浦風に
波のよるこそ言はまほしけれ
藤原俊忠(金葉集)
の返しとして詠まれたもので、「人しれぬ思ひあり」との風の噂に、を受けて「高師の浦のあだ波」と返している。
句の方はいろいろ得体のしれない噂で賑わっている、海を渡ってきた遊女小さくうなづいて、出格子の家に連れて来られてこれからよろしく、というところか。「ながれ」が「あだ波(噂)の流れ」と「流れの女」の両方の意味を持っている。
無季。恋。「あだ波」は水辺。「女」は人倫。
五十六句目
あだ波のながれの女小うなづき
すすりなきには袖のぬれもの 志計
(あだ波のながれの女小うなづきすすりなきには袖のぬれもの)
前句を悪い噂を流された女として、「そんなの嘘なんだろ」とか言われると小さくうなずいてすすり泣く。
無季。恋。「袖」は衣裳。
五十七句目
すすりなきには袖のぬれもの
敷たえのふとんの上の恋の道 正友
(敷たえのふとんの上の恋の道すすりなきには袖のぬれもの)
布団は当時は着るものだったが、敷布団はあった。掛け布団の代わりに着る布団があった。
敷布団を和歌の枕詞を借りて「敷たえのふとん」とし、すすり泣き、袖が濡れるのも恋の道、と結ぶ。
無季。恋。
五十八句目
敷たえのふとんの上の恋の道
あはでうかりし文枕して 卜尺
(敷たえのふとんの上の恋の道あはでうかりし文枕して)
文枕はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「文枕」の解説」に、
「① 文がらを芯に入れて作った枕。
※浮世草子・好色一代男(1682)跋「月にはきかしても余所には漏ぬむかしの文枕とかいやり捨られし中に」
② 夢に見ようとして枕の下に恋文などを入れておくこと。また、そのふみ。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「あはでうかりし文枕して〈卜尺〉 むば玉の夢は在所の伝となり〈雪柴〉」
③ 枕元において見る草子類。」
とある。
「あはで」は「あは」という感嘆詞に「逢はで」を掛けたもので、「あはれ」にも通じる。
難波潟みじかき芦のふしの間も
あはでこの世を過ぐしてよとや
伊勢(新古今集)
の歌は百人一首でもよく知られている。
文枕の夢で愛しい人を見て浮かれる、一人寝の布団の上での恋とする。
無季。恋。
五十九句目
あはでうかりし文枕して
むば玉の夢は在所の伝となり 雪柴
(むば玉の夢は在所の伝となりあはでうかりし文枕して)
夢に愛しい人が出てきて、それが巷の噂になり、でも良さそうだが、打越の「ふとんの上の恋」と被ってしまうのが難しい。
恋ひ死ねとするわざならしむばたまの
夜はすがらに夢に見えつつ
よみ人しらず(古今集)
の句の情として、前句の「うかりし」を浮かりから憂かりしへ取り成したと見た方が良いのか。
去っていった人の夢に毎晩のようにうなされて、ついに死んでしまったことが地元の伝説となった、ということなら打越と違った展開にできる。
無季。
六十句目
むば玉の夢は在所の伝となり
道心堅固ああ南無阿弥陀 一朝
(むば玉の夢は在所の伝となり道心堅固ああ南無阿弥陀)
仏教説話などには夢のお告げや、夢に仏さまが現れたなど、夢にまつわるものが多い。道心堅固だとそういう夢も見て、伝説にもなる。
無季。釈教。
六十一句目
道心堅固ああ南無阿弥陀
斎米やあるかなきかの草の庵 一鉄
(斎米やあるかなきかの草の庵道心堅固ああ南無阿弥陀)
斎米やはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「斎米」の解説」に、
「〘名〙 僧の食事に供する米。斎(とき)の料として僧や寺に施す米。
※俳諧・大坂独吟集(1675)上「斎米をひらける法の花衣 願以至功徳あけぼのの春〈三昌〉」
とある。その斎米があるかないかもわからないくらいの貧しい暮らしに耐えている。道心堅固というものだが、それで餓死すれば南無阿弥陀仏。
無季。釈教。「草の庵」は居所。
六十二句目
斎米やあるかなきかの草の庵
筧のしづくにごる水棚 松意
(斎米やあるかなきかの草の庵筧のしづくにごる水棚)
水棚はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「水棚」の解説」に、
「① 仏に供える水や花、また、仏具などをおく棚。閼伽棚(あかだな)。
※康富記‐嘉吉三年(1443)六月一日「先面々、自荷レ桶向二閼伽井許一汲レ之、連歩納二置水棚一了」
② 盆に、無縁仏のためにつくる祭壇。先祖をまつる精霊棚とは別に設ける。餓鬼棚。
③ 台所で洗った皿などをおく棚。〔羅葡日辞書(1595)〕」
とある。ここでは③の意味だろうか。
米が僅かであっても、それを食えば台所は濁る。この世に全く濁りのない人はいない、ということか。
無季。
六十三句目
筧のしづくにごる水棚
縄たぶら峰の浮雲引はへたり 志計
(縄たぶら峰の浮雲引はへたり筧のしづくにごる水棚)
「縄たぶら」は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注に、
「束ねて太くした縄。「水棚」を洗うためのもの。」
とある。「引はふ」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「引延」の解説」に、
「〘他ハ下二〙 長くのばす。ひきのばす。
※能因本枕(10C終)六二「をのこごの十ばかりなるが、髪をかしげなるがひきはへても」
とある。
濁った水棚を縄たぶらで洗うと、水に映った峰の浮雲の形が引き延ばしたようになる、ということか。
無季。「峰」は山類。「浮雲」は聳物。
六十四句目
縄たぶら峰の浮雲引はへたり
山陰にして馬のすそする 松臼
(縄たぶら峰の浮雲引はへたり山陰にして馬のすそする)
「すそする」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「裾をする」の解説」に、
「馬の足を洗う。裾を遣う。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「山陰にして馬のすそする〈松臼〉 明日はかまくら入と聞えけり〈卜尺〉」
とある。
山陰で馬を洗っていると、峰の浮雲も姿を変えて行く。
無季。「山陰」は山類。「馬」は獣類。
六十五句目
山陰にして馬のすそする
明日はかまくら入と聞えけり 卜尺
(明日はかまくら入と聞えけり山陰にして馬のすそする)
いざ鎌倉というので鎌倉に参上することになったが、鎌倉殿に印象良くしようと、鎌倉に入る直前に汚れた馬を洗う。
無季。旅体。「かまくら」は名所。
六十六句目
明日はかまくら入と聞えけり
うきかぎりぞと夫すて行 在色
(明日はかまくら入と聞えけりうきかぎりぞと夫すて行)
鎌倉東慶寺は縁切寺と呼ばれている。辛いことにこれ以上耐えられないと、夫との縁を切りに行く。
無季。恋。「夫」は人倫。
六十七句目
うきかぎりぞと夫すて行
所帯くづし契を余所に身を売て 一朝
(所帯くづし契を余所に身を売てうきかぎりぞと夫すて行)
縁切寺ではなく、自ら志願して遊女になる。西鶴の『本朝二十不孝』の「大節季にない袖の雨」という話は、親の暴力や経済的困窮から、娘が自ら遊郭に身を売り、そのお金を両親への孝行とする話がある。結果的にこのお金も無駄になり、遊女になった娘だけが生き残ることになる。
このまま餓死するか親の暴力で殺されるか、となった時、究極の選択で自ら遊女になるということは、実際にあったことなのだろう。
家庭崩壊で夫に愛想尽かし、自ら遊女になるということも、さもありなんだったのだろう。
無季。恋。「身」は人倫。
六十八句目
所帯くづし契を余所に身を売て
大くべのはてむねの火とこそ 正友
(所帯くづし契を余所に身を売て大くべのはてむねの火とこそ)
大くべはコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「大焚」の解説」に、
「〘名〙 薪(たきぎ)などの燃料をどんどん燃やすこと。また、その燃料。
※俳諧・談林十百韻(1675)上「所帯くづし契を余所に身を売て〈一朝〉 大くべのはてむねの火とこそ〈正友〉」
※滑稽本・世中貧福論(1812‐22)上「振舞振舞が打つづき、無益の釜の下へ大くべすれど」
とある。
恋の炎が薪の大焚のように燃え上がって胸を焦がし、その挙句の果てに所帯を壊し、遊女に身を落とす。
無季。
六十九句目
大くべのはてむねの火とこそ
扨も此野辺の土とは仕なしたり 松意
(扨も此野辺の土とは仕なしたり大くべのはてむねの火とこそ)
前句を火葬に取り成す。
無季。無常。
七十句目
扨も此野辺の土とは仕なしたり
城山すかれてそよぐ粟稗 一鉄
(扨も此野辺の土とは仕なしたり城山すかれてそよぐ粟稗)
かつてお城だったところも今は荒れ果てて、鋤で耕されて粟稗の畑になる。
無季。「城山」は山類。「粟稗」は植物、草類。
七十一句目
城山すかれてそよぐ粟稗
わたり来る小鳥たがへぬ時の声 松臼
(わたり来る小鳥たがへぬ時の声城山すかれてそよぐ粟稗)
時の声は鬨の声と同じ。場所が城山だけに、畑を占領した小鳥たちが城を落としたとばかり、「えい、えい、おー」と言ってるかのようだ。
季語は「わたり来る小鳥」で秋、鳥類。
七十二句目
わたり来る小鳥たがへぬ時の声
月落すでにおひ出しの鐘 雪柴
(わたり来る小鳥たがへぬ時の声月落すでにおひ出しの鐘)
「おひ出しの鐘」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「追出の鐘」の解説」に、
「夜明けをつげる鐘。遊里などで、明け六つ(今の午前六時ごろ)の鐘をいう語。泊まり客が帰る時刻に鳴ることからいう。追い出し。起こし鐘。〔日葡辞書(1603‐04)〕
※俳諧・鷹筑波(1638)二「耳かしましきをひ出しの鐘(カネ)一季をり限になればきう乞て〈正好〉」
とある。
前句の小鳥の声も朝を告げるもので、そこに遊郭の帰る時刻を告げる鐘が鳴る。
「月落」は、
楓橋夜泊 張継
月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声到客船
月は落ちて鳥は啼き満点の空から霜が降りて、
河の楓の漁火は悲しい眠りを覚ます。
姑蘇の街の城外の寒山寺。
夜半の鐘の声が旅人を乗せた船にまで到る。
の詩によるもので、月落ち小鳥が鳴いて、遊郭の客に帰る時間を知らせると換骨奪胎する。
季語は「月」で秋、夜分、天象。恋。
七十三句目
月落すでにおひ出しの鐘
置銭や袖と袖との露なみだ 在色
(置銭や袖と袖との露なみだ月落すでにおひ出しの鐘)
遊郭の後朝は銭を置いて立ち去る。
季語は「露」で秋、降物。恋。「袖」は衣裳。
七十四句目
置銭や袖と袖との露なみだ
おもひをつみてゆく舟問屋 志計
(置銭や袖と袖との露なみだおもひをつみてゆく舟問屋)
「おもひをつみて」は、
水鳥のうき寝たえにし波の上に
思ひをつみてもゆる夏虫
藤原家隆(壬二集)
の歌に用例がある。「つむ」は集むということか。
舟問屋はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「船問屋」の解説」に、
「〘名〙 全国各港にあって、廻船と荷主とのあいだに入り荷物の積込み・水揚げおよび廻船の手配などの業務を周旋する業。船宿。廻船問屋。ふなどんや。
※俳諧・談林十百韻(1675)下「仕出しては浪にはなるる舟問屋〈卜尺〉 秤(はかり)の棹(さを)に見る鴎尻(かもめじり)〈一鐵〉」
とある。
この場合は船宿での別れであろう。銭を積むと掛ける。
無季。恋。「舟問屋」は水辺。
七十五句目
おもひをつみてゆく舟問屋
浦手形此もの壱人前髪あり 正友
(浦手形此もの壱人前髪ありおもひをつみてゆく舟問屋)
浦手形は浦証文のことで、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「浦証文」の解説」に、
「〘名〙 江戸時代、廻船が遭難してもっとも近い浦へ着いた場合、難船前後の状況、捨て荷、残り荷、船体、諸道具の状態などにつき、その浦の役人が取り調べてつくる海難証明書。浦手形。浦切手。浦証。浦状。
※財政経済史料‐一・財政・輸米・漕米規則・享保二〇年(1735)六月一一日「右破船大坂船割御代官にて吟味之訳添書致し、浦証文相添可レ被二差出一候」
とある。遭難した時に舟に一人前髪のある若衆が乗っていたのが発覚する。舟問屋にもその趣味があったのだろう。
無季。「浦手形」は水辺。
七十六句目
浦手形此もの壱人前髪あり
詮議におよぶしら波の音 卜尺
(浦手形此もの壱人前髪あり詮議におよぶしら波の音)
前髪のある男が怪しいというので、詮議に及ぶ。海だから白波の音はするが、白波には盗賊の意味もある。
兼載独吟俳諧百韻の九十三句目に、
杖を頼てこゆる山みち
白波の太刀をも持ず弓もなし 兼載
の句があり、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「② (後漢の末、西河の白波谷にこもった黄巾の賊を白波賊と呼んだという「後漢書‐霊帝紀」の故事から) 盗賊。しらなみ。
※本朝文粋(1060頃)四・貞信公辞摂政准三宮等表〈大江朝綱〉「隴頭秋水白波之音間聞、辺城暁雲緑林之陳不レ定」
とある。「沖つ白波」という場合には海賊の意味になる。
無季。「しら波」は水辺。
七十七句目
詮議におよぶしら波の音
山類の言葉をかりて花の滝 一鉄
(山類の言葉をかりて花の滝詮議におよぶしら波の音)
前句の詮議を連歌の式目に反するかどうかを判定する詮議とする。
山類は「山、岡、峯、洞、尾上、麓、坂、そば、谷、山の関、梯、瀧、杣木、炭竈」などが『応安新式』で挙げられている。
滝は山類に含まれるが『応安新式』には「水辺にも嫌之」とあるだけで水辺とはしていない。ただ俳諧では、松永貞徳の『俳諧御傘』には「惣別瀧は山類也、水辺也。」とあり、立圃編『増補はなひ草』にも、山類、水辺両方に「瀧」が記されている。
山類と山類、水辺と水辺は連歌では可隔五句物になるが、立圃編『増補はなひ草』では可隔三句物で、俳諧ということで緩くしている。
たとえば打越に「波の音」とあった場合に、「滝」は出せない。連歌の場合は山類だが水にも嫌うためで、俳諧の場合は瀧は山類でかつ水辺になる。ただ、「花の滝」は落花の比喩なので微妙なところだ。
松永貞徳の『俳諧御傘』には、
「花の瀧は落花を云。但、依句体水辺山類也。新式に両方に嫌と云々。」
とある。『応安新式』には、
「花の浪 花の瀧 花の雲 松風雨 木葉の雨 水音雨 月雪 月の霜 桜戸 木葉衣 落葉衣(如此類は両方嫌之)」
とある。
もちろん前句に「しら波の音」がある分には問題にならない。ただ「舟問屋」「浦手形」が水辺になるとすると、水辺四句でこの句自体もアウトだが、おそらく「依句体」が決め手で、ここではあくまで言葉としての「花の滝」だから、水辺とは言い難いということで、詮議の果てにセーフということか。
季語は「花の滝」で春、植物、木類、山類。
七十八句目
山類の言葉をかりて花の滝
いかに老翁かすむ岩橋 一朝
(山類の言葉をかりて花の滝いかに老翁かすむ岩橋)
老翁は梅翁(宗因)のことであろう。なら、ここに更に「岩橋」と付けるのはどうか、というわけだ。岩橋は水辺で打越に「波の音」があるが、これも同様の理由でセーフ。談林はそこの所を厳密にはやらない、というところだろう。
季語は「かすむ」で春、聳物。「老翁」は人倫。
七十九句目
いかに老翁かすむ岩橋
有難や社頭のとびらあけの春 雪柴
(有難や社頭のとびらあけの春いかに老翁かすむ岩橋)
岩橋から葛城一言主神社としたか。ウィキペディアには、
「延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国葛上郡に「葛木坐一言主神社 名神大 月次新嘗」として、名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭に際しては幣帛に預かった旨が記載されている。
その後の変遷は不詳。かつては神社東南に神宮寺として一言寺(いちごんじ)があったが、現在は廃寺となっている。
明治維新後、明治6年(1873年)に近代社格制度において村社に列し、明治16年(1883年)3月に県社に昇格した。」
とある。江戸時代の様子はよくわからない。芭蕉の『笈の小文』には、
葛城山
猶みたし花に明行神の顔
と記すのみだった。ウィキペディアの「役小角」の項には、
「役行者は、鬼神を使役できるほどの法力を持っていたという。左右に前鬼と後鬼を従えた図像が有名である。ある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。」
とある。
特にこの伝説に掛けなくても、普通に神社の境内の岩橋でも良い。老翁は神主か、それとも神の顕現か。
季語は「あけの春」で春。神祇。
八十句目
有難や社頭のとびらあけの春
鏡のおもてしろじろと見る 松意
(有難や社頭のとびらあけの春鏡のおもてしろじろと見る)
社殿の扉を開ければ、御神体の鏡がある。有難いことだ。
無季。
八十一句目
鏡のおもてしろじろと見る
口中に若衆のいきやみがくらん 志計
(口中に若衆のいきやみがくらん鏡のおもてしろじろと見る)
衆道の若衆が鏡を見る。
自分の息で鏡が白くなると、意気ではなく息を磨いてるようだ。
前句の「しろじろ」を「じろじろ」という意味にも掛けたか。
無季。恋。「若衆」は人倫。
八十二句目
口中に若衆のいきやみがくらん
兼保のたれおもひみだるる 松臼
(口中に若衆のいきやみがくらん兼保のたれおもひみだるる)
兼保は『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注によると、有名な歯医者だったという。貞享の頃に成立した『雍州府志』に、
「丹波康頼之孫、号兼康、治諸病、特得療歯牙之術、自玆為治口舌之医」
とあるという。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「兼康」の解説」には、
「江戸時代、江戸本郷にあって歯磨き粉、歯痛の薬を売った店。
[補注]「御府内備考‐三三」に「本郷三丁目〈略〉町内東側北木戸際同所四丁目両町境横町を里俗兼康横町と相唱申候」とあり、「本郷も兼康までは江戸の内」などともいわれた。」
とある。
若衆の息を磨くというが、兼康は一体どんな若衆を思っていたのだろうか、とする。
無季。恋。
八十三句目
兼保のたれおもひみだるる
しのび路はつらき余所目の関の住 卜尺
(しのび路はつらき余所目の関の住兼保のたれおもひみだるる)
兼保を普通に誰かの名前として、恋路を忍んで関を越えてゆく姿を、関守は他人事ながら辛いだろうな、とする。
無季。恋。
八十四句目
しのび路はつらき余所目の関の住
首たけはまる中の藤川 在色
(しのび路はつらき余所目の関の住首たけはまる中の藤川)
「首たけ」は首ったけのこと。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「首丈」の解説」に、
「① (「くびだけ(首丈)」の変化した語) 足もとから、首までの丈。転じて、物事の多くつもること。くびだけ。
※不在地主(1929)〈小林多喜二〉一「五年も六年もかかって、やうやくそれが畑か田になった頃には、然しもう首ったけの借金が百姓をギリギリにしばりつけてゐた」
② (形動) (首の丈まで深くはまるの意から) ある気持に強く支配されること。思いが深いこと。特に、異性にすっかり惚れこんでしまうこと。また、そのさま。くびだけ。
※洒落本・多佳余宇辞(1780)「帰りてへは、首ったけだが」
※わかれ道(1896)〈樋口一葉〉中「質屋の禿頭(はげあたま)め、お京さんに首ったけで」
[語誌](1)近世前期から上方では「くびだけ」の形で用いられ、文字通り首までの長さを表わし、さらに「首丈沈む」「首丈嵌(は)まる」などの言い回しにも見られるように、この上なく物事が多くつもる意、あるいは、深みにはまる意から異性に惚れ込む意で用いられた。
(2)中期以降、江戸を中心に「くびったけ」の形で用いるようになる。江戸ではまた「くびっきり」という言い方もなされた。」
とある。
首までどっぷりつかるという意味で「はまる」というのは、今でも「ゲームにはまる」「アイドルにはまる」などのように用いられている。元は「首丈にはまる」だった。
藤川は「関の藤川」で、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「関の藤川」の解説」に、
「岐阜県南西端、関ケ原町の旧跡不破関付近を流れる藤古川のこと。藤川。
※古今(905‐914)神あそびの歌・一〇八四「みののくにせきのふぢがはたえずして君につかへん万代までに〈よみ人しらず〉」
とある。前句の関を不破の関とする。「中」は「仲」と掛ける。
無季。恋。「藤川」は名所、水辺。
八十五句目
首たけはまる中の藤川
から尻の駒うちなづみけし飛で 一朝
(から尻の駒うちなづみけし飛で首たけはまる中の藤川)
「から尻」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「軽尻・空尻」の解説」に、
「① 江戸時代の宿駅制度で本馬(ほんま)、乗掛(のりかけ)に対する駄賃馬。一駄は本馬の積荷量(三六~四〇貫)の半分と定められ、駄賃も本馬の半額(ただし夜間は本馬なみ)を普通としたが、人を乗せる場合は、蒲団、中敷(なかじき)、小附(こづけ)のほかに、五貫目までの荷物をうわのせすることができた。からじりうま。かるじり。
※仮名草子・東海道名所記(1659‐61頃)一「歩(かち)にてゆく人のため、からしりの馬・籠のり物」
② 江戸時代、荷物をつけないで、旅人だけ馬に乗り道中すること。また、その馬。その場合、手荷物五貫目までは乗せることが許されていた。からじりうま。かるじり。
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)五「追分よりから尻(シリ)をいそがせぬれど」
※滑稽本・東海道中膝栗毛(1802‐09)四「このからしりにのりたるは、〈略〉ぶっさきばおりをきたるお侍」
③ 馬に積むべき荷のないこと。また、その馬。空荷(からに)の馬。からじりうま。かるじり。
※雑兵物語(1683頃)下「げに小荷駄が二疋あいて、から尻になった」
④ 誰も乗っていないこと。からであること。
※洒落本・禁現大福帳(1755)五「兄分(ねんしゃ)の憐(あはれみ)にて軽尻(カラシリ)の罾駕(よつで)に取乗られ」
とある。ここでは空の馬であろう。藤川の前でどうしようか迷いつつも、意を決して川の飛びこそうとした。その結果、首まで川にどっぷりつかってしまった。
「首たけはまる」を文字通りの意味としての恋離れになる。
無季。
八十六句目
から尻の駒うちなづみけし飛で
とある朽木をこすはや使 正友
(から尻の駒うちなづみけし飛でとある朽木をこすはや使)
前句の「から尻」を①の宿駅制度の本馬とする。急ぎの使者を乗せ、道を塞ぐ朽木を飛び越して行く。
無季。旅体。「はや使」は人倫。
八十七句目
とある朽木をこすはや使
すり火打きせる袋にがらめかし 松意
(すり火打きせる袋にがらめかしとある朽木をこすはや使)
すり火打は火打石で、煙管の袋をガラガラさせる。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「がらめかす」の解説」に、
「〘他サ四〙 (「めかす」は接尾語。「からめかす」とも) がらがらと音をたてる。
※平治(1220頃か)中「六波羅まで、からめかして落ちられけるは、中に、優にぞみえたりける」
※日葡辞書(1603‐04)「Garamecaxi, u, aita(ガラメカス)〈訳〉上にあげた物(振鈴・鈴・将棋の駒・胡桃)を鳴らす。また、他のあらゆるやかましい音を立てさせる」
[補注]「日葡辞書」以前の例については清濁は不明。」
とある。
朽木を飛び越える時に煙管袋がガラガラ音を立てる。
無季。
八十八句目
すり火打きせる袋にがらめかし
こまもの店にわたる夕風 一鉄
(すり火打きせる袋にがらめかしこまもの店にわたる夕風)
前句の煙管袋はこまもの屋の店にぶら下がっていて、夕風にガラガラ音を立てる。
無季。
八十九句目
こまもの店にわたる夕風
寺町の鐘に命のおもはれて 松臼
(寺町の鐘に命のおもはれてこまもの店にわたる夕風)
寺町はお寺の多く集まる地域で、京の京極の寺町通りがよく知られている。お寺が多く、いくつもの鐘が物悲しくて命の儚さを思わせる。このあたりのこまもの店にも夕風が物悲しい。
無季。釈教。
九十句目
寺町の鐘に命のおもはれて
かつしきのわかれ又いつの世か 雪柴
(寺町の鐘に命のおもはれてかつしきのわかれ又いつの世か)
「かつしき」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「喝食」の解説」に、
「① (「喝」は唱えること) 禅宗で、大衆(だいしゅ)に食事を知らせ、食事について湯、飯などの名を唱えること。また、その役をつとめる僧。のちには、もっぱら有髪の小童がつとめ、稚児(ちご)といった。喝食行者(かっしきあんじゃ)。
※永平道元禅師清規(13C中)赴粥飯法「施食訖。行者喝食入。喝食行者先入二前門一。向二聖僧一問訊訖。到二住持人前一。〈略〉面向二聖僧一問訊訖。又手而立喝食」
※咄本・百物語(1659)下「五山の喝食(カッシキ)、連句に心を入て他事なし。さる人いふやうは、ちごかっしきなどは、又やはらかなる道をも御がくもんありたるよし
② 能面の一つ。①に似せて作ってある。額に銀杏(いちょう)の葉形の前髪をかいた半僧半俗の少年の面。「東岸居士(とうがんこじ)」「自然居士(じねんこじ)」「花月(かげつ)」などに用いる。前髪の大きさにより大喝食、中喝食、小喝食などの種類がある。
③ 昔、主に武家で元服までの童子が用いた髪型の一種。頭の頂の上で髪を平元結(ひらもとゆい)で結い、さげ髪にして肩のあたりで切りそろえる。
④ 歌舞伎の鬘(かつら)の一つ。もとどりを結んでうしろにたらした髪型。「船弁慶」の静、「熊谷陣屋」の藤の方など時代狂言で高位の女性の役に用いる。
※歌舞伎・茨木(1883)「花道より真柴白のかっしき鉢巻、唐織の壺折、檜木笠を斜に背負ひ、杖を突き出来り」
⑤ 女房詞。書状の宛名の書き方で、貴人に直接あてないで、そば人にあてる場合に使用される。
※御湯殿上日記‐文明一四年(1482)七月一〇日「めてたき御さか月宮の御かた、おか殿御かつしき御所、ふしみとの〈略〉一とにまいる」
[語誌](①について) 「庭訓往来抄」では「故に今に至るまで鉢を行之時、喝食、唱へ物を為る也」と注する。また、「雪江和尚語録」によれば、後世は有髪の童児として固定していたようである。」
とある。ここでは①の意味だが、「もっぱら有髪の小童がつとめ、稚児(ちご)といった。」とあるように、お寺の稚児との別れで、恋に転じる。
無季。釈教。恋。
九十一句目
かつしきのわかれ又いつの世か
身が袖に出舟うらまん今日の月 在色
(身が袖に出舟うらまん今日の月かつしきのわかれ又いつの世か)
喝食から謡曲『自然居士』への展開か。身売りした少女を助けるべく、人買い船に乗り込んでゆく。
少女が自ら身売りした金で買って寄進した衣を手にして自然居士は、
「身の代衣恨めしき、身の代衣恨めしき、浮世の中をとく出でて、先考先妣諸共に、同じ台に生まれんと読み上げ給ふ自然居士墨染の袖を濡らせば、数の聴衆も色色の袖を濡らさぬ、人はなし袖を濡らさぬ人はなし。」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.50581-50590). Yamatouta e books. Kindle 版. )
の場面が「身が袖に」になり、「出舟うらまん」ということで近江の大津松本へと向かう。最初の方に、
「夕の空の雲居寺、月待つ程の慰めに」(野上豊一郎. 解註謡曲全集 全六巻合冊(補訂版) (Kindle の位置No.50541-50542). Yamatouta e books. Kindle 版. )
とあり、月の夜だった。
季語は「月」で秋、夜分、天象」恋。「身」は人倫。「袖」は衣裳。「出舟」は水辺。
九十二句目
身が袖に出舟うらまん今日の月
悋気いさかひ浜荻の声 志計
(身が袖に出舟うらまん今日の月悋気いさかひ浜荻の声)
浜荻は伊勢の浜荻で、難波では芦という。
難波の芦は古くから和歌に詠まれて、
難波潟みじかき葦のふしの間も
あはでこの世を過ぐしてよとや
伊勢(新古今集)
の歌は百人一首でも知られているが、芦の声は特に詠まれてはいない。荻の上風は寂しげで物凄いものとして和歌の題材にはなっていあ、
浜荻(芦)の声はそういうわけで和歌の趣向ではなく、俳諧の言葉として、ここでは悋気いさかいの騒ぎ立てる声として用いられている。
前句を行ってしまった男への恨みとして、そうなるに至った嫉妬を廻るいさかいの声を付ける。
季語は「荻の声」で秋、植物、草類。恋。「浜」は水辺。
九十三句目
悋気いさかひ浜荻の声
あたら夜の床をひやしてうき思ひ 正友
(あたら夜の床をひやしてうき思ひ悋気いさかひ浜荻の声)
「あたら夜」は明けるのが勿体ないような夜のことだが、それが嫉妬から来るいさかいで一人寝る夜になってしまった。
季語は「ひやして」で秋。恋。「あたら夜」は夜分。
九十四句目
あたら夜の床をひやしてうき思ひ
此子のなやみうばがいたづら 卜尺
(あたら夜の床をひやしてうき思ひ此子のなやみうばがいたづら)
乳母が男を引き入れたりして遊んだりしているが、せっかくの夜を育てている子供が邪魔をする。
「いたづら」は多義だが、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「徒・悪戯」の解説」には、
「② 性愛に関する行為、感情などを主として否定的にいう語。
(イ) 性に関してだらしがないこと。みだらであるさま。好色な感じ。
※咄本・内閣文庫本醒睡笑(1628)七「若き女房の徒(イタヅラ)さうなるあり」
(ロ) 性的な衝動。異性に対する思い。
※浮世草子・好色五人女(1686)一「恥は目よりあらはれ、いたづらは言葉にしれ」
(ハ) (━する) 男女間の、道にはずれた関係。不品行な行為。特に、夫婦でない男女がこっそりあうこと。不義。密通。姦通。
※浄瑠璃・山崎与次兵衛寿の門松(1718)中「もし私にいたづらあらば、先の相手を切りも殺しもなさる筈」
という意味がある。
無季。恋。「子」「うば」は人倫。
九十五句目
此子のなやみうばがいたづら
青き物又ある時はつまみ喰 一鉄
(青き物又ある時はつまみ喰此子のなやみうばがいたづら)
ある程度大きくなった子であろう。未熟者でつまみ食いなどをする。
前句の「いたづら」を悪戯ではなく徒(いたづら)の方として、乳母がほったらかしにしているという意味にする。
無季。
九十六句目
青き物又ある時はつまみ喰
盆に何々むすび昆布あり 一朝
(青き物又ある時はつまみ喰盆に何々むすび昆布あり)
むすび昆布は今でもおでんなどに入れる昆布を結んだもので、盆の上に乗せた結び昆布や青物をつまみ食いする。
無季。
九十七句目
盆に何々むすび昆布あり
岩代の野辺に宗匠座をしめて 雪柴
(岩代の野辺に宗匠座をしめて盆に何々むすび昆布あり)
前句の結び昆布を岩代の松に見立てる。岩代の松はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「岩代松・磐代松」の解説」に、
「和歌山県南西部、みなべ町の浜の松。有間皇子にちなむ結び松のこと。歌枕。
※菟玖波集(1356)恋中「むすぶ文にはうは書もなし 岩代の松とばかりは音信れて〈信照〉」
とある。
『万葉集』には、
有間皇子、みづから傷みて松が枝を結ぶ歌二首
磐白の浜松が枝を引き結び
まさきくあらばまたかへり見む
家にあれば笥に盛る飯を草まくら
旅にしあれば椎の葉に盛る
とあるが、この出典とはあまり関係なく、昆布を結ぶ、ということからその縁として「岩代」の地名を導き出す。
岩代の宗匠は陸奥岩城の猪苗代兼載のことか。北の方だから昆布があるだろう、ということなのだろう。
無季。「宗匠」は人倫。
九十八句目
岩代の野辺に宗匠座をしめて
たのむうき世の夢の追善 在色
(岩代の野辺に宗匠座をしめてたのむうき世の夢の追善)
『新日本古典文学大系69 初期俳諧集』の注は、
熊野へ詣で侍りしに岩代の王子に
人々の名など書き附けさせて
しばし侍りしに拝殿の長押に書き付け侍りし時
岩代の神は知るらむしるべせよ
頼む憂き世の夢のゆく末
よみ人しらず(新古今集)
を引いている。この歌の縁で、岩代の宗匠が追善連歌興行を行ったとする。
無季。無常。
九十九句目
たのむうき世の夢の追善
一通義理をたてたる花軍 志計
(一通義理をたてたる花軍たのむうき世の夢の追善)
一通は「ひととほり」。
花軍は貞徳の『俳諧御傘』に、
「正花也、春也。是は玄宗と楊貴妃と立別、花にて打ちあひあそばれし事と云へり。」
とある。ただ、コトバンクの「精選版 日本国語大辞典「花軍」の解説」には、
「① はなばなしく戦うこと。はなばなしい戦い。
※籾井家日記(1582頃)四「明日にも当城へ敵の乱れ入りて候はば、搦手口をば請取りて花軍を致すべきと存ずる」
② 花の枝で打ち合う遊戯。唐の玄宗が、侍女を二組に分けて花の枝で戦わせたという故事が有名。はなずもう。はなくらべ。《季・春》 〔日葡辞書(1603‐04)〕
③ 花を出し合ってその優劣を競うこと。《季・春》
※浮世草子・好色二代男(1684)三「敵無の花軍(ハナイクサ)」
④ 花と花との戦争。花の精と花の精との合戦。草花を擬人化したものによる想像上の戦い。謡曲「花軍」、御伽草子「草木太平記」などに描かれている合戦。
※叢書本謡曲・花軍(1541頃)「必ず恨みの花軍、夢中にまみえ申さん」
とあり、この場合は①であろう。
亡き人を弔って敵を討つ、いわゆる弔い合戦を美化して「花軍」とはいうが、そんなのもただの建前だったりする。本当の軍はそんなきれいごとではない。
季語は「花軍」で春、植物、木類。
挙句
一通義理をたてたる花軍
その七本のすゑの鑓梅 松意
(一通義理をたてたる花軍その七本のすゑの鑓梅)
前句の花軍を③の意味の取り成し、花の優劣を競う遊びとして一巻は目出度く終わる。
ものが軍だけに「鑓梅」の優勝。槍梅はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典「槍梅」の解説」に、
「〘名〙 ウメの一品種。花は白く、やや淡紅色を帯びる。
※仮名草子・尤双紙(1632)下「名所誹諧発句しなじな〈略〉やり梅のながえやつづくみこし岡」
とある。真っすぐに上に伸びた枝に咲く梅を、文様などで「槍梅」ということもある。
季語は「鑓梅」で春、植物、木類。